夢七雑録

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虎ノ門・愛宕・新橋の神社めぐり

2012-01-14 11:07:56 | 寺社巡拝

 現在、環状第2号線、通称マッカーサー道路の整備事業に関連して、新橋・虎ノ門地区の再開発事業が進行中である。完成後の市街の姿は、先々幾らでも眺められるわけだが、開発により消滅する町の姿は、今のうちでなければ見る事が出来ない。そこで、正月休みで工事が休止しているうちに、虎ノ門から新橋まで、この地域の神社の初詣を兼ねて、歩いてみることにした。

 地下鉄の虎ノ門で下車し、交差点北東角の虎ノ門碑の前に出る。明治時代に取り壊された虎ノ門は、交差点よりやや北に位置していたらしく、今の交差点の辺りは、外濠の場所という事になるようだ。外堀通りが交差点で曲がっているのは、外濠が曲がっていたからだろう。外濠の痕跡は今も残っているが、今回はパスして先へ行く。

 外堀通りと桜田通りを渡り、赤坂方向に進んで次の角を曲がる。この道を進むと、金刀比羅宮の裏口に出る。現在の神社の正面は桜田通り側になっているが、江戸時代の虎ノ門の前方は屋敷地で直進出来なかったため、裏口に出る道の方が、当時の道に近いということになる。金刀比羅宮は讃岐丸亀藩の邸内社であったが、江戸町民の願いを入れて、決められた日だけ一般に公開されていた。それだけ人気のあった神社という事だが、明治になって独立した神社になってからも、その人気は続き、戦前までは相当繁盛していたらしい。現在は、行列が出来てはいるものの、大繁盛とまではいかないようである。参拝を終え、正月に出される福銭開運のお守を受け、お神酒を頂いてから、桜田通りに出る。ここを右に行き、次の角を右に折れ、さらに次の角を左に折れ、桜田通りから一本入った通りを歩く。この道の所々に空き地がある。時には、石垣の構成要素であったらしい石が大量に保管されている空き地もある。今しか見られない風景である。人通りのない道をさらに進むと、高い仕切りに囲まれた場所がある。位置からすると、虎ノ門パストラルのあった場所である。そのうち、オフィス棟と住宅棟からなる高層建築でも建つのだろう。

 虎ノ門パストラルの跡地の先に、狭くて急な石段がある。上を見ると赤い鳥居が見える。用の無い者通しゃせぬの構えだが、今回は初詣という大義名分があるので、遠慮せずに上がってみる。鳥居のある場所は、江戸時代、葺手町の人が古い稲荷を発見し、町内の氏神として祭ったという葺城稲荷の境内になっている。敷地は稲荷社としては標準的な広さだが、何となく落ち着かない。近隣が再開発された後、この稲荷がどうなるのか、少々気にはなったが、気にしても仕方ないのだろう。稲荷社の先に信号がある。右へ上がる道は、テレビ東京の横を通り、坂の上から右に曲がって大倉集古館の方に行く道だが、今は小洒落た道になっている。今回は、この道を横断して直進する。以前、右手に低層の森ビルがあったが、早々に建て替えられて、今は高層のビルになっている。その先、右側にエスカレータを併設した石段があって、その上に雰囲気の良さそうな道が続いている。城山ガーデンに通じる、この道のことを、誰が付けたか神谷町緑道と呼ぶのだそうである。ところで、城山というからには、城跡ぐらいありそうだが、今のところ、場所も不明、城の主も不明らしい。この緑道を上がるとスウェーデン大使館の横に出るのだが、今回はパスして先へ行く。

 道を先に進み、突き当たって左に、桜田通りに出たら右に行く。道は緩やかに上り坂になる。やがて右側に石段が現れる。急な石段を上がると、西久保八幡神社の社殿の前に出る。今は参詣者もやや少なめなようだが、江戸の八所の八幡の一つに数えられた由緒ある八幡神社である。参拝後、神谷町の交差点まで戻り、桜田通りの一本東側の道を歩く。開発が進む地区にあって、昔からの雰囲気が僅かに残っている場所でもある。その先を右に折れ、愛宕トンネルへと向かう。右手にあるのは天徳寺で、寺の向かいに説明板が置かれている。

 愛宕トンネルを潜ると右側にエレベータがあり、愛宕山に上がれるようになっている。歩く気なら、エレベータに沿って階段を上がることも可能である。また、愛宕山から遊歩道によって、隣の青松寺にも行けるようになっている。愛宕神社に上がるには、エレベータのほかに、正面の男坂、隣の女坂、トンネル西側の石段、真福寺の横から上がる車道があるが、体力に余裕があれば、馬も駆け上がった男坂を上がりたい。

 愛宕神社を出て、愛宕神社前の交差点から東に行き、福祉会館前の交差点の先を左に行くと、塩釜神社に出る。塩釜神社は伊達藩邸内にあった神社で、神社の前は塩釜公園になっている。大きな神社ではないが、都心の割には樹木が多いので、神社らしい雰囲気がある。塩釜神社から北に行くと、環状第2号線の工事現場に出る。この地区が、再開発によりどう変わるのか、楽しみな面もあるが、失われるものもあるのだろう。

 日比谷神社は、もともと稲荷神社で、当ブログの「稲荷百社詣」でも取り上げている。当時はすでに再開発事業がスタートしていたが、日比谷神社はまだ旧地にあった。しかし、社寺といえども、昔から、度々移転を余儀なくされてきたわけで、日比谷神社も今回、移転を免れることは出来なかった。日比谷神社が移転した先は東新橋二丁目。目立つ場所ではあるが、線路に近く、静かに参拝する事は難しくなったかも知れない。

 日比谷神社から新橋駅に出て、飲み屋街の中にある烏森神社に行く。ここは、昔と変わらない。それとも、虎ノ門・新橋地区の再開発により、雰囲気が変わってしまうのだろうか。

 都市計画道路環状第2号線(新橋~虎ノ門)の整備工事と、関連する新橋・虎ノ門地区市街地再開発事業の計画によると、第一京浜から愛宕通りまでは直線的に、その先は斜めに特許庁付近に出る、幅40mの環状第2号線幹線街路を新設するとともに、柳通りの東側を新橋街区(Ⅰ街区)として地上16階の店舗・住宅・オフィス兼用のビルを建て、桜田通りの東側に青年館街区(Ⅱ街区)として地上21階の住居・公益施設兼用のビルを建て、愛宕通りと桜田通りの間を虎ノ門街区(Ⅲ街区)として地下の道路と立体的に重複利用される地上52階のホテル・住居・オフィス・店舗等兼用のビルを建てる事になっている。この計画に基づき、森ビル本社が一時入っていた第17森ビルのほか、多くの建物が取り壊されるという状況になってしまった。本当は、この地域の再開発前の姿を記録に残しておきたかったのだが、出遅れた感は否めない。

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