横浜からニューヨークへの経路は複数あり、パナマ運河経由のニューヨーク航路も開設されていましたが、特別の事情が無ければ、北太平洋航路で西海岸に渡り、大陸横断鉄道でニューヨークに向かったのでしょう。日本の海運会社による北太平洋航路を選んだとすると、日本郵船のシアトル航路、大阪商船のタコマ航路、東洋汽船のサンフランシスコ航路の何れかを選ぶことになりますが、仮に東洋汽船を利用したとすると、11000-14000トン級の設備の良い客船が利用出来ました。しかし、ホノルル経由でサンフランシスコまで16日ほど、大陸横断鉄道もシカゴ乗換で5日はかかるので、横浜からニューヨークまで3週間ぐらい要しました。一方、日本郵船の場合は6000トン級、大阪商船の場合は6000-9000トン級の貨客船の利用になりますが、所要日数はもっと少なくて済みました。ニューヨーク以外の絵葉書は無いので、大陸横断鉄道を途中下車して、各地を見て回ったかどうかは分かりませんが、何れにせよ、ニューヨークに着いてやっと一息といったところでしょうか。ニューヨークでの日程は分かりませんが、市内を見物するだけの余裕はあったのでしょう。それでは、自由の女神像から順番に、ニューヨークの絵葉書を見ていきましょう。
最初の絵葉書は、カラー印刷による自由の女神像の、1914年版の写真です。ニューヨークに出張したのであれば、自由の女神像を眺めることはあったでしょうが、ベドロウ島(現在のリバティ島)に渡って、自由の女神像を見物したかどうかは分かりません。この絵葉書の印刷はフォトクロム方式のようですが、モノクロの網版写真をもとに多色を重ねた平版印刷で、手で彩色したような色ずれがあり、品質はさほど良いものではありません。ニューヨークで入手した写真版の絵葉書は、全て同じ方式で印刷されています。この絵葉書には、トーチについて世界で最も高い場所にある航路標識という説明書きがついています。
次の絵葉書はマンハッタンの南端にあるバッテリーパークの写真です。左側に低層の建造物が見えますが、この頃は、水族館になっていました。それ以前は、キャッスル・ガーデン・フォートと呼ばれ、移民局が使用していましたが、元々は砦でした(現在はキャッスル・クリントン)。写真右側のビルは高さが126.9mのホワイトホール・ビルです。説明書きによると1911年に460万ドルの費用をかけて増築されましたが、当時は、港に最も近い摩天楼という事になっていました。バッテリーパークの向こうはハドソン川で、三本煙突の客船が航行しています。ヨーロッパに向かう船でしょうか。
最初の絵葉書は、カラー印刷による自由の女神像の、1914年版の写真です。ニューヨークに出張したのであれば、自由の女神像を眺めることはあったでしょうが、ベドロウ島(現在のリバティ島)に渡って、自由の女神像を見物したかどうかは分かりません。この絵葉書の印刷はフォトクロム方式のようですが、モノクロの網版写真をもとに多色を重ねた平版印刷で、手で彩色したような色ずれがあり、品質はさほど良いものではありません。ニューヨークで入手した写真版の絵葉書は、全て同じ方式で印刷されています。この絵葉書には、トーチについて世界で最も高い場所にある航路標識という説明書きがついています。
次の絵葉書はマンハッタンの南端にあるバッテリーパークの写真です。左側に低層の建造物が見えますが、この頃は、水族館になっていました。それ以前は、キャッスル・ガーデン・フォートと呼ばれ、移民局が使用していましたが、元々は砦でした(現在はキャッスル・クリントン)。写真右側のビルは高さが126.9mのホワイトホール・ビルです。説明書きによると1911年に460万ドルの費用をかけて増築されましたが、当時は、港に最も近い摩天楼という事になっていました。バッテリーパークの向こうはハドソン川で、三本煙突の客船が航行しています。ヨーロッパに向かう船でしょうか。