今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

負け戦はしたくありません

2014-04-29 08:03:51 | 暮らし

滴るような瑞々しい若葉が、本当に美しくて、見惚れて過ごす日々です。

特に、ここ二週間は、夫の入院するT大病院に通い詰める事が多かった私。

ゆえに、もともとは出無精の性格ながら、今の季節の輝きを、心から満喫することができました。

 

大学の構内は、ことさら緑が多く、伝統ある重厚な建物とのコントラストも鮮やかで、まさに絵になる光景です。

写真の被写体としては、申し分ないのですが・・・・・・・

私がカメラ持参で出かけたのは、この二週間の入院期間で、たったの二度ほど。

その上、シャッターを押したのはごくわずか。

往復4時間の行程は、年齢的にかなりの体力を消耗し、撮影をする気力は、僅かしか残っていませんでした。

出かけるときは、予定の時間にぎりぎりで、大学の構内を足早で通り抜け、帰りは疲れた体を鞭打つようにして、家までの長い道のりを思う日々でした。

 

 

今回の入院は、最初の予定では、先週の火曜日に、直腸癌の摘出手術が行われることになっていたのです。

本来なら、去年の12月に終わっているはずの事なのですけれどね~

放射線治療の副作用が、いろんな病状となって現れ、春に至るまで、手術が出来る状態に、体が戻ってくれませんでした。

入退院を繰り返し、ほぼ4カ月の病院生活の上、やっとこぎつけた、待ちに待った、この日だったのです

ところが、手術前の検査で、直腸がんの肝臓への転移が認められ、いったん中止になりました。

 

一番の理想は、転移がなく、手術が無事に終わり、夫がみるみる回復してくれることでしたが・・・・・・

実際は、かなり危険な手術で、私は万が一の覚悟もせざるを得ない様な状況でした。

ですから、延期を残念に思う一方、どこかほっとしたところがあります。

恐らく、旦那さまも、同じ思いでしょう。

 

とても危険だった理由は、なぜか蛋白の吸収率が非常に悪く、体力が回復してくれなかったこと。

更に、抗生物質が効きにくい菌が体内にあったからです。

このまま手術を執り行うと、術後に敗血症や肺炎になる懸念も、十分ありました。

 

T大キャンパス内の医学部の建造物です。

 

一回目を含め、延べ三カ月以上の入院を終え、二度目の退院をしたのは、1月19日でした。

造設された人工肛門の上、体腔内に溜まった液を抽出する管をぶら下げての退院でしたが、その後は、見かけはとても元気。

食欲も驚くほどありました。

毎日、数時間のお散歩も欠かしませんでした。

顔色もとても良くて、体重も以前と変わりありません。

 

ですのに、二度目の退院後、二週間毎の診察時に、主治医から、

「蛋白の数値が悪く、体力が回復していない」と、その度に言われ、私にはとても納得できないことだったのです。

 

肝臓がんの術後は、血液検査の数値がみるみるよくなり、医師から、食生活の貢献を、度々褒めて頂きました。

直腸がんにおいても、最初の退院後初めての診察時には、血液検査の結果はとても良好。

やはり食生活の質の高さを褒められ、主婦としては鼻高々だったのですけれどね~

その時は栄養状態のみならず、腫瘍マーカーもほぼ正常、バイ菌感染もなく、白血球も異常なし。

文句ない素晴らしい結果報告に大満足した私達でした。

但し、上がり下がりを繰り返す熱のみが気がかりなことでした。

 

しかし、1回目の退院後の診察の際の喜びは、束の間。

その後、なぜか急激に夫の体調が悪化し、食欲もなくなり尿の出も悪くなり、緊急入院するはめに。

直腸がんの放射線治療を始め、二度目の入院です。

その期間が夫は一番つらい時期でした。

腸の張りが強いので、一時的に人工肛門を取り付けることとなり、ほかにも二度、緊急の小さな手術がありました。

水が一滴も飲めない期間もあり、気分も最悪だったらしく、いつもとても冷静な夫が、珍しく弱音を吐き、とても私は心配しました。

 

 

一回目は、9月2日から11月4日。

二回目の緊急入院で始まった病院生活は、11月21日から1月19日までです。

そして三回目が、いよいよ手術のはずだった、4月12日からの入院。

ところが前述の理由で、その手術は中止。

退院の4日前から、抗がん剤治療が始まりました。

 

三回目の退院後は、その厳しい副作用が出るのが、いまかいまかと、不安を抱きながら見守っている私です。

退院の前日、食欲が落ちてきた、と言いましたから、いよいよと思った私でした。

けれど、帰宅後も体のだるさは多少感じてはいるようですが、ほとんど以前と変わりなく、三度の食事はとってくれています。

でもその内、副作用が現われてくるでしょうから、元気なうちに少しでも体力を付けてほしいと祈りつつ食事に気を遣っています。

 

一昨日の我が家の夕食の献立

 

紆余曲折の長い入院期間でした。

実に、いろいろな事が夫の身に起こりました

 

割と楽観的で、ストレスには強い方と、自分自身を思っていますが・・・・・・

この期間中、さすがに幾度か、夫に弱音を吐いて、先々を心配した私です。

その度にに、

「先のことを心配しても仕方ない」

との一言ではねつけられ、しょんぼりの私。

「だって心配なんですもの」

とは言いつつ、多少でもそんな弱気な事を、旦那さまにしゃべってしまった自分の無配慮さに自己嫌悪。

すぐに反省し、気持ちを入れ替え、前向に考えるように努めました。

 

 

              退院直前、まだベッドに横になっている夫            退院の手続きを終え、タリーズでホッとするひと時

 

プラス思考で考える事ができ、元気がとても湧いてくるのが、この度の手術の延期。

私は神様の思し召しと思い、有難く心から感謝しています。

もし手術が実行されていたら、先生が心配されていた、敗血症や肺炎で、命を落とす事も十分あり得ました。

或いは手術が無事終わり、ほっとしても、肝臓がんの転移の芽は消えるわけがなく、新しいがんとの闘いに、術後の弱い体で向き合わないといけないところでした。

そんな具合では、夫の体は疲弊していく一方だったでしょう。

 

手術前に、肝臓がんへの転移が分かって本当に良かった。

4個あるそうですが、直径8ミリ程の非常に小さなものです。

抗がん剤治療期間中に、体力を付け、抗生物質の効きにくい菌も撲滅し、小さくなった両方のがん摘出の手術に臨む。

そんな理想イメージを抱くと、夫の病への私の闘争心が、奮い立ちます。

病気に負けてなるものか、と。

 

主治医のK先生も、度々おっしゃいます。

「負け戦はできません」と。

 

妻として、今後も夫が療養と治療に専念できるように、精一杯の務めを果たそう、と思っていますが。

それにしては、わが旦那さまの態度は、少々つれなさすぎます。

随分前の事ですが、私が大好きなブロガーさんが、私の夫を武士魂を持った人との印象、と書かれていたことがありました。

もっといい表現だったのですが・・・・・それに納得できた私です。

けれど今は、夫婦といえども、平等の社会ですものね~

 

昨日は、夫の症状に気がかりな事があり、病院に電話したところ、診察に来て下さい、と言われ、急きょ、夫に付き添って往復4時間の行程を、またこなしました。

家事の途中のことでしたから、大慌てで準備し、出かけ、さすがに帰宅するとぐったり。

取り付けている医療器具の不備に過ぎず、ほっとしましたが。

 

それにしても、いつものことながら、ありがとう等の優しい言葉を一言もかけてくれない旦那さま。

私が尽くすのは当然といった態度を見せつけられると、「なんだかな~」といった気分となり、やる気を少々殺がれてしまいます。

今に始まったことではなく、新婚当時から変わらない態度ですから、もって生まれた性格と思うしかありません。

 

最後にブログに夫の愚痴を述べ、ストレス発散で~す。(笑)

お陰で心が軽くなりましたから、掛け替えのない新たな日々を、「今日が一番素敵」との思いで、大切に暮らせそうです。

皆さまも、素敵なゴールデンウィークをお過ごしくださいね 

 

       

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最終章 大怪我のお話し 思いがけない大きなお誕生日プレゼント

2014-04-27 07:57:25 | 暮らし

今日は、大けがのお話しの、最終章を綴ります。

今日も過去の思い出話が突然現れたり、とまとまりのない文章ですが、宜しければお目を通して下さいませ。

 

では最終章です。

 

脳外科病院で待つこと、1時間半くらいでしたでしょうか。

私の名前が呼ばれ、中待合室で、さらに数十分が経過しました

そして、いよいよ診察室へと。

 

実は、待ち時間の間、色々と思いを巡らし、不安が次第に増幅していった私です。

外科で脳の診察を受けるのは、我が家の前の雪道で転倒し怪我をして以来、数十年ぶりのこと。

三回、頭にけがを負った私ですが、割と簡単な外科的治療で事なきを得てきました。

けれど、自分の年齢を思うと、何か嫌な事を言われそうな予感がして、仕方がなかったのです。

 

若い時の怪我は、若気の至りによる知識不足もあったのでしょうか。

頭の怪我の怖さへの認識も薄く、一度は傷口を縫うほどの処置を受けたにもかかわらず、さほどの心配はしませんでした。

いえいえ、一概にそうとは言えないかもしれませんね~

自分の事となると、いい加減だっただけ。

いざ我が子の怪我となると、実に念を入れた対処をしたからです。

 

その当時より、一年経過した頃の次女のMちゃんの写真です。

入院中も、ぬいぐるみを抱いて過ごしていました。

 

次女が、三歳の時のことです。

同じ社宅の奥様と、子供達の遊びを見守りながらおしゃべりに興じていました。

娘は、友達とすべり台を上がったり降りたりして、楽しそうに遊んでいましたが、突然、私の目の前で、真上から、真っ逆さまに転落したのです。

落ちた場所には、石ころがあり、娘の頭上と石に血のりが付いていました。

恐らく、私は顔面蒼白になるほどの、驚愕だったに違いありません。

 

余りに昔のことゆえ、正確にその時のことを記憶しているわけではありませんが・・・・・・・

でも、ことが事だけに、かなり鮮明に覚えています。

普通でしたら、このような場合、救急車を呼ぶか、タクシーで病院にまいりますよね。

ところが、私は余りに動転していて、適切な判断が出来なかったのでしょうか。

我が子を抱きしめて、1キロ以上の道のりをひたすら駆けるように歩を進め、病院に向かったのです。

 

 

 

そしてそのまま入院となり、一週間、私も病室に泊まり込んで付き添うことに。

その間、私も至れり尽くせりでしたが、看護士さん達にもとても可愛がっていただいた我が子。

入院生活とは言え、次女のMちゃんは、終始、ご機嫌で、とても居心地が良さそうでした。

 

頭頂の頭蓋骨が一部陥没している、との診断を下されたにもかかわらず、一週間後には退院。

しかし、私は心配でたまらず、名医と言われるような医師の診断を仰ぎ、OKが出なければ、安心できない、と思いました。

どのようにして、その医師に決めたのか、今では全く思いだせませんが、総武線に乗り、千葉の果ての方にある病院に、数時間かけて出かけたのをよく覚えています。

その結果は、前の医師の誤診で、全くの正常。

異変は見つかりませんでした。

どんなに安心したかわかりません。

 

 

ところが、過去の自分の頭の怪我では、そのような丁寧な検査を受けた覚えが、ほとんどありません。

それが、今回、脳外科専門の病院で診察を受けるにあたって、多少気がかりなことでした。

その痕跡が、この年になり、脳で悪い影響を引き起こしていないかしら、と・・・・・・

考え過ぎと思いつつも、ちょっぴり心配でした。

 

いよいよ診察が始まりました。

診断の結果は、耳たぶが内出血し、その付け根が腫れているとのこと。

脳内出血があるといけませんから、CTを撮りましょう、と言われました。

 

「胸の痛みも気になるようなら、その前に外科の診察も受けて下さい」と。

外科では、胸のレントゲンを撮ることに。

その画像を見つめながら医師が発した言葉は、あまりに意外で、私は仰天。

何と、「五本目の肋骨が骨折しています」との診断でした。

 

私が大けがとの印象を抱くに十分な診断名でしたが、その割にはその後、元気に暮らしています。

痛みを緩和するコルセットを胸に装着して、数日間は暮らしていました。

けれど胸が圧迫され、今にも、去年の夏あたりまで数年間苦しんだ、息苦しさが再発しそうな雰囲気となり、身につけるのを止めました。

痛みを緩和するだけで、治療には関係がないと言うことでしたから。

大怪我のタイトルを記事に付けましたから、この内容では、皆様、拍子抜けなさったのではないかしら。

ごめんなさい。

 

でもどなたでも、肋骨が骨折していると言われたら、驚きませんか?

最近まで胸の痛みは続きましたが、ここ数日で急にそれもやわらぎ、快方に向かっていることが実感できています。

夫の介護にも支障はなく、ある意味不幸中の幸いだったのかもしれません。

足や手の骨折ですと、夫の世話だけでなく、主婦業もままならない不自由な生活を強いられ、大変な苦労をするところでした。

 

 

一方、一番気がかりだった、脳のCT検査の結果報告は、意外にも意外で、実に喜ばしい内容だったのです。

「とてもきれいな脳で、問題は全くありません。小さな白い影がありますが、それは脳の石灰化で、今後悪さをすることはありませ」と。

私が

「認知症の兆候は見られませんか?」

と伺ったところ。

全く大丈夫ですよ、とのこと。

 

その知らせで、肋骨の骨折のショックは、どこかに吹っ飛んでしまうほどの、喜びと安堵でいっぱいになりました。

これで、70代は、体の健康はいざ知らずですが・・・・・・

正常な意識と感情と理性は保てそう。

気力さえ充実させれば、しばらくは精神的には健全な暮らしが出来ると、確信することができました。

 

記念すべき70歳のお誕生日に当たって、これ以上に素晴らしいプレゼントがあるでしょうか。

コルセットで痛みをカバーした胸に、何よりの素敵な贈り物をしっかり抱きしめて、私は病院を後にし、家路につきました。

 

この調子で、70代を生き生きと、元気に暮らしたいものです。

最近新聞で目にした素敵な言葉を最後に書きとめ、一連の怪我の記事は終わりにします。

 

 

米国の詩人ウルマンの「青春」より。

 

青春とは、人生のある期間ではなく、心の持ち方を言う。

年を重ねただけでは人は老いない。

理想を失うとき、はじめて老いる。

 

      

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続 大怪我のお話し

2014-04-25 07:03:58 | 暮らし

大怪我を負った日は、選りに選って、60代最後の日であった事を、前回の記事で綴りました。

ゆえに診断名を医師から聞いた時のショックとみじめさは、なおさら大きく、しばし、自失呆然としてしまいました。

 

当日は、青空が広がる爽やかな朝で、私の心は数日前の友人との目黒川沿いの楽しかったお花見の余韻に浸っていました。

週末には、家族が古希のお祝いを催してくれることにもなっていて、とても幸せな朝だったのです。

60代最後の日を、元気に丁寧に暮らしたい、との思いでいっぱいでした。

 

家事が一段落着き、いつも通り庭に出て、しばらくガーデニング作業に勤しんでいる時のことです。

居間の窓辺近くに飾られたハンギングの寄せ植えに、水やりをすることにしました。

複雑な色合いの一重とフリルパンジーの組み合わせが、割と気に入っていて、日ごろ、萎れた花がら摘みも怠らないようにしています。

ホースで水やりをすることも、良くありますが・・・・・

時にガーデニングチェアを傍に引き寄せ、その上に上がって立ちます。

そして、ジョロで丁寧に水をまき、下からは見えにくい花がらを摘む事も多いです。

 

 

その朝も、同様の作業で臨みました。

水を満杯にした重たいジョロを手に提げ、テラス用の木製のチェアーに立ちました。

そして、水やりをしようとしたところ、一瞬めまいを覚え、体のバランスを大きく崩しました。

元に戻す事が出来ず、そのままタイル張りのテラスに転落。

全身を強く打ち付け、しばらく茫然として、立ち上がることができません。

夫は、まだ二階の寝室で、すやすや就寝中の時間帯のことです。

とは言っても、時計の針は9時を回っていましたけれどね。

朝寝坊の旦那さまです。

 

おもむろに起き上がり、動揺した心を何とか鎮め、家の中に戻りました。

頭を強く打ち付けたように思い、怪我をしていないかチェックしたところ、耳たぶが内出血していました。

更によくその周りを触ると、耳の付け根あたりが陥没しているように感じられて、次第に不安になってきました。

 

取り敢えずネットで調べることに。

浴槽で転び、私と同じような傷を負い、ヤフーの質問箱で、尋ねてる方が目に留まりました。

その方への、数人の回答を読んで、頭の怪我は軽視してはいけないことを思い知らされた私です。

不安が一層大きくなりました。

 

 画像のような設定で、水やりをしました。

 

そうこうする内にも、時間は流れていきます。

最寄りの総合病院の初診の受け付けは午前中のみ。

夫の朝食の準備、身支度の時間を考えると、時間はぎりぎりです。

 

救急センターに赴くことも検討していたところ、旦那さまが目を覚まし、二階から降りてきました。

Yさんがに発した言葉に、私はまたまた、ショックを。

「漏れたので、ストマーのストマッチ(袋の名称です)を交換しないといけなくなった」と。

この装具を装着してから三カ月近くになりますが、漏れて緊急の取り換えをしたのは、5~6回でしょうか。

選りによって、またこんな時に、と情けなさは相当なものでしたが、1時間足らずの介護で、交換を無事終了。

自分自身の事でも気が気でなく、どこか気もそぞろだったのですが。

そしてやっと、病院に出かける準備を始めることができました。

 

勝手口側のもう一つのハンギングバスケットの寄せ植え

パンジー・ガーデンシクラメン・バコバ

 

けれど、総合病院の初診受け付けの終了時間は、とっくに過ぎていました。

救急受付の窓口に行くことを検討していましたが、

そこで一呼吸おいた私。

そして思い付いた事は、ご近所でとても親しくしている奥様に、一度相談をしてみることでした。

 

先日お花見をご一緒した方です。

私より一回りお若いながら、実にしっかりしたお人柄で、私は心から信頼しています。

専業主婦でいらっしゃりながら、自然食品、医療関連、その他社会全般の事ににわたって、知識が実に豊富でいらっしゃいます。

その研究熱心なお暮らし振りに、私はいつも頭が下がる思いがしています。

 

お電話をかけ、私の身に起こった今朝の出来事を説明し、良い病院があれば紹介してほしい旨、お話しさせていただきました。

すると、即座に、全国的にも屈指と言われる24時間対応の脳神経外科病院をご紹介下さったのです。

我が家からは近いとは言えない距離ですのに、車で病院まで送って下さるとのこと。

そのような申し出に甘えることはとてもできません。

固く、何度もお断りしたにもかかわらず、お迎えに来て下さり、病院まで案内して下さいました。

 

 

東日本大震災に際しても、身近にいて下さるこの方の存在が、私にはどんなに心強かったかしれません。

実際に、いろいろ助けて頂きました。

「遠くの親戚より近くの他人」との諺がありますが、時にその言葉が身にしみます。

だからといってそのご親切に甘えてばかりいては、ご迷惑をかけるだけ。

優しいお言葉をかけて下さる方が、おそばにいて下さるだけで、心強く感謝の気持ちでいっぱいです。

 

その方も、同様のことを私によくおっしゃいますが、年を重ね過ぎた私は、もう大したお役には立てそうになくて・・・・・・

せめて力になれるとすれば、多少人生経験が長い故の、暮らしの知恵くらいでしょうか。

とは言っても、私のような者でも出来ることがあれば、精一杯の事はして差し上げたいと思っています。

 

その方運転の車中で、朝の事故の様子や、楽しかったお花見の思い出を語りあっている内に、病院に到着。

心からのお礼を述べ、私は病院内に足を踏み入れました。

1時間以上待たされたでしょうか。

いよいよ、脳外科の診察を受けることになりました。

 

この続きは、次回に回させていただきます。

 

      

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大怪我(?)のお話し

2014-04-23 08:13:45 | 暮らし

私は運動神経が特別良いわけではありませんのに、なぜか幸いにも、怪我には縁遠い人生を送ってきました。

学生時代は、とても痩せていて、「骨皮筋子」との有難くないあだ名までありました。

そんな細身で、どちらかと言えば虚弱体質気味だったにもかかわらず、骨折の経験は皆無だったのです。

 

その点、私よりお転婆だった妹の方が、怪我を負うことが度々あったように記憶しています。

骨折は数回経験し、歳を重ねてからは、時折見舞われる腰痛と関節痛で多少苦労しているようです。

 

今日アップした写真はすべて、今朝撮った、我が庭の花壇の様子です。

花の名称は、時間があれば後で書き加えさせて頂きますね。

 

一方、私は、明らかに妹より体質的には弱いにもかかわらず、この年齢になっても、腰痛に見舞われることは余りありません。

膝や手足の関節も、割と丈夫です。

無論、全く苦労がなかったわけではありませんが。

軽くて済みましたが、ぎっくり腰は、数度経験しました。

一回は、お洗濯物を干している最中です。

いつもと変わりない動作をしていたにもかかわらず、突然、腰に電流のような痛みが走り、動けなくなりました。

 

或る時は、庭の花壇で、太い根をひっこ抜こうと頑張っている最中に。

正に絵本の「大きなかぶ」に出てくるおじいさいやおばあさの姿にそっくりだったのですけれどね。

 

もう一度は、道路をお掃除中の事。

道路脇の側溝の重い鉄の蓋を持ち上げようとした際、腰を痛め、ぎっくり腰のような症状で、しばらく苦労しました。

でもいずれも軽度で、家事に然程の支障はきたさないで済んだと、記憶しています。。

 

 

ところが、今回、それも選りによって60代最後の日に見舞われた大怪我は(?)、私の人生にとり、殊更印象的な出来事になってしまいました。

その顛末を、最初から説明させて頂きますね。

その前に一言、お断りしないといけないことを思い出しました。

甚だしい記憶違いがありましたので。

怪我に縁遠い我が人生だった、と書きましたが、そんなことはありませんでした。

骨折をしたことが一度もないのは、事実なのですが。

頭に限っていえば、私は三度、怪我に見舞われています。

二度は、不可抗力的といっていいような偶然の出来事でした。

 

一度目は、社宅住まいをしている20代後半の頃だったでしょうか。

後方から走行してきたゴミ清掃車のバックミラーが私の頭をかすめ、その箇所から出血。

数針縫ったかどうか、記憶は定かで、もうありません。

数日後に清掃局の方が、お詫びに来られたのをよく覚えています。

 

 

二度目は、これが一番ひどい怪我でした。

夫の赴任先のロサンゼルスから帰国し、荷物の整理をしている時の出来事です。

壁に掛けたばかりの木製の重い柱時計が、直下で働いていた私の頭の上に、突然落下。

手で触ると、血のりがべったり付き、大変なショックを受けました。

正に鈍器で、頭を殴られたも同然ですね~

若くて元気だった私は、気丈にも歩いて近所の外科に駆けつけました。

そこで数針縫うといった処置を受けたうえ、頭から顎にかけて白い包帯をぐるぐるに巻かれ、実に哀れな痛々しい姿になり果てたのです。

 

もう一度は、今の家が完成し、社宅から転居し間もない頃の真冬のことです。

前の道路は、僅かですが傾斜になっていて、下ったところにごみ集積所があります。

前日からの雪で、道路は積雪の状態でした。

引っ越したばかりで、傾斜の雪道の危険性をさほど意識していなかったのでしょう。

私は、早朝、自分の足跡を残しながら、ごみ袋を提げ、割と軽やかに歩を進め・・・・・・

ドデン!!!滑って思い切り転倒。

又後頭部を、道路に打ちつけてしまいました。

この時も、またもや出血。

 

慌ててタクシーを呼び、外科医院へと駆けつけ、治療をしてもらいました。

帰宅し、テレビのニュースで雪による市内の怪我人の数が報道されているのを観て、

「この中の一人が私ね」

と家族に言って、笑ったものです。

 

 

三度の頭の怪我で、そのたびに私の脳細胞は、破壊されていった事でしょう。

ですから、私の頭脳は、怪我を負っていなければ、今よりもう少しマシだったかもしれない、なぁ~んて思ったりもするのですけれどね。

 

そう言えば、最近数年にわたって頸椎を患い大変苦労し、そのことをブログにも度々綴りました。

妹は、「私がこんな病を患うなん」と、とても意外に感じたようでした。

 

さて前置きが大変長くなりましたが、これからが今回の大怪我の話しで、本文となります。

けれど、前置きだけで随分長くなってしまいましたので、この続きは次回に回させて頂きますね。

「怪我の話しなんて、興味はないよ」と思われる方もたくさんいらっしゃる事でしょう。

そのような方は、どうぞスル―で、宜しくお願い致します。

 

春になり、アジュガ始め、元気に育った宿根草が色々と、1年層と共に、私の目を潤わせてくれています。

 

最近、私のブログをお訪ね下さる方が突然増え、嬉しさを通り越して、緊張気味のかれん桜です。

ブログ設定は、何一ついじらっていませんから、ブログ環境は今までと何も変わりありません。

それなのに、何故?

 

私には、晴天の霹靂のような出来事で、少々戸惑っています。

自己顕示欲が強いブログと言われても仕方がないようなプライベート色強い、個人日記に過ぎません。

行動範囲も狭い専業主婦で、教養も浅い私には、この程度のことしか書けません。

その上、最近は、主婦業以外に、夫の介護、病院通い、その他の雑用で、ますます多忙になってきました。

ブログの更新もままならない暮らしになりそうです。

申し訳ありませんが、お訪ね下さっても、失礼を重ねることが多くなる事と思います。

何卒、ご了承くださいませ。

 

こんな拙いブログにもかかわらず、受け入れて下さる方が大勢いて下さいますこと、素直に嬉しく、心より感謝申し上げます。。

本当にありがとうございます。

ご閲覧下さる皆様の益々のご多幸を、心よりお祈り申し上げます。

 

      

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続 至福のひと時

2014-04-21 07:52:50 | 家族

今日は、前回の続編です。

 

テーブルの上に置かれたワイングラスを手に、夫の手術前の壮行会兼私の古希のお祝いということで、皆が乾杯をしてくれました。

家族の「おめでとう!」の温かな言葉を嬉しく感じながら、口にしたワインだったからでしょうか。

アルコールにはとても弱い私ですのに、そのワインの何と美味だったこと。

ふくよかな香りと味が体に染み入るようで、心から「美味しい!」と感じました。

 

けれど、忽ち私の体が反応。

ほてりを感じ、美味しいからといって、たくさんは怖くて、私は飲めません。

アルコール類と言えば、新婚旅行先での、苦い思い出があります。

それ以来、アルコール系飲料のトラウマから抜け出せなくて、60代になるまでほとんどそのような飲み物は口にしませんでした。

 

 

古希を迎えた今、旦那さまは闘病中ですが、夫婦曲がりなりにも、今日までつつがなく暮らせた事に感謝しながら、新婚旅行のエピソードを語るのも、チョッと乙なものかもしれませんね~

結婚式を挙げ、そのホテルに一泊。

その翌日、飛行機で向かった旅先のホテルでの出来事です。

日が暮れ夕食を済ませ、旦那さまに誘われるままに、バーのスタンドに腰かけ、前に出されたカクテルを飲みました。

程良い甘みもあり、余りの美味しさに、すべて飲みほしてしまった私。

ところが、客室に戻り、しばらくすると急激な酔いで吐き気を催し、一睡も出来なくなってしまいました。

明け方まで、ほとんどそのような状態で何度も吐き、夫は一晩中、私の看護をする羽目に・・・・・・

 

 

お話しが、とんでもない方へ飛んでしまいましたね~

その、とても美味しいワイン。

次女が見逃しませんでした。

私が少々しか口を付けていない事を。

「ママのワインの残り、私が貰ってもいいかしら!」と尋ねられ、咄嗟に、「駄目!」と答えた私です。(笑)

でも結局、それ以上の飲めませんでしたから、Mちゃんに譲らなかったことを、後で申し訳なく思いましたけれどね。

 

乾杯後に、「おめでとう!」の言葉を家族から一杯浴び、私は思わず言いました。

「私、70歳になったなんて、とても信じられないの。

そんな年には見えないでしょ?」と。

 

 

家族が口をそろえて、

「とても見えない、見えない」

と。

すると口の悪い長女のお婿さんが、

「今日は特に見えない」

と言って、私をからかいます。

「じゃ~いつもはどうなの?」言い返したところ、にやにや笑っていました。

 

 

さてそれからは、美味しいお料理に舌づつみを打ちながら、いつもと変わりないおしゃべりが、滞ることなく続き、会は盛り上がる一方でした。

我が家は寡黙な旦那様と娘二人の割と物静かな家庭だったのですが、とても元気で明るいお婿さん達を迎え、一気に活力に満ちた明るい家族へと変貌しました。

そして娘達は幸せな家庭を築き、私は4人の可愛い孫に恵まれました。

その孫達が、その明るさに、二重にも三重にも輪をかけ、私を喜ばせてくれます。

私が最近口癖の、「ママは、もういつ死んでも本望」は、現状の満足感から、自然と生まれる感慨かもしれません。

 

 

 

今、楽観を決して許さない病と闘っている旦那さま。

けれど、いたずらに悲観をする必要もない、と思い、時間はかかるでしょうけれど、全快を信じて止まない私です。

そのYさんは、私より生への執着は強そう。

ですから、最近いつも思うことは、私が代れるものなら代って上げたい、と。

旦那さまには長生きしてほしい、と心から強く、私は願っていますから。

 

さて、いろいろな思いに身を任せて、古希の会の至福の時が流れていきました。

私の視線は、幼い孫達に向けられることが多く、その可愛い仕草に目を細めて、度々見入りました。

 

 

お部屋の窓辺に置かれた優雅な赤ちゃん用ベッドがすっかりお気に入りらしく、三人仲良くその周りを行き来しておふざけして遊んでいます。

もちろんリーダーは、さっちゃん。

紺色の、とても素敵なドレスで装ったさっちゃんは、日ごろのボーイッシュな雰囲気から一変し、実に女の子らしく見えましたが・・・・・・

ママ曰く、逃げ回るさっちゃんを捕まえて懇願し、やっとの思いで着てもらったとのこと。(笑)

かれんちゃんが頭に付けている赤いカチューシャ。

109のお店で、かれんちゃんが気に入ったため、パパが買ってあげたとのことです。

孫娘は、身につけるものさえ、ばぁ~ばを楽しませてくれますね~

 

一方、もう少年を通り越し、思春期の入口に差し掛かったR君。

初孫ゆえ、私の手のかけ様も特別なものがあり、思い出も多いです。

ところが、無愛想で、少々暗めなところは、相変わらず。

男の子を育てたことのない私は、つい心配になりますが、この年代特有のもののようですね~

 

ただ一つ、とても嬉しかったことは、進級できないのでは、と思うくらい心配だった彼の成績が、劇的に改善された、とのパパの報告でした。

それを聞いていた長女が、「それほどでもないわよ~」と、苦笑いして応えていましたけれど。(笑)

祖母としては、成績はともかく・・・・・・

「学ぶ楽しさ」を知って、生き生きと学生生活を過ごして欲しい、と願いますが、私の学生時代を振り返り、言える柄ではありません。(笑)

 

孫達が一人ひとり、それぞれの個性を輝かせ、健やかに成長している事も、70代を迎えた今、改めて噛みしめる喜びです。

 

 

 

さてお料理もデザートとなり、寛いだ楽しい家族会も終わりに近づいてきた頃のこと。

孫のさっちゃんでしたかしら?

いや、K君だったかな~?

感動の余り、その姿が、心に刻まれなかったようです。ごめんなさい。

カードと花束を私に手渡し、

「おばあちゃん、おめでとう!」

と、可愛い声をかけてくれました。

 

更に長女が、、もう一つ大きな花束を差し出して

「おばちゃまからよ」

と言って、渡してくれたのには、ビックリ。

励ましの、とても温かなメッセージまで添えられていました。

 

妹からの花束は、思いがけないことでしたし、最近大変な迷惑をかけている最中でしたから、その心遣いが嬉しくも、心苦しい限りでした。

本当にありがとう。

是非近い内に、ブログ界に、また復帰して下さいね。

 

 

そして、最後に次女が、花束とは別に贈り物を手渡してくれました。

有名なフランスのブランド商品でした。

普通値で購入すると大変高価なものですが、セールで激安価格だったようです。

シンプルで、とても重宝しそうなカーデガンと、小物入れのこれもカジュアルな雰囲気のポーチ。

またまた、本当にありがとう。

死ぬまで大切に愛用させてもらいますね。

 

 贈り物をすべて抱いて記念撮影・・・・・・ありがとう♪

手に持ったカードには、家族一人ひとりの言葉が載せられています。

 

さて、私達夫婦にとり、忘れられない記念すべき和やかで優雅な宴も、いよいよ幕を閉じることに。

家族そろって、エントランスホールへと向かいましたが、私には大きな楽しみが、もう一つありました。

長女家が最近買い換えた新車に初めてお目にかかれること。

出入り口の外に立ち、彼の車がホテルの前に来るのを待ちました。

 

やってきました。

思わず感動の私です。

「こんな美しい車、見たの初めて」と、感嘆の言葉を発してしまった程。

流線形の優雅な姿の車がホテルの前に止まった時は、まさに絵になる光景でした。

車に詳しくない私は、車名は忘れてしまいましたが、次女のお婿さんが言うには

「あの車は、ファミリーカーではなくスポーツタイプで、趣味の域の車ですよ」と。

「そうなの~じゃあ、両親を乗せることは全く考慮してくれてないのね」と言って、私は笑いました。

 

 

長女家族は、その車で先にホテルを後にし、私達はは次女の車で、家路へと就きました。

ホテルを出た時、長女夫婦が結婚式を挙げた丹下健三設計の石造りのカトリック教会が目に入り、また流れ去った幾年月に、私は殊更思いを深めました。

 

 

みんな、本当にありがとう。

夫の手術を、二週間後に控えての無事を祈る壮行会でもあったのですが、予定の明日の手術は延期となりました。

約二カ月にわたる抗がん剤治療が始まります。

未だ夫は、当分長い闘病生活が続く事と思いますが、前向きな気持ちを忘れず、元気に明るく乗り切りたいと、切に願っています

 

そんな折、私の気持ちを支えて下さるかのような、前回の記事へのインポイント数。

1000を超える応援を頂きました。

本当に嬉しく有難く、そのお礼の気持ちは、とても言葉では言い尽くせません。

大きな今後の励みになりました。

本当にありがとうございます。

未熟なブロガーですが、今後とも変わらないお付き合いのほど、宜しくお願い申し上げます。

 

 

追記

 

「微笑みがえし」のブログ主様へ

 

私も妹の夢路も、今回のトラブルの件はもう忘れ、、元気に毎日を過ごしましょう、と言い合っています。

ですから、今、私宛のブログタイトルの文章を拝読し、大変なショックを受けましたが。

簡単に、事実を正直にお伝えさせていただきますね。

 

Mさまが妹宛に書かれたコメントは、公開、非公開、どちらになさろうと、私達が口を挟むことではないと思いましたから、お返事は致しませんでした。

Mさんのご自由になされば良いことだと思っています。

最初に削除した理由ですが、妹にその旨依頼されたからです。

 

しかし、私は妹に頼まれ、一旦、削除した記事を、翌日又載せました。

 削除する或いはされると、その内容が曲げられ一人歩きし、辛い経験を幾度もしてきたからです。

 妹は気が付いていなかったかも知れませんが。

 

けれど、相手と一切関わらない事による、1日も早い沈静化を強く願う妹の気持ちを察して、二度目の削除をまた実行しました。

この文章から、削除を私に頼んだ妹の気持ちは、推し量って頂けます事でしょう。

追記で私が書いた事は事実で、うそ偽りはありません。 

 

きなこ様にお願いがあります。

私は、この度のトラブルの件はもう思い出さないで、心新たにスタートするつもりでいます。

出来れば、そっとしておいて頂けないでしょうか。

宜しくお願い致します。

これ以上のお返事は、今後しかねますので、ご了承下さいませ。

 

追って書かせていただきました内容は、記念すべき今日のお祝い記事には、余りにふさわしくありません。

ですから、追記の部分は、勝手ですが数日後には、削除するつもりでいます。。

 

       

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色々な思いが込められた、至福のひと時 

2014-04-18 07:48:17 | 家族

今日の記事は、10日以上前に書きはじめたものです。

そのため、多少時差の違和感を覚えますが、そのまま続けて綴り、投稿することに致しました。

その点は、何卒ご了承くださいませ。

 

記事の内容から、自己顕示欲が強いとの批判を、また受けそうで、少々心配ですが・・・・・・

私のブログは、家族日記の一面が非常に強いです。

家族の貴重な思い出をブログに残しておきたい、との思いで、それを目的にブログを開設したほどですから。

無論、別の事も綴りますが、専業主婦として生きてきた私の視野は、決して広いとは言えません。

ですから、話題も限られ、おのずとその目的に沿った記事が多くなります

どうか私のブログの趣旨をご理解下さいますよう、お願い申し上げます。

 

さてでは、途中で中断したままだった記事の続きを、またボツボツ書きはじめることに致します。

 

            

 

身に起きた特筆すべき出来事を順番通りに書くのでしたら、大怪我を負った記事を先に綴るところですが。

今日は順不同で、感動が冷めないうちに、先日開かれた、私の古希のお祝い会について、語りたいと思います。

怪我を負った胸の痛みを我慢しての、お出かけでした。

怪我の名称は、次回までのお楽しみにさせて下さいね。

診断を受けた時には、目の玉が飛び出るほど驚きましたが、案ずるほどの事もなく、痛みを我慢すれば、普通に暮らせます。

ですから、翌日の家族会には、むろん予定通り出かけることができました。

 

古希の会の席で家族から贈られた花束

 

70歳になっても、お洒落心は、まだまだ健在の私です。

本当~???(笑)

数日前から、古希の会にふさわしい洋服をいろいろ見つくろい、コーディネートして、一着に決定しました。

けれど、何せ最近、スーツは全く買っていません。

カジュアル系のリラックスな服ばかりです。

仕方ないので、十数年前に購入した服を選びましたが、腰回りがタイトなのが、少々気になります。

けれど、この程度なら許容範囲と思い、その服で装うことにしました。

 

一方、夫は、迷うほど衣類をたくさん持っているわけではありません。

ですから、決めるのは簡単でしたが、着用する時に一手間の工夫が必要です。

ストマー(人工肛門)と体腔内に溜まった液を排出するドレーン、その先に付いたボトルを隠そうとすると、ベルトが簡単には締まりません。

ワイシャツもズボンの下には入らず、オープンシャツとして纏うしかありませんでした。

もともとがに股の旦那さま。

その歩行姿は、益々格好悪くなり、少々気になりますが、止むを得ません。(笑)

一緒に元気に参加してくれるだけで、本当に嬉しく有難いことでした。

 

妹・夢路まで、お花を届けてくれ、娘が手渡してくれました。

思いがけない事でしたので、温かな励ましのメッセージと共に感激してしまいました。

本当にありがとう♪

 

次女夫婦が、お昼前に迎えに来てくれました。

九州への家族旅行を楽しみ、前日帰宅したばかりでしたのに、その疲れを押しての家族会への参加。

その翌日は、K君の野球練習のお手伝いがあります。

そして週明けは、また出勤。

その暮らしの活力が、私にはとても眩しく感じられ、若さを羨ましく思いました。

 

一方、私はついに70歳に突入です。

この年齢を古希と呼ぶ由来を、旦那さまが教えてくれました。

昔の寿命はせいぜい50代までで、70歳まで生きるのは、古来より稀な事といった意味なのだそうです。

今では、男性の平均寿命は79.94歳、女性は、86.41歳です。

隔世の感がありますね~

 

 

 

いよいよホテルでの、家族揃っての会食です。

ホテルは、目白の某ホテルで、実は長女夫婦が結婚式を挙げたところなんです。

その当時は外資系ホテルでしたが、去年、その外資との提携を解消し、日本企業運営のホテルに変わっていました。

 

ホテルに入るなり、懐かしさがこみ上げてきましたが、結婚式当日は、緊張感の中、夢中で過ごしただけの私です。

豪華なホテルとの印象くらいしか、覚えがありませんでしたが・・・・・・

今回は、優雅なホテルに身を置き、しみじみとした感慨に浸り、流れ去った歳月を思いました。

 

貴重な思い出は、何もかもその当時のままであってほしい、と願うものなのでしょう。

外資系が、日本経営に変わっただけで、なんだか一抹の寂しさを覚えましたが、広大なお庭の佇まいは、おそらく当時のまま、と思いたいです。

 

 

その庭園を、お食事の前に、家族揃ってお散歩です。

さて、このような場で、いつも私が思うことは、我が家に一人くらいカメラ撮影が趣味で、腕のいい人がいれば良いのに、という事。

そうすれば、私はその人に撮影は任せて、のんびり過ごせるでしょうに。

残念ながら、我が家には、そのような人はいません。

 

ですから、私が拙い腕ながら、ブロガー精神を奮い立たせて、カメラ撮影をいつも頑張ります。

けれど、家族が揃った場では、妻、母親、祖母の三役で、それなりに回りに気配りをします。

ですから、撮影に集中することは、到底無理。

今回も、思い出に残る素敵な写真を残したいところでしたが、いずれも駄作ばかりで、なんだかちょっと悲しい心境ですが。

随時、今まで同様に、拙い写真ばかりご紹介していきます。

 

 

 

ワインで乾杯する前に、長女が、

「ママの古希のお祝いとパパの手術の無事回復を祈って」

と温かな一言を、心を込めて添えてくれました。

お料理はイタリアンのフルコースでしたが・・・・・・

 

 

実は、ここまで書いて、10日間程、中断したままでした。

悲しい事に、至福のひと時だった当時の事が、老化現象のせいもあってか、生き生きと蘇ってこない。

キーを打つ手に勢いが出ません。

 

今日は取り敢えず、ここまでにして、この続きは、もう少し思い出を鮮明に蘇らせる努力をした上で、次回に綴らせて頂きます。

 

      

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続 今の私の思い

2014-04-14 08:50:37 | ブログ2(1)

 

私を攻撃する事だけを目的に開設された「愚か者の虚言」というブログが、一時期ありました。

私はその当時、大変悩み、辛い思いで明け暮れたものです。

 

家族からは、

「相手の人達からどんな中傷を受けても、気にしてはいけない。徹底して無視を通すように」

と度々注意を受けました。

「どうして相手の言葉に応えるの?そんなママの姿を見るのは悲しい」

と涙ながらに、娘から意見されたこともありました。

 

画像はすべて昨日撮った、我が家の庭の様子です。

辛い心も、可憐な花たちに語りかけることで、随分癒されました。

 

家族には心配をかけたくない気持は、当然のようにあり・・・・・

その後は、相手のブログ上に私の中傷が載っても、無関心を装い、家族達の忠告を守るように、必死で努めてきたつもりです。

それが良識ある大人の態度、との自覚も、私には十分ありました。

私との対話を先方が強く望んでも、応えないよう努力している様子が、今回貼り付けさせていただいた過去記事の途中にも綴られています。

 

Mさんのブログではその頃、一カ月以上にわたり、更新するたびに、私の中傷記事が載りました。

(先程、数記事読み直しました。けれど、余りに事実と異なる文章を目にし、気分が悪くなり、それ以上読む気には、とてもなれませんでした。)

Mさんのみならず、KさんNさんのブログも、同様の有様でした。

今回の中傷より、はるかに厳しいものだった、との記憶があります。

でも私は、ほとんどノーコメントを通しています。

確か、Nさんのコメント欄には、1~2度、私の反論を載せた覚えがあります。

 

 

 

 

その時から、すでに八カ月が過ぎ、曲がりなりにも穏やかなブログライフを過ごせていました。

Kさんのブログでは、相変わらず私を批判する言葉を、再々見かけました。

Kさんが新しいブログを開設された際は、Mさんのブログで、HNをクリックして、偶然出合えたにすぎません。

 

それにもかかわらず、八か月も経過して、何故、Mさんのブログにコメントを入れてしまったのか。

愚か者の虚言のブログを立ち上げ、Kさんとは一心同体のような行動を取ってこられた方のところに。

それさえしなければ、今回のようなトラブルは発生しなかったでしょう。

 

先方の方々の直後の反応から、すぐ自分の軽率で愚かな行為を悔やみ続けました。

今更後悔しても、後の祭りですが、いくら悔やんでも悔やみきれません。

 

 

そのコメントの内容は、Kさんのブログをお訪ねする理由を述べたに過ぎないものでした。

「他意など全くなく、美しい画像と端正な文章に惹かれての事です。Kさんにそのようにお伝え下さい」といったような内容です。

多少怖いもの見たさもあったかもしれません。

けれど、私への批判の言葉は、またか、と思う程度で、ストレスには、もうほとんどなっていませんでした。

相手の方を批判する言葉等、一切、私は、そのコメントに書いていません。

悪意など、まるでなかったとはいえ、私のこの言動が、油に火を注ぐ事になってしまったのは事実です。

 

その結果、事が思わぬ方向へと発展していきました。

私には、到底理解できないような行為で、相手側は対応されたのです。

その記事はすぐ削除されました。

そして、私がひどいコメントを書いたのが今回のトラブル原因と言われ、

過去のことまで余りに事実と違う表現で取り沙汰され、私への批判と中傷が、特にコメント欄において、また仕切りに繰り返えされるようになりました。

 

 

 

こんなつもりではなかった、とコメントしたことをどんなに後悔したかわかりません。

誠意をもって、きちんと説明をすれば理解をしてもらえると思ったのが大間違いでした。

他人とのトラブル経験等ほとんどなく、平穏な人生を過ごしてきた私の、人を見る目の甘さ不確かさなのでしょう。

先方の方々は、最初から、私と話し合おうとか、理解し合おうといった気持は微塵もないことは、これまでの経緯から、重々承知のはずでしたのに。

  

私が愛読しているブログのコメント欄にも、最近KさんやMさんのコメントが載っていました。

数日間ご無沙汰していたのですが、ある方のブログ名紹介で不穏なものを感じすぐ訪ねました。

私のせいで、穏やかなブログ(夢逢い人様のブログです)が荒れていて、申し訳なく心苦しい限りです。

いつもは10時前に床に就く私が、なぜか夜更かしし、真夜中にその方のコメント欄を目にしました。

心身ともに飽和状態に近いほど疲れ切っていましたので、冷静ではいられなかったのでしょう。

そこに書かれた、Kさんの余りに真実と異なる感情的な言葉に、体が震えるほどの憤りを感じました。

中傷コメントを入れたみゆきという方が、IPアドレスで私と確認されている、と平然と又も言い放たれ・・・・・・

 

こんなウソが許されるのでしょうか???

いくら否定しても、KさんMさんは、この非難を私に幾度も浴びせ、ここ数年間に及ぶ私の精神的苦痛は、相当なものでした。

 

 

しかし、このような事は、今に始まったことではありません。

お相手の虚言に、私はどんなに苦しめられてきたかわかりません。

それが度を超すと、私の堪忍袋の尾は切れて、コメントせざるをえない心理状態になりました。

 

一方、とても丁寧な言葉で意見して下さる方もいらっしゃいました。

そのような方々の意見は、おおむね同じ内容でした。

自分のブログのコメント欄を閉じたままで、相手のブログにコメントを入れるのはフェアーではないと言うものです。

この言葉は、今後肝に銘じてブログライフを送りたい、と思っています。

 

 

心苦しい弁解になりますが、このご意見に対する私の思いを、最後に語らせていただきますね。

紹介した過去記事にも載せていますが、私との対話を、潜在的に強く望んでおられたのは、Mさんです。

今回のトラブルでも、私がその場を離れる少し前に、私に質問状を突きつけ、回答を迫り、とことん戦い続ける意志を明確にされています。

「相手がSOSをその内出してくるだろうから、その時、又対応を考えましょう」とか、

「私はとっくに勝っている」、とのMさんの言葉に、私は彼女の戦闘的な執念を感じ、ぞっとしました。

 

再度見苦しい弁解になりますが、トラブルの発端が、自分のブログにあったとも、私は思っていません。

今回の発端となった私のコメントも、誠実に綴り、相手への批判、意見など一切述べていませんでした。

それをトラブルへと変貌させたのは先方の方々です。

無論、その方々の中傷に耐えられず、時に反論する私にも、責任の一端はありますが。

 

 

彼女達は、以前にも言われたように、私を批判することは、大変意義深いこととの認識でいらっしゃるのでしょう。

(私が載せた過去記事に、この言葉が載っています)

私は違います。

取るに足らない、余りにくだらない事ですから、ブログ上でこの件を綴るような事は出来るだけしたくありませんでした。

私がトラブルを起こしたわけではないので、私のブログが関わる必要性はほとんどない、と思いました。

自分のブログがトラブルを発生する原因を作った、との認識があれば、コメント欄は設定しなくても、自分のブログ上で意見を述べることはしたでしょう。

 

Kさんの原発記事にたいして、広島の被爆者としての私の思いと疑問点を綴ったコメント。

今回の私の最初のコメント。

それがトラブルの原因と、先方は言われますが、私には到底納得がいきません。

原発記事への私のコメントは、貼り付けた過去記事に載っていますので、宜しければご覧下さい。

両方とも、私には、単なる言いがかりに思えてなりません。

 

原発記事へのKさん宛の私のコメント。

その程度のことで、なぜそんなに憤られたのか、その当時、私は全く理解できませんでしたが・・・・

翌日お詫びの言葉を、私は入れました。

それでも相変わらず、私の中傷がブログを更新するたびに続き、ブログ上でも、お詫びをしています。

下記の言葉です。

 

2013年1月30日の記事です。

私は他意など全くなく、疑問を素直な気持ちで問いかけさせていただいただけだったのですが、お相手の方の逆鱗に触れ、今はとても反省しています。

翌日、シークレットの制度を利用して、お詫びもさせていただいたのですが・・・・・・・

今後、コメントの書き方には、細心の注意を払うように心がけたい、と思います。

ブログ村の皆様と共に今後も、気楽に楽しいブログ綴りが何時までも続けられますよう願って止みません。

 

それにもかかわらず、「愚か者の戯言」という私のみを攻撃するブログが、立ち上げられてしまったのです。

 

 清楚な白のチューリップを植えたつもりでしたのに、お化けチューリップが現れました。

 

実は、このコメントを載せる1年前に、私のブログ記事を彼女は批判されています。

「丁寧な言葉だけれど、差別用語を使用していてがっかりした」

というものでした。

私は誤解が悲しくて、弁解をさせていただきましたが、怒りの感情などみじんも沸きませんでした。

もし逆に、私がこの言葉を彼女に向けていたなら、どうなっていたことでしょう?

Kさんは、自分が最初に批判したことには、一切触れられませんが、このような経緯を辿り、いまだに私への非難が続いています

 

私には計り知れない、もっと根の深い嫌悪感情が私に対しておありなのでしょう。

それが理由で、延々と数年間にわたり、私への批判と中傷が続いたとの認識で、私はいます。

 

私は、事実と異なることを言われ中傷されると、性格的に、義憤を抑えられなくなってしまいます。

そのため、時にそれを否定し反論するために、コメントを相手側のコメント欄に入れさせていただきました

それが一部の方々から、強く批判されています。

そして、私がその方のブログを汚したとまで。

 

 

本当にそうでしょうか?

私には、今のところ、その判断が正しいか間違っているのか、良くわかりません。

ネット専門の相談機関にでも、いつか尋ねてみたいほどです。

 

私は先程も述べましたように、私のブログ上で、相手を批判し、トラブルのきっかけを作ったとの認識はありませんから、コメント欄を空けてまで対応する必要が何故あるのか分かりません。

私のブログ上の記事では、「姉妹」の記事が批判されていますが、読んで頂けば分かるように、とても明るい内容で、姉妹の性格の対比を述べたまでにすぎません。

妹も半ば冗談で話したことです。

恐らく、最近のそのブログ記事が、あなた達のことを取り上げた唯一の短い文章かと思いますが、この程度のことが読み流せないのでしょうか。

そんな貴女を見るにつけ、

「私達姉妹には異常に厳しく、自分には殊更甘い」

ご性格を見る思いがします。

 

 

 

私は「貴女が愛した命が消え 虹の橋を渡ってしまった日・・・・・・」の言葉に、どんなに傷ついた事でしょう。

タイトルは「貴女に」でしたね。

入退院を繰り返す夫を介護する身です。

体力がなかなかつかない夫に、なりふり構わず、栄養価の高い三度の食事を作ることに私は専念してきました。

そんな私に向けて吐かれた、心ない言葉。

私は驚き、傷つき、貴女の想像力のなさに、愕然としました。

(今日の、追記です。愛犬がなくなられたことには、その時点では全く触れておられませんでした)

 

しかし、私はそんな言葉を取り上げ、いちいちあなた達を批判するような事はしませんでした。

何を言っても虚しいだけ、との思いがあるからです。

 

私が止むを得ずコメントを入れてまで反論したのは、事実と余りに異なる偽りの表現で中傷を受けた時のみです。

 

けれど、虹の橋の言葉に憤った人の気持ちは、涙が出るほど有難く、胸熱くなる思いがしました。

私の心痛を察して余りあるものを感じて下さったのでしょう。

本当にありがとうございます。

 

 

今回のトラブルにおいて、タイトル「姉妹」が、私があなた達を話題として取り上げた唯一の記事と言いましたが、これまでのトラブルも同様です。

私への批判は、先方の方々のブログにおいてで、一方的でした。

 

先程も言いましたように、時に反論コメントを入れさせていただいたのは、あくまで事実と異なることを述べ、私を中傷された時のみです。

嘘偽りを許さない義憤から、その反論が出来たからこそ、どんなに辛いことを言われても、私は自らの精神の均衡を保つことができた、と思っています。

しかし反論すると、口汚い中傷を、私は嫌っというほど浴びせられました。

そしてブログ主さんは、それを止めることなく、一人一人に感謝の言葉を述べ、喜んでおられる様子でした。

そして、あなたを擁護するコメントがほとんどない、と得意げに書かれていました。

 

それでも、私がブログを汚したことになるのでしょうか。

私は自分のブログでは、あなた達の誹謗中傷は一切していないし、問題提起したこともありません。

それでも、コメント欄を開けて、私は、対応しなければならないのでしょうか。

とても私には、納得できません。

 

 

 

最後に、kさんのブログをお訪ねしたことについて。

この件でも、強く非難されています。

「アクセク解析を付ける理由」といったタイトルでしたでしょうか。

その記事を書かれた時のみ、最近ではお訪ねしましたが、その前後、私はもう数カ月、彼女のブログは訪問していません。

 

私が何を間違ったか、一時期投資には励んだ時のことです。

大きな損失を被り、これ以上続けることの愚かさに気が付き、トレードを中止することにしました。

そのころ、ブログではありませんが、投資関連で、「私の部屋」を持っていました。

その部屋で、辞めるにあたり、これまでの苦労を述懐する記事を綴りました。

数年間の自力のトレードによる損失額も計算し、その記事で公表しました。

私の経験談が、多少でもお役に立てば、との思いからです。

 

 

ところが、その部屋に「ごめんあそばせ」と言って、ある方が訪ねてきました。

最初は当たり障りのない文章でしたが、来る度に言葉が激しくなり、「恥知らず」といった罵詈雑言で埋め尽くされるようになったのです。

私はそれをみて、即座にその部屋についていた拒否設定機能を起動させました。

ゆえにその後はその方によるストレスを抱えることは、二度とありませんでした。

 

私は原発の記事以外、Kさんのブログにコメントを入れた事は一度もありません。

それでも、私の訪問がストレスなら、拒否設定をなされば、すぐ解決が付くことです。

それもなさらないで、ご本人がおっしゃっていたように目の疲れる大変な作業にもかかわらず、アクセク解析で、いちいち私の訪問をチェックする行為を止めようとなさらない貴女。

そして、自分で自分にストレスを課しておられるだけの貴女。

ですのに、私の迷惑行為と、Mさんと口を揃えて酷く非難される意味が、私には到底理解できません。

 

この記事を書くにあたって、久しぶりにMさんのブログを読ませて頂いたところ、相変わらずこの事で、私を非難しておられましたので、私の反論を綴らせていただきました。

 

 

前回、私への激しい批判と中傷が同様の三名の方々で続いた時、ひたすら沈黙を守り、最後に私のブログ上で総括的な弁論をしています。

ですから、今回も同様に、最後に自分のブログ上で、私の思いを心行くまで語らせていただきました。

前回は、ほとんど反論しませんでしたが、今回はコメントしたことのみが悔やまれます。

でも、他でもストレスを抱える身の私。

嘘はきっぱり否定し、ストレスを発散することで、心のバランスを保つ必要があったのでしょう。

 

「コメント欄を設けない限り、相手側から如何に批判されようと、その方のコメント欄で反論するのは、ネットマナーに違反する。

自分のブログのコメント欄を開けて対応すべきである」

とのご意見は、私は未だに消化不良気味です。

 

 

 

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今の私の思い

2014-04-09 05:59:10 | ブログ2(1)

最後に追記したことがあります。

宜しければ、お読みください。

 

この度は、妹夢路がブログを辞めることとなり、私は、返す返す残念でなりません。

私に大いに責任があることゆえ、心痛は、言葉で言い尽くせないほどです。

昨日、その報告があった時、私は夫の介護中で、手が離せず、心行くまで話し合う時間が持てませんでした。

思いとどまらせる前に、その報告の投稿をしてしまった妹。

妹が、言いました。

「一見、私の方が強く見えるけれど、お姉さまの方が本当は強い」と。

「私はもうとても我慢できない、云々・・・・・・」

 

お相手が、この度、妹夢路のコメント欄に書かれたコメントを読んで、私は呆れるばかりでした。

>私だったらもう二度と訪問しない、なんて、あんなこと絶対書かないわよ~

ネット社会のことだから、誰が訪ねてもかまわないんじゃない。

私なら、今後も、訪問させていただきます、で終わりにするわ。」

の件にて、お知らせする事柄があります。

このような文が、Mさんのコメントの冒頭にありました。

 

私は、妹の自分との性格の対比が面白くて、ブログ上で明るく述べ、紹介したまでにすぎません。

妹も、笑いながら、軽く語ったにすぎません。

 

ネット上の文章は、基本的にだれが閲覧しても自由です。

見られるのが嫌なら、拒否設定にすれば良いだけ。

このことが、どうして理解できないのでしょうか。

 

信じられない様な脅しめいた言葉が、いろいろと綴られていましたが、気の済むようになさってください。

妹は、コメントの内容に恐れをなしたのではなく、そのような言葉を平気で言い放ち、私達姉妹を憎むお相手の執念が恐ろしくなった、と言っていました。

 

私は、数年にわたり、お相手のグループの方々から、誹謗中傷の言葉を浴びせ続けられてきた、との強い思いがあります。

私が相手のコメント欄に、時に投稿させていただいたのは、余りに事実と異なることを書かれ、忍耐の限界を超えた時だけです。

弁解は見苦しいと思いつつ、お相手の口汚い言葉に耐えられませんでした。

 

私は最近は、Kさんのブログのみならず、Mさんのブログも全く見ていません。

妹の件もあり、昨日ちらっと覗かせて頂きましたが、今後も見るつもりは全くありません。

 

いかように相手が出られようとも、それは自由です。

私達は、それに怯む者ではありません。

私は、今後も淡々とブログ綴りをしていく所存でおります。

 

Aちゃん、本当にごめんなさい。

気持ちの整理が出来たら、また必ずブログを再開して下さいね。

 

次回投稿する時は、家族が祝ってくれた古希の会について綴る予定でしたが、急きょ変更しました。

今後とも、宜しくお願い致します。

 

追記

Mさんのブログ上で、私に口調がそっくりの方が、再三、投稿を続けておられるようです。

妹から、

「凛さんは、まさかお姉さまじゃないでしょうね?

もしそうなら、なぜ、正々堂々とかれん桜と名乗らないの。」

とのメールが入り、仰天しました。

 

昨日は、午前中から出かけ、病院では2時間近く待たされ、17時から夫は診察を受けました。

帰宅したのは17時過ぎです。

珍しく、中華レストランで外食中に、そのメールに気が付きました。

妹さえ見間違うほど、私にそっくりの口調のようですね~

 

「なりすまし」と、言っている方がおられるようですが、私では決してありません。

 

脅迫的なコメントについて、妹から連絡があり、さすがに気になり、一昨日久しぶりに、Mさんのブログを訪ねました。

コメント欄を開いた途端、とても気分が悪くなり、読む間もなく、すぐ閉じてしまいました。

の時、凛と言う方が目に留まりましたが、ほとんど読みませんでしたので、どんな立場の方かも、私は知らないままです。

無論彼女のお人柄も理解できていません。

 

今後も、Mさんのブログを二度と見るつもりはありません。

凛さんが、私でないことだけは、一言お伝えしておきます。

 

 

 

 


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多忙ながら充実した、60代最後の日々

2014-04-03 07:59:00 | 暮らし

ここ一週間、やり遂げたいことが色々あり、何とか順調にこなす事ができました。

旦那さまの先週の定期的な受診を皮切りに、翌日も、翌々日も・・・・・・

と、私にしてはお出かけ日が多く、60代最後の幾日かを、充実した暮らしに終始し、喜んでいます。

 

事あるお出かけ毎に、60代最後の病院、60代最後のデパートへのショッピング・・・・・・

との思いが沸いて、例年のお誕生日前とは大分異なりました。

特別な感慨を感じてしまうのは、古希と言う年齢の節目を迎えるからでしょうか。

 

50歳、60歳、とこれまでも同様の節目はあったわけですが、70歳はさすがに、心にずっしりと重く響いてくるものがあります。

余生があと何年かしら、と指折り数えてみたりして・・・・・・

両方の指の数ほど生きられれば、もう十分、との思いもありますけれど。

若い頃からの一貫した目標だった自分磨きに努め、日々成長し続けることができるよう、今後も心がけたいと思います。

 

 

多忙なここ一週間の暮らしの内容を、簡単にご紹介しますね。

夫の診察の結果は、前に記事で触れましたので、省略し、その翌日からのことです。

デパートに、60代最後のお買い物に出かけました。

消費税アップを気にしてのことでもありましたが。

購入したものは、化粧品数品と、孫のさっちゃんのお誕生日プレゼント。

 

 

 

そして、新興国支援のお仕事に長年従事し頑張ってこられた親友、Kさんのご退職祝いです。

お祝い品、二点は、大きな包装になり、配送をお願いしました。

翌々日に宅急便で届くことになっていたのですが・・・・・・

何とその日に、背広を着た中年の外交員らしき紳士が、わざわざ足を運んで届けて下さったのには、ビックリ!

 

その理由は、配送が極端に遅れているためのようでした。

消費税アップで、需要が予想以上に増え、物流に支障をきたしているとのこと。

そのために、デパートの職員さんが、直接お届け下さったのです。

50代のころは、デパートの外交員が、たまに出入りする多少贅沢な暮しを夫のお陰でさせてもらった時代もありました。

けれども、今は年金暮らしの身。

慎ましい生活で、縁のないことです。

ですから立派な紳士から荷物を手渡された時は、恐縮の至りで、そのご親切な行為に感激してしまいました。

 

 

お出かけの翌日は、さすがに疲れ、1日休憩日を挟み、その次の日は、60代最後の美容院。

十数年ぶりにパーマをかけました。

最近、髪を自分流でセットしても、長持ちせず、ヘアケヤに苦労することが多くなっていたからです。

その美容院で、かなりショックな事を言われました。

担当の方ではなく、若い美容師さんからでしたが。

久しぶりに、お話しさせていただいた時、彼曰く。

「~さんって、髪がとても多い、との印象だったのですけれどね~

そのころに比べると、髪が少し減ったような感じがするな~

そうでもないかな~

髪の質が変わって、以前より細くなったのかもしれませんね~」

 

ガァ~ン!

私には、とてもショックな言葉でした。

70歳を迎えるので、当然のことかもしれませんが、髪にも急激な老化現象が現れ始めてきたのでしょうか。

一層、髪のケアに努めなければ、と思った次第です。

 

 

そしてその翌日は、一週間の献立を立て、消費税アップをこれも意識し、60代最後の食材の買い出し。

一万数千円買い込み、何とか冷蔵庫その他の収納庫に収めました。

鮮魚、生肉の一部は、私はニチロの配送商品、キャプテンフッズを時々利用していますので、その注文もしました。

 

そして1昨日の火曜日のこと。

正に60代のフィナーレに、これ以上ふさわしい行事はないと思えるほどのイベントに恵まれました。

今週の週末に、家族がお祝いをしてくれることにもなっていますが。

御近所の仲良しさんと連れだって、三名で、お花見に出かけたのです。

 

 

場所は目黒川の川沿いの桜並木です。

素晴らしかった!幸せだった!の二言に、月並みですが尽きるかしら。

正に満開で、優美な姿が青空に映え、その華やかで優しい桜色に、私の身も心も染まってしまうかのようでした。

 

何時か、次女家族の車で、長女宅から家に戻る際の話だったと思います。

私が、

「お花見に今年の春は出かけない」

といったところ、旦那さまが何とも素っ気ない返答。

「お花見なんて、ただ桜の下で飲み食いするだけだよ」と。

 

 

確かにそういった慣習が、日本にはあるけれど、今回のお花見は趣を異にし、川沿いを数時間かけてそぞろ歩きしただけです。

心から信頼できる友人達と、感動を共有し、楽しい語らいのうちに過ぎたお花見のひと時。

期待以上の幸福感を味わえ、桜を堪能することができました。

 

ランチを頂いたオーガニックのレストラン

 

河岸に添って歩みを進めるにつれ、変化する桜の光景にシャッターを押し続けた私でしたが・・・・・

私の拙い技術では、とても、その美しさを伝えることが出来ていません。

その途中で、三人そろっての記念写真を、と願い、通りがかりの青年に撮影を依頼しました。

カメラがご趣味では、との印象を受けましたから。

 

これが大当たり。

撮影していただいた後、カメラを見ると、設定がAVになっていました。

さらにその後、また自分で撮影しようと思ったところ、シャッターが下りてくれません。

良く見ると、手動に切り替えられていたのですね~

いつも、Pの設定で写真を撮る私には、結構な驚きでした。

AVで手動設定。

何故、そのようにされたのか、私にはチンプンカンプンです。

 

 

撮影の理論をしっかり勉強して、もっときれいな画像をブログに載せられたならば、ご訪問下さる皆様にも喜んで頂けるのでしょうけれど。

70代の目標に、写真撮影の上達を入れたいところですが、機器音痴の私には、到底無理な事。

 

写真はともかく、60代の最後に相応しいイベントを楽しめ、本当に幸せでした。

我が家の最寄駅に戻り、喫茶店で、ケーキにローソクを灯し、ハピーバースデーの歌でお祝いまでしてもらった私。

感激!ご近所にも、素敵な友人に恵まれ、自分は果報者だと、胸が熱くなりました。

これからは、毎年一緒にお花見に行きかしょうね、と約束した私達です。

 

 

 

こんな素晴らしい想い出で、60代の最後を飾れ、大満足の私でしたのに、昨日、私は、何と大怪我をしました。

レントゲン、CTによる検査を受け、60代最後の日の半日を、病院で過ごす羽目に。

それも、あとで落ち着いて受け止めれば、厄払いだったようにも。

70代のスタート前に、必要な出来事だったのでしょう。。

これも、良しです。

多少未練のある60代とは潔く別れ、元気に70代に突入です。

大怪我の件については、またいつか、詳しくお話しさせていただきますね。 

                   

70代の記念に、ブログのタイトルを、今から今日に変更しました。

今日を、一番素敵と思い、日々心を新たにして過ごしてまいります。                            

今後とも、宜しくお願い致します。 

もし宜しければお読みください。

気丈に暮らしておりますが、さすがに昨日は少々ショックを受けました。

皆さまに知れ渡ってしまった以上

事実がすべてを語るとの思いから、止むを得ず、下記の記事を添付させていただきます。

多少でも、私の辛さをご理解頂ければ、幸いです。

http://blog.goo.ne.jp/karensakura/m/201308  

 

ブログ名を公表されたブロガーさんを批判するつもりではありません。

 記事から滲み出るお人柄は、信頼に値する方、と思っています。

誤解のなきようにお願い致します。

                  

       

お立ち寄りくださいまして、有難うございました。 

 

 


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