夢七雑録

散歩、旅、紀行文、歴史 雑文 その他

雪中四友

2023-02-28 17:27:47 | 随想ほか雑記

“雪中四友”という言葉がある事を知り、広辞苑で調べてみたところ、“画題:玉梅・臘梅・茶梅(さざんか)・水仙の称”とあった。描きたいものが見つけにくい雪の季節であっても、冬に花を咲かせる梅や臘梅、サザンカや水仙は画の題材として使えるので、困った時に助けてくれる友人のような存在なのだろう。そこで、今まで撮った写真の中から、冬に花を咲かせる、梅、臘梅(ロウバイ)、山茶花(サザンカ)、水仙の写真を探してみた。

 

(1)梅

写真は目白庭園でのもので、2016年1月の撮影。庭園内には雪がまだ残っていた。

「梅つばき早咲ほめむ保美の里」:芭蕉

 

(2)臘梅(ロウバイ)

この写真も目白庭園でのもので、撮影は今年の2月。この日、雪は無かった。

「臘梅や雪うち透す枝のたけ」:芥川龍之介

 

(3)山茶花(サザンカ)

今年2月10日、都内に大雪警報が発令された日の写真である。写真の花は寒椿(カンツバキ)かも知れないが、寒椿をサザンカの園芸品種の一つとする考えもあるようなので、サザンカとして取り上げることにした。

「山茶花のここを書斎と定めたり」:正岡子規

 

(4)水仙

今年の2月、目白の森での撮影。園内には他にも水仙があった筈だが、この日は見当たらなかった。

「水仙や寒き都のここかしこ」:蕪村

 

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田柄梅林公園と光が丘の梅林

2023-02-21 17:58:46 | 散歩道あれこれ

光が丘駅から東に行き“光が丘東大通り”に出て右折し南に向かう。梅林公園の交差点を渡ると、光が丘の外側に田柄梅林公園がある。元々は梅の実をとるための梅の畑であったものを、練馬区が買い取って昭和55年(1980)に公園として開園したもので、白梅や紅梅が66本植えられているという。

出かけたときは白梅や紅梅は咲き始めのようで、園内はロウバイが目立つ存在になっていた。ロウバイは蠟梅と書くが、梅という文字があってもバラ科サクラ属の梅とは異なりロウバイ科ロウバイ属なので、ロウバイは公園になってから植えられたのかも知れない。

田柄梅林公園から少し北側に戻って、西側の夏の雲公園を通り抜け、高い煙突を目印に北へと向かう。月見大橋を過ぎてふれあいの径を進み、ふたご橋を渡って光が丘公園に入る。水景施設を横目に左に行くと、道は西から北へと向きを変えていく。歩く人と走る人を邪魔しないよう気をつけながら足を早めると梅の花が見えてきた。本数は数えていないが、梅林と呼んでも良いのだろう。この辺りはグランドハイツがあった場所で梅林は無かったと思われるので、梅が植えられたのは昭和48年(1973)に返還された後、昭和56年(1981)に公園として整備された時期から後のことだろう。

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うめのき憩いの森

2023-02-13 17:39:33 | 散歩道あれこれ

練馬区に、「うめのき憩いの森」という梅林があることを知り行ってみた。有楽町線の平和台で下車し1番口に出て環八通りを渡り右へ、工事中の道路を渡ってスーパーマーケットのライフに沿って左に行き、都営アパート沿いに進んで児童遊園の先の角を右に入る。先に進むと北町西小学校があり、その先の幼稚園を過ぎると北町西小学校東の交差点に出る。交差点の右手に立入禁止の表示が見えるが自衛隊の練馬駐屯地である。この交差点を左に行き、次の角を右に入って、ケアセンターの先の角を左に入ると「うめのき憩いの森」に出る。ここは練馬区が土地所有者から借りて開放しているそうで、早咲きの梅が9本、遅咲きの梅「白加賀」が129本あるということである。訪ねた時は、遅咲き梅が見頃になるのはもう少し先のようであった。

 

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卯年のお年玉切手シート

2023-01-20 17:55:17 | 随想ほか雑記

 今年は、お年玉付き年賀はがきの末等、お年玉切手シートが1枚当たったので、昭和38年から令和5年まで卯年(ウサギ年)のお年玉切手シートが一通り揃うことになった。十二支と十干を組み合せた干支で、今年は癸卯(みずのと・う)に相当するが、前回の癸卯は60年前の昭和38年(1963)ということになる。

(1)昭和38年(1963)

昭和38年のお年玉切手は5円切手4枚からなるシートで、佐賀県の郷土玩具である“のごみ人形”の干支シリーズから卯の土鈴の図柄が使用されている。のごみ人形は佐賀県の鹿島で昭和20年(1945)から作られていた土人形がもとになっている。なお、昭和26年(1951)11月に葉書は5円で封書は10円となったが、その後、昭和41年(1966)までは変わらなかった。

 

(2)昭和50年(1975) 

昭和41年(1966)7月には、葉書は7円に封書は15円となり、昭和47年(1972)2月には葉書は10円に封書は20円に値上がりした。昭和50年(1975)のお年玉切手は10円切手3枚のシートで、図柄には桂離宮の水仙の釘隠しが使われていた。釘隠しとは長押などの釘の頭を隠すための装飾具を言うが、桂離宮の参観者で水仙の釘隠に気づいた人は少ないかも知れない。

 

 (3)昭和62年(1987)

昭和51年(1976)1月に葉書20円、封書50円に値上がりしたが、さらに昭和56年(1981)1月には葉書30円で封書60円となり、同年4月からは、葉書40円、封書60円となる。昭和62年(1987)のお年玉切手は40円の切手1枚と60円の切手1枚からなるシートになっている。40円の図柄は、明治になって旧士族が始めた名古屋土人形の継承者による“めおとうさぎの餅つき”で、60円の図柄は慶事用折鶴になっている。 

 

(4)平成11年(1999)

平成1年(1989)4月に葉書41円で封書62円となり、平成6年(1994)1月には葉書50円、封書80円に値上がりする。平成11年(1999)のお年玉切手は50円切手1枚と80円切手1枚からなるシートになっている。50円切手の図柄は千葉県佐原の郷土玩具、佐原張子の“もちつきうさぎ”で、80円切手の図柄は、幕末に始まった渋江人形を継承した山形張子の“玉乗兎”である。

 

(5)平成23年(2011)

平成23年(2011)のお年玉切手は50円切手と80円切手の2枚からなるシートで、50円切手の図柄は福島県西会津町の”首振り招福卯”という西会津張子、80円切手の図柄は兵庫県丹波市の稲畑人形のうち“子兎土鈴”という土人形が使われているが、何れも江戸時代からの郷土玩具の流れを汲むものという。

 

(6)令和5年(2023)

平成26年(2014)4月に葉書は52円、封書は82円になり、平成29年(2017)6月には葉書62円、封書82円に値上げされ、そして令和元年(2019)10月には葉書63円、封書84円となった。お年玉切手シートは平成28年まで国立印刷局が印刷していたが翌年以降は委託するようになり、令和5年の場合は、凸版印刷(株)の製造になっている。図柄は干支に因んだ84円と63円のうさぎのデザインである。

 

 

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豊島区内名所めぐり(9)池袋駅周辺

2022-12-11 09:47:37 | 散歩道あれこれ

「コース」

池袋駅―22番・元池袋史跡公園―23番・東池袋中央公園―24番・SDGシンボル―池袋駅。 

このコースは、北池袋から池袋へのコースに続けて歩いても良い。池袋駅西口から池袋西口公園の東側に沿って南に行くと、交差点の北西側に22番・元池袋史跡公園がある。雑司ヶ谷村絵図には村の西端に池袋の名の由来とされる丸池と、この池から鬼子母神の北側を流れる弦巻川が描かれている。池袋に開設された成蹊学園の敷地内には丸池が含まれており、成蹊池の名で呼ばれていたが、大正時代の終わりに成蹊学園が移転した後、池は次第に埋められていき、平成10年には、少し離れた場所に史跡公園として残されることになった。

ホテルメトロポリタンの東側を南に向かい次の交差点を左に、線路の下をびっくりガードでくぐる。その先、南池袋一丁目の交差点を渡り、ジュンク堂書店の前を左に行き、二つ目の角を右に入る。池袋大仏を過ぎて先に進み、突き当りを左に折れ、豊島区役所があるビルに沿って北に行き、その先の角を東に行く。音羽通り(都道435号)に出て、その先の横断歩道を渡って北に向かう。日出町公園を過ぎ、その先の横断歩道を渡ってサンシャインシティ内に入り左に、外に出て道を右に行けば23番・東池袋中央公園に出る。

東池袋公園の北西側の角から西に交差点を渡り、左前方を斜めに向かう道を進み、その先の交差点で首都高の下を潜ると、サンシャイン60通りに出る。この道を先に進むと東口五差路の交差点に出る。この交差点には24番・SDGsシンボルが2カ所にあるが、それを確認してから池袋駅へ。これにて、「つながるウォークラリー」の24カ所の区内名所めぐりを終えた事になる。

 

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豊島区内名所めぐり(8)北池袋から池袋へ

2022-12-09 17:54:24 | 散歩道あれこれ

「コース」

北池袋駅―20番・池袋本町公園―21番・池袋の森―池袋駅

千川駅から有楽町線で池袋に出て東武東上線に乗り換えて北池袋駅で下車。ここが今回のコースの起点となる。地下通路を通り西側の駅舎を出て西に行く。少し坂を下ると右側に池袋中のグラウンドが見えてくる。道の左側にある池袋本町小に沿って西に向かい、次の角を左に行くと20番・池袋本町公園に出る。

公園内を歩いていくと、北西の角に庚申塔があった。円頭角柱型庚申塔で寛文2年の造立。豊島区の登録有形文化財(歴史資料)になっている。

公園を出て西に向かうと道に突き当たる。この道は江戸時代からの道で、池袋村図で小石川道としている道である。突き当りを右に行ってすぐの角を左に入るのが、これから先のルートになるのだが、このルートの道も江戸時代からの道で、池袋村図では雑司ヶ谷道としている。これらの道は、伊能忠敬の江戸府内図にも記されており、雑司が谷道は雑司ヶ谷を経て高田馬場に至る道でもあった。昔の雑司ヶ谷道の道筋は現在の平和通りへと続く筈なのだが、国道254号で途切れているので、右側の歩道で首都高の下を潜る。ここを左に行けば平和通りに出られるのだが、今回は国道254号を起点とする劇場通りをたどり、池袋小学校前の交差点で左に入る。先に進むと平和通りに突き当るので、ここを右に行く。

平和通りを南に進むと、道がやや左に曲がって行く場所があり、その傍に21番・池袋の森の入口がある。「池袋の森」の標識もあるのだが、入口は少々分かりにくい。池袋の森は林学博士の島田錦蔵の居宅跡を公園としたもので、入園は無料。年末年始は休園である。

島田博士の居宅の森は、ほぼそのままの姿で現在に残されたようで、この公園は繁華街の中に突然現れる森のようになっている。ログハウスの傍には井戸水を汲み上げた池もあり、以前はトンボも居たらしい。樹木を眺めながら小休止したあと平和通りに戻り、先に行けば線路沿いの道になる。池袋駅は近い。

 

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豊島区内名所めぐり(7)東長崎から千川へ

2022-12-04 07:36:04 | 散歩道あれこれ

「コース」

東長崎駅―17番・千早フラワー公園―18番・熊谷守一美術館―19番・千川彫刻公園―千川駅。

椎名町駅の北口を出ると広場になっている。大正時代には、この辺りから北側に自動車工場があったそうだが、それらしい跡は見当たらない。広場から右に行き、雑誌「WIRED」で紹介されたカフェMIAMIAを過ぎ、保育園の先を左に折れて長崎十字会商店街を北に向かう。先に進むと左手前方に長崎幼稚園があり、ここを右に行くと学習院大学職員の住居跡地を公園にした長崎公園に出る。先に進んで、巣鴨信用金庫がある交差点を左に行くと右側に17番・千早フラワー公園がある。公園内に入って、地下鉄大江戸線のリニアモーター式試作車両を眺めてから公園を出る。

千早フラワー公園の北側にある、信号のある交差点を左に行き、その次の、信号のある交差点を右に入る。二つ目の四つ角を右に入ると直ぐ18番・熊谷守一美術館がある。美術館の壁面には熊谷守一が描いた庭の赤蟻の図が刻まれており、美術館前の通りの名も赤蟻通りになっている。

赤蟻通りを東に行き、二つ目の四つ角を左に折れて北に行くと粟島神社に出る。ここを右に行き要町通りを渡って左へ行くと、右斜め前方に行く道がある。この道を北に向かって進むと、19番・千川彫刻公園に出る。この公園から西に行き要町通りに出れば有楽町線千川駅の入口がある。

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豊島区内名所めぐり(6)椎名町から東長崎へ

2022-12-02 18:03:27 | 散歩道あれこれ

「コース」

椎名町駅―二又交番―トキワ荘跡地―14番・昭和レトロ館-15番・トキワ荘マンガミュージアム―16番・東長崎駅

椎名町駅の南口を出て西に、その先を左折して椎名町公園に行く。なお、池袋から椎名町へのコースで、椎名町駅に行かずに続けて歩く場合は、山手通りのガードを潜ったあと、直進すれば椎名町公園に出られる。この公園の西側の道を南に進み目白通りに出て右に行くと、目白通りから右に分かれる道があり、その交差点には二又交番がある。右に分かれる道は、江戸時代からの道で、明治時代には清戸道のルートでもあったが、今はトキワ荘通りとか南長崎通りとか呼ばれている。今回のコースはこの道をたどることになる。

この通りを先に行くと右側にトキワ荘お休み処があり、トキワ荘マンガステーションの先には子育地蔵尊の入口がある。次の角を右に入った先の右側には、以前、落合電話局があり公衆電話ボックスもあったので、トキワ荘の住人は路地を通って、この公衆電話を利用していたという。トキワ荘通りを先に行くと中華料理店松葉があるが、この店の通りを挟んで反対側の敷地にはトキワ荘跡地のモニュメントもある。先に進むと、通りの左側に14番・昭和レトロ館(豊島区立昭和歴史文化記念館)が開館していた。戦後に建てられたマーケット「味楽百貨店」の建造物を利用して、今年の11月3日にオープンしたという。1階は一般社団法人マンガナイトによる施設で火曜以外は有料だが、2階は昭和のくらしを展示しており無料になっている。

先に進むと左側に南長崎花咲公園(トキワ荘公園)がある。公園内には15番・トキワ荘マンガミュージアム(要予約)があるほか、「トキワ荘のヒーローたち」の記念碑がある。また西側の道路沿いには、周辺地域の昔の写真が展示されている。

公園を出て岩崎家住宅を過ぎ先に進むと長崎銀座の入口に出る。ここを北に向かうと東長崎駅に着く。東長崎駅は16番の名所になっているが、駅が名所とは思えないので、改札の前にある、手塚治虫のジャングル大帝に登場するレオとライヤのモニュメントがマンガの聖地としての名所になっているのだろう。

 

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豊島区内名所めぐり(5)池袋から椎名町

2022-11-30 17:54:30 | 散歩道あれこれ

「コース」

池袋駅-池袋西口公園―産業振興プラザ―上り屋敷公園―12番・目白庭園―13番・目白の森―椎名町駅

池袋駅西口に出て池袋西口公園沿いの道を西に行くと劇場通りに出る。ここを左折し東京芸術劇場に沿って南に進み、池袋警察署前交差点を渡った先で、としま産業振興プラザの7階にある豊島区立郷土資料館に立ち寄る。目的は開催中の区政90周年特別展「豊島大博覧会」を見るためで、期間は来年3月までという。入館料は無料。月曜は休館になる。 

産業振興プラザのすぐ先で、現在の劇場通りは終りになっているが、その先を南へと伸びていく細い道がある。この道を進み、次のT字路を右に行くと上り屋敷公園の角に出る。ここを左折して南に行くと目白庭園への案内表示があり、先に進んで西武池袋線の踏切を渡るとすぐ、12番・目白庭園がある。園内を見て回り小休止してから目白庭園を後にする。なお、目白庭園については当ブログの「寒のあとさき・目白庭園」(2016.2.19)でも取り上げている。

目白庭園を出て、庭園北側の道を塀に沿って西に向かい、突き当りを左に行く。なお、ここを右に行くと踏切に出るが、その右側は上り屋敷駅があった場所で、プラットホームらしき跡が残っている。さて、左に行けば目白通りに出るのだが、その直ぐ手前に右へ行く道がある。この道は目白駅から椎名町駅に通じる道で、今回のコースはこの道を利用している。この道を先に進むと下り坂となる。坂の下の右側にカフェがあるが、その先の十字路を左に行くと13番・目白の森に出る。目白の森には門が2カ所あるが、事務所に近い方の門を仮に表門と呼び、もう一つの門を裏門と呼んでおく。園内を散策してから裏門(写真)から外に出る。右に下ると目白駅から椎名町駅に通じる道に出るが、ここを左に行く。道なりに先に行くと五色湯があり、その先で山手通りに出る。ここを右に行き、頭上注意のガードは見送って、その先のガードをくぐると、右手に椎名町駅の入口がある。

 

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豊島区内名所めぐり(4)大塚から池袋へ

2022-11-26 07:49:13 | 散歩道あれこれ

「コース」

大塚駅―10番・鈴木信太郎記念館―雑司が谷霊園―11番・雑司ヶ谷旧宣教師館-大鳥神社―法明寺―池袋駅

大塚駅南口から南大塚通りを南に向かうと春日通りとの交差点に出る。地下鉄丸の内線・新大塚駅の入口を横目に横断歩道を2回渡り、それから、春日通りを左に行く。その先の角を右に下れば直ぐに道が分かれるが、右に行く方を選ぶ。道幅の割には通る人の多い道である。少し先の右側に、豊島区立の鈴木信太郎記念館の入口がある。この記念館はフランス文学の研究者であった鈴木信太郎の旧宅で、入館料は無料。月曜は休館日になっている。この旧宅は明治20年代の建物を移築した座敷棟と昭和21年建築の茶の間・ホール棟、1階部分を鉄筋コンクリートとした昭和3年の書斎棟からなっており、旧鈴木家住宅として豊島区の有形文化財(建造物)に指定されている。

鈴木信太郎記念館を出て右に行き、道なりに左へ曲がって行くと開運坂下の交差点に出る。記念館の場所は豊島区だが、開運坂下はすでに文京区で、ここから暫くは文京区内を歩く。交差点を渡って急な開運坂を上がり、突き当たりを左に、その先を右に行く。ここからは護国寺裏の静かな道を歩くことになるが、それも長くは続かず、間もなく喧騒の日出通りに出てしまう。首都高の下を潜ると再び豊島区内となり、雑司が谷霊園に沿って左に行き、次の角を右に入って霊園沿いの道を歩く。保育園の近くに旧宣教師館への案内板があり、ここを左に行き、その先の案内板により幼稚園の角を左に入ると雑司が谷旧宣教師館に出る。この建物はアメリカの宣教師マッケーレブが明治40年に居宅として建てたもので、数少ない明治期の宣教師館として貴重なので、旧マッケーレブ邸として東京都の有形文化財(建造物)に指定されている。

保育園まで戻り霊園沿いの道を先に行くと道は下り坂となり、雑司が谷七福神のうち毘沙門天を祀る清立院を過ぎる。その先、宝城寺の石垣沿いに進み、介護老人保健施設に出て左へ、次の角を右に折れると都電の踏切に出る。踏切を渡る道は弦巻通りで、大鳥神社を過ぎると東京音楽大学がある。その先、法明寺の境内に入って北に向かうと東通りで、ここを左に行くと南池袋一丁目の交差点となり、横断歩道を2回渡って右へ行けば池袋駅に出る。

なお、鈴木信太郎記念館と雑司ヶ谷旧宣教師館については、当ブログの記事「鈴木信太郎記念館と山崎家住宅」(2018.10.31)と「東京文化財ウイーク2021・豊島区その2」(2021.11.12)に細部の記載がある。

 

 

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豊島区内名所めぐり(3)西巣鴨から大塚へ

2022-11-22 18:51:32 | 散歩道あれこれ

「コース」

西巣鴨駅~7番・大都映画巣鴨撮影所跡~8番・明治女学院跡~9番・大塚駅北口駅前広場~大塚駅 

巣鴨駅から都営三田線で西巣鴨駅に、ここが今回の出発地となる。西巣鴨駅のA4出口から左へ、白山通りを南に向かって歩く。左側は旧朝日中の敷地跡で、歩道側の壁面には7番目の名所である大都映画巣鴨撮影所についての案内板が設けられている。この地に天然色活動写真の撮影所が設置されたのは大正8年(1919)のことで、後に大都映画撮影所となり、昭和17年(1942)に企業統合される(大映)まで、大衆娯楽映画を製作した。

白山通りを先に進み正法院を過ぎ、その先の横断歩道で白山通りを渡って右側の道に入る。先に進んで巣鴨北中の横を進むと庚申塚通りに出る。ここを左に行き、都電の踏切の手前の角を右に入る。菊かおり園を過ぎてその先の西巣鴨幼稚園に、8番目の名所である明治女学校之址の石碑がある。案内板によると、明治女学校は明治18年の設立で、明治30年には巣鴨に移転したという。この女学校は多くの人材を輩出したとされるが、財政状況が悪化したため明治41年に閉校したとしている。

西巣鴨幼稚園の西側の角を左に行くと道は下り坂となる。突き当りを左へ次の角を右に、西巣鴨小沿いの道を歩く。この道を先に進むと西巣鴨新田通りに出るので、ここを左に行き保育園のある角を右に行くと宮仲公園通りに出る。ここを左に行き空蝉橋下の交差点を過ぎ、さらに進んで大塚駅北口の交差点を右に行くと大塚駅の北口に出る。大塚駅北口駅前広場は再整備されて、イロノワヒロバという愛称まで付けられているが、イロ(色)は多様性を表し、ワ(輪)はつながりを表すということらしい。夜になると広場全体をカラフルに彩る光のファンタジーが見られるということだが、それまで待てないので、モニュメントの一つを写真に撮って大塚駅へ。本日はこれにて終りとする。

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豊島区内名所めぐり(2) 駒込から巣鴨へ

2022-11-17 18:49:27 | 散歩道あれこれ

「コース」

 駒込駅―5番・染井吉野桜記念公園―染井通り―私の庭みんなの庭―染井坂通り―6番・門と蔵のある広場―染井よしの桜の里公園―白山通り―巣鴨駅

前回の続きとして、5番と6番の名所を見て回る。池袋駅から山手線で駒込駅に、ここが今回の出発地となる。駒込駅の北側に、豊島区内名所の5番目にあたる染井吉野桜記念公園がある。桜の季節でないのが残念だが、公園内の「染井吉野桜発祥之里」の記念碑が、桜の記念公園であることを表している。ただ、少々汚れているのが残念な気もする。

本郷通りを渡って線路沿いの道を進み、染井橋に出て右へ染井通りを歩く。「私の庭みんなの庭」を過ぎ、大師道と彫られた道標を目印として右に折れ北に向かう。この道を染井坂通りと言い、少し先に6番・門と蔵のある広場がある。「染井王子巣鴨辺絵図」によると、江戸時代には染井通りの南側に藤堂家の下屋敷があり、北側には植木屋が多かったようで、この広場の門は、藤堂家下屋敷の裏門を植木屋の丹羽家が譲りうけたとされる。なお、この門は区指定有形文化財(建造物)になっている。蔵は昭和10年の建築で、旧丹羽家住宅蔵として国登録有形文化財(建造物)になっている。

門と蔵のある広場を出て右に、駒込小の横を通り次の角を左に行く。江戸の絵図にあった西福寺と染井稲荷は道の右側にある。先に進むと、染井よしの桜の里公園に出る。公園を横切って南に向かい、染井通りの駐在所を過ぎて先に進むとスポーツセンターの裏手に出る。ここを左に、さらに右に左に右へと行くと白山通りに出る。左へ行けば巣鴨駅だが、時間に余裕があるのであれば、白山通りを渡って右へ行き巣鴨地蔵通りを散策しても良い。

 

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豊島区内名所めぐり(1)池袋駅周辺4公園

2022-11-15 18:44:40 | 散歩道あれこれ

豊島区では区政施行90周年記念事業として高齢者のフレイル(虚弱)予防の事業を行っているが、その中の一つに「区内名所をめぐる つながるウォークラリー」というのがあった。65歳以上の豊島区の居住者を対象とし、24カ所の区内の名所のうち5カ所をまわってクイズの答を書いて提出すると記念品が貰えるということで、移動方法は徒歩でも自転車でもよく、公共交通機関も利用可能になっていた。期間は9月1日~10月31日で既に終了しているが、記念品はともかくとして、せっかく24カ所の名所を選定しているので、1番から順に名所めぐりをしてみた。

豊島区内名所のうち、1番から4番は次のようになっている。

1番:池袋西口公園。西池袋1-8-26。令和元年(2019)再整備開園。

2番:南池袋公園。南池袋2-21-1。平成28年(2016)再整備開園。

3番:イケ・サンパーク。東池袋4-42。令和2年(2020)開園。 

4番:中池袋公園。東池袋1-16-1。令和元年(2019)再整備開園。

この4カ所について、当ブログでは、「池袋駅周辺の4公園めぐり」(2020.10.10)として投稿しているが、今回は別のルートで4カ所の公園をめぐっている。

「今回のコース」

池袋駅―1番・池袋西口公園―ウイロード―2番・南池袋公園―グリーン大通り―3番・イケサンパーク―サンシャイン通り―4番・中池袋公園―池袋駅。 

池袋駅の西口を出て、近くの池袋西口公園に行き、GLOBAL RINGをしばらく眺める。それから公園を後にし、池袋駅北側の線路下の通路であるウイロードを通って明治通りに出る。ここまでは、「池袋駅周辺の4公園めぐり」と同じルートだが、ここから先は異なる。

明治通りを先に進み西武鉄道池袋駅東口を過ぎて、その先の交差点で明治通りを渡り右斜め前方の道を先に進むと南池袋公園に出る。芝生には休憩する人々、キッズテラスには遊んでいる子供達の姿が見える。

グリーン大通りに出て東へ、首都高の下を潜り、日出町第二公園の交差点で左に入る。左側にサンシャインシティ、右側に保健所がある交差点を右に行くとイケ・サンパークに出る。公園名は「としまみどりの防災公園」で、イケ・サンパークは愛称ということらしい。

イケ・サンパークから戻って保健所の先の交差点を渡り、バスターミナルの出口を横切って先に進むと、サンサインシティの入口がある。サンシャインシティ内を散策し、動く歩道を通ってエスカレータを上がり、サンシャイン60通りを左に、ユニクロの先の角を右に行けば、広場のような中池袋公園に出る。公園から西に、明治通りを渡れば池袋駅に出る。

 

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MD(ミニディスク)について

2022-10-02 15:55:46 | 随想ほか雑記

先日テレビを見ていて、十代の多くがMD(ミニディスク)を知らないということに驚いた。MDが登場したのは平成になってからで、CDに比べて小さく持ち運びしやすく、録音が容易にできる利点もあった。また、カセットテープとは異なり曲番が付けられる(頭出しが出来る)というメリットもあったので、今後は主流になる可能性もあると思っていたのだが、現実にはそうはならず、それどころか、今では絶滅危惧種にすらなっているらしい。こんなことになるとは思ってもみなかった。

上の写真は、所有しているSONYのポータブルミニディスクレコーダー、MZ―R4ST(1996年)である。写真の上側がステーションで、その左上側に本体が装着されている。写真の下側にあるのがMD(ミニディスク)で、ディスクをカートリッジに収めて保存する。

 

上の写真は、ステーションから本体を外して、上側に置いた状況を示している。本体にバッテリーとリモコン付きヘッドフォンを装着すれば、本体を持ちだして歩きながら聞くこともできるので、MDウォークマンと称していた。

この先、MD(ミニディスク)に録音することは考えていないし、MDウォークマンとして屋外で聴くこともないだろう。ただ、録音済みのMDについては、聞いてみた上で残した方が良いと思う場合は、別の媒体にコピーすることを考えたい。

 

 

 

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切手収集という趣味

2022-09-15 20:55:08 | 随想ほか雑記

切手収集が趣味の王様だった頃、雑誌の広告につられて海外切手のパケットを買ったことがあった。中身は未使用の切手が1枚、残りは使用済み切手41枚で、相場が分からなかったので、値段相応なのかどうかは分からなかった。それと、どのような切手なのか、当時は調べることが難しかった。切手収集を続けることも考えたが、それには小遣いが足らなかったので、きちんと保管する事を条件に、家にあった使わない切手はまとめて預かることにした。それから年月が経ち、自分で稼いだ金で、切手収集が出来るようになったが、その頃には、切手は投機の対象となり趣味の域を脱していたため、たまに切手を入手することはあっても、本格的な切手収集を始めるまでには至らなかった。

ところで、当時入手した海外切手のパケットだが今も手元にある。上の写真はその一部で、中ほどにある三角形の切手が、たった1枚の未使用切手で、円盤投げの図柄によるサンマリノの切手である。他の使用済み切手はともかく、この未使用切手は当時も多少の値がついていた筈なので、長く保存しておけば、可成りの値がつくのではないかと思い、このパケットを今まで残しておいたのだが、最近になって調べてみたら、この未使用切手は10円にも満たないことが分かった。ひょっとすると、この切手パケットの中の使用済み切手の中に、10円を超える値のつくものがあるかも知れないのだが。

 

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