我が家の花暦、今回はホトトギスです。この花もそろそろ終わり、代わりにツワブキが黄色の花を咲かせ始めています。
さて、図書館で借りた「江戸叢書」の中に、「嘉陵紀行」というのがありましたが、興味をそそられる内容であったので、次回の連載として取り上げることにしました。この書の著者である村尾正靖(1760-1841)は、徳川清水家に仕え、奥向きの用事を行う御広敷用人をつとめていましたが、多忙な仕事の合間に、時には友人を伴い、あるいは単身で江戸近辺の山水、名所旧跡を訪ねることを無上の喜びとしていました。正靖は文墨に親しんでいたため、江戸近郊を旅して歩いた記録に、和歌や漢詩、それに写生した画を添えて、紀行文としてまとめていました。正靖の紀行文にはもともと表題がありませんでしたので、竪斎守興の写本にもとづく紀行文を出版する際に、正靖の雅号である嘉陵に因んで「嘉陵紀行」というタイトルが付けられました。正靖は70歳を過ぎても、江戸近郊の見て歩きを続け、紀行文の筆を置いたのは数えで75歳になってからでした。
正靖の紀行文は、「嘉陵紀行」のほか、村尾義遠・義郷の写本と原著をもとにした朝倉治彦編「江戸近郊道しるべ」(東洋文庫)が出版されており、欠落や誤りのある「嘉陵紀行」に比べ正確だとされています。また、その現代語訳(ただし全訳ではない)である阿部孝嗣訳「江戸近郊ウオーク」(小学館)も出版されています。今回の連載にあたっては、これら三冊の文献を参考とさせていただくことにしましたが、地域別に分けるのではなく、年月日の順に並べる事に致しました。
(注)村尾正靖について、以下、嘉陵とよぶ。年齢は数え年で表記している。距離は正確ではなく目安である。時刻は定時法により換算し、季節による補正は行っていない。
さて、図書館で借りた「江戸叢書」の中に、「嘉陵紀行」というのがありましたが、興味をそそられる内容であったので、次回の連載として取り上げることにしました。この書の著者である村尾正靖(1760-1841)は、徳川清水家に仕え、奥向きの用事を行う御広敷用人をつとめていましたが、多忙な仕事の合間に、時には友人を伴い、あるいは単身で江戸近辺の山水、名所旧跡を訪ねることを無上の喜びとしていました。正靖は文墨に親しんでいたため、江戸近郊を旅して歩いた記録に、和歌や漢詩、それに写生した画を添えて、紀行文としてまとめていました。正靖の紀行文にはもともと表題がありませんでしたので、竪斎守興の写本にもとづく紀行文を出版する際に、正靖の雅号である嘉陵に因んで「嘉陵紀行」というタイトルが付けられました。正靖は70歳を過ぎても、江戸近郊の見て歩きを続け、紀行文の筆を置いたのは数えで75歳になってからでした。
正靖の紀行文は、「嘉陵紀行」のほか、村尾義遠・義郷の写本と原著をもとにした朝倉治彦編「江戸近郊道しるべ」(東洋文庫)が出版されており、欠落や誤りのある「嘉陵紀行」に比べ正確だとされています。また、その現代語訳(ただし全訳ではない)である阿部孝嗣訳「江戸近郊ウオーク」(小学館)も出版されています。今回の連載にあたっては、これら三冊の文献を参考とさせていただくことにしましたが、地域別に分けるのではなく、年月日の順に並べる事に致しました。
(注)村尾正靖について、以下、嘉陵とよぶ。年齢は数え年で表記している。距離は正確ではなく目安である。時刻は定時法により換算し、季節による補正は行っていない。
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