以前の千寿七福神は、長円寺(布袋尊)、千住本氷川神社(大黒天)、勝専寺(毘沙門)、不動院(福禄寿)、千住神社(恵比寿)、源長寺(寿老人)、仲町氷川神社(弁財天)を巡るものであったが、寺に祀られていたご神体を神社に移して新たな千寿七福神がうまれた。巡拝ルートは、たとえば、仲町氷川神社(弁財天)-稲荷神社(福禄寿)―八幡神社(毘沙門)―千住神社(恵比寿)―元宿神社(寿老人)-大川町氷川神社(布袋尊)-千住本氷川神社(大黒天)となる。コースは程々の距離で歩きやすく、また、七福神の赤い幟が各所に立っているので良い目印になる。このコースを、江戸の絵図で紙上散策してみる。
(1)仲町氷川神社(足立区千住仲町48-2)
千住大橋を渡り河原町を過ぎて掃部堤(墨堤通り)に出る。ここを右に折れて堤の上の道を歩いていくと、少し先に、田畑の中を左へ入る氷川神社への参道がある。西側の鳥居をくぐると正面が氷川神社の社殿である。左手奥には天満宮の祠があるが、関屋から移されたものという(現在の道順では、北千住駅から東京芸大の横を通り、ミリオン商店街を抜けると仲町氷川神社に出る。現在の仲町氷川神社には、弁財天の供養庚申塔が祀られており、七福神詣での対象になっている。また、関屋天満宮も境内に祀られている)。
(2)河原町稲荷神社(足立区千住河原町10-13)
氷川神社から掃部堤の道(墨堤通り)に戻って西に行き、日光街道を横切り源長寺を右に見て、その先を左に入ると(千住宮元町の交差点を左に折れると)、堤外の耕地に稲荷社がある(社殿の横に、七福神詣での対象となる、福禄寿の石像が置かれている)。
(3)八幡神社(足立区千住宮元町3-8)
稲荷神社を出て、掃部堤(墨堤通り)を越えて水路(現在無し)に沿って北に行くと八幡神社がある(現日光街道の東側の道を通る。ただし、現在の八幡神社は現日光街道の西側に位置している。なお、七福神詣での対象となる毘沙門天の石像は社殿の横にある)。
(4)千住神社(足立区千住宮元町24-1)
八幡神社から北に行き熊谷堤に出て、堤の道を北西に行くと、氷川神社と稲荷神社がある(八幡神社から日光街道を北に行き、千住一の交差点で左に入り、道なりに行けば千住神社に出る。この地には稲荷神社が最初にあり、後に氷川神社が勧請されたが、二社あったことから二つ森とも称された。後に二つの神社を合祀して西森神社となり、さらに千住神社となる。境内には、七福神詣での対象となる恵比寿天の石像があり、石像を回転させてハンカチで像に触れるという、変わった願掛けが行われている)。
(5)元宿神社(足立区千住元町33-4)
熊谷堤の道(千住神社の前の道)を北西に向かい、掃部堤(墨堤通り)と合流してさらに先に進む(千住龍田町)。堤の右手には水路(現在無し)が続いているが、この水路は、北に暫く行った所で、梅田から流れて本宿圦で戸田川(隅田川)に入る水路と交差する(水路は現在無い。元宿小入口付近)。その手前で右に入り水路を渡って北に行き、その先の水路を渡る。そのまま進めば西新井の大師堂に出るが、ここを右に折れると八幡神社(元宿神社)に出る(現在は墨堤通り沿いの右側の道を行き、元宿小入口の信号で右に入る。この付近は、鎌倉時代の街道があり、千住宿ができる前の宿場があったため元宿と呼ばれていた。現在の元宿神社の北側には荒川放水路が流れているが、江戸時代には無く、耕作地が広がっていた。元宿の集落の中心は少し北にあったが、荒川放水路の開削で耕作地もろとも消滅している。なお、七福神詣での対象となる寿老人の石像も境内に置かれている)。
(6)大川町氷川神社(足立区千住大川町12-3)
八幡神社(元宿神社)を出て東へ行き、右に折れて流れを渡り、その先の道(千住公園の前を通る道)を東に行き、掃部堀(西掃部堀。現在は大正通り)を渡ると氷川神社に出る(荒川放水路の開削工事により、氷川神社は現在の位置に移動している。また、浅間神社にあった富士塚はこの神社の境内に移されている。なお、七福神詣での対象となる布袋尊の石像が境内に置かれている)。
(7)本氷川神社(足立区千住3-22)
氷川神社を出て、川田堀から分かれる水路(現在無し)に沿って千住五丁目に向かい、安養院の先で右に折れ、宿場沿いの道を進んで行くと氷川神社に出る(この神社は牛場の氷川神社の分社であったが、後に牛場の氷川神社を合祀し本氷川神社を名乗る。現在の社殿は新しいものだが、七福神詣での対象となる大黒天木像は旧社殿に祀られている)。氷川神社を出て、千住宿を南に行けば千住大橋に出る(現在は、北千住駅が最寄り駅)。