夢七雑録

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本と本棚

2018-06-23 12:49:38 | 私の本棚

私の所有する本は、三カ所の本棚にぎっしりと詰め込まれている。それでも溢れてしまった本の中には、床上生活を始めている本たちもいる。今のところ邪魔になる程では無いが、放置すれば床の全域が本たちに侵略されてしまうに違いない。では、多数の本を所有している筈の文筆業の方々の本棚はどうなっているのか。少しばかり気になって、「私の本棚」という本を図書館で借りて読んでみた。この本によると、本と本棚の扱いは人によって異なりはするが、幾ら本棚を増やしたところで、本の増加を止めるか、それとも本を捨てない限り、本棚はやがて本で埋め尽くされ、床の上もすべて本に占領されて、終には床が抜け落ちるという事態になりかねないようである。「私の本棚」には、電子書籍の話も載っているが、これは、床が抜け落ちないで済む方策の一つではあるのだろう。

 

有料による電子書籍のサービスは利用したことが無いが、著作権切れでネットに公開されている本は度々閲覧している。ただ、電子書籍に比べて紙の本の方がずっと読みやすい。多数の本を斜め読みするなら電子書籍でも良いのだろうが、名著をじっくり読むのであれば、やはり紙の本で読みたいと思う。今は紙の本も多く出回っているが、今後は電子書籍が主流になるという。それでも、全てが電子書籍になるとは思わない。たとえ、紙の本を読むことが、少数の人の贅沢な趣味に過ぎなくなったとしても、紙の本に対する需要は多少なりともあるだろう。そして、昔から、読書を趣味とする人は少数派だったのである。

 

電子書籍を利用しなくても、図書館で本を借りることにすれば、本棚が満杯になる事は避けられる。ただ、手元に置いて繰り返し読みたい本もあり、本の増加を止めることは出来そうにない。それ故、床上に本を溢れさせないためには、多少なりとも本棚の本を処分するしかないだろう。私の本棚に、幼い頃に読んでいた絵本が残っているわけではなく、子供の頃に読んでいた「漫画少年」も疾うの昔に廃棄され、親から受け継いだ昔の本も今は見当たらない。つまり、これまでも本は処分してきたわけで、残った本の居場所が現在の本棚ということになる。では、今の本棚を安住の地としている本たちを、有無を言わせずに処分することは出来るだろうか。

 

本は何故捨てられないか。積んどく本は、そのうち読もうと思っていた本である。それを捨てるのは、当選発表の前に宝くじを捨てるようなものである。今は読まなくなった本でも、むかし読んだ時に何か感じることがあった本、あるいは何かの役に立った本は、記憶と結びついている。本の書き込みを頼りに、読んでいた当時の事が蘇ってくるかも知れないのだ。そんな本を処分するのは、記念写真を捨て去って、思い出を断ち切るようなものである。

 

それでも、本の処分が必要になるのであれば、所有している本にランク付けをするしかない。そこでまず、本のリストを作ってみた。所有している本の冊数は、雑誌の類も含めても千冊の大台を超える事はないが、それでも可成りの数である。本の内容をきちんと読むだけの時間は無いので、パラパラとページをめくって、今も時々読むことのある本をAランク、もう読む事も無いと思う本をCランク、残りをBランクに分け、Cランクの本から処分していくことにした。また、処分するかどうか迷う本については、予め読書ノートのようなものを作り、記念の写真を撮ってから処分することにした。

 

作業はまだ始まったばかりで、思い通り進むかどうかも分からない。本を処分するにしても、今すぐという事ではないので、順次、読書ノートを作成していく予定である。そして、一部の本については、感想文のようなものをブログの記事として公開したいと思っている。

 


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