夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「10月19日という日」

2024年10月19日 08時17分14秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
朝から熱帯魚の水槽の掃除や台所の換気扇の掃除、そして今、妻と二人で「いきなり団子」を作りました。
充実した午前です・・・・うううう
いきなり団子・・・・・サツマイモとあんこが入った団子です。食べたことありますか?
僕はあんこがたくさん入ったほうが好きなのですが、妻はサツマイモの団子なのだからあんこはほんの少しでいいと言います。
僕は自分用に少しあんこを多めにしました。

【2004年】
(記事なし)

【2005年】
息子が車を使っているので、暇でもありバスで買い物に行って来ました。
久しぶりのバスでした。
バスの時刻がわからないままにバス停に行くと、すでに出てしまったあと。。。20分ほど待たなければならない。どんよりとタバコをふかしていたらバスが!!5分ほど遅れての到着でした。なんとなく得した気分。。。
人通りの多い道をバスは遅れを取り戻すためかやけにとばす。この道はいつも通っている道だが、乗用車でも怖くてとばせない道で、自転車はたくさん通るし駐車する車が多いしでいつものろのろと走っている。そこをバスは勢いよく走っていく。
さすがプロですなぁ。。。。
しかし冷や汗をかいてしまった。
台風はどこかへ行ってしまったらしく、天気予報がまたはずれて薄日が射しました。
これも得した気分。。。。
窓をいっぱい開けて掃除をし、洗濯物を干しました。
ついでに、ハムスターのスズちゃん家(小屋)も大掃除!砂の入ったトイレを置いてあるのにあっちこっちとウンチをしていました。朝晩は寒いと思い真綿を入れてあるのですが、それを小屋の中にきれいに敷き詰めてスズは寝ています。掃除をするんでその真綿も取り替えたら怒って僕の指を噛もうとしました。ウンチまできれいにして掃除をしてやったのに。。。。ハハハ
オテンバなスズです。。。元気に長生きをしています。

【2006年】
季節の変わり目の現れるいつもの眼病のために眼科へ行ってきました。
朝一番の受付でと思い行ってみたら行列が出来ていました。お年寄りやお子さんもいるのに、中で待たせてくれてもいいのではと思うのですが、時間ぴったりにドアが開きました。まぁ、看護婦さんたちの負担が増えてしまうのでそうは強くはいえません。
さて受付をと思ったら、保険証を忘れてきた。いつも通っているお得意さんの僕だからだいじょうぶだろうと思ったら甘かった。。。。しっかり10割負担。。。。薬局も。
しかし医療費というのは高いですね。少し財布に金が入っていたからいいけど。はじめは看護婦さんが家まで戻って取って来いと。約20分往復40分をまた歩けというのか。。。目がうっとうしくて早く目薬が欲しいから朝一番に来たのに!忘れた僕が悪いのだが。。。。
風邪ひきのときにいくないかは、保険証を忘れても次のときでいいですよといってくれるのですが、医者によっては厳しいですなァ。いくらお得意さんでもシビアです。
新聞だったか?今は医療費を踏み倒す人が多くなっているようですし、踏み倒しきれない正直な人は医者にも行かなくなっている。医者の対応も厳しくなるというのもこういう事が背景になっているのでしょうね。
時々思うのですが、なぜ薬局では医者の処方する薬を置いていないのか?医者と提携をしたところでしかクスリはもらえない。いつもの眼病だからいつもの薬でいいとわかっているので薬局で買えばそれですむし安くつく。そうすると薬の間違いも患者によってはあるから危ないという意見もあるかもしれないけど、医者にいけない人が増えてきているわけだから。。。そういえば、医者の処方する同じ名前の薬というのは薬局にあるのか?たぶん同じ名前ではないかも?違う名前で出しているのでは?

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
スタミナ焼きを漬け込みました。
にんじんは千切り、たまねぎはスライス、ニラは3センチほどに切ります。よく洗ったらボールに入れて砂糖、味醂、酒、醤油、ごま油、おろし生姜を淹れて揉み込みます。しんなりしたら豚肉を入れてさらによく揉み込み、野菜と肉の味が互いに混ざるようにします。このまましばらく漬け込んでおき、フライパンで汁気がなくなるまで炒めます。
あと1品は。。。。ナスとサーモンのトマトソース。ナスは輪切りにしてしんなりするぐらい塩コショウで炒めます。そこに刺身用のサーモンを乗せて市販のトマトソースを混ぜとろけるチーズを乗せたら火を止めてバジルを乗せたら出来上がり。
酒は、先日佐原で買ってきた「すいごうさかり」(馬場本店)。減農薬米を使った吟醸寒造り。辛口ですが米の風味が生きたまろやかな味です。でも、少し喉越しが硬いかな。。。。でもおいしい酒です。佐原も昔は酒蔵が30軒以上あったそうですが、今は2軒とか。。。。。馬場本店さんは、伊能忠孝記念館の裏手に当たる道路にあります。

【2011年】ツイッターつぶやき
TPPというものには反対だというのがほぼ統一した意見でしょう。しかしアメリカとの関係やアジアの中での参加を表明しそうな国々とAPEC内部の関係から議論に参加せざるを得ないというのが本音ではないか。
ウィキーペデイアの「TPP」の項目を読むと、はじめはニュージーランドやチリのある意味相国間の貿易の自由化程度だったものがそこにアメリカが入ってくる。TPPの主導権はもちろんアメリカにあるわけですが、その影響力はAPECにもおよび、アジアの主権の中にアメリカが入ってきているというのが実情でしょう。アメリカは環太平洋という形でAPECを取り込もうとしているわけです。
APECの主導権をアジアに取り戻すべきです。ヨーロッパの次に共同体ができる経済的条件があるのがアジアでありその経済的な気候がAPECなわけです。将来的なアジア共同体を構想するなら自主的なものを持たねばならないでしょう。そして今は中国の台頭がある。ロシアの極東地域がある。政治的な難しさはあるが発展した経済的共同体は大きな力を持つだろう。
あんがいアメリカの危機意識が働く中で、環太平洋が強調されるのではないか?
TPPといってもその経済的な基盤は先のウィッキーペディアによればアメリカと日本で90%以上の経済上の動きがあるだけだそうである。アメリカは日本が参加しなければ困るわけでしょう?
また、今のアメリカの保護貿易論者の状態はどうなっているのでしょうか?
いろいろと議論されているわけですが、そうは絵にかいたような自由貿易はできないのではないでしょうか?もちろんアメリカの論理で自由貿易と貿易保護主義がミックスされるかもしれない。

【2012年】ツイッターつぶやき
今日の民自公の党首討論は物別れに終わったようですが、野田総理の「決める政治」から民自公の合意で消費増税などの法案が通りましたが、結局は身動きできない国会になっています。
解散の時期をはっきりと示すことが先か、赤字国債発行関連の法や年金の先行きの具体化そしてなによりも参議院まで違憲判決が出た1票の格差問題これが先か。
野党は消費増税もそうですが早期の解散を求めての法案成立でした。これが条件というのは政局の問題で、野党も消費増税には政策的には賛成で、今流用問題が出ている復興資金でも中身は流用できる条件を野党が要求したと。今度は赤字国債発行を条件に解散時期をはっきりさせろと。
政策がほぼ同じ二大政党制ですから対立点は政局になります。
今朝の朝日新聞に二大政党制についてのインタビューがありましたが、政権交代がなければならないというものだけで二大政党制を見るだけなら政局ばかりの今の動かぬ国会は当たり前でしょう。
国民にとっては解散時期などどうでもいいのです。ましてや震災の復興や放射能問題がせっぱつまったところにあるわけですから解散よりも政策の実行なのです。政策も国民から離れたものになり、解散だのとここでも国民から離れた政局。違憲状態のままで選挙をと。右傾化する政治。
国民生活は翻弄される。

【2013年】ツイッターつぶやき
末無し川というのがある。上流から川の流れがはじまりある程度大きな流れになっても途中で大地に染み込んだり蒸発をしたりして流れが河口までたどり着けない川である。
日経の記事に「安倍首相よ、次の矢を放て、消費増税よりも成長戦略」という記事があったがこういった成長戦略に期待する声も多いでしょうし、国民の一部にもぼんやりとした期待感が漂っていると思います。
しかしどうでしょうか?成長戦略や量的緩和という大量の川の流れが河口にいる国民生活にまで届くでしょうか?今の実態は、資金は企業に流れたり銀行に回って使い道(設備投資や雇用そして賃上げなど)のない資金が株やその他の金融市場・国外の国債や投資に回る。成長路線はこの上労働の規制緩和で労働者から吸い上げることを加速させようとしている。そして最後に残ったわずかな水流は消費増税という形で蒸発をしてしまい天(国)に上る。その天に登る水も雨となって国民の恵みの雨(社会保障など)にはならないでやはり企業や富裕層へと降り注ぐ。
河口近くの末無し川の風景は、川である形は残しているがゴロゴロとした石が転がる賽の河原のような風景である。

【2014年】ツイッターつぶやき
日経平均株価はちょうど1年前の価格14500円ほど同じになった。
為替は1年前が1ドル98円程度だろうか。しかし今は106円と8円も円安になっている。
ここのところ株価は切れ目なく円安を更新しなければ高くはなっていない。円安は株価と連動するようには見えていた。しかしこの為替と株価の連動も崩れはじめる様相になっている。
これは何を現しているのでしょうか?
株価を一定におくならば、量的緩和での円安を越えて本格的な円という通貨の弱さが露呈しはじめたということでしょうか。もちろん安定通貨としての円は健在なのでしょうが、それは避難先という程度ですぐに円は売られていくのかもしれません。
通貨安は経済の弱さであったり国力の低下でしょう。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
夜な夜な夜の散歩に出かけている。
夜な夜なといっても夕食を澄まして済まして一休みした時刻に出かけるのだが。
今夜もかけ始めた月を眺めながら歩きはじめた。広い通りにも走る車は少なく、時折犬の散歩の方に出会うぐらい静かである。
広い通りから狭い路地に入った。
窓からこぼれる灯の光に照らされた庭の木や鉢植えの花を見るのが楽しい。
灯の光というのは暖かいものです。
この路地の突き当りから少し広い通りになりコンビニの灯が見える。
路地の民家の灯が見えず、街灯も途切れたあたりに人影らしきものが見えた。人なのか?影のように見える。
近づいていくとどうも女性らしい。長いスカートが見えた。しかしよく見ると上から下まで真っ黒な洋服。スカートはロングスカート。
近づいても顔が判然としない。長い黒い髪が顔を隠していた。
目を離して歩いて近づいたが恐る恐る目を上げると、いきなり顔がボウ~っと青白く光り、にたっとしながら顔を上げた。
夏も終わり幽霊の出る季節でもないと思いながらも背筋が凍りついた。
逃げるわけにもいかないので急ぎ足で通り過ぎようと歩きながらまた見てみると。暗がりの中でスマートホンを開いたところだったらしい。その光が顔を照らしていた。
ニタ~は何だったのかはわからない。
化粧をして白い顔にたくさんの皺が見えた。今度は目と目が合ってしまった。。。。
通り越してから今のような時代だからスマホをする幽霊もいるかもしれないと思い振り返ろうとしたが怖いのでやめた。
突き当りのコンビニの灯が暖かだった。。。。

【2017年】ツイッターつぶやき
アベノミクス5年の総括が必要になっている。
さらにアベノミクスを続けるべきか、、、、
与党や報道によればまさに「景気のいい話」が大きく伝えられている。
一方では景気のいい話が一般庶民に実感されているかどうか?
BLOGSに安倍政権5年の激増ベスト3は富裕層資産、大企業役員報酬、自民党への献金という記事があった。
「棒グラフを見ると唖然としますね。アベノミクスは成功か失敗か?企業や富裕層から見れば成功なのでしょうが、水膨れの円そして低いところから高いほうへの所得移転からなら経済は好転していない」(ツイッターでの僕のこの記事への感想)
野党が「実感のない」という言葉を多く使いながらアベノミクスへの批判を高めていますが、この「実感のない」の中身でもあるでしょう。
雇用者数が多くなっているとしても年金支給年齢引き上げにより60歳以降も働かなくてはならない実態。その配偶者(女性)も働かざるを得ない実態。高齢者や女性の低賃金雇用が進んでいるという事です。もちろん若いサラリーマン世帯も同じでしょう。
どう見てもアベノミクスは矛盾に満ちた政策であったとしか言いようがないです。
一方多くの富を得た企業はどうか?
神戸製鋼や日産のデータ偽装など。東芝の経営危機も出ている。日本の経済をけん引する巨大企業の利益の実態の一面を見るような思いです。
銀行も含めて巨額の利益を投資する場もなくなっている状態です。
貨幣が資本に転嫁できない状態、得意貨幣が有り余っている状態は資本主義では不況のど真ん中にあることを示していますし、経済の危機的状況でもあります。この危機をどうにか切り抜けねばならないのですが、アベノミクスはさらにこの矛盾を拡大するだけで、株価や企業利益が増大するという表面的なものを示して成功とするしかないのです。

【2018年】ツイッターつぶやき
大麻合法化。。。。といってももちろん日本ではありません。日本では違法です。
カナダのお話です。
たしか?オランダのどこかの州だったか?合法化されて大変なことになっているようですが、
今度はG7の先進国であるカナダが大麻を合法化したようです。
現在、たばこの害が叫ばれて喫煙ができないようになっています。これに合わせてたばこ増税により低所得者は喫煙できなくなっていきました。強制禁煙が過激化しています。
一方で大麻の合法化が世界の動きとして出てきそうです。
たばこは害がある、大麻は使い方によっては薬にと言われています。この論理は日本でも受け入れやすいものだと思います。しかし大麻が生活の中に忍び込んでくるでしょう。
ツイッターで、カナダの大麻合法化を受けて報道されたものをいくつか集めてみました。
今後大麻の合法化は様々な問題や波紋が広がるでしょう。

【2019年】ツイッターつぶやき
以下ツイッターから
社会の幼稚さ。。。。
これは危険ですね。
子供の頃、友達や特に女の子と遊んでいると、近づいてきて邪魔をする奴がいた。人が楽しんでいると邪魔をすることは子供のすることで用地だで片付けられる。
↑最後の行は「用地」でなくて「幼稚」です。
この幼稚化は、ガキ大将のような腕力もありましたが、先生に褒められるような頭の良い奴の影での陰湿な力もありました。根っこは同じで互いに補完しあっていた。
この子供の幼稚さがそのまま大人の社会になってしまったら社会は壊れていきますね。
もちろん大人は学力でもなんでもあらゆる力は子供とは段違いに大きい。そして力も広範囲の国民に及ぶ。このような大人の中に幼稚さだけが残るのですからひどいものとなります。
この大人社会の幼稚さが子供社会に反映されて、子供社会の幼稚さも自殺に追い込んだりするような大人顔負けの力となってしまう。このような子供が大人社会に入ってきて得する人となれば、さらに社会は疲弊していく。
先生の先生へのいじめ。幼稚さを残した大人社会です。校長も手は出さない。
あおり運転だの年寄りへの差犠打の社会は疲弊をしています。
今のこの社会を作り出している政治や企業活動を見るとこの幼さが出てしまっているのかもしれません。もちろん先進国を維持する学力はあり技術もあるのでが、幼稚さがその先進性をコントロールしてしまう。悲惨です。
昔なら笑ってしまうような今の政治や経済運営に対しては、国民も怒る大人の意識を持っていた。もちろん自己規制したり方向を変える意識を持っていた。
しかし幼稚さを変える大人の論理がなくなり、笑ってしまうような政治、経済、社会をそのままにせざるを得なくなっている幼稚さ。
危険ですね。。。

【2020年】ツイッターつぶやき
長瀞、秩父、甲府。。。。。
久しぶりにドライブに出かけてきました。
いつもは日曜日に出かけるのですが、今はコロナですからなぁ。。。。。
平日ですからどこに行っても人がいません。寂しいぐらいでした。
コロナ対策破産につをコロナ対策は混雑を避けること。。。。。
でも、加えて以前このブログにも書きましたが休みの分散が必要です。

≪長瀞 岩畳≫
河は荒川の上流です。大きな岩が畳の様に敷き詰められたような風景。
木造の船はライン下りの船です。今回は乗りませんでした。


【2021年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの東京日記が更新されました。
スポーツに眼鏡
漱石らしくない「硝子戸の中」
数独に煩悩のような不思議な一言
どこかずれたような合わない取り合わせ
でもそれが世界を映している

【2022年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの東京日記が更新されました。
川上さんもコロナに感染。。。。。。
4回目のワクチンの効果があったのか?そうはきつい目に合わなかったようです。
自宅で抗原検査。ついに陽性が出てお医者さんに行きお墨付きを。。。。。
これまでの検査キッドを並べて。。。。
夏休みの自由研究。

【2023年】ツイッターつぶやき
東京のマンション価格の平均が1億円を超えたそうです。
経済の好転がないままに不動産価格が上昇している。東京では中古マンションの価格も上がっています。
勤労国民の懐が潤って需要が高まる中での値上げではなく投資目的で高騰しはじめているようです。中国人の1凍買い。。。。。
景気は冷え切っている冷たいバブルが起きていますね。
マンション価格の上昇では無理なローンを組まざるを得ないし、金利が上がれば返済も困難になる。
一方では投資目的ですからそのうち売りが出てくる。マンション価格は暴落をしここでもローンが残るマンションか買うの下落。
こういうのは昔経験しているはずですけどね。。。。
コメント
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「10月18日という日」

2024年10月18日 08時05分35秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
妻と娘が焼肉を食べたいと言うので食べてきました。
狂牛病以来焼肉店も大変なようで、今日行った焼肉やさんもだいぶ値下げをしていました。カルビが半値ぐらいでしたよ。。。。
息子は友達が来ているのでおにぎりやらラーメンを食べていました。
なんか友達と一緒に勉強をするのだと言っていましたが、日本シリーズを見ながら楽しんでいたようです(笑)
もうじき「チェリーブラッサム」を読み終わりそうです。また感想でも書きます。

【2004年】
団子汁を作っています。
味噌仕立てのスイトンのようなものですが、すいとんの団子をサツマイモで作ります。
サツマイモをゆでてからつぶし、そこに卵の黄身と小麦粉を入れて団子にします。それをスイトンのように野菜などを入れたスープの中に入れて一煮立ち。味噌の塩辛さにサツマイモの甘さが絶妙です。野菜にはかぼちゃを入れるのが妻のこだわり。。。。
98円の秋刀魚がありました。今年は秋刀魚が安いのですが、もうひとつ脂が乗っていない。。。。
明日から東京はまた雨のようです。

「そして私は一人になった」 山本 文緒 著
1996年の一年間の日記です。また、この文庫版では書き下ろしで「4年後の私」として2000年4月の1ヶ月間の日記が加えられています。山本さんは日記を中学生から書き続けているようです。しかしその日記はまったくのプライベートのものでご自身しか読まない日記だそうです。ですからこの「そして私は一人になった」は、出版目的に新たにかかれたもののようです。
少女文学から一般の小説に転進した山本さんが、やっとある程度作家として認められるようになった頃の山本さんの日常が描かれています。作家の日記ですから作家としての生活も書かれていますが、離婚をして一人暮らしになった心境をはじめ、ご家族や友人の方々、出版関係者との親交を楽しく書いています。また、日常の中でのおばさんぶり(笑)ーー山本さん、ごめんなさい(笑)--
「解説」の中に、なぜ「『そして』私は一人になった」なのだろうという自問がかかれています。「そして」というのは、時間の経過がありその時間の流れの中に山本さんが生きてきたということであり、この作品に書かれているある意味ではのほほんとした山本さんも離婚や少女文学からの転進、そして作品を生み出すに当たっての苦しみがあったはずです。のんきで豊かな生活の裏にこのような山本さんのご苦労があったのですね。
同じように自由な一人暮らしの裏にある生活面や女性としての寂しさも書かれています。いろいろな方と酒を飲みながらもその裏にある寂しさ。作家というものを外からその生活を想像すると、華やかな面ばかりを見てしまうことがありますが、私生活においても職業としてもそんなに甘いものではないですね。
でも、山本さんは、作家になりたいと思ったのは作家になってからと書いています。やはり心の中に湧き出るものを書きたい、職業的にも誰からも縛られずに時間を自由に使える、そんな作家生活を楽しんでいらっしゃいます。
9号のスカートをはくことに対しては体重を気にしながら酒を飲み、部屋の中の荷物が増えることを気にしながらも流行の洋服には目がない山本さん、自己問答をしながら楽しく生きていらっしゃいます。
「4年後の私」では、売れっ子作家になった山本さんが出てきます。執筆活動が増えています。その中でも生活のペースも変わらずに。。。。。この作品が出版されてからまた4年が過ぎました。そのまた4年後の私』を読みたいです。。。。。

【2005年】
東海から関東だけが雨続き。。。。
         部屋干し洗剤が役立っています。
どうも1週間雨が続きそうです。台風も来るようだし。。。
気温も下がり、ホットカーペットをしはじめました。
森絵都さんの「いつかパラソルの下で」を読み終わり、今、湯本香樹実さんの「西日の街」を読んでいます。
どちらにも感じられるものは、親子関係です。
父あるいは祖父と今に生きる若者という構図という面では共通性があります。人というものは、生物としての遺伝子を当然受け継ぐわけですが、人という動物の特殊性として生れ落ちた社会というもう一つの遺伝子も受け継ぐわけです。
その社会というものは、国家レベルのものであると同時に、家族という単位においても社会は存在し、その条件によって育てられるわけです。
社会的遺伝子と言ってもよいでしょう。
この動物的な本来の遺伝子と社会的な遺伝子を人としては受け継ぐわけですが、世代交代というのは、この中にあります。
戦前戦中の世代がいて、戦後世代の団塊の世代がいて、そして今の若い人がいる。動物的な遺伝子は、この世代の中での自然界のものであるが、社会的な遺伝子は人自身が作ったものである。
動物的な遺伝子はどうすることもできない部分はあるが、社会的遺伝子は、後の世代にどのように伝えるかは選択できるのである。若い人達が、この社会的遺伝子の中から何を優性遺伝子として受け継ぐか劣性遺伝子として排除するかは自由なのである(差別的言葉だったらごめんなさい。しかし社会的遺伝子には未来という時間に向けて人が選択できるという意味では適用できると思います)。
僕は、年金というものを自分の老後のために蓄えてきたと思っていたのですが、いつの間にか、子供の世代に世話になるというようになってしまいました。どこでどう間違えたのか、、、、若い頃に蓄えた原資はどこにいったのだろう。。。
これが今の社会的遺伝子なのです。同じようなことがあらゆる面で現れているのです。

【2006年】
外食でした。。。
駅を降りてすきっ腹にとぼとぼ歩いていつものラーメン屋さんへ。ううう。。。年中無休なのに休み。仕方ないので時々行くトンカツ屋さんへ。。。ううう・・・店の前に行ったらバイトの女の子が暖簾をしまいはじめた。仕方ないので日本蕎麦屋さんへ。。。。うううう・・・・すでに暖簾はしまわれ旦那さんが店先で知り合いと笑いながらおしゃべり中。仕方ないので中華屋さんへ。。。店は飽いていましたが、料理がいつものように遅い。。。ビールはすでに飲み干してもまだ料理は来ない。。。。ううう・・・すきっ腹のビルが効いてきた。ビールを飲み干しては仕方ない。紹興酒を追加。すきっ腹なので帰りに歩いていたらふらふらと。。。。。ハハハ
ううう。。。な、仕方ないの夜でした。

【2007年】
ううう。。。。さぶ~
夕飯を食べてからごろっと寝てしまったら寒くておきてしまった。この季節気をつけなければなりませんなぁ。。。。
そろそろコタツか?
冬の掛け布団を干しました。

「銀色ナイフ」 銀色 夏生  著
「長いですよ。
 しかもマジです、
 覚悟してください。
       真剣辛口エッセイ」
本の帯にこう書かれていました。
今、幻冬舎の各月誌Papyrusで「銀色夏生の視点」というエッセイが連載されていますが、今回の「銀色ナイフ」も夏生さんのある一面からの『銀色夏生の視点』という位置づけに見えました。
このような辛口のエッセイは、14年間出版された「つれづれノート」シリーズの中にもところどころ書かれていました。日常の中に出会った人や事柄、ニュースなどで流れてくる情報をどのようにとらえたかというものをお書きになっていましたが、このようなエッセイを集中して(2006年11月から2007年3月までに書いたもの・・・「まえがき」より引用)お書きになったもののようです。社会の中で次から次へといろいろなことに直面をしそれにどう向き合うかという「銀色夏生の視点」といえると思います。400ページと、、、ほんとに長いです。覚悟して読みました。。。。
でも、そこは夏生さん、たしかに辛口のエッセイですが、自然体の文章でどこか救われるような中身です。どんよりと今の世間を見て怒り狂うというような辛口ではなくてそれに向き合う自分を冷静にお書きになっています。
「もうひとりの自分が、そういう自分をちょっと離れたところから眺めているのを感じます。」(「あとがき」より)
この自分をそして周りの世間を客観的に見るということでしょうか、そのような視点もまた「銀色夏生の視点」でしょう。
ですから「覚悟してください」も、どこかホンワカした読者への呼びかけに聞こえますし、夏生さん独特なのクールなユーモアを僕は感じます。
また、角川文庫の作品には毎回「銀色夏生の本」という作品紹介に小さな「ビラ」が挟まっています。これも僕としては夏生さんの小さな作品。。。夏生さんの手作り!というものがでているビラですから絶対に捨ててはいけませんよ(笑)今回は「近況」という短い文章が載っていました。その中に次のように書かれています。「えっ?!捨てちゃったよぅ。。。」って?ほら、絶対に捨ててはいけないといったでしょう(笑)
冗談はともかく、そこに
「この本は、(中略)たぶん推敲すればするほど格好つけそうだったので、やめました。粗削りのまま、お届けしようと思います。」
読みはじめてまず感じたことは、どことなくブログ(あるいはホームページの日記)のようだなぁということでした。毎日思ったことを書き留めておくような。。。。そして少し考えたことを聞いてほしいなぁ。。。というような。
項目はたくさんあるのですが、文章の長さも短いですし、一つひとつをあまり関連付けずに毎日思ったこと考えたことを書くというブログ的な文章です。ですからあまり長く書くこともなく気楽に、でも、本気に考えたことをつれづれに、でも、集中して書かれたものかなと思いますし、それは案外ホームページやブログをされている方の視点で読めるということではないかなと思います。夏生さんは、本文中個人のホームページやブログを批判しているようなこともお書きになっていますが、でも一方的な批判ではなくて評価をするホームページやブログの一面もお書きになっています。それは、
「人を知ることができたり。ストイックなのがいい。バイク好きとか温泉好きとか、ある特定の植物好きなど、ストイックに熱いもの。しみじみしたもの。」
                           (318ぺじ)
ある意味本の出版とブログなどには共通したものがあると思うのですが、夏生さんの今回の作品は、もちろん出版という形をとっていますが、中身からすると読者はまるでブログを読んでいるような感覚で読めます。ブログなど、このようなものがなかった時代なら「銀色ナイフ」は短いエッセイを集めたエッセイ集として読むだけですが、今の時代はやはりブログというものを知っているならその意識で読んでしまう。また、多くの作家もブログなどを意識せざるを得ない時代ではないでしょうか?無意識的にも。ストイックなものというのは、ある特定の趣味を自分を出した独特な感覚で紹介をするという意味でしょうが、それはまさにその「人を知ることができ」るということです。その意味では、今回の作品は、ブログ的に読んでしまいますが、その中に夏生さんの世間を見る目などというストイックさを見ることであり、「銀色夏生の視点」という夏生さんという人を見るものであると思います。
以上今回の作品をどのようにとらえたかというような意味での前置きが長くなりましたが、そこで感想文はどのような形で書けるのかを考えました。(以上前置きのようですがこれも感想です。。。)
それは、夏生さんがお書きになった一つ一つの項目にブログで言えば「コメント」を書くという形で夏生さんとお話をするようなこと同時に、全体を通した夏生さんの考え方や生き方それは、ブログ的に書かれたように感じる作品の中の夏生さんの生き方のストイックさを見た感想文ということにもなります。
僕は、本を読んでいると何か感じたところのページ下を折る癖がありますが、今回の作品もたくさんの三角折がたくさんありました。その意味では夏生さんに「コメント」を書くという形でも楽しく読みました。その一つひとつは、僕もそうですが読んだ方一人一人に思いがあるわけで、それはいろいろな意見として出ると思います。それらは個々の方の胸にしまっておくほうがよいのかもしれません。しかし同時に夏生さん像というものが見えると思います。それが僕にとってどのようなものなのかが感想になります。
先に書いた「もうひとりの自分が、そういう自分をちょっと離れたところから眺めているのを感じます。」というこの自分をそして周りの世間を客観的に見るということも夏生さんのひとつの視点ですから、これも大切な夏生さん像です。
同時にこの客観的に見る中身もあるわけで、どのように見るかの見方や考え方も大切になります。この点で興味深いのが、374ページの「弾丸ロケット」という項目です。
「君が今、幸福の中でもっているものを、あの人は、不幸の中でもっていた。」というミュージカル「レ・ミゼラブル」のセリフを引用し、
「これは、私が人生のテーマみたいに思っている表現と、同じ視点だ。」
と書き、続いてアンドレ・ブルトンの「相反する二つのものがそこから見るともはや矛盾したものに感じられなくなる精神の一点を突きとめる」という言葉を引用し、
「正反対の二つのものが同じに見える一点なんて、想像するだけで興奮する。怖いものなんてなくなるよね。そんなとこ。そういうところにいつも立っていたいと思う。」
とも書いています。
「何ひとつ変わらなかったけど
              何もかも変わった」
              (詩集「LESSON」48頁の詩表題作LESSONより)
夏生さんの詩にはこのような矛盾しているような、同じひとつのものを別の角度から見るような表現が時々でてきます。
少し違うかもしれませんが、詩集の中では、女性らしい優しい言葉で問いかければ、「僕」という主語で男の視点からも問いかけます。お互いの二人の間の同じ恋も女性の視点と男の視点ではすれ違いも出る。しかしその恋は二人にとっては同じひとつの恋なのです。
あるひとつのもの、事柄を別の視点から見たとき、まったく違った見方が出てくるということは多く在ります。また人と人との関係やその人が行動する中での相反するもあります。
「私が人生のテーマみたいに思っている表現」、また、「正反対の二つのものが同じに見える一点なんて、」というもの。これはこのように夏生さんの作品に表れてもいます。
「銀色ナイフ」では、多分じっくり読めば矛盾するようなものが見つかるかもしれませんが、それを常に繰り返し考えることが大切だと教えられるように思います。人というのは同じものでもそのときの気分や環境によって違うとらえ方をしてしまうこともありますし、それは年齢を重ねる中で違ったものとして見えるものでもあります。でも繰り返し考えることで、その同じひとつのものがひとつのものとして形として理解を深めることになるのかもしれません。
このような見方・考え方は、「こういう考え方もあるよ」という形での「辛口エッセイ」につながっているのではないでしょうか。正反対の見方もあるでしょうが、さまざまな角度からひとつの現象を見て、よりそのひとつの現象を寄り正しく理解をしていくという思考方法です。
「銀色ナイフ」は、「こういう考え方もあるよ」というものを読者に問いかけているのではないでしょうか?それは日常の中にあるすべてのものに対していえること。たとえば。。。力を持っていて威張る人間には頭を下げざるを得ない場合もありいやになるときもあるけど、別の角度から見るとその威張る人間はあんがい弱い人間で、頭を下げているのはその人自体ではなくてその人の持つ社会的な力にだということがわからないかわいそうな人ではないかというような視点。
こういうとらえ方の角度を変えれば、あるいは180度違う正反対の見方により、気持ちは違ってきて行動もまた違ってくる。
インターネットもそうですが、テレビなどのマスコミはさまざまな情報を流しています。その情報は受け取るだけならなんとなくそれが常識としてとらえてしまう場合がある。確かにこの情報には常識さをたくさん含まれているわけですが、、その常識をちょっと違った角度で見ることは必要なことです。
仮に世間ではこれが常識といわれている中で、いやその常識にはこんな見方もあるよというなら少し変わり者と見られてしまいます。この変わり者の視点が「辛口エッセイ」になるわけです。
このエッセイ集には、辛口なものだけではなくてホンワカするようなものもたくさんなります。このほんわかとしたものは、以上のような視点の切り替えによるとらえ方の中から出てくる心のゆとりではないかな?
それは心の自由ですね。
もちろん心の自由はいろいろと実際の世間からは縛られるのですが、心の自由は温めておかなくてはならないと感じましたし、縛られる中にも自由な行動も少しはできるわけです。
この自由という結論がまた夏生さんが常に語ってきたものです。
「あとがき」には、人それぞれはゲームのコマのようとかいています。
「自分というコマを動かせるのは、自分だけだ。」
でも、夏生さんは、勝手気ままな空想的な自由を言うのではない。
人生の中でトンネルをくぐったり、山を登ったりと、世の中の中にはいろいろあるし、それは苦しいこと。でもその中で自由にやってみようよという自由です。結論はいろいろでてくるけど、その自由は自分でしか作れない。その結論には。。。。
「人は苦しむことでしか成長はしない。
    そして成長するためにこの世に生まれたてきたのだから。」
と。。。。。
その成長は、世代によってバトンタッチされながら。。。。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
先日道の駅で買った新米

食べ終わりましたがまた買いに行こうとは。。。。

白い米がたくさんあってみずみずしさがなかった

今日新聞をみたら1等米が少ないと

これも猛暑のためだそうです

自然は微妙ですなぁ

少しの気温変化で。。。。。

いや、少しの変化というのは人の感覚で

植物たちにとっては1℃が大切なのかも

我が家のミニバラが夏に葉を全部落としました

そして少しは涼しくなったらまた葉と花を

ミニバラの適応にびっくりしました

ベランダの植物たち。。。。。。

やっと秋らしくなった中

夏の名残のように生い茂った葉をだらっとさせています

桜もみぢも始まりました。。。。

【2011年】ツイッターつぶやき
社会の中を見ると、同じように苦しんでいる者同士や考え方が同じ者同士でも一つになれないことの方が多い。
同じような状況にあっても人には感情というものもあるしその解決方法となると個々人の立つ位置も違えば考え方も違う。そこに個々バラバラな人間集団が社会の中でうごめいている。
この社会には競争というものがなくてはならないものとしてシステム化をされて、例えば低賃金で苦しんでいる者同士でも、賃金明細を見ると同じ年でも1万円違うではないかということが現れる。1万円の競争である。この競争の中に自己解決が唯一となっていくだろう。このような差別化というものは社会の中にはたくさんあり、その中で1万円でも多くという競争は人々をばらばらにしていく。同じ低賃金だというところで一体にならずに1万円の差別化で分断をされるのである。
あるいは同じ賃金額であっても、お前は独身だから楽だよなぁ。。。。といった差別化を見時からが行うことがある。
このように今の社会の中では差別化という競争意識が身に染み込んでいるといえる。
まだこの差別化の中での競争が競争意識だけで終わっている場合はまだよいのであって、時には激しい個人批判的な、あいつは仕事もしていないのに。。。とか、その分断は攻撃的な思いや感情となっていく。
こういったことはこの二人のサラリーマンの間の1万円の対立だけではなくてさまざまなところに出てきているわけです。今の放射能騒ぎの中で、汚染がひどい地域の農民と消費者が対立することも現れています。農民は政府が500ベクレル以下なら安全だといい出荷できるから出荷をする。消費者は政府が安全だというがなるべく放射線量の少ないと思われる他の地域の農産物を買う。汚染のひどい地域の農産物は売れなくなる。ここに「風評被害」という言葉による分断が作られるのです。個の分断の作用で農民と消費者が激しく対立してしまうことがある。
このような例と同じものが他にもたくさんないだろうか?
正社員と派遣、年齢間格差などなど様々なところにあるのではないか?
人種差別などの人の存在にまで差別と分断が入り込みます。
本来は結束をして一つになり社会を変えていく力が働くわけですが、そうはならないもの。。。。それが差別と分断という時には人がそれを作りだす中に人が櫃になれない条件が増していくと見た方がいいでしょう。
しかし時間の経過と条件によってはこのバラバラになって人々が結集をしていきます。
その一つになり結集をしていく要となるのはなんでしょうか?
それは例えば先の放射能騒ぎの例で言えば、分断されている農家も消費者も実は原発事故とその後の保障問題などの犠牲になっている共通性が認識されたときにその認識とそこからの行動が互いが一つになる要となるのです。サラリーマンで言えば階級意識です。
この要を作り上げていくのは実体討論と学習でしょう。そして要を意識的に作り上げようとするのが政治の勢力や市民自らの組織化でしょう。
この社会にはこれを必要としない人もいれば邪魔な人もいます。でも、社会の矛盾がだんだんと深刻になる条件があれば要はできあがっていくでしょう。必要となっていくでしょう。

【2012年】ツイッターつぶやき
ツイッター上で知ったのですが、週刊朝日の橋本市長の出自を交えた人物像というのでしょうか橋本論というのでしょうか、その記事。これに対する橋本市長のツイートを初めてした週刊朝日(親会社というべき朝日新聞)への批判があります。
橋下市長の出自をどのような中身で書かれたか、橋下市長は出自を出したこととそこからの人物像というものに対する批判なのか。。。
その中身については読んでいない僕がどうのとは言えませんが、この週刊朝日と橋下市長の対立から何を感じるか。
週刊朝日が差別についての社会的な認識や微妙さの認識不足あるいはあったのでしょうか。週刊朝日が差別をしたというわけではありませんが、あらゆる差別問題は人権問題です。
以前、殺人を犯した犯人の年老いて父親にインタビューといったテレビ放送がありましたが、成人した大人の犯人なのに年老いた父親まで引っ張り出す。ここには報道の自由や知る権利と同時に微妙に人権にかかわる問題が出てきます。父親を出させるほどの知る権利なのか?
橋下市長の出自の問題ももちろん将来は総理大臣化とも言われる人ですからその公人として主事などはある程度の取材は仕方ないでしょう。しかしどこまで、どのような理由で出自のことを出すかは微妙な差別的要素がないか考慮されなければなりません。ここにも取材の自由や知る権利と人権の微妙な境目が出てきます。
橋下市長の批判と週刊朝日の謝罪(中身は今後でしょうが)。
しかしこのように今回の問題を人権の問題として見るならば、橋下市長も職務権限と人権の微妙な境をうまく利用している。法的には道かは今後争われるかもしれませんが、法的に許される職務権限で入れ墨問題や国歌を歌っているかのチェックなどは、職務権限を発する自由と職務権限で強要される中での公務員や教師自身の思想に反したことをやらされる屈辱という事件の問題との微妙な境目があります。いくら職務上の権限があるからと言って、社員に何を強要させてもいいというものは民間でもありえないでしょう。
これを機会にマスコミや今回は橋下市長でしたが政治家の対国民としての人権の在りかたを見つめるべきではないでしょうか。
言葉の攻撃性も。。。。。

【2013年】ツイッターつぶやき
続きです。
労働力も一つの商品という形で現れる。ですから商品に価格があるように労働力にも価格がある。それが賃金額です。
商品が再生産されていくには適正な価格で売られます。ですから労働力も適正な価格で売られなくてはならない。買い手市場とはいえ適正な価格で買われなければならない。
その労働力の適正な価格としての賃金額はその再生産費となる。
この再生産とは何かと言えば生活の中でのあらゆる商品やサービスなどの消費です。
労働者は自らの労働力で商品を生産し、分業の中で生産されたあらゆる種類の商品を消費する。それは自分が生産した商品を他の労働者が生産した商品と交換をするようなものです。ここに生産と消費のバランスができるわけです。単純に考えれば。
労働者は生産者であると同時に消費者ですからこのバランスが正常ならば需給関係は正常なわけです。ここでは過剰生産などの無政府的な生産を考えないで、労働者の労働力の再生産費が極度に減らされた場合を見ます。本来はあってはならないことなのですがこの社会には普通に生じるものです。
今の日本がそうでしょう。
企業は利益の拡大や利益確保のために賃金を減らし続けます。
それは先にこちらで書いたような生産性の向上(商品価値の低下による商品価格の下落傾向)や社会システムの発展(社会保障や公的保険など)により労働者労働力の再生産費という賃金で受け取る現金の縮小とは異なり、労働力の再生産に必要な額を下回るような賃下げです。労働者は適正な(その社会の生産性による富の分配)労働力の再生産費を受け取ることができないという社会です。当然ここでは需給関係が崩れる要因となるでしょう。労働者の労働力の再生産は食って寝るだけでもたしかに生きていけるわけですから”一時的には”次の日も労働(労働力を売ること)はできる。しかし一方では労働者は自分には手にできない商品を大量に生産する。その生産される者とは最終的には大衆消費財とならなければなりませんから大衆消費財としての商品の過剰が出るし、低賃金ということで商品価格は下がり続ける。しかしここでは商品価格が下落しても労働者の手には入りにくい状態となります。必然的に商品の過剰生産と同じ現象が市場に現れるでしょう。そしてこれは労働力の再生産をもできない状態をつくるということです。市場には商品があふれ、一方の労働者はその商品を手に入れられないことから労働力の再生産を行えずに疲弊をしていく。労災や貧困からの矛盾が噴き出るわけですからこれを再生産とは言えない状態にします。経済的理由での少子化は進むでしょう。
これがスパイラル上に進めばデフレ不況となる。
デフレ不況からの脱却は賃上げではできないといった論理もありますが、それは労働力がその価格どおりに売られている状態で、市場の中で無政府的な過剰生産という形で起きる生産性の向上に原因があるからです。これもまた資本主義が抱える矛盾ですが。これも確かにデフレなのですが、このデフレを加速させるものが労働力の再生産以下の賃下げというものに原因があるとすればまずは賃上げがデフレ脱却への一つの条件となるでしょう。過剰生産は相対的なものです。世界中の人々を見れば間違っても過剰生産とは言えない状況でしょう。まだまだ資本量は足りずに拡大再生産を必要とする。しかしここでも世界的な規模での、特に今はグローバル化の市場ですから上に見たような国内のデフレ要因と同じものが世界的なレベルで起きているということです。日本が安い労働力を求めて中国やべ遁亜夢ベトナムに、そしてそこでの賃上げ傾向が見えればミャンマーなどへと。

【2014年】ツイッターつぶやき
政府はあまりのも急激な円安に警戒感を示す。一方日銀はその円安を放任し歓迎をする。どこか政府と日銀の二人三脚にほころびが出始めているのかもしれない。それに合わせてリフレ派といわれる方々でしょうか?円安はよいが消費増税が間違いだとか、今の物価高を円安ではなくて消費増税からだとかといったある意味政府批判(あるいは増税の必要性を言うエコノミスト批判)が出ている。
こうした日銀と政府の二人三脚の足並みに乱れが出始めたこと自体それはアベノミクスのほころびでもあるのでしょう。もちろん政府も日銀もデフレからの脱却で一致をしているのですが、その意味において物価の上昇は政府も日銀も歓迎をする。しかしこの物価上昇の傾向が経済を良い方向に持っていけるかといえばそこにほころびが出てきている。物価の上昇だけでは経済は好転しない。このジレンマが目に見えて大きくなるとその責任をかぶらないためにも政府と日銀の二人三脚も足並みが乱れるでしょう。
物価高が経済の成長過程においてのあるいは結果においてのインフレとは違う様相を示して悪性の物価高ではないかという疑念が広がればその悪性の物価高の原因は何かという議論になる。日銀の円安金融政策にあるのか、政府の消費増税にあるのかといった議論も出てくるでしょう。
円安による輸入品目の値上がりそして消費増税分の商品への価格転嫁を指導する政府。どちらが悪性の物価高を生んだ原因かではなくて、円安での物価高に消費増税分の価格転嫁が重なって悪性の物価高は出来上がってしまったとみるべきでしょう。
そしてもう一つの要因は、この悪性の物価高によって実質賃金の低下が出てしまったことにもある。
物価上昇分賃金が隅々にまで賃上げとして現れ、社会保障にも物価高を補てんできるなら物価高は国民生活レベルで見れば悪性の物価高とは見えない。そしてここから経済の好転も生まれるかの市が出ていたはずです。
ですから物価高の原因は、円安と消費増税にあり、その原因を修正できなかった要因が実質賃金の低下ということになるでしょう。
もちろん実質賃金が物価上昇分でも上が量な政策(経済が好転すれば賃金も上がるといった理論は破たんをしている)が実行できるぐらないならば何もインフレ政策という悪政・悪い金融政策などは行わずに済むわけです。

政府は10月の経済動向指数を分析してこれまでの「景気が緩やかに回復しているとの見方は維持する見通し」だそうである。
そして「景気が緩やかに回復しているとの見方は維持」この言葉で消費税10%は決まってゆくのでしょう。景気を現す指数が景気を回復している方向なのかといえば後退しているのが現状では?そしてこちらでも。
「景気が緩やかに回復しているとの見方は維持」しかし現実の経済状態からは消費増税10%は無理。そこで「消費税10%先送りは少子化対策「困難に」 麻生財務相」と社会保障費を切り捨てる方向へ。なぜ『消費税10%先送りは法人減税「困難に」』ではなくて『少子化対策「困難に」』なのだろうか?
すでに切り捨てるものは決まっているのである。
「10%への引き上げで増える税収(年間14兆円)のうち2・8兆円を子育てや医療など社会保障の充実に回す方針」(引用)
消費増税はすべて社会保障にという当初の公約は崩れてさらにその2.8兆円の予算増すら保証はできないという。
ある意味国民への恫喝でしょう。
「景気が緩やかに回復している」
この言葉は呪文のように政府を支配する。この言葉を放棄することはアベノミクスの失敗を認めることとなる。
内政は数の力でどうにかなるとしてもその内政は国内外からの批判が強まる。外交は中国と韓国との関係改善はされずに「いつでもドアは開かれている」という言葉の一方で閣僚の靖国参拝。そこにアベノミクスの失敗が危惧されはじめれば政権の危機は深まる。福島原発事故の汚染水発言に象徴される世界への約束が崩れ始める。国民への約束も実質賃上げには結びつかない。
「景気が緩やかに回復している」。。。。。。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)


【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
買い物に行ったらオクラが急に食べたくなり買ってきました。
買ってきたのはいいがどうやって食べようかぁ・・・・
いつもは大根おろしにのせてポン酢で、おひたし、煮びたし、オクラ納豆、てんぷら・・・・など。
いつもの味も飽きたので、さっと塩ゆでにして冷まして梅肉を乗せてみました。
梅干しをたたいてそこに鰹節と砂糖そして和風ドレッシング少々。
これをよく混ぜ合わせてからオクラの上に乗せました。
あっさりとして冷酒によく合いました。

【2018年】ツイッターつぶやき
秋といえばサンマですなぁ。
1匹88円でした。
中骨を取り除いた開きのサンマを買ってきました。
今年3回目のサンマの蒲焼。。。。。。
サンマに小麦粉をまぶします。
これをオリーブオイルでカリっとフライパンで両面を焼きます。特に皮の面は少し焦げるぐらいに。これが出来上がるとウナギのように見えてきます。
たれは、酒、砂糖、みりん、醤油です。少し甘めにしました。水は使いません。
サンマは焼きあがったら一度さらに乗せて、フライパンに先ほどのたれを入れて沸騰させます。少し煮詰めましたらサンマを戻してたれを絡めれば出来上がり。山椒があればいいですが、なければ七味唐辛子でもおいしいです。

【2019年】ツイッターつぶやき
人の社会は実践的である。
様々な個々の実践により社会は成り立っている。
個々人はそれぞれ考えて行動をするのですが、この行動はぶつかり合う。
物事を考えずに実践をする場合、この実践的ぶつかりがすべてとなる。
物事を考えないというのは、腹の中に沸き起こったものを脳みそや心というフィルターを通さずに実践となる。
脳みそや心のフィルタがすなわち理性であるとすれば、理性なき実践となり社会はその理性なき実践により動いてしまう。
優れた頭脳を持った人や哲学を持つ人はたくさんいるでしょう。しかしその優れた頭脳を使わなければただの凡人が理性を持たずに実践することと変わりがない。
理性なき実践は力がすべてとなる。
理性すなわち脳みそや心のぶつかりによって解決策を導くという民主的なものがなくなって初めから力の行使となりもちろん力のある者が勝つ。しかし力によって勝った者が正しいかは別である。これが理性なき実践社会の結末である。
政治も司法も企業活動もそしてマスコミも言論もその他すべてものが一つの大きな力によって統制されていく。少数の力を持つものが支配をしていく。
国民は社会の中で苦しむがその苦しみは抑えられる。笑顔を作らねばならない。
社会全体が不気味な薄ら笑いやらの笑顔となっていく。
個々人の心は存在するが、社会的には脳みそや心は必要なくなる。国民も理性なき実践を選ぶようになる。

【2020年】ツイッターつぶやき
安倍内閣から菅内閣へ。
この政治の劣化がなぜなんでしょ?
思えば与野党の激しさのあるぶつかりはスキャンダルが中心でした。内閣改造のたびに必ずスキャンダルや失言を起こす大臣が出たり、国会討論でさえまともな答弁ができない大臣が出てきたりしていました。何も野党が悪いのではなくてこのような劣化した政治をほっておきながら口先だけは説明責任という言葉を発しながら時間稼ぎをして重要法案は数の力で可決していった。
内政は数の力という決められる政治が当たり前になってしまいました。
この力による政治的解決は、国民生活の中にも浸透をしてマスコミや現在は学者の中にも浸透しています。
結局政治の劣化は進んでいきます。
その政治の劣化の根底には何があるんでしょうか?
政治勢力の中の国家主義的な思想が強まっていることもありますが、やはり経済の低迷ですね。経済がある程度上向きならば自民党内も力だけの政治ではなくて政策的な論争もできるのですが、経済がガタガタの状態では政権維持も力に頼らざるを得なくなります。ちょうどうまくアメリカもトランプさんの力の政治が台頭していますから日本はそれに乗っかりやすくなっています。
野党ができること。。。。。
真面目に国民生活に向き合うことですね。

【2021年】ツイッターつぶやき
今朝は5時に目が覚めてしまいました。
カーテンを開けたら外はまだ真っ暗で、急な寒さにサッシの窓に結露がついていました。
ベランダに出たらくしゃみと鼻水が止まらないくなった。
10月ももう下旬に入り11月がやってきます。
もうすぐ立冬ですなぁ。
11月から12月の冬至までは苦手な季節です。
早い時間の西日が部屋の中に入ってきます。
もうすぐメダカちゃんの水槽にも西日が届くかな。
暗いので電灯をつけても部屋は明るくならない。
まだ炬燵は早いが足元がさみしい。
でも、ほっとする景色は公園の紅葉。。。。

【2022年】ツイッターつぶやき
いつも行くスーパーに買い物に行きました。いつも3日程度をまとめ買いしてくるのですが、やはり高くなっていますね。一つひとつの商品の値段はそうは気にならないのですが、3日分まとめ買いをすると千円札の計算になりますから値上げの実態が見えてくるような気がします。
今日は食夜油やハチミツそしてドレッシングなども買いましたが、こういったものも値上がりしているようです。もちろん輸入肉はひどい値上がりです。
日銀黒田総裁が年末はさらに値上がりをすると発言しましたが、正月支度で以前から値上がりが酷かったですがさらに値上がりをするのでしょう。庶民がける牛肉の品質もひどいです。去年はすじにくで凝りました。
政治家はある政党では企業献金も潤っていますから餅代が出るそうですが、国民はどこからも金は回ってこない。

【2023年】ツイッターつぶやき
陸のシルクロード、海のシルクロード。
現代はあらゆる工業製品やエネルギーそして食料などが大動脈を流れる。同時に文化や国民生活を支えるインフラも整備されていく。
もちろんすべてうまくいっているわけではないでしょう。イタリアは離脱するようですし、インドの経済力が伸びることで摩擦も出る。しかしいったん出来上がった大動脈は動き続けるでしょう。
そこにアメリカの軍事政治が介入してくる。
アメリカの保護主義とアジアやヨーロッパと遠く海に隔たれたアメリカは覇権的行動を行う。
中国で一帯一路フォーラムが開催されれロシアからはプーチンさんも来ているようですし140ヵ国を超える国の代表が集まっている。先進国は消極的あるいは敵対的ですが、多くの途上国が参加をしている。アメリカなどの先進国に搾取され続けた途上国が広いつながりの中で発展を考え始めている。アフリカのニジェールではフランスを追い出した。
BRICSも動き出していますし、世界は少しづつ変化をしていくでしょう。
コメント
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「10月17日という日」

2024年10月17日 07時55分04秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
午後から出かけていました。
今日はどうしたんだろ?いつもなら渋滞する道路もガラガラでした。夕方5時少し前だったせいでしょうか。渋滞も10分20分の時間が勝負ですね。。。。
夜は面倒くさいので味噌ラーメンです。市販のスープ付の麺ですが、夕螺独自の野菜や肉がたっぷりの味噌ラーメンですよ。。。。。

【2004年】
朝、寒かったです。
窓に結露が付きだらだら流れていました。

【2005年】
(記事なし)

【2006年】
国連安保理で北朝鮮への制裁が決まりましたが、武力行使は認めないようです。
安保理決議では中国やロシアの譲歩が見えますが、実は武力行使を認めないことを国連決議にしたことは、アメリカの足を縛った様にもなります。
この決議案は、日本にとっても良いことであり、極東での戦争でいちばん馬鹿を見るのは日本と中国ですからね。北朝鮮が本気なら。。。
もちろん中国やロシアも北朝鮮に手を焼いていると思いますが、日本もアメリカ追随でどこまでいけるか?また、「日本も核装備」というようなアメリカが日本に手を焼く時期もあるのか?
大企業優遇政策は続きそうです。
大企業が発展してこそ国民生活の安定もある?
デフレ脱却はまだ出来ない。
大企業優遇の視点からの経済の回復傾向は続いているようですが、それが国民生活にどのように現れているか?すでに福祉国家論は消えて、国民生活の発展や安定さえ国の政策の眼中にはない状態です。勝ち組がいかに自身の今の状態を維持するか!ここに視点は移されている。

「うらない」銀色夏生×ミラ 銀色夏生著
「女っておもしろい」「タトウーへの道」「物をつくるということ」に続いてのおしゃべり本シリーズNo.4です。
今回は占師ミラさん登場。(ミラさんのプロフィールにはホームページも紹介されていますので、こちらでも紹介させていただきます。)
「FairyLight ミラ」
これまでの三作は、「つれづれノート」という日記エッセイシリーズに登場した方とのおしゃべりでしたが、ミラさんは、表立っては登場していませんでした。でも、夏生さんは昔から占いに興味を持っておられ、「つれづれノート」シリーズの仲にも時々占いについて書かれています。
また、占いではありませんが、2002年(平成14年)角川文庫より発売になった「ぶつかり体験記」では、座禅・前世催眠・波動測定・絶食などの少し不思議な世界の体験を書いたものがありますが、夏生さんらしいユーモアを交えた文章とイラストの楽しく読める本で、これらの体験を通して夏生さんはご自身の行くべき道を見つけていきます。それは神秘世界に入るのではなくてあくまでも現実のご自身の人生の中に見つけます。これと同じように、占いもその神秘性に中に入るというよりも、ご自身の行くべき道をどこに求めるかを考えていく上での一つの方法のように感じます。
こういう夏生さんに対しての占い師ミラさんですが、仕事柄というものもありますが夏生さんの考えていることを引き出す事がうまく、読んでいると、占い師というものもカウンセリングのような職業なのかと思います。
このようなお二人のおしゃべりですから、夏生さんも自由に話しをしています。おしゃべり本シリーズ4冊は、おしゃべりの中身をそのままにテープ起こしをして本にしているわけですが、普通に考えると、このような対談形式を本にするには、ホストは夏生さんであり、相手のことを引き出して話が進んでいくということだと思うのですが、このシリーズでは、ちょうどお話しの相手を鏡として夏生さんを表現しているような本になっています。この鏡という言葉は、ミラさんが多用していますが、夏生さんが自分を表現するためのおしゃべり相手としてはミラさんはうってつけの方でもあり職業でもあるのではないかと思います。
シリーズ本も右往左往しながら進んできたと思いますが、4冊目として落ち着いてきていますし、締めくくりとしてもじっくり読める本になったと思います。
本の後半の165ページからは、特に作家(詩人)銀色夏生がよく出ています。
ファンそしてたまたま1冊読んだ読者は、その本から銀色夏生像が出来てしまいます。特に日記形式の『作品』である「つれづれノート」シリーズは、毎日の生活や人とのかかわりなどの一部を書いているわけですから、そこに読者から見える銀色夏生がいるわけです。しかし、銀色夏生は一人の人間として生きている。作家・詩人は職業であり、すべての生活の中の一分の自分を出しているわけである。もちろん銀色夏生という作家としての人間は大きな存在ですが。やはり日記にしてもエッセイにしても詩にしてもひとつの作品なのでしょう。。。
そこと読者の目で見た銀色夏生像とのずれは大きくなってしまう。読者は作家銀色夏生を見るのではなくて、そこにすべての人間を見てしまう。「つれづれノート」のファンにとってはつれづれノートの世界の銀色夏生という人間を見て、詩の世界には別の銀色夏生を見る。それぞれにその世界の部分的なもので見てしまう。
こういうものは、夏生さんだけではなくて、他の作家にもいえることで、よく「小説の中のことは経験からですか?」という質問が作家に対して出てくる。「つれづれノート」は日記ですから出来事は事実でしょうが、その毎日の中での出来事の一部であり、その作家としての書き方もあるはずです。ここではたしかに「経験」が表現されていますが、その書き方ではやはり作家銀色夏生なのです。そしてその作品なのです。
233ページには、「読者へのサービス」という言葉が出てきますが、一人の銀色夏生像をたとえば「つれづれノート」という形で読者へ見せてくれる。。。こういうことを言っているのか?
まぁ、作家といえどもその作品を売っているわけですから、サービスといえばサービスなのですが、読者を喜ばせるということは大切なわけで、出版サイン会などという派手なことをやらないだけでも銀色夏生の生き方なわけです(サイン会をやるような作家はだめといっているわけではありませんよ。作家個人の読者との接点の持ち方の違いです)。
でも、「つれづれノート」が嘘であるということはまったくなく、夏生さんはその世界でも確実に生きているわけです。おしゃべり本シリーズ4冊を読んでもそこには「つれづれノート」の世界に生きる銀色夏生が出てくるわけです。ひとつの作品としては、その世界は現実なものであると同時に、すべての夏生さんが描かれないという意味においては読者の幻を見せているわけです。文芸というのはそういうものでしょう。
そこで特徴的な言葉が、ミラさんの言葉としてよく出てくる「人間の次元として、魂の次元として」の人というものです。
人の次元というのは、「つれづれノート」に出てくる日常生活そのままの夏生さんですが、魂の次元では、時々現れる日常生活の奥底にある精神的なものの表現者としての夏生さんでしょう。ある作品を読んだとき、その作品の字面に現れるおもしろさと、全体を通して見える作家の精神面。この二つを読み取れるわけです。字面のおもしろさから「ほんとに体験したこと?」などという作家への興味が出てくるわけですが、魂の次元では、その作家のものの考え方なども見えるわけです。
ですから、夏生さんも、この二つの狭間でいろいろと考えさせられたのではないかと感じました。特に日記形式のエッセイですからね♪
でも、作品の中の人間の次元の字面部分を楽しんではいけないというのではなく、作家がその内面の魂の次元を表現するには、人間次元のどろどろしたものを通して表現せざるを得ないわけですから、「つれづれノート」は楽しんで読むべき本です。その他の夏生さんの本も。。。
先に夏生さんも「つれづれノート」の世界に生きていることは、おしゃべり本4冊にも見えると書きましたが、作家は、自分とはまったくはなれた世界に生きるわけにはいかず、それでは作品も書けないわけです。問題は、読者がどう読むのかということですね♪そしてそれは偏見でなければ自由です。だって、読者は自分の持つ問題意識で読むわけで、そこから作品に得るものを見つけるからです。そこに作家と読者の接点があります。
おしゃべり本もまたいろいろな読者の意識で読まれていると思います。そこには、おしゃべり相手として「つれづれノート」の世界と接点が強いです。そんな楽しみとしてもステキな本です。夏生さんの精神的な世界との読者の問答も心の中でする楽しみもあります。
夏生さんにとっては、「つれづれノート」を終わらすにあたっては必然的に書かねばならなかった本かもしれません。
次は。。。。
夏生さんらしく書きたいことを書いていくことに変わりがありません。
そこに夏生さんの新たな決意が見えます。ファンとしては、「夏生さん、どこに行っちゃうの?」とどぎまぎしますが、それは昔から変わらぬこと!(笑)ミラさんの占いのように砂漠から一言も。。。ハハハ
これからも読者は夏生さんにドキッとさせられることでしょう。そしていつの日かまた違う面の夏生さんの「つれづれノート」も楽しみに出来ます。

【2007年】
また「カレーうどん屋」なるものに入った。
カレーうどんの専門店です。以前から気になっていたのですが、今夜も外食で遅くなりうどんなら消化もいいかと思い入ってみました。実は2回目で、まぁまぁおいしかったので。。。。
なんていうんだろ?あのカレー・・・・・
ミルクカレーとでもいうのかな?白いくりーみーなカレーで、その中にうどんが入っている。(以前食べたときはビーフシチューにカレー粉を入れた感じのものを食べました)微妙な味ですが、うどん自体はコシもありおいしいので何とか食べられます。スープ自体もまずいわけではないのですが、どうも僕のようなおじさんとしては日本蕎麦屋さんのカレーうどんの味に慣れているもんで。
日本蕎麦屋さんの味付けカレーうどんも出してくれないかなぁ。。。。
昨夜も少し遅くなったのですが、頑張ってブリ大根を作りました。少し我慢をして冷めるまで待って大根に味をしみさせました。あとは前の日に妻が作ったカレーを暖めなおして食べました。カレーというのは飽きないものです。。。。。
そういえば、朝も忙しくて朝食は吉野家の「特朝定食」
鮭の焼いたもの、納豆、生卵、海苔、お新香、味噌汁がついて490円。
我が家は朝はパンなので、時々ご飯が食いたくなるのですが、そんなときはこっそりと吉野家さんへ。。。。
なんとなくひとりで朝めしというのもどんよりしますが、外食が多いと慣れてきてのんびりしてしまいます。。。。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
ここ2,3日。。。。。

ホームページの整理をしています

過去記事を整理をして

新たな気持ちでスタート!!

しかし・・・・・・

人は過去を引きずるものですなぁ。。。。

ぱっと消去すれば終わりのはずですが

ネットとはいえそうは簡単にはけせない

やはりそこに過去の僕がいる
          (Am8:00)

千葉県香取市佐原に行って来ました。
関西に行くと時々「小京都」と呼ばれる古い町並みが残る待ちがありますが、関東では「小江戸」となります。佐原も「小江戸」と名付けられています。
銚子から利根川をさかのぼった水運と集荷で栄えた町です。利根川から水を引いた運河のような小野川の両脇に古い町並みが残ります。利根川の反対岸(茨城県側)は水郷として有名な潮来。どちらの町も水路を利用してさまざまな荷物が集積されここから陸路で運ばれたのでしょうか。
物と人が集まればその町は栄えます。しかし鉄道が引かれるとその町は様変わりをする。物と人の流れが代わりますからね。古く栄えた町に行くと旧宿場町は衰え、駅前が発展をしているという風景をよく見ます。佐原もそんな町なのでしょう。
町の中に幅10メートルに満たない水路のような小野川が流れ柳の並木が美しいです。その両岸に古い町並みが残っています。
「小江戸」と呼ばれる町の中にはだいぶ観光地化されてお土産さんに町の風景が変わっていますが、佐原のよいところは古い商店がそのままに昔からの商売を続けあとはひっそりとした生活の場であること。川沿いの家がお土産やさんの変貌していないところが魅力です。
とはいえ、伊能忠敬の旧家が残る町でもありますし、少し前にテレビなどでも放映され有名になってきましたので町では急ピッチで町おこしのための観光地化を目指していることがよくわかります。大きな駐車場が街中にないことからまだ観光バスがあまり入っていないこともあり観光客はそうは多くないのですがこれから変わっていくでしょう。
観光地化されない静かな町並み。。。。。これは観光客の側から見た魅力ですが、町にしてみれば町おこしとしての佐原が魅力なのです。両立は。。。。。。難しいですね。
小野川に観光客を乗せた船がありました。水郷に舟を浮かべ船頭さんが棹をさす長閑な風景。。。。。と、思いきや、おばちゃんが操作するモーターボート(笑)
伊能忠敬の旧家がありました。
そうは大きくない屋敷でした。庭のほうには「ここから第一歩が」というような石碑がリます。日本中を測量する旅に出かけた第一歩。。。。。気が遠くなりますなぁ。。。。
それも50代半ばにして江戸の勉強をしにいき、それから20数年測量のたびですからねぇ。新しくできた記念館の中でのビデオ。。。。息子がその年でと止めるのも振り切って年なんか関係ないと江戸に出て行く。。。。江戸時代の50代といえばもういい爺ちゃんですからなぁ。僕としては勇気が出ます。
今年になって伊能忠敬がつくった日本地図が国宝になったようです。新築された記念館には本物が展示されています。今の日本地図と大差のない優れた地図です。
記念館を出たところに落ち着いた雰囲気の喫茶店があります。
コーヒーを飲んでいたらその店の女性オーナーが話しかけてくれました。伊能家の本家にあたるいえのご子孫だそうで、佐原の町の移り変わりや伊能忠孝についてのお話を少しうかがうことができました。記念館にはない資料というのはこのようなお話しの中にありますね。。。。ありがとうございました。コーヒーおいしかったですよ。
お話の途中で、外に水の流れる音が。「じゃぁじゃぁ橋」
古くは水路がありその水が流れる橋が?橋から川に水が流れる変わった風景です。今では水路がなくなりポンプで。。。。。
いろいろと移りゆく風景。。。。でもいいんじゃないかな。

【2011年】ツイッターつぶやき
今朝の朝日新聞に世論調査がありました。
野田内閣や政党の支持率などと復興増税案とこの夏の節電についての中身でした。
内閣や政党の支持率はここでは触れません。復興増税案についての世論ですが、増税に賛成が40%、反対が49%ですが、やはり増税には反対という意見が強いようです。消費増税については賛成が45%、反対が46%でほぼ同数です。
煙草税の増税にいたっては賛成が63%、反対が29%でした。
復興財源としての「増税」というのは、所得税や法人税などの増税とありますから「など」には当然煙草税も含まれるわけだと思います。煙草税の増税の賛成は強いわけですから、賛成という意見は多くなると思われます。
どうせやるなら、増税一般(総体)の賛否とともに「所得税」「法人税」「消費税」「たばこ税」と分けた調査が必要だったのではないでしょうか?特に法人税はその増税といってもたしか法人税減税を数年据え置くといった中身だったと思います。このような点についても調査すべきではないでしょうか?
煙草税については、朝日新聞社説において復興財源として安易にとりやすいところから取るという煙草税の増税はすべきではないという意見であり、煙草増税は健康促進のためという位置づけを提起していました。今回の世論調査の結果にもこの「健康のため」という増税の論理が働いていると思われます。ですから煙草税の考え方とはっきりさせてからの設問でなければ、復興のための増税というものが薄められた結論になるのではないでしょうか?たぶんこれが煙草税ではなくて酒税やガソリン税だったらどういう結果になったでしょうか?
そして続いて「増税をするなら」という過程の設問が続きます。
財源としての国会議員や公務員削減の設問となっていきます。もし設問に「増税をしないなら」というものを設けてその財源論を広く取り上げたらもっと国民意識が出る調査になったのではないでしょうか?財源論や増税への弊害も広くいわれているのですから。
この夏の節電については、そうは節電への批判はありませんでした。そこに脱原発の方向性を問う設問に加えてほしかったです。

NHKの朝の番組に「あさイチ」というのがあり、日本各地の食卓に上る食事の放射線量についての調査をしている。サンプルとなるいくつかの地方の過程で週に1日ぐらいはセシウム134・137が検出されているが福島県郡山市も含めてほとんどが0ベクレルとなっている。
0ベクレルということは、食材そのものに放射性物質がなかったかあるいは調理によりなくなるかとしか考えられないのですが。。。。。どちらも完ぺきに0ということにはならないのではという疑問が出ます。
そこで、考えられるのが東京都の水道水の核種検査において「検出せず」と発表されるが、その「検出せず」の考え方は測定誤差にも触れています。「測定値がその測定誤差の3倍より小さい値の場合には、結果を数値として示すと正確さを欠く可能性があるため」(引用ページよりコピー)
今回のNHKの食品測定にも機械的な物での誤差があるはずですからこの誤差を勘案して「検出せず」=0となったのではないでしょうか?
くわしい分析結果の表を見ると、誤差や検出限界も検出値が0の時は0になっている。しかし検出されたときはこの誤差や検出限界の数値が出ている。よくわからないのですが、この0にもある程度検出されるべき数値がありその誤差の考え方から0という表記になっているのではないでしょうか?
また検査する食品はすべてミキサーで混ぜてから測定しているようですが、当然一つひとつの食品によってその放射線量は違うはずです。一つ一つの食材について測定しないとサンプル量が食べた分量すべてではない場合はそのサンプルから得られる数値は違うのではないでしょうか?例えば100グラムのサンプルで検査をしてある値がでる。その値が誤差の範囲なら0となりそれが㎏当たりのベクレル数としても0になる?100グラムの誤差は1キロなら10倍の値になる?そうすると誤差の範囲ではなくなる。算数の苦手な僕としては頭がこんがらがってしまいます(笑)でも、どうしても誤差の扱いが気になるのです。検査値も0、誤差も0ということに。
あと、実行線量係数ですが、こちらのサイトによればこの係数は年齢によって違いが出るそうです。番組には小さな郡山で暮らすお子さんが出てきました。小さな子供への放射能の影響は大きいといいますが、この実行線量係数も子供では違った値をとるべきかと思います。調理のやり方によっても放射線量は少なくなるでしょう。500ベクレルの食糧が出てきても調理をする中で500ベクレルそのままを体内に入れることはないと思います。その意味で調理された食材の放射線量の値には注目すべきでしょう。
しかしなるべく少なくすることは大切なわけです。その意味で0という数字にそして0が示す中身について知りたいわけです。

【2012年】ツイッターつぶやき
すみません。時間がないのでツイッターから

知識は一つの体系的な理論(思想・思考的方法)とならなければならない。その理論が人々の心をとらえたとき、知識は物的な力となる。
とは言っても、扇動や勇ましい言葉などにより人々の心をとらえようとする方法は、知識ではなくて感情に呼びかけるものでしかない。感情に依拠するものは危険である。
文学などは感情に問いかけるものがあるが、本来の文学はその心自体を見つめる作用をし、虚構の中に真実を見つめるだろう。この心を見つめることが知識をさらに高めて思想などの理論を強固なものにするだろう。その意味において文学などは欠かせないのである。だから下手なプロレタリア文学より純文学だ
人の知識や思想は、社会の中で規定されそれは一人ひとりの人間としては日常の生活の中に規定される。しかしこの規定されるというのは社会全体なり日常生活に埋没した知識や思想になるという事だけではない。同時に矛盾を解決するための思想や知識が必要になるという事である。これが規定的なのである。
恋という心の作用にあらゆる心の枝葉が含まれるだろう。ひとつの恋は社会の中に棲息する人間の心である。社会の中で日常を過ごす人々の恋なのである。それがすぐれた文学として人の心に染み込んだならその感情は感情にとどまらないだろう。自分自身の恋と同時に自分自身の社会を見つめるだろう。
心にす~っと風のように入ってくる言葉たち

【2013年】ツイッターつぶやき
人の労働なくして社会は維持できない。今はロボットの社会になり昔に比べて労働力を多く必要としなくなっているし熟練を要する労働も少なくなっているが基本は人の労働力によって社会は成り立つ。
ならば社会の中でこの労働力を維持する必要性を誰もが否定をしないだろう。
労働力の維持とは労働力の再生産である。この社会においては労働力を売って賃金を得て生活をする。これは様々な商品と同じ扱いを受ける。物と人の労働力を同じにするなと批判されるかもしれませんが現実として同じ扱いをされているわけです。ある商品が単純再生産されるには、企業は生産設備を維持し、原材料やエネルギーを買い、労働力を買う。この必要な費用において初めてそこで生産される商品は再生産できるわけです。これらの経費は必要経費なわけです。この必要経費の中でその商品は市場に流れて企業は利益を得る。その利益でまた再生産に移る。(ここではその企業の剰余からの利益=利潤は見ないことにします)
労働者は労働力をうって賃金を得る。その賃金で労働力を再生産して明日も企業に売る。企業の商品の再生産が必要な経費の支払いによって維持されるのと同じく、労働力の再生産もまた必要な経費への支払いによって維持される。労働者は賃金からこの労働力の再生産に必要な支払をする。
労働力を維持するには基本的な衣食住がある。そして医療費や教育費や娯楽費などなど含まれる。これは生活全般に支払われる費用であることがわかる。これらの費用全体が労働力の再生産費(費用)である。これは個々人の労働者に見ることだけではなくて、商品を再生産する企業が生産設備を維持したり新たな生産設備に換えていくのと同じように「老朽化」した労働力を新たな労働力に換えていく必要がある。それは子育てにあるわけです。ですから労働力の再生産費には子供を育てるという費用が必要です。また、企業は老朽化した生産設備を只で捨てることはないでしょう。再利用したり例えば鉄ならば社会的には再利用される。最終的な処分も費用を要するでしょう。「老朽化」した労働力も同じで、再生産された子の労働力の再生産費にはこの「老朽化」した労働力の「処分」費用もかかるわけですからそれも労働力の再生産費に含まれる。(少し言葉が悪くなってしまいましたがわかりやすくするためですからご理解ください)
ここで「老朽化」した労働力の「処分」ですが、企業が新たな生産設備に置き換えるときの費用は、この老朽化した生産設備を労働力と結び付けて稼働させてきたことによる利益から得ているわけです。ですから生産設備も労働力もそれが老朽化したとはいえ、特に労働力は過去の富をつくりだしていたわけですから「老朽化」した労働力の「処分」も過去の労働でつくりだされた富から受け取ってもよいわけです。早い話が老後の生活費(蓄え)も労働力の再生産費に含まれるわけです。企業の減価償却費のようなものでしょうか?
なんとなく話が労働力と物とが一緒になったようでむなしいものとなりましたが、今の社会は労働力も商品となるしくみですから仕方ありません。しかし労働力を売り維持するのは人間です。その維持の仕方には自由があります。心があります。それぞれの過程においてその意識性の違いからどのような労働力の維持の仕方をするかは自由です。少し食費を我慢してそれを旅行費に当てようとか。労働力の再生産は生活そのものなのですから。ここに一般商品としての物と人の労働力商品の違いがあります。
労働力の再生産は人の自由によって決まりますがその再生産費が自由であるわけがありません。再生産費は社会的な平均で決まります。そしてこの平均値はそれぞれの国において違いが出ますし、時代においても違いが出ます。
平均的な再生産費は、今の社会の生産力や文化などの発達によって決まるでしょう。
また、労働力の消費が多くきつい労働ならば労働力の再生産費は高くなりますし、その労働に必要な能力を得るのに費用と時間がかかるものならばやはり再生産費は高くなるでしょう。ですから社会的な平均で再生産費が決まるとはいえ多少の格差はできます。また子だくさんならば再生産費は高くなるでしょう。このような多少の格差は認めつつもそこには平均的な再生産費と最低の再生産費が決まります。プール付きの豪邸などを思い浮かべないで想像できる普通の生活に平均があるのではないでしょうか?スーパーに行って贅沢とは言わないが今日は何が食べたいと財布に相談しなくても買えるのが平均でしょう。
もちろんそれは社会的な生産性に規定されますが、この社会の生産性に依拠することとはどのようなことでしょうか?生産性が低ければ供給が足りなくなるわけですから平均的な労働力の再生産にはその商品は入りずらくなり、特に必要とする人は他の生活費を削ることになるでしょう。逆に生産性が高まれば多くの商品が安く大量に出回るわけですから労働力の再生産の中に入りやすくなります。また安い商品が多くなるということは労働力の再生産の豊かさにつながるでしょう。あるいは労働力の再生産費を低下させもするでしょう。そしてより少ない労働力でより多くの商品が生産されるということは労働時間の短縮につながります。それは労働力の再生産に必要な時間(生活を楽しむ時間)を増やします。今の社会はこういう時代に入っています。
生産性の向上という生産力と合わせて社会自体のシステムが高度化しています。それは社会保障や公的保険の発展にあります。さらに教育の無償化や医療の無償化も夢ではない時代です。こういった社会システムの高度化は最低限の労働力の再生産費しか受けられない人々の生活を向上させて格差を埋めていくでしょう。さらにこれが定着すれば現金による労働力の再生産費は減少するでしょう。社会は「低コスト」での生産性を高めていくでしょう。

【2014年】ツイッターつぶやき
8月が約1ドル102円で今日は106円。。。。円安傾向だが株価は8月と同じまでに落ち込んでいるのでは?外的な影響とは言えどもやはり為替と株価だけばかり見ていると日本の経済の現状がわからなくなる。一つわかるのは株価維持・上昇のためには円は「下がり続けなければならない」ということ。(ツイッターから)
このことから日々の円安と株価は連動しているようだが円安の割には株価は下がることがあるというように株価と円シャスの割合が変化をして乖離していくのではないかという心配があるわけです。
ですから政府はこれ以上の円安は歓迎できない中に株価維持のために年金積立金を株に投入しようとする。
しかし株価が実体経済を反映しないならこのような株価操作は日本の資産を海外に消えていくことを示します。
ドルが基軸通貨とはいえ本来ならばアメリカのように株価が上がればドル高になり株価が下ればドル高になるというのが普通なのでしょう。
株価をアメリカをはじめとした海外の政治や経済に左右されるという面だけをとらえて今日の株安を説明するだけでは日本独自の経済の状態を見ることができないし将来展望も見えないでしょう。そこで株価操作をしていく。。。。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
ツイッターから
日本の子供はバカにされている。若者の投票率が低い理由をスウェーデンと比較してわかったこと。 。。。政治に関心があるというより、「自分が投票したら社会が変わる」という意識(引用)これは大切。この意識を持てるには民主主義が身近でないとダメ
自分が投票したら社会が替わるという現実は民主主義を身近に感じなくてはならない。この民主主義がまた投票にも積極的になる。この相乗効果が政治を正しくして社会を豊かにするでしょう。ワイドショー的な政治家の不倫もいいが、政治の不正には目をつぶる社会においては民主主義は擬製のものに。
ワイドショー的な政治への関心で政治に興味を得ることは間違いではなくて不足しているのではないか。ここには社会が変わるという意識は生まれないでしょう。○○党に選挙でお灸をすえるといった意識はあっても社会を変えるという意識ではない。考える習慣とその考えたことを話し合える民主主義が大切。
19歳でガクンと落ちる投票率」【神戸新聞】大学で友人と政治について語ることがない。スキャンダルや政治とカネの疑惑で不信感。。。。ここには投票することで社会は変わるという意識は生まれませんね。
ツイッターでは「自分が投票したら社会が替わるという現実は民主主義を身近に感じなくてはならない。この民主主義がまた投票にも積極的になる。この相乗効果が政治を正しくして社会を豊かにするでしょう」と書きましたが、この逆となれば負の連鎖が生じることになります。
自分が投票しても社会は変わらないという意識は現実の政治が作り出します。これが事実ならば、国民の声が届かない政治という事になりますから民主主義の劣化です。すると社会の豊かさは格差の拡大や貧困化を増大させます。結局その社会は衰退をしていきます。政治や社会の衰退はますます国民をひきつけませんから政治に民主主義はいらなくなります。一方の国民はまったく政治的自己主張を欲しなくなるわけではありませんので、ワイドショー的スキャンダル政治に飛びつく。過激な排外主義を受け入れやすくする。そして政治は民主主義の代わりにポピュリズム的疑似民主主義を作り出す。
悪循環は続きそれが日本の危機となる。

【2018年】>ツイッターつぶやき
消費税の逆進性。。。。
年収(手取り)が100万円の人が10万円のテレビを買ったら、消費税率10%になりますから1万円の消費税。年収の1%です。
同じく年収200万円の人がやはり10万円のテレビを買って1万円の消費税を。年収の0.5%です。
年収400万円の人の場合は0.25%。
年収1000万円ならば0.1%。
・・・・・・年収が低ければほぼ年収の全額全額を消費として支出するでしょう。100万円の人が10万円も税を納める。200万円の人は20万円。生活をしていくには重すぎる税ですね。1000万円の人が100万円納税してもその苦しさは比較できないほど軽いものでしょう。
今更このような計算をしなくても税の負担の重さは逆進性を示します。
サラリーマンの平均年収は430万とか460万とか言われていますが、たぶんこの額は手取りではないと思います。すると300万から350万程度が手取りとなるでしょう。
すると手取り300万から30万が税として消えていく。
この30万があったら・・・・と、当然考えないでしょうか?
家族で年2回ほど旅行にも行けるし、必要な家電なども買える。貯金して車も買える(維持費も賄える)。平均的なサラリーマンはこれほどの豊かさを犠牲にして消費税を納めるわけです。逆に考えれば、30万円の消費を控えたり我慢する。
これでは個人消費も伸びずに経済はしぼみますね。

【2019年】ツイッターつぶやき
サントリーの花、フィオリーナを買ってきました。
ビオラです。
おととし、サントリーのフェアリースターという極小ニチニチソウを買ったことがありますが、たくさんの花を咲かせて強い花でした。今年の冬は出窓で2回目の冬越しに挑戦。サントリーの花苗は高いですが花付きもよくてきれいです。
そこで今年はビオラに挑戦。
一鉢300円程度でした。
プランターに3鉢植えましたが、大きく育てば春にはかなりボリュームが出てきれいだと思います。
1月には花が多くなるようです。
この台風の影響と急に寒くなってしまいニチニチソウが終わってしまいました。
土を柔らかくし肥料を入れてフリージアの球根を植えました。
新聞紙に包んで夏を越させたのですが、すでに芽が出ていました。早ければ1週間ほどで目が出ると思います。
アマリリスも葉が出てきています。
切り戻しをしたナデシコは北風が当たらないところへ移しました。
スイセンはそろそろ芽が出る時期かと思うのですが、、、、
ベランダはすっかり冬支度。

【2020年】ツイッターつぶやき
東京ではいつもは宿泊などできないような高級ホテルにGo Toの補助があるから泊まってみたというようなニュースが流れている。テレビ番組でもいくらお得!と。
しかしGo Toがなくてもコロナ感染拡大により高級ホテルも案外安くなっていたかもしれない。
だとするとGo Toの補助という税金はその高級ホテルの価格維持につながっているのかもしれない。もちろんホテルは利益を出すことができる。
コロナ以前は中国をはじめとした外国人旅行者に依存してきましたが、日本人の消費意欲はだいぶ下がっていたのではないでしょうか。ホテルなどに限らず国内消費減は日本の経済実態であったと思います。その中でGo Toで消費を伸ばそうとしているのですからそれは同時に価格維持(デフレ防止)という面が強いのかもしれません。
ついったを見ていたら、修学旅行生の弁当の写真があり900円だと。事実ならコンビニならもっと安いはず。言葉は悪いですが、ぼったくりとも。
客足が少なくなる一方で価格の下落は困るということは相当日本経済も疲弊していますね。
これではいくら政府が金をばらまいてもV字回復とはいかないでしょう。ということは経済政策にもならないということです。

【2021年】ツイッターつぶやき
世界中でインフレの懸念が出ているようです。
コロナ禍による経済の落ち込みから経済の回復が望まれているが、経済の回復とはコロナ以前の経済に戻すことになると思いますが、そのコロナ以前の経済自体が落ち込んでいたのですから経済の過熱によるインフレは起きないでしょう。国民生活が少しは改善して消費が伸びてくると設備投資も伸びて相乗効果として経済がまわるようになりますが、この時本来の経済法則としてのインフレが起きます。
しかし現在経済の過熱は金融資産や原油などの先物取引等経済の落ち込みによる過剰資本がその行き先を見失って金融や先物などに流れているだけです。そこにさらにカネは吹き溜まっている状態が景気の判断にもなっているのですから悲惨です。
物価は悪性の物価高となりそれは冷たい悪性のインフレです。
経済の過熱からのインフレは起きずに一部の金が吹き溜まっているところで加熱する。デフレ圧力の中でのこの加熱はスタグフレーションとして経済を混乱させるでしょう。

【2022年】ツイッターつぶやき
インフレによる物価高により、ヨーロッパでは抗議デモが高まっているようです。その中でイギリスは電気料金への支援を一度は決めましたが財政的理由で白紙になったようです。
ヨーロッパではこの冬に大きな混乱がありそうです。
アメリカでも賃金は上がっているが物価高に追いつかない状態が出ているようで、相対的な貧困が発生しているようです。
日本ではそうは物価高の規模が大きくないとはいえ、もともと低賃金が続いている中での物価高ですから実質賃金の低下は激しくなっている。
先進国の資本主義が行き詰ってきているようです。
その中で中国は中国的な社会主義を出しています。経済は資本主義でしょうが、政治的には社会主義という複雑さの中で資本主義のコントロールを常に行いながら経済政策を進める。
資本主義もその最高の発展段階としての社会民主主義に進まなければ矛盾は大きくなるばかりでしょう。
中国も共産主義ではなくてその一歩前の社会民主主義という社会主義に向かうでしょう。

【2023年】ツイッターつぶやき
スーパーに行き買い物をしました。
コロナがはじまってからなるべくすいている時間にまとめ買いをするようにしています。それでも週1回ぐらいは1日分の買い物になりますが。
1日分の買い物は近くのスーパーでまとめ買いは車を飛ばして。
しかしスーパーにより値段が違いますね。1日分を買ったとき4千円ぐらいになるときがありますが、3日分のまとめ買いなら1万2千円になるとは限りません。まとめ買いをするスーパーはやはり安いのか?まとめ買いをするから少しは安くなるのか?
今日も米とかハチミツとか買いましたがやはり安い。
そういえば、月出山岳かわかりませんが長ネギが高くなっていますし品も少ないような?
先日はスーパーで長ネギが売り切れというのをはじめてみました。テープで3本ぐらいまとまった長ネギがなくなりばら売りにもなっています。天候不順の為かな?
コメント
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「10月16日という日」

2024年10月16日 07時41分40秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
うううう・・・・・
昼食はファミレスに行きました。会計をしようと思ったら、僕の先に6,7人のおばちゃんのグループが。
そしたら一人一人会計をはじめた。こんなときって、普通会計を済ませる前に誰かがお金を集めたりしませんか?僕たち男ばかりだと、このぐらいの人数でお昼を食べたりのみに行ったときには、一番若いやつに金を集めさせて、払うほうは少し多く出し合い残りをその若いやつに払わせるか、誰かしらが集めて「消費税は、俺が持つ」という具合なのですが。。。。。
今日は、ほかにもおじいさんともう一人の二人で食事をしていたのですが、おじいさんを残して連れがお金をいくらか払って出て行ったのですが、残りの金をそのおじいさんが払うだんになり、どうしても計算が合わないと文句を言い出しました。
そんなことでイライラしました。

からくりからくさ              (新潮文庫)

梨木 香歩著日本の紬、西アジアのキリム。
どちらも雪深い山々に囲まれたような寒村の女性たちの家を支える収入源です。女性から女性へと伝授され続ける技術。現代人はそれを伝統工芸あるいは芸術としてとらえるが、昔の女性は家制度そのものを伝えることともつながり、切り離せないものであった。それは「家」を守ることでもある。
家を守るということでは、男も女も同じである。しかし、男はその家を守ることは外への働きであり、うちでは家長という立場で振舞う。女は、その男を支えること「家」の中に押し込められての守るということである。狭い家制度の中の女性。その中には喜びもあったろうが古臭い家制度の中でのつらい日々を送る。
紬にはそんな女性の思いが込められている。それはあるときには紬の文様となり、東西の文化の中で文様が伝播したようにその共通した文様にその女性たちも思いが表れている。それは伝播したというよりも女性の思いが共通したものであり、その思い自体の共通性を表している。
紬は同じ文様を繰り返し繰り返し織り込まれる。そのパターンを崩して違う文様を古い文様から引き継いで表すことは難しいらしい。それは同じように、家制度の中で苦しんでいる中に違うパターンを家の中に持ち込むのが困難な女性の立場に重なる。嫁として苦しみ、その苦しみを姑になってから嫁に同じ思いを繰り返させたくないと思うが、家制度そのもがそれを許さない。女性は同じ文様を後世に伝えなければならない。しかし、これも奥底には女性の苦しみそのものが伝わるのである。
主人公の蓉子は、「りかさん」という古い人形と話を詩ながら育ってきた。祖母から教えてもらった自然からの恵みをどう受け取ったらよいのかを知っていた。人形のりかさん自体が祖母を通した家制度そのものを受け継いでいるかのようだ。その祖母が詩に、古い家に紀久、与希子そしてアメリカ人のマーガレットが下宿人として同居するようになった。紀久は紬を織り、与希子は、キリムを織る。マーガレットは西アジアの古い織物を織るクルド人の血を引く。
「りかさん」を通じて紀久・与希子の血のつながりと蓉子との関係が次第にわかってきてそこには古い家制度があった。大学生という年頃の女性たちは現代っ子であるが、古い織物を織り研究する。蓉子は染色。現代っ子が古い伝統工芸を受け継ごうとすること、それは古い家制度の中の女性の苦しみを知ることでもあった。それも血がつながった祖先を持ったり古い人形とその祖先のつながり。
小説の中では、その古い家制度の崩壊、それはつむぎという技術そのものの崩壊でも合ったが、紬を通してその文様に現れる女性の思いを生産するように進んでいくと思う。三人はそれぞれの技術を合わせて一つのオブジェを作る。その中にはりかさん自体も加わる。自宅に展示されたとき、古い家制度を知る与希子の父親がタバコの火をオブジェにつけすべては灰となり、蓉子の古い家も燃え尽きる。これは古い家制度そのものの清算ではないか。りかさんも燃える。
与希子の祖先赤光は、能面師。後に人形師になり「りかさん」を作る。能面の女の面は、若い女性、中年、鬼女、般若となり、最後に竜女になるという。赤光の作った能面は、竜女だけがなかった。三人の女性たちは、オブジェが燃えるさまを見て、その中に竜女を見た。竜女とは、古い家制度の中での女性の思いであったのか、それを形として表れたのが炎であり破壊であったのか。赤光の能面もここで完成する。
蓉子は焼け残った家の台所だけはそのまま引き継ごうとする。古いものを引き継ぎながらその中にある女性の思いは生産する。それがその三人の女性たちの生き方か。。。。。。
紀久の書いた紬を織る女性たちの思いをつづった論文が出版をされることになるが、大学の男の教授は名もない学生の女が書いたものだとして、その紬を織る女性たちの思いを抜きにして自分たちの協会のものとして出版しようとする。女性たちはそれではならないと食い下がる。妥協はあるがそのままの中身で出版をされる。ここにはやはり「どうせ女の書いたものだから」という社会制度の古いものが残っておりそこを清算する過程のように思われる。
生き生きとした女性。過去を清算し生きようとする。しかしこの三人もまた新たな家制度を築くのではないか?それは仕方ないとしても古い時代の女性たちの思いは繰り返さないだろう。

【2004年】
寒く感じる一日でした。
佃島に行ってきました。隅田川の河口付近を江戸時代に埋め立てられた漁師町です。100間四方といわれる狭い地域です。船着場や狭い路地が昔の面影を残していますが、建物は近代化されています。その中に古くからある佃煮のお店が4軒ほど残っています。
佃島を囲むように近代的な超高層マンションが立ち並んでいますが、この古い町区画と近代的なビル群の調和がまた楽しい眺めを作っています。
佃煮を買ってきました。
その後佃島近くの月島でもんじゃ焼きを食べました。お好み焼きの様でお好み焼きではない。。。。ソース味がベースになっている汁気の多いものです。小麦粉の入ったこの汁がとろりとしてきたときが食べごろです。関西方面の方はなじみがないのでは?

【2005年】
昨日の日記の曜日が間違ってましたので直しました。
地震がありました。東京も震度4ほどあったようです。
出かけていて、電車に乗っていたのですが、少し電車も止まりました。
今日は焼肉でした。
豚のばら肉に少し塩を振って焼いたものが我が家の人気。油が鉄板に残るのですが、こまめにティッシュなどでふき取ります。案外油を取り除けているのではと思うのですが、、、
健康関連のテレビ番組をよく見るのですが、1,2週間で3キロほどやせたとかよくありますが、聞いた話では、3キロほどの体重減は簡単だそうです。風邪をひいて寝込んだだけでもこのくらいは減るのでは?一度やせて今日の我が家のように焼肉となればすぐに戻ってしまうかなぁ。。。ハハハ

【2006年】
もう熱帯魚はやめて昔のように金魚にしようと左記の日記に書きましたが、対に金魚を買ってきました。
熱帯魚は?
金魚と同居してます。。。。
熱帯魚はネオンテトラのような小さな魚ですし、金魚も性格はおとなしい。金魚は水温25度ぐらいの熱帯魚と同じ水温でもだいじょうぶだし。。。。
今のところ仲良く同居してます。
何かあったらかわいそう。。。。でも、ペットショップ屋さんも笑いながらまあだいじょうぶでしょうと。。。。

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
日本でも脱原発を訴える集会やデモが行われている。そしてニューヨークやヨーロッパの格差社会へに怒りの集会とデモが行われ、1%の裕福な人々(それはウォール街の人々という表現だが)と99%の人々との格差を大きく取り上げられた。これは裕福な人々や企業中心の社会への怒りだろう。この格差社会に怒りを持つ集会やデモがネットを通じて世界80か国で「反核さでも」として広がり、それは日本にも広がりを見せようとしている。特に日本は福島の原発事故による東電という独占企業のやり方を通しても巨大企業への不信感が強まり、それを擁護するような国にも目が行き増税・年金の動きに官僚にも目が向き始めている。もちろん格差の拡大は日本も例外ではなくて原発事故以前から格差による矛盾に静かな怒りが出ていた。
脱原発と脱格差社会は当然に結び付くものである。
しかし、この格差の拡大は、当然に資本主義の経済的矛盾の表れの増加とともに現れている。先進国もそうは国民の豊かさを言えなくなり、1%の人々同士の闘争は99%の自国民を巻き込みその犠牲において生き延びるしかなくなっている。豊かさのために企業を守るという日本的お家芸は破たんをしつつある。
経済的混迷は必然的に政治的混迷を引き起こす。日本の二大政党制の化けの皮がはがれようとしている。
以上書いたことの中に国民は一人一人がバラバラに生きているわけであり市民社会の混迷を深めている。まさに急な停電にパニックになり騒ぎ叫ぶような状態だったかもしれない。しかしそこには必ず冷静になろうと考え始める人々も出てきた。停電で騒ぐだけでは何の解決にならないことを知り始めている。同じように市民が街頭に出て自分の意見を言うだけならば停電で騒ぐだけに人々と違いはない。その中で自分たちの貧困は自分の力不足や能力が低いからと個々人が考えるのではなくて、どうも社会のシステムの中に貧困は作られそれによる相対として富裕層が生き延びている事を見るようになる。もちろん停電が収まったわけではない、どうすればよいのかのと市民たちの結束の芽が出はじめたばかりである。
ここにアメリカやヨーロッパでは労働組合が結び付いている。日本ではやっと少しづつ連合も動くかという時期でしかないが。ヨーロッパの社会民主主義的な政党、日本での社民党や共産党。これが市民運動と並行した両輪となる可能性は高い。混迷する市民はその向う方向への道を切り開かねばならない。労組や政党もやはり市民との共通のものへの道を切り開かねばならない。
だんだんと統一戦線的な大きなうねりが必要になってくるだろう。
資本主義版の「連帯」や『ペレストロイカ』が必要になるかもしれない。。。。。

【2012年】ツイッターつぶやき
ドイツの自然エネルギーの発電は全発電量の20%に達したという。
日本はというとほぼゼロに近い。福島での原発事故の後原発での発電量はゼロとなりそのかわりとして火力発電が増えている。これが今の発電の状況でしょう。
火力発電はCo2の排出が多いと言われ、石油エネルギーの枯渇やガスにしてもその輸入価格が問題とされる。この中で原発の再稼働が言われます。一方自然エネルギーでの発電は、脱原発という意味合いから提起され続けてきた。
しかし、どうでしょう、今年の夏は原発ゼロでも電力を確保できた。この事実からすれば、原発はゼロでもよいという事は確かでしょう。この場合の自然エネルギーでの発電の位置づけはどうなるのでしょうか?自然エネルギーでの発電は、すでに脱原発への位置づけではなくて、火力発電の諸問題の解決に向けた位置づけに変化したのではないでしょうか。ここで危険な途方もないリスクを背負う再稼働よりも自然エネルギーの発電を基本とすべきではないでしょうか。
日本で仮に全発電量の20%を自然エネルギーからとしたら、火力発電は相当減るでしょう。現在の火力発電依存を80%とすれば、自然エネルギーが20%となった時火力は60%に減少します。この60%という数字は、原発が多く稼働していた時期と同じほどでしょう。(以上朝日新聞「上期の電力量横ばい」の図を参照しました)言い換えれば原発を今後多く再稼働させても火力発電の割合はそうは大きく減るものではなく、そのリスクを考えれば自然エネルギーを使った時の火力発電の依存度が同じならばその方が良いわけです。すでに海外の約束したCo2の削減目標は発電部門で言えば再稼働をしたうえさらの原発をつくって実現するというのはありえないことでしょう。
自然エネルギーの最大化を目指すことが今の最善の方法でしょう。
しかし太陽光発電はメガソーラーの建設だけでよいのでしょうか?もちろんメガソーラーも急がなければならないのは事実ですが、しかしそこには発電会社というものが新たに表れるわけで、企業利益が絡んできます。そうすると買取価格の問題からドイツのように電力料金が値上げされるかもしれない。
電車から外の景色を眺めていてふと思ったのですが、たくさんの家が密集する東京の町では個人の家やビジネスビルなど小さな太陽光発電の普及の方が良いのではないかと感じるのです。莫大な面積のソーラー発電所が東京に現れます。もちろん個人ですから個人が電力会社に売ったりもしますが、視点を変えて太陽光では足りない電力を電力会社から今までと同じように買うようにすれば、この太陽光発電はある意味電力会社から買う電力への節電効果を生みます。こうすると一般家庭の電力料金の負担は少なくなります。値上げされた分を相殺する効果があります。このような節電と同じ役割をすれば電力使用量は減ってそれは電力の市場価格を下げるでしょう。節電効果を期待するための太陽光発電パネルは低価格が良い。その意味では低価格となればなるほど消費量は増えて製造する企業の利益も確保されます。

【2013年】ツイッターつぶやき
安倍総理の所信表明演説にある「意思の力」については昨日書きましたが、この観念論的な未来への願望と対をなすのが末法思想的なやはり観念論的な論理ではないかと思います。
BLOGOSに「『歴史の終わり』の時代には日本の思想が輝くかもしれない」という文がありますが、そこに「つまりは「みなが豊かになる」「民主主義を実現する」「平等を実現する」というような近代の目標が西欧では19世紀末ぐらいに成し遂げられてしまった結果、いまは「近代であること自体を再帰的に目標にする」というような状況になってしまっているということ。これが再帰的近代=ポストモダンです。」という言葉が引用されている。
安倍総理もねじれ国会は解消されたとし、以前から民主主義がねじれ国会を引き起こしているといった論理が一部の政治家や学者からも出ていたと記憶する。
「みなが豊かになる」「民主主義を実現する」「平等を実現する」などを仏の教えと仮に置き換えるならば、この教えは資本主義という仏が人間界に存在するときに達成されて仏が入滅をして500年たった今はその教えも消えるといったある意味末法思想のような「歴史の終わり」という論理が出てきているのでしょうか?
「意思の力」によって社会を前進させるという論理も間違いなのですが、資本主義は「みなが豊かになる」「民主主義を実現する」「平等を実現する」を実現してしまったので歴史が終わったのか?
仮に資本主義の役割が終わったとして見ても歴史は終わらないのですし、資本主義自体にはまだ発展の可能性を持っている。
「みなが豊かになる」「民主主義を実現する」「平等を実現する」といったものは実際には達成されてこなかったのであり、新たな形での「みなが豊かになる」「民主主義を実現する」「平等を実現する」が社会が求め始めていると理解すべきなのです。

【2014年】ツイッターつぶやき
株価や物の値段が上がることが経済成長か?
もちろん生産が伸びて消費も伸びる中で企業業績があって株価も上がり消費の過熱から物の値段が高くなり貨幣量が足りなくなってインフレ傾向を示すことは経済の成長を現すでしょう。
しかしこれを逆さまにしてしまって物の値段が高くなったり株価が高くすることが経済成長かといえばそれは違うでしょう。今の日本のアベノミクスで円安と消費増税の価格転嫁での悪性の物価高が経済の成長を現すかといえばだれが見ても納得はしないでしょう。もちろんこれで利益を上げている企業や個人にしてみれば経済は成長していると勘違いをしてしまうでしょうが、その裏では悪性の物価高に苦しむ多くの一般国民が出てしまっているわけですからその一般国民の消費を抑えている現状はとてもじゃないが経済成長とは言えない。資産が低い方から高い方へ移転しただけである。
社会の中で労働によって新たに作り出される価値は、商品やサービスという「形」になる。その商品やサービスを作り上げるには生産設備などが必要なのだがその生産設備なども減価償却のような形をとって商品やサービスに価値移転される。その商品やサービスの中には高級品や贅沢なサービスも含まれるが多くのその商品やサービスは大衆消費財として消費をされる。1個数百円千円というチョコレートよりも1箱150円のチョコが多く消費をされるでしょう。この大衆消費財は多くの一般国民が消費をするものです。ここでこの一般国民の収入【資産】が高いところに吸い上げられるなら社会の中心にある大衆消費財の消費は停滞をするでしょう。
これでは経済の成長はないのです。
経済成長のないところに金がだぶついていくわけですから資産インフレ(バブル)は必然的でしょう。この金は子を産まなければ使われない金です。使われてもギャンブル的な似非経済法則によって消えてなくなる。
量的緩和のあぶく銭は吸収(引き締め)はできない。
泡と消える金を見ながら一般国民はさらに貧困化する。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
まずはツイッターから
原発セロゼロを将来的に目指すという考え方は多いと思う。しかしその理由となるとはっきりしない。電力会社の利益や電力の安定などがあるのでしょうが、現在日本はほぼ原発ゼロ状態です。すると再稼働というものが出てきますね。それは安全神話を信じてです。しかし原発事故は取り返しがつかない。
神戸製鋼のデーター開山改ざんの実態が広がっています。最近は日本を代表してきた企業の矛盾の実態がたくさん現れている。福島原発の事故も同じようなものでしょう。企業の自己規制も働かなくなり、政治も縦割りのような堅苦しさが出ている。労働者も国民としてもそれに逆らえないで忖度する。日本は委縮する
原発再稼働は最終的にどこが安全宣言を出したのでしょうか。国?規制委員会?電力会社?自治体?。。。たしかなのは国民は安全宣言を出すことはもちろん安全という根拠はわからない。この中で安全神話がまたつくられてしまったのではないでしょうか?同じように、今の日本はテレビ番組にもあるように「日本はすごい」といった神話によって成り立っているのではないか。そのすごいという日本をけん引するような企業の不祥事が発覚したり経営難に陥っている。国は福島原発事故は完全に終息しているといった宣言を出すが核燃料の抜き取りはいつになるのかわからないし汚染水問題も限界にきているのではないか。経済は成長に向かっているという分析は出るが、国民生活を犠牲にしながら株価や企業利益を守っているにとどまっている。これもまた国家そのものが神話の世界に入り込んでいることになるだろう。
これらのすべての神話が一つの道を作り上げようとしてる。北朝鮮問題と改憲です。強い日本もまた神話であるような気がする。
たしかに日本は高い技術力を維持しているでしょう。しかしなぜこの高い技術力があるにもかかわらず巨大企業の矛盾が現れてしまったのでしょうか?
日本の優れているものを活かせなくなった国家のシステムがそこにはあるのではないか。
この根本的な原因は、国家や企業が国民あるいは従業員を統制すれば利益があがるという神話に陥っているためです。このような国民・従業員統治は瞬間的には見える利益を生むが、時間の経過の中で生活に疲弊をした国民や従業員がそこには残り、自由というものを自己規制する国民や従業員もまた残る。ここまでくると国や企業に忖度する人々が多数を占めることになる。忖度は、嘘でも偽りでも何でもよいのであり、忖度が自分の生き残りと利益と考えはじめる。逆らうような人間は損だという常識が出来上がりニヒルな笑みを浮かべる。これもまた国民や従業員が得だと考える神話となるのである。
ここまで神話が完成すると、その神話が人間を縛ることになる。それはついに国家の中枢や企業の中枢の人間にもおよび、物神崇拝という神官ばかりがその神の言葉として力を得ていく。
神話の危うさの危うさは唯物論的に社会の中に現れる。
危うさが衰退を示し始める。

【2018年】ツイッターつぶやき
朝日新聞1面と4面に世論調査が出ていました。
以下、数字は引用です。
内閣支持率は「支持する」「支持しな」ともに40%でした。
政治の重要性は政策にありますが、支持するという人の理由での「政策の面」が16%で、支持しないという人の理由では「政策の面」が37%でした。
まだ支持率はそうは下がっていませんが、安倍内閣への国民の意識は変わりつつあるのかもしれません。これは自民党総裁選の地方票にも表れていたと思います。
安倍内閣に一番力を入れてほしい政策は、社会保障が一番多く30%。一番少ないのが憲法改正で5%です。安倍内閣が一番切り捨てたいのが社会保障で、一番力を入れているのが改憲ですから、国民意識と安倍内閣の乖離は激しいと言わざるを得ません。
すでに安倍内閣は来年10月の消費増税10%に意欲を示しました。
軽減税率などの対策は行うようですが、日常生活には大きな負担が生じるでしょう。消費税は社会保障にと言われていますが、朝日新聞世論調査では社会保障に期待できないという人たちが高齢になるほど大きくなっています。
その他北朝鮮に対する拉致問題でも期待できないが期待出来るを上回っています。
安倍内閣は民主党政権からの政権交代で国民は「期待」をもって支持しました。しかしだんだんと安倍内閣の政策面での実態が見えるようになり期待自体が薄くなっているとみることができる。
モリカケ問題や大臣の不祥事により信頼性も低くなっているでしょう。世論調査の「期待できる・できない」には当然この信頼性が絡みますね。

夕方になったら少し肌寒くなりました。
ということで今夜はけんちん汁を作りました。
トン汁にしようかと迷ったのですが、あっさりしたほうがいいかなと。。。。。
具材
豚肉(我が家は肉なしでは文句が出ますので・・・)、白菜、大根、こんにゃく、サトイモ、長ネギ、ゴボウ、しめじ、えのきだけ。
汁の味付けは、塩、みりん、しょうゆ、ごま油、だしの素。
塩を多めにして醤油は少しです。
具だくさんで野菜のおいしいスープがいいですなぁ。。。。。
秋も深まりまた寒くなります。鍋物も多くなりますが、トン汁やけんちん汁も作る機会が多くなります。まぁ、簡単でよいのですが。。。。。

【2019年】ツイッターつぶやき
ノーベル経済学賞が発表された。 今年もアメリカの大学からの受賞でした。 今回は貧困をなくすための実践的(実験的)な活動を重視する開発経済学というジャンルの受賞だったようです。 貧困をなくすという中身は発展途上国や貧困な国への援助の在り方から導かれるようです。 子供の貧困ならば子供の生活全般から洗いなおしてどこに援助を与えればよいかグループに分けて実験をするようなやり方なんでしょう。 アメリカは寄付社会と言われていて多額の寄付をする富豪がいる。 この寄付の延長線に貧困国への援助があるような印象です。 このような寄付のような援助のような形での貧困層を援助すること自体は間違いではないし必要なものです。しかしこれは真に貧困をなくす経済学理論ではない。 アメリカの寄付社会も富裕層が貧困層に寄付をするが、その富豪の富はだれが作り出すか?貧困層をはじめとした低賃金層の犠牲からです。これを見ても寄付により貧困をなくす論理は間違いであるとわかるでしょうし、経済学的にも誤りです。 開発経済学の中にはマルクス主義の流れもあるようで、先進国と途上国の経済的格差は先進国の搾取や収奪に原因を見ます。先進国内の貧富の格差の拡大を見てもこれと同じ論理が当てはまるでしょう。 ノーベル賞が真実を見ないとその権威は落ちていくでしょう。しかしそれがノーベル経済学賞の限界かもしれません。

【2020年】ツイッターつぶやき
夕方のテレビニュースで、風邪をひいて会社を休んだ女性が診断書を出せといわれたと。
今の社会風邪ぐらいで休んでも診断書を出せという理不尽な会社はないでしょうが、コロナの感染が進んでいますから診断書を求める企業も今後多くなるかもしれません。
またPCR検査を求める企業も出ているようです。
これから風邪ひきも多くなりますしインフルエンザもはやりはじめます。そして頃の感染もあり得ます。風邪なのか、インフルエンザなのか、コロナなのか。。。。。。
国はコロナ対策で10兆円の予備費があります。これを使って風邪でもなんでも診断書を企業や学校などから求められたようなときは国で診断書の費用を補助すべきです。もちろんPCR検査も無料にすべきです。
診断書やPCR検査は大きな負担となります。
診断書を出せといわれること自体、PCR検査を求められること自体が精神的にも大きな負担となりますが、無料にすることで気持ち的にも螺君になるのではないでしょうか?
もちろん企業や学校側も診断書やPCR検査を求めるのですから企業負担としてもよいでしょうが。

【2021年】ツイッターつぶやき
ベランダのプランターがさみしいので花を買ってきました。
「スミレ」です。
スミレというのは花屋さんでもあまり見なくなりましたね。
スミレ、パンジー、ビオラの違いって?
ビオラやパンジーはスミレを品種改良したものらしいですが、これは野生のスミレの品種改良ですよね。
でも今花屋さんにおいてあるスミレもまた野生のスミレを品種改良したものでしょう。
するとスミレ、パンジー、ビオラの区別がまたわからなくなります。
3,4年前にもスミレを植えたことがありますが、花の大きさがビオラほど小さくなくパンジーほど大きくもなかった。まぁ、花の大きさで名前が決まることもあるのかな?
ネットで違いを検索したのですが違いが明確ではないですなぁ。。。。。

【2022年】ツイッターつぶやき
「1万元を円に「脳内換金」してみると、10年前は12万円、今なら20万円。おぉ、たしかに増えている! なるほど……」(幻冬舎)
ドルに対する円安はこのままだとそろそろ150円に迫りそうですが、日本ではほとんど報道されない中国の減に対しても空前の円安となっているようです。
アメリカとの為替は、アメリカの金利高によると見ればわかりやすいのですが、日本と同じように金利を上げない中国にないしても円安が進んでいる。最近はコロナでの入国規制が緩和(撤廃)され外国人観光客が多く入国していますが、それも円安が影響しているようです。
円安が為替の影響だけではなくなっているというのは深刻でしょう。
やはり日本は経済的に力を落としているということでしょう。そして国の債務とそれを補う日銀の財政ファイナンス。
円安は国の信頼を下げるということでもあり、民間レベルでは安い国となる。
その中で政府は外国人観光客の爆買いに期待する。たしかに爆買いしやすい円の力の低下ですからね。。。。
日本人は気楽に海外旅行はできなくなる。これもまた貧乏化です。

【2023年】ツイッターつぶやき
テレビニュースではインバウンド効果が出ているとされています。コロナ対策が行われなくなり外国人旅行者が急激に増加しています。
しかし日本人が海外に旅行に行くのは伸びていないようです。
円安ですから外国人はお得感があり日本へやってきますが、日本人は旅行費が高くなりましたからそうは気楽に行けない。また世界的な物価高に対して日本の実質賃金が上がっていませんからね。
こうした現象も今の日本の経済力を反映しているのでしょう。
コメント
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「10月15日という日」

2024年10月15日 08時09分02秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
駅前の商店街をぼんやり歩いていたら、お尻のあたりにくさいものをもらしたおじいさんがぼうーっと歩いていた。
しばらくしたら、けたたましい赤ん坊の泣き声と「もうすぐおうちだからねぇ。。。。」と、お母さんの大きな声。その自転車はけたたましくすごい勢いで僕を追い抜いていった。まるで救急車が通り過ぎたみたい。
これがどうのというわけではないし、コメントを言うつもりもない。
僕はやはりぼんやりと歩いていた。
銀色夏生の「世の介先生」(角川文庫)を読んだ。夏生さん自身もあとがきに書いているように、潮社文庫の「ミタカ君と私」やその続編の「ひょうたんから空」と同じようなのほほんさが楽しい本でした。
僕はこの、のほほんとした気分で商店街を歩いていたのです。
うううう・・・・

【2004年】
1週間ぶりぐらいの晴れです。雲ひとつありません。
気持ちが良いので朝早くから洗濯をしています。程よい風も吹き洗濯物も気持ちよさそうです。
秋晴れの中、1泊でもいいから旅行にでも行きたいです。しかしそうも言っていられないのでまた日帰りでもいいから紅葉見物にでもいきます。立ち寄りの湯(もちろん純度100%!!)<笑>でも探してみたいです。

【2005年】
この二日ほど半袖でも汗ばむ陽気でした。
森絵都さん。。。すごいです!
「いつかパラソルの下で」をもう少しで読み終わりますが、目頭がウルウルしてきちゃいます。感動しますなぁ。。。
内容が死んだ父親の過去の謎を知りたくて生まれ育った地を訪れるという中身ですが、父親という男も幼い頃があり、青春があるわけです。子供たちがそんな父親の知らない部分をほんの少し知ること。。。そんな親子関係に同じ子を持つ父親としての僕から見た思いが残ります。
このようなないようですから、なおさらウルウルさせられるのでしょうが、森絵都さんの青年期の若い三人の兄弟を描くその筆力にも感動しました。大げさな表現もなく淡々と死んだ父親を見つめる。その中に自然さがあります。
今年の直木賞候補だったらしいですがうなずけます。
それにしても森絵都とはインパクトのあるペンネーム?ですなぁ。。。
どのような方なんだろ?

【2006年】
珈琲ショップに入ったら、眼光鋭い男が。。。
座るテーブルにはなにやら難しい本が2,3冊置いてある。でも、洋服はお世辞にもきれいではない。無精髭が伸びている。身なりを気にしない学者風。
時々こういう学者風や作家風の男を見る。
のぞくわけではないが、達筆な字で200字詰め原稿を埋めていく作家風の男。
珈琲ショップに似合いますなァ。。。。
その横でちんまりと本を広げる夕螺であります。。。。ムムム

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
久しぶりの「男の料理」です。。。。
昨夜はナスのひき肉はさみ揚げを作りました。ナスは縦に少し皮を残すように皮をむき、5ミリほどの厚さの輪切りにして塩水に漬けておきます。
ひき肉にした湯でしたにんじんやレンコンなどの野菜を長ネギのみじん切りを入れて団子状にします。これを水をよく切った先ほどのナスで挟みます。あとは天ぷらの要領で揚げるだけです。
醤油など好みの味で。。。。。
先ほどの肉が余ってしまいどうしようかと悩んだ末に柿をやはり5ミリほどにスライスしてはさんであげてみました。。。。うううう・・・・・お勧めはできません(笑)。。。。でもまずいというほどでもなくて柿の甘さが残り肉とよく合いました。ただ柿が柔らかくなりすぎでして。。。。柿は厚めにスライスをし、ひき肉を挟むのではなくて上に乗せて強火でさっと揚げれば柿の硬さも残りおいしいかもしれません。結城勇気のある方は挑戦してみてください。おいしかったら僕もつくります(笑)

【2011年】ツイッターつぶやき
     拝啓 川上弘美 様

東京日記を拝読させていただきました。
ボウタイ付のブラウスとはどのようなシャツでしょうか。
ピンクのブラウス。。。。あんなのこ女の子ではない、女性でもない、やはりおばさんだという表現の中に想像力を膨らませました。たぶん化粧は濃いめの仕上がりではないでしょうか?特にチークなどは。そういえば川上さんは吉祥寺でチークをされて闊歩されているのでしょうか?以前の「東京日記」を思い出します。
こちらの僕のブログにも書きましたが、僕も電車の中でお化粧をする女性を時々見かけます。
先日などは、まぶたが腫れて青白い顔色のすっぴん女性が座席に座り、ものの10数分ほどで目元ぱっちりで血色の好い顔色の美人になりすたすたと降りて行った女性を見ました。
僕も目が釘付けで見とれてしまいました。その女性も僕がずっと見ていたことを知っていたのでしょう。降り時に僕を見てにこっと笑っていました。そのニコがまた美人でした。
今は「メイク」と言いますがやはり「化粧」ですなぁ。。。。。
 敬具

カナブン界とゴミ箱をつながっている。。。。。怖いですなぁ。でもその表現にドキッとしました。
我が家はいまだに台所とコバエ界がつながりっぱなしのようで、ごみ袋には常に2,3匹飛んでおります。
ゴミ袋に入り込んだところをさっと縛っておきました。半透明のごみ袋の中でまごまごとコバエは飛んでいます。そういえば、そのままゴミ回収に出すわけでして。。。。。コバエにとっては恐ろしいことになるわけです。
つまんで逃がす。。。。。。苦労しますがそれが正しい人の行為でしょうなぁ。

【2012年】ツイッターつぶやき
人は物心ついた時から知的なものは回りの情報から受け取り、その情報にはもちろんいろいろな知識もある。それが精神的な血になり肉となって一人の人間が出来上がっていく。
新聞や本などは何も新聞や本自体を買うのではなくてその中に書かれている知識や情報を買うのである。それを自分なりに受け取って血肉にする。血肉になったものはその個人の人間の知識や情報となるだろう。今までえ立木や情報の受け取り方が正しいかなどというのは意識しないうちに血肉となり、更なる知識や情報がそれを修正していく。
新聞や本には著作権などというものがあるが、本来はここには関係なく人はその中で得た知識や情報を自分のものとして日常に活かし時には文章などにして人に伝える。ただ、その知識や情報をそのままにコピーをして自分のものとして金銭を得るなら著作権に抵触するが。
こう見ると、新聞や本というものは配達されたり出版されたりした瞬間にその知識や情報は読者のものとなる。
それをどのように解釈して精神的な血肉にするかは読者にある。たしかに間違った受け取り方をしたり不十分だったりするのは初めから仕方ないものとしなければならないだろう。もちろん意識的に改ざんしたりする受け取り方は除いて。
新聞や本の知識や情報は、それを解説したり書評にしたりする職業の人々が現れる。一般の人々も今のようにネットが広がればそこに解説や書評そして感想的なものを書く。そしてこれらを基にさらに元のソースを抜きに解説や書評を基に議論が進む。ここでは元のソースを基にしながらもこれを受け取った人々の中での議論に発展しているのである。元のソースの解釈の仕方はそれが正しいかというものはもちろん元のソースを読まないでは議論にならないが、元のソースで提起されたものについてのそのもの自体は人それぞれに考えや情報があるわけだからそこに議論が映るだろう。元のソースから提起された一つの視点が解説になったり書評になったり、あるいは自身の感性を多分に入れながらの翻訳ともなる。これらはすでに元のソースから離れた一つの著作となっているのである。この皿に現れた著作からまた解説や評価が加わる。
人が成長する段階と社会の中の知識や譲歩の積み重ねや発展は同じようなものでしょう。

【2013年】ツイッターつぶやき
安倍総理の所信表明演説があった。
その中で印象に残る言葉が「日本が直面している数々の課題は「意志の力」さえあれば、必ず、乗り越えることができる。」(日本経済新聞「首相の所信表明演説 要旨(2)」より引用。。。以下の引用も同じ)という言葉である。
「意思の力さえあれば」。。。所信表明演説の中身はまさにこの意思の力を見せることにあったのではないかと思います。それは「決める政治」「成長戦略の実行」という言葉に結び付きます。
そしてそこには「参院選で国会のねじれが解消され、「困難を乗り越えていけ」と、背中を力強く押してもらった。政策を前に進めることで応えていく。いや、応えていかねばならない。」という言葉に現れている。
しかし先の参議院選の勝利では、選挙結果は自民党の政策を支持された結果ではないというような総括をしていた。まさに国民意識も民主党への批判の高まりと二大政党制の中での自民党への投票という形だった。やはり安倍総理の「意思の力」の背景には「ねじれの解消」という多数派の論理が働くようになったのでしょう。
NHKの世論調査では、
「安倍内閣を「支持する」と答えた人は先月より1ポイント下がって58%でした。一方、「支持しない」と答えた人は、先月より3ポイント上がって26%でした。支持する理由では、「他の内閣よりよさそうだから」が39%、「実行力があるから」が22%、「政策に期待が持てるから」が16%だったのに対し、支持しない理由では、「政策に期待が持てないから」が44%、「支持する政党の内閣でないから」が18%、「人柄が信頼できないから」が17%などとなっています。」
支持する理由は「政策に期待が持てるから」が16%だったのに対し、支持しない理由では、「政策に期待が持てないから」が44%」。。。ある意味正確な世論調査かもしれない。支持する理由の1番が「他の内閣よりよさそうだから」で、「政策に期待が持てるから」が16%でしかない。一歩支持しない理由の一番が「政策に期待が持てないから」が44%となっている。支持する理由は政策ではなくて抽象的な他に政権を担ってもらいたい政党がないからとか実行力があるからというものです。国民も安倍総理にには抽象的な支持を示し、所信表明ではやはりこの抽象性に依拠したもの以外ではなかったということでしょう。ですから今も政策を支持されて「「困難を乗り越えていけ」と、背中を力強く押してもらった。」などと言えるようなものではないわけです。このような総理の姿勢に「人柄が信頼できないから」といった批判が支持しない理由にも現れているわけです。
「日本が直面している数々の課題は「意志の力」さえあれば、必ず、乗り越えることができる。」
この「意思の力」からの成長戦略の実行はそうとう国民意識から離れたものとなるでしょう。国民生活の豊かさや社会保障の充実から離れた、いや、これらを犠牲とした成長戦略が何をもたらすか?安倍総理の「意思の力」がデフレからの脱却や成長戦略としての経済の再生にはならないことを示しているでしょう。「意思の力」は改憲や集団的自衛権といった経済という下部構造の上に建つ上部構造の強化に現れることにしかならない。国家の意思の力を国民に定着させる。積極的平和主義。。。。戦争(戦争ができる国)で平和を守るという考え方を本来の平和主義に対して定着をさせることでしょう。

【2014年】ツイッターつぶやき
1989年の総評解散そしてそれに引き続いて1996年の社会党の分裂と社民党誕生。これによって戦後の55年体制は形としても崩壊をした。
55年体制をどう見るかという面ではその評価は分かれるだろうが、自民党そして社会党や総評の前史も含めてだが戦後の日本を作り上げた一つの政治体制としての役割があったことは否定はできないだろう。たしかに政権交代のような形はできなかったが自民・社会の二大政党(両勢力の市民運動や労働運動も含めて)の中で日本は歩んできた。
もちろん共産党や民社党そして公明党という政党もあったしそこに結びつく市民や労働組合そして宗教組織もあったのだが、共産党のように独自路線を行くかあるいは中道として自民・社会の間に入った中間的政党もある意味自民・社会の対立の中での動きであったと思う。
この55年体制の中に自民党と財界に対する社会党と総評という形において戦後の平和や民主主義そして社会法保障などなどの制度が形作られてきた。上にも書いたように片山内閣は別としてずっと政権交代はなく自民党の数の上での独裁的な政治が続いたわけだが、社会党を中心とした国民・労働組合運動にもよって自民党の独走に歯止めをかけながらある意味改良を加えながら上にも書いた日本の体制を作り上げた。
この55年体制が総評の解散とそれに引き継ぎ社会党の分裂で55年体制の一角が崩れたわけだが、それから20年がたとうとした今戦後の自民党もまた崩壊をしてきているのではないか?
55年体制の中で、解釈改憲は一定の解釈改憲はあったにしろ自民党は憲法の範囲内として自衛隊法やその改正を位置付けて自民党なりの平和主義を保った。経済成長路線も国民生活向上や社会保障に充実を言って行った。これが戦後の保守の大きな流れとして自民党があった。
そこに現在安倍政権が誕生をして「戦後レジームからの脱却」を唱えた。
すでに総評社会党ブロックは存在をしていないわけだから、戦後レジームからの脱却は戦後保守としての自民党の解体にある。もちろん自民党自体が党として解体をするということではなくて戦後の平和主義と民主主義そして社会保障や国民生活の向上という面での政策や戦略の解体である。小泉元総理が自民党をぶっ壊すといっていたが、それの安倍版といってよいでしょう。
この自民党の変質があって初めて55年体制は終焉をしていくわけである。
その55年体制の終焉から何が生まれるかはこの3年間の安倍政権の動きを見れば見えてくるだろう。
平和主義と民主主義の制約と社会保障や国民生活の低下そして外交面においての旧植民地である中国や韓国(北朝鮮)との対立。そしてアメリカへの経済軍事的な依拠は変わらないまでも、日米安保の解釈上の変更としての集団的自衛権を通した日本独自の軍事行動の拡大である。
国民生活を経済的にも政治的にも制限をして外交上での旧植民地との対立、そこへの差別的な国内の言動の助長を制限しないこと。そして戦前の日本を歴史解釈上正当化をして世界に認めさせることとそこからの誇りの回復。それはぜんぜんの日本にかえることも想定しての動きでしょう。
「戦後レジームからの脱却」は左派あるいは一般的な国民を含めた国民への規制の強化であると同時に、旧保守層の抑え込みとして現れるほかはない。

これは依然以前旧ブログにも書いたのですが、今の経済政策は市場においての貨幣量を問題としているが、貨幣量が多くなっても経済はそうは成長しないことが明らかになりつつある。貨幣量は同じでもその貨幣が回転を速めたらどうなるだろうか?市場においては貨幣量の増加と同じ効果を生むでしょう。しかしここでは貨幣の価値に変化はないのですから貨幣量がただ増加した時に比べるとその分だけ経済は成長をする。
たとえばある商店が1億円で商品を仕入れてそれを1年で売りつくして2000万円の利益を得たとする。資本1億円は年に1回転である。ところがこの1億円で仕入れた商品が半年で売りつくせたら資本は2回転して利益は4000万となるでしょう。これは極端な例で実際にあり得るかどうかはわからないが、半年といわずの10か月で売りつくすならばやはり利益は伸びてその分だけ資本の回転が早まったこととなり同時にそれは貨幣の回転も早まったということである。
これは商店などだかではなくて製造業にも言えるでしょう。やはり1億円の資本の回転が早まればそれだけ利益は増加をする。また工場や機械などは減価償却も早まって早まったことによりより新しい効率の良い工場や機械を入れることができる。そこでまた設備投資に貨幣は回転する。機械などを生産する企業の資本の回転(貨幣の回転)を早める。
資本の回転=貨幣の回転によって経済は成長するでしょう。
もちろんこの貨幣の回転が現実なものになるかどうかは商品が売れることが前提ですからそこには消費にも貨幣は回転しなければならない。すなわち労働者の賃金などにも貨幣は回転していかなければならないということである。工場、商店消費へと商品は開店を上げて貨幣は消費者から商店向上にそしてまた消費者(労働者の賃金)へと回転も早まる。
この中で貨幣量が足りなくなる場合も出るがそこで初めて多少の貨幣量の増加はもちろんあり得るだろう。しかし基本は貨幣の回転なのである。
この貨幣の回転がどこかで滞れば経済には重大な矛盾が現れる。貨幣量が増えても当座貯金が増えていくだけであったり企業の内部留保あるいは金融市場のギャンブル的な投資に貨幣が吹きだまって一般国民には貨幣が回転しなければ経済は矛盾をきたすということである。
今必要なのは貨幣量ではなくて以上書いてきた貨幣の回転速度を上げることなのである。
このように見れば賃金=コストではないことは明らかである。
この賃金がうなぎ上りに上がっていく(雇用増や時短も含めて)ことを調整するのはより少ない労働力でより多くの商品を生産することによる商品価値の低下に求めねばならない。国民生活はこのより安い商品の消費により賃上げや雇用増そして時短のコストも下がるでしょう。またエネルギーや原材料などの消費も省エネや自然エネルギーの活用などで減らしていく。それは科学の発達に依拠するが、その科学の発達からの実用もまた生産性の向上である。
これが経済が求める社会の発展でしょう。
通貨は高くなり商品価値の低下から安く輸出もできるようになる。
ただし相当年収の格差は低くなることは間違いないでしょう。もう一方における贅沢と一方における貧困はなくさねばならない。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
朝日新聞朝刊に「雇用の改善 伸び悩む賃金」という記事がありました。その中でなぜ賃金が伸び悩むのかの一つの答えが「日本型雇用が足かせ」になっているとありました。
日本型雇用とはどのようなものでしょうか?
「残業も転勤も当然の正社員」か「低賃金で雇用が不安定な非正規社員」かの二者択一を迫る。(上記リンクサイト紙面より引用)
これが今の日本型雇用の実態と言えるでしょう。だいぶ前から若い人が中心に企業に縛られたくない、自由な働き方をしたいという要求が出ていました。これが上記に答えになってしまったのです。
派遣法ができてそれが改悪をされて多くの非正規雇用労働者が出てしまいました。派遣労働が自由な働き方をしているのかと言えば、見えてくるものは低賃金の現実だけではないでしょうか?場合によってはバイトの掛け持ちで労働時間が伸びてしまうことはないでしょうか?たしかに転勤もないわけですし嫌ならやめればよいのですが、それが自由化といえば、非正規とはいえ次の仕事を探すのも大変でしょう。やはり契約切れは怖いはずです。
上記のように日本型雇用の矛盾は噴き出ていてこれが低賃金化の温床の一つです。
本来の日本型雇用の形態は、正社員としての終身雇用でした。それに並行して年功序列型賃金が採用されていました。これこそが日本の高度経済成長を支えた日本型の雇用形態なのです。
この本来のお日本型雇用形態が壊されて今の劣悪な雇用形態と賃金形態が生まれてしまったのです。
終身雇用や年功序列型賃金はもちろん矛盾もありました。
転職をすれば賃金が減ってしまう、転勤も断れないといったものがたしかにありました。この面では確かに企業に縛られていたと思います。年功序列で若い人の低賃金も言われました。
しかし総評の労働運動はこの矛盾を労働運動の中で改善を使用として一定の成果を生んでいたのです。
労働者が企業に縛られたくないというのはこの労働運動やその労働運動に連帯をする政党がより強くならなければ改善はしていかなかったのです。ここを見ないで企業に縛られたくないという個人は個人として非正規の道を選ばざるを得なくなってしまったのです。
企業と労働運動の闘争という形がずっと続いていくのもまた一つの矛盾です。その解決の一つが社会民主主義という政治でした。

【2018年】ツイッターつぶやき
最近はめったに自転車も乗っていなかったのですが、いろいろと用事があり自転車であちらこちらと走り回りました。
自転車は妻用に買ったママチャリで小さな自転車です。
久しぶりに長い距離を乗りましたが気持ちがよいですね。足の運動にはスポーツジムでも自転車のようなものがありますが、健康にはいいのでしょうね。
車では気が付かない風景がそこにはあります。少し路地に入った所に小さな祠があったり鉢植えの花が咲いていたり。こうした風景は車からでは見る余裕がないです。
たまにはぶらっと自転車で出かけるのもいいかもしれません。
若いころは自転車でサイクリングに行っていました。2泊ぐらいで関東をグルとしたり。今日自転車を乗りながら思い出しました。

【2019年】ツイッターつぶやき
参議院の音喜多さんが東京の避難所について共助、自助の視点で書いている。
人口が過密する東京の避難所の実態は避難所がいっぱいになりは入れなかった一方で非難する人が少なかったという。非難する人たちが少ない割には避難所は満員状態。この矛盾は過密都市東京特有のものなのかもしれません。
避難所の数やスペースが圧倒的に足りていないということが言えます。一方で非難する人が少ないというのは、大丈夫だろうという気持ちが多いということもあるでしょうが、避難所に行って無暑さ寒さで苦しむだけで非常食などもないことに嫌気が出るのではないでしょうか?
上記記事で音喜多さんは、共助や自助を呼び掛けています。日常から親せきや友人など親しい人と災害があった時に互いに避難できるように話し合っておくことなどと。たしかに共助や自助は大切なことはわかりますが、国や自治体避難を呼びかけますね。そして避難所を開設する。子の避難所はもちろん公助です。公助がある程度充実している中でそれでも間に合わないときは共助や自助があるでしょう。公助の充実をやる気がない中で共助や自助を呼びかけるのは政治の怠慢です。
特に水害時は学校の体育館で大丈夫でしょうか?
我が家の避難指定場所の体育館を見ると、水害時にこの体育館自体が水害に巻き込まれるのではないかと思います。
避難所といっても学校の体育館を避難所と呼ぶだけの公助です。
体育館を3階建てぐらいにするとか、新しくマンションが建てられるときは国や自治体の資金援助で避難所階を作るとか。やり方はたくさんあるはずです。
これから戦闘機をたくさん買い込むのですが、その税金があればどのくらいの防災設備を備えられるか。。。。。これもまた国防なのです。国民のために国が動かないで戦争という国防を考える国ではだめです。そのような国は戦争にも負けます。なぜなら国民の疲弊を自助でとなりますから。

川上弘美さんの「東京日記 マグマ大使のサイン。」が更新されました。
子供のころからずっと色紙に書かれたサインをもらったという記憶がない。
もちろん有名な人やヒーローに握手してもらった記憶もない。
それでもいくつかのサインはある。
すべて本の背表紙裏に書いていただいたいわゆるサイン本です。
一番大切にしているのは、詩人銀色夏生さんのサイン。
サイン本というとどこかで作家がサインしたものを本を売るときにサイン本として積まれているというのがほとんどですが、この銀色夏生さんのサインは目の前で書いていただいたもの。
たしか握手もしていただき感動しました。「なつを」の字は細くて可憐。
そして川上弘美さんのサインも欲しかったのですが、新刊の発売などのイベントに出かける機会もなくあきらめていたとき、もうだいぶ前ですが、ある季刊誌が廃刊になるというのでそのイベントに川上弘美さんがいらっしゃると。お顔をも見たことがなかったので出かけていきました。50代ぐらいになられていたか?おきれいでした。イベントが始まる直前に行ったので本の売り場も見ずに会場へ。なんか、「川上弘美サイン本」とか書かれた張り紙が?帰りに見ようとしたら、イベントも終わりいってみたらもう売り切れ。
この時は残念でした。。。。。
サインよりもお顔を見てお声を聴けたことは一生の思い出です。

【2020年】ツイッターつぶやき
菅内閣は70%以上の高い支持率があったが、ここにきて7%支持率を下げているようです。
ここにきて日本学術会議の6名の名簿を拒否したことが大きく批判されていますが、こうしたものはそうは影響力を買えるものではないでしょう。内閣の姿が見えないところに魅力がなくなっているのかもしれません。安倍さんはこの辺はうまく国民に期待感を持たせましたが、菅総理はその点では不器用なのかもしれません。携帯料金の値下げを言い出したり、国民一人当たり5万円を支給するというミクロ的な人気取りを行いますが、国民生活全般に期待感を持たせることはできずにいます。
もちろん期待感作りはそれ以上のものではないことは安倍内閣ではっきりしていましたが、その国民の失望をさらに別な形で作り替えることができずにいるのでしょう。
一方では超タカ派の姿勢を示し始めています。国民に期待感を持たすことがd機内超タカ派ながくは続かないでしょう。
でも、国民もそろそろ期待感を捨てる時期に来ているでしょう。
現実野経済状態や生活実態を見つめながら今の内閣が何をしようとしているのか見なければいけない。

【2021年】ツイッターつぶやき
今日、東京上野でATMに並んでいた男性がいきなり刺されたという事件があった。その後愛知県で通り魔的に女性が刺された。山梨県の殺人放火事件も数日前です。
殺人(未遂)事件が多いですね。
怨恨や通り魔のような殺人を起こす人はめったにいないでしょうが、ネット上を見ると誹謗中傷問題が取り上げられ始めています。この誹謗中傷でも子供たちが自殺などに追い込まれていますから殺人と紙一重にもなります。ネット上に現れる誹謗中傷がいつ現実世界での殺人に結びつく可能性はあるでしょう。
殺人やネット上の誹謗中傷の動機がどのような心理状態から生まれるかわかりにくいですが、一つ言えるのは政治や社会が何でもありになりそれが正されるような自浄作用がなくなっていることにあるのではないでしょうか。悪いことでもばれなければいいばれても力で抑えたりうやむやにできる。その反面こうした社会に対しての怒りも沸くわけでそれが正義感にもつながる。しかしこの正義感がまた何でもありの行動を正当化してしまう。
社会はどんどん住みにくくなります。

【2022年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2023年】ツイッターつぶやき
視聴率は悪いようですが、大河ドラマの「どうする家康」を毎週面白く観ています。
今回のドラマに限らず歴史上の人物が描かれていますが、一定の歴史上の事実はあるわけですがその事実の解釈というのは 作家によります。歴史小説も案外作家の解釈が僕たちに刷り込まれているでしょう。大河ではある人物がその時々に悪人に描かれたり主人公なら讃えられて描かれます。
どうする家康も一つの解釈としての人物像でしょうから、その人物像での家康を楽しんでいるわけです。
ただ武家社会を完成させたのは家康ですから、いろいろ解釈はあるでしょうが天下統一する過程は面白いですね。大河ドラマの面白さの一つは奥方ですなぁ。歴史上の人物も奥方によって大きく変わる。武家社会は男社会ですがその中で女性の力が大きい。今の夜も変わりありません。
どうする家康の面白さは、前回の北条義時が終わる最終回に家康が出てきてつながりを見ましたが、頼朝そしてその後の北条氏の武家社会の始まりと家康の武家社会の完成のつながりが面白い。何も天下取りが面白いわけではなく、貴族社会から封建社会への歴史の発展を見ることができます。その社会には現在から見ればひどいと思われるものが正義だったはずでその時代の正義において貴族社会は崩れ去り封建制度が生まれる。新しい社会の夜明けです。
前々回の太河は資本主義の誕生を描きました。これも歴史の流れですね。その明治の社会にはその社会の正義があった。それぞれの時代はその中の正義で動き社会は発展した。
今資本主義の正義が事故崩壊しつつある。いつの日か資本主義が崩壊する大河ドラマが生まれるかもしれませんね。さて、その主人公はどういう人だろうか。残念ながらそれまで生きてないでしょうね。その主人公の奥方の力はどう働くか?楽しみですなぁ。。。。。。
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「10月14日という日」

2024年10月14日 08時01分27秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
今、テレビで子供を犯罪から守るために金を払って登下校のガードを頼むという番組をやっていました。なんかいやな世の中です。そういえば、一昔前に同じようなことがイタリアで行われているというテレビ番組を見た覚えがあります。
でも、今は何でもありの世の中ですからね。アメリカが国益に反するとして土足で主権のある国を爆撃する時代ですから。ずっと昔に文明を広げるためにとキリスト教と鉄砲を持って植民地化した時代と同じようなことが行われています。今は、文明ではなくて「自由」ですが。
チャップリンが「殺人狂時代」だったか、個人が自分の利益のために人を殺せば罪になるが、国家の命令で国の利益のために人を殺せば英雄になるというようなことを言っていました。文明や自由は建前で結局は国家も今の個人の犯罪に見られるものと同じことをしている。国益これが本音である。
自由は理念として永遠だけど、政治的自由主義は前時代的なものになりつつある。貧富の差の拡大が自由であり、その貧富の拡大が自由経済を破綻させようとしている。

【2004年】
角田さんと丘紫さんの本が届きました。
丘紫さんは中学生。銀色夏生さんが推薦する日記風の物語です。山本文緒さんの「そして私は一人になった」を読み終わったら読みたいと思います。
角田さんの「エコノミカル・パレス」は、最高傑作だそうです。珍しく単行本を買ってしまいました。
雨こそ降らないですがどんよりとした天気です。ずっと関東はいやな天気。。。。
秋晴れはどこへいっちゃったんだろ?洗濯物が乾きません。湿度100%・・・・ハハハ
部屋干し洗剤が大活躍!!

団 欒
                        新潮文庫
              乃南 アサ  著
「団欒」をはじめ、5つの家族を描いた短編集です。
「家族なんだから。。。」
しかしこの「家族」という言葉に現される人の集団の不思議さ、他人から見たらどこか変なところも、あるときには怖ささえ感じるこの人の集団。これをサスペンス調に極端に描いた作品です。
死体を車で連れてくる長男、家の中では子供に戻る若い夫婦、家族なんだからと歯ブラシを共用して婿と風呂に入る姑。。。。など。
「暗鬼」では、自身の家族を特別な家族として近親相姦なまでに走る家族が描かれていますが、このような家族という閉鎖された中での人間の集団の異常性が描かれていましたが、この短編集も基本的には同じです。
この意味では「普通の家族」を描いた作品とはいえないかもしれません。しかし、「ルール」では、長男の清潔感や母親の「きちんと、きちんと」という潔癖症から、家族の中にルールが増えていき、外で社会のルールに疲れきっている父親の「家に帰ったときぐらいルールはいいじゃないか」というものを無視してルールはエスカレートしていきます。この父親は悲惨です。家族という閉鎖された小さな人間集団だからこそそのルールはこの父親にとっては悲惨なものになります。
一方「ママは何でも知っている」では、外では厳格な父親が家庭に帰ると「家族なんだから。。。」と家族の人々の中にはプライベートはなくなり、婿養子にもそれを「家族の一員になったのだから」と強要していきます。
ルールでお互いを縛る家族、縛らないがプライベートまでをも共有してしまうことにより息苦しくなってしまう家族。これを作品では極端に描いていますが、案外このようなことは小さいながらもそれぞれの家庭の中にもあるのではないかと考えてしまいます。
このように作品自体は極端な家族を描きますが、その底にある家族という人間集団の不思議さを思い描くことができるのではないかと思います。
乃南アサさんの文章の力はすごいと思います。短編でもそのストリー展開に目は釘付けです。どんどん読み進んでしまいます。読み進むとその極端さに現実離れを感じますが、どこか「これもあなたの家族や家族の人々の心の中にある現実かもしれませんよ」と語りかけられる思いが残ります。
家族といってもその現実は絵に描いたような奇麗事では片付けられないものがあるのではないでしょうか?それをぐさっと突いてくるのがこの短編集なのではないでしょうか?
少なくとも他人には見せない人の一面を家族という閉鎖された中に現れることはたしかでしょう。

【2005年】
(記事なし)

【2006年】
天気がよかったので布団を干しました。そしたら急に曇ってきた。。。。ううう
こういうときは布団を取り込むとまた日が出るということが多いので我慢。やはりすぐに日が出てきました(笑)
布団の出ししまいは疲れますからね。。。。
買い物に行きいつものスーパの近くに行ったら、神社の秋祭りをやっていました。ちょっとのぞいたら紅白饅頭をもらえました。。。おいしかったです。東京ではこんな紅白饅頭をくれるというのも珍しいです。
スーパーの衣料品売り場でカジュアルな秋物ジャケットを買ってきました。衣料品売り場の片すみにカジュアルなものだけを売るコーナーがあるのですが、時々いい品があります。今スポーツジムで着ているTシャツもここで買ったのですが、少し値段が高めでしたが何度洗濯をしてもえりまわりが伸びきらないし色あせもしません。何というメーカーだったか?妻に聞いたら案外有名だそうです。勾玉のような形が合わさって丸くなった形のマーク。。。?

【2007年】
色は白系ではありませんが、まだ夏用のジャケットを着ています。晴れた日中はこれで十分なのですが、さすがにもう夏用用ではなんか変な感じです。
でも、人ごみの中に入ると、まだ真夏のような服装も見ればすっかり秋の服装もあり、中にはもう冬の初めを感じるような服装も。
この時期服装に迷います。あまり持っていないのでファッション性に迷うのではなくて、ただ暑いか寒いで(笑)
そろそろ冬布団を干さないとなぁ。。。。
急に寒くなるから。
まだ夏がけ布団を使っています。
小中学生の全国一斉学力テストの結果が出たようです。
やはり「考える力」の不足があるようです。
こういう結果からいろいろと考える力をどう強くするかが議論されていくと思うのですが、また学校教育の場で、あるいは塾もそうかもしれませんが、応用問題などに力を入れていくかもしれません。
でも「考える力」ってなんだろ?たしかに勉強の中でその力をつけるというのが中心でしょうが、なんかそれだけでは不足しているような気がする。考える力って、その考えたことが正しいか正しくないかを先生や学校、親たちが決めるのではない。考えたこと自体が大切で、それを正しいかどうかだけで判断されると子供たちは考えなくなる。あるいは先生や親たちが喜ぶ答えを考える世渡り的なものだけではいびつなものになる。個性といわれるが、一生懸命に考えたが少数意見になってしまったことをどう大切なものかを見なければならない。もしかしたら少数意見にも正しさがあるかもしれないし、一面として正しさもあるはず。
人がものを考えるというものがどこから来るのかな?
遅くなり外食でした。
なんだかここんとこ外食ばかり。。。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
世界で今起きていることがわかる。。。。
うん、言語が一番の問題でしょうが、日本語にしても世界はおろか日本のこともわからない。我が住む町のことも。
これはツイッターというもののせいではなくて、利用する僕個人のせいなのでしょうね。
自分の世界が狭いと必然的に知りたいことの範囲も狭くなるわけです。結局自分の世界の周辺をうろうろしているだけなのでしょう。
まずはこの自分を軸にツイッターに依存しないようにしなければ。。。。ツイッターが教えてくれるというのではなくて自分がアクセスしないとだめということですなぁ。
でも。。。。
あることが知りたいと思って検索しても出てくるものは150文字ぐらいですからなぁ。結局はホームページやブログを見るしかない。
そこでこの150文字ほどということをどう見るのか?
例えばあることを検索したらたくさんの方のたくさんのツイッターにたどり着いたとする。そこからその知りたいことを深くお話ができる方を選ぶことになります。ものすごい労力ですね。この労力を省くには、本などを出している方のツイッターを探すことになる。でもそういう方は忙しいでしょうから結局はブログなどを紹介してもらう。
堂々巡りですなぁ。。。。
そうすると、150文字という世界は文字放送のテロップのような役割ととらえるしてみる必要があるのかも。「日本時間14日〇時。。。チリの炭鉱労働者全員救出!!」というようなもので世界を知るということでしょうか。
ただ、文字放送のようなテロップは、大きな出来事だけですが、ツイッターは自分の世界の範囲という狭いものがテロップとして読めるということでしょうか?例えば好きな作家の情報とか、今何してるといったもの。あるいは顔見知りの友達同士の情報とか、ネット上の友達とか。
こう見ると情報を発信する自分の位置づけも見えてきます。
狭い範囲のどこの誰ともわからないおじさんのつぶやき(笑)それでもその狭い範囲にもたくさんの共通項がある人がいらっしゃることが見えますなぁ。その輪を広げるということでしょうか。テロップの交歓を。。。

【2011年】ツイッターつぶやき
今の世の中、労働力も一つに商品です。昔からサラリーマンは体が資本といってきましたが、まさに体を大切にしてその体からみなぎる労働力を売らなければ生きていけなくなる条件が出てしまいます。ですからこの「体が資本」という言葉とその意味合いは的を射た言葉なのです。労働力を売るための体という資本。労働力は売るのですからもちろんそれは市場に出されて売られているあらゆる商品と同じなのです。
商品であるということは、その価値もありますし、その価値が市場に出された時の市場価格もある。ここでは労働力の価値というものを置いておいて市場価格というところから見ると、それは使用価値や需要と供給によっても値段が上がったり下がったりします。労働力の使用価値というのは高度な技術を要する労働に必要な労働力といったものですからその値段を左右します。しかしこの「労働の」使用価値も含めてですが、労働力が市場において売り手市場か買い手市場化によって値段が決まっていくわけです。
市場において労働力が売り手市場か買い手市場化をもう少し見てみると、今のように失業者が増えて正社員の数が減る一方においての低賃金層の不安定雇用制度(派遣や臨雇アルバイトパートなど)がありますが、今の状態は買い手市場であり当然労働力の値段は下がります。こう見ると失業が社会問題となりどうにか改善が必要といわれる中、一方では労働力の買い手側はある程度の失業が慢性的にあった方が良いわけです。ですから失業というものは常にゼロにはならないのです。ゼロになったら損をするという階層がいるわけですから。
失業や低賃金の不安定雇用は常に「作られる」のです。
失業者をゼロに近づけないために低賃金・不安定雇用の労働力を常に市場に入れてきます。
昔は金の卵といわれた中卒の若年労働力であったり、農業だけでは食えなくなった農民の出稼ぎ労働であったりしました。バブルのような好景気時は労働力の売り手市場になりますが、その時は女性労働が駆り出されました。キャリアウーマンなどという言葉が出てきて仕事に生きるか結婚をとるかなどと悩まされ、バブルが崩壊したら女は家庭に帰れと。女性も今では結婚していた方が勝ち組だったとか。そして派遣法の改悪による派遣労働の範囲の拡大が今問題になっています。そしてもう一つの大きなものが、年金改革(年金支給開始年齢の段階的な引き上げなど)と同時に進められた高齢者の労働力です。
これらの様々な不安定な低賃金の労働が市場において常に失業者を生む中での買い手市場を作ってきたのです。
もちろんこのような低賃金そして不安定な雇用を増やすには、その前提である産業内での生産性の高度化がありました。今までと同じ商品量を作るたえに今までは100人の労働力が必要であったものを70人で済むようにするという合理化が進みます。生産が拡大再生産に向かわなければ30人の雇用はなくなり失業の可能性が出てきます。一方ではこの生産性の高度化は肉体的な疲労を軽減するような機械化もあり、この機械化は高度な技術を必要にしない生産へと移っていきますから、労働の使用価値を下げていきます。これは女性でも高齢者でも働ける条件にもなりますし、労働の使用活を下げることにもなります。ここに失業の不可避性と労働力の価値低下そして市場での価格を下げていくことになります。
精密機械とコンピューターが結び付いたロボットは究極的な生産の高度化を生みました。そして今の時代に見る現象が出ています。
今、少子化問題が大きくなっています。これがなぜ問題化というと、その一つが労働力人口の減少で10年20年後は極端な労働力人口の減少が問題化になるでしょう。万代資するのは上に書いた労働力の買い手市場を望む階層の人々なのです。買い手市場が崩れれば賃金は上昇をし派遣などという雇用はできにくくなるのですから。そこで出てきたのが今回のさらなる年金支給開始年齢引き上げです。前倒しをしてまでも支給開始年齢を高めようとしています。団塊の世代が定年を迎えて若い労働力は少ない。もちろん高い失業率の中で労働力はたくさんあるが失業者をなくすわけにはいかない。早急に高齢者の労働力を確保する「制度」が必要だということです。鴻れ視野の労働力を確保する「制度」、この制度こそ支給年齢に引き上げや高齢者の勤労意欲を高めるために勤めていれば年金額を高くするといった年金改革そのものなのです。

【2012年】ツイッターつぶやき
国の借金を増やせ!国民には増税をしろ!その中で成長路線を維持しろ!EUには金をばらまけ!IMFはどこに向かおうとしているんでしょ?矛盾解決のための矛盾拡大。
先進国の資本主義は自国民の犠牲においてしか成長できない。しかし自国民の貧困化は国内経済を縮小させてさらに国際的な企業間競争が拡大する。発展途上国に依存をするが自国民の犠牲が途上国の国民を助ける。巨大企業だけが世界を支配する。世界市民を作りその市民が巨大企業に対峙するような段階に?
巨大企業には国境はなくなっている。中世から近世に向かう桎梏は自由な金と人の流れだった。近世から現代の流れも同じようになり、国境を越えた金と人の流れの桎梏を取り払おうとするのだろう。その方法が戦争ともなりえるし、社会民主主義ともなりえる。
(すみません。今夜はツイッターから)

【2013年】ツイッターつぶやき
今の社会は格差社会と言われてその格差が増大してきています。
アメリカでの1%と99%の経済格差からの批判が盛り上がりましたが、1%の人々が富を蓄えて99%の人々が生活に苦しまされる。これは今の社会の格差問題を見るにあたっての象徴的な表現でしょう。しかしこの富の集中は個人間の格差を生み出しますが、本来の富の集中は一部の企業(銀行なども含めて)に集積されています。
ですから格差の是正は、どこに富が集積されておりどのように国家がその富の再配分を行うかでしか解決しない問題です。
今のアベノミクスの日本を見ても、円安で巨額な富を蓄えている企業もあれば円安でのジワリとした物価上昇に苦しみ賃上げもままならない国民がいる。これ一つ見ても格差の拡大は進んでいるわけでして、この視点での格差の是正を政治は解決しなければならないはずです。
しかしこの格差の是正については、官民格差・世代間格差・男女間格差・正社員と非正規(不安定雇用)雇用者間格差など様々な形で本来格差を受けて苦しんでいる国民層に目を向けられた格差に是正を求められています。この中で官民格差があるから公務員賃金を下げろなどといった間違った「格差の是正」が呼びかけられて国民も納得してしまう。社会保障特に年金問題では世代間格差が呼びかけられて年金支給額の削減や支給年齢引き上げが言われる。低賃金化が進む中で生活保護の支給額が多すぎるといった議論が出る。この中で先に書いたような根本的な格差の拡大を見ずに格差を受けている国民同士が足の引っ張り合いをしている。
産経ニュースに「みんな江田氏、新党含み3党若手らと初会合 渡辺代表との対立最高潮に」という記事があり、そのメンバーが『「新しい社会保障制度を確立し、世代間格差を是正するための研究会」(新世研)の設立総会を開く』という。やはりここでも社会保障の改善を世代間格差の是正で解決をしようとしている。もちろん勉強会はこれから行われるわけですからどのような政策提言がなされるかはわかりませんが、今の若い世代が高齢者に比べて社会保障に開きがあるならば高齢者の条件を引き下げるのではなくて高齢者と同じ条件をどう作るかといった社会保障全般の引き上げる(これこそが根本的な格差の是正なわけですから)という政策が生まれるでしょうか?
条件の悪いところを基準としていき、その基準に合わせていくといった国民生活を蔑にしたものとなってはならないでしょう。それは結局は格差の是正ではなくて格差の拡大なのです。

【2014年】ツイッターつぶやき
「消費再増税、上げないリスク含め状況を勘案し判断=首相」と、消費増税に動きそうである。
消費増税によるリスク、消費増税をしないリスクと両方のリスクを考えているようだが、そのリスク判断は現在の経済の状態の分析から始まるだろう。
『「デフレ脱却を目指し、3本の矢で経済最優先で取り組んできた」とし、「日本経済はデフレで失われた自信を取り戻しつつある」と指摘。アベノミクスが行き詰まっているとの指摘はあたらない、と述べた。』(引用)
このように経済を分析するなら先の8%への増税の結果も含めて10%へも突き進むでしょう。
しかし分析といってもいつものように具体的な分析はない。
12日に
アベノミクスは円安誘導も消費増税も内包した政策だということです。
経済的政策としてのアベノミクスは、安倍内閣の戦後レジームからの脱却の戦略の一部である。アベノミクスで経済の成長には国民生活の低下をという現実は、最終的な改憲路線の経済版として見るべきでしょう。アベノミクスによる経済的国民への影響と改憲路線での平和や民主主義での影響
不十分さも残しながら戦後の国民生活や社会保障の向上と平和・民主主義・自由の拡大。これが日本人の作った戦後の体制(レジーム)です。これを変革をするというのが安倍政権の戦後レジームからの脱却です。
と書きましたが、安倍内閣の政治的なスタンスからして消費増税はその安倍総理の誇りを守ることからしても強行されるでしょう。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
お題「今まで何回引越ししましたか?」に参加中!
簡易型の小さなコミュニケーションサイト、あるプロバイダーのホームページ、あるプロバイダーのブログとホームページ、そして別荘がツイッター、最後にこちらのgooブログと別荘のblogram。
えっ?ブログやホームページの話じゃない?。。。。アハハハ・・・すみません。
でも、ネット上の引っ越しも大変でした。そして悲しかったです。
ネット上ですが、せっかくお知り合いになった方との別れもありました。そのサイトやブログが終了してしまったりして悲しかったです。そして新たな気持ちで始めるのはいいのですが、今までコツコツと書いたものが消えてしまう悲しさもありました。
今はこのgooブログにお世話になっていますが、他のサイトからの引っ越しの時に残せたブログ記事やホームページがあるのが救いです。いろいろと苦労してやっと2003年から残せました。一部再生不能もありますが。
大したことは書いたりしているわけではないですが、自分の歴史ですからね・・・・
皆さんもブログやホームページを大切にしてくださいね。
生身に僕の体の引っ越しは3回です。
この引っ越しも大変ですよね。。。。。
引っ越し貧乏という言葉もありますが、案外費用もかかります。
でも、結婚や子育ての節目の引っ越しですから仕方ない。
一つだけ夢の引っ越しがあります。
京都と奈良の県境あたりに引っ越しをしてお寺回り周りをしたい。。。。。。又は、山梨県のお気に入りの日帰り温泉近くにも引っ越しをした。

【2018年】ツイッターつぶやき
安倍総理は対年10月の消費増税10%をリーマンショックのようなアクシデントがなければ予定通りに行うことを決め経済に影響が出ないように指示をしたらしい。
車や自動車などは対策をする。中小小売店でクレジットカードなどキャッシュレス決済をした時には2%をポイント還元する。酒と外食を除く飲食料品は8%に据え置くなどの方針も明らかにした。(以上朝日新聞参照
安倍総理は前回の消費増税を行えなかった。経済の好転が道半ばだというように経済の好転がなかったからでしょう。現在は経済も好転しているとするが、中身はずっと変わっていない。デフレ圧力は常に働いている。
上記のようないろいろな対策を行うというが、行わざるを得ないということでしょう。
少しでも国民の理解を得たいという苦肉の策なのかもしれない。いろいろと策を講じなければ経済の落ち込みがひどくなるということでしょう。
消費税の中身も複雑になり消費者は混乱するでしょう。

【2019年】ツイッターつぶやき
コンビニでパンを買おうとしたのですがパンがない。
台風の影響が残っています。
今朝はご飯にしました。
そういえばスーパーにはコメがなかった。2㎏の袋が一つだけ残っていたので助かりましたが。
今回の台風は日本列島全体を覆うような台風でしたから、いろいろと物流に影響が出るかもしれませんし、農作物をはじめとして品不足も出るかもしれません。
火事場泥棒のような便乗値上げはやめてほしい。

【2020年】ツイッターつぶやき
国連の人権理事会に中国、ロシアとキューバ(?)が当選したらしい。
アメリカはトランプさんのアメリカ第一以来いろいろな面で国連と対立(摩擦)する場面が多くなっているが、その一方で中国やロシアが当選氏ということは国連内に何かしらの変化が出ているのかもしれない。
中国経済はコロナ後回復しているようですし国際的な発言力は高まっているでしょう。
今後国際関係がどう変化していくのか。。。。

【2021年】ツイッターつぶやき
だいぶ前ですが化学物質過敏症と診断された女性の日常生活を紹介したテレビ番組を見たことがありますが、印象に残っているのはキッチンなどの金属すべてにアルミホイルを敷き詰めて家事を行っていました。洗剤や食品など様々なものに化学物質の入っていない物を使う。
遺伝子レベルの検査が必要とも言われている病です。
原因はわからないようですが、現代特有の病だとも言われています。
化学物質があふれる生活様式があります。一方ではストレスが過剰に働く社会でもあります。
化学物質は科学的な物理的ストレスですが、社会の中に生きていく中では心のストレスです。どうもこの両面でのストレスが原因ではないかと思われる。
ですから治療としては化学物質をなるべく避ける生活と心療内科のような精神面での治療が必要だそうです。
化学物質の影響で身体に影響が出て心的ストレスにもなる半面、心的ストレスが肉体に影響する。この両面で化学物質過敏症はひどくなるのでしょうか。
心的ストレスによって胃腸などは大きく影響されますが胃腸ばかりではなくて様々な臓器に影響が出るのかもしれません。化学物質過敏症もその症状は身体の様々なところに症状が出るそうですから、病は気からとは言えませんが、社会的なストレスが緩和することにより改善されるのではないでしょうか?科学部質はこの社会に昔からありましたがそれだけでは発症しない。現代社会のストレスは昔以上に過酷になっています。そういえばアレルギーというものも昔よりも多くなっていますね。

【2022年】ツイッターつぶやき
10日から四国の方へ旅行に行ってきました。
久しぶりにのんびりと。。。。。。
四国を1周してきました。
天気も良くて気温も気持ちの良い気候。
四国も案外温泉があるんですね。

【2023年】ツイッターつぶやき
フランスパリでトコジラミが大量発生しているようです。
電車や映画館などのソファーで見つかっていたものが家にも持ち帰って家庭の中でも繁殖。
終戦後南京虫というものがいたそうですが、これこそトコジラミです。
一時は絶滅していたようですが、消毒薬にも耐性がある強いものが生き残っていたようです。
今年は東京でもカメムシが大量発生をしましたが、トコジラミというのはこのカメムシの仲間だそうですから怖いですなぁ。少しぐらい臭いぐらいならいいですが血を吸われて激しい痒さではたまりません。
日本も海外からの観光客が戻りましたがいつ日本に入ってくるかわかりませんね。すでに入っており発生件数が増えているそうです。
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「10月13日という日」

2024年10月13日 07時55分45秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
変な天気でした。
夜のうち雨が降り、午前中はよい天気。午後には台風のような雨風でした。気温も27度まで上がり蒸し暑かったです。
小さな熱帯低気圧がきたそうです。
暖かいといえば、我が家はまだ夏がけ布団で寝ています。少し涼しいかなと思う夜もあるのですが、今日のように蒸し暑かったりするとまた冬布団を出しそびれてしまいます。
村上 龍の「希望の国エクソダス」を読み終わりました。2000年に出版されたらしい近未来小説(村上龍自身はファンタジー)です。一気に読み終わりました。いろいろと考えさせられます。
近いうちに読書ページに感想を書きます。

・・・・・・・・・・ハハハハ
感想は書くのはいいが、読み返すと誤字も多いし読みにくい文章だ。
皆さん、我慢して読んでね。。。。。

【2004年】
(記事なし)

【2005年】
気持ちよく晴れました。
5時頃、夕焼け。
夕焼けの次の日は雨でしたっけ?また週末は雨。。。。。
洗面所の配水管が詰まってしまったので掃除をしました。
洗剤を入れてしばらく置いておき、水を流しながらペットボトルに入れた水を勢いよく流しました。その後は空気を入れては排水口にペットボトルの口を押し付けて何度もブシュッと。。。。そのうちにゴボっと水の通りがよくなりました。
ペットボトルの裏技的使い方です。しかし何度もペットボトルを押したりしていたら親指の付け根が腱鞘炎のように痛くて。この裏技はお薦めできません。
牡蠣が出始めました。
少し高かったですが初牡蠣フライにしました。牡蠣は大好物ですしこれからの季節は楽しみです。ううう。。。生牡蠣を食べたい!

「めまい」
                         集英社文庫
              唯川 恵  著
ホラー的な10篇の短編集です。
「刹那に似てせつなく」の感想に、「この本の『解説』を読むと、この作品は唯川さんにとって大きく変わっていく中での作品だと書かれている。
少女小説から大人の恋、そしてこの作品によってサスペンスへと。」
そして「めまい」はホラーである。この作品の後の「病む月」は、やはり10篇からなる短編集で10人の女性の情の激しさを表現する。そしてその後に「肩ごしの恋人」となり、ホラー的なグロテスクさはなくなり、激しい女性の情もなくなり、女性の恋という情から離れた一人の人間として、「るり子はゲイのリョウに好きだと告白をする。女を愛せないリョウという男に。。。。そしてつぶやく『好きだからそれでいい』」(僕の感想より)という穏やかな愛を表現する。
僕は、このさん作品より以前の唯川さんの作品は、「夜明け前に会いたい」しか読んでいないが、どことなく昼のメロドラマ的な恋や愛の甘さを感じる作品からの脱皮がなされてきているのではないかと思う。
その実験がサスペンスであったり、ホラーであったりしたのだろうし、この作品のジャンルにこだわることからも脱皮をし、本来の唯川さんのスタイルである恋愛小説をもっと掘り下げたものとしての「肩ごしの恋人」があるのだろうと思う。この意味で本来の自分のスタイルを発展した形での脱皮がされていっているのかもしれない。
「めまい」「病む月」は、ひとつの過渡期の作品となると思うが、その意味において「めまい」は読まれるべきでは?
「刹那に似てせつなく」が、サスペンスとして成功しているかはわからないし、この「めまい」がホラーとしてのジャンルとして成功しているかも疑問である。
しかし、サスペンスにしてもホラーにしても、やはり唯川さんの作品が持つ柔らかさと哀れみさというのか悲しさが出ている。
ホラーといえば、幽霊や化け物、異常性格からの殺人鬼などを連想するが、この作品に出てくる主人公が経験するものはそのような異常な世界ではなく(「嗤う手」は例外か)、普通の女性が落ち込みかねない世界であり、ありいえるホラーの世界である。そしてそれは女性の恋愛感情であったり女性同士の確執であったりもし、それを唯川さんらしい柔らかさの中に表現をしているのだと思う。そして読み終わると怖さよりも哀れさや悲しみが心の中に残り、それは唯川さんの描く恋愛の世界である。
「青の使者」では、水槽に新たに入れた青い鯉が病気を移して他の魚たちを殺してしまう。その青い鯉と恋敵である女をダブらせていく異常さ。その男に愛を感じるわけでもなくさえない男であるが、ここに女の独占よくというものを感じ、この独占欲が異常なまでに心を狂わせるかなしを感じる。「誰にも渡さない」では、その独占欲が生霊となり、男に近寄る女を不幸にしていく。そしてその生霊となった自分は自分という人間でも制御できない存在となってしまう。
「きれい」「眼窩の蜜」では、自分の女としてのコンプレックスを描き、このコンプレックスは幼馴染や姉妹に対して向けられ、確執となりその確執がグロテスクな異常な世界へ引き込んでいく。
このように、この作品は女同士の心のぶつかり合いや確執にその怖さを描いている。どのように書いたらよいのかよくわからないが、たとえば、ある女には恋人あるいは夫がいてその男を愛し執着をしている。そこに他の女が現れた場合、女の心には二面性が現れる。愛する男を守りたいという心と、男を取ろうとする女が友人であったような場合は、男を守るという以上に女同士の確執というのかプライドというのか、そのような心が先にたつこともあるといったところか。。。。
そんな女心の強さを感じる作品である。
しかし最後の「月光の果て」は、死にゆく少年と中年となる女が出てき、その年の差の中には恋愛とは言えない男女関係が現れる。女は理屈ではない愛しさを少年に向ける。女心の純粋さというのだろうか、激しい憎しみや確執を女心に現れると同時に、愛しさという優しい女心もその激しさとなって現れるのであって、最後のこの「月光の果て」において異常さはあるにしても女心としての暖かいものを感じる。
これによりこの作品集が単なる怖さだけを表現するホラーとは異質であり、ホラーを取り入れた恋愛小説なのである。それが唯川さんらしさの表れなのだろう。
この文庫版「めまい」の解説は、篠田節子さんが書いている。
篠田さんには、同じような恋愛の中に感じるサスペンスやホラー性のある短編集「愛逢い月」がある。その篠田さんが解説を書いていることにおもしろさがあり、「めまい」と「愛逢い月」を読み比べることをお薦めします。
篠田さんは、
「この『めまい』はホラー小説ではなく恋愛小説、唯川恵の最も鋭角的なきらめきを持つ恋愛小説集であると、私は考えている。」
と書いていますが、篠田さんの「愛逢い月」も「幻想小説、恐怖小説に属するが、このジャンルに恋愛というのは『すこぶるふさわしいテーマでもある』と書いています。」(僕の感想より)というように、そこにあるのは恋愛です。

【2006年】
今日は13日の金曜日でしたねぇ。。。。
                 何もなく無事終わりそう。
なんだか寝不足でふらふらしながら買い物に。
スーパーのカートを押しながら、何を作ろうかと歩いていたら、なんだかカートが右に曲がっていく。僕はまっすぐ押しているつもりなのにカーとは。。。。なんとなくめまいがする。これはだめかと思ったとき、そのカーとは車輪が壊れていて右に曲がってしまうらしいことに気が付いた。ぼうっとしていたのでそれに気づきませんでした。
よかった。。。。
頭が変になっていなくて。。。。ほっとしました。
でも、今夜は酒はやめておきました。一応。。。。

【2007年】
小劇団カムカムミニキーナの秋公演「軍団」を観てきました。
感想は後ほど。
ついでに紀伊国屋書店により次の本をゲット。
・川上弘美「大好きな本・書評集」
・川上弘美読本
・内田樹「疲れすぎて眠れぬ夜のために」
     解説・・・銀色夏生
内田さんの夏生さんとお会いした感想ブログは、こちらとこちら
夕食は沖縄料理の飲み屋さんでソウキそば。
いやぁ、、、、歌舞伎町はすごいですなぁ。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
小さな駅に降りた。
ホームに降りてみると降りたのは僕一人のようだった。
改札口の横の便所が匂う。
駅前にはいつ来るかわからないバスの停留所が立ち、「タクシー乗り場」という青い小さな案内板にサビが出はじめていた。駅前通におばあちゃんが一人歩いていた。時より車が通る。車が走り抜けるとまた静寂が僕にまとわりついた。駅前にある和菓子屋さんに稲荷寿司が5個ほど並べられている。少し商店街に入ると小さな洋服店におばあちゃんが着るのか少しおしゃれなシャツが飾られていたが色はくすんでいた。
昼飯どうしよう。。。。。
飲食店らしき店はいくつかあるがシャッターが閉まっていたり暖簾が出ていない。また1台車が僕の横を通り過ぎていった。静寂の空気はまるで水中を歩くようにまとわりつく。
商店街の途中にある路地をふと見たら赤いちょうちんが下がり店の入り口の上に黄色いビニールの看板らしきところに大きく「ラーメン 中華の〇〇」と書いてあった。〇〇という華やかな繁盛しそうな店の名前。それがまた静寂の中にゆがむ。
ガラガラと戸をあけて入った。油っぽい床が少しぬるっと滑る。
ラーメン屋の親父が僕をにらむように無言で厨房に立っている。少しべたついたテーブルにすわり黄ばんだメニューを見る。壁に貼り付けられたメニューも見ようとしたら薄暗い奥に「便所」と書かれた扉。くすんだ招き猫が棚にあった。
「ラーメン。。。。」
オヤジは無言でうなづいてまた僕を見る。
店の隅のテーブルでじいちゃんが野菜炒めでちびちび酒を飲んでいた。時よりラーメン屋のオヤジを焦点の定まらない視線で見上げている。親父は首を振る。
しばらくしたら商店街の通りをダンプがエンジンをうならせて走り抜ける音がした。外の埃っぽい粘りのある空気が僕を包むように感じた。
オヤジがラーメンを持ってきた。薄い味の出汁があまり効いていない汁は、汁に溶けた海苔の味しかなかった。「の」の字のなるとの赤い色だけが華やかであった。
視点の定まらぬじいちゃんが僕を見つめる。
動かぬ空気が僕を包み込む。

【2011年】
(記事なし)

【2012年】ツイッターつぶやき
賃金の官民格差が言われる。
この格差において民間よりも公務員の方が賃金が「高い」と言われる。しかし賃金高が高いか低いかは官民という「比較」によって決めてよいものだろうか?この比較から公務員の方が高いとした場合、裏を返せば民間が低すぎるとなる。
比較によって公務員が高いから賃下げをした場合、民間の方が高くなれば民間が高すぎるとなっていき賃下げ傾向に歯止めがかからなくなるだろう。
このような比較によって賃金額は決まるものではないのです。
しかし現実に官民格差があるとされているわけですから比較による格差も見なくてはいけないでしょう。この場合高すぎるか低すぎるかの議論は見ないようにすべきで、単純な比較として見るべきです。
同時に官民格差の比較を見る場合は、様々な角度からの比較が必要でしょう。
官も民も多くの非正規労働者が入っています。この非正規労働者が派遣という形ならば当然その方々の賃金高は民間となります。この非正規労働者が極端に増え続けて低賃金に置かれているならば民間の平均賃金を引き下げるでしょう。同時にそれは雇用形態での格差につながります。
また、公務員は女性労働者が多く定年まで働ける条件がありますが、民間にはこの条件がありません。その中で子育て支援が要求されますし、待機児童の問題が大きくなっています。この中で民間での男女間の格差が生じます。20代までは男女間の格差はそうは大きくありませんが、結婚をして子度立てに入る30歳ごろから格差は拡大をして女性の平均賃金は男性の半分弱となります。このような女性の低賃金も民間の平均賃金を引き下げるでしょう。当然ながら女性が多く継続して働き男女間による賃金格差が少ないならば、官民格差も拡大するでしょう。
あるいは官民での給与体系も違いがあるかもしれません。公務員には一定の年功序列型の賃金体系が残り、民間は実力主義と言われる成果主義の賃金体系になっているとすれば今現在の成果主義は賃下げにつながっていると見ることができますが、この賃金体系によっても官民格差は広がるでしょう。
もっとさまざまな格差の要件が民間の問題として存在するでしょう。
こう見ると官民格差は民間企業が作り出したと言えます。公務員が特別に大幅賃上げがあったのではなくて、民間が賃下げをされたのです。この経過の中で格差は作られたのです。民間の労働者の多くが非正規社員という低賃金におかれ、男女間差別が女性を低賃金に置き、成果主義がやはり賃下げに作用をする。ここをほっておけば格差はこれからも拡大するでしょう。
今は年金制度の改悪(厚生年金比例部分も65歳支給による無年金化)により、今後60歳以上の高齢者の雇用が本格化していきます。もちろん給与は下げられての雇用となりますからその人数からして民間の高齢者が多いわけですから民間の平均給与は下げられるでしょう。
公務員給与は税金からですが、その税収が民間の給与の落ち込みで少なくなりますし、税金の使われ方も最近では消費増税も公共事業に回されるというものが見えてきましたし、復興予算がとんでもないものに流用されていたことも発覚をしました。この中で公務員給与を下げろといった乱暴な意見が強くなっています。昔の国鉄債務問題と中身は一緒です。何も国鉄の借金は国鉄職員の給与が高すぎたから200兆円もできたわけではない。しかしこれを何とかしなくてはと国鉄職員が切られた。今の国や自治体の赤字も公務員の賃金が高すぎたからではないのです。
今やるべきことは、比較をするのもいいですが、その比較から見えてくるあらゆる差別的な核さを民間の中から改善しなくてはいけないという事なのです。ここを見ないと国民生活はがたがたとなるでしょう。

【2013年】ツイッターつぶやき
社会党から社民党へ。総評から連合へ。
いや時間の流れからすれば総評から連合へ。社会党から社民党へでしょう。
社会党と労働組合は独立した組織同士の連帯でした。そしてたがいに依拠するものが大きかった。総評は社会党の政策を精神的な影響力として受け入れて、社会党はその労働組合の運動を支援した。
「総評から連合へ。社会党から社民党へ」というのはこの民主的な関係において行われた。もちろんきれい事な民主主義と片付けられないものは当然にあったでしょうが、社会党の精神的な影響力がなくなったことによる総評から連合へという流れは党が労働組合を機械的に支配することを否定したものであったことでの民主的な関係からの結果だったということです。
総評から連合へという過程に「制度政策要求=国会の多数による労働者の状態の改善」があり、労働組合の数の力のために連合が生まれ、国会内の数の力のために結果として民主党との支持関係に入った。労働組合は独自の運動から組合員を守るということから制度政策の確立にそれを求めるといったようにその運動の軸足を移した。そして今に至っているわけです。
社会党も分裂をして民主党に圧倒的な多数の議員が入って社民党は急激に党勢を失う。もちろん社民党も労働組合との支持協力は少しは維持をしてきた。社民党は労働組合の分裂を求めない。あくまでも社民党になっても党は労働組合に対しては精神的な面での支持を求めることにあり、それが物理的な力になることを求める。
今回の党首選を通じてこれまでの運動ではだめだと、社民党が労働組合から離れるといったようなとらえ方が多くなるかもしれませんが、あくまでも社民党は労働組合との相思相愛を求めるでしょう。しかし同時に、連合の組織率も下がっていますし正社員数が減って不安定雇用者が多くなりその労働者を連合として組織するのが難しくなっています。連合もこの点での組織の在り方を変えざるを得ないでしょうし、社民党も労働組合+非正規労働者の視点に立つべき時に来ています。同時に社民党は労働組合組織との関係改善と同時にその組合に属する労働者との交流を求めるでしょう。
労働者は労働する人であると同時に市民生活をおくる人でもある。この市民運動の流れも社会党時代から変化しているでしょう。やはり社会の動きの中で意識も変わります。しかし平和と民主主義そして生活の向上と労働に縛られない自由(長労働時間やブラック企業などそして何よりも賃金奴隷から)を求めています。これは基本的には昔のままなのです。社民党も護憲・平和そして生活の向上と自由な時間の拡大の運動を変える必要もないわけです。
民主主義という面では、今回の党首選では同性愛といつものが象徴的に出ました。今はこの民主主義という中身においても個人が重要視されています。この個人を重要視する民主主義とは何か?これは新しい運動が必要ですね。ここにもやはり差別の問題やゆがんだ常識にぶつかります。これも民主主義拡大の中での課題でしょう。個々(個人)の問題を通じて民主主義の全体像をとらえる。そして全体的な民主主義の拡大の中で個々の問題も解決される。このような運動が求められています。
それが社民党の精神的な影響力として確立できるかどうかですね。それには護憲・平和そして原発稼働ゼロ維持(復興問題)、労働の規制緩和反対そして消費税やTPP問題など、それぞれの問題に直面している方々の力が結集しなければなりません。その中での精神的影響力を持てる組織の一つが社民党であってほしいと思うわけです。

【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
日銀総裁がG20に先駆けて日本経済に対して、物価上昇は時間の問題として緩やかに拡大しているという判断を示した。
このブログでも何度か書いたが、日常のスーパーなどで買い物をしている物の物価はすでに円安誘導により悪性の物価上昇を示している。しかし全体的な消費者物価となると1%にも届かない数字でしょう。悪性の物価高によって生活の苦しさが出ている中では、エンゲル係数を見ても急上昇をして他の商品の消費を抑える働きが出ている。これが経済の好転からのインフレ傾向としての物価高を起こさない要因の一つでしょう。更に10%への消費増税が言われている。また消費増税前の買いだめの消費を示して経済の好転を言うのだろうか。
日銀はこの中で賃金の上昇も時間の問題としているが、賃金の上昇傾向は経済の好転からではなく少子化からの労働人口の減少からきているのである。
しかし年金支給年齢の引き上げから高齢者の就労がその配偶者も含めて低賃金層の就労が伸びているのが大きいわけです。さらに若い世代には労働の規制緩和が待ち受けている。残業代ゼロ円や機械化による就労の減少傾向が出るでしょう。
こう見ると経済の好転の材料がどこにあり、どこから緩やかな経済の拡大が見えるのか?
その答えはただ一つ。
株価の上昇と企業利益の拡大でしょう。これは低所得者から高所得者への富の配分の結果です。
同時に日銀の株の買い入れや年金積立金の更なる運用など、株価の買い支えが行われている結果です。企業利益は内部留保に回り飛躍的な国内での設備投資には向かわない。
ここでもどこで経済の好転が見えるのでしょうか。
更に勤労国民からの搾取はきつくなり、社会保障の縮小などの収奪も拡大するでしょう。

【2018年】ツイッターつぶやき
ハフィントンポストにいくつかのロボットについての動画も含む記事があった。
「AIロボットソフィアが国連会議にに出席、流暢に質問に答える」
もはやSASUKE出場レベル?ボストン・ダイナミクス、人型ロボットの連続ジャンプ動画を公

つい最近までホンダのロボットアシモに驚いていたのですが、いやぁ・・・・ロボットの進化というのはすごいものですね。
世界が実用的な形でのロボットを中心にしていた中、日本が人型ロボットにこだわっていたと思うのですが、世界中で人型ロボットを目指すようになったのでしょうか?
すでに人と同じぐらいの大きさのロボットを作れる段階に入ったのでしょう。
人の体の機能を持つ、いや、人以上の機能を持つロボットができるんですね。同時に人間の頭脳を持つロボットもそうは遠い未来ではない時代に出来上がるのかもしれません。
人の体と、人の頭脳を合体したロボットはまだ小型化が必要なのかもしれませんが。
そのうちに街中をロボットが闊歩するのかもしれませんなぁ。。。。。
体による行動と考えることができるとなると、目には見えないロボットの感情が芽生えてくるでしょうね。人のプログラミングをしなくてもロボットが勝手に動いて学びながら考えて感情を持つ。人の感情をそのままに学習する。人とのコミュニケーションをするのですから当然その中に感情が芽生えるでしょう。
記憶容量も行動能力も優れたロボット。。。。
人は戦争に使うでしょう。ロボット同士が破壊しあうなんてSFの世界のようですが、現実にならない保証はない。
その時のロボットは心も感情もなく人も殺すでしょう。戦争の正当性を学んだのですから。
人が持つ聖戦や正義の戦争を学ぶわけです。
その時、人はロボットに何を学ぶのでしょうか?
平和や自由や民主主義をロボットは教えてくれるのか?
もしロボットが戦争の反省や否定から平和主義を言い出したり、自由や民主主義を行おうとしたとき、人などうするんでしょ?
人の社会の経済関係が今のままなら人がロボットを迫害するようになるのか、経済関係を進化させて社会民主主義社会をロボットと一緒に平和を築き上げるか?

【2019年】ツイッターつぶやき
東海、関東そして東北では川の氾濫もあり被害が出ていますね。
台風一過。。。。。
被害という爪痕がはっきりしてきました。
被害にあわれた方、お見舞い申し上げます。
東京も河川の氾濫があったようですが、我が家は何事もなく台風を見送りました。
台風一過。。。。。
朝、カーテンを開けたら強い日差しが差し込みました。
いつものように朝食を食って、家じゅうの掃除をして少しベランダなどの片付け。
日常を送ることのありがたさを感じます。
日本中で災害が続いています。
自然が相手ですからどうすることもできない面はありますが、災害があった時には約日常を取り戻すことは国が動けばできることです。これが国を守るということではないでしょうか?
一機数百億円の戦闘機をアメリカ防衛のために数百機ローンで買うこと、防衛とは言いますが、この金を防災に使えばどのくらいのことができるでしょうか?
国の姿勢が災害時に見えてきます。
災害は自己責任で対処。。。。。
これが大きくなっています。

【2020年】ツイッターつぶやき
日本学術会議の推薦6名を拒否したのは、事務方なのか、内閣官房内の誰かか、総理大臣かは、だれであっても法的な問題がからむし説明すべきこと。
同時に誰が拒否したかは別にしてもその人たちがなぜ6名を拒否したのかの理由を明確にすべきです。それが国民のための政治。
(ツイッターから)
官房長官が変な笑顔を見せながら説明すればするほど矛盾は深まるばかりで、だれが6名を拒否したのか、その理由は何かを隠しながら暴走するしかなくなっている。

【2021年】ツイッターつぶやき
岸田総理はこれまで分配がなければ成長はないとしてきましたが、今では成長がなければ分配はないと変化しぶれてきています。
成長がなければ分配もないというのは安倍・菅路線で、企業優先の経済政策から経済を成長させることを言いながらその分配となると結果は賃金は毎年下がり続ける結果になった。
岸田総理も同じ道を進むのでしょう。
国民生活を少しでも豊かにしなければ経済の成長もあり得ません。

【2022年】
四国旅行

          ≪しまなみハイウェイ 尾道へ≫

            ≪尾道ラーメン≫

          ≪ロープウェイで尾道千光寺≫

【2023年】ツイッターつぶやき
パレスチナとイスラエルの戦争がはじまりましたが、もとをただせばドイツのナチスのユダヤ人への迫害ですが、戦後これを利用してイギリスやアメリカのによるイスライル建国が紛争の元になりました。パレスチナにしてみれば土地を奪われたのですから反発は必至だった。第一次中東戦争がはじまりその後も数次の戦争が引き起こされた。イスライル自体もユダヤの国方逸脱をしシオニズム国家に。戦争のたびにパレスチナの土地を占領し、現在はパレスチナ人は狭い土地に押し込められている。そして迫害も受けてきた。その中での今回のハマスによる攻撃です。パレスチナ側もテロを含めた過激な運動になってきてPLOのアラファトさんも苦労をしました。西側の支援を受けたイスラエルに対抗するにはテロもありという悲劇です。
アメリカや日本を除く西側はイスライル支援でイスラエルのハマス殲滅を支持しています。同時にそれは多くのパレスチナ国民を無差別に殺害する空爆でしたし今後の地上戦です。
これに対してロシアと中国はパレスチナの国家樹立による平和を言っています。
ロシアはウクライナにおいても市民への攻撃を行わないという形ですが、戦争にもルールがあります。イスラエルとそれを支援するアメリカがこれを無視した戦争を拡大していくのでしょう。ネット上ではパレスチナの救済の声が広まりつつあります。
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「10月12日という日」

2024年10月12日 08時10分04秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【過去の記事】

【2003年】
毎年秋に友人たちのグループで集まり関東周辺の古代遺跡や文化財を見学するバスツアーを行っています。今年は埼玉県の川越市周辺を周りました。
川越は、古い蔵を残す町並みがあります。「小京都」ならぬ「小江戸」と言われ、関東では有名な町です。またサツマイモの産地としても有名で、町中でサツマイモを使ったお菓子などが売られています。サツマイモのソフトクリームもありますよ。
古い町ですから神社仏閣も多く、特に喜多院は有名です。
本道横には江戸城の大奥の建物がいつのころか移築され、三大将軍家光が生まれた部屋が残されています。狩野探幽だったか有名な画家の襖などがあり立派な部屋です。横にはトイレと風呂場があるのですが、今で言えばユニットバスです(笑)トイレなんか、畳敷きですよ。。。。。
庭は小堀遠州のものできれいでした。
境内の一角には五百羅漢の石造があり、これも有名です。釈迦の弟子たちですね。いろいろな表情をした石造があり、弟子たちがいろいろな分野の知識を持つことが石造の形からうかがえます。中にはいじけて顔をひざの中にうずめているようなものをありました(笑)見ていて飽きないです。
川越の北には、高麗というところがあります。
高麗川という川の名前が残っていますし、高麗という地名も残っています。奈良時代だったか、朝鮮半島の高麗の国が滅びて王族が日本に亡命しました。この王様が、関東に古くから来ていた渡来人を集めて村を作ったようです。古墳時代から関東には渡来人がやってきていたようです。その王様が作った聖護院?というお寺や高麗神社を見てきました。
その後、古墳時代晩期の横穴古墳「吉見の百穴」を見ました。
小さな山の一面に高さ1メートル弱の穴がたくさん掘られています。一つ一つの穴がお墓だそうです。今も墓地不足のために、お墓も団地のようになっていますが、古墳時代晩期も古墳を小さくしろという命令が出ていますし、百穴のような団地古墳も出てきたのではないかと思います。山の中腹に1本の柿木がありました。オレンジ色がきれいでした。
最後に原爆の図で有名な「丸木美術館」に行きました。
原爆の図は何度も写真で見ていますが有名ですね。新たに知ったことは、水俣病に対する訴えの絵や、ビキニ諸島での漁船の被爆に対する訴えの絵などもありました。社会悪に対する幅広さがあります。
アメリカによるイラクの空爆で多くの子供が犠牲になりましたが、この写真も掲示されていました。
朝のうち雨でしたが、お昼前にはやみ楽しい時間をすごせました。

友人たちとバスのレンタカーを仮で埼玉県の川越付近をまわってきました。
毎年この季節に行くのですが、今年で12回目でした。関東一円の古代遺跡や美術品を見るというのが目的でして毎年楽しみにしています。
川越の喜多院では、徳川家光が生まれたという部屋(建物は江戸城から移築されたものです)を見たり、境内にある五百羅漢像を見たりしました。いろいろな顔があり楽しかったです。
その後古墳などを見ながら最後に原爆の図で有名な丸木美術館に行きました。原爆の悲惨さは有名ですが、戦争すべてに反対をする姿勢がうかがわれました。この前のイラクに対するアメリカの軍事侵攻がありましたが、その空爆による被害を紹介した写真展もやっていました。
丸木美術館ホームページ
上にに写真を入れてみました。少し重いかもしれません。

【2004年】
(記事なし)

【2005年】
たしか天気予報では今日は曇りのはず。。。
はずれてよかったです。
雨続きのため、部屋干し洗剤を買ってきましたが今日は必要なかったです。
タバコの好きな僕は、時々タバコ関連のホームページをのぞくことがある。
今日も見ていたら、タバコの値段を1箱1000円にすれば喫煙者数が減るだろうとあった。これはその道の専門家の説なので、「なるほど。。。1箱1000円になればさすがの僕もタバコをやめるだろうなぁ。。。」と変に納得してしまった。そして他のページに移っていったんだけど、そのとき「ちょっとまてよ?」と思った。
たしかに喫煙者数が減ったり一人当たりの本数は減るだろうが、この減る喫煙者というのは、僕のような貧乏人だけではと思うとやたらと怒りがこみあげた。1000円という金が屁でもない金持ちやタバコに金を相当つぎ込める条件のある人だけは吸い続け、一日の小遣いが1000円程度の貧乏人は我慢させられる。
この論理からすれば、大気中のCO2を減らすためにも大気汚染を減らすにも、ガソリン1リットルを1000円にすればいいとなる。しかしこうなると、運輸関係での車の依存率が高い中では経済に多大な影響が出てできるわけがない。ところがタバコとなるとまったくの個人の問題で、しかも貧乏人だけの問題であり、このような論理が常識として受け止められてしまうのである。
タバコ1箱1000円にし、貧富の差による差別的な取り扱いをするなら、一思いに発売禁止にして欲しい。。。。
そのときは2兆数千億円の税収減を補充するものと、今でも旧国鉄の借金返済をタバコからとっているなら、それも取れなくなるのだからどう補充するかがはっきりしなくてはいけないだろう。
その道の専門家の言うことには気をつけなくてはならない。
タバコのこと以外にも案外こういう変な論理が大手を振っていることがある。

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
朝、5時50分ごろおきて珈琲を飲みながら出窓を見たらオレンジ色の大きな太陽が顔を出したばかりでした。肉眼でそのまま見てもまぶしくなく、なんとなく沈む満月でも見ているようでした。
空には黒い雲。。。。15分ほどの間に太陽は雲の中に隠れました。
日の出も遅くなり、日の入りも早くなりました。これから2ヶ月ほど日がどんどん短くなる。いやですなぁ。。。秋の夜長というのはそうは嫌いではありませんが、日が暮れる瞬間がいやです。
冬至にあると、これから日が長くなる!と気持ちも湧いてくるのですが。。。
夜は外食でした。
家族でデニーズ。秋ジャケのステーキがうまかったです。
首都高速の料金体系が変わるかもしれないとか、ETCの専用出入り口を新たにたくさん作るとか、高速道路関連でどんよりしています。なんだか、首都高に乗るにもETCでなければ不便そう。民営化で首都高の無料化も完全に保護にされてしまったし、ETCはじわじわと強制されている雰囲気だし。こうなったらイジでもETCをやらないという頑固さを持ってみようかな?どんな損をさせられていくかを見るために。以前、東名高速からの出口で、ETC専用出口が増えてしまい、現金払いの出口が渋滞していた。こういう損。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
内田樹さんの「日本辺境論」(新潮新書)を買ってきました。
「新書大賞2010第1位」と「これ以降、私たちの日本人論は、本書抜きでは語られないだろう。」(養老さん?)という帯の言葉にひきつけられて買いました。
内田さんの著書は二冊ほど読んだことがありますが、独特な世界観(武士道など)があります。僕はあんがい批判的に読みましたが。。。。(笑)
今度の本はどのような問題提起なのでしょうか?
日本辺境論、それは精神面も含めて?
日本は古代から中国や朝鮮半島から文化を移入した。時にはそれが仏教伝来と古代日本の精神がぶつかった。しかしその文化が入ってくることは阻止できなかったし、むしろ中国の文化などを日本の文化として昇華してきた。近世ではアメリカやヨーロッパの文化を。この意味で辺境かもしれませんが、その精神面違う文化を取り入れながら独自なものにすること。その中にぶつかりも常に存在した。
なんて。。。。題名から自分の感じたものを芯におきながら読みたいと思います。
最近、読書時間がのんびりしています。しばらくしてから読むことになるかも。。。。

電車の中で向かいに座る

着物美人を見た

40歳ぐらいだろうか。。。。いや、もう少し?

うん、典型的な着物美人にドキッとしました

そうはいやらしく見つめたわけではありませんが気になる(笑)

ふと爪を見るとネールアート。。。。。

ふと産毛の中の耳を見るとピアス。。。。

ピアスは三つほどついていた

着物も現代的着こなしが流行ります

ネールアートも耳に三つのピアスもありかなと思った

うん、美人は何をしても一つの世界のオーラ
          (Am11:23)

また夏生さんのハローの丘へ

水をあげてきました。。。。。

ムフフフ・・・・・・つぼみになっていました

あの絵を見つめていてふと思ったのですが

ファンの方が一粒の種を蒔く

その蒔く位置で性格判断のようなものが?

絵の中心などにまいた方はファンの中心的意識

二千じゆうくんや傍らの木の根元に

種蒔く方は夏生さんとともに寄り添って生きる

絵の隅に蒔いた方はそっと遠くから夏生さんを見つめる

雲や池・海?に蒔く方は。。。。。

少し茶目っ気が。。。。

そして僕のように二千じゆう君の視線の

ウォーターフロントは夏生さんに見つめてもらいたいと(笑)

どなたかが掲示板で「あなたは夏生さんの精神面で依拠している」と

うん、そうかもしれない

いろいろなファンの方のいろいろな作品の読み方にも現れるかも
           (Pm12:01)

君が
 小さく
   笑顔で
君が
 小さい
   眼差しで

     会釈

【2011年】ツイッターつぶやき
ドライブに行ってきました。
中央道を走り清里へ。
清里から信州方面へ。。。。。
八ヶ岳のふもとでおいしい牛乳を飲むのと信州の松茸を食べるのが目的でした。
やはり放射能が気になったのですが、八ヶ岳の牛乳ならそうは数値も高くないかなと。。。。
マツタケはやはり心配でしたが食い気に負けて食べました。
昔、信州のどのへんだったか?藤村ゆかりの宿だったと思うのですが、そこで松茸尽くしの夕飯を食べた記憶があります。信州はマツタケの産地なのですね。今日も道路わきにたくさんの松茸料理の店の看板や宿の看板を見ました。
そうは予算もないので松茸蕎麦というのを食べてみました。もしかして土産屋で売っているようなビニールに入ったマツタケの煮つけを載せた蕎麦ではないだろうかと一瞬不安になりましたが、そこは松茸の産地でもあり今が食べごろの松茸ですからなぁ。。。。
期待を裏切らない松茸のスライスが入っていました。1500円という値段の割にはたくさん入っていました。
何の心配もなくまたあの松茸尽くしの宿に泊まってみたいです。。。。
<インサイト日記>
今日は山道を登ったり下りたりの連続でしたが、520キロ走って燃費はリッター24.8キロでした。
20リットル少しで今日のドライブができた。。。。。途中残りのガソリンで後殿あとどのくらい走れるかを表示して現在の走行距離をプラスしてみたら満タン(40リットル)で1000キロ弱。東京に帰ったころは多分900キロぐらいでしょうか。給油するとたっぷりと容れてくれるので燃料系計の満タンF値よりも弱冠多く入りますが、このF値以上の分で130キロぐらい走りました。
エアコンを使わなくてもよい季節!燃費も上がります。
もちろん後ろの車に迷惑にならないように流れに乗って走りました。エアコン使用ワイパーなし・ライトはトンネル内のみ。

【2012年】ツイッターつぶやき
今夜はおでんです。
おでんでは飯は食えないので「にんにく飯」を作りました。
にんにくをみじん切りにして焦がさないようにごま油で香ばしく炒めます。
そこに水を適量入れてほんの少しスープの素を。味付け名砂糖・みりん・醤油です。
煮詰めるようにしてお好きな濃さにします。
ご飯を盛っててっぺんに穴を掘って卵の黄身だけを入れます。その周りににんにくのたれをかけて青ネギのみじん切りをふりかけます。
食べるときに買い混ぜて。。。。。

【2013年】ツイッターつぶやき
安倍内閣は3年は国政選挙がないこともありその圧倒的数の力により政策を進める。
消費増税は社会保障の充実からアベノミクスの成長路線に組み込まれる。TPPは5項目が捨てられようとしている。成長路線の中に賃上げは言われるが具体性はない。
見方によっては先の選挙での公約に反するものではないか?この公約ということではなくても昨日云った言葉が今日には変わるという政策変更である。
たしかに国政選挙はなくても行政は動くのでありその行政の動きには世論が湧き出る。
この世論が大切ですね。矛盾に対する。。。。。

【2014年】ツイッターつぶやき
ツイッターのまとめです。

アベノミクスはよかったが消費増税が悪いといった論理がある。もちろん消費増税は悪いのだが、だからアベノミクスは正しいという論理もまたおかしい。消費増税はアベノミクスの失敗の一つの要因ではないか?
また、日銀の金融政策(これまでも今後の政策も)が悪いでかたずけられるものでもない。特に引き締めに移行した時に経済の停滞を日銀の責任とすることも間違いでしょう。アベノミクスは円安誘導も消費増税も内包した政策だということです。
経済的政策としてのアベノミクスは、安倍内閣の戦後レジームからの脱却の戦略の一部である。アベノミクスで経済の成長には国民生活の低下をという現実は、最終的な改憲路線の経済版として見るべきでしょう。アベノミクスによる経済的国民への影響と改憲路線での平和や民主主義での影響
不十分さも残しながら戦後の国民生活や社会保障の向上と平和・民主主義・自由の拡大。これが日本人の作った戦後の体制(レジーム)です。これを変革をするというのが安倍政権の戦後レジームからの脱却です。
この色合いがどのように向かっているかといえば国民生活の低下と平和や民主主義などの低下として見えているでしょう。先進国の経済的劣化の中の矛盾をどう解決するかの日本政府の答えです。
先進国ではすでに成長戦略は取れない。これはアベノミクスを見てもわかるでしょう。アメリカも成功したかといえばそうではない。両国とも貧困率が上がっている。低成長下の先進国の在り方はだいぶ前から言われていたが解決はなくてまだ成長戦略に。
国際社会特に先進国が日本の戦前回帰のようなものに生き残りをかけ始めるならば世界は破滅でしょう。まだアメリカには経済矛盾はあっても民主主義・自由の理念は残っている。ヨーロッパには社会民主主義的な思想も。そこに中国などの途上国が独自に。
世界は複雑さを増していくでしょうが、社会民主主義の理念をまた見直されるでしょう。それは経済矛盾からそれが下部構造を作り出さざるを得ないという中に始まるでしょう。その下部構造の変化に政治という民主主義や自由を含めた上部構造が築かれる。
アメリカ国民の持つ民主主義と自由の理念。ヨーロッパーの国民がEUを作り出した議会制民主主義の理念。日本人が保持続ける平和主義の理念。。。どれも現実としては完ぺきではないし矛盾はある。しかしこの三つの理念が相乗効果を得れば世界はガラッと変わったものとなるでしょう。
どれもその未来の社会の一角として崩してはいけないものだ。

先進国が社会民主主義に向かえば北欧よりもまた発展した社会になるかもしれません。もちろん日本の平和主義がさらに平和な世界を作るでしょう。。。。

小売業などの統計で前年比を売上額で比較するが、売り上げの数量が一定の場合で物価が上昇しただけで前年比を上回ることになる。あるいは売り上げの数量が減っても物価高で売上高が前年比と変わりないこともある。売上数量が極端に減れば物価高でも売上額の前年比はマイナスとなる。
物価が下れば以上のことは逆となる。
しかしこの物価高や物価安が経済法則にのっとったものである場合とそうでない場合がある。
今の物価高は経済が好転して加熱した場合のインフレによる物価高ではない。単なる貨幣価値の低下による物価高である。
この貨幣価値の低下による物価高の場合、売上数量が一定で物価が上昇して売り上げが前年度よりも上昇しても貨幣価値の低下分を差し引けばプラスマイナスゼロとなるでしょう。経済は物価高を引き起こすだけで経済の成長はない。
この経済成長のない中での物価高はパイの配分も大きくならないわけですから、パイの取り分としての分配が狂えば物価高になった分商品の消費数量は減る。消費数量が減れば販売数量も減る。売上数量が極端に減れば物価高でも売上額の前年比はマイナスとなる。経済はマイナス成長となるでしょう。しかし通貨価値の低下の中でさらに物価を上げれば売上高という面では維持できる。こうして経済は負のスパイラルに入る。
通貨価値の低下はすなわち円安ですから、この円安が為替変動【マネーゲーム】から離れて実際の経済を映し出すようになればその円安は加速するでしょう。健全な経済は通貨高と株高がセットとなります。その時に通貨安と株高というのは変則的な動きです。通貨安が常に進まなければ株価は維持も高くもならない。通貨安が一定の谷底を見せれば残るのは株安です。円安と株安が連動するという通常の経済法則として動く。不健全な経済を現す。
通貨安の谷底は、円安が経済に対して負の作用をしはじめるときにもその谷底はすぐ間近に迫るでしょう。円安にもかかわらず輸出は伸びずに国内物価だけが上がってその物価が企業の足かせになっていく今の日本のように。
円安を止めようとすれば株価は下落する。。。。。。
株価を維持しようとすれば通貨安を続けるほかはない。。。。。
経済は価値低下をし続ける貨幣量に頼り、実質的な利益を維持するには縮小するパイから企業の取り分を多くして国民の取り分は縮小される。

【2015年】
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
昔、社会党内で自衛隊の位置づけでの論争があった。
それが「違憲合法論」です。
自衛隊は憲法からすると明らかに違憲です。
しかし同時に議会制民主主義の手続きにおいての法としては自衛隊は合法という事になります。現実に自衛隊関連の法よって自衛隊は組織され行動をしている。国会内においてもこの法に基づいて議論は行われている。
ですから違憲合法論というのは現実から見ると矛盾に富むと同時に矛盾が現実に運用されはじめているという事です。
この矛盾をどのように見るか?
10月9日に「憲法」というものを書き、そこでこの矛盾についての会社を書きました。
憲法と現実とは乖離をしています。現実は法によってつくられていると言ってもよいと思います。ですから様々な社会の現実は、憲法と方途の乖離という矛盾に満ちているといってよいでしょう。自衛隊も例外ではありません。
ここで問題となるのは、憲法に書かれていることが正しいか、だたしくないかにあります。
憲法が現実に合わないから改憲というのは非合理的で危険です。社会の悪い部分を憲法にのせてしまう危険性です。
今の改憲論理は、まさに北朝鮮の危機を煽り、そして日米の集団的自衛権の悪用のなかで、その現実を憲法の条文にしてしまおうとするものです。
今の政府も言葉条は平和国家を言います。そこには9条を認めることにもなります。しかし現実の自衛隊の行動を合理的にするために改憲をしようとする。
さて、改憲が良いのか、違憲合法論が良いのか?
悪いほうに憲法を合わせるよりも、まずは合法的に動いている自衛隊の存在から平和主義によって自衛隊を必要としない社会を作り上げる未来を選ぶか。
もちろん違憲合法論は矛盾をしています。その矛盾を9条の理念に向けてなくしていくことが問われるだけです。

【2018年】ツイッターつぶやき
朝からどんよりとした今にも雨が降りそうな雲が広がっていました。
今年は台風も多くて秋雨前線が重なり大雨が多かったですね。やっと台風の季節も終わったのですが、秋雨前線は残っているのでしょうか。
どんよりとした雲の下、なんだか野暮用で忙しかったです。
気持ちも落ち込みますなぁ。。。。
来週の天気予報でも関東はどんよりした天気のようです。
パットした秋晴れはいつからなの?

【2019年】ツイッターつぶやき
台風への備え。。。。。。
明るいうちに風呂に入って、これから夕飯を食います。
我が家は床上浸水の災害はないと思いますので、心配なのは停電。
停電になると何もできなくなりますから、台風への備えとしては早く風呂に入って夕飯をすますこと。
もちろんベランダの片付けなどした後にですが。
でも、日常の生活特に食うことは大切ですから、台風の備えとしては大切なものです。

台風19号は東京を通り過ぎて千葉県松戸市に行ったそうです。
被害はありませんでした。
今後の進路にあたる方はお気を付けください。

【2020年】ツイッターつぶやき
ヨーロッパにおいて再び感染の拡大が広がっているようです。
ロックダウンも広がり、ベルリンの市長が市民に「パーティーをしている場合ではない」と呼びかけたそうです。(jiji.com
その中で医療従事者に燃え尽き症候群が出ており、医療体制にも疲れが出ているのでしょう。
ヨーロッパにおいてもイギリスでは日本で行われているGo Toイートのような経済対策を行っていたのですが、感染が拡大する中このような政策が感染を拡大させた要因の一つではないかと首相自身が言いはじめています。
ヨーロッパやアメリカに比べてアジアでの感染は数字のうえでは少なくなっていますが、そのアジアの中では日本は感染者数なども多い国の一つになっています。国内においても11月から冬の間の感染拡大は懸念されています。
その中で日本は各種のGo Toキャンペーンが広がっています。飲食店やスポーツ解錠そして演劇などのイベントも多くなっています。そして感染者も徐々に広がりを見せています。
たしかにコロナによる経済の落ち込みは大きくて中小零社位の飲食店菜緒がやっていけない状態が出ていますし、それ以上に関連した失業者も増加をし雇止めも行われています。
しかしその対策としてのGo Toも大手旅行会社や宿泊施設の救済になっているだけで、中間委託業者の中抜きともいえるものがあります。ですから現在の経済対策はそうは大きな成果はないと思います。末端で働く労働者にどのくらいの恩恵があるか?
ですから経済政策をとアクセルを踏んでも感染の拡大がさらに広がればまた経済は一段と悪化するでしょう。
同じアジアの中でも中国や韓国は今のところうまく経済の立て直しや人々の生活の自由が取り戻されつつあるようですが、それは感染を徹底的に抑える中で行えるものと思います。
日本は5月ごろに感染が縮小している時期がありましたが、その時に緊急事態宣言なども解除され政府が経済優先の政策をはじめました。それでまた再び感染が拡大しました。
現在下げ止まり・高止まり状態ですが、今後どうなるのかはわかりませんが、一つ言えることは経済対策優先では再び感染拡大がはじまることは確かだと思います。
日本ではマスク拒否者の広がりが出ています。自由な生活を追い求めている人は多くいると思います。しかし医療従事者のヨーロッパの実態を見れば、それは他人ごとではないと思います。マスクでも拒否はしないことは医療従事者を助けることにもつながります。旅行や飲食も同じで政府がお墨付きを出していると見たらひどい間違いになります。

【2021年】ツイッターつぶやき
ヤフーニュース「「ひきこもり」は「氷河期世代の男性が圧倒的に多い」という実態」によると、15歳から64歳までのひきこもりの方が人口の100人に1人いる状態で115万人いるそうです。(このニュースは2018年当時出版された本を引用しているそうです)
女性よりも男性が多いらしいですが、女性は家にいても「家事手伝い」というようなもので隠れているかもしれないそうです。年齢的には40歳から44歳と60から64歳が多いそうです。
40歳から44歳までの方はリーマンショック後の就職氷河期に20歳代だった人たちです。若いうちから引きこもりになり現在に至っているのでしょうか。以前この年代層のひきこもりの過多の親も80代に入り今後どのように生活をしていくかが心配されているというニュースもありました。
60歳から64歳の方は、定年を迎えて再就職をする世代です。年金支給年齢が65歳になりましたからまだ働かなければならない世代です。
40歳から64歳までのひきこもりの方の共通点は何かしらの理由があり働けなくなって引きこもりになった人たちということになります。働く意欲を社会の中で失ってしまった人たちなのかもしれません。この意味においてこの働けなくなった理由は就職氷河期であったり定年後の再就職の困難さ(きちんとした職ではなく低賃金のバイトなど)で彦子守になったのですから社会問題ですね。
引きこもりの定義は自室や家から出ない、出たとしてもコンビニぐらいという人のようです。
これは狭義の定義で準ひきこもりというものもあるそうで、普段は家にいるが趣味などでは出かける人も準ひきこもりとされる。ここまでくると引きこもりの定義がおかしくなりますね。65歳を待たずに60歳の定年で仕事をきっぱりと辞め細々と生活をしながらも趣味や生活そのものを楽しむ人もひきこもりとなってしまいます。
引きこもりの定義も国が出したものですから働くことをしない人がひきこもりと定義されてしまうのでしょう。
国は低賃金化を進めており、雇用も不安定状態においています。この中で働く(働きたい)意欲がなくなる人が多く出ることは不思議ではない。そこへ国は「ひきこもり」というレッテルを貼り社会問題としていく。

【2022年】
四国旅行

             ≪はりまや橋≫

            ≪四万十川 沈下橋≫

         ≪四万十川 道の駅の栗ご飯≫

【2023年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
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2024年10月11日(金)「米農家廃業、倒産」

2024年10月11日 22時08分01秒 | 「思うこと」
米農家の廃業や倒産が増加しているようです。
米不足からコメの値段は高騰していますが、農家にはその値上げ分が入らないのか?値上げで多少収入が増えたとしても輸入に頼る肥料代やガソリンや燃料が円安の中で高騰する。
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「10月11日という日」

2024年10月11日 07時49分16秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
米農家の廃業や倒産が増加しているようです。
米不足からコメの値段は高騰していますが、農家にはその値上げ分が入らないのか?値上げで多少収入が増えたとしても輸入に頼る肥料代やガソリンや燃料が円安の中で高騰する。

≪過去の記事≫

【2003年】
仕事帰りにコーヒースタンドによってコーヒー。
180円の安いコーヒーですが、コーヒーの香りの中で本を読みながらタバコをふかす。至福のと時間です。
その前に本屋さんによって面白そうな本を探しました。梨木果歩の「からくりからくさ」に出てくる「りかさん」という人形。この人形の「りかさん」という本を見つけたので買ってきました。
コーヒーを飲みながら買った本をぺらぺらとめくるのも楽しいです。

【2004年】
早起きをして栃木県日光中禅寺湖に行ってきました。
車を走らせていたらあいにく雨が降り出してしまいどんよりした気持ちでした。しかしいろは坂を登りきり少し長いトンネルを抜けたら、なんと青空が広がっていました。空気も透き通り山々の少し早い紅葉もきれいでした。
高い山の頂にある展望台まで行ってみたのですが、眼下には中禅寺湖が見えたり山々には雲海が広がっていました。雲海から頭を出した山は紅葉で感動するほどの景色でした。
今年は雨が多かったせいもあり、華厳の滝はものすごい迫力でした。こんな華厳の滝は久しぶりです。
昼過ぎになると急に気温が上がった成果中禅寺湖には深い霧が漂い始めました。霧の中の中禅寺湖は素敵でした。
早起きをして出かけたかいがあった一日でした。

【2005年】
タバコ好きな僕は、一日に1回は自販機でタバコを買う。
昨日も小銭がなかったので千円札を入れてタバコを買った。そしたらお釣りだけを取って肝心なタバコをとり忘れてしまった。最近こういうことが多くて。。。。
ボケてきてしまったかなと心配になります。
この前もタバコを取り忘れ、5分ぐらいしてあわてて取に行ったら、もうタバコはありませんでした。こういう時って。スーパーなどでは「今夜は何を作るかなぁ。。。」とか考え事をしているときで、「考え事をしてたからなぁ。。。」と、自分で自分をごまかしている(笑)
郵政民営化が衆議院を通過したようですね。
衆議院選前に、この日記で、自民党の造反議員と刺客女性候補のどちらが勝っても自民投票だと書いた覚えがあるのですが、ニュースに出ていた野田さんを見ると僕の書いたことに間違いはなかったと思います。
村上ファウンドの村上さんもタイガース関連で大変なようです。
タイガースではなくて、よくわからないけど、ジャイアンツ関係の株を取得したほうがよかったのでは?大阪人に比べて東京人はクールですからなぁ。。。案外ジャイアンツを上場すれば株を買う人も出てくるのでは?まぁ、マネーゲームですからなぁ。。。

【2006年】
仕事が遅くなり外食でした。
遅くなっての食事は、炭水化物を控えめと思いビールと餃子。。。。まぁ、ビールなんて飲んではおなじかぁ。
帰りの電車の中は混んでました。
混んだ電車の中に頑固な親父。混雑した中で駅に付けば人の移動は当たり前。みんなよけてやったり譲ったりしていますが、その中に頑固な親父がいて、人が動いても頑としてドアの前から動かない。
いろいろな人がいます。

【2007年】
今週は曇ったり雨かなとがっくりしていたのですが晴れ間が出ました。
体育の日は月曜日になりましたが、連休化をしたために毎年日にちがずれますね。10月10日は東京オリンピックの開会式の日と記憶していますが、この10日は雨の確率が少ないことから選ばれたそうです。今の体育の日はたしか雨も降ったと思うのですが、昨日の10日は晴れました。
連休化もいいのですが、天気ひとつにしてもいろいろ考えさせられますねぇ。
土・日・月という連休にはもちろん反対はしませんし、よいことだと思います。
車で出かけたのですが、前に走る車がブレーキランプが点灯しない車でした。ブレーキをかけても僕にはわかりにくい。危ないので車間距離を大きくとりました。片方のブレーキランプの玉切れというのは時々見ますが、両方切れたままで走っているというのも珍しいです。後ろのガラスには大きく会社名を書いた車でしたが、その会社の意識性を感じます。

【2008年】
白い花のような月
               新潮社「yom yom」2008年10月号
                小池 真理子  著
貴子の家は小さくて、狭い庭には思い出の山帽子の木が植えてある。
思い出の山帽子。。。貴子が夫と記念に植えた木。
その夫とは裏切られて離婚をした。貴子には子もないし若い女の子向けの洋服や雑貨などを売る店ははやっているので暮らしには不安はない。(山帽子は、山法師?)
高い木には星のような形の花がたくさん咲いている。月夜の明りに花は浮き立つようにゆらゆらと窓から見えるだろう。見上げれば月の青白い光が降り注いでくる。こんな夜に貴子の小さな家に毎月1度逢瀬のために来る妻子ある恒平が来ていた。
貴子は「料理」はあまり作らないが「酒のつまみ」は上手く作る。
とろけるような男女を描く作品である。
その小さな家は、貴子にとってはひとつの宇宙だろう。近所には隣近所のうわさをさみしさ逃れに楽しんでいるおばさんがいる。恒平は気をつかってタクシーで訪れる。世間の中の小さな家の中。。。。
男女の甘い二人だけの空間と同時に、貴子にとってはこの世間から自分を守るための空間?しかしそれはこの先の貴子の人生を見ればある意味女の開き直りの空間であるかもしれない。
幻想的な月と白い花。。。。そして女の開き直りの社会が

青 山
                 新潮社「yom yom」2008年10月号
                 金原 ひとみ  著
新潮社「yom yom」2008年10月号に収録
27歳の岡野は洋服店・・・ブティック?・・・これも古いか?今はなんて呼ぶんだろ?で、バイトでファッションアドバイザーをしている。
ある日、鏡に映る自分の姿を見て筋肉が落ちて痩せたように思う。筋力の衰えは、階段を何段も空けて駆け上がるようなしなやかさもなくなったと。同じ職場のひとつ下の女性山名は「お肌の曲がり角。。。」と。
なんとなく50を過ぎた僕から見ると「何を爺臭いこと言ってるんだい」と突っ込みを入れたくなるような若い岡野の姿からこの作品ははじまる。
でも、よくよく思い出せば、30に近い男ともなればたしかに運動をしなければ筋力は衰え始め、腹が出てくることを気をつける年齢である。
「体が思うように動かなくなったのは、いつからだろう。(中略)彼女と知り合った頃、と思いついて、ふとすべてを失ったような」(71ページ)
何も彼女(夫のあるカメラマン優奈)と知り合ったから筋力が落ちたというわけではないが、ひとつの比喩としてのこの表現にこの作品の優れたところが現れているのではないだろうか?
優奈は、実力が認められたカメラマンであり、体も精神も自分でコントロールできる「大人」である。岡野は筋力の低下という比喩でのもう10代や20代前半のような自分ではないという意識が出てきたということだろう。これは精神面での若い男の変化なのである。優奈がカメラマンとして社会に認められているという表面的なものと同時に、その「結婚をしている」という精神面での岡野をしのぐ「大人」なのであり、そんな優奈と知り合った岡野は、自分を見つめる。年齢的な大人ではない内面の大人を。
小品ながら岡野という若い男の変化を表現した優れた作品ではないかと思います。
金原さんは、1985年生まれ!今年23歳。。。金原さんという作家の内面の変化もあるのかな?「蛇にピアス」まだ読んでないけど。。。。

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
幻冬舎文庫「銀色夏生です。ツイッター、はじめます。」を買いました。
表紙には夏生さんのツイッターのアイコンというのでしょうか?が大きく出ています。葉っぱの妖精でしょうか?花?(・・・・一太?)
ぺらぺらとめくったのですが、夏生さんと「なごさん」などの知っている方や対談された方、そしてファンの皆さんとの言葉のやり取りのようです。
分厚い本です。
あとがきに「ファンクラブの会報」のようとお書きですが、短い言葉ながらファンとの交流。でもあんがい中身は濃いのかもしれません。

「デジダル」。。。。ハハハ

「つれづれ」を読み終わったら読みたいと思います。

【2011年】ツイッターつぶやき
朝日新聞社説に「たばこ値上げ 財源より健康のために」というものがあった。
まずは、復興財源のために取りやすいところから取るという煙草増税には反対をしている。これはいいことです。今の復興財源を審議している国会に強く問いかけてもらいたいと思います。そして復興財源の煙草税増税に変わる財源を示せば煙草増税は行われないでしょう。少なくとも独立した煙草税論議が必要になるでしょう。
これは重要なことであり、何かと財源の議論になると煙草税が持ち上がるようでは税の不公平さから喫煙者の犠牲が大きくなりますから。
そこで社説では「たばこ価格」は健康の視点から考えるべきと提起をしています。
正確にはたばこ価格ではなくて煙草税でしょう。禁煙を促進するために煙草の値段を上げるのではなくて煙草税率を上げるのです。ここに税という制度の在り方が見えてきます。禁煙を促進するために税というものを利用することです。そもそも煙草税とは「消費税」でしょう。たばこ消費税という以外の税の目的はありません。ところがいつの間にかこの煙草税は禁煙目的に利用するようになったというのが歴史ではないでしょうか?本来の消費税という性格の税からの逸脱なわけです。
そして税の利用を禁煙をさせるという目的に、それは禁煙の強制にもなりますし、一般の消費税と同じように増税をすればするほど逆進性の(負担感という意味で)ある税の拡大による格差の拡大を進めるものとなりますし、税という目的から離れた税制度になっていくのではないでしょうか。
社説では受動喫煙の害にも触れていますが、煙草税が分煙なりに使うべきことには触れずに提起をされている。
煙草税の増税でやめるという人が増える。。。。それはそうです。毎年少なくなる「小遣い」を考えれば増税されれば辞めたいと考えるでしょう。煙草自体を考えて辞めたいではなくて金がないからやめたいのです。とても喫煙者が煙草の害を考えて自主的にタバコをやめるという制度からは程遠い煙草増税による禁煙強制なのです。
煙草の害により健康を損なう人が毎年13万から20万人?いろいろと数字が出てきますが、あんがい喫煙者でも平均寿命はそうは短くはならないようです。
なんだか過激な社説でありました。。。。ウウウ

【2012年】ツイッターつぶやき
電車の週刊誌の吊り広告をぼんやりと眺めたら尖閣諸島に関連しての対中国に対して国民は覚悟をといった表題を見た。中国は本気だから国民は覚悟しろとか。
政治の世界でも対中国への軍事的な対応の強化が言われ、評論家も今の日本は有事にあり防衛費を二倍にしろといった意見も出ている。
たしかに中国は、尖閣諸島の国有化から中国のデモや暴徒による破壊行動が出て尖閣諸島に対する動きは活発化をしている。反日行動は経済面にも表れ始めた。しかし、この状況をすぐに軍事的な衝突へ進むという分析がどこでなされているだろうか?この分析がないままに危機意識を国民に煽っているというのが今の一部の人々の状態ではないか。あるいは軍事的行動による解決を日本が決意しろという状態になっているのではないか。
中国での反日デモなどへの批判として、中国が国家的に国内の矛盾を反日に向けさせている国家的戦略ではないかというものがあるが、今の日本の動きも同じような対国民へのメッセージではないか。中国へは経済関係の改善を言いこの軍事的決意を示してはいないだろう。
このような中で国民は何を考えればいいのだろうか?たしかに中国との関係悪化は率直に見なければならないが、内政も見つめなければならないでしょう。防衛費二倍と言えば、消費増税があるわけですから当然その財源は消費税という事になるのではないでしょうか。対中国との緊張関係を進める動きは実は国民への我慢の呼びかけに結び付いていくでしょう。原発問題、格差問題、社会保障や年金問題などなど、その問題も国防あってのものだと。国防こそ最大の福祉、社会保障という論理が作られていくでしょう。こういったもので国が動いていくと結果として国内経済はさらに悪化していくでしょう。

【2013年】ツイッターつぶやき
すみません。時間がないので昨日のツイートから。

社民党党首選挙 二候補の主張http://www5.sdp.or.jp/election/2013leader/leader_elect.htm …
社民党の党首選では自民党政権への対立軸としての党を前提にしながらも、二人の候補の主張はどのように党を再建していくかの視点で語られていますね。それをお二人の候補の経歴には違いがあるものの党に期待する中での再建の気持ちが現れています。
働く人々の党。そして生活する市民の人々の党。これはどの党でもいうことです。しかしこのあたりまえのようなものが党によって違ってきています。社民党は社会党時代からその主張を労働実態や生活実態そして平和や民主種などの社会の実態から取り上げてきました。
後もこの軸足は変わらないでしょう。
社会の流れは大きく変わってしまいました。悪いほうへ。。。。労働の実態や生活の実態そして社会の実態が悪いほうへ変わる中で当然社民党の役割も変わってくるはずです。これまでと同じように労働組合や市民団体との共闘にプラスしたものが求められてきています。
そのプラスされるものは、若い方々の労働実態であり、生活実態であり日常の中に置かれている様々な矛盾の実態ですね。この実態の変化を社民党として交流する場が必要となっている。この実態の中身の変化はあるもののその解決や改良はこれまでの党が培ってきたものが役立つはずです。
社会民主主義とは何か?それを考える場合、やはり必要なのは労働実態、生活実体そして社会の実態でしょう。それをどのように改良していくか同じ資本主義でも新自由主義ではない資本主義としての社会民主主義。どのような社会が未来を築けるのか。もう一度考えながら党首選に期待します

【2014年】ツイッターつぶやき
パイが大きくなれば一人一人の取り分も大きくなる。
経済が成長してパイが大きくなれば国民も豊かになる。これは見えぬ神の手によって自然と現実のものとなる。
こういったパイの理論は昔からあった。
安倍政権も経済成長の中で自然と労働者の賃金も社会保障も国家財政も改善されていくと当初は考えていたのでしょう。しかしパイが小さくなっていく中では企業がその取り分を維持しようとするわけですから国民の取り分は小さくなる。現在のまやかしの経済成長下においては、成長そのものがない中に国民の取り分のパイが小さくなる。そしてこのまやかしの経済成長はパイ自体が上げ底のパイで見た目には大きくなったパイを切り分けるのだが、やはり企業の取り分を大きくするのだから結果国民の取り分は小さくなっていく。見えぬ神の手などは作用しないのである。だから安倍総理は官製の賃上げを言うようになった。
社会の富を増大させるのが経済成長だが、アベノミクスはまずこの経済の成長を目指す。もちろんそれはパイを大きくすることである。そこで焼き上げたのが上にも書いたような見た目は大きくなったが上げ底の薄いパイだった。これをやはり企業優先で切り分けたのですから国民の取り分は小さくなってしまった。すると現象としては、経済の成長があるいは経済の成長のためには国民の受け取るパイをより少なくすることであったということです。
経済成長路線が逆に国民生活を低下させていくという矛盾が生じてしまった。もちろんこれは経済成長などできないという結果に結びつきつつあるのである。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
株価が安倍相場の高値に肉薄したという。(ロイター)
しかしその中身は
市場では「日銀による年間6兆円のETF買いがなければ、日経平均は今の水準には届かない」(国内銀行アナリスト)との見方は多い。(上記リンクページより引用)
日銀だけではなく、年金積立金の株運用も増加している。
株価は本来企業業績を反映すべきものでしょう。そして株主はその配当を得ることが第一義的なはずである。しかし今は株売買による差益を得ることが目的化され、それに連動して為替相場がある。又はその逆。
外国の投資家が売りに出れば株価は下がる。そこを日銀が穴埋めする。当然資金は外国に流れるでしょう。
アベノミクスそして日銀緩和・経済政策は究極の擬制経済とも呼べるのではないでしょうか。
その擬制経済を元にして景気判断がされていく。たしかに「回復基調」は永遠に続くはずです。
だから出口の話はタブーとなる。

【2018年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの「東京日記」が更新されました。
「あせをながす」。。。実は恐るべき言葉のようです。
とはいっても平安時代の古語ですが。
古語とはいえ「汗を流す」は現代でもただ汗が流れたという意味だけではなくて一生懸命やれといった意味で使われる。
みんな頑張っているんだからお前も「汗を流せ」。。。。
まぁ、頑張れ程度の言葉ならいいですが、汗を流すことによって恐ろしい結末を迎えることもまれにあるでしょう。
やはり現代でも恐ろしい言葉なんです。
古語といえば、僕のお袋は「ゐ」とか「ゑ」という母音を使っていたような記憶がある。具体的のどんな言葉で使っていたかは覚えていないが、「い」と「ゐ」を使いこなしていたような・・・・・
そういえば「か」も「くゎ」を使うときがあり、菓子を「くゎし」といっていたような。この「くゎ」はただの方言だったかもしれないが。

【2019年】ツイッターつぶやき
台風19号が近づいています。
東京に住んでいますと、夏の台風で九州や四国に大きな災害が発生してテレビで見ていると、どうしても遠いところのこととしてみてしまいます。しかし秋台風になり隣の千葉県で台風15号の被害が出ますと怖さが出てきます。そこへ台風19号という巨大な台風が来る。
東京のスーパーは大混雑でした。
明日台風がすごいので買い物もおっくうだからという雰囲気ではありません。
千葉県での災害では停電が長く続いたり、停電により浄水場が稼働せず水道が止まった。スーパーやコンビニに食うものがない。この風景を身近なものとしてみたのですから、怖さのための買い物での混雑です。
ですからホームセンターも混雑して窓ガラスが割れて散乱しないようにテープを買い求めて売り切れだそうです。
乾電池の買い置きがなかったのでコンビニに行ったら単一の大きな電池が売り切れでした。懐中電灯の使う電池。
スーパーに行ったらパンとカップ麺の棚が空っぽでした。
毎日食べているパンが売り切れ。。。。。。
テレビニュースでは、安売りスーパーで野菜が売り切れていました。台風が言った後は入荷が少なくなって値上がりするからその備えだそうです。
たしかに怖い台風ですから災害の備えが必要なのでしょうが、都市というところは人がパニックになりやすい。隣同士で助け合うとか、地区ごとに支えあうというものが少ないです。国も自分のことは自分で守れですから、都市という人口が密集したところは互いに摩擦を起こしながら自分を守ろうとします。
交通機関は計画運休を行うようですが、休むことに後ろめたさがあるとどうにか会社に行こうとしてパニックになる。
大都市型の災害は社会的にも怖いところがありますね。
大きな川が氾濫して人口密集地域に流れ込めば被害は甚大でしょう。地下鉄に流れ込めば都内の中枢がやられます。
神奈川から千葉東京千葉に上陸しそうですが、台風の東側が太平洋になりそうですからその分良いのかな。。。。。油断はいけませんが。上陸する前がひどいかもしれません。

【2020年】ツイッターつぶやき
久しぶりにナポリタンを作りました。
時々つくるのですがナポリタンは手軽でおいしいですね。
時々冷凍のナポリタンも食べますが、やはり手作りの方が具もたくさんでおいしいです。
ウインナー、ピーマン、玉ねぎを塩コショウでい軽く炒めて皿に取ります。
オリーブオイルを多めに入れて焦げないようにニンニクのスライスをこんがりするまで炒めます。
そこにケチャップと砂糖そして隠し味程度醤油をフライパンの端からたらします。
ケチャップをフライパンのわきで焦がすような感じで炒めます。
そこに先ほどのウインナと野菜を戻し軽く炒めます。
そこにゆであがったパスとを入れるのですが、ゆで汁がパスタに残っているので焦がしケチャップはいい塩梅に絡みます。オリーブオイルをたらしてさっと絡めます。
粉チーズをかけて出来上がり。
ピーマンと玉ねぎを炒めすぎないようにするのがコツ。

【2021年】ツイッターつぶやき
一昨日だったか、昼飯を食った後急に眠くなったので昼寝をした。
1時ごろから昼寝をして目が覚めたら4時だった。
長い昼寝。。。。
目が覚めた瞬間朝だと思い起き上がったが布団がないので昼寝だったのか・・・・と。
時々こんな長い昼寝をしてしまうのですが、妻からはボケるわよと。
あまりにも長い昼寝をすると夜は眠れなくなるという話を聞いたことがあるが夜11時ごろにとこに入るといつものように寝つきがいい。
まぁ、11時ごろに寝て朝は寝ていられないので5時半ごろには起きてしまうので昼寝は大切なのかもしれない。
漱石の吾輩は猫であるのクシャミ先生も毎日昼寝をしていて迷亭君に毎日少しづつ死んでいるようなもんだと言われる話があったように記憶していますが、あまりにも長い昼寝をすると半日は死んでいるようなもんですからなぁ。。。

【2022年】
四国旅行

         ≪栗林公園≫

      ≪丸亀のうどん屋さん 天婦羅うどん≫

        ≪大歩危 遊覧船≫

【2023年】ツイッターつぶやき
日本は出生率が急速に下がり始め少子化対策を行おうとしている。もちろん自民党政権で本気に行うつもりはないでしょう。このまま人口は削減させていく。世界的にも人口削減の提案が行われている。
経済が縮小している中では失業が問題となりますが、AIやロボットの世界ですから失業はさらに増加傾向となるでしょう。労働人口をサービス産業にもっていってますが、社会の富が減少する中ではサービス産業も増加親亡くなるでしょう。有り余る労働力を人口減で解決するのでしょうか。
しかし労働力人口の減少は問題化している。意味や外国人労働に頼る。
先進国の市民は減少しながら外国人労働者に働かせる。ローマの奴隷制国家と同じになるのか?
しかしローマは滅びましたからね。
コメント
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「10月10日という日」

2024年10月10日 08時12分25秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
少し前までは体育の日でしたね。なんか13日といわれてもぴんときません。
息子の部屋にテレビを置くことになりテレビ台を買ってきました。テレビは小さくて安いのを買ったのですが、もしかしたらテレビ自体よりもテレビ台のほうが高いかもしれません(笑)
ついでに部屋があまりにも片付かないので隙間家具も買いました。。何しろ安い物をと選び、現品限りの傷物というのを買いました。見た目には傷はなさそうなのですが。。。。。。
どうせ子供ですからすぐに傷ぐらいはつけてしまうだろうと思い決めてしまいました。
しかし安物をそろえたつもりでが、すぐに1万円札数枚がは飛んでいきます。。。。。ハハハ

からくりからくさ              (新潮文庫)

梨木 香歩著日本の紬、西アジアのキリム。
どちらも雪深い山々に囲まれたような寒村の女性たちの家を支える収入源です。女性から女性へと伝授され続ける技術。現代人はそれを伝統工芸あるいは芸術としてとらえるが、昔の女性は家制度そのものを伝えることともつながり、切り離せないものであった。それは「家」を守ることでもある。
家を守るということでは、男も女も同じである。しかし、男はその家を守ることは外への働きであり、うちでは家長という立場で振舞う。女は、その男を支えること「家」の中に押し込められての守るということである。狭い家制度の中の女性。その中には喜びもあったろうが古臭い家制度の中でのつらい日々を送る。
紬にはそんな女性の思いが込められている。それはあるときには紬の文様となり、東西の文化の中で文様が伝播したようにその共通した文様にその女性たちも思いが表れている。それは伝播したというよりも女性の思いが共通したものであり、その思い自体の共通性を表している。
紬は同じ文様を繰り返し繰り返し織り込まれる。そのパターンを崩して違う文様を古い文様から引き継いで表すことは難しいらしい。それは同じように、家制度の中で苦しんでいる中に違うパターンを家の中に持ち込むのが困難な女性の立場に重なる。嫁として苦しみ、その苦しみを姑になってから嫁に同じ思いを繰り返させたくないと思うが、家制度そのもがそれを許さない。女性は同じ文様を後世に伝えなければならない。しかし、これも奥底には女性の苦しみそのものが伝わるのである。
主人公の蓉子は、「りかさん」という古い人形と話を詩ながら育ってきた。祖母から教えてもらった自然からの恵みをどう受け取ったらよいのかを知っていた。人形のりかさん自体が祖母を通した家制度そのものを受け継いでいるかのようだ。その祖母が詩に、古い家に紀久、与希子そしてアメリカ人のマーガレットが下宿人として同居するようになった。紀久は紬を織り、与希子は、キリムを織る。マーガレットは西アジアの古い織物を織るクルド人の血を引く。
「りかさん」を通じて紀久・与希子の血のつながりと蓉子との関係が次第にわかってきてそこには古い家制度があった。大学生という年頃の女性たちは現代っ子であるが、古い織物を織り研究する。蓉子は染色。現代っ子が古い伝統工芸を受け継ごうとすること、それは古い家制度の中の女性の苦しみを知ることでもあった。それも血がつながった祖先を持ったり古い人形とその祖先のつながり。
小説の中では、その古い家制度の崩壊、それはつむぎという技術そのものの崩壊でも合ったが、紬を通してその文様に現れる女性の思いを生産するように進んでいくと思う。三人はそれぞれの技術を合わせて一つのオブジェを作る。その中にはりかさん自体も加わる。自宅に展示されたとき、古い家制度を知る与希子の父親がタバコの火をオブジェにつけすべては灰となり、蓉子の古い家も燃え尽きる。これは古い家制度そのものの清算ではないか。りかさんも燃える。
与希子の祖先赤光は、能面師。後に人形師になり「りかさん」を作る。能面の女の面は、若い女性、中年、鬼女、般若となり、最後に竜女になるという。赤光の作った能面は、竜女だけがなかった。三人の女性たちは、オブジェが燃えるさまを見て、その中に竜女を見た。竜女とは、古い家制度の中での女性の思いであったのか、それを形として表れたのが炎であり破壊であったのか。赤光の能面もここで完成する。
蓉子は焼け残った家の台所だけはそのまま引き継ごうとする。古いものを引き継ぎながらその中にある女性の思いは生産する。それがその三人の女性たちの生き方か。。。。。。
紀久の書いた紬を織る女性たちの思いをつづった論文が出版をされることになるが、大学の男の教授は名もない学生の女が書いたものだとして、その紬を織る女性たちの思いを抜きにして自分たちの協会のものとして出版しようとする。女性たちはそれではならないと食い下がる。妥協はあるがそのままの中身で出版をされる。ここにはやはり「どうせ女の書いたものだから」という社会制度の古いものが残っておりそこを清算する過程のように思われる。
生き生きとした女性。過去を清算し生きようとする。しかしこの三人もまた新たな家制度を築くのではないか?それは仕方ないとしても古い時代の女性たちの思いは繰り返さないだろう。

【2004年】
乃南アサさんの「団欒」を読み終わりました。
死体を持ち帰る息子あり、子供から抜け切らないだんなあり。。。。どんよりしてしまいます。しかしこの現実からはなれたものを度外視すれば、家族というものの不思議さを考えさせられます。近いうちに感想を入れます。
いつも降りる駅に近づいたのでドアの前に立っていました。するといつもは土日といえばガラガラの駅なのにだいぶ混雑をしていました。よく見るとおばちゃん連中が群れを成して立っていました。近くで催し物でもあったようです。それにしてもやかましい(笑)
やかましいといえば、夏の時期の若い女のこのはいている細いヒール状のサンダル。。。。あれもやかましいですね。コンコースあたりを歩いていると響く足音がだいぶ個性的(笑)です。

【2005年】
体育の日。。。一年中で一番晴れる確立の高い日だそうですが東京は雨です。
昨日ハンドソープの詰め替え用を古い容器に入れました。
泡状の洗剤が出てくるタイプなのですが、どうも詰め替え用を買ってきて詰め替えると泡状にならない。ブチュっと原液そのままが出てくる。もうこれで何回目だろ?その度に詰め替え用はやめようと思うのですが古い容器がもったいないので買ってしまいます。
泡状にならないので容器を振って泡立てるのかとやってみたけどだめでした。。。。どんより
何かしらの裏業が必要なのかな?
そういえば、詰め替え用というのが多く売られていますが、中には詰め替えるときにこぼれないように工夫されているものもあり助かるのですが、ビニール袋そのままだと、時には失敗をして3分の1ほどこぼしてしまうこともありました。また、液を全部絞りきれない場合も。。。
詰め替え用は得なのかと思うときがあります。

【2006年】
風もなくて陽射しも強い一日でした。
陽射しの中を歩いていると、半袖一枚でも汗ばむような気候でした。
北朝鮮がついにやってしまいましたね。。。。核実験
許してはなりません。。。。
しかし。。。インドやパキスタンも核兵器保有国になってしまったし、これからも北朝鮮やイランも含めて核兵器を保有する国が増えるのではないかと思います。そのうちにイスラエルも?こういうものは許してはいけないのですが、この許してはいけないという論理の一部には、核兵器保有国の論理も含まれます。アメリカが平然と核兵器の先制使用もありえるなどといい、核拡散防止はおろか核兵器削減の見通しも見えない。核保有国の論理は、抑止力とはいえ、他国にとっては驚異となることもたしか。。。。核兵器がこれだけ驚異になっているということは、もう絶対に戦争(世界大戦)やテロに対する戦争もしてはならないということではないか?平和憲法を理念として国連の場にまで高めなければならないのでは?戦争が当たり前になっては怖いことになる。この怖いという僕の気持ちは日本人としてだが、怖さは世界の人々共通だろう。

【2007年】
「ニシノユキヒコの恋と冒険」
               新潮文庫
               川上 弘美  著
この作品は、ニシノユキヒコという一人の男の生涯を描く。
ニシノユキヒコは、西野さんとか西野君とかいろいろに呼ばれながらその生涯を女性との関係で生きた。井原西鶴の「好色一代男」の世之介のような男である。14歳の思春期から付き合っている男の子のいる山片に「残念だな、僕も山片のこと、ちょっと好きだったんだよな」とキスをする。これに始まりそれぞれの年齢において女性と付き合い、死ぬ間際にも10代の女の子と付き合う。死んでからも昔の女の前に現れ、墓がないから庭に埋めてよと(笑)菓子の入った木箱を切って作った西野さんの墓と書かれた墓を建ててもらう。世之介である。。。
仕事は出来るし、その意味では大人の男として立派である。しかし、どことなく笑えるような男でもあり、どことなくダメ男でもある。そして悲しい姉との思い出を胸にどこか哀愁のある男でもあり、どこか魂が浮遊をしているような男である。
人が生まれ変わったのなら
どうも僕は
肉体的着床はうまくいったが
魂の着床に失敗をしたらしい
生れ落ちたのはいいが
どうも魂が落ち着かない
現実世界から
肉体から離れて浮遊をしてしまう
こんな言葉が読み始めたときに浮かびました。
ニシノユキヒコは女性を愛することが出来ない。性的な関係は持つがそこに心はなく魂は浮遊をしているような男ではないかと思う。
だから結婚をしようとは言うがそこに心がなく、女性としてはまじめに受け取れない。結婚はおろか必ず女性から最後にはふられる。しかしその時は魂は浮遊をしているのだから他の女性との関係にいる。
しかし、女性たちはニシノユキヒコを嫌いになり憎んだりしたから別れていったわけではない。それどころかいつまでも心に残り、その後の生き方や自分の心の中にある「愛」というものを確かめられるようなそんなものを残すような男でもあるのである。
ダメ男で心がどこにあるのかわからないようどうしようもない男。。。
そして、どこか哀愁のある過去を持ち、膨張する宇宙の外側はどうなっているの?とか何を考えているのかわからない男、大人なのか子供なのかわからない男。なぜかこういう男はもてるのである。
この作品は、ニシノユキヒコという一人の男が主人公のようであるが、もちろん主人公なのだが、その主人公の男との関係による女性一人ひとりがまた主人公なのである。ニシノユキヒコは一枚の鏡のように女性たちの前に現れる。女性たちはその鏡を通して自分を見つめるというようなものではないか。
「物語が、始まる」(中公文庫)という川上さんの作品がある。短編集ですが、その表題作にもなっている作品です。
その感想に次のように書きました。
主人公ゆき子は、雛形を拾う。男の雛形である。人形ではなくて生きている雛形である。女性にとっては「愛する」対象としての男の雛形である。
ゆき子には「土曜日の本城さん」という恋人がいる。ゆき子は、本城との心のふれあいという面では話がかみ合わなくなっている。本城にもいろいろな面はあるにしても、ゆき子から見た本城はやはり「土曜日の」(性的な面での)男である。
ゆき子は、雛形を育てはじめ雛形の男の恋にだんだんと応えていく。何も雛形と大恋愛をするわけでもなく、日常の生活や言葉の交わりの中でゆき子も恋をする。雛形に恋をしたゆき子は山城と別れる。
なぜ雛形に恋をし山城を捨てるのか?
雛形との恋には、母性に似た(男に対する独特な母性的な)ものがあり、日常の生活を通した情のようなものが生まれる。ゆき子は加速度的に生長(老化)する雛形の「死」を見送りすぐに雛形のことは過去のことと忘れるが、「愛している」という言葉が心に残る。
性的なものという男の一面からだけではこの「愛している」という言葉は生まれない。男に対する母性にも似た感情や情から「愛している」という感情が生まれるということではないのか。
男も女も性的な対象としての男女関係以上のものを求める時期が来るものである。男の雛形というのは、女性の心に「愛する」という感情をもたらす神や時の使いか。。。。
しかし、性的なものから離れた「愛情」といっても、何も純愛を描いているわけではない。愛の美しさを描いているわけでもない。「愛する男」といっても離れてしまったなら忘れてしまう。これが女性の「生きながらえるということ」かぁ。。。。
「ニシノユキヒコの恋と冒険」では、「山城さん」が雛形になったようなものであるが、この雛形としての男という面では共通するものがある。ひとりの女性がニシノユキヒコと言う雛形を拾い関係を持ちそして捨てる。またその雛形を他の女性が広い関係を持つ。そしてニシノユキヒコという雛形は、「愛している」という心はどのようなこころなのかを読者に問いかけているのではないか?それはまた川上さんご自身の男性観というのか、女として愛する対象の男の不思議さを見ているのではないかと思います。
「物語が、始まる。」に見る日常性の中にいるある意味平凡な時間の中に生活する男として、「ニシノユキヒコの恋と冒険」に見る性の対象としての、生活を離れたような男の浮遊する心の男として。この男の二面性は、同時に女の男へ対する心の二面性でもあるのである。
読者の女性は、ニシノユキヒコをどうしようもない男として切り捨てることが出来るだろうか?目の前にいる恋人や夫の平凡な日常の「男の世話をする」という退屈さを切り捨てることができるだろうか?
そこにある女子の心「愛すること」とはどのようなものなのか。
若いニシノユキヒコは、出産間もないがその子を亡くし離婚をした姉のおっぱいを吸ってあげる。子は死んでしまったのにおっぱいだけは流れるように出てきて痛いからと。。。。衝撃的なシーンです。でも、ここに女性の根本的な性がありますね。ニシノユキヒコ、というよりも男すべてといってもよいのかもしれませんが、この女性の持つ母性が絶対なのかもしれません。女性もこの母性が根本なのかもしれません。女性は先に書いた男の二面性やそれに相対する女の心の二面性は、もしかしたら女性のもつ母性というものに統一されるのかもしれません。
男も女もその相手に求めているものとして。。。

商店街を歩いていたら、ご近所の方が自転車で走ってきた。
目があったので軽く会釈をしたのですが、相手はそのまま通り過ぎていった。その型は人付き合いが苦手という印象はない。仲のよい主婦どおしでは満面の笑顔で対応している。僕が男だったからかなぁ。無視されるような悪いことをご近所としてはしていないつもりなのですが。
かと言って、また違うお年よりは満面の笑顔で丁寧すぎるほどの挨拶をしてくる。挨拶をした後の真顔がすごい。その落差。。。。
少しにこっとした笑顔程度の挨拶関係が一番いい。。。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
拝啓 川上弘美様

日記を拝読させていただきました。
俳句は詠み手と読み手の心のふれあいですね。ある風景や出来事をスケッチして心を詠み込む。読み手はその心を感じ取り同じ気持ちで心は漂う。
しかし。。。。。(笑)
まぁ、時には、いや、大体がその心の触れあいはずれているほうが多い。
「かしこま(い)りました」と。。。。詠み手が言うなら(笑)
まぁ、そこに何か心動かすものが。。。。
夢にもこのずれていくものがそのまま出てくるのでしょうか。。。面白人名ですか?
また不思議な世界にずれ込んでいくような作品を楽しみにさせていただきます。

         敬具

昨日、吉祥寺に行きました。
東京三菱UFJ銀行前に開運のための明るいチークをされた川上さんがお立ちではと探してしまいました。
冷たい雨でしたね。

【2011年】ツイッターつぶやき
保守と革新。。。。。昔はこれがはっきりとしていた。
しかしこの革新側の崩壊、それは特に社会党と総評の解散という形になったが、それにより大きなデモというものがなくなったような気がする。メーデーは別にして。
この社会党と総評の衰退自体の裏に労働者を中心とした組織的なものに対する市民というものの台頭があった。
没階級という新たな市民社会というものが提唱されたのではないかと思う。
この新たな市民社会という視点で自民党に対抗する政党が色々な形でできては消えてきた。その集大成というのが今の民主党という一つの形になったのだが、その民主党にみる市民政党とは何かを見るとそうは自民党と変わりのない、もっと突っ込んで見るとある種の保守性を持った政党となり二大政党制は保守二大政党制になったといえる。
この現在の政治勢力の中に市民政治がどのように位置づけられるだろうか。
結局は社会党総評というものに変わってできた市民政党自体も崩壊をしたといえるのではないか?
今、脱原発という主張においてデモがまた活発さの兆しを見せ始めた。しかしこの市民の集まりに何か組織性を持ったものがあるのかというとそれが見えない状態ではないか。もちろん9月のデモは著名人や社民党・共産党も参加をしたと思うが、その中に組織性の芽生えは見えると思うが、脱原発の方法についてもいろいろなとらえ方もあるし、抽象的な市民運動という形ではその組織性は見えない。
そこでネットというものが大きな力になってきている。これは世界中で起こっていることである。
このネットでの呼びかけは強い力を持ちつつある。しかしどうだろうか?その中に組織性は生まれるだろうか?今の社会を変革をすること自体はあるがそのあとにどのような世界を描くのかとなるとそこには市民の集まりだけでは方向性が出せないだろうし、ある政治勢力の台頭に結び付かざるを得ないだろ。同時にその政治勢力も後には批判対象になることも。
ネットによる一つの政治的主張としての市民の集まり。それはリアル社会にネットの世界が出てきたということである。
リアル世界に人々の顔が出てきた。これ自体は前進である。ネットがリアル世界の変革の大きな新しい組織体ともなりえるということだろう。しかしそこにはリアル世界でのこれまでの政治や経済の動きとぶつからざるを得ないし、その意味ではリアル世界のこれまでの理論や実際の政治に学ぶ必要が出るだろう。
ネット世界は一つの文化にならなければならないと以前から書いてきたが、今まさにネットの世界がリアル世界に接点を持ったわけであるからネット世界のそれ自体の文化という形を作り上げなければならない時期になっていると思う。新しいマスコミにも発展をするだろうし、もしかしたら新たな政党を作りだすかもしれない。そんなことを念頭に持ちながらリアル世界に生きる人々もネット世界を無視はできなくなるだろう。ネット世界はどう正しい組織性を作っていくか、そこにネット世界の文化は開くだろう。

【2012年】ツイッターつぶやき
ときどきテレビで昔ながらの技法で作られた生活に密着した物が紹介をされ、それを作る職人さんや零細企業の方が「私の代で終わりです」とか「日本ではもうここしか作っていません」とか話をしているのを見る。
日本のために必要とかという物でもないし、現代の生活には必需品でもないしなくなっても気が付かないで終わってしまう物はたくさんあるでしょう。
大阪で問題化されている文楽もそうで、様々な地方での伝統芸能もそうでしょう。
上に書いたものには自然の材料とかもあるわけでこれも消えて行けば技術も消える。
このようなものは国やら自治体なりが意識して残さないと消えゆくものです。採算がどうのとなれば切り捨てるべきものなのですが、国や自治体の財政難もありますが、数兆円数千億円という金がこれまでに無駄となっているものがある。その額に比べれば微々たる金で守れるものがあるはずです。
財政難への批判として無駄なものは削れとなりますが、そこで削られるものは微々たる額の補助というようなもので、国の事業仕分けに見るように国の財政にほとんど関わらないような微々たるものから捨てられる。そして無駄は続けられる。
合掌造りの集落が世界遺産になって残さねばいけないのですが、日本で茅葺の萱を確保できるのかとか、職人さんは今後もいるのかとかという視点で守るべきものでしょう。それは日本中の世界遺産ではないような古い民家を残すことにもつながる。このような個々の問題を見ると同時に、これらの個々の問題は文化遺産をどのように保護ずるのか、民芸をどのように、子供の玩具を、昔懐かしいものをそして国民の財産である芸能をどう見るのかという国や自治体の意識性の問題でしょう。
もちろん国民の財産だ人間国宝だとそのような権威的なものが形ばかりに残されることでもない。

【2013年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2014年】ツイッターつぶやき
株価も円が下がり続けなければ値上がりはしない。一定の円安で株価も安定するか値上がりしなければそれは経済の回復とは言えない。
政府は株価を見て経済の状態を判断しているのでしょう。
そうすると円安は容認せざるを得ない。
日銀も円安に依拠をする。物価上昇は円安に頼る。政府も日銀も円安に依存しているといえる。
しかし円やが負の働きをしはじめている。
国内物価の値上がりは実質賃金の低下により消費を落とし、円安でも輸出は伸びない。
円安に依存しなければならないが、円安がまた経済におく影響を及ぼすという矛盾が起きている。
結局は円安を招いたアベノミクスと日銀の緩和は失敗をしているということでしょう。
しかし日銀は円安を容認する。政府は円安を警戒し始める。
政府と日銀の二人三脚も互いに相反する方向に向かう。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
このブログでは貨幣の回転の重要性について何度か書いてきました。
金融緩和により貨幣量だけを増やしても庶民生活や社会保障に直結した所には貨幣はまわらずに、結局は株価や富裕層あるいは企業の内部留保に貨幣は吹き溜まってしまった事実があります。そのうえ株価の維持のために年金積立金までさらに流用されてしまいました。
経済は一定量の貨幣が国民の大衆消費財の消費として、国や自治体の税収と社会資本や社会保障して、企業の利益の設備投資などとして、この収入と支出が合理的にかみ合わなくてはならず、そのためにはここに回転速度を高めねばならないのです。
ロイターに「総選挙が素通りする日本経済「真の争点」」という記事がありますが、圧倒的に国民(富裕層ではない)の生活実態や社会保障がおろそかになっていたことを示し、個人消費や社会保障による国民生活の向上の必要性が言われていると思います。
第一次民主党では「国民の生活第一」がスローガンになっていましたが、野田政権からその民主党も様変わりをするようになりました。それが自公政権になり、向かい帰りの自民党政治に戻りました。もっともいろいろな言葉で国民生活の安定が言われたり、管制賃上げもありましたが、しかし現実は上にも書いたように富裕層や企業の利益と株価高騰でしかありませんでした。口先政治の矛盾は広がったのです。
この企業利益の増大はありましたが、企業はブラック化が進み、最近の報道でも神戸製鋼のデーター改ざんというものが出てきています。政府も消費税は社会保障にというものをご破算にしようとしています。国民生活の安定がないままでの消費増税10%はさらに貨幣の回転を鈍くさせるでしょう。
ノーベル経済学賞が決まったようですが、またアメリカ経済学で経済学を人の意識の問題だといった経済学に劣化をしています。
どの党の政権が生まれるかはわかりませんが、貨幣の回転を真剣に考えないと日本はさらにじり貧となるでしょう。そのうえ北朝鮮危機を煽って軍事費が増大すればそれもまた経済を後退させるでしょう。軍事費による支出は究極のバラマキで経済的利益は戦争特需ぐらいで最終的には国家財政も民間経済も破たんさせていくでしょう。

【2018年】ツイッターつぶやき
60歳以上の高齢者の月収は、10万円から20万円が一番多く32%、20万から30万が26%。
これは年金と就労による収入を合わせたもので、就労の収入には配偶者の就労の収入も含まれる。
10万円以下は20%ですから高齢者の暮らしは相当苦しいものになっている。
上の数字は収入です。諸税や健康保険、介護保険などの支配後の収入かどうかは明記されていませんが、手取り収入となるとさらに低下するものと思われます。
高齢者の80%弱は就労しながらも苦しい生活をしているという事です。
高齢者はゆとりはないが生活に心配がないという人が多いようですが、たしかに20万から30万の月収があればそうは心配をしないで済むでしょう。しかしこの収入には修朗による収入も含まれるわけですから、加齢とともに、例えば夫が働けなくなったとすれば、20万から30万の月収の世帯が10万から20万に下がり、最終的には公的年金だけになります。この加齢により意識は変わってくるでしょう。
しかし、就労での収入を含めての月収ですが、年金を含めて20万として国民年金だけの場合は就労による収入は約13万前後となるでしょう。たしかに夫婦の年齢構成によってこの就労による収入の中身は変化しますが、相当低賃金で働かされていることになります。
年金支給年齢が65歳になっていますが、60歳からの雇用が保証されるにしても定年延長者は50%以下で、その他は嘱託やアルバイトなどです。60歳以上にしても賃金は半分以下という実態ではないでしょうか?65歳以上もちろん70歳以上になれば相当賃金が下がっていきます。
先日働きたい、働かざるを得ないというものを書きましたが、政府は65歳以上の高齢者は「働きたい」と分析する。一生涯働きたいという高齢者もいると。しかしこの「働きた」のいちばんの理由は経済問題です。
今年金支給年齢をさらに引き上げて68歳あるいは70歳、ひどい場合は75歳にとしようとしています。「働きたい」経済的理由を国が作り出そうとしています。高齢者にとっては働かざるを得ない社会の条件が増していくだけです。

【2019年】ツイッターつぶやき
一時毎日のようにあおり運転が報道されていましたが、最近はないですね。あおり運転がなくなったり、ドライブレコーダーなどの動画がなくなったわけではないでしょうが。
高齢者の車の事故も同じですが、あおり運転もそうは大きく取り上げる話題性のメリットがなくなったのでしょうか?
マスコミの報道というのはぱっと表れてぱっと消えていくものです。
「おしえてgoo」にあおり運転のきっかけについて書かれていました。
僕のこのブログでも高速道路の右側追い越し車線でのあおり運転が多い中、のんびりとずっと追い越し車線を走っていればあおられる危険性や少なくともイライラさせる原因になると書いてきましたが、もっと広い視点からどのような行為があおり運転のきっかけになるのではと書かれています。
もちろんこの筆者も
「もちろん、あおられる方に過失があると言うつもりはないが、誰もが安全運転を心がけることで減らせる事件・事故はあるはずだ。」と、
あおり運転を正当化するつもりはないでしょう。
いろいろなきっかけが書かれていますが、「権利や自由への主張が強い。遅い・速い・曲がる・止まるは、すべて個人の自由だと思っている。」ドライバーやドライブレコーダーで遊んでいるようなものはよくないですね。制限速度で走っているんだから追い越し車線を走っていて何がおかしいといった道交法無視から、追い抜こうとするやつが悪いといった意識はよくないですね。後ろに目がないとだめです。
もちろんきっかけとなる行為を意識的に挑発行為で行えばこれも立派なあおり運転でしょう。
もちろん誰でもが無意識のうちに後ろの車にイライラさせる行為はあるものです。その時気づいたら、このブログでも書いていましたが、ハザードをつけて「ごめん、ごめん」ぐらいは必要です。

【2020年】ツイッターつぶやき
東京の今日の新規感染者数は249人でした。
日曜日や月曜日の新規感染者数は毎週極端に少ないので、現在の検査体制というものだけを見れば200人以上というのが実態なのかもしれません。もちろん諸外国に比べればまだ少ない検査数ですからさらに多くの感染者がいると思われます。
9月のGo To連休から2週間以上過ぎましたが、これも全国的には影響が出ていると思います。
以前、このブログで感染者数はある程度減るだろうがだらだらと感染拡大が続くのではないかと語覚えがあるのですが、下げ止まりなのかあげどまりなのかどちらかわかりませんがこのペースで続いて収束にはなかなか向かわないかもしれませんね。
第二波といわれた並ではは若い人の感染が多かったのですがそれが中高年齢者も多くなっています。夜の街クラスターが言われていましたが、最近は家庭内感染や高齢者施設のクラスターも。同時に感染経路不明が多くなっています。感染拡大は新規感染者数での判断もありますが、幅広い年齢に広がることにも現れるのかと思います。それはさらに感染拡大の要因になります。
東京とも当初Go Toは行わない形をとりましたが最近は積極的ですね。今後の感染拡大が心配です。

【2021年】ツイッターつぶやき
ガソリンが高くなっています。レギュラーでも160円に近いです。都内は地方に比べてまだ安いのですが。
ガソリン税が付加されてガソリン代となりますが、その価格に消費税10%がかかります。
税金に対しても税金が取られる仕組みからもガソリンが高いという感覚も出ます。
税金には消費税を廃止すべきですね。
これは酒やたばこにも言えます。高税率にもかかわらずそこに消費税が。
煙草で言えば若葉など昔は安かったのですが今では普通の煙草と同じ500円です。
酒も同じで安い発泡酒の税が。
自動車も軽に対する増税が。。。。。。
庶民泣かせの税制度ですね。

【2022年】
四国旅行

       ≪ひょっこりひょうたん島?≫

【2023年】ツイッターつぶやき
経団連が消費増税の必要性を言っています。
少子化対策もありますが、これが現実に実施されるかどうかはわかりません。あとは防衛費ですね。
法人増税はされては困るというのが経団連でしょうが、その代わり消費増税というのも経団連が言うこと自体おかしいですね。経済対策として賃上げが言われていましたが、その賃上げが消費増税として収奪される。現在でも実質賃金は下がっているのにさらに消費増税では消費がしぼむでしょう。経済対策になりません。それでも消費増税にこだわるのは防衛費や海外へのバラマキの必要性が経団連には死活問題なのか?
悪性の物価高により消費税収が高くなっているはずで歳入は増加しています。実質的な消費増税になっています。
それでさらに消費増税。
国民生活の切り捨てがさらに進みますね。
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2024年10月10日(水)「衆議院解散」

2024年10月09日 21時28分09秒 | 「政治・経済」
自民党の総裁選が終わり石破さんが総理になり、形ばかりの臨時国会を開き国会なの討議もないままに解散。
今衆議院を解散する理由もなく、能登の地震と水害の復興も国会での議論はなく、石破さんがアリバイ工作の湯に行っただけ。
解散が必要だったのは政治的な理由ではなく自民党の生き残り策だけの解散です。
とはいえ、立憲も野田さんになったわけで、自民党政治を補完するでしょうし、一気に会見に向かうでしょう。それには選挙だけの石破さんですからその後は自民党を引っ張る人が出てくる。高市さんでしょうね。
政治も経済も国民のためというものはなくなり、国のために国民は我慢を強いられる政治となる。
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「10月 9日という日」

2024年10月09日 07時55分16秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
自民党の総裁選が終わり石破さんが総理になり、形ばかりの臨時国会を開き国会なの討議もないままに解散。
今衆議院を解散する理由もなく、能登の地震と水害の復興も国会での議論はなく、石破さんがアリバイ工作の湯に行っただけ。
解散が必要だったのは政治的な理由ではなく自民党の生き残り策だけの解散です。
とはいえ、立憲も野田さんになったわけで、自民党政治を補完するでしょうし、一気に会見に向かうでしょう。それには選挙だけの石破さんですからその後は自民党を引っ張る人が出てくる。高市さんでしょうね。
政治も経済も国民のためというものはなくなり、国のために国民は我慢を強いられる政治となる。

≪過去の記事≫

【2003年】
暇なのでドライブに出かけました。
首都高から常磐道に乗り茨城県は那珂湊へ。少し釣りでもと思ったのですが、海岸は強い風が吹いていてだめでした。仕方なく堤防から離れて自然の海岸線が残るところまで行き海を眺めました。
茨城県も工場地帯は多いし、港も多いので自然の海岸線は残り少なくなっています。
潮風が体中を通り抜けて生きました。何も考えずにぼけっと。。。。。
昼食は那珂湊の市場の中にある食堂で食べました。刺身定食を食べたのですが、思ったよりうまくなかったです。20年ほど前に始めていって食べたときはその安さと量にびっくりしたのですが、やはり観光バスなどが多くなってくるとだめなのかな?定食を見て感動がなくなった。常磐道の両側に見える雑木林もほんの少し色づいていました。筑波山は早いのかな?
11月に入ったら低い近場の山に行きたいと思います。

潮風
潮風を吸い込みたくて茨城県の那珂湊付近に行ってきました。
お昼少し前に出かけたのですが、高速道路もすいており、2時頃には着きました。
那珂湊には魚市場があり、たくさんの魚が売られています。市場の2階は食堂になっており、市場の新鮮な魚を食べられます。刺身定食を食べました。この市場には昔から時々来ているのですが、なんだか最近は食堂の定食の質が落ちたような気がいます。また、寿司屋さんも今はやりの回転寿司になってしまい味気ないです。
だいぶ観光地化されてしまいましたからね。。。。。。
茨城県の海岸は、港も多く、転々と工場地帯となっています。また、核施設で有名な東海村も海岸近くにあります。そんなわけで海岸美を楽しみながら潮風を吸い込むには苦労をします。
那珂湊から北へ30分ほど車を走らせると海水浴場もありますので、その近くに行きました。
風が強く、波が激しく打ち上げていました。漣の音も好きですが、こんな荒い海も好きです。これから冬になるともっと激しい波が打ち寄せます。寒さをこらえて海を眺めるのもいいもんですよ。潮風が体の中を通り抜けてストレスを吹き飛ばしてくれます。

りかさん・ミケルの庭新潮文庫梨木 香歩  著
この前感想を書いた「からくりからくさ」の過去(りかさん)と未来(ミケルの庭)を描いたような作品です。
「りかさん」の中で、戦前にアメリカから親善大使人形として贈られてきた人形が不運にも戦争の犠牲となって焼かれてしまいます。その人形にまつわるマーガレットという西アジアからアメリカに移住した女性、この女性の曾孫が「からくりからくさ」のマーガレット。りかさんは、この戦前のマーガレットの閉ざされた心が気になるのですが、それは後の自分の仕事として物語は終わります。どこか気になる終わり方です。
「からくりから草」に現れるひ孫のマーガレットも、この物語の中でもついに心は完全に開かれないままに終わります。そして焼かれてしまうりかさん、その直後にマーガレットは女の子を産む。それがミケルである。
「からくりからくさ」の最後を読むと、このあたりがりかさんの生まれ変わりあるいはその遺志を継ぐ赤ちゃんという印象があります。
ミケルという赤ちゃんの代になって、祖父母のマーガレットそして曾孫のマーガレットの閉ざされた心は開かれていくと感じました。
今まで読んだ梨木香歩の作品全体を通して感じるのですが、肉体的には遺伝子としてその「血」は引き継がれていきます。しかし同時に家族や「家」というものを通じて思いというようなもうひとつの遺伝子を感じます。優性遺伝としても劣性遺伝としても(今はこの言葉は差別用語かな?うまい表現がないので使ってしまいました)。
りかさんは、作られた経過にはいろいろありますが、人間の持つ暖かい思いをその持ち主から込められた人形です。その意味では人間の優れた代々伝わる遺伝子を持った人形でしょう。
しかし、多くの人形には、人間の持つ醜さや憂いをこめられて思い苦しむ人形たちが多くあります。
「りかさん」は、このような人間の憂いや醜さをこめられてしまった人形がたくさん出てきます。人間性の問題、特に戦争という中で、鬼畜米英と、きれいな心を持った子供たちが無理やり竹ざおを持たされた悲しみ、その悲しみの竹やりでずたずたのさされ、そして最後は焼かれてしまう、そんな周りの大人たちの醜さ。そんな人形たちに人間の心が残されている。その人形たちの苦しみを解きほぐしてくれるのが、人間の温かみを伝えられたりかさんです。
「からくりからくさ」が、家制度と貧困という時代の中で苦しめられた女性の思いを人形を通して表現したものならば、「りかさん」はもっと広い人間の忌まわしさを人形を通して表した作品ではないかと思います。
ミケルは庭を持つ。ミケルも心を閉ざす部分があるが、「からくりからくさ」に出てくる主人公蓉子や紀久、与希子という三人の女性のそれぞれの個性からくる温かみの中で心を開く。ミケルの庭は、すんでいる庭を超えて世界を自分の庭にする。
紀久の苦しみ、ミケルは愛した男神崎がマーガレットに生ませた子である。
紀久のミケルをかわいいという気持ちは自然である。しかしその心の中の奥底には無意識なこだわりが巣を作っている。ミケルが死にそうな病気になるが、その原因に紀久の行動があるかのようにうつる。紀久は苦しむ。
それを救ったのはやはり蓉子(りかさんからもらった人を暖かく包むもの)の言葉であった。
ミケルの最初に感じた三人の女性から受ける不安、それがどの女性なのか、紀久であったと思う。しかし一命を取り留めたミケルは紀久の手を握る。そして紀久はこの子にあるものを伝えようと決心をする。ここに「りかさん」の中に現れたいた言葉、人の心を移された人形には醜さとしての「アク」がある、でもそれは「昇華」されねばならない。
人間の持つ醜さという「アク」、ミケルは世界を自分の庭にしたことから、人間すべての「昇華」をミケルの中に信じたい気持ちになる。
暖かい気持ちにさせられる作品でした。

【2004年】
雨と風が強くなってきました。そろそろ台風が東海地方かな?
用事があり出かけたのですが、やはり午前中早く済ましておいてよかったです。
だいぶ気温も下がってきました。そろそろスズちゃんの小屋にも綿でも入れてあげようかと思います。

【2005年】
妻がテレビで千葉県御宿町の「伊勢海老祭り」の紹介を見て行きたいというのでネットで調べてから行って見ました。
御宿は、太東漁港や大原漁港に釣りに行ったときに時々いったことがありますが、こういうイベントで出かけるのは初めてでした。夏はサーファーや海水浴客が多くて渋滞に苦しんだ記憶しかありません。
今回は、サーファーの人たちは相変わらず多かったのですが、もう夏も終わり雨も降っていたのでしっとりと下町の姿がありました。
「月の砂漠」の童謡で有名なところで、砂浜にはラクダに乗った旅人の銅像があります。そうは広くない砂浜で「月の砂漠」の詞を思い描くなど、たいしたもんだと思います。伊勢海老祭りのイベントは、この月の砂漠像が立つ前の広場で行われるというのでさっそく行きました。しかしどうも広場はがらんとしていて。。。。?
変だなと思い車を止めてよく見たら「本日は雨天中止」。。。どんより
たしかに伊勢海老祭りは1ヶ月ほど続くので雨天中止もわかりますが、すでに雨もほとんどやみ、3連休で観光客も来るだろうし。。。何だか活気というものを感じられない。
仕方ないのでせっかくだから伊勢海老ぐらい食べていこうと駅前の通りに向いました。
駅は寂しかったです。
駅前通もなんとなくどんより。。。
その中に1軒だけ手ごろな値段の料理屋さんが開いていたので入りました。
各種定食があり安かったです。でも安くてもおいしかった。刺身定食も8点盛。妻が食べた鯛の兜煮も肉が多くて味付けもよかったです。娘はなぜかしょうが焼き。。。さすがの伊勢海老の刺身は高かったですが、相場でしょう。。。
三人で二切れづつぐらい食べました。おいしかったです。頭がもったいなく別料金でもいいから味噌汁にでもしてもらいたかったのですが、言い出せませんでした。
食べ終わってさてどこかによろうかと思ったのですが、これといった観光地もなく、ぶらり旅では必ずといっていいほど行く町の博物館に行きました。「御宿歴史資料館」だったかな?
入館無料。。。
古い館内の入ったら、少し昔の農具がちんまりと並び、出土品も少々。。。5分もしないうちに出てきました。
出かけた先でいろいろな町の博物館に行きますが、その博物館を見るとその町自体の雰囲気がわかるような気がして、僕のその町の印象も違ってきます。もちろんその町の古代からの歴史の違いはそれぞれですが、町自体が自分の町を知ってもらいたいという意気込みがちがっています。
御宿は、町自体が頑張るというよりも、お昼ごはんを食べたような1件1件の店などがそれぞれにがんばっているのかなというのが僕の印象でした。
小さな魚屋さんのような店がちんまりとイセエビなどを売っていたり。。。。そういう店を探したり、おいしい店を探したりするのが楽しい町かもしれません。

昨晩は、母方の叔父が亡くなり新潟県まで行って来ました。
久しぶりに新幹線に乗ったのですが、新潟までも近いですね。。。
叔父はもう70半ば。。。。
子供の頃から新潟の母の実家に帰ってはお世話になっていました。最近は疎遠になっていましたがこういうかたちでお会いするとは思わなかったです。
子供の頃の思い出は、いつも怒っている叔父でした。少しでも従兄弟たちと騒いでいると怒られたっけ。。。
でも、酒を飲むとにっこり。。。
一応泊り込みで行かなくてはと思い着替えなどを準備して言ったのですが、新潟の親戚筋ともずっと疎遠になっていたので、焼香だけさせていただき、叔母や従兄妹たちに挨拶して帰ってきました。
従兄弟たちとは子供の頃はよく遊んでもらったのですが、久しぶりということもありお互いにそうも話がなくて。。。。泊まって行くかの一言もなく寂しく帰ってきました。
故郷というわけではないですが、子供の頃の思い出がたくさんある土地なので。。。
やはり故郷は遠きにあって思うものですなぁ。。。
叔父との思い出はいくつかありますが、この前東北旅行の帰りになんとなく叔父の住む町によってきたのですが、わざわざ遠回りをしてもその町に寄ったのも何かの予感のようなものが僕にあったのかな?こういう霊感的なものが僕には時々訪れます。宗教的なものは僕の中にはないのですが、時々胸騒ぎというものを感じると何か不思議さを感じます。
叔父のご冥福を祈りたいです。。。。
というわけで昨夜のうちに帰宅して暇だったので千葉県の御宿町に行って来ました。インターネットで調べたら「伊勢海老祭り」とあったので行ってみました。
また「ぶらり旅」のほうへ近いうちに書きます。

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
ニュースでバイクのあるライダーが亡くなったらしい。といっても僕はバイクを乗るわけでもないしバイクレースに興味を持ったこともない。何でこのニュースが目にとまったかというと、死の悲しみにまだ青少年かと思われるファンが涙を流して泣いていた。たぶんバイクレースの世界ではこの方はヒーローだったのでしょうね。そのヒーロー。。。まったく僕の知らない世界というものがあり、その世界にはたくさんの人の憧れを受けるヒーローがいるということにハッとしたからです。
たくさんの時間を当ててテレビ放映をされているスポーツ世界では、まったく興味はなくてもその世界のヒーローの名前ぐらいは聞き知ることがあるが、そんなにテレビのライトを浴びない世界にもヒーローがいる。スポーツだけではなく、あらゆる分野にいるということ。僕はすごく狭い世界に生きているということである。
でも、人間一人が把握できる世界なんてだれでもが狭いのかもしれない。
バイクの世界はともかくとしても、たぶん興味ある世界が僕の目に見えないところにあるんでしょうねぇ。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
ノーベル平和賞に中国の人権活動家といわれる劉さんが受賞した。
この平和賞についてはこれまでにもいろいろと「どうなのか?」という疑問のようなものがあった。ノーベル賞はその科学・化学の世界に授与されていたものですが、文学賞や平和賞が追加されてきた。科学というのはある意味成果がはっきり目に見えるものであり、どの研究が妥当かという違憲の違いはあるだろうが、受賞されたものについてはその功績は見えるものである。しかし文学賞や平和賞はその意味においてはわかりにくい。
とは言っても世界の平和を発展させることに貢献した人に授与するという理念を貫き通すということ自体は良いことだろう。それはあらゆる国の権力に左右されない受賞であることは理想として持つ必要がある。
そこで今回の受賞であるが。
劉さんは天安門事件にも関係した方らしくその後08憲章というものを起草して逮捕されたという。
現在も服役中であり、その劉さんが受賞したという中にも複雑さがある。
ノーベル平和賞を上にも書いたように世界の平和に寄与したという視点で授与するものであれば、その平和を人権や差別などそして反体制という活動などに授与するということ自体がどうなのかを考えなくてはいけない。
「中国の基本的人権を求める非暴力の闘い」を評価された受賞だそうだが、中国は「平和賞を汚すものだ」と批判している。
中国国内の基本的人権を求める。。。。ここにすでに平和賞というものが矮小化されているのではないか。基本的人権というものをどこの国を基準にした中国の基本的人権なのか?中国は、経済は資本主義、政治体制は共産主義という形になっているが、この政治体制に及ぶような意味でのノーベル平和賞ならば中国の反発は大きいだろう。
ノーベル平和賞は、例えば核による戦争を否定した核兵器の全廃に向けた目に見えた活動や理論などというようなものに限らねばならないのではないか。
基本的人権を言い出せば、理想的な国は存在をしない。共産主義に対する自由主義もこの基本的人権が経済活動においてどのようになっているかが問われ始めようとしている。もしこの基本的人権に関して平和賞が贈られるなら、それは一国の問題に限らないものでなくてはならず、各国が抱える貧富の差の問題や、世界的な貧困層の拡大、さまざまな差別や階層化など、全体をとらえる中でのその解決の道を提起し活動するような人に与えられるべきでしょう。普遍性が必要です。

【2011年】ツイッターつぶやき
厚生年金を例にすると、受け取る年金額は「基礎年金」プラス「厚生年金」となる。
10数年ほど前だったか、年金改革が行われて「基礎年金」部分が段階的に60歳から65歳に引き上げられて来年度からはこの基礎年金部分を60歳から65歳まで全く受け取られなくなる。そして来年度過疎の後かその後の年度からは、厚生年金部分が段階的に65歳までに引き上げられる。
今は厚生年金は受け取れるし、段階的な猶予が10年ほどあるのでどうにか年金で生活できるが、厚生年金部分が65歳になるにつれて65歳までの無年金者が増大をしていき10年ほどの地にはすべての今の現役世代は65歳までは無年金となる。
この意味で今の若い方は年金改革で損をするわけです。高齢者も今後さらに損をすることになるわけですが、その分若い方の負担が軽減をされるかというとそうではありません。むしろ年金改革で損をするのです。けっして老人が多いから大変になるわけではないのです。
以前200兆円とも言われる高齢化社会に向けた年金の積み立てがありました。今は150兆円程度に目減りしているようですが、この積立金の運用(金融商品など)で損をする年度も出ています。しかしこの積立金を年に5兆円切り崩しても30年は使えます。この30年というのはちょうど今の団塊の世代が平均寿命を過ぎるころです。ですから積立金の使い方によっては若い方の負担は減るはずです。しかしこの積立金の意義がやはり年金改革で変更になってしまいました。この積立金は置いておいて現役世代が今の高齢者をさせるやり方になりました。積立金はどこに消えるのでしょうか?今後。。。。。
高齢者が65歳まで無年金化することでどのようなことが起きるでしょうか?
60歳で定年になりますがその後5年間はどうにか働くことになりますし、国も企業もそれを助成しなければいけないことになっています。その中で定年延長や再雇用制度が拡大せざるを得なくなります。これは若い方にどのような影響を及ぼすでしょうか?ますます雇用の場が少なくなるということです。企業は若い人を雇って教育したり一人前にしていくよりも高齢者を若い人と同じ賃金に引き下げて雇用をさせ同じ仕事をさせた方が得なのです。もちろんまったく若い人を雇用しなくなるというわけではありませんがその数は減るでしょう。
年金改革はこの部分においても若い方に損をさせるのです。
そこで年寄りはどうにか生きて若いやつのことを考えろという論理も出てきます。
しかしその年寄りというのは若いあなたの両親なのです。両親が65歳まで無年金になっていくのです。
どうでしょうか?老後の両親を家族として養うのか、それとも公的年金で独立してもらうのか、それとも早く死ねよというのか。。。。。まともな若い方なら公的年金でどうにか生活をしてほしいと思うでしょう。
年金制度あるいは雇用制度は若い人と年寄りの世代間闘争ではないのです。
ここをよく考えてほしいと思います。考えないと老人がいつまでも働いて高額の年金を受けているから若い俺たちが大変になるのだといういかさまの常識に騙されて結局は家族単位で考えれば損は拡大されるのです。

【2012年】ツイッターつぶやき
昨日、岐阜の国体が閉会したそうです。ニュースで一度ぐらいは国体の開催とは聞いたが、なんとなくいつ始まったのかわからないうちにそして閉会。恒例にもれず開催地が総合優勝。
国体出場を目指して頑張り協議に一生懸命になる選手の皆さんのことはある程度わかりますが、国体自体が何となく形作られたお祭り行事になっているのか。開催することが目的化されているのか。参勤交代のような義務化なのか。公共事業の一つなのか。。。。昔ほど注目がされなくなったことは確かでしょう。
何も国体をやめてしまえという気持ちはないのですが、どうもあってもなくてもどっちでもいいような気がします。
国民的なスポーツの祭典の形式的な開催目的化のような恒例行事的な雰囲気に血が通ったものを感じなくなっているのでしょうか。
スポーツで言えば国技は相撲なわけですが、伝統性や形式ばった品格の継承はあるのですが、底ばかりが強調された国技で、中身は八百長だ、無気力相撲だと。
何か国が行うものは格式が高いといったイメージがありますが、底が目的化されて国民に見せるという形式主義的なものが鼻につくようになっているのではないでしょうか。それが違通っていないような気持ちに。
国立の公園というのがありますが、自然を残すという意味での国立公園はそれでいいのですが、金をかけただだっ広いだけの整備された公園となると、そこに立つとひゅーっとつめたい風が心を通り過ぎるような思いがします。なんとなく名は公園ですがただの広場です。これも血が通っているようには見えない。
血を通わすと言っても国が行うことですから末端の毛細血管まで血を通わすという事はできないのでしょう。血を通わせるのは利用する国民にあるのかもしれませんが、どうも国が大動脈に流しているのは血ではなくて金なのかもしれません。予算と税の支出。
ときどき大活躍をする芸能人やスポーツ選手などに対して経済効果〇〇億円とかいったニュースが流れていますが、この世の中なんでも金に換算するような殺伐なものがありますが、国体にしろ国立の公園にしろ、国なり自治体の金の流れに位置づけられているような気がします。

【2013年】ツイッターつぶやき
自民党高村副総裁が「人件費カット、今や正義ではない」と語ったという。
人件費をカットすることは常に「正義ではない」のだが、自民党政権はこの人件費カット(賃下げ)をずっと容認して生きたし、現在も「首切り特区」ともいえる労働の規制感をを続けようとしている。
「人件費カット、今や正義ではない」という言葉自体あるいは安倍総理自身が賃上げを呼びかけること自体がこれまでの自民党政治のツケが経済に重要な悪影響を及ぼしたということを認めたに等しい。
デフレからの脱却には人件費カットは「正義」ではないし、適切な経済政策ではないということが自民党にも見え始めているということでしょう。
しかし現実の経済政策はアベノミクスにより労働の規制緩和が進む。
自民党や経済界の中での一つの内部矛盾の広がりでしょう。いつまでも異次元の量的緩和は続けられないし困難さが伴うことはアメリカの出口論で露呈をしていますし、それは量的緩和では経済の立て直しはできないことを現している。そこにはどうしても国民所得への資金の還流が必要であることを示している。
アベノミクスは内部からの矛盾を深めていき崩壊するしかないかもしれません。昨日も書きましたが超保守主義の政治も外交から崩れて内部の矛盾に広がるかもしれません。

【2014年】ツイッターつぶやき
いつ頃だっただろうか、労働者側から企業に縛られない自由な働き方という問題提起がされてた。特に若い人からの声だったと思う。
長い労働時間に縛られて人間関係などにも縛られる。若いうちは賃金も低いなどわっかい人の不平や不満もあったのでしょう。
フリーターのような働き方も増えていったような記憶があります。
しかしこの企業に縛られずに自由な働き方をしたいといったものが逆手に取られて今の正社員と非正規雇用者の格差が広がる労働環境につながってきたような気がします。
今の格差の拡大で正社員の「身分」を得たいという人が増えてきているでしょう。しかし求人が増えたとはいえ正社員の道は険しい。
労働者は企業に縛られない自由を得たが賃金格差に苦しめられるようになったというのが現実でしょう。しかし縛られない自由も簡単に解雇される自由であり、今ではブラック企業などという言葉に表されるように結局は企業に縛られざるを得ずに自由な働き方ができているのかとなれば疑問でしょう。
これからはますます正社員という身分を得るのが難しくなっていくでしょうし、その中で正社員という中間層が減っていき低所得層が増えていく。あるいは低所得者が増えれば中間層という生活レベル最寄低下したところに落ち着いていくでしょう。
到底本気とは思えませんが政府も賃上げの必要性を言っています。
もちろんこの賃上げは春闘にみるような正社員層あるいは大企業が中心での賃上げです。賃上げが各階層に行き渡るかといえば最低賃金が上がったとはいえ10円玉の世界ですし、それも大都市圏の話です。
この中で自由な働き方そして賃金格差のない働き方の要求が高まるでしょう。
この要求の実現は10円玉の最低賃金引き上げぐらいでは達成できないでしょう。
もちろん最低賃金の引き上げを重要視し続けること自体は大切なのですが、非正規雇用の時間当たりの賃金を正社員並みに引き上げることが必要でしょう。ある年齢において正社員も非正規雇用も時間給あたりでは平等という賃金制度が求められます。
賃金の額は時間給あたりにすれば平等という中に自由な働き方も生まれるでしょう。
労働時間と賃金高には密接な関係があります。労働時間が同じで賃金は下がる、あるいは労働時間が伸びても賃金は同じであるではどう似ても労働者の損となるでしょう。仕事自体は正社員も非正規も同じ条件で付ける平等さの中に賃金は働く労働時間によって決まればある平等さが生まれます。もちろん健康保険も年金も同じ条件に。
この平等さをもとに企業は正社員を増やす方向に動くでしょう。特に今は人手不足なのですから。。。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
憲法問題が騒がしくなってきました。
憲法というものは不思議な存在ですね。
近代国家の民主主義憲法が100%実現した国があるでしょうか?少なくとも先進国は自由や民主主義を憲法に謳っているでしょう。しかしだからと言って現実社会がその憲法に沿ったものとなっているかというと憲法と現実とは乖離しているでしょう。
生存権、人間らしい生活を送る権利が国民にはあるとして、現実は格差の拡大から貧困が問題になっています。
ここで憲法を変えて貧困や格差拡大を憲法で仕方ないものと規定する国があるでしょうか?少なくとも民主国家において。
どこの国も実現されていない乖離した憲法に現実を近づけていこうというのが近代国家です。
日本は9条という平和主義があります。この9条は先進的な憲法の条項でしょう。ところが現実とこの9条が乖離しているとして改憲というものが出てきてしまう。しかし現実は様々な条件がありながらも紆余曲折しながら戦後70年平和を維持してきた。多くの先進国が軍隊を派遣する間違いをしてきたにもかかわらず日本は自衛多を公選させたことがない。世界の中で平和主義を実現したのが日本と言ってもよいと思います。だからと言って経済が落ち込んだわけではなくて逆にこの平和主義が経済を安定させてきた面があるのではないでしょうか。
今更9条を捨てる理由はないのです。
しかし憲法は一つの目標でありますから現実の方とは乖離して自衛隊が増強されてきました。それでも専守防衛として海外に軍として派遣されてこなかった。この中で集団的自衛権が言われはじめて法としては抗戦する危険性が高まりました。この集団的自衛権の行使をするには9条がさらに邪魔になってきたという現実主義が強くなってきました。
憲法9条の理念に近づく法ではなくて9条が邪魔になってきたという後退を意味しています。
改憲を行ってはダメですね。
北朝鮮の危機を煽る政党はたくさんあると思いますが、その日本の内政的変化(集団自衛権の解釈変更など)や近い将来あるいは遠い将来に向けて何をするかをはっきりと国民に示しているかと言えばそうではない。この中で対話や平和主義を攻撃する。このようなものは印象操作的なものでしかない。(ツイッターより)
軍事的緊張関係において、互いに「正義」を保つために先制攻撃は避ける言動はする。現在の日朝関係もそうでしょう。この段階においては制裁処置もあるが、基本は平和的解決に向けた話し合いを模索せざるを得ないことは確かでしょう。この話し合い抜きに制裁だけの強調は「正義」が歪む。(ツイッターより)
憲法が替われば戦争の道しか開けません。戦争をすることができる道を広げるのが憲法順守となってしまいあんす。

【2018年】ツイッターつぶやき
かねのなる木がどうも元気がない。
夏の間も元気だったのですが最近葉っぱがシワシワになっている。分厚い葉なのに薄くペラペラ。
茎や枝がどうも黒くなっている。
もう35年育てているのですが、ここで枯らしては大変と毎日様子を見ています。
今年の暑さは異常でしたから夏バテかなとは思うのですが、水やりはしっかりやっていたし。。。。
そしたら、さっき、夜のニュースで塩害について報道されていました。
先の台風で塩害が南関東で発生しているようです。地図を見ると23区が入っていました。
塩が葉っぱにつくと葉っぱの水分がなくなり枯れるそうですが、金の生る木は分厚い葉っぱなのでもしかしたら塩が原因でシワシワに?
他の花たちの様子を見ると、フェアリースターの葉っぱが黒くなっている。
とりあえず塩害かどうかはわかりませんが明日葉っぱにも水をかけてやりたいと思います。
そういえば、車も洗車したほうがいいかな。。。。。

【2019年】ツイッターつぶやき
神戸市の小学校で教師による教師へのいじめ問題が出たそうですが、ニュースでの動画を見たとき、中学生ぐらいの子供の騒ぎかと思いました。
幼いです。。。。。。
これまで学級崩壊というものが問題になっていましたが、今は学校崩壊が起きているのでしょう。
子供たちが騒いで授業もままならない状態と先生のいじめの騒ぎも同じレベルです。
そして騒ぐ子供をどうにもできない教師と、騒ぐ先生をどうにもできない校長先生。
同じレベルですなぁ。
なぜいろいろな面で同じレベルになってしまったのか?
先生ですから教育での学力は子供以上のものがあると思いますが、知的レベルとか、心はどうなんでしょう?
学力と知力は違いますから。
こういう子供たちや先生を統率できない状態が今の公的学校の実態なのかもしれません。
今は、モンスターペアレントなども多くいますから生徒がお客様です。お客様が高い学力を持っていただけるならそれでよいわけです。同じようにマハ先生の数が足りなくて、長く務めてもらうためにはお客様です。学力の高い生徒を育ててもらえればいい。
あとは生徒もこのような先生も文科省の指導に沿った言動をしていれば安泰です。
あとは裏では何でもありなんですから。。。。。
子供社会は、その子供を育てる社会(学校)は大人社会の鏡です。大人社会の政治の鏡です。

【2020年】ツイッターつぶやき
コロナの感染拡大が高止まり・下げ止まり(どちらが正しい分析かは別として)とはいえ一向に感染の拡大は終息しない。このような中でホリエモンさんこと堀江さんと餃子屋さんとのマスク着用でのトラブルが発生をし結果、餃子屋さんに嫌がらせともいえるような電話が殺到したそうです。両者の言い分はそれぞれありますが、結果としては嫌がらせが続いたという事実はあります。
タレントのラサール石井さんはこの状態を見て犬笛を吹くという表現をしてホリエモンさんを批判しています。
影響力のある方が直接的に口に出してある行動を支持者や同調者などに指示するわけではないですが、
「ホリエモンは餃子店の実名を公表したわけではないが、イニシャルなどから、すぐに店舗が特定されてしまった。ラサールはそれを特定の層だけに届くという意味で、「犬笛を吹く」という表現を使い」(引用)
とラサール石井さんは説明をしています。
この分析が適当かどうかは今後の両者の成り行きからわかることかもしれませんが、この「犬笛を吹く」といったものは実際人種差別でも用いられていたそうです。
この犬笛というものは案が身近にもあるのかもしれませんね。
去年から今年にかけて安倍政権と官僚との「忖度」の有無が問題になりました。
強い力を持つ政治家の直接的具体的な指示はなくても、ある言葉により官僚は忖度をしてその政治家の意図を理解して行動する。安倍総理がモリカケ問題に昭恵夫人も含めて関与していたなら総理大臣を辞任すると国会の場で発言すれば、すぐに官僚は文書の隠ぺいに走るなどということがありました。
かわいいワンちゃんとのコミュニケーションでの犬笛もありますが、下手をすれば犬に攻撃しろとも犬笛は使えますね。。。。。

【2021年】ツイッターつぶやき
そろそろ花の植替え時期になってきました。
今年の夏は何という花だった葉っぱなどに刺激があるとされる花を買ってしまい嫌なのでかわいそうだか抜いてしまいました。プランタは淋しく夏を越しました。
まだ初冬に植える花はあまり売っていないのですが、早めに花を植えたいと思います。
フリージアの球根を新聞紙に包んで保存してありますが、この前見たら芽が出はじめていました。
これは丸い鉢に早めに植えたいと思います。
ゼラニウムが元気ありません。。。。

【2022年】ツイッターつぶやき
旅行の支度

【2023年】ツイッターつぶやき
イスラエルが対パレスチナ(ハマス)に宣戦布告をし報復としてガザを空爆した。
今後ガザを封鎖をするようです。
世界では、イスラエルへの建国以来のパレスチナ攻撃を非難する一方ハマスの攻撃へ批判が多い。
ロシアは平和的解決を呼び掛けるようですが、アメリカなどはイスラエル支援を明確にしている。
アメリカの上院民主トップが中国に対してイスラエル支援を呼び掛けたらしいが、中国は解決としてパレスチナ国家の樹立を言った。
昔パレスチナ解放機構のアラファトさんが、平和的解決を呼び掛けていましたが、結果は内部の過激派組織の問題とイスラエルの強硬姿勢により現在はパレスチナは狭い地域に押し込められている。アメリカの植民の歴史においての先住民への攻撃と同じ構図ですね。
平和的な解決はアメリカの中東政策の変化が必要ですがそれは今のアメリカには望めない。アメリカは戦火を拡大していくでしょう。
コメント
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「10月 8日という日」

2024年10月08日 07時54分41秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
昼食を食べる時間がなく、仕方なくコンビニのおにぎりを買って済ませたのですが、ローソンの高級おにぎり(少し高いのですが直巻き海苔のおにぎり)がおいしかったです。
生タラコと豚の角煮おにぎり。
昔に比べると、コンビニのおにぎりやサンドイッチも防腐剤などの薬品も使わなかったり使っても少なくなっていますね。

寒いぐらいです。桜の葉が黄色くなっていました。
やだなぁ。。。。。これから3月まで・・・・・・
冬は苦手です。
今の季節が一番いいのですが、ここのところ天気が悪くて気温も上がりません。明日あたりから持ち直しそうです。

【2004年】
またシトシトといやな雨です。
明日は関東に台風が来そうです。やっと秋の台風の進路ですね。太平洋沖をかすめてくれればいいのですが。。。。明日は近くですが車で出かける予定です。どうしても行かなくてはならない用事ですし・・・・・ハハハ。。。いやだなぁ。

【2005年】
(記事なし)

【2006年】
夕方、5時50分頃、東の空に大きなオレンジ色の月が出ました。
中秋の名月は昨日?(かわうそ@暦さんのホームページです。)。。。でも、今夜もきれいな月でした。今日は日曜日で車の数も少ないし、風の強い一日でしたから東京の空気も澄んでいましたから月もきれいに見えたのかもしれません。
今日、訪問させていただいた「かわうそ@暦さん」のサイトもそうですが、いろいろ検索しているとすごい個人サイトがあるものだと痛感させられます。読書のサイトもたくさんの本を読んでいる方もいますし、専門的に一人の作家を紹介している方もいる。やはり長い年月こつこつと作り上げたところが多いです。サイトを作り上げるのは、根気と努力、そして自身が楽しむことなのでしょうなァ。。。。「銀色夏生ページ」頑張ります!!(←新たな決意(笑))

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
近くで用事を済ませ車に乗った

秋の薄い日差しが差し込んでいた

まだ半袖でも外を歩けます

車の窓を開けたら

ラジオから交通情報が流れてきました

よく知っている渋滞の名所

交通センターの女性の声が知らせている

どことなく素人ぽい話し方と声

「以上交通センターからでした。。。。」

「〇〇さん♪ありがとうございました」

今度はアナウンサーの通る声

空の薄い雲が切れて日差しが強くなった

窓から秋の風がすっと通り抜けたとき

後ろ座席に誰かいるような気がした
        (Am10:44)

ムフフフ・・・・・・

夏生さんのホームページ

「ハローの丘」に行って

肥料を蒔いて来ました

うん。。。。新芽になっていましたぁ

二千じゆう君が見つめる

ウォーターフロントに!

生い茂る花の群。。。。

隠れるように新芽の僕

でも二千じゆう君に

見つめられる自己満足(笑)
       (Am11:03)

12時過ぎから宅配便がくる予定

なので急いでスーパーまで弁当を買いに行って来ました

外は爽やかな風。。。。

団地の空き地に彼岸花がたくさん咲いていました

スーパーの弁当。。。。

ボリュームもあってうまいんです

この時間に行くと作りたてでご飯も熱々

値段も500円弱

コンビニ弁当や大手弁当屋にも勝っています

やはりいつもの豚カツ屋さんの

500円弁当には負けますが。。。

値段的には駅前の300円弁当にも負けますが。。。。

デフレですなぁ。。。。。。
         (Am11:41)

宅配便到着

時間指定が細かくできるようになってきて便利ですなぁ

でも、働いている方は大変だと思います

東京の交通事情や諸々のものが

「銀色夏生です ツイッターはじめました」(幻冬舎文庫)が

入荷したとの本屋さんからの電話がありました

ネット時代とはいえ本や買いたいものは電話や予約

でも、先日の旅行のときは

トロッコ電車の予約はネットでしました

ハハハ・・・やはり便利でした

さまざまな予約なども今はネットが多くなっていますからねぇ。。。。

でも、まだネット決済というものは・・・・

いまだにカードというものもつくっていない僕でして

何でも一時代遅れての対応です
      (Pm1:46)

先日、タバコを買いにコンビニにいきました。そのコンビにはタバコの品揃えが良く国産ならばほとんどの銘柄をおいています。
いつもの煙草を受け取ってふと見るとそこに「ゴールデン・バット」が!
一箱20本で200円でした。。。。。。
昔からあるタバコですがパッケージのデザインが帰って今としては新鮮に感じます。ついでの1箱買ってみました。
うまい。。。。。
煙草本来の味がします。
しかし両切り煙草ですから口の中に煙草の葉っぱが入ってきます。ペッとするわけにもいかないのでティッシュでとりました。。。。
そしてニコチンやタールは今すっている煙草の3倍!。。。。そうはきついとは感じないのですが「マイルド」とかというものになれているのであまり吸い込まないようにすいました。
でも。。。。うまいなぁ・・・
煙草税が増税をされた中、200円というのは魅力です。今の煙草の二分の一です。それにうまさもある。
煙草が増税され、何かと「タバコが値上げされたのだからやめろ」といちゃ門をつけられるわけで(「いちゃもん」というのは「値上げ」というもので「増税」と「値上げ」を勘違いしているからいちゃもんなわけです)して。。。。。そしてたくさん煙草税をとられるのも癪に障るし。。。。
将来の年金生活にも備えるためにもゴールデン・バットに替えてじいちゃんのお仲間に。

【2011年】ツイッターつぶやき
アメリカでの1%の富裕層と99%の貧困という表現があり、自分も99%だとその主張を一人一人が認識をする中でのデモの拡大のようです。
アメリカの富裕層1%がどのくらいの富を集中しているかはいろいろな数字があるようですが、20から30%ぐらいでしょうか?その下にもやや劣るようなっ富裕層がいる。10%ぐらいの富裕層がどのくらいの富を独占しているのでしょうか?
この富裕層の富というのは、もちろん企業そのものを持っているというそのような資産も含めてでしょう。昔から日本では資本家階級というものはなくなり社長もサラリーマンだという論理がありましたが、それはアメリカでも同じでしょうが、しかし富の集中を見ればその社会にある一部の特権階級が存在をしている事実はあると思います。
日本がバブル崩壊後徐々に中流層が少なくなっているといわれていましたが、アメリカでも同じ状況が出ているのかもしれません。格差は広がっていると見なければなりません。それがアメリカに出ていた強欲資本主義でしょう。
しかしアメリカに集まる富のパーセンテージは、全世界の富の何%を占めるかにもあります。多くの国々の貧困の上にアメリカの富があり、その富の多くを1%あるいは10%の人々が持つ。もちろんその下に日本を含めた先進国がありそして中国などが台頭してきている。こうしてみると富の集中は世界的規模の矛盾となるでしょう。
この富の集中と格差の拡大は、倫理的なものではありません。倫理的な矛盾ではなくて経済的な矛盾を引き起こします。
生産力は高まりより多くの商品が社会に出てくる。しかしその商品は売れなくなる。もちろんある特定の商品は爆発的に売れることがありますが商品総体としては売れなくなってくる。それは富の集中による犠牲になった一般国民の購買力に商品の売れるかどうかは左右されます。自国で売れないから外国に輸出する。しかしそこには自国の産業の空洞化と失業が増大する。それは輸出量が多い国発展した国と見えますが、実は先進国では自国の衰退となる。先進国がすべてこの矛盾に侵され始めているのではないでしょうか。
商品生産の生産力の増大はより多くの商品量を市場に出します。しかし売れなければ商業虚構が起きます。同時に売れなければ競争が激化をして商品の値段は下がり続けますしその商品の価値低下も労働力の必要性が低くなる生産力の発展に内在します。
こうした社会に加えて富の格差がまたさらに矛盾を深めるといった方がいいでしょう。
行き着く先は下手をすれば商業恐慌そして産業の恐慌で、それは今出はじめている金融の不安定さからの恐慌の仕上げとしての金融恐慌に。
世界は今、大変な時期に来ているのではないかと思います。
そこに日本のお家芸ともいえるこういう時期だから国民は我慢をしろという最悪の論理が出てくると危機はさらに早まるでしょう。

【2012年】ツイッターつぶやき
高齢化社会といっても平均寿命が長くなったからと言われているが、戦争による矛盾の空の産めよ増やせよから戦後のベビーブームの世代が人口構成の中で異常な膨らみを見せてこれ自体が平均寿命を高くしているのかもしれないし高齢化の本格化にもつながっている。
一方では第二次ベビーブームを最後に少子化の流れが止まらない。少子化の理由は女性の根気が遅くなったとかライフスタイルが変化したからとかいろいろな理由があるが、生活費や教育費がかかるからとか働く女性が増えているが子育てを企業が支援しないとか、子育てよりも自分の生活を重視とか、将来への不安とか、少子化も経済に影響している。
この中で団塊の世代が年金生活に入るようになり労働力人口の減少が問題化される。
しかし、団塊の世代が60歳から年金生活に入ることを年金問題から問題視をされて年金支給年齢が段階的に引き上げられ、厚生年金部分も来年度から段階的に1歳づつ引き上げられる。この世代が65歳になるとまたもや年金問題が生じるとさらなる支給年齢の引き上げをしようという意見も出始めている。これは年金問題という事もあるが、年金問題を利用した労働力人口の維持という面が強いのではないか。
団塊の世代が年金生活の入れば急激な労働力人口の減少が生じる。国や財界はこれを一番の問題としているのではないか。
労働力人口の減少は何をもたらすだろうか。
労働力も市場に出てそのあかっくは需給関係によっては引きあがる。失業率は低下をしていき賃金は上がる傾向を示す。派遣社員の正社員化も進むだろう。パートやバイトなどの時給も上がっていく。企業の人件費の「コスト」(本来はコスト計算されるものではないのだが)が跳ね上がり、今の低賃金化を維持できなくなる。
これを防ぐために上にも書いたこうれ視野の労働力を活用するために年金支給開始年齢を引き上げる。それでも足りないと見れば、バブル期の労働力不足時の時と同じように女性は社会に進出すべきとその雇用を強める。これは生活苦から強まっていくでしょうし、ジェンダーからも。外国人労働者を増やす。
このようにして失業率は高い水準で維持をされて上に書いたような低賃金労働力を活用して賃金のの高騰を抑える。
このようなものがさらに年金問題を深刻化させる働きをする。
何も高齢者や女性が社会の中で働く生きがいを否定するわけではない。働く生きがいを大切にする社会はそのシステムづくりが問われるわけです。年金と仕事での賃金の兼ね合いや女性が働く環境作り。今の社会はこれを行わないで高齢者や女性の労働力を企業活動に「利用」使用とするものばかりなのです。
このような社会のシステム化の構築はどうしても資本主義的な論理だけでは解決をしない。その解決を資本主義の発展段階としての社会民主主義の発想が一つのヒントとなり、企業の社会的な責任などを置きらかにしていくわけです。

【2013年】ツイッターつぶやき
牛蒡・人参・きくらげ(キクラゲは揚げるときにだいぶ油が跳ねます。シイタケなどが良いかも)を細かく刻み牛蒡はさっとゆでておきます。
木綿豆腐をよく水切りしておきます。
ボールに上の野菜と長葱のみじん切り、鳥ひき肉、豆腐、おろした長芋、おからパウダー、塩コショウ少々を入れてハンバーグのようによくこねます。おからパウダーがハンバーグの時のパン粉のように生地を整えてくれます。
あとは小麦粉をまぶして小麦色になるまで上げます。
めんつゆをベースにして好みの味のタレをつくり、片栗粉でとろみをつけて最後におろしショウガを入れます。これをガンモにかけたら出来上がり。
つまみ食いをしましたがかなりうまいです。

追記:キクラゲの代わりにひじきがいいですね。

まずはツイッターから。
プーチン大統領:「日本との平和条約締結は完全に可能」http://mainichi.jp/select/news/20131009k0000m030035000c.html …首相、中韓首脳と積極的に接触 APEC首脳会議http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS08031_Y3A001C1PP8000/?dg=1 … アメリカ不在の中ロシア・中国・韓国側からの接触でしょう。日本は領土問題を進展せざるを得ない?
もしロシア・中国・韓国の三国との一括領土問題解決は日本にとっては複雑なものになるでしょう。そして内政は揺さぶられるでしょう。アメリカは安保に抵触しなければ中立的ですし。
方領土は2島返還。尖閣は漁業や地下資源などは共同開発。竹島は友好の島へ?

安倍総理自身もロシアも含めて中国と韓国との対話の再開を表明していた。もちろんその強弱はあるもののロシアもそして対日批判は強いながらも中国も韓国も対話の糸口を探っていた。それがAPECの中で少し進展した。日本は欠席をしたオバマ大統領との情報交換はあったでしょうがTPP交渉も含めて日本独自の外交を示さねばならないことになったのではないか?アメリカも日本の右傾化には関心を持っていたし、領土問題は安保に抵触しない限り中立的にもなっている。
アメリカは自国内矛盾とシリア(中東情勢)に縛られているし、対ロシア・中国・韓国との外交もそれぞれにあるわけですしそうも日本びいきもしていられない。もちろん日本は集団的自衛権をアメリカに表明したりアメリカも安保は重視する。そしてその安保は経済も無関係ではないのですが、どうも経済となるとアメリカの軸足は中国に向かわざるを得ない。その中で外交も中立的になるでしょう。
どうもTPPの交渉は進展しないようです。年内では解決しないかもしれない。日本は保護すべき5項目を棄てるといっても。このTPPもアメリカ不在なわけです。
もしTPPやSPECに日本が独自性を出さざるを得ないとなれば、これまでの超保守的な安倍カラーをひっこめざるを得ないかもしれません。同時にアベノミクスは自国民の犠牲のもとで突っ走ることとなる。内政は混乱するかもしれませんね。政府関係者の発言もめまぐるしく変化して小泉元総理の脱原発発言(これには再稼働の危険性もあると思うのですが)も無視できなくなる。
安倍総理は日本の戦後レジウムからの脱却においてカラーを変えざるを得ないこともあるかもしれません。
アベノミクスは国内経済の矛盾を深める。安倍総理の超保守性は外交を混乱させる。
これを回避するしか安倍総理は動くことができなくなるかもしれません。これは安倍総理の想う政治と自己乖離していく。
もちろんこの先はどうなるかまだわかりませんが。。。。。

【2014年】ツイッターつぶやき
今の経済の混迷は消費増税が原因の一つだろうが、消費増税だけが原因ではない。
アベノミクスに沿って日銀の量的緩和が始まった当初は政府も日銀も通貨安競争を否定して円安が目的ではないといっていたのではないか?
しかし現実には円の価値が減少して円安傾向になり、この円安は輸出産業を中心として株高を招いた。
株高は投資家に利益を与えてその投資家の一部は消費に傾いた。また高額商品が売れ始めた。この面を強調して消費が戻ってきたとの判断もあっただろう。すると株高が注目されるし、輸出産業を中心に公共感も出た。実際名目上の利益が大企業にも集中して内部留保はすごいの簿を見せた。
同時に円安は物価を上昇させてそれをデフレからの脱却を見なすようになる。同時に日銀のインフレ政策(のちには物価の安定)にも沿うようになった。
しかし政府が掛け声をあげても賃上げはわずかで一部の大企業の正社員への賃上げに終わる。その中で名目賃金は上がったが実質賃金は下がり続ける。その中で消費者の消費が鈍化して、これを加速させたのが消費増税だった。高級品は売れるが一般的な大衆消費財の消費は伸びてはいない。
こう見ると消費増税は一般庶民の消費を減らすことを加速はさせたが根本的な消費減の原因ではないだろう。
根本的な原因は円安誘導でしかなかった金融緩和にあったでしょう。
今では政府も日銀も景気回復(株価維持)を円安に頼らざるを得ない状況になっている。
しかし急激な円安への懸念も出始めて、それは貿易収支の悪化の加速だけではなくて経済全般に影響を及ぼし始めている。もちろんその中で一番悪い影響を受けているのが一般国民である。
リフレ政策が間違いではなくて消費増税が悪いというだけでは説明はつかないのではないか?

【2015年】ツイッターつぶやき
アベノミクスという言葉が消えて旧三本の矢という言葉に変えた新たな三本の矢が言われはじめている。
新三本の矢はアベノミクスなのか、アベノミクスを画した経済政策なのか?そもそも新三本の矢は経済政策ともいえないスローガン的なものであるのかもしれない。もちろんそれは次の参議院選挙向けですが。
新三本の矢は積極的な財政支出とも言われていますが、この財政方針からしてアベノミクスではないでしょう。
一方日銀は新たな緩和は見送ったようですが、すでにこれ以上の緩和はその逆効果も大きくなり成果はないのではないかという見方も出ている。そしてこれも含めて限界説も出ている。
すでにアベノミクスと日銀緩和という車の両輪は失敗であったとみるべきでしょう。
安倍内閣はこの失敗を陰に隠してアベノミクスという言葉自体も使わないのでしょう。ここにアベノミクスと日銀緩和の総括もない中で新内閣は発足をして見た目だけの新たな船出を装いはじめている。
日銀は持ち慧遠いまだに必要な場合は躊躇なく再緩和を行うと言っているが、この躊躇なくというのがいつになるのか?
それは補正予算を政府が決めてそれを赤字国債で賄うというときでしょうか?
新たな赤字国債そのものを買い取らないまでも他の方法で緩和策を行えばそれは限りなく財政ファイナンスに近づくわけです。
財政ファイナンスであると見られるならば、それは日本政府と日銀のそして経済そのものの信用が薄れるでしょう。

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
2010年6月にこのブログに書いたものですが、まず引用します。
消費税率を10%にするという。その消費税は福祉に回し、アップの前提としては生活必需品などの税率は低くすることや低所得者には税の還付をするといったことを言っている。
しかし、この間総理の発言によって景気の回復や国民生活の安定と発展につながるのだろうか?
まずは福祉目的税的な消費税のアップだが、この福祉目的の中身がわからない。子供手当てのようなばら撒きに終わるのか、抜本的な福祉制度が出来上がるのか?以前年金制度改革により100年は安定した制度が出来上がるといったようなものがあったが、菅発言はこれと同じような空手形で終わるのではないか?
高負担高福祉は、医療や学校などの子育て支援を無料化という形で制度化しなければならないし、労働組合による首切りのチェックと失業中の生活保障と訓練機関が必要です。そして労働時間の短縮によるワークシェアリングも。これらの他にも社会制度の整備が必要なわけで、幅広い視点で国民生活の費用の削減が必要です。将来を心配しなくていいから貯金も生命保険も必要ないないというような。
このような将来設計のない福祉目的税は庶民による相互扶助的なものでしかないでしょう。
また消費税率をアップする前にまず、雇用されている人々の賃金にも消費税をかける必要があります。手取り20万円なら10%の消費税をかけて雇用されている人の手取りを22万円にし、年収にして300万円(手取り)程度までは益税にしなければならないでしょう。そして年収1000面円までは5%負担ぐらいに抑えないといけません。税の還付より簡単にできます。このように書くと企業はそのような負担をするだけの体力がないというかもしれません。しかし今の常態で消費税を10%にするだけの国民生活に体力があるでしょうか?同じなら同じ負担をというのが消費税の目的でもあります。これは、年金や福祉関連手当てにも10%の国家予算による消費税を支払うことにもつながります。
このようにでもしなければデフレの脱却はできないでしょう。

以上、引用しましたが、消費税を上げないと財政も国民への社会保障もできなくなるといった論理が当たり前のように言われていますが、消費増税は国民にとっては物価が騰がったと同じ作用をきたします。もちろん消費増税により便乗値上げなどという悪性の物価高も生じます。これでは個人消費は伸びずに景気の好循環は生まれません。前回の2%増税時もこの矛盾が大きく表れました。
消費増税がすべて社会保障費の増加となるかと言えば、そうではなくて、当時の民主党政権でもその後の安倍政権でも社会保障以外の使い方が出てきました。現在も社会保障意外の使い方が大きく取り上げられています。
結局消費社会の中での貨幣の回転が鈍くなるという事です。
今企業の内部留保の増大をどう見るかの議論が出ています。消費増税ではなくて企業の内部留保に税金をという論理も出ています。しかしこの内部留保の課税についても自民党の社会保障に使うというものと区別がつかない場です。
賃金や社会保障給付金に消費税を乗せて益税にすることにより消費税も国民生活に直結した税となりますし、それが個人消費を呼び起こして貨幣の回転速度を高めるでしょう。

【2018年】ツイッターつぶやき
毎年同じ資本量を用いて同じ生産量を維持するだけならば単純再生産となる。しかし企業がその利益を翌年の資本に加えたならば、それは拡大再生産となる。社会の中の多くの企業がこれを行えるならば生産量は増加をして経済は成長する。また労働者数や原材料やエネルギーなどの消費も伸びるわけだからここからも経済成長は加速するでしょう。同時に消費から見ればより多くの商品が国民生活の中に入るのですから生活の豊かさを呼ぶ。それは個人消費の拡大となる。これもまた経済成長を加速させる。貨幣は回転を早める。この貨幣の回転量増加は経済成長の潤滑剤です。
もちろん現実の経済はこうは単純に進まないことはたしかです。しかしこの単純さを基本に置かなければ経済は混乱をするでしょう。どこかで歯車が狂ってくることも資本主義の運命ですが。
企業は拡大再生産を目指します。結果として経済成長が伴うはずですが、より多くの資本投資が技術革新にまわされます。技術革新は同じ労働力量を持ってより多くの商品を作り出します。これが拡大再生産の一面ともなります。というよりもここが拡大再生産の中心となります。
同じ労働力量で同じ数量の商品を生産できる技術革新が起きれば、その商品に価値低下が起きます。一つの商品に含まれる労働力量が減少しますから価値は低下する。わかりやすく言えばその商品を商品市場において安く売ることができます。競争相手に技術革新が起きていないなら、商品の価格において競争力が出ますから市場を独占化できる。同時に何も商品価格を下げなくても他の商品と同じ価格で販売できるのですから利益が大きくなります。実際には他の企業より少し安くして販売競争に勝つことになるでしょう。
ここに企業間の技術革新競争すなわち生産性向上の競争が起きます。
ここから経済の成長も見ることができるのですが、同時に矛盾も引き起こします。
ある商品の産業全体に技術革新が起きると、この技術革新により商品価値が低下をしていきます。すると単純再生産では企業の利益は下がり続けます。どうしても拡大再生産として商品量を増加させなければならない。この商品の産業全体で爆発的に商品量が増加するのですから商品の過剰生産傾向が起きる。
過剰生産は商品の安売り競争を引き起こすでしょう。この競争に負ければ倒産せざるを得ない。すると労働者の失業につながる。これは一番先に書いた経済成長の中身とは逆の流れとなる。経済は縮小する。
この経済の縮小が全社会的になるとデフレ不況そして恐慌に向かう。
今、このデフレ不況からどうしても抜けられない状態になっている。
その中でノーベル経済学賞が発表されたようですが、今の経済の現状を打破するような理論なのでしょうか?
更に技術革新を進めることは経済のカンフル剤以上のものではないのではないか?
「経済成長に欠かせないのは労働力と資本だとする従来の理論に対し、研究開発などによる技術革新」(引用)今の日本もそうですが、経済矛盾の原因は、労働力と資本との関係にあるのです。

【2019年】ツイッターつぶやき
今日は気温が29度ぐらいになるという天気予報でしたが、夕方4時ごろに少し暖かくなった程度でした。
夜になればまた寒さも感じるかなと家族で話をしていて、夕飯の話になってしゃぶしゃぶに決定。さすがにまだ時期が早くて暑かったですが久しぶりのしゃぶしゃぶはうまかったです。
我が家のしゃぶしゃぶはレタスたっぷりのレタスしゃぶしゃぶです。ほかの野菜は入れません。あとは豚肉、ブリの刺身、しゃぶしゃぶ餅です。
レタスと餅はポン酢と七味唐辛子で。
豚肉はゴマダレとラー油。
どちらにも長ネギのみじん切り。
レタスは大きくちぎってさっとしゃぶしゃぶ。少しシャキシャキ感が残る程度です。少し甘さも出て最高の食材です。
しゃぶしゃぶのしめはいつも残りのスープできしめんですが、昼のうどんを食ったので、今夜はお茶漬け。鮭を焼いてご飯にのせて塩コショウと鶏がらスープの素。そこに残りのスープをかけてサクサクと。
これもおいしかったです。

【2020年】ツイッターつぶやき
台風が近づくと生ぬるい風が入ってくるはずですが東京は急に咲く寒くなり11月中旬の気温だそうです。
慌てて厚手のトレーナーを出しました。
そういえばまだ冬の布団を干してない。。。。。。
朝晩と昼の気温差が大きいので公園の桜が急に色づきはじめました。
先日フリージアの球根を見たらもう眼が出ていたので植えたのですがもう目が出てきました。
夏の花も終わりですなぁ。
ほうき草も少し色づいて枯れた茎にたくさんの種ができていました。袋にためています。
今年はコロナの感染拡大がありますから風邪もひけないかなと思っています。
早朝ベランダに出たらくしゃみが止まりませんでした。気温差が大きい。。。。。

【2021年】ツイッターつぶやき
小泉大臣から環境省が後退したようですが、それにとも今レジ袋有料化を無料化に戻せという意見が出ているようです。なぜレジ袋の有料化が支持されないのでしょうか?
もちろん3円ぐらいの代金ですが有料化というもの自体に拒否反応が出ます。しかしそれ以上に3円ぐらいの金でも金で強制されるような気持になり、買い物をするたびに「レジ袋はご利用ですか」と訊かれ嫌な気持ちになる。
金で人を動かすことそしてそれが環境問題の押し付けのように感じることに反発は大きなものになりますね。
昔駅前の駐輪場が狭くて拡張する要望が出た時、お役所は駐輪場を値上げすれば利用する人は少なくなると見た。
国民はバカにされたようにも感じるでしょう。
有料化すれば利用は少なくなるそれが環境問題の解決だというのは国民を馬鹿にする行為です。馬鹿にされればレジ袋有料化自体への怒りに近い反発になる。
レジ袋原料の初めはレジ袋を要らないと言えば3円ほどの値引きになった。
国が補助金でも出して値下げのような形がいいでしょう。

【2022年】ツイッターつぶやき
イギリスはロシアからのEUへの天然ガス供給が減少することにより今年の冬は電力の値上げと計画停電を行うかもしれないそうです。経済全体も低迷していくようです。
日本も同じような状態で、エネルギや食品の値上げが激しくなり今月から値上げラッシュです。
コロナとロシア・ウクライナ戦争の影響も大きいのでしょうが、これは一つの引き金になっただけ、コロナ以前からの今の資本主義の危機が原因でしょう。
今年の冬は厳しい寒波が来そうだそうですが、経済的にも懐も大寒波です。
この寒波に春が来るのか。。。。。。

【2023年】ツイッターつぶやき
日本の実質賃金が下がり続けています。
企業が低賃金化により利益を確保する。しかし政府の予防や経済状態から賃上げをせざるを得ない。しかしその賃上げ分が社会保障費負担増で消えていくし悪性の物価高でも消えていく。実質賃金はがるわけがない。
日銀も円安に苦しむ中で出口に向かわざるを得ない。どうにか2%目標にたどり着いたということはできるようになるでしょうが、金利上昇などなれば経済はすぐに不安定になりデフレへと。
更に海外へのセイキンのバラマキは止まらない。ウクライナへの資金供与は二国間安保により増えていくでしょう。
このままアメリカの金融破綻でも待つのでしょうか。
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「10月 7日という日」

2024年10月07日 08時02分02秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
ホームページを作るって、こんなに大変なのかと思っています。
銀色夏生ページ内の「つれづれノート」1巻をやっとまとめ終えましたが、まだ詩集の感想や本の紹介も終わっていませんし、その本の中の詩もまだまとめられません。
でも、ホームページを掲示板中心にはしたくないし、夏生さんの作品の羅列だけにもしたくない。大変だけど続けていきます。
でも、大変ですがその中に楽しさもあります。もともとこういう作業ってすきなのかもしれません。
僕はいつも思うのですが、いろいろな文章を書いたりするのは自分のためだと。夏生さんの作品をまとめていくという時間のかかる作業の中に、僕自身が少しでも夏生さんの世界に近づいていけるというものがあると思うのです。これが楽しさのひとつでもあります。
まとめ方も下手ですし、誤字脱字もあるかと思いますが、とりあえずは続けていきます。
なんか、今日もはっきりしない天気です。
このまま今週はだめなようです。
これから買い物にでも行き、コーヒーでも飲んできますね。。。。。

【2004年】
昨夜の地震は大きかったです。
去年から今年に茨城県を震源地とした地震が多くありましたが、僕が思うに震源地が南下しているような気がするのです。たしか、初めの頃は東北から北茨城あたりが震源地だったと思います。それが昨夜は東京に近かったですね。。。。。
このまま震源地が南下すると東京湾直下型も?あるいは今爆発している浅間山に関連があるとすれば、埼玉県北西部か?
ううう。。。ん、夕螺の予言(笑)年末から新年あたり。。。。
でも笑い事ではなく心配です。
あるところで、「客に対してその口の聞き方はなんだっ!!」と怒鳴っていた人がいた。
なんかどんよりしてしまいます。

【2005年】
きのうから少し薄日が出てきたので洗濯物の乾きも一息つきました。
今日も朝から陽が出ていたので張り切って洗濯をしました。
でも予報では夕方からはまた雨のようです。秋の長雨。。。。
きのうから森絵都さんの「いつかパラソルの下で」を読み始めようかと思ったのですが、読む暇もなかったので今日から読みます。川上さんの「東京日記」を買うときに偶然目に入った本なのです。帯に書いてあったのですが、子供たちが死んだ父親というものがどのような人だったのかを探す目的で足跡を見るような本らしいです。
この本に登場する子供たちと同じ年頃の子がある父親の立場でもある僕としては、子供たちの目にどんな父親に写っているのかがすごく気になります。僕もそうでしたが、子にとって父親という立場にある一人の男は、やはり「父親」なのであり、そこを中心にして普段の生活を目に見える範囲の父親を見るのです。あくまでも「父親」なのです。
この小説では、この父親が事故で死んでしまい、そこで初めてどんな「人」だったのかが思い起こされます。
子にとって父親というのは、自分が生まれる前はもちろん幼い頃の記憶も断片的ですし、ある程度の年齢になったときに目の前にいる父親がそのすべてです。そろそろ禿げ上がったり白髪混じりになった父親がそこにいる。さえない男が。。。。
子にとってそれまでの父親というのは霧の中ですからね。
この霧の中をのぞいてみようというのがこの小説のおもしろいところなのか?父親という立場で読んでも、子供たちがどのように自分を受け取ってくれるのかというのは興味があります。もちろんこの小説の中の父親と僕とではちがうのですが、「こんな親父だったのか。。。」という子供たちの心が楽しみです。
これは、母親という立場にある女性も同じでしょうね。

【2006年】
台風の影響による風雨も早朝にはやみました。それにしても夜中はすごかったです。雨の音で目が覚めました。
朝のうちはすこし曇りましたが、日中は晴天!
今夜は外食。。。いつもの中華料理屋さんで。
妻が風邪気味だというので、風邪に良い酒を訊いてみました。梅酒のように焼酎でいろいろな薬草を入れたもの。。。何が入っているのかわかりませんが、独特な味でした。花のようなものも入っていましたが、何の花だろ?
僕は、今夜は紹興酒でしたが、疲れているといえば、体か精神的なものかと。朝鮮人参酒も効きます。
3人で飲んで食べて4500円。。。。

【2007年】
沖縄に行っていた台風が変な角度で九州方面へ?
東京のよい天気も今週いっぱいのようです。
テレビで裁判委員制度のことをやっていたけど、断るには限られた理由だけのようです。その意味では義務なんでしょうが、国が義務を言うからには補償もともなわなければならい。社会的補償。例えばサラリーマンなら特別休暇や休職も必要。もちろん有給で査定に響かないこと。こういうものはどうなっているんだろ?
もしかしたら、裁判委員というものになれる人はある限られた人々になりかねない。
外食でした。
久しぶりに中国の方がやっている中華屋さんへ。キムチ味の豚肉と厚揚げの煮込みのようなものを食べたけど、初めての味でした。でもおいしかった。
ビ-ル1本で気持ちよくなってしまいました。紹興酒も飲みたかったのですが。。。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
昨日日銀のゼロ金利政策ぬ触れ、菅総理の「雇用」とどう結びつくのかと書いたが、円高には歯止めらしい歯止めがかからず、やはり株価が上昇をしその中でも不動産関連株が変われたらしい。また当然不動産関連業界が沸き立っているようである。
やはりこの結果も読み違いだろう。。。。。。それとも株不動産関連でのバブルを期待をしたインフレ政策だったのか?そうならば読みどおりなのだが。。。。

ネットと出会いこうして書きたいことを書いたりお話をしたりとさせていただいていますが、はじめは11,2年ほど前のことだったと思います。一番初めは今はもうなくなってしまったサイトですが、たしか「eネット」というサイトのコミュニティーでした。そのサイとで2年ほど過ごしなくなってしまうということで数人のeネット仲間とOCNの「OCNカフェ」というやはりコミュニティーで2年ほど過ごしました。
その後僕のほうの都合でやめてしまい、仲間の皆さんにはご迷惑をかけてしまいました。
僕のような者は一人でのんびりと書きたいことを書いていたほうがよいのかと思い、また何か心に浮かんだものを下手な文章でも残しておきたいという気持ちもあり2003年にPlalaでホームページをつくりました。
4年ほど過ぎるとブログというものが多くなりPlalaでもブログがはじまりました。はじめはホームページ一つでこつこつと思っていたのですが、やはり手軽に更新できる魅力がブログにはあり、コミュニケーションという点ではホームページとは格段の差がありました。そのうちにブログもつくり始めたのですが、やはり手軽に更新できるということでブログが中心になり、ホームページの更新は読書感想文ぐらいとなりました。それもブログのコピーで。
ブログも去年一時やめてしまったのですがまた今年3月に再開し、また新たにツイッターというものにあることから出会い作りました。
ホームページ、ブログ、ツイッター。。。。。
それぞれに特徴があるわけで、それぞれの中にどのように住み分けていくのかというのを最近強く感じます。でも、それぞれに違うものを書いていくという時間はありませんし、結局はそれぞれに何を中心に残すのかということになります。
ホームページにはその良さがあります。更新は面倒ですが個性あるページが残せます。それはブログやツイッターにはないものです。今までホームページに書いてきたものを眺めてみるとやはり読書。。。。そしてその中でも銀色夏生、川上弘美というお二人の作家のページかと思います。
ホームページは、日記などなどは旧記事と残して更新するのは読書関係にしようかと思います。
ブログはいろいろなカテゴリーを作りながらも「一言日記」という形で、ツイッターは短い文章での表現ですから俳句や川柳的な17文字日記にしていきたいと思います。
それぞれにお話しをしてくださる方もいらっしゃいますので大切にしながらお付き合いをさせていただければと。。。。。
とりあえずホームページの整理をしたいと思います。

【2011年】ツイッターつぶやき
アメリカのウォール街の1万5年人デモやギリシャのデモは案外大きく報道されているが、日本の6万人デモはそうは大きく報道されなかったのではないか?
デモの中身は確かに経済危機と貧困のような中身に対する抗議デモで、片や脱原発の違いがる。この違いがあるものの国内のデモをなぜ大きく取り上げないのか?ここで脱原発へのマスコミの冷淡さと決めつけるようなことは置いておいて、あんがいマスコミというのは同じデモでも騒乱に近いような騒ぎのあるものは取り上げるのだろうか?アメリカでも昼間のデモは労働組合による秩序あるデモだったが夜になると若者たちの過激さがある。
たしかに警官隊と市民の衝突の映像は報道として取り上げやすいでしょう。
上に書いたことはもちろん僕の想像ですが、あのような映像に日本の国民は影響されて挑発に乗ってはいけないということです。日本の静かなデモ、しかしそれでも逮捕者は出ましたが、これを政治がどのように受け止めるかですね。マスコミも。
昔の日本のデモもジグザグデモという形こそありましたが、あんがい組織的なものがありました。そこには革新政党や労組の組織性があったと思います。これが静かなデモです。一方デモとして大きく取り上げられやすかったのが学生運動の竹竿やゲバ棒と透析投石、(追記:火炎瓶)に対する機動隊の放水と催涙ガスでした。
今日本が目指すのはこの静かなデモです。静かであってもその力が政治に反映できるデモです。しかし今はそれを組織化できる政党が小さすぎます。ここに力が出ません。しかし静かなデモこそ見えないところでマスコミが騒がないところで力を発揮するはずです。デモでなくても小さな生活の中からの声は力になるでしょう。そして論理だてることでの広がりを大切にしないとだめですね。

【2012年】ツイッターつぶやき
交絡因子。。。。聞きなれない言葉です。
煙草と心筋梗塞の関係で煙草が原因だという結論を導こうとした場合、心筋梗塞を引き起こす原因には高血圧やいろいろな要因もあるわけですがこの他の因子もあるということでの因子が交絡因子という事になるという事でしょうか。
今のように肺がん=喫煙という常識が出来上がると交絡因子というものが忘れ去られます。現実の肺がんの原因はアスベストというものが危険性として上げられてはいますが、他の交絡因子というものははっきりと示されない状況があると思います。逆に見ると肺癌にはある原因があり、煙草が交絡因子となっている場合も。
煙草と心筋梗塞の関係を煙草を吸っているかいないかで疫学的な統計を出しますが、例えば心筋梗塞を起こした人の中で高血圧という因子を持つ喫煙者と非喫煙者を見た場合同じ疫学的統計の数値となるのかという事も考えるべきかと思います。
現在の異常な放射線量の中で癌などが心配になりますが、多くの定説では癌にはならない程度だと言われます。しかし人の健康の中に放射線量というものが入り込んだことは間違いないわけですから、高い放射線量は癌の交絡因子として新たに加わったという認識はできるのではないでしょうか。
交絡因子というのは、何も病気というものに限ったものではなくて広く社会の現象やその中での人の意識にも応用できるものではないかと思います。経済が上向かない原因を常識的な経済理論で見ていると他の交絡因子を見逃してしまうことがある。経済は人間の行いですからそこに権威主義や損得勘定も出て得をする人々の理論が働きますが、ここに交絡因子というものを取り上げた少数意見に耳を傾ける必要もあるでしょう。

【2013年】ツイッターつぶやき
国債の流通という考え方が経済学にあるのかどうかは知りませんが、日銀の異次元緩和というのも一つの国債の流通でしょう。銀行などが抱える国債を日銀が買い取り現金化する。その現金で経済の再生を行う。ですから国債の流通というのは可能なわけです。ただ今の異次元緩和がおかしな方向に行っているだけです。
今のデフレ不況からの脱却は、先日も書いたような「賃金消費税」の導入と、それとセットされた形での「国債の流通」ではないかと思います。
労働者の賃金部分(労働力を消費した支払い)にも消費税を8%導入する。企業は銀行にある貯金などで銀行から(あるいは今は日銀から)国債を買ってその国債で労働者には賃金消費税を預ける。同時に8%の消費税は労働者の益税とする。この益税分は源泉徴収として収める労働者の所得税に当てる。国はおさめられたこの労働者所得税分の国債は国債費に回して国債費を減らして社会保障(今引き下げられようとしている年金や生活保護そして必要な少子化対策など)に回す。労働者は減税と同じ効果により消費を伸ばすことにつながる。そのことにより内需は拡大をしてGDPも高まりそのことにより国は税収も増えて企業の設備投資の機会となる。
一時的には企業は苦しくなるというでしょうがしかし国内の消費と供給の拡大条件となり一定の物価上昇や利益の増加に結び付くでしょうしそれが経済を活性化させる。
これは素人考えだと言われるかもしれませんがまったくの「国債の流通」として無理な考えではないと思います。今のまま国債の流通として生まれた現金化が株や金融市場に回ったり外国に流れていくより日本自体の利益につながるのではないでしょうか。そして安倍総理の要請だけに終わっている賃上げよりも具体性があると思います。
なによりも賃金消費税を導入すれば、国や企業も安易な消費増税には動かなくなるでしょう。

【2014年】ツイッターつぶやき
眠くなったのでツイッターからの転載です。

中村教授が日本の誇りだが、いろいろと研究者をないがしろにしたのも日本。そして一つの頭脳がアメリカの大学に行ってしまった。。。そしてノーベル賞。日本の誇りとは?
今の日本での大学の研究者はないがしろにされていないか?
こういったものも労働力の使い捨てと同じ性格のものでしょう。
子供たちも同じかもしれない。秘めた能力がある子供はたくさんいるだろう。しかしそれが子供の貧困化などで生かされていないということもあり得る。
社会というものは数パーセントの人間で動いているように見えてしまうが、実は社会では厚い層がなければそのスーパーセントの人間も劣化をしていくだろう。スポーツを見てもそれはわかる。サッカーも少年時代からの層の厚さがあって強くなってきている。
野球もサッカーも優れた選手が海外へ行く。ノーベル賞をとれる頭脳も海外へ行く。。。。。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
10%への消費増税はできるのか?
もちろん国会で再延期の法案が通らなければできる。
しかしこの消費増税は経済の好転が国民生活にも及ぶようになることが前提でしょう。企業利益や株価高騰があるから行えるというものではない。
企業利益や株価が国民生活の安定や工場向上にはつながらなかったというのがこの間のアベノミクスの答えである。
経済の好転がないから管制の賃上げや手当面での改善などを行わざるを得ない。しこしこの国の動きも同じ国が社会法相の削減を行うのですからようはどこに手厚くといったもので総体的には国民生活には良い影響はならない。
こう見ると消費増税はできないという事になる。もちろんこれから2年近くの時間があるのですが、経済の好転は霧の中です。

【2018年】ツイッターつぶやき
10月5日開催の未来投資会議(官邸)に出された経済産業大臣の資料がある。
その中に「70歳以降まで働くことを希望している高齢者は8割にのぼる」(引用)と分析され、「働けるうちはいつまでも」という高齢者が多い。
高齢者は10歳は若返っているともされる。
しかしここではなぜ働きたいかの理由は説明されていない。
AERAの記事に79歳でパートを掛け持ち”過労老人”に転落する人々に高齢者がなぜ働きたいかの理由を
「内閣府「高齢者の経済生活に関する意識調査」によると、60歳以上の人が働く理由(複数回答)は、「生活費をまかなうため」が最多で、2011年度に59%。01年度調査の52%から上がっている。」(引用)
政府は「働きたい」と解釈をし、実態は「働かざるを得ない」状態。
この分析の乖離により高齢者の生活が脅かされる。

【2019年】ツイッターつぶやき
地球温暖化対策としてCO2削減に向けた世界の流れが大きく進んでいる。
その中で先進国ではアメリカと日本が同調するように石炭火力発電の増加という道を選び始めている。アメリカは真っ向からCO2削減の方向性を否定しているが、日本はパリ協定を批准している。しかし現実はアメリカと同じ道を歩く。
このちぐはぐさが国際社会の信用を崩すのではないか。
石炭火力発電は原発の再稼働が経済面でも安全面でも困難になっている中で重要視されているようですが、脱原発は脱石炭火力発電でもある。ヨーロッパでのロシアからのガスパイプラインは石炭火力発電を否定するものでしょう。
日本もガス火力発電にも軸足を移していますが、自国での石炭依存あるいは途上国への輸出の拡大は続くのかもしれません。
しかし一方では再生可能エネルギーの発展もあり、太陽光発電などで電力が余る現象も出ている。ロイターによるとこの再生可能エネルギーの進歩と発電量の増加が発電コストの上でも石炭火力発電より効率的になり、将来的には石炭火力発電所があることにより、最大710億ドルの「座礁資産」となるといった予想も出ている。
50基もの原発のスクラップ化は相当な費用をかけて行われる。原発の経済性は福島原発の事故も含めてその経済的損失面が大きくなるでしょうが、同じく安い電力という理由からの石炭火力発電も大きな負債となるのかもしれません。公共事業のツケのようなものでしょう。

【2020年】ツイッターつぶやき
以下ツイッターから
消費者が不安を抱いている」
「物価が低迷する日本」
この点から消費税はいらないという論理は正しい。
しかし、MMTから見た国家財政の考えは間違い
今朝【10月6日】のテレビニュースでは、量販店などがコロナ対策として人が密集しないように季節的なバーゲンをやらない代わりに大幅な値下げをするらしい。
しかし売れなければバーゲンに変わる対策をせざるを得ないでしょう。日本の物価は下落していく。消費税の負担は重く、デフレ不況は目の前なのかもしれない
日銀は菅内閣においても異次元の緩和を維持する方向にある。しかしすでに去年から量的緩和もマイナス金利も限界に来ているとされている。もちろん出口の出の字も言えない。すると壊滅的なMMTに走るのかもしれない。
労働者そして高齢者の状態は悪化をしていく。壊滅的な経済は早い時点で起こる可能性が
日本企業が中国から撤退をする動きがある。これは日本政府の呼びかけでもある。日本国内では賃金が絶対的に低下をしている中、中国の賃金が上昇している中では対中国との賃金格差は相対的に日本の低賃金を現す。
日本国民の生活は相対的に発展途上国並みになっていくでしょう。それは政治の劣化もです
企業はこれまで安い労働力を求めて中国などに進出し、国内では劣化した政治が低賃金化を進めた。
企業はこの低賃金労働力をもって競争力としてきたでしょう。しかし皮肉なことのこのような競争力に胡坐をかいて本来の生産性などにおいて競争力を失う結果にもなる。
国内のIT、デジタル化の遅れが顕著に
もちろん日本はまだ先進国である。
しかしその遺産を食いつぶすかのように停滞を始めている。
「ニッポン、すごい!」という精神論ではいつまでも安心できないでしょう。
この中で政治的には国家主義的な内政と力による外交が行われる。
これもまた「ニッポン、すごい」という精神論で国民を巻き込み政治の劣化はさらに進んでいく。
しかし政治は土台である経済のうえに立っている。土台が老朽化したり壊れていけば精神論的な政治のもろさが露呈する。自壊がはじまる。

【2021年】ツイッターつぶやき
東京都の陽性率が1.7%に低下しています。
新規陽性者も143人とだいぶ下がりました。
政府も東京都も第六波を念頭において経済活動再開もゆっくりと行うようです。
しかしこの第六波の心配にはある程度根拠があるのでしょう。
それが何かはよくわかりませんが、ワクチンに頼ることに不安があることは確かでしょう。もちろんその不安から3回目の接種が言われています。
・・・・
ここまで書いたら大きな地震。。。。

【2022年】ツイッターつぶやき
東京は数日前は半袖で出歩いていましたが、急に寒くなり慌てています。
厚手のとらーなートレーナーを出したり薄手のジャンパーを出したり。。。。
今夜は毛布を出しました。といっても掛布団は夏掛けですが。
冷たい雨も降り続いて気分も沈みます。
それでも明日はまた25度ぐらいになりそうで、11日は29度だそうです。
雨の中買い物に行きましたが、車の乗り降りで雨に濡れて寒気が。
体調管理に気をつけましょう。
【2023年】ツイッターつぶやき
ハマスがイスラエルに攻撃を加えた。
ウクライナに送る兵器が横流しでという噂も出ていますが、大量の兵器がハマスに入っていたということでしょう。
ハマス批判は大きくなるでしょうが、イスラエル建国の歴史を見れば、入植という植民ですからね。パレスチナ解放機構のアラファトさんが平和的解決をしていたのを思い出します。しかしイスラエルのパレスチナ支配は狭い地域にパレスチナ人を押し込んでいる。武力で押さえている。
アメリカが動き出しそうです。
また多くの犠牲が出るでしょう。
しかしイスラエルを全面的に支持する国は少ない。
中東を中心に世界がどう動くか。。。。
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