「家」 @ 鎌倉七里ガ浜 + 時々八ヶ岳

湘南七里ガ浜(七里ヶ浜とも)から発信。自分の生活をダラダラと書きとめるブログ。食べ物、飲み物、犬の話題が多い。

情熱の焼餃子@七里ガ浜自宅厨房

2009-12-05 22:44:31 | 食べ物・飲み物
ただならぬ緊張が走る七里ガ浜自宅厨房。そう、餃子の日だ。雨が降り暗く寒かった土曜日のランチは餃子。失敗は許されない餃子。餃子は我が家ではチョー神聖な食べ物であり、具材を切って混ぜてつくるのも、それを皮にを包むのも、焼くのも、皆かなりの緊張を強いられる作業なのである。全身全霊を傾けて作る。

ただし私はアシスタントに過ぎない。餃子は妻の専管事項と我が家では決まっている。ほとんどただのカメラマンだ。



見よ! この立派な眺め。味覚のエキスがぎっしり詰まっているくせに、皮の外はツンと澄ました餃子。たいした食べ物である。



まるで兵士が行進するかのような景色。餃子恐るべし!



T-falのフライパンで焼く。底を焦がさないと餃子はおいしくないが、ちょっと焦がすと餃子の皮がフライパンにくっついてしまうようでは、安心して餃子を焼けない。その点、おフランスのT-falはお利口である。単にテフロン加工であるだけでない。テフロン加工のくせにズシリと分厚くて重く、ちゃんと立派な鉄の火鍋であることを忘れていないツールである。



水を入れ、ふたをしてさらに焼く。



出来ちゃった。



ひっくり返すとこんな具合。確実に美味しい。



ラー油も醤油も酢も。調味料の饗宴。しっかり食べましょう。中に入るのはニラ、ショウガ、白菜、豚肉、ニンニク、ネギ、ゴマ油、酒、オイスターソース、コショウ・・・。なんだかスゴイ複雑な「食糧!」って感じの味だ。口中で炸裂する味と香り。腹いっぱいになって、晩御飯が食べられなくなるぞぉ・・・と思いながら、食べ続ける。実際その後の晩御飯が食べられなくなった。いつもこれだ。何事も控えめであることを覚えなければいけないと反省。



これは水・・・じゃなくって酒の熱燗。お安いお酒をコップに入れてレンジでチン! お燗なんて、安い酒で十分おいしい。寒い日はお燗にした酒がいい。



いっぱい作ったので残っちゃいました。ラップして冷凍庫へ。近いうちまた食べましょう。しかしニンニクがすごい。キッチンにいつまでも残るニオイ。すっかりパワーを頂いたな。神聖な情熱焼餃子。

我が家では餃子はおかずの中の1品種という扱いにならない。それだけを延々と食べ続けて終わりという、「主食以上」の扱いだ。そうでなければ私は満足出来ない。餃子は不可侵。それだけで成立する高潔な食べ物なのである。


コメント (8)
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キリがない掃除 / 落葉の総量は一定@七里ガ浜自宅の外回り

2009-12-05 13:42:54 | 
暗く寒い土曜日。日課の外の掃除。今日は私がやりましょう。箒とちりとりを庭に出す。するとやって来る茶々之介。「とーちゃん、これ、ほうきですよね。くんくん。そうじするんですよね。くんくんくん」 目に付いた物をなんでも検分したがる犬である。ちょっとチェックすると納得して、今度は芝のにおいの追跡。猫でも来たのか。



庭で今一番多いのが、このカエデの落ち葉だ。これを箒とちりとりで集める。毎日キリがないねぇ。落ち葉は落としっぱなしではいかんのか?



まだ元気な葉。これはかなりキレイな方だ。この写真だけ見せるのはフェアではない。本当は・・・。



我が家のカエデの葉の大半はこんな様子。みじめな枯れ方をする。潮風の影響か?「紅葉」なんて優雅なものからはほど遠い。こうした葉が次から次へと落ちるので、それを拾い集める。しばらくするとどうせまたたくさん落ちているので、いつまでもあまり達成感が得られない損な仕事である。でもとにかくどこかでケリをつけて、門の外へ移動。



我が家の門の前で私がかき集めることとなる落ち葉のほとんどは、我が家の敷地から出た物ではない。住宅街の中のどこかから風に吹かれてやって来た落ち葉である。最近この仕事をしていて気付いた事実が2つ:

① 家の前の落ち葉を片付けず何日もの間放置しても家の前の落ち葉の量はあまり変わらない
② 家の前の落ち葉を片付けると、翌日にはほぼ同じ量の落ち葉がそこにまた堆積している

この2つの事実から私が導き出した仮説は:

我が家の敷地の前の道路上の落ち葉は、人間が触らない限り、毎日どこかよそからやって来たものであり、それらは約1日かけてまたどこかに去って行く。そして我が家の前に毎日やって来る落ち葉の量とそこを去って行く落ち葉の量はほぼ拮抗している。

そうであるとすれば、その常に一定の量で家の前にある落葉に耐えられるなら、それを掃除する必要はないということになる。しかし生真面目な私は、家の前の道路や駐車場部分の落葉を掃いて集める。



駐車場のコンクリートブロックの隙間の落ち葉を苦労して履き出していると、庭で遊んでいる茶々之介が覗く。「とーちゃん、何やってんの?」



道路の掃除はほぼ完成。でも庭や周囲を振りかえると・・・。



生垣の下はこうだし。



履いたばかりの駐車場には早くも落葉が。



電気やガスの計量器の周りにも早くも落葉が。



結局いつもこれだけかき集めても、すぐまた同じような量の落ち葉が溜まるのだ。掃除しても掃除しなくても同じ。それがある一定量に達したら、仮にそれを放置しておいても滞留する落ち葉の量はそれ以上増えない。これが「我が敷地前の落ち葉の内容は常に入れ替わるが掃除するしないにかかわらず滞留する落ち葉の総量は一定の法則」なのだった。

コメント (4)
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