ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2011.7.11 きちんと対峙して長く付き合う

2011-07-11 20:05:08 | 日記
 朝日新聞のネット記事で、大平一枝さんの連載エッセイ「小さな家の生活日記」を愛読している。
 今回のエッセイが、断捨離の最中にある私の心の琴線に触れたので、以下に転載させて頂く。なお、筆者は、前回までに築48年の大きな日本家屋から新しい家へ引っ越しを終えたばかりである。

※  ※  ※(転載開始)

シンプルライフ考 捨てられないものとの付き合い方(2011年7月11日)

 前回捨てられないもののことを書いた。今回はそのなかのひとつを紹介したい。全く使えないのに処分できないもの。それは割れたガラスの器である。口に入るものなので小さなヒビでもたいていものは処分するが、どうしても捨てられないガラスがある。
 ひとつは、旅先のスウェーデンで買った1000円ぐらいの安物。もうひとつはオールドパイレックスのパーコレーターのふた。やかんがわりに毎日酷使している。三つ目は沖縄で買った作家の再生ガラスでつくった鉢だ。
 こうしてみると、価格や人から見た価値は全く関係なく、自分にとってどれだけ大事か、思い出がこもっているかが、捨てる・捨てないの分かれ道のようだ。
 かといって割れたものをどうするでもなく、そのまま大事に包んで今の家に持ってきた。使えないのだけれど、日にかざしたり眺めるだけでもきれいなので、意味もなく日当たりのいいキッチン前に置いていた。
 そんなとき、取材で金継ぎが好きな人に出会った。彼女のもちものは、美術品級のものが多く、金継ぎをお願いしている漆芸家も当時は大学生だったが、今は大学で美術を教えているという。どれも金継ぎしたことであきらかによくなっているというか、新たな美しさが増しているのが素人目にもわかる。金継ぎはただの修復ではなく、古来から伝わる装飾の美である。割れた部分をつぎながら装飾を施し、その善し悪しを愛でる人たちもいる。
 けれど、彼女が直したものはすべてが美術品級ではなく、旅先で買った安い土産物もあった。また、ガラスも継いだというので驚いた。捨てるかそのまま残すかしか選択肢がないと思い込んでいた私にとって、それは刺激的な発見であった。
 そうか。日常使いの雑貨だろうと何だろうと、自分が気に入っているものは継いで直せばいいのだ。日本の伝統的な金継ぎは接着剤などケミカルな材料は使わず、漆をはじめとする天然素材のものを使って時間を掛けて継ぐ。だから買った値段より高くなることもあるし、金継ぎの専門家もいれば、漆芸の作家が手がけることもある。
 私の持っているガラスなど、どれもたいした金額ではなく、継ぐほどの価値はないかもしれないが、自分にとってはかけがえのないもの。長く大事に使いたいから直す。そこに「安物だから」というような理由や躊躇はいらないのだということを教えてもらったような気がして嬉しくなった。
 かといって、高いお金は払えないので、いろいろ探して、金継ぎ修行中という若い女性のウエブサイトを見つけた。ベトナムのひとつ300円のグラスの修復にチャレンジしているところに興味をもった。おそるおそる、「失敗してもかまわないし、納期も急いでいない。骨董や美術品ではなく、気に入っている日常使いの器を長く使いたいと考えているが、チャレンジしていただけないか」というメールを出すと、すぐに長い返信がきた。「ふだん使っているものを、天然のものを使ったつぎの技術で、新たな形で長く使いたいという気持ちは、自分が修行しているものにとても近い」と記されていた。
 かくして、お気に入りの3つは彼女の元へ。どんな姿で生まれ変わって返ってくるかはこれからのお楽しみだ。
 捨てたらこの楽しみはなかった。直すことで、また新しい私とモノとの物語が始まる。シンプルに暮らすというのは、持たないとか捨てるとかいうことではなくて、一つ一つのモノとのつきあいを深める、親しく付き合うということではあるまいか。人にはキャパシティがあるから、あれもこれもとそう深く付き合うことはできない。となれば必然的に持ち物は減る。
 きちんと対峙して長くつきあえるモノを選ぶこと。それがシンプルライフの第一歩かもしれない。

(転載終了)※  ※  ※

 どこを見てもモノが溢れている今、きちんと対峙して長く付き合えるモノを選べているか、本当に疑問だ。ついつい気に入ったものでもないのに適当にその場しのぎで買い揃え、そのまま何年も使っている雑貨も多い。値段ではない。気に入ったモノを大切にして、自分と一緒に齢を取っていけるような暮らし方こそ本当に豊かなのだろう。

 私がまだ小さかった頃、傘は骨が折れたらその都度修理して使っていた記憶がある。だから、今でも当時使っていた赤い傘の模様を思い出すことができる。けれど、今は新しいものを買った方が安いし、そんなことを引き受けてくださる職人さんもいない。ということで、息子などは、これまでに一体どれだけの傘を置き忘れ、骨を折り、壊しているのか数え切れない。だからとても高価なものは渡せない、と適当な安物を与え使い捨てにしてしまうのも問題なのだが・・・。

 先日マッサージに行った時に担当のTさんから聞いた話を思い出した。持病のあるお義母様の独り暮らしがいよいよ心配になってきたので、この夏休み、ご主人のご実家に引っ越されるのだという。お義父様が亡くなってかなりの年月が経過したが、片づけも叶わずに捨てるに捨てられぬまま、思い出とともに多くの家財道具が残ったまま長い年月が経っていたようだ。結局、引っ越し前にご実家で処分してもらわなければならない荷物量を見積もってもらったところ、先代の分まで含めて2tトラック優に2台分あったそうだ。
 その上で、同居することで2世帯の荷物を1世帯分にするのだから、それこそコーヒーメーカー1個からどちらを残すのかより分ける、という大変な作業の連続。聞いているだけでため息が出る。

 ふと、私の実家を思い出して冷や汗が出た。高齢の両親が2人で住む実家。私が3歳の時以来半世紀近く住んでいる家だから、それこそ大昔のものが全て取ってある(・・・気がする。前にもエコな母のことを書いたが、30年以上前の私の黒いロングスカートが出てきた話のとおりだ。)。両親がどちらか一人になった時には処分せざるを得ないのだろうけれど、考えるだに恐ろしい。それでもこちらに体力・気力があるうちにやっておかないと、それはそれは大変なことになることは間違いない。

 今日で東日本大震災からちょうど4ケ月。東北地方も今日、梅雨明けしたという。南部も北部も平年よりそれぞれ2週間以上早いそうだ。仮設住宅ではお年寄りの孤独死も見つかったという。被災地の方たちがこの酷暑とこれまでの蓄積疲労で体調を崩されないことを、心から祈りたい。
コメント
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