16年間我が組織のトップだった方が4月22日に退任されました。
退任記者会見がホームページに掲載されておりましたが、
その中で、記者から「やり残したこと、取り組みが足りなかったこと」を聞かれ、「女性の社会進出」と答えておられました。
長いですが、引用すると
『これは、ずっと振り返って、もっと徹底しなければいけないことということに気づくのが少し遅過ぎたのですが、女性の社会進出です。
これは随分前にも一度申し上げました。日本の今後のあり方、新しいエネルギーということを考えた場合に、女性がもっと社会に出て、多くの分野で色々な意思決定の主役になっていく、あるいはそれを実行する大きな推進力になっていくという社会になっていくことが不可欠だと思います。
その点から言うと、例えば、一番分かりやすく言うと、世界はドイツをはじめ、多くの国々が女性の総理大臣の下で活動しています。国会議員の数なども女性比率が高いです。その点は、日本は随分おくれています。
これは、日本のあり方として非常に問題があると思います。
考えると、女性運動ということがそれまでずっとありました。一つは、非常に社会的に恵まれていない、あるいは社会進出がおくれた女性がもっと社会に出ていくということでした。
歴史的に見ると女性は不利な扱いを受けていたため、これを解放しようという運動が中心でした。
これについて、どうも深く議論せず、男女共同参画社会ということに乗ってしまいました。その当時、これはどうかと直感的に思いましたが、何となく世の流れは男女共同参画社会ということになりました。
その結果、この運動は実に鋭さのない運動になりました。それはそうです。男女共同参画社会といっても、もう世の中は男女共同でできているため、それを目指す運動というのは、一体どこの部分の何を変えようという運動かはっきりしていません。
その結果、象徴的に言うと、運動の中心が、男も帰ってきちんと料理を作ることなどが本気の中心命題になったということです。
一つの運動というのは目的が明確でなければ、シャープでないといけないわけですが、それをごく一般的な目的に置きかえた運動にしたことによって、本来目指すべきであった女性の社会進出運動、女性の解放運動の伝統がずっと後退していきました、もっと言うと見失われたと思いますし、私も、男女共同参画運動に大いに乗った、その結果として、今から見ると女性の参画がおくれてしまったことについては大変残念に思いますし、反省をしています。』
女性の社会進出が言われる際に、諸外国に比べ、日本は・・・という枕詞で語られる事が多く、この回答の中にもやはり同じような個所が見えます。
でも本来考えられるべきはその先、なぜ女性が社会進出をしなければいけないか?
なぜ意思決定の場に女性を増やさなければいけないか?
社会活動は男性だけで行われているわけではないから、男女がいれば男女同じように関わるべきだから。
逆をいえば個人の生活も男女がいるから男女で関わるべき。
人は家庭と社会で育てられるから、家庭も社会も男女の比率と同じように男女が存在していないといけないと思うんですよね。
だからあらゆる場への男女共同参画って間違いではないと思うんですよね。
社会活動の中に女性が入って今までにない発想で社会を引っ張っていく。
家庭の中に男性が入って今までとは違う家庭運営を行っていく。
でもそれを更に考えると
何のために私たちは社会活動や個人の生活をいいものにしたいと思っているか?
幸せでありたいと思うから・・
みんなが幸せであるためには、どんな社会、家庭を築いていくべきか?
そこから出発して、それでは男性はどうあるべきか? 女性はどうあるべきか? 人間としてどうあるべきか?
があると思います。
昔、狩猟で生活していた時は、筋肉の発達した男性が外で狩猟を行い、女性が家を守り、日々の生活を営めばよかった。
しかし、社会が複雑になって、多様な考え方を持つ人が多様なライフスタイルで生活している現代では、多面的な視点から物を考えて、さらに今だけではなく将来を考えて生活をしなければならなくなりました。
だから私たちが幸せな生活を送るためには、女性に限らず、多様な人が持つ多様な考え方を活かしていかないとと社会が動かないようになってしまっていると思います。(意思決定の場にも多様性が必要です。)
だから、いまだに屈強な男性が昼夜なくひたすら働くことを美徳と考える方々、いえ表面上は女性も社会進出をなんて言っていても胸に手を当てるとほんとにそうかな?という方々が多い日本に、九州に・・・本当の幸せは訪れないんじゃないかって考えてます。
退任記者会見がホームページに掲載されておりましたが、
その中で、記者から「やり残したこと、取り組みが足りなかったこと」を聞かれ、「女性の社会進出」と答えておられました。
長いですが、引用すると
『これは、ずっと振り返って、もっと徹底しなければいけないことということに気づくのが少し遅過ぎたのですが、女性の社会進出です。
これは随分前にも一度申し上げました。日本の今後のあり方、新しいエネルギーということを考えた場合に、女性がもっと社会に出て、多くの分野で色々な意思決定の主役になっていく、あるいはそれを実行する大きな推進力になっていくという社会になっていくことが不可欠だと思います。
その点から言うと、例えば、一番分かりやすく言うと、世界はドイツをはじめ、多くの国々が女性の総理大臣の下で活動しています。国会議員の数なども女性比率が高いです。その点は、日本は随分おくれています。
これは、日本のあり方として非常に問題があると思います。
考えると、女性運動ということがそれまでずっとありました。一つは、非常に社会的に恵まれていない、あるいは社会進出がおくれた女性がもっと社会に出ていくということでした。
歴史的に見ると女性は不利な扱いを受けていたため、これを解放しようという運動が中心でした。
これについて、どうも深く議論せず、男女共同参画社会ということに乗ってしまいました。その当時、これはどうかと直感的に思いましたが、何となく世の流れは男女共同参画社会ということになりました。
その結果、この運動は実に鋭さのない運動になりました。それはそうです。男女共同参画社会といっても、もう世の中は男女共同でできているため、それを目指す運動というのは、一体どこの部分の何を変えようという運動かはっきりしていません。
その結果、象徴的に言うと、運動の中心が、男も帰ってきちんと料理を作ることなどが本気の中心命題になったということです。
一つの運動というのは目的が明確でなければ、シャープでないといけないわけですが、それをごく一般的な目的に置きかえた運動にしたことによって、本来目指すべきであった女性の社会進出運動、女性の解放運動の伝統がずっと後退していきました、もっと言うと見失われたと思いますし、私も、男女共同参画運動に大いに乗った、その結果として、今から見ると女性の参画がおくれてしまったことについては大変残念に思いますし、反省をしています。』
女性の社会進出が言われる際に、諸外国に比べ、日本は・・・という枕詞で語られる事が多く、この回答の中にもやはり同じような個所が見えます。
でも本来考えられるべきはその先、なぜ女性が社会進出をしなければいけないか?
なぜ意思決定の場に女性を増やさなければいけないか?
社会活動は男性だけで行われているわけではないから、男女がいれば男女同じように関わるべきだから。
逆をいえば個人の生活も男女がいるから男女で関わるべき。
人は家庭と社会で育てられるから、家庭も社会も男女の比率と同じように男女が存在していないといけないと思うんですよね。
だからあらゆる場への男女共同参画って間違いではないと思うんですよね。
社会活動の中に女性が入って今までにない発想で社会を引っ張っていく。
家庭の中に男性が入って今までとは違う家庭運営を行っていく。
でもそれを更に考えると
何のために私たちは社会活動や個人の生活をいいものにしたいと思っているか?
幸せでありたいと思うから・・
みんなが幸せであるためには、どんな社会、家庭を築いていくべきか?
そこから出発して、それでは男性はどうあるべきか? 女性はどうあるべきか? 人間としてどうあるべきか?
があると思います。
昔、狩猟で生活していた時は、筋肉の発達した男性が外で狩猟を行い、女性が家を守り、日々の生活を営めばよかった。
しかし、社会が複雑になって、多様な考え方を持つ人が多様なライフスタイルで生活している現代では、多面的な視点から物を考えて、さらに今だけではなく将来を考えて生活をしなければならなくなりました。
だから私たちが幸せな生活を送るためには、女性に限らず、多様な人が持つ多様な考え方を活かしていかないとと社会が動かないようになってしまっていると思います。(意思決定の場にも多様性が必要です。)
だから、いまだに屈強な男性が昼夜なくひたすら働くことを美徳と考える方々、いえ表面上は女性も社会進出をなんて言っていても胸に手を当てるとほんとにそうかな?という方々が多い日本に、九州に・・・本当の幸せは訪れないんじゃないかって考えてます。