ロッキングチェアに揺られて

再発乳がんとともに、心穏やかに潔く、精一杯生きる

2011.7.15 くちなしの花に想い出すこと

2011-07-15 20:58:32 | 日記
 渡哲也さんの歌ではないが、くちなしの花の季節がそろそろ終わろうとしている。

 小さい頃、「ママは何の花が好き?」と聞いたとき、母が「ちょうど自分の誕生日あたりに咲くくちなしの白い花が好き。」と言った記憶がある。確か実家にもくちなしの木があったはずだ。どうして好きかという詳しい理由は忘れたけれど、白くてつややかな花びらでとても良い香りの花だ。
 「幸福者・清潔・清浄・優雅」がその花言葉だという。この暑さ続きで、学内にあるくちなしの花は既に黄味がかって、しおれ始めている。葉だけは濃い緑色をつやつやさせて元気だ。

 その母の誕生日は明日の7月16日。もう78歳になるのだなあ、としみじみ思う。押しも押されもしないおばあちゃんだ。母は28で私を産んだと言うけれど、正確には27歳の最後の頃に、ということだ。
 今の季節、既に花も終わろうとしているから、自分の誕生日あたり、という母の理解はちょっとずれている気がするが・・・。
 母は私の出産が原因で腎臓を患った。長期の入院もし、食事制限も厳しくやっていたけれど、いつの頃からか、ちょうど今の私の齢くらいだろうか、更年期障害が過ぎたと思ったら一病息災でやけに元気になった。もともと小柄な人ではあるが今では一層小さくなり、体重は30キロ台。それでも血圧が少し高いというくらいで本当に元気にしている。

 私の実家では、父の誕生日が5月18日、私が6月17日、母が7月16日の3人家族だった。
 ぱっと見て何かお気づきの点はあるだろうか。

 誕生月は5月、6月、7月で、誕生日は18日、17日、16日。それぞれ昇順、降順に並んでいる。私の誕生日は各々がちょうど真ん中に挟まれているのだ。そんなことを小さい時に言われて育った。親戚にも父がそんなふうに説明していたのを覚えている。
 いつも私が真ん中にいるのだ、と。手をつながれているみたいでしょう、と。
 まあ、いつまでも両親に手をつながれて強固な三角形を作っていたら、親離れも子離れもままならず、それはそれで大問題だし、実際、家を出る時は、父は怒るわ、母は泣きだすわの大騒動で大変だったけれど・・・。
 それにしても、その時はそれほど気にもかけなかったけれど、これって結構珍しいことではないか、と今になってふと思う。こんな記憶があるからか結構忘れずに両親の誕生日を覚えているわけだ。父の誕生日が母の日とぶつかったり、私の誕生日が父の日とぶつかったりすることはよくあったようにも思う。

 今の我が家の誕生日はこういうことには全く関係なく、夫が9月、息子が1月。日もそれぞれ11日と30日。なんの脈絡もない。尤も、夫の9月11日というのは、本人とは全く無関係ではあるが、グラウンド・ゼロの日として世界的に忘れられない日となってしまった。
 息子には私の誕生日よりも、カーネーションが商店の店頭に並んだりしてあたりがやけに賑やかになる「母の日」の存在の方が大きいようで、私の誕生日は毎年、夫に言われて思い出す程度で、「あ、そうだったっけ、何もないから真心をあげるよ。」などとのたまう。多分忘れられちゃうんだろうな、と思っている。
 夫といえば、自分の母親の誕生日を正確には覚えていないようだ。義母は4月10日が誕生日である(実際は2月に生まれたが、当時出生届を出すのが遅くなったという。)が、毎年、私が「そろそろお誕生日のプレゼントを贈らなくちゃ・・・。」というのを聞いて、「(母親の)誕生日って今頃なの?」と罰当たりなことをのたまう。
 息子は性格的には夫によく似ている。押し並べて男性がそうなのか、夫と息子が特にそうなのかよくは判らないが、いずれは私の誕生日が忘れられていくのもまあ仕方がないことか。

 今朝も朝から暑い。起きると喉が痛んだ。寝冷えだろうか。暑くて寝苦しく、疲れが取れない。副作用の気持ち悪さも残っている。これで風邪が加わったら本当に憂鬱だ。本格的にひかないとよいのだけれど。とにかく今日が終われば3連休だ。

 帰宅すると息子も「喉が痛い、医者に行ってくる」のメモを残して不在だった。ここまで連日暑いと自分が熱があるのか外が暑いのかわからなくなってくる。夏バテなのか風邪なのか。今日も塾はとほほのドタキャンである。
コメント
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