夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「9月22日という日」

2024年09月22日 08時57分38秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
台風もやっと過ぎ去ろうとしています。朝から雨はやみましたが風は少し強く吹いています。
秋雨前線と重なり、あの台風の過ぎ去った後のさわやかな太陽は見えません。今週いっぱいは変な天気が続くそうです。
秋の準備を急がないと。。。。。。
日記ページも秋モードにします。明日が秋分ですから。夏の分の日記は、日記ページの「2003年秋」のCDイラストをクリックしてください。

【2004年】
老舗的存在であった○○さんの「銀色夏生ファンページ」の掲示板が使えなくなりました。掲示板では夏生さんへの誹謗中傷的に読める書き込みなどもあり、だいぶ喧嘩腰の書き込みがありましたからね。。。。。
作家はもちろん有名人のファンサイトの運営の難しさを感じます。
作家の中でも夏生さんは、日記・エッセイとしての「つれづれノート」があり、赤裸々にご自身の生活の一部をお書きになっていますから生き方も含めいろいろな読み方をされます。しかしいろいろな読み方をするにしても大部分は誤解があります。また、好き嫌いとなるとその方のまったくの個人的なものですし、「嫌いだ!」といわれてもしかたありません。
本来批判的な読み方をされることは認めるものです。
しかしこの批判は、本の感想・評論として出されるべきものです。ですから掲示板での議論も感想・批評でなければなりません。この感想・批判としての文章は、最低限として誹謗中傷的であったり、読むものに不快を感じさせたり、挑発させたりするなどはあってはならないはずです。
しかしそうは言っても「掲示板だから好きなことを書く自由がある」と思い違いをされる方も多くいらっしゃることも確かです。
僕自身としては、自分のサイトを運営する上でこういう方の意見もしっかり読みお返事をしたいと思います。まずは自分からネチケットですね。
インターネットは文化として発展をしなければならない。。。。。このことをいつも感じています。

明日は秋分、この日記も秋となります。

【2005年】
ウオーターボーイズ2が再放送されている。
1作目がおもしろくて中ったからといって2作目もおもしろいとは限らない。1作目の作品の主題からはずれてとんでもない方向に流れてしまうからだろう。
その意味では、長くシリーズ物で続いていた水戸黄門や暴れん坊将軍・遠山の金さんなどはすごいと思う。マンネリといえばマンネリで同じパターンが存在するわけだけど、視聴者が望む主題をそのままに受け継いでいたからだろう。水戸黄門は、石坂浩二の髭のない黄門さんになってからちょっと落ち目だったのかもしれない。それは同じパターンを崩したところにあったのではと思う。
ミステリー番組も視聴者の望む同じパターンで事件が解決される中につい見入ってしまうのだろう。
テレビというのは、同じパターンで何も考えないでみれるところに魅力があるのかもしれないが、というよりも、情報性と話題性が混同されているような気がする。
ニュースやワイドショーで、政治や社会的な事件などを報道されたかと思うと、すぐにヨン様を追っかけるおばさんたちの話題などに変わり、見終わったあとは「あハハハ。。。」状態である。選挙報道にしても、選挙の争点は何かを「フムフム。。。」と見ていても、やっぱり見終わった後の頭の中は女性刺客の顔だけだったりもする。
どうも「情報性」と「話題性」が味噌も糞も一緒にされてぐちゃぐちゃになっているのではないかと思う。

【2006年】
秋の交通安全運動。。。。
あっちこっちに警官が立っていました。地域ごとにテントを張ってじい様たちが交通安全運動。じい様たちが一番危ない。子供が歩いていると子供を保護はいいが、じい様自身が道路に飛び出て来る。
最近、スーパに行って手にとる冷酒は「越乃雪しずく」
新潟の「お福酒造」というメーカーです。ところが「越乃雪しずく」という商品がホームページにない?もっと高級な酒だけの紹介か?または地元だけで売っている酒か?「越乃雪しずく」は大都市に出すだけの銘柄か?個人のブログなどではうまかったと紹介されてはいます。
でもうまいので飲んでいます。辛口でもないし甘口でもなく、ちょうど良い口当たりです。この銘柄にはもう一つ上級の酒があり銀の神で封印があります。値段は倍しますがやはりうまい。寒露という言葉がありますが、ワインのようにまろやか。一度だけ間違って買って飲んだだけですが、一度こちらの上級のほうを飲むといつものほうはなんとなく物足りない。でも、安いほうもうまいから飲んでます。

【2007年】
妻と娘の3にんっドライブに行ってきました。
どこに行こうかと迷ったのですが、もう関東では新米が出始めていますので、去年も行ったお米を売っているところへ行きました。
ありました。。。。新米♪
この店ではお釜で炊いたご飯の定食もありますので食べてきました。
なんかなぁ。。。。おこげは黒くこげていた。
おこげといえな香ばしいこげ茶色だけど。。。。
正直言って米はうまくなかった。
帰宅してさっそく新米を炊きましたが。。。ううう
去年はうまかったのだが。。。。今年は?
炊き方かな?
新米だから水を少なめにしたのですが、少し少なめ過ぎたか?

【2008年】
俳句脳
                       角川oneテーマ21新書
               茂木健一郎・黛まどか 著
茂木健一郎さんは、プロフィールによればNHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」という番組の司会をされている方です。何度か観たことがありますがその語り口のまじめさと話を引き出すうまさを感じる方でした。
黛まどかさんは、俳人です。プロフィールによると「B面の夏」という句集でデビュー?され女性だけの俳句結社「月刊ヘップバーン」を主宰されているようです。
お二方は1962年生まれで40代半ばです。
詩の世界では銀色夏生、小説の世界では吉本バナナ、短歌の世界では俵万智そして俳句の世界では黛まどかかな?俵万智さんも62年生まれですね。銀色夏生さんも60年だったかな。そして80年代後半から90年代はじめに注目をされる。こう見ると女性がその世界においてぱっと世界に現れたという印象を受けますね。そして40代の半ばになったその女性たちがいまや脂がのり地道に。
僕が女性作家たちの小説をはじめとした作品を集中的に読み始めたきっかけが銀色夏生さんと同世代の女性作家を知りたいということからでした。ばななさんは初期の作品を何冊か読みました。こうなると、短歌の世界や俳句の世界での俵万智さんや黛まどかさんの世界にぐっとひきつけられる思いです。その意味において今回読んだ本で黛まどかさんに出合えたのはうれしいし、俳句という僕の興味あるものもあったのでしょうが、これも一人の作家(俳人)との出会いの面白さだと思います。
出会いというものは第一印象といわれますが、銀色夏生さんをはじめて読んだときの「ただものではない」という衝撃やばななさんの初期の作品の深い暗闇のような世界の衝撃が第一印象としてあったと同じように、本書にも掲載されている「B面の夏」の句にはドキッとしまいたし、エッセイとしての面白さやなんというのか対談の中に現れる言葉にムムっとするものがありました。俳句の世界を知ると同時に俳人黛まどかを見ることができるのではないでしょうか?
このようにこの本からは黛さんの個性といったものが読み取れるのですが、それは茂木さんとの対談や茂木さんの「俳句脳」という考え方との相対する形で現れています。茂木さんの「俳句脳」についての俳句論、そしてお二人の対談、最後に黛さんの俳句論という構成になっていますが、この構成自体がうまいと思います。
「俳句脳」とは何か?
茂木さんは脳科学者の立場と俳句の経験から説明を行っています。しかし俳句脳とは?というものをはっきりと「こういうことだ」というものがわかりづらい。脳科学としては俳句は脳内のドーパミンの分泌を盛んにさせるというもの自体はわかりやすいのですが、この説明を詳しくするわけではなくて俳句論的なものから俳句脳は説明されます。
まだ言葉というものを持たない赤ん坊が体に感じるあらゆる刺激を瞬間的に感じて脳が刺激される。脳は「冷たい」という言語化にあるのではなく自分の体という内に対する外の感覚をそのままに受け止めるしかないしそれは自然的な感覚の世界である。赤ん坊は少しづつ言語化するようになる。「冷たい」という言葉を覚えると、次に氷を触れば「冷たい」と脳は意識をする。俳句はこれと同じ事を行っているということだろう。たくさんの言語を持つ脳が一瞬の体や心で感じたものをその感覚を言語化する過程に俳句はある。この一瞬に感じ取れたもの自体を茂木さんは「クオリア」と呼ぶのか?
赤ん坊が外界の刺激を感じ取り後に言語化していく過程は、赤ん坊にとっては生きるすべて出るはずであり生命を維持する積極的なものである。それはそうとう大きな脳の働きがありドーパミンの分泌が激しいこととなる。同じように俳句という形で、今、一瞬感じた体の刺激や心の動き(クオリア)をどう言葉の海から探し出すかという俳句にもそうとう多くのドーパミンの分泌を促す。そしてその一瞬のものの言語化を長い言葉で説明するのではなく、17文字という短い言葉と言葉のつながりで表し、しかも説明的表現はできないので余韻(余白)という形で心に響かせるのである。ここでは一段と言語化は難しいものとさせる。脳は活発に働き出す。これらのことが「俳句脳」なのではないかと思いました。
俳句というのは、一瞬の体や心への刺激を言語という形に表現するものであるが、それを他の人に読ませるには、その言語と言語のつながりでは説明できないから余韻(余白)という形で読者の心には響きます。言語というものを媒体としますが、俳句を詠んだ人の一瞬の心の動きを俳句を読んだ人に伝えるという心と心のつながりなのでしょう。それは余韻(余白)という実体のない心そのもの伝わりなのでしょう。
こういったものは文学あるいは芸術全体にもいえることですが、俳句の特徴は、一瞬のものを17文字という少ない文字で余韻をもって相手の心に響かせるということでしょう。小説で言えば行間を読ませる的なもので、これのない小説は心に響かないでしょう。
この意味において俳句は文学なのです。
茂木さんの「俳句脳」に対して黛さんは「俳句を生きる」といいます。
これは、俳句を主に脳科学者として外から分析をした「俳句脳」という言葉に対する俳人としての俳句の内から俳句とは何かといったものを問い直したときに「俳句を生きる」ということとになるのでしょう。
「俳句脳」「俳句を生きる」。。。共に同じことを語っているのだと思います。しかし、俳人としての俳句論はもっと深いところにあります。もちろん茂木さんも俳句のあらゆる事柄に触れていますが、やはり俳人としての黛さんはそれをわかりやすく書いている。それは同時に黛さんご自身の個性においての俳句である。この個性が出る中にただの解説的な勉強の教科書的な俳句論ではない「黛さんの俳句論」があるわけです。これがこの本が教科書ではなくて面白さとして出るわけです。
とはいっても、俳句とは?俳句の決まりごとなどという基本的なことから外れたものではありません。本書もこの軸を中心に書かれています。その軸をどう解釈するかに黛さんの個性が出るということでしょう。
赤ん坊は痛ければ激しく泣くでしょう。おなかがすけばぐずるでしょう。甘えたければフガフガ言うでしょう。赤ん坊にとっては生命維持の死に物狂いですし、痛いといっても「おなかが痛い」と「おなか」という言語を必要とするでしょう。その過程の中で大人になっていくにつれて言語は豊富になっていきます。生命維持だけから離れた心の動きも豊富になっていきます。では、その心の動きの豊富さとは何でしょうか?
それを黛さんは、「俳句の目を持つ」といいます。
大人は赤ん坊のように死に物狂いに感じ取り伝えようとするものがなくなっていきますから、もしかすると日常の中に通り過ぎている物事を感じ取るものが少なくなります。それは自然の移り変わりに対しても。そして人はその自然というものから切り離せないように生きるしかないのですがそれすら見過ごしてしまい日常を送る。それは現代人特有なものとしても現れます。その中において以前を感じ取る心の動きに豊かさが出るでしょう。しかしただ自然に向き合ってきれいと思うことだけが豊かさではなく、雨といってもその時々の雨には100以上の呼び名があるそうですが、雨というものの姿をより深く言語化できる中に本来の豊かさが芽生える。こういったものが「俳句の目を持つ」ということかもしれません。それは雨という自然の姿に自分の心を映す中の心の動きを捉えることがより豊富さとなるのでしょう。こういう「俳句の目を持つ」中で「俳句を生きる」という心の豊かさが芽生えるのだと思います。
その中に季語というものが重要になるでしょう。
「散る桜」と聞けば、ある共通の心の思いが広がります。その思いに説明は要りません。ただ散る桜でいいわけです。同時にその人により人生の中に思い描く風景があり出来事があるはずです。心の世界はたった一言の季語によって広がり始めます。だから俳句は17文字に落ち着くことができます。もちろんこれは季語だけではなくて多くの言葉の中にもあるでしょう。でも季語はそういう言葉を自然に写すことから必然的です。自然に自身の心を写すことは日本人のDNAのようなもの。
でも、都市においてはこの自然が少なくなり難しくなってしまいました。だから心の安らぎがなくなってしまったのかもしれません。だからこそ「俳句の目を持つ」ことは大切になっているのかもしれません。
こういうことを黛さんのいろいろなお話の中に共通して感じ取れました。この上にたっての俳句の決まりごとと言語化するという俳句の実作があるわけで、その奥の深さと難しさを黛さんは語ります。しかしこの決まりごとから大きく外れないことや季語そのものが持つものがより心の豊かさ「俳句を生きる」をも深めるのでしょう。俳句の伝統と新しい現代人が持つ感覚と言葉。常にこれを黛さんは忘れません。その中に「B面の夏」という句にある言葉たちが現代の俳句となるわけです。
この茂木さんと黛さんの俳句論は、第二章のお二人の対談を受けてそれぞれにお書きになったように見えます。ですからお二人の対談の中身の広がりのあるお話からの俳句論でしょう。
巡礼のお話が出てきました。サンチャゴ巡礼のお話から一神教の巡礼はひたすら目的地(神の許)に向かってひたすら歩くが、多神教の日本の四国巡礼はぐるぐる廻っていく。茂木さんと黛さんの性格でしょうか?茂木さんはどちらかといえば一神教の巡礼のように俳句の目的地にひたすら歩き、黛さんは多神教の巡礼のように時々ブレーキをかけたり横を向くように感じます。このやり取りがまたこの本の面白さでしょう。それは、上にも書きましたが、「俳句を主に脳科学者として外から分析をした「俳句脳」という言葉に対する俳人としての俳句の内から俳句とは何かといったものを問い直したときに「俳句を生きる」ということとになるのでしょう」という内と外の違いかもしれません。
楽しく読める本でした。
ただ気になるのが、あまりにも俳句を高い位置づけにまで祭りたてるようなイメージがぬぐえないことです。確かに俳句は日本人の心であり、俳句をなくすことは日本人の大きな損失であり社会にも大きな影響が出ます。しかし日本人の心は、俳句と同じ位置づけとしても落語にありますし、明治以降の小説にもあります。俳句はひとつの文学であり、何も俳句をやらないからといって日本の心がないというわけではありません。落語に日本人を見ることもできるでしょう。俳句がひつのの文学ならば、その文学に心のよりどころを持つ人々が集まるほかはない。このような謙虚さが見えないと。。。。
同時に俳句が文学なら、自然を通して映されるにしても人間の心が社会的であるということを忘れてはいけないでしょう。これらのことも書かれているのでしょうが、どうも俳句を高い位置づけにする中に読後感としては感じなくなりました。日常の中。。。。それがまた人の社会に生きるということです。これをはっきりさせないと感じ取らないと自然を見てもきれいで終わってしまうでしょう。日常の中に。。。。俳句は全人間的でなければならない。

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
特捜主任検事。。。。身近に聞かない言葉ですが、テレビの刑事ものやサスペンス・弁護士ものでは耳慣れた言葉。
特捜何とか、いろいろな刑事ものの俳優の顔が浮かびます。
検事の犯罪がテレビの中ではなくて実際にあったかもしれないという疑惑が出てしまいました。(まだ逮捕段階ですから・・・・)
僕は検事を非難するだけではいけないと思うのです。
検事も人の子。。。。。。遊んでいるうちに?検事の中にも幼稚性が残る人間がいても不思議ではありません。社会全体に現れている現象で、政治や経済にも現れるときがあります。
問題なのは組織ですね。。。。会社で言えば企業体質。
検察の中には一生懸命にやっている人が圧倒的に多いのですから今の法治国家は守られている。しかし何らかの組織上の破れが出てきて今回の検事のような事件がおきる。
検事への風当たりが強くなりますが、組織の敗れの中にあっても毎日汗水流している検事は誇りを持ち続けていただきたいと思います。
個人的責任や個人的資質に終わらせることなく、組織の破れがないかという視点で解決していかなければなりません。
そこでとりあえずやらなければならないことがあります。
1、死刑制度の廃止
2、裁判委員に警察・検察は、違法な捜査はなかったという誓約書を提出させ、違法な操作があった場合は、裁判委員の責任を軽減するために警察・検察の責任を明確にする。
3、老後は刑務所に入ったほうが孤独死するよりはましといった世の中をまずは解決する。子供手当てを裕福な家庭にもばら撒く個人消費拡大のためなんて何か的が外れています。

パソコン画面に蜘蛛が来た

毎年蜘蛛はやってくるので

ポインタを動かして蜘蛛と遊んでいた

ポインタを追いかけてくるんです

しかし。。。。。。

よく見ると毎年来る蜘蛛と違うような?

毎年来る蜘蛛は茶のような灰色

今年の蜘蛛は黒に白い線が・・・・

なんとなく毒々しい・・・・・・

こうも気候が変わると変な生物が日本に入ってくる

だいぶ前に背赤何とか蜘蛛というのが。。。。

気持ち悪いので退治しました
        (Am9:10)

薬の試食。。。。ううう(笑)

先日の旅行で富山の置き薬の店

廣貫堂というところに行きました

立派な工場と資料館

お勧めですよ

資料館に入るとまずは栄養ドリンク1本を!

買いたい薬があったので係りの方に訊くと。。。。

ううう・・・薬にの試食

「試食ですかぁ・・・?」とにこっと訊くと

係りの人もにこっとして「お試しを。。。。」

「赤球はら薬」と「熊胆円」という整腸剤を買いました

「熊胆円」というのは熊の胆(くまのい)で懐かしい苦さです

昔おふくろの実家で下痢をしたときに

これをなめろとでかい熊の胆を。。。。

富山の置き薬の紙風船。。。。。

懐かしかったです(昔のものとは違いますが)
          (Am10:12)

【2011年】ツイッターつぶやき
2011年原水禁世界大会大会宣言に次のように書かれている。

核の「軍事利用」で被害を受けたヒロシマ・ナガサキ、「商業利用」で放射線被害にあったフクシマという事態は、森瀧市郎さんが提起した「核と人類は共存できない」「人類は生きねばなりません。そのためには『核絶対否定』の道しか残されていない」という原点を改めて明らかにしました。

この『核の「軍事利用」で被害を受けたヒロシマ・ナガサキ、「商業利用」で放射線被害にあったフクシマ』という言葉にある核の「商業利用」という言葉には重さがあります。
僕もそうでしたが原発というと核の「平和利用」という言い方を使ってしまいます。しかしこの核の平和利用といった場合、核の「軍事利用」に対する「平和利用」というようにどこか原発を容認する意味合いが強くこめられるのではないでしょうか?
核の軍事的利用としての原爆は良くないが平和利用としての原発なら良いのではないかという論理に納豆をさせられ、そこに原発は安全であるという安全神話が重なる中に今の日本のような原発大国が生まれてしまったのではないかと思います。
しかし原爆の核も原発の核も人々の命にかかわってくる同じ核の恐怖だということを福島の原発事故に思い知らされたのではないでしょうか?もちろん原爆は多くの人々を即死させる核の作用ですし、原発事故は人々を即死させるものではありません。しかし原発事故での核の作用も将来的な人の命に影響を及ぼす恐れがありますし、事故付近の高濃度汚染は死の町を作ってしまい今までの日常生活を奪った。その他の周辺でも遠く離れた関東でもその核の恐怖と禍は何かしらの影響を農民をはじめとして多くの人々の生活を変えてしまった。この意味ではやはり原爆の核(核の軍事利用)と原発事故での核(核の平和利用)も同じ核の恐怖であることに違いはない。
また、核の軍事利用と核の平和利用がなぜ廃絶をされないかを見たとき、軍事利用は戦争というものがなくならない中にありますが、核の平和利用は「商業利用」であるからこそなくならないのであり、この「商業利用」は経済の流れの中に利益目的として核が存在をすることであり、だからこそ経済戦争の中でその戦争がなくならない限りなくならない。原発を核の「商業利用」としてみた時に初めて観念的な脱原発では原発は廃絶されにくいことが説明されるだろう。
東電をどう生き残らせるか、電力は産業の安定ために、原発の輸出。。。。今のあらゆる矛盾はこの原発の商業的な利潤目的の側面を映し出したものでしょう。

【2012年】ツイッターつぶやき
「国論が二分しているときでも決断しなければならないときがある。その苦しさと重みを痛切に感じた1年間だった。これからも、内外ともに大きな困難のあるなかで、その都度決断をしていかなければならない」」
「目指しているのは子どもの笑顔が広がる国、お父さんお母さんの笑顔が広がる国、おじいちゃんおばあちゃんの笑顔が広がる国、そういう国を皆さんといっしょにつくりたいと思う。」
(野田総理再選挨拶より)
「国論が二分しているときでも決断しなければならない時がある」たしかに「決める政治」は大切ではある。しかし2030年までに原発をゼロにするという結論を一度出しておきながらすぐに建設中の原発は建設を進めると言い、その後はまたすぐに財界の意向でこの原発ゼロを撤回する。このような決める政治が国民のための政治と言えるのだろうか。何も原発ゼロを撤回したというだけではなくて、政治への国民の信頼を失わせたことが国民の一番の不幸ではないか。撤回をしてそれがどのように国民の利益になるのかを知らせない中では国民に責任ある決める政治とは言えないだろう。
原発問題だけではなく消費増税も同じである。「税と社会保障の一体改革」とはいえ消費増税が決められただけで将来の社会保障は国民の目に見えない。これが国民のためのそして信を得る決める政治なのだろうか。
野田総理が目指すという「子どもの笑顔が広がる国、お父さんお母さんの笑顔が広がる国、おじいちゃんおばあちゃんの笑顔が広がる国」、言葉ではないのである。原発ゼロという言葉、一体改革という言葉に裏切られ、そして「笑顔」という言葉に裏切られるだろう。
民主党の悲劇である。
菅前総理のブログに次のように書かれている。
「株が紙切れとなる思い切った破たん処理、大リストラ、OBの年金の切り下げなどの荒療治、そして稲盛さんを会長に迎えての意識改革などがうまくいって、2年半で再生し、今回再上場となった。その結果企業再生機構が出資した3500億円は全額戻るだけでなく、約3500億円が国庫に納入される。こうした改革が可能となった背景には、民主党がしがらみがない政党であったことが大きく影響している。」
社会保障のための消費増税を言い出したのは菅総理からだと思うが、JALと民主党を関連付けて再生を言うが、JALの再生のために社員の犠牲が「大リストラ、OBの年金の切り下げなどの荒療治」という言い方で書かれる。これを国民に置き換えれば、国の再生や民主党の再生のためには「荒療治」もすると言っているようなものである。消費増税で国の借金を返す。社会保障は未来の見えぬ中に。「OBの年金の切り下げ」が社会保障の切り下げとも読めてくるように民主党の国民からの信頼は失いつつある。
しかし民主党に代わりまた自公政権(今ではプラス維新も?)に戻すわけにはいかないという感情にも似たものが国民の中にはあるだろう。そこに民主とは「だから民主党でしょう」と胡坐をかくわけにもいかないでしょう。このような状態に国民の不幸があるわけです。
民主党内の再生は、小沢グループの離党から五月雨式に離党が続き、今回の代表選も出来レース的なものであったし、内部からの浄化は進まない。また野田代表でと決めたところから国民不在あるいは犠牲ともいえる決める政治が容認されたようなものである。
政治のこのような動きは、たしかに決める政治として今後も民主党であろうと自民党に代わったであろうとつづくだろ。しかし、このような政治からの政策は、安易なリストラ社会からの社会不安や矛盾の高まりとして社会を疲弊させてきたようにさらに矛盾は拡大をして経済をも下降線に向かわせるだろう。

【2013年】ツイッターつぶやき
アメリカの量的金融緩和の縮小が見送られそうですが、一方においてはアメリカ経済が回復したとも言われています。結局は量的緩和による金融政策には脆弱性が存在するということを証明しているのではないでしょうか。量的緩和を縮小するというわけで経済の先行きが心配され、ましてや出口論となれば混乱すら起きる経済の状況なのでしょう。縮小論が消えただけで「サプライズ」といった経済の状況ですから量的緩和に頼る経済や金融なのでしょう。
これは日本も同じで、異次元緩和からの出口はさらに不透明な状態でしょう。異次元の量的緩和で経済自体がどこまで持ち直すかも不透明な状態です。
日本ではこの量的緩和と同時に日銀の金融政策を国の経済政策に取り込んだ一本目の矢からはじまるアベノミクスという経済政策があります。表面的には国の経済政策と日銀の金融政策が車の両輪となって経済の立て直しとそこからのデフレの脱却に向かうと見えますが、そこから現実としてづぐちをすームーズに行えるほどの実体経済の発展があるのでしょうか?
すでに日銀は消費増税による国家財政の健全化を求めていますが、アベノミクスによる経済政策は消費増税分を消費増税で経済が落ち込むことを懸念して成長戦力に使うとなっています。残りを国家財政の健全化に使うことができるのでしょうか?すでに国民には「消費増税は社会保障の充実に使う」という国の約束を反故にしたものが見えてきましたが、社会保障を切り下げながらの財政に移行したとしてもそれは企業への各種減税処置というもので消えてしまうのではないでしょうか。ここに日銀の思惑と政府の思惑の違いが出るのではないでしょうか。日銀も国債を抱え込むには危険性(金利上昇や自己資本率?)が出ます。
消費増税分が社会保障に回らずに社会保障の切り下げと国家の負担の自然増という形になり、それは年金などの支給額の減少や支給年齢にかかわってきます。賃上げは相変わらず財界への要請で終わっています(一部賃上げ減税という話も出ていますがそれも企業減税の一つでしょう)し、経済見通しの中には国民生活の改善からの消費拡大は無視をされた形になっています。
日銀の金融政策と政府の経済政策は国家財政の健全化にも向かわず、大衆消費財の内需の拡大にも向かわず、株そしてこれからは不動産投資などによるバブル頼みとなるでしょう。それはデフレからの脱却が名目上の悪政の物価高やバブルになるだけで根本的な「デフレ不況からの脱却」は難しくなるでしょう。
この中で量的緩和の出口は見えなくなり、少なくともオリンピック後にはひどい不況やバブル崩壊が来るかもしれません。たしかにオリンピックは経済にとっては良い材料なのでしょうが、政府は「特区」をつくり時間外手当も出さないような長時間労働を規定しようとしていますしオリンピックを通じても国民生活の豊かさにはつながらない不安定雇用と低賃金は続くでしょう。
資金は国内で循環せずに海外に流れる。。。。。

【2014年】ツイッターつぶやき
まずはツイッターから
再増税「国際公約」の呪縛が解かれるとき :日本経済新聞 。。。株の騰貴といっても円価値の激減の中ですからなぁ。
週末の株価は16321円だった。しかしこれをドルに換算すると今日は109円まで円が下落しているので149ドルとなる。ここでドルの価値を一定とすると1ドル80円の時としてみると株価は11920円。。。。しかしこれもアベノミクスの期待だけの株価。実体経済に変化なし。
アベノミクスにより実体経済に変化がないとした場合、その経済政策は何も変わらなかったかといえばそうではない。円安による物価の騰貴と貿易上が時の拡大。アベノミクスの政策に必要とした消費増税による物価への悪影響と実質賃金の低下というマイナス効果が生まれたのである。
実体経済に変わりは出ずにマイナス効果だけが進んだとみるならば、アベノミクスは成長戦略ではなくて成長を阻害する要因となったという見方が出るだろう。

「円安は株価には効きにくくなった。そんな訳知り顔の解説を吹き飛ばすような日本株の高騰である」(上記リンクページより)
先日悪性の物価高によって商品の価格が上昇してもその商品自体の価値に変化はないと書きましたが、やはりこの悪性の物価高の中での株価も株の価格は上がっても株自体の価値には変化がないということでもある。
16321円の先週末の株価はドル換算をすれば1ドル109円ですから149ドルである。それでは円が80円程度だった2012年12月の総選挙後から安倍内閣への期待の頃の為替を80円(誤差はあると思いますが)とすれば16321円という価格は11920円。安倍内閣への期待からの株価にある程度一致をしないか?
こう見るとアベノミクスそして日銀の異次元緩和は日本の実体経済(実態としての株の価値)を何も変えずに株価という価格だけが高くなったとみてもよいのではないか。
しかしこの経済実態に何も変化がなかった中にもかかわらず円安による物価の騰貴と貿易上が時の拡大。アベノミクスの政策に必要とした消費増税による物価への悪影響と実質賃金の低下というマイナス効果が生まれたのである。
ロイターの「日銀は15年以降の金融政策に早くコミットすべき=OECD・玉木氏」という記事の中にOECD事務次長が「最近の円安傾向が日本経済に与える影響については「円高にせよ円安にせよ、為替相場は経済のひとつの変数で、(為替相場が)変化することで、得をする人もいれば損をする人もいる」(引用)と述べたという。しかし誰が得をして誰が損をしたのだろうか?ここに円安による物価の騰貴と貿易上が時の拡大。アベノミクスの政策に必要とした消費増税による物価への悪影響と実質賃金の低下というマイナス効果が出ているわけで誰が損をしたのかは明らかでしょう。
そして誰が得をして誰が損をしたのかという結果によって今後の経済の先行きが決まってくるのである。
一つの表れが悪性の物価高と消費税で喘ぎ始めた個人消費の減少と、国内産業の企業の設備投資の伸び悩みが出る。それが今の経済を成長させようとする重しになっている。

【2015年】ツイッターつぶやき
生姜醤油ラーメン
先日千葉県の館山市に用事があり行きました。
何かうまいものはないかと調べたのですが、どうも海鮮物はもう飽きていたのでラーメン店を探しました。
ネットで調べて探したのが。。。。生姜醤油ラーメン「波音食堂」
11時開店でしたので11時前に行って順番のノートに名前を書きました。すでに10名以上の人数が。。。。
11時開店ですぐには入れましたが店内は狭いので後から来たお客は数人並んでいました。
生姜ラーメンという事もあり店内は生姜の香りで満ちていました。
もちろん生姜醤油ラーメンを注文。
生姜の風味と交わさがありますが、そうはしつこい生姜の主張ではなくてスープ自体のおいしさも感じられました。
スープも最後まで飲み干しました。おいしかったです。たぶん飽きのこないラーメンの一つとなったと思います。
また館山方面に行ったときはよりたいと思います。

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
gooお題「今ほしい調理家電は?」
買ったりもらったりしたニンジンが6本もあります。
さてどうやって食うかぁと悩んでいます。我が家はニンジンを食うのは僕ぐらいですから、ニンジン6本はきついです。
そこで、ジューサーがあったらいいのに。。。。と。
妻にジューサーの安いのを買おうかな?と言ったら、あるじゃん。何に使うの?と。
いや、ニンジンをジュースにしようかなと思って。。。。。
ミキサーがあるでしょっ!
いや、ミキサーとジューサーは違うんだよ。。。。
同じでしょう!!
いや、違うんだよ。ジューサーはジュースにするの。
ミキサーでもいいんでしょ?
。。。。。
なんて会話から買いそびれています。
個人消費の増加に寄与できなくなるかも・・・・

ツイッターから
「今後、世代や世帯ごとにきめ細かに再分配政策を考えるとともに、現役世代の所得向上支援や全世代型の社会保障への転換が必要と指摘」(引用)現役世代の所得の低下がなぜ起きたのか?一つとしては「自由な働き方」世代だった人たちの中高年化です。
「自由な働き方」は企業に縛られたくないという論理から、フリーターなどが増大をし、それがのちに非正規労働者の拡大に。派遣法の縛りはなくなって派遣労働者の増大。しかし結局は自由な働き方は、実力で高賃金というのは夢で低賃金層の拡大。企業に縛られたくないとは裏腹にブラック企業での労働も。
高齢者はまだ日本型の雇用形態や年功序列型賃金に置かれていたので一定の安定性があったので、先のツイートのような”若い人に比べれば”良いというだけで苦しさは同じ。高齢者が普通で若い人が搾取・収奪の強化にさらされたというだけ。ニートなどというものも社会的に作られた。
高齢者から現役世代に所得配分を厚くする。。。。?一つの世帯で見てみましょう。定年前後の両親の社会保障が削られて子供世帯に熱くなった。これって世帯で見れば世帯収入・所得は変わらないという事。老後の社会保障が削減されて少し所得配分の恩恵を受けた子供世代がより大きな負担で両親の面倒を。
高齢者の所得減や社会保障が薄くなる一方で若干現役世代に厚みをと言っても、世界世帯としてみれば良くてプラスマイナスゼロ。この状態を作り出しながらも消費再増税10%は社会保障のためにまわすという論理だ出てしまうのです。年金積立金は株というバクチに。消費増税分は他の予算にまわされる。
何回も何回も「世代間格差」が言われ続けていますが、若い人たちの労働条件や賃金体系などが悪くなっていけばいくほど格差は大きくなるのが当たり前です。正社員が派遣労働者を搾取しているといった言葉がありましたが、これはとんでもない間違い。高齢者が若い人を搾取・収奪しているわけではない。
正社員が派遣を搾取しているといったものを信じ込めば、正社員の賃下げや賃上げの抑制が当たり前となるでしょう。同じく高齢者が若い人から搾取していると信じ込めば、年金額の削減や若い人にもいずれ降りかかる支給年齢の引き上げなどが当たり前になってしまう。こうして勤労者総体がさらに貧困化に。

【2018年】ツイッターつぶやき
浴室の隅のところの目地に黒カビが3センチほどはびこっているのを発見。
洗剤をつけてこすっても取れないのでホームセンターに行き何か良い洗剤がないか探しました。
カビというのはしつこいですなぁ。黒くなる前のよく掃除をすればいいのでしょうがなかなかそれができないのが悲しい。最近は浴室に感想気乾燥機がついているそうですが、知人に訊いたらそれでもカビは生えるとのこと。
ホームセンターに行きいろいろと探しましたがきつい薬剤ぐらいしかありません。その時目に留まったのが目地のカビに塗る塗料。。。。。
もう15年ほど前になるか、脱衣場の天井にやはりカビが出てしまい困りました。その時は防カビ材の入った塗料をカビの上から塗ってきれいになり、今もカビはほとんど出ていません。これを思い出しました。
帰ってからどのようなものかと思い開けてみると、液体状の修正液そのままでした。
塗ってみると案外よくカビが隠れます。風呂に入って濡れても大丈夫かと思い見たら大丈夫そうでした。たぶんカビの奉仕胞子も飛ばなくなるのではないかな?
案外使えそうです。。。。。。。
カビをやっつける!からカビを隠す。一つの発想の転換ですね。

カテゴリーに「ツイッターから」というものがありましたが、
使わなくなってしまいましたのでカテゴリーから削除しました。
記事の中身はカテゴリーを変更しました。

あっ、ツイッター自体は続けていますよ。

【2019年】ツイッターつぶやき
時々行くファミリーレストランのいつもの席に座った。その席は窓を背にした席である。
何も選んで座るわけでもないのだが、いつものように歩きいつものように扉を開けて、無意識のように座ってしまう席がそこなのである。
時々思う「座る席までいつもと変わらずかぁ。。。」毎日を決められた時間の流れで動く僕の平凡さが端的に表れていると思ってしまうのである。
ただ言い訳になるかもしれないが、この席に座ると向かいの壁に大きな鏡があり、僕が背にしている世界を切り取って写しているのであるが、その風景はすきなのだ。。。。
下町にある古い木造の家が写っており、窓の手すりにきれいな鉢植えの花がたくさんある。ただこんな切り取られた風景が好きなだけであるのだが。
その家の下の歩道を歩く人々がいる。その人々も切り取られた世界に写るひとつの風景となっている。
時々思うことがある。
鏡の中の世界は、たしかに現実を写しているだけなのだろうが、こうして切り取られた世界を見つめているとそこには別な世界があり、振り向いて窓から見える現実の世界とは違っているのではないかと。
すぐに「ばかばかしい。。。」と自分で笑ってしまうのだが。。。。
その日もこのいつもの席に座って鏡を眺めていた。風景は代わり映えのないものであった。でも、ふと気付いた。古い木造住宅の窓の手すりにある花々は季節が移り変わっても同じ花なのである。いつもきれいに咲いている。
道行く人々を見た。。。。
その中に少し猫背の男が歩いていた。
僕自身だった。。。。
(書くことも思いつかないので、昔書いたものから・・・・・)

【2020年】ツイッターつぶやき
この4連休は相当な人手があったと報道されていました。
この後人手の中身や経済効果が出されるでしょう。もちろんこの結果が国民の声としても出されてくるでしょう。そしてコロナ対策としてどうだったのかも。
政府がGO Toを推進することについて国民に対して三密を避けるようにという自己責任を強調しました。三密が避けられたかと言えば、ニュースの画像を見る限りソーシャルディスタンスも守られていないように見受けられました。もちろん宿などでは工夫されていたのでしょうが。
政府は新規感染者数の発表を65歳以上の高齢者で入院を勧められた人に限って公表するような検討をしているようです。
今後正確なコロナの現状が見えなくなるかもしれませんね。
正確な現状がはっきりしないという点ではこれまでも検査数を抑えた中での新規感染者数でした。東京も月曜日発表の新規感染者数は毎週極端に減少しています。集計の遅れもあるのかもしれませんがこれも正確な現状を見えなくしています。
死者数が増加しなければ問題はないという姿勢でもありますが、コロナの後遺症もあるようです。死ななければいいということではなくて未知のウィルスであり後遺症がどのように現れるかはわかりません。
日本の現状はわかりませんが、世界的の看護師の死亡者数が公表され、医療従事者も300万人ほど感染しているようです。ここから見ても死亡者数が少ないかどうかで判断せずに、医療従事者の安全と医療崩壊の危険性も見なくてはいけないでしょう。

【2021年】ツイッターつぶやき
「歩行者の信号無視による同容疑での書類送検は高知県内では過去10年間、記録がないという。」(dmenuニュース
歩行者が信号無視で横断をしてバイクが接触。
この場合バイクが前方中止注視していなかったとかの理由でバイクが処罰されていたのではないかな?
車もそうですが、誇者や自転車側に落ち度があっても車の方が悪いとされる常識があったような気がする。
数年前に自転車も事故が増加をして車両扱いになり事故を起こせば多額の賠償が問われるようになった。自転車保険もできましたね。今後は歩行者も交通ルール違反をすれば加害者とされることになっていくのでしょうか。
たしかに危ない歩行者を避けるこちことによって他の事故につながるような危険性はありますね。
歩行者も自転車も不注意というものから加害者になることも多いでしょうが、車に対して挑発的な行為をして車の運転を邪魔するような行為をする人もいます。それが事故につながる場合も。こういうものを防止することにつながっていくのでしょうか。
歩いていれば車や自転車が頭にくる。自転車に乗っていると車や歩行者に対して頭にくることがある。歩いていると車に乗っていると・・・・
でも、粉いうのがこういうのが社会というものであってあまりにも相手を責めるような行為があるとそれが犯罪にもなる。

【2022年】ツイッターつぶやき
昨日の夜だったか、今朝だったか、アメリカがさらに0.75%後上げを決めたというニュースを見たら、すぐに円が145円台に下がったと。
その後政府による為替介入があり得るというニュースを見たら、実施したかどうかははっきりさせない。そして夕方になった、政府・日銀がドル売り円買いをしたと。すると円は高くなり140円台に。
1日の間にドルの乱高下が。。。。。。。。
日銀は利上げをしないことを表明。
ドル売りという場合、アメリカ国債という外貨準備金を使ったのでしょうが、表面上は円を守るためのようですが、アメリカは金利が上がれば利払いも大変になるでしょうから、日本が国債を売ってくれれば助かる面が?なんかよくわからなくなるのですが、日本がアメリカに逆なでするような対抗処置をするようには思えない。
為替介入は一時的な円高にはなるが、すぐにまた円安傾向に。外貨準備高も為替介入だけに多く使うわけにもいかないでしょう。
アメリカも利上げして国債発行を楽に?
去年国債発行もできずに公務員の給料を払えないという事態が一時的にありましたが。。。。。

【2023年】ツイッターつぶやき
日銀は出口に向かえずマイナス金利を維持するそうです。
株価はマイナス金利で支えられていますが、アベノミクスの唯一の成果は(というよりも目的が)株高でしたから株安に向かえばアベノミクスはただの国民生活の犠牲しか残りません。
アベノミクスで経済を再建するとしてきましたが、この経済の再建がなければ出口には向かえません。結局アベノミクスは国民生活を犠牲にしてしか維持できない代物だったということです。
円安も148円となりました。明日には150円でしょうか。
そこで去年と同じように効果がない為替介入を行いアメリカを助けるのでしょう。
コメント
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