本と猫好きの日日社会メモ

本当の豊かさって何?などとたまに考えつつ、日日生活に流されながら、猫と戯れ本を読む・・そんな毎日を時々アップします。

読書の秋を満喫中

2015-10-24 22:23:34 | 本・雑誌、読書
今日は午前9時に予約をしていた歯医者さんに行って、それから佐賀の実家に両親の様子を見に行ってきました。

そして、途中で本屋さんに寄れたので、本を購入。

最近お財布がピンチでしばらく本は我慢をしないといけないのですが・・それでなくても読んでない本が我が部屋を占拠しているから、そっちを読めよっていうのもありますが。

なんと財布の中にもらった図書カードが何枚も入っているのを発見したんです。

それで、本日、本を購入。

週刊ダイヤモンド 「「読書」を極める!」に記事があった池内恵氏の「イスラーム国の衝撃」「現代アラブの社会思想」と、沼上幹氏「組織戦略の考え方」、米原万理氏「打ちのめされるようなすごい本」を買いました。

その前に買っていたのが、佐藤優氏「知性とは何か」、千野栄一氏「外国語上達法」、出口治明氏「本物の教養」、同じく出口氏「日本の未来を考えよう」、エヴァン・オズノス氏「ネオ・チャイナ」。

しばらくほとんど本を読んでいなかったのですが、いまや読みたいモード全開。

いつまで続くか、このうちの何冊まで読めるのか、わかりませんが、私的に、まさに読書の秋です。
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セミナーより本

2015-10-18 14:44:17 | 本・雑誌、読書
昨日、土曜日はお休み。ですが、事務所近くまで、珍しくセミナーを聴きに出かけました。

最近セミナーに参加しなくなりました。

わざわざ出かけて行って勉強する意欲がなくなったのかな~と自分の気持ちの変化を心配していますが、行かなくなった原因が意欲のせいだけではないかなと思っています。

ある面、セミナーはイベントだし、講師はプロ。うまい話をしてなんぼ(そんな講師ばかりとは限りませんが)。

ここに問題がある、あれを考えないといけないという話を聞いても、

じゃ具体的になるをしたらいいの?

あなたは何をされていますか?

というと答えが返ってこないような気がして・・・

自分で動いていない方が話している内容は、何を根拠にしているんだろうとふと思ったりして。。

質疑応答にしても、お話ごもっとも的な賛辞が多くて、講師の発言に疑問を投げかける質問がない。

まるで講師の話で正解を聞いたようになっていて、もう少し考えないといけないんじゃない?って寂しくなってしまいます。
参加している人が全部同じ考えじゃ、気味が悪い。


以前はおかしいんじゃないかと思ったら、質問をしていたんですが、せっかく有難い話を聞いたのに、なんでそんな質問するんだみたいな雰囲気になってしまうので、まあいいかになっている自分も情けないのは情けないですが・・・



というわけで、セミナーで話を聴くより、長い年月を経て今も残っている古典を読んで、自分なりに考えた方がいいのではないかと。

出かけていく時間があるなら、家でしっかり読書をした方がいいなと。

やはり年を取ったせいかな。。。

と後ろ向きな話はこれくらいにして



本というと週刊ダイヤモンドの10月17日号「「読書」を極める!」というのがメインの特集ですが、成毛眞さんや佐藤優さん、出口治明さん等々の記事があって、図書館や書店の取材記事があって・・もうたまりません。



面白い~

しかし・・・大作を読みたいと思っているくせに、本を扱った雑誌にハマって、本を読む時間がなくなっているっていうのはどうなのよ!!って思います。
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「転がる香港に苔は生えない」星野博美著

2015-10-12 17:08:51 | 本・雑誌、読書
来年は香港、マカオに行ってみたいと思っています。
それで、少し香港やマカオについて、知っておこうと本を買った中の一冊です。

2000年に書かれた本で、1997年7月の香港返還前後を記録するため、香港に滞在した日本人女性カメラマンのノンフィクション記録です。

庶民の生活を中心に取材されていて、ちょっと危ない街、だけどパワーがある行ってみたい街、返還される前に行ってみたいと思っていたことを思い出しました。・・結局今も行けていませんが。

その後、香港はどのような歴史を辿ったのか?
この本で読む返還前の香港と現在の映像で見る香港がつながらないので、機会があったら、返還後を追った本も読んでみようかと思っています。


歴史に翻弄されてきたから、人々がたくましい。

人間どんな状況でも生きていけるんだなあと思いましたし、安定した制度を持ち、その制度が少子高齢化で維持できなくなることばかりを心配している日本人がひ弱に感じられます。

とにかく生きていかなきゃならないから、生きていく。

そんなふうに考えるほうが人生楽しめるんじゃないかとこの本を読んで思いました。

最後の方に著者自身が日本に帰ってきてから日本について感じたことを書いたところは、まさにそうだと思いました。

『私は時々、短期居住者だった異国の香港より、本来自分が属しているはずの日本で、より疎外感を覚えることがある。
昔と比べたら外国人と接する機会は増え、異文化と接する機会も格段に増えたというのに、日本はかえって閉鎖的な方向に向かっているような気が私はしている。圧倒的多数の権益を守るために少数派を排除するという空気は、何も異文化人に対してだけではない。すべての異質なものを自分のテリトリーから追い出そうとする空気がいま日本じゅうに蔓延している。それはいくら時代が変わっても我々の中に、ここは自分たちのものであり、外部の人間は侵入者という土着性がどうしても抜けないからだろう。日本は越境者に対して非寛容な土地である。』

『我々の口をついて出る「日本はいい国だ」という言葉の意味は、自分たちが無防備でいられるということだと思う。その点では、香港は間違いなく危険な街だった。まったく違った背景や価値観を持った人間が行きかう街では、無防備では生きていけない。大多数の人編の無防備を貫くためには、社会はある程度単一でなくてはならない。無防備は多様性を拒否する。
いろんな生きざまを目の当たりにし、その存在を認めることで、人間は生きるということにもう少し謙虚になれる。自分と隣人は違う。でも何の因果か、この瞬間に同じ空間と時間を共有している。そう認めて初めて、他者に対して寛容になれる。
今我々に必要なのは、誇りではなく、多様性だと私は思う。単一の方が楽だから、楽な方向へ向かおうとしているだけだ。(後略)』


これが書かれたのが2000年、それから15年経ちましたが、私たちが異文化に非寛容なところは変わっていないし、日本はいい国だと自画自賛する傾向がますます強くなっているような気がします。

それが著者がいうように、安全で無防備でいられることなんでしょうけれど、それじゃ駄目だと思います。

それは、それで日本が駄目になっていくなんて話ではなくて、もちろん世界中がますます一つにつながる中で自国だけに完結しようとしている日本が取り残されて駄目になっていくことでもあるけれど、それよりも日本人個人個人にとって、せっかくの人生がつまらなくなってしまう。

日本の中にいれば平穏、だから生きているって実感を感じるためには海外に出なければならない。

じゃなくて、日本の中でも多様性を受け入れることによって、日本人の生き方の幅も広げたい。

少なくとも自分はせっかく生きているんだから、きついかもしれないけれど、いろんな人と接していろんな経験をしてみたい。
日本の中にいてもワクワクする経験ができる。

そんな日本に住んでいたい。

なんてことを考えさせてもらった、なかなか好きな本でした。
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歯科検診とバーベキュー

2015-10-11 17:58:36 | 日記(日々の出来事)
昨日、久々に歯医者さんに行きました。何年ぶりでしょうか。
奥歯に物が挟まりやすくなって、他人様の口臭が気にならなくなったのは自分に口臭があるのではなどと、歯のことがずっと気になっていたんですが、受診する機会を見つけられずにいました。

それが、職場で歯科健診というものを見つけて、申し込んだら受診ができることになって、行ってきました。

健診にはレントゲンが入っておらず、悪いところが見つかっても治療は次回からと言われて、結局、健診を使わずに、歯を見てもらうことにしました。

虫歯大量、その他病気あり、なんて結果を予想していたんですが、新しい虫歯もなく、特に大きな問題はありませんでした。

でも恥ずかしながら、60%磨き残しあり。ということでまずはクリーニングで定期的に通院することになりました。

それから、年相応に歯に緩みが出てきているとのことで、物が挟まる悩みと併せて、過去の治療跡を見直したり、必要があれば歯を削って(しかし、これは極力しないようにしましょうだそうです)、親知らずまでバッチリ機能している(すごい珍しいとほめてもらった)私の歯をできるだけ残して行きましょうねということになりました。

歯のことは長いこと気にしていましたので、状態が分かってすっきりです。

上の歯をクリーニングしてもらってキレイになったので、昨日からの数回の歯磨きはしっかりしました。

これが三日坊主にならないといいんですが、そうはなかなか。


それから、本日は夫の発案で、庭でバーベキューをしました。

炭をおこして、よさげなお肉を買って、娘夫婦を呼んで、ちょっとイベント的。

キレイ好きの婿さまがいらっしゃるので、お掃除を念入りにしました。
それでお家がいつもよりきれいになって、それも嬉しいです。

機会がないときちんと家事をしない私にはいい機会です。


時折強めの日差しが気になりましたが、上々のお天気で、娘たちの近況を聞きつつ、楽しく食事ができました。

この週末は三連休。明日までお休みです。
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それぞれの老いの過ごし方

2015-10-04 16:14:32 | 介護、実家、親のこと
昨日は佐賀の実家に帰りました。
帰るたびに父親の痴呆が進んでるような気がします。


母と二人だけの刺激のない生活が脳の老化を早めているような気がしますし、そんな父と一人で向き合っている母も限界が来ているように感じたので、母親に介護付きのマンション生活を進めたところ、大げんかになってしまいました。

我ながら84歳の母親とけんかして、どうなのよと思いますが・・


母は自宅での生活にこだわります。
田舎ですので、高齢者向けのサービスが少ないし、パソコンや携帯・スマホをサクサクと使えるならともかく、他人様に迷惑かけてるし、きちんとサービスの整った住宅に住める方がどれほど楽かと思います。

何よりも父に痴呆を遅らせるような、きちんとしたケアを受けてもらいたい。
でも母は父と二人、長年(といっても父が転勤族だったので退職後20数年に過ぎませんが)住み慣れた地域で最期まで暮らしたい。

私としては、かつて子ども(私や妹)に対し、努力を説いてきた人がいざ自分のこととなると「もう長くない」ふうな発想になるのが、どうしても許せない。
自分のことだけでなく、父親のことを考えてと思うのですが、気持ちは変わらないようでした。

父の痴呆の原因はわかりませんが、父は現役時代は仕事のことばかりで、家族のことを振り返る余裕もなく、退職後は“余生”という過ごし方で、それなりに地域の役職をもらって、これまた上げ膳据え膳の生活で、運動もあまりしてこなかったことが原因じゃないかなと素人判断をしています。働いていた母は退職後、まったく父に家事をさせず、かつて単身赴任で自炊をしていた父だったのに、退職後はお茶碗さえ洗ったことがありません

2年前まずいとわかった段階で、歩いたり、本を読んだりすることが効果あるようだよと両親に勧め続けていたんですが、実行しているふうでもありませんでした。

よくも親の駄目なところを晒すなと思われるかもしれませんが、駄目なんじゃなくて普通なんだろうと思います。
多くの高齢者がうちの両親と同じようにその日を普通に生きている。

死ぬまでしゃんとしていたいと強く思う人だけが、健康に気をつけて運動したり、脳にいいと言われることを実行している。今だけじゃなくて未来を見ている。
マスコミで元気な高齢者が紹介されているんで、誰もがそうしていると思っているけれど、大多数は日々ただ老後を過ごしているんだろうなと。

今回母親とけんかして(ついでに昔からの恨み言も言ってしまった(大人げない))、なによりも父本人がすでに努力するだけの気持ちを持てない状態ではないかということが分かって、もう本人たちに気のすむようにさせるしかないかと諦めがつき、ここ一年ほどイライラしていた気持ちがすっきりしました。


でも、既に死の準備を考え始める年齢になった自分は、いくつになってもただ流れる時間に任せるだけの生き方はしたくないと思っています。
どんな形で死ぬかわからないけれど、最期まで精一杯生き続けますぞ~。
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