夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「9月20日という日」

2024年09月20日 12時40分24秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
新しいパソコンを購入しセットアップをしていました。
いつもながらセットアップは苦手でして悪戦苦闘の日々でした。
そんなわけで日記も久しぶりです。
また続けて生きたいと思いますのでよろしくお願いします。
台風が近づいています。

【2004年】
東北に旅行に行ってきました。
紅葉にはまだ早く、残暑にしては遅い中途半端な時期ですが、それもまたよいもので道路も観光地もすいていました。
五色沼は雨で見ることができず、仕方なく山寺立石寺に行きました。だいぶ距離がありましたが楽しいドライブでした。しかし磐梯スカイライン?だったか、だいぶ霧が出てスリルがありました。風景どころではなかったです。
立石寺は、初めてでした。
東北には何度か旅行しているのですが、何だかいつも見る機会を逸していたので行ってみました。有名な舞台は山の上にありました。往復1時間をかけて石段を登りました。ながめは最高でした。
山道を車で走っていると栗の実がたくさん落ちていました。山栗は今が旬なようでした。宿ではキノコ汁も出ました。初秋の匂いのする東北でしたよ。
この日記も23日の秋分から秋になります。

【2005年】
6者協議がひとまずは合意されよかったです。
北朝鮮が核兵器の開発を断念し、アメリカ・ロシア・中国が極東においての核兵器使用を行わないこと、韓国も核兵器開発を行わないこと、アメリカは日本への核兵器を持ち込まないことと、日本がアメリカの核兵器の持込を許さないことを明確にすること。
このような中身に発展していけばと思います。
しかし、イスラエルとパレスチナの中にも平和交渉は進展しつつも直後に関係が悪化した経緯もありますし予断は許しません。
日本が二度と核の攻撃を受けないことと、現在ではそれは極東全体のものでもあると思います。
現在は、脱原発の動きがヨーロッパにありますが、日本も過去からの政策によって原発に頼らざるを得ない実態にあります。これは北朝鮮も同じでしょう。技術的な原発管理に差はあると思いますが、日本人は自国の原発にも危機を感じています。極東という狭い範囲を見れば、風向きによってはどこの国の原発の深刻的な事故の影響は避けれない状況です。
核というものは、誰がそれを使うか、誰がその被害を受けるかなんて単純なものではなくて人類そのものが滅びるということです。
「黄泉がえり」をテレビで見ています。
映画をあまり見ない僕ですが劇場でも見ました。
ラストの柴崎コウの歌が印象的でした。
しかし最近、柳さんの「雨と夢のあとに」をはじめ、同じような作品が多いですね。あと死を見つめた涙なくして見れない作品とか。。。人を愛することと決定的な別れという死。だからこそ蘇えりをを求める心。その中に人の心の暖かさを求めているのかもしれません。
守銭奴的な社会。。。。力の社会。。。
この中に愛などという心を失う怖さもあるのかもしれません。
僕の「ちんまりと」も同じかな?

【2006年】
強い陽射しでした。
風は秋の風ですけど。。。
14日の日記に飲酒運転について
「 酒を飲んだら乗るな!
これは、都会に住んでいるから気楽にいえるわけで、地方のように交通手段が赤字だからと削減されたり本数が少なくて車無しでは生活できない所ではね。。。」
と書いたが、都会のほうでも同じだという見方もあるようだ。
でも、毎日通勤地獄という電車に乗って通勤しているサラリーマンは、終電を気にしながら飲んでいるわけで、都会の中での飲酒運転とは無縁ではないか?むしろベッドタウンといわれる自宅に帰ったときに、駅から遠くて車を使っているというような例があるのでは?それは地方のほうなのである。
車や酒自体はいいのだが、それが結びつくと飲酒運転になって悪いということもいわれているが、便利さやコミュニケーション、ストレス解消には良いという面はあるが、車や酒自体すべて良いというには矛盾がある。交通事故や酒による健康破壊や精神は会を考えればそうは良いものとはいえない。タバコをやめろというものは、それを生産している企業が限られているから気楽にいうだけで、車や酒をやめろとはあまりにも巨大な企業が絡むのでいえないだろう。
どうも安倍政権ができそうです。
美しい国日本かぁ。。。どう見たらよいのか。。。

「ものを作るということ」 銀色 夏生・木﨑賢治  著
おしゃべり本第4弾
夏生さんと音楽プロデゥーサー「キーちゃん」こと木﨑賢治とのおしゃべりをまとめた本です。
夏生さんと「キーちゃん」とのお付き合いは長いらしく、夏生さんが大学を卒業した後の22歳からのお付き合いとか。。。(6頁「前書き」)
夏生さんの日記エッセイ「つれづれノート」によると、ノートに100曲ぐらいの作詞をした詞を持って音楽関連の会社に持っていったら、すぐに採用されたそう(正確な引用からではありません)ですが、その中に「キーちゃん」もいらしたのだと思います。僕は、作詞家時代の夏生さんとなるとまるで記憶がないのですが、「作詞 銀色夏生」の曲は、80年代の多くのアイドルたちにも歌われたようです。その頃の思い出が「つれづれノート①」45ページには、たくさんのアイドルたちや「キーちゃん」そしてこの「ものを。。。」にも登場する「小林くん」もイラストとして描かれています。
「うん。待ち合わせには遅れるけどね(笑)」(キーちゃんへの夏生さんの言葉)(212頁)
初期の作品「黄昏国」104ページには、「あたろうの悲しみ」という作品があり、「キーちゃん」が待ち合わせていたのに来ないから「あたろうちゃんはもうきーちゃんはきらいでした」という文がありますが、こんなお二人の中のエピソードも想像することもできます。
ファンとして「つれづれノート」や詩集を読み続けていると、「ものを作るということ」という作品全体からこのようなお二人の古い「仲間」そして友人という関係の雰囲気が流れています。
また、最後のページには夏生さんのイラストがあるのですが、そこに「竹林の七賢○」(最後の1文字は判読できません。たぶん「国」または「図」と誤って書いて消したもので、「人」だと思います)という言葉があり、これは「無辺世界」146ページの「竹林のナピスコ」のお話にあるものと同じものを感じます。
「つれづれノート」も14巻で終わり、これからの夏生さんがどのような作品を書くのかに興味がありましたが、「メール交換」そして9月の「うらない」を含めた「おしゃべり本」4冊が出され、ひとつの区切りが見えます。それが「つれづれノート」以前の夏生さんに戻るものなのかどうか?この点もファンとしてはいろいろと考えさせられる作品でした。
132ページから133ページに、「おしゃべり本」シリーズの話しになり、夏生さんが昔のお話しをしたかもということに対して「キーちゃん」が「集大成だから」と言います。読者も同じものを感じるのではないでしょうか。また、これは深読みしすぎかもしれませんが、子供のことを話すことへの嫌悪感や本職からはなれて本を出版することについての「キーちゃん」「小林くん」夏生さんのお話もありますが、作詞家から詩人へと変わっていき、「つれづれノート」を出版するという夏生さんへのちくりとした言葉も感じます。ここにも昔の「仲間」としての雰囲気を感じます。
僕もどこかでおしゃべり本シリーズは「つれづれノート番外編」あるいは「つれづれノート別冊」というような印象を書きましたが、一つの区切りを感じますね。。。。
最後の「うらない」の中で夏生さんは人生をどのようにお話しをするんでしょか?楽しみです。
「前書き」に夏生さんの写真があります。
夏生さんの写真は多くは見ることができませんが、このような表情の夏生さんは見たことがありません。「つれづれノート」での結婚生活あるいは家庭生活の中での心の動きという世界や、詩集の世界にある恋を中心にした内面的な心の動きでの夏生さんとも違う。やはり初期の河出書房新社時代の夏生さんというものを感じます。言い方を変えれば、「つれづれノート」の世界や恋の世界というのは、ある意味ご自身の生き方の具体的な表れであり、この具体的な表れの根底にあるのが、夏生さんの人生観や価値観にあるわけで、そんな内面を見ることができるのが河出書房新社の「黄昏国」であり「無辺世界」ではないかと思います。そして今回の「ものを作るということ」のおしゃべりの中にも表れていると思います。もちろん「メール交換」から前作の「女っておもしろい」や「タトゥーへの旅」も夏生さんの人生観や価値観がでているのですが、今回の作品は、「さすが心の友キ-ちゃん」と思われるように夏生さんとのからみが良い。
お二人の中に、初めの部分には「タトゥーへの旅」での「エイジくん」が少し加わり、後半ではやはり昔の仲間である「小林くん」が加わってお話が弾みます。
本の題名が「ものを作るということ」ですから、仕事の話からお話しも広がりますが、116ページには大リーガーのイチロウを評して「孤高の人」という言葉があります。また、111ページには「自分流」という言葉が出てきます。そして、どこのページか探せないのですが、夏生さんが娘さんになぜ勉強をするのかをいうときに「勉強することによって自由が広がる」というようなことをいいます。「孤高の人」「自分流」「自由」。。。
これらの言葉にお二人のお話が集約できるのではと思います
作家そして音楽プロデゥーサーという「もの」を作る仕事。やはり業界というものがあると思うのですが、その業界の中での自分流を語ります。それは時には孤高の人にもなるし、それを恐れない中に自由がある。夏生さんの様々な作品を読むとこの生き方をしていることがわかりますが、「キーちゃん」にも同じ人生観・価値観があるようです。
作家や音楽プロデゥーサーという仕事自体、自分の感性やこだわりを生かせる仕事であるというのもあると思いますが、それは様々な美的な職業や職人という職業にもそしてスポーツ選手にも通じるものがあります。お話は進みます。
夏生さんご自身、本の出版ではすべてをご自身でプロデゥースし、作り上げていくということをしているわけですし、それで生きてきたわけですから、「経験してみなければわからない」という言葉に重みがあります。
しかし、「つれづれノート」出版時から、夏生さんへの嫉妬(自分は夏生さんのようには生きられないというような)や、生き方への疑問もありましたし、「タトゥーへの旅」の前書きにある「私たちの会話に興味のある人は、読んでみてください。」という出版姿勢を感じる言葉などに読者はたじろぐこともあります。言い換えれば、夏生さんの「孤高の人」さ、「自分流」、「自由」の前にたじろぐわけです。
そして心の中の片すみに「こういうタイプの作家はあまり好きではない」と思いつつも夏生さんの作品に心がひきつけられる自分にまたたじろぐわけです。
「ものを作るということ」においても、サラリーマン批判的なものを感じますが、「じゃ、サラリーマンはどうすれればいの?」というような置いてきぼりにされたようなものを感じます。独立すればいいといっても、サラリーマン(人に使われて給料を受け取るという意味)がいないと社会は成り立ちませんよということも含めて、今の社会では存在せざるを得ないものです。そしてそのサラリーマンの妻や家族も。。。
「孤高の人」「自分流」「自由」。。。これは、夏生さんの職業は別にして、「つれづれノート」においては一般女性のひとりとしての夏生さんの姿を見ることができて、その日常の中においての様々な庶民的なものの中に「孤高の人」「自分流」「自由」があったわけです。ファン層の厚さはここにあったはずです。この中ならば、みすぼらしくもサラリーマンはサラリーマンの、そしてその妻や家族の「孤高の人」「自分流」「自由」が活かせたわけです。
ものを作るということという仕事を通した人生観や価値観を表現したのが今回の作品ですから、その作品の性格上あのようなお話の中身になっていったのでしょうし、この中に読者はドキッとする言葉をたくさん読めました。でも、最後に学校を作るというお話になり、読んでいると自由人のサロン的なものになりそうです。なんとなく夏生さんが雲の上に行ってしまうのかという不安を感じます。
次の作品は、「学校ができました」でしょうか?(笑)
「つれづれノート」再開は無理にしても、ぐっと庶民が心をつかまされるようの作品を期待したいです。
これは夏生さんの変化なのでしょう。
お子さんたちも成長しましたし、年齢も四捨五入すれば50歳。
でも、50歳なりの「つれづれノート」もあるはず。。。
そんな変化する夏生さんをこれからも見つめたい。

【2007年】
今朝のテレビで、この時期の平均気温は25,6度だそうで、それに比べると10度前後は気温が高いそうです。今日も東京は真夏日でした。
だいぶ前から少しおかしかったのですが、ここ2,3日まるで電話の話し声が聞こえなくなってしまいました。あ、いや。。。。僕の耳の話ではなくて電話機の話です。相手にはこちらの話し声は聞こえているのですが、相手の声がまったくでなくなってしまいました。
この電話機。。。。もう10年以上前に妻が友人のいらなくなったものをもらってきたものですから、(そういえば、この前も空気清浄機をもらってきたっけ。。)もう壊れても仕方ないのですが。。。
おもいきって買ってきました。
ところが電気店に行って気がついた。財布の中に金を入れ忘れてきて14000円しかない。安いのはないかなと見渡したらありました。13800円しかも税込み。レジまでいって他の費用もありかねが足りないと恥ずかしいので、何度もしつこく係りの店員さんに
「これ、税込みで13800円で帰るんですよね!?」と。。。
あとで考えたらそうとう恥ずかしい質問であった。しかし金がないのだから仕方ない(笑)
でも、何か買いに行くときは、あまり金を持たずに行くのが一番よいのかもと思いました。どうも僕はせっかく買うのだから少し良いものをと思いついた買い物を買ってしまうクセがある。金がないなら変えないし、ぎりぎり最小必要限の物で間に合わせる。
200円のお釣りを財布に入れてとぼとぼ帰ってきました。。。
外食でした。。。外食の後に電気店に行ってよかった。。。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
先日、立山連峰を1週するように旅行してきました。
宇奈月温泉、富山、八尾、五箇山、平湯温泉、上高地、安曇野
あいにくの小雨で立山連峰も雨に霞む風景でしたがそれはそれなりに雲のかかる山々は美しいものでした。
いろいろと思い出に残る風景はたくさんあったのですが、一番印象に残ったのが八尾の町でした。そして越中おわら節。
城下町というのか、宿場町というのか、八尾の町は古い町並みが残っていました。たしか道百選というものに指定されていたと思います。
以前にも古い町並みというのはいくつかいったことがあるのです。関東にも小江戸川越とか土塀の町栃木とかありますが、どこも古い家や店がお土産やさんになっていたりしている町が多かったです。八尾は生活がそのままに残る古い町並みという感じを受けました。観光開発や町おこしがされないままの古い町並みというのは貴重なのかもしれません。時間がなくてゆっくりと探索できなかったのですが、最低でも半日ぐらいかけて歩くと楽しい町ではないかと思います。目に焼きつく町並みの風景でした。
おわら節の会館にも立ち寄ったのですが、「風の盆」という言葉にぐっと来ました。二百十日の風の中にゆったりとしたおわら節と踊りが。。。ビデオを見たのですが、美しい町並みの中に流れる三味線と胡弓の音、そしてゆったりとした踊り。。。9月1日から3日間踊られるそうですが近いうちに必ず行って見たいと思います。ビデオを見てから本物の踊りを見てきたいと思っていたら!!なんと宇奈月温泉で見ることができたのです。雨のために街中ではなくて会館の中でしたがおわら節を保存している方々のおとりがありました。もちろん三味線や胡弓、歌も生でした。この時期1週間だけ行われるイベントだったらしく運が良かったです。
数年前に郡上八幡の郡上踊りのときに行ったのですが、東京にはない風情ある祭りでした。この郡上踊りにも劣らないおわら節ではないかな。。。。。町が観光地化されていない分いいかもしれません。
もう少し観光開発をすれば郡上八幡にも負けないと思うのですが。。。。でも、今のままの方がいいのかもしれません。観光地化されないうちに一度立ち寄っていたほうがいいと思います。

【2011年】ツイッターつぶやき
先日書いたものにコメントをいただきそれへのお返事を書きましたが、その中で市場価値という面で放射能に汚染された農作物について書きました。
政府は農作物や牛肉などについて基準値(500ベクレル)より下回ったとして市場に出すことをつるします。しかし市場を通したその農作物は消費者に向き合います。消費者は基準値もあります(この基準値すら疑心暗鬼)が基準値以下でもなるべく汚染が少ないものを選ぼうとします。この現象を風評被害という言葉でかたずけるのですが、よく考えれば放射能に多く汚染された農作物は、市場に出したときにその市場での価値を下げているわけです。ですから正確には風評被害ではなくて汚染がひどい地域(基準値以上の農作物が出た場合とか)の農作物は市場での価値を下げられているといった方が正確ではないでしょうか。
では、この汚染された農作物はなぜ市場価値が下がって消費者に届きにくくなるのかを見たときにその答えははっきりしているわけです。
消費者が悪いわけではない。消費者が買わないことやその産地を応援しないからということでもない。
今までも一度問題を起こした商品が売れなくなりその後もその企業の信用が落ちたことがあります。また産地偽造や不正な商品への風当たりからのものもありました。この中でその商品が売れなくなったからと言って消費者を批判するような風評被害で済ませたのでしょうか?そうではないと思います。もちろん今回は汚染された農作物を出荷した農家の責任というわけではありません。しかしその商品が売れないということはまた風評被害ではないのです。
商品は市場に出されます。その時に汚染状態はほとんど消費者の元には届かない。この中に判断があいまいになることが起こります。このあいまいさから風評被害といわれることもあるかもしれません。しかし知らされないのもまた消費者の責任ではない。知らない中に自己判断や情報を集めて判断をする。これはやはり市場に出ている、たとえばレタスならなるべく福島原発から遠いものという素人判断も出て並んだレタスの産地は選ばれるでしょう。これもやはり市場価値ということになります。
学校での給食や外食の時の食材などにも敏感になります。国や事業者が検査しないなら手作り弁当をともなります。いろいろな食品を扱う会社にも目が向いていきます。少しでも産地を明らかにした食材を使っている事業者や独自検査をする事業者に手は伸びる現象は出ているでしょう。これもまた市場における競争として出てくるはずです。
このような市場に任せることは決してよいことではありませんが、市場においての消費者の疑心暗鬼というものを排除するには国や東電の責任が明らかになり市場価値を下げられた商品の買取などをするしかないはずです。

【2012年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2013年】ツイッターつぶやき
安倍総理が「政労使協議」において賃上げや雇用の拡大を要請したらしい。
「経済はデフレ脱却の方向に向かっている。この動きを企業収益、賃金、雇用の拡大を伴う好循環につなげられるかどうかが勝負どころだ」 (上記リンクページより引用)というこの要請自体には一定の評価をしたい。
今年2月にも安倍総理は財界に対して賃上げの要請をしたことがあったが、財界はボーナスで反映をしたいと答えたが、ボーナスは持続的な賃上げとは異なるし反映されたのは一部の輸出産業などであった。結局はそのボーナスに反映というものでは景気の拡大に向けての消費は伸びなかったことが証明をされてさらに今回も要請をしたということだろう。
上に「一定の評価をしたい」と書きましたが、この評価は景気の循環のためには賃上げや雇用の拡大が必要だという認識事態であり、具体的な政策上のものは今回もまた何もないという要請だけであり、本気で賃上げや雇用の拡大を考えているかとなるとただサラリーマンにまた期待を持たせるだけのリップサービス的な物であろうと思われる。
上のリンクページの記事だけを読めば安倍総理は賃上げや雇用拡大のために企業減税を行うといったとらえ方ができるが、現実には設備投資減税や復興財源による企業減税の中止を先送りでやめるといった減税が先走っており、このような企業減税にさらに減税といったものではないでしょう。ですから米倉会長も『政府が検討中の法人税減税で「官に取られるより企業に残る部分が多くなるので、賃金は増えると思う」』(リンクページより引用)というようにあやふやな答えであり、賃上げの具体性は見えない。もちろん一定の賃上げはあったとしてもやはり輸出産業や銀行・証券などの一部にとどまるでしょう。
賃上げは広く行わなければ景気回復もないし、雇用拡大は今の正社員を減らす中での不安定雇用拡大では景気回復はないでしょう。
やはり以前からこのブログに書いてきたように「賃金消費税」ともいうべき消費税を導入しなくてはならないのではないでしょうか?賃上げがはじまる景気回復まの限定的なものでもいいですから。賃金額に5%程度(消費増税をやらないならこの程度)の消費税(労働力を買ったときにかかる消費税)を導入をして3%程度を労働者の益税にする。あとの2%は経営の苦しい小零細企業などへの賃金消費税の一部還付や年金や生活保護費などに回す。この中で消費の拡大のきっかけをつくる。
また不安定雇用が拡大していますし、その賃金の引き上げも含めて最低賃金の大幅な引き上げが必要でしょう。正社員の賃金額を参考にした時間給の適正化が必要です。それには時間給は1000円から1500円程度に最低限上げるべきです。この中で正社員と不安定雇用の格差を改善すべきで、企業の賃下げ競争もやりにくくなるでしょう。雇用拡大はやはり法定労働時間の短縮です。
このような政策は企業負担の増加になりますが、今のデフレ下においては消費の拡大を通じて企業利益や税に反映されるでしょう。株や金融商品に企業資金を回すよりも明らかに企業利益のためになる投資ではないでしょうか。
ただ要請をすれば財界が「はい、そうですか」とはならないことは明らかです。

【2014年】ツイッターつぶやき
ある商品は価値を持つ。
その価値とはその商品がどのように役立つかといったような使用価値ではなくて、洋服と靴ならその使用価値が違っても共通する価値があるから交換をされる。分業が進んでいるのですからこの洋服と靴は交換をされねばならない。しかしこの交換は使用価値だけの比較では交換はできないのですら何かしらの基本的な基準がなければ交換はできない。その基本的な基準ともいえるのが価値である。この価値はどのくらいの労働力の支出があったか(あるいは一日に洋服なら何着、靴なら何族といった労働時間)で決まる。1日に同じ労働時間で洋服なら1着、靴なら2足作れるとすれば、これを1対1で交換はしないでしょう。洋服1着と靴2足でなければ交換はできない。そうすると洋服は靴の2倍の価値があるということになる。ですから価値とは、洋服を作る労働と靴を作る労働ではその労働のやり方は違うともいえますからここで共通するのは具体的な労働の形態ではなくてどのくらいの労働力を支出したかで決まることになる。
どのくらいの労働力の支出をしたかで決まるその商品の価値は、物々交換のままでは市場は発展しない。洋服がほしいと靴屋が2足靴を持って行っても洋服屋は靴も1足あればいいとなれば、ならば洋服半分を渡すわけにはいかない。そこで貨幣が生まれるわけである。洋服1着の価値が1万円としてその価値が表現されて靴は5千円と表現される。ここで靴屋は洋服屋が2足もいらないというのだから靴2足渡すのではなくて1足分の5千円を渡せばいいわけである。
ここでは貨幣量は価値を表現するだろう。金貨そのものも金貨を作る労働力の支出の割合でもある。
しかしここでとんでもない経済理論が飛び出すことがある。
貨幣が価値を写すのならば、貨幣量を多くすれば価値が高まるのだと。。。。
洋服を2万円にして靴を1万円にすれば両商品の価値が倍になる。国内の商品量すべてが2倍になれば国が生産する商品の価値が2倍になるではないか!と。経済は成長した!!と。
もちろんこんなバカな話はないわけで、経済など成長もしないで価値自体に変化はなくて貨幣量だけが変化しただけなのである。もちろん金貨の金の含有量も2分の1になってしまった粗悪な金貨を用いねばならない。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
gooお題「シルバーウィークはどう過ごす?」
今は働かざるを得ないお年寄りが増加しているようです。
その意味では連休もありがたいのかとは思うのですが、よく考えてみると大体お年寄りの仕事は時間給や日給ですよね。すると休めばカネにならない。休日に忙しければ仕事も忙しい。同じ時間給で。
シルバーウィークと言っても敬老精神での1週刊ではないですなぁ。。。。。
仕事をしていなければ。。。。
毎日が日曜日。。。。アハハハ
案外お年寄りの周りの人々や企業が興味ある習慣なのかもしれません。
そういえば住んでいる地域に「敬老」の催し物は見なかった。。。。

どうも、所信演説もしないままに解散するようです。
所信演説をして代表質問などをしていると10月10日の告示が間に合わなくなるそうです。でも所信演説と代表質問があり、もし出せるなら内閣不信任案までも出たら内閣への国民の批判は高まってしまうでしょう。
東京新聞によると憲法改正の条文案を公約せずという記事がありましたが、もしかしたら自民党内でもいろいろな意見がありまとまらないのかもしれません。9条に自衛隊を認めるだけの改正、これまで表面化していた自民党案など。まとめきれないで見切り発車でしょうか。この状態にあるならば、ますます国民は〇✖をつけなさいと言われて中身もわからずじまいという事に。自民党が勝てば改正が急速に進むと思いますが、その時になって国民は知らされて、その後はこれまでの国会運営と同じように数の力の強行採決に。
ということは。。。。。。
今度の選挙は、国民からの不信による苦し紛れの選挙という事になります。こうした選挙方法しか取れずにそうでなければ勝てない自民党そして与党の実態が見えてきますね。
民主主義と平和そして国民生活を取り戻すための選挙になりそうです。

【2018年】ツイッターつぶやき
男の手料理という事ではありませんが、秋もだんだんと深まっていきますが葡萄がたくさん出回っていますね。
最近はシャインマスカットという種なしで皮もそのまま食べられる葡萄が出ています。
たしかに皮も柔らかくてそのまま食べてもおいしい葡萄です。しかし高いですねぇ・・・・・・
高くて買うのはあきらめていたのですが、シャインマスカットと同じに種なしで皮も食べられる葡萄というものを最近二種類程食べました。皮は少し硬いですが美味しい葡萄でした。
以前テレビで見たのですが、バナナやパイナップルも皮ごと食えるものがあるそうです。
フルーツも品種改良でいろいろなものが出るようになっています。

【2019年】ツイッターつぶやき
松葉ボタンも終わりです。
去年の今頃、強い風が吹いたら転がってしまいました。根っこが弱くなって浮き上がってきます。
今年も少し触ったらボソッと抜けてしまいました。
種を持った花が転がって次の年はそこに花を咲かせて増えていくのでしょう。
今年は6月の日照不足により育ちが悪かったのですが、やはり花数も少なくて種もあまりとれませんでした。
来年はうまく育ってくれれば。。。。
そういえば、ポーチュラカの種を少し採りました。
松葉ボタンと同じようなのですが、種取が難しいです。
はじけてしまうのでしょうか?

【2020年】ツイッターつぶやき
お彼岸もあり9月のシルバー連休ですね。
この連休だけではなくて日本は連休の多い国です。それが日本の特殊性かもしれません。
日本の労働者は休暇の消化率が極端に悪い。連休が何の気兼ねもなく休める「休暇」となりますね。ですから連休に一斉に動き出す。込み合った交通機関や高速道路を利用しバカ高い宿泊費を支払って出かけざるを得ない。どこの観光地も人が密集をします。
コロナ騒動の中、この連休は薬ともなりますが同時に反面としては毒ともなります。
連休は多くの企業が休みになります。通勤電車の混雑から逃げられますし、会社がらみの飲み会等からも逃げられます。密が避けられます。その中でコロナ対策として自粛をすれば感染拡大に対して薬となるでしょう。しかし政府はGo Toにより人の移動と密を促してしまった。このことにより連休はコロナ対策としては毒となります。
Go Toにより感染拡大は起きていないという説もありますが、現実の数字としては、東京もせっかく新規感染者が一桁になったにもかかわらず急激に今の感染状況を作ってしまった。その中には緊急事態宣言解除もありました。
この連休では人手が多くなっているというニュースもあり感染拡大のリスクも高まるでしょう。都民も県外に出れるようになりましたが、自主的に感染を抑えるためにどのくらい例年に比べて自粛ができるかこれも注目です。
なにも連休で一斉に休まなくてもいいはずです。
Go Toをやるにしても国の対策として人の移動を分散することが必要になっています。
日常的にも、なにも土日に一斉に休まなくてもいいはずです。役所や銀行などなどが非効率的になっています。
一斉に休んで人の移動が起きればそれを支えるために働く人も密となります。
土日と平日で休みも分散すべきですね。
それにより学校なども休みが分散されますから密も少なくなります。一つの家族がみな月曜日火曜日に休んでもいいはずです。
様々な面で人の分散を考えるべきです。そのうえで三密をさらに効果的にすべきです。

【2021年】ツイッターつぶやき
「女性が倒れた時にAEDの使用をためらわないで」。。。
とはいえ・・・・・
(以下ツイッターから)
今の社会、フェミニズムとか言われているが男女間の信頼関係は崩れている。また女性はアレルギーやたばこの拒否反応も多い。
また男としては性的な誤解を持たれると社会的に命とりです。
躊躇する材料が多すぎます。
そういえば、人工呼吸というものもなくなったようですね。これは感染症予防という面もありますが性的な面での拒否反応もあったと思います
男女間の信頼関係が崩れている社会においては男は憶病になります
AEDを服の下から入れても知識のない女性が見ていて胸を触っていたと言われたらそれで男はアウト
僕は喫煙者です。
今の社会は禁煙運動から嫌煙運動になっています。受動喫煙も三次喫煙まで言われるようになりました。
この中でAEDを使ったらその女性が受動喫煙症になったアレルギーが出たと訴えたら喫煙者はアウトです。診断書を書く医師がいますから。
男女間の信頼関係が崩れ、様々な差別的な過敏が正当化される社会です。
AEDそのものが医療行為にあたるもので特別に使用が許可承認されているのでしょう。これ自体がプレッシャーになります。喫煙者の僕でも講習を受けたことがありますが、タバコへの差別が僕を躊躇させるでしょう。
AEDを使用するとき、周りには男女がたくさんいるはず。でも、結局は男が率先して犠牲にならなくてはならない。どうでしょうか?
AEDの講習を受けた男女比がどのくらいかわかりませんが。。。
これは男から女性を蔑視しているわけではない。
ジェンダーだとか言われるが良い面でも男は動いている

【2022年】ツイッターつぶやき
「スクリューフレーションは2010年ごろに米国のヘッジファンドマネージャーが言い始めたものです。一般的な“良いインフレ”は物価上昇と所得増加の好循環から生み出されますが、スクリューフレーションは、世界的に食料・エネルギーの価格が高騰することで収入以上に生活必需品の価格が上昇するため、生活必需品の支出割合が高い中・低所得者層の生活をより圧迫するインフレのことを言うのです」 (デイリー新潮)
日銀のインフレ目標2%は2.5%と達成されたと言われていますが、それに対してエネルギーや食品などの輸入品の値上がりにより生活必需品の値上がりは10%以上でないかと思われる。経済の好循環は起きていないにもかかわらず生活必需品が値上がりしているのですからスクリューフレーションとなるのでしょう。
しかしこのスクリューフレーションとスタグフレーションの違いはどこにあるのでしょうか?
日銀のインフレ目標2%を上回ったとしてもそれは経済の好循環が起きているからではない。やはり輸入品の値上がりによる悪政の物価上昇でしょう。物価は上がるが経済は縮小する状態にあります。
スクリュウーフレーションは、生活必需品に焦点を合わせた悪性の物価高を現すのでしょう。
「このままだと中・低所得者層のみならず“一億総貧困化”が進むことになります。世界を見回しても、日本ほど長期停滞している国はほかにないので、海外で似た事例はありません」(同上)
円の力が弱くなる中での経済の後退。。。。。
本来ならばインフレの激しいアメリカのドルが価値低下を起こすはずですが(今後はどうかはわかりません)、そのドルに対して円がさらに弱くなるのですから国力は落ちます。為替の関係だけならまだよいのですが、円安を活かせないほどに経済は落ち込む。
中国の元も対ドルに対して弱くなっているようですが、中国はある程度経済の成長を保っている。
この日本と中国の差はどこから来るのでしょうか。
中国は国民所得を上げようとしています。貧困をある程度改善しようとしています。そのための経済政策を持っているのでしょう。しかし日本は益々貧困化を深める政策を行っています。
「日本ほど長期停滞している国はほかにないので、海外で似た事例はありません」うなずけます。。。。。

【2023年】ツイッターつぶやき
風呂上がりに汗が引きませんでしたが、ベランダに出てみたら少し風がありました。
すーッと吹き抜ける風。部屋の中のエアコンの風のように気持ちがよい。
すーッと、汗が引きました。
彼岸の入りかな?
秋らしくなっていくのでしょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする