(1)駒込富士神社
駒込駅から本郷通りを南に少々歩いて駒込富士神社に行く。山開きの日には露店が並び賑わいを見せる神社だが、普段の日は静かに参詣できる神社でもある。富士神社は塚の上に鎮座している。現在は塚の全体像がつかみにくくなっているが、明治時代の絵からは黒ボク石を積んだ富士塚らしい姿が見てとれる。塚は東西45m、南北40m、高さ5.5m。全体の形状から前方後円墳とする説があり、これに従えば、富士神社は円墳上に鎮座している事になる。塚には石碑が並べられているが、加賀鳶など火消の碑が多いのがここの特徴だろうか。
石段手前の左側に下浅間神社がある。富士山の麓にある本宮を表している神社と思われるが、今日は扉も閉じられて、ひっそりとしている。そっと頭を下げてから、男坂と思われる急な石段を登る。他の富士塚に見られるような、つづら折りの道ではないが、その代わりに緩やかな女坂が右側にあるので、帰りに利用することにしたい。
石段を上がると、富士神社の拝殿がある。拝礼を済ませてから周囲を見回す。眺めはあまり良くない。頂上はおおむね平坦で、10m余×20m余といったところ。この塚が円墳であったとすると、その上部を平らにならしたようにも見える。
頂上部から一段下りると、方墳に相当する平坦地に出る。左側にある曽我御霊社の祠は歌舞伎の関係者が寄進したものだが、右側にある祠は神社の名が読めない。ただ、鳥居に同行とあるのは講の意味なので、丸瀧講が寄進した鳥居である事は分かる。ここを右に行くと女坂の下りとなるが、左側に丸瀧講による小御嶽社の石碑がある。丸瀧講は駒込、根津、谷中、白山等のほか埼玉県にも勢力があった富士講である。
女坂を下って塚の裾に沿って右に行くと、御胎内らしきものがあった。小御嶽社と御胎内の位置は、富士講の人たちが利用した吉田口から見た配置になっている。
(2)江戸時代の駒込富士
「江戸名所図会」は、駒込の富士浅間社(駒込富士神社)について寛永年中(1624-1643)に加賀藩邸内から当地に遷座したとする。また、6月朔日の例祭は、前夜から参詣者が多く、土産に麦藁蛇などを売ると書いている。「新編武蔵風土記稿」によると、天正元年(1573)、本郷に富士浅間社を勧請したが、寛永6年(1629)に、当地に移ったとする。同書は、下浅間社について、芦高(愛鷹)と飼犬(犬飼)の2神が相殿と記しているが、愛鷹と犬飼は、かぐや姫を育てた老夫婦の事なので、かぐや姫伝説を取り入れた富士縁起をとなえる修験道の影響があったと思われる。駒込の富士浅間社は、江戸時代の後半に流行した富士講と、中世からの修験道の流れとが、共存していたのかも知れない。
(3)駒込富士の始まり
「安政年代駒込富士神社周辺之図」によると、当地は昔、古塚だった所で、土地の人が富士塚と呼んでいたため、この辺一帯は富士塚村と呼ばれていたという。また、塚の上に延文2年(1357)の青石の板碑があったとする(延文5年とする説もあり)。「新編常陸国誌」は富士塚の項に、蜷川家の天正の年代記に、“文明13年(1481)、諸郷に富士塚を置く”と見えると記す。これは武蔵の国についての事なので、中世の武蔵には各地に富士塚があったという事を示している。板碑が富士信仰に関わるものがどうかは不明だが、当地が富士山を遥拝するための富士塚だった可能性が無いとは言えない。
(4)駒込富士は富士塚か否か
富士塚は、富士講徒が人力や土石や資金を出し合って築造したものをいい、自然の山あるいは古墳の上に浅間神社を祀ったものは富士塚とは言わない(富士信仰と富士講)。ただし、古墳を改造して塚としたものは富士塚とみなしている。富士講とは富士信仰の講社(団体)の事だが、国史大辞典では富士山信仰を背景に江戸時代に成立した民衆宗教の一派とし、角行を開祖と称し村上派と身禄派に分かれて発展したとする。駒込富士は既存の古墳の上に神社を祀る形であり、富士講徒が築いた塚ではないので、富士塚には該当しないという事にはなるのだが、中世から存在した富士信仰に関わる塚は、富士塚と呼ばれて来た経緯もあるので、広義の富士塚と考えても良さそうに思うのだが。
(5)本郷元富士
駒込富士の前身である本郷の富士社については、当ブログの江戸名所記のうち、駒込村富士社の項でも扱っており、山の上の大木のもとに6月1日に大雪が降り、近くに寄ると祟りがあるので、小社を造って富士権現を勧請したという説を紹介している。新編武蔵風土記稿は、霊夢により本郷の古塚を掘ったところ剣などが出てきたので富士浅間社を勧請したとする。ただし、勧請の年代については諸説ある。駒込に遷座した年代についても諸説あるが、遷座後も富士社の祠は加賀藩邸内に残っていたらしく、参詣の人があったという。この祠は、元富士として現在に引き継がれており、その場所は、本郷三丁目の交差点から春日通りを湯島天神方面に少し行った左側にある。
<参考資料>「富士塚考」「富士塚考続」「東京名所図会・本郷区之部」「富士信仰と富士講」「新編武蔵風土記稿・豊島郡」「江戸名所記」「江戸名所図会」「新編常陸国誌」