(2024年)ツイッターつぶやき
(記事なし)
≪過去の記事≫
【2003年】
(記事なし)
【2004年】
東北旅行
【2005年】
(記事なし)
【2006年】
日曜日の日にちが間違っていたので訂正しました。
昨日から夏に後戻りをしたような暑さでした。夜も熱帯夜。
台風も北海道のほうへ行ってしまいましたからまた平年並みの気温に戻るでしょう。でも、一昨日あたりの肌寒さは10月並でしたが。
熱帯魚はもうやめようかと思います。手もかかるし金もかかるし。。。
昔、金魚を飼っていた時がありましたが、また飼いたくなりました。金魚は長生きしますから楽しいです。熱帯魚も長生きする大型の魚もありますが、高いし素人には手におえません。
昔、「金太郎」という名をつけた金魚がいたのですが、すごく大きくなり、45センチ水槽では間にあわなくなってしまいました。今の水槽は60センチ。少しは大きくなっても飼えるのではと思います。もちろん、今飼っている熱帯魚は大切にします。
【2007年】
床屋に行ってきました。
娘は「お父さん、かっこいい!」とおせいじにも気がついてくれたのですが、我が妻はまったく反応がない。。。ううう(笑)
ごろんと寝っこがり、わハハハ・・・と、テレビを見ている。。。。
【2008年】
(記事なし)
【2009年】
(記事なし)
【2010年】ツイッターつぶやき
電車の中でお二人のお子さんを連れたご家族を見た
女の子は父親似で
男の子は母親に似るというが
こんなに似た親子というのは初めてでした
そんな帰りの電車の中では
まるで姉妹のような
そしてそっくりな母娘を見た
まぁ遺伝子を受け継いだ親子ですから
似ているのは当たり前ですが
ほのぼのとしたものを感じますなぁ
「残念な人々の思考方法」だったかな?
この本が売れているようです(朝日新聞読書ページ)
汗水たらして働くだけではだめなようです。。。。
しかし現実は汗水流して働くだけの人がいるから
世の中は成立しているわけですからなぁ。。。
市場に任せれば・・・・というような新自由主義が流行ったかと思えば
今は政府に地銀日銀の介入が歓迎されている
汗水たらして働くという労働がないがしろにされ
結局個人消費が低くなり経済は混乱をする
汗水たらして働くだけではだめではなくて
汗水たらして働く労働をないがしろにする
社会が変なのではと思う
残念な人が当たり前の世の中にならないと。。。
この本はこれが難しいということを書いたのか?
【2011年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2012年】ツイッターつぶやき
近代日本や世界の歴史の見方はたくさんあるだろうが、一つのこの歴史認識の基礎として資本主義の歴史とある意味のグローバル化という中での植民地主義はともに並行して発展してきたことをまず抑える必要があるだろう。
資本主義の歴史は産業革命後の爆発的な商品生産とそれを支える原材料などの確保そして商品の市場拡大にある。その中において植民地支配は必然的に広がった。
この植民地支配はアメリカに見るように新たな大地での建国という形をとり、労働力不足は奴隷制度という形で補った。
資本主義の歴史は植民地の獲得でもあったという歴史の流れを見るならば、資本主義国には新たなに発展すした後進国がある。この中に明治維新を日本が植民地にならずに済むように成功させた日本もある。この後進国は国力をつけるとともに植民地の獲得競争に入ってくる。ほとんどの植民地が当時の先進国の物に分割が住んでいた時、後進国は植民地の再分割を求める。明治の日本は日清・日露の戦争に進む。
二つの世界大戦はこの植民地の再配分(当然当時の先進国同士も含めて)というものだという認識でよいのではないか。
資本主義はその思想的背景としては封建制の国民支配に対して国民の自由や平等そしてのちに民主主義をその誇りとした。この資本主義の思想を背景とした生産力の高まりは世界を発展させた。そこに植民地支配も旧封建的な思想では国民の支持は得られない。そこで出てくるのが野蛮(未開)国への文明化を掲げるようになる。しかしそれは結局は武力を持って主権を奪うという植民地という矛盾をつくりだす。
後進国は、この欧米の植民地政策を批判した形での日本で言えば欧米からのアジアの解放というスローガンが生まれるが結局は植民地の再配分という形での矛盾を生んだ。
世界史の中で、植民地という資本主義の一時代の歴史は、たしかに世界の国々を資本主義に接する役割を果たしたが民族独立・主権問題をはらみつつ資本主義を広めた。日本が欧米から朝鮮半島や中国を解放すると言った理想は日本による植民地化にあった。
世界中にこの資本主義の発展段階における植民地主義の傷跡が多く存在するのである。
ですからこの植民地主義を賛美することあるいは正当化することは間違いだろう。一つの歴史の役割は終わったのである。植民地主義の傷跡のカサブタをはがすような宗教や文化そして政策などなどは各国々が自国において一掃しなければならない問題である。それは今の朝鮮半島や中国などとの関係にも言えることです。事実戦後の日本はこれを政治的には行ってきたわけですが、まだ文化面や言動の中にカサブタをはがそうとするものがある。同時にそれは常に朝鮮半島や中国などの国々もカサブタをはがした日本批判となる。
植民地主義の歴史を終わらせたものが戦後の国連の役割だったろうし、日本の憲法9条の理想としての平和主義にあった。そして民族独立はソビエトなどによる支援という形も取った。しかしこの植民地解放運動もまた米ソの冷戦下における代理戦争ともなり、植民地支配が終わったにしろ民族独裁などの独裁体制が広がり、それは資本の支配する半独立の状態をつくった。ここでも結局は戦争という形での民族独立闘争があったわけで、これもまた植民地主義の最後の息の根を止める溜めの歴史の中での悲劇である。
今の時代はまた後進国の台頭に時代となった。
中国をはじめロシアや韓国やインドなどなどが資本主義の先進国に迫る勢いを示し始め、同時にこれまでの先進国の経済的な国力あるいは影響力が後退をし始めており、アメリカさえ他国との協調を行い軍事的な世界支配を失おうとしている。そこに中国のある意味昔ならば植民地の再配分といったようなものが現代の形をとって現れる。ここに日本もそうだが先進国の中国への脅威として現れる。
現実主義なアメリカは日本を利用しながら中国との対等な関係においてアメリカの影響力をアジアに示そうとする。
たしかに後進国の台頭は、一つの秩序(先進国の勝手な秩序であるが)を崩そうとするわけですからまた戦争の危険性が大きくなったともいえるでしょう。
しかし歴史は植民地主義に帰ることは許さないでしょう。
アメリカでさえ軍事力で世界を抑えられなくなっていますし、それは植民地主義に帰れないあかしでもあります。それに代わって中国が植民地主義をとれるかと言えばなおさら非現実的な見方となるでしょう。
しかし楽観視もしていられない。それぞれの国が植民地主義の傷跡に残るカサブタを互いにはがし合うような政治対立と国民意識の中に国家主義(ナショナリズム)が現れています。
もう植民地主義や戦争による解決は非難されるべきものとして、前近代的なものとして現在があります。
昨日も書きましたが、今また武力衝突が懸念されますがそこを強調し合うことではなくて平和主義をどう生かすかが課題なのです。
尖閣諸島問題でも日本の国有化がカサブタをはがし、中国の暴徒的なデモがカサブタをはがす。たがいに「死ね」といったような国民の感情の言動が互いにカサブタをはがす。
一方では、中国でも「理性愛国」といったスローガンが出はじめており、日本では一部の国民や政治家を除き冷静な対応が国民の中の多数となっている。
尖閣諸島問題は深刻さを増しますが、これを平和的に解決し、それはアジア全体の利益につなげねばならないという認識は平和主義からしか生まれません。
【2013年】ツイッターつぶやき
理論と実践というと堅苦しくなりますが、人は考えて実行して実行してからまたそれを考えるという繰り返しではないかと思うんです。また、考えて実行しようとしてもこの実効がなかなか事情でできないとかいうこともあります。こういうところで悩みながら個人も人の歴史自体も進んできたのではないでしょうか?
実行自体も一人あるいはごく少数の人数で行っていたらその実行もなかなか進みません。いくら正しくても。考えも同じでいくら正しくてもそれが広がらなければ人々の多数に理解されないでしょう。
理論と実践というのは難しいものなのです。
理論だけで社会は動かない。実践だけではどこに進んでいくかわからない。理論と実践とは切り離すことができない関係にあります。
あることを成し遂げることが必要だ。。。。という時、その成し遂げる中身がはっきりしないでは空想となります。そこには理論が必要で道筋を大雑把にでも見つけなければならない。そしてその理論は広く社会に受け入れられなければならない。その中で多数の人々の実践を産むでしょう。この多数の人々の運動とは何かの事情で動けにくいという人もその事情の範囲において動くことを容認されてその範囲で力になる。そのような力の総力として多数はある。理論は人の心を引き付けると物理的な力になるということです。この実践から理論そのものの正しさが検証されるでしょう。条件や情勢に柔軟な理論と実践ができてきます。しかしそこに「成し遂げること」の目標は見失ってはいけない。山の頂上は見つめながらルートは柔軟に。
社会を発展させてきた歴史というのは、法則的に間違ったものはいくら強力な実行であってもやがて消え失せる。誤った理論は実践の検証においてやはり消え失せる。右往左往しながらばらばらのような人の行動がある一定の方向で進んできたのが歴史でしょう。ほとんどの国が封建制のような国家太子から資本主義になった。やがてこの資本主義は発展していく。張ってとしての資本主義をつくるのがやはり理論と実践ですね。しかしそれは発展した資本主義に見合う民主的なものとなるでしょう。
【2014年】ツイッターつぶやき
株価も上がり今日の終値は16321円だった。しかしこれをドルに換算すると今日は109円まで円が下落しているので149ドルとなる。ここでドルの価値を一定とすると1ドル80円の時としてみると株価は11920円となる。すると安倍政権が誕生したころの為替80円株価1100程度と変わりないということになる。実質的な経済の好転はなかったということになる。この時の株価の差4000円から5000円の差は何か?円の貨幣価値の低下である。ドルから見れば日本の株の価値は同じということになる。
「実際、建値通貨ベースでは、過去1年間の日経平均株価の上昇率は11%と、NYダウの9%をやや上回るが、ドル建てでは前年比横ばいと、全く上昇していない。つまり、過去1年間、日経平均株価が上昇したのは、円の価値が下落したからなのである。」
(ロイター「さらなる円安は日本経済にプラスか」より引用)
アベノミクスを掲げて安倍政権が誕生した時から経済は「期待感」でプラス方向に向かったが、この期待感を除いた実際の実体経済の株価は野田政権時と変わりないのではないか。
しかし貨幣価値から見て経済の置かれている現状に変わりがないとしても、国内的には悪性の物価高は現実にあり、実質賃金の低下も現実であるし個人消費の落ち込みも事実である。そして為替からの貿易赤字とはいえ貿易収支がマイナスとなったこと自体は事実である。
こうして見ると経済そのものは成長もせずにマイナス面ばかりが現実として浮き彫りになったのではないか?
そして「物価が上昇するのはモノの価値が上がるからではなく、通貨の価値が下がっているからだ。」(同ロイター記事より引用)
それに加えて消費増税での価格のへの転嫁が加わるわけだから、経済成長の中からの経済法則としてのインフレではなくて、経済成長もない中での悪性の物価高が進んだだけという見方が正しい。それがデフレからの脱却といわれている。
【2015年】ツイッターつぶやき
人は現実の中から多くを学ぶ。
しかしそれは理論的になったときに大きな力を持つだろう。
なぜ戦争の道を求めるのか。
なぜ貧困があるのか。
なぜ差別があるのか。
なぜ力の社会が求められるのか。
。。。。
これらは生きている中に感じ餅実態から知ることができる。
しかし交流の中でそれを感じ取っているのは自分だけではないと知るし、互いに感じ取るものは違うにしても同じく苦しんでいると共通性を感じる。
そして学習する中でいろいろな「なぜ?」を学ぶことができる。
知は力である。
人は知ることにより確信を得るだろう。確信を得れば、長いものには巻かれろや「どうせ・・・・無駄だよ」といったものは消えうせるだろう。
そして短気にならずに楽天的にその知を生かし続けることができるだろう。一喜一憂することなく心静かにしかし熱く心を維持できる。
知るものはなんだろうか?
知識だけではない。知識を総合してそれを一度抽象化する理論から法則性を学ぶことである。
法則性の中にこの社会がどの方向に動いているか?法則に適応しているか間違っているか?
間違いは必ず挫折を生み矛盾を引き起こす。矛盾は実際の社会では消滅せざるを得ない。
矛盾は新たな社会を生むでしょう。
しかしそれは人の力によってです。法則に適応する人の行動によって矛盾は解決されて新たなより発展した社会をつくるでしょう。資本主義はこれからも発展をします。しかしその資本主義はこれまでの矛盾を背負ったものよりはずっとましなものになっていくでしょう。
無数の読書会を開いて互いに学びあいましょう。
【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2017年】ツイッターつぶやき
まずツイッターから
「総選挙の争点に「残業代ゼロ」法案が浮上!~真の狙いは裁量労働制の拡大にあり」 。。。他の報道では消費再増税も?「仕事人内閣」と自負する内閣が国会討議しないでいきなり選挙で?議会制民主主義の怠慢。国民軽視。
とってつけたような争点で解散する内閣。。。。重みがないし解散権の私的乱用です。そもそも残業代ゼロや消費再増税を国会で議論もせずに国民が中身もよくわからないうちに争点とすることはひどい議会制民主主義の怠慢です。私的都合による解散権の乱用は国民をないがしろにしています。
特に残業代ゼロ法案については何も解散しなくても今までどおり数の力で強行採決ができるでしょうし、消費再増税も同じでしょう。ましてや国会の討議も経ずに総選挙で国民に問うという事は、判断材料を国会討議を経て得られない状況を作り出します。多額の税金も使います。
8月でしたっけ?内閣改造を行って仕事人内閣という実績の作れる内閣だという印象操作を行い支持率を上げ、一度も国会で答弁もしない大臣たちという仕事人ができてしまう。総理大臣と外務大臣だけが言いたいことを言って終わりとなる内閣。1か月と言えども政治の空白が続き更に総選挙で政治の空白が続く。この間は森友問題などの説明責任は果たせなくてよいことに。
ラジオを聞いていたらうまい表現だなぁと思いました。「民進党のオウンゴールで勝つ自民党」
国民を無視した利己的な勝てる間に総選挙というのはあまりにも政策や国民を無視した解散でしょう。
政治家の政治ではなくて政治屋の政治です。
(ツイッターから追記)
残業代ゼロや消費再増税は数の力によって強行されるでしょう。今までのように。しかし安倍総理や内閣に対する不信はさらに強まるでしょう。この時に総選挙の結果としてさらに与党の数が大きくなっていた場合、「数の力」プラス選挙によって「国民の信を得ている」という言い訳が出てしまう。
【2018年】ツイッターつぶやき
ロイターに「黒田日銀総裁 緩和の永続望まず、物価達成後に政策正常化」という記事がありました。
安倍総理も出口に言及しましたが、黒田さんも2%目標をあきらめている中で2%目標達成後に政策の正常化(出口)を言うことは出口に向かうことを示唆しているとみることができます。
しかしはっきりツ出口を言えばアベノミクスの唯一の成果である株価が暴落する危険性が出ます。
一方ではアベノミクスと日銀緩和の副作用が深刻になっている。出口に向かわざるを得ない受精と言えるでしょう。
長期金利がマイナス金利からゼロ金利に動いているようですが、出口ににおいだけは示している。
どうも安倍政権も日銀も身動きができなくなっているのではないか?しかし出口を言わざるを得ないので口先でのソフトランディングを狙っているのか?
【2019年】ツイッターつぶやき
「この日の会合では、実際にかかってきた電話が4例、紹介された。職員に説明の暇を与えないほどしゃべり続ける女性、巻き舌で「日本国民をなめてる」「お前らバカじゃないか」とまくし立てる男性などの声が再生された。
こうした電凸について、検証委は、SNSで断片的あるいは不正確な情報が流され、電凸マニュアルが拡散し、「抗議」が一種の「娯楽(祭り)」に転換することで起きた「ソフト・テロ」と位置づけた。」(引用)
すみません。少し長い引用になってしまいました。
この引用は『「表現の不自由展」何が問題だったのか』という検証委員会のニュースからです。
表現の自由については、昔から性描写について猥褻か表現の自由かで論争がありましたが、難しい問題です。
最近でもヘイトの言動を表現の自由だとする意見が出ました。
一方で今回の表現の不自由展での作品の問題が出ています。
性描写についてはテレビなどではだいぶ規制されましたね。自己規制でしょうか。この自己規制がどこから来たのか?またテレビなどの映像から喫煙シーンが消えました。これも自己規制でしょう。この自己規制は禁煙運動にあるたばこの抹殺からでしょう。
ここで上記した文の「ソフト・テロ」という言葉です。
ヘイトの言動は、表現の自由ではなくてそれ自体がソフト・テロでしょう。これはいまだにテレビなどの報道にも現れる「反日」という言葉もあります。
表現の不自由展への抗議電話はネット上での組織的なものとも思われます。
正義のための抗議という建前でのソフトテロ。。。。。
一つの圧力団体にもなる可能性があります。これは今の禁煙運動にも現れているのかもしれません。
力によって圧力をかけての「正義」。。。。
これはアメリカによるずっと続いている正義の戦争やテロ組織の聖戦がありますが、正義のため自由のためとした非正義と不自由さ。。。。。
今の日本に現れている構図と変わりありません。
ソフト・テロもこの延長線上にあります。
言葉による暴力は、子供の中にはいじめとして、大人の中ではあらゆるハラスメントなどに現れ、現実の物理的暴力は子供への虐待をはじめ最近のあおり運転の増加にも現れています。そしてオレオレ詐欺や千葉県の台風の被害の中での火事場泥棒のような詐欺など様々な犯罪に見る弱い立場の方への犯罪。テロは弱い人が犠牲になる。。。。
【2020年】ツイッターつぶやき
アメリカは超経済大国の遺産が残っている。
ヨーロッパは社会民主主義的なものが遺産として残っている。
日本・・・・・
日本は本格的に壊れかけているのかもしれない。
圧倒的な多数による自民党政治が自壊している。
数の力で安定した政治が実は内部で自壊をしている。
【2021年】ツイッターつぶやき
政府はワクチン接種化検査を行った証明があれば行動制限を解除または緩和することを検討しています。
しかしこの行動制限の解除や緩和は仕事を続けるためにも生活を楽しむうえでも様々な生活に必要なところであるようです。政府はワクチン接種を全国民の広げることを目的にもしているのでしょうが、結果ワクチン接種を強制させることにもつながりワクチンは任意であるというものを蔑ろにしてしまいます。また検査にしても多分自費となるでしょう。またワクチン検査証明をアプリなどでマイナンバーとくっつけるというものが見え隠れしています。
またワクチンの効果にしてもすでに2回の接種では感染拡大を防げないということから3回目の接種をはじめようとしています。すでにワクチン効果は感染しないさせないということでは効果が薄くなっていることがわかりはじめています。ただ重症化はしないという面だけが強調されはじめ、重症化しなければ医療の逼迫が起きないから良いとします。しかし中等症などは自宅療養として入院をさせないようにしているだけで自宅療養で亡くなったり苦しんだり家庭内感染が広がる野ですから本来は入院をさせる必要があるにもかかわらず今後も医療逼迫を抑えるために自宅療養が原則と考えているのでしょう。
このような状態で経済の好転を考えることはコロナ対策としては非常に危険なものになるでしょう。すでにイギリスやイスラエルでは再び感染の広がりが出ています。
ワクチン検査証明を得るために3回目4回目の接種というようにワクチン付けになるか高い費用を支出しながらその場しのぎの検査を続けるしかなくなりますね。
【2022年】ツイッターつぶやき
バイデン大統領が、パンデミックは「終わり」と発言して波紋が広がっているようです。
先進国を中心にウィズコロナといわれ、実は放置コロナ策が広がっています。日本でもあらゆる規制を解除して全数検査も行わいとしています。放置コロナ策は、ワクチン接種が前提となっています。
すでにワクチン接種期間を3カ月とする動きが出ています。
年に4回の接種で放置コロナは支えられるということです。ワクチン漬けで死ななければ感染はどうであろうと経済を回すということです。言い換えれば風邪と同じで少しぐらいの症状では仕事は休まないだろという論理で社会がまわっていくということです。
今後検査もおろそかになるでしょうから、変異株もそうは問題化されないでしょう。
強毒性のウイルスが出るかどうかはわかりませんが、出た場合はその対処に相当な遅れが出るでしょう。そのたびに違うワクチンが摂取されていく。
人間の体の方がワクチンでおかしくなりますね。
パンデミックは「終わった」というのは、コロナウィルスに勝ったということではなくて、放置コロナでパンデミックという位置づけは行いませんということでしょう。
【2023年】ツイッターつぶやき
アメリカはトランプさんが大統領となりその後民主党のバイデンさんとなったが、この共和党と民主党の対立が今の先進国内の内部矛盾としてわかりやすいのかもしれない。トランプさん指示には白人至上主義のような人々がいる。しかしその内部矛盾は経済にあり、1%と99%とという形で貧富の格差が問題となりその不平不満からポピュリズムとしてトランプさん指示が強くなったのでしょう。
このような現象が先進国内の内政においておきているようです。そしてNATO加盟を決めた東欧諸国にも。
極右政党といわれる政党が国を動かすほどに力をつけている。
しかし極右政党だけではなく左派的な政党も危なくなっている。ドイツの外相が中国習さんを独裁者と呼び捨てしたらしいが、この外相は緑の党だそうで、環境などをうったえてきて大きな死闘になったはずですが、どうもナチス的なポピュリズムの考えが入っていたようです。電気自動車も原発ゼロも苦しくなったドイツの内政矛盾が現れ始めているのかもしれません。
その他の国も移民運動について反動的になっています。
いたりは極右政党の政権ですからすでに動きが出ているようです。
この中での、先進国とロシア中国そして一部途上国も入るとの闘争になっている。
(記事なし)
≪過去の記事≫
【2003年】
(記事なし)
【2004年】
東北旅行
【2005年】
(記事なし)
【2006年】
日曜日の日にちが間違っていたので訂正しました。
昨日から夏に後戻りをしたような暑さでした。夜も熱帯夜。
台風も北海道のほうへ行ってしまいましたからまた平年並みの気温に戻るでしょう。でも、一昨日あたりの肌寒さは10月並でしたが。
熱帯魚はもうやめようかと思います。手もかかるし金もかかるし。。。
昔、金魚を飼っていた時がありましたが、また飼いたくなりました。金魚は長生きしますから楽しいです。熱帯魚も長生きする大型の魚もありますが、高いし素人には手におえません。
昔、「金太郎」という名をつけた金魚がいたのですが、すごく大きくなり、45センチ水槽では間にあわなくなってしまいました。今の水槽は60センチ。少しは大きくなっても飼えるのではと思います。もちろん、今飼っている熱帯魚は大切にします。
【2007年】
床屋に行ってきました。
娘は「お父さん、かっこいい!」とおせいじにも気がついてくれたのですが、我が妻はまったく反応がない。。。ううう(笑)
ごろんと寝っこがり、わハハハ・・・と、テレビを見ている。。。。
【2008年】
(記事なし)
【2009年】
(記事なし)
【2010年】ツイッターつぶやき
電車の中でお二人のお子さんを連れたご家族を見た
女の子は父親似で
男の子は母親に似るというが
こんなに似た親子というのは初めてでした
そんな帰りの電車の中では
まるで姉妹のような
そしてそっくりな母娘を見た
まぁ遺伝子を受け継いだ親子ですから
似ているのは当たり前ですが
ほのぼのとしたものを感じますなぁ
「残念な人々の思考方法」だったかな?
この本が売れているようです(朝日新聞読書ページ)
汗水たらして働くだけではだめなようです。。。。
しかし現実は汗水流して働くだけの人がいるから
世の中は成立しているわけですからなぁ。。。
市場に任せれば・・・・というような新自由主義が流行ったかと思えば
今は政府に地銀日銀の介入が歓迎されている
汗水たらして働くという労働がないがしろにされ
結局個人消費が低くなり経済は混乱をする
汗水たらして働くだけではだめではなくて
汗水たらして働く労働をないがしろにする
社会が変なのではと思う
残念な人が当たり前の世の中にならないと。。。
この本はこれが難しいということを書いたのか?
【2011年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2012年】ツイッターつぶやき
近代日本や世界の歴史の見方はたくさんあるだろうが、一つのこの歴史認識の基礎として資本主義の歴史とある意味のグローバル化という中での植民地主義はともに並行して発展してきたことをまず抑える必要があるだろう。
資本主義の歴史は産業革命後の爆発的な商品生産とそれを支える原材料などの確保そして商品の市場拡大にある。その中において植民地支配は必然的に広がった。
この植民地支配はアメリカに見るように新たな大地での建国という形をとり、労働力不足は奴隷制度という形で補った。
資本主義の歴史は植民地の獲得でもあったという歴史の流れを見るならば、資本主義国には新たなに発展すした後進国がある。この中に明治維新を日本が植民地にならずに済むように成功させた日本もある。この後進国は国力をつけるとともに植民地の獲得競争に入ってくる。ほとんどの植民地が当時の先進国の物に分割が住んでいた時、後進国は植民地の再分割を求める。明治の日本は日清・日露の戦争に進む。
二つの世界大戦はこの植民地の再配分(当然当時の先進国同士も含めて)というものだという認識でよいのではないか。
資本主義はその思想的背景としては封建制の国民支配に対して国民の自由や平等そしてのちに民主主義をその誇りとした。この資本主義の思想を背景とした生産力の高まりは世界を発展させた。そこに植民地支配も旧封建的な思想では国民の支持は得られない。そこで出てくるのが野蛮(未開)国への文明化を掲げるようになる。しかしそれは結局は武力を持って主権を奪うという植民地という矛盾をつくりだす。
後進国は、この欧米の植民地政策を批判した形での日本で言えば欧米からのアジアの解放というスローガンが生まれるが結局は植民地の再配分という形での矛盾を生んだ。
世界史の中で、植民地という資本主義の一時代の歴史は、たしかに世界の国々を資本主義に接する役割を果たしたが民族独立・主権問題をはらみつつ資本主義を広めた。日本が欧米から朝鮮半島や中国を解放すると言った理想は日本による植民地化にあった。
世界中にこの資本主義の発展段階における植民地主義の傷跡が多く存在するのである。
ですからこの植民地主義を賛美することあるいは正当化することは間違いだろう。一つの歴史の役割は終わったのである。植民地主義の傷跡のカサブタをはがすような宗教や文化そして政策などなどは各国々が自国において一掃しなければならない問題である。それは今の朝鮮半島や中国などとの関係にも言えることです。事実戦後の日本はこれを政治的には行ってきたわけですが、まだ文化面や言動の中にカサブタをはがそうとするものがある。同時にそれは常に朝鮮半島や中国などの国々もカサブタをはがした日本批判となる。
植民地主義の歴史を終わらせたものが戦後の国連の役割だったろうし、日本の憲法9条の理想としての平和主義にあった。そして民族独立はソビエトなどによる支援という形も取った。しかしこの植民地解放運動もまた米ソの冷戦下における代理戦争ともなり、植民地支配が終わったにしろ民族独裁などの独裁体制が広がり、それは資本の支配する半独立の状態をつくった。ここでも結局は戦争という形での民族独立闘争があったわけで、これもまた植民地主義の最後の息の根を止める溜めの歴史の中での悲劇である。
今の時代はまた後進国の台頭に時代となった。
中国をはじめロシアや韓国やインドなどなどが資本主義の先進国に迫る勢いを示し始め、同時にこれまでの先進国の経済的な国力あるいは影響力が後退をし始めており、アメリカさえ他国との協調を行い軍事的な世界支配を失おうとしている。そこに中国のある意味昔ならば植民地の再配分といったようなものが現代の形をとって現れる。ここに日本もそうだが先進国の中国への脅威として現れる。
現実主義なアメリカは日本を利用しながら中国との対等な関係においてアメリカの影響力をアジアに示そうとする。
たしかに後進国の台頭は、一つの秩序(先進国の勝手な秩序であるが)を崩そうとするわけですからまた戦争の危険性が大きくなったともいえるでしょう。
しかし歴史は植民地主義に帰ることは許さないでしょう。
アメリカでさえ軍事力で世界を抑えられなくなっていますし、それは植民地主義に帰れないあかしでもあります。それに代わって中国が植民地主義をとれるかと言えばなおさら非現実的な見方となるでしょう。
しかし楽観視もしていられない。それぞれの国が植民地主義の傷跡に残るカサブタを互いにはがし合うような政治対立と国民意識の中に国家主義(ナショナリズム)が現れています。
もう植民地主義や戦争による解決は非難されるべきものとして、前近代的なものとして現在があります。
昨日も書きましたが、今また武力衝突が懸念されますがそこを強調し合うことではなくて平和主義をどう生かすかが課題なのです。
尖閣諸島問題でも日本の国有化がカサブタをはがし、中国の暴徒的なデモがカサブタをはがす。たがいに「死ね」といったような国民の感情の言動が互いにカサブタをはがす。
一方では、中国でも「理性愛国」といったスローガンが出はじめており、日本では一部の国民や政治家を除き冷静な対応が国民の中の多数となっている。
尖閣諸島問題は深刻さを増しますが、これを平和的に解決し、それはアジア全体の利益につなげねばならないという認識は平和主義からしか生まれません。
【2013年】ツイッターつぶやき
理論と実践というと堅苦しくなりますが、人は考えて実行して実行してからまたそれを考えるという繰り返しではないかと思うんです。また、考えて実行しようとしてもこの実効がなかなか事情でできないとかいうこともあります。こういうところで悩みながら個人も人の歴史自体も進んできたのではないでしょうか?
実行自体も一人あるいはごく少数の人数で行っていたらその実行もなかなか進みません。いくら正しくても。考えも同じでいくら正しくてもそれが広がらなければ人々の多数に理解されないでしょう。
理論と実践というのは難しいものなのです。
理論だけで社会は動かない。実践だけではどこに進んでいくかわからない。理論と実践とは切り離すことができない関係にあります。
あることを成し遂げることが必要だ。。。。という時、その成し遂げる中身がはっきりしないでは空想となります。そこには理論が必要で道筋を大雑把にでも見つけなければならない。そしてその理論は広く社会に受け入れられなければならない。その中で多数の人々の実践を産むでしょう。この多数の人々の運動とは何かの事情で動けにくいという人もその事情の範囲において動くことを容認されてその範囲で力になる。そのような力の総力として多数はある。理論は人の心を引き付けると物理的な力になるということです。この実践から理論そのものの正しさが検証されるでしょう。条件や情勢に柔軟な理論と実践ができてきます。しかしそこに「成し遂げること」の目標は見失ってはいけない。山の頂上は見つめながらルートは柔軟に。
社会を発展させてきた歴史というのは、法則的に間違ったものはいくら強力な実行であってもやがて消え失せる。誤った理論は実践の検証においてやはり消え失せる。右往左往しながらばらばらのような人の行動がある一定の方向で進んできたのが歴史でしょう。ほとんどの国が封建制のような国家太子から資本主義になった。やがてこの資本主義は発展していく。張ってとしての資本主義をつくるのがやはり理論と実践ですね。しかしそれは発展した資本主義に見合う民主的なものとなるでしょう。
【2014年】ツイッターつぶやき
株価も上がり今日の終値は16321円だった。しかしこれをドルに換算すると今日は109円まで円が下落しているので149ドルとなる。ここでドルの価値を一定とすると1ドル80円の時としてみると株価は11920円となる。すると安倍政権が誕生したころの為替80円株価1100程度と変わりないということになる。実質的な経済の好転はなかったということになる。この時の株価の差4000円から5000円の差は何か?円の貨幣価値の低下である。ドルから見れば日本の株の価値は同じということになる。
「実際、建値通貨ベースでは、過去1年間の日経平均株価の上昇率は11%と、NYダウの9%をやや上回るが、ドル建てでは前年比横ばいと、全く上昇していない。つまり、過去1年間、日経平均株価が上昇したのは、円の価値が下落したからなのである。」
(ロイター「さらなる円安は日本経済にプラスか」より引用)
アベノミクスを掲げて安倍政権が誕生した時から経済は「期待感」でプラス方向に向かったが、この期待感を除いた実際の実体経済の株価は野田政権時と変わりないのではないか。
しかし貨幣価値から見て経済の置かれている現状に変わりがないとしても、国内的には悪性の物価高は現実にあり、実質賃金の低下も現実であるし個人消費の落ち込みも事実である。そして為替からの貿易赤字とはいえ貿易収支がマイナスとなったこと自体は事実である。
こうして見ると経済そのものは成長もせずにマイナス面ばかりが現実として浮き彫りになったのではないか?
そして「物価が上昇するのはモノの価値が上がるからではなく、通貨の価値が下がっているからだ。」(同ロイター記事より引用)
それに加えて消費増税での価格のへの転嫁が加わるわけだから、経済成長の中からの経済法則としてのインフレではなくて、経済成長もない中での悪性の物価高が進んだだけという見方が正しい。それがデフレからの脱却といわれている。
【2015年】ツイッターつぶやき
人は現実の中から多くを学ぶ。
しかしそれは理論的になったときに大きな力を持つだろう。
なぜ戦争の道を求めるのか。
なぜ貧困があるのか。
なぜ差別があるのか。
なぜ力の社会が求められるのか。
。。。。
これらは生きている中に感じ餅実態から知ることができる。
しかし交流の中でそれを感じ取っているのは自分だけではないと知るし、互いに感じ取るものは違うにしても同じく苦しんでいると共通性を感じる。
そして学習する中でいろいろな「なぜ?」を学ぶことができる。
知は力である。
人は知ることにより確信を得るだろう。確信を得れば、長いものには巻かれろや「どうせ・・・・無駄だよ」といったものは消えうせるだろう。
そして短気にならずに楽天的にその知を生かし続けることができるだろう。一喜一憂することなく心静かにしかし熱く心を維持できる。
知るものはなんだろうか?
知識だけではない。知識を総合してそれを一度抽象化する理論から法則性を学ぶことである。
法則性の中にこの社会がどの方向に動いているか?法則に適応しているか間違っているか?
間違いは必ず挫折を生み矛盾を引き起こす。矛盾は実際の社会では消滅せざるを得ない。
矛盾は新たな社会を生むでしょう。
しかしそれは人の力によってです。法則に適応する人の行動によって矛盾は解決されて新たなより発展した社会をつくるでしょう。資本主義はこれからも発展をします。しかしその資本主義はこれまでの矛盾を背負ったものよりはずっとましなものになっていくでしょう。
無数の読書会を開いて互いに学びあいましょう。
【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2017年】ツイッターつぶやき
まずツイッターから
「総選挙の争点に「残業代ゼロ」法案が浮上!~真の狙いは裁量労働制の拡大にあり」 。。。他の報道では消費再増税も?「仕事人内閣」と自負する内閣が国会討議しないでいきなり選挙で?議会制民主主義の怠慢。国民軽視。
とってつけたような争点で解散する内閣。。。。重みがないし解散権の私的乱用です。そもそも残業代ゼロや消費再増税を国会で議論もせずに国民が中身もよくわからないうちに争点とすることはひどい議会制民主主義の怠慢です。私的都合による解散権の乱用は国民をないがしろにしています。
特に残業代ゼロ法案については何も解散しなくても今までどおり数の力で強行採決ができるでしょうし、消費再増税も同じでしょう。ましてや国会の討議も経ずに総選挙で国民に問うという事は、判断材料を国会討議を経て得られない状況を作り出します。多額の税金も使います。
8月でしたっけ?内閣改造を行って仕事人内閣という実績の作れる内閣だという印象操作を行い支持率を上げ、一度も国会で答弁もしない大臣たちという仕事人ができてしまう。総理大臣と外務大臣だけが言いたいことを言って終わりとなる内閣。1か月と言えども政治の空白が続き更に総選挙で政治の空白が続く。この間は森友問題などの説明責任は果たせなくてよいことに。
ラジオを聞いていたらうまい表現だなぁと思いました。「民進党のオウンゴールで勝つ自民党」
国民を無視した利己的な勝てる間に総選挙というのはあまりにも政策や国民を無視した解散でしょう。
政治家の政治ではなくて政治屋の政治です。
(ツイッターから追記)
残業代ゼロや消費再増税は数の力によって強行されるでしょう。今までのように。しかし安倍総理や内閣に対する不信はさらに強まるでしょう。この時に総選挙の結果としてさらに与党の数が大きくなっていた場合、「数の力」プラス選挙によって「国民の信を得ている」という言い訳が出てしまう。
【2018年】ツイッターつぶやき
ロイターに「黒田日銀総裁 緩和の永続望まず、物価達成後に政策正常化」という記事がありました。
安倍総理も出口に言及しましたが、黒田さんも2%目標をあきらめている中で2%目標達成後に政策の正常化(出口)を言うことは出口に向かうことを示唆しているとみることができます。
しかしはっきりツ出口を言えばアベノミクスの唯一の成果である株価が暴落する危険性が出ます。
一方ではアベノミクスと日銀緩和の副作用が深刻になっている。出口に向かわざるを得ない受精と言えるでしょう。
長期金利がマイナス金利からゼロ金利に動いているようですが、出口ににおいだけは示している。
どうも安倍政権も日銀も身動きができなくなっているのではないか?しかし出口を言わざるを得ないので口先でのソフトランディングを狙っているのか?
【2019年】ツイッターつぶやき
「この日の会合では、実際にかかってきた電話が4例、紹介された。職員に説明の暇を与えないほどしゃべり続ける女性、巻き舌で「日本国民をなめてる」「お前らバカじゃないか」とまくし立てる男性などの声が再生された。
こうした電凸について、検証委は、SNSで断片的あるいは不正確な情報が流され、電凸マニュアルが拡散し、「抗議」が一種の「娯楽(祭り)」に転換することで起きた「ソフト・テロ」と位置づけた。」(引用)
すみません。少し長い引用になってしまいました。
この引用は『「表現の不自由展」何が問題だったのか』という検証委員会のニュースからです。
表現の自由については、昔から性描写について猥褻か表現の自由かで論争がありましたが、難しい問題です。
最近でもヘイトの言動を表現の自由だとする意見が出ました。
一方で今回の表現の不自由展での作品の問題が出ています。
性描写についてはテレビなどではだいぶ規制されましたね。自己規制でしょうか。この自己規制がどこから来たのか?またテレビなどの映像から喫煙シーンが消えました。これも自己規制でしょう。この自己規制は禁煙運動にあるたばこの抹殺からでしょう。
ここで上記した文の「ソフト・テロ」という言葉です。
ヘイトの言動は、表現の自由ではなくてそれ自体がソフト・テロでしょう。これはいまだにテレビなどの報道にも現れる「反日」という言葉もあります。
表現の不自由展への抗議電話はネット上での組織的なものとも思われます。
正義のための抗議という建前でのソフトテロ。。。。。
一つの圧力団体にもなる可能性があります。これは今の禁煙運動にも現れているのかもしれません。
力によって圧力をかけての「正義」。。。。
これはアメリカによるずっと続いている正義の戦争やテロ組織の聖戦がありますが、正義のため自由のためとした非正義と不自由さ。。。。。
今の日本に現れている構図と変わりありません。
ソフト・テロもこの延長線上にあります。
言葉による暴力は、子供の中にはいじめとして、大人の中ではあらゆるハラスメントなどに現れ、現実の物理的暴力は子供への虐待をはじめ最近のあおり運転の増加にも現れています。そしてオレオレ詐欺や千葉県の台風の被害の中での火事場泥棒のような詐欺など様々な犯罪に見る弱い立場の方への犯罪。テロは弱い人が犠牲になる。。。。
【2020年】ツイッターつぶやき
アメリカは超経済大国の遺産が残っている。
ヨーロッパは社会民主主義的なものが遺産として残っている。
日本・・・・・
日本は本格的に壊れかけているのかもしれない。
圧倒的な多数による自民党政治が自壊している。
数の力で安定した政治が実は内部で自壊をしている。
【2021年】ツイッターつぶやき
政府はワクチン接種化検査を行った証明があれば行動制限を解除または緩和することを検討しています。
しかしこの行動制限の解除や緩和は仕事を続けるためにも生活を楽しむうえでも様々な生活に必要なところであるようです。政府はワクチン接種を全国民の広げることを目的にもしているのでしょうが、結果ワクチン接種を強制させることにもつながりワクチンは任意であるというものを蔑ろにしてしまいます。また検査にしても多分自費となるでしょう。またワクチン検査証明をアプリなどでマイナンバーとくっつけるというものが見え隠れしています。
またワクチンの効果にしてもすでに2回の接種では感染拡大を防げないということから3回目の接種をはじめようとしています。すでにワクチン効果は感染しないさせないということでは効果が薄くなっていることがわかりはじめています。ただ重症化はしないという面だけが強調されはじめ、重症化しなければ医療の逼迫が起きないから良いとします。しかし中等症などは自宅療養として入院をさせないようにしているだけで自宅療養で亡くなったり苦しんだり家庭内感染が広がる野ですから本来は入院をさせる必要があるにもかかわらず今後も医療逼迫を抑えるために自宅療養が原則と考えているのでしょう。
このような状態で経済の好転を考えることはコロナ対策としては非常に危険なものになるでしょう。すでにイギリスやイスラエルでは再び感染の広がりが出ています。
ワクチン検査証明を得るために3回目4回目の接種というようにワクチン付けになるか高い費用を支出しながらその場しのぎの検査を続けるしかなくなりますね。
【2022年】ツイッターつぶやき
バイデン大統領が、パンデミックは「終わり」と発言して波紋が広がっているようです。
先進国を中心にウィズコロナといわれ、実は放置コロナ策が広がっています。日本でもあらゆる規制を解除して全数検査も行わいとしています。放置コロナ策は、ワクチン接種が前提となっています。
すでにワクチン接種期間を3カ月とする動きが出ています。
年に4回の接種で放置コロナは支えられるということです。ワクチン漬けで死ななければ感染はどうであろうと経済を回すということです。言い換えれば風邪と同じで少しぐらいの症状では仕事は休まないだろという論理で社会がまわっていくということです。
今後検査もおろそかになるでしょうから、変異株もそうは問題化されないでしょう。
強毒性のウイルスが出るかどうかはわかりませんが、出た場合はその対処に相当な遅れが出るでしょう。そのたびに違うワクチンが摂取されていく。
人間の体の方がワクチンでおかしくなりますね。
パンデミックは「終わった」というのは、コロナウィルスに勝ったということではなくて、放置コロナでパンデミックという位置づけは行いませんということでしょう。
【2023年】ツイッターつぶやき
アメリカはトランプさんが大統領となりその後民主党のバイデンさんとなったが、この共和党と民主党の対立が今の先進国内の内部矛盾としてわかりやすいのかもしれない。トランプさん指示には白人至上主義のような人々がいる。しかしその内部矛盾は経済にあり、1%と99%とという形で貧富の格差が問題となりその不平不満からポピュリズムとしてトランプさん指示が強くなったのでしょう。
このような現象が先進国内の内政においておきているようです。そしてNATO加盟を決めた東欧諸国にも。
極右政党といわれる政党が国を動かすほどに力をつけている。
しかし極右政党だけではなく左派的な政党も危なくなっている。ドイツの外相が中国習さんを独裁者と呼び捨てしたらしいが、この外相は緑の党だそうで、環境などをうったえてきて大きな死闘になったはずですが、どうもナチス的なポピュリズムの考えが入っていたようです。電気自動車も原発ゼロも苦しくなったドイツの内政矛盾が現れ始めているのかもしれません。
その他の国も移民運動について反動的になっています。
いたりは極右政党の政権ですからすでに動きが出ているようです。
この中での、先進国とロシア中国そして一部途上国も入るとの闘争になっている。