夢七雑録

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LD(レーザーディスク)から・モノクロ映画

2019-08-22 20:14:49 | 音楽、映画など

 LDプレーヤーが故障したのを機に、LDは処分することになったが、LDのジャケットはしばらく残すことにした。ジャケットのコレクションという程のものではないが、昔の事を思い出しながら、その中の幾つかを取り上げてみることにした。まずは昔のモノクロ映画から。

 

①戦艦ポチョムキン

8mmシネを趣味の一つとして始めた頃、異なるカットのつなぎ方による映像の表現方法としてモンタージュ理論というのがあり、その代表例としてエイゼンシュタイン監督による「戦艦ポチョムキン」がある事を知ったが、その映画を初めて見たのは、ずっと後のことで、このLDによってである。この映画は1925年に公開されており、全ての配役を素人が演じ主役が存在しない点でも画期的な映画であったが、ソ連の宣伝映画であったので、1959年に自主上映が行われるまでは日本で公開されることはなかったらしい。この映画が1925年に公開された時はサイレント映画であったが、後に音楽がつけられるようになった。このLDでは、ショスタコーヴィチの曲を使用した1976年版を収録している。

 

②ドンキホーテ

1920年代の後期から1930年代の初期にかけて、サイレントの映画からトーキーへの移行が始まっていたが、フランスではトーキーへの関心が低かったようである。そんな折、セルヴァンテスの作になる「ドン・キホーテ」を、トーキーによる映画とする企画が持ち上がり、作曲の懸賞募集が行われた。これにはモーリス・ラベルなど著名な作曲家も応募したが、採用されたのはジャック・イベールの曲だった。かくて、音楽劇映画「ドン・キホテーテ」が製作され、1933年に公開の運びとなった。監督はゲェ・ヴェ・パプスト。主役のドン・キホーテにはバス歌手のフェオドール・シャリアピン。サンチョ・パンサ役はドルヴィルであった。映画で歌われている曲名は、“ジェラネバダの山が我を呼ぶ”、“この美しき城郭”“騎士とは何て気楽な稼業”“これは我が心の姫に”“泣くなサンチョ”で、このうち、ジェレネヴァダの曲はダルゴミィスキの歌曲で、他はイベールの曲が使われている。シャリアピンは、その声はもちろん、容姿や演技力においてもオペラの役者としての完璧な才能を備え、世紀の大歌手と謳われていたが、その音声や映像の記録はあまり残っていないので、この映画はシャリアピンの貴重な記録にもなっている。シャリアピンは1936年に来日しているが、宿泊した帝国ホテルでシャリアピンの求めに応じて出された柔らかいステーキがシャリアピンステーキの名で残っている。

 

③市民ケーン

「市民ケーン」は、オーソン・ウエルズが監督主演した映画で、映画史上のベスト・ワンと評される映画である。それまでの映画が時間の流れに沿って物語を展開していたのに対して、この映画では主人公となる新聞王の死亡から始まり、新聞王と関わりがあった人達を記者が訪ね歩くことで新聞王の生涯が浮かびあがる構成をとっており、時間の流れを解体して再構成している点が当時としては革新的な方法であったらしい。また、パンフォーカスの技法や、1カットを長くとって時にはクレーンを用いたりする、ワンシーン・ワンカットの長回しの手法も、モンタージュとは異なる画期的な映画技法だったようである。この映画は1941年に公開されているが、当時の新聞王をモデルとしているという噂が立ったため、新聞王からの妨害工作があったらしく、映画の上映も思うように出来なかったようである。

 

④ミラノの奇蹟

「ミラノの奇蹟」は、イタリア出身のデ・シーカ監督による映画で、1951年のカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞している。デ・シーカは、第二次大戦後のイタリアの悲惨な現実を題材としたネオ・リアリズモの作品として、1946年に「靴みがき」を、1948年には「自転車泥棒」を公開していたが、1950年代になるとイタリアは経済成長時代に突入し、ネオ・リアリズモの映画は作れない時代になっていた。「ミラノの奇蹟」は、善良だが経済成長からは取り残された貧しい人々についてのファンタジー映画であり、当時の政府に対する批判も込められているらしい。

 

⑤禁じられた遊び

「禁じられた遊び」は、フランスのルネ・クレマン監督の作品で、公開された1952年当時のフランスでの評価は低かったようだが、ベネチア国際映画祭ではグランプリを受賞している。ナルシソ・イエペスのギター独奏による、イエペス自身の編曲による「ロマンス」という曲やスペイン民謡が効果的に使われていることが、この作品の評価を高めたようである。この映画は戦闘機の機銃掃射で一瞬にして両親を失った少女の物語だが、日本も戦災で両親を亡くした大勢の孤児が居たことを思い出させる。

 

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