武蔵野三十三観音霊場は、昭和15年に考古学者の柴田常恵氏が中心となって制定したもので、番外として霊巖寺を加え34の観音の寺から成っている。当時は多くの信者が、これらの寺を巡拝したとされているが、戦中から戦後にかけて一時荒廃し、忘れ去られていたらしい。その後、昭和45年に古寺巡礼の中で紹介されてから次第に知られるようになり、平成6年に練馬高野台駅が開設されてからは西武鉄道も宣伝に努めるようになった。西武鉄道では武蔵野三十三観音霊場めぐりのリーフレットを作成したが、それには各札所の所在地が記載されていたので、歩いて巡るコースを考えてみようと思った。ただ、巡拝の全行程が100kmを越えていたため、鉄道の駅を起終点とする複数のコースに分割する事にした。このコースを歩いたのは平成9年(1997)のことで、当初は1番の札所から33番の札所まで一筆書きのように歩く積りだったが、結果的には鉄道でつなぐ区間も含むことになった。その当時の資料が今も残っていたので、今回、その資料と記憶を頼りに、今と昔の地図を見比べながら、武蔵野三十三観音めぐりとして投稿することにした。
【練馬高野台駅からひばりが丘駅・1番~4番札所】
<コース>
練馬高野台駅―1番長命寺―石神井川―石神井公園―2番道場寺―3番三宝寺―三宝寺池―牧野記念庭園―大泉井頭公園―文理台公園―4番如意輪寺―ひばりが丘駅
:11km。
(1)東高野山長命寺(東京都練馬区高野台3-10)
練馬高野台駅は、武蔵野三十三観音の第一番札所・長命寺の下車駅でもある。この駅が開業する以前は、最寄り駅は石神井公園駅であったから、ずいぶん便利になった。長命寺の奥之院は高野山を摸して建てられていたため東高野と呼ばれ、江戸の人々の信仰を集めた寺でもあったという。江戸の人々は一日に40kmぐらいは歩いたので、長命寺は日帰り圏ではあったが、頼めば泊めてもくれたらしい。
駅を北側に出て、笹目通りを北に行き、次の信号で左に行くとすぐに長命寺の前に出る。寺の表門に相当する南大門には広目天と増長天の像が身構えている。どちらの像も、膨らみのある体躯に不釣り合いな大きい顔が付いていて、切って貼ったような目を見開いている。どこかユーモラスな像だが、時を経るに従い厳しい顔つきになっていくのだろう。門の裏側には多聞天と持国天、合わせて四天王が南大門を守護する構えである。
門を入ると正面に本堂。先に進んで本堂に一礼。それから、観音堂に移って何がしかの賽銭を入れる。武蔵野33観音巡りのスタートとあって、少々長めに参拝。札所本尊の十一面観世音菩薩像の姿は覚えていないが、こちらの願いは届いているのだろう。それから、石橋を渡って奥の院の道を御影堂まで行く。閻魔には近づかず、井戸は覗かずに寺の外へ。
笹目通りに戻って南に行き石神井川に出る。川沿いの遊歩道、和田堀緑道、そして石神井公園。歩きなれた散歩道である。ボートの間をすり抜けてくるカルガモ、どこからか聞こえてくるカイツブリの鳴き声、石神井池沿いの、いつもの道を、いつものように歩く。
(2) 道場寺(東京都練馬区石神井台1-16)
井草通りを渡る。三宝寺池は後回しにして左へ、次の角を右に入り、石神井城址の手前の三叉路を左に折れる。雰囲気の良い道である。左側は道場寺で塀の上には三重塔が姿を見せている。道の先は旧早稲田通りで、道場寺の塀の角には地蔵尊が祀られている。旧早稲田通りの南側には柵のある歩道がある。しかし、北側には歩道らしきものが無い。地蔵尊にちょっと頭を下げてから、左手の道場寺の入口に向かって、塀沿いに歩く。車に注意しながら。
道場寺の開創は天平の頃と言うが確かなことは分からない。石神井を本拠地とした豊島氏が応安の頃に菩提寺として建立したというが、多分そうなのだろう。山門を入るとすぐ左手に総欅造りの三重塔。内部を公開することもあるらしいのだが、今は閉じて何も見えない。
山門から正面に見えるのが本堂で、堂内には釈迦如来を中心に薬師如来と聖観音を脇侍とする釈迦三尊が安置されているという。本堂の前で拝めば、札所本尊の聖観音に届くのだろう。三十三カ所+一カ所の札所を無事に回れることを、今は祈るだけ。
(3)第3番 三宝寺(東京都練馬区石神井台1-15)
道場寺を出て車に注意しながら進み、文政10年に建てられた御成門から三宝寺に入る。家光が鷹狩の途中で立ち寄ったのが名の由来で、梵鐘や2件の板碑とともに三宝寺の文化財になっている。まずは本堂で拝礼。三宝寺の本尊は不動明王だが、三十三観音の札所の本尊は如意輪観音になっている。本堂から左に行く。建てられたばかりの根本大塔には五色の幕がかけられていた。ただ、平成9年に歩いた時には、平和大観音がどうだったか、観音堂があったかどうかは、記憶が定かでない。
境内を一通り巡ってから外に出る。旧早稲田通りを少し歩き、氷川神社の参道に入って、神社の前を左に行き、その先で石神井公園に入る道をたどり、三宝寺池の前に出る。池を半周して西側に上がり日銀の運動場(現在は石神井松の風文化公園)の横を北に行き、富士街道を渡って北に進み、学芸大の敷地に沿って北から西に向かい、学芸大通りを渡る。疲れたら、ここを北に行けば大泉学園駅に出られる。
(4)第4番 如意輪寺(東京都西東京市泉町2-15)
学芸大通りを渡って牧野記念庭園に出る。その先、大泉二中の裏を抜け、大泉南小を通り、白百合遊園を過ぎて、右折し左折すると白子川に出る。左に行くと大泉井頭公園。公園の先、白子川が暗渠に変わる所から右へ行く。大泉二小の角を右折して300m程先を左に入る。畑の残る道を歩いて、かえで通りに出て左に、その先を右に、田園教場と明保中との間の道を歩いて文理大公園に出る。ここらで小休止ということに。
文理大公園を出て中町の交差点を左へ行き、保谷市役所前の交差点を渡って、西に行く道に入り、畑の残っている道を歩く。北原や谷戸を源流とし、如意輪寺沿いに流れていた新川は、この道に沿って流れており、保谷市役所近くを経て東南に流れていた。この道を先に進むと泉小があり、歩道橋を渡れば、如意輪寺の前に出る。
この辺り今は、平成9年に歩いた時とは変わってしまっている。平成13年、保谷市と田無市は合併して西東京市となり、保谷市役所は西東京市役所保谷庁舎となり、平成15年には伏見通りが、保谷庁舎付近から先に伸びて北町まで開通する。現在、如意輪寺に行くには、中町の交差点を左へ行き、保谷庁舎前の交差点を渡って右に、次の角を左に入ることになる。
如意輪寺は、ロウバイ、ウメ、サクラなど花の多い寺として知られている。花に負けず劣らず目立っている山門をくぐって、本堂で本尊の大日如来に拝礼。そのあと、札所本尊の如意輪観音が安置されている観音堂に詣でる。ここの観音は保谷観音とも呼ばれていたらしい。
如意輪寺を出て北に向かい、横山道という古道との交差点を左に入り、尉殿神社の参道を歩き、社前の道を左に東禅寺の裏手を右に折れて、畑の残る道を北に進み、その先を線路に沿って左に行けばひばりが丘駅に出る。この駅は、次のコースの起点でもある。