南砂町駅で下車し南砂三公園に出て北に向かう。公園内を通り抜け、南砂三公園入口の交差点で元八幡通りを渡り、先に進んでトピレックプラザのイオン館の横を通り、葛西橋通りを渡ると仙台堀公園の横に出る。この公園は大正から昭和にかけて開削された砂町運河の跡で、公園に入って北に行くとすぐ、園内に移築復元された旧大石家住宅があり、土日祝日に公開されている。上の写真は南東側から見た外観で、右側が正面にあたり土間の入口がある。建物の向きは、移築以前と同じ東向きになっている。
上の写真は南側から見た旧大石家住宅で、座敷が二間あり縁側がある。旧大石家住宅は寄棟造り茅葺屋根の木造平屋で、水害の際の避難場所として屋根裏を広く取っている。創建年代は、安政2年(1855)の大地震でも倒壊しなかったと伝えられている事や、屋根裏にあった御札から、19世紀半ばと推定されている。旧大石家住宅は、区内唯一の茅葺民家であり、江戸近郊農家の姿を今に残す貴重な存在であることから、江東区の有形文化財(建造物)に指定されている。
旧大石家住宅は北側をドマ(土間)とし、中央の板間を6畳のザシキと四畳半のチャノマに、南側の畳の部屋を8畳のオクと6畳のトコノマとする田の字型の間取りになっている。ザシキには囲炉裏が切られている。上の写真は土間から見たもので、手前が6畳のザシキ、向こう側は8畳のオクになっている。
江戸時代の南砂一帯は、江戸への野菜の供給地で促成栽培も行っていた。大石家でも野菜を栽培していたようだが、海も近いことから、半農半漁で生計を立てていたらしい。大石家は大正時代に海苔の養殖を始めており、土間などには日常使用していた道具のほかに、海苔養殖に必要だった道具も保存されている。
葛飾郡西葛飾領新田筋の八郎右衛門新田(現・江東区東砂8)は、深川村名主の深川八郎右衛門が開拓した土地で、村の北側を流れる境川から南に分かれる舟入川によって、耕地が東と西に分かれていた。明治の初め頃には、舟入川の両岸に50軒余りの民家が並んでいたが、大石家住宅はそのうちの一軒で、舟入川南端の堀留に近い東側にあった。その主屋は舟入川を背にして東向きに建てられ、その東側には畑があった。時が流れ、境川は清洲橋通りに変わり、舟入川も四十町通りとなって、昔の農家のまま残っていたのは大石家だけになっていた。そして、平成6年、大石家住宅は解体され、平成8年に仙台堀公園内に移築されている。