【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
≪過去の記事≫
【2003年】
(記事なし)
【2004年】
新車は絶好調。ドライブに行ってきました。
どこへというあてもなかったのですが適当に高速を飛ばしました。茨城県に入り道の駅へ。昼食を食べ売店に行ってみたら新米をうっていました。秋ですからね。。。。新米を食べたいと思って買おうと思ったのですが、少し高めだったのでやめました。
帰りは霞ヶ浦のきれいな景色を眺めながらほとんど信号のない道を快適に飛ばしました。
今夜は、秋茄子の素揚げに生姜醤油をつけて食べました。おいしかったです。あとは新サンマ。脂がありましたよ。1匹100円!
【2005年】
「光ってみえるもの、あれは」
中央公論社
川上 弘美 著
江戸 翠(みどり)高校生、男。
翠は母親(愛子さん)と祖母(匡子さん)との3人家族である。
そして戸籍上には存在しない遺伝子つながりだけの父、大鳥さんがその家族に時々顔を出す。
翠には恋人平山水絵がおり、親友花田がいる。
学校に行けば風変わりな先生北川(キタガー君)がいる。
翠は、平凡な毎日の中において、周りのこれら6人の人間を語っていき、その中においての自分を探していく。
ある意味では青春小説である。が。。。
あまりにも平凡に過ぎ行く毎日であり、そこには心を沸き起こすような青春はない。
愛子さんは言う。「どうして翠はこういう家に育ったのに、そんな普通の子なの」
たしかに翠は「普通の子」である。普通に生活をし、普通に学校に行きバイトをし、普通に恋をして毎日を過ごしている。
そんな「普通の」翠が、毎日の生活の中において風変わりな人間たちと接し、何かを感じながら翠自身の心にも変化が起こる。何も青春小説のように生きる死ぬというような劇的なことは起こらないが、代わり映えのない生活の中において平凡ながらも心に感じ取りながら変化する翠の姿も、また、青春物語なのである。
裕福とはいえないけど、一応は食うに困らず学校にも行き、大モテもしないが好きな彼女ができ、毎日を過ごす。多少の家庭的な複雑さは背負いながらもそこで育つことは子供にとっては当たり前となり、学校に行けば複雑な人間関係もあるがそこそこにいろいろなことを話せる友だちもできる。そういう社会関係の中に子供は育たざるを得ないのであり、その中において「普通」なのである。
少年にとっては、親子関係や周りの大人というものは、自分がもの心ついてからの人間としてしかわからないものであり、その過去となるとその人間の過去に生きていたことは知るが霧の中にある。そしてそこにはさまざまな人生があったのである。動物的な遺伝子を家族から受け継ぐと同時に、人間の過去の生活というそこにある家族関係という遺伝子をも引き継ぎ少年は存在するのである。それがまた少年にとっては「普通」なのである。
このように翠という「普通の子」の青春は、翠一人の特殊な青春ではなく、「なんだかんだとあるが、平凡ながらも普通に育ってきた」というような人間すべての青春物語なのではないだろうか。
その中にこの作品から感じ取れる何かがあるのである。
愛子さんは、マイペースに暮らし佐藤さんという名前からして普通の男と付き合っている。匡子さんは、翠に何も包み隠さずに話しをしやはりマイペースである。
平山水絵は、「いとしい」に出てくるミドリコほどの個性は示さないが、「女」として翠を惑わす。
花田は、「うろうろ生きている」ことを嫌い、セーラー服を着て登校する。それを見たキタガー君は、「うろうろ生きている」ことに疑問を持つ花田に、セーラー服は脱いだほうがいいが、「うろうろ生きる」ことを嫌うことに理解を示す。
大鳥さんは、なぜ翠という子を授かったのに愛子さんと結婚をしなかったのかという問いに、街中に突然現れた馬が怖くて逃げ出したらすべてから怖くて逃げ出すようになってしまったと、禅問答のようなことを言う。自分が駄目な人間ということを悟ってしまったのである。
ここにみる人々の中には、恐れを知らない女と、恐れあるいは不安を持つ男がおり、風変わりさは男の中に現れている。
翠は、「女」としての平山水絵に「私のことがほんとに好きなの?」というような風に詰め寄られる。翠は本気で好きなのかとは何かと悩み、そこには恐れる男、自分の心に不安を持つのであり、そこに恐れる「男」と不安を持つ「男」を見ることができる。
この意味では、この作品が翠という少年の青春物語であると同時に、花田も含め、少年期から大人の男となっていくうえでの物語りでもあり、女性(作家)から見た男というものの風変わりさ、つかみどころのなさを表現した物語であるとも言える。
初期の作品「溺レる」は、初めて読んだ川上作品で、その感想はあまりよくないものであったが、「光って・・・」というこの作品の馬のたとえから大鳥さんの逃げる男を読んだとき、「溺レる」もまたちがったものとして読めるような気がした。「自分が駄目な男」これはある部分では女に恐れを感じる男であるが、わけもなく逃げる男とあっけらかんとついていく女。ここに微妙な男女関係の心が見えてくるような気がする。
大鳥さんは今も逃げている。愛子さんは愛想をつかせながらも捨てきれずにいる。翠は、平山水絵がほんとに好きなのかを悩みその答えから逃げている。答えを聞かせてもらえない平山水絵は、距離を置こうと離れるが翠を捨てきれないのだろう。この微妙さ。。。。
衝撃的な事件や性、恋を描き人間を表現する作品も多いと思うが、「この微妙さ。。。」が、川上さんの魅力だと思う。
作品の後半は、夏休みに男たち4人が九州の五島列島のある島に行く。
4人そろってというわけではないが、大鳥さんはキタガー君に金を借りて友人を訪ねる。大鳥さんの誘いを受けてキタガー君も研修と嘘をついて島に向う。花田の親類がいるということで花田と翠も島に向う。
この作品の後半になると、物語は動きはじめます。
花田と翠は、島でののんきな生活を過ごすが、あるとき離れ小島の神社に向う。翠は骨折をする。
花田と翠は大人の男の友情というのか気持ちを確かめあい、翠と大鳥さんは父子関係を強める。翠が大人のの男である大鳥さんの心を知ったのだろう。
翠は急激に大人の男となる。
「俺と暮らすか。。。」という大鳥さんの言葉に翠は転校をして島で暮らしはじめる。
このような男に対して女はどうか?
愛子さんは自分が翠をほったらかしにしたことに涙する。匡子さんは気丈にも翠を励ますがやはり隠れて涙する。平山水絵は、「翠が他の人を好きになったら怒ります。怒ってもいいよね」と女心を手紙に書く。
翠と大鳥さんは、気楽にもモテルかモテナイかを話する。
ラストはこんな男女関係が書かれる。
この急展開は、「古道具 中野商店」のラストにも見られ、読者にとっては、いつまでも古道具屋の中野さんでいて欲しいと感じる寂しさを感じさせるが、この作品のラストも、特に女性読者にとっては、描かれるラストの男女関係がたしかに現実社会の男女関係をある意味では現すにしても抵抗感を感じるものであるのかもしれない。男の僕にとってもラストの女性たちはいただけない。
しかし老いていく者と成長するものの世代交代上にもいつか来る寂しさなのである。
「光ってみえるもの、あれは」
それは今までの少年期の翠の毎日である。
翠はその光って見えるものに背を向ける。
それは、少年期を過ぎた男になったからなのか。
「戻るか」という大鳥さんの問いに翠は光っているものに背を向けるのである。
翠は少年期にはけして戻れないことは確かである。大人の男としてどう生きるか?
大鳥さんのように逃げて生きるのか?
その逃げとは何か?ドロップアウト。。。
「ドロップアウトって何だかかっこいいですね」と、大鳥さんは老婆の問いに笑って答える。
逃げというのもある場合にはいき方となる。一人の女を幸せにできそうもないとわかったら愛するがゆえ逃げるしかないときもある。
自分の生き方を見つけたときに人は本気になりまじめになるのだろう。
時と場合によってはドロップアウトも仕方ない場合がある。そんな男たちのかっこよさ。。。
こんなかっこよさに惹かれる女性たちをも描かれているのかもしれない。
翠はどんな大人の男になるのか。。。。
【2006年】
昨夜アイスクリームを久しぶりに食べた。小さなカップですごく高いアイスクリーム。ナッツが入っていておいしかったです。
そういえば、今年の夏も1度も食べていない。甘いものが嫌いなわけではないが、なぜか食べたいという気がしなくなっている。年のせいかな?
疲れていると甘いものが食べたくなりますが、ジムもお休み中なので気をつけないと。。。
【2007年】
(記事なし)
【2008年】
(記事なし)
【2009年】
(記事なし)
【2010年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2011年】ツイッターつぶやき
東電が原発関連自治体に20年間にわたり400数十億円を寄付していたという。年間平均20億円。
いくら東電という巨大企業が毎年公共料金である電気料金から20億円もの金を寄付していた意図はどこにあるのか。このような巨額の寄付をどのような基準で行っていたのかを説明すべきでしょう。たしかに寄付は善意の金です。しかしこの額と同じくらいの額を原発に関係のない自治他にも行っていたのだろうか?原発関連の自治体だけならばその善意の寄付にも思惑はあるはずです。
何かしら原発ではお世話になっていますというものがあるならそれが意図といえるでしょう。それを受け取る自治体も東電からの善意の寄付ですと済ませるわけにはいかないでしょう。ご祝儀で10万円包まれていたという程度ならば善意の金にもなるが、億単位の金をもらって善意の寄付とは思えないでしょう。原発ではお世話になってますという意図をくみ取ったものとなるのではないか?
その金の使われ方、例えば建物なら関連業者などを一度監査する必要があるのかも。
今後も寄付をやるのでしょうか?やらないやれないとすればまた原発誘致の意識も違ってくるかもしれない。
煙草にかかる税については戦前そして戦後の専売そして現在とその歴史があるようですが、たばこ消費税という消費税の一種でしょうかそれが税の目的を大きく変えたようです。そしてこのたばこ消費税としての税の目的が2010年の鳩山内閣によって煙草税は健康目的のために喫煙者を減らすことにその税の目的の考え方が変わったようです。(以上ウイキペディア参照)
この鳩山内閣でのたばこ税の解釈変更は、嫌煙権やたばこの害といういろいろな組織の考え方が入ったものと僕は思うのですが、この解釈の変更が単なる解釈の変更にとどまらずに税の目的を変えてしまったということです。
煙草税をあげれば喫煙者を減らして禁煙が進む。そしてタバコの害やマナーから禁煙は必要という税の目的が税という国家権力の行使による禁煙目的と懲罰的な税の目的として本来の税の目的から逸脱をしたものとなったと思う。
その上健康を目的と言いながらも国鉄清算事業団の借金返済のための特別煙草税は残し、国や地方自治体の税収を落ち込ませないこと原則とした煙草税のかけ方を残している。健康のためと言いながらも税収は落とせないというこの矛盾したものを残しながら強制的な禁煙と懲罰的な目的を税という形とした。
このような税の目的が色々なものに拡大解釈をされていったらどうなるのだろうか?
酒税もガソリン税もその税の目的が変わっていき、健康のための、環境のための、安全のためのなどという目的にこれらの税が引き上げられるだろう。環境税などは企業も嫌うわけだからできないが、タバコは嫌われ者だからすぐにできる。企業も日本たばこ1社ですし、タバコ農家もありますが、今までの農業切り捨てを見れば大した問題ではないからできるわけです。
一般庶民もひどいものになると消費税を上げるなら煙草税をあげりといったものが出てきますし、喫煙者のマナーが悪いから煙草税をあげろとかも出てくる。
しかしタバコ自体についての意見は様々あってもいいと思いますが、税の目的が強権力の行使と懲罰に変わっていくことをどう見るのでしょうか?ここを考えてほしいわけです。
煙草は発売中止になるまでなくなりません。ならば煙草税を分煙などに役立てるような喫煙者にも嫌煙者にも利益となる使い方をしなければならないでしょう。この方がよほど健康のための税の使い方です。
【2012年】ツイッターつぶやき
今夜は焼売を作りました。
鶏のひき肉に玉ねぎ、長ネギそしてホタテの貝柱(干したものがなかったので刺身用)をみじん切りにして入れ、おろしショウガ・塩・コショウ・砂糖・醤油・ごま油そして米麹を入れてよく粘りが出るまでかき回します。最後につなぎに片栗粉。
焼売の皮(市販のもの)で包み、上に飾り程度のカニを乗せました。
あとは蒸すだけ。。。。。。
しかしこの蒸すのを失敗してしまいました。蒸しすぎという事もありましたが、じかに蒸鍋に入れてしまった。くっついてしまいました。クッキングペーパーなどを敷いた皿に乗せて蒸せばよかったのかな?
味は美味しかったです。。。。。。あんがい本格的な味に近かったと思うのですが、何か足りないのでしょうか?
【2013年】ツイッターつぶやき
今朝の朝日新聞朝刊の「限界にっぽん」に派遣社員に変わり出向社員が増えているという記事がありました。
これまでは雇用者数の調整弁は派遣社員などが中心でしたが、今は出向社員が調整弁になりつつあるようです。社内失業者数などの増加とも言われていましたが、その中で限定正社員制度(解雇規制を受けない正社員)の導入も言われていました。しかしいま現在は一度出向をさせて賃金「コスト」を抑えて、その後早い時期に戻らされて退職を勧奨されるといったものが増えている。
出向社員は身元もはっきりしていて基礎的な能力もあり即戦力だから派遣よりも使いやすい。しかし人員が余ればすぐに切られる。
こういった雇用制度は、団塊の世代が大量に定年を迎えて再雇用(その中には出向のようなものがあるのかもしれません)などについていますが、これもやはり1年契約ですから切りやすい労働力でしょう。
出向といっても帰りの切符がないとか、帰った後の保障もない。かといって断ることもできないし会社を辞めることもできない。
素手に正社員も大変な時代になってきました。これはある意味中間層の減少につながります。
日本は国際的な競争力に勝つために賃下げを行ってきました。その賃下げの方法が雇用制度にありましたし、その全体的な低賃金化の中で正社員も例外ではなくなり低賃金化される。
労働者全体が不安定な状態になっていきます。
【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2017年】ツイッターつぶやき
先日種まきをしましたビオラとルピナスが3つほど発芽しました。
今日は冷たい雨。。。。。
この後の天気はどうなんでしょ。。。。。
うまく育ってくれればいいのですが。
松葉ボタンの種をだいぶ集めました。赤い花が多かったのですが、少なかった黄色や白などほかの色の種を意識的に集めてみました。来年もたくさん咲いてほしい。トリニアはそろそろ種をとらないと。。。。。
涼しくなり撫子やアリッサムがまた裂きだしました。
フリージアの球根から芽が出始めてしまったので慌てて植えました。
秋も深くなっていきます。花壇の整備も忙しくなります。
【2018年】ツイッターつぶやき
大きな鉢でゼラニウムを4本ほど育てていたのですが、台風21号の風の影響で倒れてしまいました。
指し木を繰り返してもう10年以上も大切にしてきたのですが、今年になりだいぶ高く育ちそろそろまた指し木にしてと思っていた矢先でした。
調べてみたら挿し木の時期は秋でも良さそうなので緑色の茎を切って挿し木にしました。
3年ほどすると大きく育つと思います。
そういえばポーチュラカが伸びすぎてぼうぼうとなってきましたので先日指し芽をしたら1週間もしないうちにみるみる大きくなって花を咲かせています。強い植物ですなぁ。
フェアリースターも折れたところを指し芽にしたのですが、こちらは育ちが悪いです。花を咲かせ続けていますからどうにか大丈夫かな。
【2019年】ツイッターつぶやき
来年度の英語共通一次テストに民間試験の結果を活用するらしい。
民間試験の活用で格差が問題視されている。
一つは経済格差です。民間の試験を受けるわけですから費用が掛かり家計による格差が生じる。
二つ目は地域格差で、民間試験を受ける手間暇は地方に行くほど困難さが生じる。
民間試験がいくつもあるようでその中身によって不平等さが生じる。
朝日新聞朝刊に以上の格差について書かれていた。
現在でも大学入試には公立高校の勉強だけでは足りずに受験のための勉強が必要になっている。高額な塾に通えない子供たちもいるでしょう。もちろんここには地域差も出るでしょう。
人間も動物ですからこの動物的な遺伝子に違いがあるかもしれない。しかし多くは社会的な動物ですから社会的遺伝子を受け継ぐ。
同じ能力があっても、オギャァ―と生まれた時の社会的環境で差がついてしまうのは事実です。
この社会的環境をそのままにした入試制度はよくありませんね。
【2020年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの東京日記が更新されました。
川上さんは平安貴族の生活を送る?
しかし空には火球が飛んで疫病の中。さすがの都人の川上さんもGo Toとはいかない。
都にはガス点検だから鍵を貸し手と怪しげな男が徘徊をするようになった。
都人もスーパーに買い物にいは行かねばならない。。。。。
都人の川上さんは、じゃがりこ期に入る。。。。
半沢直樹の役の多くに悪役が増えていると。。。。
【2021年】ツイッターつぶやき
我が町のホームページを時々見ますが、10歳以下の子供のコロナ感染が多くなっています。
もちろん19歳以下全体でも。
子供たちへの感染拡大がなぜなのか?
デルタ株ではほかの国でも多くの子供が感染しているようですが、子供へはまだワクチンの安全性から接種ができませんからどう子供たちを守るかが問われます。
学校の授業もはじまっていますが、そうとう感染防止策を行わないと危ないし、休校も必要かもしれません。
あとは家庭内感染ですね。新規感染者数が減少している中家庭内療養も減少しているようですが、まだ多くの人や家族が苦しんでいるでしょう。
検査体制ですらなかなか検査も受けられない実態があります。
子供たちをどう守るか、政治は本気にならないと。。。。
パソコンの調子が悪い。。。。。
【2022年】ツイッターつぶやき
尾身会長がコロナは普通の病気というとらえ方をはじめるにあたってロードマップを作っていくとしました。
分科会には医療の専門家の中に経済学者も入っていますから、むしろその経済学者の意見が強くなっているということでしょう。すでにもうすぐ全数把握がされなくなりますが、全数把握を行わないということは感染の実態を見ないということですから、コロナ感染防止にもつながりません。
症状が出た人でも高齢者でなければ発表されませんし、無症状者が市内を闊歩します。
ここまで放置コロナが進んできます。
この放置コロナ自体が普通の病気扱いということになります。コロナが普通の病気になるのではなくて、取り扱いを普通に行いますということです。
【2023年】ツイッターつぶやき
夜になっても室温が下がりません。
室温30℃。
でも、風が出てきて少しは涼しい風が。
(記事なし)
≪過去の記事≫
【2003年】
(記事なし)
【2004年】
新車は絶好調。ドライブに行ってきました。
どこへというあてもなかったのですが適当に高速を飛ばしました。茨城県に入り道の駅へ。昼食を食べ売店に行ってみたら新米をうっていました。秋ですからね。。。。新米を食べたいと思って買おうと思ったのですが、少し高めだったのでやめました。
帰りは霞ヶ浦のきれいな景色を眺めながらほとんど信号のない道を快適に飛ばしました。
今夜は、秋茄子の素揚げに生姜醤油をつけて食べました。おいしかったです。あとは新サンマ。脂がありましたよ。1匹100円!
【2005年】
「光ってみえるもの、あれは」
中央公論社
川上 弘美 著
江戸 翠(みどり)高校生、男。
翠は母親(愛子さん)と祖母(匡子さん)との3人家族である。
そして戸籍上には存在しない遺伝子つながりだけの父、大鳥さんがその家族に時々顔を出す。
翠には恋人平山水絵がおり、親友花田がいる。
学校に行けば風変わりな先生北川(キタガー君)がいる。
翠は、平凡な毎日の中において、周りのこれら6人の人間を語っていき、その中においての自分を探していく。
ある意味では青春小説である。が。。。
あまりにも平凡に過ぎ行く毎日であり、そこには心を沸き起こすような青春はない。
愛子さんは言う。「どうして翠はこういう家に育ったのに、そんな普通の子なの」
たしかに翠は「普通の子」である。普通に生活をし、普通に学校に行きバイトをし、普通に恋をして毎日を過ごしている。
そんな「普通の」翠が、毎日の生活の中において風変わりな人間たちと接し、何かを感じながら翠自身の心にも変化が起こる。何も青春小説のように生きる死ぬというような劇的なことは起こらないが、代わり映えのない生活の中において平凡ながらも心に感じ取りながら変化する翠の姿も、また、青春物語なのである。
裕福とはいえないけど、一応は食うに困らず学校にも行き、大モテもしないが好きな彼女ができ、毎日を過ごす。多少の家庭的な複雑さは背負いながらもそこで育つことは子供にとっては当たり前となり、学校に行けば複雑な人間関係もあるがそこそこにいろいろなことを話せる友だちもできる。そういう社会関係の中に子供は育たざるを得ないのであり、その中において「普通」なのである。
少年にとっては、親子関係や周りの大人というものは、自分がもの心ついてからの人間としてしかわからないものであり、その過去となるとその人間の過去に生きていたことは知るが霧の中にある。そしてそこにはさまざまな人生があったのである。動物的な遺伝子を家族から受け継ぐと同時に、人間の過去の生活というそこにある家族関係という遺伝子をも引き継ぎ少年は存在するのである。それがまた少年にとっては「普通」なのである。
このように翠という「普通の子」の青春は、翠一人の特殊な青春ではなく、「なんだかんだとあるが、平凡ながらも普通に育ってきた」というような人間すべての青春物語なのではないだろうか。
その中にこの作品から感じ取れる何かがあるのである。
愛子さんは、マイペースに暮らし佐藤さんという名前からして普通の男と付き合っている。匡子さんは、翠に何も包み隠さずに話しをしやはりマイペースである。
平山水絵は、「いとしい」に出てくるミドリコほどの個性は示さないが、「女」として翠を惑わす。
花田は、「うろうろ生きている」ことを嫌い、セーラー服を着て登校する。それを見たキタガー君は、「うろうろ生きている」ことに疑問を持つ花田に、セーラー服は脱いだほうがいいが、「うろうろ生きる」ことを嫌うことに理解を示す。
大鳥さんは、なぜ翠という子を授かったのに愛子さんと結婚をしなかったのかという問いに、街中に突然現れた馬が怖くて逃げ出したらすべてから怖くて逃げ出すようになってしまったと、禅問答のようなことを言う。自分が駄目な人間ということを悟ってしまったのである。
ここにみる人々の中には、恐れを知らない女と、恐れあるいは不安を持つ男がおり、風変わりさは男の中に現れている。
翠は、「女」としての平山水絵に「私のことがほんとに好きなの?」というような風に詰め寄られる。翠は本気で好きなのかとは何かと悩み、そこには恐れる男、自分の心に不安を持つのであり、そこに恐れる「男」と不安を持つ「男」を見ることができる。
この意味では、この作品が翠という少年の青春物語であると同時に、花田も含め、少年期から大人の男となっていくうえでの物語りでもあり、女性(作家)から見た男というものの風変わりさ、つかみどころのなさを表現した物語であるとも言える。
初期の作品「溺レる」は、初めて読んだ川上作品で、その感想はあまりよくないものであったが、「光って・・・」というこの作品の馬のたとえから大鳥さんの逃げる男を読んだとき、「溺レる」もまたちがったものとして読めるような気がした。「自分が駄目な男」これはある部分では女に恐れを感じる男であるが、わけもなく逃げる男とあっけらかんとついていく女。ここに微妙な男女関係の心が見えてくるような気がする。
大鳥さんは今も逃げている。愛子さんは愛想をつかせながらも捨てきれずにいる。翠は、平山水絵がほんとに好きなのかを悩みその答えから逃げている。答えを聞かせてもらえない平山水絵は、距離を置こうと離れるが翠を捨てきれないのだろう。この微妙さ。。。。
衝撃的な事件や性、恋を描き人間を表現する作品も多いと思うが、「この微妙さ。。。」が、川上さんの魅力だと思う。
作品の後半は、夏休みに男たち4人が九州の五島列島のある島に行く。
4人そろってというわけではないが、大鳥さんはキタガー君に金を借りて友人を訪ねる。大鳥さんの誘いを受けてキタガー君も研修と嘘をついて島に向う。花田の親類がいるということで花田と翠も島に向う。
この作品の後半になると、物語は動きはじめます。
花田と翠は、島でののんきな生活を過ごすが、あるとき離れ小島の神社に向う。翠は骨折をする。
花田と翠は大人の男の友情というのか気持ちを確かめあい、翠と大鳥さんは父子関係を強める。翠が大人のの男である大鳥さんの心を知ったのだろう。
翠は急激に大人の男となる。
「俺と暮らすか。。。」という大鳥さんの言葉に翠は転校をして島で暮らしはじめる。
このような男に対して女はどうか?
愛子さんは自分が翠をほったらかしにしたことに涙する。匡子さんは気丈にも翠を励ますがやはり隠れて涙する。平山水絵は、「翠が他の人を好きになったら怒ります。怒ってもいいよね」と女心を手紙に書く。
翠と大鳥さんは、気楽にもモテルかモテナイかを話する。
ラストはこんな男女関係が書かれる。
この急展開は、「古道具 中野商店」のラストにも見られ、読者にとっては、いつまでも古道具屋の中野さんでいて欲しいと感じる寂しさを感じさせるが、この作品のラストも、特に女性読者にとっては、描かれるラストの男女関係がたしかに現実社会の男女関係をある意味では現すにしても抵抗感を感じるものであるのかもしれない。男の僕にとってもラストの女性たちはいただけない。
しかし老いていく者と成長するものの世代交代上にもいつか来る寂しさなのである。
「光ってみえるもの、あれは」
それは今までの少年期の翠の毎日である。
翠はその光って見えるものに背を向ける。
それは、少年期を過ぎた男になったからなのか。
「戻るか」という大鳥さんの問いに翠は光っているものに背を向けるのである。
翠は少年期にはけして戻れないことは確かである。大人の男としてどう生きるか?
大鳥さんのように逃げて生きるのか?
その逃げとは何か?ドロップアウト。。。
「ドロップアウトって何だかかっこいいですね」と、大鳥さんは老婆の問いに笑って答える。
逃げというのもある場合にはいき方となる。一人の女を幸せにできそうもないとわかったら愛するがゆえ逃げるしかないときもある。
自分の生き方を見つけたときに人は本気になりまじめになるのだろう。
時と場合によってはドロップアウトも仕方ない場合がある。そんな男たちのかっこよさ。。。
こんなかっこよさに惹かれる女性たちをも描かれているのかもしれない。
翠はどんな大人の男になるのか。。。。
【2006年】
昨夜アイスクリームを久しぶりに食べた。小さなカップですごく高いアイスクリーム。ナッツが入っていておいしかったです。
そういえば、今年の夏も1度も食べていない。甘いものが嫌いなわけではないが、なぜか食べたいという気がしなくなっている。年のせいかな?
疲れていると甘いものが食べたくなりますが、ジムもお休み中なので気をつけないと。。。
【2007年】
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【2010年】ツイッターつぶやき
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【2011年】ツイッターつぶやき
東電が原発関連自治体に20年間にわたり400数十億円を寄付していたという。年間平均20億円。
いくら東電という巨大企業が毎年公共料金である電気料金から20億円もの金を寄付していた意図はどこにあるのか。このような巨額の寄付をどのような基準で行っていたのかを説明すべきでしょう。たしかに寄付は善意の金です。しかしこの額と同じくらいの額を原発に関係のない自治他にも行っていたのだろうか?原発関連の自治体だけならばその善意の寄付にも思惑はあるはずです。
何かしら原発ではお世話になっていますというものがあるならそれが意図といえるでしょう。それを受け取る自治体も東電からの善意の寄付ですと済ませるわけにはいかないでしょう。ご祝儀で10万円包まれていたという程度ならば善意の金にもなるが、億単位の金をもらって善意の寄付とは思えないでしょう。原発ではお世話になってますという意図をくみ取ったものとなるのではないか?
その金の使われ方、例えば建物なら関連業者などを一度監査する必要があるのかも。
今後も寄付をやるのでしょうか?やらないやれないとすればまた原発誘致の意識も違ってくるかもしれない。
煙草にかかる税については戦前そして戦後の専売そして現在とその歴史があるようですが、たばこ消費税という消費税の一種でしょうかそれが税の目的を大きく変えたようです。そしてこのたばこ消費税としての税の目的が2010年の鳩山内閣によって煙草税は健康目的のために喫煙者を減らすことにその税の目的の考え方が変わったようです。(以上ウイキペディア参照)
この鳩山内閣でのたばこ税の解釈変更は、嫌煙権やたばこの害といういろいろな組織の考え方が入ったものと僕は思うのですが、この解釈の変更が単なる解釈の変更にとどまらずに税の目的を変えてしまったということです。
煙草税をあげれば喫煙者を減らして禁煙が進む。そしてタバコの害やマナーから禁煙は必要という税の目的が税という国家権力の行使による禁煙目的と懲罰的な税の目的として本来の税の目的から逸脱をしたものとなったと思う。
その上健康を目的と言いながらも国鉄清算事業団の借金返済のための特別煙草税は残し、国や地方自治体の税収を落ち込ませないこと原則とした煙草税のかけ方を残している。健康のためと言いながらも税収は落とせないというこの矛盾したものを残しながら強制的な禁煙と懲罰的な目的を税という形とした。
このような税の目的が色々なものに拡大解釈をされていったらどうなるのだろうか?
酒税もガソリン税もその税の目的が変わっていき、健康のための、環境のための、安全のためのなどという目的にこれらの税が引き上げられるだろう。環境税などは企業も嫌うわけだからできないが、タバコは嫌われ者だからすぐにできる。企業も日本たばこ1社ですし、タバコ農家もありますが、今までの農業切り捨てを見れば大した問題ではないからできるわけです。
一般庶民もひどいものになると消費税を上げるなら煙草税をあげりといったものが出てきますし、喫煙者のマナーが悪いから煙草税をあげろとかも出てくる。
しかしタバコ自体についての意見は様々あってもいいと思いますが、税の目的が強権力の行使と懲罰に変わっていくことをどう見るのでしょうか?ここを考えてほしいわけです。
煙草は発売中止になるまでなくなりません。ならば煙草税を分煙などに役立てるような喫煙者にも嫌煙者にも利益となる使い方をしなければならないでしょう。この方がよほど健康のための税の使い方です。
【2012年】ツイッターつぶやき
今夜は焼売を作りました。
鶏のひき肉に玉ねぎ、長ネギそしてホタテの貝柱(干したものがなかったので刺身用)をみじん切りにして入れ、おろしショウガ・塩・コショウ・砂糖・醤油・ごま油そして米麹を入れてよく粘りが出るまでかき回します。最後につなぎに片栗粉。
焼売の皮(市販のもの)で包み、上に飾り程度のカニを乗せました。
あとは蒸すだけ。。。。。。
しかしこの蒸すのを失敗してしまいました。蒸しすぎという事もありましたが、じかに蒸鍋に入れてしまった。くっついてしまいました。クッキングペーパーなどを敷いた皿に乗せて蒸せばよかったのかな?
味は美味しかったです。。。。。。あんがい本格的な味に近かったと思うのですが、何か足りないのでしょうか?
【2013年】ツイッターつぶやき
今朝の朝日新聞朝刊の「限界にっぽん」に派遣社員に変わり出向社員が増えているという記事がありました。
これまでは雇用者数の調整弁は派遣社員などが中心でしたが、今は出向社員が調整弁になりつつあるようです。社内失業者数などの増加とも言われていましたが、その中で限定正社員制度(解雇規制を受けない正社員)の導入も言われていました。しかしいま現在は一度出向をさせて賃金「コスト」を抑えて、その後早い時期に戻らされて退職を勧奨されるといったものが増えている。
出向社員は身元もはっきりしていて基礎的な能力もあり即戦力だから派遣よりも使いやすい。しかし人員が余ればすぐに切られる。
こういった雇用制度は、団塊の世代が大量に定年を迎えて再雇用(その中には出向のようなものがあるのかもしれません)などについていますが、これもやはり1年契約ですから切りやすい労働力でしょう。
出向といっても帰りの切符がないとか、帰った後の保障もない。かといって断ることもできないし会社を辞めることもできない。
素手に正社員も大変な時代になってきました。これはある意味中間層の減少につながります。
日本は国際的な競争力に勝つために賃下げを行ってきました。その賃下げの方法が雇用制度にありましたし、その全体的な低賃金化の中で正社員も例外ではなくなり低賃金化される。
労働者全体が不安定な状態になっていきます。
【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2017年】ツイッターつぶやき
先日種まきをしましたビオラとルピナスが3つほど発芽しました。
今日は冷たい雨。。。。。
この後の天気はどうなんでしょ。。。。。
うまく育ってくれればいいのですが。
松葉ボタンの種をだいぶ集めました。赤い花が多かったのですが、少なかった黄色や白などほかの色の種を意識的に集めてみました。来年もたくさん咲いてほしい。トリニアはそろそろ種をとらないと。。。。。
涼しくなり撫子やアリッサムがまた裂きだしました。
フリージアの球根から芽が出始めてしまったので慌てて植えました。
秋も深くなっていきます。花壇の整備も忙しくなります。
【2018年】ツイッターつぶやき
大きな鉢でゼラニウムを4本ほど育てていたのですが、台風21号の風の影響で倒れてしまいました。
指し木を繰り返してもう10年以上も大切にしてきたのですが、今年になりだいぶ高く育ちそろそろまた指し木にしてと思っていた矢先でした。
調べてみたら挿し木の時期は秋でも良さそうなので緑色の茎を切って挿し木にしました。
3年ほどすると大きく育つと思います。
そういえばポーチュラカが伸びすぎてぼうぼうとなってきましたので先日指し芽をしたら1週間もしないうちにみるみる大きくなって花を咲かせています。強い植物ですなぁ。
フェアリースターも折れたところを指し芽にしたのですが、こちらは育ちが悪いです。花を咲かせ続けていますからどうにか大丈夫かな。
【2019年】ツイッターつぶやき
来年度の英語共通一次テストに民間試験の結果を活用するらしい。
民間試験の活用で格差が問題視されている。
一つは経済格差です。民間の試験を受けるわけですから費用が掛かり家計による格差が生じる。
二つ目は地域格差で、民間試験を受ける手間暇は地方に行くほど困難さが生じる。
民間試験がいくつもあるようでその中身によって不平等さが生じる。
朝日新聞朝刊に以上の格差について書かれていた。
現在でも大学入試には公立高校の勉強だけでは足りずに受験のための勉強が必要になっている。高額な塾に通えない子供たちもいるでしょう。もちろんここには地域差も出るでしょう。
人間も動物ですからこの動物的な遺伝子に違いがあるかもしれない。しかし多くは社会的な動物ですから社会的遺伝子を受け継ぐ。
同じ能力があっても、オギャァ―と生まれた時の社会的環境で差がついてしまうのは事実です。
この社会的環境をそのままにした入試制度はよくありませんね。
【2020年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの東京日記が更新されました。
川上さんは平安貴族の生活を送る?
しかし空には火球が飛んで疫病の中。さすがの都人の川上さんもGo Toとはいかない。
都にはガス点検だから鍵を貸し手と怪しげな男が徘徊をするようになった。
都人もスーパーに買い物にいは行かねばならない。。。。。
都人の川上さんは、じゃがりこ期に入る。。。。
半沢直樹の役の多くに悪役が増えていると。。。。
【2021年】ツイッターつぶやき
我が町のホームページを時々見ますが、10歳以下の子供のコロナ感染が多くなっています。
もちろん19歳以下全体でも。
子供たちへの感染拡大がなぜなのか?
デルタ株ではほかの国でも多くの子供が感染しているようですが、子供へはまだワクチンの安全性から接種ができませんからどう子供たちを守るかが問われます。
学校の授業もはじまっていますが、そうとう感染防止策を行わないと危ないし、休校も必要かもしれません。
あとは家庭内感染ですね。新規感染者数が減少している中家庭内療養も減少しているようですが、まだ多くの人や家族が苦しんでいるでしょう。
検査体制ですらなかなか検査も受けられない実態があります。
子供たちをどう守るか、政治は本気にならないと。。。。
パソコンの調子が悪い。。。。。
【2022年】ツイッターつぶやき
尾身会長がコロナは普通の病気というとらえ方をはじめるにあたってロードマップを作っていくとしました。
分科会には医療の専門家の中に経済学者も入っていますから、むしろその経済学者の意見が強くなっているということでしょう。すでにもうすぐ全数把握がされなくなりますが、全数把握を行わないということは感染の実態を見ないということですから、コロナ感染防止にもつながりません。
症状が出た人でも高齢者でなければ発表されませんし、無症状者が市内を闊歩します。
ここまで放置コロナが進んできます。
この放置コロナ自体が普通の病気扱いということになります。コロナが普通の病気になるのではなくて、取り扱いを普通に行いますということです。
【2023年】ツイッターつぶやき
夜になっても室温が下がりません。
室温30℃。
でも、風が出てきて少しは涼しい風が。