
振り返って眺めた図書館は、しんと静まり返っていた。
しかし雪の鋭敏な本能が、どこかおかしいと騒いでいる。

目の前で本を読んでいる蓮は(蓮は雪から帽子を拝借した)、その異変には気づいていない。
雪は頭を掻きながら、また正しく席についた。
さっきから何か変な感じ‥。勉強しよ‥

雪はささくれ立った神経を鎮めると、再び勉強に没頭し始めた。
蓮は本から顔を上げ、そんな姉にちょっかいを出し始める。人に迷惑にならないようヒソヒソ声で。
「姉ちゃん姉ちゃん姉ちゃん姉ちゃん!」 「何」
「これマジで全部暗記してんの?」 「うん」 「マジ?全部?全部の全部の全部?」

雪は顔も上げず、ただもう一度頷いた。
蓮はそんな姉を前にして、ふぅんと小さく息を漏らす。

すると蓮は雪が見ている本の一部を隠して、こうすると面白いと言って勉強の邪魔をした。
蓮はヒマなのである。

さっきからイライラしていた雪はそのちょっかいで遂に切れ、蓮のスネに蹴りを入れる。
止めろこのガキッ!てか図書館では黙っとけ!

朝いきなり現れてケンカをふっかけてきたような亮や、やたらちょっかいを出してくる蓮‥。
今日はわけもなく災難が降りかかる日なのかと思い、雪は息を吐いた。

そして即行でペンを走らせ、蓮に書面で注意する。
恵待ってるなら他の所で待てばいいのに!何でここに来たの?!
すること無いなら店の仕事でも手伝ったら!

恵、亮に引き続きまたニート扱いされてしまった‥。
蓮は姉からの注意に、あっかんべーを返す。

その後、姉弟は向かい合いながらも顔を背け合った。
好きにしなと言い捨てて勉強に没頭する姉と、フンと息を吐いて腕組みする弟と‥。

そして結構な時間は流れた。
蓮は本を読むのにも携帯のゲームにも飽き、ぼんやりとただ頬杖をつく。
そんな蓮の前で、雪はまだ黙々と勉強している。


蓮が周りを見回してみると、そうやって勉強に集中しているのは姉だけではなかった。
厚い本を片手に勉強する、結構な数の学生が居た。

蓮は帽子を目深にかぶり直して、小さく一つ舌打ちをする。
「チェッ」

皆何か目的を持ち、それに向かって進んでいる。”すべきこと”に向かって。
そんな雰囲気が満ち満ちた図書館は、蓮にとっては居心地の悪い場所だった。
早く恵に会いたい気持ちだけが、彼をそこに留まらせていた。
そしてその頃恵は、試験の余った時間で問題用紙に落書きをしていた。
鉛筆を走らせて出来上がっていくのは、青田先輩の絵だ。

何度もスケッチした彼の絵は、すぐに描き上がって行く。サラサラとした黒い髪と、その下にある大きな瞳‥。
けれど恵はそれ以上ペンが進まなかった。青田先輩の顔やイメージが、どこかぼやけているのだった。

こんな顔だったっけ、と呟いて恵は息を吐いた。
問題用紙の余白に描かれた彼の絵は、未完成のまま試験時間が終わって行く。

やがて待ちくたびれた蓮は、座ったまま眠ってしまっていた。
雪は一つ息を吐くと、眠っている弟をそのままにして本を探しに席を立った。
事例集、事例集っと‥

雪は棚と棚の間を、目を光らせて歩いた。
手元にあるテキストでは、雪が今調べている内容の説明が不十分なのだ。
高い金出して買った教材なのに‥と雪は心の中で嘆きながら、事例集を探して静かに歩く。

するとそんな彼女の後ろから、こっそりと近づく人影があった。
雪の居る通りの一本横を、密やかに歩いて彼女をつけて行く。


雪はその鋭敏な感覚で、誰かが後ろから見ていることを感じ取った。
頭で考えるより先に、身体がそちらを振り返る。

「あ」

横山翔だった。
本と本との間から、棚越しに雪をじっと見ていたのだ。

雪は息を呑むと、ゾワゾワとしたものが体中を飲み込んでいくのを感じた。
脳から発せられた危険信号が全身に回り、心臓が大きな音を立てて鼓動を刻む。

落ち着け、と心で言い聞かせてみるが、身体は言うことを聞かなかった。全身から嫌な汗が噴き出してくる。
「な‥何だよ。何をそんなに驚いてんだよ」

横山は怯えたような表情をした雪を前にそう言ったが、彼もまた彼女の鋭敏さに驚いていた。
彼女の姿を盗撮しようと構えていた携帯を、後ろ手に隠しながら。

雪は自分に落ち着け落ち着けと言い聞かせ続け、まだ何もされてないのだから大丈夫と己を奮い立たせた。
誤解するな、とモゴモゴと言い訳を口にしている横山に向かって、ズンズンと向かって行く。
「アンタまた何しようっての?!マジで死にたいわけ?!」

横山は「俺も事例集を探していた」と言い訳を口にしたが、雪は聞き入れなかった。
横山は雪の剣幕に気圧されながら、俺に対して過剰反応すんなと言い捨てて駆けて行った。

雪は去りゆく横山の背中を睨みながら、心の中が苛立ちに騒ぐのを感じていた。
また横山に神経をすり減らされる日々なんて、もう真っ平だというのに‥。

「クソッ‥!よりによって撮るとこ見つかるなんて‥!」

横山は図書館の方を忌々しそうに振り返りながら、イライラを抱え小走りで道を走っていた。
去年のように録音されたり証拠を掴まれては堪らない、そう思いながら歯噛みしている時だった。
「翔!何?何でこっちにいるの?」

バッタリ直美と出くわしてしまった。雪を追いかけて図書館に行っていた横山はギクッとしたが、
ヘラヘラとした笑顔を浮かべると「探しものって言ったじゃん。そっちこそなんで?」と曖昧な答えを返した。

直美は皆でカフェに行くのを止め、図書館に勉強をしに来たと言った。
直美の眼光が鋭く光り、「翔は何を探しに来たの?」と続けて質問する。

横山は言葉に詰まった。まさか赤山を探しに来たとは言えない。横山は誤魔化すように、直美の方に身を寄せた。
「か‥香織がさ!本を探して欲しいって言うから、それ探しに来たんじゃーん!
でも無かったから直美さんの所行こうと思っててさぁ~」

ケラケラと笑いながらそう口にした横山に、直美は訝しげな視線を送る。
「香織が?何であの子が翔に‥」

直美の脳裏に、親しげに横山と話す香織の姿が思い浮かんだ。
自分も彼氏が居る分際で、なぜ人の彼氏に頼み事なんて‥。

そう口にした直美の言葉に、横山は「友達の頼みは聞いてやんないと」と言って彼女の背中に手を回した。
そして一緒にカフェに行こうと誘い、自然な流れで図書館から直美を遠ざける。

直美はどこか納得出来ない気持ちでいっぱいだったが、そのまま横山と肩を並べてカフェへと向かった。
休憩時間が終われば、また次の試験が待っている‥。
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<棚越しの視線>でした。
今回のびっくりはこれ!

「あっかんべー」です。日本と全く同じなんですね!
韓国では「メーロン」と言って舌を出すのだとか‥。いや~驚きでした。
そして雪から「何でここに来たの」と聞かれても「亮さんに言われたから来た」と言わないところに
なんとなく亮と蓮の絆を感じました。公平な立場で応援するのね、蓮君は~^^
そして蓮の読んでいる「精武門」という本が、映画化されたものがこちらだそうです。
ドラゴン怒りの鉄拳 精武門 Fist of Fury Bruce Lee
ブルース・リーなんですね。蓮も強くなりたいのか??
次回は<謝罪の形骸>です。
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