まず、昨日の劉少奇に関する記述を訂正します。「1996年開封で息を引き取りました」は誤りで、正しくは「1969年」です。
さて、今日から皇城相府(さんせいしょう・こうじょうしょうふ)の紹介を始めます。皇城相府は例の中国十大最美之古鎮に入っており、そこで初めてその名前を知りました。古鎮とは言うより後で説明しますが、大きな邸宅ですが、要塞のようです。皇城相府は山西省の晋城市陽城県(しんじょうしようじょうけん)にあります。
「晋」は山西省の別称で、車のナンバープレートにも使われています。晋城は「山西省の都市」という意味で、これは推測ですが、多分昔は別の地名があったと思います。晋城は、山西省の東南方向、河南省近くにあり、山西省を代表する都市ではありません。
地図をご覧下さい。黄河にそって、右(東)から、昨日まで紹介した開封、次に鄭州、そして洛陽、更に上流は三門峡、更に上流に行くと地図に出ていませんが、先日行ったばかりの運城風陵渡(うんじょうふうりょうと)です。鄭州の西北方向の焦作(しょうさく)があります。焦作は河南省に属します。焦作の更に東北方向に晋城があります。晋城の西側に陽城県が記載されています。皇城相府は、陽城県に属しますが、陽城県の東側にあり、地図上の位置は、晋城と陽城県の間にあります。
皇城相府は、清の康煕帝の老師(先生の意味です)で、康煕字典の総閲官、清代の名相と言われた(とのこと)陳廷敬の府邸であるとのこと。府邸とあるので、自宅兼事務所のようなものでしょうか。
標題(または画像)をクリックして画像を大きくして見てください。またコメントを見るには下の「コメント(0)」の数字(0)をクリックしてもコメントを見たり書いたりできます。ぜひとにクリックを!
さて、今日から皇城相府(さんせいしょう・こうじょうしょうふ)の紹介を始めます。皇城相府は例の中国十大最美之古鎮に入っており、そこで初めてその名前を知りました。古鎮とは言うより後で説明しますが、大きな邸宅ですが、要塞のようです。皇城相府は山西省の晋城市陽城県(しんじょうしようじょうけん)にあります。
「晋」は山西省の別称で、車のナンバープレートにも使われています。晋城は「山西省の都市」という意味で、これは推測ですが、多分昔は別の地名があったと思います。晋城は、山西省の東南方向、河南省近くにあり、山西省を代表する都市ではありません。
地図をご覧下さい。黄河にそって、右(東)から、昨日まで紹介した開封、次に鄭州、そして洛陽、更に上流は三門峡、更に上流に行くと地図に出ていませんが、先日行ったばかりの運城風陵渡(うんじょうふうりょうと)です。鄭州の西北方向の焦作(しょうさく)があります。焦作は河南省に属します。焦作の更に東北方向に晋城があります。晋城の西側に陽城県が記載されています。皇城相府は、陽城県に属しますが、陽城県の東側にあり、地図上の位置は、晋城と陽城県の間にあります。
皇城相府は、清の康煕帝の老師(先生の意味です)で、康煕字典の総閲官、清代の名相と言われた(とのこと)陳廷敬の府邸であるとのこと。府邸とあるので、自宅兼事務所のようなものでしょうか。
標題(または画像)をクリックして画像を大きくして見てください。またコメントを見るには下の「コメント(0)」の数字(0)をクリックしてもコメントを見たり書いたりできます。ぜひとにクリックを!