今回は、NHKの100分de名著のうち、「古事記」を取り上げる。私の本棚にも、次のような「古事記」の本がある。
【書誌】
書名「古事記・日本書紀」。日本古典文庫1。福永武彦訳。
河出書房新社。昭和51年初版。昭和55年七版。¥1200。
高校の音楽の時間に作曲の宿題が出たことがあった。伴奏付の曲は作れそうにないので、何かの詩に適当なメロディを付けて出そうと思い、詩を探していたところ、たまたま古事記のヤマトタケルの物語の中に歌を見つけ、幾つかを選んでメロディを付けて提出した。当時は和歌を歌詞に選ぶ人が居なかったらしく、そのせいか平均点より少し高い点を貰ったような記憶がある。ただ、どんなメロディだったかは、すでに記憶のうちにない。
昭和54年(1979)、古事記を編纂した太安万侶の墓が発見されるということがあり、遥か遠い昔の話に過ぎなかった古事記の世界が、ある日突然、身近な存在になったような気がした。それからは、古代についても少しは関心を持つようになったが、古事記を通して読んでみようと思ったのは、その翌年のことである。
ヤマトタケルの物語について、古事記と日本書紀の内容を比べてみた。古事記では、ヤマトタケルが兄を殺した事を知った天皇が、行く末を案じて西国の熊襲討伐に向かわせたとあり、さらに、西国から戻ったばかりで直ぐ東国の征伐を命じられたヤマトタケルが、伊勢大神宮の斎宮であった叔母に「天皇は私のことを早く死ねばいいと思っている」と話して泣いたと記されている。一方、日本書紀にはこのような記載はなく、天皇はヤマトタケルの手柄をほめたと書かれている。また、古事記にはヤマトタケルがイヅモタケルを騙し討ちにした話が載っているが日本書紀には無い。ほぼ同じ時代に内容の異なる古事記と日本書紀が編纂され、かつ存続したのは何故なのだろう。日本書紀は正史として尊重されただろうが、それでも、多くの人が古事記を好んでいたのかも知れない。
古事記には万葉仮名のような表記も使われている事から、語り継がれた物語と考えられている。このような伝承は、時が経てば失われたり、変容したりする。時には別の伝承が紛れ込むこともあり、イヅモタケルの話もそうした話かも知れない。複数の人物による業績がヤマトタケル一人の業績に集約されれば、記憶されやすく伝承として残りやすいという事もあるのだろう。それにしても、古事記のヤマトタケルの物語は良くできた歴史物語である。様々な伝承をもとに必要なら補って、感動的な英雄の悲劇としてまとめ上げた、そんな作者が後世に存在したのではないかとさえ思わせる。