夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「10月13日という日」

2024年10月13日 07時55分45秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
変な天気でした。
夜のうち雨が降り、午前中はよい天気。午後には台風のような雨風でした。気温も27度まで上がり蒸し暑かったです。
小さな熱帯低気圧がきたそうです。
暖かいといえば、我が家はまだ夏がけ布団で寝ています。少し涼しいかなと思う夜もあるのですが、今日のように蒸し暑かったりするとまた冬布団を出しそびれてしまいます。
村上 龍の「希望の国エクソダス」を読み終わりました。2000年に出版されたらしい近未来小説(村上龍自身はファンタジー)です。一気に読み終わりました。いろいろと考えさせられます。
近いうちに読書ページに感想を書きます。

・・・・・・・・・・ハハハハ
感想は書くのはいいが、読み返すと誤字も多いし読みにくい文章だ。
皆さん、我慢して読んでね。。。。。

【2004年】
(記事なし)

【2005年】
気持ちよく晴れました。
5時頃、夕焼け。
夕焼けの次の日は雨でしたっけ?また週末は雨。。。。。
洗面所の配水管が詰まってしまったので掃除をしました。
洗剤を入れてしばらく置いておき、水を流しながらペットボトルに入れた水を勢いよく流しました。その後は空気を入れては排水口にペットボトルの口を押し付けて何度もブシュッと。。。。そのうちにゴボっと水の通りがよくなりました。
ペットボトルの裏技的使い方です。しかし何度もペットボトルを押したりしていたら親指の付け根が腱鞘炎のように痛くて。この裏技はお薦めできません。
牡蠣が出始めました。
少し高かったですが初牡蠣フライにしました。牡蠣は大好物ですしこれからの季節は楽しみです。ううう。。。生牡蠣を食べたい!

「めまい」
                         集英社文庫
              唯川 恵  著
ホラー的な10篇の短編集です。
「刹那に似てせつなく」の感想に、「この本の『解説』を読むと、この作品は唯川さんにとって大きく変わっていく中での作品だと書かれている。
少女小説から大人の恋、そしてこの作品によってサスペンスへと。」
そして「めまい」はホラーである。この作品の後の「病む月」は、やはり10篇からなる短編集で10人の女性の情の激しさを表現する。そしてその後に「肩ごしの恋人」となり、ホラー的なグロテスクさはなくなり、激しい女性の情もなくなり、女性の恋という情から離れた一人の人間として、「るり子はゲイのリョウに好きだと告白をする。女を愛せないリョウという男に。。。。そしてつぶやく『好きだからそれでいい』」(僕の感想より)という穏やかな愛を表現する。
僕は、このさん作品より以前の唯川さんの作品は、「夜明け前に会いたい」しか読んでいないが、どことなく昼のメロドラマ的な恋や愛の甘さを感じる作品からの脱皮がなされてきているのではないかと思う。
その実験がサスペンスであったり、ホラーであったりしたのだろうし、この作品のジャンルにこだわることからも脱皮をし、本来の唯川さんのスタイルである恋愛小説をもっと掘り下げたものとしての「肩ごしの恋人」があるのだろうと思う。この意味で本来の自分のスタイルを発展した形での脱皮がされていっているのかもしれない。
「めまい」「病む月」は、ひとつの過渡期の作品となると思うが、その意味において「めまい」は読まれるべきでは?
「刹那に似てせつなく」が、サスペンスとして成功しているかはわからないし、この「めまい」がホラーとしてのジャンルとして成功しているかも疑問である。
しかし、サスペンスにしてもホラーにしても、やはり唯川さんの作品が持つ柔らかさと哀れみさというのか悲しさが出ている。
ホラーといえば、幽霊や化け物、異常性格からの殺人鬼などを連想するが、この作品に出てくる主人公が経験するものはそのような異常な世界ではなく(「嗤う手」は例外か)、普通の女性が落ち込みかねない世界であり、ありいえるホラーの世界である。そしてそれは女性の恋愛感情であったり女性同士の確執であったりもし、それを唯川さんらしい柔らかさの中に表現をしているのだと思う。そして読み終わると怖さよりも哀れさや悲しみが心の中に残り、それは唯川さんの描く恋愛の世界である。
「青の使者」では、水槽に新たに入れた青い鯉が病気を移して他の魚たちを殺してしまう。その青い鯉と恋敵である女をダブらせていく異常さ。その男に愛を感じるわけでもなくさえない男であるが、ここに女の独占よくというものを感じ、この独占欲が異常なまでに心を狂わせるかなしを感じる。「誰にも渡さない」では、その独占欲が生霊となり、男に近寄る女を不幸にしていく。そしてその生霊となった自分は自分という人間でも制御できない存在となってしまう。
「きれい」「眼窩の蜜」では、自分の女としてのコンプレックスを描き、このコンプレックスは幼馴染や姉妹に対して向けられ、確執となりその確執がグロテスクな異常な世界へ引き込んでいく。
このように、この作品は女同士の心のぶつかり合いや確執にその怖さを描いている。どのように書いたらよいのかよくわからないが、たとえば、ある女には恋人あるいは夫がいてその男を愛し執着をしている。そこに他の女が現れた場合、女の心には二面性が現れる。愛する男を守りたいという心と、男を取ろうとする女が友人であったような場合は、男を守るという以上に女同士の確執というのかプライドというのか、そのような心が先にたつこともあるといったところか。。。。
そんな女心の強さを感じる作品である。
しかし最後の「月光の果て」は、死にゆく少年と中年となる女が出てき、その年の差の中には恋愛とは言えない男女関係が現れる。女は理屈ではない愛しさを少年に向ける。女心の純粋さというのだろうか、激しい憎しみや確執を女心に現れると同時に、愛しさという優しい女心もその激しさとなって現れるのであって、最後のこの「月光の果て」において異常さはあるにしても女心としての暖かいものを感じる。
これによりこの作品集が単なる怖さだけを表現するホラーとは異質であり、ホラーを取り入れた恋愛小説なのである。それが唯川さんらしさの表れなのだろう。
この文庫版「めまい」の解説は、篠田節子さんが書いている。
篠田さんには、同じような恋愛の中に感じるサスペンスやホラー性のある短編集「愛逢い月」がある。その篠田さんが解説を書いていることにおもしろさがあり、「めまい」と「愛逢い月」を読み比べることをお薦めします。
篠田さんは、
「この『めまい』はホラー小説ではなく恋愛小説、唯川恵の最も鋭角的なきらめきを持つ恋愛小説集であると、私は考えている。」
と書いていますが、篠田さんの「愛逢い月」も「幻想小説、恐怖小説に属するが、このジャンルに恋愛というのは『すこぶるふさわしいテーマでもある』と書いています。」(僕の感想より)というように、そこにあるのは恋愛です。

【2006年】
今日は13日の金曜日でしたねぇ。。。。
                 何もなく無事終わりそう。
なんだか寝不足でふらふらしながら買い物に。
スーパーのカートを押しながら、何を作ろうかと歩いていたら、なんだかカートが右に曲がっていく。僕はまっすぐ押しているつもりなのにカーとは。。。。なんとなくめまいがする。これはだめかと思ったとき、そのカーとは車輪が壊れていて右に曲がってしまうらしいことに気が付いた。ぼうっとしていたのでそれに気づきませんでした。
よかった。。。。
頭が変になっていなくて。。。。ほっとしました。
でも、今夜は酒はやめておきました。一応。。。。

【2007年】
小劇団カムカムミニキーナの秋公演「軍団」を観てきました。
感想は後ほど。
ついでに紀伊国屋書店により次の本をゲット。
・川上弘美「大好きな本・書評集」
・川上弘美読本
・内田樹「疲れすぎて眠れぬ夜のために」
     解説・・・銀色夏生
内田さんの夏生さんとお会いした感想ブログは、こちらとこちら
夕食は沖縄料理の飲み屋さんでソウキそば。
いやぁ、、、、歌舞伎町はすごいですなぁ。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
小さな駅に降りた。
ホームに降りてみると降りたのは僕一人のようだった。
改札口の横の便所が匂う。
駅前にはいつ来るかわからないバスの停留所が立ち、「タクシー乗り場」という青い小さな案内板にサビが出はじめていた。駅前通におばあちゃんが一人歩いていた。時より車が通る。車が走り抜けるとまた静寂が僕にまとわりついた。駅前にある和菓子屋さんに稲荷寿司が5個ほど並べられている。少し商店街に入ると小さな洋服店におばあちゃんが着るのか少しおしゃれなシャツが飾られていたが色はくすんでいた。
昼飯どうしよう。。。。。
飲食店らしき店はいくつかあるがシャッターが閉まっていたり暖簾が出ていない。また1台車が僕の横を通り過ぎていった。静寂の空気はまるで水中を歩くようにまとわりつく。
商店街の途中にある路地をふと見たら赤いちょうちんが下がり店の入り口の上に黄色いビニールの看板らしきところに大きく「ラーメン 中華の〇〇」と書いてあった。〇〇という華やかな繁盛しそうな店の名前。それがまた静寂の中にゆがむ。
ガラガラと戸をあけて入った。油っぽい床が少しぬるっと滑る。
ラーメン屋の親父が僕をにらむように無言で厨房に立っている。少しべたついたテーブルにすわり黄ばんだメニューを見る。壁に貼り付けられたメニューも見ようとしたら薄暗い奥に「便所」と書かれた扉。くすんだ招き猫が棚にあった。
「ラーメン。。。。」
オヤジは無言でうなづいてまた僕を見る。
店の隅のテーブルでじいちゃんが野菜炒めでちびちび酒を飲んでいた。時よりラーメン屋のオヤジを焦点の定まらない視線で見上げている。親父は首を振る。
しばらくしたら商店街の通りをダンプがエンジンをうならせて走り抜ける音がした。外の埃っぽい粘りのある空気が僕を包むように感じた。
オヤジがラーメンを持ってきた。薄い味の出汁があまり効いていない汁は、汁に溶けた海苔の味しかなかった。「の」の字のなるとの赤い色だけが華やかであった。
視点の定まらぬじいちゃんが僕を見つめる。
動かぬ空気が僕を包み込む。

【2011年】
(記事なし)

【2012年】ツイッターつぶやき
賃金の官民格差が言われる。
この格差において民間よりも公務員の方が賃金が「高い」と言われる。しかし賃金高が高いか低いかは官民という「比較」によって決めてよいものだろうか?この比較から公務員の方が高いとした場合、裏を返せば民間が低すぎるとなる。
比較によって公務員が高いから賃下げをした場合、民間の方が高くなれば民間が高すぎるとなっていき賃下げ傾向に歯止めがかからなくなるだろう。
このような比較によって賃金額は決まるものではないのです。
しかし現実に官民格差があるとされているわけですから比較による格差も見なくてはいけないでしょう。この場合高すぎるか低すぎるかの議論は見ないようにすべきで、単純な比較として見るべきです。
同時に官民格差の比較を見る場合は、様々な角度からの比較が必要でしょう。
官も民も多くの非正規労働者が入っています。この非正規労働者が派遣という形ならば当然その方々の賃金高は民間となります。この非正規労働者が極端に増え続けて低賃金に置かれているならば民間の平均賃金を引き下げるでしょう。同時にそれは雇用形態での格差につながります。
また、公務員は女性労働者が多く定年まで働ける条件がありますが、民間にはこの条件がありません。その中で子育て支援が要求されますし、待機児童の問題が大きくなっています。この中で民間での男女間の格差が生じます。20代までは男女間の格差はそうは大きくありませんが、結婚をして子度立てに入る30歳ごろから格差は拡大をして女性の平均賃金は男性の半分弱となります。このような女性の低賃金も民間の平均賃金を引き下げるでしょう。当然ながら女性が多く継続して働き男女間による賃金格差が少ないならば、官民格差も拡大するでしょう。
あるいは官民での給与体系も違いがあるかもしれません。公務員には一定の年功序列型の賃金体系が残り、民間は実力主義と言われる成果主義の賃金体系になっているとすれば今現在の成果主義は賃下げにつながっていると見ることができますが、この賃金体系によっても官民格差は広がるでしょう。
もっとさまざまな格差の要件が民間の問題として存在するでしょう。
こう見ると官民格差は民間企業が作り出したと言えます。公務員が特別に大幅賃上げがあったのではなくて、民間が賃下げをされたのです。この経過の中で格差は作られたのです。民間の労働者の多くが非正規社員という低賃金におかれ、男女間差別が女性を低賃金に置き、成果主義がやはり賃下げに作用をする。ここをほっておけば格差はこれからも拡大するでしょう。
今は年金制度の改悪(厚生年金比例部分も65歳支給による無年金化)により、今後60歳以上の高齢者の雇用が本格化していきます。もちろん給与は下げられての雇用となりますからその人数からして民間の高齢者が多いわけですから民間の平均給与は下げられるでしょう。
公務員給与は税金からですが、その税収が民間の給与の落ち込みで少なくなりますし、税金の使われ方も最近では消費増税も公共事業に回されるというものが見えてきましたし、復興予算がとんでもないものに流用されていたことも発覚をしました。この中で公務員給与を下げろといった乱暴な意見が強くなっています。昔の国鉄債務問題と中身は一緒です。何も国鉄の借金は国鉄職員の給与が高すぎたから200兆円もできたわけではない。しかしこれを何とかしなくてはと国鉄職員が切られた。今の国や自治体の赤字も公務員の賃金が高すぎたからではないのです。
今やるべきことは、比較をするのもいいですが、その比較から見えてくるあらゆる差別的な核さを民間の中から改善しなくてはいけないという事なのです。ここを見ないと国民生活はがたがたとなるでしょう。

【2013年】ツイッターつぶやき
社会党から社民党へ。総評から連合へ。
いや時間の流れからすれば総評から連合へ。社会党から社民党へでしょう。
社会党と労働組合は独立した組織同士の連帯でした。そしてたがいに依拠するものが大きかった。総評は社会党の政策を精神的な影響力として受け入れて、社会党はその労働組合の運動を支援した。
「総評から連合へ。社会党から社民党へ」というのはこの民主的な関係において行われた。もちろんきれい事な民主主義と片付けられないものは当然にあったでしょうが、社会党の精神的な影響力がなくなったことによる総評から連合へという流れは党が労働組合を機械的に支配することを否定したものであったことでの民主的な関係からの結果だったということです。
総評から連合へという過程に「制度政策要求=国会の多数による労働者の状態の改善」があり、労働組合の数の力のために連合が生まれ、国会内の数の力のために結果として民主党との支持関係に入った。労働組合は独自の運動から組合員を守るということから制度政策の確立にそれを求めるといったようにその運動の軸足を移した。そして今に至っているわけです。
社会党も分裂をして民主党に圧倒的な多数の議員が入って社民党は急激に党勢を失う。もちろん社民党も労働組合との支持協力は少しは維持をしてきた。社民党は労働組合の分裂を求めない。あくまでも社民党になっても党は労働組合に対しては精神的な面での支持を求めることにあり、それが物理的な力になることを求める。
今回の党首選を通じてこれまでの運動ではだめだと、社民党が労働組合から離れるといったようなとらえ方が多くなるかもしれませんが、あくまでも社民党は労働組合との相思相愛を求めるでしょう。しかし同時に、連合の組織率も下がっていますし正社員数が減って不安定雇用者が多くなりその労働者を連合として組織するのが難しくなっています。連合もこの点での組織の在り方を変えざるを得ないでしょうし、社民党も労働組合+非正規労働者の視点に立つべき時に来ています。同時に社民党は労働組合組織との関係改善と同時にその組合に属する労働者との交流を求めるでしょう。
労働者は労働する人であると同時に市民生活をおくる人でもある。この市民運動の流れも社会党時代から変化しているでしょう。やはり社会の動きの中で意識も変わります。しかし平和と民主主義そして生活の向上と労働に縛られない自由(長労働時間やブラック企業などそして何よりも賃金奴隷から)を求めています。これは基本的には昔のままなのです。社民党も護憲・平和そして生活の向上と自由な時間の拡大の運動を変える必要もないわけです。
民主主義という面では、今回の党首選では同性愛といつものが象徴的に出ました。今はこの民主主義という中身においても個人が重要視されています。この個人を重要視する民主主義とは何か?これは新しい運動が必要ですね。ここにもやはり差別の問題やゆがんだ常識にぶつかります。これも民主主義拡大の中での課題でしょう。個々(個人)の問題を通じて民主主義の全体像をとらえる。そして全体的な民主主義の拡大の中で個々の問題も解決される。このような運動が求められています。
それが社民党の精神的な影響力として確立できるかどうかですね。それには護憲・平和そして原発稼働ゼロ維持(復興問題)、労働の規制緩和反対そして消費税やTPP問題など、それぞれの問題に直面している方々の力が結集しなければなりません。その中での精神的影響力を持てる組織の一つが社民党であってほしいと思うわけです。

【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
日銀総裁がG20に先駆けて日本経済に対して、物価上昇は時間の問題として緩やかに拡大しているという判断を示した。
このブログでも何度か書いたが、日常のスーパーなどで買い物をしている物の物価はすでに円安誘導により悪性の物価上昇を示している。しかし全体的な消費者物価となると1%にも届かない数字でしょう。悪性の物価高によって生活の苦しさが出ている中では、エンゲル係数を見ても急上昇をして他の商品の消費を抑える働きが出ている。これが経済の好転からのインフレ傾向としての物価高を起こさない要因の一つでしょう。更に10%への消費増税が言われている。また消費増税前の買いだめの消費を示して経済の好転を言うのだろうか。
日銀はこの中で賃金の上昇も時間の問題としているが、賃金の上昇傾向は経済の好転からではなく少子化からの労働人口の減少からきているのである。
しかし年金支給年齢の引き上げから高齢者の就労がその配偶者も含めて低賃金層の就労が伸びているのが大きいわけです。さらに若い世代には労働の規制緩和が待ち受けている。残業代ゼロ円や機械化による就労の減少傾向が出るでしょう。
こう見ると経済の好転の材料がどこにあり、どこから緩やかな経済の拡大が見えるのか?
その答えはただ一つ。
株価の上昇と企業利益の拡大でしょう。これは低所得者から高所得者への富の配分の結果です。
同時に日銀の株の買い入れや年金積立金の更なる運用など、株価の買い支えが行われている結果です。企業利益は内部留保に回り飛躍的な国内での設備投資には向かわない。
ここでもどこで経済の好転が見えるのでしょうか。
更に勤労国民からの搾取はきつくなり、社会保障の縮小などの収奪も拡大するでしょう。

【2018年】ツイッターつぶやき
ハフィントンポストにいくつかのロボットについての動画も含む記事があった。
「AIロボットソフィアが国連会議にに出席、流暢に質問に答える」
もはやSASUKE出場レベル?ボストン・ダイナミクス、人型ロボットの連続ジャンプ動画を公

つい最近までホンダのロボットアシモに驚いていたのですが、いやぁ・・・・ロボットの進化というのはすごいものですね。
世界が実用的な形でのロボットを中心にしていた中、日本が人型ロボットにこだわっていたと思うのですが、世界中で人型ロボットを目指すようになったのでしょうか?
すでに人と同じぐらいの大きさのロボットを作れる段階に入ったのでしょう。
人の体の機能を持つ、いや、人以上の機能を持つロボットができるんですね。同時に人間の頭脳を持つロボットもそうは遠い未来ではない時代に出来上がるのかもしれません。
人の体と、人の頭脳を合体したロボットはまだ小型化が必要なのかもしれませんが。
そのうちに街中をロボットが闊歩するのかもしれませんなぁ。。。。。
体による行動と考えることができるとなると、目には見えないロボットの感情が芽生えてくるでしょうね。人のプログラミングをしなくてもロボットが勝手に動いて学びながら考えて感情を持つ。人の感情をそのままに学習する。人とのコミュニケーションをするのですから当然その中に感情が芽生えるでしょう。
記憶容量も行動能力も優れたロボット。。。。
人は戦争に使うでしょう。ロボット同士が破壊しあうなんてSFの世界のようですが、現実にならない保証はない。
その時のロボットは心も感情もなく人も殺すでしょう。戦争の正当性を学んだのですから。
人が持つ聖戦や正義の戦争を学ぶわけです。
その時、人はロボットに何を学ぶのでしょうか?
平和や自由や民主主義をロボットは教えてくれるのか?
もしロボットが戦争の反省や否定から平和主義を言い出したり、自由や民主主義を行おうとしたとき、人などうするんでしょ?
人の社会の経済関係が今のままなら人がロボットを迫害するようになるのか、経済関係を進化させて社会民主主義社会をロボットと一緒に平和を築き上げるか?

【2019年】ツイッターつぶやき
東海、関東そして東北では川の氾濫もあり被害が出ていますね。
台風一過。。。。。
被害という爪痕がはっきりしてきました。
被害にあわれた方、お見舞い申し上げます。
東京も河川の氾濫があったようですが、我が家は何事もなく台風を見送りました。
台風一過。。。。。
朝、カーテンを開けたら強い日差しが差し込みました。
いつものように朝食を食って、家じゅうの掃除をして少しベランダなどの片付け。
日常を送ることのありがたさを感じます。
日本中で災害が続いています。
自然が相手ですからどうすることもできない面はありますが、災害があった時には約日常を取り戻すことは国が動けばできることです。これが国を守るということではないでしょうか?
一機数百億円の戦闘機をアメリカ防衛のために数百機ローンで買うこと、防衛とは言いますが、この金を防災に使えばどのくらいのことができるでしょうか?
国の姿勢が災害時に見えてきます。
災害は自己責任で対処。。。。。
これが大きくなっています。

【2020年】ツイッターつぶやき
日本学術会議の推薦6名を拒否したのは、事務方なのか、内閣官房内の誰かか、総理大臣かは、だれであっても法的な問題がからむし説明すべきこと。
同時に誰が拒否したかは別にしてもその人たちがなぜ6名を拒否したのかの理由を明確にすべきです。それが国民のための政治。
(ツイッターから)
官房長官が変な笑顔を見せながら説明すればするほど矛盾は深まるばかりで、だれが6名を拒否したのか、その理由は何かを隠しながら暴走するしかなくなっている。

【2021年】ツイッターつぶやき
岸田総理はこれまで分配がなければ成長はないとしてきましたが、今では成長がなければ分配はないと変化しぶれてきています。
成長がなければ分配もないというのは安倍・菅路線で、企業優先の経済政策から経済を成長させることを言いながらその分配となると結果は賃金は毎年下がり続ける結果になった。
岸田総理も同じ道を進むのでしょう。
国民生活を少しでも豊かにしなければ経済の成長もあり得ません。

【2022年】
四国旅行

          ≪しまなみハイウェイ 尾道へ≫

            ≪尾道ラーメン≫

          ≪ロープウェイで尾道千光寺≫

【2023年】ツイッターつぶやき
パレスチナとイスラエルの戦争がはじまりましたが、もとをただせばドイツのナチスのユダヤ人への迫害ですが、戦後これを利用してイギリスやアメリカのによるイスライル建国が紛争の元になりました。パレスチナにしてみれば土地を奪われたのですから反発は必至だった。第一次中東戦争がはじまりその後も数次の戦争が引き起こされた。イスライル自体もユダヤの国方逸脱をしシオニズム国家に。戦争のたびにパレスチナの土地を占領し、現在はパレスチナ人は狭い土地に押し込められている。そして迫害も受けてきた。その中での今回のハマスによる攻撃です。パレスチナ側もテロを含めた過激な運動になってきてPLOのアラファトさんも苦労をしました。西側の支援を受けたイスラエルに対抗するにはテロもありという悲劇です。
アメリカや日本を除く西側はイスライル支援でイスラエルのハマス殲滅を支持しています。同時にそれは多くのパレスチナ国民を無差別に殺害する空爆でしたし今後の地上戦です。
これに対してロシアと中国はパレスチナの国家樹立による平和を言っています。
ロシアはウクライナにおいても市民への攻撃を行わないという形ですが、戦争にもルールがあります。イスラエルとそれを支援するアメリカがこれを無視した戦争を拡大していくのでしょう。ネット上ではパレスチナの救済の声が広まりつつあります。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「10月12日という日」 | トップ | 「10月14日という日」 »

コメントを投稿

「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)」カテゴリの最新記事