今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

願わくば、私も放射線治療を

2013-10-31 11:37:20 | 病気

過去記事も、残すところ後5回の記述のみとなりました。

新鮮味のない過去記事にもかかわらずお付き合い下さった皆様に、心よりお礼を申し上げます。

実は、最後の記事が10月5日となっていて、その後がずっと空白。

情けなや~といった心境ですが。(笑)

その理由は、過去記事を推敲するのに、私が日課で割り当てているブログ記述の予定時間をすべて食いつぶし、その日の記事を綴るゆとりがほとんど持てなかったからです。

1本指でキーボードを打ち長文を書く私には、たとえ推敲といえども、それなりの時間が必要です。

写真のアップにもかなり時間を取られますし。

 

これまでは、自分の文章の粗ばかり見えて、過去記事を読み返すのは、とても苦手な私でした。

ブロガーになってしばらくは、この行為をすると途端に自信をなくし、日記を書くのをやめたい心境に。

実際に、それが理由でお休みしたこともありました。

 

今回も、あらが見えたのは同様で、そのために推敲に長い時間を取られてしまったわけですが、以前ほどの苦痛は感じなかったかしら。

恐らく、数年も記事を書き続けていると、多少は文章力が上達したのかもしれませんね~

そう思うことにします。(笑)

 

本来はブログは、文章力はさほど問わないもの。

その人らしさが一番大切と思っている私です。

変な自意識が、文章の拙さを不必要に気にさせてしまうのかもしれません。

 

 

日記は連続性が大切だから、10月5日以降の記事を書きたい、と思っても、記憶力の悪い私には無理というもの。

話題がまだ新鮮な内に綴ってこそ、生き生きとその情景を思い出して書くことが私はできます。

過去の思い出を克明に綴られ、読む側も、その思い出を臨場感を持って、心から楽しませていただくことが、しばしばあります。

そして、その記憶力に、私はいつも感心してしまいます。

 

そして反省することは、私は長い人生を、実にぼぉ~とした気持ちで暮らしてしまったのかもしれない、と。(笑)

体力がなく、すぐ体を横にしてしまう方でしたから、人生の出来事を鮮明に心に刻みつける余裕がなかったのかしら。

但し、頑張らないといけない所では、要所要所で、それ相応の気を遣い母親として妻としての務めは果たしてきた、と自負しているつもりです。

ですからこれが我が人生と思って、自分を慰めましょう。

でも過去の思い出が余り綴れないのは、記憶力が悪いことが一番の原因でしょうね~(笑)

 

しかしブロガーになってからは、私の生き方も随分変わってきました。

ぼぉ~と暮らしていては、ブログ日記を日々綴ることは不可能ですものね~(笑)

年老いて錆びたアンテナを多少でも磨いて、私なりの感性で日常の出来事を捉え、そのなかから記事の題材を見付け出そうと努力する自分がいます。

この調子で余生を紡いでいけば、記憶力の悪い私でも、今後の日々の思い出は、心に深く刻まれることでしょう。

たとえ忘れても、過去記事を読み直すことで、鮮明に思い出す事が出来ます。

文章を書く苦手意識は相変わらず。

ブログ日記の記述にとられる時間の多さ。

これで良いのか、と、折々でブロガーライフに疑問も抱く事もある私ですが・・・・・・

辞められないのは、それがゆえんでしょう。

こんな理由から10月5日以降の記事は、ほとんど空白となりますが、ところどころで近況もご報告させていただきましたので、それにてご了承下さいませ。

 

さて、夫のことで、又今日も簡単な近況報告を。

いよいよこの週末に一旦退院することになりました。

病の回復の暁の退院であれば、本当に嬉しいのですが・・・・・・・

今回は小さな山を一つ越えたにすぎません。

 

放射線治療の結果が分かるのはまだ一月先ですし、12月の中頃に手術の大きな山が待っています。

放射線治療の副作用の下痢は相変わらず続いていて微熱も多少ありますから、迎える私は少々緊張気味。

腸閉そくなど起こすと、大変です。

明日は朝早く栄養指導を受け、今後のお料理にどのような気を遣えがいいか、教えて頂くことになっています。

 

肝臓の手術で退院した時は、食事制限が全くありませんでした。

退院の日も、普通の献立のお料理を、夫がすべて食べ尽くし、とても嬉しかったことが昨日のことのように思い出されます。

今回は、そうはいかないようで、主婦としての苦労が多少ありそう。

 

放射線治療の副作用で後半は食欲がなくなり、体力も随分落ちてしまったことでしょう。

 しかし手術に備え、体力を付ける必要性がありますね~

免疫力の低下で、肺炎等、他の病気を併発すると大変ですから

食欲がない夫に、消化が良く栄養価の高いものを食べさせなくては、と思っているのですが・・・・・・・

自由気ままな献立で食生活を送ってきた私には、、なかなかの難題で、ストレスにもなりそぉ~

でも何とかやりこなすしかありません。

そのための書物も、数冊買っている私ですから、それらを参考にして、頑張ることに致します。

 

 

夫の今回の入院生活における、今のところの私の感想を簡単に述べさせていただきますね。

私がもしがんを患ったなら、毎日遠方に通院することになっても、放射線治療を希望したい、ということです。

検査に引き続き放射線治療で、入院が二カ月に至りました。

三連休も多かったことも、入院が長引いた理由ですが。

放射線治療を始めてからは、43日間に及びましたが、副作用に夫が悩まされたのは最後の二週間のみでした。

その症状も、食欲不振と下痢だけです。

直腸の肛門部分に放射線を当てているため、下痢は当然の症状の様です。

普通の下痢と違うのか、冷静な夫がいつになく不快感を表に出しましたが。

個人差があり、がんの箇所により、副作用の症状も様々とは思いますが、抗がん剤に比べると、とても軽くて済みそぉ~

これが私の、今のところの印象です。

 

ですから私もがんを患った際には、願わくば放射線治療を、と。

書店で立ち読みして得た知識に過ぎませんが、抗がん剤治療より、はるかに安上がりのようです。

但し私の夫は、抗がん剤も少量服用しながらの放射線治療でした。

その方が効果が出やすいといった理由のようです。

この治療法は、海外では当たり前に行われているとのこと。

しかし、日本では余り普及しておらず、放射線治療の施設がある病院はまだ数が少ないようです。

 

夫は、日々ほぼ5分と短時間、放射線の患部への照射を25回の予定で受けてきましたが、今日でそれがいよいよ終了。

長い入院生活、本当にご苦労さまでした。

さぞやホッとすることでしょう。

今後の一カ月で、その効果が表れ、がん細胞が急速に小さくなっていくとか。

本当にそうなることをひたすら願っています。

 

旦那さまを迎える準備で、今後はとても忙しくなりそう。

ブログ日記の更新も遅れがちになりますこと、ご了承くださいませ。

 

 

  にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ 

 にほんブログ村  ランキングに参加中 です。

 今日もお立ち寄りくださいまして有難うございました。

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月28日の日記 納得の我が家の節電効果

2013-10-30 11:34:37 | 暮らし

今朝、5時前の気温は18.6度、湿度は57%。

昨日のように澄んだ青空が臨まれれば、気温も次第に上がり、過ごしやすい秋の一日となるのでしょうか。

それにしても、急激な気温の下がり様に戸惑い、夏の名残りを惜しんでしまいます。

今季初めて、ウールのカーデガンをはおって、パソコンのキーボードを打ち始めました。

 

冷え症で、手がかじかんでしまうほど冷たくなり、人一倍、寒さを覚える私は、若い時から冬は大の苦手。

先が思いやられますが、今冬は強力な味方が、私をサポートしてくれるはずです。

寒がりの私のサポート商品とは、今年の夏前に購入した空調機なのですが。

私がほぼ一日を過ごすファミリールームに、新しく設置した床置き式の日立のエアコンの名称は、「寒さ知らず」。

他のエアコンより価格が高めでしたから、この機器を設置したのは、この部屋のみで、ほかの部屋はすべてダイキンの製品です。

「寒さ知らず」といった名の通り、寒さ対策に殊更力を入れたエアコンなんです。

ゆえに寒さが苦手な私の期待も大きいのですが、反面、電気代が少々心配といったところでしょうか。

 

 

ところが、この電気代。

冷房のみでは・・・・・・

今年の猛暑にもかかわらず、余りの安さに、驚き桃の木山椒の木!といった表現がぴったりするほどの意外感と驚きでした。

日々家計のやりくりに頭を悩ます主婦の身にとっては、喜びを隠せません。

信じられない思いでしばし、請求の払い込み用紙を見つめてしまいました。。

むろん夢路にも自慢しましたよ。(笑)

節電対策で、周辺機器の買い替えを推奨している記事を新聞などでよく目にはしてきましたが、それにしてもこの節電効果は凄い!

 

今年の夏はエアコンを利用することがかなり多かった私です。

新しい空調機は、過去の不良品としか思えなかったエアコンに比べ、余りに快適でしたから。

暑い盛り時は、午前中の11時頃から、就寝前までつけっぱなしでした。

ファミリールームの空調機は12畳用を設置しています。

キッチン兼用の部屋ですから、火を使用することも多く、効率よく冷やせる部屋では全くありません。

隣の15畳程度の居間には、吹き抜け個所があるため、二台設置してあり、5~6回使用したでしょうか。

旦那さまは、冷房が苦手な人ですが、それでも入浴前にはクーラーを付け、就寝後しばらくして自動的に切れる様に毎晩設定していました。

 

例年に比べ、誠に贅沢な冷房運転で夏を送った私達。

電気代の請求書を見るまでは、ビクビクもので心配でなりませんでした。

2~3万円は、当然のように覚悟していた私です。

 

ところがその電気代、請求書がきて恐る恐る覗いたところ、何と10955円(9月料金)でした。

意外な安さに、安堵とともに、嬉しさが込み上げてきました。

夫の入院生活が、一週間ほど重なってはいましたが、それにしても安い。

そういえば、前月も、1万2千円台でした。

  

今の電気製品は節電型になっていることは十分承知していましたが、こんなに節電の威力があるとは知りませんでした。

こんなことなら、もっと早く節電型にして、快適な暮らしを享受すればよかった、と。

前の空調機は、17~8℃に設定しても満足感が得られませんでした。

一方、新しいエアコンは27℃設定で、日々涼しくて心地よい空間に。

 

我が家の今夏の電気代を妹に伝えたところ、

「それは、安い!」

と驚いていました。

 

 

とはいうものの、果たして電気代が安く済んだのは、そのお陰だけだったでしょうか。

実はもう一つ、思い当たることがあります。

東京ガスの温水空調機製造廃止で、やむなく夏前に、我が家すべての空調機器の総取り替えをした際、電球も節電型のLEDに替えました。

ダウンライトが至る所に付いた我が家の天井。

決して安い電球ではではありませんから、すべて交換した訳ではありません。

廊下、洗面所、夫の書斎、夫婦の寝室など、よく使用する部屋のみです。

湿気の強い浴室や門灯等では、この電球は不適切とのことでした。

このLED電球が、節電の一役を担い、その著しい効果に貢献してくれたことは間違いないでしょう。

 

恐らく10年以上既に使用している冷蔵庫、洗濯機も節電型に替えれば、電気代がもっと安くなリますね~

確か冷蔵庫は、家庭電気機器の中で一番消費電力が大きい、と言われているはずでは?

すべての電気製品を節電型に取り換えたいのは山々だけれど、お財布のひもをそんなに緩めるのは、年金暮らしの身では躊躇してしまいます。

理想通りには動けません。

今後のお楽しみにとっておきましょう。(笑)

 

それに、如何に節電の努力をしようとも、消費税も上がり、またその内、電気代が上がるような事になれば、いつまでたってもいたちごっこ。

年金も段階的に下げられるようですから、私がここ数年間、計画通り進めてきた予算生活は変更を余儀なくされそうです。

何ともやりきれない気持ちでいます。

 

しかし我が国の財政事情を思うと、国民、特に高齢者が犠牲を払わされるのは仕方ないことなのでしょうね~

次世代の人達に負の荷を追わせるわけにはいきませんから。

何とかやりくり上手な主婦になって、できるだけ今の生活レベルを落とさないで、心豊かに暮らしていけるよう、頑張リたいものです。

とは願っても、何だか無理そぉ~(涙)

 

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ 

にほんブログ村  ランキングに参加中 です。

今日もお立ち寄りくださいまして有難うございました。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月27日の日記 悩ましい旅行のお土産

2013-10-29 09:29:08 | 病気

暑さも寒さも彼岸までの言葉通り、お彼岸の中日辺りで、一気に涼しくなり、夏の息の根もついに絶えてしまったのでは、との思いに浸る一両日でした。

今後は日毎に秋が深まり、日本独特の美しい紅葉に自然界が彩られていくことでしょう。

哀愁を帯びたこの季節、心なしか思いも深くなりますね~

とりわけ旅行が好きと言うわけでもない私ですけれど、美しい自然の懐に抱かれて、しみじみとした情趣を味わいたいもの、との思いに駆られます。

 

でも今年は、それどころではありません。

旦那さまの放射線の治療が始まって1週間足らず。

二十五日間ですから、まだ当分終わりそうにありません。

その後、手術になる可能性が濃厚です。

ですから、すべてが無事に終了するまでは、私の心の片隅には常に不安が同居した状態ですが・・・・・・

 

不必要な心配をしてくよくよするのは私らしくない、と強がって、毎日元気に暮らすように努めています。

1~2日置きに、二時間足らずの時間をかけて病院に通い、週末は一時帰宅の旦那さまの送り迎え。

出無精の私ですが、いざとなればこんなに行動的になれるものなのだ、と自らの変わりように驚いています。

 

T大病院前の車道  赤レンガの古い建物は何でしょう?

 

こんな訳で旅立ち、美しい日本の秋を満喫することは無理な私ですが、そういえば最近、長女夫婦から素敵な旅行のお土産を貰いました。

ご近所の方からも、しばしばお土産を頂戴します。

その度に、そんなお気遣いはなさらないでね、といって恐縮してしまうのが私の常ですが・・・・・・

でもやっぱり嬉しいものです。

その地の名産を頂く事が多いですし、私もそのようなものを差し上げることがほとんど。

食料品以外のものとなると、嗜好は人さまざまですから、選択が悩ましくなり、なかなか決められなくなってしまいます。

旅行の限られた時間の中で、そんな苦労はあまり味わいたくありませんし。

とは言え、いつも旅行が終わりかける頃になると、お土産が気になり始め、それを買い揃えた時の安堵感は結構大きなものですね~

 

そんな苦労を、私は勝手なお願いをして、長女のMちゃんには、多少嘗めさせてしまったのかもしれません。

夏休みを利用し、長女家族がイタリア旅行に出かけた時のことです

全くの自由旅行。

自分達で一応プランを立て、ホテルと主要な交通のチケットは確保したものの、気ままな行動がとれる行程だったようです。

そんな旅行が出来る若い人たちの行動力と勇気に、私は感心してしまうのですが・・・・・・

旅慣れていない私の思いに過ぎないのかもしれません。

 

さて、その旅行に当たり、私は身内の気安さで、Mちゃんに、厚かましくも次のようなお願いをしてしまいました。

「お土産を貰えるのであれば、チョコレートのような食料品より、何時までも愛用できる小物が嬉しいわ。

それを使用するたびに、貴方達の想い出に多少でも浸ることが出来るから」と。

そして数年前、ハワイに出かけた時のお土産が、その後、とても重宝していること。

愛用するたびに、旅行に出かけたMちゃん家族の様子に、一瞬でも思いを馳せてしまうことを話しました。

その時、貰ったお土産は、下の画像の木製のボールの三セットです。

私の料理ブログにも、よく登場しています。

 

 

こんな厚かましいお願いを聞かされたMちゃんは、旅行中、多少のストレスを抱えることになってしまったのかもしれません。

そういえば、妹と、イギリス旅行に出かけた時、お土産にまつわる微笑ましいエピソードがあります。

確か10日間の旅も帰国の前日となり、自由行動が取れる日のことでした。

オプションツアーで、私は同じ目的地を選んだ十数名の方々と、かの有名な二階バスに乗って、英国博物館の観覧に出かけました。

ナポレオンが発見したロゼッタ石に出合えると思うと、それだけで、心がわくわくしたものです。

妹も、みたいのは山々だったでしょう。

 

しかし、その日は別行動になりました。

長女のKちゃんから依頼を受けたブランドのバッグとお婿さんに頼まれた洋書を買うために、たった一人でロンドンの街中に出かけて行った夢路です。

小心者の私は、異国の地で一人で行動できる妹の勇気に感心したものですが。

とは言え、妹も、このお土産の買い物を果たすまでは、幾分のストレスを抱えていたことでしょう。

目的の商品を無事に購入でき、さぞほっとしたに違いありません。

 

 

私は、Mちゃんに具体的に欲しいものを指定はしませんでしたが、そんな頼み方も良し悪しでしょうね~。

Mちゃんは、私のこだわりをよく知っていますから、選択が難しかったのでは・・・・・・

ところが、頂いたお土産は、思わず私が喜びの声を挙げてしまうほど素敵なものでした。

孫のさっちゃんが、笑顔いっぱい、意気揚々と私に手渡してくれました。

ばぁばは必ず気に入ってくれると得心した表情だったのが、何とも可愛くて・・・・・・

親子で苦労して選び、買い物をする光景までが、まぶたに浮かんでくるようでした。

こんな器が前々から欲しかったの、と言って、私は感謝感激。

 

 

今後は、このお皿を生かせるように、私の苦手なイタリア料理に、もっとチャレンジしなくては。

Mちゃん、本当にありがとう。

大切に使わせてもらいますね。

 

私も旅行に出かけた際は、手渡す方に、ささやかながら幸せを届けられるような素敵なお土産を、と願いますが。

この思いは、旅行中のチョッとしたストレスにもなり、なかなかの難題ですね~

差し上げるのであれば、難しく考え過ぎず、気楽にが一番かしら。(笑)

 

      

   にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ 

にほんブログ村  ランキングに参加中 です。

今日もお立ち寄りくださいまして有難うございました。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月24日の日記 近況報告も 盛りだくさんですが・・・・・・

2013-10-28 15:36:36 | 病気

巨人は優勝したにもかかわらず、翌日もカープに競り勝ち、夫にとり絶大なる心の慰めにはならなくて、誠に残念でした。

お彼岸の日、Yさんは病院を抜けだし、友人と野球観戦でしたが。

私は、昨夜病院から我が家に戻ったのが十時前。

多少疲労が残るお彼岸中日の朝を迎えました

 

お迎えに来てくれた妹夢路の車に乗り、両親の菩提寺に向かったのが、12時半を回った頃。

向かう途上、お花屋さんで供花を買い求め、お墓の前に着きました。

いつも通り、二人で、墓石を丁寧にお掃除し、お花を添え、神妙な気持ちで、お参りです。

日頃のご無沙汰をお詫びし、心から、

「ありがとう。片時もお父さまとお母さまへの感謝の気持ちを忘れないでいます」

と声をかけました。

幾分、言い訳がましい言葉かけですが、私の本心です。

きっと寛容な心で、受け留めて下さったことでしょう。

 

 

同じ年に亡くなった両親ですが、その前の数年間は、ほとんど夜は熟睡できない介護の日々でした。

妹のその頃の口癖は、「お姉さまを慕って離れず、まるで陰のように付いて行動するお母様ね~」というもの。

子供がえりし、とても穏やかな可愛い母でした。

介護という、物理的苦労は計り知れないものがありましたが、精神的苦労は然程負わないで済んだように思います。

父は、気難しい性格の人でしたから、その点の苦労も多少はありましたが。

そんな母でしたから、認知症の行動は多く見られましたが、注意したり、叱ったことは私は一度もありません。

 

母が余りに可愛い年の老い方でしたから、私が今、一番恐れていることは、自分が認知症を患うほど、歳を重ねた時のこと。

母のような美しく清らかに老いる自信が全くありません。

「おばあちゃまとは、ずいぶん違うわね~」と娘たち同士が語り合っている姿が想像されたりして……(笑)

 

認知症になった時の我が身の姿を思い浮かべることができる人なんて、恐らく誰もいないでしょう。

ですから、何とも怖い領域ではありますが・・・・・・

願わくば、その域には足を踏み入れたくないものです。

 

凛と美しく、いつまでも齢を重ねられるように、、今後はもっともっと日々修養をを心掛けたいものと。

いつも掛け声倒れの私ですが、このような気持ちを抱くだけでも、抱かないよりはまし。

若い時から、私の人生の目標は、「一生人間として成長し続けること」

言葉を変えれば、自分磨きでしょうか。

誠に観念的でつかみどころのない表現ですが、この目標が常に私の心の励みと支えになってくれました。

 


ウインターコスモス

 

 さてお墓参り後、妹と昼食を共にしました。

実は、我が家から徒歩7~8分のところに突然現れた高級割烹に妹を誘い、お墓参り後の楽しみにしていたのですが、1時半でオーダーストップとのこと。

とても残念に思いながら、いつものファミレスで、昼食。

約2時間、話が尽きず、リラックスした楽しい時間が瞬く間に流れていきました。

今振り返ると、思い出せないほど取り留めもない内容だったのですが・・・・・・

前向きな話題で終始し、とても意義深いひと時だったと思います・

「楽しかったわね~とても充実した時間だったわ」と、妹に感謝の言葉を述べ別れを告げた私です。

 

興味のある対象や行動範囲が余りに異なるため、共にに出かけることはめったにありませんが、通話が無料の携帯の恩恵を無尽に受けている私達。

日々、妹の存在を心強く思い、その有難さが身に染みています。

恐らく、仲良し姉妹の私達の姿を、草花の陰で両親はいつも見つめ、喜び安心してくれているに違いありません。

 

娘達も、今は子育てと仕事に追われ、姉妹ながら会う機会はめったにないでしょうが。

子供達が巣立ち、時間に十分な余裕が持てる年代になったなら、姉妹ならではの素敵な時間を紡ぐ努力を、もっともっとしてほしいものです。

親にとっては、何よりも嬉しく安心できることですから。

 

      

近況報告

 

昨日は、実に多忙ながら、楽しい日を送ることができました。

我が家に戻ったのは、夜も更けた十時前。

でも七時間近く睡眠が取れましたので、今日は疲労を引きずることなく、割と元気に過ごせています。

 

久しぶりの青空の下、次女家の孫息子、K君の運動会が、昨日催されました。

最近、少々疲労気味でしたし、夫を見舞う日でしたから、強い日差しを浴び、疲れ切ってしまう自分が気がかりで、運動会の応援は、諦めていた私でしたが。

朝、時間が経過するごとに、一目孫が元気に活躍する姿が観たいとの気持ちが募り、急きょ予定を変更。

夫の許に出かける身繕いを済ませ、キャリーカートにいつものように、替えのタオルなど詰めそれを引いて、十時前に運動会場に到着した私です。

 

 

来てよかった!、と。

心には元気を一杯もらうことができました

夏のような結構強い日差しに当たり、体は疲れはしましたけれど。

運動会は大好きな私です。

春の長女家の運動会は、家のプチリフォームの最中で、応援に出かけられませんでしたが。

運動会は、その度に一段と成長した孫の姿に改めて気付かされ、感動できる特別な日です。

今回も、益々お兄ちゃんらしくなり、元気に活躍してくれたK君です。

 

 

孫の競技もさることながら、私が大好きな種目は、高学年が演じるソーラン節。

私はいつ見ても、心が震えるほど感動します。

ソーラン節に限らず、日本民謡に合わせて児童が演じる姿に。

私の愛国心が沸き上がってしまうのです。

「これからは、あなたたちが日本を背負って立つ時代よ。頑張ってね。応援していま~す。」

と老婆心さながらに、熱い思いを抱いて、可愛い子供達に叫びたい心境に。(笑)

 

 

この競技と最後のリレーを見終わって、私は運動会場を後にしました。

実はかれんちゃんは昨夜風邪気味で発熱し、パパも同様に体調を壊し、午前中の数時間のみの応援で帰宅でした。

K君にとっては、少々さびしい運動会でしたが、数時間でも、応援の気持ちを伝えられて、良かったです。

 

  

病院へ向かうためお別れの直前に次女が撮ってくれました。

 

その後、急ぎ足で病院に向かった私です。

Yさんは、次第に下痢も収まり食欲もわいてきましたが、微熱が相変わらず続いているのが、少々気がかりな私です。

 

久しぶりに良いお天気に恵まれたため、大学構内のデジカメ散歩に、また出かけました。

ブログに載せる画像がネタ切れ状態で、必要性に差し迫まられてのことでしたが。

少々疲れた体を鞭打って頑張りました。

ほぼ撮影が終わり、うまく撮れないな~とその理由を考え込みながら歩いていると、携帯の呼び出し音のメロディーが流れだしました。

長女からの電話です。

 

 

さっちゃんのピアノ発表会を済ませ、家族でお見舞いに来て、今病室にいるとのこと。

そんな話を数日前聞いてはいましたが、あすからまた海外出張に出かけるMちゃん。

無理しないで、と断った私でした。

 

若夫婦達は、仕事が多忙な上に、週末も子供の行事になにかと追われる日々。

私にはとても無理な家事とお勤めの両立を、きびきびとこなしながら頑張っています。

そんな姿を見て思うことは、私は子供を頼らないで、できる限り自立した生活を心がけなければ、ということ。

チョット寂しい心境になることもありますけれどね~

妹のところも同様のようですし、今はそういう老夫婦家庭が多いのではないでしょうか。

そんな思いが、また元気の素になるのかもしれません。

その後は、私もいつもより早く病室を後にし、長女夫婦に素敵なレストランで夕食をご馳走になりました。

 

何と盛りだくさんな1日だったこと。

今日の日を思い返し、改めてYさんの回復の日が1日も早く訪れますように、と祈った私です。。

 

過去記事と近況報告を同時に綴り、相変わらずの長文になってしまいました。

貴重なお時間を割いてまで、お読み下さり、本当にありがとうございました。

 

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ 

にほんブログ村  ランキングに参加中 です。

今日もお立ち寄りくださいまして有難うございました。

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

九月二十三日の日記 門限厳守

2013-10-27 07:26:54 | 病気

日中は夏の名残りがまだ残る暑さですが、朝夕はめっきり涼しくなってきました。

昨日は三度目の一時帰宅を終え、病院に戻った旦那さまです。

いつものように早目の夕食を済ませ、病院へと向かいました。

前回の一時帰宅の際は、門限を30分以上遅れ、病棟に到着した私達。

看護師さんに、笑顔ながらちょっと睨まれ、「心配しましたよ」と言われたことは、前の記事でも触れましたが。

その後、さらに別の看護師さんから、Yさんは再度注意されたようでした。

「1分前でもいいので、7時前に必ず病室に戻るように」と。

 

そのため、今回は病院に戻るに際して、とても時間が気になり、早めに家を出ました。

ところが時間厳守とはいかず、5~6分遅れてしまったかしら。

本郷の駅からはタクシーを利用し、慌てて6回の病棟に駆け込んだのに、受付には看護士さんがどなたもいらっしゃらなくて、拍子抜けしてしまいました。

旦那様さまは多少前回より時間を気にはしていましたが、相変わらず呑気な態度。

いえいえ、いつも通り、冷静沈着で落ち着いた物腰、と言うべきかしら。(笑)

私のみが、看護士さんの注意を殊更気にし、遅刻は避けなければ、と慌てて行動してしいたような気がします。

度胸のない私です。

また注意されるのは嫌でしたから。(笑)

少々遅れはしたものの、無事に門限の七時近くに病院に戻ることができ、ほっとしました。

 

我が家のシンボルフラワーのコバノランタナ

 

前回より、さらに早い夕食となり、Yさんは、三分の二食べるのがやっとでした。

外食も検討した私ですが、夫は気が向かないうえ、本郷の駅界隈には、気の利いたレストランが見当たりません。

それで、看護師に戻ってきたことを告げたのち、病院内のタリ―ズで共に一服。

Yさんは、再度の腹ごしらえに、ドーナツとお紅茶を注文していました。

ファストフード系のタリ―ズとはいえ、なかなか格調のある佇まいのお店です。

病院のオアシスのような緑豊かな小庭が窓から見渡せ、とてもくつろげる空間。

その雰囲気が気に入り、私は一人でも良く立ち寄り、妹に電話で夫の様子を伝えたりしています。

 

過去記事ではなく最近のことですが、タリーズのお兄さんから、次のように言われました。

「いつもありがとうございます。今日はゆっくりできますね」と。

夫を見舞い後、帰る長い道中を思い、たまにタリーズに寄リ一休みしてから病院を出ることがあります。

八時の閉店前のことが多く、時間を気にしながら一服している姿が印象的だったのでしょうか。

 

或る日のこと。

よほど疲れていたのか、一服しながらうたた寝してしまい、目が覚めた時は閉店時間を三十分も過ぎていました。

私は大慌て!

閉店後の清掃をなさっている店員さんにお詫びを申し上げて退散したこともありました。(笑)

 

さて病院に戻ったYさん。

この度の週末は三連休にもかかわらず、病院の規則で我が家には一泊しか出来ませんでした。

けれど、明日のお休みには、大きな楽しみが待っています。

 

 

 

会社の元同僚と、明日は東京ドームに広島、巨人戦を観戦に行くことになっています

お相手の方は、熱烈な巨人ファン。

いつもお互いに毒舌を振りまき、相手チームをけなしながら楽しんでいる、気の置けない間柄。

とは言え、ロス時代の支店の上司で、大変お世話になった方です。

病院の最寄り駅から、ひと駅で行けるとのことですが、行き慣れた場所ではないでしょう.

くれぐれも、足元には気を付けて。

 

新たな病の発症と、既に20日に及ぶ入院生活で、ストレスが溜まっているに違いない旦那さま。

若いころから、カープが勝利を収めると、顔がゆるみ、幾分機嫌が良くなる人でした。

今後も順調に勝ち進み、三位は確保し、ファイナルステージに是非進んでほしいものです。

夫のため、全国のカープファンのため、、「カープ頑張れ!」と声を大にして応援しながら、今日の記事を終わりとします。

 

追記

主人の名称に悩んでばかり・・・・・(笑)

旦那さま、夫、Yさんと、その時の気分でくるくる変えていますね~わたしは。

ちょっと恥ずかしいことですね~

我が家では、いつも「あなた」或いは「Yさん」と呼びかけ、他の方に夫のことを話すときは、「主人」と言っています。

そろそろ統一した方がいいかしら。

 

妹、夢路のブログ(プラチナのように輝いて)を読んでビックリ!

電話をかけなくては・・・・・・・

  

 

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ 

にほんブログ村  ランキングに参加中 です。

今日もお立ち寄りくださいまして有難うございました。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤門を通り抜ける日々

2013-10-26 06:17:52 | 病気

夫の闘病記めいた記事を綴り始め、今日で何回目になるでしょうか。

出来れば、今も穏やかで平凡な日常であってほしかったのですが。

私どもの年齢になりますと、それを願い続けるのは、少々身の程知らずの事になってくるのかもしれません。

伴侶が病を患い平凡とは言えない暮らしになりましたが、素直にそれを受容し、その中で精いっぱい意義ある日々を送り続けることは、十分可能ですね。

夫の回復を信じ、祈りながら、ささやかな喜びと幸せを噛みしめて、心豊かに日々を送りたいものです。

 

そんな殊勝な思いになる一方、三つの病を抱え、今後、年金暮らしの我が家の家計に重くのしかかる三割の医療費について、つい妹に愚痴ってしまう私がいます。

そんな自分を情けなく思い、反省をしたり、と。

そして、愚痴を言っても始まらない。

出ていくものは身の健康のため不可欠な事なのだから。

今後も、最善の対応で旦那さまに臨んで上げなくては、と。

そして、来週の末に一旦退院予定の夫のために、二階のウォシュレットを新品に取り換えることにし、昨日注文しました。

更にその一月後に、検査入院、そして手術と、この年末はお正月の準備どころではなくなりそうです。

 

このような逆境にある時こそ、人は色々と思いを巡らし、成長するものなのでしょう。

そうありたいものです。

 

9月20日の日記

 

相変わらず私はせっせと遠方の病院に通い続け、一方、夫は冷静に淡々と、入院生活を送っています。

前にも既にお伝えしましたが、病院は、私を除く家族が青春を謳歌した母校のキャンパスの一角にあります。

そのため、遠方とはいえ、大学の構内を通り抜ける時、心に何がしかの感慨がいつもあリ、夫の病への私の不安を随分和らげてくれています。

 

駅を降り、車が頻繁に通る本郷通りの沿道に立っても、大学の姿は一切目に入りません。

ですからとても遠く感じられ、最初の数回は、タクシー利用で行き来していました。

しかし、ある日、派出署のおまわりさんにT大病院への道順を尋ねてからは、ほとんど徒歩で往復するようになりました。

教えて貰った行き方が、その病院への通常の経路のようでしたが、私はあえて違うルートを選んでいます。

 

 

病院に行くにあたって、最初目にし、受けた大学の印象は、こんなもの、とさほどの感動はなかったのですが。

二度目の徒歩の際、私はおまわりさんに教えてもらったようには、本郷通りを右折しませんでした。

勘違いをして、まっすぐ歩き続けてしまったのです。

すぐ記憶違いするところも、歳のせいでしょうね~

しかしこれが今後の私には幸いしたようです。

駅から10分程、歩を進めたでしょうか。

反対側の沿道に赤レンガ風の重厚な建物と、やはり赤レンガの趣ある塀が見え始めました。

その建造物の周りには、年輪を思わせる大木の樹がそびえ、その緑とのコントラストが何とも鮮やかで美しく、絵になる光景です。

「この建物は何かしら?」と見惚れて歩くうちに、かの有名なT大の赤門に出くわしました。

呑気な私は、それを観て初めて、大学の脇を自分が歩いていることに気づかされたのですが・・・・・・・

これも誠に私らしい頓馬な行動ですね~(笑)

 

 

赤門は、確か高校生の時、修学旅行の観光バスの車窓からちらっと見ただけのように記憶しています。

ですから、印象も薄く、小さな赤い門といった程度の想い出しかありませんでした。

 

娘達が在学はしていたものの、この大学を私が訪れたのは、合格発表日と卒業式の時だけ。

その時は、夢中でその前を通り過ぎてしまったのか、見覚えが全くありません。

私の父の弟にあたる叔父も、T大学で教授を務めていました。

ですからもっともっと身近に感じても良い場所のはずなのですが。

私個人にとっては、今日に至るまで、相変わらず馴染みのない遠い大学でした。

それが、今回の夫の入院で、一気に身近に感じられるようになり、とても嬉しいこと。

かの有名な赤門も然りです。

週に幾度も私は今、通りぬけているわけですから。

品格ある威風堂々とした門の前に来ると、その姿にいつも魅了され、しばし私は佇んで眺めてしまいます。

 

 

 

 

病院関連らしき人の姿は全くなく、少々厚かましい行動にも感じられないでもありません。

でも、この門をくぐるだけで、私の年老いて今にも呆けそうな頭が、多少なりとも改善されそうな気がして・・・・・・(笑)

それに、この門を抜け、足を踏み入れたキャンパスの雰囲気が、病院への経路の周辺とはかなり異なります、

はるかに落ち着いたアカデミックな雰囲気で、散策に申し分のない環境です。

ですから臆面もなく、M女史になったつもりで闊歩することにしています。(笑)

 

この際ですから、赤門の由来を知りたいと思い、旦那さまに尋ねたところ、興味がなかったのか、ほとんど知識がなく、役立たず。

Yさんは法学部で、校舎は正門をくぐると目の前。

それにもかかわらず、門を通り2~3歩くと、居合わせた友人達とUターン。

そして雀荘へ向かう日々だったとのこと。

講義も、学生が600人くらい集まる大教室で受講していたようです。

それでは、授業ではなく講演じゃない、と私は感想を述べ、笑いました。

不真面目な学生だった旦那さまに聞いても埒が明かないので、ネット検索をし、赤門の事を多少、自分で勉強しました。

 

 

東大の本郷キャンパスの敷地あたりは、加賀藩主前田家の上屋敷(大名屋敷)がありました。

そして、キャンパス南西部にあるこの赤門は、旧加賀藩主前田家上屋敷の御守殿門で、1827年に第12代藩主前田斉泰が第11代将軍徳川家斉の第21女、溶姫を迎える際に造られたとのこと、

門を朱色に塗るのは将軍家から夫人を迎える場合の慣習とされていたようですが、現存するものはこの赤門のみとのことです。

 明治維新を経て、東京大学が本郷キャンパスで発足するに辺り赤門は加賀藩前田家を守る門から学問を守る門へと変化を遂げ、国の重要文化財、旧国宝になりました。

2002年には門の周辺が整備され、表側には白い砂利が敷き詰められたとのこと。

加賀藩上屋敷の時代には赤門周辺に砂か砂利を敷き詰めていたということもあり、本来の姿に戻ったとも言えるようです

本郷キャンパスは大正時代の関東大震災で、名だたる設計家によって設計された煉瓦造校舎が全壊した中で、赤門は大きな破損を免れ、江戸時代の職人技術のレベルの高さを垣間見ることが出来るそうです

 

私の即席勉強で知った内容を簡単にまとめてみました。

興味のある方は、構内の散策を兼ねお訪ねになられては如何でしょう。

私はまだ寄っていませんが、赤門の近くに、東大のグッズを揃えた売店もあるようです。

その内、そこで案内地図を求め、画像にもう少し詳しい説明を添えたいと思っています。

 

震災でほぼ全壊したとはいえ、 本郷キャンパス内には、江戸時代から平成に至るまでの各時代の歴史的建造物が数多くあるらしく、

確かに、散策途中、歴史的建造物らしき校舎が大きな大木の緑と一体となって、我が目に飛び込んできます。

デジカメの被写体として、実に魅力的で、撮影の絶好の機会であるはずですが・・・・・・

 

何と私は、夫に新たな病が見つかって以来、一度もデジカメのシャッターを押していません。

すっかり撮影から遠ざかった暮らしをしてしまいました。

非公開のまま記事を綴っているので、差し迫って画像を必要としないからでしょうか。

 

写真撮影は、私には向いた趣味として、楽しめると思っていたのですけれどね~

心を入れ直し、撮影の腕が多少でも上がるように日々努力したいものと、反省しています。

(最近の画像は、投稿を始める前後から、慌てて撮り始めた物ばかりですが、一向にお天気に恵まれず、青空のない写真となっています)

さわやかな秋晴れが待ち望まれるこの頃です。

 

当地は、今のところ(10月26日の朝)、雨音が聞こえる程度で静かですが、台風の襲来で、被害に遭われる方がおられませんように、と祈るばかりでいます。

皆さま、くれぐれもお気を付けてお暮らし下さいませ。

 

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ 

にほんブログ村  ランキングに参加中 です。

今日もお立ち寄りくださいまして有難うございました。

 

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月18日の日記 私のボケ行動に、悲しくも大慌て

2013-10-25 14:47:21 | 暮らし

年を重ねるゆえの悲哀を、いやっと言うほど味あわさられる昨今ですが・・・・・

旦那さまの二度目の一時帰宅の日にも、その点で、誠に派手なボケ行動を、私は二度も仕出かしてしまいました。

そのために、頭が一瞬パニックに。

とても冷静ではいられませんでした。

恥ずかしながら、その頓馬な出来事を二つをご紹介させて頂きますね。

 

後者は、婿や孫にも経験があることですから、ボケのせいとは必ずしも言えませんが。

しかし我ながら、年の割には、その失敗の処理を速やかにやり遂げられたと思っています。

こんな事、自慢してどうするの?(笑)

 

今朝の雨上がりの庭の光景です。

 

では時間の流れ従って、順次にお話しします。

台風襲来の予報で、夫を迎えに家を出たときは叩きつけるような豪雨。

先の道中が思いやられましたが、T大病院の最寄りの駅に着くと、嵐の前の静けさと言った感じの穏やかな光景でホッとしました。

そして十時過ぎに病院に辿り着いた私です。

旦那さまにその後の検査の様子を尋ね、束の間の休憩後、家に帰る準備に取り掛かり始めました。

 

Yさんは、パジャマ脱ぎ、おもむろに着替えを始めたのですが・・・・・・

そこで、私はとんでもない事に気が付きました。

Yさんの上着が病室の夫用の小さなクローゼットの中にないことに。

仰天してしまい、一瞬頭が真っ白になりました。

 

前回の一時帰宅後、病院に戻る時、お天気が悪く、土砂降りの雨の中、病院に向かう羽目に。

その道中で、夫のズボンはずぶぬれになってしまいました。

上着も濡れて当然のはずですのに、私は何故か、ズボンのみ持ち帰ったものと思い込んでしまったのです。

そのため替えのズボンとベルト、下着だけバッグに収め、いつも通りに夫の病室に入った私でした。

そして、上着がない事に気が付いたのです。

驚き、途方に暮れ、どうすれば良いものか、と一瞬情けない気持ちでいっぱいになりました。

 

 

しかし、そのまま途方に暮れてばかりはいられません。

何とか上着を用意しなければ、Yさんは我が家に戻ることができませんから。

まずは、階下のロビーに降り、売店を覗きましたが、むろんそのような衣料品はあろうはずがありません。

総合案内で尋ねますと、病院の周辺には、衣料品店はないようでした。

タクシーがワンメーターで行ける上野の御徒町にデパート・松坂屋があるとのこと。

仕方なく、そこまで足を延ばす事に、私はしました。

幸いにも、横浜ほど悪天候ではなく、小雨が降っている程度の空模様。

そのデパートで購入したのは、下の画像のワイシャツ・・・・・・

 

この行間に写真をアップしたいところでしたが、、そのシャツが我が家にはないようです。

先々週の一時帰宅の際、着て病院に行き、そのまま病室ののクローゼットの中なのでしょう。

ピンク系のストライプ柄。

夫は白、赤、黒、何でもいい人ですが・・・・・・

私はそうはまいりません。

慌ただしい買い物で選んだ商品にしては、とても気に入っています。

 

実は最初、気持ちが急くまま、慌てて買い求めたのがセール品の半袖のポロシャツでした。

セール品とは言え、デパートですと、7~8千円はします。

買い物を始めたものの、待つ夫のことが気がかりで、落ち着いて選ぶ事などできません。

妥協もいいところでした。

しかし、余り気に入らない商品のために、それだけの支払いをした後味の悪さが消えません。

階下に下りる途中、私が日頃夫の服をよく求めるバーバリーのお店が目に留まりました。

そこに一目で心惹かれるカジュアルなワイシャツがありました。

そのため、ますますその悔いが膨らみ、悩んだ挙句、商品を取り替えてもらうことに。

 

セール品でしたが、店員さんの何とご親切な事。

買い求めた階下のお店にご案内下さり、買い替えの手続きもすべて済ませ、私にレシートを手渡して下さいました。

短時間でしたが、気持ちを瞬時に入れ替え、良い買い物を済ませた満足感に浸り、、そのデパートを後にしたのです。

 

 

私は多少値段が張っても、上質の商品を数少なく買い、長期に使用すると言ったスタンスを長年にわたって貫いてきました。

決して物欲が強い方でも、買い物好きでもありません。

ですから、ちょっと恥ずかしいお話ですが、2~30年前の服でも、私は未だに愛用しています。

材質や縫製がしっかりしているので、型崩れがしません。

肩幅を詰めたり、着丈を短くしたり等、流行に合わせてお直ししてもらいながら大切にしています。

 

ですから、今回のように慌てた際も、その方針を貫いたわけですが、それで良かった、と後で心から思いました。

今まで持ち合わせがない色のワイシャツです。

旦那さまに、とてもよく似合い、ちょっぴり若返って見えるようにも。

 

そして無事に我が家に戻った私たちでしたが・・・・・

次なる私の間抜けた行動を発見!

実は病院へ向かう車中で、携帯電話がないことに気が付いていた私です。

出かける直前に次女から電話があり、バッグから出した事までは記憶しています。

そのため、その際に家に置き忘れたに違いない、と思い込んでいました。

 

そして家に戻リ、

「携帯はどこ?」

とキョロキョロお部屋を見回しましたが、見当たりません。

色は白。

まことに存在感が薄く、目の留まりにくさ甚だしい我が携帯。

この探し物で、日々、私は如何に苦労を重ねてきた事でしょう。

深紅の携帯に一目惚れし、即購入を決断したのですが、残念ながら商品が売り切れ。

いつ入荷するかわからない、と言われ、やむなく白にした経緯があります。

ゆえにしばらくは、目だたない色なので、いつも通り私の視界に入らないだけ、とたかをくくっていたのですが・・・・・・・

いくら探しても、現れてくれません。

 

 

気持ちが次第に焦ってきました。

夕刻には、若夫婦がやってきて一緒に夕食をすることになっています。

そろそろ、その準備にも取り掛からなければなりません。

必死で手当たりしだい見て回りましたが、探し出すことができません。

次第に心が冷静になり、携帯紛失と言う厳しい現実を認めることとなりました。

 

しばらくショックで呆然となりましたが、すぐ立ち直り、自分の執った行動を思い返し、

携帯を落とした場所は、電車に乗車するまでの区間と確信しました。

まず玄関ドア―を出た所から家の周辺を探しまわりました。

その後、バス会社と電車の最寄り駅に電話をかけることに。

まず最初にバスの営業所へ電話で問い合わせたところ。

ありました!!!

良かった~!と胸を撫でおろした私です

次女のお婿さんが、その後、営業所まで車を飛ばし、取りに行ってくれました。

 

バスの中で、私、お気に入りのバッグの中に詰めた諸々のものを整理している時に、きっと落としたのでしょうね~

正に飛び上がらんばかりの嬉しさで、私のボケ行動の結末はハッピーエンドとなりましたが・・・・・・

更に、その後、第三弾がありました。

翌々日のことでしたか、何と指輪を紛失。

それも帰宅後、病院の落し物が係にすぐ問い合わせ、翌日無事に私の元に返ってきました。

 

情けない出来事の連続ながら、とても幸運な私。

この強い運が常に夫の身の上にも、ありますように。

 

しかし、いくら、おっとり型でぼんやりしたところのある私とはいえ、ここまで連続した間抜け行動を繰り返したことが、かってあったでしょうか?

病院通いで疲労が濃く、不注意なミスが起きても止むをえないような状況にある、ということにしておきましょう。

或いは歳のせい?

どちらにしても、そう思うのであれば、今後は一層の注意を払わなくてはいけませんね~

交通事故などに遭うと大変ですもの。

私は今、旦那さまに大変必要とされている存在でしょうから、今後は気を付けます。

 

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ 

にほんブログ村  ランキングに参加中 です。

今日もお立ち寄りくださいまして有難うございました。

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

週末は一時帰宅でリラックスする旦那さま

2013-10-24 11:53:50 | 病気

昨日は、数日ぶりに、近況の詳しいご報告をさせていただきました。

最近の投稿文は、私事、それも夫の病についてばかりで、少々心苦しく感じていました。

けれど連日、思いがけないたくさんの応援を頂戴し、驚いております。

皆さまの温かな励ましに、心より感謝申し上げます。

今後も、まだ当分、備忘録として同じテーマで綴っていきますこと、何卒ご了承下さいませ。

 

        

 

 記事の公開をお休み中は、少しずつ綴り、2~3日かけて完成した記事がほとんどです。

そのため、下記のような表現にしてみました。

のんびりしたこのペースが私には一番合っている気がします。

今は連日更新していますが、推敲に結構時間がかかり、写真を選んだりと、それなりに大変!

まだ当分、公開しないつもりでしたから、伸び伸びと気楽に綴っていて、文章の欠点が丸見え状態。(笑)

でもその当時の綴り方のペースが、なんだかとても懐かしくて・・・・・・

過去記事の投稿がすべて終わったなら、その時同様、のんびりペースでブログライフを楽しみたいな~、と今は思っているところですが。

果たして、どうなることでしょう?

 

9月16日に記述終了の日記

 

秋めいて急に凌ぎやすい日々となり、猛暑だったとは言え、夏の去り方の余りの潔さに、幾分物足りなさを感じてしまうほどでした。

ところが、そう思って数日も経たない内に、また厳しい残暑のぶり返し。

でも、四季の移行のメリハリと共に、揺れる季節の狭間が、日本の気候の特徴で、私達はその繊細さもまた享受して暮らしてきたのですね~

急に秋が到来、突然に真冬では、かえって困りますのも。

一方、数日前に発生した台風。

こればかりは、享受なんてとんでもない。

我が国の風土の特徴とは言え、迷惑至極の困りもの。

その台風が、関東直撃間近との報道です。

通院のため1~2日置きに、夫の入院先まで通う私には、ただ事ではありません。

その上、夫の二度目の一時帰宅の日に、遭遇しそうなうなタイミングです。

 

 

夫が検査入院をし、すでに二週間が過ぎました。

そしてこの入院は、まだ当分続くことに。

「検査のみで、どうしてそんなに長くかかるの?」と、どなたでも怪訝に思われる事でしょう。

 

実は放射線の治療まで、検査終了後、数日あったのですが、退院してしまうと、ベッドが確保できなくなる可能性があるとの事。

それで医師の勧めで、止むなく、その日まで入院し続けることになりました。

そして、長期入院に当たって、週末の一時帰宅が許可されました。

 

幸いにも、三連休が二度続くので、二泊の外泊を週末ごとに行えば、入院生活も何とか楽に乗り切れる、と思っていました。

医師も、そのようにおっしゃって下さったのですが、最終的に告げられたことは、外泊は一日しか許可できないと言うもの。、

二泊したければ、いったん病院に戻り、外泊の手続きをし直して、また家に帰らなければならないとか。

旦那さまは、それを聞き、

「やはり国立の病院は、お役所的な対応だな~。」

と言って少々呆れていました。

 

このような訳から、遠方であるため、二泊の外泊は残念ながら、断念。

既に、先週の週末、我が家に戻ってきた旦那さまです。

一時帰宅の日は、私は早朝家を出て、病院に迎えに行き、翌日は、早目の夕食を急いで済ませ、病院までYさんを送ります。

患者さんの病院の門限は七時なんですけれど。

二度目の外泊から戻った時は、すでに七時半を過ぎていました。

看護士さんに、「心配して待っていましたよ」と、優しい笑顔ながら、ちょっぴり睨みつけられた感じ。(笑)

 

心配した台風は、夫が戻った翌日の午後には運よく治まり、家を出る頃には、青空さえ覗いていました。

私が迎えに出かけた日の朝は、激しい雨が叩きつけていたのですが。

そのようにして、病院に旦那さまを送り届け、我が家に私がまた戻れるのは、いつも夜も更けた十時前。

今後もこのような慌ただしい週末が続きそうですが、旦那さまにとっては、息抜きが出来る、貴重な二日間です。

妻としては、心を尽くし、旦那さまがリラックスした良い時が過ごせるように心がけなくてはいけませんね~

 

 

一回目の外泊時は、次女家族が我が家に泊まり、一緒に過ごしました。

二回目は、家族全員が我が家に集合。

賑やかな団欒の楽しいひと時でしたが、時間が九時過ぎると、Yさんの顔に明らかに疲労の色が。

今はまだ検査中で、治療を始めていませんから、普段と変わりない体調です。

とは言え、遠方の病院から入院生活を抜けだし、戻った後のことですから、当然でしょう。

私は、Yさんに、「無理してここにいなくていいのよ。、自分の書斎で体をゆっくり休め、気ままに過ごしては?」と、語りかけました。

良いタイミングだったようで、そのまま席を立ち、Yさんは、自分の部屋に戻っていきました。

 

実は、この日、旦那さまだけでなく、私も思いがけない出来事に二度も見舞われ、心身ともに疲れ果てていました

前日に夕食の下ごしらえは大体済ませてあったため、娘家族達の突然の来訪も、何とか対応することができました。

一応、いくかもしれないとの連絡は貰っていたので、突然とは言えないことだったのですけれど。

私の大ボケ行動の処理で、昼間の時間を取られ、その後は準備で大慌て。

家族のこの日の写真を載せるつもりで、画像を探しましたが、一枚も撮っていませんでした。

さすがに疲れて、その気力がなかったのでしょうね~

 

わたしの大ボケ行動のご紹介は、次回に。

お楽しみに、と言いたいところですが、私はただの恥さらし。(笑)

でも宜しければ、ご期待下さいませ。

 

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ 

にほんブログ村  ランキングに参加中 です。

今日もお立ち寄りくださいまして有難うございました。

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ちるみさん始めご覧下さる皆様へ 我が家の近況報告

2013-10-23 12:28:03 | 病気

ちるみさんと皆様へ

ちるみさん、昨日はお優しい励ましのお手紙を、わざわざブログ上に載せてご発信下さり、本当に有難うございました。

私が留守中のことだったからでしょう。

それを読ませて頂き感激した妹が、携帯に連絡を入れてくれました。

 

夫が入院し、検査そして引き続き放射線治療入院と、もうすぐ二カ月が経過しようとしています。

電話がかかってきた時は、家族達の母校にもかかわらず、病院の周辺しか見ていなかった私が、始めて構内をデジカメ散歩をしようと、病院を出たところでした。

その後は、ちるみさんの明るくて優しいお人柄に触れ、貴女への感謝の言葉とともに、妹とおしゃべりに花を咲かせながらの散歩でした。

そのため、写真を撮ろうと思った頃には、日が暮れてしまって・・・・・・・

余りよい写真が写せませんでしたが。(笑)

 

                                        私がこれまで撮ってきた写真は、理工学部と医学部が所在する界隈のようです。 

 

伝統ある国立の大学とは言え、校舎の古さに少々驚いてしまった私です。

貴重な建造物の保存は大切とは思いますが、それにしても、修復の手が余りに加えられていない感じ。

大きな地震に見舞われるとひとたまりもないのではないかしら、と不安になるような外観の建物が多かったです。

五時を過ぎていましたのに、煌々と電気が照らされた教室で、学生達が講義を聴講中。

大学って、こんなに遅くまで授業があったかしら、と首をかしげてしまいました。

 

余談で申し訳ありません。

ちるみさんへの親近感から、近況報告も兼ねさせて頂きますね。

 

ちるみさんのブログからは、いつも元気をもらっている私です。

私のブックマークのちるみさんのブログをクリックすると、なぜそうなってしまったのか分かりませんが、過去の記事がまず出てきます。

ですからタイトルをクリックし直して、トップのサイトに切り替えます。

他にも数名の方のブログがそうなっていて、ずっとそのまま。(笑)

早く改めないといけませんね~

 

私は少々疲れてはきてはいるものの、とても元気です。

T大病院は遠方ですので、渋谷のN病院に入院時のように、日参はできませんが、できるだけ夫を見舞うようにしています。

午前中に日課の家事を済ませ、昼食後に、病院へ向かいます。

車中は、日頃のお昼寝タイム時と重なりますから、書物を開いても、すぐ舟をこいで、コックリコックリしてばかり。(笑)

帰宅は、いつもほぼ昨夜と同じ九時過ぎになります。

 

夫の度重なるがんの宣告に、最初は落ち込みはしますが、楽観的性分が幸いしてか、回復を信じてやまない私ですから、いつまでくよくよすることはありません。

今回、人工肛門のお話しが出た時、とっさに頭に浮かんだのが、ちるみさんのご主人様と渡哲也さんでした。

そのお陰で、深刻に受け止めないでいられました

本当に感謝しています。

 

ストーマー取り付けが面倒ですか?

未だ取り付けると決まったわけではないけれど、それはちょっと心配。

だって、夫は目が悪いので、細かな作業は無理ですから・

私がしないといけなくなるのかしら。

夫婦でも、できればそれは遠慮したいな~(笑)

 

 

 

癌が、不治の病と言われたのは一昔前のことですね。

今の時代では、普通の病気と全く変わらない、との見地で私はいます。

私の周りには、親戚、友人でがんを患われた方は大勢いますけれど、みなさん回復され、元気に通常の暮らしを送っている方ばかりですから。

医療の進歩は、本当にありがたいです。

 

その上、夫が病に見舞われ手術を受ける度に思う事は、日本の皆保険、高額医療費制度の有難さ。

オバマケアでアメリカは大変な騒動になリましたね~

同じ資本主義の国ながら医療への対応がこんなに違ってしまうなんて。

自分の命は自分で守らないといけない厳しいアメリカのお国事情。

保険にも加入できない貧しい人達へ思いが至り、同情を禁じ得ません。

日本人であることの幸福を改めて噛みしめたりもしています。

 

実は数日前から、夫は医師に勧められ、個室に移りました。

ここ4~5日、酷い下痢と発熱、食欲不振に見舞われたからです。

そして、夫にしては珍しく、「苦しい」と言って、その辛さを全身で表わしましたので、私はとても心配になりました。

「苦しい~」っていう表現は、私の十八番の表現ですから。(笑)

息苦しい、首を絞め付けられているような感じ、といった具合で。

ですからその表現が夫の口から飛び出し、大層驚いた私です。

咄嗟に私は、「息が苦しいの?」と不安気に尋ねました。

どうもそうではなく、頻繁に起こる下痢の不快感を表す言葉のようでした。

 

 

発熱の原因が分からないと言われ、抗生物質の点滴の効果がすぐ表れず、個室を勧められた時は、もしや院内感染では、と疑い、泣きたいほどの心境になりました。

昨日、回診でこられた医師に尋ねたところ、検査の結果、そのような菌は検出されなかったとの返事をいただき、今、心から安堵しています。

後4回照射すれば放射線治療が終了の段階になって、副作用が強く現われただけのようでした。

 

放射線治療は、抗がん剤に比べ、副作用が非常に軽いようですが、さすがにいつもと変わりなく元気なままで退院とは参らなかったようです。

先生のお話しでは、副作用が強く現れるときは、薬の効果が顕著な証拠とのこと。

ブログ友の勿忘草さんは、強い副作用に苦しみながらも、そのトンネルを抜け出す一歩手前まで来られたのではないでしょうか。

食欲が沸いてきた、とおっしゃっている記事を拝見し、本当にうれしく思いました。

副作用が激しかったのは、抗がん剤が良く効いていたのでしょう。

本当に良かったですね。

 

今回も前回も、夫の病に当たっては、割と冷静で前向きに対処してきた私ですが・・・・・・

実際に自らががんの宣告を受けたなら、同様な態度で向き合えるかどうか、何とも心もとない限りです。

今では不治の病ではないと認識できていても、恐らく天地がひっくり返るほどの動揺をして、しばらく落ち込むことでしょう。

その期間の鬱状態は、当然のこととし、その後の乗り越え方が大切なのでしょうね~

そのショックを如何にして克服するか。

そして、気力の充実を取り戻せるかが。

 

 

ちるみさんや、自問自答を繰り返しながらも元気を取り戻していらした勿忘草さんのように、

私も同じ事態に見舞われても、明るく前向きに過ごせるように頑張りたいものです。

そのためには、もっともっと精神修養を積まなければと思うこの頃。

こんな私ですので、これからも、元気をいっぱい授けて下さいね。

 

ちるみさんご夫妻の上に、今の穏やかなお暮らしが何時までもいつまでも続きますように。

元気に飛び跳ねすぎて、お怪我だけはしないように、くれぐれもお気をつけてね。

今後の、ご多幸をお祈り申し上げます。

最後に、温かな励ましのお手紙、重ねて有難う、と心から申し上げます。

 

      

 

  にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ 

にほんブログ村  ランキングに参加中 です。

今日もお立ち寄りくださいまして有難うございました。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月13日の日記 不安は尽きないけれど長期入院が決定

2013-10-22 10:53:34 | 病気

秋が深まり、朝夕のみならず、日中さえも肌寒さを覚える程になってきました。

冬が大の苦手な私は、今後迎える厳しい寒さを思い、少々情けない気持ちがしていますが・・・・・

今年の冬は、夫はむろん、私にとっても、心身共に、なおさら厳しい季節になりそうです。

弱音は吐かないで、凛と構え、夫の病の克服のために、私は妻としての務めを精一杯果たさなければ、とは思いつつ・・・・・

妹、夢路には、不安な事が起きる度に電話をかけ、心配のはけ口になってもらっています。

 

けれど、背中には私の思いが、自然と滲み出てしまうものなのでしょうか。

先日、お嬢様とご一緒にお見舞いに来て下さった友人から昨日お手紙が届きました。

私のお礼状へのお返事だったのですが。

そこにしたためられていた文面に、私は思わず苦笑い。

そんな雰囲気を醸し出していたのかしら、と。

お玄関までお見送りし、お別れしたつもりでしたが、私はきっとその後、友人に見送られていたのでしょうね~(笑)

お便りには、次のようにしたためられていました。

「お別れ後、廊下の中央を胸を張り姿勢を正して堂々と歩いておられた後ろ姿が目に焼きついております。」

 

頸椎を患って、悪くなった姿勢を矯正するのに苦労した私でしたが・・・・・・・

今のところ、首のだるさ、息苦しさからも共に解放され、姿勢も元に戻っているのでしょう。

病院という環境が、おのずと私を身構えさせてしまうのかもしれません。

肩をいからせて歩いていたのかしら。(笑)

 

 

 

さて今日も、また夫の病についてですが、綴る本人も、同じ話題ばかりでは、推敲の繰り返しの投稿に、少々張り合いが持てなくなってきました。

お読み下さる方々は、私以上に、またか、とお思いでしょう。

どうぞ、T大学の画像のみでもお楽しみ下さって、あとはスル―で宜しくお願い致します。

 

あら! どうしたことでしょう?

先程まで見られた過去の記述の前半が消えてなくなってしまっている。

私の操作ミスでしょうか。

忘れっぽい私は、その日のことを鮮明に思い起こして綴るなんてもう無理。

こうなってしまったからには、適当にまとめるしか手がありません。

記憶違いもあるかと思いますが、ご了承下さいませ。

 

今日も前回に引き続き、主治医の説明の内容です。

前回の記述で、恐らく人工肛門が避けられないとの医師のお話しを書きました。

その理由は、手術の際に、肛門に指令を送る神経を切らないといけないため、おしりの締まりが悪くなり、自分で肛門の管理が難しくなるからだそうです。

その手術に当たってのリスクが、骨盤の狭い男性には、他にも色々あるようです。

周りに尿をつかさどる神経なども走っていて、それにダメージを与える可能性など。

そのダメージを少なくするために、術前に放射線を照射し、そのがんを出来るだけ小さくした上で、手術に臨むとの事でした。

 

癌細胞を縮小するためにの抗がん剤治療は、よく耳にしますが、放射線治療もあるのですね~

今のご時世、放射線と言えば、つい悪いイメージばかり描いてしまいがちですが、レントゲン、CTのみならず、直接患部に放射線を照射して治療するなんて・・・・・・

益々癌が大きくなってしまいそうで、何だかちょっと怖いお話しですが・・・・・・・

 

私の心配通り、稀にがんが大きくなることもあるようです。

この治療で完全にがんが消える人も、10%の割合でいるとの事。

一方、7~8割の人は消えないが明らかにがんが小さくなる効果があるようでした。

 

果たして神様の采配は夫に如何に下るのでしょうか。

完全消滅を期待するのは、恐らく無理としても、思いのほか癌細胞が小さくなり、人工肛門は避けられるかもしれません。

お医者さまをひたすら信頼し、雑念は極力抱かず、シンプルに夫の病に臨む。

私がいつも心得にしていることです。

情報過多の時代、それに惑わされ、身の程知らずの判断をして、悩まされたくないからなのですが。

 

 

但し、放射線治療のお話しが進むうちに、私達夫婦には差し障りのある、大きな問題が発生しました。

Yさんは、この治療は週に数回と思っていたようです。

たとえ2~3度でも、僅か5分程度の治療のために、こんな遠い所まで通院することは考えられない事のようでした。

「当然、先生が違う病院を紹介してくれるはず」と、面談の前に私に話していました。

恐らくC型肝炎の治療に当たり、N病院の先生が、最寄りの病院の治療を進めて下さった事が念頭にあったのでしょう

「私は、そんなことおっしゃらないと思うわよ。そこまで患者さんに気配りはして下さらないわよ。

それに放射線の治療は毎日だと思うのだけれど・・・・・・」

と話しました。

旦那様は、このように意見が分かれた際は、一歩なりとも私に譲る気はありません。、

しかし、お話しの展開は、私の予想通りでした。

 

 

放射線治療は、二十五日間毎日通い続けて、受けないといけません。

入院は、最初の5日間程度なら可能だけれど、さらに継続は不可能であることも告げられました。

お話しがほぼ終わった時点で、私は勇気を出し、色々な事情から、通院は無理であることをお話しさせていただきました。

そして、我が家からさほど遠くない夫が肝炎の治療にかかっている病院の分院への転院を考えている旨、お話ししたのです。

紹介状を書いて頂きたい、医師のお名前もお伝えしました。

 

決してセカンドオピニオンの意味合いではなかったのですけれど。

主治医は、そのように受け取られたようでした。

私には、突き放すすような冷淡な口調に感じられたのですが、

「セカンドオピニオンを望んでおられるのですね。

それは患者さんの自由です。

そのための資料は揃えられますから、よくご夫婦で検討して下さい。

但し、お望みの医師とは全く面識がありませんから、その先生宛の紹介状を書くことはできません」

 

「よその病院の診察に納得できず、こちらでセカンドオピニオンを受けられる患者さんは非常に多いですよ」

とまでおっしゃいました。

 

私は内心、もっともなお話しだと思いました。

私は、夫の目の視野狭窄、その他の事情から遠方の病院に連日通院するのは無理との理由で、転院を希望しただけに過ぎなかったのですけれどね~

 

面談が終了し、その部屋を後にした私たちでしたが・・・・・・

私の気持ちはすっかり落ち込んでしまいました。

今後、夫がお世話になるかもしれない先生のご気分を害してしまったのでは。

T大病院の医師に、セカンドオピニオンではないにしろ、転院を希望するなんて、先生のプライドを傷つける行為だったに違いない、と。

とは言え、現実的に考えると、連日の通院は余りに大変なことでした。

悩み抜くでしょうが熟慮の上、早急に決断しなければならない事態に。

帰宅したなら、娘達にすぐ相談しなければ、と思いました。

 

今後、とことん悩む自分が想像され、気持ちは沈んでいく一方でしたが、病院の洗面所で手を洗っている時のこと。

突然携帯の音が鳴り始めました。

何と、先程面談したばかりの先生からでした。

思わぬ朗報です。

私は安堵と喜びに包まれました。

「教授と話し合い、特別に入院を許可することにしました。

ご主人の目の難病性疾患と奥さんの体調不良を考慮します。

貴女が転院先に考えている病院では、放射線治療はできません。

T病院の医師だったM先生の患者さんでもあることも考慮しての上です。

ですからこちらで治療されてはどうですか?

しかし入院許可は、特例中の特例です」とまで。

 

M病院の夫の肝臓がん治療の主治医は、当病院の元外科部長でいらしたのです。

そいえば、初診に当たられた先生が、、ぜひMカットを見させて下さい、とおっしゃり、まるで恭しく拝むような姿勢で夫の手術跡をご覧になったのが、印象的でした。

 

私は、夫の治療に当たって、さらに好ましい展開が予想され、どんなに心強く思ったかしれません。

私の望み過ぎかもしれませんが、肝臓の主治医と大腸がんの主治医の間でも、連携プレーを取って頂けるかもしれないと。

 

とは言え、私達夫婦は横浜から通院する事となり、三つの病院の掛け持ちでは重複経費も避けられず、物理的、経済的負担は大変になりそうです。

今後のことを思うと、やはり心配は尽きませんし、夫の精神的負荷を察すると、長期入院も、不安でした。

でも旦那様は通うより増しとの思いの様ですから、この際は、先生の御好意を素直に受け、今後の順調な治療と回復に期待しましょう。

 

 

 

 

旦那さまが元気になってくれるのであれば、妻として如何なる苦労も乗り切れる、と自負して止みません。

そのためにも、来年は古希を迎える私自身、もっと健康に留意して暮らさなければ、と思っています。

妹夢路の口癖は、

お姉さまのような一見弱そうに見える人が、意外と長生きするのよ。

私の方がきっと先に逝くわ」

何が根拠で、そのような話になるのか、私には、全く分かりませんけれど。(笑)

夫婦共倒れなんてことになると、子供達にも迷惑をかけ、悲惨ですものね~

明るく過ごして頑張らなくては・・・・・・

妹、夢路も、いつまでも元気で、私の良き相談相手でいて下さいね。

 

放射線の治療については、いつか日を改めて、もう少し詳しくお話しさせて頂きます。

 

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ 

にほんブログ村  ランキングに参加中 です。

今日もお立ち寄りくださいまして有難うございました。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月12日の日記 ひとまず安堵!

2013-10-21 10:51:49 | 病気

猛暑の名残リらしき気候があったような、なかったような・・・・・・

その移ろいを意識する間もなく、一気に秋めいて、涼しくなった昨今の気候ですが。

でもまだ、長袖では暑く、病院に出かける前は着る服に迷ってばかりの私。

仕方なく、半そでを着て、私、愛用のショールを肩にはおり、病院に出かけることが多いこの頃です。

 

夫のもとに向かう車中は、ほぼ読書に当て、バッグに収めた新聞の切り抜きと、分厚い本を電車に揺られながら、読み耽っています。

そんな通いが続いて三日目に、私が待ち望んだ主治医からの検査結果の中間報告がありました。

 

 

別室に呼ばれ、夫婦揃って、主治医の先生に対峙。(対峙なんて適切な表現ではないけれど、そのくらい緊張しました。)

初診でお会いした時の医師とは雰囲気が異なり、いかにも東大出身の医師と言った官僚タイプの方。

胸が少々ドキドキしました。

そういえば、旦那さまに似ている~(笑)

こういった雰囲気の先生には、無駄口は出来るだけ吐かないように気をつけなくては、なんて思ったりして。

 

恐ろしい爆弾宣言がありませんように、と私は益々緊張する中、医師のお話しが始まりました。

その内、安堵で胸が熱くなるような喜ばしいご報告が。

大腸癌は、肺、肝臓、リンパに転移しやすいのですが、今のところ、その兆候は全くみられません。

肝臓の状態も、大変良好のようです。

 

しかし・・・・・・・

この後に、覚悟は多少出来てはいたものの、とても悲しい宣告。

直腸の肛門に一番近いところに癌があるため、人工肛門は避けられそうにありません、とのことでした。

 

人工肛門で、とっさに思い浮かんだのが、渡哲也さんとブログ友のちるみさんのご主人様。

お二方とも、とてもお元気そうでいらっしゃるので、お陰さまで、私は然程ショックを受けず、心に受け止めることが出来ました。

けれど、旦那さまはどうだったのでしょう?

相変わらずポ―カ―フェースの人ゆえ、妻とはいえ、心の奥底まで見抜くことはできません。

帰り道、元気なお二方のお話しをしたり、便秘もなく、かえって処理が簡単で好都合かもよ、と冗談をいいながら、夫を慰め、励ますしかなかった私です。

 

人工肛門になると、身体障害者となり、国の助成もあるとのことですが・・・・・・

既に目が難病を患い、特別疾患の認定書を持っているYさんです。

正に満身創痍、といった感じですが、そのためにいらいらしたり、愚痴を述べる人ではありません。

その精神力の逞しさは、驚くばかりですが、目は隠せませんね~

張り詰めたような神経質な表情が漂うことが最近はよくあり、私はYさんの本心を垣間見たようで、とても心配にもなったりします。

いつか緊張の糸が切れてしまいはしないだろうか、と。

でもYさんは、心のコントロールは実にしっかりできる人。

恐らく、今後も淡々と、闘病生活を続け、ページ数はわずかながら読書と、散歩、そしてカープ戦を何より楽しみにすることでしょう。

 

 

 医教育研究棟 鉄門記念講堂

 

さて、人工肛門の宣告を受け、いよいよ今後の治療法についてのお話しを聞かせて頂くことに。

実は、前日の夜、若い医師から、今後の治療法について簡単な説明をYさんは、すでに受けていました。

その時、見舞いに来ていた長女も、一緒に聞いていました。

長女のMちゃんは、来週から海外出張の予定があリ、その準備と家事の両立で多忙の中、時間を取って、やっとの思いで、病院に足を運んでくれたようです。

私より、娘に会える方が数倍、Yさんにとっては嬉しい事。

ですから、そのような気遣いは、本当に有難く、ご苦労さま、と心から声をかけて上げたい気持ちに私はなりました

 

前日の先生のお話しの内容を、前もって電話で簡単に聞いていた私。

治療法について、予備知識を身につけるべく、ネット検索で、多少は勉強もしておきました。

10時か11時頃に説明があるとの事でしたから、当日は早朝に起き、病院に向かいました。

9時頃には夫の病室に到着し、今後の治療の予測を、旦那様と話していた時のこと。

2人の予想がかなり食い違い、平行線!

 

日頃の暮らしは一切合財、私任せの人ですが、年に数度、議論になることもあります。

このような時、、旦那様は、男の沽券に関わると思うのでしょうか。

絶対自分の意見を曲げません。

その強情さは、恐らく妹、夢路の旦那さまと甲乙つけがたいでしょうね~(笑)

 

たとえば、今後25日かけ通院治療する放射線の5分照射についても。

Yさんは、たった5分のために、連日こんな遠い病院に通うなんてとんでもない。

必ず、違う病院への転院を医師が勧めてくれるはずだ、と主張して譲りません。

私はこれまでの経過から、それは甘い考えと、言いましたけれど。

他にも予想と意見が食い違うことが色々ありました。

 

しかし、実際に伺った主治医のお話しの内容は、ことごとく私の思った通りでした。

その席を離れ、病室に戻リしばらく経ってから、私は旦那さまに、つい威張って言い放ちました。(笑)

「あなたの予想はすべて外れ、私が話した通りだったでしょ~

このような証拠がないと、あなたは、絶対、自分の主張を曲げない人ですものね。

でも、今回は、さすがに私の見方が当たっていたことを認めてくれるのではないかしら。」と。

その後しばらくは、いつになく、しおらしく穏やかな旦那様でした。(笑)

 

さて、治療法についての医師のお話しに入りますが、この話題は次回に回させて頂きます。

癌治療にも、いろんな方法があるのですね~

妹は、最近ブームになっているがん関連の書物を読んで良く知っていました。

その本では、夫が今後受ける放射線治療が最善と言われている聞き、少し安心した私です。

私は聞き覚えはあったものの、新たな認識だったと言っていいでしょう。

 

      

  にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ 

にほんブログ村  ランキングに参加中 です。

今日もお立ち寄りくださいまして有難うございました。

 

 

 

 

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月10日の日記 入院生活がスタート

2013-10-20 08:13:17 | 病気

いよいよ入院の当日になりました。

既こ、その日から一週間が経過し、この記事を書いています。

次第に、その日の記憶が薄れつつあり、文章に勢いが生まれません。

まだ話題が旬のうちに書き留めれば、鮮明な記憶が、拙い文章力の私の助けに、多少はなってくれるのですが。

でも仕方なく思い出しながら、印象に強く残っていることを中心に、綴っていきます。

 

入院は昭和50数年に建った旧病棟との事で、病室に期待はしていませんでしたが、思いの他とても小奇麗で安心しました。

医務室のドアなど、所々、昔の意趣が感じられ、、私の心を落ち着かせてくれる温か味のある病棟です。

瀟洒なモダン建築の渋谷のN病院とは違った魅力を、私は感じました。

 

今後、掲載する画像はT大学の光景です。

私も始めて観るものばかりで、好奇心は旺盛なのですが、

往復に時間がかかる上、夫に付き添って過ごしていると、すぐ日が暮れてしまって。

なかなか撮影する時間が取れません。

ボツボツご紹介させて頂きますね。

 

旦那さまが入院生活をしばらく過ごす部屋は、6人部屋の片隅のベッド。

今は、ここが唯一空いている所だったようです。

聞くところによると、旧棟では、個室の一番高いところの室料が、何と7500円。

設備の充実度により、最低3500円まで三段階に分かれているようです。

驚くほどお安いですね~

国立の病院だからでしょうか。

新しい方のÅ棟は、確か18000円。

 

渋谷の病院は3~4万円でホテル並みでした。

思わず、余りの安さに私の気もつい大きくなり、「個室が空いたなら、そちらに移っては?」

と言って上げましたのに、我が家の旦那さまは、「大部屋で構わない」との拍子抜けの返事。

 

とても恵まれた境遇で育てられた人なのですが、嫁ぐ前に、義父さまが、「雑草の如く逞しく育てたつもりです」とおっしゃいましたが。

正に、その通りの人。

細身ながら、70歳に至るまでは風邪一つ引かないほど丈夫で、物事には割と無頓着。

お洒落っ気もまるでなく、贅沢な事は一切言いません。

雨露さえしのげれば、どんなあばら家でも不平不満なく暮らせる人だと思っています。

親戚の方が、「仙人のような方」との表現で、我が家の旦那さまの印象を語った事がありました(笑)

 

主婦としては、夫の無欲な性格に随分助けられ、夫の分まで、私が贅沢をさせてもらった気がしないでもありません。(笑)

病気を患っても、愚痴一つ言わず、差して私への要求もなく、本当に雑草の如く逞しい人だ、と折々で実感しています。

 

 

ところが、身の回りの整理整頓となると一切できない人ですから、この度の入院に当たっても、準備はすべて私任せ。

パジャマに着替えてもらい、キャリーケースに詰めてきた、着替えのパジャマ、ガウン、タオル、洗面用具などを所定の位置に、私が収めました。

テレビカードも買ってきて、旦那さまに手渡し、、入院生活がいよいよスタートです。。

翌日から検査が始まりますが・・・・・・・

夫曰く、「初診の日に、いろいろ検査をしたはずなのに、入院してまで、さらになんの検査をするのかな~?」

と首をかしげていました。

肝臓の手術に当たって、この様な検査入院はありませんでしたから。

病院によって、方針に随分差異があるようですね~

T病院は、患者さんの治療に当たり、準備の段階から、非常に慎重且つ丁寧と言ったところなのでしょうか

その分経済的負担が一層かかり、それも良し悪しですが。

 

そういえば、天皇陛下は、心臓の手術を、この病院でお受けになられたのでしたね~

主治医は、その分野で神の手と言われる順天堂病院の医師であったと、私は記憶していますが。

タクシーの運転手さんが、その当時はこの周辺は、マスコミの報道関係者でごった返し、大変でしたよ、と話しておられました。

 

さて私は、3時間近く病院に留まったのち、家路に向かうことにしました。

緑豊かな構内を歩くなか、次女の言葉を思い出していました。

Nちゃんは在学中、あるスポーツクラブのマネージャーをしていたのですが、

授業は駒場で受けることが多く、放課後わざわざ連日本郷まで足を運んでいたようです。

長女はテニスクラブでしたが、恐らく同様の経験をしていたのでしょう。

そして、いつもグランドに向かう前は、この病院のトイレを借りて、マネージャーのユニホームに着替えていたとのこと。

病院の前がグランドよ、と話していましたが、夫が入室した旧棟の病室からは、それは望めず、ちょっとがっかりでした。

旦那さまの入院期間中に、娘達の案内で、大学のキャンパスを是非散策してみたいものと。

今後の愉しみに致します

そのためには、旦那さまの治療が今後順調に進んでくれませんと。

そんな期待を抱きつつ、不安な心を多少でも癒し、祈るような日々を元気に過ごしていきたいもの、と願っています。

 

      

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ 

にほんブログ村  ランキングに参加中 です。

今日もお立ち寄りくださいまして有難うございました。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9月8日の日記 私の願いとは違う展開へ いよいよ入院

2013-10-19 09:18:24 | 病気

いつでしたか、妹、夢路(プラチナのように輝いて)が話したことです。

「70歳を過ぎると、人は、急に色々な病に見舞われがちになるそうよ」と。

悲しいかな、病と向き合う暮らしは、私達の年齢になりますと、当たり前の出来事になるのでしょう。

そういえば、風邪ひとつ引かず元気だった夫が、入退院を繰り返す様になった年齢も、正に70歳前後でした。

 

東日本大震災以降に私が出合い、大変好きになった言葉、「諦めと覚悟」が、また思い浮かびます。

諦めとは運命は避けられないこと。

覚悟とは、与えられた時間の中で最善を尽くすこと。

 

さて悩みに悩んだ末、出した結論に従って、まずは紹介状宛のT病院に、二人でお昼過ぎ向かいました。

電車の乗り換えは一回で済むのですが、最寄りの駅で下車し、T大病院まで徒歩15分もかかります。

無論、今回は炎天下でもあり、タクシー利用でしたが。

今後、頻繁に病院を訪れる私がタクシーばかり利用していては、交通費だけで一月数万かかってしまいそう。

ネット検索で調べると、一つ手前の駅の御茶ノ水から、T病院行きのバスがあることが分かりました。

今後は、できるだけそれを利用したい、と思っています。(実際は、その後、よほど疲れている時を除き、徒歩で往復するようにしています。)

 

初めてT病院を訪ねた日は、相変わらず残暑が厳しく、空は真夏の太陽がさんさんと輝いていました

しかし、T大病院の周りの風景に目をやると、大学構内の滴るような豊かな緑が目に映り、何とも涼やかな光景。

私の幾分疲れた心が、随分慰められました

レトロな雰囲気のする赤レンガの重厚な建物と緑のコントラストがとても美しく・・・・・・

家族の母校と思うと、胸に迫る感慨もありました。

心身に余裕があれば、心行くまで、デジカメ散歩を楽しみたい、と願いましたが、

実際は、出かける前、考え事が多すぎて心身共に疲れ果て、カメラ携行の外出など、全く思いが及びませんでした。

 

病院の前から、スカイツリーが望めます。

 

初診受付の窓口で手渡された書類に色々記入し、初診の申し込みが完了しホッとした途端、ポケットベルがなり始めました。

診療時間は、既に終了していたのでしょうか。

瞬く間に、夫の順番が回ってきました。

初対面のS医師は、電話で受けた好印象通りの、とても感じの良い先生。

お話も、丁寧で分かりやすく、患者さんへの親身な思いが、ひしひしと肌に伝わってきました。

でもこの先生は、飽くまで代理の方ですから、主治医や担当医がどんな方かは、まだ分かりません。

 

その医師が、内視鏡クリニックの紹介状に収められていた画像を見ながらのお話は、次のような内容でした。

「細胞検査の結果を待つまでもなく明らかに、これは癌です。

肛門近くの癌は、最悪の場合、人工肛門を取り付けなければならなくなる場合もあります。

しかしW教授は、そのような症状でも、極力それを避けた手術で臨む先生です云々・・・・・・

~その他の詳しいお話は省略~

早速に入院の手続きをして下さい。

ベッドが空いていれば、今日からでもいいですよ、と。」

 

夫の症状は、そんなに緊急を要する酷い状態なのかしら、とまたまた私の心は不安でいっぱいに。

ベッドが空いていても、心の準備が出来ていない夫は、さすがに当日入院は拒みたい心境だったようです。

その上、私がこの病院を訪ねる前に出した結論は、T病院で診察は受けるものの、そこで紹介状を改めて書いて頂き、近くの病院へ転院することでした。

当院が遠過ぎる懸念を、初診の際の申し込み用紙の欄にもしっかり書き留め、口頭でも説明した私達だったのですが・・・・・・

緊急を要する治療、と医師が判断されてのことか、私達の転院を望む気持ちなど全く意に介されないご様子。

アッと言う間に、この病院へ入院確定の患者となり、レールに乗せられてしまった感じでした。

 

先生の、性急な対応に、不安は増幅されていくばかりでしたが・・・・・・

しかし、いざとなると気分の切り替えも早い私です。

なるようにしかならない、といった気持となり、次第に心が落ち着いていきました。

 

ベッドは今のところ満床ですが、何とか出来るだけ早く一床確保できるよう努め、空き次第、連絡しますとのこと。

週明けくらいの入院を予定しています、と言われました。

その日は、血液検査、心電図、レントゲン撮影などを済ませ、家路に就いた私たちでしたが・・・・・・

 

返りの車中、私が想像していたこととは、余りに違う展開となり、戸惑う気持ちを抑えられませんでした。

今後、最寄りの病院、渋谷のN病院、今日伺ったT病院と三つの掛け持ちで、旦那さまの病の治療をするなんて。

検査の重複は避けられそうにありません。

 

我が家は、副収入があるわけではなく、年金のみで慎ましく暮らしている老夫婦です。

それにもかかわらず、医療費は三割で、その重圧が、今後さらに重くのしかかってきます。

でも旦那さまの病に当たって、そんな愚痴を述べるのは不謹慎ですね~

過去の投資による損失を埋めるべく貯蓄にも今まで通り励みながら、予算生活を徹底し、やりくり上手な主婦を目指さなければ・・・・・

夫の治療費捻出のために、一層無駄のない生活を心がけよう、と今はまた、気持ちを新たにしているところです。

 

 

最寄りの病院と渋谷のN病院の医師同士では、夫の治療に当たり、連係プレーが組まれていて安心でしたが、さらにT病院が、今後加わります。

そのため不安が尽きない私でしたが、思いがけない喜ばしい展開になっていくのでした。

このことは、次回の記事でお話しできれば、と思います。

翌週の月曜日に、予定通り夫は入院しました。

 

      

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ 

にほんブログ村  ランキングに参加中 です。

今日もお立ち寄りくださいまして有難うございました。

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

諦めることなく努力する事の大切さ     8月31日の日記

2013-10-18 12:55:54 | 病気

 

今日は迷いに迷った挙句、私が出した結論について、語らせて頂きます。

その時は、最良の選択とかなりの自信があったのですが、現実は私のイメージ通りには、事が運んではくれませんでした。

でも、これが神様が導いて下さった一番良い選択と、今では思うようにしています。

恐らく、夫の病が完治するには数カ月を要するでしょう。

私はその治療をして下さる先生を心から信頼し、自分にできることを精一杯果たし、見守っていくのみです。

 

 

私が出した結論とは、まず、紹介状宛のT病院のW医師にお会いして、現在の詳しい夫の症状を伺うこと。

その上で、W医師に、我が家に近い病院宛に紹介状を改めて書いてもらうことでした。

T病院のW医師のお名前は、私が大腸がん治療の名医を検索した限りでは、ネットには載っていませんでした。

手元の名医図鑑にも、そのお名前は見当たりません。

一方、我が家に近い病院の~先生の名前は、どこでも目にすることができます。

夫の肝臓がんの主治医M先生も同様です。

M医師の執刀の型はMカットと称され、世界的にも名が知られている様です。

 

しかし、これがすべてではないことを、私は肝臓の治療に当たって下さっている担当医T先生のお話から、改めて思い知らされることに。

ご相談のお電話をした際、次のように言われました。

「W先生宛の紹介状を頂けるなんて、すごいことですよ。

この分野では非常に権威ある先生です。

安心して治療を受けられて大丈夫ですよ」と。

 

ここで誤解を招くといけませんから、一言、言い添えておきたいことがあります。

私は都心の近郊に住んでいて、名を馳せた医師にも会うことが割と容易にできる環境にあります

ですから「神の手」と言われさえする医師にこだわってしまうのですが。

それに越したことはないといった気持から。

でも或る日、新聞で目にした記事によると、今では医療の情報がくまなく日本中の病院に行き渡っているそうです。

そのため、片田舎の病院の医師でさえも、それに従い、最新の高度な治療や手術を患者に施す事が容易になった、と記されていました。

私は、決して名医でないとだめ、といっているわけではありません。。

 

さて、T先生(肝臓がんの担当医)の言葉に安心して、本来なら迷うことなく、私達は紹介状宛のT病院のお世話になるところですが。

遠過ぎることがやはり懸念され、その不安が、私は拭えませんでした。

 

二年前、夫が退院数日後の早朝、突然倒れ意識不明となり、手術を受けた渋谷の病院に搬送されたことが、脳裏に蘇ったのです。。

救急隊員の方は、近くの病院に搬送予定だったようです。

しかし私は、夫の容態が緊急を要さないのであれば、渋谷の病院に運んでほしいと、咄嗟の判断でお願いしました。

その要望を受け入れて下さった救急隊員さん。

明け方のまだ薄暗い高速を、30分少々かけてで疾走して下さいました。

感謝の念を持って、今なお、昨日のことのように鮮やかに思い出されます。

その後、入院が一カ月以上に及びましたが、予定されていた二回目の手術も無事終わり、元気に退院することができました。

 

 

 

しかしそのような事は、T病院では、遠すぎて不可能です。

その上、今後通院する際、夫一人では遠方すぎ、目の病気を思うと、非常に心配な事。

私は、通院には、今までほとんど付き添ってきましたが、体調に波がある上、来年は古希を迎えます。

私も病を患わないとは限りません。

遠方がゆえの支障が、今後生じてくるのは、目に見えて明らかです、

幸いにも、名医と言われる医師が近くの病院にいらっしゃるのですから、近いに越したことはありません。

ですから、紹介状あてのT病院のW先生に改めて紹介状を書き直して頂き、それを手に、近くの病院を訪ねる予定でいました。

 

このような今後の展開を予想し、心の整理も付き、内視鏡を受けた翌日のこと。

私は出かける身支度をすっかり整え、T病院に電話をかけました。

ところが、何とW医師の診察日は来週の水曜日で、今は海外出張中とのこと。

未だ一週間もあります。

内視鏡クリニックの先生と受付の方の、できるだけ早く診察を受けるように、との言葉に、緊急性が感じられた私です。

胸騒ぎを抑えられず、一週間待つなど、論外の事に思えました。

お世話になっているT先生(肝臓治療の担当医)からも、夜でもいいからお会いしたい、と言い、とにかく早く診察を受けるように、とのご指示も受けています。

恐らく腸閉そくを心配しておられたのかもしれません。

 

T病院との巡り合わせの悪さは、神様の、「近くの病院が良い」との啓示に違いないと思った私。

 T病院を諦めることにしました。

そして、夫がC型肝炎の治療を受けている病院の分院に電話をかけました。

ところが、私が望む~医師も、診察日は来週の火曜日でした。

その上、その先生宛の紹介状がないと受け付けられない、とのこと。

T先生(肝臓の担当医)のお話しでは、紹介状は宛先の医師の名前が異なっていても一向に構わない、とのことだったのですけれどね~

 

どうしましょう。

夫は、まだ就寝中。

私一人で悩み抜きましたが、良い方法が思い浮かびません。

こうなると、もう自力では先に進めないことを悟った私です。

そして新たに思い付いた事は、紹介状を書いて下さった内視鏡クリニックの先生にご相談することでした。

電話をかけた際の、受付の方のお返事は、結構つれなく、電話では、先生はご相談に乗れません、と言うものでした。

来院して下さい、と。

仕方なく、一旦電話を切った私でしたが、できるだけ早く、との言葉が頭を駆け巡り、今日の診察を諦めきれません。

再度、電話をかけ、事情を詳しく話して、先生のご意見を伺いたい、と申し出ました。

そのお電話で、やっと私の要望を受け入れて下さったのです。

そして30分ほど経過したでしょうか。

突然、紹介状の宛先の病院の医師から、電話がかかってきました。

 

 

「T病院の医師のSと申します。

内視鏡クリニックの先生から連絡をもらいました。

今、W医師は海外出張中で留守ですが、私が変わって診察致します。

お時間は何時でも結構ですから、今日お越しください」と。

 

頼もしいそれでいて実に穏やかな明るいお話しのなさり方に、好印象を受けた私です。

如何に安堵し、私は嬉しかったことでしょう。

言葉では言い尽くせないほど。

私の電話で、早速にT病院に手配の電話を入れて下さった内視鏡クリニックの先生にも心から感謝でした。

努力の甲斐あり、新たな準備が整いました。

私の苦労を何も知らず、すやすや眠っている旦那さまを十時過ぎに起こし、T病院に向かう準備を始めた私達です。

 

その後伺った医師のお話からも、一週間先まで待たなくて良かった!

内視鏡クリニックの受付の方に断られたにもかかわらず、再度、先生にお伺いを立て、それが功を奏したことを、心から喜びました。。

自らの状況判断が間違っていないと確信したなら、諦めることなく、最善の道へと速やかに進めるよう、出来る限りの努力をすることの大切さを、改めて思った私です。

 

さぁ~いろんな顛末を経験し、やっと心が定まった病院へ一歩を踏み出しました。

私達は、内視鏡検査後の指定された最後の食事を済ませ、11時前に、家を後に。

しかしその後も、紆余曲折を経て、意外な展開へと、夫の治療方針が進んでいきます。

長くなりましたので、この後のお話は、次回に回させて頂きます。

 

          

 

この度の台風では、伊豆大島に、またもや大きな被害が出て、驚いています。

自然の猛威に対し、尊い人命の余りの脆さとはかなさ。

悲しさを通り越し、唖然とした心境になります。

オリンピックも良いけれど、今後の想定外の災害に備え、国はもっともっと予算を積むべきでは。

そして、国民の命を守るべく万全の対策を講じてほしいもの、と心から願っています。

被災地の方々と亡くなられた方々に、心からのお見舞いとお悔やみを申し上げます。

 

 

      

 にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ 

にほんブログ村  ランキングに参加中 です。

今日もお立ち寄りくださいまして有難うございました。

 

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不安な心  8月30日の日記

2013-10-17 12:48:24 | 病気

幾分涼しくなり、秋の風情がほのかに漂い始め、心弾む季節のはずですが・・・・・

私は、澄んだ初秋の空を仰ぎ、神様に祈るような気持ちで、ここ数日間を暮らしてきました。

夫が或る日、体調の異変を、私に改まった口調で訴えたことは、少し前のブログ記事でお伝えしました。

その時点では、Yさんは、過去に手術を受けたことのある痔ろうの再発と思いこんでいたようでしたが。

内視鏡検査の結果、ほぼ間違いなく大腸がん、とまたまた宣告されてしまったのです。

 

 

数年に及ぶ闘病生活の末、肝臓がんの病を数度の手術を乗り越え、克服したばかりの夫です。

それなのにまた、と。

宣告を受けた当日はショックで、私はとことん落ち込みました。

いつも冷静なYさんは、こんな時も表情一つ変えることなく、医師の話しを聞き、その後も、平常心で淡々と暮らしています。

むろん内心は、穏やかではないでしょう。

 

私には、さして自慢できるような長所も才能もありませんが。

一つだけ、これは長所の部類に入れてよいのでは、と思える気質があります。

どんなに落ち込んでも、気分の切り替えと立ち直りが割と早いことです。

そのような性格になったのは、理由があります。

もともと体力がない方で、落ち込むと、疲れに一層拍車がかかり、家事が全く捗らなくなってしまいます。

どなたでも、一時的には同じような状況になられるかもしれませんが。

気分を切り変えない限り、その状態が延々と続いて、虚しく時間が過ぎていきます。

毎日を、今が一番素敵と思って暮らしたい、と願う私にとっては、その状態が長引くことは耐えられません。

 

打ちのめされ落ち込んだ時は、心もですが、体も疲れきっていることが多いものです。

ですから、何もかも忘れ、とにかく早く床に就きます。

そして朝、目覚めると、不思議と前日の鬱状態から心が解放され、新たな英気が宿っていることがほとんどです。

健全な精神は健全な肉体に宿る、と言いますもの。

疲れ切った体では、心の元気も湧いて来ないのは当然ですね~

 

しかしがんの宣告を受けた当日は、どんなに落ち込み疲れていても、すぐ床に就くわけにはいきませんでした。

医師の選択等、今後の対応で、余りにも、考え悩むことが多すぎたからです。

内視鏡クリニックの先生のお話しでは、小さなポリープは切除したものの、直腸の下の方に、内視鏡では切り取れない大きなポリープがあるとのこと。

入院手術が必要なので、できるだけ早く総合病院の診察を受けるように、と指示されました。

画像を見せて頂きましたが、素人目にも、潰瘍の大きさとそのグロテスクな様相に、ただ事ではないものを感じ、私は、大変不安になりました。

 

 

いつもそうですが、そのような事態になると、私の呑気な鈍い頭は、急に回転が速くなり・・・・・・

いえいえ早くなるわけではありません。

但し、ない知恵を必死で絞り、多少でも良い選択をしよう、と努力し始めます。

このような時でも、私の旦那さまは、物事を難しく考えない人。

話し合うまでもなく、私がお膳立てしたことに、割と素直に乗り、ほとんど逆らいません。

 

もともと、家事、育児、その他一切合財、私任せ。

そして幸いな事に、、私のする事、成すことはすべて容認してくれ、文句一つ言わない人です。

これは徹底していて、結婚以来、不平不満を私に向かって吐いたことが一度もない、といっても過言ではありません。

これは、私が良く出来た妻だからではなく、驚くほど寛容な精神の持ち主だからでしょう。

ですから子供を叱ったことも、一度もありません。

この点では、希有な人と言っていいのではないでしょうか。

悪く言えば、家族といえども、他人には無関心な人。、

ですから、私は大きなストレスの原因にもなったのですけれどね。(笑)

毎度のことながら、お話が、またまた脇道に逸れてしまいましたね~

内視鏡のお話しに戻します。

 

実は、内視鏡検査専門のクリニックの先生から手渡された紹介状のあて先は、T病院の医師宛でした。

馴染みの全くない病院です。

それに何と言っても、我が家から遠い。

唯一嬉しかったことは、旦那様と若夫婦の母校の付属病院、と言うことでした。

この際、通院がてら、夫と娘夫婦達が青春を謳歌したキャンパスの構内を思う存分散策し、ブロガーとして写真を納めさせてもらうことができる。

そんな思い出深い懐で、夫が治療を受けられることは、恵まれた環境と言えないでもありません。

けれど、既に二つの総合病院で治療中の身の旦那さま。

目も難病を患い、視野狭窄が起きています。

私も体調に波があり、体力に自信があるわけではありません。

その上、通う病院を二つにしたことで、検査が重複し、医療費の無駄が多くなることも実感してきました。

 それなのに、さらに通う病院が増え遠方となると、体力的にも経済的にも、老夫婦の肩に一層の重荷がかかり、果たして通い続けることが可能かどうか、疑問を抱かざるを得なかったのです。

その中でも、目の問題が一番大きいように思いました。

 

C型肝炎の治療を受けている総合病院の分院に、大腸がんの治療で名医と言われる医師がおられる事が、調べる内に分かりました。

我が家から、車で僅か15分足らず。

近いこと、名医と言われる先生であることの二点で、この病院に気持ちが急速に動いていったのですが・・・

或いは、肝臓でお世話になっているN病院にするといった選択肢もありました。

しかし問題は、紹介状のあて先がT病院の医師であること。

 

内視鏡を、最初から総合病院で受けていれば、こんなに悩まなくて済んだのかもしれませんが、どこも数週間先でないと予約が取れない状況でした。

肝臓がんの担当医にその旨を話し、ご相談に載って頂きました。

内視鏡検査専門のクリニックがあるので、そこを訪ね、できるだけ早く検査を受けるようにとの助言を受けました。

そしてその後、早速、そのクリニックを訪ね、診察と小さなポリープの切除後に頂いた紹介状だったのです。

 

とは言え、いずれの病院に治療をお願いするか、私は一両日かけ悩み抜きました。

夫がいる書斎にも何往復もし、私が考え抜いた末に出した結論は?

既に長くなりましたので、結論の内容は、次回の記事で書くことに致します。

 

過去の日付の日記で、誠に申し訳ありません。

本来なら、何もこんなに日を開けず、すぐ綴ってもいいことだったのですが。

色々な事情から、旦那さまが肝臓がんの宣告を受けた時同様に、素直な気持ちで正直に、即その状況を日々綴る心境にはなれませんでした。

ですから、しばらくブログから遠ざかり、夫の病気に付き添い、その事に専念しようと思っていました。

 でもその内、書くことが、私の気持ちの整理と支えになり、心を元気づけてくれることに、改めて気付かされた私です。

ですから、その後も下書きの状態で書き留めてきました。

いつか公開させていただこう、と願いながら。

夫の手術が無事終わり、回復の見込みが確信できた時が、公開日、と心に決めていたのですが。

医師の最近のお話しでは、手術が12月にかかりそうです。

それでは公開が新年となり、私の望むことではありません。

新しい年は、過去記事を引きずらないで、気持ち新たに清々しい心でブログにも臨みたいですもの。

それで公開を早めることに致しました。

今後はしばらく、夫の病についてのみの内容となりますので、関心のないお方はスル―で何卒宜しくお願い致します。

 

       

にほんブログ村 シニア日記ブログ 60歳代へ 

にほんブログ村  ランキングに参加中 です。

今日もお立ち寄りくださいまして有難うございました。

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする