猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

その裏にあるもの。

2008年12月27日 06時45分00秒 | つぶやき

人は見た目で判断されると書いたのは、昨日のことだが。

今日はまた違った意味で、人を見た目で判断するのは危険だと、
そういいたかった。

つい先日、亡くなった状態で発見されたタレントさんが、
死後一週間も経なければ、そこに至らなかったことが、
とても切なくて。

 

さみしいときって、街が華やかであればあるほど、
余計にさみしくなったりするものですね。
周囲が親身になってくれればくれるほど、
逆に苦しくなって、追い詰められてしまったり.....
昔、私が苦しかったとき、救ってくれたのは、タクシーの運転手さんでした。
お天気の話をされて、「ああ、当然だけど、この人は私のこと何も知らない」と
ホッとして.....「こういうなんでもない会話っていいなぁ。こうして世の中進んでく」と。

 

死因は未特定なので、それについてはなんとも言えないが、
ただ、何が原因であっても、「いつも元気で笑っていた」人だからこそ、
孤独であるのだと.......

無理をしてしまうのだと。

誰かが気づいていればなぁと。

人間には、気の乗らないとき、元気のないとき、
無性にさみしいときがあるもので、
それは、どんなに元気に見える人にもあることなのだ、と。

いや。

むしろ、人間であるなら、『いつも元気で笑っている』ことは、
絶対に不自然と、よく考えればわかるはずだ。

自分に照らし合わせてみれば、誰の身にも、覚えはあるはずだから。

 

そして、賑やかとはいいますが、やはり不景気の波はこちらにも。
昨年の半分ほどになった、ドッグヤードガーデン前の、
クリスマスイルミネーション。
エコのためと考えれば、それはいいことだけどね。

ほら、角度が少し違うけど、こちらが昨年の様子。

 

いつも元気で笑顔でいるのは、
他人に気を遣わせまいと、
自分の弱みを見せまいと、
そう振舞っているだけの、孤独の裏返し。

だいたい、考えてみれば、本人にその気はなくとも、
「私って人見知りで.....」なんて、小さな声で言ってる人間のほうが図々しいと、
私などは思うのだ。

「それはなにかい?
 『私は人見知りで話が出来ないので、あなたのほうで話題を提供して下さい』と、
 そういうことなのか?」........と。

『私って傷つきやすいんです』とか言ってるヤツも。

「『だから気を使って下さい』と、暗にほのめかしているのか?」と。

(繰り返すが、言ってる本人にその気がなくとも、
 過剰に周囲に対し気を遣う人間には、そういう意味に聞こえるはずだ)

人は皆、孤独で傷つきやすいものだ。

 

強く見える人ほど弱い。
弱く見える人ほど、強い。
雑踏の中にも、それぞれ、別々の孤独がある。

 

だから、あまりに元気で笑顔でいるのも、
あまりに陰にこもるのも、
危険なのではないかと思うのだ。

自己の特別視は、もはや人間の習性だろうが.......
それでも行き過ぎれば、それは危険すぎる。

私の父も、外では陽気な人だった。

人並みはずれた陽気さは、コンプレックスと孤独と、
人の波間でどう振舞えばよいかわからない、焦り。

そして、誰かが救おうと思っても、
なかなか救えないのが孤独というものなのだろう。

だからこそ。
切ない。

 

たった一頭のトナカイさん。
空を見上げて何思う?