猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

月の夜、星の朝

2005年12月16日 02時14分52秒 | 日記
15日早朝。
仕事帰りのゴンザから電話がかかってきた。

「erimaちゃん~、お月様がすっごく綺麗だよ!見てるー?」

私は、朝4時からのニュースで、月がとても綺麗なことだけは画面を通じて知っていたけれど、我が家の窓からは方角上それを望むことは叶わず、大変残念に思っていたのでその旨をゴンザに伝えた。
と、
「じゃあ、暖かい格好をして待っていて!家の下に着いたら電話するからー」
と、ゴンザ。
私は、暖かい部屋の中から出ることをちょっぴり億劫に思いながらも、ちょうど作り終えたばかりのサラダを放り出して、着替えを済ませ、ゴンザの帰りを待った。

「もしもし~、もう着くよ~」
ゴンザからの電話を合図に、外へ出る。
目の前に停まったゴンザの車に乗り込んで、お帰りを言う。
「ほら、あれ!」
車の進行方向、ゴンザの指差す方向には、まあるい、鏡のようにピカピカ光る大きなお月様。
「きれ~い!!!」
「ね、ね、そうでしょ!?」
ゴンザは近くの高台まで車を走らせる。
ちょうど時間は朝5時半頃。
私たちが登ってゆく暗い坂には、早くから仕事へ出かける人の姿もちらほら見える。

そして...
坂を上りきれば、小さな畑の出現と共に一気に見晴らしが良くなり、私たちは車を停めて外へ出る。
「本当に綺麗なお月様だね~」
「あれが太陽の反射だなんて、太陽ってすごいね」
白い息を吐きながら、小声で語り合う。

と、ちょうど、二人の目の前で尾を引く流れ星。
「わっ!ふたり揃って見られたね~♪」
「ね~♪」
「やったぁ~!」(二重唱)
前日がふたご座流星群の極大日だったゆえに、見ることの出来た天からの贈り物。

「おっ、人工衛星だ」
「どれどれ、どこ?」
寒さの真っ只中で、かすかな光を追って、二人、明けゆく夜の刹那を楽しむ。

我々は、二個目の人工衛星を見つけたところで、ふたたび車に乗り込んだ。

「こんな綺麗な月が見られるなんて.....生まれてきて本当に良かった」
「うん」

帰りに立ち寄ったコンビニを出ると、近所にあるお寺から響く鐘の音。

「なんか、今日は得した気分だね」

月、流れ星、2個の人工衛星、鐘の音.....
過ぎゆく時を見つめ続けるもの、消えゆくもの。

家へたどり着く頃には、すっかり明るくなっていた空に、存在すべてへの不思議と感謝を感じながら、「いつもと変わらぬ毎日」を終えた二人だった。

末っ子気質

2005年12月15日 04時47分05秒 | 猫たち
ちゃあこが我が家に来たとき、すでにそこにはぶっちゃん、ちびくんという二匹の猫がいた。
優しく、穏やか、面倒見のいいぶっちゃんと、頑固で、マイペース、不器用なちびくんという二匹の兄をいっぺんに得たちゃあこは、その日から我が家の末っ子として家族に加わる事となった。

ぶっちゃんと、ちびくん。
どちらが母親であるちびたのお腹から、先に生まれてきたのか。
それは出産を見てないからわからないけれど、同じ日に生まれたとはいえ、ぶっちゃんのほうが長男気質で、ちびくんのほうが弟っぽいような気質に、私には最初から思えていた。
それは、ちびくんが他の兄弟に比べ体も小さく弱々しかったというイメージが発端になっているのかもしれないが、やはり、ちびくんがぶっちゃんに甘え、ぶっちゃんのほうはちびくんの世話をかいがいしく焼いていたところから考えると、彼らの間でも、きちんとそういった構図が出来ていたのかもしれない。
だから、ちゃあこがやってきたときも、ぶっちゃんがすんなりとその存在を受け入れ、可愛がったのとは対照的に、ちびくんはちゃあこがそばを通りがかっただけで、知らん顔をしてパンチを食らわせ、平気な顔をしていたのだと思う。

しかし、肝心のちゃあこといえば、ちびくんに殴られようが、悪さをして私に怒られようが平気の平左で、年中遊びに来ていた私の妹や弟を含め、みんなに甘えまくり、暴れまくり、そのメチャメチャぶりを含めて愛されているのをわかっているものだから、ちっとも大人にならず、末っ子街道を驀進してきたという次第。

さて。
ここまで書いておきながら、果たして人に長男(長女)気質、真ん中気質、末っ子気質があるように、猫にもそんなものがあるのかどうか、私自身も少々疑問に思ってはいるのだが.....。

確かに彼らの行動をみていると、そこにはそれが存在すると断言せざるを得ない。

そして、こんなことを書く気になったきっかけとなる出来事を、最後に記しておかねばなるまい。
最近寒くなって、ファンヒーターの上がお気に入りのちゃあこが、その末っ子気質から見せた行動を.....。

いつものように、「抱っこして~」と、ファンヒーターの上から、私に両手を伸ばしてきたちゃあこ。
自分が抱っこされている間に、そのファンヒーターの上をちびくんにとられたのが気に入らなかったらしい。
私に抱っこされ、べったりとくっついたまま、高い位置からファンヒーター上のちびくんを凝視し、
「キャッ、キャッ、ウキャッ!」
と、文句を言い始めた。
経験と想像から訳するに、さしずめ
「どけ~!そこはちゃあこの場所なんだから~」
といったところだろうか。
そして、実はこんなことは初めてではなく、ひどい時には彼女がちびくんをそこから追い出し、さらに文句を言いながら追いかけまわす、なんてことがあるということを、育ての親として、報告しておかねばならない。
ああ、私の躾け方が間違っていたのかしら.....?

しかし、そんな疑問を抱く反面、わがままな末娘に、
「別にあんただけの場所じゃないでしょ?あんたがそこに乗りたいと思うように、お兄ちゃんだって乗りたいのよー」
そう言い聞かせながら、確かに、わがままな末っ子気質が猫にも存在すると、その娘を育て始めて14年目の冬に、確信を深めた母であった。

「言葉」と「会話」の難しさ

2005年12月14日 03時13分10秒 | ぶ~すか言ってやる!
先日の、「印象バトン-ゴンザバージョン-」で、ゴンザは私と出会った頃の印象に、「会話が上手」と書いてくれた。
が、私は会話というものを非常に苦手としているということを、ここで言わないわけにはいくまい。
実は、対人恐怖症で、思うように気の利いた言葉が出てこず、話したいことを頭の中でぐるぐる回して会話をしているうちに、自分が何を言わんとしていたのかわからなくなり、いつも空回りで終わってしまうということを.....。

そして、その反動が、ここで言葉をこねくり回し、書き散らかす行為に代わっているのだということも、お詫びかたがた言っておく必要がある。
そして。
それもやはり思うようにいかなくて、自分が好き勝手に書いている文の真意がどこにあるのか、自分でもよくわかっていないのだということも.....。

複雑な言語である日本語は、よ~く気をつけて扱わねばならない、危険な両刃の剣のようなものだから、人は皆、毎日を生きていくうちに、人の言葉に傷つき、傷つけ、それが危険なものだと気付いてゆくのである。

実は。
私の母は、人を傷つける言葉ばかりを使う。
「私は人を傷つけるような人間が大嫌いだ」
と言いながら、平気で家族を傷つけてゆく。
だから私は、自分が傷ついたぶん、言葉を恐れ、慎重にならざるを得ない。
弾丸のようにしゃべりまくりながら、言葉を書き散らかしながら、その実、言葉に、会話に怯えているのだ。

昨年のこと。
祖母を温泉へ連れて行こうと、妹と共に下調べをし、母と弟とゴンザを誘って旅行に行った。
吟味に吟味を重ねて選んだ宿は、素晴らしいサービスを提供してくれ、その驚くような値段の手軽さと共に、みんな大満足のはずだった。
しかし、旅行から帰って数ヵ月後。
母はこんなことを言い出した。
「このあいだTVで見たんだけど、今は安くて料理もいいホテルがいっぱいあるんだね。お前らが探してきたホテルなんかより全然そっちのほうがよかったよ。あそこは別に、それほど良くもなかったよ」
と。

私は、
「人が一生懸命探してきたものを、そんな言い方するもんじゃないよ」
と、言ったけれど、彼女がそれを理解する事はきっと一生ないだろう。
そして、私が彼女の意見を聞き入れることも。
しかし。
もしその母の言った事と同じ意のことを、違う言葉で言われたならどうだろう。
「あの時は楽しかったね。宿も良かったし、食事も美味しかったし。ああ、そういえば、この間TVで見たんだけど、他にも良い宿がいっぱい出てたよ。この間の宿も良かったけど、また趣向を変えて、そっちの方に行ってみるのも面白そうじゃない?」

上の文と下の文。
意味はほとんど同じなのに、聞く者が受ける印象は全然違う。
言葉とは.....そんなものである。
だから私はそれを恐れ、それを愛し、それに対する興味をかきたてられ、憧れ、身の程も知らずに書き散らかし、しゃべりまくるのだと思う。
そこにまた、誰かを傷つけている可能性があるのかもしれないと慄きながら。

けれど。
言葉には、危険が伴いながらも人を魅了してやまない奥深さもある。
だから.....。
以前書いた「そのひと言で救われる」ではないが、逆に、そのひと言が、誰かを、何かを壊してしまう可能性もあるのだということを肝に銘じながらも、人は言葉に向き合っていかねばならないのである。
皆.....一人では生きてゆけないから。

ま、要は私が小心者だって話なんだけどね。

¥190のフグ

2005年12月14日 00時24分59秒 | 今日のお弁当
いつもは高い値段で売られている食材が激安だったりすると、「まさか、何か裏の事情が!?」と疑ってしまうのが、人情というものである。それには、その食材が賞味期限ギリギリであるとか、発売したはいいものの、評判が悪くて多量に売れ残った商品だとか、様々な要因が考えられるのだが、近年は「輸入物」であることだけが、激安の秘密だったりするので、なかなかに見極めが難しい。しかも、野菜に限って言えば、中国産などは農薬が心配で手が出せないのが現実。少しの例外を除いて、国産ものを使うのが我が家の原則となっているということから考えると、輸入物の利点を生かせるのは、魚介類が中心、ということになる。中でも、うに、からすみなどは、我が家ではパスタなどに大活躍の食材であるのだが.....。

で、今日のお弁当。

<フグのから揚げ><大根と豚肉の旬寒鍋><春菊となめこのからし醤油和え> です。

<フグのから揚げ>
*フグの中骨を取り除き、ひと口大に切る。醤油、砂糖、みりん、おろしショウガ、おろしにんにくを合わせたものにフグの身を漬け、15分ほどおく。下味の付いたフグに、小麦粉、片栗粉を半々にあわせたものをまぶし、油で揚げる。
<大根と豚肉の旬寒鍋>
*大根は7-8ミリ厚さのいちょう切りにし、春雨はお湯で戻しておく。鍋にダシ昆布、大根を入れ、かぶるぐらいの水を注ぐ。沸騰したら、豚肉(今回は豚しゃぶ用の肉を使用だが、バラ肉スライスが理想的)を加え、塩、醤油、みりんで薄めに味を調える。戻して適度な大きさに切った春雨を加え、大根に火が通るまで煮る。
<春菊となめこのからし醤油和え>
*なめこは茹でて流水で軽く洗い、水気をとっておく。春菊はサッと茹でて、冷水にあげ、水気を絞って5センチ長さに切る。ボールになめこ、春菊を入れ、醤油、からし、酢少々を加えて和える。

から揚げにしたフグは、もちろん国産でもとらふぐでもないが、なんと¥190で手に入れた代物。冬になると近所のスーパーで「鍋用」としてよく売られていて、通常でも15センチほどのものが、4匹で¥380円という安さなのである。で、今回はそれがさらに半額になっていてのこのお値段。でも全然美味しく食べられて、贅沢気分にも浸れて、お徳感ばっちり!なのである。
旬寒鍋は、さっぱり薄味で仕上げるとたくさん食べられて、体も温まる美味しいすぐれもの。今日はお弁当に入れたけど、普段なら土鍋を囲んでハフハフ言いながら食べるのもさらに美味。
和え物に使ったなめこは大きな生のもの。半分は朝食で味噌汁の具になり、お弁当にも活躍してくれ大感謝。食感だけで味がボケがちななめこ君ではあるけれど、からし醤油で味にメリハリを出してさらに美味しくね~。

付き合ってられんわ

2005年12月13日 04時43分12秒 | 猫たち
いやあ、僕被害者です。
うちの妹ときたら、かぶりもの女王と呼ばれてるくせに、
かぶりものを放り出して逃げるから.....。
おかげで今度はこっちがターゲットですわ。

いやね、僕の毛色が優雅だってことは知ってますよ。
天使っぽいって、親バカの二人が思うのも理解できます。
でもねぇ.....
僕、いい大人なんですよ。
あの二人には付き合ってられないです、正直言って。

なんでも聞くところによれば、erimaはこの衣装が売ってる場所で、
人間用の、トナカイのかぶりものをかぶったっていうじゃないですか。
なんか、ものすごいでかくて、ぬいぐるみみたいになった、
顔の部分だけを出す事の出来る、あごのところをマジックテープで留めるやつ。
ああ、ちょうど例のカブトムシみたいになってるタイプね。
3パターンあったのを全部かぶったらしい.....。

かぶせるだけじゃなく、かぶるのも好きだったなんて。

あいつ.....昔っから僕も疑ってはいたものの、やっぱバカなんだな。
そのトナカイの猫用がなくて、ホント、心底ホッとしてるけど。

で、その次の日は、僕たちサイズのスーパーマンの衣装と、
スパイダーマンの衣装を見つけたって噂。
どうやらお値段が張るってことで一度は諦めたみたいなんだけど、
頼むから値下げなんかしないでくれよな~、お店の人。
ゴンザなんか諦めきれずにずっとその衣装握って悩んでたっていうくらいなんだから。

あっ、ヤバイ、erimaが来た!
邪魔くさい輪っかを放り出してるの、見られたら大変だ。
じゃ、僕はこの辺で失礼しますよ、erimaの相手をしてやらなきゃならないから。

「ああハイハイ、僕は天使ですよ、飛べますよ~♪」

ハァ~.....