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先日。
近くの食料品店へ行く途中で、行列を見た。
それは、我が家から最寄の銀行へと続く行列で、その構成のほとんどが、60歳以上と見受けられる女性で為されているのだが、まだシャッターの下りた銀行が開くのを、皆、今か今かと待ち受けている様子だった。
私はそれを横目で見ながら、
「みんな偉いなぁ.....早くから行動して」
なんて感心しつつ、しかし一方では
「銀行の開く時間はみんな知ってるし、客が多いからといって早くオープンする性質の商売でもないのに、なんで並ぶんだろ?」
なんて、疑問も抱いていた。
けれど、すぐにその場を通り過ぎてしまったのと、銀行の隣にある、目的の食料品店へ着いてしまったのとで、行列のことよりも目の前の商品を選ぶことに気をとられ、一瞬、そのことは忘れてしまった。
しかし、並べられた商品を眺めつつ、狭い店内を歩いているうちに、私は今しがた見た、銀行前の行列の正体を知ることになったのである。
それは。
買い物籠を抱えつつも、商品など始めから選ぶ気もなさそうな、その店のレジを社交場と勘違いしていそうな、60代も半ばかと思われるご婦人たちの会話が教えてくれたことなのだが......。
以下再現。
婦人A : 「よかったあ~。今月はちゃんとこの日に来れたみたいだわ」
婦人B : 「そうなのよ。あれはいつやるかわからないから、私はマメにその日がいつなのか聞きにくるの。ちょうど昨日も聞きに来て、だから今日来れたんだけど.....本当によかったわ」
と。
で、これだけでは何がなにやらわからないので、要約するが、彼女達の会話によれば、その日は月に一度ある、『○○の日』(○には銀行名が入る)だそうで、その日は先着何名かが、何がしかの粗品がもらえるらしい。
で。
その粗品が欲しいために、銀行前にはあの行列が出来ていたわけだが、その粗品というのは、今月は【かぼちゃ一個】だそうで.....
そこで私は深く深く考え込んでしまったのである。
「かぼちゃ一個をもらうために何十分も並ぶ.....?」
誤解がないように言っておくが、私は何も、かぼちゃを軽んじるものではない。
食べ物はなんであっても大切だし、無駄にすることなど、もってのほかだと考えている。
でも......
見れば、ご婦人たちの身なりは皆綺麗で、生活に困っている風でもない。
まあ、行列にかこつけたおしゃべりの時間が楽しいということもあるかもしれないが、しかし、私はそれを見て、なんとなく戦後はまだ続いているのかな、と考えてしまったのである。
60代半ばといえば、戦後の混乱の中で育った世代。
彼らが子供の頃。
日本は貧しく、食料は大変貴重だったはずだ。
私は配給というものが、戦中戦後のいつ行われていたのか、厳密には知らないが、そのころはきっと、並ばなければ食べ物は手に入れることが出来ず、家族のために、人々は我先にと必死で並び、わずかな食料を手にしたのかもしれない。
そして、豊かになった今も、その頃の記憶がどこかに残っていて......
と、そういうことなのかもしれないと。
そうだ。
そう考えると、一概に
「なんでかぼちゃ一個のために」
とは言えない。
しかし、一方で私はこうも考える。
そのかぼちゃ一個を、もっと年配の方に譲れないものかなぁと。
我先に争って並ぶのではなく、偶然来合わせた時に貰えて
「あら嬉しい♪」
じゃダメなのかなぁと。
銀行側だってそうだ。
まだまだ体の動く、粗品だけが目的のような人々ではなくて、体の動かないお年寄りのおうちに、地域で商売を営む者として、そのかぼちゃを届けられないものなのだろうか?
お前はきれいごとを言ってる、と言われればそれまでなのだけれど、なんだか、色々な意味で、深く深く考えてしまった、銀行前の行列の正体なのである。
そしてその後。
私が食料品店で買い物を終え、家路を辿っていると、目の前には、嬉しそうにかぼちゃの入った袋を抱えて
「よかったよかった間に合った」
と、喜び合う婦人方の立ち話。
やっぱり。
私も家を守る主婦の端くれなら、それぐらい出来なきゃダメなのかなぁ.....?
タダなら貰わなきゃ損、みたいな考え方って好きになれない、なんて言うのは、餓えたことのない者の驕り、なんだろうか。
近くの食料品店へ行く途中で、行列を見た。
それは、我が家から最寄の銀行へと続く行列で、その構成のほとんどが、60歳以上と見受けられる女性で為されているのだが、まだシャッターの下りた銀行が開くのを、皆、今か今かと待ち受けている様子だった。
私はそれを横目で見ながら、
「みんな偉いなぁ.....早くから行動して」
なんて感心しつつ、しかし一方では
「銀行の開く時間はみんな知ってるし、客が多いからといって早くオープンする性質の商売でもないのに、なんで並ぶんだろ?」
なんて、疑問も抱いていた。
けれど、すぐにその場を通り過ぎてしまったのと、銀行の隣にある、目的の食料品店へ着いてしまったのとで、行列のことよりも目の前の商品を選ぶことに気をとられ、一瞬、そのことは忘れてしまった。
しかし、並べられた商品を眺めつつ、狭い店内を歩いているうちに、私は今しがた見た、銀行前の行列の正体を知ることになったのである。
それは。
買い物籠を抱えつつも、商品など始めから選ぶ気もなさそうな、その店のレジを社交場と勘違いしていそうな、60代も半ばかと思われるご婦人たちの会話が教えてくれたことなのだが......。
以下再現。
婦人A : 「よかったあ~。今月はちゃんとこの日に来れたみたいだわ」
婦人B : 「そうなのよ。あれはいつやるかわからないから、私はマメにその日がいつなのか聞きにくるの。ちょうど昨日も聞きに来て、だから今日来れたんだけど.....本当によかったわ」
と。
で、これだけでは何がなにやらわからないので、要約するが、彼女達の会話によれば、その日は月に一度ある、『○○の日』(○には銀行名が入る)だそうで、その日は先着何名かが、何がしかの粗品がもらえるらしい。
で。
その粗品が欲しいために、銀行前にはあの行列が出来ていたわけだが、その粗品というのは、今月は【かぼちゃ一個】だそうで.....
そこで私は深く深く考え込んでしまったのである。
「かぼちゃ一個をもらうために何十分も並ぶ.....?」
誤解がないように言っておくが、私は何も、かぼちゃを軽んじるものではない。
食べ物はなんであっても大切だし、無駄にすることなど、もってのほかだと考えている。
でも......
見れば、ご婦人たちの身なりは皆綺麗で、生活に困っている風でもない。
まあ、行列にかこつけたおしゃべりの時間が楽しいということもあるかもしれないが、しかし、私はそれを見て、なんとなく戦後はまだ続いているのかな、と考えてしまったのである。
60代半ばといえば、戦後の混乱の中で育った世代。
彼らが子供の頃。
日本は貧しく、食料は大変貴重だったはずだ。
私は配給というものが、戦中戦後のいつ行われていたのか、厳密には知らないが、そのころはきっと、並ばなければ食べ物は手に入れることが出来ず、家族のために、人々は我先にと必死で並び、わずかな食料を手にしたのかもしれない。
そして、豊かになった今も、その頃の記憶がどこかに残っていて......
と、そういうことなのかもしれないと。
そうだ。
そう考えると、一概に
「なんでかぼちゃ一個のために」
とは言えない。
しかし、一方で私はこうも考える。
そのかぼちゃ一個を、もっと年配の方に譲れないものかなぁと。
我先に争って並ぶのではなく、偶然来合わせた時に貰えて
「あら嬉しい♪」
じゃダメなのかなぁと。
銀行側だってそうだ。
まだまだ体の動く、粗品だけが目的のような人々ではなくて、体の動かないお年寄りのおうちに、地域で商売を営む者として、そのかぼちゃを届けられないものなのだろうか?
お前はきれいごとを言ってる、と言われればそれまでなのだけれど、なんだか、色々な意味で、深く深く考えてしまった、銀行前の行列の正体なのである。
そしてその後。
私が食料品店で買い物を終え、家路を辿っていると、目の前には、嬉しそうにかぼちゃの入った袋を抱えて
「よかったよかった間に合った」
と、喜び合う婦人方の立ち話。
やっぱり。
私も家を守る主婦の端くれなら、それぐらい出来なきゃダメなのかなぁ.....?
タダなら貰わなきゃ損、みたいな考え方って好きになれない、なんて言うのは、餓えたことのない者の驕り、なんだろうか。
いい年したご婦人がかぼちゃ一個のために何十分もひたすら並ぶなんて。
ときによってそれはトイレットペーパーだったり卵だったりするのかもしれませんが・・・。
私が思うに、これはただ単に「タダならもらわな損!」というケチ・・・いやいや倹約精神と、集団心理の現れではないかと。
安くなった物を買うことが喜び、というバーゲンのときの心理に似ているような。
年配のご婦人が多かったということで、きっと時間にゆとりがあるということも大きいのかもしれません。
かくいう私も、時間があるならかぼちゃ一個といえども並んでしまうかも・・・!?
自分の後ろに人が並びだすと、並ぶのに少々疲れてリタイヤしようかと思う気持ちも吹き飛び、「ここで止めたら今まで並んだんが無駄になる!」と意地でもやりとおす・・・かもしれません(笑)。
「かぼちゃ一個もらった♪300円得した♪」ということがすべて(「なんて頑張ったんでしょう!私って偉いわ~♪」)で、もらったものが実際生活の中でそんなに役に立っているか、といわれればそうじゃない場合が多いんですけど^^;
う~ん、まぁ私の場合は、関西人特有の性質(私は四国ですが、商売人が多い県なので大阪人に近いと思います)なのかもしれませんが
普通に考えれば、無駄なことだとは思うんですけど、これはこれできっと皆さん楽しんでいたんじゃないかなぁと(笑)。
ちょっと安易過ぎる考えでしょうか、やっぱり
「もらわな損!」みたいなのって、自分でも好きじゃないんですけど^^;
傍から見ていたらやっぱりカッコ悪いですしね。
P.S
すすぎ50回、やってみました!
昨夜と今朝だけですが、もうすでに肌にハリが出てきたような気がします
これからも頑張って続けま~す
ご婦人方は、是が非でもかぼちゃが欲しいということではなくて、
「かぼちゃをタダで入手するために並ぶというイベント」に参加しているだけなんだと思うよ。
妙齢のご婦人方と言えば、
もう子育てからも解放され、
長年の「女」という立場からも降りた方も多く、
よく言えば平穏無事な毎日、でも、悪く言えば、「退屈」なんだよ。
だから、家で寝そべってる亭主にメシ作ってるぐらいなら、
朝から並んでかぼちゃの1個でも貰えれば、
それだけで一日が充実する。
でもって、そのかぼちゃを夕食の1品にでも添えればだな、
会話のない老夫婦に会話も生まれるってもんだ。
あとはまあ、人が何かを得したって話に、
この世代の方は敏感だな。
ならば行かねばならない、
行ってかぼちゃをこの手につかめねばならない!となるわけだよ。
こういうベテラン主婦の心の隙をついたような商売があるじゃないか。
健康食品のチェーン店なんかでさ、最初は
「お話を聞いて下さるだけで、○○をプレゼント」なんつってさ、
近所中の主婦に呼びかけるヤツ。
で、パンだの石鹸だの味噌だのを配りまくって、
おもむろに羽毛布団やビタミン剤を売るんだ。
そして、そこそこ顧客がついて儲け終わると、パッ!と店を畳んでどっか行ってしまう。
ま、ああいう類のものじゃないかね、その銀行も。
まあ、そうまでして預金客を探さないといけない銀行も哀れだ。
詐欺まがいの、催眠商法を天下の銀行がやるってんだからさ。
札幌雪祭りで1日3回くらいの無料ドリンクサービスタイムが
あるんですね、甘酒とココアだったかな…
もらえるものは、勿論、紙コップ1杯なんですけど、そこが信じられないくらいの長蛇の列なんですよ、本当に!
観光客は思い出のために並ぶのか、それとも、自腹で甘酒を飲むのが
そんなに惜しいのか…
よくわからないんですが、この光景は毎年繰り広げられているのです
だって、外は、マイナス気温なんですよ、氷もガチガチなんですから
「皆さん寒い中、甘酒1杯のために足踏みしながらご苦労様です」と
思いつつ、いつもハテナのこの光景…
いやいや、もうこうなると今月の粗品がなんであれ、どうでもいいのでしょう。
もらえるものはなんでももらうわ、的な発想。
銀行の方も並ぶ層がわかっていて、彼女らが喜びそうな粗品を選ぶんでしょうが、かぼちゃって...(笑)
集団心理ってね。確かにあると思うんです。
例えば、満員電車を降りる時、車掌さんは人が皆降りたのを確認してからドアを閉めるってみんな知ってるのに、なぜか慌てて我先にとなだれ出ようとする。あれ、見るたび馬鹿じゃないのかなと思うんですが、人に遅れをとっちゃなるまい、自分が先に行きたい、っていう心理ですよね。
まあ、それが見受けられる場面も様々ですが、集団心理と心の余裕ってのは対極にあると思うんです。
だから災害のときとか、こういう人たちって、一番にパニックに陥って、余計に被害を拡大させたりする。
このかぼちゃに並ぶ列もね、皆楽しそうにしてるのではくて、まだ閉じられているシャッターを見つめ続けているんです。
なんか、すごく真剣で...でもやっぱそれも楽しみ方のひとつなのかしら(笑)
始めは高かったものを値切ったり、バーゲンで格安に手に入れることが出来た喜びは私にもわかるんですけど、それはあくまで対価が生じているから。
いや。それ以前に、あのご婦人たち、ちゃんとかぼちゃ食べたのかしら...?って疑問も湧いてくる。
意外と捨てたりしてたら、救われませんよねぇ。
すすぎ法。効果アリでよかったです。慣れればそれが習慣になりますから、頑張って~!
デパ地下なんかで行列を見ると、やっぱり私も気になります。
「そんなに美味しいのかしら?」って。
あれって、好奇心をくすぐりますよね。
でも、「タダ」に惹かれて、本当に欲しいわけでもないものを手に入れるために並ぶ心理はやっぱりちょっとわからないんですよね。
ご婦人方。すごく嬉しそうにかぼちゃの入った袋を抱えていましたが、もしかすると「○○さんのほうが大きい」なんて、心理戦も繰り広げているのかなぁ(笑)
K子様の、「そうよ、並んでる場合じゃないじゃん」には、笑いました♪
いや~、相棒。俺も最初はイベント参加に近いのかなと思ったんだが。
あまりにシャッターを見つめる目が皆真剣で、ちょっと怖いものがあったんだよ。
やっぱあの真剣さもイベントを楽しむ秘訣かな?
子育てから開放されたなら、本を読んだり、習い事をしたり、土いじりをしたりのほうが良さそうなんだがなぁ。
あれって、病院の待合室で病気自慢をしあう、いたって元気そうなご婦人、紳士と同じような層かしら。
それにな。
行列して気分が高揚してる(するとするなら、だが)時はいいが、そのかぼちゃを料理している最中とか、食べるときとか、なんか寂しい気持ちにならないかなぁ。
夫にも、そんなかぼちゃに行列する妻が、かぼちゃに見えたりしないんだろうかという疑問も湧いてくるし。
なんか、タダのかぼちゃに行列を作りながら、一方でブランド物のバッグなんかを持って見栄をはりたがる心理が俺にはちっともわからん。
そのテの商売についても以前書いたことがあったが、結局、人より得をしたい心理を突かれて「今だけですよ!」「残り数個ですよ!」なんて言われて、高い浄水器やら布団やら買っちまうんだろう?
得をしたいという心理が大損を招く。
まあよもやかぼちゃ一個で大損はしないと思うが、銀行もあれで顧客が本当に増えるのかねぇ。
まさか「浮いたかぼちゃ代を預金して下さい」ってな話でもないだろうしな(爆)
ひょえええええ~っ!
そんな冷蔵庫の中のような状態で行列を作るなんて、なんていう根性。
みんな、きっとホントはそんなに甘酒やココアを飲みたいわけじゃないと思うんですがねぇ。
まあ、確かに凍りそうになりながら並べば、ある意味思い出にはなりますが、もっと違う思い出を作ればいいのに。
ひたすら、地面の氷を見つめながら、足踏みをした思い出ってどうなの(爆)
吹雪でもきたら、みんな彫像になっちゃいそうですね...
お。新たな名物誕生か!?(笑)