【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
≪過去の記事≫
【2003年】
伊豆旅行
【2004年】
信州旅行
【2005年】
きのうから東京も残暑が戻りました。
妻と娘が映画を観にいくというので駅まで車で送りました。
大きな交差点を右折しようと思って右折車線に入ったところ、急にじい様のバイクがウインカーも出さすに隣車線から急に入ってきました。あわててクラクションとブレーキ。。。。そのじい様のバイクは澄ました顔で右折ラインを通って直進車線の車の先頭に出ました。「右折しないのかよぉ。。。」
しばらく行きまた右折車線へ。
対向車線には左折車や直進車がたくさん有りしばらく待っていました。渡れるほどに車が途切れそうになったので右折しようと思ったら、対向車線の右折車線を1台の車が。。。。当たり前に考えればその車は右折するはず。僕は右折し始めたらその対抗の右折車がなんと直進して来た。直進車線が混雑していたので右折車線を使って追い越しをしたようである。ニヤニヤとアホ面をしながら僕の前を横切った。
送り終わってさて買い物と。。。
車に帰ってきたらカーとでこすられたと思われる傷が。。。。
どんより。。。
がっくりしながら家路に。。。。
さて最後の右折。。。。。
待っていたら赤になってしまったので対向車も止まると思い動き始めたら、信号無視のおばさんがすごい勢いで交差点に入ってきた。僕の車がそろりと動きはじめると同時だったので、そのおばさんの車が急ブレーキ。。。。。僕は手を上げて挨拶しながら渡った。。。
何だか家に着いたらどっと疲れが出ました。
弱いものいじめの何でもありというルールの今の競争社会。。。疲れますなぁ。。。
【2006年】
(記事なし)
【2007年】
(記事なし)
【2008年】
(記事なし)
【2009年】
(記事なし)
【2010年】ツイッターつぶやき
車で30分ほど用事があり出かけた。
国道からわき道に入りゆっくりと走っていたら、路地からじい様が自転車で飛び出してきた。国道でも信号が青になったから走り出したら若い女の子がいきなり歩道を渡りだした。。。。。
どちらもあと5秒ほどの時間の偶然があったらそのじい様や若い女の子は怪我をしただろう。5秒という偶然はぶつからなかったという偶然であるが、偶然ぶつかるというものも含んで偶然である。5秒僕の車か、じい様や女の子の自転車の位置が悪ければぶつかっていた偶然がある。
この5秒という時間の偶然をとらえて運命という。
偶然が運命か。。。。。
これは神や仏を信じるか信じないかの問題にもかかわるものでしょう。
ぶつかっていればぶつかる運命にあったのだといい、ヒヤッとしただけで助かればぶつからない幸運な運命に自分はあったのだと解釈する。しかしぶつかればそこに偶然があったのであり、ぶつからなければそこにも偶然があっただけとも解釈できる。
今回はぶつからないという幸運な運命を信じて次にまた何も注意をしないで路地から飛び出したり信号を見なかったりを繰り返せばぶつかる偶然は高くなるはずである。このぶつかる偶然を高めてぶつかればそれは運命とはいえないはず。神や仏の見守られていると信じ運命を言う人はいるだろうが、ぶつかる偶然を高めることはしないはず。やはり神や仏よりも偶然がそこにあるのである。
このように神や仏によるような運命というものを否定してみよう。次に出てくるのが運命の亜流である人間機械論的なものが出てくる。
人の行動やその人がつくる社会などさまざまな現象はすべて機械が動くように組み込まれている決められた行動であるというものだと思う。これもじゃぁ、誰が組み込んだのかとなれば最終的には神や仏が出てくる。神や仏の運命論と違うところは、神や仏はその時々に人に懲罰や試練を与えるというような神や仏の御心によるものだが、機械論的な運命論は、すでにどう行動しようがそれはすでに決められていることだから今さらし方のないことだというような形でのある意味凡神論やいまさら何をしようが変わらないという運命論の亜流となったり、組み込まれているのだからそこに自由があるなどという過激な自由主義が現れる。これもまた偶然というものを考えれば運命論として否定しなければならない。
それでは人の行動やその人間がつくる社会などの現象は、すべて偶然の中にあるのかというとこれもまた間違いだろう。ここには人がその意思を持って何かを作り上げていくというものが否定をされ、時には人が望むからそこにある物が現れるなどという唯心論的なものも出てきそうである。そこで重要なのが必然性である。
上に書いたじい様が何度も路地からの飛び出しをして偶然にも何回かは助かったとしても、偶然は車とぶつかる偶然性が含まれるわけだからいつかは車にぶつかる確率は高くなる。車にぶつかる偶然性はいつしか必然性に質的変化となる。量的変化は質的変化に転化する。じい様が路地から飛び出すことを頻繁にやっていればそれは量的変化であり、量的変化は車にぶつかるという確立を必ず高める。もちろんこのじい様は車にぶつからない量的変化を高めても点車にぶつからないままに寿命を全うするかもしれない。しかし、30分に1台ぐらいの交通量ならいいが、国道でそれをやれば必ず車にぶつかる。この行為の量的な変化は車にぶつかるという必然性となっていくわけです。
偶然の中に必然税は貫徹されるのである。
このじい様の例を少し視点を変えて人やその社会がなぜ発展するかをこの量的変化は質的変化に転化するというものと、偶然性の中に必然性は貫徹されるというものの中に考えてみよう。
昔ある人が空を飛びたいと思ってその道具をつくろうとした事実がありますね。いろいろと試行錯誤をしながら今は飛行機やスペースシャトルがある。この試行錯誤を繰り返すという中に空を飛ぶというものの量的な変化があるわけです。この量的な変化が高まり実際に飛行機を生み出すという質的な変化が出たわけです。量的変化の高まりだけでは飛行機はできない、どこかでそれが質的に変化しなければならない。また、いろいろと試行錯誤をしている一つひとつがある意味偶然の中にあるわけです。ある人は腕に鳥の羽のようなものをつける。ある人はがけから飛び降りる。ダヴィンチはヘリコプターのようなものを考える。さまざまな偶然的なひらめきを繰り返してきたわけでしょう。でもその偶然の積み重ねがあってこそあるとき飛行というものが偶然考えられる。偶然自動車エンジンや動力となるものは発明され役立つ。人は空を飛べるという必然性は自然界の法則の中にすでにあったものです。さまざまな偶然性の積み重ねの中にその必然性を手に入れたわけです。
人間社会というのは科学はもちろん社会そのものも発展してきました。飛行機と同じように量的変化の中に質的変化が起こり、偶然性が積み重なってそれが必然となってきた。人が行う行動なのです。運命じゃない。
しかし量的変化が質的変化に転化したり、偶然性の中に必然性は貫徹されるということは、空想的なものでないからそのような結果となるのであり、飛行機が飛ぶという必然なものが法則として自然界に備わっていてそれを人が発見したからなのです。それは社会も同じです。歴史においてそれぞれに特殊性はありながらも王様や武士が支配した社会はなくなり資本主義になっている。資本主義がいいからというだけではこの質的変化は必然にならないわけです。社会の中に経済関係における人と人との関係という法則があるから質的変化がおきたわけです。王様や武士の社会の矛盾が量的変化をきたして資本主義という質的変化に転化するという法則は貫徹されます。
法則の中に生きる人間が自由とも言えます。何を言っても何をしても自由だと言う笑ってしまうような自由は否定されます。偉い人がその権力でこうだというものが法則にはまらないならそのえらい人とて自由ではない。
今、資本主義の矛盾の高まりは量的変化という形で加速度を持って進んでいます。質的変化は崩壊でもありますが、新たなシステムの構築という自由でもあります。若い人は未来を自分で法則の中に捜さねばならないのです。
朝日新聞3面に菅総理と小沢前幹事長の主張骨子が載っていた。
これを見たとき、自民党内の政策論争とどこが違うのかと感じる。
菅総理はアメリカとの同盟関係を言い、小沢前幹事長はアメリカとの対等な同盟関係から防衛は日本が責任を果たすという。これは自民党内にもある議論ではないか?同じ議論をした二大政党制。。。。。この二大政党制による政権交代とは何か?変わらないということである。これが一番の国民の不幸ではないか?
民主党マニフェストは、菅総理は国家財政を考えた場合必要ならマニフェストを修正するといい、小沢前幹事長はマニフェストは貫徹するもの国家財政問題は行財政改革で行うと。行財政改革、70年代の日本がどのような形でこの行財政改革を行ってきたか。公務員制度だけにはこの行財政改革はすまなかったという歴史があるのではないか。どちらも国民生活重視から離れるのではないか。
経済成長重視とばら撒き行政。。。。。。
この中に消費税も内在する。
10月には煙草税が上がります。あらゆる税制が議論されていくようですが、法人税の減税、所得税は中流層に有利となるの負担増となるのか。環境税。。。。。普天間基地に変わる基地、日本の責任における軍事費の増大?
代表選。。。。。どう見るべきでしょうか?だから自民党とは世論調査には現れない。ウウ・・・ん、二大政党制による政権交代。。。。
【2011年】ツイッターつぶやき
ぼうっと朝刊を開いた。
菅総理の辞任が決まり菅内閣の総括的な記事がる。
そこで目に付いた言葉が「思いつき」とか他のメディアでは唐突という言葉もあった。
菅内閣の弱さは指導性がないといわれていたが、脱原発の方向性という指導精を出したら「思いつき」といわれ始めた。指導性というのは考え方や方向性を具体化させることを言うのでしょうが、考え方や方向性を思いつきとして批判することが行われれば議論もなく思いつきとして片づけられる。たしかに菅総理の力不足でしょうが、脱原発の方向性にとどまったとしてもある程度の国会内での形らしきものは作ったといえるでしょう。
菅総理に完璧さを求めれば指導性はなかった。しかしその方向性が否定をされた場は国会という僕たちが選んだ政治勢力の構図なわけです。いたずらに政治家個人の力量に依存する(たとえば今でいえば小沢待望論のようなもの)ことも控えねばならないでしょう。要は議論の呼びかけで。その中で脱原発の方向性を維持することです。
【2012年】ツイッターつぶやき
領土問題がぎくしゃくをしている。特に韓国や中国、台湾との根深い「戦後」が続いている。。。。
国家同士の主張のぶつかりと同時に国民間の対立がこの根深さをつくっているのでしょう。
竹島への韓国人の上陸、尖閣諸島への中国・台湾香港(訂正しました)そして日本人の上陸。
不毛な対立をあおっている。
しかしこの国民間の対立は本当に「国民間」の対立なのだろうか?
国民間の対立にしたい人々が多くなっていることは確かだが、それが感情を丸出しにした言動にもなっているところもあるが、それが国民を代表するものなのかとなるとそうではないだろう。
もし、竹島を互いの国民が「友好の島」と島名変更を要求したら支持は低いだろうか?
互いに国内の中でこの島名変更を呼びかける運動が広がれば、今の国民間の対立と見えるものが全く違う国民間として見えてくるのではないかと思います。これは夢物語かもしれませんが。
でも、こういったものを考えることが本当は互いの国においての国を愛する人々であるという事は間違ないでしょう。
【2013年】ツイッターつぶやき
有識者・専門家60人による消費税ヒヤリングがはじまったようです。
消費増税を予定通り実施するという意見と、反対するという意見の両方の意見を訊くとなっているが、たしかに主夫連合の意見のような国民生活の視点から反対といった意見も出るが、同じ反対と言っている人には1年先送りあるいは毎年1%づつ増税という条件において反対というだけで実際は賛成である。実際に反対派とも言われる浜田宏一内閣官房参与も1年先送りか1%づつという増税の有り方の落としどころを語っている。
国民生活の視点での本来の反対派は少ないでしょう。
今回のヒアリングを「アリバイ作り」という見方も出ていますが、ある意味アリバイ作り的なものに終わるかもしれません。
安倍内閣としての消費増税の位置づけもデフレ脱却・成長路線ですし、これまでの経済政策を見れば国民生活に目を向けたものと言えませんし、国民生活への今の経済政策の波及はだいぶ遅くなるという中で「期待」だけとなっています。そして国民生活の切り捨てに向かうものかもしれません。そうなるとこのデフレ脱却・成長戦略を前提とした消費増税の判断もその中で行われると見た方がよいのではないでしょうか。何らかの形で消費増税は行われる。
財界からは消費増税を行わなければ国際的な信用を失いトリプル安(株安・通貨安・債券やす)になると指摘がある。本来このトリプル安は安倍政権の量的緩和やアベノミクスに内在する危険性のはずなのですが、それを消費増税に絡めています。そうすると政府の脱デフレ・成長路線からすればこのような財界の意見は尊重されるでしょう。
国の財政赤字にも関連してすでに消費増税は、社会保障の充実ではなくて財政の健全化に結び付けられている。社会保障費の自然増を抑えて(社会保障の相対的な削減)いく中での消費増税分の活用に向く。
国民レベルでは、国民生活や社会保障の充実に目を向けながらそれがなぜ消費増税なのかをもう一度考える中で反対をすべきですし、この視点から消費増税が経済の安定につながるかどうかを主張すべきです。そして財政の健全化は消費増税ではないということを税制全般から考えるべきとの主張が大切でしょう。法人税減税は言っていないというのが今の政府の答えですが、この点もこれからもみていかねばならないですし、減税というものがどこで進んでいるか、例えば来年から始まるNISAという不労所得への減税などを見ていく必要があるでしょう。
概算要求が出はじめています。今回が予算獲得(要求)は青天井だといった議員の声も出ているようですが、とんでもない予算が出来上がってしまう危険性もあります。
国民生活の安定、賃金や雇用そして社会保障の安定がなければ経済の安定もないといったところから居間の政治を見れ行くべきでしょう。
【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2017年】ツイッターつぶやき
日本やアメリカは先進国の中でもそたい的貧困率が高い。
この相対的貧困率はその国の格差を反映していると思う。
もちろんGDPは高野高いのですからですから社会の富は多く生産されている。
その富の配分は貨幣量によって行われる訳ですから相対的貧困率が高いという事は貧困層となった世帯の消費は当然減るわけですし、その世帯数が多くなるわけです。
すると社会の富の配分に矛盾が起きるのは当たり前です。
社会の富を例えば平均年収400万円とすれば、その世帯がテレビを1台買うとする。ところが年収4000面4000万の世帯がテレビを買うとしても1台でしょう。社会で生産されたテレビを4000万の年収がある世帯は10台買わないと消費は円滑には進まないのです。もちろん高いテレビを買うことはありますが、10台分の値段のするテレビは買わないでしょうし、大衆消費材としてのテレビの売り上げは落ちるわけです。
ですから大衆的値段のテレビ消費は減ってしまうのです。
ここから相対的貧困という格差が進むと相対的過剰生産となっていきます。
【2018年】ツイッターつぶやき
ふ・・・・っ!
少し強い雨が降りました。
昼間の雨だったらなおさら蒸していたかもしれませんが、夜の雨でよかったです。
風呂あがり、ベランダに出たら涼しい風が僕を包み込んでくれました。
今年は残暑も厳しいですなぁ。
ふ・・・・・っ!
少し歩いただけで汗が噴き出る一日でした。
陽ざしも肌に突き刺さるような・・・・・
コンビ日に買い物に行きましたが、アイスコーヒーも買って椅子で一息。
クーラーの風が僕を包み込んでくれました。
ふ・・・・っ!
車の中は39度。じわっと首筋から汗が流れました。
車のクーラーが少し効き始めたかなと思ったらスーパーについてしまいました。
駐車場のアスファルトの照り返しが半端なかった。
生鮮食品売り場に行ったら冷たい冷気が僕を包み込んでくれました。
【2019年】ツイッターつぶやき
(ちょっと遊びで今日の天気を入れてみました。。。。。ほんとはタイトルに入れたいのですが無理みたいですね)
今日は曇りかな?と思ったら晴れてきて洗濯物をたくさん干しましたが、急なとおり雨が降ってまた晴れました。天気が安定しませんなぁ。
だいぶ涼しくなりましたがそれでも少し動くと汗ばみました。
昼飯を買おうと思い近くのスーパーに行きました。
このスーパーにはわりと広いイートインがあります。覗いてみるとたくさんの人で満席でした。子供からお年寄りまで楽しそうに飲食をしていました。
今年10から来年の9月まででしたっけ?皆が楽しそうに飲食しているのに軽減税率は適用されないで10%の消費税ですよねぇ。血も涙もない・・・・・あははは
とはいえ1年間だけの事ですからこれからもイートインの利用は増えていくのでしょう。
子供たちは夏休み中ですから多いのでしょうが、お年寄りのたまり場としては最適ですね。
でも、サラリーマン風の人や作業服を着た人も案外いました。近くにはこれといった飲食店がありませんからイートインは便利ですよね。
酔払いのおやじがゴロゴロされては困るので飲酒禁止は店員さんがしっかり監視しているようです。
この季節イートインの魅力の一つが冷房で涼しいこと。
オアシスですなぁ。。。。。
今はコンビニでもイートインのスペースを作っていますし、様々なところに作られはじめています。
ふと思ったのですが、イートイン専用スペースもビジネスになるのでは?
コンビニは万引き防止など商品管理のために二階建てというのがありませんね。建物の上部の空間がもったいないです。こういうコンビニと提携して2階にイートイン専用スペースを作る。ここにはそのコンビニではない店の食品も持ち込める。飲食店もテークアウトのものを増やせる。別の入り口からは喫煙室へも。
ビジネスとして利益をだれが負担するかは考え方もあるでしょうが、案外いい儲けにならないでしょうか?
【2020年】ツイッターつぶやき
夜になっても室温が31度あります。
寝苦しいと思います。
日本海側では台風8号の影響でフェーン現象があったようで酷暑となったようですね。
コロナ騒ぎの中でもあり、残暑での体調にお気を付けください。
今日一日エアコンを点けっぱなしでした。
水を飲んで梅干をかじって。。。。。
買い物に出たらめまいがしました。
【2021年】ツイッターつぶやき
東京の新規感染者数が4000人台に高止まりをはじめた。
これからピークアウトに向かうのか?
パラリンピックはオリンピックほどお祭り気分が少ないですし夏休みも終わります。
これが感染者数の減少に結びつくか?
仮にピークアウトしたとしてもだいぶ高い新規感染者数で下げ止まりになるでしょうね。
【2022年】ツイッターつぶやき
まだ8月だと言え残暑が厳しいですなぁ。
2時ぐらいに家族で車に乗り買い物に行きました。
日差しがきつい。。。。。。
最高気温も35度近かったのではないかな。
夜になっても室温が30度です。
冷蔵庫の中のペットボトルの水の減り方がすごい。
飲めば汗が出る。
午前中はコンビニに行っただけで汗びっしょり。着替えました。
午後の買い物から帰ったら汗びっしょり。
アイスクリームを食いながら首の周りを触ったら、ざらざらとしていました。
指を見ると塩の結晶が。。。。。
汗かきです。。。。。。
アイスクリームより梅干を食わねば。。。。
今年の秋は9月10月でもだいぶ暑い日があるようです。
こういう年は冬が大寒波に?
【2023年】ツイッターつぶやき
物価が上昇しているが、物が売れなくなるので物価が下がる傾向と衝突している。
これがスタグフレーションです。
(記事なし)
≪過去の記事≫
【2003年】
伊豆旅行
【2004年】
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【2005年】
きのうから東京も残暑が戻りました。
妻と娘が映画を観にいくというので駅まで車で送りました。
大きな交差点を右折しようと思って右折車線に入ったところ、急にじい様のバイクがウインカーも出さすに隣車線から急に入ってきました。あわててクラクションとブレーキ。。。。そのじい様のバイクは澄ました顔で右折ラインを通って直進車線の車の先頭に出ました。「右折しないのかよぉ。。。」
しばらく行きまた右折車線へ。
対向車線には左折車や直進車がたくさん有りしばらく待っていました。渡れるほどに車が途切れそうになったので右折しようと思ったら、対向車線の右折車線を1台の車が。。。。当たり前に考えればその車は右折するはず。僕は右折し始めたらその対抗の右折車がなんと直進して来た。直進車線が混雑していたので右折車線を使って追い越しをしたようである。ニヤニヤとアホ面をしながら僕の前を横切った。
送り終わってさて買い物と。。。
車に帰ってきたらカーとでこすられたと思われる傷が。。。。
どんより。。。
がっくりしながら家路に。。。。
さて最後の右折。。。。。
待っていたら赤になってしまったので対向車も止まると思い動き始めたら、信号無視のおばさんがすごい勢いで交差点に入ってきた。僕の車がそろりと動きはじめると同時だったので、そのおばさんの車が急ブレーキ。。。。。僕は手を上げて挨拶しながら渡った。。。
何だか家に着いたらどっと疲れが出ました。
弱いものいじめの何でもありというルールの今の競争社会。。。疲れますなぁ。。。
【2006年】
(記事なし)
【2007年】
(記事なし)
【2008年】
(記事なし)
【2009年】
(記事なし)
【2010年】ツイッターつぶやき
車で30分ほど用事があり出かけた。
国道からわき道に入りゆっくりと走っていたら、路地からじい様が自転車で飛び出してきた。国道でも信号が青になったから走り出したら若い女の子がいきなり歩道を渡りだした。。。。。
どちらもあと5秒ほどの時間の偶然があったらそのじい様や若い女の子は怪我をしただろう。5秒という偶然はぶつからなかったという偶然であるが、偶然ぶつかるというものも含んで偶然である。5秒僕の車か、じい様や女の子の自転車の位置が悪ければぶつかっていた偶然がある。
この5秒という時間の偶然をとらえて運命という。
偶然が運命か。。。。。
これは神や仏を信じるか信じないかの問題にもかかわるものでしょう。
ぶつかっていればぶつかる運命にあったのだといい、ヒヤッとしただけで助かればぶつからない幸運な運命に自分はあったのだと解釈する。しかしぶつかればそこに偶然があったのであり、ぶつからなければそこにも偶然があっただけとも解釈できる。
今回はぶつからないという幸運な運命を信じて次にまた何も注意をしないで路地から飛び出したり信号を見なかったりを繰り返せばぶつかる偶然は高くなるはずである。このぶつかる偶然を高めてぶつかればそれは運命とはいえないはず。神や仏の見守られていると信じ運命を言う人はいるだろうが、ぶつかる偶然を高めることはしないはず。やはり神や仏よりも偶然がそこにあるのである。
このように神や仏によるような運命というものを否定してみよう。次に出てくるのが運命の亜流である人間機械論的なものが出てくる。
人の行動やその人がつくる社会などさまざまな現象はすべて機械が動くように組み込まれている決められた行動であるというものだと思う。これもじゃぁ、誰が組み込んだのかとなれば最終的には神や仏が出てくる。神や仏の運命論と違うところは、神や仏はその時々に人に懲罰や試練を与えるというような神や仏の御心によるものだが、機械論的な運命論は、すでにどう行動しようがそれはすでに決められていることだから今さらし方のないことだというような形でのある意味凡神論やいまさら何をしようが変わらないという運命論の亜流となったり、組み込まれているのだからそこに自由があるなどという過激な自由主義が現れる。これもまた偶然というものを考えれば運命論として否定しなければならない。
それでは人の行動やその人間がつくる社会などの現象は、すべて偶然の中にあるのかというとこれもまた間違いだろう。ここには人がその意思を持って何かを作り上げていくというものが否定をされ、時には人が望むからそこにある物が現れるなどという唯心論的なものも出てきそうである。そこで重要なのが必然性である。
上に書いたじい様が何度も路地からの飛び出しをして偶然にも何回かは助かったとしても、偶然は車とぶつかる偶然性が含まれるわけだからいつかは車にぶつかる確率は高くなる。車にぶつかる偶然性はいつしか必然性に質的変化となる。量的変化は質的変化に転化する。じい様が路地から飛び出すことを頻繁にやっていればそれは量的変化であり、量的変化は車にぶつかるという確立を必ず高める。もちろんこのじい様は車にぶつからない量的変化を高めても点車にぶつからないままに寿命を全うするかもしれない。しかし、30分に1台ぐらいの交通量ならいいが、国道でそれをやれば必ず車にぶつかる。この行為の量的な変化は車にぶつかるという必然性となっていくわけです。
偶然の中に必然税は貫徹されるのである。
このじい様の例を少し視点を変えて人やその社会がなぜ発展するかをこの量的変化は質的変化に転化するというものと、偶然性の中に必然性は貫徹されるというものの中に考えてみよう。
昔ある人が空を飛びたいと思ってその道具をつくろうとした事実がありますね。いろいろと試行錯誤をしながら今は飛行機やスペースシャトルがある。この試行錯誤を繰り返すという中に空を飛ぶというものの量的な変化があるわけです。この量的な変化が高まり実際に飛行機を生み出すという質的な変化が出たわけです。量的変化の高まりだけでは飛行機はできない、どこかでそれが質的に変化しなければならない。また、いろいろと試行錯誤をしている一つひとつがある意味偶然の中にあるわけです。ある人は腕に鳥の羽のようなものをつける。ある人はがけから飛び降りる。ダヴィンチはヘリコプターのようなものを考える。さまざまな偶然的なひらめきを繰り返してきたわけでしょう。でもその偶然の積み重ねがあってこそあるとき飛行というものが偶然考えられる。偶然自動車エンジンや動力となるものは発明され役立つ。人は空を飛べるという必然性は自然界の法則の中にすでにあったものです。さまざまな偶然性の積み重ねの中にその必然性を手に入れたわけです。
人間社会というのは科学はもちろん社会そのものも発展してきました。飛行機と同じように量的変化の中に質的変化が起こり、偶然性が積み重なってそれが必然となってきた。人が行う行動なのです。運命じゃない。
しかし量的変化が質的変化に転化したり、偶然性の中に必然性は貫徹されるということは、空想的なものでないからそのような結果となるのであり、飛行機が飛ぶという必然なものが法則として自然界に備わっていてそれを人が発見したからなのです。それは社会も同じです。歴史においてそれぞれに特殊性はありながらも王様や武士が支配した社会はなくなり資本主義になっている。資本主義がいいからというだけではこの質的変化は必然にならないわけです。社会の中に経済関係における人と人との関係という法則があるから質的変化がおきたわけです。王様や武士の社会の矛盾が量的変化をきたして資本主義という質的変化に転化するという法則は貫徹されます。
法則の中に生きる人間が自由とも言えます。何を言っても何をしても自由だと言う笑ってしまうような自由は否定されます。偉い人がその権力でこうだというものが法則にはまらないならそのえらい人とて自由ではない。
今、資本主義の矛盾の高まりは量的変化という形で加速度を持って進んでいます。質的変化は崩壊でもありますが、新たなシステムの構築という自由でもあります。若い人は未来を自分で法則の中に捜さねばならないのです。
朝日新聞3面に菅総理と小沢前幹事長の主張骨子が載っていた。
これを見たとき、自民党内の政策論争とどこが違うのかと感じる。
菅総理はアメリカとの同盟関係を言い、小沢前幹事長はアメリカとの対等な同盟関係から防衛は日本が責任を果たすという。これは自民党内にもある議論ではないか?同じ議論をした二大政党制。。。。。この二大政党制による政権交代とは何か?変わらないということである。これが一番の国民の不幸ではないか?
民主党マニフェストは、菅総理は国家財政を考えた場合必要ならマニフェストを修正するといい、小沢前幹事長はマニフェストは貫徹するもの国家財政問題は行財政改革で行うと。行財政改革、70年代の日本がどのような形でこの行財政改革を行ってきたか。公務員制度だけにはこの行財政改革はすまなかったという歴史があるのではないか。どちらも国民生活重視から離れるのではないか。
経済成長重視とばら撒き行政。。。。。。
この中に消費税も内在する。
10月には煙草税が上がります。あらゆる税制が議論されていくようですが、法人税の減税、所得税は中流層に有利となるの負担増となるのか。環境税。。。。。普天間基地に変わる基地、日本の責任における軍事費の増大?
代表選。。。。。どう見るべきでしょうか?だから自民党とは世論調査には現れない。ウウ・・・ん、二大政党制による政権交代。。。。
【2011年】ツイッターつぶやき
ぼうっと朝刊を開いた。
菅総理の辞任が決まり菅内閣の総括的な記事がる。
そこで目に付いた言葉が「思いつき」とか他のメディアでは唐突という言葉もあった。
菅内閣の弱さは指導性がないといわれていたが、脱原発の方向性という指導精を出したら「思いつき」といわれ始めた。指導性というのは考え方や方向性を具体化させることを言うのでしょうが、考え方や方向性を思いつきとして批判することが行われれば議論もなく思いつきとして片づけられる。たしかに菅総理の力不足でしょうが、脱原発の方向性にとどまったとしてもある程度の国会内での形らしきものは作ったといえるでしょう。
菅総理に完璧さを求めれば指導性はなかった。しかしその方向性が否定をされた場は国会という僕たちが選んだ政治勢力の構図なわけです。いたずらに政治家個人の力量に依存する(たとえば今でいえば小沢待望論のようなもの)ことも控えねばならないでしょう。要は議論の呼びかけで。その中で脱原発の方向性を維持することです。
【2012年】ツイッターつぶやき
領土問題がぎくしゃくをしている。特に韓国や中国、台湾との根深い「戦後」が続いている。。。。
国家同士の主張のぶつかりと同時に国民間の対立がこの根深さをつくっているのでしょう。
竹島への韓国人の上陸、尖閣諸島への中国・台湾香港(訂正しました)そして日本人の上陸。
不毛な対立をあおっている。
しかしこの国民間の対立は本当に「国民間」の対立なのだろうか?
国民間の対立にしたい人々が多くなっていることは確かだが、それが感情を丸出しにした言動にもなっているところもあるが、それが国民を代表するものなのかとなるとそうではないだろう。
もし、竹島を互いの国民が「友好の島」と島名変更を要求したら支持は低いだろうか?
互いに国内の中でこの島名変更を呼びかける運動が広がれば、今の国民間の対立と見えるものが全く違う国民間として見えてくるのではないかと思います。これは夢物語かもしれませんが。
でも、こういったものを考えることが本当は互いの国においての国を愛する人々であるという事は間違ないでしょう。
【2013年】ツイッターつぶやき
有識者・専門家60人による消費税ヒヤリングがはじまったようです。
消費増税を予定通り実施するという意見と、反対するという意見の両方の意見を訊くとなっているが、たしかに主夫連合の意見のような国民生活の視点から反対といった意見も出るが、同じ反対と言っている人には1年先送りあるいは毎年1%づつ増税という条件において反対というだけで実際は賛成である。実際に反対派とも言われる浜田宏一内閣官房参与も1年先送りか1%づつという増税の有り方の落としどころを語っている。
国民生活の視点での本来の反対派は少ないでしょう。
今回のヒアリングを「アリバイ作り」という見方も出ていますが、ある意味アリバイ作り的なものに終わるかもしれません。
安倍内閣としての消費増税の位置づけもデフレ脱却・成長路線ですし、これまでの経済政策を見れば国民生活に目を向けたものと言えませんし、国民生活への今の経済政策の波及はだいぶ遅くなるという中で「期待」だけとなっています。そして国民生活の切り捨てに向かうものかもしれません。そうなるとこのデフレ脱却・成長戦略を前提とした消費増税の判断もその中で行われると見た方がよいのではないでしょうか。何らかの形で消費増税は行われる。
財界からは消費増税を行わなければ国際的な信用を失いトリプル安(株安・通貨安・債券やす)になると指摘がある。本来このトリプル安は安倍政権の量的緩和やアベノミクスに内在する危険性のはずなのですが、それを消費増税に絡めています。そうすると政府の脱デフレ・成長路線からすればこのような財界の意見は尊重されるでしょう。
国の財政赤字にも関連してすでに消費増税は、社会保障の充実ではなくて財政の健全化に結び付けられている。社会保障費の自然増を抑えて(社会保障の相対的な削減)いく中での消費増税分の活用に向く。
国民レベルでは、国民生活や社会保障の充実に目を向けながらそれがなぜ消費増税なのかをもう一度考える中で反対をすべきですし、この視点から消費増税が経済の安定につながるかどうかを主張すべきです。そして財政の健全化は消費増税ではないということを税制全般から考えるべきとの主張が大切でしょう。法人税減税は言っていないというのが今の政府の答えですが、この点もこれからもみていかねばならないですし、減税というものがどこで進んでいるか、例えば来年から始まるNISAという不労所得への減税などを見ていく必要があるでしょう。
概算要求が出はじめています。今回が予算獲得(要求)は青天井だといった議員の声も出ているようですが、とんでもない予算が出来上がってしまう危険性もあります。
国民生活の安定、賃金や雇用そして社会保障の安定がなければ経済の安定もないといったところから居間の政治を見れ行くべきでしょう。
【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2017年】ツイッターつぶやき
日本やアメリカは先進国の中でもそたい的貧困率が高い。
この相対的貧困率はその国の格差を反映していると思う。
もちろんGDPは
その富の配分は貨幣量によって行われる訳ですから相対的貧困率が高いという事は貧困層となった世帯の消費は当然減るわけですし、その世帯数が多くなるわけです。
すると社会の富の配分に矛盾が起きるのは当たり前です。
社会の富を例えば平均年収400万円とすれば、その世帯がテレビを1台買うとする。ところが年収
ですから大衆的値段のテレビ消費は減ってしまうのです。
ここから相対的貧困という格差が進むと相対的過剰生産となっていきます。
【2018年】ツイッターつぶやき
ふ・・・・っ!
少し強い雨が降りました。
昼間の雨だったらなおさら蒸していたかもしれませんが、夜の雨でよかったです。
風呂あがり、ベランダに出たら涼しい風が僕を包み込んでくれました。
今年は残暑も厳しいですなぁ。
ふ・・・・・っ!
少し歩いただけで汗が噴き出る一日でした。
陽ざしも肌に突き刺さるような・・・・・
コンビ日に買い物に行きましたが、アイスコーヒーも買って椅子で一息。
クーラーの風が僕を包み込んでくれました。
ふ・・・・っ!
車の中は39度。じわっと首筋から汗が流れました。
車のクーラーが少し効き始めたかなと思ったらスーパーについてしまいました。
駐車場のアスファルトの照り返しが半端なかった。
生鮮食品売り場に行ったら冷たい冷気が僕を包み込んでくれました。
【2019年】ツイッターつぶやき
(ちょっと遊びで今日の天気を入れてみました。。。。。ほんとはタイトルに入れたいのですが無理みたいですね)
今日は曇りかな?と思ったら晴れてきて洗濯物をたくさん干しましたが、急なとおり雨が降ってまた晴れました。天気が安定しませんなぁ。
だいぶ涼しくなりましたがそれでも少し動くと汗ばみました。
昼飯を買おうと思い近くのスーパーに行きました。
このスーパーにはわりと広いイートインがあります。覗いてみるとたくさんの人で満席でした。子供からお年寄りまで楽しそうに飲食をしていました。
今年10から来年の9月まででしたっけ?皆が楽しそうに飲食しているのに軽減税率は適用されないで10%の消費税ですよねぇ。血も涙もない・・・・・あははは
とはいえ1年間だけの事ですからこれからもイートインの利用は増えていくのでしょう。
子供たちは夏休み中ですから多いのでしょうが、お年寄りのたまり場としては最適ですね。
でも、サラリーマン風の人や作業服を着た人も案外いました。近くにはこれといった飲食店がありませんからイートインは便利ですよね。
酔払いのおやじがゴロゴロされては困るので飲酒禁止は店員さんがしっかり監視しているようです。
この季節イートインの魅力の一つが冷房で涼しいこと。
オアシスですなぁ。。。。。
今はコンビニでもイートインのスペースを作っていますし、様々なところに作られはじめています。
ふと思ったのですが、イートイン専用スペースもビジネスになるのでは?
コンビニは万引き防止など商品管理のために二階建てというのがありませんね。建物の上部の空間がもったいないです。こういうコンビニと提携して2階にイートイン専用スペースを作る。ここにはそのコンビニではない店の食品も持ち込める。飲食店もテークアウトのものを増やせる。別の入り口からは喫煙室へも。
ビジネスとして利益をだれが負担するかは考え方もあるでしょうが、案外いい儲けにならないでしょうか?
【2020年】ツイッターつぶやき
夜になっても室温が31度あります。
寝苦しいと思います。
日本海側では台風8号の影響でフェーン現象があったようで酷暑となったようですね。
コロナ騒ぎの中でもあり、残暑での体調にお気を付けください。
今日一日エアコンを点けっぱなしでした。
水を飲んで梅干をかじって。。。。。
買い物に出たらめまいがしました。
【2021年】ツイッターつぶやき
東京の新規感染者数が4000人台に高止まりをはじめた。
これからピークアウトに向かうのか?
パラリンピックはオリンピックほどお祭り気分が少ないですし夏休みも終わります。
これが感染者数の減少に結びつくか?
仮にピークアウトしたとしてもだいぶ高い新規感染者数で下げ止まりになるでしょうね。
【2022年】ツイッターつぶやき
まだ8月だと言え残暑が厳しいですなぁ。
2時ぐらいに家族で車に乗り買い物に行きました。
日差しがきつい。。。。。。
最高気温も35度近かったのではないかな。
夜になっても室温が30度です。
冷蔵庫の中のペットボトルの水の減り方がすごい。
飲めば汗が出る。
午前中はコンビニに行っただけで汗びっしょり。着替えました。
午後の買い物から帰ったら汗びっしょり。
アイスクリームを食いながら首の周りを触ったら、ざらざらとしていました。
指を見ると塩の結晶が。。。。。
汗かきです。。。。。。
アイスクリームより梅干を食わねば。。。。
今年の秋は9月10月でもだいぶ暑い日があるようです。
こういう年は冬が大寒波に?
【2023年】ツイッターつぶやき
物価が上昇しているが、物が売れなくなるので物価が下がる傾向と衝突している。
これがスタグフレーションです。
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