毎年この時期になると......
数は少ないながらも、
太平洋戦争及び、原爆関連の番組が放送されるが。
ときおり、演出が目について、
その意味に疑問を持たざるを得ないものがある。
終戦から63年経った今。
そうしなければ人々の目は、
なかなかそういった番組に向かないのかもしれないが。
わざとらしいセリフまがいの言葉を吐く女優が誰かを探したり、
肩をそびやかす俳優が誰かの足跡を辿ったりする番組作りに、
何の意味があるのだろうか、と。
こういった番組には、確かに視聴率を上げる効果はあるのかもしれないが、
演出や、わざとらしい台詞回しや、CGが入ることによって、
なにやら確かにあったはずの戦争が、
まるで絵空事であったかのように見えてしまう危険性が出てくる気がする。
私には、今週の深夜、NHKで連続で放送されていた、
実際に戦地に赴いた方々の証言のみで綴られた番組のほうが、
ずっとずっと心に重く響き、そちらこそが、
ゴールデンの時間帯に放送すべきものと思えるのだ。
南方の激戦地と呼ばれた場所から、かろうじて生還した兵士達の証言。
.....それ以上に戦争を語ったものはないのではないか。
彼らは言う。
「戦いに行ったのではなく、殺されに行った戦争」
情報は何も与えられず、武器弾薬食料の補給もなく、
ただ白兵突撃だけを求められた彼らは、飢えと病の中で、
生きながらに口や鼻にウジがわき死んでゆく戦友を目にし。
爆発するかしないかもわからない手榴弾を自決用に手渡し.....
先に突撃した人間の内臓が木の枝にぶら下がり、
肉が幹に張りつくのを目にして、帰ってきた。
功名心にはやる上官の無理な作戦のために、
圧倒的な戦力の差の前にも引くことは許されず、
ただ殺されるために突撃を繰り返した人々。
または、命じられ、情報を求めるために現地の住人をとらえ、
口封じのために殺した......
兵士達の戦争。
動けない兵士を、「捕虜になってはいけない」と、
軍医が注射で殺していった戦争。
戦争の実態や原爆の記録には、演出など何もあるべきでなく、
そこにはただ事実のみがあるべきなのではないか。
私は思う。
「誰でもよかった」と人を殺す人間がのうのうと生きて、
戦争へ行き、かろうじて生還した人間が
「自分だけ生き残って申し訳ない」と苦しみ続けるこの世界ってなんだろうと。
両親揃って何不自由なく育った人間が社会を逆恨みして、
今も苦しむ被爆者が、誰を恨むことなく、必死に生きるこの世界って.....
なんだろう。
エアコンの効いた部屋で不足なく過ごせる私には、
何も語る資格などないけれど。
ただそのまま伝えるべき事実に、演出などいらない。