「家」 @ 鎌倉七里ガ浜 + 時々八ヶ岳

湘南七里ガ浜(七里ヶ浜とも)から発信。自分の生活をダラダラと書きとめるブログ。食べ物、飲み物、犬の話題が多い。

短いキャット・ウォーク@七里ガ浜自宅

2009-12-17 11:06:52 | 建築外観・構造
●住宅は「可能な限り小さく(かつ低く)すると美しい」と思っている。
●しかし面積を小さくすることで、玄関ドアを開けたら居室やダイニング・ルームが丸見えとなるのは避けたい。

これが私の家に求める条件の一部である。各居室を玄関から遮断するために廊下を確保せねばらないが、一方で、廊下が占める面積を大きくはしたくない。すると自分の家の平面図を考える時に、私の場合、「どうしてもそうなってしまうパターン」というのがある。

(玄関に立ちキャットウォークを見上げる)


玄関を家の真ん中近くに置き、そこから右へ左へと部屋を割り振る。玄関奥にはスグに階段を設け、2階へ上がれるようにする。2階に上がったところからまたスグに右へ左へと部屋を割り振る。これで廊下部分の面積はかなり抑えられる。

これをすると玄関上の2階に上の画像のようなところが出来る。我が家のはケチくさくかなり短いが、これを「キャットウォーク」と言うらしい。中空を泳ぐ手すりだけの廊下が出来るのである。

このパターンは私の前の自宅、私の両親が住んだ家、そして今の自宅へと順番に踏襲されていて、それら全部に訪問して来てくれたあるお客さんは、「おちゃさんの考えた家って全部同じ作りだね」と言って笑った。

(2階でキャットウォークを見る)


小さな家だが、ここだけはかなり解放感がある。単なる玄関の吹き抜けというだけでなく、2階の手すり付き廊下が中空を走る様子が面白い。どうぜこの部分は冬でも暖房などする予定がないので、吹き抜けで寒くても覚悟の上だ。夏は玄関部分がすごく涼しい。

我が家では珍しいダウンライトを使用。

(キャットウォークを真下から見る)


小さくかわいらしい玄関でしょう?

(キャットウォークから手すり越しに玄関を見下ろす)


コメント (6)
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テリトリーの悲しさ・いろいろ考える@七里ガ浜

2009-12-17 11:06:33 | 
自宅の2階に上がり、網戸のついた窓越しに自宅の庭を見降ろす。これが我ら家族のテリトリーである。なんだか小さい。苦労して独力で稼いだかまたは借り入れた金で、都市近郊に家を購入したことのある人なら、この感覚がわかると思う。一部の大成功者の家を除くと、面積に多少の差はあれ、普通の勤め人が独力で手に入れた家やその敷地はたいてい悲しいくらいに小さいのだ。庭を見下ろせば、「これだけ苦労して、これかい!」と思うことだろう。冬になり、緑の芝生もなんだか黄色っぽくなって来て、ますます悲しい。おーー、私は悲しい。4本木を植えたら終わりかい!



話は変わる。何かを決める時に、所得ばかりに注目するのはなぜか。どうして遺産や親からの援助など、合算して判断しないのか? 今政治の世界でも「こども手当」について所得制限を設けるかどうかが問題になっている。所得は捕捉しやすいからか?

有能で高給なサラリーマンが小さな家の住宅ローンと教育費で四苦八苦してたいした生活をしていないその隣に、有能でなく高給でもない人が親に建ててもらった大きな家に住み、そのうえ子供の教育から高級車、海外旅行まで親に援助してもらって優雅に暮らす。そして前者は自治体から「児童養育の手当て」等のカネをもらえないけれど、後者はろくに税金も支払わず優雅に暮らし「手当」までもらったりする。これもカネの受給資格の判断基準を所得にのみ絞っているからだろう。これって公平なのだろうか? 

さらに不思議なのは累進課税というやつだ。所得は、ある人が少なくとも何がしかの労働をし、その対価として得たカネだ。自ら努力したか、より多くのリスクを冒した結果、より多くのカネを儲けた者から、より高い税率で税金を取るシステムが所得の累進課税である。ところが所得税以外の様々な負担では、ほとんど「皆同額」が公平とされる。飲み会の割り勘や自治会費の負担がそれだ。しかしこの「皆同額」でもなく、「皆一定税率(例:消費税)」ですらなく、所得税は累進課税のシステムである。

では累進課税が人々に支持されたとして、話を先に進めよう。多くの人が遺産を受け取る一方、何も受け取るべき遺産を残してもらえないunfortunateな人(例:私だ)がいる。自分の努力で一生懸命稼いだ所得に課税がなされる。しかも累進課税で、という状況があるのに、仮に相続税を払っているとしても棚ぼたともいえる相続の存在がなぜ許されるのか? しかも多くの場合、実体としては無税で相続が行われている。「人は皆平等」と子供の頃教わったが、それは冗談か? もし「平等」なら相続税は常に100%であるべきではないのか?  

これが昔から私にはよくわからない。私の頭が悪いのか? これは単なるひがみか? きっとそうなのだろう。いろいろ政治に文句を言う人はいるが、「相続税100%」を唱える人は今のところ僅少だから・・・と、若干「危険な」思想にまで考えが及んでしまう、我が庭の情景。
コメント (8)
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