ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2011.7.1 たたまなくなったベビーカー

2011-07-01 06:42:04 | 日記
 先日、朝の通勤時間帯に遭遇したこと。
 就学前の子供3人が、ベビーカーを押したお母さんと一緒に賑やかに電車に乗り込んできた。子供は何とか座れる席を探そうと、人をかき分けながら車内をグルグル動き回っていた。「すぐに降りるから座らないでいいの!」と大きな声をかけていたお母さんは、ベビーカーはたたまずにそのまま。子供たちは乗車している間中ずっと興奮状態だった。

 さて、降りる駅に到着。
 既に電車の到着が遅れていたので、乗り換えに焦っていた私は急いで扉口に歩を進めた。すると、ベビーカーが後ろから私の足元めがけて進んできた。痛かったのと、ストッキングが伝線したのでは・・・と気になったので、後ろを向いて確認した。ベビーカーの車輪部分が当たったために、案の定ストッキングは伝線。

 あーあ、と思った次の瞬間浴びせられた言葉は、「すみません。」や「ごめんなさい。」ではなかった。
 不愉快そうな大きな声で、「自分からベビーカーを蹴飛ばしておいて、チョー見られた!」だった。チョー見られた、って何?と思ったのはともかく、これは私に向かって言っている言葉だと分かって驚いてしまった。
 正しくは、お母さんがベビーカーの全長の目測を誤って(早く降りたいから、前にいる邪魔な私を煽るためにぶつけてやろうと思ったわけではない、と信じたい。)前にいた私に突進してきたわけだ。一体いつ私がベビーカーを蹴飛ばしたのだろう。蹴飛ばした、というよりぶつかられたのはこちらの方なのだが。

 そして、そばにいたお兄ちゃんに「急いでいるのは誰だって同じじゃん、ねえ!ったく!」と相槌を求めていた。思わず後ろを振り返ってお顔を見てしまったが、私とは一切目線はあわさずに声だけは聞えよがしだった。周りの人たちもさぞ不快だったことだろう。

 その間わずか何秒だろうか。とても長く感じた。もちろん関わり合っている時間はなかったので、そのまま降りて乗り換え駅ホームへ急いだ。なんとも朝から後味の悪い出来事だった。

 小さな子供にとってお母さんの一言は絶対だ。大人っていうのは小さな子供が乗っているベビーカーを蹴飛ばすんだ、それに蹴飛ばした相手を睨んだりするんだ・・・、大人って怖いんだね、そんなふうに思ってしまったのではないか。
子供は親を選べないけれど、大切な未来を担う子供たちが、こんなふうに育てられたら心が荒むのではないか。
 何より、このお母さんの荒んだ心を思うと暗澹たる気持ちになった。子育てに追われてイライラしているのか、全て周りのせいにして、自己正当化し、あんなふうに捨て台詞を吐くことしかストレス解消法がないのか。いや、それよりそんなことですっきりするのだろうか。後で落ち込んだりしないのだろうか。

 ところで、朝、急いでいるのは誰でも同じかもしれないけれど、近頃、通勤時間帯等混雑している車内でも、かつてに比べてたたまないベビーカーが目立つようになった気がする。
 こんなに混んでいるのだからたたんだらいかがですか・・・という視線を送ると、子育て中で大変なんだ、優先席付近だ、何か文句あるか!と逆切れされそうなオーラを発散させている感じさえ受ける。10年以上の前のベビーカーより今のものはずっと進化して、たたむのも開くのも片手でOKになったような気がするけれど。

 今から10年以上前のことになってしまったが、私が子育てをしている頃には、少なくともベビーカーをたたまないで電車やバスといった公共交通機関には乗ることは考えられなかった。乗るならば、子供は抱っこしてベビーカーはたたんで、が当然というか暗黙の了解であった。もちろん日中で車内がガラガラで、という時にはそのまま乗らせて頂いたこともあるけれど、息子は大きくて重かったし、私は腕力がないときていたから、夫と一緒でない時に一人で電車やバスに乗って出かけるような無謀なことはしなかった。無事に往復する自信がなかったので。

 夫に話したら、「君子危うきに近寄らずだね。」と一笑に付された。確かにそうかもしれないけれど、なんだかとても哀しい一日だった。

 今日から7月。梅雨明けはしていないけれど、少しでも夏らしいテンプレートに模様替え。
 昨夜はいつもに増して早く寝たので、今日は良い目覚めだ。相変わらず気持ち悪さはあるが、今日1日やり過ごせば週末だ。
コメント
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