夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2024年 7月16日(火)「虫」

2024年07月16日 22時05分30秒 | 「思うこと」
土蜂というのでしょうか?
公園のコンクリートの塀の下にありにしては大きい穴が開いていて黒い蜂が出たり入ったりしていました。近くに立っていると、威嚇でしょうか僕の周りを2匹ほどの蜂が飛び回っていました。この公園では時々小さめのスズメバチがいきなり飛んできてびっくりします。怖いですなぁ。。。。。。
ここ数日は涼しくなり減ってきていますが、網戸にコガネムシやらカメムシ、カメムシを数倍大きくした形の茶色い虫が飛んできます。これからはたくさん蝉がとまります。
虫が嫌いな僕はいきなり飛んでくるとびっくりして首をひねってしばらく筋が痛くなるのも時々。
我が家には殺虫剤がないので、霧状に噴射するアルコール消毒液を使います。
殺虫能力はないのですが、虫は動かなくなりポトンと落ちます。それを足で踏みつけます。去年ゴキブリが出た時にやってみたら、さすがゴキブリ、一瞬ひるんだのですが逃げていきました。
もうすぐ8月ですなぁ。。。。立秋も近い。
たくさん虫が出てくる・・・・ウウウ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池に浮かぶ月2308【7月16日】

2024年07月16日 20時15分38秒 | 「池に浮かぶ月」
広告料全体は増加しているのでしょうか?
しかし新聞やテレビの広告料は減り、インターネット広告が増加しています。
NHKは広告料は取っていませんが、受信料もBSとか良い番組を流すものに受診料を取っている。
インターネットも広告料だけではなく有料サイトも増えていますね。ここから先は有料ですとか。。。。。
昔から広告量が少なくなかったラジオが盛り返しているようです。我が家も日中や夕方はラジオを聴く機会が増えています。
しかし広告も売り上げに反映されないと減る一方ですが、やはりデフレ傾向の経済では買う人も少なくなるでしょう。

≪去年の今日はこんなことを・・・≫
2023年 7月16日(日)「広告費」

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「7月16日という日」

2024年07月16日 08時02分48秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
土蜂というのでしょうか?
公園のコンクリートの塀の下にありにしては大きい穴が開いていて黒い蜂が出たり入ったりしていました。近くに立っていると、威嚇でしょうか僕の周りを2匹ほどの蜂が飛び回っていました。この公園では時々小さめのスズメバチがいきなり飛んできてびっくりします。怖いですなぁ。。。。。。
ここ数日は涼しくなり減ってきていますが、網戸にコガネムシやらカメムシ、カメムシを数倍大きくした形の茶色い虫が飛んできます。これからはたくさん蝉がとまります。
虫が嫌いな僕はいきなり飛んでくるとびっくりして首をひねってしばらく筋が痛くなるのも時々。
我が家には殺虫剤がないので、霧状に噴射するアルコール消毒液を使います。
殺虫能力はないのですが、虫は動かなくなりポトンと落ちます。それを足で踏みつけます。去年ゴキブリが出た時にやってみたら、さすがゴキブリ、一瞬ひるんだのですが逃げていきました。
もうすぐ8月ですなぁ。。。。立秋も近い。
たくさん虫が出てくる・・・・ウウウ

≪過去の記事≫

【2004年】
もうすぐ子供たちが夏休みですね。。。。
うらやましい。。。。
そういえば、昔は先生方も夏休みがあり(と言っても自宅で研究だったのでしょうが)時間的な余裕もあったと思うのですが、今は夏休みがなくなり学校に出勤するらしいですね。先生という職業の唯一の?楽しみもなくなったのかな?
なんかこの世の中働く人たちの余裕(時間も金銭面も)がなくなっていると思う。本来、社会は働いている人たち、その時間にいる人たちが一番大切にされなくてはならないはずなのに、今はさかさまになっています。金を出す客が偉いのだと。。。。
社会の中で労働してサービスを提供する側が頭を下げ、サービスを受け取る側が威張っている。店で、小学生の客がわがままを言い、店員の大人が敬語を使って頭を下げる。。。醜いです。
金と言うものがすべてをさかさまにしてしまっています。拝金主義もきわまった感があります。

青のフェルマータ
Fermata in Blue
                           集英社文庫
            村山 由佳  著
両親からの精神的な虐待から声をなくした里緒。
里緒は父親に連れられオーストラリアの海にやってくる。そこにイルカとのふれあいの中で心を癒し、心の傷を治すためにさまざまな子供もがやって来た。里緒は19歳。
心の傷がなかなか癒えない里緒は、そこのイルカの施設を手伝ったり、今は引退したチェロの名手JBにチェロを習ったりしている。
里緒は、JBから「青のフェルマータ」(青の永遠)という曲を贈られる。
本なので、この曲がどのような音色のチェロ曲なのかはわからないが、冒頭に書かれる里緒が裸体のままに海と戯れるそんな海と少女の美しさを想像するような曲なのだと思う。あるいは、イルカをはじめJBや施設に働く人たちから暖かく囲まれる、そんな人々の中に心が癒される野と同じように癒しの曲なのかもしれない。作品は「青のフェルマータ」という曲と、美しい海の映像を思う存分想像できるように描いている。
美しい作品です。
しかし、冒頭の裸体で海と戯れる美しさの跡に、島の男に乱暴をされかかる。このはじめに描かれる美しさと醜さあるいは恐怖、この二つのものがまたこの作品全体が何を言わんとしているかを暗示している。心が癒されると同時に心は傷つけられる。人を癒すと同時に人を傷つける。心が癒されることでそれは同時に癒されている人が癒す人を傷つける。人と人とは互いに癒されつつ傷つけあい、傷つけ合いながらも癒されている。
この作品の持つすごさは、ラストシーンで里緒がJBとの電話で「イエス」という言葉を取り戻すというハッピーエンドを描くだけではなく、癒されると同時にある傷つけ合いが同時に描かれていると言うところにある。
だからこの作品をイルカによるセラピー(人とイルカとのふれあいの美しさ)、人と人とのかかわりの美しさと言うものだけで読んではならないのではないかと思う。
村上さんは「あとがき」に、イルカのことを書きたかったと書くと同時に「私は「癒す」側のことを書きたいと思った。(中略)バカがつくほどお人よしな人間たちのことを書きたいと思った。」と書いている。
だからこの作品から受けるある種の感動は、19歳の少女が言葉を取り戻すという感動とともに、その少女を暖かく囲む、自身も傷ついている中でも少女を暖かく囲む人たちなのであり、人に飼われたイルカは、自分からはもう自由に海で暮らせなく、野生のイルカも人に慣れてしまうとどのような仕打ちを受けるか、そんなイルカにも心があるとすれば傷ついているのであり、そのイルカが人を癒すのである。
自分自身が傷つき、傷つけられながらも人を癒さずにはおけない人たち。ここに美しさが有り、感動があるのかもしれない。
自然な無意識なうちの自己犠牲。。。。
村上さんの作品は、他にはまだ「天子の卵」しか読んでいないが、この作品の主人公であるやはり19歳の少年(青年)の持つ純粋さに僕の中にある親心を感じたし、大人になったばかりの少年少女(青年)に対する大人、傷つけもする大人もいるが、まだひとり立ちのできない(経済的にも、精神的にも)青年を見守ろうとする自己犠牲的なものも大人にはある。この辺が村上作品の特徴かもしれない。
里緒は、自分が傷つけられたその傷を癒されることに感謝しながらも、周りの大人を里緒自身が傷つけているということを知る。これを苦しむ。それもまた許されていく中に里緒はたくましく成長するのではないかと思う。
こんな里緒に、周りで暖かく取り囲む人々の癒しにもなっていくのだろう。

【2005年】
蒸し暑い一日でしたぁ。。。。
めったにクーラーなんて使わないのですが、お昼前頃からぴったりと風がやんでしまったのでつけました。
やっと心地よい風が吹いてきました。これから風呂に入って焼酎。。。^^!
というか、ソーメンの薬味をきざみながらもう飲んでます。。。。ハハハ
娘と車で買い物に行きました。
キーを差し込んでドアをあけ、娘を先に乗せましたが、娘が息が苦しいと。。。。
僕も乗り込んでみたらたしかに息苦しい。。。。ものすごい暑さ。。。。
太陽光発電で小さなファンでもまわして換気するシステムをつけた車ができないかなぁ?だいぶちがうと思うのですが。。。。
屋根にソーラーシステムや、熱発電機をつける!
省エネの今の時代、売れると思うのですが。。。。
我が家の車には、太陽光を利用した空気清浄機が(ハハハ・・・たんなる匂い消しですが)付いてます。タバコなどの匂いはすっかり消えてます。青空駐車場の利点か!(屋根つきを借りられない負け惜しみ。。。。ハハハ)
屋根につけても目立たない車専用のソーラーシステムは急務だと思います。できればその発電でクーラーでも回っていて欲しいけど。。。。充電の要らないハイブリッドカーも普及してきたし、だんだんとそういう車も増えてくると思います。

【2006年】
家族でドライブに行ってきました。近いうちに「ぶらり旅」に書きます。とはいえ。。。前回のドライブにつ老いても書いていなかったかぁ。。。。ハハハ
帰りの高速道路で、いつもがらがらのインターで渋滞していました。たしか今夜は佐野市の花火大会だったか?
花火シーズンですなぁ。。。。
それにしてもまだ梅雨が明けない頃にやらなくてもいいのではと思いますがぁ。
朝顔が咲き始めました。
小さな苗をもらって育てていたので、何色の花が咲くか楽しみにしていました。花の茎のほうがピンクで花自体は紫でした。これからたくさん咲くと思います。
たくさん種が採れると思うのですが、来年撒くのが大変。。。。
朝顔も子どもたちの夏休みの宿題で育てた時以来です。
そういえば入谷の朝顔市は終わったのか?
夏の風物詩。。。
祭りや盆踊り、そしてその時の縁日。。。。
子供の頃は楽しみがたくさんありました。連休中に女性の浴衣姿をよく見ました。いいですなぁ。。。。どこかでお祭りや花火大会でもあったのかな?
蕎麦  2006年7月16日
「なんなのぉ?!ここは!!」
妻が車の隣座席でむっとしたように。。。。
数日前から息子も珍しく暇だというし、家族でドライブに行こうかということになり、「それなら蕎麦を食いに行こう」となりました。僕のお薦めの栃木県万願寺とその門前の里にある蕎麦屋さん。そこに向う山道にある石灰とおもわれる工場が立ち並ぶところを通過中の妻の言葉。。。
山は切り崩されて一体は白く石灰のようなものが舞っている所。。。
妻はだいぶびっくりしたようです。ハンドルを握る息子も「何だよ。。。これ~」
僕と娘は去年の9月に一度来ているのでもうすぐ緑濃い山に入るのを知っていましたが。
やっと工場の中を抜けてまた山道へ。門前の里を抜けて満願寺の門が見えました。
高速を走っていると、栃木県に入ったら雨が降り出し、満願寺についても小雨が降っていました。暑くもなく小雨の中の緑はきれいですし、川の流れる音が山に響いていました。傘をさして本堂へ。
妻はドライブに行くなら川のある山がいいと言っていたので、この満願寺の雰囲気は気に入ったみたいです。
「ホッ!」(僕の心の中で(笑))
本道にお参りをして、さて、奥の院へ~
でも小雨が。。。。
せっかく来たのだから登ろうという妻の言葉に家族そろって横を川が流れる山道に入っていきました。入山料300円だったかな?
去年の9月、ミゾ蕎麦がきれいに咲いていたのですが、やはり7月では早かったようです。それでも流れの速い川の音が気持ちおかったです。歩いてすぐに小雨もやみはじめ、蝉の声が聞こえはじめました。
2,30分歩いて奥の院へ。滝の音が古木の中に響きます。
前回は、娘がサンダル履きだったので、奥の院のお堂には登れなかったのですが、今回は登ってみました。山にへばりつくような舞台造りのお堂。。。。
登りずらい階段を登りお堂に入りました。
ご本尊は、何と鍾乳石!山肌に露出した洞窟の中にある鍾乳石、これをご本尊として祭るためにすごい舞台造りのお堂を建てたようです。鍾乳石は、「後ろから拝んだ十一面観音」たしかに顔がたくさん付いているように見えます。洞窟の中は寒いぐらい。お参りをしておりました。
少し滝壺で遊び蕎麦屋さんへ。
元祖手打ち蕎麦「いづるや」さん。。。
満願寺の山号は「出流山」、これを「いづるさん」と読みます。「いづるや」さんもこの出流からの屋号だと思います。
駐車場も広いですが、いつも混雑してます。1時近くに行ったら店の前も行列。3,40分待ってやっと席につけました。「いづるや」さんのHPの写真にあるように蕎麦は大きなざるに乗って出てきます(もちろん普通のザル蕎麦もありますが、家族連れなら大きなザルのほうがおいしく感じます)。1升ザルを注文。あとおいしい天麩羅の盛り合わせ。そして僕はビール。。。。
出て来ました1升ザルの蕎麦。。。。
「こんなに食えるの?」といいながらも、家族4人もくもくと食べ続けました。完食。。。。
ハハハ・・・息子の食いがよかったです。
おいしかったです。
この後は、石仏で有名な大谷寺と大谷石の切り出し場「大谷資料館」へ。
大矢資料館は地底に入っていきます。入り口には「ただ今の地底温度9度」とありました。12月上旬並です。涼を求めたい方は是非!すごく広くてびっくりしますよ!

【2007年】
久しぶりに一句。。。。

    道迷い
      入梅鰯
        有りますと

    港小路(みち)
      入梅鰯
        脂のり

    海荒れて
      入梅鰯
        恋しけり
7月は、僕の誕生月なので、妻がおいしい鰯を食べさせてあげると行ってくれました。行くところはと聞けば千葉県銚子市。早い話がおいしい鰯を食べに行こうよということ。。。。
それども今日は息子が運転をしてくれるというので、鰯の刺身を食いながらビールを楽しみに出かけました。
詳しくは「ぶらり旅」にそのうち書きますが。。。。
有りました。。。。入梅鰯。
今のシーズン、脂が乗ってうまいそうです。
たしかに刺身はおいしかったです。寿司屋さんだったので、お寿司も注文しましたが、地魚を使いネタも大きくておいしかったです。
心配した台風も15日には関東沖を通り過ぎたようでした。
     
(追記)Pm23
ぶじゅさんからお聞きしていたのを思い出して、フルーティー梅干を試食してみました。いや。。。。おいしい梅干になっていました。塩分はだいぶ強いですが、この味です!僕の求めていた梅干の味!!(笑)
後は梅雨明けを待って土用干しをするだけ!!楽しみです。。。

【2008年】
「ゆるく巻くかたつむりの殻」
                    新潮社「yom yom」2008年7月号
                   川上 弘美  著
ホームページだったか?ブログだったか?
なぜ僕は死を恐れるのかを書いたことがある。何が恐ろしいって、死への苦もあるが夕螺という自我がこのよからなくなって無になってしまうことである。僕という意識が僕から離れていってしまう事。。。。これは恐ろしいことではないかな。
今回の川上さんの作品は、そんな僕に問いかけるような作品でした。
漱石は書いています。人は喜劇を演じると。しかし悲劇は死であると。
陽とは、どう死と向き合うのか。。。。そんな事を考える事ができる小品でした。
もちろん「人」といってもその人によってこの社会の中に残すものが違う。死に方によっても違うのかもしれない。川上さんが描く一人の女性は、人生を思い出しても平凡な女性である。
思いだしてもそうは特別な思い出、楽しかったこと、幸せだったことはあまりない女性。その女性のラストがどうなのか、それはお楽しみという事で。。。。川上さんの初期の作品が好きな方は「うん、うん」とうなるでしょう。。。。。
「私」は、「こわい」と思う。
この怖いという言葉の中に何があるんだろ?
人は生まれてしまったらいつか死ぬという死刑判決を受けてこの世に生を受けたようなものであり、一番先に書いた僕の死への恐怖を常に感じつつ生き、一方ではそれを忘れたかのように漱石風に書くなら喜劇を演じながら生きる。でも主人公の女性は、そうは考えずに生きたのかな?「かたつむりの殻」のような部屋で新婚を送り、人の死と向き合いながら生きていった「私」。でも、特別な私ではなくても限られた人の心には「私」は生き続ける。。。。。
その中に「私」は生き続けるのである。
人の生や死には区別はないのかもしれない。
魚屋の3階にちんまりと作られたかたつむりの殻ような部屋に幸せを感じた私なのだから。。。。その幸せと残された人々に差はないのである。人の死に特別はない。。。。。僕もそうは恐れなくてもいいのかもしれない。こうして今生きている僕があるのだから。
こんなことを感じられる小品でした。

(追記)
最後に「私」の名前が出てきます。
春田真紀という一人の女。。。。
夕螺は夕螺として何某かの本名そのままにブログ世界で生きております。。。。うううう・・・・・ハハハハ

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
昨日書いた「消費税問題はどこから議論すべきか」の続きのようなものになるかと思うのですが、朝日新聞15日朝刊「耕論」に「民意はどこに」という分析に「迷った末に、少し心痛めた」という分析が載せられていた。
「世論が、政治家にすごく冷たく当たっているように見える」とあります。
たしかに上げ足取りのような批判が世論としてあるのも事実ですが、今回の民主党敗北の世論はそんな生やさしいものではないでしょう。
消費税問題も、先の総選挙での民主党のマニフェストが実現されたようには見えない中で、参議院選挙ではマニフェストも死語となり、「国民生活の重視」が忘れ去られたごとく唐突に消費税率のアップが出てきた。総選挙後の国民生活が安定をして向上し、福祉の先行きに安心感が出たという材料は何もない中に消費税率の問題が出たのではない。逆に国民生活は厳しさを増しつつあるというのが現実である。
こう見ると、「冷たく当たっている」のは、国民が議員(政党)にではなくて、国や議員や民主党もが国民に冷たく当たっているというのが現実なわけです。総選挙では票をたくさんもらったのに、蓋を開けたらマニフェストなど見えなくなりそれにわをかけて消費税率アップ。。。。国民の生活重視ってなんだったの?と冷たく切り捨てられた国民の悲しさ。。。。それでもなお国を思い消費税を考えましょうとなっている国民。菅総理の悲壮感溢れるお顔にもし、この国民の悲しみや期待感が残っているという国民のけなげさを感じた「少し心痛めた」悲壮感なら良いのですが。
しかし、まずは消費税ありきから議論が進む社会の流れ。。。。悲しいことです。
このような状態で、国民はもっと政治家を褒めてやれと?
うううう。。。。
コマーシャルならいざ知らず、マスコミがそのときの政権を褒めてやれとなったならマスコミのの自殺行為でしょう。。。。。消費税税率アップは、誰かしら政治家がいわなくてはならないことだ。菅総理はよくぞ言ったというところからの消費税率アップの議論では先が見えている。

心は揺れる
揺れる心に意思などない
気付いて意思が追いつく
心の事後処理の連続
気持ち
人を愛する気持ち
深まることもあれば
消えることもある
でも今が大切
事後処理をしながら
僕は心を見つめる
見つめて今、君を思う
今に生きよう

【2011年】ツイッターつぶやき
夏生さんの「偶然」(幻冬社)が発売になっているのですが、本屋さんへ行ったらありませんでしたので注文してきました。
単行本の写真詩集です。今回は同題のCDも付いてきます。
最近たくさん本が出るので読むのが遅れ遅れ。。。。
読書のスピードアップをしなければ。。。。

【2012年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2013年】ツイッターつぶやき
僕が小・中学校の頃、通信簿は5段階でした。今もそうだと思いますが、絶対評価ではなくて相対評価だったと思います。みんなが競争してテストの点数がアップしてもやはり一定の割合で5をもらう生徒と1や2をもらう生徒が必ずできます。全体的にアップした点数の中間あたりが3だったのでしょうか?
競争というのはこのような面が必ずあると思います。
今の世の中自体もこの競争による社会となっています。一つの企業内においての競争から全体の経済もこの競争になっている。企業内の役職などはその定員が決まっていますから競争でみんなが頑張って成績を上げてもその頑張った競争の結果において役職に登る人は限られる。役職だけではなくて一般社員にもいろいろな階級のようなものがあるでしょう。そこには成績だけではなくていろいろな人間関係のしがらみもあり差別化はされていく。そして今の時代は正社員が減少して派遣労働などの不安定なおようが多くなり、そしてパートやバイトなどという階級制度化がされています。そして新たに限定正社員といったものまでつくられる。この中で5をもらう階級と1や2をもらう階級が制度化されている。早く正社員になれという競争社会。あとは職種や性差別の問題もそこに入ってきます。
1や2をもらっても案外昔はそれなりの生活をしてある年齢になれば家を買ったりもできましたが、今の階級制度は生活を最低限度(ワーキングプアーなど)にまで引き下げるのが社会的に認められてしまった。競争に負けたなら野垂れ死にもあり得るというのが国家の論理にもなり公助から自助(自己責任論)となっている。
こういった社会のシステムが出来上がってしまっていますからそこでの競争は熾烈になりますね。
滅私奉公は当たり前で雇ってくれる企業は神様のようになってしまう。ある意味支配社会が出来上がってしまったのです。その中で競争が言われるわけです。これが今の時代の競争主義で、新自由主義的な自由と民主主義なのです。
競争は社会自体を発展させる要素ですし、一人ひとりの国民が豊かになるための社会整備ともいえます。しかし先進国特に日本は労働者の生活を犠牲にしなければ企業や富裕層の利益を確保できない社会となってしまった。特に日本は賃下げが激しくそれによって日本だけがデフレから抜け出せなくなり、そのデフレからの脱却をいうアベノミクスが逆に将来的なデフレ経済を準備している。安倍のmクスに反対をする人が「デフレ社会擁護」ではなくて、アベノミクスを応援する人が「デフレ社会擁護」なのです。競争は下りゆく経済下の中で小さくなるパイの分捕り合戦となる。その競争がもたらすのが上に書いた競争社会と言えます。こうなると頑張ったから皆の生活がよくなるといった本来の競争の意義が消えうせます。そしてその経済システムにおいて企業は低賃金層をなくすことは損をして企業が成り立たないといった論理になりますから、こういった低賃金層がいなくては困る人間までつくってしまいます。
1%の4や5をもらう人間と、3という中間層はますます減少をして1や2をもらう人々の増加が99%を構成する社会はこうしてできあがる。
子供たちも競争をして高賃金の企業へと思うのでしょうが、今は有名大学を出ても1や2になる確率が高まる。

【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2015年】>ツイッターつぶやき衆議院における安保関連法案の強行採決に見るように数の力による与党政治がすべてを決めていけるような政治になっている。野党の力のなさは数の力として国会内においては無力化されている。
この状態を打破するには何が必要か。
野党は国家以外の世論との結びつきを強めようとしているが、これをもっと広げて統一戦線も模索すべき時期に来ているでしょう。
野党は政党の独自の主張を維持しながら当面国民の生活や諸権利そして平和という権利を取り戻すために統一した運動にする。そこには公明党や自民党内の一定の賛同もあり得る形で統一していく。
その主張はこれまでの安倍政権で国民が失ったものを総括して国民に知らせることである。
その失ったものを取り戻すための第一歩が統一戦線である。
またこの統一戦線は政党だけではなくて労働組合や市民団体あるいは知識層や文化人などの賛同が不可欠である。
毎日の生活に追われ政治どころではないという人々の賛同が必要である。
今の日本社会の実態を様々な角度から総括をしましょう。それを統一しなければならない。

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2018年】ツイッターつぶやき
朝、7時、朝食の支度も済んでベランダで一服。
すでに朝日がベランダに射し込み始めていました。
朝の空気が動き始めて涼しい風になります。
今年は小さな花を集めてみました。
寄せ植えではなくて「寄せ鉢」
ピンクと白のフェアリースター
赤と黄色のポーチュラカ
紫の舞のうす紫色の花
そしてぽつんと少し大きめの花のマリーゴールド
2本ほど松葉ボタンが去年の種が残っていたようで咲きだしました。
涼しい風に揺れる小さな花たち。。。。。。

【2019年】>ツイッターつぶやき
政治というのは案外ごまかしがきくもので、数の力が多いというだけで黒を白にもできる。
暴言や統計、公文書をいい加減に取り扱っても数の力さえあれば大丈夫です。
しかし経済というのは人の経済的な営みの中にあるとはいえ、人がこう望むからこうなるといったものではない。好景気にあるといっても現実はデフレ不況が続いている。
政治は上部構造で、経済は下部構造といわれる。経済が土台であ。
経済の法則性を人の行いとして実現するから経済はうまく回っていく。
今の社会は貧困をはじめとした格差を縮めることが求められているが、現実はその逆を行ってしまった。すると経済の好転は起きずにデフレ不況がさらに深まっている。

【2020年】ツイッターつぶやき
東京の新感染者数拡大により政府が行おうとしているGo Toトラベルに対して批判が出ていたが、政府はこれに対してGo Toトラベルから東京を除外した。
しかし新感染者拡大は東京が突出しているとはいえ全国てな拡大があり、4月の最高値に追いつく勢いである。この中で東京だけを除外しても感染拡大を防げるのかという懸念が残る。
しかしこのGo Toトラベルから東京を除外したとしても、これは税金により旅行代金を補助しないというだけで都民に旅行での移動を規制するものではない。税金での補助をしないよということからの都民の旅行を控えさせようとするだけのものです。生活にゆとりのない人は旅行に行けなくなってしまいますが、余裕のある方は何も国の補助が無くても旅行に行けるわけです。都民に旅行数は減ってゆったりと。
東京とは都外への移動を自粛するよう呼びかけましたが、国は経済政策のために都民にも協力してほしいということに何ら変わりはないです。
もちろん自己責任となりますが、宿泊費の高い感染防止が整うホテルなどには何の遠慮もなく行けるでしょう。
しかし多くの都民は税金からの補助がなくなり行きたくてもいけない状態におかれます。国のキャンペーンは平等でなければなりません。この平等さを保つためにはキャンペーンの時期を変更すべきです。

【2021年】ツイッターつぶやき
何歳まで働く?
男性だと10人に8人は64歳まで働いているそうです。
農家や自営業などでは昔から家業として働いていると思いますが、定年のあるサラリーマンも今では65歳まで働くのが当たり前になっています。今後は70歳まで働くようになっていきます。
なぜ働くか。。。生きがいとか仕事が生きがいとという人もいるでしょうが、多くの人は生活のためです。
生活のためという理由では、公的年金の支給年齢が65歳からになりましたから、現実は働かざるを得なくなっているのでしょう。
今は70歳まで働く人が増えているようですが、そのうちに70歳年金支給となっていくでしょうから働かざるを得ない状態になるでしょう。
まだ厚生年金プラス主婦年金の生活なら良いですが、国民年金だけではさらに働かざるを得ないでしょう。
しかし働かざるを得ない状態ですと、そうは楽な生活を送ることはできません。
60歳で定年となり再雇用などで働いたとしても賃金は相当安くなります。
豊かな老後には60歳からの年金支給と働きたいならばはたくことにより豊かな生活ができるようにならないとだめです。こうしないと経済も回りません。

【2022年】ツイッターつぶやき
安倍元総理の国葬が行われそうです。
国葬というのも一つの国家権力の発動です。時の政権による個人の評価による。
自民党政権は安倍内閣時代を評価するということでしょう。
しかし何を評価するのか?
マスコミでは最近ではない長期政権だったとか、外交で多くの国々を訪問したとか抽象的な評価しか行わない。
岸田総理も安倍総理の「実績」を強調する。その実績の中身はマスコミとそうは変わらないでしょう。
たしかに長期政権だったことは事実ですが、その政権で何を国民が評価する材料があるのか。
国家主義的な国民統制を評価するのか。
政治面では、国会の民主主義を中心に民主主義が形骸化され、経済では国民の間の貧富の格差を拡大した。
このような負の遺産を含めて国葬はそれを承認する。
死ねば皆仏という言葉があるが、死んだ人を批判するな、今までの事は一時は忘れて長く政権を維持した人の死を悼もう。これこそが国民統制です。

【2023年】ツイッターつぶやき
インターネット特にスマホの普及により広告費は増加しているようです。
ただ増加をしているにしてもテレビからインターネットへ移ったようです。
もちろん新聞や雑誌は減っている。
その中でラジオというのは面白いですね。少し減っていたものがまた微増しています。
広告費が増加しているというのは、金の動きですから広告料が値上げされれば増加もする。広告本数というのはどうなんでしょ。しかし大手企業から小さな企業の広告も増えていますから広告料は値下げ気味で本数を増やしているのか?
企業も値上げする中で広告というのは重要になっているのかもしれません。でも、消えていった広告も?
インターネットでは、ツイッターの広告収入が50%落ちているようです。マスクさんの件からいろいろありましたからね。他のコンテンツはどうなんでしょ。
そういえば新聞などのネット記事は有料になってきています。ツイッターも一部有料ですね。
広告料は増加しているがいろいろなものが有料化すればここでもネット上新聞広告等の効果は薄くなるでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする