前回の続きです。
広島は初めても同然の二人の孫娘のために、なにはさておき平和公園にGO。
特に次の日法要を終え、帰宅しなければならない妹孫のんちゃんには観光はこの日しかありません。
娘は私の実家も夫の実家も広島でしたから、何度も広島は訪れ、懐かしさいっぱいのようでした。
広島は東京のように渋谷、新宿、池袋、銀座という風にショッピング街、中心街が分散されていなく、
市の中心部は一ヵ所でとても観光しやすい街です。(紙屋町、八丁堀近辺)
ホテルは観光名所や繁華街に最も便利なリーガロイヤルホテル。すべて徒歩圏内です。
<ホテルロビーにて 左から孫娘(23歳)私(75歳)娘(50歳)孫娘(21歳)>
何度かあの有名な路面電車にも乗りました。それは孫たちが是非乗ってみたいとリクエスト。
首都圏で生活する者にとってはやはり物珍しいレトロなチンチン電車なのです。
路面電車も今は殆どがお洒落なトラムに代わってしまい、ちょっと残念。
しかしその路面電車は決して観光用ではなく、市民の足なのですからそれも致し方ありません。
バスも電車も車も多い広島の街。道路幅は広いものの、道路の真中を電車が走り、
さぞや車のドライバーは運転に気を使うことと思いました。
話しに聞いたことがありますが、広島では路面電車が交通網で一番の優先順位だそうですね。
さてまずは原爆ドーム!説明は省きます。どうぞこちらをクリックしてご覧ください。
T字型の相生橋を投下目標にしたエノラゲイの原子爆弾は目標をやや少しずれ、
原爆ドームの裏側にあった島病院の上空600mで炸裂したそうです。
8月6日、島病院の院長島薫は出張手術のため病院には不在、子供たちは学童疎開、
運よく命を落とすことなく助かりました。この事実は今回の広島訪問で私は初めて知りました。
これもまた右のサイトをクリックして詳細をお読みください。島病院
島院長のように、普段とは違う行動をとり運よく生きのびた人、運悪く命を落とした人!
私の父も前日がたまたま出張であったため、母は一日違いの建物疎開動員であったため、
被爆はしたものの、運よく命を救われたひとりです。そのことはこちらに記しています。
お時間のある方はどうぞお読みください。→原爆の日に寄せて
ドームを見学後は今回の観光の目玉、リバークルーズ乗船観光を予約してありました。
その前にランチです。平和記念公園川沿いのオープンカフェ「カフェポンテ」。
異国情緒、まるでヨーロッパの街角にあるレストランの雰囲気のあるイタリアンです。
孫娘たちも大喜び!事前にチェックしておいたおばあちゃん、でかしたぞ~(笑)。
リバークルーズは元安桟橋(ドームのやや南側)から出船し、本川上流で折り返す25分のクルーズ。
短時間ですが、ガイド付きで水上からドームや街を見学。
この日は暖かなこともあって、川風が爽やかで気持ちよく楽しいミニクルーズでした。
下の画像の黄色い小舟に乗っての観光です
広島の川は満潮時、干潮時の水面の高さがかなり違うそうで、
それによって川からの眺めも違ってくるのですよとのガイドさんの説明でした。
私たちの乗った時間帯は広島城の天守閣は見えませんでしたが、もう少し水位が上がると見えるそうです。
<原爆の子の像>
被爆のために白血病を発症し、折り鶴を作りながら闘病生活を送った佐々木貞子さんを偲び、
また原爆で亡くなった子供たちの霊を慰めるために建てられた像で、沢山の千羽鶴が掲げらていました。
私は子供の頃佐々木貞子さんを主人公にした映画を見たことがあります。
<原爆死没者慰霊碑>
「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しません」と刻まれた慰霊碑。
毎年亡くなった被爆者の方々の名前が名簿に納められていきます。
私の父母も夫の父の名前も記されているはずです。
そして最後に広島平和資料館へ。
<写真を撮り忘れました。某サイトから写真を拝借しました。>
被爆者の遺品や被爆の悲惨な惨状を示す貴重な資料や写真が収集、展示されています。
眼を覆いたくなるような展示物、写真もありますが、これが戦争の現実です。
一度は見て平和の尊さを感じてほしいと入館を恐れる孫娘たちを連れて入りました。
感受性の強いお姉ちゃん孫は後半は泣きながらの見学、大きな衝撃を受けたようです。
写真撮影も可能でしたが、さすがにレンズを向ける気にはなれません。
静まりかえった館内で時折ため息が漏れ聞こえ、それぞれに深い悲しみに沈んでいるようでした。
さ~元気を出してホテルに戻りましょう。
姉家族とロビーで合流し、お好み焼き店「みっちゃん」へ。
久し振りに会った姉の4人の孫たちとも楽しくおしゃべりし、幸せなひと時でした。
次回に続きます。