2月9日(日)、一関市大町のなのはなプラザ2階にて、「岩手・一関 第七回全国わんこもち大会」が開催されます。
岩手名物のわんこそばにならい、そばの代わりにもちを何個食べられるかを競うユニークなイベントです。
ゲストMCは岩手でお馴染みのタレント、ふじポンさん。
大会には2人1組か個人で出場でき、毎年老若男女幅広い層が参加しています。
また、今年はミニもちサミットも同時開催され、平成24年・25年の「もちサミット」から出店料理の一部が販売されます。
食べて楽しい、見て楽しいこの大会。ぜひ行ってみてはいかがでしょうか。
参加申し込みは未来塾実行委員会(0191-26-6400)まで。(募集締め切り1月25日)
一関市博物館では、1月25日から3月30日まで、テーマ展「語りかける絵の世界―近代美術コレクションから―」を開催します。
同館が所蔵する一関市にゆかりのある画家たちの静物や風景、版画などが展示されます。
一関市とどういった関わりがある人達か、簡単にご紹介いたします。
・矢野茫土(やの・ぼうど 1901~1995)
1916 神奈川県麻生中学から岩手県一関中学へ転校。
1922 早稲田大学文学部予科を中退し、新聞記者、雑誌編集者などをしながら詩作、美術評論などの活動を続ける。
1934 ボードレール『悪の華』を全訳刊行。
この頃から美術雑誌、美術新聞を次々に発行。
1953 矢野茫土の雅号で最初の日本画展(上野・松坂屋)を開催。以後日本画家としてたびたび個展を開催するとともに早世した長谷川利行の顕彰に努める。
・福井良之助(ふくい・りょうのすけ 1923~1986)
1944 東京美術学校工芸家鋳金部を繰り上げ卒業。母の郷里一関に疎開。
1945 招集を受け入隊。終戦。復員後、一関に帰郷。
1946 第41回太平洋画会に≪みちのくの冬≫が一等賞受賞。上京し、デザインの仕事に就く。
1947 一関に戻り、農耕生活の傍ら絵を描く。
1949 一関中学校の図工科教員となる。
1955年頃 孔版画の制作を始め、以後個展およびグループ展、国際展にも参加し版画家として知られるようになる。
1965 この頃を境に版画から油彩画へ移行する。
・白石隆一(しらいし・りゅういち 1904~1985)
1904 現北上市に生まれる。
1929 第11回帝展初入選。同年川端画学校を卒業。以後毎年帝展・文展・日展に出品を続ける
1939 第1回聖戦美術展出品作が朝日新聞社買い上げとなる。
1940 海洋美術展出品作が海軍買い上げとなる。
1945 帰郷。魚を題材とした作品制作が中心となる。
1954 「一関美術研究所」を開設し、10年間美術指導にあたる。
・森本仁平(もりもと・にへい 1911~2004)
1932 東京美術学校師範科(現東京芸術大学)卒業。岩手県立一関行動女学校教諭。
1936 朝鮮に転任。(以後、美術教師として定年まで各地を歴任)
1938・1945 2回の招集により二年間軍務。
1945 終戦と同時に捕虜となり、シベリアに向け連行中に脱走。40数日間、約1,000kmの山岳地帯を踏破し、家族のもとに帰る。家族を伴い、12月9日に一関に到着。
1946 一関授産所にて、木工芸品絵付けに従事。
1947 一関市立山目中学校教諭。県南美術協会を福井良之助らと結成。展覧会を開催し、出品。
ここに載せたプロフィールはごく一部ですが、どの人も日本の、そして一関市の芸術発展に尽力した人たちです。
東日本大震災の津波被害の後に修復した作品や、遺族から寄贈された油絵など初公開の作品も並びます。
ぜひ観に行ってみてはいかがでしょうか。