福岡市、よく晴れています。
朝から暑いですが、それでも空は秋の気配を感じます。
昨日は実家に行って来ました。
前回ブログに実家のリフォームをしたいと書きましたが、妹から反対されました。
母のため、なるべく現金を残しておきたい‥とのこと。
そうですか・・・。それじゃあ仕方ないですね。でも、反対するなら、実家のこれから、あなたもしっかり考えてねって、ちょっと腹を立ててます。
何か困りごとが発生すると、「どうする?」と聞いてくるばかりで、『こうしよう』という提案がない。
結局、こちらが考えて・・・ということが多い。というよりほとんどそんな感じ。
まあ、提案されても自分が納得しないとウンとは言わない私ですから、そうなっちゃったのかもしれませんが・・・
これから先が思いやられます。
さて、もうすぐ9月。父の命日が近づいています。
もう1年、まだ1年。
いろんなことがあったけど・・・
1か月に数回の里帰り。まだまだ続きそうです。
昨日実家に地域の区長さんが訪ねて来てくれました。
遅れたけれど、お盆のお参りをしたいとのこと。
お参りの後、ご自身が一人暮らしで、子どもたちは遠くで住まいを構えてしまい、今住んでいる家をどうするか悩んでるって話になりました。
若干世代は違いますが、残った家のことで子どもたちを煩わせたくないって気持ちは同じ。
きちんと処分ができるよう、住んでる者が準備をしておかないといけないですよねって、話をしました。
何もしないまま逝ってしまった父、いまやその力が残っていない母。
私たち困っているよ‥と言いたいけれど、自分たちがその時になったら、やっぱり同じ失敗をしてるような気がします。
お盆が終わって、9月末の一周忌の準備。
実家に関わる時間が増えて、老いとか、死とかを考える時間も増えています。
今日は遅出勤務です。
全国的に新型コロナウイルス感染症が増加傾向で、出口が見えません。
マスクを外して旅行に行く日は、いつ来るのか・・・
ワクチン接種と特効薬で、インフルエンザ並みになるしかないのかな・・・と素人はぼんやり考えています。
さて、初盆で実家に帰り(コロナの話をしていながら移動した話を書くのは恐縮ですが、初盆だったので、必要な外出と見なしていただきたく・・・)、大雨の心配をしながら実家で過ごしました。
実家は普段誰も住んでいないし、高齢夫婦世帯だったお家は散らかり放題。
いずれは取り壊して、更地として売るしかないのかなあって思っていたんですが、お盆前に片づけて、3泊ほどしてみると、いまどきの新築住宅にはない過ごしやすさもないことはない。
あれ? 結構いい家かも・・・なんて思って
古い住宅なので、手を入れたらもったいないかもしれないけれど、ちょっとリフォームしようかな・・・と、持ち主の母には内緒でそんなことを考えています。
実家の周りは売りに出ている更地ばかり。更地にしたら、他の土地との差別化ができない。
そんなら建物を残して、売る。売れなかったら借りてもらう・・・とかどうかなとか、考えています。
子どもたちは遠くに住んでいて、残った両親の家は誰も住む人がいない。
住んでいる本人たちが、高齢になる前に将来のことまで考えて家を管理してくれていたらよかったものを・・・
亡くなった父、認知症が進んでいく母を責めることはできず・・・
自分の家のことは我が子に面倒をかけないようにしようと思いつつ(思うだけでやっぱり両親と同じ状態になるかもしれないですが・・)、実家の今後を検討中です。
ということで、何かを思ったら、まず本を集めて情報収集から始めてしまう私。
例によって、いままで部屋になかった本が増えています。
父が先に施設に入って以降、母は一人暮らしをしていましたが、その母が救急搬送をされて、入院したため、一人暮らしはもうさせられないと家族で判断し、父と同じ施設に入居してもらいました。
でもちょうど同じ時期に父が肺炎になり、施設近くの病院へ入院し、父母はすれ違いの状態になっておりました。
その父がめでたく退院、数日前にやっと同じ施設暮らしができるようになりました。
入居している施設は一人部屋しかなく、かつ母が入居した際は父と違う階のお部屋しか空いていなかったので、ちょっと不便ではありますが、それでもちょっと歩いて移動すれば、会えます。
父が施設に入って数年、別々の場所でも生活。それがやっと一緒に居ようと思えば、居られる状態に戻りました。
一緒にいる二人の様子を見ているといままでさんざん思ったり、言ったりしていた母への不満がなくなっていて、不思議な気分です。
不満の原因がなんだったのか、自分の気持ちを少し分析してみたいと思っています。
まあ、一時的に不満が消えているだけかもしれませんが・・
母は施設に入りましたが、実家の管理がありますので、我々姉妹の実家通いはいままで通りですが、一人暮らしの母への心配はなくなり、気分が少し楽になりました。
1月ももう12日になってしまいました。新年を迎えたと思っていたのに、あっという間です。
余裕なく過ごしていて、気がつかずにいたんですが、お隣の公共施設の竹藪が少し整備されていました。
さて、昨日、お休みの初日に肺炎で入院した父が退院できそうだということで、病院の説明を聞きに行ってきました。
入院直後には、「会わせたい人がいたら連絡しておいた方がいい」と先生から言われていて、退院なんてありえないと思っていたんですが・・・
まあ、父親、高齢なので、いつ何があってもおかしくない状態ですので、医師としては念のため、ということで「会わせたい人に連絡を・・」ということなんでしょう。
前回入院した時も言われました。
肺炎のほかに見つかった肺の不調が完全に回復したわけではなく、退院後も酸素吸入が必要でこれからずっと酸素ボンベのお世話になりそうです。
それから母、昨年末に有料老人ホームに入居しました。
一人暮らしでがんばるつもりだったものを救急搬送、入院という事態になって、我々子の意思で退院後、そのまま施設に連れていきました。
きちんと本人に説明していなかったので、入居直後は状況がよく呑み込めておらず、施設の生活にうまく適応できていませんでした。
でも先週木曜日に入院後検査の際に会った時、それから昨日もだいぶ施設に慣れたように感じました。
施設への入居について本人に説明したら絶対拒否をすると思い、ほとんど不意打ち、だまして病院から施設に直行してしまい、混乱している母親を見て、一旦自宅に帰した上で、施設に連れてくるべきだった、対応を間違ったと反省していました。
しかし、どうにか落ち着いてきて、それから施設の職員さんからいろいろ一人で出来ていない話を聞いて、いつも見守られている環境に居ることが、今の母には一番大事なことだと思っています。
一人暮らしで自分では思うようにいかず不便を感じていたことが想像できますが、それを子たちに言うと一人暮らしができなくなるんで、いままで、我々には言ってなかったことがたくさんあるようです。
自分の考え方は、本人の意思が最優先されるべきで、本人が一人暮らしを望むなら、それはそうしてもらうべきで、それでたとえ本人が孤独死することがあってもそれはそれでその人の生き方だと思います。
でも、妹はそういうふうに考えられなかったし、自分だって今はそう考えていても実際、母親が孤独死ということになったら、どういう気持ちになるか、わかりません。後悔しない自信はありません。
だいぶ前から施設に入っている父と同じところで暮らしてもらいたいとずっと思ってきたので、自分の願っていた状態になったのですが、母親の話を聞くと、まあ高齢になっても悟りを開くわけではありませんので、集団生活の大変さ、人間関係の煩わしさが施設にはあって、安全だ、黙っていても食事が出てくるいい所というだけじゃないということもわかって、どこにいても、いつになっても生きるって大変だなあと思っております。
出かけていないので、お正月らしい画像がなく、我が家の冬枯れ&手入れをしていない庭をアップ
めでたい正月ではありますが、昨年12月に入院した母のその後を記録します。
一人住まいの自宅で具合を悪くし、ご近所の方に見つけてもらって救急搬送されて入院という状態だったので、幸い2週間弱の入院で済んだものの、自宅に一人で置いておくことができず、たまたま一部屋空いていた父入居の有料老人ホームに昨年末入居いたしました。
入院中、大切にされたため、元々弱かった足がさらに弱くなりました。
病院から直接施設につれてきたもので、施設でどのように過ごしたらいいのか、よくわからないようです。
「ここは病院と違うし、お母さんはなんでも自分でできるので、やってね。お部屋を借りて一人で住んでいると思ってね。」と説明しているんですが、施設のスタッフさんに手助けをお願いしているようです。
それでわかったことは、我々家族は、施設に入りさえすれば安全な生活が送れるっとばかり考えて、本人にとってどんな環境に放り込まれるかよくわかっていなかったってこと。
高齢者が共同生活をするってことは、想像以上に難しい。
初めて会う方々と仲良くお付き合いをするという当たり前のことが難しい。
生活リズムも変わってしまって、その上、見知らぬ方々の中での緊張がある。
自宅であれば、一人暮らしとはいえ、回覧板とか、地域の行事とか、ご近所付き合いがあった。
それがなくなって・・・たくさんの人が一緒に暮らしているけど、かえって孤独を感じているんじゃないか。
かなり高齢なので、もうそろそろ施設に・・と思っていたけれど、退院後のこのタイミングではなかったかなと後悔しています。
来週からは週2回のデイケアが始まって、外出の機会ができるので、それが今の母にいい方向に影響を与えてくれないかなあと思っていますが、
困った状態だけど、何をすればいいのか・・・まだ何も思いつきません。
仕事が立て込んで忙しかったり、事務所のトップが怪我をして一か月超の休暇に入ったりと、ここに来て何でこんなことが起こるんだろうということばかりで、パソコンに向かう余裕がありませんでした。
仕事はやっと目途が立ったと思った矢先、今度は実家の方で恐れていたことが起こってしまった。
一人暮らしをしている母親が救急搬送されてしまいました。
運び込まれた病院の先生の判断が早く、幸い大事にならずにすみましたが、具合が悪くなって数時間一人で何もできずに家に居て、訪ねてきたご近所の方が救急車を呼んでくれた。
その方が訪ねてくれなかったらどうなっていたことか・・・
ということで、先週11日ぐらいから、今度は実家のことでバタバタしました。
父親が施設にいるので、母には前々から一緒に施設に・・と言っていたんですが、断固拒否をされていて、いまに至っているんですが、さすがに今後は一人にしとけない。
病院はすぐに退院だろうから、その後について母がなんというか・・・
ご近所にご迷惑をかけ、びっくりするような目にあって、一人じゃ何もできなくて・・・
それで本人が今後をどう決断するか?
人としてどう生きるか・・試されてるんだよ、お母さま・・って思っているところです。
それにしても仕事と我が家、実家、そして我が将来、それぞれを考えつつ日々を過ごしておりますが、いまはぐっと実家のことにフォーカスしている状態。
生活のバランスが崩れて、心のバランスも少し・・かなり崩れているなあって感じています。
そんなことに関係なく、福岡市、本日はとってもいい天気です。
なんだかんだでいろいろありますが、
そんな中でも・・
昨日、入院中の母へ本の差し入れをしようと寄った本屋で自分用の面白そうな本を見つけ、久々に本読みたいな気分が復活していて、
まあ、なるようになるさ・・、前に進むしかないか・・と考えております。
高齢の両親の様子を見るため、妹と一週おきに実家に帰っています。
実家にいる母と認知症が進んで施設にいる父に会って、身の回りのことをして帰ってきます。
父が施設で一人なので、加齢で足が弱った母に一緒に施設に入るように勧めているのですが、田舎の昔ながらの人で、自宅で過ごすことにこだわっています。
自分でできるうちは自宅に居たいっていうのは、自分も年と取った時に同じ選択をするかなとも思います。
でもね、夫婦だから一緒に過ごしてもらいたいなあって気持ちがあって・・・
認知症が進んで反応の少なくなった父が母がいるときは明らかにうれしそうな様子で、自宅にいるかのような落ち着いた様子をしています。
残された時間を一緒に過ごしてもらえないかなと思って、母にもう少し父のところを訪ねてって頼みました。
我が母、足が痛いことがあるからでしょうが、そんなに遠くない父の施設を訪ねない。
週一回デイケアがあって、その際に父と会うからそれでいいそうで・・・
私からするとそれはおかしいんじゃない?って思えて。
我が家はずっと父親中心に動いていて、母も働いていたんで、自分たちの学校行事とか、ほとんど来てもらえなかった。
今と違って母親はほとんど働いていない時代。ましてや田舎。
友だちの母親が他の友だちのことをよく知っていて、それに対し、我が家の食卓では両親で仕事の話(同じ仕事をしていたんで)。
すごく寂しかったけど、それはそれでしょうがないかなと思ってきた。
そして我々姉妹が成人してからは、母は早期退職をして、転勤が多い父について回っていた。
父親の退職後は、実家に戻って絵にかいたような悠々自適。ご近所づきあいをして過ごしてきた。
もともと母親と仲が良くなかった私は、そんな両親を遠くで見てきた。関わりたくなかった。
ずっと二人で過ごすなら、それはそれでいいやと。
それが、父が認知症になって、結婚して家を出た我々姉妹が実家によく帰るようになって・・・
自宅に居た父が病院に移って、それから施設に入って・・・だんだん症状が重くなって…
実家に帰ると母は自分のことばかり。母の方から父の話が出ることがなくなった。
それで、父のところにもう少し行ってあげてってお願いしてみたところ・・・
自分は家でご先祖様を守っていて、いろいろすることがあるんだ。家にいるから暇だと思っているだろうけど、忙しいんだと激しく拒まれてしまった。
どうして父にところに行くことが嫌なのかよくわからない。
気持ちがわからなくて、なんて冷たい人なんだと思ってます。
親が高齢になって、仕事を辞めて介護に専念する方がいます。
収入の道が絶たれて、どうするんだろうと思うけれど、親が大事。
自分はそうは思えなかった。
また、自分が高齢になった時、子どもたちに迷惑をかけない保障はない。今は周りに迷惑をかけないよう準備しようと思っているけれど、高齢になってそういうことも考えられなくなって、結局迷惑をかけるかもしれない。
だから、自分のことは置いといて母親を責めるのは間違いだろうと思います。だけどやはり、なんて人なんだろうと思ってしまう。
親をそういう風に思っている自分に対してもなんて奴なんだろうって思います。
育ててくれた恩を感じられない自分ってどうなんだろうって思います。
それでも父をほっておく母への怒りはどうしようもありません。
妹曰く、母親は認知症ではないだろうか…
そういえば、父の初期症状に似てなくもない。病院に行って欲しいけれど、そんなこと言おうもんなら、全力で拒否されそうです。
今の母の行動、病気のせいかもしれないと思えば、自分の気持ちが楽になります。
病気じゃなくてもかなり高齢の親ですから、感情を抑えて、いたわらないといけないと思うようにします。
肉親だから自ずと愛情が・・・というふうにはいかないのは、寂しく、悲しいです。
7月12日に病院から有料老人ホームに移って、その後、会いに行けませんでした。
転居後初めて会うので、どんな様子かドキドキでしたが、見違えるほどしっかりしていて、ほっとしました。
施設の方が何かと気をつけてくれていて、足りないものやあった方がいいものを言ってくださったので、早速買い物に行ってきました。
それにしても介護用品高いですよね。
あっという間に1万円札が減ってしまいました。まあ、新しいところに移って大物も必要になったということもありますが・・
靴は外用と室内履きが必要なんですが、いまある外用が硬いので足にある傷に当たって痛そうだということで、室内履きと同じものを揃えることにしました。
歩けないので、耐久性はあまり気にしなくていいかな。
室内履きはこれをはいてます↓
それにしても実家近くの施設まで出かけていって、大きな買い物をして、結構疲れます。
最後まで自宅で頑張ると言っていた母は、最近父のことはケアマネさんや施設にまかせっきりのようで、
自宅で頑張るのは(夫婦でじゃなくて)自分だけだったのかい!とツッコミを入れたくなりますが、まあ高齢だからいろいろ言ってもしょうがないですね。
世間には、なまじ元気な80代、90代の方がいるもんで、それを基準に考えてしまいそうになりますが、80代も半ばになれば、周りにすっかり頼ってしまうのも仕方ないんでしょうね。
でも、その人から頑張れ、頑張れと言われてきた娘は、「(昔は人にがんばれって言ってたよね)あんた頑張らないといけんやろ!!」と思ってます。
ただ生きるだけのことにもエネルギーを使わないといけなくなる高齢になって、その人の生き方がわかるんですね。
自分が高齢になった時、どういう生き方をしているのか。自分で納得できる生き方をしていたいなあなんて、親を見ながら考えています。
今週の水曜日、父の入院先からの要請で、休みを取って佐賀に行き、病院とケアマネージャさん、我が家族との打ち合わせをしました。
父が今度の病院に入院して約3週間。
1か月を目途に今後の方針を考えようと主治医さんから言われていましたが、その打ち合わせでした。
先生は、父の症状が安定してきたので、病院から出て落ち着き先を決めてもいいのではないかとのことでした。
認知症は治る病気ではないので、投薬だけで進行を遅らせるのであれば入院の必要はありません。
本当は家庭に帰って落ち着いた生活ができるのが一番ですが、実家は母だけで父を看ることができない。
介護サービスが充実している地域ではないので、家で十分なサービスを受ける体制をつくれない。
お金があったら、どんなサービスも可能かもしれませんが、そんなお金はない。
じゃ、覚悟を決めて、施設に預けるってことなんでしょうが・・・
今回の打ち合わせは、病院から話があった段階からそんな話になることはわかっていたし、母にもそのことが伝えていたんですが、母、ぜんぜんわかっていなかった。
この病院に転院する時も前の病院においてくださいって、必死で頼んでいたけれど、今回も「この病院は夫に合っています。」「とても環境が良くて夫は気に入っています。」と訴えるばかり。
制度上いつまでも入院できないんだから、泣き落としをしてもどうしようもないです。
頼めばどうにかなるって態度しかなくて、それを見ている子の私としては、若い時からそうしてきたのかなって、母親の生き方が見えるようで、とっても情けなくなってしまうのです。
いずれにせよ、預け先が見つからなければ、自宅でどうにかして看ていくしかないわけで、それは申し訳ないけれど、既に別の家庭を持っている我々子としては選択できないことで・・
ケアマネージャさんが助けを出してくれて、施設を見学するだけでもって仰ってくださって、打ち合わせが終わった後、有料老人ホームと特別養護老人ホームを見て回りました。
で、ケアマネさんと別れて、家族で話し合いを始めたら、母、「どがんでんよか!(佐賀弁:どうでもいい!)」となってしまって。
おいおい、あんたの家族のことやろ、ちょっと前まで、ずっと家に居たいって言ってたでしょう、それって自分だけのことで、夫はどうなってもいいの?
こうなることはわかっていたのに、それさえも想像せずに「家に居たい」って言ってたのかなあってまた情けなくなりました。
母、80代半ば。この年の人に大人の判断、行動を求めている私が求め過ぎなのかなって思わないでもありません。
でも、今80代、90代でも普通にしゃんとしている人が多いですものね。
つい周りと同程度を求めてしまいます。
女性が仕事を持つのが少なかった時代に定年近くまで何十年も働いてきて、自分はしゃんとしていると思っている母。
他人に弱さを見られまいと無理をしているところもある。
それでも・・・どんなに隠しても見えるものは見えるし、人がどうこうではなくて、自分がどう生きるかが大切でしょう・・
親の本当の姿が見えてしまう。介護ってそんなもんなんでしょうね。
ということで、水曜日は結論が出なかったので、本日また往復150km、日帰りで佐賀まで行ってきます。
いつも以上に変化を感じている自分に違和感を感じつつ、仕事をしていたのですが、火曜日夕方、父のケアマネージャーさんから電話がかかって、日常生活にも・・こちらの方は感覚ではなくリアルに変化が・・
父が動けなくなり、救急車でかかりつけ医に搬送されたとのことでした。
脱水症状と熱から来るもので、緊急にどうこうということはないということがわかって安心したのですが、仕事を終えてから1時間半かけて佐賀の病院へ行きました。
その日はもう遅かったので、病院から詳しい説明を聞くことができず、次の日は妹に任せ、でも午後休みを取って、ケアマネージャーさんから状況について話を聞き、今後のことについて話をしました。
認知症があるので、入院して動かなくなることで認知症が進むのではないかと不安を感じます。
それでも、かかりつけ医でもあるし・・とかなりお任せするつもりだったんですが、2日間様子を見た妹から、あまりしっかり看てもらっていないことを聞いて、これはいかんになりました。
入院患者に手のかかる高齢者の方が多く、それに対して看護師などスタッフが足りていないような感じ。
母、妹は、先生から詳しく説明を受けてないようで、またまた昨日午後から休みを取って病院へ。
主治医と医療ソーシャルワーカーさんに時間を取ってもらって、しっかり話を聞き、家族としてはできるだけ早く、運ばれる前の状態までなるようにしたいと希望を伝えてきました。
認知症が進み、動きは悪いものの、ちゃんとイスに座っていたのが、入院後は自力で座っていられない。
脱水と熱だけなら、それはおかしいので、寝ている状態でいることが悪いのかもしれない。
不安を伝えて、リハビリに力を入れてもらうことになりました。
今週3回、70数キロを車で3往復して、さすがに疲れました。数年前に父、母が入院した時は、実家からしばらく通勤しましたが、今回、それは難しいと思います。
2回目で危機感が薄れているせいもありますが、数年で自分も年を取ったと感じます。
それにしても月曜日まで何もなかったのに、急に日々の生活が変化してしまいました。
ところで、福岡の桜、満開です。やっと見ごろを迎えたのに天気が悪く、十分に楽しめないうちに散ってしまいそうです。
家の前の小学校の桜も満開です。
電線が写り込んでいるし、写真ではうまく伝え切れないですね。
休みを取る機会がなかなかないので、せっかく休みを取ったこの日に合わせて、妹も誘って父親のケアマネージャーさん、そして父母ともにデイケアでお世話になっている理学療法士の先生とお会いしました。
ケアマネさんの方は、1年以上前に前の方から交替されていて、会わないといけないと思いつつ、なかなか機会が取れず、やっと面会の運びになりました。
御二方とも父の痴呆の進行を心配されていて、私たち姉妹も日頃気になっていることをお話しました。
40分程度でしたが、父母の体調で気になっていることを伝えることができてすっきりしました。
実家に父母を訪ねて、もっと父が動かないといけないこと、頭を使うこと、例えば会話をしたり、読み物をしたり、だと思っているのですが、昔気質の母が妙に手を出して、結局父は動かずに済んでいて、それが当たり前になっていて、それからほとんど2人の生活なので会話をする機会がない状況なので、危機的だなあと感じます。
かといって父を無理に外に連れ出すには症状が進んでしまっていて、それはそれで危険な感じです。
あまり無理をさせたら、ショックで症状が進んでしまいそうです。
ケアマネさんも理学療法士さんも同じように感じておられて、いろいろ話をしたけれど、当分はいまのメニューを変えずに様子を見ましょうということになりました。
周りがどうこう言っても最後は本人たちの意思が第一。
誰の人生でもないですから、娘が焦ってもしょうがないですね。
帰るたびに父親の痴呆が進んでるような気がします。
母と二人だけの刺激のない生活が脳の老化を早めているような気がしますし、そんな父と一人で向き合っている母も限界が来ているように感じたので、母親に介護付きのマンション生活を進めたところ、大げんかになってしまいました。
我ながら84歳の母親とけんかして、どうなのよと思いますが・・
母は自宅での生活にこだわります。
田舎ですので、高齢者向けのサービスが少ないし、パソコンや携帯・スマホをサクサクと使えるならともかく、他人様に迷惑かけてるし、きちんとサービスの整った住宅に住める方がどれほど楽かと思います。
何よりも父に痴呆を遅らせるような、きちんとしたケアを受けてもらいたい。
でも母は父と二人、長年(といっても父が転勤族だったので退職後20数年に過ぎませんが)住み慣れた地域で最期まで暮らしたい。
私としては、かつて子ども(私や妹)に対し、努力を説いてきた人がいざ自分のこととなると「もう長くない」ふうな発想になるのが、どうしても許せない。
自分のことだけでなく、父親のことを考えてと思うのですが、気持ちは変わらないようでした。
父の痴呆の原因はわかりませんが、父は現役時代は仕事のことばかりで、家族のことを振り返る余裕もなく、退職後は“余生”という過ごし方で、それなりに地域の役職をもらって、これまた上げ膳据え膳の生活で、運動もあまりしてこなかったことが原因じゃないかなと素人判断をしています。働いていた母は退職後、まったく父に家事をさせず、かつて単身赴任で自炊をしていた父だったのに、退職後はお茶碗さえ洗ったことがありません
2年前まずいとわかった段階で、歩いたり、本を読んだりすることが効果あるようだよと両親に勧め続けていたんですが、実行しているふうでもありませんでした。
よくも親の駄目なところを晒すなと思われるかもしれませんが、駄目なんじゃなくて普通なんだろうと思います。
多くの高齢者がうちの両親と同じようにその日を普通に生きている。
死ぬまでしゃんとしていたいと強く思う人だけが、健康に気をつけて運動したり、脳にいいと言われることを実行している。今だけじゃなくて未来を見ている。
マスコミで元気な高齢者が紹介されているんで、誰もがそうしていると思っているけれど、大多数は日々ただ老後を過ごしているんだろうなと。
今回母親とけんかして(ついでに昔からの恨み言も言ってしまった(大人げない))、なによりも父本人がすでに努力するだけの気持ちを持てない状態ではないかということが分かって、もう本人たちに気のすむようにさせるしかないかと諦めがつき、ここ一年ほどイライラしていた気持ちがすっきりしました。
でも、既に死の準備を考え始める年齢になった自分は、いくつになってもただ流れる時間に任せるだけの生き方はしたくないと思っています。
どんな形で死ぬかわからないけれど、最期まで精一杯生き続けますぞ~。
超高齢ですから、ただただ優しい気持ちで、すべてを許す気持ちで接しないといけないと思うのですが、やはり親と子。
自分のことしか考えられなくなった父に、もう少し母のことを考えられないかと情けなくなったり、
逆にいつまでも子と思うのか、自分のことをさておいて、妹と私に何かと自分の気持ちを伝えたりして来て、そんな場合じゃないでしょ・・だったり、
昔からの親子関係のまま
親の嫌なところが目につくし、
親だと思って他人にはとても言わない厳しいことを言ってしまうし・・
高齢の親とそれを気遣う子どもという美しい絵が描ける家族には、ちょっとなれそうにはないのです。
こんな時に人間性が出てくるもんだと、ダメダメの我が身を振り返り、ひたすら自己嫌悪に陥っております。
仕事は仕事で課題があり、家に帰って考え始めるといろいろ考えが堂々巡りをして、眠れなくなることもあります。
週末実家に帰って、妹と二人両親のことを考えるとこちらも乗り越えるべき課題がいっぱいあって、真剣に考えないといい知恵が浮かびません。
二つのことに集中している状態で、どちらも甲乙つけがたく、頭が休まる暇がないなあと思っています。
親の介護に携わっている方の年齢は、だいたい40代以降かなあと思うんですが、その年齢は仕事で責任も重くなってくる年齢ですので、職場では重大な意思決定を行い、家に帰れば介護で重要な役割を担って・・・大変な思いをしている人たちが今、日本にどれくらいいるのか?
そんなことも考えてしまいます。
ちなみに我が家、まだ本格介護状態ではありません。
ここで弱音を吐いている情けなさ・・・