人は見た目で判断されると書いたのは、昨日のことだが。
今日はまた違った意味で、人を見た目で判断するのは危険だと、
そういいたかった。
つい先日、亡くなった状態で発見されたタレントさんが、
死後一週間も経なければ、そこに至らなかったことが、
とても切なくて。
さみしいときって、街が華やかであればあるほど、
余計にさみしくなったりするものですね。
周囲が親身になってくれればくれるほど、
逆に苦しくなって、追い詰められてしまったり.....
昔、私が苦しかったとき、救ってくれたのは、タクシーの運転手さんでした。
お天気の話をされて、「ああ、当然だけど、この人は私のこと何も知らない」と
ホッとして.....「こういうなんでもない会話っていいなぁ。こうして世の中進んでく」と。
死因は未特定なので、それについてはなんとも言えないが、
ただ、何が原因であっても、「いつも元気で笑っていた」人だからこそ、
孤独であるのだと.......
無理をしてしまうのだと。
誰かが気づいていればなぁと。
人間には、気の乗らないとき、元気のないとき、
無性にさみしいときがあるもので、
それは、どんなに元気に見える人にもあることなのだ、と。
いや。
むしろ、人間であるなら、『いつも元気で笑っている』ことは、
絶対に不自然と、よく考えればわかるはずだ。
自分に照らし合わせてみれば、誰の身にも、覚えはあるはずだから。
そして、賑やかとはいいますが、やはり不景気の波はこちらにも。
昨年の半分ほどになった、ドッグヤードガーデン前の、
クリスマスイルミネーション。
エコのためと考えれば、それはいいことだけどね。
ほら、角度が少し違うけど、こちらが昨年の様子。
いつも元気で笑顔でいるのは、
他人に気を遣わせまいと、
自分の弱みを見せまいと、
そう振舞っているだけの、孤独の裏返し。
だいたい、考えてみれば、本人にその気はなくとも、
「私って人見知りで.....」なんて、小さな声で言ってる人間のほうが図々しいと、
私などは思うのだ。
「それはなにかい?
『私は人見知りで話が出来ないので、あなたのほうで話題を提供して下さい』と、
そういうことなのか?」........と。
『私って傷つきやすいんです』とか言ってるヤツも。
「『だから気を使って下さい』と、暗にほのめかしているのか?」と。
(繰り返すが、言ってる本人にその気がなくとも、
過剰に周囲に対し気を遣う人間には、そういう意味に聞こえるはずだ)
人は皆、孤独で傷つきやすいものだ。
強く見える人ほど弱い。
弱く見える人ほど、強い。
雑踏の中にも、それぞれ、別々の孤独がある。
だから、あまりに元気で笑顔でいるのも、
あまりに陰にこもるのも、
危険なのではないかと思うのだ。
自己の特別視は、もはや人間の習性だろうが.......
それでも行き過ぎれば、それは危険すぎる。
私の父も、外では陽気な人だった。
人並みはずれた陽気さは、コンプレックスと孤独と、
人の波間でどう振舞えばよいかわからない、焦り。
そして、誰かが救おうと思っても、
なかなか救えないのが孤独というものなのだろう。
だからこそ。
切ない。
たった一頭のトナカイさん。
空を見上げて何思う?