先日のトランプ大統領とゼレンスキー大統領の口論に関しての主要メディアの報道は、トランプ大統領を非難するものばかりです。
トランプ大統領は、利益が得られると感じられなければ、正義も不正義もなく、バイデン政権が懸命に支援してきた被侵略国ウクライナを見捨て、目先の利益を求めて、侵略国ロシアと友好関係を築こうとしているとか、すべての行動に見返りを求め、ルールを無視して、国際社会の秩序を破壊しようとしているとか、とにかく非難ばかりが続いていると思います。アメリカでは、トランプ率いる共和党の支持が過半数を越え、上院も下院も共和党が制したというのに、日本では反トランプ一色であることは、やはり、日本の主要メディアが、トランプ大統領の言う、「闇の政府(deep state、略称: DS)」の影響下にあるからではないかと思います。
戦争を終わらせようとしていることに対する評価が、ほとんどないことは、そのことを示しているように思います。
戦後のアメリカは、トランプ大統領の主張するような利益追求の外交政策や対外政策を、圧倒的軍事力や経済力を背景に、あたかも民主的政策であるかのように装ってやってきたと思います。トランプ大統領は、それを、あからさまに口にしてやろうとしているだけであると思います。
だから、トランプ大統領の西側諸国の報道に対する姿勢やDS解体宣言は、単なる「陰謀論」で、かたづけることはできないような気がするのです。
バイデン政権をはじめとする戦後のアメリカの政権が、アメリカの利益のためにあらゆる地域の戦争に関与しつつ、それが、あたかも正義であり、民主的であるかのように装ってきたこと、そしてそのために莫大な費用を費やしてきたことを踏まえれば、トランプ政権が、そのための費用を国内に還流させ、アメリカを豊かにしようとしている意味が理解できると思います。言い換えれば、トランプ政権は、世界を支配するために、莫大な費用を費やす外交政策や対外政策を止めることにしたのだと思います。他国に配置された軍を引き上げ、ウクライナ戦争を終わらせようとする姿勢は、それを示していると思います。
そして、私が注目するのは、トランプ政権が外国に配置された軍隊を撤退させたり、戦争を終わらせたりするだけではなく、長くアメリカの政権が西側諸国の主要メディアを支配するために活動してきた組織を潰しにかかっていると思われることです。それは、イーロン・マスク率いるDOGE(Department of Government Efficiency:政府効率化省)が、国防総省(Department of Defense, DoD)や国際開発局(USAID)、中央情報局(Central Intelligence Agency, 略称:CIA)、アメリカ国家安全保障局( National Security Agency:NSA)その他の職員の大量解雇に取り組み始めたことでわかります。これらの組織は、アメリカの主要メディアのみならず、西側諸国の主要メディアや情報組織に決定的な影響力を持っているといわれてきた組織です。
大統領選挙にあたって、トランプ候補は、闇の政府(deep state、略称: DS)を解体すると宣言していましたが、それを開始したということだと思います。
したがって、完膚なきまでに DS を叩きつぶすため、もしかしたら、トランプ大統領は、バイデン政権の悪事を公にしたり、マイダン革命に対するアメリカの関与や、ドンバス戦争の実態、ブチャの虐殺の真相などを明らかにする可能性があるのではないか、と思うのです。
ウクライナ戦争が始まってから、ロシアやウクライナの親露派の人たちの情報は、完全に遮断され、プーチン大統領は、悪魔のような侵略国の大統領としてくり返し報道されてきました。ウクライナ戦争を客観的に捉えるための情報は、西側諸国では報道されず、自ら探し求めて得た情報に基づく捉え方は、すべて「陰謀論」だと相手にされない情況であったと思います。上記のアメリカの組織は、自らあからさまな陰謀論をふりまきつつ、真実もそうした陰謀論と同一視するというような巧みな戦略で、欧米の知識人も影響下に置いてきたのではないかと思います。
だから、トランプ大統領の取り組みは、色々な面で評価できると思いますが、遅かれ早かれ困難に直面すると思います。資本主義経済が抱える根本的な問題の解決にはならないだろうと思うのです。なぜなら、利益の追及は単なる政治問題ではなく、資本主義経済に内在する資本の論理の問題だといえるからです。
資本論の著者マルクスによれば、労働者は、自分の労働力を資本家に売り、賃金を受け取りますが、生み出した価値の全てを得るわけではありません。資本家は労働者に必要労働時間(生活費を賄うための労働)以上の労働をさせ、その超過分を「剰余価値」として獲得します。これが資本家が得る利潤の源泉です。
資本家は生産手段を所有し、労働者を雇って剰余価値を生み出させます。労働者は生産手段を持たないため、資本家に依存せざるを得ず、搾取・収奪されざるをえないのです。
資本家は利潤を最大化するため、労働時間の延長や賃金の削減を図り、これが労働者からの搾取・収奪を強化します。また、搾取や収奪は、労働時間の延長だけでなく、派遣社員やアルバイトの多用などによっても強化されるのだと思います。そして資本家のそういう対応が、窮乏化(貧困化・格差の拡大)をもたらすのです。
先日朝日新聞に、「黒字でも人員削減 先んじる構造改革と株主の圧力」と題する記事が掲載されました。それは、資本家が利潤を追求するため、労働者に支払う賃金を抑え、生産性向上による利益を資本の側に集中させようとする当然の流れだと思います。
マルクスの『資本論』では、資本家による労働者の搾取の仕組みがくわしく論じられていますが、労働者の窮乏化(貧困化・格差の拡大)の問題は、主要なテーマであり、現在も少しも変わらない問題だと思います。
バイデン政権は、圧倒的な軍事力や経済力を背景に、戦争を厭わず、ロシアや中国をも影響下において、新たな市場を確保し、利益を維持・拡大しようとするのに対し、トランプ政権は、そのために必要な莫大な費用を、国内に還流させることによって、アメリカを一時的に豊かにしようとしているのだと思います。
でも、いずれも根本的な解決にはならないと思います。
だから、労働者の窮乏化(貧困化・格差の拡大)の問題にきちんと向き合わなければ、国際社会の平和の構築が難しいことを、受け止める必要があると思います。
下記は「資本論 世界の大思想18」マルクス著 長谷部文雄訳(河出書房)から、搾取や窮乏化について論じた部分を一部抜萃しました。
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第一部 資本の生産過程
第三編 絶対的剰余価値値の生産
第七章 剰余価値率
第一節 労働力の搾取度
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労働者が必要労働の限界をこえて苦役する労働過程の第二期は、なるほど、彼の労働・労働力の支出・を要費するが、彼のためには何らの価値も形成しない。それは、無からの創造の全魅力をもって資本家をひきつけるところの、剰余価値を形成する。私は労働日のこの部分を剰余労働時間と名づけ、この時間に支出される労働を剰余労働(surplus labour)と名づける。価値を単なる労働時間の凝結・単なる対象化された労働として把握することが価値一般の認識にとって決定的であるように、剰余価値を単なる剰余労働時間の凝結・単なる対象化された労働・として把握することは、剰余価値の認識とって決定的である。もろもろの経済的社会構造を──例えば奴隷制の社会を賃労働の社会から──区別するものは、この剰余労働が直接的な生産者・労働者から搾り取られる形態に他ならない。…
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だから、剰余価値率は、資本による労働力の──または資本家による労働者の──搾取度の正確な表現である。
(剰余価値率は、労働力の搾取度の正確な表現ではあるが、搾取の絶対的大きさの表現ではない。たとえば、必要労働が5時間であって剰余労働が5時間ならば、搾取度は100%である。搾取のの大きさがここで5時間によって度量されている。これに反し、必要労働が6時間であって、剰余労働が6時間ならば、100%という搾取度には変わりはないが、搾取の大きさは5時間から6時間に20%だけ増加している。)
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第八章 労働日
第一節 労働日の限界
われわれは、労働力はその価値どおりに売買されるという前提から出発した。労働力の価値は、他の各商品の価値と同じように、その生産に必要な労働時間によって規定される。だから、労働者の平均的な日々の生活手段の生産に6時間が必要ならば、彼は、自分の労働力を日々生産するために、あるいは自分の労働力を売って受け取った価値を再生産するために、平均して毎日6時間ずつ労働しなければならない。そこで彼の労働日の必要部分は6時間となるのであり、したがって他の事情が同等不変ならば与えられた大きさである。だが、それだけでは労働日そのものの大きさまだ与えられてない。…
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資本家は労働力をその日価値で買った。一労働日の労働力の使用価値は彼に属する。つまり、彼は労働者をして一日中自分のために労働させる権利を得た。だが、一労働日とは何か? とにかく一自然日よりも短い。どれだけ短いか? 資本家は、この最大限、労働日の必然的な限度について、彼独自の見解を有する。資本家としては、彼は、人格化された資本に他ならない。彼の魂は、資本の魂である。ところが資本はただ一つの生活衝動を、すなわち、自己を増殖し、剰余価値を創造し・その不変部分たる生産手段をもって最大可能量の剰余労働を吸収しようとする衝動を有する。資本家は、生きた労働を吸収することによって吸血鬼のように活気づき、それを吸収すればするほどますます活気づく、死んだ労働である。労働者が労働する時間は、資本家がその買った労働力を消費する時間である。もし労働者が、自分の自由にできる時間を自分じしんのために消費するならば、彼は資本家のものを盗むわけである。
つまり、資本家は商品交換の法則を盾にとる。彼は、他の全ての購買者と同じように、彼の商品の使用価値から最大可能な効用をうち出そうとする。ところが突然に、生産過程の疾風怒涛によってかき消されていた労働者の声が つぎのように聞こえてくる─
おれがお前に売った商品がほかの凡俗商品と異なるところは、それの使用が価値を・しかもそれ自身が要費するよりも大きい価値を創造することである。このことは、お前が俺の商品を買う理由であった。お前の側で資本の増殖として現象するものは、おれの側では労働力の余分な支出である。お前とおれは、市場では、商品交換の法則という一つの法則を知っているだけだ。そして商品の消費は、それを譲渡する販売者のものでなく、それを手に入れる購買者のものだ。だからおれの日々の労働力の使用はお前のものだ。だが、おれは、おれの労働力の日々の販売価格に媒介されて、労働力を日々再生産ししたがって新たに販売することができなければならない。年齢などによる自然的磨損を度外視すれば、おれは明日も、今日と同じような標準状態の力、健康および気力をもって労働することができなければならない。お前は、おれに向かって、たえず「倹約」および「節制」の福音を説教する。よろしい! おれは分別ある倹約な亭主のように、おれの唯一の財産たる労働力を節約し、それのばかばかしい一切の浪費を節制しよう。おれは毎日、労働力を、その標準的持続および健全な発達と一致するだけにかぎって流動させ、運動─労働にかえよう。労働日を無制限に延長すれば、お前は一日中に、おれが3日間に補填しうるよりも多量なおれの労働力を流動させることができる。かくしてお前が労働において得るだけを、おれは労働実体において失うだ。おれの労働力の利用とその掠奪とは、まったく異なる事柄である。平均的労働者が合理的な労働度のもとで生きうる平均期間を30年とすれば、お前が日々おれに支払ってくれるおれの労働力の価値は、その総価値の365×30分の一、すなわち10950分の一である。ところが、もしお前がおれの労働力を10年間で消費するならば、お前はおれに、毎日、総価値の3650分の一なく。10950分の一を、つまりその日価値の三分の一を支払うだけである。したがっておれの商品の価値の三分の二を毎日おれから盗むのである。お前は3日分の労働力を消費しながら、一日分の労働力をおれに支払うのだ。それはわれわれの契約に反し、商品交換の法則に反する。だからおれは、標準的な長さの労働日を要求するのであり、そしてそれをお前の情けに訴えることなく要求する。けだし金銭ごとでは人情はないのだから。お前は模範市民であり、ひょっとすると動物虐待防止協会の会員であり、そのうえ聖人だとの評判があるかもしれないが、しかし、お前がおれに向かって代表している物の胸には、脈打つ心臓はない。そこで脈うっているかに見えるのは、おれ自身の心臓の鼓動である。おれは標準労働日を要求する。けだし おれは他のどのアドバイザーとも同じように俺の商品の価値を要求するのだからと。
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同等な権利と権利のあいだでは、暴力が裁決する。かくして資本制的生産の歴史においては、労働日の標準化は、労働日の限度をめぐる闘争──資本家すなわち資本家階級と、総労働者すなわち労働者階級との一つの闘争──として現れる
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第七篇 資本の蓄積過程
第二十三章 資本制的蓄積の一般法則
第四節 相対的過剰人口の様々な実存形態。資本制的蓄積の一般法則
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…資本が蓄積されるにつれて、労働者の状態は、彼の給与がどうあろうと──高かろうと低かろうと──悪化せざるをえない、ということになる。最後に、相対的過剰人口または産業予備軍をたえず蓄積の範囲および精力と均衡させる法則は、ヘファイストス(ギリシャ神話における鍛冶の神」の楔がプロメテウス(ギリシャ伝説上の英雄。ジュピターの火を盗んだために岩に釘づけにされた)を岩に釘づけにしたよりもいっそう固く、労働者を資本釘づけにする。それは、資本の蓄積に照応する貧困の蓄積を条件づける。だから、一方の極での富の蓄積は、その対極では、すなわち、自分じしんの生産物を資本として生産する階級のがわでは、同時に、貧困・労働苦・奴隷状態・無智・野生化・および道徳的堕落の・の蓄積である。
資本制的蓄積のこうした敵対的性格は、経済学者たちによって様々な形態で語られている、──といっても、彼らはそれを、部分的には類似するが本質的に相違する先資本制的生産様式の諸現象と混同するのだが。…