今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

葬儀後の私 

2016-01-31 07:50:35 | 家族

葬儀後、何日経過しても、旦那さまのお位牌と遺骨の前に座ると、涙が溢れてしまって・・・・・・。

夫を失うことで、これほどの喪失感とやるせなさがわが身を襲うとは。

当然なこと、と思いはすれど、私の予想を超えて、遥かに大きなものです。

特に寝室に入ると堪えられません。

夫の闘病生活の苦労の跡がそこかしこに。

目もまともに見えず、最後の数か月間は、骨転移の痛みで苦しみ抜いた夫でした。

それにしては、本当に良く堪え、辛抱してくれたと思います。

 

私は、夫の辛さを心から理解し、常に寄り添ってあげられたでしょうか。

もっともっとやれることは一杯あったのでは、と今反省ばかり。

そのような心境になると、涙が一番よく溢れます。

 

 

Yさんのもとに嫁ぐ前は、むろんときめきもありましたが、余りに天才肌の寡黙な人だったゆえ、不安も大きかった私です。

結婚して、Yさんの事を知り尽くした(?)年齢になると、その不安は消えました。

けれど、妻としての多少の物足りなさを常に感じていました。。

だって優しい言葉なんて、全くかけてくれない人でしたもの。

 

けれど亭主関白とも違いました。

喪主の挨拶でも述べましたが、子供たちを叱ったことが一度もなく、私も小言を言われた覚えがほとんどありません。

空のような広い心と、冷静な精神力で、私たち家族を養い支えてくれた人です。

 

私は、言葉で優しさを表してくれない旦那さまに、時に文句を言いました。

けれど、今更ながら、それは私が夫の性格を本当に理解していなかったことによる、勝手な言い分であったと。

旦那さまは私が何を言っても、反論しない人でした。

けれど、内心はさぞ、私の無理解に心を痛めていたに違いありません。

文句ひとつ言わず、私のほとんどすべての言動を受け入れ、自由に伸び伸びと家庭生活を送らせてくれた人です。

それは、何にも勝る「最大の優しさ」であった、と。

今はそのことに、言葉では表し尽くせないほど、感謝しています。

 

 

娘たちが葬儀場の隅に飾るために選んでくれた写真は、この二枚ですべてです。

 

亡くなる前の一月、私は連日一時間半かけて、夫の許に行き、半日を病室で共に過ごしましたが、

その時の旦那さまの態度は、いつもとは違いました。

Yさんの思いがけない言動の数々は、今の私の宝物。

夫婦の絆を一層確信し、幸せを噛みしめることができた日々でした。

新婚当時のようなときめきを胸に抱いて、病院に連日通ったものです。

 

或る方が、私の身を心配してのご忠告だったのでしょう。

「自分を犠牲にしてまで、介護に没頭していては虚しくありませんか」と問いかけられました。

人は、それぞれ思いが違って当然です。

その言葉、他に、ちょっぴり傷つきましたけれど・・・・・・。

 

その頃の私は雨が降ろうと槍が降ろうと、毎日通い詰めて、旦那さまに寄り添おうとの心境でいました。

夫は私を、心底必要としていましたから。

私が支えてあげなければ、すぐダメになってしまいそうなほど、辛い日々と向き合っていましたから。

まだまだ大丈夫といった、楽観視はしていませんでしたが、少しでも長い間、旦那さまに添い遂げたい、との篤い思いでいました。

その願いが容赦なく断ち切られ、今は悲しくてならない日々です。

 

この当時の事で、切なくも温かな思い出、不運な出来事、病院の治療への苛立ち、と書きたいことはいろいろあります。

今後、その話題に触れるかどうかは、私の気持ち次第で、今は何とも言えません。

心を整理するために、恐らくしばらくは綴ることになるのかもしれません。

 

けれど、いつまでもめそめそすることなく、どこかで潔く思いを変え、前を向いて明るく元気に過ごしたく願っています。

それが何よりの旦那さまの供養になるでしょうから。

一昨日、訃報に接した、私が敬愛して止まなかった大切な友、Uさんが、ご主人様を亡くなれた時の気丈さ、優しさ、明るさを見習いたいと・・・・・・。

 

 

最近、お線香を上げに来てくださった訪問看護士さんのお話によると、旦那さまが一人身になる私の事を、とても心配していたとの事。

他にも、お料理その他色々ほめ、私の体調を気遣ってくれていたようでした。

私には優しい言葉など、一度もかけてくれませんでしたのにね。

 

旦那さまが間接的に私に残してくれた温かなメッセージの数々を聞き、夫が亡くなった日と同じくらい泣きました。

「また泣かせてごめんなさいね」と訪問看護士さん。

「美しい夫婦愛を感じながら訪問看護ができて、私たちも幸せでした」と過分な嬉しいお言葉までいただきました。

 

私が死んだら、三途の川まで迎えに来てくれるでしょうか。

その日まで、旦那さまに心配をかけないように元気に過ごそうと、新たに心に誓っているこの頃です。

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涙ながらに聞いたお褒めの言葉の数々 

2016-01-30 07:40:26 | 家族

お通夜も告別式も、滞りなく無事に済ますことができました。

その日は、どっと疲れが出て、早く床に就いたものの、やはり真夜中に目が覚め、眠れません。

亡くなる前の一月、病室で半日を過ごした日々の、旦那さまの様子がありありと目に浮かび、相変わらず涙腺は緩みっぱなしの私。

一月半が過ぎようととしている今も、同様です。

睡眠の質は、かなり改善されてきましたが。

いつになれば、この状態から抜け出せるのでしょう。

 

良い事なんて、当分ないのではないかしら、と沈んだ思いで過ごし始めた葬儀後でしたが・・・・・・。

思いがけない嬉しいお話を、耳にすることになりました。。

葬儀が終わり、多少落ち着いてきた頃、お世話になった方々や、私の友人に、ご会葬くださったお礼の電話をかけました。

取り急ぎ、まずはお電話で、といったところです。

今は、毎日礼状をしたためていて、その作業で忙殺されています。

 

手紙を書くって、素敵なことですね~
丁寧に真心こめてその時間を紡げる幸せを感じています。
でもやっぱり大変な作業ですけれど。
既に封書は10通くらい、はがきは60枚くらい書きました。

 

 電話をすると、つい思いが溢れ、長電話になることが多くて・・・・・・。

皆さん、温かな言葉で励まして下さいます。

すると、また目が潤んでしまう私。

どなたでも、身内の別離は、同じような経緯をたどり、歳月の流れを味方にして、徐々に立ち直っていくものなのかもしれません。。

 

さて、こんな悲しみの中、嬉しかった事とは。

葬儀後の、喪主である私の会葬御礼の挨拶を、数人の方が大層褒めて下さった事です。

夫が一番親しかった同僚、膨大な読書量で知られる次女の義父さま、大企業の副社長の経歴があられる親友のKさんのご主人さま、その他、私の友人。

その中でも、同僚のNさんの少々過剰すぎるお褒めの言葉は、特に胸に沁みました。

文才で知られた夫が多少は満足し、あの世に旅立ってくれたかもしれない、と思うと、また胸が詰まってしまった私です。

 

褒められたことを、他者に具体的に話すのは、奥床しさに欠け、恥ずかしい事かもしれないけれど、私はこういう時、開き直ってしまうようです。

自分の個人日記に過ぎないブログ。

多少節度を欠いても、嬉しい事、悲しい事、なんでも素直に綴りましょう、と。

 

 

 ですからNさんがおっしゃってくださったことを、臆面もなく記します。

「これまで、幾度も葬儀には参列したけれど、喪主の挨拶で、今回ほど感動したことはありません。

本当に素晴らしかったですよ。

200点満点でしたよ。

思わず拍手をしようかと思ったほどでした。

恐らく私が拍手したら、感動の拍手が沸き起こったでしょうね~。

Nさんの人柄も、実に見事に表現されていたし。

Nさんもさぞ喜んだことでしょう」と。

 

Kさんのご主人は、

「型にはまった儀礼的な喪主の挨拶がほとんどだけれど、このたびのは、具体性があって、実に良かった。

わたしも母親の介護をしていて、同じような心境によくなりますよ」

次女の義父さまのお褒めの言葉は、長女から詳しい事は聞いていません。

 

 

文例を色々読んで参考にし、用意したものではありません。

落ち着いて考える心の余裕も、心静かに綴れる時間もほとんどありませんでした。

家族が起床する前の早朝、まさにブログを綴る時間帯に書きました。

ブログで多少は書き慣れていたことが幸いしたのでしょうか。

生前、お世話になった皆様への感謝の気持ち、夫への思いを、感情はできるだけ抑制して、精いっぱい素直に語りたい。

それだけでした。

 

夫が天国に旅立つ前のはなむけの言葉になってくれたのであれば、本当に嬉しいです。

チョッピリでも御恩返しが、最後にできたかしら?

そう思うことに致します。

 

 

昨夜、私の心の支えだった、大切な大切な友人が、亡くなりました。

お嬢様からのお電話で、すぐそれを察し、気持ちの動転が抑えられなくなりました。

重いパーキンソン病を患っておられましたのに、私へ、優しい気遣いを幾度も示してくださったUさん、

不自由な手で書かれたお手紙を何度も頂きました。

それに引き換え、私は自分の事で精一杯の日日でした。

 

今日、友人へ宛てたお手紙に、Uさんの気丈さと優しさを見習って、私も頑張ります、と書いたばかりでしたのに。

49日が過ぎたら、会うのを楽しみにしていましたのに。

今の私には、余りに辛すぎる訃報です。

悲しくて悲しくて仕方ありません。

 

他にも信じられないような長女の親友の訃報を聞き、涙の壺がもう一つできたような心境といっていました。

またもう一つ、壺が必要になってしまいました。

もうこれ以上は抱えきれません。

またいつか改めて、この事について書きたいと思います。

 

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喪主の挨拶を無事に終えて

2016-01-29 07:42:02 | 家族

思いがけない多くの弔問客がいらして下さったお通夜。

その夜、帰宅してからも、私の心に焼き付いて離れない光景がありました。

夫の友人、同僚たちが、祭壇に置かれた夫の棺の前に佇まれる姿です。

長い列をなし、足を運び、一人ひとりが夫との別離を惜しんで下さっているかのように見えました。

特に、すらっとしたあか抜けた雰囲気の老紳士が、しばらく、棺から離れようとなさらなかったこと。

何を思われたのでしょう。

別れの寂しさをかみしめておいでだったのでしょうか。

自分に何かを悟らせておいでのような、不思議な雰囲気がありました。

 

夫の職業柄のせいでしょう。

皆さん、品行方正な雰囲気の人たちばかり。

会社では、大層活躍なさった方達です。

そのような錚々たる人たちの前で、いよいよ喪主の挨拶をしなければならない告別式の日が訪れました。

棺が閉じられ前、夫と最後のお別れをした私は、平常心とは程遠く、涙で濡れたままの顔。

けれど、大勢の方を前にして、私の気持ちは、意外にも落ち着いていました。

 

 

 

旦那さまのために頑張らなくては、との気持ちで一杯だったのでしょう。

精一杯、心を込めて、一言一言かみしめ語りかけるように、ゆっくりと、会葬のお礼を述べました。

もちろん暗記は無理でしたので、手には次女のお婿さんに印刷してもらった紙を持ってのことです。

三分足らず。

つかえることもなく、あっという間にその時は過ぎました。

 

喪主として、他で心がけた事といえば、美しいお辞儀を心を込めてすることぐらいでしたでしょうか。

深い悲しみの中、それができる精一杯の事でした。

 

 十数年前の写真です。

 

私は型通りの挨拶を儀礼的に済ますのは、あまり好みませんでした。

と言うより、その例文を色々読んで、準備する心の余裕などありませんでしたから。

まさにブログを綴るような素直な気持ちで認めた御礼の言葉。

後で数人の方が、それを聞いた感想を、直接私に、或は長女に述べて下さいました。

このことについては、少々気恥ずかしいですが、明日お話させていただきますね。

 

朝食の用意をし、夫の霊前にお供えし、「おはよう!」と今朝も声をかけました。

すると途端に涙で目が潤んでしまいます。

こんな日がいつまで続くのでしょうね。

叶わぬ片思い、の心境です。

皆様は、悔いが残らないように、旦那さまを大切に大切にして差し上げてくださいね。

私は、もっとこうして上げれば良かった、ああして上げれば良かった、と反省することがいっぱいです。

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マイページに信じられないような出来事

2016-01-28 07:36:34 | ブログ

今日は簡単なご報告だけで、昨日の続編の記事は投稿するのを控えようと思います。

信じられないような異変が、私のマイページであったからです。

今朝起きたとき、私のページを見ると、昨夜の就寝前と同じ状況で、何も改善されていませんでした。

朝起床して覗いたところ、10点ポイントが、すでに入っていました。

けれど、私が推したポイントは反映されませんでした。

私が久しぶりに投稿した日も、同様の事が起き、しばらく心配になりましたが、九時過ぎあたりから普通に反映され始め、ホッとしたものでした。

 

昨日の異変はただ事ではありませんでした。

特筆すべきことと思いましたので、記事にさせていただきますね。

機器音痴の私には、キツネにつままれたような出来事でした。

でも大変なショック!

 

前置きが長くなりましたが、本題の内容に入ります。

昨日の昼下がり、2時45分頃、家を出て美容院に向かいました。

その1時間ほど前のINポイントが確か620。

OUTポイントは1630でした

 

気分転換を図りたくて、美容院で十数年ぶりにヘアースタイルをショートカットに。

似合ってないわけではないけれど、優雅さが消えてしまって、なんだかチョッピリ心には打撃。

 

その精神状態で、帰宅後マイページを覗くと、信じられないような出来事が発生していたのです。

ダブルショックで、すっかり家事をする意欲をなくしてしまい、すぐ妹(世界でただ一つの姥花日記)にも報告しました。

何と600以上あったINポイントが220に激減、OUTポイントも620に。

その後も、就寝の10時ころまでほとんど増えませんでした。

INポイントは数ポイントといった僅かの増加のみ。

OUTポイントも同様でした。

 

にほんブログ村の管理面の操作の異常でしょうか。

私には理由が全く分かりません。

応援して下さいました方は、そのポイントが私のページに反映されるかどうか、宜しければ確認してみて下さいね。

シニアーランキング画面の、私の最新記事紹介の前に載っているマーガレットの花の画像を押すと、私のマイページに飛び、わかります。

今朝も、私のポイントが反映されませんでしたから、同様の異常事態が続くのかもしれません。

 

夫が亡くなり、今はまだ、私の精神状態が良好とはいえないので、こんな不可解なことに見舞われるのはご勘弁願いたいです。

にほんブログ村には問い合わせのメールを昨夜送りましたので、そのうちお返事をいただけることでしょう。

気にしても仕方がないので、心機一転、今日も49日の法要までに済まさないといけないことや、お礼状書きに没頭しようと思います。

厳しい寒さが続きます。

皆様には、くれぐれもご自愛のうえ、良き一日をお過ごしくださいませ。

 

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頼りない喪主ながら・・・・・・

2016-01-27 07:53:59 | 家族

葬儀に参列すると、喪主が最後に、会葬くださった皆様に御礼のご挨拶をなさることが多いですね。

ご主人さまを亡くされた時は、奥様より、長男が喪主となり、お言葉を述べられることが多いのではないでしょうか。

高校の恩師のお葬式の時も、そのようでした。

さらに過去へ遡り、私の叔母が亡くなった時の印象的な光景が、今も忘れられません。

長きにわたり連れ添った父の弟にあたる叔父は、まだ健在でした。

東大の教授に就いた学識極まりない人で、人前で話すことは、常日頃当たり前であったに違いありません。

事実、話術も巧みで、私は娘時代、叔父に会うと、話にいつも聞き入り、心豊かな気持ちになれたものです。

 

ところが、叔母の葬儀の喪主を務めたのは、長男のNちゃんでした。

わたしには意外感があり、一方では叔父の憔悴しきった心身を案じ、なんだかとても心配になったものです。

 

 

さて私の場合、娘が二人いますが、他家に嫁いでいるので、喪主を務めるのは、不自然な事になるのかもしれませんが・・・・・・。

私も叔父と同様に、心は悲嘆に暮れていて、その務めを果たす自信など全くありませんでした。

そのため、長女のNちゃんにお願いした私でしたが、むろん断られました。

 

さて、どうしましょう。

不安でしたが、先々の事を心配する心のゆとりもないほど、気持ちは涙で満杯状態。

もし亡くなった翌日がお通夜のスケジュールでしたら、おそらく私は喪主としての心の準備は叶わなかったでしょう。

幸いと言うべきか、火葬場が、四日後まで空いていませんでした。

高齢化社会に突入した我が国。

世間の悲しい現状を改めて思いました。

そのお陰で、その期間に何とか喪主としての心準備ができた次第です。

その間の旦那さまは・・・・・・。

ブログでは触れたくありません。

掛け替えのない大切な時間であったことだけ、お伝えしておきます。

 

お通夜の二日前頃から、やっと多少平常心を取り戻し、会葬御礼のご挨拶文を考え始めるようになりました。

不眠症で眠れない頭を働かせて、その言葉を、床の中で紡ごうとしました。

むろん、そんなやり方では、言葉が一向につながってくれません。

そうだ、自分のブログに下書きしよう、と思った私。

 

  

やつれた旦那さまの顔が痛々しいです。

 

その結果は、期待通りでした。

悲しみの中、思いが溢れ、その感情を素直に綴ったところ、たちまち文が出来上がりました。

読み返すと、あまり直すところがなく、私の思いが正直に語られた内容になっていました。

もちろん、感情を抑制するために、多少は推敲しましたが。

タイマーをセットして読むと三分足らずの長さ。

 

でもこれで完成ではありません。

社会人として活躍する娘たち二人に読んでもらい、変な箇所は直してもらおう、と思った私です。

二人とも、人前で話す文章は、書き慣れているはず。

長女は、社長と取締役の前で、部長昇格のためのプレゼンテーションを、最近こなしたばかり。

次女は、広報の部署のマネージャーです。

娘たちのこの賢明さも、無能な母親によるのでなく、夫の賜物と、私はYさんに心から感謝しています。

そんな二人ですが、意外にも両方から、一読後、「いいんじゃない」とあっさり認められ、ホッと一安心しました。

 

 

 

読む前の、次女の前置きは、かなり厳しいものでしたから、つい身構え、全体的な修正を覚悟したのですが。

前置きとは、マネージャーをしている次女でも、上司に、書き物を提出すると、至るところ直され、幾度も自信を失ってきたとのこと。

「最初はショックで、情けない思いがしたけれど、文章はそのような苦労の積み重ねを経て上達するものだと、次第に分かったの。

だから最近は直されても、以前のように落ち込まなくなったわ。

だから、ママも気にしないでね。

気になる所は、遠慮なく指摘させてもらうわね。」

 

次女のNちゃんが読んでいる間、ドキドキ、ドキドキ。

ところが、「これでいいんじゃない」と、長女のNちゃん同様の感想を一言。

良かったです。

お通夜が翌々日に迫っていました。

喪主として葬儀に臨むことへの緊張はかなりのものでしたから。

いろいろ直されると、気持ちが益々動揺してしまいそうでした。

 

娘たちが、意外にもすんなり認めてくれた内容でしたが、自信などあろうはずがありません。

けれど、それ以上手を加えて直す作業をする心のゆとりもなくて、次女のお婿さんに印刷してもらいました。

そして、いよいよお通夜、その翌日、葬儀の日を迎えました。

明日に続きます

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とても温かな葬儀でしたね、との同僚の言葉が嬉しくて・・・・・・。

2016-01-26 07:43:15 | 家族

今日は葬儀のことについて触れたいと思います。

今の時代、生前に、エンデイングノートを作成する方もいらっしゃるようですが、夫は死後の準備など全くしていませんでした。

肝臓がんを発病した五年前から、目も難病も患い、人の識別も出来ないほどでしたから、そのような準備は無理だったのでしょう。

ゆえに、亡くなった時、どなたに報告すれば良いのか分からず、戸惑ってしまった私です。

親しい友人、同僚など、私がよく存じ上げている四、五名の方にのみお知らせしました。

退職し長い年月が経過していたため、私は家族葬のようなささやかな葬儀をイメージしていたのです。

 

 

ところが思いがけず、百名を超える大勢の同僚や友人が参列してくださり、びっくりした次第です。

郷里の広島、札幌、徳島、大阪、兵庫など他県から遠路はるばるから駆けつけて下さった方も、十数名いらっしゃいました。

さらにお通夜の日、多くの方々がお焼香を上げるのみでなく、列をなし、一人ひとり、祭壇の夫の棺まで足を運んで下さったのです。

その姿を長い時間、目にすることとなった私は、親密な良き友人や同僚に恵まれた旦那さまの人生を思わずにはいられませんでした。

そして深い感慨に浸っていました。

 

 

その方達が、その後、私にもご挨拶を。

中・高、大学時代の友人、卒業後入社した会社時代、退職後、十数年勤めた第二の職場の人たち。

旦那さまと違い、私はささやかな数コマの想い出とのみ繋がっている人たちがほとんどでしたが。

 

海外赴任となり、30代の中ごろ、共に異国の地で過ごした人達はほとんど全員、お越しくださいました。

愛しい想い出多き時代への懐かしさが込み上げ、胸が詰まり、私は感無量に。

皆、齢を取って、初老の紳士に。

 

そのため、名乗って下さいませんと、確実にお見それしてしまったことでしょう。

歳月の流れは、いずれの方々にも抗し難い現実を突き付けているのだとの思いが、心をよぎり・・・・・・。

夫は、少々早すぎたけれど、死を迎える覚悟が迫られる年齢であることに、皆変わりなく、

夫の他界は止むを得ないことと、後で自分を慰めもしました。

 

銀行時代だけでなく、退職後引き続き働かせてもらった大手食品会社も、夫は国際畑で活躍。

銀行時代と同様に、良き同僚、部下に恵まれ、海外出張も多く、充実した会社人生を送ることができた旦那さまです。

その方面の方々も大勢、ご参列くださり、私にもお声をかけて下さいました。

「よく本を送ってもらった、メキシコ駐在だった~です」と具体的に自己紹介して下さる方もいらっしゃり・・・・・・。

私はお目にかかったことがない人ばかりでしたが、旦那さまの日頃の話から、思い当たる方達ばかり。

記憶力がまだまともで、失礼にならず良かった、と変なことに安堵したものです。

 

 

お通夜も無事に終わり、式場から車で7~8分のわが家に戻ったのは、9時を回っていたでしょうか。

喪主としての務めを何とか無事にこなすことができた私でしたが、明日に葬儀が控えています。

夫がなくなってから、不眠症になってしまった私。

真夜中の一時過ぎに目が覚め、明け方までほとんど一睡もできない連夜でした。

それにもかかわらず体調は悪くなく、そのおかげで、その後の事も、喪主として滞りなく落ち着いてこなすことができました。

しっかり者の娘たちの支えと、恐らく、旦那さまへの篤い思いが、私を気丈にしてくれたのでしょう。

 

葬儀に当たり、自信が全くなく、気になり仕方がなかったのは、葬儀の最後に述べなければならない喪主の挨拶でした。

このことについて、明日、綴りたいと思います。

 

 

今回ブログにアップした写真は、ボードに張り、葬儀の日、式場の隅に飾りました。
夫と孫の相性は抜群で、相思相愛。
その世界には誰も入り込めないほどでしたから。
その光景の一端をご紹介したくて。

写真はすべて娘たちが選んで、家から持参したものです。

 

追記

今回の一連の記事は、葬儀の事ばかり時系列に綴ってしまいました。

他人の葬儀など、皆さんはきっと興味はありませんよね。

多少気持ちに落ち着きを取り戻してきた今、読み返すと何だか少々恥ずかしい気分に。

恐らく、私は、葬儀までのあまりに生々しい思い出を書くのは忍びない心境だったのだ、と思います。

夫がとても親しくしていた同僚に、

「とても温かな、いい葬儀でしたね」

と言われ、あまりに嬉しくて、その言葉を支えにして、今回の一連の記事を綴りました。

とは言っても、特別な趣向を凝らしたわけではなく、夫の好きな映画音楽を流しながら、ごく当たり前の仏式の葬儀でした。

 

昨日は思いがけないたくさんの応援をいただき、本当にありがとうございました。

元気を出さなければ、と改めて思いました。

昨日は昼下がりに家を出てデパートに。

お香典返し、四十九日のの準備等、相変わらず忙しい日々ですが、心はいつも泣いているような状態で、目が潤んで仕方ありません。

他人には、さぞ暗い雰囲気の人と思われているのかしら?と心配に。

いえいえ、憂いのある顔が、かえって素敵に映っているのかも知れない(笑)、などと勝手に思い、自分を慰めていました。

 

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感謝 

2016-01-25 06:53:52 | 家族

新しい年、2016年を迎え、早や半月以上が経過しました。

皆さまは、ご家族お揃いで、さぞ明るい新年をお迎えになられましたことでしょう。

その後も、心を新たにして、お健やかに日々をお過ごしのことと思います。

 

我が家も、昨年までは同様でした。

けれど今年は、家族の長が腰かけるべきダイニングテーブルの席に、夫の姿はありませんでした。

入院中であったなら、心配が尽きなくても、希望を繋ぐことができたでしょうに。

それは、もう叶わぬ願いと思うたびに、涙が溢れて仕方がなかった私です。

こんな具合で、想いが折々で募り、嗚咽していましたが、最近は多少なりとも、心の平静さを取り戻しつつあります。

 

 

妹が、「歳月の流れが次第に心を癒してくれるから、無理しないでその日を待つしかないわ」

と言って慰めてくれました。

一昨年、ご主人を亡くされた親友は、

「泣ける間は思い切り泣くべきよ。私は涙が一滴も出なくなり、かえって心の回復に時間がかかったから」

と言われました。

想像以上の喪失感と寂しさに浸り続けている私ですが。

涙を思い切り流しましたから、友が言うように、早く元気を取り戻せるでしょうか。

 

いつまでも、めそめそしても始まらない。

前を向いて歩くしかありません。

それが何よりの夫の供養になるでしょう。

 

 

泣きごとを綴ってばかりいては、皆様の同情を買うようで、印象が良くないのかもしれませんけれど・・・・・・。

ブログは自分の思いを素直に綴れる個人日記との思いが強い私です。

心を整理し、新しい人生のスタートを踏み出すためにも、しばらくは、自分の気持ちや心情を正直に書いていきたいと思います。

 

悲しい事ばかりではなく、夫の供養になったのでは、と思えるような嬉しい出来事もいくつかありました。

病院側の納得のいかない対応に、夫が亡くなる前日、悶々としたことも。

その胸騒ぎが的中し、悲しい結末となりました。

 

愚痴は、Yさんが一番嫌ったことゆえ、語るべきではないかもしれませんが・・・・・・。

気分次第では、そのようなお話もさせていただくかもしれません。

 

わが家に届いたたくさんの供花に囲まれて・・・・・・

 

亡くなって以後、夫に抱く思いは、感謝のみです。

血圧がみるみる下降していく中、溢れるような感謝の思いを伝えるために、私は「ありがとう」を、夫の耳元で、必死に言い続けました。

聞いてくれたでしょうか。

夫のお蔭で、この上なく恵まれた幸せな結婚生活をを送らせてもらった私です。

 

その後、夫の夢を何度か見ましたけれど、いつも穏やかな様子で、私を安心させてくれています。

きっと、生前と変わらない寡黙な態度で、私たち家族を見守り続けてくれていることでしょう。

そういえば、今朝方(1月25日)も見ました。

書斎の椅子に、元気な姿で腰かけていました。

 

Yさんのためにも、早く元気を取り戻して、「今日は一番素敵」の思いで暮らせるように、頑張りたいものです。

 

 

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