今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

次女が寄せる庭への憧憬

2012-01-31 07:36:57 | 家族

先週の土曜日、久し振りにまだ入居して二カ月足らずの次女宅のマンションに出かけてきました。

私は、相変わらず体調がすぐれず、家にこもりがちでしたが・・・・・・

次女は、仕事、家事、育児、荷物の整理でおおわらわ。
超多忙な日々だったようです。

そんな時に、皆に会いたいからと、出かけても、私は娘をおしゃべりに引き込んで、貴重な休日を妨げるお邪魔虫になりかねません。
でもその日は、今の私でも、娘の役に立てるとの十分な自覚のもと、大張りきりで出かけました。

その後、お部屋は多少片付いたかしら?
Mちゃんのこだわりとセンスの良さが、如何に生かされているかしら?
ワクワク……そんな心境でした。

その日の連れは夫ではなく、我が家がお世話になっているガーデナーのHさんがご一緒です。
実は、次女家族のマンションの前庭の植栽コーナーのレイアウトと、樹木、他の植え付けを依頼してありました。

Hさんは、私に息子がいたなら、お嫁さんに欲しいと心から願ったに違いない、さわやかで可憐な雰囲気のする本当に素敵な女性です。
私は、迷わず、次女に紹介しました。

さて、我が家の花壇を一回り点検して頂いたのち、小型の軽トラックに私も便乗し、娘宅へ到着。

迎えに出た娘は、お洒落っけのまるでない格好で、内心、あれぇ~
お部屋に入ると、私の期待に反し、雑然とし、整理整頓が行き届いているとは、とても言えません。
内心、またあらま~でした。(笑)

それは、止むを得ない事情が有ったようです。
日々の忙しさはむろんですが、せっかくの休日の朝にもかかわらず、かれんちゃんが熱を出したとか。
近所の小児医院に出かけ、帰宅したばかりのようでした。

幾分雑然としたお部屋で、ガーデナーのHさんと、Mちゃんの打ち合わせが開始です。


その場の雰囲気は、私が家を建築した時、庭のリフォームをした時を彷彿させるものがあり、改めて、親子は似た物同士、との思いに浸りました。、

雑誌のグラビア写真を見せ、自分の描くイメージを熱心に語る次女。
私も、今の娘とほぼ同じ年代に家を建築し、まさにこの通りでした。

専業主婦で、準備期間も数年と十分にかけましたから、住宅雑誌が山積み。
娘以上のこだわりだったかもしれません。

次女が、きっぱりと言いました。(笑)

「母の庭へのイメージと私の思いは、多少異なります。」

誠に、その通り。私の好みは、もう時代遅れ。十分自覚している身です。(笑)

気力も体力も衰えた私は、今はすっかり、人任せとなりました。
経済的にも、年金暮らしの我が家は、現状維持に多少加味が精いっぱいです。

ですから、次女の話は新鮮で、ぐんぐん引き込まれていきました。
次第に娘が描く庭の光景のイメージが、明確に心に浮かんできました。

常緑樹の緑の濃淡と白い花のイメージといったところでしょうか。

「落葉樹も1本ぐらいあった方が、四季の移ろいが感じられるし、早春の芽ぶきのみずみずしい光景は捨てがたいわよ。」

「フェンスに絡ませるつる植物は、白のモッコウバラはどうかしら。常緑樹で、Mちゃんのイメージに合うと思うけど・・・・・」

と私も、多少口を挟み、助言を。

感性は似た者同士の母娘。Mちゃんも大きくうなずいていました。

Mちゃんの話に耳を傾け、希望に添った植物名を、いろいろ挙げて下さるHさん。
その植物をPCの画面で検索する娘。

私は、Hさんに言いました。

「Hさんにすべてお任せの私と違い、娘の要望に添うのは、なかなか大変そうですね。(笑)
限られた予算ですが、宜しくお願い致します。」

ささやかな予算で、今は殺風景な居間の前の小さな庭が、いかなる変貌を遂げる事でしょう。
私も、今後の進展を楽しみにしています。

Hさんをお見送り後、私が取り掛かったことは、何はさておき、雑然としたお部屋と、不用品が無造作に置かれた前庭の整理整頓。
私の少々の労働の甲斐あって、みるみる内に、すっきりとした素敵な空間へと変化していきました。

K君の部屋が居間続きで、二枚の引き戸になっているため、壁の面が少ない居間。
家具の配置がなかなか難しそう。

でもそこはインテリアへの憧憬が強い次女の事。
既存のものを精一杯生かし、工夫した部屋になっています。

今日は、そんな娘のこだわりが生かされた、お部屋の光景の一部。特に素敵な照明器具いろいろの写真をご紹介させて頂きます。

 

  

 

右側の照明器具はKちゃんの子供部屋用。パパが、まさに苦労して取り付け完了したところです。

次は、かれんのお部屋。

次女曰く、私の癒しの部屋で、パリのインテリア雑誌の子供部屋を強く意識しているとか。
最初、紙のクラフトが飾り付けてあると思いましたが、なんとこれも照明器具。
フランスの子供部屋では、よく使用されるそうです。

 

 

 私も次女の刺激を受けて、十数年現状維持で通してきた我が家に、新しい風を吹き込みたいものです。
とは言え、そんな意欲を次第に失いつつある自分を反省。

今が一番素敵のタイトルに私の思いをのせ、体調の悪さはなんのその。
素敵な日々を送りたい、と改めてしみじみ思います。

そのためにも、以前のような軽やかな体になりたい!
私の悲願はいつ叶うことでしょう。

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雪道は怖い

2012-01-29 06:56:51 | 暮らし

ここ数年雪が積もることが、確かなかった当地。
先日、久しぶりの雪化粧の光景に、一瞬、胸がときめきましたが・・・・・・
でも、この年になりますと、雪かきの重労働に思いが至り、若い時のように感動とはまいりませんね~
幼い頃は、本当に嬉しくて、襟巻、手袋、毛糸の帽子をかぶり、お庭に飛び出し、小さな雪だるまをこしらえ、妹と嬉々と戯れたものでした。

さて、雪が積もった朝の出来事を今日は綴ります。

私は、毎日大変な早起きで、3時台、4時台に目が覚めることがほとんどです。
5時間睡眠がすっかり定着してしまいました。

その日も、朝早く起き、ブログ日記を綴りなが、夜が明けるのを待ちました。
次第に、外が白み、東の空が茜色に染まり始め・・・・・・
雪景色が、空の色に映え、一層眩しく輝いて見えます。
雪の装いも、さほどの厚化粧ではなく、今日は陽も昇り、お天気とあらば、雪かきは逃れられそうと、内心ホッと致しました。

今日はごみ収集日。
雪道だから、気を付けなければ、と自からに言い聞かせながら、ごみの整理の作業に取り掛かりました。

二十数年前の事を思い出し、注意を自らに喚起しながら・・・・・
新築したばかりの我家に引っ越したのは、次女が中学生になり、最初に迎えたクリスマスシーズンの頃でした。

私は、40代。
まだ若く、元気溌剌としていて、足取りも軽やかだったはずですが、雪の日のごみ出しで、大失態。
見事に、転び、後頭部を打撲。
触ると血のりが手を染め、仰天。
自ら車を運転し、病院に駆け込むと言った苦い思い出があります。

ですからその日のごみ出しも、久しぶりの雪道を思い、人一倍慎重にならざるを得ませんでした。
とはいいながら、いつもどこか抜けていて、いい加減なところのある私。
自己管理が徹底していません。

何と、ミュールに近いローヒールの日常用サンダルをはいてごみ集積ボックスに向かったのでした。
わが家の門から、1~2f分。目と鼻の先の近距離です。

でも私は、実に慎重に一歩一歩足を運びました。
これ以上慎重にしようがない、と言えるほどに細心の注意を払い、恐る恐る雪を踏みしめて、歩いたのですが・・・・・

スッテンコロリン!見事に又転びました。

私の頭に、火花とともに、10個くらいクエッションマークが灯る心境で、起こったことが信じられないほど。

わが家の前面道路は、ゆるやかな勾配になっている為、平面道路より、注意は要しますが・・・・・
でも、こんなに慎重を期して歩いていたのに、なぜ転ぶのでしょう。

首を一層痛めたのでは、と情けなく、みじめな気持ちにどっぷり漬かり、しばらく茫然としてしまいした。

しかし、思むろに立ちあがった私が選んだその後の行動は?
皆さん、読んで呆れないでくださいね。(笑)
私はその時、雪道への恐怖で心が一杯でしたから。

転んだその場所で、サンダルを脱ぎ棄てました。
幸いにも、ウールの厚手のソックスをはいていた私。
ソックスの足で、ごみ集積所に向かったのです。

足が雪道になじみ、実に快適に歩を進めることができ、帰りもサンダルを手に、ソックスのまま家に戻り、私のごみ出しは終了。-

如何に注意を払っても、凍結した道路では足をすくわれ、転ぶことがあると悟った私は、すっかり自信喪失。
怖くて今後雪道なんて、もう歩きたくない、と思いました。

でもよくよく冷静に考えると、転んだのは、履物が原因との思いに至り、次第に心が落ち着いていきました。
どんなに慎重に歩いても、日常履きのヒールのサンダルでは、歳を重ね、運動神経が衰えている我が身には、起こりえること。

今後、また雪が積もったなら、ブーツを履きましょう。
そして、細心の注意を払って歩を進めなければ、と猛省しながら、自分自身に言い聞かせました。

今回の転倒では、怪我はありませんでしたが、体調は陽から、一転、陰に。
やはり、多少さらに首を痛めたのかもしれません。
体力が続かず、家事の合間に、何度も横になり、又家事に戻るといった生活。

少しでも長く体を休めたいとの思いから、実は、今もベッドの中で横になったまま、キーボードを打っています。

完全に体力復活。万歩計、5000~10000歩の目標達成は、いつの事やら・・・・・・
持病になってしまった悩ましい病の回復は、焦らず薄紙を剥ぐような気持ちで待ちましょう。

雪道が恨めしい、今回の出来事でした。

皆様も、雪の日の足元には、くれぐれもご注意下さいね。

表示したサイトから、雪道の歩き方の注意点をここにご紹介しておきます。

詳細は、下記をクリックしてご覧下さい。

http://tsurutsuru.jp/kaiteki/kenkyu/kenkyu.html

冬の道を快適に歩くために…
HOME > 雪みちを快適に歩くために… > 雪みち歩き方徹底研究!
雪みち歩き方徹底研究!

 

雪のない道と滑りやすい雪みち。同じ歩き方をしていては、どうしても転んでしまいます。
ポイントをおさえて、つるつる路面でも転びづらい歩き方をマスターしましょう!


(1)小さな歩幅で歩く

歩幅が大きいと足を高く上げなければなりません。そうすると当然、重心移動(体の揺れ)が大きくなり、転倒しやすくなります。

滑りやすいところでは、基本的に小さな歩幅であるきましょう。

細い道を歩くときには、自然に両足の左右の幅が狭くなりますが、左右の幅については適度に離れているほうが良いでしょう(20センチ前後)。

ポイントイラスト

(2)足の裏全体をつけて歩く

雪みちを歩くときは、重心を前におき、できるだけ足の裏全体を路面につける気持ちで歩きましょう。

道路の表面が氷状の「つるつる路面」では(1)小さな歩幅で、(2)足の裏全体をつけて歩く「すり足」のような歩き方が有効です。ただし「すり足」といっても、完全に地面を擦りながら歩いているとつまづきの原因にもなるので、軽く足を浮かせて歩きましょう。

道路の表面に雪の残っているところでは、「すり足」では歩きづらいこともあります。その場合は、足裏の平らにして、(2)足の裏全体を路面につけ、(1)小さな歩幅でそろそろと歩きましょう。

ポイントイラスト

(3)急がず焦らず余裕をもって歩く

いくら歩き方を理解したつもりでも、急いでいる時は忘れがちになります。ケガをしないで楽しい冬を過ごすためには、冬は夏より移動に時間がかかることは仕方がないと思って「余裕をもって」行動し、「急がず、焦らず」に歩くことが大事です。

「余裕をもって歩く」ことで、しっかりと「滑りそうな道」を見分けながら歩くことができます。しっかり滑りそうな道を見分けることも、転倒しないためには非常に重要です。

また急いでいなくても、携帯電話で話しに夢中になっているときなど、路面に対する注意力が薄れたときは転倒しやすくなります。注意しましょう。

ポイントイラスト


(3)急がず焦らず余裕をもって歩く
横断歩道などで止まっている状態から歩き始める時や、歩いている途中で急ぎ足になったり、急に速度を遅くするなど、歩く速さを変える場合には転びやすいので注意が必要です。

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専業主婦 頑張れ!

2012-01-27 06:05:05 | ブログ

お断り

ブログ2(2)にはブログ2(1)と重複する記事ものせることにいたしました。

ブログ2(1)をすべて載せた後に、ブログ”(1)は削除するつもりです。(2023年4月の追記)

 

下の記事は、Kanmoさんのブログ上で批判されていたので、私の本心を書かせていただいたものです。

 

私の軽率なタイトルで、思いがけない誤解と物議を醸し出してしまった、専業主婦の分際の表現。
タイトルは、自らの判断で書いた当日に変更しましたが、文章にはそのまま今も残っています。
ここも、削除すべきかと、批判を受けた後、思い悩みましたが、その時自然に出た言葉でしたから、あえてそのまま残しました。

日本語には微妙なニュアンスが含まれますから、使用が難しいですね~

先日、平手打ちを二度食らったと、私の感想を少々オーバーな表現で語りましたが、後になってボディーブロウのように効いてきたのは(笑)、最初の平手打ちでした。

最近、寝付きも珍しく悪く、睡眠も浅くなり、少々情けない思いで暮らしています。

ですから、単なる鬱憤晴らしの文章と、受け止められることも覚悟の上で書かせていただきます。
もうすでに過去のことですのに、蒸し返すようで誠に申し訳ありません。

娘達は、恐らく私のこんな言動に呆れかえることでしょう。

先日も言われました。「公開なんだから、いろんな意見や批判が出るのは仕方ないことでしょう。そんなこと、いちいち気にするなんてばからしいわ。
聞き流してしまえばいいのに。私なら、反論なんてしないわよ。」

でも私は精神衛生上、誤解を受けたままでは良くないので、自分の気持ちを正直に語ってしまいたい、と思いました。
それがブログの良さであり、効用にもなりえると思ったからです。

前置きが大変長くなりましたが、ここからが本文です。(笑)

昨日、お昼食時、夫に尋ねました。

「ねえ、あなた。分際ってどういう意味?」

「立場と言ったところかな。相手に向かって言うとマイナスイメージ、自分に向けてだと卑下になるよ」

更に就寝前にも、夫の書斎に入り、再度尋ねました。

「実はこの言葉が、差別用語と言われ、少々落ち込んでいるの。
私は専業主婦業を卑下するどころか誇りに思って生きてきたつもりよ。
でもいかなる立場の人でも、得て不得手ってあるでしょ。
専業主婦にとり、家事、炊事、育児などは、一番得意な分野。
でも政治経済となると、いくら新聞を通読していても、自信がいま一つ持てない範疇になるのではないかしら。
社会で働いた事がないわけだから。
だから私は謙遜の気持ちで使用したつもりなの。」

それに対して夫の答えは、次のごとくでした。

「分際っていうのは、非常にきつい言葉だよ。差別用語と解釈されても仕方ないところがあるね。
過去に、なべつねが、巨人軍の選手に向かって、野球選手の分際で、ストなどするなどもってのほか、といったことが新聞で取り上げられ、ずいぶん非難されたものだよ。」

「でも今回のことは、自分の事で使用したのよ。分際をわきまえて話すなんて言わない。立場程度の意味ではないかしら。」

「いや、きつい表現だから、差別と取られても仕方ないな」

「そうなの。では私の言葉遣いの誤用ね。
ただちょっと失礼では、と感じたのは、批判した方は、タイトルしか見ていない、記事も読んでいないとおっしゃってるの。
せめてその記事には目を通してほしかったし、過去ログも多少は読んだ上で、その言葉の意味を勘案してほしかったわ。
私が専業主婦業など卑下していないことは、理解してもらえたと思うのだけれど。
主婦業を卑下し差別する女性と私の事を決めつけて、他の方と言葉を交わしておられるのが、本当につらかったの。
最初は何を指摘して差別とおっしゃっているのかさえ、わからなかったほどだから、私の本意とはあまりにかけ離れたお話しがされていて、悲しかったわ。」

夫と私の内輪の会話です。(笑)
私の心情がすべて織り込まれていると感じ、文章でくどくど語るより分かりやすいかと思い、ここに書かせていただきました。

この度の出来事は、不本意でかなり辛いことではありましたが、自らに、専業主婦とは?と言った問いかけを、改めて投げかける機会を与えてもらえ、今は良かったと思っています。。
今までは、然程意識することなく、当たり前な立場として受け入れ、人生の大半を送ってきましたから。

私は自らの性格から、専業主婦は天職とさえ感じ、誇りに思い、過去も今も、暮らしています。
日本が高度経済成長期に目を見張るような発展が遂げられたのも、専業主婦が、母子家庭さながらの状況で、戦士(?笑)の夫を支え続けたからに他ならないでしょう。

私は最近、夫に良く話す問いかけがあります。

「あなたは退職でき、今は気ままに好きな事だけ毎日して暮らせる身分で、本当に羨ましいわ。
何故私には、退職がないのかしら。
あなたは、会社人間で仕事一筋。その他のことは一切合切、私任せ。
私は、細身の体(若い時はそうでした。笑)ながら、家事、育児、子供の教育、その他あらゆることを一手に引き受け背負い、心砕いて頑張ってきたのに、私には、なぜ退職がないの?
退職がないどころか、体力の衰えに反比例して、かえって益々忙しくなる一方。
余りに不公平ではないかしら。
私も家事なんてすべて投げ出し主婦業を退職し、自由人になれるものならなりたいわ。」

私の単なる鬱憤晴らし?ストレス解消法?でも本心です。(笑)
寡黙な夫は、むろん黙って聞いているだけでした。

随分前のことです。更にうろ覚え。
それゆえ、間違っているかもしれませんが、主婦業を金銭に換算すると、1500万円位に相当すると言った新聞記事を目にしたことがありました。
それを見た時、私は心から納得し、頷いたものです。

ですから、私は専業主婦であることを卑下したこと等、一度もありません。
それどころか、お給料の給付はないものの、立派な職業との自負のもと、誇りさえ抱き続けて暮らしてきました。

ですから、娘達には学生時代の頃は、専業主婦になることを強く願っていましたが、時代の流れには逆らえず、その思いはかないませんでした。
今はキャリアウーマンとして、第一線で活躍し、私とは全く異なる道を歩んでいます。

家事と仕事の両立をこなし、健気に生き生きと暮らす娘達の姿を見るに付け、専業主婦の立場が、多少弱くなってきたのは止むを得ない事かもしれない、と思うこの頃です
配偶者控除の問題などが取り上げられ、不公平云々と言われ始め、もうずいぶん経ちますが、 これも世の流れでしょうか。
専業主婦の肩身が多少狭くなるような風潮が、日本でも醸し出される時代になりつつあることは確かでしょう。

娘達がまだ幼いころ、私達は夫の転勤で、米国に数年間在住しましたが、その頃すでにアメリカでは、女性が働くことは当たり前の社会でした。
日中は、みなさん働きに出ているせいか、町は閑散として人影もないほど。
働かない女性は能力がない人と見られがち、と聞いた事さえあります。

男尊女卑の傾向がなかなか抜けず、セクシュアルハラスメントや雇用の不平等の問題をなお抱えたままながら、ここ数年、日本でも、女性の働く環境の改善が徐々になされてきたことは事実でしょう。

しかし女性の雇用が、高齢化と少子化の解決の手段としてのみ、利用されるとしたら、言語道断。
相変わらず、都合が悪くなれば切り捨てられる冷遇を受け、根本的には何も変わらないことになります。

雇用問題の解決が早急になされ、女性が生き生きと働くことができる環境整備に益々力を入れていただきたいと、心から願う者です

娘達を見ておりますと、仕事をしながら、専業主婦にも劣らない家事をこなし、頑張っているのがよくわかります。
今は時代の流れで、そういう女性が専業主婦をしのぐ数になりつつありますから、専業主婦も暮らし方次第では、批判の的になっても仕方ないところがあるのかもしれません。

でも、私は専業主婦にも、心からエールを送ります。

私達の世代が、超多忙な夫を支え、必死で家庭を守った心意気と自負を、若い世代の専業主婦にも、ぜひ持って頑張ってほしいと。

専業主婦!頑張れ!と声を大にして申し上げ、今日の日記を終わりといたします。

夕食の献立

バラさん、おねぎのお料理、とてもとても美味しかったです。
この一品だけ個別の写真を撮るのを忘れ、載せることができませんが、日を改めて、料理ブログでもご紹介させていただきますね。

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小さな家への憧れ

2012-01-25 06:32:47 | 住まい インテリア

さんは、小さな家という言葉から、何を連想なさいますか。
私は最近、可愛い小さな家に、時折憧れを抱き、想像を膨らませています。
こんな家に寄せる私の思いについての詳しい説明は、後回しにいたしましょう。
まず最初の質問に自らお答えします。

小さな家から、私が連想する事はいくつか挙げられますが、まず最初に心に浮かんだのは、大草原の小さな家
アメリカの大西部開拓時代を生きた、家族の愛のテレビドラマでした。
移住を幾度か繰り返す中、大草原に小さな家を建て、自然の厳しさとも闘いながら暮らしていきます。
固いきずなで結ばれた家族が織りなす愛情溢れる素朴な日々に、私達は心打たれ、見終わると、ひたすら次回を待ちわびたものでした。
ストーリーは、ほとんど忘れてしまいましたが、暖かな灯りのともった小さな家とその家族は、今なお、私の心の中で息づいています。

我家がこの上なく愛してやまなかった三大テレビドラマの一つと言ってよいでしょう。

次に浮かぶ小さな家も、なぜかまた、我家の三大ドラマの一つ

アルプスの少女ハイジ
アルプスの美しい山並みの中腹でおじいさんと少女ハイジが暮らす小さな山小屋。
本当に、本当に懐かしい、今でも胸がキューンと熱くなる思い出深いテレビアニメです。
私の育児の原点は、このアニメではなかったかしら、と思えるほど。
私のブログのプロフィールの写真のお人形も、ハイジです。(私がそう思い込んでいるだけかもしれません。笑)
私達家族がこのドラマに夢中になっていた頃の、夫の海外出張のお土産でした。
この話題を語り始めますと、今日のテーマから外れてしまいますので、この辺でとどめてておきましょう。

次に浮かぶ小さな家も、またまた我が家の三大ドラマの一つ。

北の国からです。

母親と離別した父子3人が、富良野の森の中で、文明社会に背を向け、自給自足の暮らしをし、ひたむきに生きていく物語でした。
私達家族が、前のドラマ同様、心を感動で震わせながら、夢中になって観たものです。
娘達は高校生の頃のことでした。

このドラマに登場する家族の家も、お父さんと子供たちが森林の樹木を切り倒し、板を削り、家族の手で作り上げた、小さな小さな家でした。

あら~今日のタイトルは、我が家の三大テレビドラマにすべきだったかもしれませんね~
何だか、日記の題からそれてしまいそう。
軌道修正しなければ……(笑)

次に浮かぶのは、ドラマでなく、絵本に登場する小さな家 
本の題名も、ちいさなおうち。
お子様に読んで聞かせた想い出のあるお方が、ほとんどでではないでしょうか。
ですから内容の説明は割愛させていただきます。

最後に取り上げる、私の心に浮かぶ小さな家は、かなり異質。

マリーアントワネットが、堅苦しい宮殿生活を嫌い、隠れ屋として利用した小さなお屋敷。
とはいえ、大きな立派なお屋敷には変わりありませんが。
宮殿に比べると、質素な門構えの、とても小さなお屋敷だったようです。
どんな大富豪でも、こじんまりとした家で、好きな物に囲まれ、寛いだ暮らしをしたいとの願望はあるものかもしれませんね~
私たち庶民は、言うまでもなく小さな家で暮らしているわけですから、アントワネットの思いとは別次元のお話ですけれどね。

今回、このような話題を取り上げるきっかけになったのは、ある日の新聞記事に載った小さな家の写真です。

モダニズム建築の巨匠、ル・コルビュジェが、老後を過ごす両親のために心を込めて建てた、約64平方メートルの小さな家。
家と外が一体となり、大地、湖、山、といった自然風景と日々共に暮らせるように設計されています。

 

 

記事を読み、感動し、去年の初夏以来、心の隅でいつも温め続けてきた小さな家への憧れ。
幾分忘れかけていたこの夢が、また蘇ってきたようです

昨年のゴールデンウィークに蓼科の旅行した時、すでに一足先に近くの別荘に滞在していた孫を呼び寄せ、一晩だけ、ホテルの本館でなく、広大なお庭に点在するコテージに宿泊しました。

林に囲まれ、テラスの眼下には、せせらぎが流れるロケーションで、コテージの空間も、とても素敵。
私は、その雰囲気にすっかり魅せられてしまいました。

その感動と小さな家に良質な数少ない家具と調度品を揃えて暮らす生活スタイルへの私のあこがれを、ほんの短い文でしたが、このブログにも、綴りました。
次女が、私のその文に大変惹かれた、と話してくれたのを、よく覚えています。

そういえば、私が尊敬してやまない、安藤忠雄氏のデビュー作となった建物、住吉の長屋も小さな小さな家ながら、自然を取り入れた空間でした。

両巨匠のモダニズムは、私の性格では、素直に受け入れが難いものがありますが・・・・・・
二人の建築家が建てた小さな家は、自然と一体となった上質な小さな家で暮らすしてみたい、との私の夢に通じるものがあるのかもしれません。
建築家のコンセプトが凝縮されると、小さな家に行きつくのでしょうか?
な~んて、ちょっと生意気な感想でした。(笑)

私は、平均的住居の広さより、多少広い家に住み、シニアー世代となった今、管理を少々持てあましている身です。
ですから小さな家に夢を描き、憧れる思いは、今後も抱き続けていくことでしょう、

でも40代の頃、自分で図面を引き、妥協せず精魂傾けて建てた我が家。
大きな窓が多く、そこに映る緑に感動して下さる友人もいます。

どんなに古くなっても、そんな我が家への愛着はひとしおの私ですから、今さらこの歳では、夢の実現は難しそう。
お掃除と管理が大変と文句をぶつぶつ言い続けながらも、一生この家で日々の暮らしを丁寧に紡ぎ、生を全うしたいと願っています。。

被災地では、今建築家が、新しい試みに燃え、復興の支援に力を貸しているとの報道をよく目にします。
優しい自然を取り込み、家族のきずなを大切にできるような住居を建て、被災地の人達の心を慰め、癒し、励ましてほしいもの、と心から願っています。

追記、

実際に小さな家にお住まいの方が私のブログを読み、いかなる感情を抱かれるかと、何だか不安に思えてまいりました。
身勝手極まりない願望との印象で、呆れていらっしゃるかたもおられるかもしれません。
でも、素直な姿勢で、自分の気持ちを正直に綴るのが日記と思い、ありのままの今抱く思いを書かせていただきました。

多様な考え方や受け止め方があって当然と肝に銘じているつもりですが、多少臆病になってしまったかれん桜です。
そのために、こんな弁解をさせていただきました。

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ご訪問、有難うございました。。
長文にもかかわらず、お時間を割いてまで、私の拙文を最後までお読み下さった皆様には恐縮しております。
重ねて御礼申し上げます。

 

 

 

  


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ブログへの私の思い

2012-01-21 07:30:39 | ブログ

今朝は、ベッドを離れ、まず行った動作は、おそるおそるカーテンを開け、外の様子を窺うことでした。
ホッとしました。雪が積もってなくて。
昨夜、入浴の頃、この冬一番ではないかしら、と思える冷たさが、足元に忍び寄ってくるのを感じましたから。

かって雪掻き作業をする事態になった際は、日頃の運動不足解消の絶好の機会と思い、結構張り切って頑張ったものでした。

今年は、首の痛みに悩まされる身。
俯き加減の姿勢の持続は大敵なので、雪かきはさぞつらいことでは、と思っています。
ですから、今朝の安堵感は、いつになく大きく、嬉しいものでした。

さて今日は、昨日に引き続き、ブログへの私の正直な思いを語らせていただきます。
飽くまでブロガーの身としての出来事でしたが、ここ数日の間に、お二方様の温かな手で、ピシッ!ピシッ!と両頬に平手打ちを食らったような思いを致しました。
表現が、ちょっとオーバーすぎますね~(笑)
でも、かなり堪えましたよ。
特に、二番目のの平手打ちは、倒れてしまいそうな程に、衝撃が大きかったです。(笑)

こういう時、つい助け船を求めたくなる私ですが、心に浮かぶ顔は、一人はむろん妹の夢路。
もうお人方はは、魔女さん♪

でもかって違うサイトで、恐ろしい誹謗中傷も受けたことのある私ですが、それとは全く異質で、レベルの高い真摯なご意見だと分かりました。
胸がドキドキし、多少は落ち込みましたが、私のブログについてのご意見や感想を、今後にできるだけ生かしたい、と思っています。
率直にお気持ちをお伝え下さいまして、ありがとうございました。

でも、前回同様、今回も幾分誤解もあるようですので、またこの場で、弁明をさせていただくことにいたします。

まず、私がコメントを受け付けない理由は、他人の意見に惑わされたくないから、との受け留め方についてです。

私は、かってあるサイト(ブログではなく私の部屋という名称のサイトでした)のコメント欄で、恐ろしいような罵詈雑言を浴びせられたことがあります。
その恐怖は、今も忘れられません。
しかし、その時はしばらく辛抱したものの、これはひどすぎると感じ、その方のみコメント拒否の設定をして逃れました。
今は身を守るために、よいツールがいろいろありますね~
まだよく調べていませんが、私がお世話になっているgooブログにも整備さいることでしょう。
ですから、この問題と不安は、私の心の内では解決済みです。

では、他人の意見に惑わされたくないからについてですが、多少私の気持ちとのずれを感じました。
ブログ開設当初から、私がコメントを受け付けない設定にした理由は、体力的にも、時間的にも、お返事は不可能と感じたからにすぎません。

もしコメントを受け付けていたなら、日頃家事に追われている身では、時間的負荷に耐えられず、私のブログはとっくに崩壊。(笑)
消滅の運命を辿ったことでしょう。

このような理由から、コメント拒否の設定にさせていただいたのでした。

ですから、他人の意見に惑わされることなく自由に奔放に書きたい、との思いが、殊更強いわけではありません。
私は、それなりに気も使って書いているつもりですが、そのようには見えませんか?(笑)

次に、私がランキングにこだわり過ぎているとのご意見について。
政府が管理しているわけでもなく、本当に応援しているかどうかもいい加減なものだ、と言われてしまうと、返す言葉がありませんが…(笑)

私の場合、みなさんの反響を知る唯一の手掛かりは、ブログ村のポイント数ですから、ある程度、気にかけていることは事実です。
ですから、少々痛烈でしたが、全く的外れなご意見とは思っていません。

但し、順位を気にしているというより、あくまで皆さんの受け止め方、どの程度の方が共感を示してさったか、のバロメータ-として、役立たせて頂いているつもりです。
弁明を書いた時も、いつもの倍近い応援を頂き、思いがけず多くの方が理解して下さった事に感激し、心から嬉しくく思いました。

順位が上なのは、私が毎日綴っているからで、お休みがちになれば、一気に、いつも下がります。

けれど、決して順位を気にし、上げたいがために、書いているわけでは全くありません。
虚心で、いつもPCに向かい、毎朝、抱く思いが自然と文になり、日々の日記へと、今のところなっています。
是非この点は、ご理解下さいませ

もちろん応援がたくさん頂けますと嬉しいので、点を稼ぎたくて(笑)、応援依頼の言葉もたまに載せたりもいたしますが、今後は控えようと思います。

最後に個人情報の件について。

>貴女のブログは家族、親戚限定のブログに見えます。
パスワードをかけて一般の人には見られないようにした方が良ろしいのでは?

かなり辛辣なお言葉で、十歩くらい身を引きたい心境でした。(笑)

写真の公開は、私が一番迷い続けてきたことですので、今後は今までより多少注意を払うように致します。

若夫婦は、家族写真をのせることに対し、特別文句を言いません。
娘や婿達の物事を判断する基準を、非常に信頼し尊重している私です。
かって抗議されたことは、ほとんどないため、いいかな、と思ってました。
でも今後は、気を付けてまいります。

追記
そいえば、思い出し書き忘れたことがあります。
去年の孫のピアノ発表会の帰り道、長女夫婦に、ブログに他人の顔をのせないよう注意を受けました。
その通りに致します。

ブログそのものの公開の件ですが、公開でありませんと、文章を書くことへの苦手意識が相変わらずの私は、とても日記を書き続けることは無理でしょう。
日記帳を買い求め、今年こそと、書く志を年初掲げても、いつも三日坊主。
ひと月も、続いた試しがありません。

公開の快い緊張感は、自分磨きの励みに、とてもなります。
そしてこれまで通り、時事、その他あらゆる分野で、自分の考えや意見を、時に述べさせていただけるのも、公開ならでの素晴らしさだと思っています。
ですから貴女のブログは、家族、親せき限定と言われますと、私の記事は何一つ皆さんの参考にも、お役にも立っていないのかな、と思い、首うなだれる心境です。クシュン!

でも大変参考になり、私は心から感謝しています。
ご意見、ご感想、誠にありがとうございました。

私のブログに、同じお気持ちを抱いておられた方は、ほかにもいらっしゃるに違いありません。
私の本日ののブロウ記事をお読み下さり、多少でもご理解いただけるなら望外の幸せに存じます。

今後とも宜しくお願い致します。

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さして話題も見つからないままに・・・・・・

2012-01-20 06:50:14 | ブログ

さぁ~今日は何を綴りましょうか?
こんなに、思いあぐねたことは、かってなかったことでは。
私の貧弱な感性が、ついに底を尽きかけてきたのかもしれません。

こういう状況に追い込まれますと、ブロガーとしては、何だか不安で、幾分のストレス。

明日の題材が思い当たらないと思っても、翌朝PCに向かいますと、そうだ今日は、このテーマで行こうと、突然思い浮かびます。
そしてキーボードを打つ手が、なめらかに動き出すのが常でした。

考えて書くと言うより、書きながら私は考える方かもしれません。
そして、書き終わった後の念入りな(?)推敲は、投稿後家事の合間に、ポツリポツリとのんびり行います。
何だかとても無責任な投稿の仕方で申し訳なく思いますが・・・・・・・

推敲を十分しないまま一旦投稿させていただく訳は。
投稿が終わると、大仕事をこなしたような安堵感に包まれ、その後心おきなく家事に集中できるからです。

でもいつも思うことは、書きたいと心から思えるテーマや話題がなければ、貴重な時間を割いてまで無理して書く必要はないということ。
自分の心に、素直であればいい、と。
常にそう思いながらも、ほぼ毎日綴れたのは、今までは、書きたいことが自然に心に浮かんできたからに他なりません。

ですから、今日のような状況に追い込まれることは、めったにないこと。
と言いながらも、また今も指が動いていますね~(笑)、
私は書く話題に行き詰まると、ブログについての悩みや反省によく行き当たります。

毎日、夢中で綴って、壁にぶつかれば、内省のひと時。
自分のブログ生活に思いを巡らせ、課題を拾って、悩んだり迷ったり、と。

リアルな世界では余程信頼がおける人でなければ、絶対語らないようなことまで、私はネットでは綴っています。
そのために、時に自慢話に受け止められないかしら?
或いは逆に夫婦の病や自分の弱さを露呈しすぎてはいないかしら?とか・・・
悩みも尽きません。

日経の過去の連載、「私の履歴書」ではないけれど、半生の自分史を克明に語るくらいの気持ちで正直に語り尽くそう。
そして、家族はむろん、見も知らない人たちにも多少でも参考になれば、そんな気持ちでいます。

恐らくいろんな思いに揺れながらも、元気なうちは、ブログ生活を今後も楽しんでいくのでしょう。
でも、無理は禁物、と、改めて自分に言い聞かせています。

こんなわけで、今日は綴りたいほどの話題が思い浮かびません。
と思いきや、書きとめたいことが一つありました。(笑)

今日は、孫のK君のバイオリンのお稽古の付き添いを頼まれ、出かける予定にしていました。
ところが私の勘違いで、お稽古日は昨日だったとのこと。
パパが時間が空いたので同伴し、事なきを得たようです。
なんだか私は拍子抜け。(笑)

夕食時の、夫との会話。
「私の体調は、まだ今ひとつだけれど、あなたはとても元気そうね~以前のように孫をもっと預かりましょうよ」と。
ジジババ業をそろそろ本格的に再開しましょうかしら。(笑)
K君はお泊まりがしたくて仕方ないようですからね。

明日は、次女宅のお庭の植栽の打ちあわせで、我が家のガーデナーさんを娘宅に案内することになっています。
が、娘の話では。

「それって来週の週末では?」

「そうだったかしら。また私の勘違い?」

でもカレンダーを確認すると、あすにマークがしてありました。
私が、娘に間違えて報告してしまったのかもしれません?
(追記 娘の記憶が正しかったです。私がカレンダーに付け間違えた見たい。ますます自信がなくなりそう・・・)

自分の記憶力は、歳を重ねるごとに心もとなくなる一方です。
家族なら笑って許されることでも、他人には迷惑をかけられませんから、メモ魔になって、頭の老化をカバーしましょう。

気の向くまま、つれづれを紛らわすような日記でしたが、今日はこれで終わりとします。

ブログを書き終わってカーテンを開けると、粉雪が舞っていて、外は薄化粧。
我が地は、初雪です。

童心に返って心躍る気分に一瞬なりましたけれど、雪掻きはご勘弁を。
お出かけの方は、足元にくれぐれもご注意下さいね。

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素敵な方へ 私の弁明

2012-01-19 06:03:35 | ブログ

触れるべきかどうか、非常に迷ったことです。
言い訳がましくて、みっともない気も致しますが、勇気を出して、私の気持ちを語らせて頂こうと思います。

ある方(この度はkanmoさんと表示させていただきます)が、ブログで私の記事に対して、批判の言葉を述べておられました。

それは私の大好きなブログの一つで、素晴らしい文章を書かれる方です。
常に内面を見つめる思索的な生き方にも心惹かれ、どこかいつも現状に甘え、ふわふわ生きている自分とは大違い、と感じていました。
そのブロガーさまから受けた批判の言葉だけに、ショックも大きく、いろいろ考えさせられました。
今後日記を綴るにあたっては、誤解を招かないように、言葉は慎重に選ばなければ、と改めて反省も致しました。

その方の文をここに載せるのが、私の今の心情を理解していただく上で、一番手っ取り早いこととは思いますが、、それは余りに差し障りのあることゆえ、控えます。
私は、その指摘に、反論するものではありません。
私の文章の拙さゆえに誤解を招いてしまったことを、反省するのみです。

その批判の二点の一つは、私の文章がとても丁寧ながら、差別用語があり、がっかりさせられた、というものでした。

もう一点は、主婦の身で、意見を言って何が悪いの?との疑問を投げかけておられました。

批判される身としては、明らかに誤解だな~と辛く悲しくなりながらも、その方のおっしゃっておられる内容は、当然のことと受け留め、心から納得した次第です。

その文章を拝読後、その前に書いた自分の日記を数日さかのぼって読み直したのですが、どの言葉が差別用語に当たるのか、よく分かりませんでした。偏差値云々の文章でしょうか。
もう少し具体的に書いて頂けますと、私も今後注意する上で、助かったのですが。

私は差別意識は、人間として取ってはならない最低の行為と思っているつもりです。
しかし、恵まれた環境で過ごしてきた私には、自分では意識せずとも、その行為に似た言葉を吐いているのかもしれません。
随分前のこと。アジア論めいた話だったと思います。
娘達と新興国の話で盛りあがった時、私の話の内容を指摘して、はっきりと、「ママ、それは差別よ」と言われ、反論したことがありました。(笑)

自分では、差別なんてとんでもない、と思っていても、言葉は恐ろしい生き物。
そのように受け留められても仕方ない言動をうっかり吐いてしまう愚かさを、私のみならず人間はもっているものかもしれません。
この類の失敗で糾弾された政治家は、枚挙にいとまもないほどですね~
私は、心ならずも、自らが使用したどの表現が差別用語に当たるの、未だによく分からないままで、恥ずかしい限りです。
でも、今後は、差別用語と受け止められる事のないように、一層言葉遣いには気を付けてまいりますね。

もう一点の、専業主婦が意見を述べて何が悪いの、といったご意見への、私の弁明です。

久しぶりに、時事について述べた時、最初、タイトルにも、専業主婦の分際で生意気な事を云々…といった言葉を使用していました。
その後、数時間経過後、私自身の判断で、専業主婦は取り除きました。
何か変!、と思ったからです。(笑)
批判の文章を拝見したのは一昨日のことですから、そのためにタイトルを変更したわけではありません。

私は、世の中の流れはしっかりと把握できる女性でありたいと願い、常々新聞には必ず目を通す努力を重ねてきたつもりです。
とは言え、時事を語る事は嫌いではありませんのに、この方面のお話しになりますと、専業主婦で現場の大変さを知らない私が、勝手な意見を言っても、説得力もなく、ほかの方が読むと生意気と、受け止められないかしら、といった臆する恥ずかしい気持ちが幾分湧いてきます。

その思いが、専業主婦ながら、といった表現になってしまうのですね~
既に幾度も幾度も使用してしまいました。
でもこの表現は、私の気まぐれ。(笑)

専業主婦ながら私は、言いたい放題勝手な事ばかり、ブログに綴らせて頂いていますもの。
その方がおっしゃっておられたように、私のブログも、単なる思い付き、自己主張、自己顕示欲に過ぎません。

素敵な女性の誤解を解きたくて、恥ずかしながら弁明の文章を綴らせていただきました。

失礼の程は、何卒ご容赦くださいませ。

最後に一言お断りしておきますが、この方は、60代とは異なるジャンルのブログ村のメンバー様でいらっしゃいます。

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今日もお立ち寄り下さいまして有難うございました。
厳しい寒さながら、今日も張り切って過ごしてまいりましょう。 

 

 

 

 


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花壇の手入れに心和む日々

2012-01-18 07:20:15 | ガーデニング

土壌が凍てつくような寒さながら、庭の花壇の草花は、その冷たさを振り払うかのように、凛と咲き続けています。
その健気な姿を見るたびに、心が和み、弾み、ガーデニングのひと時の幸せを噛みしめます。
とは言え、私のガーデニングは、半ば他人任せ。
恥ずかしい限りです。

しかし、ガーデニングの作業の姿勢は、今の私には一番辛いこと。
同じ姿勢を、多少長めに持続すると、途端に首が痛く辛くなります。
ガーデナーさんに年4回のお庭の管理を依頼すると言った思いがけないアイディアーが、私の心に思い浮かばなかったなら、我が庭は、どうなっていたことでしょう。
恐らく、見る影もないほどに荒れ、さびしい姿になり果てていたに違いありません。
人件費は、決して安くはないけれど、私は大切な余裕資金の一部を、このことに注いで、正解だった、としみじみ思うこの頃です。

初孫のR君誕生の際に、その当時高島屋の別館で営業していた第一園芸に、庭のリフォームをお願いし、見事に生まれ変わった我が庭を見て、私は大感激したものでした。
でも、ものぐさなところもある私ですから、せっかく美しく変貌した庭を、日々手入れに励み、そのままの状態で持続とは、到底まいりませんでした。
しかしながら、ハード面での充実においては、消耗品ではないために、今なお、その良さを失わず、我が庭に、素敵な雰囲気を醸しだしてくれています。
そして、努力次第で、ささやかなイングリッシュガーデンも夢ではあり得ない、との希望を抱かせてくれるのです。

でも、いかんせん、お庭が狭く、限界がありそう。
和室前の坪庭も含めますと、面積自体はほどほどありますが、奥行きのない横幅が長い庭なんですね~
この形状の庭で、イングリッシュガーデンを実現するには、多少無理がありそうな感じでした。

先日、ガーデナーのHさんと久しぶりにお話しした際、私の希望も多少取り入れてもらいたいとの考えから、次のようにお話ししました。

「今のところ、我が家の花壇は、背丈の割と低い草花が、いろいろミックスされて植えられている感じがしますが・・・・・・
次回の植栽の際には、同じ草花を、こんもりと一か所にまとめて植えるスペースを作っては如何でしょうか?」と。

「背丈が割とあって、風に揺れる風情を楽しめるような・・・・・・」

そのように申し上げたところ、次のようなお答えが返ってきました。

「Nさんが望まれるのは、イングリッシュガーデンですね。イングリッシュガーデンは、一般には、春、夏、秋、冬と季節毎のスペースがあり、そこにシーズンにあった同種類の草花を植えます。
しかしお庭が広くないと、それは無理ですし、同種類のものを十分な場所を取って植えると、それが終わった時、そのスペースがぽっかり空いてしまいますから、なかなか難しいですね」と。

私は半ば納得。でも、移植という手もあるのでは、とまだ希望は捨てていません。
もう少し、体調がよくなれば、植える草花の選択にも、自分も積極的にかかわりたい、との思いも幾分あります。

Hさんとお話しした際、もう一言お願いをしておきました。
「私は、マーガレットが大好きなお花ですから、春にはぜひ、この方法で植えていただけると嬉しいです」と。

他人任せながら、夢は広がる一方です。

先日ブログでも触れたオブジェも二つ届き、庭に設置されました。
ところが、思ったより大きくて、目が慣れるまで、多少の戸惑いもあり、悩みました。
Hさんも、注文しお店に届いた物体を見て、思いの外大きくて、我家の庭とのバランスを幾分心配なさったようでした。
搬送されてきた日は、ご都合が悪く、植木屋さんのみでしたので、今週末まで検討期間で、キャンセルも可能です。

しかしながら、植木屋さんが、トレリスとのバランスも取れていて、とてもいい感じですよ、と言われたように、私も最初の戸惑いが次第に薄れ、愛着が日毎に湧いてきています。

心持大きめだけれど、そのどっしりした重量感、テラコッタの素朴さ、おおらかさ。
庭の真正面に二つ据えられ、その姿は、まるで我が家の守護像のごとくでもあります。(笑)
眺めていると、その温かな風合いと素朴さが、とても心を和ませ、落ち着かせてくれるのですね~

Hさんと植木屋さんが、おっしゃるには、
「風雨にさらされるうちに、テラコッタの色が変わっていき、もっと趣が生まれてきますよ。
苔もつき、下草や、樹木の緑もかかり、その陰影で、いっそう素敵に感じられるようになります。」と。

確かにその通りだと思いました。

まだまだスタートしたばかりの我が庭。

今後の成長に夢を託し、私の暮らしの大いなる癒しとして、楽しみましょう。

凛とした寒空の下、私は毎日お庭に出、極めて短時間ながら、花がらを摘んだり、水やりをし、思いがけない充実した老後の楽しみに、心を弾ませています。

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病からの脱出は、いつのこと?

2012-01-17 09:50:10 | 病気

毎日厳しい寒さが続きますね。
冷たい空気に身が震えそうですが、今冬は、私は意外にも寒さに強そう。
初めての試みですが、ババシャツを二枚重ね着しています。
それにより、空気の層ができ、寒さ防止になっているのかしら。

皆様、風邪など引かれて体調を崩したりなさっておられませんか。

私は、今のところ、風邪の奇襲を受けることもなく、首の病を除いては、至って元気といえるでしょう。
かなり強がりの言い回しですけれどね。(笑)

首が締め付けられているような息苦しさを感じる時は、頭がクラクラし、脳溢血寸前では、といった気分になることもあります。
貧弱な脳が、ますます弱くなりそう。(笑)

昨日も、首に負担をかけないよう万全の対応で臨んだはずなのですが、お昼頃から調子が悪く、首が辛い上に息苦しく、頭がモヤモヤクラクラ。
嫌な気分でまいりました。
早く治りたいとの強い願望から、いろいろ試みるのですが、この病から、私は、なかなか脱出ができません。
他には、辛いところはなく、風邪ひとつ引かず、元気なんですけれどね~

一度、群馬大学の整形外科の医師の所まで、すがる思いで、足を運んだほうががいいのかしら。
郷里で開業医をしている夫のいとこに、年末相談したところ、肩こりの名医と評判の群馬大学附属病院の教授、高岸憲二先生を教えてくれました。

でも、群馬まででかけるとなりますと、ここからでは大変。
医者ぎらいで出無精の私には、余程の決意と覚悟がなければ・・・・・・
何とも、心もとない限りです。

相談した際、いとこが紹介してくれたテレビ番組も、ここに載せておきますね。
私は、まだ観ていませんが。
辛気臭くなりがちなこのような番組は、つい敬遠しがちですが、シニアー世代の私達には、役立つ情報満載かもしれません。

http://www.bs-asahi.co.jp/genba/

この病気になって半年以上、私の人生最大の試練のようにも感じますが、自分の性格に、新たな発見もありましたよ。
私って、意外と強靭な精神力の持ち主では?あるいはとてつもなく辛抱強い女性?な~んて。
自画自賛で、みっともないですね~
夫には、とてもかないませんもの。

でも皆さん、息苦しい症状って、人間にとっては、かなり耐えがたい辛いことだと思われませんか?
命の基幹の呼吸器のことですから。

私は皆さんの同情を乞う哀れな女性?(笑)

でも、夫にはしばしば愚痴を述べながらも、以前と変わりなく、日々平常心で、暮らしてきました。
八つ当たりしていさかいを起こす事も一度もありませんでしたよ。
それどころか、お互いに病を患い、同類相哀れむの心境で、温かな心の通い合いがあるような、ないような・・・・・・

寡黙な夫のことですから、特別変化があるわけでもなく、プラス思考の私の勝手な感想です。(笑)

夫の方が、私よりはるかに重い荷を背負って、今は生きています。
ですから、私程度の事で音を上げていては申し訳が立たないですね。

でも、食欲も旺盛で、私よりずっと元気。。
電車の中で、夫に席を譲る気遣いだけは、もうそろそろ卒業させてもらってもいいのでは・・・・・(笑)

今後も、この程度の病に負けてなるものか、との気慨で、明るく元気に暮らしてまいります。

夕食の献立

豚薄切り肉のねぎ巻き・キャベツの甘酢和え・里芋の煮ころがし・茶碗蒸し

 

 

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朝の気持ちを載せて・・・・・・

2012-01-16 07:08:06 | ブログ

昨日も、たくさんの方々にお訪ねいただき、たくさんの応援、ありがとうございました。

長文の内輪話で、皆様の受け止め方に、幾分不安を感じながらの記述でしたが、安心することができました。

いつも変わらぬご厚情に、感謝の気持ち一杯でおります。

たかが個人の拙い日記を読むために、皆様の貴重な時間を無駄にさせてはいけない。
もっと要領よく文をまとめ、短くしなければ、と常々思い続けてはいますが、それが、なかなかできない私です。
私自身にとっても、ブログ日記を書く労力が軽減し、一挙両得ですのにね~|(笑)

もっと行間に含みを持たせた、間のある含蓄のある文章を綴ってみたい、との願望はあるのですが・・・・・。
いくら願っても、私の文章力では、無理そうです。

しかし、こんな長文を日々綴っていては、首の病がいつまで経っても治らない、との不安も、心にくすぶっています。
ところが最近、首には一切負担をかけない綴り方を、苦労の末見付けることができました。、
今朝も早朝から、その方法で、PCに向かっています。
多少お行儀が悪くて、恥ずかしいですから、皆様にお伝えするのは、また日を改めてとさせていただきます。

この効果は大で、最近は、夕刻時になるまで、首の痛みや息苦しさは、さほど感じなくなりましたが、調理に根を詰めると、再発。
パソコンに限らず、俯き加減の姿勢を取ることがよくないようで、デスクワークと主婦業が好きな私には、まこと困りものの病です。
ブログ日記を書く回数も、もっと減らし、運動量を多くする心掛けを徹底すべきかもしれません。

「かれん桜さん!万歩計は、どうなっちゃったの?」との皆さんの声が聞こえてくるようです。(笑)

その後も、日々身に付けて暮らしているのですが、私の期待通りに、歩を刻んでくれず、歩数を気にする生活に少々疲れ気味。
いわゆる三日坊主ですね~(笑)

年末の頃、歩数を意識し、力強い歩行を屋内でも心掛け、5000歩近くを日々達成していました。
そのお陰でしょうか。
超多忙な暮らしにもかかわらず、体調がすこぶる良好でした。
ですから、今後も、継続することが、私の暮らしを快適にしてくれることは間違いない、と承知はしていますが・・・・・

ただ不満で、納得がいかないのは、私の普段当たり前に移動を繰り返す家事の歩行は、歩数としてほとんど刻んでくれないこと。
今日は家の中ながら、よく働いた、と感じて歩数計を見ると、2000歩前後だったりすると、何だかとてもがっかりします。
とは言え、やはり、五千歩、できるなら一万歩目指して頑張りたいとの気持ちは、今も変わりないかれん桜です。

何だか、今日は取りとめもない記述をつれづれなるままにでした。

最後までお読み下さいいました皆様、今日もお付き合い頂き、有難うございました。

今後とも、宜しくお願い致します。

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大学入試センター試験における次女の大失敗のお話

2012-01-15 09:45:31 | 家族

昨日から、大学入試センター試験が始まりました。

志望の大学に合格したい一途な思いで、必死で頑張ってきた多くの受験生達の第一関門。
日頃の努力が問われる真剣勝負です。

小学六年生の孫のR君のみならず、すべての受験生のために、私が祈りたいことは、日頃の実力を100%、願わくば120パーセント発揮し、結果はどうであれ、心から納得して終了してほしいことです。

数日前、合格発表における、私の誠に呆れた頓馬な行為を語りましたが、受験にまつわるお話しでしたら、我が家には、まだまだ、色々なエピソードがあります。
合格発表の掲示板で、長女の番号を見落とすなんて、絶対あってはならないことですが、これからお話しすることは、大学受験の際、次女本人がしでかしてしまった、大失敗のお話。
緊張を強いられる試験場で、実力100%発揮とは、なかなかまいりませんね。
その失敗にもかかわらず、第一志望の大学に無事入学できたので、今はお笑いの種の話題として、ブログでも触れることができます。

私は子供は、二歳離れた娘二人に恵まれ、同じ環境の下、私の育児方針に従って、同じように育ててきたつもりです。
ですから、自ずと匂い漂う雰囲気は、瓜二つ。
二人とも、第一線で働くバリバリのキャリアウーマンながらが、とても柔らかな雰囲気のする優しい女性です。
その上、とても賢く、心身は、実に逞しい。
性格は、似たところがあるとはいえ、それぞれの個性があり、むろん多少異なります。

鳶が鷹を生むの諺が、私ほど当てはまる人は、めったにいないでしょう。(笑)

しかし、中学生のころから、二人の勉強への取り組み方は、まるで異なるものでした。

長女は、短期集中型。

次女は、何事も長期戦でコツコツ努力を積み重ねる努力型。

テストのシーズンになっても、余裕たっぷりの雰囲気で、日頃とさして変わらない態度で、試験に臨むのが長女。
次女は、もう少しゆとりがあればいいのにな~と傍で見つめる親はつい思ってしまうほど、一途に勉強に励む子でした、。

そして次女の進学の目標は、常に姉がさして苦労せずクリヤーした学校でした。
その目標を達成するために、次女は姉の数倍、涙ぐましい努力を積み重ね、中学受験も大学受験にも挑んだのです。

さて、前置きが大変長くなりましたが、ここからが、努力型の次女の失敗の本題に入ります。

それは、昨日始まったセンター試験に次女が臨んだ日の事。
毎年、このシーズンが訪れますと、未だに、生々しい思い出として、私の脳裏に蘇ってきます。

私は、その日の朝、緊張した面持ちながら、人事を尽くして天命を待つような心境であったに違いない娘を、温かく励まし、送り出しました。
しかし、姉と同じ最難関の国立を目指す次女にとっては、センター試験は軽くクリヤーできる通過点であったはずです。
私もそのように感じ、然程心配はしていませんでしたが・・・・・・

ところがです。

午前中の試験が終了したころの時間帯に、我が家に電話のベルが。
何気に受話器を取ったところ、娘の、嗚咽に近いような泣きじゃくる声。

「ママ!私、とんでもない失敗をしてしまったの。」

そう話した後は、なかなか言葉にならず、しくしく泣き続けています。

何とか、落ち着かせ、その理由を尋ねたところ、マークシートの国語の回答欄の枠が、終了の時点で、二つ残ってしまったとの事。
恐らく、どこかの時点で、二枠が抜け落ちたまま、間違った枠に回答を書き続けたようでした。
そうであれば、解答は、途中から、すべて不正解になりますよね。

でも、もしかすると、終了五~六分前に行ったミスかもしれません。
しかし、失敗に気が付き動転すると、初めの頃の問題からずらした最悪の事態を想定してしまうのは、いずこも同じでしょう。

私は、嗚咽する次女を、ひたすらなだめ、午前中の失敗は忘れて、午後の試験を頑張るように励ますのが精一杯でした。
受話器を切った後、事態の深刻さを思い、数年の必死の努力が、このうっかりミスで水泡に帰すのでは、と、次女が切なく哀れで、地の底に体が沈んでいくような心境でした。

帰宅してからも、半狂乱のようになって泣き崩れ、最初は慰める言葉も見つかりませんでした。

その後平静さを取り戻した娘と話し合い、勉強の方針を、思考力を問う良質な問題で評判のT大学型から、重箱の隅をつつくような出題をすると、その頃言われていた私立のWやK大学型の受験勉強へと、180度転換しました。

次女は、ひどく失望し、志望校は半ばあきらめた心境だったでしょう。

しかし、私は望みはまだ捨てず、前向きの話ばかりするように心がけ、意気消沈した次女の心を奮い立たせるよう努めました。
でも、合否の結果の通知がくるまでは、娘の辛い気持ちを察し、針の筵の上で暮らしているような心境でした。

ところが、案ずるより産むがやすしで、その後、無事に目指す姉と同じ国立大学に入学できたのです。

いろんな苦労と葛藤を乗り越え、淡いピンクのスーツに身を包み、武道館での入学式に臨んだ娘は、眩しいほどに輝き、可憐で美しく、母親の私も、この上ない至福の時でした。

その娘達も、二人の子の母親となり、今は、40代前後。
昨日の事のように、鮮明に思い出されますのに、そこに横たわる長い時空が、信じられないほどです。

受験は、水もので、次女のように、必ずしも、本領が発揮できるとは限りません
受験生の皆さんは、どのような状況になろうとも、失敗を恐れず、目の前の問題にひたすら真剣に取り組み、静かに天命を待てるといいですね。

私が、中学受験でも、大学受験でも、常に娘に言ってきたことは、結果ではなく、頑張る過程が何よりも大切、ということでした。
その気持ちには、今も変わりありません。

受験生の方々のご健闘を、心よりお祈り致します。

中学受験に臨む孫のR君と、全国の受験生の事を心に思い浮かべながら、勝手な事を書かせていただきました。
お読みぐるしい点は、なにとぞご海容下さいませ。

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最後まで、過去の私事に触れた長文をお読みくださいまして、恐縮に存じます。
 有難うございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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文章修業なんて・・・・・・

2012-01-14 11:31:41 | ブログ

日記を日々綴っておりますと、折々で自分の文章力を自分自身に問わないわけにはまいりません。
不適切な言葉を使用していることに気が付いた時の、恥ずかしさ。

以前に、他のブログで、私の表現の間違いを指摘された方がいました。
誤用とまでは、必ずしも言えない程度のことでしたが、一般的には、当てはまらない語使用と分かり、慌てて訂正したものです。

昨日の日記で使用した助長という言葉も、明らかに間違いですね~
他の表現に変えました。

言葉が躍るも、なんだか、文章の内容からして、変・・・・・・
でも、まじめにもっとふさわしい表現を探し求めはするものの、思い付かない。

ボキャブラリーの引き出しも、知識の引き出しも貧弱な私が、たまにお休みを取ったものの、およそ一年少々、ほぼ毎日、日記が綴れたことは、驚異的。
自ら、信じられないようなことです。

去年の秋頃、私が一番敬遠していた過去の日記をすべて読み直す所業を無理やり自らに果し、日々遂行したことがあります。
カテゴリーについて、私は全く無頓着で、日々の記述は、すべて日記となっていましたので、その分類分けの目的も兼ねてのことでしたが。

過去の文章は長文の上(今もこの点は、変わりませんね~笑)、話がしょっちゅう脱線。
テーマから逸脱してしまい、赤面の思いで読んだものです。
その都度、推敲し、中にはひどすぎて、手の加えようがなく、完全に抹消した日記もあります。

しかし、カテゴリーの分類訳も、昨年の秋ごろの記事で中断のまま。
その後の記事には、やり残したものが、まだたくさんあります。
むろん手直しもしていません。

日記ですから、文章の巧拙などお構いなく、心情を素直に発露すればよいだけ、と頭では理解しているつもりですが、公開となると、どうしても多少は気になりますね~

文章力を身に付けたいとの思いは、若い頃から幾分はあり、文章読本の類の書物は、時に手にもしました。
しかし、いつも、斜め読みでしたから、何も覚えておらず、その指南が身についてもいません。

馬鹿の一つ覚えのように反芻し、心がけていることが、1点だけあります。

これまでにも幾度か触れたように思いますが、センテンスを短くすること。
私のように、さして文章力のないものには、この点を注意するだけで、主語と述語が混乱することが余りなくなり、文章の冗長をいくらか防ぐことができます。

三島由紀夫氏や、大江健三郎氏のような天才小説家のワンセンテンスは、非常に長いですけれど・・・・・・

小説家の努力に思いを致すなら、ある日の新聞に載っていた川端康成氏の執筆中の原稿用紙を目にした時の、鮮烈な印象です。
1枚の原稿用紙が至るところ、棒線で消され、所狭しとばかりに、推敲の文や言葉が書き加えられ、その努力の跡は、ノーベル賞作家とは言え、涙ぐましいほどのものでした。

文章が上手になりたい、との思いは、私に限らずブロガーさんんも願って止まないことでいらっしゃるでしょう。
その手段となり、人格磨きにも役立ちそうな、とある方法が、いま静かなブームになっているのを皆さんはご存じですか。

朝日新聞の天声人語の書き写しです。

老若男女を問わず、さらに学校でも教師の指導のもと、学生も実践しているところがあるようです。

私はいま受験中のR君にもぜひ行ってほしいと、ひそかに願っています。
でも長女のところは、確か朝日を取っていなかったのでは・・・・・・
そうだとしたら、とても残念ですけれど。

私も、内容もいつも素晴らしいので、書き写しをしたいとの思いは山々ですが、時間がとれません。
皆様は、如何でしょうか?
昨年の天声人語の年末のご挨拶文の中にも、書き写しのことに触れ、感謝の言葉が述べられていました。

たかが ブログ。
小説家や新聞記者の文筆家と比べてどうするの、と笑われそうですね。

ハイその通りです。

しかしながら、たかがブログ、されどブログ。(笑)

ささやかな文章修業も重ねながら、今後も、自信のないまま、牛歩のごとく、一歩一歩前に進んでいけたらいいな~と、私は思っています。

今日は久しぶりに、夕食の献立の写真です。

お正月が明けて、最近まで、去年の買いすぎた残りの食材を使用しての節約料理に努めていました。
でもいよいよそれも底をつき、先日買い出しに出かけ、今冷蔵庫の野菜室はいっぱい。
上手に活用し、お野菜たっぷりのお料理を、今年も心がけるつもりです。

                          

 

 

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生意気と感じつつ、久しぶりに時事について一言

2012-01-13 09:54:31 | 社会 政治

時事について、触れなくなって久しくなりますが、関心を失ったわけではありません。

いつか、過去の記事を読み直した時、政治批判をした自分の日記が、主婦の分際で何と生意気、と感じながらも、一番抵抗なく読むことができました。
自分の見解に余りぶれがなかったこと、浮ついた感情表現が少なかったからでしょうか。

でも震災の頃の記事を読むと、すべて削除してしまいたいほど恥ずかしい。
言葉ばかりが踊っていて、私の被災者を案ずる気持が、どこまで真摯なものだったのか、自分自身に疑問を投げかけたくなりました。
或いは言葉でなんて、とても表現はできない程の悲惨さであったにもかかわらず、自分は余りに軽く語ってしまっている。
そんな思いが読み直した時、してなりませんでした。
更に自分の文章の拙さが、その気持ちを一層強くさせました。

さて、このお話は、この位にし、久しぶりに、時事について語りましょう。
最近は新聞は斜め読みで、相変わらず、未読のものがたまる一方です。
ですから、適切な言葉が出てこない感じがし、時事を語るには、自信信喪失気味のかれん桜です。

TPP問題、消費税のみならず、様々な増税問題、年金をデフレに従い、元の水準にも戻すための減額問題。
利害が対立する中、簡単にはまとまりそうもありませんが、恐らくいずれも実現するのは、時間の問題でしょう。
もう決まったものもあるのですよね。このあたりの認識が、斜め読みのせいであやふやです。

私は、望むべくは、増税などしてほしくない、年金カットなんて、とんでもないが、正直な気持ちですが。
しかし、今は個人の暮らしを守る以上に、国の財政が破たんしないことが、もっと重要との思いに至り、すべて賛成の立場でいます。

将来、個人や金融機関が、日本の国債を支えきれなくなる時が、このままでは訪れるのでは。
そして、国債金利が、ギリシャやイタリアのように跳ね上がり、日本もデフォルト寸前にまで追い込まれるやもしれず・・・・・・
そんな状況になれば、増税はいや!年金カットはいや!なんて言ってられなくなります。
海外からの圧力もあり、恐ろしい率の増税が国民に課せられるでしょう。
年金も何割もカットされ、ハイバーインフレとやらで、物価も急騰し、惨憺たる国状にになるに違いありません。

ですから、今は国民も、もっと大局的な観点から今の状況をとらえ、冷静に判断しなければならない時のように思いますが、皆さんのお考えは、いかがでしょうか?

でも私は、今の政治には、期待していません。

震災前後の、党利党略のみに明け暮れた政治家の未熟さと愚かさを見せつけられ、失望どころか絶望してしまったからです。
余程の政界再編でもない限り、いつまでも同じ穴の狢で、愚行が今後も繰り返されるに違いありません。
せめて、企業や、民間の努力の足を引っ張ったり掬うような施策だけは採ってほしくない。
その程度の願望しかありません。

けれど、企業と国民には大いに期待しています。

企業に期待といっても、オリンパスや、大王子製紙のような不祥事が相変わらずあり、複雑な心境ではありますが、ここは何としても、民間企業に、今の苦境を乗り越えて頑張り、その収益を若者の積極的な雇用や、社員のお給料に還元し、国の景気回復の大役を担ってほしいと。

新聞記事に、日本のリーディングカンパニーのキャノンが、円高と燃料の高騰を克服し、徹底した効率化を図るため、アメリカに続いてロボットを活用し、組立工程を完全に無人化した工場をオランダにも設けることが報道されていました。
さすがキャノン、日本の製造業と、感動しました。

日本の企業は必ずや、イノベーションやあらゆる賢明な手段をを駆使し、この逆境を乗り越え、日本を蘇らせてくれるに違いないと、私は信じています。

又さらに国民も、日本の活力を取り戻すために頑張れることが、何かあるのではないでしょうか。
子供や孫達のためと思えば、泣く泣く多少の犠牲を払うのは仕方ない事のようにも感じています。

更に将来が不安だからと、支出を控えるのみでなく、上手にお金を使うことが、今ほど問われている時代はないのでは。
お財布の紐も時に、賢く緩め、余生を謳歌してまいりましょう。

専業主婦の分際で、生意気な事を、又久しぶりに書いてしまいました。
あまり自信がありませんので、適当に読み流してくださいますよう、お願い致します。

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おぜんざい、大好き!

2012-01-12 09:54:57 | 料理

お正月のお餅が余っていたため、久しぶりにおぜんざいを作りました。

美味しい!
甘くて、温かい汁物のおぜんざいがのど越しを通ると、心がほのぼのするような幸福感に包まれ、至上のひと時といってよいほど。
ちょっとオーバーかしら。(笑)
もしかすると、甘党の私が一番好きな食べ物かもしれない、と思えるほど。
少女時代も、母がこしらえてくれる時は、何だかとても嬉しくて、出来上がるのをワクワクしながら待ちわびたものでした。
そいえば、デパートいおけるショッピングで疲れ一服したくなった時、よく甘党の喫茶店に入り、おしるこやおぜんざいを、私は注文します。

実は、一昨年のお正月、長女のお婿さんが、とてもおいしそうに食べていたことを思いだし、今年も皆に振舞うつもりで、小豆を用意していました。
ところが、それぞれの事情で、いつになく早いお別れでしたから、供する間もなく、夫と二人のみで、頂くことに。

たっぷり作り、私はいったい何杯お腹に入れてしまったことでしょう。
5~6杯は確実。
お砂糖がたっぷり、さらにお餅も入ったおぜんざいのカロリーは如何に?
そのことが、常に脳裏から離れないのが、玉にきず。

すべて食べ尽くした後、体重計に恐る恐る乗りました。

ところがあにはからんや、体重は増えるどころか、500g程、減っていました。
最近はこの一年、急激に5キロ痩せてからも、リバウンド現象が全く見られません。

とてもうれしい半面、なんだっかちょっと、不安です。
どこか悪いのでは、と。

しかし思うに、今なお、私の心身を苛む息苦しさのストレスは、私なりに上手に付き合っているものの、相当なはず。
ですから、太るはずがありませんよね。

苦境(?)も、気持ちの捉え方一つで、明るくなるもやもしれず。
今の病には、ずっと長年目標にして来た、もう少しやせたいとの願望を叶えてくれる長所があるではありませんか。
プラス思考で生み出した無理やりの屁理屈ですが(笑)、まんざら悪いことでもない、なんて思いましょう。

さて、今日は、そのおぜんざいのレシピでもご紹介しましょう。
余りにありふれた食べ物で、どなたでも当然ご存じのはず。

しかしながら、どんなにありふれた料理でも、ちょっとしたコツがあるものですね~
多少でもお役に立てば、と感じ、我が家のレシピを、最後にご紹介させていただきます。
お正月のお餅が余っているお宅は、今日のティータイムにおぜんざいは如何♪

もう一つ、お奨めしたいことがあります。

お餅です。
我が家は、今年このお餅の依頼先が27日になっても決まらず、少々焦りました。

数年前までは、近くの商店街のパン屋さんで、年末には、つきたてののし餅を求めることができました。
朴訥で愛想がいいとはとても言えないご主人と穏やかな奥さんの老夫婦で経営する個人商店のパン屋さんでした。
無愛想な人だったため、おいしいパンを焼くお店ながら、ご近所の評判は、今ひとつ。、
でも私はその方の素朴なな人柄が好きした。
孫にはいつも温かな言葉をかけてくれ、私達の間にも、言いしれぬほのぼのとした心の通い合いもありました。

ですから、商店街が次第にシャッター通りと化し、パン屋さんと威勢のよい八百屋さん、ご夫婦の姿が見られなくなった時は、寂しさが当分拭えなかったものです

チョットお話がそれましたが、こんなわけで、仕方なく一昨年は、楽天を通してお餅を購入しました。
しかし、味は余り・・・
そのため、去年の年末は決めあぐね、迷ってしまいました。、

ところが、年も押し迫り、ぎりぎりになって頼んだお餅が、大当たり。
ネット販売で目にしたところでしたが、とても美味しかったです。

真空パックですから、スーパーに売られているものと一見変わりありませんが、私には明らかに味の違いが分かったような・・・・・
自分の味覚には、あまり自信が持てませんが、食べ物にうるさい長女の婿が、おいしいお餅だねね~と太鼓判を押してくれました。

宜しければ、来年お試しになられては。

http://www.akitanomochiya.com/?pid=37305880

おぜんざいのレシピは、ほかの数点を閲覧したところ、全く同じような内容でしたから、のせるのを止めます。
悪しからず、ご了承くださいませ。
長くなって大変だからが、本音。
期待だけさせて、ごめんなさい。

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まずは、合格おめでとう!R君

2012-01-11 07:25:26 | 

年初から、いえいえ、ここ1~2年、ずっと祈るような気持ちで、陰ながら、エールを送り続けてきた私です。
でも、その思いが余りに強く、時に切なく、ブログで具体的に触れることさえ、憚れました。

五年生の、確か秋から塾通いを始め、中学受験勉強がスタートしたR君。
夏休みも、冬休みも返上し、年末は31日まで塾の授業がありました。

入塾テストで、最初に決まったクラスは、、下から数えて数番目。
親もまさか、といった状況でした。

パパも、ママも、さすがに少々焦ったことでしょう。
最難関の国立大学を卒業した両親です。
自分たちの子だから、成績が良くて当然と言った、思い上がりがあったに違いありません。

確か、三年生の頃のことだったと思いますが、我が家でお正月を過ごし、算数のドリルをしている時のこと。
私が、何気に覗いて、鉛筆を走らせ、足し算をする孫の手元を見つめ、わたしは仰天!
何と上の位から計算を始めているのです。
後でその話を、妹の夢路にしたところ、「そんな計算で、よく答えが合ったわね~笑」、とまっこと変な事で大感心!(笑)

私は、さすがに若夫婦に注意しました。

「仕事が大変とは言え、余りに放任しすぎない。もう少し、しっかり勉強のフォロウをしてやりなさいよ。
私も塾嫌いで、ぎりぎりまであなた達を通わせなかったけれど、今どきの塾の雰囲気は、昔とは違うみたいよ。子供達も塾を楽しんでいるようだから」。と。

しかしその後も、若夫婦の教育方針で、六年生になるぎりぎりまで、野球少年として、週末はグランド通いで、元気に過ごした孫でした。

とにかくマイペースで、のんびり屋さん。けれどとても心優しいR君。
今ひとつ意欲に欠けたところがあり、何事にも一生懸命に臨んだ娘達の幼いころとは、かなり雰囲気が異なります。

それゆえ、わたしも多少は心配してきました。
そのR君が、自らの頑張りと努力で、御三家の一校に挑むまでになったのです。

そこには、フルタイムで仕事に携わりながら、家事と息子の勉強も見なければならなかった長女の並々ならぬ苦労もあったことでしょう。

昨日合格した学校は、本人の偏差値より低く、場所も遠方のため、受験の雰囲気に慣れるためにのみ受験したようでした。
しかし、スタートラインでつまずくと、一気に自信を失い、今後への影響は計り知れないものがあろうかと、私は秘かに、とても心配していました。
ですから、どんな学校であれ、合格通知を受けた時は本当に嬉しくて、すでに、就寝中だった私ですが、飛び起き、「あなた!R君、合格したわよ」と、書斎にいる夫に、喜び勇んで、知らせました。

その喜びと同じほどに驚いた事があります。
今時の合格発表の形式です。
何と受験した当日の夜十時にネットで発表が有ったのです。
ネット社会ゆえの、このスピード。
隔世の感がありますね~

ハラハラドキドキしながら、足を運び、掲示板に張り出された合格者の受験番号を目で追いながら、自分の番号を探し求め、それに出合った時の感激。
受験シーズンの風物詩の一つでしたが、そんな光景は、今後次第に薄れていくのでしょうか。
何だか、ちょっとさびしい気も致します。

しかしこの発表形式にも、とんでもない落ち度を招くことがあります。

どこか抜けた所のある私が、その失敗をし、あわや、幻の合格になるところだった大学が長女にありました。

それは、早稲田の政経の合格発表の時の事。すでに娘は、志望校の私立は合格し、国立目指して準備中の時でした。
ですから私が、娘に替わり、合格発表を見に出かけ、掲示板で我が娘の番号を探しました。
でもありません。どこにも・・・・・・・
全戦全勝だった長女も、さすがに最難関の私立のこの学部は無理だったのね、と感じ、さほど落胆もせず、娘に電話で報告しました。

ところが帰宅し、ドアを開けると、迎えに出た娘が、「ママは、見間違えたみたいよ。合格通知の電報が届いたわよ。」と。
私は、「あら!まぁ~ごめんなさい」で終わりでした。(笑)

私には、過去にこんな失敗もありましたが、ネット上の発表では、見誤ることはあり得ませんね~(笑)

連絡があった時、孫に一言おめでとうと言いたいから、と電話口に呼んでもらいました。
孫も、本当に嬉しそうで、優しい声で、ありがとう!ありがとう!と幾度も言っていました。

さてさて、でも本命の学校はこれからです。

娘が、二ヶ月ほど前のことでしたでしょうか。

「成績のアップダウンが余りにはげしくて、受験は博打同然と言った感じよ。ケアレスミスの多いことが、本当に悩ましい。第一志望は、五分五分のボーダーラインよ」と言っていました。
受験は水もので、努力が必ずしも報われるとは限りませんから、今となっては、神様にひたすらお祈りするだけ。
そんな心境でいます。

昨日の日記では、日本頑張れ!で締めくらせていただきましたが、今日は声を大にして

「R君頑張って!」と言いましょう。

R君の健闘を称え、更なる健闘を祈って止まないばぁばです。

最後に、いまのR君にとっては少々縁起のよくない内容かも知れないけれど、私が好きな方のブログで紹介されていた文をここに載せましょう。
恐らく娘達と同年齢の方と思います。
とても良い言葉と、身に染みいりましたから。

一生懸命やって勝つことの次にいいことは、一生懸命やって負けることなんだわ。(モンゴメリ 「赤毛のアン」)

余談ですが、モンゴメリの赤毛のアン。懐かしい本です。
次女が大ファンで、小学校高学年から中学にかけて、この本に夢中で、夢見る少女でした。

下に載せた写真は、R君と九州旅行をした時のものです。

本当の小熊を抱いて、なんだか不安そうなR君の顔。
恐らく、これからも、受験という小熊を抱いて、不安な面持ちは隠せないまま、精一杯試験に臨んでいくのでしょうね。
こんな顔をして頑張っているのかしら?

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