緑地散歩に先だって、大泉学園駅の南口から5分ほど歩き、牧野記念庭園記念館に行く。日本植物分類学の父と言われた牧野富太郎博士の旧宅で、国登録記念物(遺跡・名勝地)に登録され、都指定文化財(名勝及び史跡)とし通年公開される文化財になっている。
牧野記念庭園を出て右に行き、庭園に沿って次の角を右に行く。次の角を左に行き、三角公園を左に見て進むと、交差点の北側に道路に沿った緑道のような東大泉六丁目緑地が見えてくる。西に向かって進み、東大泉木もれ陽公園の先を左折し南に向かう。大泉南小の東側を進み、その先の角を左に行くと梨の花公園がある。
梨の花公園から少し先にある角を右に行き、東大泉南児童遊園の左側を進み、突き当りを右に行くと少し広い道に出る。ここを右に行くと左側に井頭緑地がある。道路沿いに続いていた樹林の一部が緑地として残ったのだろう。
先に進み井頭の交差点を左に入って先に進むと、井頭こぶし憩いの森がある。憩いの森とは、練馬区内に残る樹林地を所有者の協力を得て開放するものを言い、面積が少ない場合は街かどの森と言う。所有権が練馬区に移ると公園または緑地と呼ばれるようになる。
井頭こぶし憩いの森の南側は、こぶし広場と呼ばれ、まだ使われていない公有地を子どもの遊び場として一時開放した広場になっている。この広場ではボールを使用することは禁止されている。広場の南側の道を通って西側に向かう。
みどり広場は、その名の通り周囲を木々に囲まれた広場になっている。ここは、民間の土地所有者から区が無償で土地を借用し、子どもの遊び場として一時開放したものになる。
みどり広場に隣接する井頭の森緑地は樹林地で、区の所有地になっている。井頭の森緑地の北側に隣接する井頭憩いの森は所有者の協力を得て開放されている樹林地になっている。扱いの上では区分されているが、みどりの広場、井頭の森緑地、井頭憩いの森は一体のもののように見える。
井頭憩いの森を出て西に向かい、小公園のような井頭泉緑地を右に見て先に進み、白子川の上流起点にあたる七福橋を渡る。渡った先の白子川の左岸は大泉井頭公園になっていて、下を覗くと池のようになっている。新編武蔵風土記稿に白子川の源流は井頭池とあり、明治の地図には細長い池が描かれている。これが七福橋から北側の部分に相当するのだろう。なお、井頭池には新川という川が流れ込んでいたという。
大泉井頭公園内を進み、井頭橋を渡って南方を眺めると、農地の向こうに井頭憩いの森が見える。戦後すぐの写真を見ると、この辺り一帯は畑地の中に雑木林が点在する農村風景が広がっていたようだが、今は雑木林も保存を考えないと消滅する時代になっている。
白子川に沿って下流に向かって歩く。井頭橋の次は火之橋、そして松殿橋、その次は緑橋で、向こうに西武池袋線の線路が見えてくる。この橋で白子川から離れて右へ坂を上がると、東大泉あけぼの緑地の前に出る。雑木林の北側の一部が緑地として残されたようである。
緑地の手前の道を北に行き、右、左と曲がり次を右に行き細い道を抜け、突き当りを左に行くと石庭の森緑地の入口に出る。以前は西武池袋線の近くまで続く屋敷林だったようだが、後に一部が石庭街かどの森として公開され、さらに区の所有となり石庭の森緑地となる。
石庭の森緑地は、屋敷地内にあった既存の自然石のほか、郵便ポストの敷石など廃棄処分となる石材を利用して石庭としている。庭園内には敷地内の大谷石の塀の破片や石を金網の中に詰め込んだ蛇籠が昆虫などの棲家として置かれている。石庭の森緑地からはスーパーの横に出て商店街を北東方向に進み、ゆめりあフェンテを抜ければ大泉学園駅南口に出る。