一昨日、「新しい公共を担う人びと」の読後ブログを書きながら、東日本大震災後を見ていくことで、公共あるいは新しい公共のあり方が見えるのではないかと思い、新聞や雑誌を通じ、復旧、復興の様子を追ってみようと考えました。
そして昨日は、「AERA緊急増刊 東日本大震災100人の証言」、「サンデー毎日緊急増刊 東日本大震災(2)」を買いました。
グラフ風の雑誌は、本来カメラを向けるべきでないところにカメラを向けることが、心の葛藤を伴いながらプロとして現場を伝えるべく感情を殺してシャッターを切っている方に敬意を表しつつも、何か割り切れないものがあり、それを手に取ることがためらわれていたのですが、自分の気持ちを整理するために見るのもと思って見たんですが、やはり抵抗感がありました。
そして、遠く被災地から離れた者が何らかの記録を残すことも意味があるのかとも感じました。
また現場はただ目の前のこと、できることをやっているのだろう、何かを考えることをあえて止めているだろう状況で、部外者が何のんきの見ているんだと思われるだろうとも感じました。
しかし、それでも、自分の気持ちを整理するために、ただ自分のために・・・
続けられるかどうかもわかりませんが、
公共の端っこを担うものとして、また新しい公共を担いたいと考えるものとして、
記録を残していこうと考えています。
そして昨日は、「AERA緊急増刊 東日本大震災100人の証言」、「サンデー毎日緊急増刊 東日本大震災(2)」を買いました。
グラフ風の雑誌は、本来カメラを向けるべきでないところにカメラを向けることが、心の葛藤を伴いながらプロとして現場を伝えるべく感情を殺してシャッターを切っている方に敬意を表しつつも、何か割り切れないものがあり、それを手に取ることがためらわれていたのですが、自分の気持ちを整理するために見るのもと思って見たんですが、やはり抵抗感がありました。
そして、遠く被災地から離れた者が何らかの記録を残すことも意味があるのかとも感じました。
また現場はただ目の前のこと、できることをやっているのだろう、何かを考えることをあえて止めているだろう状況で、部外者が何のんきの見ているんだと思われるだろうとも感じました。
しかし、それでも、自分の気持ちを整理するために、ただ自分のために・・・
続けられるかどうかもわかりませんが、
公共の端っこを担うものとして、また新しい公共を担いたいと考えるものとして、
記録を残していこうと考えています。