今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

理想通りにいくとは限らない、今後の暮らしだけれど・・・・・・

2014-06-30 06:00:21 | 暮らし

私と年頃を前後する周りの人達は皆さん、目の前の課題を一つ一つ丁寧に乗り越えて、心を尽くし、日々を一生懸命過ごしている方が多いです。

友人達を通して、あるいはブログを拝読し、そんな思いを強くするこの頃です。

益々勢いを加速して高齢化社会に突入していく日本では、当たり前の国民の生きる姿勢になっていくのでしょう。

 

私も同様に、今は夫の介護に追われる日々ですが、、両親は50代の時に、すでに看取りました。

まだ介護保険制度がない頃でしたから、親の介護で他人を頼るといった意識は、ほとんどありませんでした。

実際は、週一度、訪問看護師さんのお世話になっていたのですが。

自分の親は、当然長女の私が見るものとの心構えで、結構若い時から人生を歩んでいたと思います。

そんな私の気持ちが良く表れているのが、マイホーム建築時に私が描き切った見取り図です。

 

2~3度、私は得意気に(笑)、我が家は私が書いた図面通りの家です、と語りました。

もちろん、得意気に話したつもりでは本人はなく、文章の流れに沿って自然に出た、事実の言葉に過ぎなかったのですけれど。

涙ぐましい努力をしました。

 

 

青写真をイメージしている頃、私は住宅展示場に足繁く通い、住宅雑誌も、数年かけて50冊以上は目を通したでしょうか。

その頃、モデルハウスでは、和室は客間として、玄関の隣に、離れのように設置されているところがほとんどでした。

 

でも、この間取りでは、将来親を介護をする時代が訪れた時、非常に不便、と私は感じました。

それで、約十畳ほどのキッチン兼家族用リビングの部屋の隣に、廊下を隔て、8畳の和室を作ることにしました。

 

但し、およそ30年前のことゆえ、バリアフリーまでは気が回らず、和室はむろん、各部屋に、敷居の多少の段差があるのですが。

廊下は、一般のお宅より、広目に取りました。

その将来を見越した配慮が、期待以上に効を奏し、両親を介護するにあたって、私は、生活の不便をあまり感じないで済みました。

娘が産後、実家に戻ってきた時、孫達を預かった際のお昼寝の場など、多目的にその和室は使用でき、キッチンの隣だったため、動線の効率も大変よく、助かりました。

 

 

和室にはベッドを、私が一番使用する流しやガスレンジのある場所から寝たきりの母が見え、声をかけられる所に置きました。

電動式でしたので、上部を立てると、それを背もたれにして母はいつも台所で立ち仕事をする私の姿を眺める事ができたのです。

もし和室が、その頃一般的だった離れのようになっていたなら、母はとても寂しい思いをしたに違いありません。

廊下も、幾分幅広にしたため、車いすも自由自在に動かす事ができ、助かりました。

 

このように、両親は在宅介護で私が世話をし、最後は病院で亡くなりましたが、我が身となると、行く末、どんな暮らしが待っているのか、、今のところ、見当も付きません。

私は足腰が年相応に弱っても、、認知症は患わない程度に元気でいられるなら、我が家を終の棲家として、自立した一生を過ごせればいいな~と思っています。
そう願ってはいますけれど、自分の将来なんて、状況次第で変わるものなのでしょうね~。

娘達は、社会で男性と変わらない働き振りですし・・・・・・

予測不能といったところでしょうか。

 

介護施設が増えてきた世間の潮流で、無理を伴う自立した暮らしを望むのは、かえって家族の負担や心配を察しない我儘な振る舞いのような気がしていましたけれど・・・・・・

65歳以上が3割になる2025年に向けて、最近は、政府も医療費の削減に必死なようです。

介護施設、病床不足等で医療や介護が破綻しないように、、在宅重視を強く推し進める雰囲気になてきました。

最後まで在宅を希望する人は、もしかすると年寄りとしては、優等生(?)扱いをされるのかもしれませんね~

私にとっては願ったり、叶ったりです。

これからも、在宅のままで穏やかに人生の幕を閉じる事ができるように、足腰と脳の鍛錬に励まなければ、と一層、意を強くしているこの頃です。

 

 

前文で、我が家の間取りは、お年寄りの介護を前提にして設計されていると書きましたが、但し残念な事に、一つ大問題があります。

結構長い外階段があることです

母と父が車いす生活になった時は、近所のボランテイアの方が、上げ下げのお手伝いを時折して下さいました。

幸いにも、私は出無精で、お家大好き人間です。

家の中でも、4000歩前後の歩数は、今も良く歩いているので、外出できなくなっても、運動不足の解消の術はありそうに思いますが・・・・・・

いざとなった時には、人の助けを借りないわけにはいかないでしょう。

 

そのため、内外の階段に手すりを設置することを、今、真剣に検討中です。

夫は「そんなものはいらん」と言い張って、困っていますが・・・・・・

夫のためだけでなく、私自身も必要な年齢になってきました。

要介護3の夫ですから、今のうちでしたら、経費の1割自己負担で付けられます。

 

間もなく、我が家は、今回の法改正で三割負担になるとか。

一昨日、ご両家のお母様のお世話をされ、介護制度について大変詳しい親友から聞きました。

それは大変!1割のうちに設置しましょう。

 

 

介護認定証は二月の初旬でしたかしら、区役所の福祉課から受け取りましたのに、今のところ必要性を全く感じていないので、まだケヤ―マネージャーさんにすら、お会いしていません。

万一、私が寝込むと、夫は自立した暮らしは無理な人です。

その万一が、明日、訪れないとも限りません。

本当に、そろそろケア―マネージャーさんのもとに相談に伺い、どんなサービスがあるのか知っておこうと思っています。

数日前、親友のKさんと、お電話で長時間、この制度の事を話し、ためになる事もいろいろ伺いました。

一昨日の友人達とのお食事会も、大半が老後の過ごし方だったかしら。

又、その話題の内容は、改めて何時かブログ記事にさせて頂きますね。

 

理想通りにいくとは限らない、老後の暮らし。

我が身とは言え、今後の心身の健康は予測しづらく、将来の人生設計は、なかなか具体的には立てられませんが。

私が理想として心に描く、人生の幕引きができるように、祈りながら・・・・・・

悔いを残さない日々を、差し当たって精一杯心を込めて紡いでいくこと。

これが、私の今の願いです。

 

      

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心の糧 「道」~夕食の献立 えびと帆立のホイル焼き・焼きなす・オクラの酢の物・あなごご飯他

2014-06-28 10:13:16 | 料理

 

                    

東山魁夷 「道」  

 

 

自分には自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。

どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない。

自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがえのないこの道。

広い時もある。

せまい時もある。

のぼりもあれば、くだりもある。

坦々とした時もあれば、かきわけかきわけ汗する時もある。

 

この道が果たしてよいのか悪いのか、思案にあまる時もあろう。

なぐさめを求めたくなる時もあろう。

しかし所詮はこの道しかないのではないか。

 

あきらめろと言うのではない。

いま立っているこの道、いま歩んでいるこの道、ともかくもこの道を休まず歩むことである。

 自分だけしか歩めない大事な道ではないか。

自分だけに与えられているかけがえのないこの道ではないか。

 

他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、道は少しもひらけない。

道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。

心を定め、懸命に歩まねばならぬ。

それがたとえ遠い道のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。

深い喜びも生まれてくる。

松下幸之助著 「道を開く」より

 

夕食の献立

 

エビと帆立のホイル焼き

材料

     車エビ       4
     帆立貝の貝柱(生)  8個
     三つ葉        適宜
     バター        大匙4
     酒          小匙4
     しょう油       少々
     すだち(レモンでも)   2個
     バターまたはサラダ油 少々

<作リ方>

     ① エビはたけ串を刺して背ワタを引き抜き、殻をむきます。

      ② 帆立貝柱はかたい白い部分は取り除き、三つ葉は、3センチ長さに切ります。

      ③ 30センチ角に切ったアルミホイルを用意し、内側にバターまたはサラダ油を塗ります。

      ④ ③のアルミホイルの中央に帆立貝2個と三つ葉、エビ1尾をのせ、その上に大匙1のバターをのせ酒小匙1を振り
             かけます。              

      ⑤ 前後のアルミホイルの端を持ち上げながらきっちりと折り込み、左右をひねって空気が逃げないようにぴっちり包み
             ます。 他の4個も同様に。

      ⑥ フライパンを熱して④のホイル包みを閉じ目を上にして並べ入れ、ふたをして中火で7分ほど蒸し焼きにします。

      ⑦ 焼き上がったら皿に盛り付け、半分に切ったすだちを添えます。食卓で開き、香りを楽しんでから、しょう油少々とす
            だちを 絞りかけて頂きます。      

                        ☆もう少しボリュームを出したいときは、生シイタケ、その他の食材も一緒にどうぞ。

 焼きなす

       たっぷりのだしに浸した、目にも涼しい焼きなすです。

       だしに浸すところが、チョッとユニークです。



<材料> 

       なす・・・・・・・・・・・・・・・・・4本
       サラダ油・・・・・・・・・・・・・少々
       おろし生姜・・・・・・・・・・・適量
       糸花かつお・・・・・・・・・・・適量
                                           

       浸し

         水・・・・・・・・・・・・・・・300cc         
         削りかつお・・・・・・・・・・・10g
         みりん・薄口しょうゆ・・・・・・各大匙3



                                         <作り方>

       ① 鍋に浸し汁の材料を合わせて火にかけます。沸いたら、アクを取りながら30秒ほど煮立て、ペーパータオルなどでこします.
                 その浸し汁を冷ましておきます。

       ② なすはガクの端をくるりと包丁で切り、割りばしをなすのガクに向けてさして穴を開けます。

       ③ 表面に薄くサラダ油を塗って焼き網に並べます。中火強の火加減で、ときどき転がしながら焼きます。穴の端から湯気が出て全体が焦げ          
          るまで3~4分焼きます
   
          ☆ なすに穴をあけて油を塗るのは、むらなく早く火が通り、熱でなすがパンクするのを防ぎます。

       ④ 柔らかくなったのを確かめ、なすを冷水に取ります。手で持てる温度になったら、皮をむきます・

       ⑤ 浸し汁に、なすを20分以上漬けます。その後、冷蔵庫に入れます。なすを二つに切るか、さいて浸し汁とともに盛り付け、おろししょうがと 
          糸花がつおをのせます。                          

オクラの酢の物 2人分

<材料>

       オクラ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・16本」
       しらす干し(またはちりめんじゃこ)・・・・・大匙2(約10g)
       しょうがのすりおろし・・・・・・・・少々

       A 酢、だし汁(または水)・・・・・・・・・・各大匙2
         砂糖、薄口しょうゆ・・・・・・・・・・・・・各小匙2
         

         塩

 

<作り方>

        ① オクラは塩少々で板ずりをし、熱湯で1分程ゆでて冷水に取リます。冷めたら水気を切り、ヘタを切って縦半分に切り、種をとります。
             薄切りにし、さらに包丁で粘りが出るまでたたきます。

        ② ボールにAを混ぜ合わせ、オクラを加えて混ぜます。器に盛り、しらすとしょうがをのせます。

 

大葉もみょうがも、もっと細いせん切りにした方が見た目がきれいで涼し気でいいですね~
チョッと恥ずかしい。でもいつもこんな感じです。(笑)

薬味やっこ

       昨日は友人達との昼食会でしたが、供された冷や奴の、何と美味しかった事!

        薬味は、塩、生のワサビ、ごまだれから選ぶようになっていました。

材料 2人分

       青じその葉・・・・・・・・・・・・・・・・・10枚
        みょうが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2個
        絹ごし(または木綿)・・・・・・・・・・1丁  
        白いりごま・・・・・・・・・・・・・・・・・・適宜
        しょう油

作り方  

       ①  みょうがは薄い小口切りにします。青じそはせん切りにします。合わせて冷水に5分ほどさらし、シャキッとしたら、ペーパータオるなどで包
          んで水気をとります。

       ② 豆腐は半分に切って水気を切り、器に盛ります。みょうがと青じそを等分に載せ、いりごまを振り、しょう油小匙1をずつかけて頂きます。 

 

錦糸卵は、もっと細いせん切りに。木の芽など、青みをあしらって下さいね。

あなごご飯    

材料(四人分)   

       焼きあなご・・・・・・・・・・・・・・・・・150グラム 
       卵・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2個
       木の芽・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8枚
       ご飯・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・4人分
       調味料

         砂糖・みりん・酒・醤油

作り方  

       ①  焼きあなごは頭を切り落とし、小口から2~3㎜幅に切ります。この時、包丁を押すようにすると切りやすいです。

       ②  こ鍋に、砂糖、みりん各大匙11/2、 酒大匙2、しょう油大匙3を入れて煮立てた中に、①を入れ、弱火で時々混ぜながら、煮汁が1/2 く

                   らいになるまで煮ます。

           ☆ たれ付きのあなごの場合は、そのままご飯にのせ、袋のたれをご飯に混ぜるとすぐ出来上がり、簡単です。 

       ③ ②の煮上がりを 、炊きたてのご飯に煮汁と共ににあなごをつぶさないように全体に混ぜます。 

       ④ 卵は塩少々で味付けし、薄焼き卵を作ります。少し冷めたら、4cm長さのせん切りにし、錦糸卵と木の芽を飾ります。

 

レシピを馬鹿丁寧に綴るのには、訳があります。

私の念頭には、遠い将来、孫のさくらちゃん、かれんちゃん、R君とK君のお嫁さんに私のレシピを参考にして、お料理を作ってほしいとの思いがあるからです。

その時、イロハから始める姿を想像し、分かりやすく書いておこうと。

ばあばの形身になるでしょうね~♪

 

追記 所々行間が狂っていますね。いくら修正しても同様になるので、もう直すのを諦めました。

お読み苦しいでしょうけれど、失礼ご容赦下さい。

 

      

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心の糧~夕食の献立

2014-06-26 05:44:32 | 料理

今日は、いつもとかなり趣を事にした内容の記事を綴ります。

今後は、この形態の文章も、度々登場させる予定でいますので、何卒ご了承下さいませ。

 

今のところ、この記事では、載せたいテーマが二つあります。

一つは、私が座右の銘とし、枕元に置いている書物の一つ、松下幸之助著の本の中から、私が好きな短編をご紹介することです。

半ば写経の心境です。

自らの心の修養のために、一言一言噛みしめながら綴っていくつもりでいます。

更に娘達にも是非読んで、心の糧にしてもらいたい、との強い願望があります

 

私はブログに精神訓話などかける程、できた人間ではありませんから、松下氏のお言葉とは言え、とてもおこがましい事のようにも感じられ、

ためらいもありました。

あくまで、私自身のため、家族のためであることをご理解下さい。

けれど、普遍的なとても分かりやすい真理の言葉ばかりですので、きっと皆さまも私同様に、感銘して下さるのではないでしょうか。

 

あなごご飯・えびと帆立のホイル焼き・焼きナス・薬味やっこ・オクラの酢の物

 夫が退院した日の夕食の献立です。

 

さてもう一つの記事は、私の日々の献立の中から、その画像を時々ご紹介することです。

その時は、レシピも書く予定でいます。

そうすると、とてつもなく長い記事になってしまいそうですね~

ご覧下さる方達をうんざりさせてしまいそうで、心配ですが、そこはどうかスル―で宜しくお願い致します。

 

何故、いちいち詳細に記すかと言えば、私の料理ブログが、そのスタイルを通してきたからです。

ゆえに、その記事ををそのままコピーして、料理ブログに掲載しようと思っています。

そうすれば、両ブログの綴りが同時にでき、私はブログを書く労力を随分減らす事ができますもの。

今は料理ブログまで、とても綴る時間的余裕が持てなくて、それが残念でなりませんでした。

 

エビと帆立のホイル焼き

 

私の料理ブログは、自分用の料理テキスト作成が目的でした。

日々の献立を立てるのに苦労した時代があり、もっと簡単に決められないものか、と思案していたからです。

味のメリハリとか、彩りを、結構気にする性格なのですね~

ですから、なかなか決められなくて。(笑)

 

焼きなす
糸かつおを載せるのを忘れてしまいました

 

ところが、最近の多忙な暮らしにあって、この目的が見事に果たされました。

作成してきた料理ブログのお陰で、簡単に数日間の献立をたてられるようになったからです。

カテゴリーに、途中からですがレシピ付き献立という項目も作りました。

料理カードにも、載せた記事の日付と、献立名と材料を記しています。

ですから、そこから、日々の献立を選び、時に旬の素材を使用した新しい料理を一品くらい加えたりもして、

そのブログ記事を見ながらクッキングを楽しんでいます。

全く新しい献立にも、ぜひ挑戦してみたい、といつも思いつつ、最近はそこまで、なかなか手が届きません。

 

オクラの酢の物

 

松下幸之助氏のお言葉の掲載だけでは、余りに私の個性が打ち出せませんので、料理で私らしさを出そうとの魂胆です。(笑)

でもこのタイプの記事は、頻繁に載せるつもりはありません。

載せた時には、是非今まで同様にお付き合い頂ければ、大変嬉しく存じます。

 

薬味やっこ

 

今日は、お断りの前文と料理の画像のみで、失礼させて頂きますね。

次回は私の趣旨に沿う記事を掲載致します。

 

あなごご飯

木の芽をあしらい、錦糸卵はもっと細く切りたいところです。

すまし汁も付けたかったですけれど、時間切れ。

 

今日から、妹夫婦は、カナディアンロッキーにトレッキング旅行に出発です。

くれぐれも注意を怠らないで、精一杯愉しんできて下さいね。

昨日は電話でお話しして、私まで、ワクワク感に浸る事ができました。

ブログ上でのお土産話、楽しみに待っています。

 

      

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夫の病への思い色々

2014-06-24 06:19:02 | 病気

今日は又、夫の病についての近況を、語りたいと思います。

症状はその後、変わりなく、落ち着いた状態が続いています。

但し、4回目の抗がん剤治療で、先週明けに入院し、5日目の土曜日に無事退院しました。

 

 T大病院。先、遠方に見えるのはスカイツリーです。

 

昨年の9月から、延べ半年以上の病院生活で、入退院を繰り返してきた夫です。

抗がん剤治療がスタートしてからは、厳格ではありませんが、定期的にそれが繰り返されるようになりました。

何時まで、この治療が続くのでしょうね~

私は、問題が何もない時は1日置きに、半日がかりで病院に通っています。

 

 

退院後、病院の最上階のレストランで昼食です。

フランス料理の老舗の精養軒ですのに、ざるそばがいいとのことで、私も夫にならって、同じものを注文。

デザートと共に、とても美味しかったです。

そう言えば、前回も、ざるそばでした。(笑)

 

相変わらず、愚痴めいた事は一切口にすることなく、淡々と闘病生活を送り続け、

「入院生活にも慣れてきた」

何て、夫は平然と言いますけれど・・・・・・

Yさんのようには冷静沈着ではいられない私。

心配の余り、心の動揺を抑えられない時も、度々ありました。

 

皆さんに信じて頂けないかもしれませんが、私が提案した事が、、夫の治療に採用されたなんて事も、あったのですよ。

T大病院の先生に提案なんて、余りに不遜な表現過ぎますね~

言い改めます。

あくまで、試しに言ってみた、と言ったところでしょうか。

その後、先生からは、奥さんの提案通りにして良かったようです、とおほめの言葉をいただきました。

しかし、今になって、それが夫のために良かったのか、少々疑問に感じ始め、良心が痛む事さえあります。

私の案を取り入れて以来、旦那さまの見かけは、却って、弱々しい雰囲気へと急速に変わっていったからです。

 

 

                                    レストランからもスカイツリーが眺望できます。

 

その案とは、腹腔内の腸液を体外に出すためのドレーン(細い管)の先に付けたボトルを、自宅でもそのまま使用する事でした。

1月初旬の退院時には、一旦ボトルは取り外されました。

ドレーンは先を塞がれ、体に固定されままで、

その付け根にはシルキーポアーという名称のガーゼが当てらました。

それまでは、付け根から漏れ出した膿のような腸液の一部が、そのガーゼに浸透し、そのガーゼを1日に一回、取り換えて対応していました。

 

でもそれでは、腸液の処分が不完全のように思え、自宅でもボトルを使用する方法を提案してみたのです。

私には、汚れた腸液が速やかにボトルに溜まり、腹腔がどんどんきれいになっていくイメージがありました。

そのお話しを私が切り出したのは、1月の初旬、長期の入院を終え、最初の受診の際のことです。、

しかし、「そこまでする必要はないでしょう」

との主治医のお返事でした。

 

しかし二度目の受診の際、再度お話ししたところ、

「確かに、その方が良いかもしれませんね~」

とおっしゃり、ボトルを付けて家に戻り、その後はずっと携帯したままでいます。

ガーゼの交換も、以前と変わりなくしています。

 

 

けれど結局、それは夫の体に負荷をかける事とになってしまったようです。

重たいものをぶら下げているからでしょうか。

動く度に、付け根に多少の痛みを感じるようです。

そのせいか、次第に姿勢も悪くなり、動作が以前に比べ鈍くなりました。

歩行の姿も、すっかり病人らしい弱々しい雰囲気にになってしまったのです。

 

いつでしたか、そのお話しに触れ、ボトルを取り外す事が可能か伺った事がありました。

主治医のお返事は、次の如くでした。

「血液検査の結果が、その後大変良好になり、付けたのは正解でしたよ」

と。

 

今回の入院でも、採血の結果はとても良いらしく、それはそれでとても嬉しい事なのですが・・・・・・

私の最近の心配は、癌より、放射線の副作用による腹腔の理解し難い症状の方に、遥かに向いています。

この発症さえなければ、感染症を起こす事もなく、とっくに手術は終わり、今頃は元気に日常生活を送れていたはずです。

 

 

先生方のお話しによると、がん摘出の手術の際に、S字結腸にできた放射線の副作用による小さな穿孔の処置もする予定のようです。

しかし、今ひとつ見通しがはっきりしない不安は拭えません。

けれど、根が楽観的な私。

時に落ち込んでも、直ぐ立ち直り、必ず回復すると信じて疑わない呑気者です。

 

今、夫には、専門が異なる助教授二名の主治医がついて、万全の態勢で治療に当たって下さっています。

先生方をひたすらご信頼申し上げ、付いていくしか、私には為す術がありません。

一方、自宅療養時は、私ができる精一杯の事を努めたいもの、と。

とはいえ、もともといい加減なところも、結構ある私。

体力的な事もあり、必ずしも精いっぱいではありませんが・・・・・・

私の旦那さまは、手を焼き過ぎると却って不機嫌になる人なので、私程度の気の遣い方がちょうどいいのかもしれません。

心配で、いろいろ注意したい事が他にもありますけれど、我慢もしています。

それでも、時に嫌がられる事があるのですよ。

 

 

最近、広島カープ、調子が又よくなってきましたね~

これほど、私の旦那さまを元気づける妙薬は、ほかにはありませんから、私もとても喜んでいます。

 

目も難病を患い、楽しみが少なくなってきた旦那さまのためにも、カープの優勝を心から願っています。

TVの画面は見づらいので、パソコンのリアルタイムの画面中継で、楽しんでいます。

広島カープ、優勝目指して、頑張れ!!!

 

      

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世界中の人達の心が一つになる場所

2014-06-22 08:24:58 | スポーツ

一昨日の試合、、引き分けとは少々意外で、とても残念でした。

スペインが一次敗退したように、強豪チーム揃いのW杯。

実力は伯仲していて、勝敗は、幸運の女神の采配によるところも大きいのでしょう。

三戦目は、絶対にその女神に微笑んでほしい、と強く願っています。

でもたとえ勝っても、決勝トーナメントにいけるとは限らず、他力本願のところがあるみたいで、何とも悲しいですね~

 

 

 

 私は、ナショナリズムがつい高揚してしまうような国際試合で、余りに緊迫したシーンになると、まともに見る事ができません。

以前は、その場を一時的に離れ、結果が出た頃、怖々とTVの前に戻り、確認し、喜んだり嘆いたりしていました。

 

最近は、やり方を変え、ボリュームを消音にして、観戦するようになりました。

すると何故か余り緊張しないのです。

人間は、音により負荷をかけられ、それが一層ストレスとなって、緊張を強いられるものなのかもしれませんね~

 

試合の中継放送時、アナウンサーと解説者は、多少大袈裟気味に、抑揚をオーバーにして語るものなのでしょうか。

その番組を盛り上げ、視聴率を上げないといけないでしょうから。

けれど私の印象では、昨今は、たとえ熱戦でも、割と声のトーンを低くして、静かに語る人が多くなってきたような気がしています。

 

 

過去は、様相が違いましたね~

その極端な例が、たとえば、水泳の前畑選手がオリンピックで優勝した時のような放送。

絶叫調で、それはそれで盛り上がって良かったのかもしれないけれど、心臓には悪そう。

私はそんな放送を聞くと、終わるとぐったりしてしまいそうです。

 

http://www.youtube.com/watch?v=7GgWI1i5kj8

 

国際的な試合になると、ナショナリズムが高揚するのは止むを得ない事ですが、たとえ試合中に予期しないトラブルが発生しても、その気持ちが高じて、観戦者までが、お互いの国をなじるような事だけは絶対してほしくないです。

ワールドカップやオリンピックには、世界平和を象徴するお祭りの要素もある事でしょう。

私が尊敬する、元日本サッカーチームの監督さんだった岡田氏も、新聞紙上に於ける最近の対談で、そのような事を言われていました

 

今、地球上のあちこちで、局地的に戦争や内紛が勃発していて、不穏な空気が世界中にも漂っています。

そんな中にあって、スポーツの祭典が、平和を語りかけ、心を一つにして純粋なスポーツを盛り上げ楽しむ意義を教えてくれます。

 

 

その点、ロシアの冬季ソチオリンピックは、少々残念でした。

終了直後に、ウクライナ侵攻が始まり、米欧の反目を買う事になりました。

政治の事は私はあまり詳しくなく、国にはそれぞれの事情があるので、勝手な批判はしたくないけれど、かなりのショックを受けたことは確かです。

ロシアにとって、オリンピックを開催することの意義はなんだったの、と疑念でいっぱいになり、とてもとても悲しくなりました。

 

 

私は今でも忘れません。

ソチオリンピックで開会式にも閉会式にも登場したマスコット人形を。

その目の何と柔和で優しかった、かを。

こんな表情のマスコット人形を登場させるロシアは、きっと世界の平和を心から望んでいるに違いない、と確信さえしたのですが。

そのお人形の目から流れた一筋の涙が、今になると、とても象徴的に感じられます。

その時は、オリンピックが閉会することへの寂しさと受け止めましたけれど・・・・・・

果たして、その涙の意味は、と改めて問い直したくなりました。

 

 

この度のサッカーワールドカップも、ブラジル開催に当たって、不穏なデモ行動やテロめいた事件があり、複雑な心境になりました。

そのような行動を起こした、貧しい民衆の気持ちを全く理解できないわけではありません。

 

けれど、国際的なスポーツの祭典は、政治問題からは切り離して考えるべきではないでしょうか。

できる事なら、東京オリンピックは、政府があまり関与し過ぎないで、民間人の手でできるだけ盛り上げて欲しい、と。

そして、下心の全くない、純粋なスポーツの祭典になってほしいものです。

 

厳しい勝負の晴れ舞台とは言え、ブラジルでのサッカーワールドカップが、成功裏のうちに穏やかに閉幕しますように。

そして6年後東京で開かれるオリンピックは、世界平和を強く打ち出し、人類愛に燃え上がるようなスポーツの祭典になれば、本当に嬉しいのですけれど。

そしてこの青い惑星の地球で、人類が心を一つにして暮らす事の大切さに目覚める様な、そんなお祭りになってくれれば、どんなに素晴らしい事でしょう。

 

 

理想論ばかり述べて、顰蹙を買いそうですね~

しかし夢は限りないもの・・・・・・

世界中が歓喜に包まれて賞賛するような、東京オリンピックを夢見つつ・・・・・・

その時はすっかり元気になった旦那さまと連れだって、開会式を是非観に出かけたいものです。

 

      

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兄妹愛

2014-06-20 08:03:18 | 

今日は、前回の続編です。

公開のブログ上に綴っていいものかどうか、迷いもありますが、子供達の成績云々なんて、然程差し障りのある重大事とも思えません。

ですから真正直に、のびのびと書いてしまいますね。

 

長女家のさっちゃんは、小学校4年生です。

幼い頃は、男の子のように元気で活発。

自然児といった表現がぴったりする程、のびやかで屈託のない子供でした。

 

祖母としては、伝統的な価値観も捨てきれず、心に抱く女の子のイメージがありました。

ところが、さっちゃんは、そのイメージとはかなりかけ離れていたため、少々心配でもありました。

今でも、スカートやワンピースは大嫌いで、ママはハレの日のために用意したドレスなど、着せるのに大変苦労しています。

 

ところが、そのさっちゃん、相変わらずその装いは同様ながら、少女らしさも匂い漂い始め、チャーミングな性格が実に際立ってきました。

何とも愛くるしい少女へと成長した印象を受け、ばぁばは嬉しい限りです。

その気持ちを父の日に、喜びを込めて長女に伝えました。

 

 

ところが長女のMちゃんが、とても意外な事を言いました。

「さっちゃん、馬鹿なのよぉ~。とんでもないお馬鹿さんかもしれない」と。

何と、笑いながら実に楽しそうに言うのです。

それを聞いていたさっちゃんも、素直にそれを認めて、「そうなの~、私馬鹿なの~」

と言ってけらけら笑っています。

うろ覚えのため、表現は多少違ったかもしれないけれど、似たような事を2人が言っていたのは確かです。

 

実におおらかな親子関係と言えないでもありませんけれど、なんだかチョット、と言った私は感じ。

するとお兄ちゃんが言いました。

「ママ、このままではさっちゃんやばいよ。何とかしないと~」と。

 

長女から、さらに詳しい話を聞き、私は少々驚き、意外感でいっぱいになりました。

お兄ちゃんが、5年生の秋から通い始めた都内で一番の有名塾における入塾テストで、不合格だったとのこと。

500点満点で150点しか取れなかったのだそうです。

 

たったの150点!

これではゼロ点に限りなく近いですものね~

とても賢そうに見えるさっちゃんが何故、と頭の中にクエッションマークがいっぱい灯った私です。

 

以前からお勉強が振るわない、とは聞いていましたけれど・・・・・・

さっちゃんはやる気がないだけで、その気になれば、一気に成績が伸びると、私は思っていました。

その気持ちは、パパも変わりないようで、やる気さえ出てくれば、この子は大丈夫、とどこかのんびり構えている雰囲気です。

それにしても、ちょっとひど過ぎる点ですね~(笑)

 

 

 

最近の事。

ママから、私は自尊心をチョッピリ傷つけられるような言葉で、さっちゃんをからかった話を聞かされました。

傷ついた、と言うのは、全くの冗談です。

私は卒業した学校の良しあしで、人の値打が決まるなんて全く思っていませんから。

無論、ママも、ジョークに過ぎなかった事はよく分かっていますけれどね。

 

ママの言葉は、次のようなものでした。

「さっちゃん、勉強頑張らないと、おばあちゃんと同じになって、仲間外れになるわよ」

するとさっちゃんは、答えたそうです。

「いやだ~ママと同じ大学に行きた~い」と。(笑)

 

確かに我が家の家族は、私を除いて全員、同じ大学の卒業生です。

でも私は、そんなことで自らを卑下したり委縮したこと等一度もありません。

ですから、長女のそんな冗談も、余裕を持って笑って聞き流しています。

 

さっちゃん!同じ仲間でいいじゃない。

卒業した学校のレヴェルなんて、人の幸せには関係ないわ。

心豊かに人生を楽しみ、如何に有意義に過ごすかが一番大切な事ですもの。

これって、私の負け惜しみ?(笑)

いえいえ本心です。

 

でもお勉強を一生懸命頑張り、知識が増えれば、一層人生が豊かになることは確かですすものね~

今なら、まだ間に合うわ。

少々心を引き締め、基礎をしっかりやりなおして、再スタートのつもりで頑張ってほしいです。

 

 

何とそのために、お兄ちゃんが一役買ってくれる事になったとのこと。

最近、急に大人びて、背筋が幾分シャンとしてきたようなR君。

更にパパから、これ又意外な話を聞かされ、祖母の私は嬉しさを隠せませんでした。

中三になって、成績が躍進したそうです。

 

中1、2年の頃は数教科、赤点も取って、進級さえ危ぶまれ、高校生になる時は転校を余儀なくされるのでは、と両親は真剣に悩んでいたほどでした。

中学受験のために、5年生の夏頃から、さっちゃんが入塾できなかったS塾に通ったR君。

ママの絶大なる協力もあって、有名中に奇跡的に合格しました。

その時のママの涙ながらの喜びの声を、私は忘れることができません。

その親子の喜びを、転校させられて台無しにするなんて、余りに悲しくて辛い事。

今後のR君のためにならない、と私は最悪の事態を、真剣に恐れました。

 

でも対応次第と、子供の成長で、突然変わったりするものなのですね~

そのR君の成績が、中3になって突如アップし、学年の平均点を越えたとのこと。

パパ曰く、

「もうひと頑張りして、成績が上位三分の一内に入れば、T大を十分目指せるよ」

と。

 

T大は無理としても、やっと勉強することの楽しさに気が付き、知識欲が生まれてきたのなら、こんなに嬉しい事はありません。

R君の落ち着きと、余裕ある態度、前より会話が多くなったのも、自分への自信がみなぎってきたゆえでしょう

そのR君が何と、次回の入塾テストの準備で、さっちゃんの指導をすることになったのだそうです。

 

 

 

 

果たしてうまくいくでしょうか。

喧嘩になったりしないかしら?

もともと妹のさっちゃんの方が強くて、お兄ちゃんは負かされてばかりいましたから。

でも最近、さっちゃんがお兄さんを見る眼差しが変わってきた事に、私は気が付いていました。

お兄ちゃんが、急に背が伸びママを超え、見上げるようになった事も関連しているかもしれません。

敬愛の情が、さっちゃんの眼差しから感じ取れます。

我が家にいる時も、或る事で、「お兄ちゃん凄い!上手!」と感嘆の言葉を繰り返てし、褒めていました。

そんな微笑ましい兄妹愛に、ホロっとさせられる祖母です。

お勉強指導がうまくいって、ますます兄妹で、支え合い仲良く暮らしてくれれば、こんなに嬉しい事はありません。

 

色々書きましたが、さっちゃんがお勉強に身が入らない原因を突き止める事が、とても大切ですね~

私は、娘達が幼い頃から、お勉強に一生懸命励む事が、どんなに大切で、人生を豊かにしてくれるかを、話して聞かせました。

子供に分かりやすい表現と内容で、幾度も幾度も説明し、動機づけをしたつもりです。

 

長女家では、その語りかけが、少な過ぎたのではないかしら。

同じ事でも、表現を多少変え、言い続けることで、さっちゃんの学習へのモチベーションを高めるように心がけてね。

 

お兄ちゃんの成績が急上昇したのには、それなりの理由もあります。

このことについては、また何時か語りたいと思っています。

 

かれんちゃんも、ユニホームを着て、応援しています。

 

ワールドカップ、日本とギリシャの試合がいよいよ始まりました。

日本頑張れ!!!

勝利を信じて疑いません。

 

      

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父の日のお食事会

2014-06-18 06:44:26 | 家族

週初の日曜日は、父の日でした。

久しぶりに家族全員が、また集合。

いつもと変わらず、最寄りのイタリアンレストランでのお食事会です。

私の手作り料理での団欒が、心がこもっていて、家族にも1番喜んでもらえるのでしょうけれど・・・・・・・

60代前半の頃までは、それが当たり前の我が家でした。

ところが、ここ7~8年程は、次女宅か、このレストランでの会食が多くなっています。

歳を重ねる内に、次第に大勢の食事を作る気力がなくなってきてしまった、情けない母親です。

 

それに最近は多忙を極めたため、蓄積疲労がなかなか抜けなくて、1日に何度も仮眠をとり、元気復活。

しばらく頑張れますが、すぐ体力が尽きてしまいます。

でもこの数日、休み休みの生活ながら、とても良い新たな暮らしのリズムが生まれ、結構家事は順調にはかどっています。

業者さんの出入りが、以前ほど頻繁でなく、静かな生活を取り戻せた事も大きな要因でしょう。

 

私達家族がよく利用するイタリアンレストランの店先のデコレート

いたる箇所に楽しい小物が置かれ、思わず目を惹かれます。

この日の写真はすべてピンボケです。(クスン)

 

日曜日も、日中、二度寝をしたため、夜7時からのレストランでのお食事会は、とても元気に過ごせました。

何時も長女の旦那さまがご馳走してくれ、その優しさに甘え切っている私です。

普通、祖父母がおごるものでしょうに。

ちょっと恥ずかしい我が家ですが、昨日は父の日でしたからなんて・・・・・・・

いつもの事ですから、言い訳になりませんね~

 

もうすぐ、次女と、長女家の長男R君、主人のお誕生日が待っています。

その時には、出来れば、私の手料理を振る舞いましょう。

娘達も、パパへの贈り物はまとめてその時にするわ、なんて言ってくれています。

 

 

そう言えば、朝、長女から電話があり、

「珍しく時間があるので、我が家に来ない?私の手料理をご馳走するから」と。

とても有難い言葉でしたけれど、旦那さまが夜、外出するには、少々体力的に無理があり、それは断らざるをえませんでした。

 

最近、抗がん剤の影響か、多少食欲が落ちてきています。

散歩も、最寄り駅まで行くのがやっとらしく、帰りはバスで帰ってきます。

少し前までは、隣町の駅まで数時間かけて徒歩での散歩をこなしていたのですけれどね~

何だかちょっと心配です。

 

表情も浮かぬ顔つきの日が多く、それを見ていると、私の心にまで影を落としそう。

明るく、明るく、と常に、自分自身に言い聞かせて、前向きの姿勢を崩さないようにできるだけ努めています。

夫が万一吐いたりでもしようものなら、私まで、同様の気分に陥ってしまうのではないかしら。

長年同じ屋根の下で暮らしていると、仲良し夫婦とまでは言えなくても、夫婦は一心同体のようなものですものね~

 

副作用を、今か今か、と待ちくたびれて、すでに二カ月近くになりますが、どんなにくたびれても、こればかりはない方がいいです。

ひたすらそれを願い、ここまで割と無事に過ごせてきた幸運を神様に感謝したい気持ち一杯でいます。

 

 

さて、お食事会は、いつものようにイタリアンの料理に舌づつみを打ちながら、おしゃべりが留まる事がありませんでした。

私と旦那さまは、もっぱら聞き役。

話し好きの若夫婦達の話題は、とても興味深く、聞いていて飽きません。

今回は、長女家の子供達の成績についての話題で盛り上がり、私は大層喜んだり、一方ではひどく心配したりと、

心を揺り動かされ、いろいろ考えさせられた事でした。

娘は、それを何の屈託もなく、のびのび話し、酷く成績不振の次女のさっちゃんも、悪びれず、素直にそれを聞き、にこにこ笑っている。

何とも不思議な親娘です。

 

 

さっちゃんは、頭の回転が速く、動作もてきぱきしていて、まるで漫才師のようにジョークも上手。

天真爛漫で愛くるしい上に、実に利発な子として祖母の眼には映るのですけれど。

想像力には割と自信のある私でも、なぜそんなに学業の成績が振るわないのか、理解に苦しみます。

一方、中2の中頃までは、進級できないのでは、と心配さえしたお兄ちゃんのR君は・・・・・・

 

長女夫婦は、学業優秀で苦労知らずでしたのに、子供達の勉強では心労(?)が絶えないようです。

親と子は別人格ですから、同じ道を辿れないのは当たり前のこと.

孫達が心身ともに健やかに育ってくれるだけで、私は十分ですが、

そうは理解していても、話の内容が極端過ぎて、祖母の身も細りそ~

妹思いのお兄ちゃんの協力と指導が、どこまで成果を挙げるでしょう。

このことについての具体的な説明は、次回に回させて頂きますね

 

ワールドカップサッカーにおける日本代表の敗戦は、とても残念でしたね~

次回に期待しましょう。頑張れニッポン!

かれんちゃんが来ているのは日本代表の古いユニフォームです。

 

若夫婦家族が一緒だったせいか、旦那さまの食欲も一時的に元に戻ってくれたようで、お代わりする程たくさん頂いていました。

孫達の元気な姿を見られたのと同じくらい、私には嬉しい事でした。

 

      

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★勇気の要った決断(やむをえず非表示)

2014-06-16 07:56:31 | 住まい インテリア

雨では、散々悩まされた私ですが、ここしばらく梅雨間の素晴らしい快晴の日々。

真っ青な澄んだ青空に、私は見惚れてばかりいます。

この度の改修工事で、屋根をブラックから、赤みがかったチョコレート色に変えました。

その色調は、えんじ色といっても言いかもしれません。

前のお宅の屋根の色が気に入り、それと同色にさせて頂いたのですが・・・・・・

新しく塗り替えたその屋根が、澄んだ青空にとてもよく映えます。

それだけで、最近の苦労は水に流しましょう、と思えるほどに幸せな気分に。

何とも単純な私です。

壁の色も、私の願い通りとは参りませんでしたが、次第に目が慣れてきたせいか、それなりに満足できるようになってきました。

 

<個人情報に関する画像になるかもしれませんので、止む負えず非表示とさせていただきます>

 

さて前回の記事で、雨樋の色の選択で冒険をした、と記しました。

その色は最初、、全く予想だにしなかったものです。

雨樋と言えば、ほとんどのお宅がブラウン系ではないでしょうか。

白も良く見かけますね~

何も心に障る事がなければ、恐らく深く考えることなくブラウンを、私も選んだと思います。

 

その気に障った事とは、我が家担当の営業マン、Kさんの身勝手な言葉でした。

外壁塗装の行程が半ばを過ぎた頃、私はまだ雨樋の話しが全く具体的に進んでいない事に気が付いたのです。

それで心配になり、問い合わせの電話をKさんにかけました。

すると、Kさんの応答は次のようなものでした。

「~さんが色で迷っておられたから云々・・・・・・」

その返事に呆れてしまった私です。

 

未だ色見本も届けて下さってもいないのに、迷うも何もありません。

「どんな色にしようかしら?

ブラウンが一番無難で間違いがありませね~」

と、話した覚えはありましたが。

幾分腹立たしくなった感情を抑え、その時は

「色見本をできるだけ早く送って下さいね」

と、穏やかな口調でお願いしました。

(私が、過去の不平、不満をすべて挙げ、一度に注意してからは、驚くほど態度や口調を改めて下さったKさんです。

ですから、こんな愚痴は、もう述べたくないのですが・・・・・・・

過去の事として聞いて下さいね)

 

 

 

しかし、いつ届くやら、心もとなく思い、さっそくパソコンを開き、雨樋の色見本で検索する事に。

外壁の見本に比べると種類は限られ、多くありませんでした。

十数種程でしたでしょうか。

その中に、私の目を引き付けて離さない色があったのです。

「ラステイグリーン」

緑とは言え、幾分グレーがかった落ち着いた色です。

 

私のインスピレーションで、この色が我が家にはとてもマッチする、と感じました。

壁は多少、緑を帯びていますし、深いえんじ色の屋根にも似合いそう。

そいえば、緑に赤と言えばクリスマスカラー。

年中、我が家がクリスマスカラーなんて、とても素敵じゃない。

私の思いが膨らみ、迷うことなく短時間でこの色に、一旦決めました。

 

ネット上の見本を見てのみの判断でしたから、最終決定というわけでは無論ありませんでしたが。

数日後に、TホームのKさんが来られ、雨樋の見本を見せて下さいました。

 

それは、実物の一部でしたから良く分かり、色は私のイメージ通り。

それを注文する事に決定。

ところが注文後の翌日、Kさんがおっしゃるに、「屋根屋さんが、この色を使用するのは初めてと言っていました」と。

それを聞いた私は一瞬緊張し、とんでもない間違いを自分が犯してしまったのでは、と大層不安になりました。

 

<こちらの画像も非表示と致します>

問題を起こした暖炉の煙突と緑の雨樋

 

雨で、取り付けの予定が、1日1日と延び、その間、気が気ではなく・・・・・・

けれど、自分に言い聞かせていました。

クリスマスカラーですもの、合わないはずがないわ。

個性的な我が家になって、幾分別荘の趣になるやもしれず。

お庭の樹木や草花の緑にも調和するでしょう。

きっと素敵に違いない、と。

不安をかき消すかのように、夢を膨らませ、その日を待ちました。

 

そして、やっと晴天になった先週の金曜日、雨樋の取り付け工事が始まりました。

届いた樋は、イメージ通り。

私は胸をなで下ろし、その後、取り付けが始まると、、幾度も外に出て、その色と我が家の調和を確認。

違和感は全くなく、我が家の外観にとてもマッチしている印象でした。

通行人の目を引くほど、目立つ雰囲気でもありません。

 

<非表示画像>

 

良かった~と心から安堵。

私なりの選択で、個性が我が家に一層生まれた事は確か。

 

歳を重ね、体力は落ちる一方で、存在感が次第に薄くなっていく我が身です。

こんな年齢になっても、大胆な遊び心を発揮する心が、まだ自分に残っていたなんて、何だかとても嬉しい。

年中、幸せを呼ぶクリスマスカラーですから、不運な出来事が、また我が家を襲うことは、もう当分ないでしょう。

そう思いたいです、

 

実はこれも、私のインスピレーションによる、突然の思い付きだったのですが、窓一箇所の改装も、ついでにしてもらう事にしました。

それは、ファミリールームの道路サイドの窓です。

枠をホワイトに変えるつもりです。

その部屋の他の窓は、すべて白ですので、それに合わせる事に。

恐らく、外観が今よりお洒落な雰囲気になリ、室内の雰囲気も明るさを増すのでは、と期待してのことなのですが。

この部屋は、私が年中過ごしていて、まさに私の部屋、そして家族の団欒の部屋でした。

 

 

外壁を塗り替え、ほかでも彩色に趣向を凝らし、なんだかとてもいい気分転換ができた気がしています。

本来なら、今後は断捨離を徹底し、シンプルライフを目指す方針でしたが、せっかくだから私の日々の暮らしをもっともっと素敵にしたいと。

少々新たな物欲も湧いています。

 

とは言っても年金暮らしの身。

やはり身の丈に合った、慎ましい暮らしを、また心がけましょう。

 

        

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忙しくて忙しくて・・・・・・

2014-06-14 07:36:50 | 暮らし

今日こそ、私が大層ショックを受け、不安になった我が家の第2弾の出来事について、語りたいと思います。

水害騒動に見舞われた翌日、引き続き起きた事です。

未だ前日の動揺が完全に収まったわけではなく、勝手口のガラス戸から、しょっちゅう庭の様子を窺っている時のことでした。

 

私の苦肉の策で、雨水は前ほど庭に溜まらず、一応流れが出来ているようです。

居間側は期待以上の効果で、全く浸水はありません。

胸をなでおろすも、ゲリラ的豪雨に襲われると、どうなる事でしょう。

天気予報によると、それが心配されるような雰囲気でした。

 

歳に似合わない奮闘で、水害騒動の翌日は、朝から体調がすぐれず、体を鉛のように重たく感じました。

何を差し置いても、もう一度十分睡眠を取って、疲労を回復しなければ、と思った私です。

日頃は、お昼寝は、20分後に携帯の目覚まし時刻を合わせますが、その日は自然体に任せる事に。

そして、何と、私は数時間も眠りほうけてしまいました。

 

とても慌てた私です。

明日の夫の退院に向けて、済ませておきたい事が色々ありました。

まずは、一週間分の食材の買い出しです。

既にメモはしてあったので、急ぎ身支度を整え、玄関へと、居間を通り抜けようとしました。

ところが、暖炉の前を通り過ぎようとした際、足元に、なにやら冷たい感触・・・・・・

ストッキングが濡れてしまいました。

「何事?私、何か床にこぼしたかしら?」

よく見ると、暖炉の前に敷かれた絨毯が全面、ぐっしょり濡れています。

その時点でもまだ、「何を何時こぼしたのかしら?」といった呑気な思いで、私はいました。

 

 

しかし周辺を凝視すると、床との境目の暖炉の煉瓦が、湿って色が変わっているではありませんか。

まさか!頭に浮かんだ悪い想像を打ち消しながら、恐る恐る、そのガラス戸を開けました。

ガァ~ン!処理せずに積もったままになっていた灰が、湿って泥化しています。

そこで初めて、暖炉の雨漏りに気が付きました。

 

マイホームを建築し30年近くになりますが、このような事は初めてです。

とはいえ、前から煙突から雨が落ちてこないのが私は不思議でなりませんでした。

余程複雑な構造になっているのでしょう。

煙は抜けても、雨は防げるなんて。

十数年前の事ですが、暖炉の中に雀が舞い込んだ事があり、その疑問が、一層膨らんだものです。

 

でもそれ以上追及する事もなく、クリスマスとお正月限りですが、家族が全員揃った時には、薪をくべ、暖炉を燃やしました。

いつも、火を付け、そのお守りをするのは旦那さまの役目。

私が勝手にそう思うのかもしれませんが、暖炉に向かう作業は女性より、男性の方が絵になりますね~

薪に火が付き、はぜる音とともに炎に勢いが付き、燃え盛る様子を見るのは、私は大好きです。

心がとても落ち着き、人の原点の懐かしい暮らしに戻っていくような、ノスタルジックな雰囲気に浸れます。

 

 お守りをしてくれているのは長女のお婿さん

 

頻繁に使用し、安楽椅子に腰かけて、その炎を見つめながら読書に耽る。

そんな光景の暮らしを夢見て取り付けた暖炉でしたが、実際はそんな心の余裕は持てず・・・・・・

日々、家事全般の雑事と子育てに追われ、年金暮らしになった老後も、多忙さは同様の有様です。(クスン)

でも常に、私の理想の暮らしと夢が、その場所にある事には変わりありません。

 

そのような、ある意味、神聖な場所に起きた思いがけない異変だけに、ショックは想像以上に大きかった私です。

それも屋根の塗装時期と重なっていたため、自ずとその原因は、その工事にあるに違いない、と思わざるを得えませんでした。

私が忠告してからは、まるで一皮むけた如く成長された、我が家担当の若い営業マンのKさん。

彼に、また苦情を言った私でしたが、その対応はとても真摯で、私は以前のような不満を彼に抱かなくなりました。

 

 

しかし、今ひとつ原因がはっきりしません。

梅雨シーズンで、今後も雨の日が多いことでしょう。

その度に、雨漏りの心配をしていてはやりきれませんから、早急に修理していただきたいのですが。

屋根屋さんの意見も伺い、取り敢えず、暖炉が取り付けられてある周りをコ―キングし直し、煙突の上に板金のカバーを作ってもらう事にしました。

 

板金のカバー。

これは、私が理解に苦しむ事でした。

建築当初から屋根の上は見られず、煙突の様子は知り得ない私です。

ところが、屋根屋さん曰く、

「恐らく煙突の口に取り付けてあった雨除けのカバーが風で飛んだのでしょう」と。

しかし、私はそのような物体を家の周りで見た事は一度もありません。

「風圧で結構遠くまで飛ぶ事もあります」

と言われるのですが、何だか私は半信半疑で、心から納得できません。。

火を扱うところだけに、専門外の人に勝手に修理されても、心許なくて不安です。

屋根屋さんも、それで雨漏りを防止できるとの確信は持てないようでした。

 

 

その後、暖炉を扱っている会社数社にに電話をかけたりと、またバタバタ。

昨日、私が個人的に問い合わせた会社、メトスの方が、わざわざ調査に来て下さいました。

そして大層ショックな事を聞かされたのですが、この報告は、また日を改めて致します。

 

1昨日、昨日と、梅雨の晴れ間を狙って、業者さんが入れ替わり立ち替わり出入りする我が家。

昨日は朝から雨樋の取り付けが開始。

二日がかりの予定が、1日で終了し、ホッとしました。

この雨樋の色で大冒険をおかした私。

ほとんど注文を受けた事がないと言われる、個性的な色を選びました。

塗装屋さんも見え、和室の坪庭、その他外回りの壁の一部を塗装。

窓のサッシ屋さんも見えました。何故・・・・・・

樋の色とともに、私の思い付きのあれこれは、また火を改めて、詳しくご報告させていただきますね。

そう言えば大工さんも昨日見えました。

先日、記事でも触れた、シロアリ被害を受けた柱の補修の件です。

保証期間なので、無料との事で、これも一安心といったところでした。

 

門周りを、白壁から家の外壁と同様の色に塗り替えました。

 

こんなドタバタ暮らしの中で、旦那さまの介護もしています。

私の体力の許容範囲はとっくにオーバーし、気力で頑張っているだけの私です。

一昨日、暖炉の雨漏りの原因が良く分からないために、精神的ストレスから疲労困憊。

心身ともに余りに疲れ果てると、立ち直る気力が失せてしまって・・・・・・・

そういう時には、仮眠を取り直すか、日が暮れている時間なら、夕食は簡単にして、早く床に就くに限ります。

疲れた体のままで動いても一向に能率が上がりませんし、自分自身がつらいだけ。

 

旦那様は、とても寛容な人です。

体調次第では、私が料理を思い切り手抜きをしても、一切文句を言いませんし、お弁当でも嫌な顔一つしません。

ですから心身の調子が悪い時は手抜き料理もしょっちゅうしています。

 

終了まで、あと数日。

とにかくその日が待ち遠しくて。

けれど、そのころ旦那様は、四回目の抗がん剤治療で入院の予定。

 また私の病院通いが始まります。

 

疲れ果てた時は、なにはさておき睡眠!睡眠!

誠に有難い、救いの行為ですね~

束の間の仮眠でも、体はともかく、元気な心は確実に蘇ります。

とても扱いやすい我が身で、本当に助かっています。

 

       

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今日は、我が家を見舞った出来事、第2弾の報告のつもりでしたが・・・・・・

2014-06-12 08:52:24 | 病気

今日は前回に引き続き、我が家を襲った事件、第二弾を語ります。

いつも何だか、随分オーバーな表現ですね~ごめんなさい。

拙い内容ながら、ご覧下さる方の心を多少でも惹きたい、との苦肉の卑しい策です。(笑)

 

今日お話しする事件は、先週の土曜日の事でした。

我が家の水害騒動の翌日です。

本来なら、夫を見舞いに行く日でしたが、前日の疲れが残っていて、4時間かけて往復する気力はとてもなく・・・・・・

一週間分の食材の買い出しの予定もずれ込んでしまい、その日は、その買い物に当てる事にしました。

いよいよその翌日は、夫の退院日でしたから。

私は、また腕を奮って、旦那さまに栄養価の高い、美味しいお料理を食べてもらいたい、との強い思いがあります。

 

 最近の夕食の献立

めかじきのにんにく焼き薬味かけ・サワークリーム入りポテトサラダ・冷やしわかめスープ

 

(追記 すみません!この後、我が家を襲った出来事を綴る予定だったのですが、夫の病について、とテーマが変わってしまいました。

私の気ままな記事の綴り方が、お分かり頂けると思います。

文章構成など全く考えず、思い付くままにいつも書いていますから、このような事になってしまうのですね~

ごめんなさい!ご了承くださいますように。)

 

夫は、三回目の抗がん剤治療が終了しましたが、相変わらず副作用もなく、食欲は旺盛。

旺盛とまでは、いかないかしら。

以前に比べ、多少は落ちてきましたが、7割方は食べてくれるでしょうか。

もともと、私が食卓に出す量は、多目なので、十分でしょう。

「こんなに食べられないよぉ~」

と、目の前の料理を見て、旦那さまは、いつもぼやいていますけれどね。

 

元気な頃は、驚くほどの食欲で、私が食べる量の二倍は、ペロリと食べてくれていました。

食欲があれば、とりあえず安心といったところでしょうか。

がんを患った人は、どんどん痩せていくといったイメージが私にはありますが、夫は今のところ、体重は健康時とほとんど変わりありません。

 

 

直腸がんの放射線治療が終了したのが、昨年の11月頃でした。

その副作用が思いのほか強く、長い入院生活となりましたが、1月の初旬にやっと退院。

その二週間後に最初の診察がありました。

検査の結果は実に良好で、食生活の貢献も褒めて頂き、夫婦揃って心から安堵したつもりだったのですが・・・・・・

何故かその後しばらく経過すると、急速に食欲が落ち、ごく少量しか食べられなくなりました。

その時以来、日増しに衰弱していった夫の姿を、今も忘れる事が出来ません。

 

病院は遠方でもあり・・・・・・

自宅から先生に電話をかけてまで、ご相談にのって頂く事への遠慮も働き、予約の診察日まで待つことを優先してしまった私達です。

しかし、夫がただ事でない、と強く認識するような自覚症状に見舞われ、その日を待たないで、やはり電話をすることに。

翌日、先生のご指示に従い、診察を受けた時は、かなり重い症状で、即入院となりました。

 

「ずいぶん辛抱したのですね~こんなに我慢してはいけません。

具合が悪くなった時は、遠慮なく電話をかけて下さい」

とおっしゃられた主治医のK先生。

 

その言葉を、有難く素直に受け取らせて頂いた私達です。

その後は症状に異変がある時は、できるだけ早く先生に電話をかけ、予約なしで翌日には病院に出かけるようになりました。

今回の入院前、たとえ遠方でも、その労をいとわず1日置きに通院したのは、その時の反省からです。

 

T大の医学部の建物

 

病への対応は、早い程、順調な回復が見込める事はどなたでも知るところですが。

でもこれも、患者さんの性格次第ですね~

夫は、気力が常に充実した、意志の強い人だから、たとえ、体調がすこぶる悪くても、先生の指示通りに通院ができます。

無論、私の付き添いが、支えにもなっているでしょう。

 

一方、私は、このような状況に見舞われたなら、夫同様に冷静に振る舞う事ができるでしょうか?

自信は全くありません。

体調が悪いと、外出が億劫になり、家を離れ難くなってしまうのではないかしら。

家族の支えと励ましで、何とか重い腰を挙げるかもしれませんが。

実際にそのような状況になりませんと、自分がどんな行動が取れるのかよく分かりません。

病気になっても、マイペースで暮らせるのが、一番、私は幸せなのですが、そんなわがままを言ってはいられないのでしょうね~

 

 

前で既に触れましたが、食べる事がいかに人間が健康を維持していくうえで大切な事か、夫の病を通して身にしみている私です。

それと、適度な運動をする事。

病の回復には、絶対必要不可欠な事のようです。

 

三回目の抗がん剤治療を終えた今、自宅に戻れた旦那さまは、毎日の散歩を、お天気の日は欠かさず実践しています。

二回目の退院後は、途中から熱が出始めたように、最初から体調がすぐれなかったのでしょう。

散歩はしてくれませんでした。

食欲はそれなりにあったのですが。

 

傍にいると、寡黙な旦那さまながら、日々の体調は、私にも自然と読みとれます。

顔色はとてもよく、食欲もあり、落ち着いた暮らしぶりなので、今のところ大丈夫そう。

毎日取り換えているドレ―ンのガーゼ交換、ストマーのパウチ交換も、すっかり慣れた私。

要介護3ながら、専門介護士の必要性は、今のところ全く感じていません。

 

今後も、夫をしっかり見守り、私にできることを精一杯尽くしていきたいと思いますが、

そのためには、私がいつまでも健康でいなくては。

私が倒れると、家族に多大な迷惑をかけてしまいますから。

心身ともに健やかでいるためには、いつも心映えを明るくして、前向きに元気に暮らす事ですが、歳を重ねると、これがなかなかの難題。

理想通りにはまいりませんが・・・・・・

ブログ綴りが、今の私の心の励みと支えになってくれてもいます。

今の調子で、過ごしていけば、何とか悔いのない日々を紡げそう。

 

私の抱く夢も理想も、本当にささやかなものに過ぎませんから、多少の苦労を伴った平凡な日常でも、十分幸せを感じています。

住居のトラブルだけは、差しあたって、もう懲り懲りですけれどね。

 

      

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相変わらずトラブル続きの我が家

2014-06-10 10:07:33 | 住まい インテリア

今日は、、前回の記事で触れました、寝込みたくなるほどショックだった出来事について、お話しさせていただきますね。

「寝込みたくなるほど」なんてあまりにオーバーで、恥ずかしくなりますけれど・・・・・・

肝っ玉が小さいせいか、本当にそんな雰囲気に陥ってしまいました。

とはいえ、何か辛い事が起きる度に思う事は、大震災で悲惨な体験をされた方々に比べれば、余りに些事な苦労に思え・・・・・・

こんなことでくじけていては恥ずかしい~、といった気持になります。

事あるたびに、被災者の皆様に励まされているような感じ。

もう既に、あの時から三年が経過しましたが、今なお、私の心には深く刻み込まれ、忘れることはありません

恐らく皆さまも、同様でいらっしゃるいますことでしょう。

 

私は、ショックな出来事に遭遇すると、一瞬、とことん落ち込みます。

けれども立ち直りも驚くほど速く、私の一番の取り柄かもしれません。

そうは言っても、私が時に出遭う出来ごと等、ほんの小さな事。

立ち直り云々、なんて言うのさえも恥ずかしいですけれどね。

 

 

さて前置きが長くなりましたが、数日前に我が家で起きた事件について、まず述べます。

その時、当地は大雨注意報と雷注意報が出ていました。

冷たい雨、風も吹き荒れていて、とても肌寒く、少し前の猛暑が嘘のようでした。

 

そのような荒れ模様の中、私が不安で仕方なかった事が、思いがけない事態となって我が家に襲ってきました。

梅雨入り間近かというのに、我が家の屋根には、雨樋がありません。

雪害で故障した雨樋は、総取り替えするため、外壁と屋根の塗装前に、すべて取り払われてしまっていたのです。

「雨を受ける樋がない我が家は、大雨に見舞われると、いったいどうなるの?」

と、お天気が崩れる前から、とても気がかりな事でした。

 

そして例年より早い入梅となり、激しい雨が降り始めて間もなく、私には想定外といいたくなるような事が。

お庭に雨水が浸水し、足首が埋まってしまうほどの深さになったのです。

もともと余り水はけの良い庭ではありません。

体調を崩し、一時的にお世話になったガーデナーさんも、植物が期待通りに育たない理由に、それを挙げておられました。

降雨のみでは、今回のような状況に見舞われた事は一度もありませんでしたが。

 

雨樋がなくなったことで、屋根に当たった雨水が庭に直接流れ落ちてきました。

それはさほど気にならなかったのですが、とても不安になり、放置はできないと思った事があります。

雨樋が取り付けてあったベランダの両端の排水口から滝のように雨水が落下している事。

そのテラスのタイルを打ちつける大量の水を、わが庭は受け入れるのはとても無理。

みるみる庭を覆っている水量が嵩を増し、床下浸水ぎりぎりのあたりまで来ました。

 

 

床下浸水になると、大変です。

何とかしなければ、と私なりに知恵を振り絞って対策を考えました。

見た目によると、居間側のベランダの排水口から落下する雨水の量が多そうです。

理想は、庭に溜まった水が勝手口の前の通路を通り、玄関と反対側にもある外階段へと抜け、道路に流れ落ちることなのですが、我が家の土地の傾斜はそのようになっていないようです。

このままでは大変!大変!と慌てる私。

確かこのあたりに庭の排水溝があったはずと、そこを掘り起こしたり(見つかりませんでした)いろいろ工夫をするも、改善されません。

体が雨でずぶぬれになり、情けなさは高じる一方。

 

梅雨入りシーズンなのだから、前もって家主に迷惑をかけない様な手当てがなされてて当然では、と業者への苛立ちは増すばかり。

手順よく工事の計画を組めば、私の希望通りに梅雨前に、改修工事は余裕を持って完了していたはずですのに。

 

びしょぬれになった衣類

 

そんな悲壮感溢れる作業を高齢者の私が、ずぶぬれになって行っている時、突然良い考えがひらめきました。

居間側のベランダの排水口を塞いでしまおう。

ベランダの雨水の出口をキッチン側のベランダの排水口のみにして、そこから滝のように落下する雨水を大きな洗い桶て受け止める事に。

その洗い桶は前もってすぐそばにある立ち水栓の真下に設置された排水口側に傾けました。

すると、真上から落下した雨水が一旦洗いおけに溜まり、溢れ出すとその排水口に向かって流れ落ち始めました。

私の期待通りに、処理がうまくいった感じです。

 

 

多少状況が緩和され、何とか一件落着でホッとした私でしたが・・・・・・

鉄骨の足場が組まれ頭上が低いため、、傘もさせず、全身びしょぬれの私。

雨が下着までしみこみ、体が冷え、震えそうに。

6月だというのに、私は暖房を付け、お風呂をすぐ沸かし、湯船に浸かり、やっと一呼吸。

こんなにお風呂を有難く、嬉しく感じた事はありませんでした。

 

もう耐えられない、とばかりに、翌日、リフォーム会社の我が家担当の方に面と向かって、これまでのうっ憤をすべて吐き出しました。

約束の日を断りもなくキャンセルされた事、その他、理解に苦しむような言動が多すぎましたし、手順も悪過ぎ。

若さゆえ、と大目に今までは見てきましたけれど。

上司に告げ口するのではなく、老婆心で私が諭す手段をとりました。

無論、その方の成長を願い、真心をこめて相対したつもりです。

 

その効果が、期待以上にありました。

言い訳は一切なさらず、素直に聞いて下さり、心から謝罪もして下さいました。

驚いたのは、その後の言葉遣いや、対応がまるで別人のように改まったことです。

 

 

私は直接お話しして良かったと心から思い、この方の成長を一層願う気持ちになりました。

しかしです。

その翌日、また我が家にとんでもないトラブルが発生したのです。

この説明は次回に回させていただきますね。

また乞うご期待!という事に。

 

昨日は疲労困憊で、日中二時間も仮眠をとり、元気復活といったところです。

でもまだ何も解決していません。

老体鞭打って、頑張らなければ。

無事に事が収まりますように。

 

早朝、投稿しようとしたところ、何やら見慣れない表示が出て、いつものように投稿できません。

どこまで、私は傷めつけられるのかしら。クスン!

 

 

      

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トラウマの熱中症 今からの季節、気をつけましょう

2014-06-08 07:37:20 | 暮らし

いよいよ梅雨入りとなり、鬱陶しい日々が続きますが・・・・・・

「うっとうしい」と思うも思わないも、その人の気持ち次第ですね。

或いは、私たちの年代になると、体力次第かしら。(笑)

私は特に、そんな感じがします。

一層体調には気を付けて、元気に梅雨を乗り切りたいものです。

 

 

病人の旦那さまは、私よりはるかに暑さが応えるでしょうから、一層の配慮が欠かせませんが。

脱水症が気がかりで、

「多目に水分をとってね」などと声をかけると

「取っている」

と無愛想な答が返ってきます。(笑)

ところがその日に開けたミネラルウォ―ターのボトルをチェックすると、ほんの少ししか飲んでいない時もあり。

その少なさに驚き、心配を通り越し、ショックを受ける事さえあります。

でも、それ以上注意すると、機嫌を損ねかねません。

ですから、声をかける前に、書斎机の上とか、ベッドのサイドテーブルの上に、そっとコップを置くように心がけています。

でも、私も家事で忙しく、きちんと管理しているわけではなく、実にいい加減です。

 

長女が最近届けてくれた二ダースのミネラルウォーター

業者さん用のおやつまで送ってくれ、とても助かりました。

Mちゃん、ありがとう!

 

私が脱水症状に割と神経質になるのは、過去にトラウマとなる出来事があったからなのです。

夫が一回目の肝臓がんの手術を無事に終え、退院数日後の出来事でした。

退院したばかりですのに、、私がブログ上に掲載するような料理をすべて残さず食べてくれ、感激の日々でした。

それで、つい油断してしまったのかもしれません。

その数日後の早朝のこと。

私は階下のファミリールームで家事に勤しんでいました。

すると突然階上で耳慣れない大きな音がしたのです。

  

二階に駆け上がると、旦那さまがおトイレを出た脇の壁に背をもたれるようにして、失神した状態で倒れていました。

退院して数日後のことでしたから、手術をした肝臓に急変が起きたに違いないと思い込んでしまった私。

死さえ連想し、驚愕しました。

まだ朝の身支度も、私はきちんとしていない時の事でしたが、妹夫婦をも頼って、救急車を呼び、瞬く間に、その車中の人に。

この車のお世話に、我が家は既に何回なった事でしょう。

私、父母、夫。

お世話になっていないのは子供達だけですね。

 

 

救急車は、近くの病院に急病人を搬送するのが原則のようですが、

私は、

「救急を要しないのであれば、渋谷のN病院まで行って頂けないでしょうか」

とお願いしたところ、お返事はありませんでしたが、気が付くと、夜明け前の高速を疾走していました。

 

最近、夫がさらに遠方の病院に通う事になりましたので、その点を消防署に問い合わせ、再度確認しておいた私です。

救急車は、救急を要する患者を病院に搬送するところなので、まずは近くの病院が原則のようです。

けれど容態次第では、付き添いの要望の病院へ搬送も可能とのことでした。

或いは一旦近くの病院で治療を受け、容態が落ち着いてから、かかりつけ病院への搬送もできると言われました。

 

これを聞き、一安心した私ですが、救急車で搬送されるような事態には極力なってもらいたくありません。

誰もが願うことですね~

そんな状況になった時の緊張感たるや、とても言葉で言い表わせるものではありませんから。

 

 

暑い夏と真冬は、病人は無論、健康な人でも思わぬ症状に見舞われ、救急車を必要とする事があります。

熱中症も、その一つでしょう。

夫は、救急車がきた時には意識を回復していましたから、重い熱中症ではありませんでしたが、N病院まで搬送して頂いたのは正解でした。

そのまま入院を継続し、二回目の予定の手術に臨んだ夫です。

 

熱中症は、時に命にかかわる事すらありますから、気を付けなくては。

先日の猛暑で熱中症にかかり、亡くなられた方が4名もいらっしゃいました。

最近の発症者は、昨年の同時期の7倍と聞き、驚いています。

 

歳を重ねると、気温への体感が鈍くなり、のどの渇きにも気付かないで水分補給が怠りがちになるようです。

意識して、水分の補給と休養を心がけ、元気に蒸し暑い梅雨シーズンと、その後の猛暑を乗り切りたいものです。

 

http://www.otsuka.co.jp/health_illness/heatdisorder/

 

熱中症についてとても理解しやすいサイトがありましたので、載せておきます。

私は大塚の回しものではありません。(笑)

 

先だって以来、夫の高い熱の上げ下げで、心の動揺が抑えられなかった私ですが、それが落ち着いてホッとしたのも束の間、

とんでもない事が、また我が家に次々と襲ってきました。

そのたびにショックを受け、寝込んでしまいそうに。

でも、意外にも逞しい私。

何とか立ち直り、元気に日々の課題を克服してきた、苦労人のかれん桜といったところでしょうか。(笑)

このお話は、次回に致します。

乞うご期待。

 

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元気になった旦那さまを毎日夢見て・・・・・・小走りで追いかけたい

2014-06-04 06:38:21 | 病気

実は、一昨日が入院日でした。

先週の週初辺りから不安で、1日も早くその日が訪れてほしい、と切望していました。

何とか病室を早く確保しようと努めて下さっているのが、諸先生の言葉の端々からも感じられていました。

やっと夫が入院でき、本当に安堵した私です。

 

意識が朦朧としたり、お腹が痛くなった場合は、すぐ病院に連絡をするように言われていましたが

大事に至らず、無事にこの日を迎えられ、ホッとしています.

しばらくは落ち着いて、治療と療養に、夫は専念できる事でしょう。

最近控えていた散歩が楽しめる程に、早く元気になってほしいものです。

 

 

抗がん剤治療は二回目まで終わりましたが、幸いな事に、その副作用は、全くといっていいほど今のところありません。

大層辛いもの、とどなたも口を揃えて言われますのに、夫のようなケースもあるのですね~

とにかく、この点は一安心といったところですが、まだ二回目が終わったに過ぎません。

今後どうなるか分かりませんが。

 

そのため、私の最近の注意は、放射線治療の副作用であいた腸の穴の患部症状にもっぱら向いてしまっています。

その内、もっと詳しく先生のお話しを伺い、今後の見通しも尋ねなければ、と思っているのですが・・・・・・

 

それにしても、昨年の晩夏から入院生活が始まり、その後、入退院を繰り返してばかり。

夢中で過してきましたが、季節が巡り、またその暑い夏が訪れようとしています。

 

残暑の厳しい頃に、旦那さまから、体調の異変を聞かされた私でした。

その後の治療は目まぐるしいものがありましたが、いまだに先が見えないなんて。

ちょっと悲しくなりますが、諸先生方は、万全の処置で対応しで下さっているはずです。

 

優秀な医師揃いの天下のT大病院。

病院への信頼に陰りがあるわけでは全くありません。

私達も、精一杯努めて、その闘病生活に臨んできたつもりですから、その点の後悔は余りありません。

必らずその努力が報われる日が来る、と信じています。

 

T大病院

 

しかし最近は、どうも主治医がお二人いらっしゃる感じで、どちらの先生を立てるべきか私は迷います。

もともとは、放射線治療専門の先生が主治医でいらっしゃいましたが、今回の入院では、担当医師は、同じ格の助教授の違う先生です。

恐らく放射線治療は一旦は終了したからでしょう。

夫は、

「前の先生が主治医と思っていればいい、K先生もそのように言われたではないか」

と言っています。

 

専門分野の異なる二人の偉い先生が、夫の治療に当たって下さっていると思えば、有難く心強い事なのですが・・・・・・

自宅から電話で御相談をさせて頂く時に迷います。

但し、余程の事がない限り病院に電話をかける事はありません。

私が心配の余り、旦那さまに勧め、本人がそう決めた時のみですが、

どちらの先生をご指名すればよいのか分からなくて・・・・・・

 

 

それに致しましても、旦那さまの辛抱には、計り知れないものがあるでしょう。

目も不自由で、入院生活における自由時間の愉しみ方は、非常に限定的です。

若い頃から大変な読書家でしたが、今は大きな拡大鏡で数ページを読むのがやっとなんです。

だからといって、私が気を遣いすぎると、却って煩わしいらしく、自由にさせてあげるのが一番のようです。

夕食も、私が美味しいものを持ち運ぶと、病院が出すものを食べればいい、といってあまり口を付けてくれません。

大変難しい夫操縦法。

時にストレスになるものの、もう慣れっこ。

適当に私は扱って、気にし過ぎないようにしています。(笑)

 

誠に扱いにくい人ながら、愚痴も私への文句も一切なく、淡々と過ごしている旦那さま。

私には、とても真似のできないことで、その点は敬服の至りです。

亡き母が入院している時のこと。

看護師さんが言われました。

「入院患者で一番我儘で手を焼くのは、現役のころ管理職だった人」

と。

 

けれど、夫に限ってはそれは当てはまりませんね~

模範生の患者さんではないかしら。

 

 

今は1日も早く旦那さまが元気になり、軽やかに動けるようになってほしい、とひたすら祈っています。

目は難病で、これ以上視力が落ちないことを願うのみですが、その他の病が回復すれば、もっと力強く歩行ができるはずです。

人工肛門のパウチと先にボトルが付いたドレーンまでぶら下げての日常生活。

今は止むを得ないことと、私も辛くなる気持ちを凌いでいます。

 

数年前までは、旦那さまの歩行スピードが早過ぎて、私はいつも遅れがち。

時々、小走りで追いかけたものでした。

そんな日が再度訪れてくれるでしょうか。

たまらなく、その頃が懐かしいです。

その日の再現を夢見て、もうひと頑張りしましょう。

いえ、ふた頑張り、あるいはもっともっとかしら。

 

まずは厳しい夏の闘病生活を無事に乗り越えるべく、心して過ごしたいと思います。

 

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熱が上がったり下がったり 不安が尽きない夫の症状

2014-06-02 05:21:25 | 病気

連日、良いお天気ですが、急激に暑くなってきました。

先週の金曜日、私は午前中から夕方まで病院にいました。

ですから、その暑気をほとんど感じることなく過ごしましたが・・・・・・

最寄り駅から我が家までタクシーを利用した際のタクシーの運転手さんの言葉に驚きました

 

心地よく凌ぎやすい日和の中、病院に向かったつもりでしたのに。

当地は日中、29度、東京は30℃だったのですね~

養生され、ほとんどの窓が開かない我が家の室温は、いったい何度?、と心配になった私です。

その日以来、気温はうなぎ登り。

最近、熱っぽい旦那さまには、クーラーを早目に付けて涼むように勧めています。

職人さんにお願いし、よく使用する部屋は、一箇所だけ窓の開閉ができるようにもしてもらいましたが、

一方だけでは、風が通り抜けず、まるで蒸し風呂の中で暮らしているよう。

 

そんな我が家でも、愚痴一つ言わないで淡々と過ごす旦那さまですが、先週の火曜日に発熱し、それ以来熱が下がりません。

病院で処方された解熱剤を服用すると、36℃台の平熱に戻りますが、しばらくするとまた上昇。

その繰り返しで、先週の大半が終わってしまいました。

 

原因は明らかなので、その点では安心なのですが、熱が出る患部が、結構曲者で、放射線の副作用で起きた症状です。

ですから、完治するのかどうか不安でならない私です。

 

 

一度、病院の処置室で検温した時40℃近くまで上がり、泣きたい心境でした。

でも旦那さまは、とても平静で、さほど辛そうにも見えなくて・・・・・・

恐らく忍耐強い人なので、冷静を装っているだけのようにも。

ですから、私は重大な兆候を見逃しかねず、かえって心配です。

 

事実その懸念を一層強くするような出来事が、水曜日の午後の診察室でありました。

二時ごろ、検温。

その時は38℃台でした。

先生は席を立たれ、夫婦二人だけでしたが、突然、旦那さまが

「今地震があった」

と言いました。

私は全くそのような揺れに気づいていなかったので、「勘違いじゃない」と応えましたが、そこは強情な旦那さま。

一度言った言葉を撤回はしない人。

確かにあった、といって譲りません。

 

しかそれは、やはり勘違いだったのです。

高熱による幻覚でした。

益々私は、夫の容態が心配になりました。

 

ウインターコスモス

 

私は、帰宅しないで入院させてほしかったのですが、個室が一部屋も空いていなのて、それは無理とのこと。

血液検査の結果は悪くないし、心配な炎症反応も、さほど数値が上がっていないので、帰宅しても大丈夫でしょう、と言われました。

昨今の急速な高齢化で患者が増え、入院したくても希望日に、病室がなかなか取れない現状のようです。

 

このような厳しい病院事情は今後さらに加速し、予定通りに病人を入院させられられない時代が訪れるのでしょうか。

心配な事ですが、一方では自宅療養者が増え、家で良い治療が受けられるようになるのかもしれません。

お医者様嫌いの私には、願ったりかなったりの未来図です。

でもそれも容態次第なのでしょうね~

自宅療養のままで生涯の幕が閉じられるなら、本当に幸せな私ですけれど。

 

私は最近、娘に言いました。

「私は生に然程執着がないので、いつ死んでもいいの。

でもパパは、そんなことはないと思うわ。

だから最高の医療を施してもらえる最高の病院で治療させてあげたい、と常々思っているの。

そして精一杯長生きしてほしい、と心から私は願っているわ。

ママは、あなたたちが通いやすい適当な病院でいいからね」と。

娘は笑って聞いていました。

結構本心なのですよ。

 

 

熱が診察室で40℃近くまで上がった日は、点滴を打ち症状が落ち着いたところを見計らって、タクシーで家に戻りました。

翌日も、相変わらず熱の上げ下げが激しく、とても心配する傍ら、職人さんの対応に忙しく、10時と3時のおやつも出したりと、慌ただしく日が過ぎていきました。

でも旦那さまは熱が下がると結構元気で、食欲もあり、今調子がとてもいいカープの試合を楽しんでいます。

 

そしてその翌日の金曜日も、また病院へ。

先生のお話しでは、汚れた腸液を体外に排出するドレーンが機能しなくなったせいによる熱でしょうから、その管を取り替える事にします、とのお話し。

但し新しいドレーンを腹腔の適所に挿入するには、高度な医療技術を要する事のようです。

上手く取り付けられるといいのですが。

 

入院日も決まりました。

本来なら、抗がん剤治療が目的のはずなのですが、今回の入院では、ドレーンの処置を優先するとのこと。

三回目の抗がん剤治療は、もう少し後に再入院で行う事になるかもしれません。

 

 

ここ1週間、心配の連続でしたが、入院の日も決まり、今後の治療方針も分かり、幾分ほっとした私です。

金曜日の診察後、帰途に就いた途端、多少の安堵のせいか、猛烈な睡魔が襲ってきて、頭がもうろうとしてしまいました。

そして病院の最寄りの駅で、何と信じられない様な粗相をしてしまった私です。

 

ホームに降りるエスカレータ上で、私は、驚く事に居眠りをしてしまいました。

そのくらい疲れ切っていたのでしょう。

そのため私が立っているエスカレータのステップがホームに降りる際に来ても気付かなかった私。

 

そのような状況になると、どうなると思われますか?

初めて分かったことですが、つま先がエスカレータとホームの境界線に引っ掛かって、前傾姿勢となり転びそうになります。

私は手に持っていたお財布を落とし転ぶ寸前で、若い女性に助けられました。

恥ずかしくて仕方なかった私ですが・・・・・・

そこまで疲れ切ってしまった自分を哀れに不憫に思わないではいられませんでした。

 

昨日の我が家の夕食です。

アジの南蛮漬け・ちくわとじゃが芋の煮物・お刺身・オクラの酢の物・薬味冷や奴・そら豆の塩ゆで

私は半分も喉を通らなかったのに、旦那さまは7割方食べてくれました。

食欲がある間は、安心なのですが・・・・・・

 

こんなときでも、私の旦那さまは、相変わらずポーカーフェースの人なんですよ。

何だかなぁ~旦那さまの態度に、結構なストレス。

もう慣れっこですけれどね。(笑)

 

帰りの電車の中でも、Yさんによりかかるようにして、眠り通しの私でした。

そう言えば、行きの電車も帰りの電車も、夫に起こされて、目的地への到着を知る始末。

でもさすがにそれだけ居眠りをすると、多少元気になり、前回の画像の夕食をこしらえる気力が復活していました。

 体は大層疲れていますが、心はまだまだ元気な私です。

明るい前向きの気持ちを忘れないで夫を支え、介護に務め、麗しい日々(???)を心豊かに過ごしたい、と心から願っています。

 

      

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