今日が一番素敵

丁寧な暮らしを心がけながら、日々、折々のの心模様を素直に語ります。
今が一番素敵との思いを込めて。

ちょっと一服の記事~クリスマスローズ

2019-03-31 07:40:22 | ちょっと一服の記事

今日から、「ちょっと一服」といった短い記事も、時々載せることにいたします。

日中、その日の日課が思いのほか早く終わり、ちょっと一服しながら書いた簡単な記事といった意味です。

 

だらだら長い文章を書くより、私にとっては、はるかに難しい。

凝縮した言葉と行間に雰囲気を持たせないといけない。

そんな気がしてならないからです。

 

私には、そのような詩的センスなんてまるでありません。

ですから画像のみに近い記事になると思いますが、お愉しみ頂ければ幸いです。

 

 

庭のクリスマスローズが、今年も何とか花をつけてくれました。

去年の秋、思い切って汚れた古葉をたくさん剪定しました。

そのため、すっかりうら寂しい姿となり、その後も新しい葉がなかなか茂ってくれませんでした。

 

 

園芸知識の浅い私は、もう駄目にになってしまったと思い・・・・・・。

一時は抜いて新しい苗を購入する寸前まで行きましたが、思いとどまってよかった。

この花の逞しさ、健気さに改めて、今心打たれています。

うつむき加減で慎ましい花姿ながら、芯の強さが感じられてくる花です。

いつも、この花を見ると、心励まされる思いがして、愛しさが募ります。

 

 

来年は新しい葉がいっぱい茂り、たくさんの花を、元気に咲かせてくれるでしょう。

今から楽しみにしています。

 

寄せ植え。
手前のうさこちゃん、最近購入しました。

 

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高齢のご夫婦からお招きを受けて

2019-03-30 06:55:56 | 暮らし

Kさんのお誘いで展覧会に出かけ、帰宅した夕暮れ時のこと。

電話が鳴り、受話器を取りました。

柔らかな優しいお声が耳に響きます。

十字路を挟んで斜め向かいにお住いの、ご高齢の奥様Kさんからでした。

「明日、昼食にお招きしたい」とおっしゃるのです。

余りに思いがけないこと。

 

最近は、悲喜こもごも、いろいろな出来事があり、心身ともに、少々疲労気味。

ですから、これ以上続けての外出には、体力的に無理なところがありました。。

正直なところ、お断りしたかったのですが、そんな無碍なお返事は、ご高齢な方には向かってはとてもできません。

ご主人様は90歳、奥様は89歳になられるご夫婦です。

 

弔問下さったとき頂いた、奥様手作りの千代紙細工

奥様の温かな優しいお人柄そのものといった感じがします。

 

二週間ほど前でしたでしょうか。

ご主人様が入退院を繰り返しておられるとのお噂を、整骨院の先生から耳にしました。

この整骨院に通うようになったのは、実はこの奥様のお陰です。

 

Kさまとは、ブロックが違うため、ご挨拶程度で、親しいお付き合いはほとんどありませんでしたが。

主人が亡くなった時には、ご弔問下さいました。

 

そして、一昨年のお盆過ぎのこと。

バス停で偶然お目にかかり、お話しする機会に、また恵まれました。

 

私は歩行が困難な状態で、やっとの思いで整形外科に向かうところでした。

いくら通院しても、快方に向かわず、焦りを感じていました。

そのような状況の時、奥様が、自分が通っておられる整骨院を、心からお奨めくださったのです。

それが私の救いとなり、足の痛みは、その後みるみる快方に向かいました。

ですから奥様Kさんは私にとっては、正に恩人のようなお方です。

 

今回お訪ねした時、頂いたものです

 

その感謝の気持ちも込めて、数週間前、お玄関先まで、ご主人様のお見舞いに伺いました。

ピンクのチューリップ三本と鶴屋吉信の葛湯の詰め合わせを持って。

その時、ご主人様が、

「ぜひ遊びに来てください」

と幾度も大変な熱を込めておっしゃってくださいました。

 

「とんでもない。主人が一緒ならともかく、かくしゃくとなさったご主人様の話し相手に、一介の主婦にすぎない私がなろうはずがありません」

そんな気持ちがして、その時は固辞いたしました。

 

ところがこの度のお電話で、私はお断りができなくなってしまったのです。

翌日の11時のお約束でしたが、伺う前は、とてもとても緊張しました。

急なことでしたから、手土産の用意もできず、仕方なく、手元にあった桜の模様の和紙のお懐紙をもっていくことに。

 

このお懐紙です。

 

そして、いよいよその時が訪れました。

この続きは明日に回します。

 

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大切な友は私の人生の宝物

2019-03-28 06:37:04 | 

3月15日のこと。

大親友、Kさんのお招きで、隣町で開催された水彩画の展覧会に出かけました。

今日は、その事、他、徒然なる思いを綴ります。

 

お迎えに来てくださったKさんの車で会場に向かった私達。

その前に、展示場に隣接したおしゃれなレストランで昼食を摂ることに。

 

まるで姉妹のように、身内のように、包み隠さず何でも語り合える私達です。

4歳年下のKさんですが、社会経験が豊富な彼女。

私には年上に感じられてしまいます。

 

5~6年前までは、お得意の英語を駆使して、国際的な仕事に携わっておられました。

大学で英語による講義をなさったこともおありです。

ご主人は、大企業の副社長までなさった方ですのに、専業主婦には甘んじず、自己実現のためにキャリアウーマンの道を歩まれた彼女。

退職後も、留学生のお世話など、多方面でボランティア活動をなさっています。

 

 

打って変わり、私は専業主婦の典型のような暮らし。

ですのに、Kさんとは、何を話しても意気投合、心から理解し合えます。

 

夫の赴任で、ロスアンゼルスに於ける慣れない海外生活を始めて間もなくのことでした。

彼女から、はじめて声をかけていただいたのは。

そして、ほぼ5年間毎日交代で、子供たちの日本人学校の送り迎えを夕暮れ時にしました。

子供たちをわが子のように可愛がって下さったKさんご夫婦です。

それはそれは言葉で言い尽くせないほどお世話になりました。

 

Kさんの作品の前で

 

その後、彼女は、私より海外在住が長かったため、親密な交流ができない時期もありましたが。

その間にも、アメリカで人気の高い雑誌を購読契約してまで一年間、毎月送って下さったり、素敵な贈り物を度々届けてくださったり、と。

どこまでも、どこまでも優しい彼女。

 

一方、私は彼女の親切に十分応えてきたとは、とても言えません。

反省しきりです。

そんな私ながら、私を心から信頼し、長きにわたるお付き合いを続けてくださっています。

  

これまでにも、ブログ上で何度かご紹介してきたKさんですが。

新しい読者の方々のために、との思いから、また同じことを書かせていただきました。

彼女は、私の人生の宝物、と言っても過言ではありません。

 

他にも、私は似た思いを抱く、尊敬し敬愛してやまない友人が幾人かいます。

最近お引越しされたご近所のFさんもそうです。

折あるごとに、他の友人も、もっと詳しくご紹介させていただきますね。

 

海外旅行先の観光スポットを描いた彼女の作品です。

 

その彼女の作品が展示された会場に、共にランチを済ませて出かけました。

彼女の水彩画数点は、実に見事に描かれていました。

昨年より、はるかに上達されていて、彼女の努力が偲ばれました。

称賛の言葉を述べると、Kさんはとても嬉しそうな様子。

お世辞ではなく、心から感心しました。

絵葉書にすることを強く勧めた私です。

 

奥行きがとても感じられると、先生が褒めておられました。

 

他にも惹かれる作品がたくさんあり、そのたびに見惚れ、私も習えるものなら習いたいと思いましたが。

絵心はあっても、根気が続かない。

長く集中する体力がない私には、とても無理そう。

目も悪いので、被写体の観察も十分できないでしょう。

 

展示されたKさんの三点の作品は、いずれも素晴らしかったけれど、この作品が一番、私のお気に入りかしら。
しんしんと降る雪の情景が胸に迫ってくるようでした。 

 

でも水彩画の魅力の虜に、すっかりなってしまいました。

ポエムの絵画とでもいえばいいのかしら。

水彩画の透明で清々しい空気感に惹かれてやまない私です

 

ご主人様は、仏像の彫刻をご趣味になさっています。

あなたに見せるように、と主人に言われたので、とおっしゃりながら、数枚スマホで撮ったその作品を見せてくださいました。

それがまた素晴らしくて。

私が心から褒めると、Kさんが、

「あなたのの感想を伝えるわね。きっと、主人も喜ぶわ」と。

 

Kさんから頂いたバレンタインデーのチョコレート

 

充実した年を、素敵に重ねていらっしゃるKさんご夫婦。

感謝の気持ちをいっぱい込めて、いつまでも、お元気でご活躍くださいね、と心から祈りたい気持ちでいます。

 

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最近の多忙な暮らしをざっと綴ります

2019-03-26 07:17:52 | 暮らし

しばらくのお休みでしたが、元気復活致しましたので、また更新させていただきます。

疲労の原因は、多忙な生活と、睡眠不足だったようです。

7時間以上ぐっすり寝続けたところ、体調がたちまち良くなりました。

そして、心身ともに上々のコンデイションで、広島日帰り旅行も無事に済ませることができました。

 

今年の春のお彼岸旅行は、大学進学がもうすぐの孫息子R君が一緒でした。

亡き夫の喜びは如何ばかりだったことでしょう。

今思い出しても、涙で目が潤んでしまうほど、良き時間を二人で過ごすことができました。

この思い出は、もう少し先になって記事にする予定でいます。

 

夫と一緒の幼い頃のR君
おじいちゃんが大好きでした。

 

時系列に語るなら、その前に他の話題が豊富にあります。

何からお話しさせて頂こうかしら、と迷うほどに。

私の記事は、他のブロガーさんの記述にに比べると、少々文が長すぎる上、早朝しか記事を書きません。

そのため、多分に睡眠を削っているところが無きにしも非ず。

暮らしが多忙になると、ますますその傾向が強くなり、最後はこの度のように、体調不良目前の状態にまでなってしまいます。

 

体を無理してまで、ブログを綴るのは本末転倒。

今回は、そのことを猛省。

今後は睡眠はもっと十分とり、記事の更新を急がない。

最近の更新リズム、一日おきを意識し過ぎないようにしようと思いました。

自分が、一番心地よく快適に過ごせる生活リズムと十分な睡眠確保を、何よりも優先すべきだ、と。

 

今日は、最近あった出来事を紹介するにとどめ、その詳述は時系列に綴っていこうと思っています。

そうすると、最初の話題は、オレオレ詐欺に三回も狙われたことになるでしょうか。

最初に電話がかかってきた件については、少し前にかなり詳しく記事にしました。

そこでは触れませんでしたが、「現金が家にいくらあるか」と、私も問われました。

今騒がれている、アポ電そのもの。

その後も二回かかってきました。

 

お引越しされたFさんとは電話やメールで、その後も数回やり取りしています。
でもやはり、今なお悲しくて寂しいです。

 

その間に、斜め向かいのとても親しくしていたご近所の奥様のお引越しもありました。

その後、その寂しさを救ってくれるかのようなタイミングで、四十年にわたる大親友のKさんから声がかかりました。

昼食とお茶を共にし、その間に、彼女の作品が展示された展覧会場も訪ね、半日、とても楽しい時間を過ごしました、

 

そしてその翌日のこと。

十字路を挟んで、斜め向かいの90代になられるご夫婦のお宅に思いがけず招かれ、お昼食をご馳走になりました。

ご主人様は、夫が勤めた会社の大先輩に当たられます。

出かける前は、何だかとても緊張しましたけれど。

気さくな明るいお人柄の方々でしたので、すぐに打ち解け、とても有意義な楽しいひと時を過ごすことができました。

 

 

その数日後あたりからでしょうか。

体調がが急に思わしくなくなったのは。

当然といえば当然。

いつもマイペースで、家にこもって暮らしている私には、度重なるイベントをこなす体力には少々欠け、無理がたたったのでしょう

 

その結果、体のだるさが際立ち、家事も順調に捗らなくなり始め、このままでは大変との思いに。

孫息子、R君との折角のお彼岸旅行を心から愉しめなくなってしまいます。

そのため、ブログ更新をお休みして、十分な睡眠を心がけることにしました。

 

時の流れとともに過ごした私の最近の暮らしを、大まかにざっと紹介させていただきました。

さて、何から綴りましょう。

やはり楽しいことから書き始めたい、との気持ちが強いです。

 

アポ電の話は最後に回し、ほかの話題を時系列で話すなら、親友のKさんと半日を過ごした思い出です。

明日はそのお話から始めさせていただきますね。

できるだけ短くまとめたいと思うのですが、さてどうなることでしょうか。

 

最初にも書きましたが、今後は、十分な睡眠確保と快適な暮らしのリズムを何より優先したいと思っています。

ですからブログの更新も、不定期になるかもしれません。

こんな私ですが、今後ともお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。

 

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おめでとう!R君~孫の合格発表の顛末劇~追記あり

2019-03-18 06:57:51 | 

この度のR君の、第一志望大学の合格発表。

それに至るまでの顛末劇を、今日は語ります。

外野がハラハラドキドキしたのに、受験生だったR君は至って冷静でした。

祖母の私とR君にとってはおばさんにあたる、妹のAちゃん二人して、その話題で持ち切りだった補欠合格発表日。

R君にとっては、少々迷惑だったかもしれませんね~。

野次馬根性丸出しの私達です。

 

二度目の補欠合格発表があった時、最初に気が付いたのは、実は私。

ハラハラドキドキしながら、祈るような気持ちでその時を待ちました。

某大学の合格発表サイトをチェックすることしきり。

お知らせでは5時でしたが、実際は3時過ぎに公表されました。

 

1回目の発表の時、それに気が付いたのは何と妹。

「発表されているわよ」と私に連絡が入りました。

実は、私はその日が補欠合格発表の日とさえ全く知らず、お出かけの予定もありました。

でも妹から、連絡を受けると、気持ちがすっかりそちらに向き、出かける準備もままならなくなりました。

 

 R君のママはこの机で受験勉強をしました。
私の方針で、子供部屋にはクーラーを付けていませんでした。
それでも、文句ひとつ言わず、汗を流しながら、勉強に励み、
志望の大学に合格しました。

 

妹が、私に、さらに罪な情報を聞かせてくれたのです。

「他の学部は補欠合格者が結構出ているから、R君の合格も十分あり得るわよ」

と。

 

去年は補欠合格者は一人もいなかった、と娘から聞いていました。

ですから、私はすっかり諦めていたし、すでに合格している他の大学に心から満足していました。

 

結果は、第一回目の補欠合格発表では、R君は、また不合格。

私は結局、その日は、妹の情報に何だか振り回されただけ。

妹が恨めしくなり、

「教えてほしくなかった、何も知らなければよかった」

と、少々妹に愚痴を述べました。

でも一方では、私の孫の合格発表をわが事のように心配してくれる妹に、感謝一杯だったのです。

 

 長女Mちゃんの卒業アルバム

 

二回目の補欠合格発表の日程も、その時妹に教えてもらった私です。

そしてその日が到来。

全く期待していなかったのですが、一縷の望みを抱きしめて、公表を待ちました。

三時半くらいのことです。

発表がありました。

意外や意外、合格の補欠番号がまた掲載されています。

もしやと思いましたが、私はR君の受験番号を知りません。

 

すぐR君に電話を掛けました。

でも電話が通じません。

やむに已まれず、めったにしないことですが、仕事中の長女に電話。

 

ママのところには、R君からの連絡はないようです。

「ダメだったんじゃない。今仕事中で、合否の確認はできないから」

とのことでした。

その電話を切った直後のことでした。

R君から電話がありました。

ところがR君は、5時に発表と思っていて、まだ見ていないとのこと。

 

 R君も、いよいよ大学生。
心から愉しんで、有意義な4年間を送ってください。
益々成長した4年後のR君に出逢えるのが、今から楽しみでならない祖母です。

 

一旦電話が切れて、すぐまた折り返しの電話が入りました。

「合格してた!」とR君の返事。

「ちょっと切るね、もう一度確かめる」

「合格してるよ」とR君。

「本当~、良かったわね~!良かったわね~!」

涙声になってしまった私です。

 

この大学は、私がR君に向いていると思い、本人ではなく、ママに心から勧めた経緯があります。

むろん、私が言わなくても受験したのかもしれないけれど、それだけに嬉しい。

 

それにしても、祖母や叔母の私たちが少々騒ぎ過ぎですよね。

ごめんなさい、とR君に謝りたいです。

 

R君は、不合格の時も、合格した時も、いつも至って冷静。

そんなR君を、とても男らしく頼もしく思った祖母でした。

 

一言、余分だったかもしれないけれど、私は言いました。

「成績優秀な合格ではないことは確かだから、謙虚な気持ちで頑張らないとね」と。

「うん分かっている」と、R君の素直な返事が返ってきました。

 

とは言いましたが、補欠でも、合格は合格。

非常に高い倍率の難関大学。

その補欠番号に入る実力があった故の、この度の朗報。

心から、R君の努力を認め、褒めてあげたい気持ちで一杯の祖母です。

 

追記

記事にしたい話題は色々あるのですが、4~5日お休みさせていただきます。

帰郷も控え、いろいろ忙しく、今一つの体調も、整えなくてはなりません。

夫の墓参も済ませ、疲労が回復したなら、更新をまた再開させていただきますね。

その時は、また宜しくお願いいたします。

 

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何だか多忙な昨今~思いがけない朗報

2019-03-16 06:46:33 | 暮らし

寒さが和らぎ、春の兆しが日増しに濃くなってきた昨今。

私の心は軽くなったり、重くなったり、と。

そして多忙な日々が過ぎていきました。

 

先週は、ご近所の親友、Fさんがお引越しなさるため、そのことで頭が一杯に。

その数日前、彼女に感謝の気持ちを形にして表したく思い、その品物を求め、デパートへ買い物に出かけました。

その時、春の草花少々と、夏のワンピースまで購入。

洋服は一目惚れで、衝動買いの気が少しあります。

 

私は、とてもつらいことがあると洋服を買う癖があるのかもしれません。

12月に夫を亡くした翌年の一月には、二着も購入してしまいましたから。

 

今回の買い物も、Fさんとお別れする寂しさの、もしかして穴埋め?

それも多少はあるかもしれませんが、以前から夏用のおしゃれ着が欲しくてならなかった私です。

ですから、予算の範囲内で購入したつもりでいます。

このワンピースは、またいつかご紹介させていただきますね。

 

週末にFさんを見送った翌週の月曜日には、妹と昼食を共にしました。

その後二人で整骨院へ。

その後もカフェでお茶を一服。

半日、一緒に過ごした感じです。

情報交換をしたり、励まし合ったり、共に愉しむひと時は、いつもとても充実しています。

 

ふさわしい画像がなくて、こんなもので失礼します。
私のある日の朝食です。

 

そして、その翌日は、午後美容院に。

午前中は、お引越しなさったばかりのFさんがお訪ねくださいました。

断捨離されるお荷物一式の搬送の日だったからです。

新天地のお暮らしへの希望に燃えて、心が弾んでおられるのでしょう。

表情が輝き、いつも以上に魅力的なFさんでした。

 

「新しい生活では、タイマーを使用する私の暮らし方を取り入れているのよ」

とおっしゃって。

私のライフスタイルを、温かな言葉でいつも認めようとしてくださるFさん。

私の暮らしの、大きな励みと支えになって下さいました。

 

そのFさんは、お昼過ぎに我が家を後にされ、その後、私は身支度を整え、美容院に。

白髪の目立つ頭が若返り、きれいにセットしていただきました。

シャンプー、カラー、本格的なトリートメント、ヘヤーマッサージ、カット、ブローのフルコ-スです。

 

そして明日(15日)は、Kさんとお会いします。

Kさんとは身内同然の親しさ。

お引越しされたFさんに暮らし方やお人柄がそっくりの方で、私の40年間に亘る大親友です、

 

 美味しく食べられなかった日の献立

 

記事の話題がいくらでもあるといった感じの最近の私ですが・・・・・・。

多忙ゆえの疲労なのか、最近、食欲が落ち、体調が急速に下降気味。

昨夜(13日)、折角頑張って作ったご馳走が、全然おいしく感じられなくて、哀しくなりました。

 

暮らし方も、ここ数日はだらだらとしていて、勢いが出ません。

そんな自分の姿を客観的に見つめると、嫌で嫌でならないのだけれど。

こういう時は、すぐには立ち直れなくて。

もしかして、ご近所のFさんの転居で想像以上のショックを受けているのかもしれません。

ちょっとした鬱状態かな?

 

食欲がなくなるなんて珍しいことなので、不安に思っていたところに、

信じ難い朗報が飛び込んできました。

何と、なんと、孫の第一志望だった大学の補欠合格です。

365日、一日も欠かさなかったといってもいい、夫と両親へのお願い事。

R君の希望をかなえてください、と。

その願い通りにしてくださった夫のお位牌を、思わず、涙ながらに抱きしめてしまいました。

 

 

今日(15日)は、アメリカ在住時代、娘たちを我が子のように可愛がってくださったKさんと会います。

Kさんも、孫の合格を心から喜んでくれるにに違いありません。

 

天にも昇るような嬉しい出来事があったことですし、

また元気を出して、「今日が一番素敵」の精神で頑張ろうと思います。

Fさん同様に生き生きと活動しておられるKさんからも、元気をいっぱいもらってきますね。

 

何だか全然まとまりのない文章でごめんなさい。(ここまでは、昨日15日の朝の記述です)

実は昨夜電話があり、今日も(16日)、思いがけないご招待を受けました。

一日外出した翌日ゆえ、体力的には無理なのですが。

 

90代になられるご高齢のご夫婦の優しいお言葉を、むげに断れなかった私です。

お昼食へのご招待です。

そのため、今日もお約束の時間、11時に、その方のお宅に参ります。

 

その体力をつけるため、今からもう一休みしようと思います

推敲もほとんどしないで、今日の記事は投稿させていただいますね。

まとまりのない文でお読み苦しいかと思いますが、お許しください、

 

Kさんとお会いしたこと、孫の第一志望大学の合格、ご招待を受けた今日のお宅訪問などの詳述は、この先の記事でさせていただきます。

 

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嵩む交際費~私にとっては意義あるお金の使い道

2019-03-14 07:15:45 | 暮らし

これから良い季節を迎えます。

寒さ嫌いで、家にこもりがちだった私も、いよいよ本格的に活動開始、といったところでしょうか。

お食事会のお誘いを色々受けています。

今、既に四つもあり、すべてに参加すべきかどうか迷うところ。

交際費の支出は、遺族年金の限られた少ない収入では、結構負担が大きいです。

お食事会に限らず、年明けから今日に至るまで、今年は特にお付き合いの支出が嵩んでいます。

 

お手紙も、今年になって、すでに五通書きました。

お悔やみ、お見舞い、出産祝い、お別れなど。

まるで人生の縮図を味わうかのような感慨に浸りながら過ごした、年明けからの数か月でした。

お花も度々お届けし、ネット販売のお花キューピットのお得意さんになってしまった感がいたします。

 

ご出産祝いで、お祝い金とともに、このお花のブーケをお届けしました、

 

でもこのようなお金の使い方は、心を充足させてくれるものですね。

使い道としては、本当に気持ちよく、無駄には全く思いません。

但し、何だかとても申し訳なく思うこともありました。

 

私はお手紙を添えて、心ばかりの供花やお品物をお届けしたにすぎませんのに。

それ以上のお返しが届いたりするからです。

まさに倍のお返しといった感じのものもあり。

恐縮してしまいました。

 

一方、お相手の方の温かなお気持ちが身に染みて嬉しくもなりました。

 でもこれでは、私の気遣いが、却ってご迷惑をかけてしまうことになりかねません。

 

 

上の画像のお品物が、まさにそれにあたります。

私は感激のあまり、しばらく見つめるだけでしたが、その後、すぐご礼状を出しました。

夫の勤めていた会社の、恐らく取引先の方ではないかと思います。

詳しいことは存じません。

 

夫が闘病中、その方から、お見舞いのお品とお手紙を頂戴したことがありました。

その時、贈り主の方のお優しい心情が伝わってきて、私はいたく感動したものです。

夫が亡くなってからも、私に年賀状を下さり、そこには実に温かな励ましのお言葉が添えられていました。

 

ところが昨年の年末、喪中の葉書きがその方から届いたのです。

その葉書きには、その年の春、奥様を亡くされたとのご報告の言葉がありました。

私の夫の見舞いで、溢れるような優しいお気遣いをしてくださる一方で、奥様の看病をなさっていたのかもしれない。

そう思うと、胸が熱くなりました。

お相手の方の慈悲深いお人柄に、只々頭が下がる思いがしたのです。

 

幾分花の種類が違いますが、私がお届けしたのは、上の画像にそっくりの供花でした。

 

私は見も知らないお方でしたが、余りに心打たれ・・・・・・。

ほんの気持ちだけの供花に過ぎませんでしたが、お届けさせていただきました。

そのお返しが、上の画像です。

主婦にとりまして、こんなにうれしい詰め合わせはありません。

 

でもまさにこれでは倍のお返し。

その品物を拝見しながら、このようなお優しい方に看取られて亡くなられた奥様の幸せを思わないではいられませんでした。

 

心に残る、感動的な出来事でしたので、少し詳しく、ブログ記事として綴らせていただきました。

 

今週の金曜日には、Fさん以上に長い40数年のお付き合いになる大親友のKさんとお会いして積もるお話をすることになっています。

良き暮らしのリズムを刻み、元気な体と心で、一つ一つののイベントを愉しみたいものですが。

食欲が珍しく落ち、最近、体が少しだるい。

ちょっと気がかりな私です。


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Fさんとお別れの日

2019-03-12 07:29:19 | 

3月8日は、私にとり、耐えがたいほどに悲しい日となりました。

お天気は、雨上がりの晴天で、実に清々しく、陽光はキラキラと輝いていたのですが。

近隣として、三十数年、親しくお付き合いをさせていただいたFさんが、都心のマンションへお引越しなさる日だったからです。

 

お見送りしてもよかったのですが、あまりに辛かったので、窓から車が見えなくなるのを確認しました。

その後すぐ、車中からお電話をくださったFさん。

私が前日差し上げた贈り物数点を、とても気に入ってくださったようで、そのお礼もかねてのご挨拶でした。

二日前には、ご夫婦そろって、我が家にもお越しくださいました。

 

心のこもったFさんからの贈り物を手にして感激してしまいました。
右の白い容器には、彼女の手作りのお味噌が入っています。

 

窓越しに車をお見送りしてからは、私は一日中、めそめそしっ放し。

目は涙で潤み、鼻水が出て仕方なく、その寂しさは、ことばでは、とても言い尽くせないほどでした。

 

この地に私がマイホームを構え、数年後に彼女が引っ越されてきました。

その後から三十年近いお付き合いになります。

年を重ねるごとに親密になり、信頼感が深まっていった私達。

私より一回りお若いのに、私が心から尊敬し敬愛してやまない方です。

夫を失い、一人暮らしの今、彼女の存在は、日々の暮らしの支えと、私の心のよりどころにさえなっていました。

 

 

東日本大震災で流通が途絶え、商品が品薄となり、食材が思うように手に入らなくなった時。

彼女は、早朝、成城石井の前に並び、そこからお電話をよくかけて下さったものです。

「何か必要なものがあれば買いますから、遠慮なく頼んでください」と。

 

庭のガーデンチェアーから転落し、頭に怪我を負った時には、

車を出し、彼女がとても信頼している脳神経外科病院に、私を案内しても下さいました。

日々、車で買い物に出かけるとき、声をかけますから一緒に出かけましょう、とまで、おっしゃってくださったこともあります。

 

けれど、彼女は多方面で活躍されている、お忙しい方。

数年前までは、若い頃の留学経験を生かし幼児の英語塾で、英語の先生をなさっていました。

今は或る専門料理教室の助手をなさっています。

施設に入っておられるお母様の介護のために、一時間以上かけて度々往復もされています。

 

何事にも意欲的で研究熱心。

心優しくて、実に聡明なお方。

凛としたお姿と雰囲気は、とても魅力的です。

 

向かって右の方がFさんです。左の方は真向いのお宅の奥様、Iさんです。
Fさんほどではありませんが、Iさんとも、長年、とても良いお付き合いをしています。

 

ですから、私は、彼女に負担をかけるようなことはしたくありませんでした。

身に余るようなご親切に甘えることは、極力しないように心がけてきたつもりです。

でも、彼女の優しい言葉がけが、どんなに嬉しく心強かったかわかりません。

 

こんな私の暮らしでも、一回りも年上だからでしょう。

彼女は目標にして下さり、先日も、私のライフスタイルを心から褒めてくださいました。

「どうしたら、こんなに美しい暮らし方ができるの」

と、過ぎたお言葉までいただき、恥ずかしくてなりませんでした。

 

お子様が中学受験の時は、私の経験談を語らせて頂いたり。

お嬢様の婚約者のご両親とお顔合わせをなさる時の、ご挨拶の仕方を尋ねられたり、と。

折あるごとに、人生のチョッピリ先輩として、私の気持ちを述べさせていただいたものでした。

 

三人のお子様たちは全員難関私立大学を卒業され、今は、ご結婚されていますが。

皆さん、まだ小学校低学年のころから見守ってきたお子様たちです。

 

 私がFさんにお贈りした物数点の一つは、フェイラーのポーチです。
同じ柄の黒はなくてグレーにしました。
私は次女からもらったものですが、今、キーホルダー、敬老パスなど入れて
とても愛用している大好きな小物です。
持てば持つほど愛着がわいてきます。

 

お互いに敬愛し合ってやまないお付き合いだったといえる、私たちの関係.

私たち二人の間には、心から理解し合える長い日々の営みの想い出があります。

この地で、最後まで彼女とはお付き合いができると思い、信じて疑わなかった私です。

ですから、この度のお別れは、本当に悲しくて、お引越しが終わるまで信じたくないことでした。

 

でも転居された日から、Fさんのお宅の灯りは消えました。

それを見ると堪らなく、寂しくて、悲しい。

心の空洞は、しばらくは埋められそうにありません。

 

ご近所に親友がいた幸せを、いま改めてかみしめ、彼女に感謝の気持ち一杯でいます。

 

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東日本大震災から明日で八年~私の思い

2019-03-10 07:16:39 | 自然

明日は、東日本大震災が起きた日です。

既にそれから、8年が経過します。

不謹慎な言い方かもしれませんが、私の記憶から消えてほしいほどに、思い出すのも怖い。

どこか現実離れした出来事のようにさえ感じられてきますが、実際に起きたことなんですね。

 

被災された方々、犠牲者を多く出されたご家族の思いは、今なお、どんなに推し量っても、推し量れるものではないでしょう、

それほどに、深い悲しみだと思います。

 

 

でも、日々は流れていく。

どんなに辛くても、前を向いて歩かない限り、日常の生活はままならなくなる。

癒す時の流れと、人々の前を向く精神力は、きっと神様の賜物に違いありません。

 

私もいつ、同じ運命に襲われるかもしれません。

すべての人に言えることでしょう。

どんな辛いことに遭遇しても、それを乗り越える精神力を持ちたい。

神様にお願いするしかない私です。

 

 

でもできることなら、そのような経験はしたくありませんが。

一寸先は闇。

自然の所為は、想像もつきません。

 

だからと言って、くよくよ心配してもどうにもならないことですから。

掛け替えのない今日という日を、精いっぱい生きていきたいと思います。

 

 

 

東日本大震災が起きた時、我が家も、今までに経験したことがないような酷い揺れに見舞われました。

びっくり仰天し、私は恐怖におののきながらら、一目散に夫がいる二階の書斎に駆け込みました。

 

Yさんは、驚きが多少感じられる顔付きながら、いつもと変わりない様子でリクライニングの椅子に腰かけていました。

その泰然自若としている夫の姿を見て、私の気持ちがどんなにか落ち着いたことでしょう。

でも今は一人暮らし。

頼れる人が居ないのに、そんな大きな地震に見舞われたら、私はどうなってしまうのか。

想像もつきません

 

でも守るべき人が居ます。

もし両親が出勤中だったら、学校で待機する孫を迎えに行かなければ。

 

どうか私が生きている間に、このような怖いことが起きませんように。

臆病で、体力にも自信がない私は、ひたすら祈るばかりです。

 

 

改めて、自然災害で尊い命を落とされた方々のご冥福をお祈りいたします。

東日本大震災が起きた日の夜空は、満天の星空だったと、報道で最近知りました。

お星さまになって、天国からご家族を見守っておられるに違いないと思うと、少し心が和みました。

 

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私と若夫婦家族の関係

2019-03-08 07:03:29 | 家族

前回の記事で、すでに報告済みのことですが。

久しぶりに、私が手料理を振る舞い、次女家族、長女家の孫息子R君と一緒に、ひな祭りの夕食を愉しみました。

ひな祭りとは言っても、その向きは、ちらしずしとハマグリのおすましを作っただけ。

変わり映えのしない食卓風景なんですが。

 

 

これまでにも、時には、我が家で夕食を共に、と思うことも度々ありました。

けれど、Mちゃんは、私が足を運んで、次女宅に行く方を好むようです。

その言葉に甘え、週末の一日、夕餉の時間を、私は一緒に過ごさせてもらっています。

 

あなごとイクラを載せたいところですが、節約。
久しぶりに作った五目ずしでしたが、手間がかかって、大変。
50代の頃は、私の十八番料理だったのに。
もう当分作りたくないです。

 

私が五十代の頃は、お正月、クリスマス、孫たちのお誕生日、すべて我が家で行っていました。

長女が結婚し、初孫が生まれ、小学校の低学年のころまでではなかったかと思います。

その当時の私は、本当に元気でした。

疲れやすい体質は、若い時からのこと。

相変わらずでしたが、充実した気力で乗り越えることができました。

 

孫をしょっちゅう預かり、保育園のお迎えも、よくしたものです。

孫が熱を出すと、旦那様にお構いなく、娘宅に泊まり込んで看病をしたり。

孫を一週間、我が家で預かったり、と。

旅行も孫、夫、三人でよく出掛けました。

 

 次女家のお雛様です。

 

ところが60歳になった年の年末、突然具合が悪くなり、一週間入院することに。

原因は過労に過ぎなかったようですが。

年明け前に、何とか退院でき、長女宅でしばらく、私はお世話になりました

 

それ以来でしょうか。

親子の力関係が逆転したのは。

娘たちは、私に頼らなくなり、家族のイベントがある時は、娘宅で行うようになりました。

 

 

その後、5年間ほど、両親の介護もありました。

夫が退職してからは、三度の食事に追われ、主婦業が、50代の頃より却って忙しくなりました。

孫の世話どころではなくなってしまったのです。

 

ですから、次女家の世話は、長女の時ほどやれていませんが。

夫が退職後、お婿さんが単身赴任の間、次女家とは三年間同居をしています。

ですから、娘家族両方に、私は平等に気を配ってやれたのかもしれません。

親の年齢の巡り合わせで、娘たちに対する私の態度にも、いろいろ変化があり、今に至っています。

 

 

今の私が願いは、娘たちには頼らず、自立した暮らしをできるだけ長く続けたい、ということ。

健やかに、麗しく、今後の余生をすごせるといいなあ~

日々を珠のように愛おしんで、丁寧に暮らしたい。

またまた、きれいごとを言いました。(笑)

飽くまで、これは理想。

体の不調にも見舞われることも多くなり、きれいごとでは済まされない今の現実があります。

 

今小2のかれんちゃんの幼稚園の時の作品です。

 

でも何事もプラス思考で臨み、老いに立ち向かって行こうと思います。

後期高齢者突入カウントダウンが、もうすぐです。

 

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無駄な心配事~一時、余りの不安で胸のどきどきが収まりませんでした

2019-03-06 07:32:09 | 家族

今日は前記事で綴った、ひな祭りの夕食の様子とその他、徒然なる思いを綴る予定にしていました。

記事の下書きも、大体終わっていますが。

その記事に載せたいと思っていた、次女宅のお雛様の写真をまだ撮っていません。

私が、かれんちゃんの初節句の時、お祝い金を大奮発して、買ってあげたものです。

 

選んだのは次女。

物を購入する時には、実に慎重に吟味するこだわりは、私に似たところがあります。

努力して選んだ甲斐あって、とても素敵なお雛様なんです。

このご紹介もさせていただきたいので、ひな祭り会の記事は、次回に回すことにいたしますね。

 

 

今日は、一昨日起きた、突然の心配事についておしゃべりさせていただきます。

束の間のことで、すぐ解決し、胸を撫で下ろしたのですが。

 

最近、何かと忙しかったせいか、その日は体が重く、今一つ元気が出ません。

こういう日は、無理してまで働くよりは、再度床に就き、眠れるだけ眠る。

目覚まし時計もかけないで。

一人暮らしゆえにできる気ままさですが、蓄積疲労の状態になるのは、一番避けたい私です。

めったにしないことですが、午前中から再度床に就ことに、この日は決めました。

 

ところが、その矢先のこと。

妹から電話がありました。

「今日は久しぶりに整骨院に行くつもりだから、ランチを一緒にしない」

との誘いでした。

妹は、一時間以上かけて、私が通う整骨院で施術を時々受けています。

その時は同じ日に私も施術を受けるようにして、昼食をほとんど共にしてきましたが。

 

今回は、無理。

出かける気力も体力もありませんでした。

とても残念ながら、断りました。

 

 

その後、すぐ床に就き、休んだ私です。

携帯のアラーム時刻も設定をしないで。

明日も所用で都心のデパートへ出かける予定がありました。

ですから、何としても疲れを取っておきたかったのです。

 

ところが一時間半も経過すると目が覚め、もう眠ることができません。

その程度の疲れだったのだと思い、床を離れ、心機一転。

仕切り直しで、家事に励むつもりでした。

 

そうしたところに、携帯が鳴りました。

また、妹からの電話です。

 「施術の予約時間が早まり、予定より早く終わったの。

大福もちを買っていくから寄ってもいい?」

「もちろんいいわよ。朝からだらだら過ごしていて、お部屋がきれいではないけれど」

と応えました。

 

それから間もなくすると

「今~のバス停の前」との連絡。

そこから、我が家まで妹の足なら五分足らずです。

 

ところがどうしたことでしょう。

五分過ぎても十分過ぎても妹がやってきません。

十五分経過すると、さすがに心配はただ事でなくなってきました。

 

 

来る途中で気分が悪くなり、路上で倒れているのではないかしら。

救急車のサイレンが聞こえるかもしれない。

きっと何か異変が起きたに違いない。

心配が絶頂になり、我慢できず、妹にこちらから電話しました。

すると、

「今バスに乗るところ」

と思いがけない返事。

 

「あなたさっきは、~駅の前にいるといったわよ。

そこから我が家まですぐでしょ。

なかなか来ないから、胸が張り裂けそうに心配してたのよ」

と私。

妹が応えました。

「ごめんごめん。駅前のバス停から電話を掛けたのだけれど、言い間違えたんだわ」

それを聞き、どんなに安堵したかわかりません。

 

年老いたことによる連絡ミス、

年老いたことによる、過剰な心配。

若ければ、きっと寄り道しているくらいに思って、のんびり構えていられたのでしょうが。

こんな連絡間違いも、まずありえないでしょう。

 

歳を重ねると、このような事に再々見舞われ、あたふたと行動することが多くなっていくのかもしれませんね。

お互いに気を付けて暮らしたいもの、と。

妹にも、そのように話しました。

 

心配のない、のどかな余生が理想ですが、今後は年齢の哀しさから、そうはいかなくなりそう。

せめて、今回のような無駄な心配事はしないように心がけたいものです。

 

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桃の節句~我が家のお雛様

2019-03-04 07:28:11 | 家族

毎年、苦労をして飾り付けるお雛様ですが。

勢ぞろいし、ひな壇に鎮座おわしますお雛様を目の前にすると、飾り付けて良かった、としみじみ思う私です。

日本の雅な伝統の優雅さ、優しさを思わずにいられません。

 

 

子供の頃、郷里では、ひな祭りは四月三日でした。

ですから我が家は、その日までお片付けはしません。

四月三日といえば、私の誕生日。

何と良き日に、生を授かったことでしょう。

 

 小道具の飾り付けは、孫娘のかれんちゃんの楽しみにとっておいた私でしたが。
昨夕、ひな祭り会を我が家で開いた時、とても喜んで臨んでくれました。
でも後で見ると、間違っているところや、まだ不備の個所がいろいろ。(笑)
今から直すすつもりです。

 

このお雛様を見て、今一番抱く感慨は、私の母の思いです。

全身全霊で孫たちを可愛がってくれた母。

お雛様を買ってくれた時、孫の幸せを、心から願ったに違いありません。

 

 

お陰様で、娘たちは、大病一つせず、賢く、優しく、健やかに成長してくれました。

そして今、恵まれた幸せな日々を送っています。

お雛様が娘たちの厄も引き受け、見守ってくれたのでしょうか。

改めて、感謝の気持ちを込めて、母にそのことを報告したいです。

 

 

中国に起源があるようですが、雛人形の本来の姿は流し雛。

人形に、身体の汚れを移し、海や川に流す風習が古のころにはあったようです。

それに、平安時代の貴族の子女たちが遊ぶ人形遊びが結び付き、今のひな壇ができたのは江戸時代とのこと。

 

 

このような伝統が、今の時代にも継承され、その美しい慣習を味わえるのは素晴らしいことですね~。

歳を重ねたからこそ、日本の伝統行事を、一層大切に愛おしめるといいのですが。

 

 

体力の衰えで、ままならないのが現実。

来年も、雛人形の飾り付けができるほど元気でいられるでしょうか。

 

 

この雛人形は、いつか、長女に返すつもりで私はいます。

今は仕事が忙しく、飾りたいとは思わないようだけれど。

古典行事を心から愉しみたい、と思う時が、その内来るでしょう。

 

明日から、Mちゃんは一週間、海外出張とのこと。

お雛様が厄は引き受けてくれていますから。

安心して、お仕事、頑張ってきてね。

 

我が家では、昨日、次女家族を招いて、ひな祭りのお食事会を開きました。。

長女家の桜ちゃんは、期末テストが目前でこれなかったけれど、お兄ちゃんは、一人で来てくれました。

第一志望の大学は補欠だったR君。

そのため進学先が最終決定したわけではないけれど、気持ちはもう切り替え、前を向いているのがよくわかりました。

とても元気そうで安心した私です。

 

 

今日も色々予定が、またあります。

でも、何だか体が重い。

何とか元気に過ごしたいものです。

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春の訪れはこの上なく嬉しいけれど・・・・・・

2019-03-02 06:27:28 | 

いよいよ三月。

嬉しい~。

今の思いは、その一言に尽きます。

 

このような感動が味わえるのも、日本人なればこそ。

メリハリのある四季の移り変わりと共に、端境期とも言われる季節の狭間の微妙な時候。

何とも奥が深い日本の季節の移ろいを、多くの文人が歌に詠んできたことでしょう。

私にも文学的素養がこのような文人の爪のあかほどでもあれば、記事上に豊かな言葉で、その喜びを綴るのですが、

情けないことに、深く味わう感性とボキャブラリーがあまりに貧弱。

思うように、その嬉しさを伝える言葉が見つけられなくて、もどかしいです。

 

 

とは言っても、日差しの輝き、木々の芽吹きや萌えなどを見て、春近しを喜びをもって受け止める心は十分あります。

夫が居なくなり、冬の受難は想像以上ですので、その嬉しさはひとしお。

今冬は、風邪を一度も引きませんでした。

まだ油断はなりませんが。

インフルエンザに罹るのは、私はいつも三月。

 

 

年末の頃はかなり調子が悪かった脚も、今は然程ではありません。

初孫のR君の進学先の大学も決定。

しばらくは、心配事もなく、のんびり暮らせそうです。

良きことばかりが、今後続いてほしいものですが。

 

 バレンタインデーの日にFさんから頂いたチョコレートです。
もったいなくて、まだ口にできずにいます。

 

心から信頼していた、斜め向かいにお住まいの友Fさんが、もうすぐお引越しされるのが、たまらなく悲しくて寂しい。

今はできるだけ、そのことは考えないようにしています。

彼女が去った後の私の気持ちが、今から怖い。

それほどに、陰に日向に、私を精神的に支えてくれた人でした。

 

 

私とKさんの別れのみならず、春の訪れは、 新しい出逢いと別離の季節です。

そのもっともたる体験をするのが、大学入学を控えたR君。

 

もしかするとわたしは、そのR君と素晴らしい思い出作りができるかもしれません。

実際にその夢が叶ったなら、その時、具体的にお話させていただきますね。

 

明日は、ひな祭り。

次回の記事では、我が家のお雛様をご紹介させていただきます。

 

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