今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

天寿を全うされた叔母の葬儀に参列して

2018-01-31 07:51:28 | 日記

ここ一両日は、私の暮らしにはめったにないような、強硬なお出かけでした。

二日目の儀式が終わり、妹と帰途に就いた時は、もうフラフラ。

体力があり、日頃私の疲労感が今一つ理解できないと言っている妹は、チョッと呆れた様子でしたが。

前日の睡眠時間が、三時間少々。

ですから、当然の事でした。

 

その儀式とは、私の叔母の葬儀です。

もう、二十数年前に81歳で亡くなった父のすぐ下の妹。

 

最後に会ったのは、7年前。

その後、妹と毎年のように、

「おばさまはその後、お元気かしら。今年は、必ずお訪ねしようね」

が私達の合言葉のようになっていました。

ところが、我が身にも、夫の闘病生活と介護、夫が亡くなるなど、いろいろ大変なことがあり、心ならずも、ご無沙汰を重ねてしまいました。

それを、心苦しく思っていた時の突然の訃報です。

後悔先に立たず。

訃報が入った時は、お訪ねしなかったことが悔やまれ、とてもショック受けました。

 

ですから、体調は今一つでしたが、如何に無理をしてでも、我が家から一時間半以上かかる、斎場に向かわないわけにはいきません。

お通夜から帰宅したのは夜の十一時過ぎ。

翌朝は、6時過ぎに家を出て、9時から始まる葬儀に遠方まで出かけました。

そして、妹と、最後のお別れをしてきました。

 

 

その席で、喪主の私より三つ年下の従兄弟、Hさんや、唯一まだ生存され、お元気な叔母様の妹、Hさんから、亡くなる前の近況を詳しく知ることができました。

享年98歳でいらっしゃいましたが、介護で身内がご苦労されたのは、一月足らずとのこと。

それまで、ずっと一人暮らしをなっていました。

入退院を繰り返されたものの、最後まで気丈に明るく振る舞われ、、天寿を全うされた叔母様。

 

名の知れた或る知的な主婦サークルに長年所属し、活躍もしておられたので、友人も多く、その方達の励ましや支えもあったようです。

その友人の方々数名がお別れの言葉を述べられました。

その友人の弔辞や、家族のお話によると、最後まで世の中への好奇心を失わず、暮らしやすい良き社会にになる事をひたすら願っておられたとのこと。

亡くなられる前まで、社会問題の話題が大好きで、義憤から、色々語られる事も多かったようです。

妹のHさんが、今の時代で若ければ、おそらく政治家になっていたのでは、と半ば冗談を交えておっしゃっていました。

私の知らなかった叔母さまの人柄の一面を知り、私もお話をもっといろいろ伺えば良かった、と残念にも思いました。

 

最後まで、認知症の気は全くなく、入退院を繰り返された最後の一年間も、明るいご性格には変わりがなかったようですが。

叔母さまの半生は、波乱万丈だったと言っていいのかもしれません。

妹と、葬儀の帰り道、その話題にしばし浸り、叔母様の御苦労も偲び、感慨を新たにしました。。

 

 

喪主を務められたHさんは、東大在学の頃は、安保闘争の真っ最中。

何と彼は、最前線の学生グループの主要な一人として、闘争に明け暮れました。

そのため、しばらく刑務所生活も経験。

その後、研究者になられ、大学でも教鞭をとられ、今は悠々自適のお暮らしですが。

 

とても愛情深い叔母さまの心配は、相当なものだったようです・

さらに、大手建設会社の管理職でいらした叔父様は、まだ50代の頃に、急性白血病で亡くなられました・

その後しばらく経過して、今度はまだ三十代の娘さん、Tちゃんとの悲しい別れが待っていました。

早稲田を卒業され、フリーライターとして、雑誌などにエッセイを載せ、活躍しておられました。

都会人らしいセンスの良いお洒落をした溌剌としたTちゃんの姿が、今も私の目に焼き付いています。

二人で、山口の秋芳洞に旅したこともありました。

 

大変な数々の苦労を乗り越えながらも、最後まで明るく気丈に振る舞われ、天寿を全うされた叔母さま。

そのためか、葬儀は、惜別の儀式ながら、、どこか明るさが漂う、とてもいい雰囲気でした。

 

私は、この度の叔母様の御逝去と葬儀で、しみじみとした思いになったことが二つあります。

一つは、葬儀は永遠のお別れのの悲しい儀式であるとともに、亡くなった人の人生を讃歌する儀式でもある、ということ。

 

もちろん、若い頃、突然襲った家族の死をその様に受け止めることはなかなかできないでしょうが。

長寿を全うされた場合は、そのように言っていいのではないでしょうか。

 

もう一つ思ったことは、理想の死に方とは、最後まで認知症にはかからないで、老衰で自然死を迎えること。

できれば一人暮らしを全うして。

叔母さまは、亡くなる数日前まで、意識はしっかりして、お元気だった様ですが・・・・・・。

老衰による臓器の機能不全は著しく、医師から数日の命と言われ、その通りになられました。

ほとんど苦しまずに、眠るように亡くなられたようです。

 

私は、今年の年賀状に、

おばさまの暮らしが私の目標です。

いつまでもお元気で、わたしの励みになってください、

といったようなことを書きましたが、亡くなられた今も、その気持ちに変わりありません。

 

T叔母様のように、好奇心を元気の素にして、一人暮らしを続け、家族に迷惑をかけないで、私も天寿を全うしたいものです。

 

 

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パソコンのトラブルに見舞われて~記事は雑感綴りに変更

2017-12-17 06:12:54 | 日記

今日も更新予定でしたが・・・・・・。

昨日はパソコントラブルに見舞われ、午前中も午後もその修理の対応に追われてしまいました。

無線の電波がオフ状態で、全く画面が見られなくなりました。

そのため、記事の更新も、その記事に見合った写真の撮影も全くできていません。

 

年末の大掃除も予定していたのに、全く手が付けられなくて。

パソコンが正常な状態に戻った時は、もうぐったり。

3~4時間を要しましたから。

 

NTTのリモートセンターの方の指示で、有線用のケーブル(この言葉の使い方、自信がありません。間違っていたらごめんなさい)をつなぐと見られるれるようにはなりましたが。

けれど、すべての過去のトラブルは解決してくださったNTTの方の対応でも、修理が今回はできなくて、販売元の富士通の相談窓口に電話をかけました。

その方も、結構苦労されている様子でしたが、やっと正常な状態に回復し、いつものように、無線ランで見られるようになりました。

 

原因をお尋ねしたところ、よく分らないないけれど、再起動の更新をすると、時々トラブルが発生すると言われました。

そういえば、一昨日の夜でしたか、パソコンを閉じようとしたところ、更新の再起動の指示があり、その通りにして、パソコンを閉じました。

妹がいつか、再起動の指示があっても、私は、ほとんど更新はしないと言っていたようにも。

トラブルが起きやすいから、との理由でした。

 

私も今後は、再起動はしないでおこうかしら、と今思っています。

パソコントラブルは、時間を取られ、精神的にもぐったりさせられますものね。

 

 クリスマスの飾り付けも、少し前からぼつぼつ始めています。
画像のツリーはまだ未完成です。
すべてアメリカ在住の頃、使用したものばかりです。
画像が暗すぎますね。明日、撮り直します。 

 

今日は、昨日の台無しになってしまった年末の大掃除の計画分を取り戻すために、ひたすら働こうと思っています。

庭のテラスとポーチの階段のタイルは、大半を磨き終えました。

床のワックスかけも、一階ははほぼ終了です。

ワックスがけと言っても、私がする事は本格的なものではありません。

濡れ雑巾で拭き、から拭きし、ワックスの付いた、ダスキンのウェットモップで拭くだけです。

 

今日は一日、パソコンは閉じたままで、年末大掃除に集中することにしますね。

体調は、必ずしも良くないので、ぐったりしてしまわないように、体力の分散を心がけようと思っています。

私が名付けている「魔の時間」(ぐったりして、何もできなくなる事)が訪れないことを祈りながら、頑張ります。

 

早く年末の大掃除を終えて、安心した落ち着いた気持ちになりたくて。

その喜びが味わえるように、今日は精一杯、大掃除に励みます。

皆さまも、お忙しい日々でいらっしゃることでしょう。

良きお正月が迎えられるように、お互いに頑張りましょうね。

 

今日の記事は一気に綴り、推敲をほとんどしていませんが、このまま投稿します。

お読み苦しい点は、お許しください。

 

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娘達が中国のハルピンへ

2017-09-18 07:20:12 | 日記

連休の期間、娘達は、中国へ旅行に出かけています。

夫が幼児の頃過ごした、当時満州国の一都市だったハルピンへ、と。

アメリカ在住の義姉と甥が一緒です。

 

義父は、第二次大戦前、満州に移り、彼の地で病院を経営していました。

引揚げで大変な苦労をしたであろうことは、想像に難くありません。

けれど、ハルピンの暮らしは、とても恵まれて優雅なものだったようです。

ですから、姉上にとっては、懐かしい地でもあられるのでしょう。

亡き弟の娘達と自分の息子が同行しての、この度の思い出の地を巡る旅行。

姉上にとって、この上なく、幸せなことであったに違いありません。

Yさんも、天国でさぞ喜んでいたことでしょう。

 

私は行きたくても、今の足ではどうすることもできません。

たとえ、健康体でも、遠慮したと思いますが。。

四人の微笑ましい三泊四日の旅の様子が目に映り、それだけで胸がいっぱいになってきます。

今はお土産話を楽しみにしているところです。

 

 

次女は、今のシーズン、イベントも多く、広報の仕事は多忙を極める時。

受験生も抱えているため、この提案があった時は、ためらいも大きかったようです。

でも出かける数日前に会った時には、とても楽しみにしている、と話していました。

 

商社に勤務していたころ、中国の大連に出張したことがあるようです。

その時、祖父のハルピン暮らしの話をすると、駐在員の方が、その当時日本人が住んでいた住宅街に案内してくださったとのこと。

とても閑静な住宅地で、私の実家のような洋館が付いた日本家屋が建ち並んでいたそうです。

実家に似た家と言われた途端、私の目には、その光景がはっきりと浮かんできました。

 

ハルピンの街
yahooの画像を拝借しました。 

 

義父は、ハルピンから引き揚げ時の苦労を語ることはありませんでした。

私の両親が被爆した当時の話をほとんどしなかったように、

三歳と七歳になる幼子たちのの手を引き、中国大陸を横断し、日本にたどり着いた時の辛酸は想像を絶するものだったはずです。

その後、廃墟となった広島に戻り、開業した父。

郷里の医師会の会長にもなり、大変活躍した人でした。

 

恐らく娘達は、お姉さまから、私が知らない、当時の夫の家族の思い出話を色々聞かせてもらっていることでしょう。

掛け替えのない、良き時間を過ごしてしているに違いありません。

想像するだけで、心温まる思いがしてきます。

 

実を言うと、義姉は、私はちょっと苦手な人。

聡明で、とても美しい方。

夫の葬儀の日に妹の娘のKちゃんが、「きれい!」と言って、その美しさに感嘆したほどです。

婚されて間もなく、米国の研究所の仕事に就かれたご主人さまと共に、シカゴに居を構え、今はハワイで老後を悠々自適にお暮らしです。

 

何故私が苦手かと申しますと、若い頃、善意で一生懸命やったことが誤解され、一悶着ありました。

実は、私たち家族は帰省すると、私の実家に泊まるのが常でした。。

夫のYさんもそうでした。

Yさんは、私の実家は余程居心地が良かったのでしょうか。

或る日、「養子になってもいい」と冗談で言ったようです。

それを、半ば真に受け留められた事が発端。

そのあたりから、義姉さまの雲行きが怪しくなっていきました。

夫は、本当に冗談で言っただけだったのですけれどね。

 

義父の病院は街の中心地にあり、この教会が近かったようです。

 

帰省時の滞在場所が、いつも私の実家だったのには、訳がありました。

夫が大学入学前に亡くなった義母様に代わって一緒に暮らし、薬剤師として、家事と医療事務を一手に引き受けていた叔母様(義父の妹)の要望だったからです。

開業医として、日々多忙を極めた家で、孫と私に気を遣うお暮らしは無理だったのでしょう。

 

叔母の気持ちや義父の叔母への心配りは、とても理解できることでした。

正直のところ、私も母も、帰省時の実家の滞在を手放しで喜んでいました。

けれど姉上は、少々不満だったのかもしれません。

 

夫が養子になってもいい、と冗談で話した事と、私が善意で一生懸命姉のためにつくした或る事が、大誤解され、大変な怒りを買うことに。

相続の争いなどは皆無でしたのに、父と叔母がなくなってからは、ほとんどお付き合いがありませんでした。

それ以降は、お互いに嫌な思いはしていませんが。

義姉は、私に会うのを避け続けられました。

遠すぎるといった物理的要因もありましたけれど。

 

この度の微笑ましい旅行で、数十年のお姉さまとのブランクを、娘達が一気に埋めてくれたようような気がしています 

お姉さまの、弟の子供たちを見つめる、優しさに満ちた眼差しが想像され、私も幸せな気持ちで満たされています。

 

オードリー・ヘプバーンに似ているとまで、若い頃、言われたことがある義姉さま。

この度の良き思い出を胸に、いつまでも美しくお健やかで。

ますます充実したお幸せな余生をお暮らしになられますよう、祈って止みません。

 

       

 

台風の通過地点にお住いの方々は、御無事でいらっしゃいましたでしょうか。

被害がないことを祈るばかりです。

当地も昨夜は激しい風が荒れ狂っていましたが、朝が明けた今は、日差しも差し始めています。

これから、台風を迎える方々は、くれぐれもご注意くださいませ。

 

墓参の帰広などが控えていますので、しばらくブログの更新はお休みさせていただきます。

 

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小林麻央さまの死を悼んで

2017-06-24 06:38:12 | 日記

市川海老蔵さんの奥様の小林麻央さんが亡くなられましたね。

とてもショックでした。

この方のブログを長女が読んでいると知ってから、私も読むようになりました。

すべてに目を通したわけではありません。

読み始めたのは、二か月前あたりからでしょうか。

読むたびに、彼女の優しさ、チャーミングさに触れ、いつも心打たれ感心していました。

 

 ブログを開けると、マーガレットの花がまず目に入ります。
彼女がお好きな花だったのでしょう。
私も大好きです。

 

海老蔵さんが、私が彼女に抱いてきた印象と全く同様のことをおっしゃっていました。

「厳しい状況下でも、常に周りへのやさしさや感謝の気持ちをわすれない人だった」といったような事を

彼女が綴られるブログの日々の文面も、いつもそんな雰囲気で、闘病生活の辛さや暗さはあまり感じられませんでした。

癌と闘う夫の姿を見てきた私には、この病の苦しさを十分承知しているつもりです。

ですから、麻央さんの陰の苦労を思わないではいられませんでしたが。

家族や周りの人たちに対しても、気配りを忘れない優しいしい態度で、いつも接しておられたのですね。

 

彼女から、病と闘う勇気をいただいたような気持ちが、今しています。

どんなに辛い時でも、、最後まで自分を見失わないで、優しい気持ちでいることは可能であることを。

 

彼女の心のゆとりは、周りの家族の温かな支えによる所も大きかったことでしょう。

ブログの支えもあったことでしょう。

 

最後のオレンジジュースの記事は更新されて割と早く私は読みました。

自然体の、とてもチャーミングな素敵な文章で,死が迫っている方が綴られたようには全く見えません。

それだけに、私は麻央さんの奇跡的回復を信じて止まなかったのですが、

その後、数日更新がありませんでしたから心配していたところ、この度の訃報に接しました。

幼いお子様たちを残しての天国への旅立ち。

どんなにか無念でいらしたことでしょう。

本当に残念です。

 

 

海老蔵さんの会見も、溢れる思いを率直且つ冷静に言葉を選んで語られていて、とても立派なものでしたね。

小さなお子様を抱えての今後のご苦労を思わずにはいられませんが、麻央さんが天国から見守っていてくださいます。

 

私も、いつも夫に見守られているとの気持ちを忘れずに暮らしています。

動物園でベンチに腰掛け、空を仰ぐようにして、孫におじいちゃまの事を話しました。

「天国からきっと見守ってくれているよ」と。

それからすぐの事、

緑滴る林の道を歩いていると、黄色のモンシロチョウが、私たち二人の傍でひらひらと舞い続けました。

後にも先にも、その時だけでした。

私は、かれんちゃんに言いました。

「きっとこれはおじいちゃまだよ」と。

 

どんな悲しみも寂しさも、人は必ず乗り越え、前に進んでいくものですね。

海老蔵さんも、きっとこの辛さを乗り越え、歌舞伎役者として益々ご活躍なさることでしょう。

お子様たちを立派に育て上げられますことでしょう。

天国から清らかな優しい眼差しと笑顔で見守る麻央さんのお姿が、目に浮かんでくるようです。

 

ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

 
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三年ぶりの同窓会に参加して

2017-06-14 08:11:40 | 日記

入梅したものの、その後まだ一度も雨をみない当地です。

(昨日の早朝、お湿り程度の雨がありました)

空梅雨になると、それはそれで心配なことですから、梅雨らしい適度の雨量は望む私ですが。

いつも六月の中旬に決まって毎年開かれる同窓会の日ばかりは、雨が降らないでほしい、と私は強く願います。

なぜって、私の髪の毛は雨にとても弱くて、セットがまったくもたないからです。

湿気のせいで、まるで鳥の巣のようになってしまうのです。

くせ毛だからでしょうか。

美容院の方には、年齢の割には髪が多く、質も良い、と褒められるのでけれどね。

 

その同窓会が、一昨日ありました。

心配したお天気は、風一つなく、爽やかな好天。

ホッとしました。

いつになく、念入りに身支度を整え出かけた私です

白の七分袖の上着に黒のスカート、黒が基調の太めのネックレスにやはり黒が基調のエルメスのイヤリング。

そんな出で立ちでした・

いくら年を重ねても、モノトーンの服装が好きな私。

恥ずかしいですが、すべて十数年前に購入したものばかりです。

そういえばネックレスだけは、昨年買いました。

高価なものではありません。

 

残念なことに、カメラを持っていくつもりで、準備しておきながら、私は家に置き忘れてしまいました。

そのため、、今日の記事には、その写真を載せることができません。

仕方なく、過去の同窓会の記事の画像を数枚コピペして、こちらに貼り付けます。

 

 今回は、場所も参加メンバーも、この画像とほとんど変わりありませんでした。

 

この度の会のお知らせの時に、同窓生の訃報がありました。

違うクラスの方でしたから、お名前だけではお顔が浮かばなくて、実感が湧きせんでしたが。

同窓会の席で、私が皆さんにお配りした写真で、どの方か教えてもらい、驚きショックを受けました。

前回、出席したとき、私の斜め前に腰かけておられた方だったからです。

 

NHKの技術部で今なおか活躍しておられる、と聞いていました。

とても寡黙な方で、周りがお酒の酔いで、談笑に乗りが乗っているときも、聞き役で静かな佇まいを崩されませんでした。

そのためか、私の心に、その同窓生の印象が深く刻まれていたのです。

もっといろいろお話ししてみたかったと、何だかとても残念で、寂しい気持ちになりました。

 

私達の年齢になると、思いがけないご逝去の知らせはむろん、病気その他の理由で、出席人数が一人欠け、二人欠けと、次第に減っていくのは致し方ない事なのでしょうね。

私も、夫の介護で家を空けられず、しばらく出席できませんでした。

毎年、メールのお知らせのみならず。個人的なお電話で、お誘いも受けるのですが、欠席はやむを得ない事でした。

私にとっては,三年ぶりの再会でしたが、出席された皆さんはお変わりなくお元気そうでした。

同窓会と言っても郷里の事ではありません。

場所は、同窓生幹事の友人が経営する新宿の地下街の中華料理店。

総人数、15~6名だったでしょうか。

女性はたったの3名。

 

出かけるときは、決してルンルン気分と言うわけではないのですが、参加すると、いつも来てよかった、と心から思えるのですよね。

同窓生と言えども、五クラスありましたから、中高時代は、言葉を交わしたことさえない人が、ほとんど。

でもその若い時代を同じ学び舎で共有した人たちに会えた時の懐かしさと感慨。

それは、言葉ではうまく言い表せないのですが、特別なものがあります。

 

私は多少耳が遠いせいか、賑やかな席では相手の話し声がよく聞き取れなくて、情けない思いをするのですが。

自分の席を離れ、途中から私の向かい側に腰かけられた同窓生の~君。

今なお、設計士として活躍中。

去年の六月は彼が設計した伊豆のホテルで同窓会が開かれ、宿泊料はただ同然だったとの事。

みんなが、とても感謝していました。

私が安藤忠雄氏の話題を持ち出すと、色々この方のエピソードを聞かせてくれました。

個人的にも話ができる間柄のようです。

私は自分は右脳人間の典型だと思っているので、クリエイティブな業界の話題なら興味津々。

三十分くらい、二人で話し込んでしまいました。

 

でも悲しいかな、彼の話し声さえ、聞き取れたのは半分くらい。

周りの騒々しさにかき消されてしまいます。

いよいよ補聴器が必要かしら?

 

数時間の楽しい同窓会も、たちまち時間が経過し、お開きの時間に。

記念写真を、友人が撮ってくれました

来年も元気で会いましょうと言葉を交わし、数名の方とは握手までかわしました、

元気での言葉には特別、力が入り心がこもります。

 

 

 高校時代の一番の親友だった彼女も数年前、突然亡くなりました。
今も寂しさが、まだ癒えないままです。

 

そのあと、Oさんのお誘いで、二人で新宿駅の構内の階上のカフェで、一時間以上お喋りに再度花を咲かせました。

その時の彼女の最後の感想は、やっぱり女同士のおしゃべりが一番楽しいわね、と。

確かに、話題に共通点が多く、彼女が言う通りかもしれません。

 

彼女から 身にに余るお褒めの言葉もいただきました。

素直に嬉しく、心の励みになりました。。

 「貴女はどんなに大変な時でも、ニコニコしていて穏やかな雰囲気を変えないで、感心だわ、と。

愚痴を聞いたことがないし。

数年前にあった時も、大変な苦労をしているようには全然見えなかったもの」

「今も、肌が輝いていて、しわもなくて、元気そう」と。

 

過剰な褒め言葉で、恥ずかしい限りでしたが、私はそれに対して次のように言いました。

「私は、とても疲れやすくて、体力がないのよ。

明るい気持ちで日々を過ごさないと、すぐぐったりしてしまって。

辛くなるだけなの。

だから、どんなに大変な時でも、一刻一刻の充実を心掛けようという気持ちだけは、忘れないようにしているの。

愚痴を言うと、苦労が倍増するだけでしょ。

素敵に過ごそう、といった気持ちさえ失わなければ、どんな苦労も乗り越えられると思うの、と。

目先に小さな目標を設定して、一つ一つそれをこなしながら、自分を元気づけて暮らしているの」

 

Oさんは、心から頷いて、耳を傾けてくれましたが・・・・・・。

彼女の方こそ、三人の男の子をりっぱに育て上げられ、お嫁さんたちへの優しい気配りも忘れないひと。

感心することばかりでした。

おおらかで、ゆったりした人柄に一見見えますが、社交も実に見事。

私が足元にも及ばない、明るさと話術の巧みさがあります。

 

中高時代はクラスも違い、ほとんど話も交わしたことがない人でしたが、今はとても意気投合できる良き友人です。

「女性の参加はなぜか少ないけれど、~さんは今後も必ず出席してね」と強く言われました。

「元気なうちは、また会いましょう」と答えて、別れた私達です。

 

 ハレル監督の通訳さんは、向かって左端の同窓生の次男さんです。

 

翌日はさすがに疲れが残り、午後から二時間も、お昼寝。

夜はサッカーの応援。

ハレル監督の通訳の人は、実は私のとても親しい同窓生の息子さんです。

フランスに留学し、フランス語が堪能なようです。

年賀状に、彼の自宅にいるハレル監督ご夫婦が映っていました。

勝つ事は残念ながらできませんでしたが、いよいよ王手ですね。

オースラリア戦の勝利を信じています

最後は余談でしたが、同窓の友に関連したことでしたので、一言語らせていただきました。

 

 


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更新は、ますます不規則になると思いますが、宜しくお願い致します

シニアーブログにも、10パーセントのみですが、また参加させていただくことに致しました

 

  

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今更ですが一世一代のお花見の話

2017-06-04 07:04:43 | 日記

旅行の形態では、一人旅に一番憧れている私ですが、何事も経験と思い、久しぶりにツアーの小旅行を愉しむことに。

のんびりゆったりの観光で、優雅なホテルライフも楽しみたい。

飛び切り美味しい実のあるお料理を頂きたい。

 

そんな私の願いを叶えてくれそう企画を立ててくれる旅行社が一つだけあることに、私は去年の夏ごろに気が付きました。

けれど、とても割高。

恐らく一流のホテルに泊まり、一流のお料理がいただけるからでしょうか。

他にもう一つ、利用するバスの、ラグジュアリー性によるのでしょう。

旅行先のバスターミナルでは、この旅行社のバスが、一段と輝いて豪華に見えます。

旅行慣れした妹が、去年一緒に日帰りツアーを愉しんだ時、このバスの乗り心地を絶賛していました。

 

妹は、とても割高だし、観光のペースがゆったりしすぎてて物足りないとのこと。

もうすこし年を取って体力が落ちたら利用したいとのことでした。

けれど、二歳年上で体力がない私には、実に適した企画で、私の旅の目的にも叶っているように感じています。

 

姿勢が悪い!写真を見て反省(笑)

 

その会社のツアーを利用して、今回は二度目のお出かけでした。

日帰りではなく、一泊旅行。

旅の名称は、<桜名所100選小諸城址「懐古園」の桜 「妙義山の桜の里」と老舗の万平ホテル>

 

私は、長い人生、お花見というものをあまり経験してきませんでした。

今も忘れない、次女夫婦の車の中での夫との会話が思い出されます。

長女宅で過ごした帰りのこと。

桜の満開が目前でした。

「ねえ~あなた。家族みんなでどこかにお花見に行かない?」

と私が言いました。

すると夫が素っ気なく言い返したのです。

「お花見は、桜の木の下でお酒を飲んで騒ぐことだよ」

表現はかなり違ったようにも思いますが、幾分小ばかにしたような雰囲気のいい方でした。

次女夫婦たちも、それに同調しているかのように感じられ、私はそれ以上話すことが出来ず、お花見の話はそれで終わり。

何だかなあ~、と幾分私は納得いかない心持でした。

 

 

確かに日本のお花見には、その傾向が無きにしも非ずですが、一概にそうとも言えないですよね。

昨年と一昨年、ご近所の方達と三人で出かけたお花見は、もっと落ち着いたしっとりしたものでしたもの。

目黒川沿いの桜を心行くまで愛でて、河岸の傍に立つ素敵なレストランでお食事をしました。

身も心も桜色に染まったかのようで、とても優雅なひと時を過ごすことができました。

でも過去を振り返ると、私は経験したお花見らしきことは、おそらくその時を入れて、数回位しかありません。

私の実家にも、お花見に出かけるといった慣習はありませんでしたから。

 

ところが、数年前あたりから、正確にいうと70代の年齢に突入した頃からでしょうか。

桜の花に、特別な感慨を抱くようになってきました。

あと何年、この桜を、元気な姿で愛でることが、私はできるかしら、と。

毎年、日本を代表する桜花を心に刻み付けて暮らすことの意義を、思わないでいられなくなってきたのです。

 

 

 そんな思いに駆られてのこの度の旅行だったかもしれません。

心ゆくまで一度お花見を経験したい、と。

その思いは期待以上に満たされた、意義深い素敵な旅を経験することができました。

劇的な天候の変化もあり、ドラマティクな旅の体験でもありました。

 

明日からの記事は、一月以上前の思い出をつづったものです。

記憶も次第にあいまいになってしまって、書き辛いものがありましたが、何とか言葉を紡ぐことができました。

大まかなことしか書けませんが、せめて嘘だけは書かないように努めたつもりです。

間違っていたら、ごめんなさい。

 

 

ブログの更新の仕方がこのままで良いのか、今とても悩んでいます。

文章力に自信のない私は、書く時期が遅れると、ますます書き辛くなってしまいます。

やはり思い出が新鮮で、感動が覚めないうちに書く方が、多少は生き生きとした文になるのかもしれません。

旅行以外にも、孫のイベントなどがいくつか特記すべきことあったのですが、記憶が次第に遠のいてしまって。

書く意欲が薄れていきます。

 

間をかなり開けてでも、完成した記事から一つ一つ投稿しようかしらと、考え中です。

毎日連続投稿される方の努力と気力には、本当に頭が下がります。

私もそれが願うところなのですが、体力面でも気力の面でもそれはもう無理のようです。

最近は、今の更新の仕方が、気分的に一番楽でよいと思ってきたのですが・・・・・・。

思い出と書くタイミングの大きなずれが気になり始めました。

今頃お花見の話なんて、読む方も興ざめではないでしょうか。

最後は余談でした。

聞き流してくださいね。

 

載せた画像は、旅行中に撮ったものです

明日からは、4月の中頃に参加したお花見ツアーの思い出を詳述します。

 

 


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観光タクシーの利用は全くの期待外れ 

2017-05-04 07:16:24 | 日記

失敗で後悔だらけの観光タクシーによる、金閣寺と竜安寺の観光。

でも一人旅で、一度は試してみたいことでしたから、失敗だったものの、今後その選択で迷わずに済む私です。

良い経験だったと思うことにしましょう。

 

とにかく観光し終わった時、とても疲れ、満足度は実に低くて、無駄に時間を過ごしてしまったな~、との思いだけが心を占めていました。

私って、お世話になる方には、たとえ見知らぬ人でも、必要以上に気を遣うところがあるのですよね。

娘達はそんな私の振る舞いに、時々呆れていますが。

タクシーの運転手さんにもそうでした。

 

高い代金を支払っての観光なのだから、自分のペースに従ってもらうくらいの気持ちで行動すればいいのに。

実際はその逆。

運転手さんに気を遣いすぎて、マイペースでゆっくり観光どころではなくなってしまった私です。

 

写真も落ち着いて撮れなくて、ブログにアップしたくなるような画像がほとんどありません。
カメラ機能の知識も浅く、撮影の腕も未熟そのものな私です。
撮影に集中できないと、ますますダメに。
天候と光線次第のところがあり、この日の撮影は、二条城の時から芳しくありません。

 

竜安寺の有名な石庭は、室町末期に優れた禅僧が作庭。

15個の石を配し、極端に象徴化した庭として知られています。

その庭を、菜種油を混ぜた土で作られた独特の風合いのある塀が囲んでいます。

 

方丈のお縁側に座って、せめて一時間くらいはその石庭を眺め、自分流の解釈で瞑想に耽りたかったのに。

居たのは、たったの二十分程度。

タクシーの運転手さんのペースに気を配ることに、神経を遣いすぎてしまって。

ガイドブックや竜安寺のパンフレットを読む暇さえもありませんでした。

それに、運転手さんはなんだかとてもお忙しそう。

しょっちゅう携帯が鳴り、ひそひそ話し。

私の観光案内に集中してくださっていない態度も気になりました。

 

 

お庭を見ながら、簡単な説明を運転手さんから受けただけの私です。

その言葉で、一番印象に残ったのは、アップルの元社長、スティーブ・ジョブズ、もう亡くなられましたが、彼がが大変心酔された石庭だったというお話。

そのためか、アップルの通信機器の壁紙に、この庭の画像が常に入っていたようです。

 

 

寺院の周りの庭園も、清々しい雰囲気で情趣にあふれ、一目で気に入りました。

いつか一人で再度訪ね、数時間このお寺で過ごしたいものです。

 

方丈の北東に据えてある銭型のつくばい。
禅の格言「吾唯足知」が謎解きに図案化されています。
水戸光圀の寄進と言われているそうです。

 

金閣寺も、竜安寺と同様に駆け足観光と化し、私は心残りがいっぱいでした。

金閣寺の中に入り、鹿苑寺ともいわれる有名な三層建築を目の当たりにした時のこと。

その姿のあまりの神々しさに、私は思わずうっとり・・・・・・。

実は私の金閣寺のイメージは、金箔を貼り付け、権力を誇示した、どこか俗っぽい雰囲気がする建物。

その先入観が拭い切れていませんでした。

 

ところが庭園に入った瞬間、そこに立ち込める気の清々しさに圧倒されるものがありました。

私が想像した物とはかなり異なる趣きだったのです。

金閣寺の佇まいは実に優美で清らか。

金箔もキラキラしたものではなく、日を浴びて柔らかな光沢を放ち

庭や小高い山や林と一体となって、この世とは思えないような美しい光景でした。

 

 

もっと長い間、そこにとどまり、いろんな地点からじっくり眺めてみたかったのに。

 運転手さんの説明を何か所かで聞き、それで観光が終わり。

数十分のことでなかったでしょうか。

案内板や、パンフレット,ガイドブックの説明を頼りに、時間に追われることなく贅沢な時の使い方をして、心ゆくまで観光する。

私は、このスタイルが自分には一番合っていると、しみじみ痛感しました。

タクシーに乗車する前の二条城の観光は、その希望に添えていましたのに、

今回で懲りたので、今後二度と観光タクシーはしないでしょう。

 

 

 

けれど、ガイドブックには載っていないような興味深い話が聞けたことも確か。

それが観光タクシーを利用したことによる、唯一の収穫だったかもしれません。

 

このお話は、長くなるので明日に回すことに致します。

 


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続 次女のセンター試験における大失敗の想い出

2017-01-26 06:51:08 | 日記

今日は、昨日の続編です。

センター試験が終わり帰宅するまでの時間、私は針の筵に座っているような、つらい心境だったと思います。

姉の数倍時間をかけて、ひたすらT大を目指し、頑張ってきたMちゃんでした。

ケアレスミスといった思いがけないハプニングに見舞われてしまって・・・・・・。

それも、小さなミスではありません。

自らの落ち度ゆえ、その惨めさと情けなさは、相当なものだったことでしょう。

 

難問で、解き方がわからなくて、失点するのとはわけが違いますもの。

例えば、後半の問題辺りで、回答枠を間違えたのであれば、その後の問題が、最悪の場合、全滅と言ってもいいような事でした。

悪い想像はいくらでもできましたが、私はできるだけ元気な明るい態度で、Mちゃんを迎えようと思いました。

 

Mちゃんが帰宅後、合否の通知が来るまでの数週間、私はかってない程の優しい母親になり切りました。

その限りない優しさを、私は、無事T大合格後、思い出しては笑い、よく語り草にしたものです。

 

寒い時期でしたから、美味しい豪華な鍋物をご馳走し、励ましたこともあったでしょう。
この画像は、最近の一人ごはんの献立です。

 

帰宅した時のMちゃんの態度は、どうだったでしょう。

戻るなり、自分の部屋に駆け上がり、半狂乱のようになって、慟哭しづづけました。

私は慰める言葉も見つけられず、背中をさすったり、抱きしめたりして、心を少しでも鎮めててもらうと、必死で努力しました。

その後、当分暗かったと思いますが、少しずつ元気を取り戻していったMちゃんです。

 

1教科のテストの問題が半分全滅だったとしても、他の教科の成績がずば抜けて良ければ、目標の大学を受ける資格は取得できるのではないでしょうか。

Mちゃんには、それだけの実力は備わっていました。

けれど、その時は最悪の事態を覚悟するしかなかった私達です。

 

Mちゃん宅の次女かれんちゃんの子供部屋です。

 

そのため、勉強法をガラッと変えました。

当時、T大の受験問題は良問で知られていました。

私は中学受験はかなり協力した覚えはありますが、大学受験は、勉強の内容にはノータッチ。

本人任せであまり関心を示しませんでした。

T大の受験問題が、思考力を問う記述式傾向があるのに対し、受験予定だった私大、K大やW大の試験問題は、重箱の隅をつつくような記憶力を問う問題が多い。

その程度の事は、理解していたと思います。

けれど、センター試験までは、T大向きの勉強しかしていなかったMちゃんです。

そのため、センター試験後は、私大の過去問のみに集中しました。

半ばT大は諦めたような雰囲気でしたから、合否の判定が来るまでの勉強はさぞかし、Mちゃんは辛かったことでしょう。

 

そして数週間後に届いた合否の判定は?

思いがけず、合格!!!

センター試験の合否の基準や、その大学受験との関連性など、その当時も今も全く無知な私です。

知識が乏しすぎて、合格と言う表現が、適切かどうかもわかりません。

とにかく、T大を受験する資格は、無事取得できたMちゃんでした。

どんなに嬉しかったことでしょう。

親子して涙を浮かべ、抱き合って喜んだのかもしれませんが・・・・・・。

センター試験直後のショックな出来事の思い出があまりに鮮烈なため、この時の事は、何も覚えていない私です。

 

丁寧な暮らしのカテゴリーでは、インテリア関連の記事や画像が多いようです。
それで、また次女宅の写真を。
同世代のブロガーさんが多いようですから。

 

我が子たちは、見た目の雰囲気は、とてもよく似ていて、私に通じるところがありますが。

次女の不注意による失敗は、彼女独特の個性、とその頃は言えるほどでした。

いえいえ、私にもよく似たところがあります。(笑)

他にも、そのような失敗がいろいろあり、私は多分に苦労させらたものです。

一方長女には、そのような失敗談は、全くと言っていいほどありません。

 

忘れ物が多くて、登校前、駅まで行き手渡したり・・・・・・。

ある時は、国際空港行きのバスの発着乗り場まで地下鉄を乗り継いで、忘れ物を届けたこともあります。

何と海外出張に出かけるMちゃんを送り出し、しばらく経過後のこと。

化粧ポーチ一式を忘れていることに気が付いた私です。

私はびっくり仰天!

 

引き返してもらうには、時間が足りなかったのでしょう。

慌てて着替えをし、長い時間電車に揺られ、成田空港行きのバスターミナルのある駅まで、地下鉄を乗り継いで届けたものでした。

 

他にもありますよ。

確か世界史の期末テストだったと思います。

時間を間違え、教室に着くと既に終わっていたなんてことも。

 

 

失敗ではありませんが、中学受験当日の朝、39度以上の熱が出たりと・・・・・・。

その日、面接もある日でしたのに、革靴でなく、履き古した運動靴を履いているのに、電車の中で気が付いたり、と。

この時は親子して、思わず笑ってしまい、朝のドタバタの緊張感が解けて、かえって良かったのですが。

センター試験以外でも、いろいろ心配をかけてくれたMちゃんです。

 

けれど、努力家のMちゃんの事。

今では、四か国語が、流暢に喋れるキャリアウーマンとして活躍中。

もうすぐトンボ返りの海外出張も控えています。

幸せな家庭も築いています。

もしかすると、Mちゃんのおっちょこちょいミスは相変わらずで、私に代わって今は、旦那様がフォローしてくれているのかもしれません。(笑)

 


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美容院代と化粧品代が悩ましい私だけれど~素敵な次女宅の子供部屋

2017-01-09 06:38:33 | 日記

年賀状は15日までやりとりして良いそうですが、一昨日の七日までが松の内。

お正月気分からもお別れでしたね~。

昨日は、年末行きそびれてしまった美容院に出かけ、そのあと次女宅に寄り、夕食をご馳走になりました。

その前に、隣のスーパーで、年明け初のお買い物。

 

実は、とても恥ずかしい事かもしれないけれど、昨日までの食事は、お節の残り物でつないできた私です。

夫がいたなら、さすがにこのような怠惰なことはできなかったでしょうが、私はお節が本当に好き。

一週間続いても、一向に苦になりません。

捨てるのはもったいないから、大皿にオードブルの様にきれいに盛って、頂いていました。

経済的にも、大助かりでした。

けれど、そのお節もついに尽きて、冷蔵庫がすっからかんになってきた我が家。

 

一昨日の初買い物は、八千円少々の出費。

ほぼ一週間分の買いだめをする私には、特別高い支払いではないけれど、美容院代には、とても頭を最近悩ましています。

化粧品代も・・・・・・。

遺族年金の収入で占める割合が高過ぎると。

 

昨日美容院に支払った額が、29500円。

今回、髪を傷めないチタンのくしを4500円で買いました。

それ以外にヘアケア用品も数点買いましたが、これは必需品などで、美容院代としては、どうしても欠かせません。

ですからくし台を差し引くと、毎回、25000円くらいになります。

 

二か月半位の周期で通っています。

自慢できるほど美しい髪ではないけれど、年齢のわりには、髪は多くて、質も悪くないようです。

これも、今お世話になっている美容院のお蔭と思うと、今更安いお店に変わるのも何だか躊躇されて・・・・・・。

髪は女性の命と言われるほどですから、負担は重いけれど、止むを得ないかな~、と思っています。

 

今から、シャネルの化粧品を撮り、その画像を載せるつもりだったのですが、面倒くさくなってしまって・・・
次女の部屋の写真に変わりました。

 

もう一つ、頭が痛いのが、化粧品。

若い頃は、資生堂一辺倒だったけれど、50代の初め頃からかしら。

エスティローダーの化粧品になりました。

それが一年半前から、シャネルに変わった私です。

価格的には、ほとんど変わりありませんが、やはりとても高価。

夫の経済力に甘んじているときは、全く抵抗はなかったのですけれど、遺族年金の収入額では、とても高く感じてしまって。

 

実は数万する栄養クリームが、もう残りわずか。

一月に美容院代と高価な栄養クリームの出費が重なっては大変、大変!

このクリームを二月になるまで持たせようと、指に載せる量の何と少ない事。(笑)

そういえば、資生堂で貰った、十万円(驚きの価格!)の栄養クリームの試供品が三日分あります。

他にも似たような試供品がなかったかしら。

今使用のクリームが、二月まで持たなかったら、これでつなぐつもりでいます。

 

もっと安い化粧品に変えても問題はないと思うのだけれど、72歳にしては、しわがほとんどない私。

これも化粧品のお蔭かもしれないと思うと、変える勇気が湧きません。

 

こんな事に悩むなんて、境遇の激変を改めて思い、チョッと悲しく辛い気持ちになりますが・・・・・・。

悩んでも、どうしようもない事。

他でやりくりして、譲れないものは、たとえ自己満足に過ぎなくても、やり続けようと思います。

私の精神衛生上にも必要なことに思えますから。

 

 

心に元気を与えてくれるもっと大きなことと言えば、ひと月に数回共にする次女宅での夕食です。

昨日もいろいろご馳走になり、可愛い孫たちの笑顔に触れて幸せでした。

娘宅の新しい変化と言えば、今春、就学するかれんちゃんのベッドが、お部屋に入った事。

学習机は、お婿さんのものと一緒に、特注で業者さんに注文してあり、出来上がるのが夏とのこと。

 

まだ未完成のかれんちゃんのお部屋、といったところでしょうか。

 

相続の際、一部の財産を娘に譲りましたが、そこから気持ちの上では、充当したつもりのようです

つもりでしかないのは、すべて5年間引き出せない金融商品の貯蓄にしたとの事でしたから。

堅実なMちゃん。

感心することではあるけれど、私はある日、ちょっぴり愚痴りました。

「生活の潤いにしてほしいと思って渡したのに。

貴女に渡さないで、Mちゃんや孫の衣類を買って上げたり、入学金を払って上げたり、その都度、手渡した方が私も愉しめててよかったかもしれないわね」と。

するとMちゃんが言いました。

「五年すれば引き出し可能だから、その時には使い道を色々検討するつもりよ」と。

 

K君のお部屋です。

 

夏には出来上がってくる、お婿さんとかれんちゃんの机。

こだわりの強い娘ゆえ、どんな親子の机が届くのか、今から、とても楽しみです。

 

フランスの子供用インテリア本のようです。
次女は、英語同様、フランス語もトーイック一級の資格を持っています。
ベトナム語もそれなりにしゃべれます。
これって自慢話?そのように聞こえたなら、ごめんなさい。

でも、フランス語もベトナム語も、英語さえもしゃべるのを、聞いたことがない母親です。

 

連休明けから、いよいよ新し年の本格的なスタートに私はなりそう。

週に数回、塾に行く前のK君のお相手といった祖母のお務めも開始です。

家事もテキパキこなし、ブログも軽やかに綴り、K君のお相手も心から愉しみましょう。

そのためにも、一番大切なことは、健康管理。

一人暮らしとはいえ、お食事にも気を配りたいものです。

 

何とか一週間分書き上げました。

しばらく、更新はまたお休み致します。

できるだけ早く再開したいと思っていますが、話題が乏しくなってきた私ですので、思い通りにいきますかどうか。

無理はしないで、ブログライフを細く長くをモットーに、愉しみたいものと願っています。

今後とも変わらぬお付き合いの程、宜しくお願い致します。

拙いブログにもかかわらず、温かな応援を下さった皆様、お忙しい中お立ち寄りくださった多くの皆様、本当に有難うございました。

 

 
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私の年賀状への思いとこだわり

2016-12-28 07:10:13 | 日記

皆様は、年賀状書きは、もうお済みになられましたか。

年の瀬を迎え忙しい日々ながら、この挨拶状書きは、避けて通れない年末の大仕事といった感じですね。

高齢を理由に、もう卒業された方もいらっしゃることでしょう。

 

他の方のブログを拝見すると、パソコンを使用して、自分で作成される方が多いようです。

私は、唯々感心するばかりなのですが。

そういえば、妹も娘たちも、そのようにしています。

メカ音痴の私には、とても無理。

無理ではなく、作成する方法を学ぼうとする意欲がないだけです。

そういえば、私の夫も、業者に注文していました、

遺族年金の身となり、私は無駄な出費はしないように、節約を心がけ、日々を暮らしています。

年賀状も、経費が高くならない手段を選べば良いものを。

今更、そんなことするの、面倒くさ~い、となってしまいます。

 

 

年賀状を差し上げるお相手は、一年に一回しか挨拶できない人達がほとんどですから。

私としては、自分らしい個性が感じられ、アート的なセンスもチョッピリでもある、素敵な年賀状を届けたい、といった願いを毎年のように抱きます。

なあ~んて、気取った表現をしてしまいましたが、私の年賀状も、さして皆様と変わりありません。

但し、多少経費は高くついていることでしょう。

パソコンで手作りする方と比べると、その金額は結構大きいかもしれません。

 

今年は80枚申し込んで、およそ一万八千円ほどかかりました。

注文をお願いしたところは、「年賀家族」です。

毎年仕上がりに、私は満足しています。

この業者に印刷を依頼したのは、今回で三度目ですが。

 

ここ数年間の年賀状はすべて使用してしまったのか一枚も残っていなくて・・・・・・。
年賀家族に注文したのは、これ1枚のみです。

後は富士フィルムの年賀状で、私が50代の頃の物
孫たちも幼く、私もわかあ~い。
ですからフィルターなしで載せますね。

 

それ以前に注文していたのは富士フィルムの年賀状でした。

デザイン年賀状といった名称で、普通の物とは別に、多少高めの賀状を販売していました。

その販売が中止になり、とても困った私は、ネットでいろいろ検索するうちに、今回も利用する新しい印刷業者さんに出会えたのです。

 

 

一時期は、自分で版画を掘り、それを年賀状のデザインにしたり、絵を描いたこともありました。

一枚一枚、手書きの絵を描くなんて、そのころはもっともっと気力も充実していて元気だったのでしょう。

確か絵を描いたのは、二十枚くらいではなかったかしら?

全員なんて、とても無理ですもの。

 

私の努力が報われるような、喜ばしい反応も、時にはあったのですよ。

長女のMちゃんが、「Hが(お婿さん)、ママの絵に感心してたわよ」と言ってくれたり、

人づてに聞いた話ですが、同窓生のO君が、「今年貰った年賀状で、~さんの年賀状が最高だった」と言ってくれたようでした。

 

 

 年に一回のご挨拶になりかねない年賀状ですから、今年も心を込めて綴りましょう。

お正月を迎えるとはいえ、まだ喪中が明けたばかりの私。

業者に注文するにあたり、文面もデザインも、今回はかなり迷いました。

印刷の色も柄も、例年より地味目にしました。

初めて、デザインを二種類にし、ごく親しい友人や親せき用と、一般用で使い分けることにした私です。

少々気恥ずかしい事でしたが、親戚や、親しい友人には、私とYさんの婚約時代の小さな写真入りにしました。

夫が亡くなって以来、私のパソコンのデスクトップの画像として使用しているものと同様です。

 

 

年賀状を出す方々の健康と幸福を祈り、私の精一杯のまごころを届けたいと願っています。

 


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柚子湯~一陽来復

2016-12-27 07:11:37 | 日記

12月21日は冬至でした。

この日は一年で、一番昼が短くなるとき。

日に当たる影が一番長くなる日ですね。

翌日の朝刊に、日本一長い影と銘打って、スカイツリーの長く伸びた影が紹介されていました。

航空写真で撮ったものなのでしょう。

微笑ましいユーモアの感じられる記事に、私は、ニコッとしてしまいました。

 

 

買い出しに出かけ、夕食の準備をしなければならない主婦には、余りに早い日の暮れは、追い立てられるような気分にちょっぴりさせられますよね。

明るい日差しは、私たちの心にも余裕を与えてくれるものなのかもしれません。

まだこんなに明るいから、とついのんびり構えていたら、遅れてしまった、なんてこともありますものね。

 

 

これからは次第に日が長くなっていくと思うと、時の刻み方には、何の変わりもないのに、なんだかチョッと得をした気分になれますね。

冬至は一陽来復とも言いますから、喪中が明けたばかりの私の身にも、これから良い事がいっぱいあるでしょうか。

そう思って、一層元気を出さなくては。

 

 

そうはいっても、寒さは、これからが本番。

冷え性の私には厳しい季節です。

それに備えて、柚子湯に浸り、体を温めましょう。。

カボチャや大根なます、こんにゃくなど食べて体に滋養をつけましょう。

そうやって、私たち日本人は古くから、知恵を働かせ、厳しい冬の寒さを乗り切る備えをしたのでしょう。

 

冬至の日の私の一人ごはんです。

ぶり鍋・かぼちゃの含め煮・大根と豚肉の炒め煮
私の料理ブログのレシピ付き献立に、作り方をすべて載せるつもりでいますが、
忙しくてなかなか手が回りません。

 

古来から伝わる日本の風習には、奥深い趣を感じます。

その諸行事を丁寧に味わってきた、とはとても言えない私ですが・・・・・・。

残り少ない余生を、日本人の意識を一層強く持って、古くから伝わる、季節折々の我が国の慣習や行事をもっと大切にして暮らすのも素敵な事では、なんて今、思っています。

そして、孫たちに、このような風習や奥床しい風雅な伝統行事をしっかり伝授してやるのも、祖母の役目かもしれません。

 
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友に恵まれた私の人生

2016-12-26 07:39:41 | 日記

前から大切な思い出としてブログ記事にしなければ、と思いつつ、つい延び延びとなり、今日になってしまいました。

なかなか私達が普通耳にできないような、新鮮な話題もあります。

 

11月中旬の事です。

このブログにも幾度か登場いただいている親友のKさんと、「梅の花」で昼食を共にし、楽しく語り合うことができました。

夫が亡くなる前から、そのうち会って心ゆくまでおしゃべりしましょうね、と言い合っていたのですが。

急な介護事情で、予約したお店をキャンセルしたこともありました。

お互いに、その後も身内に不幸があり、しばらくそれどころでなくなってしまった私たちです。

 

お店の方にお願いし、記念撮影をパチリ
私の姿勢が悪くて、恥ずかしい写真ですが。

もっとお腹を引っ込め、背筋を伸ばして!(笑)

 

Kさんは早春に、100歳のお誕生日を目前にされたご義母様を失くされています。

5駅先の介護施設で暮らしておられたのですが。

ご夫婦お二人の献身的な介護には、日頃、頭が下がるばかりでした。

退職後のご主人様は、お母上様を見舞うために、施設に日参しておられたのです。

それも、5~6年といった長期間にわたってです。

 

ご義母様逝去後は、私同様に、諸手続きや遺品の整理に追われる日々でいらしたKさんです。

メールや電話では、時々近況の報告をし合っていましたが、なかなかお会いする機会がなく、やっと久しぶりにその日が訪れました。

会えない期間も、絵手紙で、私を幾度も励まし続けて下さいました。

 

最近も、「もう一頑張り「との言葉を添えて、見事に描かれたにんにくの絵手紙を届けて下さいました。
毎日、それを眺めて励みにしていたのですが、写真を撮ろうとしたところ、見当たらなくて。
ノートか書物の間に挟んだのかしら?

 

専業主婦で、おうち大好きな私の引きこもりがちの平凡な暮らしとは、彼女のライフスタイルは大違い。

とても裕福な恵まれたご家庭ながら、退職年齢に至るまで、自己実現のため、得意の英語を生かしずっと国際機関で働き続けられたのです。

今も、留学生の外人たちのお世話を、ボランティアでなさり、ご活躍中です。

生き方はまるで異なりますが、価値観はとてもよく似た二人。

ですから、身内のように心が通い合い、何を話しても意気投合できます。

 

 

 

 

 

そんな私達が、和食処で、美味しいお食事に舌鼓を打ちながらお互い積もる話に花を咲かせていたところ、Kさんが、思いがけないお話を聞かせて下さいました。

私が、お亡くなりになられた三笠宮さまのことに触れたときの事です。

何とKさんは、東京女子大に在学中、ゼミで殿下の授業を受講された事があるとのことでした。

ご一緒に、福島の片田舎の村にゼミ旅行にも出かけられたようです。

その旅行に於ける、三笠宮さまと女子大生の交流のお話は、実に微笑ましくて・・・・・・。

皇室の方をとても身近に感じられる貴重なお話でした。

 

例えば、下記の様なエピソードを。

旅行に発つとき、Kさん達学生は、ワゴン車に乗り込んで目的地に向かいました。

一方、同行される殿下は、黒塗りの公用車にご乗車。

お見送りの方達までおられたとのこと。

恭しく頭を下げる光景が目に浮かぶようですね。

皇室の方達は、いつも行きすぎた護衛の下で行動しなければならない堅苦しさからは、自由にはおなりになれないのでしょう。

 

 ところがその殿下、旅先に向かい始めて間もなく、その車を降りて、学生たちがいるワゴン車に乗り移られたのだそうです。

その後は、学生たちと気さくに会話を交わし、ゼミ旅行へと。

納豆が好物でいらしたようですが、生卵をかける食べ方をご存じなくて、Kさんが教えて差し上げたとのこと。

和やかな学生と三笠宮さまの気さくな交流風景が目に浮かぶようですね。

 

 

今年の初夏の頃、福島へ大学時代の同窓生と思い出旅行をする企画を立てられたKさん。

その準備が大変、と聞いていました。

その旅が、三笠宮さまがご一緒だった学制時代の思い出をなぞるものだとは、その時は知らなかった私ですが。

彼女は、今回の旅行の写真と、学生時代、同じ場所で撮ったゼミ旅行の写真を一緒に同封して、お見舞いのお手紙を届けられたとのこと。

 

 ポストに入れれば簡単にお手元に届くようなお相手の方ではありません。

届け先を探す苦労もあり、殿下のお手元に届いたか確信が持てないままでいるところ、ご訃報の報道があったようです。

ご覧になられたのであれば宜しいですのにね~。

庶民の、そのようなさりげないお気遣いは、さぞ懐かしく、嬉しい事として受け止められたことでしょう。

 

彼女が下さった真心のプレゼント
感激でした。
深紅のばら・手作りのサンドイッチ・やはり手作りのプリン

 

お話が一転変わりますが、新しい年を迎えるにあたって、私の友への思いをもう一言、

 私の人生でとても幸運だったことの一つに、良き友人に恵まれたことがあります。

 私は自分から積極的に友を作るような外交的な性格とは言えません。

友は多い方だと思いますが、どちらかと言えば、お相手から声がかかり仲良くなったケースがほとんどのような気がしています。

今、頭に浮かべるだけで、素敵な友人が大勢目に浮かんできます

そのうえ、ご近所にも親友に恵まれた私です。

つい最近も記事で触れたFさんです。

 

最近妹に、「お姉さまは親友が失くす不幸を何度か経験しているわよね」、と言われました。

確かにその通りで、もしお元気だったら、私の余生がもっと潤ったかもしれない、と残念で仕方ありません。

本当に素敵な方達でしたから。

でも他にも、良き友人がいて、その寂しさを補ってくれています。

 

私の友人の特徴は、私が見習いたいところがいっぱいある尊敬できる方達ばかりであること。

ですから、私は友から学ぶことが何と多かったことでしょう。

私が成長できたのは、友のお蔭と言っても過言ではないほどです。

 

 

ですけれど私は、敬愛して止まない素敵な友人達を、大切にしてきたでしょうか。

そうとは言えない自分を、ただただ反省するのみです。

顧みるに、私から声をかけたことって、めったにありませんもの。

いつも友人から温かなお誘いがありました。

 

私は、何事も割とスローテンポで、要領もよくありません。

結婚してから、妻として母親としては、つつがなく自分の務めを果たせた、とちょっぴり自負はしているものの、それが精いっぱいの人生だったようにも。

積極的に自分から友人との親睦を深める努力をしたとはいえない気が、今はしています。

それにもかかわらず、心から信頼し合える友人が私の周りにはたくさんいて下さいます。

 

夫が亡くなった時にも、皆さん方から温かな励ましの言葉をかけて頂きました。

私は、もう少し元気になったら、こちらから声をかけさせて頂きますね、と言いながらご無沙汰を重ねている私です。

来年は、積極的に自分から声をかけて、温かな友情に、感謝を示すとき。

今、そんな思いでいます。

 

追記

gooのリアルタイムのあしあと機能がしばらく作動せず、ここ数日、gooの事務局に問いあわせをしていました。

まだしばらく様子見ですが、やっと直ったような感じがしています。

この間、私のあしあとも、他の方のブログにつかないようです。

何だか煩わしい気がしないでもないこの機能。

使用しないにチェックをいれようかしら、と今迷っています。

迷う理由は、gooサイトのみですが、新しいブログに巡り会える場所でもあるからです。

 


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ブログへの思い色々~村上春樹氏から学んだこと

2016-12-18 07:13:57 | 日記

一応書き上げたものの、クリスマスが目の前の華やかな時期に、またブログの愚痴。

季節にふさわしくない内容だなぁ~、と思いつつ・・・・・・。

投稿することに致します。

最近、妹にも、「やめてしまおうかしら」とよく呟いている私。

書いて、心の整理をしたいものです。

 

最近は一週間の連続投稿が終了してからも、割と頻繁に更新を繰り返している私でしたが、もうすでに息切れ状態になってきました。

毎日投稿される方達の気力と話題の豊富さ、豊かな感性には、脱帽の私です。

 

そういえば、私も一時期、日々更新していた時がありました。

ブログを開設し、間もない頃から数年でしたでしょうか。

何を、そんなに毎日、綴っていたのでしょうね~

 

私は、過去の自分のブログはほとんど見ないので、調べる気にもなりません。

恥ずかしくて読めたものではない。

そんな気持ちです。

 

年をもっと重ね、書く気力がすっかり失せ、隠居のような身になれば、読み返したいとは思っているのですけれど。

その時は、過去の記事を是非推敲し直したいと・・・・・。

でもおそらく脳の状態は、推敲がままならないような様相になっているのではないかしら。(笑)

 

毎日一生懸命、その時の心情を正直に書いたつもりですから、恥ずかしがらず過去ブログに目を通せばいいのに、と思いますが。

以前読んだとき、赤面するほど恥ずかしくなって以来、読む勇気がなくなってしまいました。

記事の内容ではなく、文章の未熟さに呆れてしまって・・・・・・。

同じことを二度繰り返して書いたり、語尾が文法的に変だったり。

 

 

そのころに比べれば、文章が多少は上達してくれたでしょうか。

推敲も、当時よりは今のほうが丁寧にしていますから。

でも教養不足と語彙不足は、どうしようもありませんね~

 

私が推敲することを、かなり前の事になりますが、皮肉を込めて指摘された方がいらっしゃいました。

文章を書き換えることが、そんなに恥ずかしい事かな~、と首をかしげざるを得なかったのですが。

 

最近村上春樹氏のエッセイを二冊読み、この方が徹底的に推敲をされることを知りました。

それを、「文章を何度もとんかちする」と表現されています。

奥様にも読んでもらい、意見を聞いて、さらに書き直したりもされるようです。

 

一部引用してご紹介しますね。

同じ文章を何度も読み返して響きを確かめたり、言葉の順番を入れ替えたり、些細な表現を変更したり、そういう「とんかち仕事が」が僕は根っから好きなのです。ゲラが真っ黒になり、机に並べた十本ほどのHBの鉛筆がどんどん短くなっていくのを目にすることに、大きな喜びを感じます~中略~僕にとっては、そういうことが面白くてしょうがないのです。いつまでやっていてもちっとも飽きません。

 

舞台裏を、余りに正直に公表されるのを見て、ちょっと心配になるほどでした。

村上春樹氏の作品の神秘性に影響を与えないか、と。

 ノーベル賞候補と言われるほどの文豪でいらっしゃるのに、とても正直且つ謙虚なお方ですよね。

「すみません」という言葉が、本文の中によく出てもきます。

 

エッセイは、読み易く、難しい言葉遣いや表現は全くない、と言っていいほど。

小説もそうですよね。

幾度も読み返さないと、私の能力では、すんなりと理解できないような文章も皆無。

ジャズのお話は、私があまりに無知のため、幾分難しく感じましたけれど。

 

すべての言葉が、違和感を感じないでストンストンと、心に心地よく落ちて、沁み渡っていく感じでした。

ですから、お人柄が大好きになったのは言うまでもありません。

 

 

余談になりますが三谷幸喜さんのエッセイも、同じような心持で読めて、大好きです。

この方の書物を読んだわけではなく、朝日新聞の連載『ありふれた生活』を、もう十数年以上になるかしら。

一度も欠かしたことがないほど、愛読してきました。

村上春樹さん同様、とても温かなお人柄で、周りの人達を見る優しい眼差に惹かれています。

謙虚だけれど、ゆるぎない信念と自負心を持っておられるところも、お二方とも同様です。

 

村上春樹氏の『ノルウェーの森』は、長女が大学生のころ手にした私です。

独特の雰囲気に惹かれはしたものの、感銘からはほど遠くて。

その後も『海辺のカフカ』、その他幾冊か読みましたが、やはりその本の良さまでは、分からないままでした。

村上氏に、何だか申し訳ない気がしてしまいますが・・・・・・。

エッセイを読んで、この方の自著の小説への思いがかなり理解できたような気がします。

今度本を手にした時は、もっと深く読み込めるかもしれません。

 

今日は、出し抜けに、なぜ村上春樹氏の話になったのでしょう。

書くことへの壁を感じている私が、村上氏を拝めば、チョッピリでも力を授けてもらえるのでは、とでも思ったのでしょうか。

村上春樹氏は、書くことで壁を感じたことはまったくないそうですから。

もう二例、この方の文章を引用させていただきますね。

 

~最初の小説を書いた時に感じた文章を書くことの「気持ちよさ」「楽しさ」は、今でも基本的に変化していません。毎日、朝早く目覚めて、コーヒーを温めて大きなマグカップに注ぎ、そのカップをもって机の前に座り、コンピュータをを立ち上げます。そして「さあ、これから何を書こうか」と考えを巡らせます。その時は本当に幸福です。ものを書くことを苦痛だと感じたことは一度もありません。~

小説を書いているとき、文章を書いているというよりはむしろ、「音楽を演奏している」と言うのに近い感覚がありました。僕はその感覚を今でも大事に保っています。それは要するに、頭で文章を書くよりはむしろ体感で文章を書くということなのかもしれません。リズムを確保し、素敵な和音を見つけ、即興演奏の力を信じること~

 

いくらブログ綴りに悩んでいるからと言って村上春樹さんを話題にするなんて、お門違いもいいところですね。(笑)

言いたかったことは、村上春樹氏のファンになってしまった、ということだけです。

 

 ~もし読者が僕の作品に、温泉の湯の深い温かみみたいなものを、肌身の感覚として少しでも感じ取ってくださるとすれば、それは本当に
嬉しいことです。僕自身ずっとそのような実感を求めてたくさんの本を読み、たくさんの音楽を聴いてきたわけですから。自分の実感を何よりも信じましょう。たとえ、まわりがなんと言おうと、そんなことは関係ありません。書き手にとっても、また読み手にとっても、「実感」にまさる基準はどこにもありません~

これも、村上春樹さんのお言葉です。

なんだかちょっと勇気づけられませんか。

自分の実感を何よりも大切にしましょう、と言う言葉に。

 

私も、私のブログを読んで、温かな気持ちになっていただけたら、どんなに嬉しい事でしょう。

読み手の受け止め方を気にしすぎず、自分の実感を信じて、素直に日々の心情を綴りたいものです。

 

村上春樹氏のエッセイから、色々なことを学べ、とても有難く思いました。。

来年はノーベル賞をぜひ受賞していただきたいですけれど。

御本人は、全く興味がないのかももしれませんね。

 


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続 私の暮らしへのこだわり 

2016-10-15 07:20:02 | 日記

今日は、私のこだわりについて、もう少し触れたいと思います。

前回、衣類のことを書きましたが、もっと大きな課題に取り組む時も同様です。

大きいだけに、支払額は相当なものになります。

人任せになど、私はとてもできませんでした。

家を建てる時、庭をリフォームするときなど。

私は図面は、すべて自分で引きました。

いわゆる見取り図です。

 

もちろん本格的な設計図など描けるわけがありませんから。

とてもとても大変だったけれど、夢を実現すると思うと、楽しい作業でした。

そのおかげで、マイフォームも庭も、私のこだわりが隅々まで行き届いたものになり、夢が叶えることができたと思っています。

 

ファミリールームと居間の仕切りの窓です。

わが家は今流行りのオープンキッチンではありませんが、
この窓を開けると、それに似た効果があります。

 

我が家担当の設計士さんは、某大手住宅会社で一番評判の高い優秀な方でした。

その当時、渋谷の住宅展示場のモデルルームを設計された人です。

その方とは、その後、今に至るまで、年賀状のやりとりが続いています。

必ず私信を添えて下さいます。

 

後からファミリールームもアップしました。
居間の内窓との連続性と紹介した絵柄のタイルをよくイメージして頂けると思いましたから。

 

センスもお人柄も良くて、格好いい爽やか青年でいらしたYさん。

全面的に信頼していましたが、それでもその人任せにはできなかった私です。

任せられなかった訳ではなく、初めてお会いしたとき、私が描いた見取り図がほぼ完成していたというべきでしょう。

 

マイホームを建てる前に、優先しなければならない出来事がいろいろある時期でしたから、建築を急いではいませんでした。

建てたのは、土地を購入して、数年経過してからです。

その期間、自分の夢をかなえるために、見取り図を描き、家具のレイアウトなど、あらゆることをじっくり練ることができました。

 

キッチンのタイルに三か所はめ込まれた、絵柄の輸入タイルです。
こんなところにも、とてもこだわりました。

一拭きして写真を写せばいいのに。
タイルが汚れていて恥ずかしいです。

 

幼い時から、紙におうちの見取り図を描いて遊ぶのが大好きな子でしたから。

その小さな才能(?)が、40代半ばになってちょっぴり花開いた。

そんな感じだったしょうか。

住宅雑誌は、百冊以上読み込んだと思います。

営業の方が、私が描いた見取り図を見て、感心して下さいました。

設計士さんには、

「僕がやったことは、屋根のかけ方と、窓の大きさ位です」と言われたものです。

 

厳しい暑さでかなり荒れた庭に数日前、お花を植えこみました。
野原に野の花が咲くイメージが、私が抱く理想なのだけれど・・・・・・。
なんだかまとまりのないアレンジで、今一つ気に入っていない私です。

 

でもこれも若かったからできたこと。

もともと体力がありませんから、完成後は、燃え尽きてしまい、それほど家にも庭にも、情熱は欠けていません。

でもささやかなこだわりは健在。

自分の気に入ったものだけ、こだわって買う暮らしは、今も継続中です。

 

 

夫が亡くなった寂しさを、私の大好きな家と庭が、どんなに慰め支えてくれていることでしょう。

計り知れないものがあります。

この夢の実現も、夫がおおらかな気持ちで私に任せ、見守ってくれていたからこそ、できたことです。

感謝の気持ちで夫を思い出す度に、涙ぐんでしまう生活は、相変わらずの私ですが・・・・・・。

 

私が心から愛するこのマイホームで、前を向いて元気に過ごす心がけを忘れないこと。

それが、何よりの夫への供養になる、と思っています。

 

  
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わが家のお盆の過ごし方

2016-09-13 07:34:37 | 日記

私たち家族は、大きなイベントがある度に、必ず全員、集合して、一緒に過ごすことが、今までの常でした。

お正月、クリスマス、孫たちのお誕生日などが、それに当たります。

その場合は、すべて家庭料理を囲んでの団欒です。

それ以外にも、なんとなく用を見つけては集まり、外食を愉しんでいます。

季節ごとに数回くらいはあるでしょうか。

すべてをブログに綴ってきたわけではありませんが。

先週の週末も、家族全員そろってイタリアンレストランで共に夕食をしました。

 

但し次女家は、それ限りではありません。

我が家から近いので、数え切れないほどの行き来があります。

夫が亡くなってからは、週末はほとんど夕食を共にしてきました。

 

次女宅で 手巻きずしをご馳走になった日の食卓風景です。

 次女宅です

さて、今回の新盆に当たっては、どうだったでしょうか。

私の願い通りではなく、少々不服な所もありましたが・・・・・。

娘達は超多忙の中、精いっぱいの気遣いを、お盆に示してくれたと思うことにしましょう。

 

郷里が地方ですと、家族が全員お盆には里帰りし、親元で過ごすといった風習が日本には少なからず残っていますよね。

そのために、このシーズンは交通機関は大変な混み様です。

けれど、若い人たちに、祖先の人たちを迎え弔うといった意識が、果たしてあるのでしょうか。

夏休み休暇を、郷里でのんびり過ごす、そんな感じかもしれません。

 

でも私はさすが新盆ともなると、それを強く意識しないわけにはまいりませんでした。

夫が、我が家に戻ってくるのだから、家族全員でお迎えして喜んでもらいましょう。

お盆の期間は、娘達には、ぜひ実家に滞在してほしい、と。

 

でも実際はどうだったでしょう。

長女家族は、13日から何と、家族旅行で米国へ。

グランドテトン~イエローストン~サンフランシスコなどの旅程で10日間の自由観光を愉しんで帰ってきました。

夫婦の仕事の都合、子供たちの合宿などの行事の日程を考慮すると、この期間しか休みをとれなかったようです。

 

小さな白い蓋つきボウルが、今回のお土産です。
手前はイタリア、左奥はフランス、スイス旅行のお土産。
こんなお洒落な器にふさわしいお料理を、もっと頑張って作らなくては。

いずれも、飾り用の置物としても、十分使用できそうですね~
今後はそうしましょう。

 

一方、次女家族では、婿のHさんは、この期間、出張でやはり海外へ。

結局、夫が戻ってくる13日に、我が家にいたのは、私と次女と、孫のK君とかれんちゃんだけでした。

人数が少なくて、旦那さまに少々申し訳ない気分にもなりましたが。

次女のMちゃんのお蔭で、お盆の数日を、とても楽しく過ごすことができました。

迎え火も焚いて、夕食は娘の手料理。

 

 お線香用のライターで、迎え火用の薪に点火です。

 

私は京都旅行、郷里の菩提寺の盂蘭盆法要への参列と墓参を済ませ、前々日の夜遅く帰宅。

翌日はお坊さんを我が家にお迎えするといった慌ただしさで、かなり疲労気味。

けれど、一泊して我が家でお盆を共に過ごしてくれた次女と孫たちのお蔭で、その疲れも和らいだ思いがしました。

その後も、その疲労を引きずり、8月の下旬まで体調がすぐれなかったのですが。

無理が祟ったようです。

 

わが家ながら、次女の手料理でお盆の初日を過ごしました。

 

次女ばかりでなく、長女のMちゃんも、気を遣って、娘としてのお務めをそれなりに、頑張ってくれました。

海外旅行に行く前々日、早朝家を出て、日帰りの強行軍ながらパパの菩提寺の法要とお墓参りで、私に同伴してくれました。

 

娘の付き添いが、私にはどんなに心強かったことでしょう。

13日から、海外旅行と聞いた時は、なんという非常識、と少々気分を害しましたが、墓参に同伴してくれたことで、その苛立ちもすっかり消えてしまいました。

長女とは、広島行きの新幹線は、何と偶然、同じ「のぞみ」。

娘は、大阪で乗り換えるルートでしか、切符は入手できなかったようですが、本当にすごい混み様でした。

指定席の車両にもかかわらず、自由席の人が所狭しといった感じで立っていました。

こんな光景を見たのは、私は初めてです。

 

私はお盆までには、家に帰りませんと、夫が戻ってきたとき誰もいない留守宅では、あまりに可哀想。

菩提寺でMちゃんとお盆法要の参列とお墓参りを済ますと、飛んで我が家に帰りました。

 

スマホに記念画像を収めるMちゃん

 

広島駅の駅ビルは、球場へ向かう、赤ヘル集団が凄かった。

夫もさぞ喜ぶであろう、心弾む光景を垣間見ることもできた私たちです。

 

帰りの指定乗車券は、幸いにも私の隣の席が取れたMちゃん。

むろん行きと打って変わり、車両はガラガラ状態。

人の流れが、東京に向かって一方通行であることを思い知らされた日でもありました。

 

家に帰宅したのは、夜の十時を過ぎていました。

帰りは長女と一緒ゆえ、気楽でしたが、疲れたぁ~

でもまだ気を抜くことはできません。

翌日は、実家の菩提寺のお坊さまが、お経を上げに来てくださいます。

禅宗派独特の精霊棚が、次女のMちゃんの手で すでに出来上がっていた我が家。

仏花も整い、一安心です。

翌日、妹、次女家族と共に、お坊様をお迎え。

無事に、我が家での法要は終わりました。

その翌日は、前述のように、お迎え火を焚いて、夫を迎え、次女と孫たち四人で、だんらんを過ごした我が家です。

 

 お迎えの残り火に、じょろのお水をかけるKくんとかれんちゃん

 

その次女家族も、翌々日には、ご義父母様と一緒に、旅行へ。

郷里のお寺でのパパの墓参が一番の目的でしたが。

その前に、義父さまの生まれ故郷の福山に寄り、宮崎駿のアニメ映画で一躍有名にもなった鞆の浦で海水浴。

そこに二泊しして、広島に向かった次女と子供たちでした。

三人で、お墓参り後、宮島にわたり一泊したようです。

 

お盆期間、それぞれの家族が、なんと活動的だったことか。

本来なら全員が我が家に集まり。夫を迎えるのが理想ですが・・・・・・。

旦那さまはそれ以上に、家族のそれぞれの充実した生活を微笑ましく思い、安心して、天国へと、また旅立ってくれたことでしょう。

 

 

また来年も、戻ってきてくださいね。

いえいえ、私は今でも、夫がいつもそばにいてくれると思い、日々を送っています。

 

「人は亡くなった人の事を思い出す限り、その人の中では生を全うしている」

フランスの作家、パトリックモディアノの言葉です。

友人が贈ってくれたこの言葉を、私は大切にしています。

 

            

 

前々日と同じ画像ですが、今回は奥のかぼちゃ料理のレシピを昨日、私の料理ブログで紹介しました。
孫たちは、この料理の酸味が苦手のようでしたが、私はやみ付きになるほどのお気に入りです。
宜しければ、お試しください。

 

 
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 丁寧なな暮らしのカテゴリーに新規に参加させて頂くことになりましたかれん桜と申します。
一月ほど前あたりまで長年、シニアーブログランキングに参加していたものです。
突然の登場で申し訳ありません。
一週間ほどの連続投稿を、短編集(?)を出すような心持で、ひと月に一回程度行っています。
内容はライフスタイルの記事にふさわしくなくて心苦しいのですが・・・・・・。
いつも丁寧な暮らしを心がけたいとの気持ちだけはございますので、このカテゴリーを選ばせていただきました。
何とぞ宜しくお願い申し上げます。

 

 

 


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