初めてラジオにはまったのはMBSでした。
スジャータの時報で午後10時になるのをワクワクして待つ小学5年生。
MBSヤングタウンを毎晩聞いてました。
そう、月曜に鶴瓶と堀江美津子、火曜日にやしきたかじん、
水曜日に原田伸郎、木曜日に鶴光、石川優子、
金曜日が谷村新司とばんばひろふみ、土曜日には公開録音で明石家さんまが出ていたころ。
かなり夜更かししてたなあ。
当時まだFMはNHKとFM大阪しかなく、しかも訳わらかん英語の歌ばっかり。
親の聞く古賀メロディーと自分が好きなピンクレディーや松田聖子が歌の文化だった
私にはまったくFMは楽しめなかったのよね。
短大生のとき、いままでのFMとは全く違う親しみやすいFM802が試験放送を始め、
本放送へ切り替わる瞬間をラジオをつけてワクワクしながら聞いてました。
その後、続々とFM局が増えましたね。
中学生になり、早朝のAMラジオで面白い!と思ったのが
「おはようMBS川村龍一です」やった。
きっかけは、夜中にヤンタンを聞いた後そのまま朝にラジオをつける。
それはNHKの「基礎英語」を聞くためにつけたはずなんやけど
遅くまでヤンタン聞いてた私に6:30の放送開始は眠くて・・・
同年代の人ならわかってもらえると思うんやけど、
当時の中学生というのは、今どきの子供みたいにネイティブが小学生のうちから
学校に来て英会話を教えてくれたりすることもなく、
中学生になったら「基礎英語」を聞くことがステータスやったんよね。
で、ボーっとラジオだけつけて自分は布団の中。
ダイヤルをNHKにするも睡眠学習状態。
そしていつものMBSへダイヤルを合わす。
おや?!あのヤングオーオーのおじさんとアタック25のお姉さん(豊島美雪)の声やん。
ニュースに、感じたままのコメントを入れながらというのもとても親近感を持ったし、
なによりわかりにくいと感じがちなニュースもとてもわかりやすく
子供ながらに、これさえ聞いておけばテレビで言うてるニュースはだいたいわかると
思ってた。
英語が達者な方で、ネイティブとは違う基礎英語よりはウンとわかりやすい川村さんの
英語も好きでした。ビートルズの歌詞の一部を紹介してくれたり。
ビートルズというバンドを知ったのも、このラジオでやったように記憶しています。
なんせ両親は古賀メロディーですから・・
そのラジオから聞こえるパーソナリティ川村龍一さんが誰にも気づかれず
事務所でなくなっていたというニュースを26日の朝インターネット上で知りました。
なんということでしょう。
まだまだお若い69歳だったそうな。
ものすごく寂しく感じました。
どうしてこんなに寂しいのだろうかと考えていると、
その頃の自分を強く思い出すアイテムのひとつにラジオがある
ということに気づきました。
あの曲を聞くとこれを思い出すというのと同じ。
川村龍一さんの番組を聞いていたころは、
わたしの学生時代や、幸せが幸せとわからなかった時代
その思い出の時代は、ただの「過去」だったのですが、
メインパーソナリティーがお亡くなりになったことで、
「過去の思い出」は、「過去」というような少し前の出来事でなく
遠い遠い昔の出来事になってしまった。
そんな風に感じたからかも。
ツイッターを見ましたら、26日の放送で豊島美雪さんが番組のエンディングで
かつてのお二人の番組で使っていた
テーマ曲(ビートルズ From me to you)を流していたそうです。
それを読んだら、なんか突然泣けてきて。
どんなお気持ちで放送されたのだろう。
その曲を聞けば、かつてのリスナー達の頭には川村さんの声が甦ったでしょうね。
ご冥福をお祈りいたします。
今も仕事の移動中は、ずっとラジオを聞いています。
これから先、上沼さん、妹尾さん、桑原さんが私の人生の中で一つの思い出の声になると思います。
何十年後、私は今をどんな時代だったと思い出すでしょうか。
スジャータの時報で午後10時になるのをワクワクして待つ小学5年生。
MBSヤングタウンを毎晩聞いてました。
そう、月曜に鶴瓶と堀江美津子、火曜日にやしきたかじん、
水曜日に原田伸郎、木曜日に鶴光、石川優子、
金曜日が谷村新司とばんばひろふみ、土曜日には公開録音で明石家さんまが出ていたころ。
かなり夜更かししてたなあ。
当時まだFMはNHKとFM大阪しかなく、しかも訳わらかん英語の歌ばっかり。
親の聞く古賀メロディーと自分が好きなピンクレディーや松田聖子が歌の文化だった
私にはまったくFMは楽しめなかったのよね。
短大生のとき、いままでのFMとは全く違う親しみやすいFM802が試験放送を始め、
本放送へ切り替わる瞬間をラジオをつけてワクワクしながら聞いてました。
その後、続々とFM局が増えましたね。
中学生になり、早朝のAMラジオで面白い!と思ったのが
「おはようMBS川村龍一です」やった。
きっかけは、夜中にヤンタンを聞いた後そのまま朝にラジオをつける。
それはNHKの「基礎英語」を聞くためにつけたはずなんやけど
遅くまでヤンタン聞いてた私に6:30の放送開始は眠くて・・・
同年代の人ならわかってもらえると思うんやけど、
当時の中学生というのは、今どきの子供みたいにネイティブが小学生のうちから
学校に来て英会話を教えてくれたりすることもなく、
中学生になったら「基礎英語」を聞くことがステータスやったんよね。
で、ボーっとラジオだけつけて自分は布団の中。
ダイヤルをNHKにするも睡眠学習状態。
そしていつものMBSへダイヤルを合わす。
おや?!あのヤングオーオーのおじさんとアタック25のお姉さん(豊島美雪)の声やん。
ニュースに、感じたままのコメントを入れながらというのもとても親近感を持ったし、
なによりわかりにくいと感じがちなニュースもとてもわかりやすく
子供ながらに、これさえ聞いておけばテレビで言うてるニュースはだいたいわかると
思ってた。
英語が達者な方で、ネイティブとは違う基礎英語よりはウンとわかりやすい川村さんの
英語も好きでした。ビートルズの歌詞の一部を紹介してくれたり。
ビートルズというバンドを知ったのも、このラジオでやったように記憶しています。
なんせ両親は古賀メロディーですから・・
そのラジオから聞こえるパーソナリティ川村龍一さんが誰にも気づかれず
事務所でなくなっていたというニュースを26日の朝インターネット上で知りました。
なんということでしょう。
まだまだお若い69歳だったそうな。
ものすごく寂しく感じました。
どうしてこんなに寂しいのだろうかと考えていると、
その頃の自分を強く思い出すアイテムのひとつにラジオがある
ということに気づきました。
あの曲を聞くとこれを思い出すというのと同じ。
川村龍一さんの番組を聞いていたころは、
わたしの学生時代や、幸せが幸せとわからなかった時代
その思い出の時代は、ただの「過去」だったのですが、
メインパーソナリティーがお亡くなりになったことで、
「過去の思い出」は、「過去」というような少し前の出来事でなく
遠い遠い昔の出来事になってしまった。
そんな風に感じたからかも。
ツイッターを見ましたら、26日の放送で豊島美雪さんが番組のエンディングで
かつてのお二人の番組で使っていた
テーマ曲(ビートルズ From me to you)を流していたそうです。
それを読んだら、なんか突然泣けてきて。
どんなお気持ちで放送されたのだろう。
その曲を聞けば、かつてのリスナー達の頭には川村さんの声が甦ったでしょうね。
ご冥福をお祈りいたします。
今も仕事の移動中は、ずっとラジオを聞いています。
これから先、上沼さん、妹尾さん、桑原さんが私の人生の中で一つの思い出の声になると思います。
何十年後、私は今をどんな時代だったと思い出すでしょうか。
学生の頃ヘッドホンをして笑い転げたもんです。
そして就職をして、トラック乗りになった今もラジオを聴いてます。
AMもFMもどちらも良さがあり、大好きです。
川村さんと豊島さんのラジオも良く聴きました。
どちらかと言うとFM寄りのパーソナリティーでしたよね?
エンディングにかかるビートルズを聴きながら浜村さんのオープニングを先に言ったもんでした。
これから先、私もラジオは生活の一部だと思います。
中でも西川のりおさんが一番好きでした。
若い時一時FMに浮気しましたけど、やっぱりラジオはAMが面白いですね!
僕もラジオにはいっぱい思い出が詰まっています。ラジオ万歳!
P・S MBSのメッセンジャーのラジオ面白いですよ。大きなお世話ですか。
そのとき会えたのがヤングリクエストのパーソナリティーだったのですが
それ以来憧れて本格的に勉強してNHKでチーフアナウンサーのレッスンを受けたこともありました
それから数十年・・・
ただのしゃべりのオッサンになり果てました
平日休みに、車に乗ったらいつもの癖で合わせてハッとします(笑)
ラジオで眠気飛ばして、安全運転でお願いします。
メッセンジャーは、その名前は聞いたことがありますがいったいだれ?ぐらいのレベルです。
漫才は人生幸郎が好きでした(笑)
昔から何につけてもそうやったんですね。
ラジオで話すと言うのは、テレビの何倍も難しいと聞いたことがあります。
だから芸人さんはラジオをすると勉強になるんだとか。
ひろさん、今のお仕事の礎になるものをしっかり勉強されていたんですね!
手が届くような。
毛利さんも衝撃でしたね。
居なくなってさみしい、残念と思ってもらえる存在になれたら、
素敵な人生やなあって思います。
その人の人生の思い出の一部になれる職業、いいなあ。