夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2024年11月13日(水)「あと数秒早く走っていたら・・・・」

2024年11月13日 22時03分31秒 | 「思うこと」
死ぬのは死ぬほど怖いものだと思うのですが、人間というのは死ぬのを忘れてしまうようです。
だいぶ昔ですが、車で細い道から幅の広い道路に出ようと一時停止をしたら、横から子供を乗せたお母さんが自転車のベルを「チリン、チリン」とならしながらその幅の広いどうっろに飛び出していった。そうは車の通りが多くない道路ですが、チリン、チリンで飛び出すような道路ではない。ドキッとしながら見ていたけど運良く車が来なかったので良かったですが、一歩間違えればお母さんも子供も。。。。。
今日は、路地から勢いよく若い男が自転車が飛び出してきて、あと数秒早く走っていたら危なかった。。。。
このお母さんでも若い男でも、死ぬのは怖いでしょうが、自分が死んでしまうというのは忘れているのでしょう。
問いって、僕も含めて大体の人が死ぬのを忘れて生きているのでしょうね。
その意味ではいつも死は隣にあるわけです。
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「11月13日という日」

2024年11月13日 08時06分53秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
死ぬのは死ぬほど怖いものだと思うのですが、人間というのは死ぬのを忘れてしまうようです。
だいぶ昔ですが、車で細い道から幅の広い道路に出ようと一時停止をしたら、横から子供を乗せたお母さんが自転車のベルを「チリン、チリン」とならしながらその幅の広いどうっろに飛び出していった。そうは車の通りが多くない道路ですが、チリン、チリンで飛び出すような道路ではない。ドキッとしながら見ていたけど運良く車が来なかったので良かったですが、一歩間違えればお母さんも子供も。。。。。
今日は、路地から勢いよく若い男が自転車が飛び出してきて、あと数秒早く走っていたら危なかった。。。。
このお母さんでも若い男でも、死ぬのは怖いでしょうが、自分が死んでしまうというのは忘れているのでしょう。
問いって、僕も含めて大体の人が死ぬのを忘れて生きているのでしょうね。
その意味ではいつも死は隣にあるわけです。

≪過去の記事≫

【2003年】
コタツを出したくなりました。
今はホットカーペットで我慢です。
寒いので夜は湯豆腐かおでんかと悩みましたが、おでんにしました。関西では関東炊きかな。この前テレビの料理の時間で、おでん矢の煮物に入れる大根は、まず出汁とほんの少しの塩でしたゆでをしてから入れると味がしみるとやっていました。早速今したゆでをしています。
早めに煮てから火を止めて味をしみこませますよ。。。。。
おでんというと、ただ煮るだけで簡単な料理そうに見えますが、案外時間をかけなくてはならないです。大根やこんにゃくのしたゆで、ゆで卵、、、、、、下ごしらえができれば後はのんびりですが。

【2004年】
昨日より一気に5度もさがり寒さを感じる一日でした。
買い物ついでに古本屋さんによって来ました。もちろん手元にない夏生さんの本を探すためです。残念ながら探す本はありませんでした。
それにしても古本というのはすごい量です。とくにコミックなんか幾つ山があったことやら。
たまには古本屋さんもよいもので、文庫でしかもっていないいろいろな作家の本の単行本を見るのはおもしろいです。やはり文庫より単行本ですね。本に個性があるというのか、大きさも違いますし、表紙の紙質も違います。特に夏生さんの本は夏生さんの手がかかっていますからね。単行本でも古本屋さんでそろえようかな。。。。

【2005年】
群馬県妙義山に行ってきました。
春に桜見物をした桜の里に行ったのですが、駐車場は満杯でした。
妙義山の紅葉が盛りで聳え立つ岩山に色とりどりの衣を着せたようにきれいでした。
下仁田に降りていく道の村の風景もまたよいものです。
今回は妻も一緒に出かけたのですが、なぜか妻が一緒だとりんごや山の幸の買い物が中心に。。。甘楽(かんら)町にも行ったのですが、せっかくなので古代博物館に寄ろうと言ったら却下!

関東の道路地図を広げて見つけ気になっていた群馬県甘楽(かんら)町に行ってきました。
東京からは関越道を下り、藤岡ジャンクションから上信越道を軽井沢・長野方面に少し走ったところにある町です。東京からは2時間もあれば行けます。
町のホームページを見ると、織田信長の子孫織田家が治めた城下町だそうです。小幡宿としての宿場町でもあったのですが、中仙道からは南にはずれるのでしょうか?中仙道の宿場町としては紹介されていませんでした。
甘楽町は小さな町でした。
民族資料館の駐車場に車を止めさせていただき、観光地図をもらって歩くことにしました。
民族資料館には入らなかったのですが、道路を挟んだ向かいに休憩所がありお茶をご馳走になりました。地図をもらい、風情のある雄川堰のほうへ歩こうとしたら、おばちゃんが観光のメインは城址のほうで武家屋敷や庭園もあると教えてくれました。「それでは。。。」と教えてもらったように歩き家老屋敷だったという武家屋敷の前に来ましたが、どうも庭園を見ることができそうもない雰囲気でした。庭園だけは誰でも見ることができるというらしいのですが、門は開いていても入ってよいものかとためらうような雰囲気で結局入らずじまい。
上司は学校になっており昔の面影はない。「喰い違い郭」という石垣も見つからないし、大名庭園の楽山園は、ブルドーザーが入り工事中。。。。
結局は何も見れずにぶらぶらとしただけでした。。。トホホ
でも小さな城下町を想像できるような町並みではありました。
今観光地化を町をあげて急いでいるのかもしれませんが、どうもちぐはぐさを感じます。僕のような者は、どちらかと言えば雄川堰が残る宿場の雰囲気のほうが好きでした。大きな一枚石を使った水路が200メートルほど残っています。脇は桜並木となっており、桜の季節は美しいと思います。残念ながら桜の葉の紅葉は過ぎて葉は残っていませんでした。
甘楽町は、間近に妙義山が見える町ですが、町自体は山に囲まれてはいません。しかし雄川堰を含め町中をきれいな水が流れています。名水100選にも選ばれているとどこかで読んだ覚えがあるのですが、湧き水があるのかな?
古代館の博物館にも行こうかと妻に言ったら、娘も風邪をひいていることもあり却下。。。トホホ
また桜の季節におとづれたいと思います。また違った華やかな町の姿が見れるかも。。。。
               柿紅葉 城下の里に 人もなく
古代館はあきらめて妙義山へ向いました。
妙義山は、今年の春に桜見物にも来た桜の里と呼ばれる妙義山の山頂を間近に見ることができるところへ行きました。桜の季節ほどではありませんでしたが駐車場は満杯状態でした。紅葉はまだ少し早いのか、紅葉も緑の葉を残していました。それでも妙義山独特の険しい岩肌をきれいな紅葉が飾っていました。今年の紅葉は見事な色は出していないようですが、駐車場から見下ろす山々もきれいでしたよ。
               着飾りて 雄雄しき妙義 秋の空
帰りはコンニャクで有名な下仁田に抜けました。
出かけるたびに道の駅に立ち寄りますが、こちらの道の駅は好きな道の駅です。
食事ももちろんできますが、コンニャクをはじめ地元の野菜やキノコも売られています。ほうれん草の葉ってこんなにしゃきっとしていたのかぁとおもうような新鮮なほうれん草を買ってきました。あと、僕の好きなコンニャクの味噌漬け。。。お湯割焼酎のつまみにしました。
昼は道の駅の中にあるニンニク味噌ラーメン。しばらくはニンニクの臭いが抜けませんがうまいです。一口大の餃子も皮がぱりっとしておいしく、妻が「幾つでも食べられるねぇ。。。」と、珍しく餃子をほうばっていました。

【2006年】
夕飯に干物のホッケ味醂干を食べたが、あらためて気づいたのだが、ホッケの開きはうまく背骨を半分に裂くように開いている。ホッケは鱈のように焼くと身が崩れやすいので、背骨を両方の身に残してあると身が崩れにくい。
背骨を裂くように開くのは技術がいるだろうなぁと思う。
生徒も自殺するし、校長先生まで自殺する。どうなっているんだろ?
たしか10年以上昔にも子供たちの自殺の連鎖が会ったと記憶している。学校にもいろいろあってゆとり教育というものが始まったのだろうが、今は、このゆとり教育が間違っていたんだという批判が増えている。ずっと昔からの競争の世の中、今はその競争も強まって生存競争といっても良いぐらいの競争になっている。この競争の激化に手を加えないでゆとり教育といってもその良さは出ないだろう。公立の高校生は土曜は学校が休みなのに私立の高校生は勉強している。公立高校が土曜休みの穴埋めをどうするかに悩み、それが一つ要因となって世界史の未履修問題も出てきたのでは?
なんでも競争のせいにするわけではないが、競争が何でもありになってきたらこの世の中変になるに決まっている。子どもたちの中に弱いものいじめがあれば、それは学校の教師の中にもある。子どもたちがいじめをしているとしかめっ面をする大人の世界がいじめを許している。いじめというと人聞きが悪いから競争だと言い、その競争はシステムとして弱いものが負けるようになっているし、それを何でもありでやっていれば、いじめと言われて人聞きが悪いともいっていられないだろう。

【2007年】
11月には幻冬舎から似顔絵のような本が出るはずなのですが?
幻冬舎のホームページにも出ていないし(まぁ、幻冬舎のホームページ情報は遅いのですが)、今日は本屋さんでも確認してもらったけど予定はないそうです。でも、この本屋さん・・・幻冬舎のホームページを見ていたみたい(笑)
いろいろと調べているのですが情報はなし。。。ううう
一応まめに本屋さんへ行ってみますね♪
民主党は、解散総選挙に向かい臨戦態勢のようですが、国民に何を訴えるのだろ?小沢騒動で「国民第一」は反故になったようですし。。。。
政界再編でしょうか?

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
電車の座席に座っていたら、前に立つ二人の若い男がいろいろと話しをしているうちに「それって昭和だなぁ~」と。
どんな話の中身からの「昭和だなぁ~」かはわからないのですがどうも懐かしいとか古いとかという意味合いらしい。
そういえばテレビをみていても「昭和の名曲」とか「懐かしい昭和の〇〇」とか時々使われている。懐メロと言えば今では70年代頃のアイドル真っ盛りの歌ですし、ピンクレディーなどの僕としてはつい最近の歌と思っていた歌が放送される。「それって昭和だなぁ~」と言われても何も昭和だといわなくても。。。と思うのだが、やはり昭和も懐かしまれる年代になったのですね。そういえば平成も22年ですからね。昭和が終わって22年なわけでたしかに昭和は遠くなりつつあるのでしょう。戦前生まれはだいぶ少なくなっていますし、団塊の世代ももう60代。。。。
昭和生まれでも子供時代は平成になっていた30歳、青年期を過ごしていた40歳。記憶に残る生活や少し世の中が見えるようになった頃の出来事はすべて平成なわけですからね。そうですからやはりこの世代ぐらいまではやはり昭和は遠いわけです。そして古いという代名詞になってもおかしくないですね。昭和というのをどんな感覚で見て懐かしいとか古いとかいう代名詞として意識するのか知りたいなぁ。それは昭和のイメージがどうなのかということです。
未来は青年のもの!西暦も21世紀に入ってすでに10年ですからね。20世紀も「前世紀」として何か古い時代と思い描くような時期が来るでしょう。総、21世紀は青年のものです。なんだかよくわからない昭和の社会的遺伝し受け継がねばならない若い人。21世紀に何を作るのでしょうか。
でも、まぁ僕もあと20年30年(むりか?笑)の未来を所有することができるわけですから、年齢にどんよりするばかりではなくて一歩でも前にすすむことはできますね。

手羽先をボールに入れ、バジルとクレソンのみじん切り、おろしニンニク、レモンの絞り汁と皮のみじん切りそして塩コショウで味付けししばらく味をなじませます。
これの小麦粉をまぶして多目のオリーブ油で焼きます。
バジルやレモンの風味が出ておいしかったです。
サラダはサラダほうれん草の上にミニトマトとモッツェレラチーズを乗せて彩りにクレソンとブロッコリースプラウト。あっさりとフレンチドレッシングでした。

【2011年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2012年】ツイッターつぶやき
橋下市長のツイートを読んでいた。
相変わらず公務員給与は民間に比べて高いとか書いているが、このような比較からは生活に必要な賃金高から見た適正な賃金額というものを見失うでしょう。
官民の賃金額を比較したとき、公務員の賃金が高すぎるのか、民間の賃金が低すぎるのかが見えてこないでしょう。ましてや民間といっても正社員は減らされて派遣やパート・アルバイトが今期も大幅に増えているというのに。
比較してどちらかを高すぎると決めつければ賃下げに歯止めがかからなくなるでしょう。派遣に比べて正社員は高すぎるなどと。
政治家がこのような比較からの国民生活を見てはいけないのです。民間がどのような働かされ方をしているのか、どのくらいの賃金でどのように生活しているのかをしっかり見るべきなのです。もちろん一人ひとりの例を見るという事ではなくて標準的な例を階層ごとに整理すればいいのです。

【2013年】ツイッターつぶやき
手作りの凍みコンニャクと高野豆腐の炒め物をつくりました。
凍みコンニャクは普通のコンニャクを一晩冷凍庫で凍らせて自然解凍をします。薄く切ったらよく水洗いをして水分をきっておきます。
高野豆腐も薄く切って一度湯どうしをしてから水でよく洗い絞っておきます。
しょうがの千切りと長ネギを切っておきます。
タレは、醤油・味噌・みりん・醤油・砂糖・ごま油・七味唐辛子・中華スープの素です。
油を敷いたフライパンでしょうがと長葱を炒めて香りが出てきたら凍みコンニャクと高野豆腐を入れて炒めます。炒めたら上のタレを入れて味を染み込ませるように炒めたら出来上がりです。
凍みコンニャクは歯ごたえもありタレをよくしみこませるのでおいしいですよ。
好みで豚バラ肉を入れてもおいしいかもしれません。

昨日の続きのようなものです。
昨日
そもそも国会内の追及やマスコミ報道で取り上げられるのは、国内の法に違反するとか、これまでの国の基本姿勢から逸脱するとか、政権内の腐敗だとか、国民の利益に反することなどといったものではないでしょうか?だから追及され報道されるわけです。
と書きましたが、国は何を秘密にしてはならないかという基本がなければなりません。それが国内の法に違反するとか、これまでの国の基本姿勢から逸脱するとか、政権内の腐敗だとか、国民の利益に反することなどといったものではないでしょうか。もっとさまざまな角度から検討されれば他にもたくさんの秘密にしてはならないものがあるはずです。そして個人情報等のプライバシーにかかわるものは秘密にしなければならない。これもいろいろな角度から見ればたくさんあるでしょう。なぜ秘密にしなければならないか?それは国民の利益を守るものなどだからです。
このような基本的な前提のないままに国会は秘密保護法はこの例が秘密になるかならないかの議論で終わっている。
秘密保護法の議論にこの国は何を秘密にしてはならないかを議論するなら秘密を漏らしたらあるいは取材したり報道することが法に違反するというものだけではなくて、国が秘密としてはならないのも(国内の法に違反するとか、これまでの国の基本姿勢から逸脱するとか、政権内の腐敗だとか、国民の利益に反するなど)はたとえ国が秘密としてもそれを取材したり報道したりすることは法には触れないことになります。特に公務員などがそれを漏らしたとしても、たとえば国民の利益になるのならそれは守秘義務ではなくなるでしょう。もちろん国民の知る権利を保障するものとなります。
もっと突き詰めて考えるなら、国が秘密としてはならないものを秘密にした場合、それを国会をはじめマスコミなどが明らかにするということはその義務を果たしていることになるのです。
こういった視点から国の秘密とは何かを秘密保護法案を一度廃案にして十分議論すべきなのです。その上でどうしても秘密保護法案を出すという意義が残るでしょうか?

以前にも書きましたが、1+1=2は数学的には正しいですね。しかし2=1+1とするとそれは正しいと同時に間違いでもある。2=0+2もあるわけですから。
1+1=2を2=1+1とするには数学上ではなぜか?という論理上の条件やその証明がなければならない。
案外、論理上のこのような間違いというのはたくさんあるのかもしれません。
今夜はツイッターでこんなお話ができました。
実際の社会の中ではこの論理上の間違いがたくさんあるのかもしれません。。。

【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
このブログでも何度か「企業の社会的責任」という言葉を使ってきた。例えば、保育所の数についても、企業の社会的責任として企業団体が勤労国民のために保育園をつくってもよいのではないかという提起もしたと思う。実際に女性労働者を多く雇用する企業の中には保育設備を設けている。
そのほか様々な社会責任が企業にはあるのではないか。
今朝の朝日新聞4面に「企業の利益 給与に回らず」という記事があった。
この間企業の内部留保の問題が言われていました。しかしその企業利益が労働者の賃金増には回らずに多くは株主に回っている。低賃金化と同時に雇用も使い捨てあるいはいつでも首を切れる状態に労働者を置くという非正規労働者を増加させている。
このような企業は私的企業だからという面があるが、企業の社会的責任を果たさない部分を国国民や自治体そして国民の保険負担も含め社会保障として負担を行わねばならない。
社会保障は国民の共助として行われる傾向が強まっている。この中で公助は削られてもちろん企業の社会的責任はますます薄れていく。
この状態が一つのデフレ不況原因ともなっている。そして企業や不労所得者そして富裕層の利益拡大が経済を抑圧している。
社会の富を多く取得するのは企業である。
その富を社会に対する責任として還元しなければならないでしょう。
この企業の社会的責任をきちんと社会のシステムに組み入れるのが社会民主主義である。
例えば、現在は企業が首切りをすればその後始末は雇用保険で行うでしょう。社会民主主義はその首切りを強く規制をしながらどうしても失業がやむを得ないときは首を切った企業の社会的責任としての負担を大きくするというものになります。
このような企業の社会的責任は企業利益を圧迫するだけに見えますが、長い目で見れば安定的な良質な労働力を得ることになるのです。
今の企業は目先のことしか見ていないし、目先の利益を確保することが至上命令にもなっている。
日本経済と社会の弱さです。

【2018年】ツイッターつぶやき
日本経済新聞に「政府統計、信頼に揺らぎ GDPなど日銀が不信感」という記事があった。有料記事ですので全文を読めませんが、ショッキングな記事です。
これまで国会内においても公文書の隠ぺいなどもありましたし、統計発表でも先に発表と後出の乖離が大きかったこともありました。
日銀ももちろんあらゆるデーターを集めているのでしょうが、政府に対して統計の元データーを求めるということは相当な不信感ではないか。
経済統計の分析の誤りや意識的な改ざんは国家ですからその影響は国民生活などに大きなダメージをきたすこともあるでしょう。
政府が政権維持のために経済だけではなくてあらゆるデーターを都合の良いように分析して発表するだけならばそれは大本営発表というものです。
独裁国家とまではいかないまでも力による政治は何でもありということになってしまいます。

【2019年】ツイッターつぶやき
9月ごろ、プランタに種をまきました。
花屋さんで見つけた5種類ほどの種がミックスされたものを買ってきて蒔いたのですが、その種の袋に花の名前がなかったのでどんな花が芽を出すのか楽しみにしていました。
10月下旬ごろからたくさんの葉の芽が育ちはじめました。
ノースポールとアリッサム。。。。。。
多分サルビアだと思うのですが、葉っぱが似ていますが他の花かもしれない。季節的にどうなんでしょ?
あとプリムラのような葉っぱも出てきました。
あと1種類は記憶にない葉っぱの形です。
ノースポールは小さな花芽が出てきましたが、全部の花がうまく育ってくれればプランタいっぱいに花が咲きそろうと思います。しかし少し窮屈になりそうなのでもう少し様子を見て株分けをしたいと思うのですが植え替えは無理かな。。。。。?
買ってきた苗を植えていくのも楽しいですが、種まきから始めるのも、そしてミックスの種だとさらに楽しいです。
秋のはじまり、白と赤のゼラニウムを一つの鉢にさし芽をしたものが根付いて花を咲かせ始めました。春ごろには大きな鉢に植えたいと思います。

【2020年】ツイッターつぶやき
アベノミクスにより企業利益と株価が維持された。これが経済政策の成功といえるのかといえばそうではなくて失敗であった。安倍内閣は企業利益や株価の成果を社会の隅々にまで行き渡すといっていたが、結果は実質賃金の低下であり社会保障の後退から個人消費は改善せず、個人消費が改善しないならば企業の設備投資も拡大しない。この結果は経済の好転は起きないという実態です。
このアベノミクスという経済政策の失敗がそのままコロナ対策での経済対策にも現れています。
経済対策の柱はGo Toとなっていますが、税金は最終的には大手の懐に入る。Go To錬金術や詐欺で潤っている国民はいるのですが、多くの貧困や自殺者の増加を伴っています。飲食店を中心に倒産・廃業が多く出ています。アベノミクスと同じように現在の経済対策もコロナ対策とはなっていません。
自民党政治は視点がずれているのです。
経済対策として税金をばらまくのですが、一方では人の移動や密集はコロナ感染を拡大する。経済対策の税金はどこかへ蒸発をしてしまい効果を現さない。それ以上にコロナ感染拡大の波は経済をまた混乱させる。
Go Toに税金をばらまくのではなくて小零細の飲食店や従業員に手厚く税を支出すべきなのです。コロナ対策には多くの資金も必要なのです。と同時に国民全体への手当ても必要で、遊びに出かける金ではなくて生活のゆとりが必要です。

【2021年】ツイッターつぶやき
昨夜はパソコンが重くて。。。。で、続きです。
コロナで買い物もまとめ買いをしています。
レジに行って毎回びっくりするのですが、食品の値上げを肌で感じます。
一つひとつの商品ではそうは高くなったのを感じませんが、まとめると高いなぁと思います。
3日ほど前に勝った5枚切りの食パンと昨日買った食パンとではなんとなく厚さが違うように感じましたが気のせいでしょうか?でも、値上げはされなくても内容量が減ったとか小さくなったとかの話がネット上でも出ています。
値上げはできないので内容量を減らすというのも出ているのではないかと思います。これも値上げの一種ですね。
同じように内容量が減らされると同じように品質も落とされるならこれも値上げです。
企業利益や株価を見ると経済の好転ではと勘違いをしてしまいますが、日本は実質賃金が下がり、社会保障も充実されない社会ですから当然消費が落ちます。そのうえ値上げが大きくなればさらに消費が落ちます。去年からエンゲル係数が上がっていると言われていますが、切る詰めても食費にかかる割合が大きくなります。すると他の生活必需品に回る金も相対的に減ります。
これは貧困化です。
ガソリンや灯油の値段も上がっていますがこのエネルギーや食料品の値上げの一要因が円安にあります。アベノミクスそして日銀の量的緩和派は円安誘導ではないという人もいますが、現実は急激な円安に向かいました。現代為替は114円ほどでしょうが、アベノミクス前は80円であった時もありました。1年前でも105円でした。
円安が進めば輸入品は高くなります。日本はエネルギーも食料品(原料など)も輸入に頼る国ですから価格への影響は大きいですね。
安倍元総理はアベノミクスの成果を国民にとしましたが先にも書いたように現実は実質賃金の低下でした。
消費の減少は貧困化ですが、貧困化が進むと経済も脆弱になります。
経済が落ち込めば競争力が落ちますからさらに円安が進むでしょう。まだすぐにはハイパーインフレにはならないでしょうが、生活費全般が値上がりする悪性の物価高が進み、一方では企業利益や株価が騰がる状態になると経済の過熱(現実は冷たいバブル)とデフレ圧力が同時に進みます。スタグフレーションに。
デフレ圧力不景気の中の物価高。
これは企業への影響も大きくなり、輸出には有利とされる円安ですが、エネルギーや原材料などの高騰が生産の重石になっていきます。

【2022年】ツイッターつぶやき
第八波の感染拡大がはっきりしつつあります。
東京都も10月に入り新規感染者数も下げ止まりになり11月に入ってからは増加傾向を示しはじめました。
全国もほぼ同じ状態です。
今後11月末から12月には第八波がはっきりすると思います。
政府は全数把握をしない方針ですから、現在の新規感染者数が感染者の実数を現しているかどうかはわかりません。実際の感染者数はだいぶ多いのかもしれまっせん。東京都の陽性率が30%になっていることからも推測されます。
政府は10月より全国旅行支援をはじめました。海外からの観光客を多く受け入れています。経済優先がはっきりしていますが、この中で第八波に向けてのかんせんぼうしさくとなると、マスク一つ見ても外す方向がガラッと変わったり感染防止策も右往左往している。尾身会長も医療の逼迫が起きてから規制をするとして地方へ丸投げです。
第八波に向けての感染防止策の唯一はっきりしているのがワクチン接種です。
ワクチンも3回目の接種が8カ月空けてとなっていましたが、それは5カ月になりました。今後は3カ月になっていくでしょう。すでに4回目のワクチンを接種した高齢者に5回目の接種券が来ています。
感染防止策は行わずに国民をワクチン漬けにしていくだけです。

【2023年】ツイッターつぶやき
車を飛ばして富山県へ。
富山市で美味しい回転ずしを食べて海を眺めました。


    ≪富山湾。小さな島の向こうに初雪が降った立山連峰が見えるはずだったのですが…雲≫

宇奈月温泉へ。


    ≪宇奈月温泉駅前の温泉の噴水≫


≪駅前のカフェ。幻のピラミッドチーズケーキ 賞味期限10分≫
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「11月12日という日」

2024年11月12日 19時46分23秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
長野旅行。
写真を撮ろうとしたらスマホが電池切れ。。。。。ウウウ
野尻湖の紅葉はきれいでした。

≪過去の記事≫

【2003年】
用事があり出かけてきました。
もう10数年ぶりにJR高崎線に乗り1時間半もかけて埼玉県に行ってきました。昔の記憶から4人がけのボックス席を思い描いていたので、早速缶コーヒーなどを買い込んで乗りました。
そしたら・・・・・・
もうボックス席などはないのでしょうか?普通の横席の電車でした。缶コーヒーも飲みにくかった。。。。(笑)
広い関東平野。どこまで行っても都心近郊の風景。
あくびが出そうな風景です。
子供の頃出かけた時は、熊谷などというと田舎にきたぁという風景でしたがね。

【2004年】
『泣く大人』
                        角川文庫
            江國 香織  著
女性にもてる男の条件として、生活臭のしない男というのを聞くが、江國さんのエッセイを読むと、「生活臭のしない女」を感じる。江國さんには男友達がたくさんいるようで、このエッセイ集には「男友達の部屋」というものがあるが、そこに現れる友人の方にも生活臭はない。生活臭のない男と、生活臭のない女としての江國さんとの素敵な友人関係。
もちろん男たちにも江國さんにも日常生活があるはずだが、ご飯に納豆をぶっ掛けてかき込むような日常のあわただしさはない。主食がフルーツという江國さん、そんなところからもあわただしい日常を感じません。
嫌いな男は、バーで飲んでいて時間を気にしながら途中で帰ってしまう男らしい。取り残される寂しさがあるようである。
日常のあわただしさがなく、時間を忘れた素敵な空間。そのことがこのエッセイ集を読んだときに、季節の風景があるがそこには時間の流れを感じさせないものとするのかもしれない。
そこにはたしかな空間はあるが、時間の流れのない絵画を見ているような錯覚を受ける短いエッセイです。
「男友達の部屋」は、男性史に連載されたものですが、その意味では男性に読ませるためのエッセイであり、江國さんの「こんな男がすき。。。」という文章に、男はどぎまぎしてしまうかもしれません。男は中身でしょう。。。。。か?
しかし江國さんは、男友達と恋人あるいはご主人をはっきりと区別しています。こんな男友達が素敵だというのと恋人とは違う。
詩集「すみれの花の砂糖づけ」に見る恋人との関係は、のんびりしているような江國さんが情熱的になるそんな一瞬の中にいる男です。ご主人は?。。。。う・・・ん、わからん。いろいろな事情からあるいはご主人だけは作品には表したくない存在といえるのでしょうか?
江國さんは、昼時のビジネス街にある公園に行きます。ぼうっとしていると、会社勤めの男たちやOlが弁当をその公園で食べ始める。江國さんも弁当を食べたくなり買ってきて食べ始める。江國さんは食べるのがゆっくり。。。。日常の時間に追われるサラリーマンたちは1時少し前には消えて強い、静かになった公園に江國さんだけが残る。
このエッセイが好きです。こんな江國さんをほほえましく思いますし、江國さんらしいなぁとも思い、そしてやはり好きな作家なんだなと思ってしまいました。エッセイ集の中にこんな江國さんの一瞬が描かれており、このエッセイ集のおもしろさでしょう。
江國さんのエッセイ集に「泣かない子供」というのがありますが、江國さんは、子供の頃は泣かない子供であった。今泣く大人になってうれしいというようなことを書いていますが、早熟な少女を思わせる江國さんは、泣くまもなくじっと大人たちの様子を凝視していたのでしょう。そして自分自身が大人になってしまった今、子供の頃に見た大人が何であったかがわかるようになり、その大人の中にある喜怒哀楽、そして恋や愛、すなわち心の動きに泣くことができるようになったのか?
ゆったりとした気持ちで読めるエッセイでした。

昨夜はだいぶ降ったようでベランダがびしょびしょでした。
急に晴れたせいか公園の木々が霞んでいるように見えました。赤や黄色い葉っぱがきれいでした。

【2005年】
昨夜からの雨も朝のうちにやみ晴れました。少し風の強い日で、寒かったです。
今日の風は、まだ木枯らしではないようですが木枯らし1号も近いのでしょう。
こう寒くなると、この日記も「秋」でよいのかと思ってしまいます。これは毎年季節の変わり目に思い悩むのですが。
たしかにクリスマスの直前の冬至前日までこの日記は秋ですからなぁ。。。
しかしかと言って、11月に入ってすぐの立冬にもう冬というのも何だか寂しいし。
よくテレビのニュースで、8月に入ってすぐの立秋に「暦の上では秋です」と聞くが、「まだ真夏だろうガッ!」と突っ込みを入れたくなるときもあります。
季節の変わり目に区切りをつけるのは難しいことだと思います。
人というのは、特に日本のように四季があると、どうも区別や区切りをはっきりつけようとするのですが、自然は、はい今日から冬ですよと雪を降らせるわけではない。そこに人の無理があるのではと思います。
では、今のような季節の変わり目をどのようにとらえたらよいのか?暖かければ秋を感じ、寒ければ冬を感じる。寒さに強い人ならまだ秋だよと言う。寒がりはもう冬だよなぁと言う。縦長の日本列島は、完全に冬の地方もあればまだ秋の地方もある。こう見ると、矛盾なようではあるが、秋と冬が同居していると見るほかはない。
立冬になると冬の気配を感じてくるがまだ秋である。そのうちに冬の気配を多く感じるようになって冬至には秋の気配が消えて完全な冬になる。
もちろん、縦長の日本列島だからこの季節の変わり目による立冬から冬至という秋と冬の力関係の移り変わりを感じられる地域は、やはり関東から近畿の平野部ということになるのかと思う。
そこで、秋と冬が同居をしている中に人が区別や区切りをつけるとすれば、たとえば冬と区切りをつけるなら、やはり秋の名残が完全に消える冬至ではないか?
ちょうど冬至の頃には落葉樹の木々は裸になる。銀杏の黄葉は冬至の頃に完全に散っていく。。。。
そういうわけで、僕の日記もまだ秋なのである。
この前、テレビのニュースで「小春日和」という言葉を聞いたが、まだ小春日和ではないだろうと思う。これは、立冬を過ぎたから今は冬だと言う発想なのだと思うが、小春日和というのは、1月の大寒を過ぎ、2月に入った立春過ぎが季節感としては当てはまるのではないかと思う。この前も書いたが、正月に初春というのはどうしてもおかしいのであり、初春は旧正月に入ってからの感覚ではないかと思う。

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
東京は晴れ

のどかな陽射し

まだ朝晩のラッシュでは

電車にクーラーが入っています

昼下がり

温かい日差しが車内の差し込む

すいた車内の座席で

昼寝をする人がたくさん

今にも横になりそうなオヤジ

僕の前にはうら若き女性が。。。。

コートが染みになるぐらいの

よだれを流し寝入っている

昼下がりの温かい陽射しに

よだれは光り輝く

朝晩はそれなりに冬を感じますが

昼間は暖かです
      (Pm6:36)

【2011年】ツイッターつぶやき
    拝啓 川上弘美様
「東京日記」を拝読させていただきました。
もう東京ではコウモリの姿をめったに見なくなりました。すでにコウモリは非日常の生き物なのでしょうか。しかし外国ではまだ人にとっては日常の中にコウモリはいるのですね。
動物たちが日常の中にいること。。。。もちろんペットでも飼い犬や猫でもない。。。。コウモリにしても恐ろしいものですなぁ。日常の中にコウモリがいない日本人(都会人)に対しては空港の注意書きは必要なのでしょうね。
そういえば外国で親しくなった人に悪い薬を「これを先に日本に持って行って♪」と言われ「はい、いいですよ♪」と引き受けたら税関で捕まってしまい死刑になるという女性がいたとか。
やはり外国は日本人にとっては非日常の世界なのではと思います。
まぁ、飲み会ともなれば日本も外国も変わりはないようで(笑)唐揚げにビールですかぁ。
「外国は日本なのだから」とは。。。。。
人と人の関係は同じで、ばったり旧知の方と出くわす。ならば「外国は日本」ですね。
しかし日本に帰ってホームシックになられたということは、日本が外国かぶれなど日本人がどこか遠くの存在になってしまい、日本人が持っていたものを飲み会の席に外国人の中に見つけた。祖、まさに「外国は日本」だったわけですね。
日本の日常は変わってしまったのかもしれません。コウモリも怖いけどコウモリも飛ばない夕空は非日常的世界なのかも。。。。。
          敬具

子供の頃、河川敷で野球やサッカーをしていると夕日の中に黒いコウモリの群がやってきました。少し赤く染まった空にコウモリが僕たちの上を何回も旋回します。僕たちがボールを投げてコウモリに当てようとしました。しかしコウモリはさっとかわしてまた旋回をします。コウモリもやさしくてかみついたりはしませんでした。
空から目を地上に移すともう夕闇が近かった。陽はもう沈みかけていました。
コウモリたちの姿も見えないほどの夕空。コウモリたちは子どもたちをからかうのをやめてエサでも鳥に飛んでいきました。僕たちは夕飯は何かななどと話しながら急ぎ足で帰りました。

2012年
卵にほんのり甘みが出る程度に砂糖を入れてよくといておきます。
たらこは二人分卵3個に小さめの1ハラぐらいです。皮を残して粒粒だけを出しておきます。たらこに包丁で切れ目を入れて包丁の先で出すと楽です。
フライパンにバターを多めに入れて溶かし卵を流し込みます。そこに先ほどのたらこを散らして入れ、マヨネーズととろけるチーズを適量入れます。あとは普通のオムレツのように焦げないようにさっと焼けば出来上がりです。焼きすぎずに中のチーズが溶ける程度のふわふわがおいしいです。

車の中でラジオを聴いていた
1曲、曲が終わると星の話になった
東京でも星が見えるという話
(まぁ、東京でも星は見えるよなぁ)
女性のアナウンサーがぽつりと言う
望遠鏡じゃなくても、筒状のものでのぞくとよく見えるのよぅ~
東京の明るい街の灯がさえぎられて。。。。
(なるほど。。。。。)
風呂上りに外に出て夜空を仰ぐ
午前中まで降った雨もどこかへ行ってしまい
東の空に明るい星が見えた
さっそく新聞折り込みを筒状にしてのぞく
まぁ、なんとなくよく見えるような気がするが。。。。
筒状のものをとってまた星を見る
また筒状のものからのぞく。。。。。
たしかにどこか違う星の見え方が
その時ハッと思った
星は瞬く。。。。。
目の錯覚かもしれないが筒状のものでのぞくと
星はほとんど瞬かないのである
これが良く見えるという事なのかなぁ
星は瞬いたほうがいい。。。。

【2013年】ツイッターつぶやき
国家の秘密は誰に対しての秘密か。。。。。
諸外国への秘密でしょうが同時に国民への秘密です。諸外国と言ってもアメリカのように安保で結ばれている場合や他の国とも秘密の約束事を交わすことがあるわけでしょうから、国の秘密とは特定の国との共同秘密なわけです。それを国民に走らせないことが約束となるでしょう。要するに国民への秘密です。
しかしこの秘密は秘密にはしておけない部分を持っています。秘密は現実の政治に現れてこざるを得ないでしょう。その中で事実が事実となって現れてこざるを得ないでしょう。それは国内法に違反したりつじつまが合わなくなったりという矛盾として噴き出します。今までの国会内の追及や新聞や週刊誌のスクープもここからはじまっていたのではないでしょうか。
だとすれば秘密保護とは国会内で追及するな、マスコミは記事にしてはいけないというというものを問うして国民に秘密だということになります。
そもそも国会内の追及やマスコミ報道で取り上げられるのは、国内の法に違反するとか、これまでの国の基本姿勢から逸脱するとか、政権内の腐敗だとか、国民の利益に反することなどといったものではないでしょうか?だから追及され報道されるわけです。これをしたら秘密保護法に違反するといった論理自体が矛盾を含んでいます。国家観の秘密ならば相手国から漏れてくることがあるでしょう。相手国の情報公開などの民主主義によって。相手国だって議会の追及やマスコミ報道があるわけです。それを知ってはならない?無理でしょう。
今の国会では何が秘密事項になるかを具体例として議論されていますが、その具体例の中身が国内の法に違反するとか、これまでの国の基本姿勢から逸脱するとか、政権内の腐敗だとか、国民の利益に反することを含む可能性があるわけですから、秘密保護よりもこのような場合は秘密としてはならない(情報公開)という法の方が国民にとってはわかりやすいわけです。この原則を基本にどのようなものが秘密とされるのかを見れば秘密は限定的になるでしょう。もちろんその場合は秘密にしておく理由もなくなりますが。。。。

【2014年】ツイッターつぶやき
今朝のツイートのまとめです。
円安倒産が急増 1~10月は2・2倍のペース
プラスして隠れ倒産も増えているはずです。
今日にも116円か?
円安で輸出が有利になる面はあるが、輸入大国でもあるので国内での生産物は値上がりする。その値上がりしたものを輸出するわけだから円安のメリットは薄まるでしょう。薄まるだけならばよいが、輸出力に力がなければ赤字となる。
有利なのは国外に出て行って海外生産を行う企業ではないか?現地の安い労働力を使って安く生産したものを日本企業が日本に輸出する。当然円安だから高く売れる。その利益を国内の本社での売り上げに計上するわけだからその企業は収益を伸ばしたことになる。国内の下請けはやせ細る。
もちろん国内では日本企業の製品を多く買うわけだが、日本企業が海外で生産された輸入品を買うわけだから高くなるでしょう。しかし同時に国内の国民生活は低下をしているわけだから消費は減る。海外生産をされた商品も値下げ競争にさらされはじめるだろう。
国内のデフレ圧力は高まるだろう。そのデフレ圧力に国内産業はさらされるわけだから、円安での物価上昇が生き残るための桎梏となる。国内産業は淘汰されていく。経済は縮小に向かう。
輸出産業の株価は円安で膨れ上がりそれがまやかしの経済成長と見えるが、株価をドル建てで計算すればそうは株価は上がっていないだろう。見せかけの経済成長とそれに対する国内経済の冷え込みという最悪のスタグフレーションの渦に巻き込まれる。
そして消費増税。。。。。消費増税選挙は白けた中で進む。。。
国民の「期待」は「失望」に向かうだろう。しかしその失望から未来に何を見つけることができるだろうか?その未来と見えるものが政治では昔に帰る日本。国民は自分の頭で政治・経済を立て直すことが求められる。それは民主主義の行使だろう。豊かさも民主主義は与えられるものではない
物価高を懸念、消費滞る 街角の景況感に陰り
10%への消費増税が消極的になりつつありますが、それは国民生活を見た中でのものではなくて政権維持のためのものでしょう。だから消費税解散が言われる。

以前料理雑誌で見た「柿のナマス」を作ってみました。
カブがなかったので大根にしました。
大根は千切りにしてから塩を振ってしんなりとさせておきます。(塩が多いときは水洗いをして水分を取ります)
柿も細く切っておきます。
ナマスのタレは酢を使わずに柚子です。
ボールに塩・砂糖・蜂蜜を入れてから柚子1個を絞ります。少し甘めです。
柚子の皮を千切りにして入れます。
よくかき混ぜてから大根と柿にかけて和えたら出来上がり。
日本酒のつまみにも合いました。。。。。

安倍自民党内閣は国政選挙も近いうちにはないし国会内のねじれもなくなり安定した政権であるという見方があった。もちろんこのいみでは現在も同じように安定した力を持ち法案を次々に通している。そして閣議決定による集団的自衛権というものを一人歩きさせることもできる。国内の右傾化も一人歩きをしてヘイトスピーチなどといった言動も公然と行われる社会を作った。
しかし現在消費増税10%への判断を迫られて自民党内は予定通り行うべきと先送り(実際は凍結に近くなる)すべきに分けれいる。もちろん経済の状態は再増税をできる状態ではない。
アベノミクスはある意味失敗をしているのである。
国民生活を犠牲にしなければ株価の維持も企業利益も確保できない。
国際的にも中国や韓国との関係が悪化を続け、日本の右傾化とアベノミクスへの懐疑が強まりはじめている。
この中で解散総選挙が言われはじめた。
解散総選挙がなぜ必要なのか?
それは端的に言えば上にも書いてきたような右傾化と失策による内閣と自民党そして自公の連立の自壊なのである。
解散に追い込むような強力な野党が存在せず、国会なのタ対立は閣僚のスキャンダルでしかない。解散は国会内の勢力図の中で追い込まれたものではなくて自壊する中での解散なのである。
今総選挙を行えば強力な野党がないので自民党は勝つだろう。しかし一方では消費増税10%様々な政策面の支持率は下がっている。政策面では過半数を取れないが選挙となれば過半数を取れるという新たな「ねじれ」が浮き彫りになっている。この「新たなねじれ」の構造こそが自壊なのである。
安倍政権が自壊をはじめている中で国民生活は悪化をし続ける。
国民の不幸がそこにある。
しかし自壊をしていくならそこから新たな政治勢力は生まれるでしょう。それはさらなる右傾化をする内閣ではない。右傾化する内閣自体が自壊をしているのだから。さらなる右傾化は自壊を強めることしかできないだろう。
国民はあわてずに楽天的に今の矛盾を見つめることが必要なのである。
設計図を作ろう。。。。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
いつも行くスーパーに行って喫煙室で一服。
火をつけていたら喫煙しに若い女性が入ってきた。するとそのすぐ後から3歳ぐらいの男の子が入ろうとしたのでヤバいと思い「ダメ!」と言おうとしたら、後ろからお父さんが「ダメだよ♪」と優しく捕まえた。するとさっきの女性が「パパのところに行ってない」と。
その後またすぐにやはり若い女性が5歳ぐらいの子供を連れながら喫煙室のドアを少し開けたところで「パパのところに行ってなさい」と。
「パパのところに行ってなさい」の二人のママさんは並んでタバコを吸っていた。
「パパのところに行ってなさい」友かなと思ってみていたが、どうも知り合いではなかったようだ。

【2018年】ツイッターつぶやき
gooお題「料理が楽しくなるキッチングッズを教えてください」
キッチングッズですかぁ。。。。。
これといって便利なグッズもないし好きなものもないですが、妻の嫁入り道具の中華鍋と僕が若いころに河童橋(東京ではキッチングッズが何でも手に入るような聖地です)買ったプロ仕様の片手鍋ですね。
何十年使っても大丈夫な一生もののグッズですなぁ。。。。。
僕の片手鍋は妻が思いっきり焦がしてしまうような災難に会いながらも磨いて大切にしています。たかが鍋ですが、いろいろな料理をするときに使い慣れたものは水や調味料そして火の加減が感だけでちょうどよい分量になります。
そういえば落し蓋も何十年も使っているものがあります。どのような鍋の大きさにも対応できるもので壊れもしないで丈夫です。
今は百円ショップ時代である意味使い捨てをすればいいのですが、やはり高いものはそれだけの使いやすさがありますなぁ。。。。

以下ツイッターから
景気の好循環が起きれば、企業利益が上がれば、自然に賃金は上がっていくという経済理論はたんなる神話でしかなく、労働力不足も経済の好転によるものではなくて労働人口の減少によるもので、労働力不足自体も賃上げにはそうはつながらず、低賃金層の増加でしかない。
今後子育て支援がどのように進むかはわからないが、その財源は消費増税という形にならざるを得ないでしょう。社会保障は年金一つ見ても70歳まで働くことが前提の年金制度になっていく。一つの家庭として三世代を見ると若い夫婦は子育て支援で少しは楽になっても、親世代への社会保障は減っていく。
世帯全体から見ればよくてもプラスマイナスゼロ状態でしょう。子育て支援で支出が多少減っても親の生活を支えざるを得ないことにもなっていく。今の社会の常識が続くならここでは女性の負担は大きくなるでしょう。
これでは個人消費の伸び(内需)は伸びない。
10兆円の国家の強靭化として消費増税分は国の財政再建にも向かわずに公共事業というバラマキに使われて結局は企業利益の保護になるでしょう。もちろんここで企業利益が上がったとしても労働者には恩恵はない。恩恵どころか生産性の向上によりますます低賃金と強労働に。

【2019年】ツイッターつぶやき
民主党政権時の「決められない政治」から強い政権という期待から生まれその期待だけで6年もの年月安倍政権は続いた。
長期政権が続いた理由はもちろん期待だけではなくて、企業や不労所得そして富裕層に有利な政策を行うことから株価の上昇という目に見えるものが出ていたことはたしかです。しかし企業利益は上昇しても賃金は上がらないし経済の成果は社会保障には回らない。その上2回ものデフレ不況下での消費増税。
国会では公文書の改ざんや隠ぺいそして議事録のいい加減さ、そして今は桜を見る会の私物化問題が。
6年間を振り返れば相当ひどい政権であったことがわかる。
このひどさが期待を超えていく気配が見え始めた。
政権末期でしょう。
しかし数の力を中心に大きな力を持っていますから選挙には勝ち続ける。
しかしひどさはその力ゆえさらに露骨なひどさとなる。
これが政権末期です。

【2020年】ツイッターつぶやき
日本医師会会長の「第三波と考えてよいのではないか」という問いに、加藤官房長官は「政府としては具体的な定義を定めているわけではない」と答えたようです。(東京新聞)
コロナの感染拡大は第一の波、第二の波と明確にグラフに現れている。そして11月に入ってからは感染拡大が懸念される状態になり、今週になってからはその感染拡大が全国的にも都道府県の一部にも過去最大の感染者が出ている。この傾向からして第三の波が来ているのではないかという危惧は当然飲み方でしょう。
これに対して第三の波というものに定義はないとして判断をはぐらかしている。
もちろん感染拡大傾向自体は認めているのですが、それがどのような拡大となっていくかは、これまでの二つの波の分析や現在のGo Toという経済政策と感染防止対策の兼ね合いがどうなのかを含めて第三の波として政府はしっかりと判断を示すべきでしょう。それがないと今後の感染防止対策に支障が出てしまうのは明らかです。
死亡者数も感染者数も欧米に比べれば少ないでこのまま突っ走るのでしょうか。

【2021年】ツイッターつぶやき
コロナで買い物もまとめ買いをしています。
レジに行って毎回びっくりするのですが、食品の値上げを肌で感じます。
一つひとつの商品ではそうは高くなったのを感じませんが、まとめると高いなぁと思います。

なんか、パソコンが重い。。。。。 

【2022年】ツイッターつぶやき
これから冬に向かいますが、日本でもLNGの不足が心配されているようです。
カタールからの輸入量が減少しているためだそうですが、電力会社が長期買取りの契約を行わなかったからのようです。理由の一つに脱炭素があるようですが、これは原子力発電の再稼働を目的とするものでしょう。
LNGはロシアとの合同企業が動き出しているようですが、ウクライナ問題でそうは露骨にロシアとの関係を深めるわけにはいかないようです。原発も故障が見つかったりしていますからね。無理して再稼働していくんでしょうが。
この中で円安もありますが電力料金が値上げされています今後も頻繁に値上げされるでしょう。
これから楽しみなのが炬燵での昼寝ですが今年はこの昼寝も気楽にできなくなるかも知れません。

【2023年】ツイッターつぶやき
世界中でパレスチナへのイスラエルの攻撃に対して批判が高まっている。イスラエルは防衛だとしているが、それは防衛としての戦争から離脱している。イスラエル建国以来パレスチナの両道は狭めらえ、今度の戦争はパレスチナを抹殺するような戦争になっている。
アラブ中東の国々が集まり即時停戦とイスラエル批判が話し合われた。
アメリカの武力と経済を背景としたイスラエルがこのまま力をつければ中東全体の危機にもつながる。
コメント
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「11月11日という日」

2024年11月11日 08時04分08秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
長野県渋温泉に行ってきました。

≪過去の記事≫

【2003年】
ずっと雨です。
しかし、急に真冬に入ってしまったようで寒いです。今日はホットカーペットを出してしまいました。
洗濯物も乾かないし憂鬱で、体がぜんぜん動かない。ずっとぼけっとしていました。
寒さは仕方ないとしても晴れ間だけでも出てくれればと思います。

【2004年】
篠田節子さんの「女たちのジハード」を読んでいますが、さまざまな社会の矛盾を抉り出しているように思います。バブルとかありましたが、浮かれていた裏に日本の貧しさと精神的安定の希薄さがあったのでしょう。
公園の桜の紅葉が散りはじめました。桜の木が裸になっていく時期が一番心細いです。12月下旬の冬至まで。日本経済もこの季節に似てますなぁ。。。。
小川洋子さんの「密やかな結晶」に、カレンダーが消滅したら島が永遠の冬になってしまったというところがありますが、ぞくっとして読みました。
冬至が過ぎる頃から寒さも本格的になりますが、日が長くなっていくと思うと気持ちが和らぎます。

【2005年】
昨夜は外食でした。
時々行く中華やさんへ。
いつもの胡瓜のニンニク和えをつまみにビール。ビールが中ビンなのでちょっと物足りなくなり健康薬草主をたのんだ。
梅酒のように焼酎に薬草を入れて熟成させて酒で、氷砂糖は使っていないので薬草そのままの味が。。。。
この味。。。。?
思い出した。。。。
まだ二十歳そこそこの頃、お袋の実家にいったら、今は亡き叔父がニコニコしながら梅酒を作るビンを抱きながら持ってきて、コタツの上にドンとおいた。
なんだろ?と見たら、そのビンの中にはマムシが1匹。
「まあ、飲んでみろ」と言われて氷も入れないグラスに注ぎ込んでくれた。
何というんだろ?生臭さのあるやはり蛇の味としか言いようのない味だった。
昨夜の健康薬草酒は、この味を思い出したのだ。。。。
薬草酒ということだからマムシは入っていないと思うのだけど。。。。
うまいものではなかったが、氷を入れてある分飲みやすかった。
今朝、なんとなく体調がよいような気がした。。。すぐに暗示にかかるこの性格。。。ハハハ
そうそう。。。
マムシ酒を叔父から飲まされたと帰宅してからお袋に言ったら、「あの叔父さんの作った酒は飲んではだめだよ!死んでいたマムシを入れてあるだけなんだから。あの叔父さんが生きたマムシなんか捕まえられるはずがない。いつ作ったものやら。。。」と。マムシのアルコール漬け標本のようなものを飲まされたのかもしれない。。。

【2006年】
昼過ぎ、娘が突然腹が痛いと言い、そのうえおもいっきり吐いていた。
突然だったのでびっくりして救急の病院へ。
盲腸じゃないかな?とも心配をしたが、医者は盲腸ではないでしょうと。けっきょく痛み止めや胃腸薬をもらっただけで帰ってきた。
家に帰り、なんなのだろと話していたら、どうも昨夜食い忘れてテーブルに置き忘れていたシュークリームを食ってしまったらしい。たぶんそれにあたってしまったのか?
吐くだけ吐いたら夕食も食えるようになりました。
まったく。。。。食い意地が張っているんだから。。。ううう
そういう僕もなんだが風邪の初期症状が。。。
風呂に入ったらガッと寝よう。。。。

【2007年】
ううう。。。。
左にあるように複雑な天気です。
寒いです。。。。。
寒波かな。。。。。
冬の雷
冬の雷はなぜかロマンチックです。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
カネ余り、庶民にとってはどこの話?ということが経済問題になっているらしい。
アメリカによる追加金融緩和によりドルがばら撒かれている中でのカネ余りだそうだ。金融緩和。。。よくわからないが日本のゼロ金利政策のような形で市場に中央銀行がカネをばら撒くということでしょうか。これは日本もゼロ金利に戻り、それに加えて日銀が直接市場に金をばら撒くと言った形でも行われようとしています。
景気回復あるいはデフレ対策のために市場に金をたくさん流すという政策は一見正しいようですが、これはさかさまな論理で、カネ詰まりまたは金がどこかに吹き貯まっているをしている市場にさらに金をばら撒くのですから結局はドルや円を安くして輸出に有利な体制を作るという市場原理無視の政策的金融処置と言うことでしょう。
すでに市場に任せておけば・・・・という新自由主義が破綻をして、先進国は発展する新興国に脅威を感じた市場介入なのかもしれません。
景気回復には貨幣の流通速度が高まらねばなりませんが、貨幣の流通速度=商品(生産物)の流通速度ですから、この生産物はデフレの中で流通速度を落としている。そこに新たな資金が流れ込んでくるわけですからカネ余り減少は加速するわけです。その解決が金融や株式あるいは穀物市場や金の市場などに流れるみたいで、すでに中国では綿の市場価格が高騰しているそうです。商品生産部門の停滞に対する金融や株、穀物や金の市場の過熱。これは相当大きな矛盾として現れるでしょう。アメリカが日本と同じようなことをするんですから。
ドル安誘導の中でアメリカは日本やドイツそして中国に内需拡大を求める。
一番先に書いたように日本の庶民は「カネ余り?どこの話?」状態なわけで、それどころか生活不安は高まるばかりのデフレ状態です。
中国は経済成長率をまだ維持してますからね。経済格差の是正に望みはあるわけですが、日本はデフレのうえ、もしかして政策インフレにでもなればスタグフレーションともいえるような中にさらされて生活は悪化する。関税自由化は工業製品の輸出を守るために農業は破壊する。

【2011年】ツイッターつぶやき
復興財源としての煙草増税が見送られるらしい。喫煙者の僕としてはうれしいですし当たり前だと思う。自民党がどのような理由で煙草増税に反対をしたのかはわからないが、この前も増税があったばかりでもあり増税理由も差別的でしたからね。
2兆2千億もの金を喫煙率が30%を切るようななかでこの一部の人にこのとてつもない金を出させようとするわけですからひどい増税案だったわけです。
新聞の投稿欄には、2兆2千億もの金を煙草税をあげなければ所得税の増税分が増えるなどというものもありましたが、2兆2千億もの金を一部特定の人間から取ることがとてつもなく理不尽な物だったのです。
しかし結局はこの煙草増税分は個人住民税の増額によって補うと。
なんだか煙草増税をしないから一人あたりの増税が増えるというような後味の悪さを感じます。もちろん今のところは煙草増税見送りに対して非喫煙者側(組織)からは何の声もありませんが、タバコ増税をしないから一人あたりの増税幅が大きくなったことばかりが大きくいわれそうで後味の悪いものを感じます。
個のような喫煙者と非喫煙者との損得関係や対立関係のように見えることもありますが、そうではなくて、一方では法人税の減税は計画通りにやられるわけです。むしろこっちの方に目を向けるべきでしょう。

【2012年】ツイッターつぶやき
9日にも引用しましたが、
『私たちは、これまで既得権益の構造から排除されてきた人々、まじめに働き税金を納めている人々、困難な状況にありながら自立をめざす人々の立場に立ちます。すなわち、「生活者」「納税者」「消費者」の立場を代表します。「市場万能主義」と「福祉至上主義」の対立概念を乗り越え、自立した個人が共生する社会をめざし、政府の役割をそのためのシステムづくりに限定する、「民主中道」の新しい道を創造します。』(民主党「私たちの基本概念」より引用)
この中に書かれる『「市場万能主義」と「福祉至上主義」の対立概念を乗り越え、自立した個人が共生する社会をめざし、政府の役割をそのためのシステムづくりに限定する』という言葉はいろいろに解釈ができます。
素直に読めば、市場万能主義と福祉万能主義の対立概念を乗り越えというのは、ある意味対立する二つの概念の矛盾から新たな概念に基づく社会のシステムをつくるという事になります。しかしこの新たなシステムは中道としてあらわされるわけですから、どこか二つの概念の中間的な適応にとどまるというように見えます。市場万能主義は新自由主義といってもよいと思いますが、この矛盾が『「生活者」「納税者」「消費者」の立場を』悪化させてきました。その意味において市場万能主義は否定をされる。しかし『「生活者」「納税者」「消費者」の立場を』国家予算に依拠をしてその国家予算をつくる増税に置くならばそこにも矛盾が出てきます。ですからこの両方の中間的な道を模索するというのが中道という位置づけになるのでしょう。
結果的にはこの二つの概念にどっぷりと浸かってしまった最悪の政策が野田政権であり、市場万能主義は野放しにして、消費増税に見る増税による福祉至上主義に落ちてしまった。二兎追うものは一兎も得ずというこれもまた中道なのかもしれません。
民主中道という民主党の基本概念は、『「市場万能主義」と「福祉至上主義」の対立概念』というところから間違いが発生していました。
もちろん政策的な対立としては市場の安定からの企業利益の配分としての国民生活か、企業利益を再配分させるための福祉国家化という互いに対立する概念ですが、市場万能主義による自己責任の社会は貧富の差を広げていく矛盾を引き起こし、福祉社会はその貧富の差を国家が緩和する役割を行うがそこには国家財政の危機が生まれるという矛盾が生じる。どちらの立場に一方的に立っても矛盾は拡大するわけです。市場万能主義による貧富の拡大から国による弱者救済という面での社会保障の役割が拡大をして福祉国家が必要になる。
結局は福祉国家論というのも企業や富裕層からも多くの税金を徴収して所得の再配分としての社会保障としての福祉国家論は純粋な意味でその概念はあるが、市場万能主義による企業利益優先からの国民生活の低下を国家が補うために作られた概念という面がある。市場万能主義も福祉国家論も企業利益・富裕層の優先という中での同じ根っこからの矛盾なのである。
『「市場万能主義」と「福祉至上主義」の対立概念を乗り越え、自立した個人が共生する社会をめざし、政府の役割をそのためのシステムづくりに限定する』とは、互いに対立するかのように見える二つの概念の矛盾を発展的に新たな概念を作り上げなければならないという事であり、そのシステム化が国家の今の役割なのである。中道という概念ではなくて市場主義や福祉国家論の矛盾からより発展した概念とシステムづくりが必要なわけで、そのより発展した概念が社会民主主義だろう。
市場万能主義には一定の規制や計画性を持ち込み、企業の利益と発展には国家が前面に出て支援するが、企業利益は国民に再配分され、その再配分は福祉というものではなくて社会システムの中から受け取る正当なものとして位置づけられる。ある意味福祉という言葉が死語となる。社会保障制度は個人を援助するものということは残るが、基本はその公助とともに共生する社会からの利益での自己の確立である。

【2013年】ツイッターつぶやき
経済成長と国民生活の向上は切り離せない関係にある。経済成長による商品の大量生産と低価格化は経済の法則です。それは機械化や生産ラインの改良という生産性の向上によるものです。同時に輸送や商業部門にもこの生産性が上がることによっても低価格化を進めます。これにより労働者は同じ賃金額でも以前より多くの商品を手に入れることができるようになり国民生活は恒常をします。ここに資本主義の基本的な社会性・発展性があるはずなのです。
しかし商品価格が下がるということは企業にとっては利潤の低下につながります。その中で以前の日本のように大量生産・大量消費が必要になります。大量消費は消費を極端に高めますから需要が大きくなる。その時にインフレ傾向が出ます。市場には貨幣量が足りなくなって貨幣の発行量が増えます。消費が拡大しているわけですから企業は資金が豊富な中で設備投資を加速させる。同時の消費の拡大は商品価格を引き上げる人為的な作用が働く。商品の価値と価格が乖離が大きくなる。土地など本来価値のない(土地自体は人の労働で作られたものではないので本来価値はない)使用価値だけのものの価格が上昇する。株価も基本価格から離れて投機対象となりやはりどこまでも上昇する傾向を示す。しかし先に「労働者は同じ賃金額でも以前より多くの商品を手に入れることができるようになり」と書きました。その中でインフレの進行によっても賃金は上がらないですからインフレによる物価高は次第に労働者の消費を低下させていきます。はじめは低賃金層や年金生活者などに現れて次第に中間層にまでそれが及ぶようになります。日本では高度成長期に「狂らん物価」という言葉がありました。
70年代から80年代にかけて物価上昇に対して春闘が盛り上がりストライキを背景にして大幅な賃上げが起こります。それに対して企業は賃上げはインフレを加速させるとしてしだいにストライキを抑えて賃上げ率を下げていきます。それに伴い一方では企業の内部留保が増えていきます。日本はアメリカを追い抜いたとも言われて企業活動はその資金を伴い国外に出ていく。国内では銀行や証券会社そして大企業ではボーナスという形で労働者も潤うような現象もありましたが、賃上げはやはり5%前後だったと思いますが労働者内部では投機的な株や不動産をはじめ物価上昇により経済成長の恩恵を受けられない層も出てくる。有り余る金を銀行は担保もなしで貸し出されそれは株や土地そして海外にも投資をされて絵画にも信じられない金が動く。投機自体が経済の成長を示すようになればそれはバブルですしそれは必然的な崩壊をします。国は銀行や大企業救済に動き、労働者の状態は労働力も賃金も企業コストとなって削減されていく。
以上のような状態の良い面ばかりを夢見ているのがアベノミクスの量的緩和であったりアメリカの量的緩和でしょう。そして次第にそれは先進国病のように広がっていく。経済の成長過程においての過熱の中でのインフレ傾向と通貨量の増加を逆立ちをさせて、通貨量の増加によってインフレを起こそうとする。インフレの行き着く先の投機社会を逆立ちさせて騰貴社会をつくってインフレにすると。当然ここには労働者の状態は切り下げられる。投機社会の経済成長ははじめからバブルをつくりだすのが目的でしょう。
今の先進国には経済成長と国民生活は切り離されていきます。

中国「383」改革案。。。http://j.people.com.cn/94474/8439565.html# …「小康(ややゆとりのある)」社会。。。。途上国から先進国への次の段階的な改革でしょうか。格差の解決などを市場原理で?経済成長と格差の是正などの両立ができるかどうかですね。これまでの先進国はある程度行った。
しかし皮肉なことに成長と格差の是正を行ってきた先進国が今はそれを棄てようとしている。というよりもゆとりもなくなってきました。株価維持と金融市場の利益に国の豊かさの軸足を置くようになった。さて、中国は。。。。
     (10日のツイッターから)

先進国は上に書いたように常に成長をし続ける必要性から国民生活を引き下げようとする作用が働く。同時に労働者はその成長の見返りを求めて賃上げや社会保障の向上を求める。このぶつかり合いの中から生産性の向上の中で生まれる商品量の増加と低価格という経済の法則を実現させて国民生活を向上させる。
これがツイッターで書いた「成長と格差の是正を行ってきた先進国」の中身です。残念ながら労働側の力の低下と論理的混乱から先進国は投機的資本主義に突入してしまいました。その中で何が求められているかの答えが中国が提起している「小康(ややゆとりのある)社会」であり、成長と格差の是正をどう同時に行うかという課題提起でしょう。もちろん民主主義のない中国に労働者がストライキで大幅な賃上げをするといった自由はないと言って片付けることは簡単なのですが、では今の先進国が成長と格差の是正をどう同時に行うかという答えや提起自体があるでしょうか?中国が正しいとか正しくないとか、うまくいくか行かないかだけの議論ではなくて、成長と格差の是正をどう行うのかという発展の意識と論理をどう持つかということ自体が大切だということです。
中国は5か年計画の中に中期的な計画性を持って今のところはその成長から考えてうまくいっている方だと思います。その中に成長は行ったが格差の是正と実体経済の発展を課題だとしているのだと思いますが、それをどう実現されう家は見なくてはいけないでしょう。同時に先進国も成長と格差の是正をどう結び付けるかを理論的に作り出さねばならないでしょう。経済が発展すれは自然に賃上げもされて国民は豊かになるといった市場任せでは心もとないでしょう。少しばかりの成果が見えたとしてもではその成果がこれまでの量的緩和の量と比較した場合どうなんでしょうか?出口も見えないでしょう。
先進国は次第に社会民主主義に変化せざるを得ないでしょう。もちろん国民の犠牲を伴いながらの経済法則からですが。それが中国の市場主義的な社会主義とどこかで結びつくかもしれません。先進国の民主主義と中国の民主化も。

【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
「日本は未曽有の重税国家へ 全世代で生活ギリギリに」という記事があった。
起業はいまだに大幅賃上げを行わないで不安定雇用の増大を目指す。
国は社会保障の削減と負担増を国民に求める。
当然勤労国民の疲弊は増大するでしょう。勤労国民の疲弊が増大すればするほど企業の利益と政治の安定が表面的には現れる。
失われた10年からずっとこの方向に舵をとってきた日本社会は社会自らの疲弊としてあらわれる。
9人の自殺願望を持つ若い人が殺された事件でツイッター規制の動きがあると報道されている。ツイッター規制が始められれば他のサイトも自粛していくことになるでしょう。報道機関と同じように。
自殺者の人数が尋常ではない社会が続いている日本。ここを見ないと自殺と関連した犯罪もなくならないでしょう。
やはりこういう面でも社会は疲弊をする。
腕力や恫喝などが当たり前になっていく。
何でも有りの「得する」か「損するか」の社会。
社会の歯車が狂っていくでしょう。
勤労国民の疲弊は経済も麻痺をしていく。
日本は地盤沈下が激しくなっているでしょう。すでに経済の中心にある巨大企業の不祥事が続いている。

【2018年】ツイッターつぶやき
政府は来年の消費増税10%に向けて内需が落ち込むことを防ぐために10兆円の経済政策を行うという。
「複数の関係者によると、その規模は10兆円程度を目安とすべきとの意見も浮上。実質所得の目減り分5兆円台に加え、国土強靭(きょうじん)化の対応や海外経済減速の影響対応もパッケージに取り込み、全体として内需の落ち込みに対応」(引用)ーーロイターーー
実質所得の目減り分としての還元をやったところで、
「既に決まっている軽減税率や幼児教育無償化などの恒久的な対策で2.4兆円程度が国民に還元される。」(引用)
と、恒久的な還元は少なく一時的な経済対策に終わる。
一方公共事業などにも支出をして企業利益の確保が目的となる。
これまでのアベノミクスでの経済政策の失敗から国民生活から見ると消費増税には耐えきれないほどに経済政策の失敗が明らかになっていることの証明にもなっているでしょう。
一定の子育て支援はあるが、社会保障全体は縮小傾向にある。一つのさん世代家族という家庭で見れば、子育て部分は少しは楽になるが、祖父母の部分は苦しくなるなら世帯で見ればよくてプラスマイナスゼロでしょう。これでは消費増税には耐えきれない経済政策で終わることになり、企業利益だけがバラマキにより潤う構図が見える。
国民が消費増税に耐えきれないのだからむしろ消費減税を行うほうがよいのです。
せいぜい5%ぐらいに戻して軽減税率を入れ食品などは0%にすべきなんです。
国家財政をどうするか?
今回のような消費増税をしても税収は実質的には伸びないで支出増になるだけでしょう。

【2019年】ツイッターつぶやき
朝日新聞10日朝刊に「71歳働くしかない」という記事があった。安倍総理をはじめ政府は65歳を超えても働きたいと願っていると分析をしている。しかし現実の声は「羽田ら働かなきゃ食えない」「働きたいではなくて働かざるを得ない」という実態のある。60歳以上で働いた人の理由は「経済上の理由」が最も多く、老後の生きがいなどという悠長な理由ではない。
政府は働きたいと願っているという分析から、人生100年といわれる中で年金支給開始年齢を引き上げていく。
働かざるを得ないといっても70歳代になればまともな職はなくて警備員などという過酷な労働となる。体が動かなくなればすぐに食えなくなる。生活保護に頼らざるを得ない。
今、こうした老人世帯が増えているのでしょう。

【2020年】ツイッターつぶやき
今日の新規感染者数は全国で1540人でした。
東京では8月以来317人と300人を超えました。
北海道 197人
埼玉  116人
千葉   65人
神奈川 130人
愛知  104人
大阪  256人
兵庫   70人
沖縄   36人
その他の県でも感染者は微増しているところが多い。
政府はGo Toが前倒しではじまったころのGo To関連の感染者数を10人程度だといっていましたが、東京を解除した現在では130名程度に増加しているといっています。
感染が急激な北海道においては、7月22日のGo To開始後小さな波が出はじめて、10が地1日からの東京発着から第三波が来ています。(ツイッター 毎日新聞北海道)
沖縄も寒くなっり観光シーズンが下火になってからは減りはじめましたが観光シーズン中は大きな波が来ていました。
またGo Toは旅行等だけへの影響だけではなくて国民に外に出かけようという雰囲気を大きくしました。東京ではレベル2に引き下げられて飲食店の規制もなくなりました。
専門家は「ゆるみ」が出ているといい、政府は自己責任での感染拡大予防を言うだけです。尾身さんが飲食店ではマスクを片耳はずして料理を口に入れたらまたマスクをしろとコントのようなことを平気で話し始めています。
第三波が確実にやってきているという認識がマスコミを通しても言われるようになりました。しかし政府はGo Toの中止をためらっています。
たしかに経済をまわさなければいけないのですが、感染拡大の波がこれ以上高まったり広がれば経済政策も行えなくなります。
Go Toで大手旅行会社へのバラマキよりも飲食店などへの直接的な支援を行うべきだったのです。税金を湯水のごとくばらまくのではなくて国民生活に密着した使い方が問われています。

【2021年】ツイッターつぶやき
消費が伸びれば製造も増加をする。製造が増加をすれば設備投資も増加をして経済は好転していく。
しかし日本はこの経済の好転とは真逆にあるのではないか。
消費が減少するレば製造は減少をして設備投資も減少し経済は縮小する。
消費の減少とは労働者の生活の悪化です。実質賃金は下がり、高齢化社会において年金生活者の労働力も安く買いたたかれる。女性の賃金も買いたたかれる。またアベノミクス、日銀の量的緩和による円安誘導の副作用が大きくなり輸入品目の値上げがされる中で、その影響は生活費を圧迫する。
生活の悪化による消費の減少は、消費をしたくてもできないということでより良い生活を求めるにはより安い商品の消費を促す。少しでも安い商品が売れていくことは経済の中ではデフレ圧力となる。デフレ下では企業はより安く商品を売ることに競争がはじまる。企業利益を圧迫しそれはさらに賃下げに向かう。
しかし日本企業は海外生産をしているのですが円安で輸入品目が値上げをされれば海外生産をしている企業の利益ともなる。しかし輸入品目の値上げは商品の割高感を産み消費を減らす。
日本経済はどんどん縮小していきます。

【2022年】ツイッターつぶやき
出産一時金42万円は医療保険の保険料で賄うようですが、75歳以上の後期高齢者にも負担をさせるということが2024年からはじまりそうです。すでに医療保険については1割負担から2割負担に100%増加をしていますが、それに加えて7%の保険料アップでしょうか。
そもそも出産一時金を健康保険で賄うということ自体が間違っています。出産一時金は医療ではないはずです。社会保障ですね。
消費増税は何のために実施されたのでしょう。
一つの同居ではないにしろ家庭を見てみましょう。
親子三代がいます。子が出産をして孫が生まれる。この孫に国が42万円の一時金をくれると。しかしこの財源は祖父母の健康保険料の値上げによっても。家族単位で見ればどこが子育て支援でしょうか。消費増税は社会保障の充実のためにと10%負担させられている中で。。。。

【2023年】ツイッターつぶやき
夏日が続いていましたが一気に冬になりました。
今年は紅葉がきれいかもしれません。
今年の猛暑で木々がだいぶ弱っているかもしれません。
葉っぱが落ちてしまう紅葉もないまま冬枯れの木々。。。。
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「11月10日という日」

2024年11月10日 09時55分45秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
寒い雨でした。
選挙期間中、ずっとテレビコマーシャルで国民年金加盟をやっていた。
国民年金がなくなると誰が言ったのと江角マキコの恫喝的な質問。
誰が言ったという問題ではなくて、先々の年金全体への不安があるのだと思う。今でさえ国民年金だけでは生活できないのにこれから先どうなるのかという心配である。
このままでは掛け金の大幅アップか、支給額の減額につながるという議論はある。厚生年金加入者からみたら、国民年金との一元化も心配である。
たしかにべらぼうな掛け金のアップや支給額を減らしたりすれば国民年金はいつまでももらえるだろう。ここにうそはない。
でも、一般的な低所得者層はこれに耐えられるだろうか?
年金は、本来保険ではなくて福祉(所得の再配分)のはず。弱者は勝ち組にはなれない。でも弱者が働かなかったらこの社会は成り立たない。ここに所得の再配分が必要なのに。

【2004年】
電話加入権問題、難しいですね。
これから加入する人や、月払いというのでしょうか?月々680円?払っている人は当ですよね。半額は払わなくていいから。。。
しかし昔から加入している人は割り切れません。
たしか6000万回線4兆円といわれていますが、ものすごい数の加入件数ですし、ものすごい額です。
電電公社が民営化するときにどうにかしなければならない問題だったのではないでしょうか?民営化するときにこの4兆円を負債とするには大きすぎる額ですから、そのままうやむやのままにNTTに引き継がれたのかな?
民営化されたNTTは、私企業ですからね。グループ全体で4兆円の恩恵を受け継いでいるわけで、やはり加入権は債権化すべきでしょう。そして新規参入する会社は、回線数に応じて債権をNTTから引き受けなければならないでしょう。こうすることによって誰も損はしないし、平等な競争になるのでは?
4兆円は、今のNTTグループ全体の資産に価値移転されているはずだと思うのですが。。。。どうなのでしょう?
なんとなく国鉄の赤字を国民に押し付けたようなJR民営化と同じものを感じます。
以上、素人的な考えでした。見当はずれなら訂正します。

【2005年】
(記事なし)

【2006年】
保険会社の保険金未払いといったものが問題になっているようだ。
生命保険はどうかは解らないが、保健というものが必要なのか?
というのも、今の時期は税控除の申告時期だが、生命保険料の高さにあらためてびっくりする。年間、2,30万円を積み立てていたら今頃いくら貯まっていただろうか?だいぶ重い病気で入院しても大丈夫なほどの蓄えや、死んだときに家族に残せるぐらいのたくわえが出来たのではないか?
まぁ、これは僕のように入院というものをした事がない人間の感覚であるが。。。。
たしかに、生命保険料を払わない代わりにその額を貯金というのも意思が強くなければ出来ないが。
どうもだいぶ無駄金を人生の中で払ってきたらしい。。。ううう

【2007年】
スーパーに行き、ウインナーソーセージを買おうといつもの棚の前に行ったらない。。。。うん?
どうも陳列の場所を模様替えしたようでした。
自分の家のキッチンで塩はここに、醤油はここと決めておくからこそ料理もすばやく出来るのもである。
スーパーというのもウインナーはここと決まっているからすばやく買い物ができるのである。
大規模な模様替えでないにしろ、ウインナーの置き場所ひとつでパニックとなる(笑)カートを押しながらうろちょろと。。。。冷蔵品売り場はこの辺だからと探したがない。そしたら思い出した。。。反対側にも肉売り場があったっけ。。。カートをガラガラと押しながら人をよけて反対側までたどりつきウインナーゲット。
スーパーの陳列の模様替えというのは異界に僕を迷い込ませる。。。
11月発売と記憶している夏生さんの新刊が出ていないか本屋さんへ行ってきました。やはりない。。。出版社のホームページは情報が遅いので、いろいろとネットで検索したのですがなかったのですが、もしやと思い本屋さんへ行ってみたのです。。。
今出ていないということは。。。中旬か下旬という事かな?
どんよりしながら本屋さん通いが続きそうです。。。ううう
まぁ、本屋は好きだからいいけど。。。でも、余計な本には手を伸ばすのは気をつけねばならない。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
今夜は鶏肉の海老チリ風タレの炒め物と湯豆腐です。
鶏肉の海老チリ風炒めは、から揚げ用肉を塩コショウそして日本酒をふっておき片栗粉をまぶしてカラッと揚げます。中華鍋に油を引き、ニンニクと長ネギのみじん切りを香が出るように炒め豆板醤を入れてやはり香を出します。水と中華スープのもとを入れてからケチャップと砂糖と少量の醤油を入れて先ほどの鶏肉を戻して仕上げに胡麻油です。
湯豆腐は夕螺特製?のタレ。。。。。ハハハ
だし汁に砂糖・味醂・醤油を入れて濃い目の汁をつくります。仕上げに鰹節パックの細かい鰹節と長ネギのみじん切りを入れてさっとひと煮立ちしたら出来上がりです。
今コトコトと弱火で豆腐鍋で茹でてます。。。。。白い豆腐がゆるりと鍋の中で踊ってます。

朝からなんとなく嫌な感じだった

癖というのかジンクスともいえるのか

着替えるときにシャツはいつも左腕から

靴下も左足から

靴を履くのもいつも左足から

しかし今日に限って

すべて右からになっていた

なんだか嫌な感じですなぁ。。。

何で今日は右からなんだろ?

と考えているのですが

シャツを着た後すぐに靴下が右から

体調の加減なのでしょうか

体の重心が左に傾いたか

いつもと違う動作に

一日中何事もずれた感じ
       (Pm8:35)

【2011年】ツイッターつぶやき
waonのポイントを楽しみにしていますが、原発事故以来スーパーで食品を買うにもいろいろと心配をしながら買っています。
政府もマスコミもこういった食品の放射能汚染に対する不安と放射線量などが高く以前基準値以上の野菜などが出た地域の食品を消費者が避けることを「風評被害」という言葉で批判をしてきました。しかしスーパーなどで同じ野菜を並べてあるタナではやはり産地を選ぶことは避けらないでしょう。ネットなどでの放射能の話題がたくさんあり、時にはこういうネットの話題を取り上げて風評被害が言われることもありますが、こういう話題はネットにかぎるものではなくてスーパーの棚を見ればわかるものではないでしょうか。消費者は賢いのです。ネットに無関係であるようでもあんがいネットの情報は活用されているのではないでしょうか。
風評被害というのは、政府が500ベクレルという基準値(この値もそうとう心配な値です)を打ち出してこれ以下なら市場に出してもよいという中に生まれたものです。500ベクレル以下ならスーパーの棚に並んでいる。他の産地はどうなのかという中にやはり放射線量が比較的低い産地の野菜に手が伸びるわけです。この経過と結果総体が風評被害なわけです。同じ県単位の産地でも放射能汚染が低いところもあるはずですがそれも一緒に避けられるようになります。スーパーなどでは「東北を応援しよう」といったキャンペーンがおこなれていたところもありますが結局は売り上げに響くのではないでしょうか。
このような国自体が作りだしていたとも取れる風評被害をなくすにはどうすればよいのでしょうか。
国がこの風評被害を是正する気持ちがないわけですから、それは市場において行われざるを得ないでしょう。きちんと放射線量を測定する中での商品の安全性とその企業の信頼です。市場はより安全な食品を求める。その中で放射線量の高い地域はこの市場の中の競争に敗れるわけです。これは市場経済ですから避けることはできません。ここに東電を中心にした国の損害賠償があるわけです。
ネットを調べると放射能についてはきちんと測定をしてより安全な(このより安全なというのは子供たちには重要なわけです)ものを届けるサービスがあります。この中においてもその市場の中にスーパーも「東北応援!」という精神論では済まないものが当然出てきても不思議ではありません。
この中で、昨日の朝日新聞38面に、「放射線検出食品 売りません」と題された記事がありました。
waonでおなじみのスーパーイオンが放射線を少しでも検出された食品は売らないと発表をしたそうです。独自の測定によるものでしょう。
大手スーパーがこれを行うなら市場においての影響力は大きなものがあると思います。他のすーぱでも追随する動きが出るかもしれません。
良いことだと思います。スーパーへの信頼は徐々に高まるでしょう。
しばらくはイオンの独自ブランド「トップバリュー」と水産・畜産・農産物ということになるのでしょうか。。。。。。

【2012年】ツイッターつぶやき
TPPへの参加については民主党内にも賛否が分かれていたが、解散をめぐる動きが強くなっている中、TPPも選挙の争点化として野田総理は参加協議に入ることを決めると。しかし党内事情からして層は野田総理もはっきりとは言えない状態ではないか?
TPP自体もその中身からして日本の将来が左右される問題ですから選挙の争点化のために決めることがどうなのか。自民党は慎重姿勢と言われていますから自民党との争点になるという考えなのか。。。。。でも自民党も本当に反対なのでしょうか?TPPへの参加は慎重意見が強いと思いますが、自民党も選挙を考えればはっきりと参加は言えないという程度では?もしかしたら解散が前提ならという動きもないとは?
TPPも貿易量からすれば日本が参加したら日米の二国間協定と同じだという見方もありますし、これから多くの国が参加して日本が遅れてしまうという見方もありますが、日本が参加して初めて世界の貿易量を左右する協定となるわけで、結局はアメリカの戦略内でのものでしょう。アメリカにも反対意見はあるそうで、自由貿易といっても農産物ぐらい?
こういう中身も選挙がらみで複雑化をさせています。

【2013年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2014年】ツイッターつぶやき
商品の価値低下と過剰生産、製造業での失業の増加(可変資本)と工場設備などの不変資本を含めた資本(貨幣量)の過剰という経済法則がデフレ不況となって現れる。単なる物価が下がり続けるという定義のデフレではない。
物価が常に下がり続ける作用はこれまで見てきたように商品の価値低下による経済法則である。
もちろん物価は商品の価格だから一定の貨幣量によって現わされる。
商品の価値低下の中でも価格は上昇することがあるが、それは金貨の中に含有する金の量の変化だけで、悪貨を用いれば価格はいくらでも吊り上げられる。単に1万円が2万円と表示されるだけの変化である。価値は1万円でも2万円でもその価格の変化によっても変化しないのである。物々交換で考えれば自分の商品価格が2万円になっても相手が持つ商品価格が1万円でもその互いの商品を生産するのに必要な労働力量が同じならば等価として交換をされるのである。だからデフレからの脱却も物価を上げればできるというのではなくてそこにはデフレ不況は常に同じ形で残るのである。デフレ不況からは脱却できない。
このように商品価値は常に価格を支配する。
過剰生産による企業間競争は価格を価値に近づけるでしょう。
1万円の商品がその商品価値に近いとすれば、2万円の商品は1万円に下落することとなる。
商品の過剰生産は生産性の向上から絶対的なものである。しかし商品の価値低下を防ぐために人為的にな価格引き上げるならば、資本の過剰から可変資本が減らされているのだから労働者の賃金総体は減少してその購買力は人為的な価格引き上げの中でさらに個人消費を減らしていくだろう。すると過剰生産は総体的にも増えていくでしょう。絶対的にもそしてさらに相対的にも過剰生産が多くなれば、やはりそこから資本の過剰も増える。
ここでは絶対的な貨幣量が不足しているわけではなくて貨幣量が多すぎるのである。
もちろん貨幣量が多すぎるのは資本の過剰という中でのものでもあり、個人消費を担う労働者には絶対的に不足をしている。
人為的に物価を引き上げ、貨幣量が足りないからとさらに資本の過剰を生み出すような処方箋では経済は悪化をしてゆくばかりである。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
gooお題「こたつはもう出した?」
毎日家族の誰かしらが「そろそろ、炬燵を出さない?」と口に出すのですが、誰一人として炬燵布団を干したりローソファーの下の掃除を使用しようとはしない。炬燵もおっくうですなぁ。。。。
かといって炬燵抜きでは冬を乗り切れないし、日課の昼寝もできない。
去年はインコが見当たらないと思っていたら炬燵の中にもぐりこんでいました。
炬燵には蜜柑が似合う。。。。。炬燵の上には蜜柑やせんべいがいつもある。
炬燵に入ってよく使うものは手の届くところに置く。
昼寝用に枕代わりの座布団をローソファーのところにおいておく。
「立っている者は親でも使え」となる。。。
狭い炬燵周りに人が集まりテレビのチャンネル権を奪い合う。
     日本の冬の風物詩ですなぁ。。。。。
時々思うのですがこの日本文化を世界に広げるべきだと。。。。

先日近くの花屋さんで三つで200円の花の苗を買ってきました。
キンギョソウ二つとビオラ一つ。
大きなプランタに三つ並べて植えました。
やはりあまり元気がなくて小さい苗。。。。。
安くていいやと思い買うのですが、毎年売れ残ったような花を見るとかわいそうにもなって思わず買ってしまいます。
去年は三つで100円のアリッサムや撫子を買いました。アリッサムも撫子も小さな苗でしたが今ではだいぶ大きく育ちました。なんだか子供を育てるような気分で毎日見つめていました。ダメになりそうな葉っぱなどをむしって形を整えるのですが、するとなおさら小さな苗になってしまいます。そんな葉ですが今年の春から夏には大きく育ってたくさん花を咲かせました。アリッサムは剪定した茎を撫子やブルーサルビアやネメシアの隙間の土に植えて増やしています。春になってワンポイントに小さな花が増えればきれいだと思います。
今年買ったキンギョソウとビオラも元気になり花を咲かせ始めています。
そういえば、今年は種まきが失敗でした。気候もあるのかなぁ。。。。
ルピナスがすぐに発芽したのですが、気温が急に高くなった時に発芽した目が枯れてしまいました。残った種は春には発芽してくれるかと淡い期待をかけながら毎日水をやっています。

【2018年】ツイッターつぶやき
なぜ企業は労働者を雇って賃金を支払っても消費税を納めなくてよいのか?
国税庁は次のように書いている
「(1) 給与・賃金・・・・雇用契約に基づく労働の対価であり、「事業」として行う資産の譲渡等の対価に当たらないからです。」
ここには大きな間違いがある。
労働者は何かしらを企業に売るからその対価を得るでしょう。雇用契約も1日あるいは月に何時間労働をしてその対価はいくらと決められる。これは米を1キロ買ったから300円支払うというのと同じでしょう。労働者は企業の奴隷ではないから労働時間と賃金をはっきりと決めるのである。高ければそっちに売って、安ければ売らない。
労働者は労働を売っているわけではない。
ある商品を1日に10個作れと言われて1日に10時間以上も働かなければならないかといえば、そうではなくて8時間しか働かない。どうしても10時間働けというのなら割増賃金を含めた時間当たりの賃金を増加させる。だから1日10個の商品を作る労働を売っているわけではない。そのような労働を売っているわけではない。1日に8時間働くというものを売っているのである。それは1日に8時間「労働力」を支出して労働という結果を出すということです。ですから企業には労働力を売っています。
企業はこの労働力を買って消費をする。これが企業にとっても労働の結果となる。
労働力の消費段階が労働です。
企業も雇用契約によって労働者を雇うにしても、大企業において営業の仕事としてとか細かな職種を決めて雇うわけではない。雇用してからそれぞれの労働者の労働力の質によって部署を決めてその労働を行わせる。ここでもはっきりとしています。企業は労働力を買っているのです。
労働者は労働力を売って賃金という対価を受け取り、その賃金で生活を営む中で労働力を再生産して次の月も企業に売るわけです。これは商品の生産と同じですね。ある意味労働者は労働力を打つという事業を行いその労働力を譲渡して対価を得ているのです。
こう見ると労働賃金に消費税を支払わないというのはおかしいのです。
賃金にも消費税を支払うべきで、事業者免税点制度と同じく1000万円未満は益税とすべきなんです。
こうしなければ消費税の景気への悪循環はなくならないでしょう。
そして消費増税は社会保障にという観点から、消費税分を社会保障や年金の支給にプラスしなければなりませんね。

【2019年】ツイッターつぶやき
5時半
早く目が覚めた
ベランダに出ても風はない
まだ夜が支配をしている
部屋に入ってコーヒーを入れた
そのうちにコーヒーメーカーがゴボゴボと
飲み終わって出窓を見たら低い雲が赤みをおびている
またベランダに出たが空気は動かない
公園の紅葉した木に2羽の小鳥が来た
梢にとまって動かない
6時15分
すうっと微風が吹いた
鳥が鳴きはじめる
花たちの姿がはっきりしてきた
遠くにも小鳥の鳴き声が聞こえたらさっきの梢の鳥が鳴きながら飛び立った
車が通り過ぎていく
犬の散歩がはじまる
夜明け。。。。。。
部屋に入ってまたコーヒーをすすった

【2020年】ツイッターつぶやき
団塊の世代もそろそろ後期高齢者の仲間入りですね。
社会からは「高齢化社会」などと問題視されはじめ、今の若い人からは得した世代と時には攻撃対象になっている。
段階の生代という限られた年齢層だけではなくてその後の高齢者も含めてこれまで生きてきた社会というのはどのようなものでしょうか。
一つ言えることは平和の中で生きてきたということでしょう。
戦争に行かなかったというだけではなく日本が戦争に出かけていくこともなかった。そして内戦という戦争もなかった。
平和の中で生きた世代ですね。
しかし平和の社会というの野は、何も水や空気と同じように自然に存在したものではなかった。
団塊の世代にもいろいろな考え方を持つ人がいて保守系もいれば革新系もいた。その点では団塊の世代といっても内部闘争がありました。平和健康を押し付け憲法だからという理由で改憲するという人たちがいたし、憲法を守って平和を維持しようという人もいた。安保の考え方も同じでした。
ですからこの団塊の世代の内部闘争で自らは平和な社会に生きてこれたということです。
これは経済も同じである程度の社会保障を確立しながら一生懸命に働けばだいたいの勤労者も家や車を持てるという経済システムを作りました。そのためにはストライキもやればデモもやった。これにより国内の個人消費を維持して企業も利益を得たし、商品開発の競争も育って国際的な橋梁雲つけた。
そして2020年がやってきて、その平和と経済力の遺産でどうにか生きている。
危うくなっていますが、若いころ働き盛りの遺産は生きています。
ただ団塊の世代の内部闘争が徐々に右派勢力の力が強くなり左派勢力が負けてしまった。
この結果が若い人に夢を持たせることができず、今後平和であり続けるかの遺産も残せなかった。そしてGDPは今や先進国から落ちようとしている。中国に抜かれたのはまだ最近ですが、早かったですね。今後は韓国にも抜かれていくといわれる。もちろん戦争の危機はどんどん現実的なものになっていく。
そして最悪なのは若い人に遺産を残せない可能性が大きくなってしまいました。
老体に鞭打って。。。。。とはなかなかいきませんが、若い人の左派系の人々もいるわけですからお手伝いぐらいはしなければと思います。

【2021年】ツイッターつぶやき

               ≪ネメシア≫

2年程前の写真です。
先日ホームセンターの花売り場に行ったら今年もネメシアが出ていました。
プランターにスミレを2つ植えていますが、その間にネメシアを植えたいと思ったのですがだいぶ密になってしまうので諦めました。
そういえば寄せ植えなんてだいぶ詰め込んで植えますからね。。。。。
手入れをよくすれば大丈夫なのでしょうか。
ネメシアも好きな花の一つです。
寄せ植えというようなしゃれたものはやったことがないのですが、一度は挑戦したいですなぁ。

【2022年】ツイッターつぶやき
これから電気自動車が増加してくるとガソリンの消費が減るため税収減となる。そこで道路通行税のようなものが来そうです。走行する距離によって税額が決まるようですが、12カ月点検や車検の時にドット徴収されるのでしょうか?ガソリン車の場合もガソリン税は廃止されてこの新税でしょうか?そんなわけないですよね。早く電気自動車にしろと懲罰的に重複して取られるでしょう。
来年以降こうした増税が次々に。
今後電気料金の補助などが行われるようですが、こませを蒔いて最後は釣り上げる。

【2023年】ツイッターつぶやき
アメリカがくしゃみをすると日本は風邪をひくと昔言われていましたが、日本経済はアメリカに寄りかかってその発展もあった。今でもアメリカ経済に依存し、アメリカ経済を支えることにより日本経済もおこぼれにあずかるという形です。これは経済だけではなく政治的位置も同じですね。
岸田さんは、日本の預金高1200兆円を投資に回すと言っています。日本は円安ですから投資はアメリカに行くでしょう。借金をしてドルを買い利ザヤを稼ぐとか、そこまでやらなくてもドルを買っておくことやゼロ金利の貯金よりもドル貯金とか投資に。
年金積立金も危ないところも含めて投資に回されましたが、結局日本はアメリカを支えることでしか生き延びられないのでしょう。
しかし、日本も中国との関係を深めて経済的互恵管絵を気付けばアメリカ依存も軽くなるでしょうに。
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「11月 9日という日」

2024年11月09日 08時23分11秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
衆議院選挙の投票に行ってきました。
はがきを渡したとき、名簿をのぞいたらあんまり投票に来ている人がいませんでした。
低投票率かな?・・・・・わが町では・・・・ハハハ
今夜は牡蠣フライでした。
鍋もいいし、卵とじにしてもおいしいですね。でもやはり牡蠣フライが一番です。そういえば今年の初夏の頃、茨城県の那珂湊にある市場に行った時岩ガキが売られていました。その場で剥いて食べさせてくれるのですが、実が大きく味が濃くておいしかったです。でも、泥だらけの貝殻で少し気持ちが悪かったですが。。。。

【2004年】
平年だと木枯らし1号の季節だそうですが、暖かいです。
日中は、Tシャツ1枚の人も見かけました。
とは言え今夜はトン汁。僕の好物です。
こういう季節は、いきなり冷え込みがきつくなるとも聞いたことがあります。風邪等には気をつけたいと思います。
ハムスターのスズの小屋に真綿を入れてやりました。この暖かいにもぐりこんで寝ています。ハムスター用の玉になった真綿なのですが、10個ほど入れてやると、上手にほぐして洞窟のような巣を作ります。本来は土に穴を掘って巣にするようですが、真綿の洞窟も上手く作り出入りしています。
本格的に寒くなったら冬眠しないように気をつけなくてはならないのですが、真綿を入れてやれば大丈夫でしょう。

【2005年】
本田美奈子さんの葬儀のニュースが流れていた。
38歳ですかぁ。。。。
たしかぁ。。。臍出しのアイドル時代があったと記憶しているのですが。
アイドルを卒業して、「ミス・サイゴン」などのミュージカルに出て、歌を練習してくらっシックの歌までたどり着き、やっと自分の道が見えたときだったのでしょうね。
無念だったと思います。ご冥福をお祈りします。
テレビのワイドショウーでもたくさんの訃報が流れますが、こんなに涙涙の報道も少ないのではと思うほどに悲しく報じられていました。本物の歌手を目指していたのでしょう。最近はあまりテレビに出ていなかった女性歌手のインタビューもありました。僕は芸能界に疎いので本田美奈子さんの良さはわからなかったのですが、なんとなく報道を見ていて大切な貴重な歌手がなくなったのかなと思いました。
もしかしたら、来年から僕は病人に指定されるらしい。
その名も「ニコチン依存症」という立派な病名をつけられるかもしれない。
「依存症」と言われると、アルコール中毒のような私生活においても社会生活においても支障をきたすような病名にとらえられるのかも。。。。
冗談じゃない!!
今は嫌煙運動も活発になり、禁煙の場所が多くなっているし、会社の中でも会議中は禁煙が当たり前になり、マナーも厳しくなっている。その中で僕自身もいろいろ考えることがあり、レストランなど様々な場所で我慢をして禁煙と言われれば守っているし、最近は携帯灰皿まで持っている。たしかにニコチン欲しさにタバコを吸っていることもあるが、「依存症」とは言われたくない。増してや病気などとはチャンチャラ可笑しい!
タバコは立派な嗜好品なのである。
私生活にも社会生活にも支障がないにもかかわらず「依存症」という病気にされるなら、酒を飲まずには本音をいえなく、人間関係や仕事がスムーズに行かない酒飲みはみんなアルコール依存症になってしまう。高尚な趣味であるようなワインを毎日飲んでいるワイン愛好家もワイン依存症になってしまう。紅茶依存症、コーヒー依存症。。。人並み異常な嗜好品があるとみんな「依存症」という名の病人にされてしまう。
しこ品でもあるタバコがなぜにここまで差別されなくてはならないのか?病気にさせられてはそれは人権問題である。
それも「依存症」という病気に指定をするというのも医療費抑制だと言う。
そうならば何万人にも及ぶ交通事故での医療費はどうするんだ。
「肺がんをはじめ、心筋梗塞や脳卒中などの生活習慣病を引き起こすとされる喫煙を減らすことで、15年後の医療費は少なくとも約1846億円抑制できると見ている」(朝日新聞)
この記事にあるように喫煙の危険性は、「される」なのであり、肺がんや心筋梗塞、脳卒中の因果関係はタバコだけではないのでは?今の社会的ストレスや酔っ払い天国をどのようになくすのか、アスベスト問題をどのように解決するのか!
肺がんが多いというなら、肺がん死亡者の司法解剖を義務化して予算を立てるべきで、この方がよっぽど社会のためにはよいはずである。タバコなのか、大気汚染なのか、アスベストなのか、様々な要因の複合的なものなのか。そのような科学的なものからタバコ規制はされるべきなのに。
たしかにできるところから改善するという論理はあるが、以前にも書いたが、喫煙という個人的な問題を大きく取り扱うのは簡単であり、しかし、この個人的な問題だけに目を奪われると社会的問題が目に入らなくなってしまう。

【2006年】
天丼を肴に冷酒。。。
今夜は仕事が遅くなり外食かなと思っていたら、妻からメール。。。
仕事が遅くなり出前だったけど、息子の分として天丼をたのんでたけど、息子が食べないそうだからお父さん食べてと。。。ううう
冷たい天丼を肴に酒というのは初めてでした(笑)

【2007年】
風邪ひきのどんよりした頭で感想文を入れました。
内田さんの「疲れすぎて眠れぬ夜のために」の感想なのですが、こういう本は難しいです。さらっと読めば「ハハハ。。。なるほど。面白かった」で終わるのですが、どこか引っかかりはじめるとそれが何かが難しい。
「あんまり自分で立てた原理原則なんかに縛られないで、その場の気分に乗って、気楽に生きましょう。」
こういうのって僕も好きなのですが、1冊の啓蒙書としての本となるとちょっと引っかかる。
感想文には、夏生さんの「あとがき」との関連や夏生さんへの影響という面を書きませんでしたが、ある意味、これまでの夏生さんの生き方とシンクロする部分があるわけでして、、、
でも、なんと言うのか、夏生さんの場合は日常の中にそれがあるわけで、内田さんの場合は、それを社会論的な啓蒙にしたところに日常の例があるわけです。夏生さんのほうが素直さがある。
「銀色ナイフ」をもう一度読まなくてはならないかな?

「疲れすぎて眠れぬ夜のために」 内田 樹  著
2003年角川書店より単行本として発売になった本の文庫版です。
今の世の中でどのように生きるかというような啓蒙書という類は難しいです。今の世の中を肯定しているわけではないし、否定をしている事に間違いはない。しかし全体を通して読者に残るものは、今はこういう時代なのですからこういうふうに適応していかなくてはなりませんよというものに落ち着く。
これは、今の世の中を肯定はせずに否定はするが、こう生きていくしかないという現実主義的な肯定になるという変な弁証法的なものを見る事ができるのではないか?
社会科学書と啓蒙書は、どこか味噌も糞も一緒にした様に区別があいまいです。啓蒙書というのは同じように今の社会の現状を否定しながら書きますが、必ずと言ってよいほど心のもち方に結論が導かれていくものと思います。また、今の社会はこうだけどと否定をするが、まぁ、そうは言ってもその中に暮らすしかないし、心の持ち方一つで違ってきますよという形で今ある社会を消極的に肯定をしてしまうからあまりよくないのです。
社会科学書というのは、今の社会を分析しながら社会のシステムの上から否定をし、そのシステムをどのように切り替えていくかというようなものであると思います。ここでももちろん今の社会で生きざるを得ないものがあり、それを日常の中の例としてみますが、それをどう改善するか改善しなくてはいけないかを問いかけます。これが本来の啓蒙ともいえます。
さて、「疲れすぎて眠れぬ夜のために」ですが、この本のメッセージはどこにあるのかをご自身が次のように書いています。
「あんまり自分で立てた原理原則なんかに縛られないで、その場の気分に乗って、気楽に生きましょう。」
             (262ページ「文庫版あとがき」)
このわかりやすく簡単な文に、僕もやはりこの著書の言いたい事があるのではないかと思います。
たしかに自分の立てた原理原則にがんじがらめになってしまいますと疲れますよねぇ。ノイローゼになり眠れなくなってしまうかもしれません。自分のためと頑張っているのはいいですが、結果としてはぜんぜん自分のためになっていない。眠れぬほど疲れきってしまえば心身のためによくないし、それで病気にでもなったら将来がなくなる。
そこで「ほんらいの利己主義」になりなさいと内田さんは書きます。
自分のためという利己主義で頑張っているのですが、これは目先ばかりを見た利己主義で、体を壊してしまったら何にもなりません。これを今の競争社会という面で見れば、個々ばらばらに人が利己主義を主張して行動すれば、際限のない競争になり、その利己主義はかえってその個々の人間を不幸にする。自分が幸福になりたいからと競争という利己主義に走っているが、それがかえって不幸にするという結果を生むということでしょうか。
そこで内田さんは、ホッブスの名を上げて「ほんらいの利己主義」を書きます。
「ホッブスやロックが近代市民社会論を書いたときに近代の市民に対して『利己的にふるまう』ことを勧めたのは、人々が自分の幸福を利己的に追求すれば、結果的には必ず自分を含む共同体の福利を配慮しなければならなくなる。と考えたからです。利己的な人間は必ず家族や友人の幸福を配慮し、共同体の規範を重んじ、世界の平和を望むはずだ、と考えたのです。だから、個人が利己的に行動して己の利益を最大化するべく努力する事を共同体の基礎にしたのです。」
                   (20ページから21ページ)
これは、人は社会的な動物なのだからほんらいの幸福は社会的なものからしか望めず、ほんらいの利己的であるということはこのような社会をつくる事にあり、その社会の規範の中において幸福にもなれるということであるということになる。
しかし、同時に、これは資本主義社会を産み出す論理でもあり、その社会の市民の役割を問うたという時代性においての論理であり、利己主義的な利潤追求が何をもたらしたかは、今のような疲れすぎて眠れない夜をも作り出したのでのです。
一つの観念的な理想の国家(共同体)を前提にすれば、ここの人間の幸福はその国家の規範のもとに成り立ち、それは本来の意味での利己主義の完成であり、同時にそれは利己主義という観念そのものがなくなります。しかし、利己主義は自由主義でもあり、ホッブスの頃は封建制から資本主義への政治的過渡期であると思いますが、封建制を否定し個人の自由(利己主義)を確立し、そしてそれは、国家の強力な規範にまで高められる中に(資本主義社会の論理の規範の中に)個人の自由(利己主義)は、高次化されなければならないということかもしれません。これはその時代性において進歩的でしたが、この理想は理想でしかなかった。新たな低次元の自由(利己主義)が優先され、「自由国家の理念」だけが言葉としてスローガンとして国家の規範となり、金の(経済の)支配を規範として一般国民に押し付けるものになってしまった。
だから「利己的な人間は必ず家族や友人の幸福を配慮し、共同体の規範を重んじ、世界の平和を望むはずだ」というのは、理想でしかなくなってしまいます。それ以上に「共同体の規範を重んじ」という個人を抜きにした国家主義が台頭する。個人と国家との逆転が生じてきた。もちろん資本主義は「福祉国家」や「国民経済」とかその理想の姿を常に追い求める勢力もあるが、獰猛な「新自由主義」をも生んでおり、それは原始的といってもよい資本主義に戻るものにもなっており、今の社会のさまざまな矛盾を生み出している。
「利己的な人間は必ず家族や友人の幸福を配慮し、共同体の規範を重んじ、世界の平和を望む」ことは、再び個人の利己主義に突きつけられる状態になってきたのです。
この今の状況から内田さんの著書ははじまるのかもしれません。
封建制から資本主義への啓蒙としてのホッブスの哲学が、資本主義から次の時代への移行するためのホッブスの再評価かもしれません。
「あんまり自分で立てた原理原則なんかに縛られないで、その場の気分に乗って、気楽に生きましょう。」
とはいえ、内田さんの中には社会科学性はあるのであり、原理原則はおありでしょう。ですから以上のことからうかがえるのは、「原理原則なんかに縛られないで、その場の気分に乗って、気楽に生きましょう」というのは、今の社会の中においての社会的規範(緩やかな意味での社会常識といってよいかもしれません)に片意地張って生きるのはやめましょうということでしょう。もっと利己的になりましょうということでしょう。
これを「個人に対して」お話しをしているのですが、この意味において社会科学ではなくて個人への啓蒙書という性格を持ちます。
「ワンランクしたの自分に」の
「簡単に『幸せ』になれる人間というのは、なんだか薄っぺらで、バカにされそうですけれで、ぼくは『すぐに幸せになれる』というのは一種の能力だと思います。」
        (11ページ)
「人はどうしてオヤジになるか」の
「『不快に耐えている』という事を自分の人間的な器量の大きさを示す指標であるとか、人間的成熟のあかしであるとか、そういうふうに合理化してしまったのです」
「でも、彼は自分が『不愉快な人間関係』の原因であることを知りません。なぜ宿命的に自分の周囲には不愉快な人間しかいないのであろうか、ときどきやけ酒を呷るぐらいです」
              (25から26ページ)
というのは面白いですね。まさに
「その場の気分に乗って、気楽に生きましょう」という生き方の真髄であり、個人への心の持ち方の啓蒙思想であります。
でも、あハハハ。。。と、こんなオヤジを前にして笑ってもいられませんよ。
「ビジネスとレイバーの違い」では、同じ「仕事」と訳されるがその中身には違いがある。「暮らしていける最低限のレイバーだけして、お金を稼いで後は好きな事して暮らしたい。それなら、働くのは時間の空費であり、苦役でしょう」と。
女性が働く事についてはどうでしょう?
「(専業主婦志向のーー夕螺)彼女たちは、母親たちの世代が、住宅ローンなど身の丈にあわない借金を背負い込んで、低賃金のパートなどをして必死にローンを払う姿を見てきているわけです。」
ここでは、個人より上に立つ国家の規範があったはずなのです。
労働時間の短縮・休日増は、だれでもが望みました。しかし変形労働時間制でごまかされ、バブル崩壊は、「好きな事して暮らしたい」という要求を社会的に与えてくれました。団塊世代へのリストラは30歳代まで拡大され、就職浪人は巷に溢れました。
母親は自分を否定する専業主婦志向の娘に涙ながらに言うでしょう。
「そんなに私の生き方を否定するなら、何で身の丈も知らないで高校や大学に行くなんて言ったのよ。そもそも義務教育は中学までなんだから。私だってあんたが可愛いから我慢したのに。パートだって好き好んでいったわけではないのよ。私だって我慢して疲れながら生きてきたのよ。」と。
これは、上に書いたオヤジと同じく、オバサンがそこにいるのです。今の若い世代の方もオヤジ化オバサン化は今のままでは社会的に必然なのです。
「不愉快な人間関係」からも逃げられません。
もちろん心の持ち方によるささやかな幸せは否定をしないばかりか大切な子事と思います。そしてそのささやかな幸せの中にどうにか僕も社会の中で生息できます。しかし、資本主義の老衰の中でこのささやかな幸せさえ段々と先細りになってきています。この著書が発売になった2003年からの4年間を見てもわかります。
この社会に個人がどのように向かい合うか。それはもちろん本来の利己主義を発揮しなければなりません。しかしそれは、今の社会の規範や常識という範囲の中で 「その場の気分に乗って、気楽に生きましょう」からだけでは生まれません。
社会の規範は今のこの時点の通りです。個人はこの規範にのみ幸せになります。人間は社会的動物なのですからというこの狭苦しい個人への啓蒙。「その場の気分に乗って、気楽に生きましょう」という心の持ち方としての啓蒙。
日常いろいろいやな事がありますが、それは個人間の問題と見えます。しかしそれには必ず理由があってずっと手繰ると社会が見えてきます。その意味では、今の老衰した資本主義を内田さんは「賞味期限切れ」の資本主義として現しているのかもしれません。ここに内田さんの社会批判はあるのです。しかし、この今の社会を批判すると同時に、「その場の気分に乗って、気楽に生きましょう」という個人への啓蒙とがどこに結びつくのか?
それは次の言葉にあります。
「国民国家、人種概念、階級制度、一夫一婦制な、この先あまり長くは持たないと思いますが、まだこの後50年ぐらいは賞味期限が残っている。残っている間はまだ『賞味』できるわけですから、『次のもの』がくるまでは、何とかこれを使い回ししてしのぐしかありません。」
「そのうちもっと合理的な制度に代わるべきものであるなら、そこにどうやってソフトランディングするかということをみんなで考えましょう」
                 (207ページから210ページ)
そのうちに今の社会は賞味期限切れになるのですから、それまでは「その場の気分に乗って、気楽に生きましょう」という事でしょうか。
それは、「利己的な人間は必ず家族や友人の幸福を配慮し、共同体の規範を重んじ、世界の平和を望むはずだ」という楽天性にあるのかもしれませんね。
しかし楽天性もいいが、何とかこれを使い回ししてしのぐしかありませんし、どうやってソフトランディングするかは問われます。
最終章は、「資本主義VS人類学」としてまとめられています。
「ぼくたちの社会にとっての利益が最大化されるようなオプションをみんなで話し合って考えてゆきましょう。」
結局は社会と個人というものに集約されているのでしょうか?
社会というのは不思議なものです。
人間が寄り集まって社会というものを作っているという面では社会は人の自由な創造物です。しかし、この社会は逆に人の意識を変えていきます。時には人を縛り付けるようになります。人は社会のシステムにがんじがらめとなり自由をなくします。それではいかんと、人はまた新たな社会をつくろうとします。
この繰り返しですね。
利己主義は社会をつくる原動力です。それは自由でもあります。このさまざまな利己主義と自由の中に衝突も起こる。この衝突が社会のシステム上に現れます。今の資本主義のように富がある特定の利己的な自由により集中します。日本は富める国です。ですから貧乏を言う事は出来ないともいえますが、この富は世界の貧しい国々の本当の貧乏と対になっています。国内にも相対的な貧乏があります。豊富な物があるが手に入らないという貧乏です。このように富が集中することによる矛盾は、物を大量生産をして売らなければならないという資本主義に矛盾をきたします。今の日本がデフレから脱却できないというのも、貧しい国に借金をさせたり援助したりしてその商品を売りつけようというのも破綻しました。こう見るならば、個人の利己主義や自由は制限されなければならないという結論にもなりますが、そうではないのです。オプションがあるとすれば、社会のシステムをどうやって抑えるかという人の本来の利己主義と自由を駆使しなければならないのです。今の社会で甘い汁を吸っている人たちの利益を抑えるのは利己的な自由を抑える事ではありません。このままでは破綻をするということからの開放です。
もう人類の生存すら危ぶまれるような環境問題や地球の汚染。残り少なくなってきた化石エネルギー。省エネルギーを提唱するが国益によって否定をされる事。競争に勝つためには商品をより安く生産をするには国民を貧乏にするしかないという矛盾。もう国という共同体という狭い範囲においては解決できないものです。競争に勝つためにという無意識にしろ国を越えた共同体というのが考えられはじめました。社会システムはこのようなもっと優れた国を超えたものを求めているのだと思います。ですからオプションは、そのために「本来の利己主義」を発揮をし、自由に社会システムを変える自由を求めているのです。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
風もなく音もたてずに散る落ち葉
はらはらと螺旋を舞て暗き朝
時止まり冬の紅葉は紅に
見上げれば空は白みて筋の雲
朝ぼらけ東の雲は静まれり

鳥一羽鳴きもせずして過ぎ行くに
朝の気は目覚め動きて波となり
揺らめきし風清くして空に舞う
足元の落ち葉密かにささやきて
揺れる枝また一枚の葉を落とす
冬の精まだ穏やかに笑みこぼし
青ざめし心の中を撫でをりし

鳥渡り明るき空に影の雲
うっすらと紅の光りは雲照らし
日は昇り地平のビルのシルエット
熟し柿暖かき色そのままに
登りつつ眩しくなるや恋の色



拝啓 川上弘美様

日記を拝読させていただきました。
「精神的DVD」という今回の表題を読み、まず何かおかしみのあるものでしょうが川上さが精神的に落ち込むようなことをされたのかなと真剣に読みはじめました。
首振りテレビのお話しは、そんな首を振るテレビというのがあるのかと半信半疑のまま読みました。
次がお友達とのお話しでしたね。知り合いの女性が夫から。うん?でも普通の話ではと。次の保健保険のお話しを読もうと思ったら意味がわかりました。「DVD。。。。ハハハ・・・・」パソコンの前でクスクス笑いながら「違うようなぁ、AVだよなぁ」と心の中で。そのあとすぐに「うん?違う違う・・・・・AVは違う」と今度はくぐもって笑ってしまいました。涙が出ました。もう精神的DVDが頭から離れません。
保健保険を切り替えたオヤジさん。。。。恐ろしいでしょうなぁ。
今年新車を買いましたが保健保険の切り替えで「〇時から切り替えができます。ご安心ください」と言われたのですが、「もしや、もしや」といろいろ悪いことが頭をよぎり本気で心配をしてしまいました。保険屋も1時間ぐらいおまけしてくれてもいいのに。ある意味精神的DVDですなぁ。
朝晩はだいぶ寒くなりました。お風邪などにはお気をつけください。

           敬具

そういえば我が家も今年は薄いテレビを買いました。純日本製のテレビでして、友人たちに「世界の亀岡モデル」買ったぞとしばらく自慢をしていました。


【2011年】ツイッターつぶやき
昨夜は劇団カムカムミニキーナの「かざかみパンチ」という作品を見てきました。
今年5月の上演された「1989風屋の三姉妹」の続編といえる作品でした。
「1989」の初めは曼珠沙華が咲き乱れる世界からはじまりました。曼珠沙華鉢の色でしょう。それは死の世界を表す。最後はヒマワリが咲き乱れました。それは劇中にも触れられた原発事故(放射能)の浄化であり社会の浄化でもあったと思います。同時に「演劇とは何か」を問う小劇団の在り方を問うものでした。向日葵を握りしめたある意味闘いへの合図で終わりました。
「かざかみパンチ」では、その向日葵を握りしめた戦いがかざかみパンチのパンチとして表現されていたのでしょうか。必殺技のかざかみパンチを得てすべての敵と戦い生き残ったのは一人だけだったという未来は荒野のような世界だった。
古代のかざかみの国から吹く風に人は吹かれながらその人生を送り風のままに生きていく。かざかみパンチというパンチの威力もその風の流れに必殺技として存在するだけだった。小劇団が演じる「演劇とは何か」もこの風に吹かれながらそれを表現するものだった。
かざかみの国からの風はやんだ。風上の国はもう存在をしない。人は風を感じない中に翻弄される。自分を見失い自分の存在すら懐疑的になる。そこに未来を見つめる基軸がなくなる。必殺技かざかみパンチは一人生き残る一人の人間だけのものであり誰にこぶしを向ければよいのか。振り返ればそこには人の死だけがあった。小劇団は何に「演劇とは」を問えばよいのか。
結局は風に乗って吹きさらされるだけではそこに真実と嘘は見つけられない。
人は護身的に嘘を見破ろうとはするが真実を見つけることで嘘を見つけられることを忘れている。
かざかみの国から吹く風の中の真実とはなんだったのか、あるいは真実だと思っていたものが真に真実だったのか。ここに人は風上の国に向かって、風に向かって戻るしかない。それは「演劇とは何か」を問うためにも。
未来が実体のないものなら未来からかざかみに戻る者も実体はない。そこに現実に戻る。
今という瞬間に現実として存在する自分が未来を作る。そこにあるのはやはり死という現実だが、浄化はまた違ったものとして存在を続ける。かざかみパンチという必殺技が虚構ならば。。。。
人は死を受け入れねばならない。曼珠沙華はまた咲き乱れる。しかしその中に見つけられるものは生の営みとしての人が人に恋することであるが、その恋も虚構・消失となることがある。残るのはもっと広い愛ではないか。愛は形にしなければならない。闘うことだけのかざかみパンチだけではない。それは愛に昇華されたパンチでなければならない。
小劇団がどこに向かうのか、その答えは出ていなかった。ただいえることは風に乗ることだけではなく、そこに嘘を見破るのではない真実を見つける中の「演劇とは何か」を見つける未来であることは確かだろう。

【2012年】ツイッターつぶやき
民主党はここにきてまた「中道」「中庸」の政治を掲げ始めた。
『「今、政治家一人一人が、そして政党が、その立ち位置を問われている」と語った仙谷議員は、民主党が1998年4月27日の結党時に定めた「私たちの基本理念」という綱領的文書で「民主中道」の道を創造すると高らかにうたっている点にふれ、「総理が所信で表明した方針は、民主党が今後も推進しようとする改革志向の『民主中道』路線をまさに具現化したものと考える」と述べ、「総理には、ど真ん中の中道をどこまでも突き進み、日本の改革にまい進していただきたい」とエールを送り、総理に立ち位置と進むべき道について質問した。』(上記引用ページより引用)
民主中道とは、民主党が掲げる概念。
『私たちは、これまで既得権益の構造から排除されてきた人々、まじめに働き税金を納めている人々、困難な状況にありながら自立をめざす人々の立場に立ちます。すなわち、「生活者」「納税者」「消費者」の立場を代表します。「市場万能主義」と「福祉至上主義」の対立概念を乗り越え、自立した個人が共生する社会をめざし、政府の役割をそのためのシステムづくりに限定する、「民主中道」の新しい道を創造します。』(民主党「私たちの基本概念」より引用)
民主党が誕生したときにブログでその政策を作り上げるには結局は社会民主主義的な政党とならざるを得ないだろうというようなことを書いたが、ある意味「中道」は資本主義対社会主義という構図の中においては社会民主主義なのである。しかし民主党が誕生した当時は、市場万能主義ともいえる理念とまだ残っていた福祉国家という理念とのその間を行く「中道」という理念となっていた。では新自由主義新自由主義と福祉国家の間とはどのような経済システム・政治システム化というとというはっきりしたものが見えずに鳩山内閣的なぼやっとした言葉の政治しか見えなかった。しかし政策的にはいくつかの進歩的な政策があり、その実現の先には財界とのぶつかりも予想され、国民生活第一の社会は社会民主主義的な方向に向かわざるを得なかっただろう。
しかし実際の具体的な政策のほとんどは実現されずに今では民主党の自民党化だけが見えてしまった。
ここにきてまた綱領的文書「私たちの基本概念」で掲げられた「中道」をを持ち出すという意味はどこにあるのだろうか?
それはもちろん選挙向けである。しかし選挙向けであるとばかりに聞き流すのは間違いでしょう。「基本概念」に帰ることは難しくとも自民党化批判を打ち破るにはやはり「中道」に戻らざるを得ないという事です。この間の野田内閣を見ればそれも期待できないのですが、民主党内でも危機感が出ていることは確かでしょう。もちろんまだ国民生活からの政治の方向性を見ている議員もいると思います。少なくともそうしないと選挙には勝てないと。
この一定程度の変化を小さなものとしてでも受け入れるべきでしょう。もちろん具体的な政策をすべて受け入れることではなくて「中道」に帰るという方向性を受け入れるという事です。その中からの政策批判と修正を求める声が必要という事です。
選挙向けの発言ではありますが、自民党と第三局の維新の会や石原新党という構図から見た民主党の「中道」を言う一つの立つ位置を示すことはそれなりに意義はあります。自民党と第三局の間に立つ「中道」ではなくて、保守と超保守とに対抗する「中道」的な概念という意味は成り立つはずです。「民主中道」は公明と民社社党が言った自社対立当時の「中道政治」ではないでしょう。

【2013年】ツイッターつぶやき
和食が世界文化遺産(でしたっけ?)になりましたが、一方では食品偽装が相次いで表面化しています。日本の食文化の二面性ですね。もちろんその二面性は格差です。格差はもちろん経済矛盾にありますが、低賃金化が進めばきちんとした食材を使ったものでは売れなくなる。低賃金化のうわべの文化が。。。 (11月7日 ツイッターより)

僕も和食の美しさとおいしさそしてその特徴は世界に誇れると思います。とは言ってもそうは高いものを食ったことがないのです。
もちろん同じように世界の食文化はその地域性や歴史において素晴らしいものがあると思うのですが。
文化遺産になった「和食」は多分高級料亭で出すようなものなのでしょう。
食文化というのはこういった高級料亭で出されるもの以外に家庭料理の中にありますね。とは言っても洋食など世界中の料理が工夫されて日本人に合うような形で家庭料理に入っているのですからっそれも含めて和食なのでしょうか?あるいは昔からおばあちゃんが作っていたような食でしょうか。
世界遺産になったような和食もそして家庭料理も日本の食文化としてある。
しかしその食文化の危うさが今回の食材偽装として現れたと思います。もちろん危険な添加物や残留農薬などの問題も含めて食文化の危うさがあるのですが、これらも含めてですが食材偽装からの食文化の危うさは、世界文化遺産の裏側として陰に隠れた矛盾の現れです。
一見豪華そうに見える食事。。。。この「一見豪華そうに見える」というところに食材偽装があったのでしょう。もちろん日常口にしているものにもあるのかもしれませんが、今回はこの「一見豪華そうに見える」という表面的なところでのうわべの食文化の危うさが出たのでしょう。
その背景にあるものはやはり経済ですね。日本は経済大国だという自負があるが、裏を返せば食材偽装によるうわべの豊かさがあったということです。経済大国の裏には格差の拡大と貧困化そして中間層の減少が広がっている。この象徴が食材偽装として現れた。格差の拡大と貧困化そして中間層の減少からそうは豪華な食事はできない。そこで一見豪華さに飛びつく。販売する法もこの庶民の一見豪華さの意識に飛びつくわけです。もちろんそこには利益の最大化がありますから食材の質も含めてコスト削減を行う。いや、行わざるをえないでしょうきちんとした食材なら高くて売れなくなるから。そこで偽装が出る。食品については輸入大国ですから「豊かな日本」を築くための成長路線の裏側にある円安がさらに食材のコストを下げる働きをして一見豪華なものが増えていく。
経済という土台において日本は矛盾に陥っているんです。

【2014年】ツイッターつぶやき
これまでの「商品価値の低下」に書いてきたように生産性の向上により商品価値の低下と過剰生産が現れ、同時に生産性の向上は可変資本と不変資本の比率としての資本の有機的組成の高度化による不変資本の爆発的な増加の結果としての資本(貨幣)の過剰。これが特別剰余価値の減少による平均利潤率の形成そしてそれは利潤率の低下となる。このような一つの産業は成長産業からスクラップ産業に変化する。労働者の切り捨て(失業)と低賃金化による可変資本の整理そして膨らみすぎた工場や原材料などの不変資本の売却と在庫の整理。このような余剰資本が整理されていく。その中では産業内のいくつかの体力のない企業が倒産するだろう。
銀行や株式を通じた融資や投資は減り続けてそこでも資本の整理が行われるだろう。
それではこの余剰となった労働力と資本はどこに向かうか?
まずは銀行や株式の融資や投資は最も生産性の悪い産業に向かうのである。もちろんそこには条件が合って単に生産性が悪い産業というだけでは資本は流れこまない。企業もその資本力を生かして今までと違う商品に投資をしていくでしょう。
それは成長が見込まれる産業ということになる。
そしてこの成長が見込まれる産業で同じことが繰り返されてその産業もまた成長産業からスクラップ産業となる。
先進国ではこの繰り返しが国内では行えない状態となっていく。そこで海外投資や資本輸出が行われる。グローバル化である。もちろんここでも銀行の融資や株式の投資がその海外の国に向かう。
しかしこの途上国においてもその成長の中でスクラップ化される。今や最後の投資先はアフリカだと。。。。。
もちろん今後も科学技術の発達は生産性の向上を可能にしていくでしょう。そしてそこにも新たな資本の有機的組成の高度化が行われるでしょう。それは精密機械とこんぴゅうたーコンピューターの結合によるロボット化としても。新たな産業としても。
しかしその結果として商品の価値低下と過剰生産そして製造業での失業の増加という経済法則には何も変化はないだろう。
この法則性から今現在の産業あるいは国内(今や全世界)停滞は必然となる。
この必然はデフレ不況という重しが常に社会に現れるだろう。
結局は今の資本主義ではどうにもならない結果が出るということである。資本主義の根底からの発展を経済法則は人間に求めているのである。
それは社会民主主義である。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
近くの香コンビニに買い物をしてのんびりと我が家の隣の公園横に立ち止まりたばこを一服。。
桜の葉など、紅葉も終わった葉っぱがちらちらと落ちる形式景色に見とれていた。
すでに桜の木は半分ほど葉を落としていた。毎年花の時期時は桜の精がやってくる桜の木である。
たばこも吸い終わりさて帰ろうかと思ったとき、木枯らし1号と思われる強い北風が吹いた。
先ほどの桜の木に残った葉が一斉に落ちてきた。
その瞬間、そのたくさんの葉がまるで小川のように流れはじめて僕の足元を濡らすかのように流れ去っていく。
その小川は歩道を通って我が家の玄関口に流れ込んでいる。一瞬その光景の風流さに気を取られていたが、しかし我が家の玄関口がどうなっているのかと慌てて小走りでに帰った。
さっきまで曇って日が差さなかったのに、その瞬間強い日差しが出て流れ込んだまだ少し赤や黄色の色のついた桜の落ち葉の山を照らしていた。
また木枯らしが吹いてほかの木々の落ち葉が上流から流れ込んだ。
まぁ、これも、桜の精のごあいさつ代わりの贈り物かと公園のほうを振り返った。

1か月以上前か?3個100円の花を買ってきて植えたのですが、クフェアの元気がいまいち。
寒くなったせいかとも思うのですが、急激に葉が茶色になってきました。
植えなおしてあげようかと掘ってみたら、根っこが粘土の中に埋まっていました。
クフェアは粘土質の土が好き?とも思ったのですが、どうも根っこが全然育っていない。これでは水をいくらやっても駄目かと思いました。
できるだけ粘土を取り除いて枯れた枝を切り取り植えなおしました。
さて元気になってくれるか。。。。。
まぁ、こういったことも植物を育てているときの発見であったり面白さかもしれません。

【2017年】ツイッターつぶやき
朝日新聞朝刊13面に「高値圏の株価 過熱状態ではない」という記事があった。
その中で次のような日銀審議委員の言葉がある。
「日銀が買って株価を上げたという事は、事実としてない」(朝日新聞本誌より引用)
たしかに株価高値の時は日銀も買わないでしょう。
しかし株価が下落傾向の時に株の買い支えとしては株価の候とに大きく寄与しているでしょう。同時に日銀が買えば株価が騰がると考えて投資家は買い控えることもあり得ます。ですから株価の高いときは日銀は絶対買うことはしない。株価が下がり始めたときに日銀が買うという情報により投資家も買うでしょう。
ですから日銀のETF買い入れの銘柄数が増えることにより株価は相対的に値上がりをするでしょう。
こう見ると日銀の買いが増えれば増えるほど株価は実体経済から離れていき事実上の過熱を必ず生むでしょう。
株価が上がって利益を得る人々がいるでしょうが、その利益が消費にも回るかもしれませんが、それはある意味一部において日銀のヘリコプターマネーのようなもので、実体経済の好転ではありませんし、実体経済を根本から改善する役割は行えないでしょう。じみちに働く人々の資産を吸い上げながら。。。。

【2018年】ツイッターつぶやき
外国人労働者の実習制度は、実態を知らなければ日本の優れた技術を途上国に広げるという国際貢献のように考えてしまうでしょう。もちろん一部の優れた技術を学ぶ外国人労働者もいれば、農業やサービス業など学んだものを自国に持ち帰る外国人労働者もいるでしょう。しかし同時にただの単純労働力として使われる外国人労働者が多数いるようです。
朝日新聞3面に「深夜まで働いて、時給300円」という記事があった。
ある縫製工場では午前8時から深夜0時まで働いて時間給が300円だったそうです。
共同通信によれば、茨城県の農場では
「夕方5時以降の残業時間帯に大葉を10枚ずつゴムで束ねる作業が1束につき2円しか支払われず、時給換算で300円程度の労働を強いられたと主張」
という実態も。
耐えきれずに自殺をする人もいれば、受け入れ先から失踪した外国人労働者が今年上半期でも4279人に上っているとも。
本来日本人労働者と同等の条件があるにもかかわらず上のような実態で、今後さらに受け入れ要件を緩和した外国人労働者の受け入れが行われようとしているが、どこまで日本人等同程度の条件が確保されるかはわからない。
日本で10年20年働いてもいつ帰国させられるかわからない在留資格。
現在は労働力不足だから外国人を受け入れるが人手不足が解消に向かえば解雇そして帰国となるでしょう。
このような外国人労働者の増加と劣悪な労働条件を見て日本の労働者は何思うか。。。。。
まだ日本人である自分のほうがいいかぁ。。。。と、ブラック化する労働条件を我慢しながら働くのか。日本人はアメリカやヨーロッパの人には頭を下げるが、途上国の人々については差別感や優越感が強い。日本の労働者は外国人労働者の労働条件には無関心になる場合が多いのではないか?
しかし外国人労働者は労働力不足が解消されれば自国に返される。その時に誰がその劣悪な条件の労働を行うか?日本人である。今後AI化などの生産性向上が行われる。マルクスは失業問題を人口論から解釈することを批判している。生産性の向上が失業を生むと。外国人労働者が劣悪な条件であっても労働をしている裏で日本人労働者が失業していく。その中で日本人は外国人労働者を追い出そうともする。
多くの単純労働がロボット化される。その時に日本人は劣悪な労働条件にさらされるでしょう。
このような未来を見た時、劣悪な労働条件を改善しなければならない。ということは外国人労働者の実態をニヤニヤしながら眺めてはいられないでしょう。少なくとも日本人と同じ労働条件を確保し社会保障面においても様々な条件においても平等さを作らねばならないでしょう。

【2019年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの東京日記が更新されました。
温故知新と無駄。。。。。
子供も含めて若い人は古いものを集めているのでしょう。ですから知識欲もあって次から次へと走っていく。アンニュイな四歳児も先に進みたいのかも。
年齢を重ねていくと古いものが蓄積していく。蓄積したものに拘泥していては先には進みませんなぁ。。。。。
しかし、若い人も年齢を重ねた人もその多くは無駄を重ねているのかもしれません。
無駄は時には気休めのものかもしれません。すぐに崩れる化粧。。。。あっハハハ・・・・
時は流れる。。。。。

【2020年】ツイッターつぶやき

≪十月桜 七五三桜とも≫
実家に行く途中、千葉県野田市の櫻木神社に寄りました。
昨日のテレビニュースでやっていたのを見て行ってみました。
今年は残念ながら少し早かったようで3分咲きぐらいでした。


≪十月桜と桜絵馬≫
境内にはお子さんの七五三のお参りをする家族がちらほらと。。。。


≪ケンケンパー厄払い≫
正面の岩に「厄」と書かれています。ケンケンパーの敷石の手前に卵のような白い素焼きがあります。これをもって厄の岩まで
ケンケンパー
ケンパー
ケンパー
ケンケンパー
をしていって素焼きの卵をぶつけます。
やってみたのですが。。。。。
ケンケンパーもふらつきながらやっとの思いでたどり着きました。子供の頃は得意だったんですけどねぇ。。。。。

【2021年】ツイッターつぶやき
東京との新規感染者数は下がっていますが、そろそろワクチンの効き目が薄くなってきたという。そこで3回目の接種が行われようとしている。
ワクチン接種を行わないとまた感染者数が増加しかねない。
しかしこれではいつまでたってもワクチン漬けから抜け出せないでしょうし、子供たちにも危ないワクチンを接種しなければならない。
中国でもワクチン接種がされているのでしょうが、同時に徹底的に検査を行い隔離をしている。
検査を徹底することがない中でのワクチン接種は一時的な効果でしかないでしょう。

【2022年】ツイッターつぶやき
値上げをすれば購買力のない国民は買わない。
購買力のない国民の賃金をあてにして国内生産へ?
これが日本企業の典型とすれば、賃上げはしばらくないだろう。
賃上げをしなければデフレ傾向から不況となり失われた40年へ。
日本企業は安い労働力をもとめて中国やベトナムなどに進出した。どうじに輸出企業は円安が有利だとしてそれを歓迎した。しかしここにきて円安となったが、この円安があだとなりほど良い円安の夢は砕けた。
海外生産をした製品を日本に持ってくるには輸入となるでしょう。輸出企業の部品や原材料も輸入です。すると円安が高リスクとなった。
最近対中国との経済対立が激化することもあるが、日本の賃金が安くなったことがあり生産を日本へ移すようになった。すると企業は日本の賃金を高くすることはできないでしょう。
企業のジレンマが日本経済を追い込んでいき不況がやってくる。かといって日銀も出口には向かえない。

【2023年】ツイッターつぶやき
アメリカの金利上昇も頭打ち状態になり、日銀は長期金利1%容認と発言したにもかかわらず円は151円になりそうです。
アメリカの長期金利がこれから上がらず、日本が出口に近づくのではないかという状態ですが円安が進む不思議さ。
経済面でアメリカの引き締めへの不安が少なく、日本経済の落ち込みが懸念されれば円安は進みますね。健全な経済法則からです。しかし今は金融資本主義ですから円を売ってドルを買うという為替の利益から、円を借りてドルを買いドル建ての貯金をして利ザヤを稼ぐことが多くなっているようです。日本はほぼゼロ金利ですからね。
コメント
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「11月 8日という日」

2024年11月08日 07時38分49秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
江國さんの「きらきらひかる」を読んでいます。
江國さんが、日常を描いているというそうですが。。。。。
たしかに異常さと正常の区別は難しいです。いろいろ考えてしまいます。
異常さは、誰が判断をするのか?それは多数派かな?でも多数派が間違っていることも多々ある。今の社会のように。
異常さと正常の区別は難しいけど、言える事は純粋な心です。
仕事帰りに喫茶店でコーヒーと読書。至福の時間です。

【2004年】
(記事なし)

【2005年】
(記事なし)

【2006年】
「使い捨て。。。。」ううう・・・・
何も自民党の「刺客」と言われた新人議員だけの問題ではありませんなァ。。。。
有権者の1票も?国家レベルで見れば、国民一人一人が今の世の中では使い捨てなのかもしれない。

【2007年】
立冬
暦のうえでは冬ですが、今日のように晴れていると薄いセーター1枚でも暖かです。
酒がまずい。。。。
今スタミナ焼きの下ごしらえをしていて日本酒を少し入れたのですが、少し飲んでみようかなと思い飲んでみました。
二口ぐらいで鼻が詰まってきてしまいました。香りもわからないし味もはっきりしません。体調が悪いと酒もまずいんですね。
今夜は、このスタミナ焼きと刺身のマリネ・オクラ大根おろしです。
オクラ大根おろしというのは、川上弘美さんのエッセイにあった料理でして、大根おろしの中にオクラのみじん切りを入れて柑橘系のポン酢で食べるそうです。一昨年ぐらいから時々作っているのですがおいしいですよ。
スタミナ焼きもいいが、ニンニクを買い忘れてしまいました。ニンニク抜きのスタミナ焼き。。。。子供たちからブーイングかな?

【2008年】
黄昏国
                          河出書房新社
                   銀色 夏生  著
「私のはじめての本」
「この本は、こういう本を作りたくて、自分でスケッチブックで本のように作っていろいろ見せているうちに、出させてもらったものです。いろいろな部分の予兆がみえます。」
 (「つれづれノート」158ページより)
銀色夏生さん25歳。
この作品は、多くのイラストを挿み、詩をはじめ短い物語が書かれています。銀色夏生さんは多くの作品にイラストを挿入していますし、そのイラストの世界も読者にとっては興味深いものとなっていますし、翌年発売になる「これもすべて同じ一日」では、写真を挿入した詩やエッセイの本が発行されます。このイラストや写真を入れた詩の世界は銀色夏生さんの独特な世界で、特に「写真詩集」というものは銀色夏生さんの作品としては切っても切れないような世界となります。文中のイラストは後の日記エッセイ「つれづれノート」シリーズの作品に欠かせないものですし、写真は一時勉強されていたようでやはり独特な動きのある世界をつくっています。
短い物語は、やはり翌年発行される「サリサリ君」という絵本の世界ともつながりますし、「イサクのジョーク」という小説ともつながっていくと思います。特に「四コママンガ」や子豚シリーズに近いものがあるかもしれません。後に当時中学生だった丘紫真離さんの「黄色い卵は誰のもの」という本の帯に推薦文を書いていますが、どこかあどけなさのあるような絵本のような物語は「黄昏国」の特徴で銀色夏生さんの世界です。
このような意味において「いろいろな部分の予兆」がこの作品に出ているということでしょうか?
「無辺世界」のおはなしは、今、見ても、ふるえるほど感心します。(河出書房新社発行の「黄昏国」「無辺世界」「サリサリ君」「月夜にひろった月」-夕螺注)以上の4冊は、私のごく内面の世界をあらわしていて、私の人生の中でも、特別な空間を形づくっています。とても、ありがたい宝です。」
 (「つれづれノート」160ページ)
銀色夏生さんの詩は恋の詩というイメージが強いですし実際恋の詩が多くあります。しかしこの恋の詩の中には恋にあこがれるというような単なる恋の甘さがただようような詩ではなく、日常のさまざまな雑多の中に生きる一人の女性が見えます。その心の世界です。「黄昏国」も恋の詩がありますがひとつの精神世界があり「ごく内面の世界」「特別な空間」がより色濃く出ています。この意味において銀色夏生の世界を知る貴重な作品ではないかと思います。
「黄昏国」は、
「君がそこに そしてどこかで
 それより君が
 いつかたしかにいたってことを
 僕は知っている」
というプロローグの詩からはじまります。
ながいながい時間の流れの中で一瞬の時間を受け取って僕は生きている。片隅で。。。。
でも生きていることはたしかで生きていたこともたしか。。。。
こんな僕がここにいる、どこかにいたんだよねと見つめてくれて励ましてくれるような詩です。
人は孤独に生きている。そんな孤独を見つめてくれる夏生さんの詩です。
そしてエピローグともいえる言葉が
「だれでもいちどは
 しぬんだよ」
「ワッペンをあげるから」
「また会おうね」
というものだと思います。
「ワッペンをあげるから」という言葉のページには「SILVER SUMER BORN」(銀色夏生)と書かれた夏生さんのお顔?のワッペンのイラストがあります。その顔は、驚き・戸惑い・怒り・悲しみが入り混じり、そしてアハハハ・・・と。この複雑な顔のワッペンのイラストに「黄昏国」という作品から受け取るものがあるのではないかと思います。夏生さんは「銀色夏生の視点」で、ご自身の気持ちの中にあるものは「悲しみ」であると語っていましたが、それは孤独というものの中にあるのではないでしょうか?
「無辺世界」の中には、「私が神様です」と、なんだか情けないような貧乏神のような神様のイラストがあります。「黄昏国」にもなんとなくちんまりとした神様が描かれていますが。これもまた夏生さんの人生観を表しているのかと思います。
神は人に完全なものを与えなかった。人が互いに容姿を見ることができるような互いに互いの心を見る能力は与えなかった。ここに人の心は孤独と悲しみの中に置かれる。心が互いにすれ違いながら孤独に生きている中に社会は目に見えるものとして存在する。だからこの社会に生きている人はワッペンの顔にある驚き・戸惑い・怒り・悲しみが入り混じり、そしてアハハハ・・・と笑ってしまうような中に生きていく。「黄昏国」は、夏生さんらしい透明な孤独と悲しみとして描かれる。
「黄昏国」にも多くの恋の詩があります。
「あの時 君がボクにあたえたと思ってるものを
 あの時 実はボクは 受けとらなかったんだ」
ここに男女間の心のすれ違いがあります。
互いに心を確かめられない悲しみ。。。。。
しかしこれは恋ばかりではなく、日々生活をしている中での人と人との中に常にあるすれ違いでもあります。時には広い宇宙空間に一人漂うような孤独と悲しみにとらわれる。
しかし情けないような神がこんな人を創ったことに孤独や悲しみがあると同時に、その孤独と悲しみの中にいるからこそ喜びもあります。
「鳥の声 聞けば 驚いたようにさがしあい
 花の色 みれば ああ それとばかり教えあう」
「えり分けなれた私の手が 水面を指さし
 ならべ上手なあなたが視線を添える」
孤独の中にある互いの心がふと重なり合う瞬間の喜び。
恋ばかりではなく、人の持つ喜怒哀楽は心という孤独の中に沸き立ちまっす。
「11時のかねが鳴る
 青くるしい丘の上から
 世界中へ それは伝わり
 サイロの少年は 働く手を休める」
一つのものに触れたとき、人は互いに結び付けられ平安な心を持つ。それは孤独と悲しみを一時的であっても癒してくれる。
人は孤独と悲しみの中にいるから人の心を求め合う。すれ違った心のワッペンのような顔をしながらそれを繰り返しているのでしょう。
それを夏生さんは読者に問いかけるのかもしれません。
「僕は 鈴を鳴らす ならす
 僕は 鈴を鳴らす ならす
 その音は それを それとわかる人に
 どうしても聞こえてしまう」
驚き・戸惑い・怒り・悲しみが入り混じり、そしてアハハハ・・・と、常に鈴を鳴らし続ける。そしてその鈴の音が聞こえたら夏生さんからワッペンをもらえるのでしょう。すべての人が心のつながりができるとするのは空想かもしれませんが、いつかこの鈴の音を聞いてくださいと鳴らすことができるのは現実です。
夏生さんの世界は、恋の甘ったるい世界でも、人を美しいものと描くような世界ではありません。人のもつさまざまな心の奥底にあるものを見つめます。その中に「生きるって?」を鈴の音のように鳴らし続けます。

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
今朝の朝日新聞12面に島田雅彦さんという方が新たに選考委員に要請されたと載っていました。
島田さんという方は、「芥川賞は歴史的役割を終えた」とまで芥川賞をとらえていらっしゃる方だそうですが、その方がなぜ選考委員に?
僕はそういう方が選考委員に入ることはいいことだと思います。もちろん選考委員会の中で芥川賞がどうのという議論はされないでしょうし、どの作品を選びどのように評価するかという中身を通して島田さんのお考えを選考委員会の中で提起されることに興味があります。
選考委員の皆さんの受賞作についての思いは、毎回受賞作の全文掲載と同時に文藝春秋では掲載されていますし、それを通してまた読者の判断もいろいろと出ると思います。
今は権威というだけではだめで、ネットという場ではより大衆的な意見が集約されます。意見交換は雑誌などでの議論という狭いところにはとどまらなくなりました。それは権威を持つ方や評論家などという知識人だけの議論という狭さがなくなるということです。
こういったものも含めて選考委員会の中でも島田さんという方を入れようとされているのでしょうか?

【2011年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2012年】ツイッターつぶやき
「小康」は、「やや資産があり、ゆとりのある家」「衣食に困らず、経済的に比較的余裕のある生活」あるいは「いくらかゆとりのある家庭」を指す。
小平は「小康社会」を、中国が貧窮社会から豊かな近代国家に至る1 つの発展段階として捉え、それは「衣食が満ち足りる状態は超えるが、富裕の状態までには至らない社会」だと提起。
「われわれの目標の第一歩は、1980 年の1 人当り国民収入250 米ドルのレベルを基準として、80 年代末までに倍増し、1 人当り500 ドルを実現することである。第二歩では、本世紀末までにさらに倍増し、1 人当り800 ドルから1000 ドルを達成したい。この目標を達成すれば、われわれは「小康社会」に入り、貧困の中国を小康の中国に変えることができる。
第一歩と第二歩は彼自身の「先富論」とい
う考え方に基づいたものであった。しかし第三歩は、今後の中国における「全面的小康社会」建設の初期シナリオであったとは捉えられる
全面的小康社会の建設の根底をなすものは、「先富論」に基づく発展観ではなく、格差の解消を目指す「共同富裕論」という発展観であるべきであろう。
          (以上「2020年全面的小康社会への展望」より引用)
小平の理論は、中国での原則論からある意味逸脱した日和見主義ともとらえられたものかもしれない。しかし四人組運動を克服した中国は人民服を脱いで経済政策を(もちろん毛沢東時代からのアメリカや日本との国交回復時からの経済改革)計画的に行いそれは少しづつ達成をされて万元戸と言われるような富裕層をつくりだしていく。その意味ではこの発展段階における「先富論」的なものが優先されていたことは否めないでしょう。しかし常に修正をされながら自由主義経済の導入と外国資本を受け入れる中に今日の中国を築いた。
たしかに中国批判としては政治的な矛盾が言われるが、経済に絞ってみればこれまでの中国における計画的はってっは誰もが否定できないだろう。
中国への経済的批判に貧富の拡大が言われる。たしかに「先富論」的矛盾は大きくなり格差もあるだろう。しかしこの格差も経済発展を目指す前に比べれば貧困の質は変化しているだろう。飛躍した経済発展の国力を格差社会の是正として「全面的小康社会」へとどのようにつなげるかが問われているわけです。
しかし中国にはこの「全面的小康社会」という理論が存在をして大きな力を持っている中に国家の位置づけが決まるだろう。「全面的小康社会」とは、社会主義的な政治体制における社会民主主義の方向性といってもよいのではないか。
現在中国共産党の大会が行われ、党主席も習さんに代わり新しい体制で国民所得の倍増を目標に建てたようです。これが「全面的小康社会」の具体的目標となるのでしょう。
もちろん中国は技術力では劣っているわけですからこれが大きな課題となるでしょうが、日本の過去の発展の歴史から見ても技術力の発展はそうは無理ではないでしょう。また日本の所得倍増計画やその後の経済発展にも学んでいるでしょう。
自由主義経済の導入での発展ですから資本主義い的な経済矛盾を中国も抱えていくわけですが、「全面的小康社会」という理論を捨てない限り修正はされていくでしょう。日本やアメリカのバブル崩壊に学びながら。
一方、アメリカの大統領選ではオバマ大統領が再選されましたが、その経済的な課題は重いものがあると言われています。国家財政と国民生活の安定(貧富の格差是正)をどう両立させるかが問われます。ロムニーさんが勝てば企業優先の経済政策が行われて格差問題はそのままにされて矛盾を深めるばかりですが、オバマ大統領の路線が議会を動かせればある程度の改善はあるかもしれません。しかし以前として新自由主義は根強くアメリカの経済を動かされる。日本も自民党政権に戻るか、民主党が自民党化するかで新自由主義の強化というどん底の政治状況がありますが、まだすくわれる可能性は残されているでしょう。アメリカも日本も富裕層への増税が言われ始めている。
ヨーロッパの不安がどうなるかはわかりませんが、社会民主主義の基盤は強い。
先に中国においては『「全面的小康社会」とは、社会主義的な政治体制における社会民主主義の方向性といってもよいのではないか。』と書きましたが、アメリカや日本そしてヨーロッパは自由主義的な政治体制から社会民主主義に移行しなければなりません。これは難しいでしょうが今の矛盾を解決するにはこれしかないでしょう。
この場合において「全面的小康社会」思想は一つのヒントになるかもしれません。

【2013年】ツイッターつぶやき
老後、温泉の近くの安いリゾートマンションがいいなぁ。。。
ツイッターで古民家のツイートもあったがそれもいい。
温泉といえば、三重県の湯の山温泉の湯がお気に入り。
何年前だろ?旅館に泊まったら仲居さんがリゾートマンションのようなところを見せて「いかがですか?」と訊いてきた。たしか300万ぐらいだったかな。。。。。
三重県だと東京からは車で半日。。。。。
東京と三重を行ったり来たりもできそう。
こんな夢を持ちつつ寝ます。良い夢を。。。(笑)

【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
夜な夜な散歩をしているコースの途中に公営住宅の広い空き地がある。
今日は用事がありその公営住宅の空き地横を通った。
あらためてよく見渡せば秋の花々が咲き誇っている。
空き地といっても建物の南側に広がる空き地で、いくつかの高い木が植えられ、たぶん初めのころは芝生でも植えられていたのではないかと想像する。
もう30年40年の年月が過ぎてその空き地はいつの間にか住民の庭になってしまっている。おばあちゃんが腰をかがめて手入れをしている。
自然石やブロックで縄張りが決められており様々な花が咲く。ところどころには蜜柑や柿が生っている。
その縄張りはきれいなけもの道のような遊歩道になっている。遊歩道といってもきれいな直線の道ではない。なわばりを雑然と決めてその間が道となり遊歩道となっている。だからその遊歩道の雑然と曲線を描いたりまばらな角度に折れ曲がる形が人口の遊歩道離れをしているのである。
30年40年の間おばあちゃんたちが歩き回って出来上がった獣道なのである。
ブロックで囲われたある一角の縄張りが雑草だらけになっていた。亡くなったのか、足腰が立たなくなったのか。。。。
遊歩道に立ち入ろうと思ったがなんとなく神聖な道であるかのような威圧感がありやめた。

【2017年】ツイッターつぶやき
株価が23.000円に迫る勢いだ。
バブル崩壊後の最高値だという。
朝日新聞朝刊7面に「東証バブル後最高値」という記事があったが、株価をもって景気の拡大として現在の景気を判断してよいものかどうか?株価高騰という景気の拡大とその景気の拡大の裏にある不安を両面から書かれていると思う。(以下引用などは上記リンクページだけではなくて紙面を参照した)
今の株価の高騰は、一つは先の選挙で自民党が議席を維持したことからの
「安倍政権が金融緩和で株価を押し上げることが明確になった。」(引用)
が大きいだろう。
日銀や政府は金融緩和は株価を押し上げることを目的としていないというかもしれないが、現実はアベノミクスと日銀緩和は株価を押し上げることを目的としているだけである。
同時に日本株は他国に比べて割安感があるという。ここで外国人投資家の買いが増加しているという。
しかしこの株価の高騰という景気の拡大が、景気の拡大からの株価高騰であるとは限らない。
アベノミクスと日銀緩和により、確かに企業利益も高まっているが、それも起業の業績の高まりとは一致しないでしょう。
実体経済の好転からの株価高騰だろうか?
エコノミストは次のように語っている。
「株高でも個人は冷静である。」
「『活況』だとはとても言えない。」
「何かのきっかけで2千円~3千円下げるのは早いのでは」
(以上引用)
また銀行ですらその収益性の悪さを問題にし始めている。
「みずほ、低収益にメス 1.9万人分の業務削減検討」(日経)
そして巨大企業であるトヨタをはじめとした自動車産業では「車大手、期間従業員の無期雇用を回避」(朝日新聞)
と、法の抜け穴を利用した雇用の節約と低賃金化を行っている。
今年は巨大企業の不祥事が前面に出てきた年であり、以前から「ブラック企業」が問題視されてきた。
政治は軍事中心の社会となりつつあり、同時に企業利益の拡大意地を至上命令としている。すでに選挙公約である教育の無償化は「嘘ではなかったか?」とさえささやかれはじめている。今後は国民生活の更なる疲弊を呼び起こしていくでしょう。
こう見ると、日本の経済状態の実態は、景気の拡大という空文句と経済不安の増大というのが実態ではないでしょうか。

【2018年】ツイッターつぶやき
1週間ほど前に実家に行き重いものを持ったり草刈りをしたのですが、今になってひじの関節から手のほうの筋肉に電気が走るような痛みが出てきた。3日ほど通院しています。
一応炎症があるので氷で冷やしたり電気を通したりマッサージもしてもらっています。
しかし・・・・
なんでももう終わりなの?と聞きたくなるほど短い時間で終わり。。。。
金を払って玄関を出るときさみしいと思った。
帰りに時々行く美味しいパン屋さんに寄ってサンドイッチを買ってきました。
このパン屋さんのサンドイッチは美味しいし具がたくさんなのです。食べると危惧がいつも零れ落ちてしまうほど具が多い。ポテサラのサンドイッチも具だくさんでおなかにたまります。
楽しみに帰宅して食べました。。。。。
するといつもならこぼれ落ちるような具が少なくなっていてこぼれ落ちない。直角三角形の直角の部分に具が入っていない。いつもの具の量の半分以下かなぁ。。。。。
さみしいですなぁ。。。。。。
そういえば3年程前か。。。。。
時々あんパンが食べたくなるとコンビニで買っていたのですが、当時まではあんこがたくさん入っていて、あんこがパンの片隅に偏っていてあんこが少ない部分から食べ始めて最後にあんこが盛りだくさんの部分を楽しみにしていました。
ところが。。。。
いつものようにあんこの少ない部分を食って、さて、あんこをと思ったら、残りの部分もあんこが少なかった。思わず急いで一口づつ食いながらあんこを探した。しかし出てこない、あんこが。
さみしかった思い出です。
社会はどんどんさみしくなっていく。。。。。

【2019年】ツイッターつぶやき
ロイターに不安増すマイナス金利・・・・という記事があった。
ドイツでは預金金利までがマイナス金利になっており、これを「懲罰金利」と呼んでいるらしい。預金をしていると預金額が減っていけばタンス預金しかなくなる。
日本はまだここまで来ていないがすでに銀行の利潤率は減少をして窓口などが縮小し人員も減らされている。日銀はさらなる金融緩和をにおわせているが、マイナス金利がさらに進むこともあり得るでしょう。
しかし一般庶民は金融商品に手を出すわけにもいかず一気に消費に回すわけにもいかない。
懲罰金利でなくてもマイナス金利に野化で個人消費は伸びないでしょう。社会保障の改悪はさらに将来不安を起こして預金に金が動く。
たしかに住宅ローンは金利が低くなれば借りる人も一時的には増えるでしょうが、住宅バブルにまではいかない。バブル的でなくても借り入れる人が増加をしますが、何かしらの経済の変動があって金利が上がれば変動金利ですから一気に返済困難になり、その意味でバブルの崩壊につながる。
マイナス金利で個人投資家や企業などは株などに資金を回しますから株高になることは間違いない。もちろん株で儲ける人がいて消費に回ることもありますが、あぶく銭に変わりがなくて個人消費全体を引き上げるわけではない。企業は内部的なペーパー上の利益に。
そろそろ世界的な金融緩和の波は引き時なのかもしれません。バブル崩壊の前にソフトランディングはできるか?

【2020年】ツイッターつぶやき
社会民主党(社民党)が立憲民主党の呼びかけにより合流することを検討している。
社民党内では合流(これは実質的な解党)すべきという意見と社民党の社会民主主義を守り発展させようという意見がぶつかっているようです。
ツイッターによると、たしかに議員として立憲民主党に行きたい議員がいるがこれも理解し合う。しかし安保条約の問題などそして社会民主主義を守るために社民党自体は解党しないということも尊重し合おうということになりそうです。実質的な解党はなくなるかもしれません。
今月14日だったか、党大会がありますのでそこで結論が出るでしょう。
思い出せば二大政党制を目指して社会党を解党して民主党を結党するということがありました。
多くの議員そして北海道などの地方組織が民主党に合流しました。その中で土井たか子さんが呼びかけ人となり、社会民主党が結党され、少なくなりましたが議員も残り地方組織は社民党の旗の下に結集しました。民主党に合流した旧社会党議員は民主党内で社会党の主張を活かそうとしましたが結果は社会党議員(社会党の主張)の影響力はなくなっていきました。
この社会党解党と同じことがまた起きているのかもしれません。
合流した場合はまた社民党の政策が自然消滅していくでしょう。
社会民主主義を政策として持つ政党は社会民主党だけです。
社会民主主義については共産主義から見れば社民主義として資本主義を認めてしまう勢力だという視点で語られます。同時に右派勢力からは社会民主主義は社会主義だと攻撃されます。
たしかに社会民主主義は資本主義の範囲内にあります。同時に社会主義として資本主義の色を多く残しながらの資本主義を改良していく勢力とみることができます。
今の資本主義は新自由主義として経済では勤労者の生活を切り捨てながら企業利益と株式を中心とした不労所得層に富を集中させ、格差社会を拡大しています。これを今や社会問題として取り上げざるを得なくなっていますし、経済構造自体をゆがめて成長できない資本主義という矛盾を作り出しています。経済だけではなく、新自由主義はこれまで先進国が掲げてきた自由や平等も死語のようにしました。そして戦争(武力による解決)の危機です。この新自由主義を改良していく過程には社会民主主義が不可欠です。
そして他の先進国の左派勢力には欠けている平和主義を持つ政党が社会民主党です。護憲をはっきりと示せるのは社民党と共産党かもしれません。
たしかに社民党は精力的には弱くなっています。しかし社会情勢は社民党とその主張である社会民主主義を求めているのです。それを国民が意識するかどうかですが、安倍内閣の口先ではよいことを言いながら期待を持たせる政治は破綻しています。ここを粘り強く問題視する中で社会民主主義というものも理解されていくでしょう。
社民党は解党してはいけません。

【2021年】ツイッターつぶやき
yahooニュースにショッキングなニュースがあった。
このニュース自体は経済専門家の見解ではなくて第一線で働く商社マンが見た日本ですが。しかし実態把握とその分析は正しさがあるのではないかと思います。
日本は水産物でも肉でも中国に買い負けていそうです。買い負けているということは日本に食料品が入ってこないということでスーパーにも高いものが並び品質も下がるということです。同時に食品原材料も値上げされその加工品である食品も値上げされるということです。食品だけではなく、自動車にしても昔のように安くて品質の良いものをたくさん売ることはできなくなるということです。
中国に買い負ける原因の一つが円安です。
日本はアベノミクスと日銀の量的緩和で円安誘導を行いました。輸出に有利になるから。
一方では2%のインフレを言い値上げされることは経済の好転だと逆立ちをした経済政策ですし。国内の労働者の実質賃金は下がっており社会保障も切り捨てられていますから常にデフレ圧力が働く。中国に負けないような高額の買い付けをしたら国内での販売は高騰する。しかしデフレ圧力のある市場においては高額のものを買うことはできない。すると中国との輸入価格競争に負ける。買っても植えれないのですから。
この失敗が明らかになり経済が落ち込んでくると円安というのは政策的な円安誘導ではなくなり経済実態を現す円安になる。日銀の出口金融政策なんてものではどうにもならなくなる。
日本は政治的には右傾化をし民主主義国ではなくなりつつあり、経済でも通貨安になり、日本全体が中等国に成り下がる

【2022年】ツイッターつぶやき
国債とは、国を通じて国債を持てない国民が国債を持っている国民に借金させられている仕組みでしょう。
国民とは、様々な階級や階層に分離させられているのがこの社会です。
(ツイッターより)
国債はほぼ日本国内で買われている。「国民」は国から国債を買っているのですからそれは国民の資産ですね。しかし、一方では「国民」一人当たり1000万円の借金をさせられている。
これを見ればチャラのように思われる。
国民というのは経済的な格差の中にあり、民間企業も国民とみなされている。
富裕層や企業などが国債を買って国に借金をさせるが、国は借金を返すために国民に返済を転嫁する。
ここで見られる国民とは分断させられていることが見えてくる。
それでも国が税を社会保障だけに支出するなら富の再分配という面もあるが、実際は国民生活に密着したものではない企業のための公共事業などに回る。国債を買う物に税は多く支出される。だから社会保障を言うとその財源はさらなる増税としての消費税ということになる。
富裕層や企業という「国民」が国に借金をさせて自分たちのために税を支出させる。この借金の返済は国債を持たない一般国民にも負担をさせる。
社会保障も本来企業が一定の賃金を出し福利厚生などで労働者の生活を守るべきだが低賃金の中で国がその尻拭いをする。これがばらまきであったり社会保障の増加となる。もちろんこれはのちに消費増税という形になる。
こういう社会が長続きするわけがない。

【2023年】ツイッターつぶやき
アメリカの国際利払い額がバイデン政権になってから倍増しているそうです。
金利が上がっているからでしょう。
アメリカはデフォルト危機が毎年言われていますが、どうにか回避しているようですが今後は益々きつくなるでしょう。
金利上昇を抑える引き締めとなればリセッションが待っている。
アメリカの経済の混乱は、ドル離れを招く危険性があり、中国をはじめとした途上国がドル決済から離れ基軸通貨の役割がなくなればさらにドル安となりインフレが激しくなる。
日本はさらに利払いが厳しく日銀が借り換えをして忍んでいる。そのうちに海外による国債の購入が大きくなる要因が出れば国内の資産があるからでは済まされないでしょう。
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2024年11月 7日(木)「立冬」

2024年11月07日 19時45分00秒 | 「思うこと」
今日が立冬でした。
秋に入っても夏日が続き秋らしさもなかった今年ですが、やっと秋らしさを感じたと思ったらいきなり冬に。東京は木枯らし1号でした。
3年ぐらい前だったか、木枯らしが吹かないままに冬が終わる年があり、温かい冬でしたが、今年は寒くなるかな?長期予報ではどうなんでしょ。
急ぎ紅葉見物に行きたいです。
トランプさんが大統領になりますね。
バイデンさんを含め民主党は戦争無しに任期を終えた大統領がいるのかな?バイデンさんが大統領になった時、民主党政権だから戦争がはじまると心配していましたが、ウクライナで戦争を仕掛け、イスラエルの暴挙を応援した。
トランプさんになりウクライナの戦争を終わらせることができるか?
しかしトランプさんも右翼的政権を作るでしょうから、アメリカ政治も冬の時代です。でも、これがアメリカ政治ですからね。
日本は追随する。
政治も木枯らしが吹くでしょう。
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「11月 7日という日」

2024年11月07日 07時45分38秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
今日が立冬でした。
秋に入っても夏日が続き秋らしさもなかった今年ですが、やっと秋らしさを感じたと思ったらいきなり冬に。東京は木枯らし1号でした。
3年ぐらい前だったか、木枯らしが吹かないままに冬が終わる年があり、温かい冬でしたが、今年は寒くなるかな?長期予報ではどうなんでしょ。
急ぎ紅葉見物に行きたいです。
トランプさんが大統領になりますね。
バイデンさんを含め民主党は戦争無しに任期を終えた大統領がいるのかな?バイデンさんが大統領になった時、民主党政権だから戦争がはじまると心配していましたが、ウクライナで戦争を仕掛け、イスラエルの暴挙を応援した。
トランプさんになりウクライナの戦争を終わらせることができるか?
しかしトランプさんも右翼的政権を作るでしょうから、アメリカ政治も冬の時代です。でも、これがアメリカ政治ですからね。
日本は追随する。
政治も木枯らしが吹くでしょう。

≪過去の記事≫

【2003年】
なんかぼけっとしていたら一日が終わってしまいました。
公園の桜の木の紅葉が、今一番きれいです。写真でも撮りに行きたいです。
それにしても暖かい。鹿児島では昨日は29度もあったそうですね。夏です。。。。。東京も暖かく、昨夜飲んで帰るときもシャツ一枚で腕をまくっていました。寝るときも掛け布団をかけているのが暑いくらいでした。
とは言ってもいつ急に寒くなるかわかりませんし、インフルエンザもはやり始めているそうです。気をつけましょう。
角田さんの「これからは歩いていくのだ」を読み終わりました。読み終わって、なんか不思議な感情の中にいます。この作品のキーワードは、「時間の隙間」と「記憶」「孤独」かな?近いうちに感想を書きます。

【2004年】
篠田さんの「女たちのジハード」を読み始めました。
まだ最初のほうなのですが、同じ会社に勤めるさまざまな(年齢も)女性たちの姿をそれぞれ描いていますが、この設定は、群ようこさんの「挑む女」によく似たものがあります群んさんは軽いタッチでどこか笑えるところもありながら描いていますが、篠田さんはどうかな?
比較するとおもしろいかもしれない。しかしどちらが先に発行されたのか?
そうそう、策や作った妻の炊飯器を使ったケーキは、固まらずに失敗したようです。結局蒸し器で仕上げていました。でも、まあまあおいしかったですよ。蒸しパンみたいです。

【2005年】
誘惑に負けてしまった。。。
とは言っても変な誘惑ではありません(笑)
もう時期乃南さんの「晩鐘」(上巻)を読み終わるのですが、残された事件の被害者の家族はもちろんですが、加害者の家族も早く立ち直ってもらいたいと思いながら読んでいるのですが、そこは乃南さん。。。。
遺族真裕子と新聞記者建部、なんとなくいい感じなのですが、このままでは終わらないだろうなぁとおもいます。どうなるんだろとページをめくるのももどかしいぐらいに読み続けています。
読み終わった本の感想を書き終わると、ほかの皆さんの感想はどうなんだろ?とネットで検索して感想や書評を読ませていただいているのですが、今回は、もどかしさの感極まって検索してしまいました。誘惑に負けてしまったのです。
こういうミステリは、最後がどうなるとわかってしまったらおもしろくないのですが、つい検索をしてしまった。
でも、いくつかの感想を読ませていただきましたが、最後がどうなるかは書いていらっしゃらなかったのでよかったぁ。。。でも、涙なくして読み終われそうもないような?
乃南さんのことだからハッピーエンドはないとは思って読み進んでいるのですが。。。
まだ下巻もあるのかともどかしさもありますが、まだ下巻もありおもしろく読み続けられるなといううれしさもあります。
ミステリーのおもしろさを堪能している最中です。
早朝まで雨が残っていたようですが晴れ間が出ました。
夏日になるとか?とは言え、桜のきれいな葉は落ち始めています。落ち葉の季節になっていきますなぁ。。。。

【2006年】
立冬
朝のうちは風も冷たくて寒く感じましたが、午後からはその風も南よりになり暖かでした。学校帰りの小学生たちも上着を脱いでTシャツ1枚で歩いていました。
北海道ではすごい竜巻があったようですが、被害にあわれた方にはお見舞い申しあげます。竜巻と言えば暑いところで起きるものと思っていましたが、たしか今日の北海道は寒冷前線が通過中だったと思います。
暦の上では今日から冬ですが、東京はこれからが秋本番というようです。公園の桜の葉がきれいになりました。西日の射す公園は尚きれい。。。
昨夜は、鶏肉のカレーソース煮を作りました。
まぁ、チキンカレーのようなものですが、トマトやケチャップを多めに入れてあるのでカレーとは少し違う風味です。

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
尖閣諸島沖の海上保安庁と中国漁船の衝突ビデオが流出をしテレビでも連日放映されていた。これが実際の映像を45分ほどに編集したものとわかってきた。
このビデオを僕も何度か見ましたがそのときに素朴な印象です。
中国漁船がテレビ画面の右から左へ航行している。そして「よなぐに」の船尾に衝突をする。このビデオをよく見ると、はじめのほうに中国漁船の上のほうに一筋の白い波(船の軌跡)が見える。そして衝突寸前の場面ではその白い並みは「よなくに」の軌跡とよくわかり、それは中国漁船の前を大きく左に「よなくに」が舵を取ったように見える。その後中国漁船も衝突寸前に左に舵をとっているように見える。
「よなくに」は停船命令を発しながら中国漁船を停船させようとした。それが左に大きく舵を取ったのだろうか?そうすると「よなくに」が結果としては衝突もありえるような停船行動をとったようにも見える。
以上はまったくの素人考えの見方です。
しかしこのように見えるというのは素朴な疑問ではないでしょうか?
これから中国との関係修復が行われるのですが、そのためには非難すべきはしなくてはならないのですが、それには日本側の落ち度がなかったかも検証しながら非難をしなければならない。そういう意味での素朴な疑問というのも大切でしょう。
海上保安庁の見解も出ていないようですし、とうぜんGPSの航海記録もあるはずですし、そういうものも公開をしながら編集抜きのビデオを発信すべきときに来ているのではないでしょうか?その中で専門家(海外や中国も含め)の意見も問うことになり日本の正当性も確認できるかもしれにし、双方の落ち度も出るかもしれない。もちろんテレビでは日本の専門家の意見が一部出ていますが。
中国の反日運動がありますが、そういった感情的なものを日本は持たずに冷静に分析すべきでしょう。

今夜はサンマを焼きます。
サンマの塩焼きといえば大根おろしですなぁ。今夜もたくさんおろしました。この大根おろしですが、サンマの横に乗せるにはある程度汁を切らないとおいしくありませんね。いつももったいないなぁと思いつつ捨てていたのですが、今夜はコップに移してそこに黒酢と蜂蜜を入れてジュースにしてみました。
恐る恐る飲んだら。。。。。これがうまい!!
立派なフルーツジュースのよう。どこか林檎ジュースに似た味です。
サンマの塩焼きをするときはぜひお試しください。
男の手料理ということでもなかったですね。。。。。

【2011年】ツイッターつぶやき
国分寺方面に用事がありネットでレストランを探しました。
町の洋食屋さんというのが好きなのでいろいろと探したのですが1軒まさに町の洋食屋さんという感じの店を見つけました。
レストラン「欧風料理 KAI」です。
車で行ったのでよくわかりませんが、国分寺駅から歩いてもそうは遠くないと思います。車の場合駐車場がないので近くの2か所ほどのコイン駐車場利用となります。
お店はこじんまりとしてよく探さないと見逃してしまいそうです。店内の堰も10人とか。二人用のテーブル席が一つと後はカウンターの席となります。
店内はきれいで感じの良い雰囲気を出していました。
このレストランの食事の目的はランチ。。。。Cランチのプレート料理。(リンクしたページと少しメニューが変わっていたようです。)
パテ、肉料理、魚料理、パスタ、サラダ、あとキャベツに炒めのようなもの。肉はワイン煮込みでした。魚はなんといったか?カスベだったかな?エイの鰭でした。それぞれの料理は少量ですが、肉は柔らかいしカスベも美味く味付けがしてありました。これにパン(パンももっちりついてとして美味かったです)が付き食後にミニデザート(レモンシャーベットとプリン)とコーヒーが付きます。
1500円とランチとしては少し高めですがしっかりとした料理ですから納得のいく値段かと思います。シェフも感じの良い方でした。

【2012年】ツイッターつぶやき
日本は景気後退入りらしい。
しかし景気後退入りと改めて分析するような景気回復がこれまであったかと言えばないのであり、景気後退が加速しているというべきでしょう。
これまでの景気動向は企業の設備投資や株価などで判断をしていた面が強いと思うが、ここにきて国内で車や電化製品が売れないとか、国内消費の停滞や後退にやっと目を向け始めた分析となってきたのかと新聞などを読むと感じる。
これは豊田の北米などでの販売が好調という面での明るい材料はあるものの中国との関係悪化による中国頼みの経済に自信が喪失した中での国内に目を向けた分析でもあると思う。
国内消費の地込に目を向けるようになれば、これまでの経済対策では景気回復やデフレ対策はできないことを示すだろう。また輸出産業重視の国の財政政策にも変化を求められるだろう。
輸出さんぎゅも大規模な企業が競争にさらされているが、国内はより多くの企業が国民生活を支えており輸出産業の好調さが国内消費の増加に結び付かないでは、このような多数の国内需要に依存する企業は落ち込むだけである。ここに焦点を当てた財政政策が求められるだろう。

【3013年】ツイッターつぶやき
秘密保護法案が衆議院を通過した(誤記でした。きょう審議入りですね。。。11月8日)。国家の安全にかかわるものを秘密とする。それはごく少数の人々によって秘密とされる。仮にまた政権交代があったならその新内閣がその秘密を知りえるのだろうか?首相動性までもが秘密事項だなどといったものが出ていたが、安保も軍事と経済が一体のものと思われる中で国の安全と結び付けられないものが政治にあるだろうか?拡大解釈の余地が相当残る法案でしょう。
しかし「秘密保護が必要」と改めて法制化されますが、これまでも秘密となっていたものはないのでしょうか?あんがいアメリカなどからこの秘密が漏れてきたということがあったと思う。こう見ると秘密保護法案というのは、これまで秘密としてきたこと自体が国会などで追及されたときに「それは秘密事項だった」と合法化できるという点があると思う。
アメリカなどの情報公開報で日本関連のものが今後も出る可能性はあるでしょう。その時に「それは秘密事項」だからと国会でも審議されずマスコミの報道もされないでは済まされないでしょう。
また秘密と言ってもそれは必ず現象面として社会の中に現れてくるはずです。その現象面の矛盾を秘密だともいえないでしょう。その矛盾がどこから来ているのかは知る権利が国民にはあります。そこで秘密事項とぶつかるでしょう。特に国民にとってマイナスのものは。
しかしこの国民にとってはマイナスのものも日本には「国民が動揺したり混乱するから事実を知らせない方がよい」といった論理があります。国民の動揺や混乱も国家の安全事項となりえます。
政治主権がごく一部の人々の手に移ることにならないでしょうか?国民は知ることによってはじめて主権を行使できるわけです。

【2014年】ツイッターつぶやき
資本主義は常に成長しなければ成り立たない。
生産性の向上により同じ労働力量でより多くの商品を生産することの競争(特別剰余価値の獲得)を行う中で、より多くの商品を生産するということは不変資本を増加をさせる。可変資本が一定で不変資本が増加をするとそれは資本の有機的組成を高度化する。可変資本は一定で不変資本が大きくなるということは可変資本の増大分資本自体が大きくなるということである。企業は利益の中から資本の増殖を目指す。またもっと利益を得ようとするならば生産性の向上とともに可変資本部分も拡大してそれに伴い不変資本はさらに増加をさせる。
この資本の増殖が行えることが資本主義経済の成長でもある。
しかし不況期に入って商品ーー貨幣ーー資本そしてまた商品へと価値移転ができなくなるとどうなるか?
貨幣が資本に価値移転できず、資本が商品に価値移転ができなくなる。
貨幣と資本の過剰が起きる。
一方では労働者へ廻る貨幣量は失業や賃下げの中で不足をしていく。
企業の貨幣・資本の過剰と一方における労働者の貨幣不足は貨幣の回転を減少させるだろう。
これは企業にとどまらず銀行の中にも起きるだろう。預金残高はあるが貸出ができない状態となる。銀行の利潤率も下がっていく。
銀行は無理な貸し出しを行おうとする。不良な貸し出しに入りだす。そして不良債権を積み重ねていく。
貨幣恐慌と不良債権処理による破たんを心配する信用恐慌が起きる。もちろんこの前段では上に書いたように企業の資本過剰からの産業恐慌が起きているのである。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
買いたいものがありホームセンターに行ってきました。
ここにはたくさんの花があるので眺めてきました。
今年はパンジーやビオラの数が少ないですねぇ。。。。
聞いてみると野菜と同じで秋の天候が悪かったせいで育ちも数も少ないそうです。我が家のビオラもそろそろ花を咲かせてもよい時期なのですが株が小さい。
どうにかここのところ良い日差しが続いていますので育つかな。。。。

【2017年】ツイッターつぶやき
どうも煙草増税がありそうだ。。。。。
1本あたり3円の増税。が検討されはじめたらしい。税収が2千数百億円増えるらしい。
2千周百億円。。。。うん?
思い当たる数字である。
教育無償化を行うにはあと3千億円の不足があり、それを企業に負担させようとの案が出ているが、この案には自民党内で反対の声もある。
もしかしたら1本3円の増税という3円は数合わせかもしれない。なぜ3円七日の根拠がわからない。
たばこ増税で2千数百億円の税収となるのでこれを当てようとしているのではないかと勘ぐってしまう。
たしか、昔、子供手当のようなものの財源にたばこ増税をという意見が出ていた。たしか公明党ではなかったかな?【間違いならこの部分を削除します】
結局子供のために使う税金をたばこ税というのは今の禁煙運動の趣旨からも外れるとしてこの案は消えたと記憶している。
今度教育の無償化のためにたばこ増税をするならば、同じ先の趣旨から外れるでしょう。
教育の無償化も眉唾物で、結局は学生は国からの援助があってもそれを出世払いで国に返さねばならないという。教育の無償化ではない。
すると、なぜたばこ増税が必要なのか?
たばこ増税なら国民の反対は少数派ですからなぁ。。。。

【2018年】ツイッターつぶやき
カテゴリーに「同じ一日」というものがありますが、3年程前頃だったか、blogramという面白いサイトを見つけたら140文字程度の「寝言」を書く場所がありブログに「寝言」というカテゴリーを作ってまとめていました。
この「寝言」をまとめ始めたら「同じ一日」の中身とほぼ同じような形となり蚊く書くことも同じになってしまいました。
というわけで「同じ一日」はほったらかしになってしまいました。このカテゴリーはなくそうかなとも思っていました。
しかし10月いっぱいでblogramのサイトがサービス停止になってしまいました。面白いサイトでしたが残念です。利用者数が減ってしまったためかな。。。。。
というわけで、blogramで書いていたようなものを書く場所がなくなりましたので、ちょうど今日は立冬でもあるしキリがよいので復活してみました。
一日を振り返るとブログ記事にするほどでもないけど心の中に引っかかるように残っているものがありますよね。それを残すのも面白いと思っています。
「同じ一日」は好きな詩人銀色夏生さんの同名の詩集からお借りしました。
この詩集は短い詩や言葉が乱雑といっては失礼ですが流れるようにつづってあります。まさに「同じ一日」です。平凡でもある同じ一日にふと心を動かされる一コマ。。。。
ちなみにカテゴリーの「東京日記」は、好きな作家である川上博美(訂正:川上弘美)さんの同大の短編集からお借りしています。こちらも平凡な毎日の中で心に残る一コマを書いています。
銀色さんは詩で、川上さんはショートショートかな。でも読んでいると両作品は心に残る作品です。
僕は大したことは書けないけど、僕の平凡の中に残るものを探して残すことは楽しいです。

【2019年】ツイッターつぶやき
台風19号と21号による災害が今も東日本各地に残っています。
その中で被災地の皆さんが生活を取り戻すにはまだまだボランティアの数が足りないそうです。テレビニュースで災害の状態を報道すればその地域にはボランティアも集まりやすいかもしれませんが、その他の地域はボランティアの数が足りないのかもしれません。
ボランティアが集まらない理由はたくさんあるでしょうが、その中にボランティアは交通費、食事、宿泊そして外賀や病気なども自己責任となりますね。学生の若い方が行きたくても金銭面で遠くまでは厳しいですね。その中で災害地の自治体では金銭面の補助を考え始めているようです。これは共助として、自己責任でのボランティアに対して公助が入るということになります。ボランティアの皆さんに給金を支払うということではなくて、あくまでも自己責任で活動するボランティアに人たちを公助として支える体制を作るということです。
この公助をさらに拡大していく必要がありますね。
被災地でのぼらんてぃボランティアの様子を写した写真を森と、泥を運ぶにしてもひどい機材を使っています。こういう機材を用意することも公助です。
最終的には平和国家を築きながら軍縮としても自衛隊の一部を災害・事故復旧帯のようなものにすべきだと思います。災害の復旧にもさらに専門的な知識や機材が必要でしょう。

【2020年】ツイッターつぶやき
大阪府が先日行われた都構想の住民投票を無視をして府・市の広域行政の一元化の条例に着手するという。
大阪もコロナ感染が拡大している中で世間を騒がさる都構想の住民投票を行い、その費用は100億円とも言われる。コロナ対策でもやった頬うがよかったのかもしれない。しかしこの住民投票の結果を無視して条例案を作るという。
自分で決めたルールの負けたらそのルールを守らないという政治家としたらやってはいけないことでしょう。
これは今の国会でも連日議論されている日本学術会議の任命拒否問題も同じで、国はカネを出すが口出しはしないし、学術会議の名簿をそのままに任命するというある意味自民党政権でのルールで、自分で決めたルールを守らない典型でしょう。
遊びでもゲームでもルールというものはあるのですが、子供の頃わんぱくな子がそのルールを守らないで勝手に自分の都合の良いルールを決めたりしてせっかくの遊び面白くなくなったという経験があります。また、トランプなどのゲームでもわんぱくな子が自分が勝つまでやり続けるということもありました。
こうしたものと同じようなことが大人社会しかも政治の世界で行われていることは滑稽でもあります。これを反知性派というのでしょうか?
でも滑稽ですが笑ってみているわけにもいきませんね。

【2021年】ツイッターつぶやき
ぼうっと、テレビを観ていたらコマーシャルがはじまりましたが何のコマーシャルかはじめはわからなかった。
コマーシャルの最後のほうになって、やっと郵政の年賀状でした。
12月も近いですなぁ。。。。。。
コンビニで会計を済ませていたら、目の前にちらしが積まれていた。何だろと見たらケーキの予約でした。
12月も近いですなぁ。。。。。
通販から郵便が届いた。何だろを開封したらお節料理の予約でした。1万円とか2万円とか。
12月も近いですなぁ。。。。。。。
背中を押されながら12月に入り年末年始です。
最近1週間がすごく短く感じるのですが、これから1か月半は駆け足で過ぎていく。。。。。

【2022年】ツイッターつぶやき
夏の花も枯れてプランタも淋しいというのか夏から秋の名残も消えてしまい慌てて片づけました。
枯れた花を抜いて根っこもきれいに取り除き古くなった土の再生肥料も入れてよくかき回しました。
シャベルでかき混ぜていると土の香りがしてきます。
ホームセンターに行ってキンギョソウやビオラそして球根を買ってきました。フリージアは去年掘り起こした球根が元気でした。
冬の間はキンギョソウやビオラの花を楽しみ、3月か5月には球根の花が咲くでしょう。
今日はやっと立冬になったのですが、今から春を楽しみに。
球根から芽が出て茎が伸びるのを眺めるのもいいかも。

【2023年】ツイッターつぶやき
岸田内閣はいわゆる主婦年金(第三号被保険者)の廃止を検討しているようです。とは言っても現在受け取っている女性の年金がもらえなくなるということはないでしょうが、今後ろう老後を迎える女性は国民年金(16000円ほど)を納めることになるでしょう。
たしかに年金を納めないでもらえる制度は不公平感があるでしょう。こういった制度はないほうがよいのでしょうが、女性の雇用を考えた場合、国民年金と厚生年金を支払い続ける労働環境が社会の制度として足りない部分があります。こうしたものを改善しなければ主婦年金廃止というのも乱暴でしょう。
しかし何らかの形で国民年金ぐらいは納める制度は必要です。世帯の合計収入により保険料を段階的に定める必要があります。また、同居する介護などの家庭環境も考慮する必要もあるでしょう。
しかし、岸田政権は経済の好循環のために賃上げを促していますが、社会保所費の増加により賃上げ分を国が奪う。
相当ひどい確信犯的な国民生活無視の政権ですなぁ。
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「11月 6日という日」

2024年11月06日 07時50分13秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
雨も上がり少し晴れ間も出ました。
雨が上がり、さっと太陽の光が雲の中から出てくるさわやかさが好きです。
飲んできました。。。。
台湾料理で酒も中国の酒。ライチだとかいろいろな果物の酒を飲んだのですが、何しろ口当たりがいいのでぐいぐいと(笑)
飲みすぎました。反省反省。。。。。。

【2004年】
医者の待合室で、何気なく手に取った雑誌に上手そうな秋刀魚の蒲焼が載っていました。うまそうなのでさっそく78円の秋刀魚を買ってきました。
今、おろしたのですが、だいぶ骨に実が付いてしまった。。。。ハハハ
味醂を大目にして少し甘めのタレで焼いてみようと思います。
そういえば、今、妻が炊飯器で作れるケーキを作っています。
できたといったのでのぞいてみたら。。。。ぜんぜん(笑)
どんなものができるやら?

「TUGUMI」
ーつぐみー  よしもとばなな 著
「その時、つぐみが恭一をまっすぐ見て言った。
 『おまえを好きになった』 」
                (117ページより引用)
鶫、秋に日本に来て冬を越すスズメほどの小さな小鳥だそうです。冬はほとんど鳴かずに口を『つぐむ』。静かに冬を越す鳥だそうです。
(水上温泉組合婦人部さんのHPを参照させていただきました)
小さい頃から病弱で、体も細いつぐみ。でも美しい少女(17才ころか)が「おまえを好きになった」とさえずるところは印象的です。
しかしこのつぐみの恋は、可憐な病弱な少女をイメージするような恋ではない。つぐみは、年中熱を出して死と隣り合わせである。つぐみは死と向き合う中に本音で生きることを身につけたような少女であり、わがままのような行動と口の悪さがあるものの心の中はまっすぐな少女である。
両親はそんなつぐみを甘やかして育てたためにわがままな子になったと見る。また、周りの人々も手を焼く。つぐみの性格を理解をする人は少ない。
語り手のつぐみの従姉妹まりあは、そんなつぐみに手を焼きながらもその性格を理解する。なかなか本音を言わないつぐみが本音を話する中に理解する。つぐみの恋人恭一もそんなつぐみの理解者である。
そしてこの作品を読む読者もつぐみの理解者となっていく。性格の悪いようなところも、その裏側にあるつぐみのかわいらしさが見えてくる。その本音の生き方が見えてくる。
例えは適切かわからないが、江戸の人情噺にでも出てくる、口は悪いが粋な江戸っ子を思い起こしてしまいます。
このようなつぐみの姿がこの作品のよさなのだと思います。
登場人物は、まりあ、つぐみ、つぐみの姉陽子、つぐみの恋人恭一は、大学生や高校生です。若いながらもしっかりと自分を見つめられる人々です。このようなしっかりと自分を見つめられる若者は、先に読んだ「哀しい予感」にも共通をし、ばななさんが何を若者に求めるかが見えるような気がします。
しかし、「TUGUMI」にも「哀しい予感」にも現れる共通したものに「『確信』というものがある。
この確信は、生きていく上での自分を現す言葉でもあるが、同時にばななさんのその後の作品に見られるような霊的な不可思議なものに基づく確信のような物であるのではないかと思う。
なんとなく「TUGUMI」のように初期の作品のほうが僕にとっては受け入れやすい(けして後の作品が嫌いというわけではない)のかと思う。
つぐみなど、登場人物の心のつながりもこの作品の特徴かと思う。暖かさを幹事利つながりであり、ここもばななさんの作品の特徴でもあるのではないかと思う
。しかし、この心のつながりが「yosimotobanana.com」という日記を読むにあたっては、身内主義というのか、心のつながりを大切にするあまり、他に一線を置くようにも受け止められかねないという印象を僕は受けてしまうのである。ばななさんのよさを感じると共に僕にはばななさんの世界には入りきれないのではという心配が浮かぶのである。
これは、あまりにもばななさんが強いということから来ているのではないかと思う。
しかしばななさんの孤独、寂しさも感じる。
あとがきに次のような言葉がある。
「そして、つぐみは私です。この性格の悪さ、そうとしか思えません。」
まぁ、性格の悪さというのは謙遜でしょうが、つぐみの持つどことなく孤独で寂しさのある、そして芯の強さはばななさんでしょう。
つぐみは、死を覚悟することによって生まれ変わったといいます。「人は喜劇を演じる。死だけが悲劇である」(漱石)ばななさんの作品には死がひとつの主題と感じるところがあります。つぐみ(ばななさん)の強さはこの辺にあるのかもしれない。

【2005年】
(記事なし)

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
葛根湯と栄養ドリンクで風邪をしのいできましたが、我慢しきれず医者に行ってきました。
今夜は早く寝よう。。。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
劇団カムカムミニキーナの20周年記念公演「水際パン屋」を観てきました。
まだは後援は始まったばかりですし、東京公演のあとも関西公演が残っていますし、ネタバレ的な感想という形では書かないほうがいいと思います。
カムカムミニキーナの公演は年に一度ぐらい6回ほど観ていますが、そこに表現されているものは暴力のむなしさや暴力では何も変わらないというものではないかと感じています。今回の「水際パン屋」も同じものを表現をしているものでしょう。
刑務所に入れられたのは犯罪者ではない。暴力というすでに死んだ人間(性)なのかもしれない。その蘇りを許してはいけないということでしょう。
馬浜=バハマ。。。カリブ海に浮かぶ島々にはキューバがあり、それを喉に刺さった棘棘とも感じる巨大なアメリカがある。馬浜刑務所はこのカリブ海をイメージしますし、そこにある刑務所と言えばアメリカ軍によるキューバ内の刑務所があり、今はイスラム関係のテロリストが収容されているといわれる。刑務所といえばキューバ革命にも関連するか?これらは広い実では冷戦があり、テロと戦争というものもある。この中での暴力のむなしさと暴力の無力性があるのではないか?八嶋さんが演じる魔女に操り人形のように踊りは印象的でした。そしてそれは本当に操られているのか。。。。
今回の「水際パン屋」はこれに加えて世代というものが表現されている。なんていったか松村さんが演じるパン屋、その娘「わり子」と孫「へる子」世代で守らなければならないのはみんなが喜ぶおいしいパンであったはず。暴力の世代間連鎖ではない。その中身これからの未来は若い今の人に託されるということでしょうか?おいしいパンを焼くために。
この世代というのは、劇団の20年と今後とも関連する。若い団員が増えました。。。。刑務所内には演劇部がある。新たな演劇活動が面白い舞台(おいしいパン)を若い人がつくっていかねばならない。そんなものは、公演後の対談に出てくる少し世代が低い人々との話しにも?
これからの世代は、「(か)わり子」でもなく「(か)へる子」でもない過去にすでに死んでいる世代に「換わる」「帰る」でもない?
若い人たちは世代を超えたもっとおいしいパンを作らなければならないよということを感じました。
よくできた舞台だと思います。同時に考えねばならないものはたくさんあることがはっきりするものだったのかもしれません。 

【2011年】ツイッターつぶやき
テレビのニュースなどで見たのですが、自転車は車道を走るようになったそうです。
たしかこれまでは自動車と自転車との事故が増えて自転車は歩道を走るようになっていたと思うのですが、最近は速度が出る自転車も増えて自転車と歩行者との事故が増えてきて今度は自転車は車道を走ると。
警視庁の自転車に関するページ
自転車ははっきりと車両という位置で車道を走るのが原則と書かれています。
車両ですから自動車波ともいえる交通法規を守ることが義務付けられますし、もちろん罰金や事故時の損害賠償も。
これからはいっそう自転車も賠償責任保険等が必要になってきそうですね。特にピスト自転車や啓太やヘッドホンなどをやりながらの事故は厳しくなるのではないかと思います。
しかし、自転車すべてを同じ「自転車」として扱ってよいのかという疑問があります。
ギヤ付きのスポーツ自転車などと子供の自転車や速度の出ない自転車を同じ自転車としてもよいのでしょうか?たとえば自転車も第1種自転車、第二種自転車といった制度が必要かと思います。スピードの出る自転車は原付と同じものとして新たに自賠責を義務付け車道を走らせる。第二種は子どもの自転車やお年寄りが乗ったり子供を乗せて走るものに限定をする。これは歩道を走らせる。もちろんピスト式は公道の走行は禁止。
しかしこれからは自動車と自転車の事故が増えるでしょうね。
車と自転車の事故はどうしても車の方が不利のような気がします。同じ車両同士の事故として処理をしてもらわないと困ります。車で走っていると、歩道から車道に急に飛び出してきたり国道を右側通行してくる。横断歩道をものすごい勢いで突っ込んでくる。ヘッドホーンをしながら後ろも見ずに道路を横断する。
国道や幹線道路などには車道に自転車走行ゾーンをつけるべきですね。しかし車にも悪いところがあるのも確かです。
狭い道路。。。。。どのようにしても自転車の事故は減らないのかもしれない。

【2012年】ツイッターつぶやき
朝日新聞7面に「デフレ日本次の一手は?(3)」という東大の伊藤さんという方へのインタビュー記事があった。
「企業はこの先もデフレが続いて売り上げが減ると思うから、賃金をカットする。賃金が下がるから消費意欲がなえてますますデフレが進む」
として、「物価下落の悪循環が止まらないデフレスパイラルに陥っているのではないか」とする。
この内需から見たデフレの原因分析は正しいと思う。
しかし、企業は「デフレが続く」と思って賃下げなどをしたのではなくて利益確保を賃下げや安い賃金を求めて中国に行くなどに求めたのでしょう。その結果が国内消費を不安定にしてデフレが進行をしたとみるべきでしょう。
企業は設備投資を海外で行い国内は産業の空洞化が進んだ。これがまたゼロ金利にしろ日銀が金をばらまいても国内設備投資には向かずに「貯金」すなわち株や国債や金融商品に使われる。
この中でデフレ脱却をどうすればいいか。。。。
伊藤さんは日銀はリスクは大きいけど株式投資信託や外国の債券を買えと。
どうもここで、賃下げの実態をどう改善するかには結びつかない。女性労働や高齢者労働を促進しろと。しかしこのような労働力は低賃金化をさらに深めるでしょう。
小泉政権を高く評価していますが、小泉・竹中の財政システムを使えと?
しかし小泉改革が今の低賃金化をはじめたのではないでしょうか。企業の利益が上がり成長率を上げたとはいえ、それは派遣やパート・外国人労働者といった低賃金化の中でのリストラによる企業収益であったのではないか。
国民生活の切り下げによる企業の生き残り策のツケが今廻ってきているのです。
ここの解決がないままに、日銀はリスクのあるものでも引き受けろとか、政府は女性や高齢者の雇用を低賃金として促進しろとか、結局は小泉改革的なものを今もう一度やれといっているようなものでしょう。

【2013年】ツイッターつぶやき
昨日の続きのようなものです。
安倍総理は韓国との間に「全面的な言論戦に突入」の動きを示し始めたようです。
これも積極的平和主義の一環でしょう。
軍事(安保の活用)も含めた対立の激化と表面化は、昨日も書いたような懐の深さを失っていくことでしょう。
韓国との竹島問題、中国との尖閣諸島問題、ロシアとの北方四島問題そして北朝鮮との拉致問題。これを積極的平和主義という路線で行っていく。もちろんその力には経済もあるわけですが。
しかしこのような外交から極東アジアの国々が日本との「間」を置くようにならないでしょうか?
それは外交的な物であったり国民的な内部において。中国の反日運動は少なくなりました。でも日本批判は続いているでしょう。同時に日本とは経済でtながればいいと。これが「間」ではないでしょうか?韓国やロシアそして北朝鮮がその「間」を置くようになったなら領土問題も一括処理の方向に向かうでしょう。もちろん拉致問題にも影響します。
日本という島を隔てた大陸との溝が「間」になってしまう。日本がアメリカとの協調関係を重視してそれに依拠すればいいとしているのかもしれませんが、アメリカ自体が領土問題には中立的ですし、民主主義という軸の中にそして経済での国益を優先します。軍事的な緊張がなければ。
日本は懐を深くしなければならない。それは平和主義・民主主義であり国民の自由や積極性(委縮させてはならない)そして生活を保障する国内矛盾の解決です。この中でしか主導権は持てないでしょう。
【2014年】ツイッターつぶやき
すき焼き自体が「すき焼き鍋」で鍋料理の一つなのでしょうが、今夜はこのすき焼き鍋をもっと鍋風にしてみました。
土鍋に豚肉(もちろん牛肉のほうがうまいでしょうが経費削減です)敷き詰めてだし汁を火にかけた時に肉が焦げないぐらいに入れます。その上に白滝・厚揚げの薄く切ったのもの、えのきだけそして大量の長葱を順番に重ねて入れます。長ネギは関東風ではなくて青い部分が多いネギがよいと思います。この葉っぱの部分の青いところがうまいです。
あとは火にかけて沸騰してきたら、酒、砂糖、みりん、醤油を適量かけて煮込むだけです。煮込むといってもねぎに日が通るか通らないかぐらいです。味付けの調整をしてください。
火を止めて生卵を落として蓋をしたら出来上がり。
卵はとろりとしたころが食べ時です。卵を混ぜながらお召し上がりください。

「商品価値の低下(2)」で見たように企業間の競争は生産性の向上によりより安くより多くの商品を生産して特別剰余価値を得ることにある。より安くより多くの商品生産を行うということは、同じ労働力量(従業員数とみてもよい)でより多くの商品を生産するわけだから賃金部分に投下する資本(可変資本)は同じで、より多くの商品を生産するための生産設備や原材料を必要としてこの生産に必要な設備などへの投下資本(不変資本)は多くなる。そうすると可変資本に対する不変資本が増加をするのですからこの可変資本に対する不変資本の比率(資本の有機的組成)が高まる。資本の有機的組成は高度化する。より多くの商品は無政府的に市場に出される。それは売れるかどうかは市場に出してみないとわからない。その商品の生産を行う企業が集まる産業内で生産性が高まると商品の過剰傾向を示す。
この商品の過剰生産傾向が起こったとき、もちろん生産性の向上は停止するだろう。その産業の成長は停止をする。同時に高度化された資本の有機的組成にどのような変化が起きるだろうか?
商品の過剰は生産設備の過剰として現れる。不変資本の過剰である。生産性の向上を行うために投下した資本の過剰である。その生産設備を拡大するために銀行からの借り入れで行っていたならば負債だけが残ることとなる。一部の向上工場は閉鎖をされるでしょう。不変資本は整理をされて資本の有機的組成の不変資本部分が減っていく。資本の有機的組成に変化が起きてその組成は低下をする。可変資本が多くなっていくのである。この時生産性の向上により不変資本を商品に価値移転する労働力量はそのままなのだから必然的に可変資本の過剰となるでしょう。
可変資本の過剰は何を現すか?
失業である。失業が不可避となる。
このような状態が国内の多くの産業で起きたならばその国の経済はデフレとなるでしょう。生産性の向上により商品価値は下がったままなのですから。
上に書いたように国全体の不変資本の過剰が銀行からの負債を残したままならば銀行にとっては不良債権となる。
しかしこれまで書いてきた中身において労働力も一つの商品ですからその価値である賃金額に変化はないと仮定されましたが、賃金を労働力の再生産費として見ればあらゆる商品の価値低下が行われればその労働力の再生産費も低下をして賃下げ傾向を示します。同時にこのような経済法則による賃下げだけではなくて労働市場での需給関係から買いたたかれる事態も発生をする。
労働力の再生産費はただ生きていられるというまでに切り下げられる。
商品の供給量も減り同時に消費量はさらに減るでしょう。
失業者はさらに消費量を減らすことは当然です。
この中で絶対的にも相対的にも商品の過剰は広がる。
豊富な商品量はあるのに消費できない労働者が増える。一方における過剰と一方における貧困が生じる。
これが今の日本あるいは先進国の状態ではないだろうか?
この中で貨幣量だけが増えても企業の資本投下には結びつかず、そして貧困化する労働者の消費にも回らない。ただでさえ過剰な貨幣量に新たに貨幣を注ぎ込むのはだぶついた貨幣があるにもかかわらず火に油を注ぐようなものなのである。

【2015年】
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
gooお題「家でよく作る鍋は何?」
鍋と言えば、水炊きですね。
肉が好きな我が家は鶏肉と豚肉両方を入れます。
豚肉は薄切りのバラ肉をくるくるとまいて。
水炊きの楽しみは食い終わった後の雑炊です。
みそ仕立てにして長ネギのみじん切りをたくさん入れ、最後に卵を流したら出来上がり。
そういえば最近水炊きに飽きたときはみそ仕立てのスープにキムチをたくさん入れた鍋がうまかったです。
この鍋の時は雑炊ではなくてリゾット風に。
トマトを薄く切って乗せて仕上げにとろけるチーズを乗せたら出来上がり。
〆にうどんかラーメンが食べたいときは、レタスしゃぶしゃぶですね・・・・・もちろん肉なども食べますが、レタスをさっと湯に通してまだシャキシャキとしたうちにポン酢かごまだれで。
〆は、お椀に味覇というスープの素と長ネギのみじん切りそして粗びきコショウを入れてしゃぶしゃぶの残りのスープを入れてそのスープで麺を食べます。
うん。。。。。鍋の楽しみは〆にもある!

トランプ大統領が来日した。その前にイバンカ大統領補佐官も。
毎日の報道を見たり聞いたりしていると、何しに来たの?という疑問というのか判然としないものがないでしょうか?
なんとなく日米の関係がうまくいっているんだなぁ。。。。と。
でも、この親密さはどこか狎れ合いのようになっているのではないか?
ロイターに「日米首脳、北朝鮮に圧力で一致、日本に米製武器の購入を迫る」という記事がある。
北朝鮮への圧力はすでに新たな提案ではもちろんないしすでに日米が世界から孤立するような情勢に変わりはない。
日本の武器購入についても、以前からFTAに変わる武器の輸入が見えていた。
今後の副総理、副大統領との協議で終わり、北朝鮮に対する北朝鮮のテロ国家規定についてもあいまいな状態のようです。
ですから今回のトランプ訪日は日米ともに内政に対するパフォーマンスの域を出ないと思う。
日米の内政は案外もろいものが存在をしています。安倍自民党は圧勝したとはいえ国民の支持となると消去法内閣ですし、内閣の支持率もそうは上がっていない。トランプさんは外遊どころではない状況が出ています。
この中で北朝鮮危機を煽るという馴れ合いが大切になっている。互いに北朝鮮危機説を大きくすることにより、日米安保からアメリカは日本に武器を売る。それを日本は喜んで購入する。これでは抜本的な日米の経済協力の在り方からは離れているのです。
トランプさんの今回のアジア歴訪の意味は、韓国であったりもちろん中国なのでしょう。

【2018年】ツイッターつぶやき
イランで拉致され拘束されていた安田さんの記者会見で注目されたのが謝罪であり自己責任だった。本来ならば拉致されていた間の状態や安田さんがどのような事柄を取材して何を伝えたかったかが大切なはずだが、自己責任と謝罪だけに注目されたことは残念です。
朝日新聞の記事で安田さんの「謝罪」ジャーナリストはどう見たかという記事がある。
「フランスでは、謝罪は間違ったことをした時にする。彼は記者の仕事をして事件に巻き込まれた。フランス人記者なら、心配してくれた方々に感謝するだろうが、謝罪はしない」(引用)と。
そしてフランス人記者が同じように拉致されて帰国したときは、大統領自身が出迎えて
「報道の自由に尽くす、優秀な同胞がいることを誇りに思う」(引用)と述べたそうである。
自己責任からの謝罪を求める日本の風土と誇りだとされて迎えるフランスの風土の違いがはっきりします。この風土というのは自由や民主主義への考え方にあるのでしょう。
大きなマスコミは自己規制をして危険な地域には入らないでしょう。取材はできないので外国の報道に依拠しなければならないし、そこに受け取る側の考え方が入り正しく紛争地などの実態がわかっらずじまいになっていないか?
フリーのジャーナリストの取材であることから初めて僕たちは真実を知ることになるのかもしれません。
小泉内閣時にも同じような拘束されたジャーナリストがありその時から自己責任が広く言われるようになったのではないか。この自己責任はその後社会の隅々で言われるようになった。
安田さんの場合も自己責任であることに間違いはない。
しかしその安田さんの自己責任においての行動が社会から非難されるようなものだったか、尊敬されるべきものだったか、ここの見方によって自己責任の意味合いが違ってくるでしょう。国や国民に迷惑をかけたという非難から自己責任論を出す。すると非難されるべきことを行ったのだから謝罪しろつなるでしょう。
一方ではその自己責任においての行動がたたえられるものと受け取られるならば、その自己責任は謝罪すべきものではなくて救出してもらったことに感謝をすればそれで済むことになる。
自己責任でやったのだから謝罪しろ。。。。。
日本は最近すぐに謝罪しろと詰め寄ることが多くなっていないか?大きな問題でなくても、例えば店員と客の関係において少しの間違いであっても謝罪しろと。。。。。
自らすぐに謝罪を求めることは醜いことです。店員と客戸でトラブルが発生したとき、一応店側は説明をして納得してもらったにしろ、その客は店員の態度が悪いといった話になり謝罪しろと。
力関係においての謝罪。。。。
結局は社会的力や金の力で謝罪をさせることになる。
安田さんの「謝罪」はマスコミや一部国民の社会的圧力による謝罪であったのか?その面があったことは否めないがしかしどこかに自分をしっかり見つめているような姿に見えた。

【2019年】ツイッターつぶやき
ワシントン・コンセンサスというのは、アメリカ政府、IMF、世銀が意見の一致として経済政策を進めることのようですが、
しかしBloombergによると、
「だがIMFが最近公表した新たな報告書には、米政府との見解の一致はほとんど見られない。この報告書でIMFは、先進国は富裕層の税負担を増やすことにより、成長を犠牲にせずにより公平な富の再分配が可能になると主張」(引用)
という状態のようである。
格差や貧困を生み出してきたワシントン・コンセンサスが「経済成長の低下をもたらす」とまで分析を始めた。
2015年に政治と経済という記事をこのブログに書きましたが、2015年当時IMFは、
「過去半年でG20構成国が成長促進策を講じる必要性はより高まっているとし、先進国における緩和的金融政策が「不可欠」とした。国家の生産量と生産性を上げるための構造改革の必要性も訴えた。」(ロイター)
と主張をしており、これに対して僕のブログでは、
「先進国は自国での内需の拡大を目指すべきでそこでの協調が必要でしょう。内需の拡大は国民生活の安定という事であり、そこでは経済法則に反した通貨安競争も必要ではなくなる。物価の上昇を人為的につくる必要もなくなる。物価は本来の意味においての生産性の向上(賃下げに頼らずに技術の発展によりより安くより大量に生産する)により商品価値を下げていくことである。価値低下を起こした商品は価格も安くなる。それにより賃上げではなくて商品が安くなるという意味での相対的な賃上げが行われる。
格差の是正は消費を拡大するでしょう。政治はこの格差の是正に集中しながら消費を拡大していくべきです。」
と、主張しました。
あれから4年が経ちましたが、やっとIMFも格差や貧困が世界経済に悪影響をもたらしていると主張せざるを得ない状態になりました。
国内的に、アベノミクスの否定でなければなりません。そして消費増税による富裕層や企業の救済を止めねばなりません。
IMFもトランプさんが主張しはじめた税制改革に批判の軸足があるようですが、税制度も含めて国民の生活の安定がどのように崩れているのか、それが世界経済にどのような悪影響を及ぼしているのかをさらに分析を深めねばならいでしょう。

【2020年】ツイッターつぶやき
日米関係では日本の従属が長い間続いていましたし現在もその形に変わりないでしょう。
しかしアメリカの力が衰退していく場合、中国の台頭はもちろんありますが日本もアメリカ語アメリカ後を考えているでしょう。アメリカ国債は中国と日本とでほとんど持っている。今の米中の経済的関係を見ると中国の発言力は強まります。同時にそれは日本の発言力の強化にもなります。
しかし中国の経済成長に日本は追いつかない。追いつかないどころか日本はマイナスよくて0%でしょう。
その中で日本は経済での生産性向上に向かっています。
中国では5か年計画でコロナの経済の落ち込みを内需を中心としたものに力を入れます。それには貧困をなくすために一人当たりのGDPを引き上げていくでしょう。
一方日本は生産性を高めるために労働者の状態を悪化させることにより企業利益と株価を今後も維持しようとする。これはアベノミクスと日銀緩和で失敗したはずですが、さらに勤労国民から搾り取り同時に高齢者を切り捨てることを続けることしかできなくなっているのかもしれない。日本の生産性向上は海外の安い労働力と資本輸出、そして国内では勤労国文の生活を下げながら企業のパイを維持することに慣れ切ってしまっています。
この中国と日本の違いは今後のアメリカ語の世界経済において大きな違いが出るでしょう。日本はアメリカの後追いでしょうか?アメリカへの従属意識がアメリカ後の日本をアメリカを追い越すアメリカ型の国に。。。。
憲法を変えてアメリカと同じことができる国。。。。。
アメリカの後追いでは結果は決まっている。そして内政では非常に息苦しい謝意となってしまう。

【2021年】ツイッターつぶやき
diamond Onlineによると、コロナ感染防止とインフルエンザワクチンの併用である形のインフルエンザが絶滅したかもしれないそうです。
去年はインフルエンザの流行がありませんでしたね。
こう見るとこの何十年間インフルエンザと付き合ってきて多くの人々がなくなったりもしました。
もちろん手洗いうがいなどの感染予防も言われてきましたが、コロナのようなロックダウンあるいは緊急事態宣言などがされませんでした。徹底した感染予防でインフルエンザのある方には勝ったのかもしれません。
これはコロナにも勝つためのヒントになるでしょう。インフルエンザよりもしぶといコロナですが、ある期間に徹底した感染予防を行えば勝てるのかもしれません。それには検査と隔離がどうしても必要でしょう。新規感染者数が減少した今、経済対策も必要ですが、もう少し我慢をして検査と隔離を徹底すべきなのでしょう。

【2022年】ツイッターつぶやき
僕は喫煙率の高い時代は同時に大気汚染という公害が問題になっていたとして、この影響が30年のタイムログにも当てはまると言っています。
しかしあなたから示される専門家の研究は大気汚染との比較研究がない一つの仮説です。
肺癌は大気汚染などの影響もあるがタバコが主原因だという仮説が訂正に。
一つの仮説が権威性を帯びると、狭い範囲において定説となり、この定説が独り歩きすると定説を改めて研究しなおすことができなくなる。
この中に禁煙運動や嫌煙というものが巻き込まれ、自己申告による診断までがエビデンスのピラミッドに加えられる。
喫煙(受動喫煙)していたからとバイパスができる。
(以上ツイッターから)
ある人が肺がんになると、タバコを吸っていたかが言われる。喫煙者だとわかるとタバコを吸っていたからなぁで済まさせる。これだけ肺癌イコール煙草という定説が権威として人々の中に浸透している。実はほかの原因かもしれないのに。医者というのは原因よりも治療が仕事ですから黙々と治療を行うが、研究材料としては統計の数字として喫煙者とされる。ここに危険性があるのです。他の原因は全く考慮されない。非喫煙者ならば他の原因も考えられるが、その原因は喫煙者の肺がんの原因でもありえるのに。
こういった喫煙と肺がんに関する実態が社会の中で同じ手法で片付けられているかもしれない。
政治でも経済でも。。。。。
思考回路が逆立ちをしていく。。。。

【2023年】ツイッターつぶやき
日銀が2%目標に向けて来年度春闘の賃上げに自信を持った。これの前提として経団連が去年以上の4%賃上げを目指すとした。
しかし、岸田総理は扶養控除をある賃金高は控除を少なくすると。
今年も賃上げは一定あったがその分社会保障負担などで消えて行っている。
2%目標は無理でしたね。
来年も同じ形で国民生活の改善はないでしょう。
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「11月 5日という日」

2024年11月05日 08時01分21秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
風変わり。。。。
夏生さんが自分を風変わりだと書いていました。
ここのところ女性作家の本を読んでいますが、みんな一癖二癖ありそうな方ばかりです。
江國さん、群さん、角田さん・・・・・・
癖がありますね。。。。。
幼少の頃からやはり普通の子とは違いがあります。
そういえば、中学の同級生に、いつも青っパナをたらしてぼうっとした友達がいたのですが、勉強は僕よりもできないと最悪の子でしたが、絵を描かせるとすごい子がいました。
美術の時間、急に席を立ったと思ったら、描きかけの画用紙を水で洗いに行き、乾かしたら続きを描いていました。「何だこいつは?」と思っていたのですが、美術の先生はその絵を絶賛していました。
その男の美術の先生もおかっぱ頭でいつもニヤニヤしているような風変わりでしたが。
やはりその道に秀でた人間というのは凡人とは違うところがあるのかな?
作家や芸術家も他の人間と同じような衣食住をしているのだと思いますが、その中に凡人では見過ごしてしまうようなものをこだわりを持ってみているのか。このこだわりが、凡人には風変わりに見えるのかもしれない。
うううう・・・・・・ん

午前零時の玄米パン角川文庫群 ようこ  著群さんの本は読んだことがなかったので読んでみました。
「午前零時の玄米パン」は、群さんがはじめて書いたエッセイ集らしいです。30歳のころか。群さんの年齢が僕と同じですので興味もありました。
エッセイは、小学生の頃から高校、大学そしてアルバイトや雑誌社への就職した頃の思い出のようなものです。そして友達や同僚など友人との付き合いのお話です。
小さい頃からおてんば娘でその豪快な性格がよく出ています。男運のなさ、女性の表と裏、周りの人間のおかしさを軽快に描いています。高校生の頃の思い出や新宿歌舞伎町の様子など性のことや、朝飲んだ牛乳瓶が転がっているという一人暮らしの女性の実態(笑)、見た目とその実生活のギャップなどは笑ってしまいます。ある意味では、女性による女性の暴露という感じも受けます。
このような本ですから笑いながら楽しく読める本でした。
軽快で豪快な文章、ありのままを書いているその面白さ、楽しい文章ですが、その裏側にある現実の厳しさや寂しさなども見られる本です。でも文章の隙間に見えるこのような女性の現実や寂しさも面白おかしくさらっと書いているところが群さんの魅力かもしれません。
読んで面白いのですが、なんとなく読み終わったあとに考えさせられるものがないというのか。。。。。深さがないというのか。
これは始めて出版した本ですし、若いころの本であるからかもしれません。
エッセイという文章であるからかもしれません。
郡さんにはもっと女性のたくましさを丁寧に書いたものがあるのか?こんな思いもありますし、おてんば娘が50歳になりどんなおばさんになったのかという興味もありましたので2000年に出版された「挑む女」という小説を買ってきました。近いうちに読んでみたいと思います。

【2004年】
何だかテレビも新聞も毎日暗いニュースばかりで、この日記ものんびりとおバカなことなど書けない気分になってしまいました。ニュースを見ても、本を読んでもすぐに感情移入をしてしまう夕螺であります。
こういう気分のときに気を休めてくれるのは自然ですね。東京には自然が残っていませんが、公園の木々や汚い海でも何か話しかけてくれます。
「自然体」。。。うん、なるほど。
最近は台風だ地震だと、その自然の恐ろしさを痛感しますが、公園の木々の紅葉は心を癒してくれます。まさに法則にのっといて自然は流れていきます。人の世も恐ろしいことがたくさんありますが、1000年、500年前いや、100年前よりは人の世も進歩している。平和だ、民主主義だと水や空気のごとく人々の心の中には根付いている。これが法則でしょう。
自然界の川も逆流するときもあるし、まぁ人の世ものんびりと遠くを見つめて生きなければね。

【2005年】
風もなく暖かな一日でした。
最近電車に座り本を読んでいると、ついうとうととしてしまい一駅ぐらい乗り越すことが多い。そういえばこの1週間ほど体がだるく下痢も続いていて調子が悪かったなぁ。。。。
風邪かなと思い、友人と話をしていたら、「下痢はしないか?」と聞かれた。下痢をしていると答えたら「それは風邪だよ」と。
熱もないし、鼻水はほんの少しだったので、風邪かどうか判断に苦しんでいたのだけど、下痢が多いというのが今の風邪の特徴とすれば、風邪をひいていたんだと納得。
そこでいつも飲んでいる葛根湯を買ってきた。
いつもは某漢方薬で有名な会社の葛根湯なのだけど、小さな薬局にはなくて他の会社の葛根湯を買って来た。
寝る前に飲み終わり、何気なく箱の注意書きなどを読んでいたら、何とかセルローズと。。。洗剤に入っていた成分だったか?を調べてみてセルロースという言葉を覚えたのだが、そのセルロースが薬の中に?
正確にはヒドロキシプロピルセルロース
まぁ、添加物はどうであれ、飲んで一晩寝たらだるさも取れたようです。寝る前に肩こりもひどかったのですが、朝になったらこれもすっきり。
僕には葛根湯があっているのかもしれないと。。。。

【2006年】
去年の正月用に買った梅の寄せ植えに花が咲きはじめた。。。?
こういう寄せ植えは、正月の寒い時期に花を咲かせるために温度管理をして育てているのか、自然の環境におくと今頃花が咲いてしまうのかなァ。。。。
新聞に、飲酒運転をした社員は即解雇するという企業が増えているという記事が出ていた。一見当たり前のようだけどちょっと待てよ・・・とも感じる。ものすごい個人責任でしかないのでは?
今は、飲ませたほうにも責任があるというのが常識である。これはなにも飲み屋さんに限ったことではないはず。そこには企業責任もあるはずです。企業は飲酒運転に厳しい罰を加えるのだが、この罰を加えることへの反面としては責任もあるはずだということです。
企業は、車、バイク、自転車(自転車も「車両」?)通勤の社員をまず把握しなければならない。これを把握したうえで、酒の席の接待などは命じてはならないし、たとえ会社の親睦会のようなものにしろ誘ってもならない。これが企業の責任だろうと思います。どうしても酒を飲ませるなら、タクシー券を発行するというのは最低限の責任でしょう。
酒造メーカーにおいては、焼酎や缶ビールという大衆的な酒はもちろん、どんな高級酒にしろ煙草並みにラベルの3分の1ぐらいのスペースに「飲んだら乗るな、飲むなら乗るな」というぐらいの注意書きは必要だろう。車も対策が講じられ始まっているようであるが、、、

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
デフレやインフレというものとはなんだろ?
日銀が市場に流通させる貨幣量によっても左右されるが、この日銀による貨幣量の変化はまず考えないとするならば、ある一定量の貨幣量の中におけるインフレやデフレとはなんだろ?
それはその一定量の貨幣が市場の中にどのくらい流通して回転するかによる。市場というのは金融市場を除いた商品市場という場合は、いうまでもなく商品の売買であるが、この中に多くの貨幣が流通すればそれは商品がより多く売買され貨幣の回転は増加する。逆にこの市場から貨幣が引き上げられて回転が少なくなれば商品の売買自体が減少をする。では一定量の貨幣量の中でのこの市場においての貨幣量が減少すればその金はどこに行くのか。これは企業活動にとっては深刻であり、市場から引き上げられた金は資本という生きた金ではなくなる。そこでさまざまな金融市場に入っていく。土地といった資産運用としても株式というものにも流れる。
このような中にインフレとデフレが発生をし、金融市場の加熱は、商品市場がデフレであってもある種のインフレを起こす。不況である一方マネーゲームという本来価値がないものに価値が付加していく中でのインフレが発生をしこれが同時期に現れる。
今の社会というのはこのような状況でしょう。商品市場にデフレが続き、金融市場に加熱差が出た場合にバブル崩壊として現れる。これを防ぐために国家や中央銀行の介入が必要となる。金融市場や株あるいは土地の安定化を図ろうとするが、金融自体は商品市場に依拠する。ますます商品市場がしぼむなら金融市場の破綻はさらに高まるのでは?
そこに金融恐慌や資産恐慌ともいえるようなものが発生をするのではないか?
金(資本)はその量的変化も大切だが、より大きな利潤を生み出すのは回転数である。量的変化と同時に回転数が鈍る。
インフレの定義やデフレの定義、あるいはスタグフレーションの定義をうまく表現するには。。。。難しいですね。

【2011年】ツイッターつぶやき
GDPに対する政府債務の割合というものが朝日新聞に載っていた。
220%という数字に驚かされる。今問題となっているギリシャでも143%でまた危機を言われ始めているイタリアでも119%であり日本は突出をしている。その意味では債務国となるのでしょうか?
経済成長がマイナスとも言われる中でGDPは減少していくことでしょう。そして国の債務は増えていく。この中で先の比率は将来250%とも。
そこで野田総理がG20で消費税の増税を言い国の債務を減らすことを国際公約をしたという。増税は復興増税としても検討をされているわけで消費税は社会福祉関連のための増税である。どう見ても国家財政のこれ以上の増加を少なくするというものであって先のパーセンテージを下げることにはならない。日本国債の格下げも言われ始めている中に増税圧力は高まるでしょう。
しかし日本はギリシャやイタリアのように危機を言われない。
GDPに対する国の債務割合が高いといっても一方には国の資産がある。資産があるから先にパーセンテージは少なく見ることができる。個人資産は1000兆円を超えるという。この個人資産がどういうわけか国の資産として見られる。そこでこの個人資産を国の債務が上回ることに危機感が出てまさにその危機に突入し始めている。やはりここでも増税の必要性が言われる。
個人資産は銀行などを通して国債を買う。国債の90%以上が国内の資金で買われているという。この中で日本国債はギリシャやイタリアのように利上げにはならないという。その上利上げどころかずっとゼロ金利で銀行は個人資産を集めて国債を買っている。この個人資産には年金積立金のようなものも含まれるのだろう。そして郵貯銀行の貯蓄高が大きい。
この仕組みが日本の危機を国際社会が言わない理由ではないか。
年金積立金での国債購入はどのくらいあるのか、郵貯銀行の民営化。ゼロ金利で貯金は増えない。銀行はゼロ金利に比べれば膨大な利率で金を国民に貸す。銀行は国債で暴利を得る。国民はその国債という国の借金のために増税を迫られる。。。。。などなど。
こう見ると今の日本は経済は低賃金の中で支え、国の財政はゼロ金利で支えて銀行などの利益を支える。そしてこれから増税で国や企業を支えていくことになる。結局は今危機を言われない日本は国民生活の犠牲において成り立っているということではないか。
この国のある意味安定を切り崩されるのがTPPではないか。。。。。。
個人資産が色々な自由化(関税ゼロ)で外国に流されるのではないか?国債は国外の自由市場に?
そうなれば真に日本は壊滅状態である。その時のGDPと国の債務の割合220%あるいは250%により一気にIMF管理国に。。。。。更なる国民犠牲を海外からも求められるだろう。その時に銀行はどうなるんだろ?世界3位といわれる日本の国と経済の壊滅は一気に金融恐慌に。

【2012年】ツイッターつぶやき
岡田副総理が生活保護について新仕分けで検討をするという。
「受給者が早く自立できる仕組みを作ることが必要だと感じた。生活保護を支給することで、逆に自立を妨げたりしていれば見直す必要がある。」
新仕分けは16日から3日間行うそうですが、来年度の予算にもかかわる仕分けですから生活保護予算の削減だけが先に決まってしまう恐れがありますね。「受給者が早く自立できる仕組みを作ること」が今後検討するという形で。
「自立を妨げている」ものは生活保護費があるからでしょうか?
民間の賃金は低下し続けて生活保護費とそうは変わらないというところまで一部は来ている。その中でワーキングプアーの問題が出て、働くより生活保護といったものすら出る。
また本来必要とする方も、例えば母子家庭の方などの問題もあるわけで、そのほかにも自立したくてもできない現状が多くあるでしょう。ごく一部の人に生活保護の旨みで需給している人もいるでしょうが、多くの人は生活保護はできるならうけたくない。昔からこのような意識は強かったですから。しかしどうしても自立できなくなっている人たちが増加してしまったという事でしょう。
生活保護という社会保障が仕分けの中に入ってくること自体がおかしいです。社会保障は一部の不正を除き「無駄」なものではない。

【2013年】ツイッターつぶやき
今朝、AMラジオを車の中で聴いていたらニュージーランドのオールブラックスのことが話されていた。ラグビー選手と言えば体の大きな人たちのぶつかり合いのようなイメージが強いがどうもラグビーも力のぶつかり合いだけではないようです。思いっきりぶつかっていってもドカンといったぶつかる手ごたえがない時があるようです。その時は必ずかわされている。
日本には「暖簾に腕押し」はあまり良くないですが「懐の深さ」という言葉があります。たぶんオールブラックスの有名な選手にはこれがあるのでしょう。日本では相撲の立会などに使われますね。柔道や合気道などにもあるのでしょう。
でもこの「懐の深さ」というのはスポーツだけではないようです。
個々人の付き合い方をはじめ政治や経済にもこの懐の深さは必要ですし、この心得があるものが本当の強さとなって現れるような気がします。
なんとなく今の日本には「間」がなくなりすぐに力のぶつかり合いになる。「ねじれ国会の弊害」と言われればすぐに1党支配のような数の力でそれを考えてしまう。景気が落ち込めば安易な賃金切り下げで利益を確保しようとするがこれもある意味力に頼るものでしょう。民主主義の中での差別や格差の拡大そして世代間格差だ官民格差だなどといったすぐに国民間で力の対立ようなものがはやる。「何でもあり」が政治や経済にまかり通れば国民個人も何でもありになり、それは力の誇示となってこの社会はぎくしゃくする。積極的平和主義などという外交もそうでしょう。ここに懐の深さなどといったものは存在しなくなる。
ですからこの懐の深さがなくなって思いっきりぶつかりあうことだけの社会は弱くなるのも当然なんでう。
懐の深さがないというのは切羽詰まった中で目をつむって突っ込むだけのものとなる。大言壮語が流行り観念的なその言葉に踊る。勇ましい言葉の前に何も言えなくなる人々が現れる。

【2014年】ツイッターつぶやき
先に書いた「商品の価値低下」の中身をもう少し見てみると、生産性の向上は同じ労働力量でより多くの商品を生産することにある。ここではどのようなことが起きるかというと、企業が支出する賃金部分は同じであるが生産設備や原材料などへの支出は増えます。これは可変資本は同じだが不変資本は増大をしているということで、可変資本に対する不変資本の割合である「資本の有機的組成」が高度化したこととなります。
この資本の有機的組成の高度化の結果は商品の価値と使用価値量の二面性において現れる。
一つは同じ労働力量でより多くの商品が生産されるので一つあたりの商品の価値は低下をする。
二つ目はより多くの商品に同じ労働力量しか必要としないわけですから価値低下をした商品の商品自身の姿である使用価値量が増大するということです。使用価値は有用性といってもよいですが、商品がその有用性において消費される商品の姿そのものです。使用価値の増大は商品量の増大として現れる。
より価値の下がった商品がより多く市場に投入されるという結果が資本の有機的組成の高度化の姿です。
では企業はより多くの商品を市場に投入したわけですから利潤が高くなるはずですが、しかし同じ可変資本量(労働力量)しか用いていないのですから商品総体の価値量には変化がない。ですから企業の利潤は増えないのです。
しかし先日の「商品価値の低下」でも書いたように資本の有機的組成の高度化(企業は生産性の向上)を利潤を高めるために行う。それは同じ産業内の競争相手が生産性の向上に後れを取っているならば、市場においてはその競争相手の商品価値と同じ価格で売ることができるという特別剰余価値の生産があるからです。少ない価値量の商品をより高い価値量の商品と同じ価格で売れるならば生産性の向上を先に行った企業の利潤は増えるでしょう。この競争が資本主義の経済成長のからくりです。
しかしここで先に書いた資本の有機的組成の高度による二つ目の結果である価値低下を起こした商品量の爆発が起きるとしたらどうなるでしょうか?それは過剰生産です。
市場に莫大な量の商品が流れて消費されなくなるとそれ以上の企業間競争は起こらずに生産性の向上も起こらなくなります。産業全体で商品価格は価値に近づく。これがその産業内での兵平均潤平均利潤の形成と利潤率の低下を引き起こす。
生産は縮小をしていく。すなわち成長が止まるわけです。このことが全産業に起こった場合はどうなるでしょうか?経済の停滞と商品価格の下落です。それが企業の利潤率のさらなる低下を引き起こす。
ここに現れるのは貨幣量の減少ではなくて貨幣(資本)の回転が鈍くなるということです。
銀行には有り余った貨幣が蓄積してそれを借りる企業が少なくなる。金融市場でも貨幣(資本)の回転が鈍くなる。それは銀行の利益を圧迫するでしょう。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
西日がきつくなってくる季節。
だんだんと部屋の奥にも西日が差すようになりました。
西日は暗いですね。。。。
だいぶ以前に書いたものです。また公園でも散歩してみようっと・・・・

西日と申します。。。
公園の横を通り過ぎようとした
車はもちろん、行き交う人々も
忙しそうに通り過ぎていく
もう日もだいぶ西に傾いていた
のんきな僕は染まった桜の葉を見ていた
黄色やオレンジ、紅に染まった葉は
風もない中に揺れもせずに染まっていた
何気なくそんな桜の葉の色につられた
公園の中のいくつかのベンチ
その中の一つだけのベンチが輝くようであった
そんな輝きにまたつられていった
「やぁ。。。」
輝く中に見えなかったのか
老人が言葉をかけてきた
老人とはいえ、帽子を取って挨拶をするなど
古風な老人である
挨拶をし終わると音もなく座った
「どうも。。。。」
僕は老人につられて隣に座った
老人は日向の臭いがした
でも、それは夏の日向の臭いではなかった
枯葉に降りそそぐ日向の臭いだ
「きれいですなぁ。。。。」
「はぁ。。。」
「どうですかぁ。。。?」
「はぁ。。。」
「私色にして見ました」
「はぁ。。。。?」
答えながら目線を上げたら
公園全体が秋色に染まっていた
紅葉した桜の葉が輝いていた
「私の似合う色だと思いませんか!?」
「はぁ。。。。」
横を見ると老人は笑顔であった
その笑顔も秋色。。。。
するとすうっと立ち上がり
「私はそろそろ。。。。」
「申し遅れましたが西日と申します」
また古風に帽子を取って挨拶をした
「はぁ。。。。」
老人の座っていたベンチは暖かかった

【2018年】ツイッターつぶやき
パンとはいうけど・・・・
スイーツですなぁ。。。。。
生クリームパンというのを食いました。袋は白地に黒文字で「生クリームパン 昭和34年創業 清水屋」と書かれているだけです。
こういうパッケージというものには弱いんですよねぇ。。。。。
羊羹等の和菓子でも惣菜でも。ついついうまそうに感じて買ってしまいます。時々高い買い物になってしまうこともありますが、今日の「生クリームパン」はうまかった。
パンは薄生地でしっとりとふわふわ。生クリームは牛乳の風味たっぷりで、うまい洋菓子屋さん以上のクリームでした。
シュークリームよりこのパン生地のほうがうまいと思います。
以前赤羽あんこというお店のやはり生クリームが入った(あんこという店名のごとくあんこも入っています)パンをもらったことがあるのですが、こちらはデニッシュでやはりうまかった。どちらが好きかといわれても違うパンのうまさの違いですからなぁ。。。。
和風のパンでありながら洋風のお菓子にも勝るスイーツです。

【2019年】ツイッターつぶやき
うまくいくかなぁ。。。。。
初めての写真添付
ドキドキ・・・・・・



紫の舞

【2020年】ツイッターつぶやき
マスコミもアメリカ大統領選挙の話題で盛り上がっていますが、そんな中日本でも徐々に感染の拡大傾向が進んでいるようです。
東京は3週間ぶりに250人を上回ったようです。
大阪でも125人と100人を超えています。
北海道も相変わらず高い感染者数を出しています。
全国でも再び1000人を超えました。
(毎日新聞)
Go Toもトラベルからはじまりイートなどもはじまり、スポーツ観戦の収容人員も増えています。
感染拡大が高止まりして微増状態で経済優先です。
このような企業などへのバラマキではなく、失業した人や学生など生活に困っている人への紙片が大切でしょう。また、これから風邪やインフルエンザも多くなっていくわけですから、会社などからPCR検査や診断書を求められる機会も多くなるかもしれません。また海外へ出るときも検査が必要でしょう。このような検査や診断書も大きな負担になりますから無料化した方がよいでしょう。

【2021年】ツイッターつぶやき
東京新聞によると政府はマイナンバーカードを新規に作った人や既に作っている人に3万円のポイントを付与することを検討するという。総額は3兆円になるという。
たしか以前にも5千円ほどポイントなんかを付与した記憶があるのですが、その時もある程度はカードを作った人が増えたと思う。お年寄りが役所のカウンターに並んでいた。今度は3万円ですから申し込む人が多く出るかもしれない。
しかし3万円出さないと申し込みが増えない原因がどこにあるかを政府は考えているんでしょうか?
メリットとデメリットを考えればデメリットが大きい。デメリットをそのままにして3万円で釣ろうとすることが政治でしょうか?
カードを持っているといいことがあるからと言っていつも持ち歩くわけにはいかないし、身分証明書にもなるというが個人情報を垂れ流すことになる。

【2022年】ツイッターつぶやき
ドルが急落したようです。
急落といってもここのところ更なる円安が止まり1円そこそこのドル安になったというだけですが。
ドル安は元やユーロそして円に波及したようです。
アメリカは利上げも検討されていたようですが、なぜここにきてドル安に動いたのでしょうか?
雇用統計が悪くなり賃上げ幅も落ちているからのようです。
利上げは経済を引き締めとなるからインフレは抑えられるとされますが、インフレを抑える役割が利上げだけではなく雇用や賃金に悪影響が出たということで、アメリカ経済が落ち込みつつあるということでしょう。

【2023年】ツイッターつぶやき
岸田内閣は貯金から投資へと呼びかけている。投資による利益での消費を促すのか?
しかしNISAでの投資は円を売ってドルを買いアメリカへの投資になっているようです。まだしばらくはドル高になるとみているのでしょう。
こう見ると日本の貯金の流れが見えてくるのではないか。
投資を通じて日本の貯金がアメリカに流れてアメリカを助けるためとなる。
日本への投資よりも為替の方が利益を生む異常さ。
コメント
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「11月 4日という日」

2024年11月04日 08時08分48秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
晴れ。
と、思ったら少し雲が出てきました。はっきりしない天気です。
どうにか昨日の洗濯物が乾きました。
群ようこの「午前零時の玄米パン」を読み終えました。近いうちに感想を書きます。思わずゲラゲラ笑ってしまった。。。。。
女性の表と裏というのか、、、、、、ハハハ

【2004年】
電車の座席に座っていたら、社内車内のつり革にほとんどつかまるぐらいの混雑でした。本を読んでいたのですが、ふと僕の前に立っている人を見たら二人のご夫人。二人とも60歳少し前かな?どちらかというとおとなしそうなご婦人と、少し積極的そうなご婦人。
僕が降りる駅になったので立ち上がると、その積極的そうなご婦人が。。。。。
おとなしそうなご婦人を押すように蹴散らして座った。
この世の中積極的(ずうずうしい)人間が得するものですなぁ。。。。
社会に寄生をしたり、詐欺などの犯罪、政治家の裏金作り。。。。。会社の中にもある人を陥れたりする出世競争。。。。すべてずうずうしい人が得をしています。
まじめに地道に働くのがばかばかしくなるような気の遠くなるような単位の金が動いている。その金を動かしている人たちはどんな人たちだろう。

【2005年】
人には引きずっている過去がある。そして今という時間があり、未来がある。
引きずっている過去が消せたらと思うような過去だったら、そして未来が幸せに生きられるものだったら、今のあなたは消し去りたい過去を消すことを選ぶか?過去を引きずっても幸せな未来の約束を選ぶか?消し去りたい過去を消せるとすれば、今の自分は明るい気持ちで生きられる。しかし未来への約束はない。未来への幸せを求めたとすれば、しかしそこには消し去りたい過去が重く心にのしかかる。その幸せな未来も幸せな気持ちにはなれない。
主人公は、消し去りたい過去を消すことを選んだ。
消し去りたい過去を捨て今という時間のつかの間の心の安らぎを得た。しかし人というものは、時間の流れの中に必ず未来が来るはず。ふと未来の幸せを望んだ。
未来への幸せを望んだ瞬間、その幸せを手に入れることができたが主人公の心に消し去りたい過去が戻ってしまった。
主人公は、未来の幸せをはじめから望めばよかったのか?いや、結局は幸せを手に入れたが消し去りたい過去を引きずってその幸せは色あせてしまうのであり、結果は同じなのである。
それは今という現実の時間をいかに過ごすかという現実に主人公を引き戻す。
過去という時間の流れ、今という現実という時間、そして未来という来るべき時間の流れは消し去れないということである。
しかし、今という時間も幸せな状態ではない。金の世の中で心の平安はない。主人公は今という時間の中に闘うしかない。今という時間の中に闘う中でしか過去を清算できず、未来の幸せもないのである。主人公は、今という時間の中で過去と戦い未来を切り開こうとする。
過去は越後、未来は越前、今は越中。。。
これを擬人化とする。越後を八嶋智人、越前をカムカムミニキーナの座長松村武が演じる。八嶋と松村のカラミがおもしろく、コメディータッチで描かれている。主人公が過去を捨て去るときには、越前牛乳が流行り、未来の幸せを望んだときには越後牛乳が流行る。牛乳といえば母。。。。未来を切り開く子を産みミルク(母乳)で子を育てる。
そんな母性を感じさせられながら、いろいろと今という時代を思い描くような作品でした。
劇団「カムカムミニキーナ」
「越前牛乳」を観て来ました。今売り出し中の山崎樹範(ヤマシゲ)も劇団員で出ていました。

「西日の町」
                        文藝春秋社文庫
              湯本 香樹実  著
もう25年以上昔の冬の頃だと思う。
すでに新幹線は博多まで開通していたが、それでも今の「のぞみ」ほど早くはなく、午前の早い列車に乗り込んでも冬の時期ということもあり関門海峡のトンネルをぬけたら日は西に傾いていた。
西日の町
小倉は僕の印象としても西日の町であり、トンネルを抜けてはじめて目に入った工場群の赤茶けて錆びた塀を西日は照らしていた。西日は心を感傷的にするが、赤茶けた工場群の風景を照らす西日は写真のように僕の心に張り付き、小倉の町を感傷的な風景のままに残している。
この「西日の町」に出てくるK市とは、小倉だと思われる。
離婚をし、息子和志とともに母(さー)は夫から逃げるようにして西へ西へと移り住み、列車からの風景である西日を追いかけるように小倉の町にたどり着く。こんな感傷的な作品の出だしと僕の心の中に残る西日の町小倉が重なっていった。
湯本さんの作品は、「夏の庭」と「ポプラの秋」しか読んでいませんが、どちらの作品も老人と子供が出てきて、その老人の死を見つめるという作品でしたが、この「西日の町」も小学生の和志と祖父「てこじい」とのふれあいとてこじいの死に向き合う和志の物語である。
「夜切る爪は鷹の爪」と子供の頃によく聞かされた。夜の暗い電灯の下で切る爪は目に入ったら危険だというようなことだったと思う。また夜に爪を切ると親の死に目に会えないとも。。。
この作品は、40歳を過ぎた頃の今という時間を生きる和志が思い出すように語っていくが、ある日、母さーが逃げるように避けていた父からもう長くは生きられないから人目会いたいと電話をしてきた。その夜和志は夜に爪を切った。子供の頃、祖父てこじいが転がり込んできたときも母親さーが夜に爪を切っていたことを思い出し語る。
和志と顔を覚えてもいない父との関係、母さーとてこじいとの夜に爪を切るような心の中の関係。和志は、なぜ父を避けようとしたのかは、母親さーが逃げるように父から離れたという事実からしかない。子供の頃になぜ母さーがてこじいを避けるようにし辛くあたったのかは霧の中である。
てこじいは布団にも入らずに壁にもたれかかるように毎夜寝る。それに対して母親さーは何も言わない。
少年和志は、てこじいからもその親子関係を「仕方ない」と聞き、おじや親類からもてこじいやその親のことを聞く。霧の中にわずかながら断片的に見える母親さーとてこじいとの過去。これが少しづつ明らかになる中で読者もさーがてこじいを憎むようにも感じる過去を知っていく。
しかし同時にさーとてこじいの中にある切手もきれない親子関係も現れる。さーが会社の男と肉体関係を結び妊娠をし、堕胎するが、その後寝込むようになると、さーはてこじいに「何とかしてよ」と涙ながらに話しをする。しかしそのときはてこじいは体もぼろぼろ状態で「何もしてあげられない」という。しかしもう歩くのもままならないてこじいが、さーの体がよくなるようにと遠い海に赤貝を採りに行きたくさんの赤貝の赤貝を持ち帰る。電車賃がないのから雨の中を歩いて。。。。てこじいが今できることができる一つだけの気持ちなのである。さーを捨て去った男に対して何も手助けもしてあげられないが。。。。
てこじいが突然倒れる。てこじいが壁に寄りかかるように寝ていたのは、もう横にもなって寝られないほど心臓が悪くなっていたのである。
入院をしたてこじいは、肝臓も悪くなっており、余命もそうはなくなっていた。毎日肝臓によいといわれるシジミ汁をさーは持っていく。
てこじいも過去をすまなかったとはさーには言わない。さーも過去をほじ繰り返すようには言わない。さーはてこじいに置き去りにされた過去を許しはしない。しかし父として甘えること、支えてもらいたいことを今も持ち続ける。ここにどうしても避けられないというのだろうか、血のつながりがある。父は父であり、娘は娘なのである。親子関係というものは、絵に描いたように素晴らしいものではない。てこじいも過去に親子関係があり、さーもてこじいとの親子関係があり、覚えもない父と和志との親子関係もある。しかしいろいろあっても子は親に頼り、親は子に骨を削ってまで育てるのである。平凡な言い方だが、親になってから親の大変さやありがたみがわかるというが、そんな親子の言葉では言い合わないような関係が存在するのである。
もちろん、夜ゆる爪を切ると親の死に目に会えないという古風な迷信を書いているが、この作品が、ありきたりな「親になってから親の大変さやありがたみがわかる」というような教訓的なものを表現したものではないだろう。
そこには、人の死があるのである。
親子関係は、その死の連鎖でもある。
親子関係はその人と人との関係がもっとも密な関係としてあり、そのもっとも密な関係にある人の死をも見つめるものである。和志は、てこじいと元気になったら馬に乗せてくれという。さーはシジミ汁を祈るように作り続ける。死神を見たてこじいは「やめろ!」と暴れまわるが孫や娘への思いを残しながら死んでいく。今の中に生きる和志は、さーも亡くし、父も他界しようとしている。もっとも密な関係にあった人の死は、人の一生をよく見ることができるだろうし、人の一生のはかなさを見るだろう。
以前ある方の掲示板でお話をさせていただいたことを「夕方らせんに住む人々」としてHPに残させていただいたのですが、その中に次のように書きました。
「この郷愁という意味では、生から死もひとつの帰るべきところへ急ぐということにもつながるのではないかと思います。死が帰るべきところ、行き着くところと見たとき、死に人は郷愁をおぼえるのではないかと思います。
『気狂いピエロ』の『夕方5時は恐ろしい』という言葉も、人の心を夕暮れが狂わせるという意味では恐ろしいのですが、恋人を殺して自分も死ぬということは、ある意味では死への郷愁というのか、最後に行くつく場所へ行く安堵感が出ているのではないかと思います。
この前、江國さんの『つめたいよるに』(新潮文庫版)を読み終わりましたが、その「解説」に『マジック・アワー』という言葉が紹介されています。映画カメラマンの専門用語だそうですが、太陽が沈みその瞬間に空が美しく光かがやく瞬間の時間で、信じられないような美しい映像が得られるそうです。『気狂いピエロ』のラストシーンもこのような美しい瞬間の映像ではと想像してしまいました。」
西日はさらに傾き、夜へと向う。
昼と夜の先目に心を狂わす思いが残り、一瞬のきらめきであるマジック・アワーの中に消えていく。人の死も同じである。しかしそこには、なんともいえぬ安堵感に近いものがあり、郷愁がある。それが温かみとして残る人たちの心に残る。
この作品のなんともいえぬ温かみは、この温かみかもしれない。
和志は死にゆく父に会いに行くだろうか?行くとすればどんな気持ちで行くだろうか?

【2006年】
昨日、沼津の魚市場で買ってきた味の干物やシャケのミリン漬けは、すごく脂がのっていておいしかったです。
今夜もシャケのミリン漬けの残りを焼いています。
世界史の未履修問題は解決したという報道がありますが、どうも未履修問題が受験の問題ばかりの視点と事後処理ばかりが目立ちます。世界史や以前問題となった近代日本史など、子どもたちが履修しなければならないことの本質的な議論をあまり聞きません。
また、今回の問題では、ゆとり教育との関連で授業時間数削減との関連での議論があり、まるでゆとり教育が間違いだったというようなことがあるような意見も聞きます。しかし、ゆとり教育と言っても、過度の競争が排除されたわけではなく、私立校では土曜も授業がある中での公立学校の週休二日制授業で、そこにも無理があるわけです。過度の競争をそのままにしたゆとり教育の矛盾を言っても何もならないでしょう。
そういう中で、新聞の一面を見てびっくりした。。。。
生徒の学力テストの結果如何によって学校予算に差をつけるという。クーラの害悪は別にして公立校では未だに教室のクーラー普及率が少ないという。西日カンカンの中で生徒は勉強する。。。公立校での教育予算の足りないことを見ないで予算格差をつける中での格差の拡大。
この記事は、足立区という区で実施されるようだが、以前から保護者が学校を選ぶというようなことがされているということを聞いていたが、競争はさらに強まるのでしょう。ネットで調べたが、ある意味いろいろな面で問題のある区で子どもたちを使って教育や効率学校運営の実験でもしようという試みかもしれない。

【2007年】
夕螺の文学論(笑)
<リンク1>
<リンク2>
女性作家を中心に読んできましたが、この狭い範囲内においてもいろいろ考えてきました。
なんだか風邪を引いてしまったかなぁ。。。。
少しのどが痛いし鼻水が出てだるいです。昨夜夕食後、またごろんと寝てしまい寒くて震えながら目が覚めました。いけませんなぁ。。。この悪癖。
まだ寝込むほどではありませんが、明日の朝が怖い。
紺屋は牛肉の焼肉風炒めと、水菜・トマト・モッツェレラチーズのサラダを作りました。モッツェレラチーズは、生チーズでチーズから出る水分もそのままにパックしたものです。チーズらしくないし、なんだかスカスカの歯ごたえ。でもなんだか知らないけど好物なのです。トマトによく合いますよ。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
     銀色夏生著 「つれづれノート⑲ 出航だよ」
         (2010年9月25日角川文庫より初版発行)

「つれづれノート⑰」の感想だったか、以前まだ「かんちゃん」が高校1年生の頃から夏生さんの子離れ親離れがすすんでいるのかと書きました。もちろんまだ「さくちゃん」は小学生ですし「かんちゃん」もまだまだ親離れできる年齢ではないのですが、その頃から成長するお子さんたちの母親から一人の女性そして作家(詩人)としてまた羽ばたくことをお考えになっているものが見えました。その羽ばたきが今回の「出航だよ」に具体化されているのではないでしょうか。
もちろんお子さんたちは自立はできない。「さくちゃん」は東京の学校や友達関係になじめない。「かんちゃん」もその生活はまだまだ子供の部分を残している。「さくちゃん」はいろいろとお世話してくださる方に囲まれながらも宮崎の実家に一人暮らし。「かんちゃんは」相変わらず(笑)の野生児。夏生さんは宮崎と東京の二重生活を送ります。このような生活上での母親の立場を送りながらも一つひとつを解決しながらそして気持ちを強くしながらその時点での子離れ・親離れを形にしていきます。
「つれづれノート⑱」で感じたのですが、上のような生活の中で「さくちゃん」の飲酒疑惑からの兄「せっせ」との気まずい関係ができたり、元夫「イカチン」との関係もすれ違いも生じる。その中に夏生さんご自身の苛立ちや「さくちゃん」へのご心配で胸が張り裂けるような思いをされているものが行間に見えますし、「さくちゃん」への「ごめんね」と同時に宮崎生活を楽しんでいることに「だいじょうぶだね」という思いを感じる。「せっせ」「イカチン」「さくちゃん」もどんよりとしていることは夏生さんも知っているはず。でもそこから「出航だよ」と呼びかける。
あれだけ喧嘩が絶えなかった「かんちゃん」も一人の女になりかけ、今ではある意味夏生さんのパートナーという面も出てきます。それは音楽活動に見えます。心のふれあいも一人の大人の面も。「出航だよ」に応える「かんちゃん」。。。。
このような中に「つれづれノート⑲」では、「出航だよ」は具体化していきます。
ご自身の詩に曲をつけて音楽配信の会社を創る。そして何よりもその音楽活動を通じて新たな仲間をつくっていく。その人の中に入っていく面ではホームページを立ち上げ読者やファンとの直接的なふれあいのためにツイッターも立ち上げる。
夏生さんご自身お書きのように数年間こもっていたような生活とアーティストとしての自分を抜け出す。そこにはすごいエネルギーを感じます。このエネルギーは、やはり「今、やりたいこと」からくるのでしょうが、やはりもう一度自分を取り戻すことに、それは同時に読者やファンとのある意味親離れ・子離れとならざるを得ないものが出てきます。その中での読者やファンへの問いかけとしての「出航だよ」でもあるわけです。たしかに夏生さんに大きな変化があった。読者やファンにとってはどこかへ行ってしまうような気持ちでの親離れの寂しさや不安が沸き起こるでしょう。「出航だよ」に戸惑うような寂しさや不安。「さくちゃん」や「かんちゃん」がまだ母親の夏生さん引きつけようとする深いところの心理と同じようなファンの心理。このファンの心理は夏生さんもお気づきなはずで、最後のほうのページにとつとつと夏生さんを批判したりファンである人を非難するようなネット上の書き込みや他人になりすましてツイッターに入ってきた知人など、その真理を深く考える。結局は親の気を引こうとする子供のイジケのようなものなのでしょう。
夏生さんがご自身を厳しく取り戻すこと、それはまた読者やファンも自分を取り戻すことでなければなりません。
そうしないと「出航だよ」の夏生さんが何を読者やファンに投げかけているかが読み取ることができなくなるでしょう。同じように成長しようよ。。。。
ネット上にいるファンは、せっかくのネットがあるわけですから自分の「つれづれノート」をその個性や資質の中に書き込まないと今の夏生さんにはついていけなくなります。読者やファンも自分を取り戻しましょう。そして一歩進みましょう。
もちろん夏生さんのような同じことはできない。今の社会の中生活に生きているわけですから。何か大きな変化を求めるならそれは空想や勇み足の失敗にもなる。できることは今ある生活の中に自分を取り戻すということではないでしょうか。そして何か小さな楽しみややってみようということを見つけること。それは夏生さんの真似ではだめだし、夏生さんの言葉の鵜呑みでもだめでしょう。夏生さんの今の行動と言葉をどう自分の言葉に翻訳をするかです。
このように読者やファンもある意味寂しさと不安があるわけですが、それはまた夏生さんの寂しさと不安でもあると思います。外に出て行けば新たな人との交わりが起きる。ファン層も違ってくるでしょうし。作家詩人。。。。アーティストの面が強くなれば「つれづれ」に登場する人々も業界関係者やプロが多くなる。その世界から離れたところにいるアーティストではない裕福ではない読者やファンとのすれ違いがでる。
例としては適当かどうかはわかりませんが、チリノ炭鉱で生き埋めになった方。。。。。ひょんなことから英雄になり大統領にも直接会えるようになり、マスコミにも注目をされてしまった。それはその方々の誇りでしょう。うれしく思うでしょう。しかしいつしかまた自分の生活に戻るわけです。たぶんそうは裕福ではない日常の生活に。この落差の中に寂しさをなお感じることになるでしょう。そして事故がいつしか忘れられる中に孤独も出るでしょう。
夏生さんも一仕事終わったときにこの孤独が強く出るのではないでしょうか。雑誌やラジオなどはプロ集団とのかかわりです。こう言っては変かもしれませんが「ツツミさん」も「虫くん」もその他の人たちもその道のプロです。夏生さんにとってはやはりある意味仕事上のお付き合いなわけです。読者やファン層も変わりはじめる。。。。。
ですから夏生さんはずっとソウルパートナーを求める。歩き続けるために。
誰もが社会の中に出て行く中に孤独を感じる。だからこそ愛を求める。それは社会の中により強く人を引っ張るような立場になるとその孤独はより強くなり、やはり愛を求める。読者やファンの母親に帰るわけです。
夏生さんがどこへこれから向かっていくのか。。。。作家・詩人というアーティストから社長業が本職になったら。。。。でもそんな心配はないですね。
孤独を共有しながら悲しみを共有しながら!!

【2011年】ツイッターつぶやき
今日、実家に帰ると、お袋はしみじみ言いました。
「四十九日の内は死んだ人間が家の周りにいるというがほんとだね。。。。」
何があったのかと詳しく訊いたら、遺骨や遺影を飾る祭壇があるのですがお袋がちらっとそちらを見たら亡くなった親父が祭壇のテーブルの下を探し回って大工道具のカンナやのこぎりなどを出していたというのです。親父は昔から木工関連の職人でしたから大事な道具だったのでっす。あの世に持って行こうとしたのか道具が心配だったのでしょう。
先週は、親父が玄関近くに立っていたそうです。その日は大切な年金が通帳に振り込まれる日だったそうです。お袋が「ちゃんと後で小遣いをあげるから」と言ったら安心したのか消えたそうです。年金が入るとささやかにパチンコをするのが楽しみだったようです。
明日、親父の四十九日をやる予定です。
そういえば、僕も2週間ほど前から左足の膝が痛くて夜中に痛みで目が覚めていました。
今はだいぶおさまってきて夜中の痛みがなんだったんだろと思うほどです。
そういえば、親父はよく僕に体は大事にしろよと言っていましたので何か伝えたかったのでしょうか。親父は医者嫌いでよほどのことがなければ行きませんでした。早く医者に行けということだったのでしょうか。。。。でも、これといって今の内はそうは大きな病気はないようですが、気をつけろよということだったとは思います。

【2012年】ツイッターつぶやき
夢を見た
森、サバンナ、水辺。。。。。。
ものすごく広い大きな公園に風景が続く
僕は檻の中にいた
すごく楽しい気分で檻から風景を眺めた
なぜ楽しいのかと思ったらそこは動物園だったから
たくさんの動物を自然のままに見られる動物園だから
僕は檻から檻へと風景を眺めながら歩いた
しかし動物たちが全然見えない
唯一遠くに見えたサルたちが日常をおくっていた
たくさんの動物たちは生きるのに一生懸命なのだ
好き好んで檻になんか近づいてはくれない
僕は隣に立つ飼育員に文句を言った
飼育員は「まぁ、そう言わずにもう少し進んでみなさい」と
僕はたくさんの連なる檻の中を歩いた
しばらくすると視界が開けた広い広場に出た
区分けした檻に人がたくさん入っている
それをたくさんの動物たちが楽しそうに見ているのである
サルが僕にバナナをくれようとした
するとさっきの飼育員がサルに「餌をあげてはだめだよ」と
サル語で話をしている。。。。。。
檻はさびて悲しい色をしていた

【2013年】ツイッターつぶやき
毎日新聞社説に「黒田日銀の政策 物価だけ上昇しても」というのがありました。
このブログでも何度か書きましたが、デフレからの脱却の目安として物価上昇が置かれます(以前はインフレターゲットというさらに間違った概念)が、物価が上がればそれでデフレからの脱却になるかと言えばその物価が上がった中身が大切です。デフレからの脱却とは、経済が好調になった時に消費と供給のバランスにおいて物価が上がることもありますし、それが過度に作用したときにはインフレともなります。しかし今の日本での物価上昇はどのように起きているかと言えば、高級品などの売り上げは確かに伸びていますが、一般的な消費財がどうなのかと言えば伸び悩んでいる状態でしょう。そして物価の上昇は
「このところ物価が上昇している主な要因は、円安とエネルギー価格の値上がりである。景気の改善に導かれたものとは言い難い。このため、消費者の多くが「物価が上がっている」と実感しながら、それを「困ったことだ」と受け止めている。日銀の「生活意識に関するアンケート調査」によるもので、暮らし向きについても、9月調査で「ゆとりがなくなってきた」と回答した人の割合は6月調査より増えた。」 (上記リンクページより引用)
という状態にあると思います。景気の回復から物価が上昇したりそれがインフレ傾向になるという経済法則からではなく、金融緩和からの(たとえ副産物だとしても)円安による単なる物価上昇と国民生活の低下は「悪性」の物価上昇ととらえるべきでしょう。
ですからデフレからの脱却としてあげられる物価上昇はそれ自体では景気の回復とはならないわけです。悪性の物価上昇でも物価が上がればデフレからの脱却でそれは経済の回復であるという結論付けは危険とも思われるし、経済学的にも逆立ちをした論理と言えるでしょう。
そもそもデフレという規定付がどうなのでしょうか?物価が下がり続ける要因は生産性の向上により一つの商品に含まれる労働力量が減って大量に生産できるという経済法則にありますし、その上に日本の場合は賃金そのものを企業はコストとしてしまいこのコスト削減からの賃上げを続けてそれを生産性の向上と位置付けてしまった。この間違いから当然に経済法則は崩れてデフレ現象となったと見た方がよいわけです。それだけ日本のデフレは深刻なわけです。
それにもかかわらず悪性の物価高を経済の回復基調としてしまっている。ここから見えるのは更なるデフレ圧力でしょう。商品の値段が上がって物価高社会になってもそのあがった物価の中でデフレは続くわけです。

【2014年】ツイッターつぶやき
古い機械で生産されていた商品がその生産に新しい機械が導入された場合、以前は10個しか生産されなかったものが30個生産されるようになった場合、その商品の一つあたりの価値は同じでしょうか?
この場合労働者の数や労働時間(可変資本)は同じとして原材料など(不変資本)の価格も同じとした場合です。
1つあたりの商品への不変資本の価値移転の量は同じですから商品の価値には不変資本は関係をしません。残るのは労働力です。たとえば1日単位の労働者の数も労働時間も変わらないと仮定していますので、一つあたりの商品を生産する労働時間が短くなっているという違いだけが残ります。
物々交換を考えてもたくさんの労働力(労働時間)をかけた物と少ない労働力しか必要のない物の交換は、同じ1個だから1個と1戸個で交換されるかといえばそうはならないでしょう。1つあたりにたくさんの労働時間をかけて物を作った人は交換としては損をします。ですからこの場合同じ1個単位の物でもその価値が違うから交換はできないということになる。これと同じようにより少ない労働力量しか必要なくなった商品は価値低下を起こすでしょう。
このように同じ商品でも1つあたりの商品を生産する労働時間が少なくなり価値の低下を起こすのが生産性の向上です。
この価値低下から先の商品を生産する企業はより多く生産しても利益は同じといった矛盾に陥ります。
ではなぜ企業は生産性を向上させるのでしょうか?
もちろん答えは利益が大きくなるからなのですが、そのからくりはどこにあるのでしょうか?
その商品を生産する企業は多くの同じ商品を生産する競争相手がいて一つの産業となっています。その産業全体で商品市場に商品を並べるわけです。この中で先ほどの生産性を向上させた企業の商品は価値低下を起こしているが市場の中では他の企業の商品と同じ価格で売れるなら、小さな価値しかない物でも同じ価格で売れるのですからその差額は特別な利益(特別剰余価値)を生むでしょう。
ですから企業は競争をして生産性の向上を行います。
この競争自体が資本主義の発展につながるわけです。
しかし先の商品を生産する産業内の企業がすべて同じ競争力のある生産性の向上が行われて新たな生産性を上げる材料がない場合どうなるでしょうか?
商品はその価値どおりの価格となります。
もちろん一つあたりの価値の低下は商品の価格も下げるわけですから今まで特別剰余価値を得ていた企業の利益も低下をしていきます。もちろん産業内すべての企業で利益の低下を起こします。
同時に生産性の向上は少ない労働力量でより多くの商品を生産するわけですから市場における商品量増大をしています。その商品がすべて売れたとしても企業にとっては利益の縮小と感じるでしょう。
さらに商品量の過剰が見えてきたときに産業内の企業は値下げ競争に走り出してその安売りを支える体力のない企業は淘汰をされる。あるいはその淘汰過程で市場を独占するために合弁が行われる。倒産する企業も現れればそれは労働力の過剰となり失業が発生をする。
また、企業は利益を維持するために失業という労働力の需給関係を利用して賃下げに走るでしょう。
失業と賃下げが何をもたらすか?
それは個人消費の縮小です。
この時に先の産業ばかりではなくて国内の産業すべてで同じことが起きてしまった場合、その個人消費総体が落ち込むでしょう。商品は総体的のな過剰傾向を示す。するとまた企業は安売り競争とそこからの淘汰を起こしてさらに失業や低賃金を生む。このような悪循環がデフレ不況となります。
デフレの根本的な原因は貨幣量にあることではないことは明らかです。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
この前まで夏日のような暑い日が続いていたと思ったらいきなり夏から冬へ。
ニチニチソウやトリニアが落とした種が自然に発芽し花をつけそうでした。これを集めてプランタや鉢に植えておいたのですが、こう寒くなるとだめになるかと思いベランダの日が当たるところや一部を出窓に移しました。
今日のように暖かい日差しがあるときに日光浴をさせて夜は出窓に移しています。
小さな花が咲き楽しめるかもしれませんし、冬を越せればまた元気にたくさんの花を咲かせると思います。
種はトリニアと松葉ボタンをとってありますので春になったら蒔いてみようと思います。

種から育てたビオラがだいぶ大きくなり、鉢の底に根っこが出てくるようになりました。もう一息・・・・

【2017年】ツイッターつぶやき
朝日新聞朝刊に「車大手無期雇用を回避」という記事があった。
期間従業員は5年間雇用されれば労働者の希望により無期雇用に切り替えることができるという方がある。しかし5年間雇用をされていても途中で6か月以上の空白があると無期雇用の希望を企業は受け入れなくてよいという。この法の抜け穴を利用して企業が期間従業員との契約ルールを変更して無期雇用をしなくてもよいようにするという。
不安定な1年契約より無期契約の方が労働条件も安定するでしょうし、将来の生活設計も立てやすくなる。
今の日本経済の停滞のために全体的な賃上げが必要になっているが、同時に雇用の安定化と正社員化が不可欠です。
車大手のやり方は他の産業にも波及するでしょうし、実際に法の抜け穴を使っている企業もあるのかもしれない。すると個人消費上昇の妨げの一要素となってしまうでしょう。
車産業も国内の販売台数で四苦八苦して、売れる車は軽自動車という実態にあるのではないでしょうか。結局は労働者の低賃金と不安定雇用は企業の活動や利益に跳ね返ってきます。
最近の新車の点検不正が問題となっています。他の巨大企業での不正も多くなってきています。企業の利益という問題ではなくて日本企業の信頼までが揺るがされてしまう懸念も出てくるでしょう。日本製品は安くて品質が良いという世界の常識から転落していくのではないか。失われた信頼を取り戻すには長い年月を必要とします。

【2018年】ツイッターつぶやき
当たり前のことではあるが忘れてしまうのが、社会すべては人の労働によって作り出され維持され運営されている。
人の労働も社会の分業が進む中でより細分化された労働となる。また、これまで必要であった技術などが新たな技術に変化をする進歩があるから労働の中身にも変化がある。
しかし人の労働によって社会は成り立っていることに変化はない。
現在という瞬間において社会は過去の労働によって作り上げられている。この過去の労働は蓄積の中にあり、古い技術での労働が新しい技術による労働に変わったとして、古い過去の労働ガムになったわけではなく、新しい技術での労働の土台となっている。
労働は人の労働力の消費である。
過去のすべての労働力が様々な分業において消費をされて人の労働となる。人の労働力の蓄積による具体的な労働の蓄積によって社会は成り立っているのならば、人というものを中心に社会は運営をされなくてはいけないでしょう。
ところが社会のすべては人の労働力の消費という具体的な労働によって成り立つことが忘れられる社会においては過去の労働の蓄積も忘れられる。
今の社会はこれが目に見えて社会の現象として表れているでしょう。
人の労働は大切にされない。経済面においても生活においても。過去の労働は今の高齢者による労働でした。しかし高齢者は邪魔者となり高齢化が社会問題だとされる。
過去の労働がないがしろになるということは、先にも書いたように現在労働をしている人たちの労働もないがしろにされることにつながらる。安心して結婚も考えられない若い人たち。それは少子化にもつながるでしょう。もちろん結婚をしても子供は1人でやっととか。
社会をどのような形にするかは政治の責任である。
政治の劣化は加速度的に悪化をしている。

【2019年】ツイッターつぶやき
8日はもう立冬ですなぁ。。。。。
天気予報では東京も今週は10度を下回る日が続くそうです。
慌てて冬支度です。
明日はこたつ布団を出して干したいと思います。
寒いですが天気は良さそうなので助かります。
冬物の下着やパジャマがよれよれ。。。。
早めに買いに行こう。。。。
今夜はしゃぶしゃぶです。夕螺家恒例レタスしゃぶしゃぶ。。。。
しめはいつもスープを使ってきしめんなのですが、昼にうどんを食ったのでシャケ茶漬けにします。
先日はおでんで、そのまた先日は水炊きでした。
鍋料理が増えます。。。。。。

【2020年】ツイッターつぶやき
アメリカ大統領選の結果が混とんとしていますが、どちらが勝ってもアメリカの低所得層貧困層のための政治は期待できないでしょう。4年前のトランプさん勝利ではこの低所得層の支持を得たようですが、結局は貧困問題などの解決には至らなかったようです。ポピュリズムも破綻をします。
アメリカは二大政党制ですが、その中身は保守二大政党制でしょう。
日本でも社会とがいつまでも政権をとれなかった中で二大政党制が言われて社会党の解党にまでつながりました。しかしその後の民主党勢力を見ても一時的に政権をとれましたがすぐに安倍内閣を産んでしまいました。民主党が保守政党であることがはっきりすれば自民党には勝てないのです。
それにしてもアメリカの大統領選は政策が見えますか?舌戦は激しいですが国民のための政治特に経済政策が見えません。これは日本でも同じでスキャンダルの追及などの舌銭で明け暮れています。
二大政党制というと数のバランスの様に勘違いをしてしまいますが、実は政策の違いがはっきりした勢力のぶつかりでなければ二大政党氏とは言えないのです。
55年体制での自民党と社会党(万年野党であっても)政策論争の方がある意味二大政党制だったのです。数の力では負けていた社会党ですが、労働組合や市民団体そして知識層との結びつきが自民党への対立として力をもって今のです。
今の日本の二大政党制はくっついたり離れたりして数合わせになっています。これでは上記したような本来の二大政党制はできないでしょう。
アメリカはもっと悲惨でその反共主義は格差の解消など社会の改良を言うだけで社会主義だとなってしまっている。その中での二大政党制ですから、悲惨です。もちろん日本もその方向に向かっているのですが。。。。

【2021年】ツイッターつぶやき
軽井沢から小諸へドライブに行ってきました。

       ≪軽井沢 白糸の滝≫

    





      ≪小諸 懐古園≫







      ≪千曲川≫



【2022年】ツイッターつぶやき
コロナ感染者数が増加傾向がはっきりしてきた。
下げ止まりかと思っていたらすぐに増加傾向ですなぁ。。。。
第八波という言葉を多く聞くようになりました。
年末にかけてまた波が来るかもしれません。
その中で、国はもう規制をしませんからワクチン一本で突き進むでしょう。
4回目のワクチン接種が行われてすぐに5回目のワクチンクーポンが配布されています。どうも3カ月単位での接種となりそうです。ワクチン接種の初めは8カ月が過ぎたらということでしたが、4回目は5カ月に短縮されて今度は3カ月です。
幼児を含む子供たちへの接種もはじまっていますが、何の感染防止もなされないままに国民はワクチン漬けになっていきます。そのうえ、インフルエンザや帯状疱疹のワクチンも同時接種しようとしています。
ワクチンが体にどのような影響を及ぼすかははっきりされていませんが、コロナ禍とワクチンへの心配を天秤にかけられているようです。ワクチン接種そのものが自己判断ですからね。それは自己責任ということです。コロナ対策をしないで個人の自己責任で接種をしろ。これが今の政府です。
若い人は重症化しにくいわけですからリスクを考えて接種をしない人が増加するでしょう。無症状ならば街を闊歩する。その中で年寄りはワクチンをと。これがウィズコロナです。

【2023年】ツイッターつぶやき
ここ数日夏日です。
今朝起きたら汗をかいていて寒気が。。。。。。
鼻水も出るので熱を測ったら36.5度。
鼻水はすぐに止まったので良かったですがだるさがあります。
これと言って風邪の症状はないのでたぶん気温の変化のせいだと思います。
春先に同じダルさが出るのですが、どうも気温根変化に弱いです。
コメント (2)
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「11月 3日という日」

2024年11月03日 08時08分38秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
雨。
正岡子規だったか?「文章には山がなければならない」とか言ったらしい。これに夏目漱石が感心をし、「山会」ができた。薄ら覚えで間違いかもしれない。
でも、この文章には山がなければならないという点では、正岡子規は美文にこるようになり、漱石は、文章もうまくアイディアもよければそれが一番いいが、文章のうまさとアイディアのどちらかがうまいならアイディアだといったと思う。
本を読んでその本がよいか悪いかの基準はこのへんにある。美文かどうかだけではなくて主張がしっかりしているなら、それが文章の山だろう。
その点でいろんな作家を読みたい。

【2004年】
新聞広告で、妻がタモリさんの「TOUKYOU坂道美学入門」という本を探し、欲しいというので買ってきました。パラリとはじめのほうだけを読んだのですが、テレビで見るタモリさんとは一味違う面を感じます。エッセイとしてもおもしろいと思います。
多くの写真やマップイラスト、坂道の周りにある喫茶店など、秋の一日を歩きたくなる本でした。
我が家の近くの公園も、桜の葉が色づきはじめました。
東京は今日も晴れていますが、こんな日の夕方の公園の景色は好きです。
香田さんが殺害されてからいろいろな記事を読みますが、あらためてテロというものの残虐さを感じます。
しかし同時に、僕はどうもこの香田さんの死を見るときにどのくらいのイラクの人々が「テロとの戦い」という戦争で犠牲になっているのかを考えてしまいます。テロを倒すにはある程度の犠牲は必要。。。。。香田さんの命も?
「テロとの戦い」もイラクに自由をというある意味での聖戦、テロリストの戦いも聖戦、どちらもがその正しさを言います。しかし正しさの裏側に残虐性がある。

【2005年】
(記事なし)

【2006年】
鰻重を食いに家族一同でドライブに行ってきました。
御殿場の方も東名で走りましたが、山々の紅葉はまだだいぶ早いです。ほんの少し色づいてきていますが、こういう景色も好きです。モミジの鮮やかな紅葉も良いですが、桜や柿の葉の色づいた様子も好きです。山々を眺めたときも、なんという木かわからないような木の赤や黄色やオレンジや、まだ緑が残っていたりと、パステルカラーに斑となった景色が好きです。美人がほんの少し酒を飲んでポーっとなったような山(笑)
沼津の市場に行き、干物を買ってきましたので、今夜はこれを焼いたり鰹の塩辛(酒盗)でお茶漬けにして簡単に。。。。

【2007年】
鰻重を食いに家族一同でドライブに行ってきました。
御殿場の方も東名で走りましたが、山々の紅葉はまだだいぶ早いです。ほんの少し色づいてきていますが、こういう景色も好きです。モミジの鮮やかな紅葉も良いですが、桜や柿の葉の色づいた様子も好きです。山々を眺めたときも、なんという木かわからないような木の赤や黄色やオレンジや、まだ緑が残っていたりと、パステルカラーに斑となった景色が好きです。美人がほんの少し酒を飲んでポーっとなったような山(笑)
沼津の市場に行き、干物を買ってきましたので、今夜はこれを焼いたり鰹の塩辛(酒盗)でお茶漬けにして簡単に。。。。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
地下鉄の吊広告に

ある雑誌の記事である

売れた商品30というような見出しがあった

いくつかの商品名が順位とともにあったが

。。。。。どれ一つとして頭に浮かぶ商品がなかった

どのような商品なのか。。。。

食い物か、小物か。。。。。。。。

それすら区別できない

私生活でも仕事でも

縁のない商品だったのでしょう

僕には。。。。。ううう

縁がなかったというよりも

興味すらわかなかったということで

それがさみしい。。。。。

年寄りの頑固さは

ただの頑固さではなくて

いろいろな物に目が向かなくなるということかも

ある自分の世界が出来上がってそこに遊ぶ

こういう点では好奇心はまだまだあるわけだけど

いけませんなぁ。。。。うん

ツイッターも、そして以前のブログでも

受け入れるのに時間がかかる

でも自分を忘れては。。。。

というのがよくないのでしょうか

ううう・・・・ん、そういうことでもない

飛び込むエネルギーかな
     (Pm8:35)

【2011年】ツイッターつぶやき
      拝啓 銀色夏生 様

毎日通る駅の改札
改札機に定期券を入れる
ひゅっと吸い込まれて向こうに出てきた
急がされるような思いであわてて
定期券をつかむ
他の客たちは足早に歩き去っていく
汚いラーメン屋に入り遅い夕食
どんと置かれた中生をちびりと
定食の冷奴を落としてしまった
帰り道をとぼとぼと歩いて
いつもの公園に来たら笑ってしまった
今朝鳥にうんちをひっかけられたっけ
夜の公園は暗くてさみしいよ
玄関の灯りもなんだか冷たかった
でも、そこに見つけたんだ
宅配で届いた一冊の本
僕はにこっとして表紙を開いた
これで僕の一日は大満足さ
湯船に浮かび
心はどこかに飛んで行った
          
           敬具

サインとイラストが描かれた「つれづれ」が届きました。
大切に、大切に梱包された一冊の本。表紙をめくったらいつもの文字が。本物の文字が。。。。。
きれいな水のつめたい流れ
そこに白い小さな魚が泳いでいました。その魚をじっと見つめるような黒い魚。。。。。
僕はこれからも黒い魚のように生まれてくる作品を見つめていくことでしょう。
すいすいとどこか遠くに行ってしまわないように。。。。。

【2012年】ツイッターつぶやき
10月31日の続きになりますが、技術上の生産性の向上は人々の生活をより安く豊かにするのであるからこれは社会の発展に欠かせないものある。この社会の発展の要素に敵対するように労働力の効率化の効率化が行われる。
本来技術の発展などによる生産の効率化は、より少ない労働力量でより多くの商品を生産できるわけですから、より安い商品を大量に市場に送り労働力量の減少は働く人々の労働から離れた私的な時間を増やす役割を担うものです。しかし今の社会は必要な労働力量は以前と同じような状態(同じ労働時間同じ強度など)で使用されますからこの必要とされる労働力量の余剰が発生をして失業などが必然的になります。労働力の節約でもあり効率化として行われます。
同時に技術の発展は、労働の強度や熟練性を必要としない労働に置き換えていきますからそれが賃金の低下にも結び付きます。
労働力量の効率化による失業の増大と低賃金化は、精密機械とコンピューターが結合したロボット社会ではそれを格段に広げていきます。
ここに技術上の生産性の向上という社会の発展に役立つものと労働力の効率化というものが敵対的になります。
企業利益の増大と労働者の利益の縮小という矛盾を生みます。
企業利益の増大は企業に更なる生産拡大を呼び起こします。しかし生産性が上がっているわけですから労働者への賃金は変わらないか今まで以上に引き下げられます。企業は以前よりも多く生産設備や原材料などに投資をし、より少ない労働力という賃金部分の投資を少なくする。生産設備費と賃金費の比率の差が広がります。投下資本の組成が変化し高度化します。
この投下資本の組成の変化、効率化こそが技術上の生産性の向上と労働録の節約、効率化という労働の生産性の敵対関係と言えます。
ではなぜ敵対関係になるのでしょうか。
より多くの原材料をより大きな生産設備で商品が生産されるわけですが、そこに必要となる労働力量は同じか少なくなるという事はどのようなことか?例えば10万個生産されていた商品量が倍の20万個になっても企業の利益は変わらないのです。全商品の合計の価値は同じで一つひとつの商品の価値は二分の一になるからです。

【2013年】ツイッターつぶやき
「外務・防衛担当閣僚会合(2プラス2)」が開かれテロ・海賊対策訓練などの成果もあったようですが、北方領土問題や中国へのけん制では進展がなかったようです。ネットで他の新聞社の記事を見ても書き方の温度差はありますがやはり日本の意図したものの重要な課題に打ち手は思わしくなかったようです。
アメリカとロシアの間では核兵器の削減への発展的な議論の継続がありますし、ロシアにとっての対アジア政策もアメリカとの関係において重要視されているのではないでしょうか。それは日米安保に対するロシアの対処方にも出ます。その中において日本も重要な位置にあるのですが、ロシアは軸足をアメリカにおいていればよいわけです。
一方中ロ関係では昔の対立関係から脱却をして互いに譲り合いながら領土問題を解決した歴史があります。
「12年前、両国は「中露善隣友好協力条約」を締結し、世々代々の友好、永遠に敵対せずとの平和思想、および同盟を結ばず、対立せず、第三国に狙いを定めないとの外交理念を法的文書の形で固定化した。良好な取り組みと個人関係によって、両国元首が重大な問題について速やかに意思疎通を図るための基礎が固められた。」 (上記リンクページより引用)
と総括をされています。
この中露善隣友好協力条約はやはり中露の関係においては基本的な関係ですから、それは日ロの安全保障上の関係においても大きな存在でロシアの対日本に対する基本的な姿勢となるでしょう。
もちろん今後の日ロの関係によっては日本の存在感も強くなる可能性はあるのですが、現段階においては日本側からの露骨な中国へのけん制は共通認識とはなりえないでしょう。その意味において2+2は限界を生じる。
日本はロシア・中国・韓国との領土問題を抱える。しかし日本は中国に対しては「領土問題は存在しない(日本の実効支配)」といったものを前面に掲げていますし、韓国に対しては竹島の韓国による実効支配に抗議する。北方領土においても同じでしょう。これらを強行的な対立関係の中での解決を言う。
しかし中露は領土問題を解決し、中韓の接近は著しい。ロシア韓国の間はこれまで摩擦があったものの今月1日にはプーチン大統領が韓国を訪問している。また韓国の朴大統領は進展しない6カ国会議の中南北会議をさらに呼びかける姿勢を示した。
アジアは日中の対立関係と日韓の冷たい関係そしてロシアとの北方領土の関係と、日本を除く他の三国の友好関係の進展とが同時に現れているのではないか?
日本は日米安保の枠組みの中にあり、それのさらなる密接さの中で問題解決を行う姿勢である。
もちろん安保はアジアの軍事関係において力のあるものであり、アメリカと日本の量的緩和という経済政策のスクラムは大きな影響を持っている。しかし中国は世界経済にも存在感をつけておりロシアの立て直しつつある。そこに韓国は依拠するのだろう。それは他のアジア諸国の状態でもある。
このような中で日本の経済や政策そして軍事がこのままでよいのだろうか?
領土問題は互いに譲り合う中でしか解決できない問題でもあるし

【2014年】ツイッターつぶやき
日銀が追加緩和を決定し、GPIFが株式保有の増加を決め、政府が補正予算を言い出した。
これらはほぼ同日行われたわけですが、追加緩和は円安を促進するでしょうし、その円安も関連しながらGPIFの株式保有が決定をされたわけですから株価は上がるとみる方が増えるでしょう。そして政府が補正予算でさらに公共事業を行えば市場に金は流れる。ここから見えてくるものは三拍子そろった消費増税への経済的根拠でしょう。
同時にこの三拍子そろった経済の動きはまた国民に期待感を及ぼすでしょう。その期待感が消費増税に国民が耐えられるかの保証はないが。国民への期待感では、やはり賃上げが言われている。しかしこの賃上げについてはこれといった政策があるわけではない。賃上げが労働者全体に行き渡ったかといえばこれまでの経過を見ればわかる。むしろ悪性の物価高により実質賃金は下がり続ける。
やはり成長路線は国民生活の安定からかけ離れた株高や企業収益の拡大に現れるほかはないでしょう。そして消費増税の10%である。
株価維持・株価上昇は円が下り続けなければならない。株式市場にはGPIFの年金積立金が切れ目なく株式に廻らなければならないだろう。実体経済の伸びが鈍いなら公共事業(補正予算対面で)も切れ目なく続けなければならない。この経過の中で実体経済が伸びていくのかといえば金をつぎ込んだ割には大きな成長は見込まれないでしょう。
一方における国民生活の犠牲の割には経済成長も少なく実質賃金や雇用改悪が行われる。
経済矛盾解決の先送りと逆に経済矛盾が深まる危険が。。。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
gooお題「今年は紅葉見に行った?」
紅葉の名所に入っていません。
でも、身近なところに紅葉が。
公園の桜の葉が紅葉したり、名も知らぬ草紅葉も。
毎日の生活の中で変化していく自然。それを見つめるのも楽しいと思います。
もちろん全山紅葉のあでやかさもすきですが、桜紅葉、柿紅葉、草紅葉。。。。好きです。

【2018年】ツイッターつぶやき
これまで一度や二度
「お前は、仕事が大事なのか家庭(私生活)が大事なのか」と、
上司や先輩などから言われたことがないでしょうか?直接に言われなくても休暇が取りたいときに雰囲気から休暇が取れなかったことはないでしょうか?
男も保育園または幼稚園のお迎えに行きうれしそうな子供の満面の笑顔を見ることは男の権利です。たまには休暇を取って平日に子供とのんびり買い物に行くことは男の権利です。休暇を完全消化しながら家庭や自分の時間を大切にすることは男の権利です。
この男の権利は女性が働き続ける権利のためにも大切なものです。
男社会だといわれていますが、お子さんがいる女性が男と同じように働かなければ「だから女はだめだ」となるでしょう。男女平等も女性の権利ばかりを考えていると一つの壁にぶつかります。女性の権利は男の権利がなければ確立しないでしょう。
現在不安定雇用が多くなっていますし低賃金化も進んでいますが、共働き世帯が多くなっているのではないでしょうか?しかし女性は常勤ではなくてパートなどに従事せざるを得ない。女性も常勤の仕事をしながらの共働きがなければ安定した生活ができなくなっています。その中で案外夫も休暇を取りながら夫婦二人で家庭を営むことをしている方々も多くなっているのかもしれませんが。これが普通の労働者の生活のはずです。

【2019年】ツイッターつぶやき
東京新聞によると、セブンイレブンのオーナーの休暇の取得問題があるようです。
オーナーの休暇制度?
オーナーといってもサラリーマンと同じなのですね。
サラリーマンも企業により条件は違いますがもちろん休暇制度は法で決められています。セブンイレブンではオーナー・ヘルプ制度というらしいですがきちんと休暇制度があることはよいことですが、サラリーマンと同じで休暇制度はあるが現実は休暇を取得できない状態があるのでしょうか?
休暇問題をはじめ、オーナーとしての”しばり”というものは多くあるのかもしれませんね。
最近は営業時間が問題になり24時間営業ができないところは深夜の営業をやめるという動きも出ていますし、消費期限切れの商品を安売りできるかできないかでももめていました。
オーナーと聞けば本社と対等な関係で営業ができるイメージが強いですが、現実はサラリーマンですなぁ。
利益の配分はどうなんでしょうか?
サラリーマンは給与制度ですが、コンビニオーナーは?
これからコンビニの在り方が大きく変化するかもしれませんね。

【2020年】ツイッターつぶやき
アメリカ大統領選の開票がはじまるようですが、バイデンさんが有利とも言われていましたが混沌としているようですね。
トランプさんが勝っても国家主義的な強いアメリカが強調されますし、バイデンさんが勝っても富裕層中心の政策が続くのでしょう。もちろんトランプさんの国民に目を向けた政治も当て外れで国民の支持を失っていますが。
どちらが勝っても戦争をやるときはやりますね。
トランプさんはアメリカ国家を分断したといわれています。警察間の黒人の殺害などが大きな問題になりましたし、白人至上主義の台頭もあるようです。この力づくともいえる分断は大統領選にも現れているようで、何でもありの運動があるようです。異例の大統領選とも言われています。
アメリカ政治から自由や民主主義という言葉が聞こえなくなっているように感じますがどうでしょ?
超大国アメリカはどこに向かうのでしょうか。といっても、政治の劣化とともに経済も落ち込む気配が続いていました。その中でトランプさんのアメリカ第一は感情として受け入れられたのでしょう。
日本の自民党政治も同じなんでしょうね。

【2021年】ツイッターつぶやき
朝日新聞によると11年ぶりに自殺者が増加をし特に女性が15%増加している。そしてその女性たちの多くは働く女性だそうです。
原因はコロナ禍による労働環境の変化にあるようですが、これはコロナの影響が大きいとはいえ昔から経済が落ち込んだときにはまず女性が失業していました。特に現在は雇用状態が正社員ではなく不安定労働が増加をしていますから首を切るのも簡単になっています。
産業予備軍。。。
好景気の時には女性の活躍などが言われて労働者として働きますが、不況になればすぐに解雇される。
ですからコロナの影響という経済の落ち込みの中でまず女性が解雇されるのでしょう。
このような不安定な女性たちに自殺者が増加をするというのは政治や企業体質な責任が大きいでしょう。

【2022年】ツイッターつぶやき
朝、テレビをつけたら、ミサイルが発射されたとどこのチャンネルでもやっていた。
そのうちにミサイルは日本列島を超えて太平洋に着弾したと。しかしすぐに、実は日本列島を超えていなかったと。
こういう国が防衛のために敵基地を先制攻撃することを検討していると。
周辺国は恐怖でしょう。
近くに地下や頑丈な建物がない人は頭を抱えて伏せろと。。。。。
実際やった人はいるのでしょうか?
もしかしたら誰も本気で政府発表を聞いていないかも。
政府も社会機能を停止するような混乱を考えると東京などの大都市にはアラートを出せないでしょう。
(以上ツイッターから)
ミサイルが日本上空を通過したということから防衛としてもミサイルを打ち落とす処置は行わなかったと発表もありましたが、ミサイルは飛行機のようなところを飛んで行ったわけではなく、成層圏当たりの高度を通過するわけですから撃ち落とすことは許されないでしょう。撃ち落とすとすればアメリカとの同盟関係においてアメリカの指示があった場合でしょうが、これでは日本が戦争に巻き込まれるわけですからミサイルの攻撃目標が日本となる。
数十発のミサイルを打ち落とすのも困難だから敵基地を先制攻撃するとなる。
日本がウクライナと同じ戦争の最前線あるいはアメリカの代理戦争を行うことになる。
アメリカが日本を救う?
アメリカは第三次世界大戦回避として参戦はしない。

【2023年】ツイッターつぶやき
アメリカでビッグマックセットを頼むと17ドルするそうです。日本円では2500円。
日本では700円だそうです。
ビッグマックセットを金と同じように基準として見ると、700円=ビッグマックセット1セット=17ドルとなります。700円と17ドルは同じ価値となります。
日本の時給を1000円とすれば1時間働いてビッグマックセットを食べると300円お釣りが出る。時給のうち30%が手元に残ります。
アメリカの時給が20ドルとすれば、同じように3ドルお釣りが出て、時給の15%しか手元に残りません。
こう見ると円高ですよね?
アメリカは息切れして金利をこれ以上あげられないようです。インフレが激しくなれば為替も円高に動くでしょう。この時に減税だとかバラマキをするのではなく、賃上げや社会保障を増加させて円高傾向を利用すべきですね。
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「11月 2日という日」

2024年11月02日 07時50分22秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
群ようこの「午前零時の玄米パン」を読みはじめました。
面白い女性ですね。。。。(笑)
30歳代のころの作品でしょうか?エッセイとしては面白いです。
若さがあふれる中で、世の中を斜めから?見ている様な面白さがあります。
おてんば娘(笑)が、50歳になりどんなおばさんになっているか、最近のものを今度読んでみます。
僕と同じ年ですから、小さいころの思い出などは「うん、うん・・・・」という感じで呼んでます。

【2004年】
(記事なし)

【2005年】
韓国海苔を買ってきました。袋は韓国を思い描くようにハングル文字ですが、製造元は日本らしいです。
だいぶ前ですが、妻の友人が韓国旅行に行き露店で焼いていたという本場の韓国海苔をもらったことがありますが、ごま油の風味がよくてうまかったです。海苔は日本のように良くはなく、ところどころ穴が開いている薄い海苔でしたがおいしかったです。ところでマンモス塩ってなんだろ?オーストラリアの岩塩だそうです。今日買ってきた韓国海苔に使われているみたい。。。
塩といえば、もう専売でなくなりいろいろな塩が出ていますが、我が家でもどことかの海の塩という高い塩を使っています。たしかに甘みのあるうまい塩です。でも、世界中の海が汚染される中で大丈夫かと思うことがあります。その点岩塩は大昔海だったところの塩が岩のように固まってできた塩ですから安心かな?とも。
でも、ミル付きの岩塩を買ってきてサラダを食べるときのガリガリとやってみたことがありますが、たしかに岩を削ったような砂を噛むような食感でした。なんだかなぁ。。。
今夜は秋刀魚です。おいしい塩をたっぷりとふってから焼きます!大根おろしも大根1本をおろしました。脂がのっていれば最高なのですが。。。。1匹100円。。。

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
昨日の朝日新聞朝刊に、大学生がレポートや論文を書くとにインターネットを調べて他人の論文をコピー・ペーストすることが多いとあった。
レポートや論文は、これまで読んだ本などを引用したりするのはよくあることだと思うのですが、今はインターネットの時代ですからそこからの引用も多くなるのもうなずけます。
しかし引用というのは、引用した文章の著者や本のタイトルを出版社からページにいたるまで書き添えるというのがルールなはずです。インターネットならページのタイトルとURLぐらいは書き添えないといけませんね。
こういうことなら大学もそうは問題にしないのでしょうが、レポートのほとんどをコピペして中には「自分はこう思う」というところまでコピペしてしまうという。判子で押したような論文やレポートは大学も問題にせざるを得ないですね。
ずっと以前ですが、僕のホームページの掲示板にいらして、ある作家について論文を書くのだが僕のページ(読書感想)からどのような傾向の作品を核の参考にしたいという学生さんがいました。僕のような者が書く感想文が役に立つならと僕もうれしくなりました。インターネットは顔が見えないし、許しもなくコピペも簡単にできる。でもその文章の中には人がいるということを忘れてはいけませんね。こういう学生さんはうれしいものです。
これは学生だけの問題ではなくて、いろいろとブログなどに記事を書くときにもいえることですね。参考のために詳しい年月が知りたいなどいろいろと調べてはいますが、そこから先は「自分はこう思う」というものを書かないと失礼ですね。
いろいろな人の名をかたって掲示板にも着たり、いろいろと迷惑もしていますがこういうネット上のエチケットは大人の中にも欠如しています。
インターネットは手軽な分だけ手軽に考えてしまうのでしょう。しかし先にも書いたように電話線の無効にあるいろいろな文書は人が書いたものだということを忘れてはならないですね。何もコンピューターが勝手に書いたものではないのだから。

【2011年】ツイッターつぶやき
                道の駅 ”南アルプスむら長谷”

久しぶりの道の駅の記事になってしまいました。
放射能騒ぎでどんよりとした毎日を過ごしていますが、時々ドライブに行っては道の駅に立ち寄っていました。
でも、こうして道の駅の感想をと思ったのですが何となく気持ちが沈んで描く気持ちになれませんでした。まぁ、放射能は心配なのですが心配『だけ』をして沈んでいても仕方がないですかなね。またちょこちょこと書いていきたいと思います。
さて、道の駅南アルプスむら長谷ですが、長野県の伊那市にあります。伊那の町から南アルプスの山に向かって車で30分ほどでしょうか美和湖というダム湖のほとりにあります。
三角屋根の山小屋風の建物がいくつか並び、ところどころにベンチが置かれて何となくのんびりとした気持ちになれる道の駅でした。
物産店にはいろいろなものが置かれていました。地元の農家の方の名前が書かれた野菜が並びます。農家のおばちゃんかな。。。。。ミニトマトのパックをいくつか並べに来ていました。
地元の味噌や漬物、持ちを買ってきました。
ちょうど昼飯時なので「レストラン「野のもの」でチキンカレー。肉が少なかったのですがおいしいカレーでした。いつもカレーを食べるとカレーがなくなってごはんが残ってしまうのですが、個々のカレーはカレーもたっぷりなのでよかったです。
<インサイト日記>
東京から中央道で奈良井宿、奈良井から伊那に抜けました。そのあと天竜峡へ。
630キロぐらい走り、燃費は24キロほどでした。
40リットル満タンで給油なしで余裕で帰ってきました。

【2012年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2013年】ツイッターつぶやき
消費税の3%増税が決まり予算案も進んでいく。
すでに消費増税は社会保障にというものは反故にされてアベノミクスによる成長路線のための増税という面がはっきりしてきた。自らの成長路線という政策の中に消費増税も紅美子かまれてしまったのである。成長により国民生活も向上するから今は我慢とといった論法なのかもしれませんが、その保障は何もない。
消費増税による税収増がある中で、政策予算を3兆円削減するという。社会保障の自然増はあるでしょうがその自然増を1兆円削減するというのもやはり予算削減の一つでしょう。地方の負担が多くなる中で地方交付税の削減、すでに17%の増加をしておいての見せかけの公共事業費の削減。
もちろん復興税などの新たな増税はすでに行われています。
この社会保障費の削減とともに行われるのが6兆円の政策減税です。
法人減税という減税と新たに投資減税などの1兆円。
消費増税は逆進性の高いものですから賃下げが続く国民生活としては負担が重くなる。そして年金生活者や生活保護の方々にも。
これがアベノミクスという成長路線の姿なわけです。

【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
以下ツイッターから
日本の男女平等の状態が144か国中114位と順位を下げた。(日経)女性の活躍はやはり言葉だけのもので終わり逆に平等さは相対的に後退をしている。さらに24条の改憲が行われた場合という見方も。
男女平等は大きな経済効果があるという。朝日新聞記事ではそれは60兆円以上の効果だという。いつまでたっても女性労働を家計を助けるためのパートなどと固定をし、いまだに寿退職だの出産退職だのと労働の継続性が軽視されて女性の低賃金が固定化が。
男女平等やそこでの経済効果だけを見てもいかに改憲の矛盾が危惧されるか。。。国による国民統制の中でも女性はさらにその矛盾を深めるでしょう。一方では労働力不足が言われている。女性労働力はますます低賃金のパートやバイトになっていく。老後の年金生活にも大きく影響をされ女性は家に縛られる。
高齢者の賃金も同じだが、女性の低賃金化は企業の目の前にある利益を拡大するが、長い目で見ればそれが企業の足を引っ張るという自己矛盾につながる。アベノミクスや日銀緩和自体が目先の利益確保になっているでしょう。その中での女性の活躍ですから今の政府では経済の好転はあり得ず改憲だけが残る
その改憲が先にも書いたように自由な経済を縛ることにもなり日本は衰弱に向かうでしょう。経済を強力な政治力による統制で動かそうとするのは必ず失敗をします。結局は内向きとなり、どう国民の資産を企業や国が吸い上げるかに向かわざるを得なく、それがまた経済矛盾を拡大するでしょう。

【2018年】ツイッターつぶやき
昨夜はポールマッカートニーの公演に行ってきました。
東京ドームが満席でした。今年76歳になるとはいえすごい動員力ですね。
ポールの魅力そして何よりもビートルズの魅力がまだ人々の心に生きているのでしょう。
観客は40代から70代ぐらいが多かったようですが、20代の若い人たちもたくさんいました。
世代を超えてビートルの音楽は心をつかむのでしょうか?
ビートルズの初期の「love me do」から「サージェント ペッパー・・・」や白アルバムの僕の好きなアルバムからも何曲か含めたビートルズナンバー、解散後のポールのバンドの曲そして新曲まで盛りだくさんの曲を聴けました。そしてちょっとビートルズ時代の思い出話も。
6時半開演でしたが、なかなか出てこずにファンはしびれを切らせて拍手などで「出てこい」要求(笑)それでも9時過ぎまで約3時間弱のコンサートでした。アンコールも20分ぐらい張っていましたね。
僕のようなオヤジでもビートルズナンバーでは自然に体が動いてしまいます。
大きなスクリーンでポールが映し出されているのですが、歌うときの首の角度などあの時のままです。。。。。
12歳ころからビートルズが解散するまでずっとファンでした。
安い映画館で、ヘルプの映画を見たり、テレビで日本公演を見たり、衛星放送の始まりでイギリスからの中継を見たり、テレビでビートルズ特集をやればもちろんくぎ付け。レットイットビーの
アップル社での最後のレコーディングは感動しました。また最後はアイドルでしたなぁ。。。。。

【2019年】ツイッターつぶやき
急に思い立って木曽のほうへドライブに出かけました。
往復600キロ以上。。。。気持ちよく走りました。木曽の山深い道路を走るのは気持ちが良いですね。今年は紅葉が遅いのでしょうか。標高1000メートル付近でなければきれいな紅葉は見れませんでした。
木曽方面は何度も言っているので観光地はパス。
蕎麦を食って、栗きんとんを食って、酒は飲めませんので買ってきました。
手打ち蕎麦はうまいですなぁ。
栗きんとんはいつもの味。お土産にも買ってきました。
酒はどぶろく風味の濁り酒。
そうそう・・・・
まな板が汚くなってへこんでしまったのでヒノキのまな板も買ってきました。車の中はヒノキの良い香り。
ハイブリットでリッター24キロ走りました。往復してまだガソリン残量は余裕でした。上り坂はモーターのアシスト、下り坂はエンジンストップで発電ブレーキ?たしかにガソリン車とは違います。

【2020年】ツイッターつぶやき
イギリスで再びロックダウンに入るようです。
このまま何もしなければ1日に4000人とか8000人の新規感染者が発生するといわれています。
イギリス版のGo To Eatが食べて支援ということで行われていたそうですが、newsweekによれば、このGo To Eatにより8から17%がGo To Eatの結果だと報道しています。
今後のロックアウトもきょりょすれば、
「Eat Out Help Outよりも、一時帰休制度(新型コロナで働けなくなった人の賃金を80%まで政府が負担するもの)の延長や疾病手当の増額、給食の無料化などの方が費用対効果があったと結論」(引用)
とあるようにGo To Eatで税金をばらまく経済効果に比べてその税金を「一時帰休制度(新型コロナで働けなくなった人の賃金を80%まで政府が負担するもの)の延長や疾病手当の増額、給食の無料化など」使われたほうが税金が有効に使われるかのせいが高いということでしょう。
日本でもGo Toイートが実施をされましたが、それ以上に「トラベル」や「商店街」が「イベント」様々な経済支援というものが行われています。東京から出かける人の人数が増加をしたことでの経済効果が言われています、最近では東京以外の県で感染者が増加をしています。全国の新規感染者数の増加傾向があり、北海道や大阪では新規感染者数が東京よりも多くなる気配です。政府は一連のGo Toでの感染拡大はないと分析しているようですが、イギリスのnewsweekの記事にあることが水面下で起きているのではないかと懸念されます。
政府はGo Toの延長を検討しているようですが、一方ではコロナによる失業の増加も出て、Go Toでの経済効果が末端で働く労働者にはいきわたっていない現象があります。Go Toの延長よりも「一時帰休制度(新型コロナで働けなくなった人の賃金を80%まで政府が負担するもの)の延長や疾病手当の増額、給食の無料化など」の税の支出が必要でしょう。一人さらに5万円給付というニュースが一時出ましたがどこかへ行ってしまったようです。
税金のバラマキで得する人、関係ない人、損する人が必ず出ます。得する人ならまだいいですが、錬金術や詐欺までも得する人が出ている現状があります。
そして大手企業の利益補償にはつながるが、働く人には恩恵がない。航空会社では人減らし’出区のような形でも)がはじまっています。
税を企業にばらまけば一時的な効果はありますが、キャンペーンが終わればまた客足も減るでしょう。

【2022年】ツイッターつぶやき
政府は2023年の春闘で賃上げをするよう要請している。
経済界の反応は遅いようですし、企業の顔色を見る連合もそうは大幅な賃上げは言えないでしょう。
ロイターによると、3%程度の賃上げではこの間の悪性の物価高の中で実質賃金はマイナスのままだと。
その上政府は増税についての言及を行っている。政府税調では消費増税が言われはじめ、車関連では走行距離に応じた税を考えているようです。
企業は内部留保をため込み政府は税をばらまくばかり。
賃上げも社会保障関連も10%程度一気に増加させないと経済対策には程遠いものとなるでしょう。

【2023年】ツイッターつぶやき
政府はドル売り円買いの為替介入を行い、日銀が長期金利を1%まで容認するとしましたが円安が止まりません。
一部では200円まで下がるとも。
この円安に対してドイツ銀行は、円の評価をトルコのリラやアルゼンチンのペソと同じ評価だとしました。
すでに為替介入や1%程度の金利の容認ではどうにもならなくなったようです。中国では米国債を大量に売って元を守ったそうですが、日本も世界第2位の米国債を引き受けている国ですから大量に売るしかないのかもしれませんが、アメリカとの関係においてそれは死んでもできないでしょう。
残るは長期金利を大幅に引き上げろという声が強まっています。しかし日本円はアメリカの基軸通貨のドルとは異次元の違いがあります。株価も下落をして大不況となるでしょう。
日本は経済力も落ちていますからこのままでは途上国並みの経済に戻るかもしれません。あとはドルの暴落待ちとなりますが、アメリカに依存する日本は心中をしてしまうでしょう。すでに諸外国の通貨に対しても円は安くなっているのですから
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「11月 1日という日」

2024年11月01日 07時45分24秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
『きらきらひかる』
新潮文庫
江國 香織 著
あとがきに「ごく自然な恋愛小説を書こうと思いました」とあります。
しかし中身は同性愛の夫とアルコール中毒の妻が主人公です。どこが「ごく自然」なのか?「常識的」な目で見るならば異常な世界です。なぜ江國さんがこの中に「ごく自然な恋愛」を描こうとしたのか?
しかし僕が書いた「常識的」という言葉をもう一度見直さなければならないのかとも思います。睦月と笑子の両親は、この常識の中にいる。両親は、孫を産めという。そして睦月の同性愛と笑子の精神異常をお互いに知る中に苦悩する。同時に睦月や笑子もこの「常識」に苦しみ傷つく。もちろん睦月と笑子自身も世間の常識から見た自分たちの「異状」さに苦しむ。睦月は同性愛という恋愛感情からけして子供を授かるものはない。笑子はその精神状態から子供を育てることへの不安がある。
このような中に二人とその家族の中に「常識」との葛藤がある。
では、なぞ二人は見合いをして結婚という形態をとったのか、それは、睦月の恋人(男)紺の言葉「男が好きというのではなくて、睦月が好きだから」という言葉の中に答えがあるのではないかと思う。純粋にその相手が好きだから一緒にいるという気持ち。この純粋さを常識とぶつかりながらも捜し求められていくという作品だと思う。
しかしなぜこの人を純粋に好きになったから一緒にいるというものを同性愛や精神異常の二人から表現をしなければならないのか。
同性愛(世間で言う女装的なオカマといわれるものとは違う)や精神異常というのは、今の社会では世間に隠し通すか内密にするというものがあると思う。ここに極限の状態があり、その極限の状態の中に睦月や笑子の純粋な「基本的な恋愛」を描く。この中に人を好きになったからという純粋という大切さが画より強く強調されるのではないかと思う。
読者はこの純粋さに魅了されて常識として持つ同性愛という嫌悪感やいやらしさを感じないで作品の中に引き込まれるような気がします。性は人それぞれ、性だけではなくさまざまな世間の常識の中にすべての人は生きている。この世間の常識と自分らしさに苦しむことはたくさんあるだろう。純粋さを貫くのは難しい。
笑子は「銀のライオン」の話をする。睦月や紺、その友人たちを「あなたたちは銀のライオン」だという。睦月の父親も「笑子さんも銀のライオン」だという。銀のライオンは、時に発生する白いライオン。そのライオンたちは群れから離れて自分たちだけで草食で生きているという。そして短命だと。
世間の常識から離れて自らの純粋さの中に生きる睦月や笑子たちという銀のライオン。世間の肉食という常識から離れて草食というやさしさの中に生きる睦月や笑子たち銀のライオン。やさしさや純粋は、この社会の中では弱い。弱い中にもその中に身を置く覚悟、あるいはそのようにしか生きていけない人々。
睦月や笑子のような極限的な人間ではなくても、この社会の中でやさしく純粋にひっそりと生きている人々は多いだろう。しかし、このような愛すべき人々は少数である。
小説の最後は、、、、、
書きませんが、睦月や笑子、紺のつかの間かもしれない幸せに応援したくなるような結末です。
江國さんの作品は、「神さまのボート」と2冊目ですが、その作風は、二人の人間がそれぞれに主人公となり、それぞれの主語で語りかけられている。これはどちらがどちらに影響されたのかというものではありませんが、北村薫の作品に共通しますね。面白いと思います。

東京くもり。
11月に入ってしまいました。
下旬か12月上旬に低い山にでも紅葉を見に行きたいと思っています。去年も一昨年も行ったのですが、もみじには少し早くてちょうどよい時期は見ていません。紅葉は時期が難しいです。

【2004年】
ううう。。。11月ですね。。。どうも冬は苦手です。
これから2ヶ月、どんどん日照時間が少なくなります。寒さはそれほどでもないのですがお天道様を見る時間が少なくなるのは嫌いです。
そうは言っても、公園の桜の葉が色づき始めました。桜の葉などの紅葉は好きです。晴れた日に、桜の葉の紅葉の下でのんびりするような時間は好きだなぁ。。。。
この前、娘とドライブに言ったのですが、娘が腹が減ったというのでコンビニに寄ったのですが、棚には何にもならべていなくどんよりしてしまいました。サンドイッチが少しあったのですが何だか買う気にもならずに缶コーヒーだけを買って出てしまいました。コンビにも飽和状態で、コンビニを作れば儲かるという時代は過ぎたように感じます。たしかに客の入りが多いコンビにも我が家の近くにありますが、生き残るのはこのようなところでしょう。
今朝、卵がないので仕方なくコンビニに行ったのですが、やはり卵もないどんよりするようなコンビにでした。結局また歩いて繁盛するコンビニへ。。。。でも、いい散歩になりました。

【2005年】
洋服にS/M/Lというサイズ表示がありますが、その標準、たとえばシャツのMならばウエストや体重、袖の長さに標準があるはずですが、この標準がまた変わったのでしょうか?
というのも、10年以上前にやはりこの標準が変わり今までLでちょうどよかったものが袖の長さが長すぎるようになりしばらくMを買っていました。Lでは大きすぎMでは少し小さいので困っていました。ところがこの前Mサイズのシャツを買ったら、なんとなく袖の長さが長い。ウエストあたりは少しきつめ。。。。また標準サイズが変わったのかな?
漫才のアンガールズのような手足の長いやせた体型が標準になってきたのか?
ジーパンを買ったら裾合わせで切り取られて残る生地の長さにトホホとしてしまいます。
夕飯の後、またごろっと寝てしまったのですが寒くて起きてしまいました。
だいぶ気温も下がってきているようです。
ハムスターにスズちゃんは、昨日まで真綿を敷き詰めてその上で寝ていたのですが、さっき小屋をのぞいたらその真綿をドーム状にしてその中にもぐりこんでいました。小さな動物ですが一人いや一匹でいろいろと環境に応じて生きています。
僕もホットカーペットを入れてしまった。

【2006年】
「ヘヴンリー ブルー」 村山由著
「天使の卵」そしてその続編の「天使の梯子」の続編です。
春妃・歩太・夏姫のそれぞれの悲しくも透明な恋の物語。そしてその物語は、「天使の卵」から10年経た中に登場する慎一の恋。ヘヴンリーブルーは、さらに2年の歳月が流れます。
僕の「天使の梯子」の感想に最後には次のように書きました。
「最後の言葉は、慎一の『僕たちはそこからはじまる。』で終わります。
慎一は夏姫への愛を貫き通そうとする。しかし『そこからはじまる』のは、夏姫にとっても同じである。歩太にとっても。
春妃への思いは吹っ切れたにしても、夏姫にとっても、歩太にとっても「これからはじまる」のである。
夏姫にとっては、初めて歩太という男が存在するであろう。歩太にとっては、春妃を抜きにした一人の女性として夏姫が存在する。
この物語がこのままではすまない予感がするのである。」
やはり村山由佳さんにとっても、この物語を完結させるには「ヘヴンリーブルー」を書かざるを得なかったのでしょうか?
この作品は、2年後という意味では続編でもありますが、本の紹介としてはそして物語自体も「天使の卵」のアナザストーリーあるいは回想録というべき物語です。この物語の中でいちばん傷ついたのは夏姫であり、ボーイフレンドの歩太と実の姉の春妃との恋に苦しみ、姉を憎みとおしてその姉が死んでしまう中にその憎しみ続けた春妃への言葉が春妃を憎む以上の苦しみとして自身の苦しみになってしまう。そんな夏姫の苦しみの救いがどこにあるのか。ここをヘヴンリーブルーでは、夏姫の心の中としての回想として描かれます。
この夏姫の苦しみの救いはどこにあったのか。
「天使の梯子」では、春妃の死を受け止めると同時に、春妃の夏姫への姉妹としての愛情、歩太の春妃への同時に歩太の春妃への愛が本物であったこと、そして夏姫の歩太への思いが本物であったこと、そこに登場する慎一の純粋な夏姫への心。これらの愛が確かめられると同時に、それぞれの愛が憎み憎まれする中でそれぞれが苦しみを持っていた事が理解しあえたということ。そして互いの苦しみを癒してあげようという気持ちが高まるそんな高次の愛に救いが表れている。
これがまた死んではしまったが春妃自身の救いでもあった。
こういう中で『僕たちはそこからはじまる。』という慎一の言葉で終わるのである。
『僕たちはそこからはじまる。』ここに未来を見つめることができる。
残された3人の未来。。。。幸せということではなくても、春妃を心の中におきながらも生きていく自分を見つけること、ここに最後の救いがあるのではないか。それはまた春妃の救いでもある。「ヘヴンリーブルー」は、この救いを感じる作品です。
「天使の梯子」から2年後、夏姫は西洋朝顔ヘヴンリーブルー(makikoさんの「ミセスリビング」のサイト内のページをお許しをいただきリンクさせていただきました)に水をあげる。<天上(天空)の青>朝顔の花言葉は、愛情の絆または愛着の絆。。。ヘヴンリーブルーは、秋に咲くという。「ヘヴンリーブルー」は、ここからはじまる。
春妃の死により、残された夏姫と歩太、そこに現れる慎一。この三人にそれぞれに愛はある。この愛は春妃をめぐって起きた苦しみを互いに理解する中でそれぞれに絆がある。もちろん死んでしまった春妃と3人との絆でもある。愛情の絆または愛着の絆という朝顔の花言葉に、作品名「ヘヴンリーブルー」は、なるほどと感じさせられる。
夏姫の苦しみへの救いは、3人そして今はいない春妃との絆という表現で表されるのだろう。
慎一は、「天子の梯子」に登場し、春妃のことは知らないが、夏姫と歩太のなかに慎一が入ることで救いも生まれてきた。夏姫と歩太が結ばれることはけっしてなかった。互いにいたわる事は出来ても男女間の愛情にはならない。互いのいたわりの心は男女間の愛情以上のものになってしまっている。春妃から二人は解放されない。互いに未来を見つめることは出来なかっただろう。慎一は、歩太にとっては12年前の自分を見る鏡であり、夏姫にとっては、春妃がなぜ歩太を愛したのかの心の鏡でもある。その慎一がポツリともらした『僕たちはそこからはじまる。』という言葉。12年の歳月を感じるとともに、夏姫と歩太のなかに始めて未来をというものが見えてくる。ここで救いは完結するだろう。夏姫は、慎一が自分の前に現れたことを感謝する。この感謝は歩太のものでもあるだろう。
ここでは引用できませんが、最後に夏姫の救われた心が現れています。
12年前、春妃のおなかの中には新しい命が宿っていた。
春妃はヘヴンリーブルーの色の小さな靴下を編んでいた。歩太は、その靴下を今でも持っているだろう。歩太の描く絵にはヘヴンリーブルーの色がよく使われる。もう人物画は描かないが、そのヘヴンリーブルーの色の中に春妃は生きている。その絵の個展を開いた歩太。。。
歩太にも救いが現れている。
読み終わって本を閉じようとしたとき、もう一度ヘヴンリーブルーの色の見返しが目に写った。
明るい空の色のようなヘヴンリーブルーの色。そんな透明感のある作品でした。

【2007年】
妻も帰りが遅いというので子供たちと外食をしました。
久しぶりに回転寿司。。。。
車で15分ぐらいのところにおいしい回転寿司やさんがあります。お客の数は開店ごろに比べると少し落ちたかな?でも、店で魚をおろしているようで、あら汁もうまいです。
鬼のいぬ間にジョッキを2杯と大トロ(笑)
あっ、車の運転は息子ですよ。
11月ですねぇ。。。
小雨が降り肌寒さを感じたのですが、まだ車の窓を少し開けていないと蒸し暑いです。
立冬は8日です。という事は今が晩秋?
でも、そういう季節感はありませんなぁ。
この日記は、12月の冬至までを秋とします。気候的には秋を冬至までとしても違和感がありませんね。
俳句的には困ります。
本音としては気候的にそんな季節を感じられないと思うのですが、二十四節季という区分では今日から秋とか冬ですよといわれるわけでして。季語的な狂いも出てしまうかな。。。そのうち。

【2008年】
「珊瑚の島で千鳥足(続ばらとおむつ)」
               角川文庫
               銀色 夏生  著
2008年10月25日角川文庫より初版発行。
「ばらとおむつ」の続編です。
「ばらとおむつ」は2007年4月に発売になりましたが1年半ぶりの続編でした。「ばらとおむつ」という題名は、母親「しげちゃん」が脳梗塞で倒れ、その病状と介護の様子を兄「せっせ」がご兄弟たち(夏生さんは4人兄弟ーー「せっせ」、夏生さん、「テル」、「エミ」)にメール通信として出した通信の題名でした。今回の「珊瑚の島で千鳥足」もやはり「せっせ」の通信の題名です。珊瑚の島というのは、「せっせ」が「しげちゃん」を連れて南の島に移住すると言い出し、その計画から次の通信は「珊瑚の島で千鳥足」か!ということで名づけられたものです。さいわい?というのか、南の島への移住はまだでしたが、「せっせ」のいつか実現したい夢といった形で通信の題名としたのではないかと思います。本文中には南の島とはいわないまでも宮崎県の海の見えるような場所にとも。
ということで「せっせ」の通信「珊瑚の島で千鳥足」1号は、2007年3月12日にはじまります。(うん?夏生さんの誕生日?)
通信「ばらとおむつ」は、2007年1月3日100号で終わっていますから、約2ヶ月ぶりに通信が復活したようです。「ばらとおむつ」の夏生さんのあとがきには、「ばらとおむつ」101号が載せられています。その中で「せっせ」は次の通信の題名を「珊瑚の島で千鳥足」にと。このように「せっせ」の通信「ばらとおむつ」と「珊瑚の島で千鳥足」はほぼつながった形で、夏生さんの作品としての「珊瑚の島で千鳥足」もまさに続きなのです。そして今年7月8日の100号まで「せっせ」の通信は続きます。
「日々の出来事は
 ふりそそぐ雨のように
 あますところなく
 涙と笑いを届けてくれる」 (背表紙より引用)
銀色夏生家もいろいろと。。。。。
生きていればそこに家族がいて親戚がいて周りの人に囲まれて生活をする。その中に日々いろいろな出来事が起きて一つひとつに喜怒哀楽が。
毎日が大きな出来事にあるわけではないけどその中で一喜一憂しながら過ごしていきます。平凡のようでもありあわただしくもあり。そのあわただしさも平凡に。でもこの平凡を見つめるとそこにはまさに笑いと涙があるわけで、そして怒ったりぼうっとしたり。そのような日々をつづることの面白さをこの作品は教えてくれるのかもしれません。それは通信として自分と母親との暮らしを通信として兄弟に送る「せっせ」の書くものの中にも言えることだと思います。
夏生さんのご実家は、宮崎県と鹿児島県、熊本県の県境にあるようですが、小さな温泉町のようです。多分のんびりとした時間が過ぎていく町なのでしょう。そのような町に住みながら日々起きる事々。。。それを見つめる夏生さんと「せっせ」の生活への考え方というのか生き方が出ています。もしかしたらそれ以上に「しげちゃん」の毎日の生き方が出ているのかもしれません。
「つれづれノート」という作品が発表されたときからそれ自体が詩人・作家としての銀色夏生の日記エッセイではなく、一人の女性として生きる銀色夏生の世界でした。ですから読者は詩人や作家と向き合うというよりも自立して仕事をして子育てをしていく一人の女性と向き合うわけです。もちろん作家ですから収入や時間的な自由はありますし、時々は作品の話やプロとしての作家意識も語られますが、基本的には日々の生活や人間関係の中でどんよりと過ごす銀色夏生なのです。
この日々をどんよりとしながらも見つめる視点、そこに人生の楽しさを発見したりするその生き方ですね。それも肩を張って生きるのではなくて自然に過ごし見つめられること。それが魅力でしょうし、読者も自分のことを見つめることの大切さを読後に感じるのです。
その点は、「せっせ」の通信にも現れています。たぶん介護や家の整理などは大変なことだと思うのですが、その大変さは見えつつどこかその大変さをもクスッと笑ってしまうように書いていく。それも変にニヒルではなくて心から時には楽しんでいるようにも感じられます。介護を必要な「しげちゃん」に時には癇癪を起こしながらもお誕生日のささやかなイベントを兄弟に問う。土地問題では怪しげな不動産屋にはらはらしたり。生活パターンからの「せっせ丼」(笑)などなど。なんだか人生って面白いなぁと感じます。弟の「テル」も心臓に異変が。もちろんみな心配しますがどこかユーモア的にも読めます。「しげちゃん」ももちろんなのですが、ご家族みんなが人生を楽しんでいるように。。。。視点を変えれば苦しさも後になれば笑ってしまうようなことはたくさんあります。ここには日常を文章にするということの特殊性もあるのかもしれません。特に人に読んでもらうというまったくの私的な日記ではない性格の文章に。自分を客観視できるというのか、感情をある程度抑えられたときにしか文章にはなりませんから。
夏生さんは、人生はゲームのようなものと他の作品で書いていますが、この作品をお読みになるだけでその意味の深いことが読み取れると思います。ゲームのようなものとはぜんぜん不謹慎な言葉ではないのです。漱石が作品において、人は喜劇を演じると書いていますが、客観視をすればすべて滑稽なのかもしれません。もちろん漱石は死だけが悲劇だと。日常の中に怒るいろいろなこと。。。。そのときには激しい喜怒哀楽があるけど、それを文章にする余裕が生まれたとき、人は喜劇を演じることが見え、ゲームだよなぁ。。。と許したり落ち着いたりできるわけです。でも、それは根底に日々の出来事や社会の出来事を見つめる目を持っていて考えぬける方が持てる視点ではないでしょうか。
悲劇を見つめられるから喜劇として見える。。。。
東京に出てきた銀色夏生一家。。。。
今も
「日々の出来事は
 ふりそそぐ雨のように
 あますところなく
 涙と笑いを届けてくれる」 
ということを感じながら日々を生きていらっしゃることでしょう。

【2009年】
(記事なし)


【2010年】ツイッターつぶやき
子供の頃。。。。。

何かあると親や先生に

言いつける奴がいた

尖閣諸島問題を

アメリカに言いつけて

アメリカが介入してはだめだ

親や先生に言いつけてはだめだ

親が出てきてはだめだ

仲良くしてもらえなくなる
     (Am8:36)

沖縄返還前

アメリカが沖縄に駐留し

返還後に尖閣諸島もある

こういう後ろ盾が

中国を刺激するのではないか

そして日本は

アメリカの駐留という歴史を

追認してしまう

まぁ、これが安保だが
     (Am8:45)

勘違いしてはならないのは

日本は平和外交という独自の路線で

国際世論も引き込めるのでは
     (Am8:55)

今年の夏。。。。

ユニットバスを

魔法瓶型に換えました

だいぶ古くなってもいましたし

残暑の頃や暖かい時期は

そうも魔法瓶の効用がわからなかったけど

急に寒くなってきた今日この頃

その威力にびっくりしています

さめませんなぁ。。。。。。

うん?魔法瓶。。。。

今は使わなくなった言葉ですなぁ。。。。
     (Am9:24)

中国が油田やガス田を自国の領土とし

アメリカや諸外国の企業に協力を求めたら

アメリカは今の経済状態企業の状態から

アメリカは安保と経済を天秤にかけるだろうか

戦後占領した沖縄でもあるし

歴史をさかのぼった領有権・戦後処理
        (Am10:44)

55年体制がすすむ中、市民派といわれる政治が台頭し社会全般の民主主義を階級間闘争を否定するかのような政治がいわれるようになった。自民党の腐敗あるいは社会党の万年野党の状態を否定をした中での既成政党ではだめだという動きもやはりこの市民は政治の影響があったのではないかと思う。
しかし市民派政治といわれるものには一つの落とし穴があるのではないか。
日本は民主的な政党政治である。民主的な国会を通じてその政治は行われる。もちろんその基本には選挙という形においても国民主権がある。この政治制度としての民主主義と現実の政策における民主主義は必ずしも一体なものではない。それは国民生活の中に現れる。民主的な制度のもとに政治は行われ具体的に日本の国民生活が現れるという民主主義は、今の国民生活を見ればどんな民主主義であるかが見えるだろう。
政党政治という民主主義は、国民の中にあるそれぞれの階層のどの階層に目を向けるかにその勢力関係において決まってくるある意味多数派の民主主義である。少数意見はこの民主主義は及ばないものである。
国民全般を市民と呼ぶ。だから市民とはこのいろいろな階層を抽象的に民主主義という中に規定するものではないか。
その中に市民派政治は、政治的理念も政策も抽象化された民主主義に右往左往をする。社会的な弱者に目を向けるが一方には企業や富裕層の利益がある。こちらを立てればあちらが立たない。どちらも日本市民なのだから。階級あるいは階層を見ないでその政策を立てるなら立ち往生をしてしまう。経済は矛盾する中にその解決を見つけて発展をする。この矛盾を道化と芽解決するかに立ち往生する。
市民派政治も否定をするものではないし、制度的な抽象的な民主主義は維持しなければならない。しかし同時にこの社会にある階層化された国民をどう見るかも必要である。そしてこの階層化がどのくらい経済をゆがめているか、それは今の日本が衰退する姿でもある。制度的な抽象的な民主主義を本来の現実的な国民生活にある矛盾を解決する民主主義と一体化させなければならない。それが社会民主主義だろう。
先進国の経済は国内の国民生活を犠牲にしなければ成り立たなくなっているまでに資本主義の成熟から衰退に向かっている。資本主義を維持しながらも階級あるいは階層に目を向ける資本主義らしくない資本主義を目指さないと破綻に向かうだろう。市民派政治と社会民主主義は違う。でも近いところにはある。民主党の衆議院選大勝のマニフェストには社会民主主義の芽はあった。しかし結果は市民派政治の悪いところが出ている。政治も経済も外交も抽象的な民主主義を言うだけに終わっているのではないか。あるいはこの抽象的民主主義が一人歩きをして官僚支配から政治主導へと現れ、事業仕分けという議論も何もない中に政治主導が民主主義の強権をして現れる。壊すのはいいがそのあとに何も残らないで新たな制度が生まれない。抽象的な民主主義が強権に変わるとき外交もうまくいかなくなる。アメリカの戦争という抽象的な民主主義に名を借りた外交がうまくいかないことは目に見えているのに、安保を見せ付けた中国への民主化要求はうまくいかないだろう。

【2011年】ツイッターつぶやき
以前にも何度かきましたが、企業が労働力商品を労働者から買った場合(注意をしてほしいのですが、企業は労働者自体を買ったのではなくて労働力を買ったのです。ですから人身売買に消費税をかけるとか、神聖な労働に消費税をかけるといった論理ではないのです)、これまでは消費税を支払っていなかった。
消費税というものは広く浅く国民すべてがその収入と支出において支払うべきものだと思うが、ここから企業の労働力商品の消費は神聖化されてかけられていない。今のような深刻な事態になった時に企業も労働力商品を買ったなら消費税を支払うべきなのです。
5%の消費税、そうは企業にとっては重い負担ではないでしょう。一般庶民個人はもっときつい中消費増税を言われているのですし、国家公務員は賃下げまで言われている。この中で企業利益は聖域だという論理は通じないはずです。株や金融商品などなどに投資をしたり外国企業を買収したり、このような利潤追求の失敗が目立ってくるでしょう。それならば労働力商品を買った時に支払う消費税にある意味の投資をした方が良いのではないでしょうか。
ある意味の投資とは、労働力商品を買った時の消費税は、まず労働者の懐に賃金と一緒に入り労働者はそれを預かります。そして5%の消費税の中から200万から300万程度にかかる消費税を労働者の益税とします。この益税部分は消費に回り企業に帰ってくるのです。消費の拡大は企業の活動に有益ですから、企業にとっては景気回復へのある意味の投資にもなります。その意味での5%の消費税導入ははそう破そうは損する話ではないはずです。
300万円までを益税とするなら
年収90万円のパートやバイト。。。。。5%の消費税は4万5千円(すべて益税)・・・国への上納は0円
年収300万円の新入社員や派遣。。。 5%の消費税は15万円  (すべて益税)・・・国への上納は0円
年収500万円の中堅社員。。。。。。。5%の消費税は25万円(15万円は益税)・・・国への上納は10万円
年収800万円の高齢社員。。。。。。。5%の消費税は40万円(15万円は益税)・・・国への上納は25万円
年収1500万円の管理職。。。。。。。5%の消費税は75万円(15万円は益税)・・・国への上納は60万円
年収1億円の役員。。。。。。。。。。。5%の消費税は500万円(15万円は益税)・・・国への上納は485万円
どうでしょうか?
労働者の平均年収を400万円として×労働者数ですから、消費伸びや国の税収もそうとうあがるはずです。

昨夜はおでんをしました。
でも、おでんをおかずでは飯を食えませんので、高菜寿司とミニトマト寿司を作りました。
高菜寿司は、高菜の漬物の葉っぱの部分で酢飯を包むだけです。
ミニトマト寿司は、まな板に時任菜適当な大きさのラップを敷き、真ん中にブロッコリースプラウトと半分に切ったミニトマトを乗せ、その上にしゃけのフレーク状のものをふりかけ、あとは酢飯を乗せて敷いておいてラップで包み形を整えるだけです。
しゃけの塩味そしてミニトマトの甘さが酢飯によくマッチをしておいしいですよ。お子さんも喜ぶと思います。
大きさは二口大ぐらいがいいと思います。

おでんの残りが冷蔵庫に。。。。味が染みてうまいんですよねぇ。。。。。あハハハ

【2012年】ツイッターつぶやき
そろそろ西日が輝く駅前通りをうつむき加減にとぼとぼ歩いていた
いつもより車の交通量も少なく
歩いている人も少なかった
西日は寂しく光る
交差点も近いので顔を上げると
信号の黄色や赤が西日に照らされいつもよりどぎつく光る
そこへ交差点を曲がって僕に向かってくる自転車が
西日がまぶしい
自転車が近づき思わず「わっ!!!」って声を出してしまった
その自転車には髪が長い女性がにたっとして乗っていた
口はまさに口裂け女!
長い髪が風に舞い口裂け女が向かってくる
さっと通り過ぎて行った
振り向くと後ろに小さな女の子が乗っていて
オレンジと黒のハロウィンの衣装
あの女性の口を思い出した。。。。。
ハロウィンのカボチャのお化けキャラクターの口
口紅で書いたのでしょう
近くには保育園がありますからハロウィンのお祭りでもやったのかな
あの口のまま私服に着替えて急いで保育園を出てしまったのでしょうか
あの女の子、お母さんも仮装し活躍して楽しかったのでしょうね

【2013年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2014年】ツイッターつぶやき
デフレだインフレだと貨幣量を問題とする。
しかしデフレもインフレも貨幣量の問題ではなくて貨幣の回転が問題なのである。
デフレは貨幣量が足り何のではなくてだ物知多貨幣が回転しないのが問題でむしろデフレは貨幣量が多すぎるのである。経済が停滞をする中で貨幣量は多すぎとなるのである。
インフレの当初は貨幣の蓄積過程であり貨幣の回転を鈍くして市場の貨幣量が足りなくなるのである。そこでやはり貨幣量の増加を行いインフレとなる。
現在の金融政策が貨幣量だけを問題にして貨幣の回転を見ない中に経済の好循環は生まれないのである。
貨幣の回転が低下している中で貨幣量を増やせば名目上のインフレを起こすことができるがその名目上のインフレはやはり貨幣の蓄積過程であり貨幣の回転を鈍くする。名目上の好景気と実体経済の不況が同居をしてスタグフレーションとなる。
スタグフレーションは経済の成長を促さない。
デフレからの脱却は企業の持つ資本の回転が早まることである。
この企業には莫大な貨幣量がある。この貨幣を回転させることにより企業はまた資本の増殖を行える。これは生産面での経済の好循環である。
同時にこの資本の回転を早めるにはその企業が生産する商品やサービスがやはり速く回転しなければならないということでありそれは消費を意味する。そうならば消費の側の貨幣の回転の増大が必要となる。しかし資本の蓄積過程で貨幣は企業に集まりそれが賃金という形で消費を担う労働者に廻らなくなる。するとここに貨幣の回転が滞ることとなる。貨幣の回転は消費に向けられなければならない。これが消費から見た経済の好循環である。
生産の好循環と消費の好循環は貨幣量ではなくて貨幣の回転が問題であることは明白だろう。
消費の側の経済の好循環は何も賃上げで労働者の懐に入る貨幣量を増やすことだけではない。
物価が下がることによって相対的に労働者の貨幣量は増える。
この物価は円るぎー問題もあるが経済の法則性からの生産性の向上が商品価値を下げるのであるから労働者の懐にある貨幣量の相対的な増加は必然である。絶対的な貨幣量の増加が必要なのではなくてこの相対的貨幣量の増加は貨幣の回転から得られる。
企業の資本の回転も同じだろう。貨幣量を増やして名目上の物価高でコストが膨らみ貨幣量が足りなくなるといった矛盾を引き起こすのではなくて生産性の向上の中でコストも下がることにより相対的な貨幣量は少なくなる。絶対的な貨幣量が問題ではないのである。
今の経済学は自己のインフレ政策(実はスタグフレーション政策なのだが)を正当化するために貨幣量よりも貨幣の回転を言う者にデフレ派というレッテルを張るのでしょう。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
昨日書きました「労働価値説から見た企業利益と成長」の続きのようなものです。
昨日は労働価値説から見て企業利益の減少を書きました。
それは生産性の向上による商品価値の低下からでした。一つの商品に必要な労働力量が生産性の向上により減少するからです。
なぜこのようなことを企業は行わざるを得ないのでしょうか?
それは企業間競争にあります。
ある同じ商品を生産する企業がABCの3社あったとします。A社生産性を上げて一つの商品を80円で生産できるようになったとします。BC社は生産性が同じで商品は100円とします。このABCの各社は商品市場に商品を出します。市場での商品価格は平均的な100円で売れたとします。するとA社は一つの商品につき20円の特別な利益を得ることができるでしょう。80円の価値の商品が100円で売れるのですから。市場における独占度から見ると、A社は他の企業よりも10円安く90円で売っても特別な利益は10円残りますから市場において優位に立つことができます。
このように生産性の向上は利益の拡大と市場の独占度を上げることができることから生産性の向上は企業間競争となります。
しかし、BC社も負けずに生産性を上げていきA社と同じ80円の商品生産が始まったとします。この時市場での平均価格は80円となります。100円から80円と商品価格が減少するのもまた企業間競争の湯数理競争によります。
するとどうでしょうか。この産業では商品価値の低下により商品の価格も減少して同じ数量の商品を生産しても企業の利益は減少するでしょう。
この産業内においては、生産性の向上の家庭において商品価格の継続的な低下が起きていることになります。いいかえればデフレです。
ですからデフレもまた労働価値説から見れば必然なのです。
しかしこの産業内の企業は利益が減ったとしても安定的な利益を得ています。しかし企業はこれでは満足しないでしょう。上の例でいえば20%の生産拡大をしなければ初めの利益を確保できません。そこで20%の生産拡大を各社が行います。するとどこかで商品の過剰が生まれるでしょう。特に労働の節約により労働者数や賃金を切り下げて行うならば、労働者の購買能力は低下をします。この労働者の購買能力の低下はさらに商品の過剰を生み出すでしょう。
商品過剰が目に見えてくると企業は生産の縮小に向かいます。労働者の首切りやさらなる賃金低下が起こります。ここから更なる購買力の低下から商品の過剰がまた生み出されます。
ひどいときは先の3社のうち一番生産性の悪い企業が倒産という事になります。
ここまでくると単なるデフレではなくてデフレ不況になります。
こう見ると、デフレ不況時には貨幣量は足りないのでしょうか?確かに市場内の貨幣量は労働者の懐において発生をしますが、貨幣量の問題ではなくて貨幣自体の回転が鈍くなっていると見たほうがいいでしょう。

【2018年】ツイッターつぶやき
昨日ビオラを買ってきました。
今年は少し贅沢をしてサントリーの花がたくさん咲くというビオラも一つ買いました。
300円ほどでほかのビオラに比べると約3倍の値段ですが、夏にサントリーのフェリースターという極小ニチニチソウがきれいに咲きましたのでビオラも楽しめるのではと思いました。
ほかは98円でしたが脇芽もたくさん出ていて元気な花でした。花の苗選びというときれいにたくさんの花が咲いているものを選んでしまいますが、咲いている花はすぐに終わりますしやはり脇芽がたくさんある苗を選ぶべきだと思っています。でも、ビオラでも色によって脇芽の出方にも違いがあるりますね。
苗の土も今年はよい土でした。ひどいときは粘土で根っこが固まっていたり、黄色い変な土がボロボロだったり。安い花選びも中の土までは確認できませんからなぁ・・・・困ります。毎年行く花屋さんはそうはひどいついは少ないですが。
これで今年の植え替えも一応終わりです。
そうそう・・・・
フェリースターはまだ元気なので新芽が出ているところから長い茎を切り鉢に植え替えました。まだ寒さもそうはひどくないのでしばらく日向に出しておいて本格的な冬になったら出窓に移したいと思います。一度日に塗装の冬越しが成功したことがありましたので大丈夫かなぁ。。。。。と

gooお題「ハロウィンイベントに参加しますか?」
ハロウィンイベントってどんなものかわからないし、ハロウィン自体がなじみがない。
ハロウィン”イベント”ということですから人が少数でもたくさんでも集まることなんでしょう。渋谷の騒動はやはりイベントだったのでしょうか?迷惑だとはいえあれだけの人が集まれば儲ける人もいるでしょう。そして集まる人ははじめは自然発生的なものだったのでしょうが、マスコミが騒げば広まりますなぁ。。。。
ということで、ハロウィンに便乗したまさにイベントだったのでしょう。
クリスマスだ大晦日だといえば人が集まり、それ自体がイベントなんでしょう。
とはいえ、ハロウィンとはなにかもわからずに若い人たちが最近に始めた騒動ですから批判的にみられますが、でもそれを見て批判ばかりもしていられないでしょう。
ハロウィンも宗教的な面が強いと思うのですが、その宗教抜きにしたイベント化になっています。しかし多くの日本人も神社に初もうでをして結婚式を教会でして、死ねばお寺のお世話になる。多くのイベントが宗教抜きになっています。
宗教でも政治経済でもなんでもイベント化すれば集まってしまい同一方向に向かって進む。そういえば会社の休みも盆正月や春と秋の連休にどっと集団で休み休暇は捨てる状態です。個人的な休みは冠婚葬祭ぐらいとか。。。。。
渋谷のスクランブル交差点はすべての車が止まって歩行者優先です。そこに束縛されない自由を感じますね。ですからその束縛されない(されたくない)という心がいびつな自由な行動となるのでしょう。そしてそこに上気した日本人の団体行動が加わり集団心理にもなっていく。
こういったものが社会の隅々にまで行き渡った社会なんです。日本は。
とはいっても日本人は根が単純で正直で温厚ですから、変なイベント的な集団行動も批判します。しかしそれもまた集団的な意見を取り入れたいい子のものとなってしまう。
この中で政治のポピュリズムも完成して今後改憲が土俵に上がってくるのです。

【2019年】ツイッターつぶやき
オリンピックのマラソンと競歩が札幌での開催になった。都知事は「同意しないが決定を妨げない」とした。
来年度からの共通維持の英語入試に民間の英語検定を入れるとしてきたが、地域格差と家計格差の中で延期に追い込まれた。それでも政府はこの延期を「受験生の立場に立った思いやりのある英断」という言葉で表した。
二つの記事はまったく違う中身の記事ですが、どちらも日本政府の態度は「蔑ろさ」にある。
誰を蔑ろにしているのか?
オリンピックでは選手を蔑ろにしている。
IOCは猛暑の中での協議は選手の進退に大きな影響が出るからとしているが、日本はこれに「同意」をせずにIOCに決定権がるからとする。たしかに暑さ対策を300億円も出して行ったとはいえ猛暑自体がなくなるわけではなくて選手の負担は大きいでしょう。そして選手が倒れるようなことはないという確約もない。
民間英語試験の延長は若い高校生を蔑ろにした。
英語入試に民間の試験を導入すると決めた時点で地域格差や家計の格差は見えていたはずです。それをずっとごり押しをしてきて格差については「自分の身の丈に合わせて頑張って」と格差を無視をして若い高校生を蔑ろにした。これが問題になって「自分の身の丈」発言を隠して「受験生の立場に立った思いやりのある英断」とごまかした。
今の保守政治は経済面でも格差の拡大そして貧困層を増やしている。貧乏も自助努力とされる。災害に対しても自助が強調される。この公助から自助は国民を蔑ろにしていることに等しい。これと同じ論法と考え方が上の二つの問題にも現れたということです。

【2020年】ツイッターつぶやき
楓蔦黄(もみじつたきばむ)11月2日頃(七十二候)
なんだか忙しくして心落ち着かない日々ですが、公園の前でふと木々を見上げたらだいぶ紅葉していました。すでに桜は落ち葉に。楓ともみじの違いが分からないのですが、僕の住む周りにはなかなか見当たりません。のんびりと散歩でもすればたぶんあるのでしょうね。
欅の黄色やオレンジ色がきれいです。
東京では里の秋とはいきませんがそれ名入りに晩秋を見つけることができます。
公園の低木の効用もきれいですね。
ベランダのほうき草が真っ赤になりところどころ茶色くなっていました。
刈り取ってビニール袋の中に入れてほぐすように揉んだら実がたくさん採れました。
来年蒔きたいと思います。

【2021年】ツイッターつぶやき
都内の鉄道では乗客がホーム下に落ちないようにホームドアが多くつけられるようになっています。乗客が落ちないようにという面では安全面が向上しています。
しかし私鉄の京王線で走行中の車内で刃物を持った男が暴れ人を刺し火も点けたようです。
電車は緊急で駅に停車をしたのですが、電車のドアもホームドアも開かず逃げる乗客は窓を開けてホームに出ていました。
安全を守るホームドアが何か緊急事態があると電車のドアもホームドアも開かない状態があり得るという負の面が出てしまったようです。
電車のドアとホームドアがずれたりする塗料ドアは開かない。電車のドアを手動で開けてしまうと電車が停止位置を直せない。
火災などが発生した場合でホームドアが同じ状態になった時乗客は車内に閉じ込められ被害が大きくなってしまうかもしれませんね。

【2022年】ツイッターつぶやき
買い物で店の入り口の近くまで来たら僕と同じぐらいの年恰好の男性が店の入り口で思いっきり倒れた。具合が悪くて倒れたのではなくて入口においてある靴底をきれいにするマットで足がもつれたようでした。マットですから1センチぐらいの厚さです。年を取るとほんの少しの段差でも倒れることがあると言いますが、何かの加減で厚さ1センチでも倒れてしまう。
先日足の小指を思いっきりぶつけてしまい今も腫れています。まぁ、足がもつれてぶつけたということでもないのですが、若いころに比べると足元がおぼつかなくなっているのは確かです。この間はベランダで洗濯物を干して部屋に入ろうとしたら、段差のアルミサッシの下でにやはり足の小指をぶつけた。歩く時の足の上げ方が低くなっているんでしょうね。筋力の衰えでしょうか。
階段などは案外さっさと降りたりしているのですが、ぼうっとしたりするとやはり足のあげる高さが低いので躓いたりしてしまうのでしょう。
そういえば柱などの腕の肘もよくぶつけるようになっている。
いつも緊張して行動することは不可能ですが、ある程度意識して動かねばなりませんなぁ。

【2023年】ツイッターつぶやき
日銀が1%まで長期金利を容認したが限りなく1%に近づいている。同時に円は151円の円安。
株価は700円以上上がった。
コメント
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