ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2011.7.20 ナベルビン16クール2回目、ゾメタ56回目

2011-07-20 21:06:13 | 治療日記
 早朝、息子の学校からは「台風接近により今日の夏期講習は中止、クラブ活動も中止」のメール連絡が入った。
 実家の母から、ホームステイに出かけるお餞別を渡し方がた、ランチを息子と一緒にしたいとの連絡をもらい、今日の学校帰りにと予定としていたが、こんなお天気で足元も悪いので・・・と、延期のお願いの電話をした。

 いつもどおり家を出た。最寄駅では電車が若干遅れていたが、何とか乗換は滑り込みセーフで間に合った。ところが途中駅で「先の駅で人が線路に入ったため保護しています。」の放送があり、10分以上の停車。結局、病院には予定より10分以上遅れて入った。

 今日は事前の検査もなかったので直接内科へ。中待合に入るまでに小一時間待ち、診察室に入れたのはおよそその15分後。まずは検温しながら1週間のご報告から。前回、ナベルビンを投与した翌朝は早朝覚醒があったこと、その前から壊していたお腹の調子は2日ほどで落ち着き、気持ち悪さもほどほどでロキソニンのみの服用で済んだこと、一昨日あたりから胸の鈍痛・圧痛が気になることをお話しした。先生がおっしゃるには「胸痛は天候に左右されるのかもしれないですね。」ということだった。来週は休薬週で、再来週にはマーカーを含めた採血とレントゲン、点滴後に心エコーの予約が入った。

 化学療法室へ移動。椅子に案内されるまで15分ほど待つ。窓際の、ナースステーションに一番近い点滴椅子を確保する。血圧は相変わらず90-50。ベッドに案内されて認定看護師のKさんが針刺。痛みはそれほどでなく割とすんなり入ったけれど、前回・前々回に続いて“注射器が押せるけれど、引けない(液が入っていくけれど、逆血が確認できない)”ということで、別の看護師Oさんが確認。やはり確認できず、「針を刺し直したいので、抜きます。」と言われる。だが、「前回は先生に確認して頂き、結局それでOKが出ました。これで針を抜いて刺し直しても逆血が確認できる保証がないのだったら、刺し直しは避けたいです・・・」と言う。針を抜く衝撃と針を刺す痛みは、できれば1回で十分だ。「では先生に来て頂きます。」ということで、ベッドで待つように言われ、そのまま1時間ほど放っておかれる。何時になるかわからないし、本を点滴椅子に置いてきてしまったので、なすすべもなくぼーっとベッドに寝かされたまま、どんどん滅入ってくる。結局、主治医でなく2回のポート設置手術をしてくださったA先生が確認にいらしたのはそれから30分後。「抵抗もなく入るから問題なし。」とのこと。

 看護師さんたちは“逆血を確認する”のがマニュアルによる指示であり、それが出来ないときはレントゲンなりポートの造影が必要とされているため、それ以上の判断が出来ないというが、こうしたトラブルで、せっかくハーセプチンが毎週投与でなくなり、1時間半の時間短縮が叶ったものが全てムダになってしまうのでは哀しすぎる。これから毎回こうしたことが続いたら、また造影検査、さらにはポートの入れ替えなのだろうか、と落ち込む。そうでなくてもストレスを溜めつつ、何とか気持ちを上向きにして毎回の通院をしているのに、看護師さんが不安そうに首をかしげ、何人も変わってチェックする、というのは大きなストレスだ。

 そうして結局、点滴を開始できたのは化学療法室に入ってから2時間以上経過してから。今日はデキサート、ナベルビン、生理食塩水、ゾメタ、生理食塩水の5本。慣れた看護師さんでないため、どうも呼吸が合わず、いろいろ質問されることもいちいち噛み合わない。そのたびに本を読むことが分断されて、これまた滅入る。必要なことだけ言ってくれれば別にいいのに・・・という、患者のわがままな気持ちがどんどん膨れ上がってくる。
 点滴剤を取り換える時に、生理食塩水が飛び散り、手と靴の中、椅子のアームレストが濡れてしまった。これが抗がん剤だったらどうするのだろう・・・と嫌な気持ちになる。そして「点滴が落ちていくラインが“不潔”になってしまったので、換えますね。」と言われた。「不潔」というのは医学用語では「滅菌されていない」というごく普通の言葉だろうけれど、こちらは聞いていて決して気分の良いものではない。
 一度不安になると、次々に不安な気持ちが上乗せされる。そして、なぜ私が彼女に対して不安な気持ちを持っているかというと、もう担当するのが2回目であるのに、ご自身の名前を名乗らないことと、名札をされていないことにもあった。今日は「すみませんが、お名前は?」と伺った。次回からはきちんとこちらも名前で呼びたいと思う。先方から名前で呼んで頂きながら、こちらは「看護師さん」では失礼だと思うので。
 そんなわけで、点滴が終わって針を抜いたのは3時近くになり、当然ランチタイムにも間に合わなかった。順調にいけば1時には終わるかな、などと勝手に思っていただけに、またも取らぬ狸・・・になってしまった。
 
 今日は長く病院にいたわりには、読書がはかどらなかった。1冊と途中まで。
 内橋克人さん編の「大震災のなかで 私たちは何をすべきか」(岩波新書)。
 帯には「33人が考える3・11の意味 支援・復興の形」とあった。内表紙には「2011年3月11日、東日本を襲った大震災は何を問いかけているのか。大きな悲しみや喪失感のなかで新しい歩みを始めてゆかねばならない被災者・被災地に、私たちはどう向き合い、どんな支援をしていったらよいのだろうか。現地で活動を続けた医師やボランティアをはじめ、作家や学者ら33名が震災の意味、復興の形をつづる。」とある。6月の新刊なので情報としては5月中旬止まりだが、それだけに数多くの書き手による震災直後の生々しい筆致が胸に迫った。

 会計を済ませ病院を出た。今日の病院滞在時間はまたも6時間。ちょっとラッキーだったことは、雨が小止みになっていて駅まで早足で急げたこと。もうすぐ駅、というところで降り出したが、何とかびしょ濡れにはならなかった。

 遅いお昼を食べて、途中駅で買い物をしながら帰宅した。今日から塾の夏期講習が夕方一コマ入っており、家に帰ってから追い出すのでは間に合わない、と途中駅で「遅れないように。」と電話をすると、息子は「わかっている。」と答えていたのに、なんと開始時間過ぎに家の前ですれ違う。何をしていたやら、本当にとほほ・・・である。


コメント
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