夢地蔵

田舎の映像作家の備忘録

HL-79E 今日は後回し、本題で飯山へ

2019-02-25 14:40:38 | Weblog
現在最終仕上げに入っている映像による長編叙事詩「線路端の猫戯子」全編で5時間近い超大作の追加収録で飯山市へ行ったので、HL-79E整備は一次休戦です。その作品は長野電鉄木島線と屋代線の廃止を骨格にしてそこに自身を重ね現代社会の矛盾と不条理を提示するものです。制作過程でメディアにも取り上げられて自分なりに手ごたえを感じています。
作品は一度完成してYouTubeで公開中ですが、その後幾つか追加項目がありその一環で旧中央橋の最後の橋脚撤去作業を待っていました。なんだか予感がして朝行ってみたら、やっていました。車で堤防道路に上がるとハツリの音。DVカメラを準備。もっと近くで撮りたいのですが適当な場所がなくてここから。

新中央橋下流右岸から

工事関係者の邪魔にならないよう遠くから望遠で引っ張って。この橋脚は大きくて頑丈らしく大掛かりな土台を築いてその上で重機があの「コンコンコン」の音を上げてハツリ作業中。

冬の渇水期が作業に最適

私の手元に旧中央橋の映像がいくつかあります。もちろん「線路端の猫戯子」に使うためです。
これは上流の綱切橋から撮った映像のひとコマ。この橋が姿を消すなんて全く考えていなかった頃です。

2013年7月13日

この橋が架け替えられる事を知ったのはずいぶん後です。

2012年8月17日

そろそろ塗り替えの時期かな、なんてのんきに渡っていました。

2012年7月29日

新中央橋竣工式翌日にさっそく渡りました。左手に旧中央橋が残っています。色といい形といい美しい橋でした。北信濃の風景にも完璧に馴染んでいました。

2014年12月15日

人生も70年過ごすといろいろな写真が残っているものです。
記憶は曖昧ですが、これは昭和46年(45年かも)の盆だったと思います。地元でも覚えている人はもう居ないかも知れませんが、中央橋の下、今は芝生になっているあたりでモトクロスがあったんです。田舎の草レースですが盛大に開催されました。当時私はモトクロスに夢中で、クラブを作って何回か走りました。この日は出場しませんでしたが友人がブリジストン90で走りました。ブリジストンがバイクを作っていたなんて、遠い過去の話です。ほんのちょっと前までこんな伸び伸びした時代があったんです。

スタート

公認レースではないのでライダーのウエアはいい加減です。

正式なレースではノービスは革の上下着用

それはともかく、この写真が貴重です。後ろに見えるのが旧中央橋。河原は今と違って荒れた地形が残っていました。

橋の色は記憶なし

長野/須坂間の旧村山橋も跡形もありませんが、電車が走っているところと最後の橋脚を壊しているところを映像で残してあります。
そして中央橋。無機質な新しい橋は、私にはどうしても馴染めません。木島線も屋代線も消え、今また古き良き時代の、人々の生活感のある文化がまたひとつ消えていきます。
コメント
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