加茂3
「スペインの強烈な太陽に灼かれた乾いた裸の台地を見つづけているうち、しきりと青い地中海の波が見たくなった。」
若き日の辻邦夫が、スペインから青い海の先端の岬へと向かったのはヴァレリーの「海辺の墓地」を訪れるためであった。
「突然、町が終って、岬の突端に出た。果たして墓地はそこに大小の墓石を並べて拡がっていた。私が鉄柵を押してなかへ入ると、水平線を離れたばかりの太陽が、白い大理石の墓標をばら色に染め、幻想と幸福にみちた童話の都会を見るようだった。」(辻邦夫『海辺の墓地から』新潮社)
しばらくの間、このヴァレリの墓はスペインの地中海に面した海辺にあるんだと勘違いしていましたが、よく考えるとフランス人じゃあないか、ヴァレリは・・・・。
ヴァレリーなんて、まったく読んだこともありませんが、加茂でなぜか辻のこの海辺の墓地の話を思い出しました。
さて、加茂中学校跡のクラゲの第2駐車場から少し歩いてみます。
海辺の町の細い道が続きます。
古い洋風建築
水族館までは歩いて20分弱ですが今日はいきません。
浄土真宗本願寺派浄禅寺、この高台の寺に詩人の茨木のり子の墓があります。
門前から加茂の町が見渡せます。
母親がこの地方の出身だった詩人は、ご主人と眠る場所に、海の見えるこの地を選びました。荘内日報によると、お寺には茨木のり子のコーナーもあるそうですが、今回は敷地内には入りませんでした。本来は墓前に花でも添えればいいんでしょうが・・・・。
「 ほっそりと 蒼く 国をだきしめて 眉をあげていた 菜ツパ服時代の小さいあたしを 根府川の海よ 」と書いた詩人は、この海辺の町で何を見ていたんでしょう。
さて、帰り道、板塀のポスター、「希望語り合った」、ああ希望?。
「 わたしが一番きれいだったとき わたしの国は戦争で負けた そんな馬鹿なことってあるものか ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた 」(茨木のり子詩集)
そうポイントは腕をまくっていたこと。